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→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→村山由佳の阿部定
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→今年も卒業の季節
★「はてな?現代美術編」 koko
→マトリックス的世界体験を味わいたいなら
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→はじめての全国テニス
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■トピックス
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■トピックス募集中です!
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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村山由佳 『二人キリ』集英社 2100円+税
関東大震災に際して大杉栄とともに官憲に虐殺された伊藤野枝の生涯を描いた
著作の前作『風よ、嵐よ』は大きな反響を呼びました。著者が今回とり上げた
のが、愛人を情事の果てに扼殺し、その局部を切断するという稀代の猟奇事件
を引き起こした阿部定です。定は、吉蔵の死体に「定吉二人キリ」という血文
字を残しています。野枝のような思想性はなくとも、226事件の直後、戦争
にひた走る世相の中で、愛人を独占するために殺害し、その男性器を切断し持
ち歩いた定が、「誰よりもアナーキー」であったことに疑いはありません。
本作の視点人物である吉弥は、被害者吉蔵の妾腹の子。彼がまだ幼いころに事
件は起きています。やさしい父親の命を奪った定がどんな人物であったのか。
その疑問に取りつかれた吉弥は、旧制中学の生徒の時から関係者への聴き取り
を進めていきます。後年映画の脚本家になった吉弥は、東京の下町でおにぎり
屋を営んでいた定のもとにたどりつきます。1960年代中葉のことでした。
最初、定は吉弥に邪険な態度をとりますが、やがて心を開きます。こうして、
猟奇事件の加害者と被害者の息子との間の不思議な交流が始まりまったのです。
定の男女の幼なじみ。少女時代の定をレイプした慶応の学生。定のヒモになっ
た親族の女衒秋葉正武。事件後、定との関係が明らかになったことによって、
社会的地位を失った商業学校の野々宮校長。そして吉蔵の本妻。本作のストー
リーは、定に関わった様々な人々の、相互に矛盾をはらんだ証言を軸に展開し
ています。証言の中には、自己保身のための弁明も多く含まれています。名画
「羅生門」を彷彿とさせる手法です。すでに世にないはずの吉蔵の証言まで登
場します。一体彼はどんな姿であらわれるのか。それは読んでのお楽しみです。
定はその生涯において、実に多くの男たちと肉体的な関係を結んでいました。
しかし彼女が本当に惚れたのは、「秋葉正武、…野々宮校長、それに吉田吉蔵。
こうして並べてみると確かに、彼女の話をまともに聞こうとしてくれた男ばっ
かりだ」。慶応の学生にレイプされてからの定は自暴自棄の生活を送っていま
す。その中で定を性欲のはけ口としてではなく一個の人間として優しく接して
くれたのがこの3人の男でした。しかし、皮肉なことにそのうちの一人は、社
会的生命を絶たれ、もう一人は定によって本当に殺されてしまったのです。
定が吉弥に心を開いたのも彼が定の話をきちんと聞こうとしたからでした。吉
弥の中にも変化が生じます。彼の中での定の像は、「<ぼくの大好きだった吉
さんを奪っていった女>から<僕の大好きだった吉さんをひたむきに愛しすぎ
た女>へとだんだん変わってきたのだ」。凄惨な事件を描きながら読後感は爽
やかなものです。吉弥と友人の映画監督は定の物語を映画化しようと奮闘して
います。映画化に関わった人たちの人間模様も、大手支配の体制が崩壊しATG等
新しい製作主体が台頭していった時代の映画界の描写も興味深いものでした。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「卒業制作」の話
毎年この時期になると「学生の卒業作品」を話題にして原稿を書いている気が
する。
今年も、と思ったのだが今期はスケジュールの関係で後期に卒業学年を担当し
ていなくリアルな制作状況がわからない。毎日流れて来るLINEの情報とgoogle
のクラスルームに(たまに)アップされる進行画像をチェックするのみだった。
今期の卒業学年は人数が少ない上にコロナ対応のリモート授業の影響か自宅制
作を希望する人がいるため教室には数人しかいない状態が恒常化していてなん
とも寂しい学生生活のラストだった。
しかも卒展間際にLINEで流れてくるのが「もう無理だと思います」のトーク。
私も締め切りに関してどーこー言える立場ではないがこの無理発言の学生のこ
の1年間の作品進捗具合を見ていると「本当に無理」だと思えた。なので卒展に
行って彼の作品が展示されているのを見て「本当に」胸を撫で下ろしたものだ。
しかし毎年思うのだが学生にとって「進級」や「卒業」は作品作りのモチベー
ションになっていない様な気がする。最近、特に大学でマンガを専攻する学生
にとってマンガは本当にやりたいモノではないんじゃないかと思う事が多々あ
る。
総合大学の法学部の学生が全部法律家を目指してる訳ではないのと同じで芸術
大学の中で「なんとなく」マンガを選んだ可能性が高い。新入生でマンガのコ
マの流れを知らない学生がいて愕然とした事があって「キャラ絵を描くのは好
きだけど漫画は読んだ事ない」んじゃないかと疑った事も。
だが…今回の学生の作品を読んでいて発想やストーリー展開の面白さは充分に
感じられた。つまり「アイデアを考える能力」が無いわけではなく、またそれ
をストーリーにする力もそれなりにある。だがなぜか毎年(今年はクリア出来
たが)仕上がらない学生が一定数存在する。
最近の学生はある意味非常に真面目だ。また最近の漫画も作画密度が高くそれ
に倣ってしまうと作業量がとんでもない事になる。真面目なのだがネームと言
う「描くのではなく考える時間」の部分でスケジュールに綻びが出てしまった
場合「もう無理」になってしまうようだ。
自分たちが学生だった頃はとにかく「何かでっち上げて卒業する事」が最優先
だったのだが、今の学生は卒業がさほど大きな理由にはなっていないのかも知
れない。
まぁ…学校の都合で何としてでも出てもらわねば、が知れ渡ってて腹の中を読
まれているのかも。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第143回
『 現代アートチーム目[mé] ――――― マトリックス的世界で冬籠り』
去年末から今年の2月にかけて冬籠り宣言をしていました。TVもほぼほぼ見ず、
仕事場と家の往復と、映画館詣でに特化した2か月が終わろうとしています。
外食もほとんど行かなかったので、ひたすら家で自炊。家では配信ドラマや映
画も見ていませんでした。ひたすらキンドルで軽い本を読み、サブスクで音楽
を聴いて過ごしたこの冬です。一種のデトックス生活ですね。
たまたまそれほど観たいと思う展覧会もなかったので尚更積極的にお籠りです。
庭から望める空は青く清々しい色をしているのに、同じ空の向こうで人が死ん
でいる土地もあると思うと寒気を感じる瞬間あり、たまにブルブル震える大地
を感じては、能登半島の今を意識し、来るだろうと予想される南海トラフ地震
を想う瞬間もあります。
毎日大した病気にもならず生活できることに結構幸せを感じたりもする不思議
な2か月でした。そんな中、去年行きたくても行くことができなかった展覧会や
芸術祭のことを考えてみました。
「デイヴィッド・ホックニー展」 (東京都現代美術館)は本当に観たかった展
覧会の代表です。
関西に巡回しないことをどれほど恨んだことか。
もう一つ気になっていたのは「さいたま国際芸術祭 2023」です。
これは現代アートチームの目[mé]ディレクションということで好奇心が刺激さ
れました。青森の奈良美智展も行きたかったなぁ。
でもデイヴィッド・ホックニーや奈良美智展なんぞは他の機会にまた見れるか
もしれませんが、さいたま国際は一期一会的なイベントなので取り返しつきま
せんよね。深く溜息です。
さいたま国際芸術祭 2023のアートディレクター、現代アートチーム目[mé]は、
2019年の千葉市美術館で開催された「非常にはっきりとわからない」展で知る
ようになりました。
千葉まで足を延ばすことはできませんでしたが、彼らが何をしようとしたのか
は雑誌やウェブで大体は知っています。。なかなか面白いコンセプトで、日本
人アートグループの活動としてオリジナリティもあって是非一度本物を見たい
と思っていたのです。
実際行った人達は、また同じあのマトリックス的世界体験を味わいたいと言っ
ています。癖になる体験型展示、たのしそー。
会場の7階と8階を全く同じ展示にして、鑑賞者が自分が何階にいるのわからな
くなり、さらに本当にまったく同じ展示空間の細部を確認しだすように仕向け
られているらしいです。
展示は、俯瞰的にみた美術館を搬入と搬出を繰り返す物体と位置づけ、中の展
示は搬入出を繰り返す展示会場を再現。転がったガムテープや仕切り壁や紙く
ずのような取るに足らない存在に人が注目する仕組みです。
客観的にただ存在する搬入出を繰り返すモノと、実際主観的に存在しているモ
ノをじっくり観察する機会が与えられます。観察しだすと人はどこまでが「や
らせ」の範疇で、どこからが関係ない物体や展示なのかがわからなくなり、頭
がクラクラし、足もフワフワしだすといいます。
美術館から駅への道もどこかに仕掛けが仕込まれているのではと、鑑賞者はジ
ロジロと帰り道の細部にわたって観察しながら帰る羽目になるそうです。
美術館とその周辺がマトリックス的世界になるのです。
ワクワクしませんか?
こう聞くと行ってみたい!ですよね。
意図せず妻有と瀬戸内芸術祭で彼らの作品を鑑賞する機会がありました。
両方とも印象に残る作品でした。
特に瀬戸内芸術祭の展示は体験型だったので印象も強烈でした。
2021年の夏に東京の空に浮かんだらしい顔「まさゆめ」プロジェクトも写真だ
けでもインパクト満点!
そして去年のさいたま国際芸術祭。
しばらく彼らの活動に 目[mé]が離せません。
□現代アートチームの目[mé] HP
https://mouthplustwo.me/jp/exhibitions.html
□Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13 《まさゆめ》
https://masayume.mouthplustwo.me/
□美術手帖 どこまでも続く答えのない謎解き。椹木野衣評 目[mé]「非常
にはっきりとわからない」展
https://bijutsutecho.com/magazine/review/21501
□artscape 表も裏もない展覧会 「さいたま国際芸術祭2023」(メイン会場)
と「Material, or 」 キュレーターズノート
https://artscape.jp/report/curator/10188909_1634.html
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 43
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沖縄と軟式テニス
主席公選の投票日から間もない1968年11月23・24日、那覇市奥武山庭球コート
で、第35回全日本男子東西対抗軟式庭球大会が開催され、テニス選手を描く記
念切手
が発行された。
https://blog-imgs-173.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20240225143246a6c.jpg
一般に、わが国におけるテニスの歴史は、1879年の体操伝習所の創設に先立
ち、前年の1878年に米国から招聘されたリーランドが米国から用具を持ち込み、
体操伝習所で教えたことに始まるとされている。
リーランドが持ち込んだテニスボールは硬球だったが、当時のわが国では硬
球が国産できず、輸入品も高価であったために、代用品として、比較的安価で、
女児の手毬玩具として流行していたドイツ製のゴムボールが用いられることが
多かった。
1886年に体操伝習所は廃校となり、東京高等師範学校(現筑波大)に体育専
科が置かれると、リーランドの後任主任教員となった坪井玄道はテニスの指導
を行った。これにより、翌1887年以降、坪井の教え子たちが教員として全国に
赴任し、テニスが全国に普及した。
坪井はテニスを普及させるためにはゴムボールの製造を三田土ゴム(のちの
アカエム)に委嘱。三田土ゴムは1890年にゴムボールの製造を開始し、1900年
に国産球を完成させる。(特許取得は1908年)
この間の1892年頃、当時京都の第三高等学校在学中だった金城紀光(那覇出
身。東京帝国大学医科大学を卒業後、医師となり、沖縄県医師会長、衆議院議
員、那覇市長などを歴任)が京都で体験したテニスの用具を持ち帰り、沖縄に
テニスが伝来した。
当初、東京の一部中学・高校の限られた生徒の間で行われていたテニスだが、
1902年、東京高師の主導で東京の12校による連合庭球大会が開催され、以後、
同大会は毎年開催。1908年には、現在のインターハイの前身となる中等諸学校
連合大会が大阪毎日新聞社の主催で始まった。
その後、1920年に東京高師、東京師範、早稲田、明治、東京帝大等が軟式から
硬式に転向する一方、社会人クラブや女子競技としては軟式テニスが普及。さ
らに、経済的な理由から、地方でも軟式テニスが盛んになった。
こうした中で、1922年、東京の八大倶楽部により東京軟球協会が設立され、リー
グ戦が行われるようになり、さらに、時事新報社の後援の下、全日本選手権
(現在の全日本ソフトテニス選手権大会)が開催されるようになり、1925年、
軟式テニスは明治神宮競技大会の正式種目になった。この間、1924年には沖縄
でも社会人庭球大会が開かれている。
明治神宮競技大会への参加にあたり、軟式テニスは、ダブルスでサービスの交
代の義務化やシングルスの導入などのルール改正を余儀なくされ、その是非を
めぐって、既存の日本軟球協会と全日本軟式庭球連盟の二団体に一時分裂した
が、1928年、二団体は日本軟球連盟として統一され、1933年に日本軟式庭球連
盟が創立された。
1937年には沖縄出身の当山堅三が西日本選手権と大学選手権に出場し、1941年
には明治神宮体育大会にも沖縄チームが出場し善戦したが、沖縄戦により、軟
式テニスも大きな打撃を受けた。
戦後、米軍の占領下では、テニス用具を確保するために、関係者は鹿児島まで
密航したり,DDTの粉末でコートのラインを引いたりするなど、復興に向けての
苦労を重ねた。
こうした努力のかいもあり、1965年には我謝昌英が東日本大学選手権で優勝し、
全日本大学選手権大会でも準優勝という好成績を残した。
1968年の東西対抗大会も、こうした実績を踏まえて実現したもので、全国規模
でのテニスの大会が沖縄で開催されたのはこれが最初のことであった。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房。電子
書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテー
マ21などがある。とつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
たぶん歴史的に暖かかった、この冬というのはただの枕詞で、今月の小谷先生
の原稿を読んで思い出したのが「天城越え」。阿部定はあなたを殺したが、天
城越えでは殺すまで至っていない(はず)。
演歌はそれほど好きではないが、なぜ私は「天城超え」に魅かれるのか、今もっ
てよくわかっていない。一生わからないかもしれない。
そんなことを思っていて、また思い出したのが中森明菜の歌う天城越え。
https://www.youtube.com/watch?v=1rziHd13-WE
石川さゆりと比較すると、戦艦大和と武蔵が艦砲射撃でやりあうような迫力が
ある。歌の力を再確認・・・て何を書いてんだ?
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★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第176回 うつむいて、GO GO!
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ ガードパイプをご存じですか?
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第21回 八角楼の孫
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第88回「小澤征爾さんが亡くなりました」
こんにちは。
新年早々大地震に襲われ、その後も大雪に見舞われて交通が途絶したり、新年
からいろいろ大変な2024年のはじまりです。みなさま如何お過ごしでしょうか。
1月を休載したので、今月が今年はじめてのお目もじです。本年もどうかよろ
しくお願いいたします。
さて、先日指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。
「世界のオザワ」指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 カラヤン、バーンスタイン
に認められ:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article
/308485
わたしはむかしもいまも、地方在住のクラシック音楽オタク(俗に
「クラヲタ」と呼ばれる)なので、とうとう小澤さんの生演奏を演奏会場で聴
く機会には恵まれませんでした。ですので、もっぱらわたしの「小澤体験」
は録音を通じてのものです。
時期の記憶が定かではないのですが、わたしが小澤征爾の録音を初めて聴いた
のは1979年頃だったか、ボストン交響楽団を指揮してのマーラーの交響曲第1
番の録音(1977年録音。ドイツ・グラモフォン。以下「DG」と略)を買ったと
きです。そのとき、マーラーの音楽も小澤さんの指揮も初めて聴きました。こ
の録音がわたしをマーラーという「沼」に引きずり込んでしまった主犯のひと
つなのですが、いま改めて聴き直しても、清新の気に富んだ、若き日の
マーラーの作品の理想的再現という趣きです。
実のところ、わたしがクラシックを聴き始めた頃には、小澤さんに対する評価
というものは(サイトウ・キネン・オーケストラ以降の小澤さんから知ったひ
とには信じられないかもしれませんが)さほど高いものではなく、それどころ
か、ところによっては悪評嘖々という状態だったんですね。音楽評論家だけで
はなく、当時のクラシックマニアの間にも小澤さんのアンチが大勢いました。
わたしの見た中では、剣豪小説家の五味康祐(1921-1980)がそうで、『五味
康祐音楽巡礼』(新潮文庫)の中で小澤さんを「マーラーの闇を知らない奴が
マーラーを振るな!」(大意)と罵倒していたものです。それらの罵倒の中に
は、ひょっとすると小澤さんの父親が小澤開作(1898-1970)という満州国は
協和会の大物で石原莞爾とも近かった人物だったことが引っかかっているひと
や、小澤さんの子供っぽさ(これは村上春樹のように小澤さんの美点として捉
えるひとが後年は多くなりますが)が引き起こした「N響事件」などの素行を
問題にしたひとが少なからずいたのだと想像されます。
でも面白いもので、当時から生演奏を聴いたひとからは、小澤さんの演奏は絶
賛され熱狂的に支持されることが多かったのですよね。わたしは熱狂からは一
歩身を引いていたいひとだったので、熱狂的支持からも憎悪に満ちた罵倒から
も離れたところで(地方在住だったので物理的にも離れたところで)、LP
レコードの時代には先程のマーラー以外の録音には手が出ず(小澤さんの録音
はあまり廉価盤LPにはならなかった)、CDの時代になってようやく少しずつ、
小澤さんの録音を買い求めるようになりました。
中では、チャールズ・アイヴズの交響曲第4番(1976年録音、DG)が、先述の
マーラーと並んでよい演奏です。あの錯綜するアイヴズのスコアを仔細に繊細
に腑分けするように読みこなして再現していく腕前には驚かされます。わたし
が思うに、小澤征爾という指揮者は、抜群のリズム感と、複雑な作品を大づか
みに掴んでしまうカンの良さが身上だったのでしょう。だからストラヴィンス
キーの「春の祭典」やバルトークの「管弦楽のための協奏曲」などの、ある程
度の規模でリズムが複雑な音楽が、もっともそのニンに合っていたと思うので
す。「春の祭典」はシカゴ交響楽団と録音した1969年のRCA盤、ボストン交響
楽団と録音した1979年のフィリップス盤がありますが、どちらも見事なリズム
の饗宴であるかと。
小澤さんは何よりもマーラーが大好きで、フィリップスにボストン交響楽団と
交響曲全集を残し、サイトウ・キネン・オーケストラとも2番や9番を録音して
いますが、マーラーへの情熱は村上春樹との対談本(『小澤征爾さんと、音楽
について話をする』新潮文庫)でもガンガン語っていました。このマーラーが
また複雑な音楽を書いたひとでした。
この対談本で興味深いのは、小澤さんはカラヤンとバーンスタインというふた
りの大物の薫陶を受けているのですが、カラヤンに対しては一貫して「カラヤ
ン先生」と呼んでいるのに対し、バーンスタインに対してはこれもほぼ一貫し
て「レニー」と愛称で呼んでいるところです。
CDになってからは、小澤さんは当時DGの系列であったフィリップス(今はなき
オランダの音楽レーベル。親会社はCDを開発した電気機器メーカー)に録音す
ることが増えて、時々はDGにも録音していましたが、おそらくフィリップス専
属のようになっていたんだろうと思います(とはいえ調べてみると、CBSの後
身であるソニークラシカルにもいくつもの録音があったりはします)。
フィリップスは歴史のあるレーベルですが、その録音は中間色を好む傾向が
あって(このあたり、むかしのクラシックのレーベルは「RCAの音」
「デッカの音」「DGの音」といった形容がなされるほどには違いがあったので
す)、小澤さんとボストン交響楽団の録音が墨絵のような単色カラーな音に聴
こえるように(少なくともわたしにはそう聴こえた)なっていきます。その頃
から、わたしは小澤さんの指揮に関心がなくなり、新譜で買ったのはベルリン
・フィルと録音したオルフの「カルミナ・ブラーナ」(1988年録音)が最後
だったか、そのあとに出たプロコフィエフの交響曲全集(1990年前後の録音。
こちらはDG)が最後だったか。このプロコフィエフはお世辞にもいい演奏では
なく(リズムのキレが悪く残響が過多である上にプロコフィエフの大切な要素
である皮肉っぽさが足りない)、あまり評判にならなかったような記憶があり
ます。
そんなわけで、小澤さんとサイトウ・キネン・オーケストラの録音は全然追い
かけておらず、たまたまANAの機内サービスで聴いたシューベルトの交響曲
ハ長調D944を聴いた程度(機内で提供されているあの音では、真面目に明るく
演奏されていることくらいしかわからない)でした。
訃報を受けて、YouTubeでサイトウ・キネン・オーケストラの動画をいくつか
探してみたのですが、いやさすがに1990年代のライヴの躍動感は違いました。
1992年のライヴでブラームスの交響曲第1番を聴きましたが(著作権的に難が
ありそうなのでリンクは紹介しません)、冒頭から絃の鳴りがこれまで聴いた
こともないような圧倒的な響きで度肝を抜かれました。そして終楽章の序奏部
のホルンが美しき強烈な轟音で鳴り響き、コーダのコラールで(スコアにない)
ティンパニが朗々と響き渡る。恐れ入りました。
思うに、小澤征爾に「巨匠」という評価はふさわしくない、というと失礼に聞
こえるかもしれませんが、晩年のカール・ベームやギュンター・ヴァントに典
型的に現れたような「巨匠然としたスタイルへ変貌した小澤征爾」というシフ
トチェンジはついに行われなかったような気がします。ここでいう「巨匠然と
したスタイル」とは、60代まで職人藝でキビキビとした新古典主義的な藝風だ
った指揮者が、70代に入ってテンポが遅くなり、それに従って藝のスケールも
巨大化した(ように聴こえる)スタイルのこと指しますが、そのような雰囲気
をまとうことを頑として拒否したのが小澤征爾だったんじゃないかと思うので
す。クラシック音楽とは、そんな重く固く難しいものじゃないんだよ、と。そ
れが若い頃の悪評の一因でもあったのでしょう。
ところで、小澤さんには『ボクの音楽武者修行』という、若い頃にブザンソン
国際指揮者コンクールに出場して1位を獲り「世界のオザワ」になっていく足
がかりを築いた顛末を書いた本があります。現在は新潮文庫に入っています。
実はわたし、この本をこれまで読んだことがなく、この機会に読もうかと思っ
てリアル書店を探したのですが、近所にあるそれなりの規模の書店をハシゴし
てどちらにもなかったというですね。『ボクの音楽武者修行』は正直なところ
図書館でも書店でも必備図書というべきものではないかと思うのですが(文庫
ですし)、某Web書店のデータを見ても「取次在庫」で店舗在庫ではない、と
いう。Amazonにも新品在庫がない。これが業界の基礎体力の衰えというものか
と、妙なところで実感しました。
いまごろ、村上春樹との対談本ともども、大増刷の指示が飛んでいるのでしょ
うか(苦笑)。
では、また次回です。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,
我に与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第176回 うつむいて、GO GO!
年が明けてからは、拙著『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』のイベント
があって落ち着かない日々が続いた。昨年末に古書ほうろうで山川直人さんと
のトークがあった。おかげさまで盛況で、山川さんとおたがいに
「がんばった!」と称え合って終わりホッとした。それもつかのま、1月28日
には七月堂古書部での茂木淳子さんとの朗読ライブ&トークが控えていた。音
楽のライブはときどきやってはいるが、トークというのは慣れていない。何を
話したらいいか考えるとますます緊張してくる。
そんなふうに過ごしている中、従妹の堀内花子から一冊の本が届いた。
『父・堀内誠一が居る家 パリの日々』(堀内花子 著 カノア)。昨年から
ときどきパリでの日々を執筆中と聞いていたけれど、カバーは堀内誠一が描い
たパリの風景を装画にしたしゃれた本だった。
堀内誠一のことをいまさら説明するまでもないと思うけれど、『anan』
『POPEYE』『BRUTUS』といった雑誌のアートディレクターとして、エディトリ
アルデザインの先駆けとなった人で、ぼくの世代では、こんな雑誌を作ってみ
たい、と憧れの人だった。
それだけでなく、絵本作家として『くろうまブランキ―』『たろうのおでか
け』『ぐるんぱのようちえん』をはじめ多くの作品を残している。
1974年、42歳のときに誠一さんは雑誌とデザインの現場からいったん離れて、
家族を連れてパリ郊外へ移住した。この本は、当時中学1年生だった長女の花
子が、パリで過ごした日々を中心に父・誠一との思い出を綴ったエッセイだ。
身内贔屓を抜きにしても、面白くていっきに読んでしまった。
もちろんこの本は堀内誠一のパリでの暮らしを書いたものだけれど、ぼくが
面白く思ったのは、堀内一家が初めてパリという異国で生活したときの様子を
まだ中学1年生、13歳だった花子の目でとらえているところだった。
子どもの視線で語るからこそ、堀内誠一というアーチストの家庭人としての
すがたが立ち現れる。そして堀内誠一という人が「家庭人」だったということ
がわかった。自分の人生の基盤が家族との生活にあったというのが伝わってき
た。
忙しい日本での生活を逃れて、絵本を中心にした仕事を始めるという、新し
い出発は家族とともにあった。そしてその日々のことをだれよりもそばで見て
きた家族だけにしか書けない本なのだと思う。
安野光雅、澁澤龍彦、石井桃子、瀬田貞二、谷川俊太郎、出口裕弘など堀内
一家を訪ねてくる友人たちとのエピソードや旅の話も楽しい。
花子をパリまで送っていったのは、ぼくの母、内田莉莎子だったんだなあ。
ぼくは東京でくすぶっていたけれど、両親はポーランドをはじめヨーロッパに
出かけていたっけ。
それにしてもまだ中学生だった花子は、フランス語はまったくわからず、生
活の習慣もちがうし、学校生活も日本とはかけはなれている。半世紀も前のこ
と、パリの情報だってかんたんに手に入らない。よくくじけなかったなあ、と
感心する。
入学したカトリック系女子中学校での話がとびきり面白かった。当時のフラ
ンスでは「日本人」という認識がなくて、右も左もわからない「中国人」と扱
われていたり、おそらく問題児ばかりのクラスに入れられていたようだったし、
差別主義修道女がいたり、少女小説になりそうな話ばかりでもっとくわしく話
を聞きたくなった。給食に前菜があったり、主菜にクスクスやシュークルート
があり、デザートもあるなど、さすがにグルメの国と改めて思った。
高校生になってから自由な空気に触れて、授業をさぼって映画に行ったりす
る感じもいい。このときの映画が『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』とい
うのもいい。アメリカンニューシネマの時代だったんだねえ。その映画館で先
生と出くわすエピソードも微笑ましい。フランスの学校での生徒と教師の関係
はうらやましい。全部の高校が同じではなかったかもしれないが。高校には喫
煙室があって休憩中は教師と生徒(!)で賑わっていたとか。
ぼくは従兄弟ではあるけれど、当時のことをくわしくは聞いたことはなかっ
たから、さまざまなエピソードに笑ったり感心したり、ありふれた日常のドラ
マチックでないドラマというか、まるでエリック・ロメール監督の映画でも見
ている気分になった。
堀内誠一が好きだった映画やマンガ、そして音楽の話もたっぷり書いてある。
パリではポータブルのプレーヤーにモーツァルトやシューベルトのピアノ曲の
レコードが載せられていたみたいだ。
そういえば誠一さんにレコードをもらったことがある。
アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ の『サンジェルマンの
ジャズ・メッセンジャーズ』だった。「もう聴かないからあげる」といったの
を覚えている。あれはパリに行く前だったんだろうか? もうクラシックしか
聴かなくなっていたころだったのだろう。
花子がいつだか言っていた「書き残さなくてはいけない記憶」は、半世紀の
年月が過ぎて一冊の本となった。堀内誠一一家のパリの暮らしは、数々の絵本
やイラストが生まれた堀内誠一の新たな出発の原点を知る意味で貴重だと思う。
半世紀まえのパリの空気も十分に伝わってくる楽しい本だ。
1月28日の世田谷・豪徳寺にある七月堂古書部での音の台所・茂木淳子さん
との朗読とトークの会は無事に終わった。昨年末の古書ほうろうでの山川直人
さんとのトークに続く七月堂でのイベントは昼、夜の2部構成という生まれて
初めての経験だった。
イベントを振り返ってみると、人前で話をするのが苦手で、だから必死にな
りすぎて時間を忘れて話し続けた古書ほうろうでのトーク。とりとめのない
トークだったかもしれないが、山川さんが中学生のときからマンガを描き続け
るために「マンガ家」になることを決めていたこと、そして今回の装画の仕事
を銀行強盗に喩えるなど、たんたんと面白い話をして山川ワールドを披露して
くれた。
七月堂古書部でのイベントはなんといっても茂木淳子さんの朗読だった。
七月堂古書部が明大前にあったころ、茂木さんに招いてもらったことがある。
そのときは沖縄の古書店をやっている宇田智子さんのエッセイを茂木さんが朗
読して、ぼくがギターで伴奏をした。朗読の伴奏は初めてだったけれど、茂木
さんの言葉、呼吸にギターを合わせる、というセッションは、茂木さんの声が
ときには歌っているようで、ギターを弾きながらとても心地よかったことを覚
えていた。
それで今回、もし自分の文章を茂木さんに読んでもらえたら、どんなにいい
だろう! と無理を承知でお願いをしてみた。
茂木さんが選んでくれたのはいちばん最後の「電話ボックスとちいさな切り
株」というエッセイだった。小学生からの友人、Oくんとの思い出を書いてい
る。ぼくはOくんから「世界の広さ」を学んだ。体が弱く長く歩くこともでき
ないOくんだったが、ぼくはOくんから、探究心や深く考えること、そしてユー
モアのセンスを学んだ。毎日、お母さんの迎えの車を待つ20分から30分、
ぼくは切り株に座ったOくんの話を聞いた。
茂木さんは、はるか50年以上も時間をさかのぼった「電話ボックスとちいさ
なきりかぶ」の風景を朗読で表現してくれた。
言葉は不思議だ。ぼくが書いた文章なのだけれど、茂木さんの声、リズムで
読まれた言葉は新たな命を吹き込まれたようにぼくの耳に届いた。朗読に
ギターを合わせるのは難しい。どこで音が切れるか、自分が弾いているフレー
ズと文章のとぎれる場所と合わなくて、早すぎたり、遅過ぎたり……。でも、
ときおりぴたりと合ったときの気持ちよさはうまく言い表せないほどだった。
ぼくと茂木さんは歳が近く、そして生まれ育った場所も近かった。トークは、
「自分たちは、まだ戦後を生きてきた」だった。戦後は終わったといわれて、
高度成長期の時代とともに育ったきたが、街に出れば傷痍軍人たちが悲しい
メロディーを奏でていた。そして再び、日本は「戦前」に舞い戻ろうとしてい
る危機感を抱いている。沖縄に住む茂木さんが肌で感じる米軍、基地のこと。
時間が足りなくなるほど、聞きたいことがたくさんあった。どこかでまた話を
聞く機会を作りたいな。
暮れ、そして新年が明けて忙しない中、来ていただいた方々、そして
古書ほうろう、七月堂古書部には感謝です。さえない人生だなあ、といつも
うつむいてばかりいるぼくですが、けっこう幸せな人生なのではないかと感じ
ています。
◎吉上恭太
文筆業。
エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない人生論』
(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社
では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)もよろしくお願
いします。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログ『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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ご当地マンホールのように、普段足元にあって気にも留めていないものが意
外と意匠を凝らしたデザインをされているということが往々にしてあるもので
す。通勤の行き帰りに目にするあれが実は意外なレア物件ということもあるか
もしれません。
というわけで今回ご紹介する本も、そうした普段の暮らしの中であまり注目
されていないものにスポットを当てたものです。
『まちかどガードパイプ図鑑』、岡元大、創元社、2023
ガードパイプっていうとあれですね、道路と歩道の間に立っている防護柵、
または道路からの転落防止用に路肩に立っている防護柵のことですね。鉄板が
波打っているガードレールが設置されているところもありますけれど、鉄パイ
プを加工して作られたガードパイプが設置されていることも多々あります。
ガードパイプなんてそんなに種類があるのかと疑問に思う方もあるかもしれ
ませんが、実はデザインに工夫を凝らしたガードパイプが各地域ごとに設置さ
れていて、それこそ多士済々です。私もこの本を読んでその多彩さを初めて知
りました。例えば東京都にお住まいの方でしたら、東京都の木であるイチョウ
の葉があしらわれているガードパイプをご覧になったことがあるかもしれませ
ん。あれもご当地ガードパイプのひとつですね。
木に花・果物・動物・図形などその意匠は地域ごとに異なっており、こうし
て一望できるようにまとめられると改めてその多様さに驚かざるを得ません。
日頃何の気なしに見かけていたガードパイプが、実は他では見られないもので
あったなんてことには、なかなか気づかないかもしれませんが。
富山県ではチューリップ・長野や青森ではリンゴとそのご当地の名産があし
らわれたものは、一見してすぐわかります。一色ではなくチューリップやリン
ゴをわざわざ別の色に変えているなどなかなか芸が細かいです。長野のリンゴ
デザインはリンゴの部分が赤く塗られた赤リンゴバージョンと青く塗られた青
リンゴバージョンがあるというのも面白いですね。
図形デザインのものでは東京都北区では「北」の字をデザインしたもの。品
川区では「品」の字をデザインしたものなど、自治体名の一部を図案化したも
のが目立ちます。しかし凝りすぎて一見ではなんだかわからないデザインに見
える旧与野市(現さいたま市)のガードパイプも力が入っていてよろしいです
ね。
そしてガードパイプは設置個所の長さに合わせてカスタマイズされて設置さ
れるため、同じデザインでも長さによって亜種が発生するのも面白いところで
す。バッサリとデザインの中央部でカットするのか、それともデザインは保っ
たまま縮小するのかというところにも個性が感じられます。
そして忘れてはいけないのがプレートはめ込みタイプのガードパイプです。
東京の多摩地区ではよく見かけるとのことらしいのですが、ガードパイプの中
に市の花・木・鳥などといったものを記した金属パネルをはめ込むタイプのも
のです。
私も東京都のイチョウのマークの中にカタツムリのプレートがはめ込まれて
いるものを何度か目にしたことがあるのですが、どうやら「東京都歴史と文化
の散歩道」にあるガードパイプにこのカタツムリがはめ込まれているらしいで
す。しかしこちらは原則撤去の方針のようで、ガードパイプ更新のタイミング
で消えてしまう予定なので、見ておくなら今のうちですね。
さてガードパイプの鑑賞にあたってはその境界線というのも楽しみの一つと
なります。ガードパイプは道路の管理者によって設置されるので、例えば都道
から区道に代わる場所では、道がつながっているのにはっきりとガードパイプ
のデザインが変わるところが確認できてとても面白いですね。同じ道をずっと
歩いていてもガードパイプのデザインは道路管理者に合わせてどんどん変わっ
ていくという。ついでに路面の舗装も変わったりなんかしてしまったりして街
歩きが趣味の方はそのあたりも要注目です。
巻末にはガードパイプ有識者の方との対談も収録されています。ああいうデ
ザインはコストがかかるとか、これは今では作れないデザインじゃないのかと
か、ガードパイプ界の裏話がたくさん聞けます。プレートはめ込みタイプや、
斜めから見るとイラストになるタイプのガードパイプは消えていくことになる
など、こちらも他では聞けないお話が満載です。(まあ他所でガードパイプに
ついて詳しい話を聞く機会など普通はないでしょうけどね…。)
ガードパイプのどういったところが鑑賞ポイントなのかの案内もされていま
すので、一読すれば皆さんも次の日からはガードパイプに注目せずにいられな
くなること請け合いです。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第21回 八角楼の孫
部屋の片側にはキューピーをはじめとするレトロな人形が並べられていて、そ
れと真向かいの壁には一面に写真が貼られている。白黒で写された店の写真や
家族写真、それらは台湾の風俗史の一側面となっていた。古道具屋ではない。
「薛家客棧」という名の地元料理を食べさせる小さな食堂である。
眺めていると、椅子に裸足の足を乗せて、脛一面を覆う刺青を見せながら昼飯
の麺をすすっていた主人が立ち上がって話しかけてくる。これは俺が若いとき
の写真だ、隣に立っているのは親父だよ。お世辞ぬきでイケメンである。昔は
イケメンだったんですね。今は違うっていうのか? いや今もイケメンだけれ
どもっと味がある感じになっていますよ。
すると笑いながら「民国67年一次60元」と書かれた写真を指さして、説明をし
始めようとする。写っているのは、円柱の柱が並ぶ豪華な建物の玄関前に並ん
だ美女たちである。いずれもボディラインを強調した衣服を身に着けている。
これはな、と説明し出すと、店の入口にあるキッチンにいた奥さんが、やめな、
今はもう時代が違うんだよ、話したら承知しないからねと釘を刺す。
肩をすくめて、仕方ない、今はここ鹽水でも「女性主義」の時代だと言い、そ
ういえばお前はどこから来た?と聞いてくるので、日本から観光に来たとため
らいもなく答える。大陸だったらあり得ないことだ。どこから来たかと聞かれ、
自分が日本人であることをあからさまにしないほうが無難である場合も少なく
ない。そうした場合、私は相手が中国北部のひとであったら広東人や福建人に
なりすまし、上海以南のひとであったら中華系シンガポール人を装うことにし
ている。相手が外国人の中国語に慣れている上海人であったら通用しないが、
それ以外であったら何とかなる。しかし、一旅行者の感想にすぎないのかもし
れないが、ここ台湾は違う。緊張の度合いがまったく異なる。下手くそな中国
語で日本人であることがばれても、怖い目に合う可能性はほとんどないように
感じられた。日本語を話していても、周囲から冷ややかな視線が注がれ、皮膚
に突き刺さる感覚を覚えることはない。だから台湾では「日本人か?」と聞か
れたら、躊躇することなく「日本人です」と答えるようになった。中国語で日
常を送るようになって、それは初めての経験だった。
日本も「女性主義」だろう?と聞くので、女性が総統になった台湾のほうがフ
ェミニズムにおいてはずっと進んでいるよと返すと、その通り、わが店も妻の
お陰で何とかなっていると胸を張る。俺は配達に行かなくてはならないと、主
人は裸足のまま店の外に出てスクーターに乗る。再見!バイバイ!と声をかけ
ると、鹽水は小さな街だけれどいいところだ、楽しんでくれと言葉を残して主
人は走り去る。Tシャツ姿でも十分なくらいに暖かく、青空が広がるとても気
持ちのいい日だった。決してきれいな店ではない。しかし鹽水の名物のひとつ
である鹽水意麺と、豚の血を固めて作った「猪血」が入っている猪血スープは
抜群に美味しかった。大陸では味わったことのない味つけだった。
主人が昼飯を食べていた部屋とは別に客が入る部屋がある。そこに貼られてい
たのは孫文の顔写真と、民進党の議員のポスターだった。それはこの店に限ら
れたことではなかった。蔡英文総統の対中強硬路線の継承を訴える民進党の頼
清徳が次期総統に決まったのが1月13日、ちょうど2週間前のことだった。だか
ら街のそこここに選挙の余燼が残っていた。鹽水でも、台南でも、そこここで
選挙ポスターが目に入った。貼られていたのは民進党のポスターばかりだった。
台北では見かけることもあった国民党のポスターを目にすることはまずなかっ
た。
大陸に比べれば台湾はずっと小さな島、日本の九州ほどの大きさの島ではある
けれど、南北の差の大きさは大陸と同じである。言葉も発音もまったく違う。
料理も台北に比べれば、台南はずっと甘い。おそらく考え方や人付き合いの方
法もかなり異なっているのではないか。そうした違いを生み出す原因のひとつ
が、本省人と外省人の相違である。台南には本省人が多く、台北ほどには外省
人がいないと言われている。本省人とは1945年の日本の敗戦後、台湾が中華民
国に「光復」する以前から台湾に居住していた人びとであり、外省人は国民党
とともに戦後台湾に渡ってきた台湾以外の出身者のことである。本省人の多く
は民進党を支持するものだとも聞いたことがあるのだが、鹽水の小さな食堂は、
そうした風聞が根も葉もない噂というわけではないことを深く実感させる機会
を与えてくれた。
秋学期を終えて上海から帰国した私は春節の休みを利用して、久しぶりに台湾
に遊びに行った。大陸で働き始める以前、中国語などまったくできなかったに
もかかわらず、私は家族とともに毎年少なくとも2回は台湾と香港に遊びに行
っていた。台湾映画と香港映画の大ファンだったからである。しかし、台湾で
訪れたことがあったのは、台北と台北の北東にある基隆、東の宜蘭、少し南に
行ったところにある新竹などだけだった。台中にも高雄にも行ったことがない。
だからまず台南に行ってみようと思った。普段上海で暮らしていて、中国語で
のやり取りも何とかなる。多少中国語がわかるようになってから台湾に行くの
ははじめてだ。これまでとはちょっと違う台湾を体験できるのではないか。そ
んなことを考えていた。
大航海時代にオランダがまず拠点を設けたのは台南だった。『国性爺合戦』の
鄭成功が活躍したのも台南である。だから台南は今の台湾の起源とみなすこと
も可能な都市である。しかも「古都台南には、台湾の歴史が地層のように積み
重なっている。どこを歩いても旧跡に行き当たり、由来をたどれば何がしかの
時代へとさかのぼる」。台南を見ずして台湾は語れない。台南へは羽田から台
北の松山空港まで飛び、そのまま台湾新幹線(高鉄)に乗って新幹線の台南駅
に行き、そこから在来線に乗ってすぐである。
久しぶりの台湾は何もかもが新鮮だった。大陸とは違って、地下鉄に乗るとき
も、新幹線に乗るときも、荷物の検査は必要ない。駅に入るのにパスポートを
出す必要もない。すべてが日本と同じだ。ホテルでパスポートを出して、「少
々お待ち下さい」と日本語でのサービスが始まったときには驚愕してしまった。
街を歩けば、日本の品物を売っているコンビニエンスストアやドラッグストア
もたくさんある。普段私が暮らしている上海とのあまりの違いに私は、ここが
外国なのかどうかすらわからなくなってしまいそうだった。
鹽水は台南から少し北に行ったところにある小さな街である。台南駅から在来
線に30分ほど乗って新営駅に行き、そこから市内バスに乗れば20分ほどで鹽水
に着く。在来線の列車も在来線の駅も、鉄道好きだったらたまらないのではな
いかと思う。日本と同じく、いやおそらく日本以上にローカル線の雰囲気を濃
厚に残している。
バスが鹽水に入ってまず目に入ってきたのは、壮麗な護庇宮という寺廟だ。日
本の寺と中国語圏の寺廟の違いは、色彩と屋根を見れば一目瞭然である。護庇
宮のオレンジ色の屋根にも、これでもかと動物やら神様やら何やらの飾り物が
据えつけられている。私はこの「剪黏」と呼ばれることの多い飾り物がたまら
なく好きだ。茶碗やガラスなどの破片を刻むなどして求める形に作り上げて、
寺廟の屋根に置かれた立体的な装飾である。この「剪黏」については、四方田
犬彦の『台湾の歓び』が詳しい。同書には台中にある「剪黏」のアトリエを訪
れるくだりもあり、また寺廟に祀られている媽祖と、その宗教行事である媽祖
巡礼についての詳細な記述もある。
護庇宮だけではない。半日もあれば歩いてまわれてしまうくらいに小さな鹽水
の街には、寺廟がたくさんある。いちばん有名なのは、春節のときに爆竹を派
手に鳴らすことで知られるようになった武廟であるが、それ以外にも王爺廟、
大衆廟等々の寺廟があちこちにある。きょろきょろしながら少し歩けば、すぐ
に寺廟が目に付くほどである。寺廟だけではない。かつて港町として栄華を誇
ったからなのかもしれないが、カトリックの教会である鹽水天主教もあれば、
プロテスタントの長老教会もある。台湾における文化の多様性と多層性を体得
するのに鹽水はうってつけの街なのではないだろうか。
こうした鹽水のシンボルとして知られているのが「八角楼」である。一青妙は
次のように紹介していた。
〈街のシンボルは、1847年、砂糖で財を成した葉開鴻が建てた「鹽水八角楼」
だ。八角形の屋根をした楼閣は、釘を一本も使っていない。
1895年、伏見宮貞愛親王が率いる日本軍が鹽水港を攻めた際、ここを拠点とし
て指揮を執ったので、敷地内には「伏見宮貞愛親王御遺跡鹽水港御舎営所」の
石碑が建っている。〉
何を隠そう、私が鹽水を訪れたのも、この八角楼がお目当てだった。しかしそ
の理由は、敷地内の石碑ではない。建物の形状に惹かれたわけでもない。八角
楼を建てた葉開鴻の孫に興味を持っていたからである。27歳で亡くなった孫の
生涯は、台湾、日本、そして中国大陸の複雑な近代史を象徴する。その生涯を
著述した孫の友人の経験もまた私を深く考えさせずにはいられない出来事に満
ちている。だが鹽水についての記述が見られるどのガイドブックを見ても、こ
の孫についても、また孫について書かれた本についても、まったく言及がない。
日本で出版された日本語の本であるのだが、どうやらもう忘れ去られてしまっ
ているようだ。それはとてももったいないことだと思う。
……残念ながらもう紙幅が尽きてしまった。この孫についての本と、その本を
書いた著者については、次回に改めて紹介することにしたい。
【本文中で言及させて頂いた本】
大東和重『台湾の歴史と文化』(中公新書、2020年2月)
四方田犬彦『台湾の歓び』(岩波書店、2015年1月)
一青妙『台南 「日本」に出会える街』(新潮社、2016年10月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
今月は、久保田万太郎の句を拝借しました。あっという間に二月も終わります
ね。目が回りそうです。少しでもいい風が吹いてほしいです。 畠中理恵子
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★トピックス
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その89 「変身したら何食べる?」その1.竜
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni改め、市井カッパ
→ ペンネームをつけてみた
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ インタビュー先、募集中です!
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(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。
情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その88 「変身したら何食べる?」その2.虫
『変身』
変身という言葉から誰もが思い浮かべるのは、あのカフカの『変身』だろう。
私はグレゴチー・ザムザが変身した虫をゴキブリだと思っていたのだが、この
虫については諸説あるらしい。最初に「かぼそい肢がたくさん」とあって、六
本とは書いていないので、昆虫かどうかもわからない。角川文庫版の解説によ
ると、作家のナボコフはコガネムシ、『変身』の朗読を聞いた友人たちの間で
はナンキンムシ、作中の派遣家政婦にクソムシと呼ばれているところからフン
コロガシ、足が多数というところからムカデやイモムシ等々と諸説あるようだ。
まあ、でも、その描写を見る限り甲虫であることは確かだと思う。この虫がゴ
キブリだと思ってしまったのは、グレゴールの食事場面のせいだと思う。グレ
ゴールの好む食べ物について語るのは全く気が進まないのだが、一応書き出し
ておこう。
妹はまず、兄の好きな物を持ってきてくれる。それは、
「甘いミルクがなみなみと注がれた容器がおいてあった。細かくちぎった白パ
ンが浮いている」
と、いうものだ。離乳食とか小さい子のおやつのようだ。けれどグレゴールは
全く食欲がわかない。妹はこの食べ物にまるで手がつけられないのを見て、今
度は古新聞の上にいろいろなものをそろえて持ってくる。虫になったグレゴー
ルが何を好むかを実験しているようだ。
「古くなって腐りかけた野菜。晩ご飯の残りの、固まったホワイトソースがこ
びりついた骨。干しブドウとアーモンド少々。ゴレゴールが二日前、食えた物
じゃないと断言したチーズ。何もつけていないパン。バターを塗ったパン。バ
ターを塗って塩をふったパン。」それと、容器に入った水。
虫になったグレゴールが夢中になって食べたのは、まずそのチーズ、腐りか
けの野菜、残り物のソースで、むさぼり食ったとある。そして、新鮮な物はま
るで受け付けないとあったので、とにかく腐敗の香りのする物がこの虫の好み
なのだろう。とにかく、妹はこれでグレゴールの好みを知り、昼には部屋に差
し入れてくれるようにはなるのだ。
けれど、グレゴールはだんだん虫の好物にも興味を失い、口に入れても飲み
込まなくなる。そして、干からびて死んでしまう……。こうなってしまうと、
いくら語っても語りたりないこの魅力的な物語『変身』を、食物という観点か
ら楽しく読み取るというのは難しいように思える。そこで別の虫、もう少しか
わいい虫の変身物語を見ていこうと思う。
『チョンドリーノ』
この物語は「アリ」に変身した男の子の物語だ。チョンドリーノというのは
旗という意味で、いつもズボンの破れ目から白いシャツの端を垂らしているこ
とからきたあだ名だという。なんとアリになってもこの白いものがお尻からぶ
ら下がっているという設定で、チョンドリーノというのがアリの世界でも名前
になっている。この話、久しぶりに読み返してみると、なかなかの大作だった。
しかも物語の最後には、続きに「尺取り虫」編と「コオロギ」編があるような
ことが書いてあるのだが、いまだ翻訳されてはいないようなのだ。
まずは物語について少々説明しよう。夏休みのある日、兄と妹と弟の三人兄
妹が、別荘の庭で勉強をするように言われて教科書を開いている。でも、三人
とも勉強嫌いで、教科書を放り出し、それぞれ、コオロギになりたいとかチョ
ウになりたいとかアリになりたいとか口々に言い出す。そこに怪しい緑色の外
套を着た男がやってきて、こう叫ぶのだ。
「そのとおりになれ!」
気がついたら、主人公の男の子ジジーノはアリになっていて、ちょうどまゆ
から出て成虫になるところなのだった。まゆから出たばかりの虫なので、世話
係のおばさんがついていて、ジジーノの質問にはどんどん答えてくれる。そこ
で読者も、アリの体の構造、目の仕組み、アリの生活や社会の仕組み等を学び
ながら覚えていくことができるのだ。
そんなジジーノが最初に食べさせてもらったお食事は何かというと、口うつ
しの蜜なのだ。アリはすごい勢いで大人の成虫になるので、ジジーノもどんど
ん大人の中性アリになっていく。そして、自分で食事をするようになるのだが、
それはアリがまるで牧場の牛のように飼っているゾウムシから、お尻から出す
甘いつゆを絞り出して飲むというやり方なのだ。うーん、ゾウムシのつゆと聞
いては食欲がわかないかもしれないけれど……。あ、でも、この牧場ではアブ
ラムシも飼っている。まあ、どちらにしろ食欲はわかないだろうけれど、植木
にアブラムシがついたとき、その後ろをアリがついていくのを見た覚えはある
ので、なんだかこちらの方が抵抗は少ない。植物を食べた虫のお尻から排出さ
れる蜜を吸うのが、どうやらアリの食事らしい。そして、お腹いっぱい食べる
と仲間に口うつしに分けてやったりするのだ。ジジーノの住むアリの巣は、そ
の後赤アリに攻められて侵略される。最初は人間らしい知恵を働かして赤アリ
の攻撃を退けたジジーノなのだが、自ら将軍となって作戦を練って攻撃を仕掛
けに行った間に、自分の巣を赤アリに侵略されてしまうのだ。あげくに赤アリ
に捕まえられ足を二本引きちぎられるという刑を受ける。それでもなんとかし
て巣から逃げだし、さまよい歩くことになるジジーノ。いろいろな虫に出会っ
ては、虫たちの生態を知っていく。やがて、ジジーノはハチと友達になり、ハ
チの巣を襲ってきた虫を退治して、そのお礼にしばらくその巣に住むことにな
る。
ああ、ここになって、初めて食欲がわいてくる。同じ虫の蜜でも、花からと
った蜜ならば、そしてハチが蓄えた蜂蜜ならば味も想像できる。ジジーノはロ
イヤルゼリーも食べさせてもらうのだけれど、メスになっちゃうと慌てるのが
おかしい。ジジーノはある日、友達のハチにあつらえてもらった食事の味に、
覚えがあることに気づく。それは、忘れもしない別荘に生えていたサラマンナ
ぶどうのつゆの味だった。サラマンナぶどうというのは白いぶどうで、丸くて
大きい甘い実がなるのだという。ジジーノの別荘にはサラマンナぶどうの古い
蔓が二本、窓の下に向かって生えていたのだ。窓の近くに実がなっていないの
は、その家に子供がいるとからだと植物学では証明済みと作者は始めに語って
いる。そんな風にいつも食べていたぶどうの味をジジーノは覚えていたのだ。
友達のハチにそのぶどうの生えているところに案内してもらえれば、あの懐か
しい別荘に戻ることができるとジジーノは喜ぶ。
だがその後、ハチの巣で分巣騒ぎが起き、ジジーノは友達のハチと離ればな
れになってしまう。けれど、最後にやっと別荘の近くの木の上に大工バチが作
った家を手に入れることができ、そして、尺取り虫、つまりイモムシに変身し
た姉さんに出会うのだ……。
ジジーノはここで、イチジクの皮をかじったり、地面に落ちたアンズの実の
果肉を小さく丸めて家に運び込んで食べたりして命をつなぐのだけれど、やは
り安定した食事はゾウムシを説得して牧場の牛のように飼うことでしか得られ
ないようだった。そこだけは、あまり気を引かれないながらも想像で味わうこ
としかできないのだが、それ以外は夏のイタリアの果実の甘い味わいが楽しい
物語でもある。
それにしても、ジジーノや姉さんや兄さんを変身させた男が何者かを知りた
いし、この先のお姉さんたちの話も読みたいなと翻訳されるのを長い間楽しみ
にしていたのに、ネットで調べてみた限り、原作もここ迄で終わっているのが
残念だ。
今回、竜に引き続いて虫を見てきたのだが、変身するというのは実に大変な
ことだと知った。もちろん、元の人間に戻る気がないなら、そのまま虫の食べ
物を食べてればいいのだろうけれど……。
とにかく、変身してもおいしいものが食べられる物語はないものかと探しな
がら、次回に向けてもう少し本の中をさまよってみようと思っている。
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『変身」フランツ・カフカ著 川島隆訳 角川文庫
『チョンドリーノ』バンバ原作 岩崎純孝訳・文
「少年少女世界の名作文学」41巻 小学館
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高山あつひこ:好きなものは、幻想文学と本の中に書かれている食物。そこで、
幻想文学食物派と名乗っています。
著書に『みちのく怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni改め、市井カッパ
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ペンネームをつけてみた
小学生の頃、妹尾河童さんの『河童が覗いたヨーロッパ』という本がめちゃ
くちゃ好きで、読み込んでいた。
しかし、今、家を探すと無い。
星新一さんの「進化した猿たち」のシリーズも好きだったのだけれども、な
ぜか家に無い。
なぜ、子どもの頃に好きだった本って家から無くなるのだろうか?
それはともかく。
数年前から河童と呼ばれることがあり、そういえば、妹尾河童さんのことを
あまり知らないなぁ、と思って、Wikipediaで調べてみた。
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妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお はじめ)
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えええええー。本名だったのかー。
なんでまた?
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『河童が覗いた仕事場』の立花隆のインタビューで大阪、朝日会館でのグラフ
ィックデザイナー時代、近くのバーで出た菊の花の漬物を見て「他の花も喰え
るんじゃないか」と店に生けてあった花を片っ端から食べたところ、しばらく
すると急に腹が痛くなり七転八倒店の中を転げまわった。それを見ていた『航
空朝日』編集長斉藤寅朗が「おまえは河童みたいな奴だな」と言ったことが始
まりと述べ、『河童の手のうち幕の内』ではあだ名が異常に浸透してしまい、
藤原歌劇団の舞台美術を手がけた際も本名を思い出してもらえず、プログラム
に「妹尾河童」と書かれてしまったと事の経緯を書いている。
勤務先のフジテレビで来客が受付に「妹尾肇を呼んで欲しい」と伝えても「当
社にはそのような人物はおりません」といって業務に差し障りが生じたり、ま
た「妹尾肇」宛の郵便物が近所に住む「松尾肇」という人物に届いたりと度々
仕事のみならず生活においても支障が生じた。さらに文化庁の事業により海外
に派遣されることになったが海外において舞台美術の名義がすべて「妹尾河童」
で紹介されており、文化庁交付書類上の「妹尾肇」という人物と同一人物であ
ることをいちいち説明するのは大変ということで「妹尾河童」という名前での
パスポート取得のために改名を決意する。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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なるほど、と言っていいのか? なんとも個性的な話。
自分は社会学を志し、在野で研究しますと宣言して大学を出て、こうしてい
ろいろ文章を書いていく上で、何かペンネームが欲しいと思ったときに、これ
は市井に居る河童かもしらんな、とふと思いついた。
で、市井河童、という名前を画数で占ってみたところ、これが大凶とのこと。
こりゃいかんと、市井の別の言い方を類似語で探すと、巷、世間、、、
巷河童?
世間河童?
どうも名前と言うよりは妖怪の一種だねぇ。
というわけで、河童をカナで開いてみたら、これは「人を幸せにする」とい
う相が出たので、まあ、これでいいか、と。
ということで、ペンネームを「市井カッパ」に改名してみた。
これから新しい名前で、よろしくお願い致します。
現場からは以上です。
note
https://note.com/bizknowledge/n/nb359b19e7e3b
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5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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節分明けに、外は雪。雪が降ると冷え込みますね。ご自愛ください。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→野球と体罰
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→震災で思い出す
★「はてな?現代美術編」 koko
→化けるオールドマスター
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→最後の選挙
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■トピックス
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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中村哲也 『体罰と日本野球 歴史からの検証』岩波書店 2500円+税
高校時代、私は軟式庭球部に所属していました。入部したその日に、若い顧
問が同学年の子をいきなり殴ったことには驚きました。軟弱体育会部活でも昭
和の昔、体罰は珍しくなかったのです。法律で明確に禁止されているにも関わ
らず、令和のいまも教師による部活の暴力的指導は根絶されていません。部活
の暴力的指導はいつ始まったのか。著者は野球に焦点を据えています。野球に
関しては多くの資料が残っているからです。著者は、138名の野球選手が書
いた自伝や回想録165冊(!)を精査することで、この問いに挑んでいます。
第一高等学校が横浜のアメリカ人クラブに勝ったことによって、野球は全国
に普及しています。私の母校の前身旧制鳥取中学には日本最古の部類の野球部
があります。徒歩(!)で遠征して、100キロ内外離れている松江や津山、
豊岡の中学と試合をするのですが、相手チームや審判、応援団等と必ず殴り合
いが始まったといいます。大先輩たちの粗っぽさには驚きますが、野球部員の
粗暴さは全国的な傾向であったようです。明治時代の若者はひどく暴力的でし
た。しかし彼らの暴力の矛先は、チームの内ではなく外に向かっていたのです。
大正から昭和にかけて、夏の中等学校野球の全国選手権や春の選抜大会、さ
らには東京6大学野球が始まり、それらは大きくマスメディアに取り上げられ
ます。野球は超人気スポーツとなりました。その結果勝利至上主義が、中学や
大学の野球部を覆っていきます。それまで主将が練習や試合の指揮をとってい
たところを大人の監督が采配を振るうようになります。就職や進学に有利に働
くということで部員数も増え、競争も激化して、試合に出ることのできない者
も増えていきます。様々な要因が重なり、体罰が野球の世界を覆っていきます。
先の大戦で日本の若者の大半が兵役を経験しています。日本軍は不条理な暴
力の支配する世界。兵隊帰りの若者が野球部の指導者となることで、体罰が爆
発的に広がっていきます。体罰によって育った者が指導者になり、次の世代に
暴力を振るう。そうした悪しき連鎖が生れていったのです。長嶋茂雄は、西本
聖と角盈男を50発だか100発だか殴ったといいます。明大野球部監督の島
岡吉郎は雨の深夜、「野球の神様に謝れ!」と星野仙一に2時間グラウンドで
土下座させています。いずれもいまなら確実に刑事立件されるレベルでしょう。
現在野球部員同士の間での暴力は、コロナ禍もあってほぼ根絶されています。
指導者の目に見える暴力も減少しています。その原因として、少子化と、スポー
ツの指導に科学が導入されてきたことを著者はあげています。少子化で部員数
が減れば、競争によるストレスは軽減さたことによって、部内のいじめの類も
激減しました。ホークスの工藤公康や仙台育英の須江航。科学的指導に精通し
た指導者の率いるチームが大きな成果をあげています。スポーツの指導で暴力
が振るわれていたなんて信じられない。そんな時代がきっと来るはずです。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「思考停止」の話
去年プライベートでもいろいろあって「今年はそれなりに穏やかであって欲し
い」と思った年明けに飛び込んで来た能登での大地震のニュース。
情け無い話だけどあれほど「南海トラフが」と言われているのにどこかで「ま
だまだ」と思っている自分がいた。実際能登の方では去年も震度6強があったそ
うなのに。
大きい災害が起きるとその度、無力感におそわれる。自然災害というのはいつ
起きるかどこで起きるか全く予測がつかない。(たまには起きるべくして起こっ
た人災のようなものもあるが)
29年前の阪神淡路大震災の時、最初は震源が関西だと信じられなかった。私の
住んでいるあたりは室内はぐちゃぐちゃであっても倒壊した建物はなく、なん
の根拠もないのにもっと離れた場所(東京?)が壊滅か?などとも考えた。
ただ飛び込んで来るニュースが日頃行き来する場所だったりビルだったり店だっ
たりするのを知ってやっと神戸が潰れたのだと実感した。
幸い自宅そのものには大きな被害はない。でも…喪失感や未来が見えない不安
はそれなりにある。ずっと震災関連のニュースを見続けているといつしかそれ
以外の事を考える事に罪悪感を感じ始めた。今をなんとかする事のみを考えそ
れ以外を先送りにしようと。
もちろん漫画のネタも。
いわゆる思考停止状態なのだがそれが当たり前だと思っていた。
減っていく報道に怒りを感じたり近い場所でありながら普通に日常を送ってい
る大阪の人たちに苛立ちを覚えたり。でもそれは当たり前の事で大手メディア
は当事者ではないし日本のほとんどの場所が当たり前に日常を送っている。
そして、ちゃんとする事すべき事を出来る作家も多数いた。要は私は感情に引
きずられていただけだと後々分かった。(残念ながら福島でも同じように脳が
固まってしまったが)
表現を生業にする者は感情と理性を同時にきちんと持つ事。感情に引きずられ
て思考停止している間にもっとタチの悪い思考停止派がいらぬ事をする、そん
な事例を間近にみて来た私としては「理性的」に思考し続けることが大事なん
だよ。
震災一年後に学んだはずなのになぁ。まあ、それが出来ていたらもっと良い作
家になれただろうけど。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第142回
『 2023年話題のオールドマスターオークション
――――― Rembrandt & Sweerts』
今年も地球のいろんな国や地域でアートフェアや芸術祭が開催されます。
増えすぎてどこを回ればいいのか、何が世の中のムーブメントなのかわかりに
くくなってきています。
考えるのも頭が痛くなるので、作品の文脈を読み込む必要が益々重要になって
いる現代アートをスルーして、今月は素直にオールドマスター作品に没頭する
ことにしました。
美術の道に片足を突っ込みその深淵にはまり込んだのはオールドマスター作品
がきっかけだったことを今更ながら思い出す2024年です。
実は昨年、ルネッサンスから18世紀に活躍した作家達の作品がいくつか真筆認
定や再評価されたためにオークションがググっと盛り上がりました。
過去にお伝えしたレオナルド・ダ・ヴィンチは特別高額でしたが、去年の作品
は価格的には話題に上がるほどの金額ではありません。しかし、実際市場に与
えた熱狂はかなりのものだったのだろうと思います。
有名なオールドマスターの作品が長い期間行方不明になっていた、あるいは新
たに本人作と認定されたなどの理由で市場を騒がせました。
まずは REMBRANDT HARMENSZ. VAN RIJN (レンブラント 1606-1669)。
「Portrait of Jan Willemsz. van der Pluym (c.1565-1644), bust-length;
and Portrait of Jaapgen Carels (1565-1640), bust-length」
男性と女性の上半身の2点のポートレート作品です。
20023年7月のロンドンクリスティーズのオークションにて
評価額がGBP 5,000,000 – GBP 8,000,000、
落札額はGBP 11,235,000(ざっくりと20億円)で取引されました。
□Christies auction results 「Portrait of Jan Willemsz/Portrait of Ja
apgen Carels」
https://www.christies.com/en/auction/old-masters-part-i-29465/
一つの家族が200年間こっそり所有していたために市場に全く現れなかったこれ
らポートレートが、去年の夏突如オークションに出たのは話題になりました。
LOT11
続いてもう一つレンブラント。
「The Adoration of the Kings」
小さな小さな板に油で描かれた小品(24.5 x 18.5 cm)についた評価額はGBP1
0,000,000 - GBP15,000,000 、
落札額はGBP10,965,300 (約20億円)でした。LOT11
□Sotheby's auction results 「The Adoration of the Kings」
https://www.sothebys.com/en/buy/auction/2023/old-master-19th-century-p
aintings-evening-auction-2?locale=en
この東方三博士の礼拝の絵は1950年頃に一度行方不明になりました。
再び世間に姿を現したのは、2021年のアムステルダムクリスティーズのオーク
ション。
当時のカタログにはレンブラント派の作品と認定されて、評価額はUSD10.500-
USD15.800(約200万円)だったのです。
一部の専門家やコレクターの間で、これはレンブラントの真筆になるものだと
信じる人達がいて、結局USD1.000.000(1億円)で売れました。そりゃー関係者
は吃驚しますよね。オークションの醍醐味ここにあり!です。
その後ありとあらゆる科学的検査そして技術的検証、履歴などの確認が行われ、
これが紛うことなきレンブラント作品であると判定されたのです。
そして去年12月のロンドンサザビーズでGBP10,965,300で落札となりました。
最後に取り上げるのは、フランドルの画家Michael Sweerts(ミヒール・スウェー
ルツ 1618-1664)の作品です。
2023年7月6日のロンドンクリスティーズにて、GBP 2,000,000 – GBP 3,000,0
00の評価額の作品がGBP 12,615,000(約23億円)に化けました。
ミヒール・スウェールツの名前はおそらくご存知ないですよね。彼の名声は死
後18世紀から19世紀かけて完全に忘れ去られていたのを、1907年に発行された
論文記事によってその存在が再度世に知られることとなりました。
フェルメールとよく似た運命を辿ったといえます。
□Christies auctions results 「The Artist’s Studio with a Seamstress」
https://www.christies.com/lot/lot-6436456?ldp_breadcrumb=back&intObjec
tID=6436456&from=salessummary&lid=1
この作品は市場に出されたことがなく専門家の間でさえ全く知られていない作
品だったのですが、このオークションでその質の高さが再評価されました。
これはいけると思ったクリスティーズは、昨年末にもフランドル作家作品で攻
めに入ったわけです。
2023年12月7日ロンドンクリスティーズで、少女が祈っている姿が描かれた絵の
キャンバスを持つ自画像(?)と思われるスウェールツ作品が、GBP 1,734,00
0(3億円強)で落札されました。
評価額はGBP 400,000 – GBP 600,000でした。
これも大化けです。
□Christies auctions results 「A portrait of the artist (?), presenti
ng the Virgin in Prayer」
https://www.christies.com/lot/lot-6458275?ldp_breadcrumb=back&intObjec
tID=6458275&from=salessummary&lid=1
そりゃオールドマスターファンは熱狂しますよ!
このような熱狂は大歓迎です。
去年は上記以外にもルーベンス作品やゴヤ作品が話題になりました。
今年も何か出てくるんでしょうか。
楽しみ、楽しみ。
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 42
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1968年立法院総選挙
1968年11月10日、初の行政主席公選と併せて、第8回立法院総選挙が行われた。
なお、米施政権下の沖縄での立法院選挙は今回が最後である。
この時の選挙では、社会大衆党・沖縄人民党(事実上の日本共産党沖縄支部)・
日本社会党の3党と沖縄教職員会系候補からなる革新共闘会議が全32選挙区に統
一候補を擁立し、総得票数で53.95%を獲得したが、選挙区事情もあり、彼らの
獲得議席は現有勢力維持の14(内訳は社大8、人民3、社会2,無所属1)に
とどまった。これに対して、自民党は17議席の過半数を確保。保守系無所属の
当選者1を加えて、主席公選で当選した左派系の屋良朝苗との“ねじれ現象”が
生じることになった。
地域別で見た場合、北部と宮古、八重山では自民党が大きくリードし、米軍基
地が特に集中している中部と那覇市では革新共闘が圧勝する結果となった。ち
なみに、この時の選挙戦で、第19選挙区(那覇市の松尾区、上泉区、楚辺一区、
楚辺二区、美田区、壷川区、奥武山区、ペリー区、下泉区、通堂町、垣花町、
住吉町)で自民党公認として立候補し、人民党の古堅実吉に敗れた渡口麗秀
(元那覇市議会副議長)の選挙挨拶の手紙は、通常の選挙葉書ではなく、熱帯
魚シリーズの“ハコフグ”の切手を貼った封筒で )送られている。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20240125164732235.jpg
那覇での厳しい選挙戦を戦う中で、少しでも有権者の目を引き、支持拡大につ
なげようとしたのだろう。残念ながら、この郵便物自体は“転居先不明”で名
宛人に渡口の主張が届くこともなかったが…。
以下、同封されていたあいさつ文を引用してみよう。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/202401251647360ea.jpg
立候補のごあいさつ
私たち沖縄県民の多年の念願でありました主席公選が十一月十日に実施され
ますことは、市民のみなさまと共に誠にご同慶に存じます。
私は、市民のみなさまの御指導、御鞭撻、御援助によりまして、一九五三年
以来連続六期十五年余にわたり那覇市政に参與して、微力を盡して参りました
が、今回実施される主席公選と立法院銀選挙が、わが沖縄の浮沈を決する重大
な選挙であるばかりでなく、祖国日本の安全と繁栄をも左右する重大な選挙で
あることに鑑み微力ではありますが、豊かな郷土を建設するために立候補を決
意し、ここに市民のみなさまに謹んでごあいさつを申し上げます。
戦後二十有余年にわたり全県民がひとすぢに求めつづけて来た祖国復帰実現
の機運はいよいよ到来し、われわれ百萬県民は、今や新沖縄県へのスムーズな
移行をめざして、復帰準備を急がねばならない重大な時機を迎えました。速や
かに産業、民生、教育、文化等の各面における他県との較差を是正し、基地依
存の不安定な経済から脱却して自立経済の基礎をきづき、復帰の際における混
乱を除くことはわれわれ百萬県民に課せられた使命であると存じます。
私は、沖縄自由民主党の一体化政策を強力に推進し、百萬県民が将来豊かな
楽しい生活が出来るよう再以前の努力をする決意であります。なにとぞ市民の
みなさまの御理解と御支援を賜りますようお願いいたしまして、立候補のごあ
いさつといたします。
(以下、渡口の略歴については省略)
なお、主席公選と立法院選挙に続いて12月1日に行われた那覇市長選では、革
新共闘の平良良松(社大党)が自民党の古堅宗徳に圧勝した。
こうして、1968年の“三大選挙”は左派側の二勝一敗という結果になり、勢
いを得た左派(の一部)は急進化していくことになる。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房。電子
書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテー
マ21などがある。とつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
年初からいきなり大事件が続く、あり得ない正月を迎えた年が始まりました。
個人的には、「小悪魔教師サイコ」合田蛍冬版があり得ないトラブルに巻き込
まれて中断したのが昨年末のこと。今年になってから、えばんふみ氏がこれま
た似たようなトラブルに巻き込まれて、何だコレ?
いずれの場合も仁義もへったくれもない。原稿未払いの方がまだ誠実に見える
くらいのひどさである。ネットコンテンツとしてしか作品を見ない会社にはと
んでもない会社があるらしい。
古い出版社には、こんなことは絶対起きないだろう。そう思った年末年始でし
た。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はおやすみです。次回をお楽しみに!
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第175回 正月に「場末」に出会う
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 台湾のふたり。食べ物や鉄道、女ふたりの小説を紹介します。
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第20回 紅いピラミッド
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第175回 正月に「場末」に出会う
昨年後半から世間ではジャニー喜多川による性加害、ジャニーズ事務所の不
誠実な対応、ジャニー喜多川をかばう大物ミュージシャンの発言、それに続き
明らかになった宝塚歌劇団ハラスメント、そして暮れになって自民党の裏金、
大物芸人の強制性交疑惑など嫌なことばかりあって、すっきりしない気持ちで
大晦日を過ごした。昨年は「幻滅」の一年だった。
大晦日は毎年の決まり事のように紅白歌合戦を見て、ジャニーズのいない紅
白も悪くないなあ、などと思っているうちに新年を迎えた。
新しい一年は少しは良くなるようにと思っていたら、元旦、能登半島の地震
が起こり、この原稿を書いている時点で200人以上の方々が亡くなっている大
災害になってしまった。胸が張り裂けそうな気持ちになる。
そして羽田空港の事故が起こり、3日の夜には山手線内で刺傷事件があって、
ぼくも池袋駅で足止めされて、帰宅したのが深夜になってしまった。時間が少
しずれていれば事件のあった車両に乗り合わせた可能性だってあったはずだ。
これほど正月気分から遠い正月は初めてだった。
5日は用事をすませたついでに渋谷へ向かった。
松濤美術館での『なんでもないものの変容』という展覧会を見るためだった。
瀧口修造、阿部展也という前衛写真から大辻清司、牛腸茂雄へと続く作品を時
間をかけて見ることが出来た。
心地よい疲れを感じながら渋谷駅に向かったが、駅に近づくにつれて人混み
がひどくなってきた。横断歩道を渡ろうと歩道から一歩踏み出すも反対方向、
斜め前、あらゆる方向から人の列が押し寄せて歩けない。無理に列を横切ろう
として、若い女性のグループの行方を遮ってしまった。「じゃまだろ、くそじ
じい!」という心の罵りが聞こえてくる。ああ、何十年か前には、ぼくだって
老人に向かって舌打ちをしていたにちがいない。もう軽やかに人混みをすりぬ
けることが出来なくなっている。
そのとき、頭の中に何十年もまえに見た『二十歳の恋』というオムニバス映
画のシーンが浮かんできた。さえない中年男の顔だ。若者たちがパーティを開
いている部屋をさびしそうな顔で出ていく男だ。どうしようもない孤独を抱え
ている。
映画のこと、うろおぼえなので調べてみた。1962年の作品でパリ、ローマ、
東京、ミュンヘン、ワルシャワの五つの都市における青春と恋を追求したオム
ニバス映画で、フランソワ・トリュフォー、レンツォ・ロッセリーニ、石原慎
太郎、マルセル・オフュルス、アンジェイ・ワイダの5人がメガホンを取って
いる。ぼくは20歳ぐらいのときトリュフォーに夢中で自主上映でこの映画を見
た。いちばん印象に残っているのは、お目当てのトリュフォーの作品ではなか
った。
覚えているのは、ポーランドの名匠ワイダが撮った初老の男と若者の世代ギ
ャップをテーマにした作品だった。若いカップルが動物園でデートをしている
と、クマの檻に少女が落ちる事故が起きる。周囲の人々は助けようにもクマの
檻に降りる勇気が出ずにとまどうばかり。そのとき一人の男が柵を乗り越えて
少女を助ける。デートをしていた若い女はデート相手の男をおしのけて、少女
を助けた男のもとに走る。そして、自宅のアパートに招く。ふたりのときを過
ごそうとするが、噂を聞きつけた仲間が押し寄せてパーティが始まってしまう。
パーティの喧騒の中で男の心には戦争の恐ろしい記憶が甦える。戦争を知る自
分と若者たちとのあいだにはどうしようもない隔たりがあった。やがて男はひ
とりアパートをあとにする。そんなストーリーだった。
若かった当時、この映画を見たときは、戦争を経験した世代と若い世代のギ
ャップを描いているんだなあ、と思っただけだった。でも今、渋谷で感じた
「居場所のなさ」はリアリティがあった。理屈ではなく肌感覚で世間との隔た
りを思い知らされた気分だった。ここは、ぼくがいる場所ではないな。
こんなふうに「あけましておめでとう」と晴れやかにいうことができない正
月だ。
そうはいっても日々は続く。
豪徳寺にある七月堂古書部に行った。1月28日(日)に拙著『ぼくは「ぼく」
でしか生きられない』出版記念の催しで茂木淳子さんとトークショーをするの
で、挨拶に伺った。茂木さんは「音の台所」(http://oto-kitchen.com/)の
ペンネームで音楽紙芝居の公演やリトグラフ作品を発表したり、沖縄のことを
リポートしたZINも制作している。今回のトークでは茂木さんがぼくの本から
「電話ボックスとちいさな切り株」という章を朗読してくれる。ぼくのギター
とのセッションという形だ。
茂木さんとのセッションは二度目で、2019年に明大前にあった七月堂古書部
で沖縄の古書店をやっている宇田智子さんのエッセイを茂木さんが朗読して、
ぼくがギターを弾いた。茂木さんの声を聞いていると沖縄のゆったりとした空
気が伝わってきて、リラックスして演奏したのをよく覚えている。
昨年は古書ほうろうで山川直人さんとトークをさせていただいたり、なんて
恵まれているのだろう!
七月堂古書部は、詩の本の出版社・七月堂の編集部に併設された書店で、詩
の本が新刊、古書ともに充実している。せっかくだから、何か詩集を買って帰
ろうと思ったのだけれど、詩のことなどちっともわからないぼくには、どの詩
集を選んだらいいのか困ってしまった。
そのとき目に入ってきたのが『場末にて』(西尾勝彦 詩 七月堂)だった。
「場末」という言葉に惹かれた。メインストリームを歩いてこなかったぼくに
は、とても響く言葉だった。ぼくの担当編集者、天野みかさんが「それ、とて
もいいですよ」と声をかけてくれる。
著者のコメントには、大阪の小さな書店の店主を描こうと書いていたら、次
第に自分のこととなり、未来のこととなり、すべてのアウトサイダー、場末を
支えるひとたちのための言葉」になっていた、と書いてあった。すべてのアウ
トサイダーへ贈る詩集だった。ぼくはアウトサイダーというより落ちこぼれな
のだが、最初の詩を読むとスーッと肩の力が抜けていくのを感じた。
「いつも どこでも 場末に辿りついてしまうのが これからの あなたの
遠い 道のり」
それでもぼくは、とぼとぼと、うつむいて歩いていくしかないんだなあ。
ともすれば自分のことがいやになり、暗い気持ちで歩いているぼくだけれど、
「場末」はそんなぼくに「それでもいい」と言ってくれている。
決して「胸を張って」とか「晴れ晴れとした」ではないけれど、ぼちぼちい
ければいいんじゃない、という感じ。
七月堂古書部では、昨年12月の池之端・古書ほうろうに続き、山川直人さん
の『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』の刊行記念装画原画展を行ないます。
山川さんの原画もぜひ見てほしい!
【タイトル】『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』刊行記念装画原画展
【期日】2024年1月27日(土)〜2月4日(日)11:00〜19:30/1月31日(水)休み
【会場】東京豪徳寺・七月堂古書部
世田谷区豪徳寺1−2−7
(小田急線・豪徳寺駅下車徒歩5分)
よろしくお願いします。
◎吉上恭太
文筆業。
エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない人生論』
(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社
では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)もよろしくお願
いします。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログ『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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皆様本年もよろしくお願いいたします。そして能登半島地震で被災された
方々にお見舞い申し上げます。被災者の方々がはやく心落ち着く日々を過ごせ
るようになることを願っております。
今月ご紹介するのはこちらの本です。
『台湾漫遊鉄道のふたり』、著:楊双子/訳:三浦裕子、中央公論新社、2023
時は昭和13年。主人公は長崎在住の文筆家である青山千鶴子。この千鶴子が
台湾総督府と現地の婦人団体の招きを受けて、台湾に赴くところから物語は始
まります。
ただしこの千鶴子はただの文筆家ではありません。それはかなりの健啖家で
あるということです。ちらし寿司二人前を食べた直後にぼた餅四個をぺろりと
平らげて見せて、姉からは「大食いの妖怪」呼ばわりされてしまいます。
台湾に渡ったのはもちろん招かれて講演や会食といったことをするためでは
ありますが、千鶴子はもちろん台湾自体に魅力を感じていたので、これを渡り
に船とばかりに利用しました。台湾ではカラフルな街並み、市場に並ぶ南方な
らではの食べ物の山に魅了されています。
そしてこの台湾で彼女が「通訳」として出会ったのが奇遇にも同じ名を持つ
王千鶴です。
この通訳の千鶴、彼女もまた千鶴子に匹敵するほどの食いしん坊なのでした。
しかしそれだけではありません千鶴は通訳としての仕事ぶりも完璧に近いうえ
に、千鶴子の身の回りにも何かと気を使って仕事が捗るようにしてくれます。
ましてや千鶴子が原稿を書く日には食事まで作ってくれることもあるなど、
もはや完全な「相棒」のように行動していきます。
台中に拠点を構えて千鶴子は、講演旅行や温泉巡りなど台湾西岸を縦貫する
鉄道で、北は基隆から南は高雄まで移動します。その車内で食べるもの、ある
いは各地で食べるものそれぞれがあまりに美味しそうに描かれおり、食べ物小
説(などというジャンルがあれば)本書は完璧でしょう。
たとえば千鶴は台北からの帰りの列車の中で「台中に戻ったら、明日はカレ
ーを作りましょう」と言って、実際にカレーを作るのですが、それが3種類も。
咖哩鶏(チキンカレー)に咖哩蝦(エビカレー)に咖哩魚(魚のカレー)。いず
れも作り方が書いてあるのですが、どれも口によだれがいっぱいにたまるよう
なものばかりです。
蛤仔煮麺(蛤スープの煮込み麺)も美味しそうだし、麺線(そうめんのよう
な細い麺)が食べたいといった千鶴子に対して千鶴が用意した蛤とかきたまの
麵線ととろろ芋の麺線も食べたい。炒米粉(ビーフン炒め)も湯冬粉(スープ
春雨)も煮大麺(太麺の煮込み)も魅力的です。私は麺類が好きなので麺類ば
かりになってしまいましたが…。
食べ物については万事こんな調子で台湾の美味しいものについてかたられて
いますので、食べ物好きの方にはご満足いただけるに違いありません。
ところが意気投合したように見えた千鶴子と千鶴。実際にその心はぴったり
平仄があっているようにも思えるのですが。ときどきずれを感じさせる場面が
あります。
千鶴子が千鶴に対し「私たち、お友達でしょ。」と問いかけたけたとき、千
鶴は「…青山さんがそう思うなら、私もそう思うことにします」と答えます。
あるいは名所と知られる阿里山の桜についてはこんなやり取りがありました。
()は筆者注。
「内地の桜を、本当の土地に無理やり植えるのは、やっぱり横暴よね?
(以下略)」
(中略)
「帝国のやり方は強引でとっても不愉快だけど、でも美しい桜に罪はないわよ
ね。(以下略)」
こうした千鶴子の発言に対して、決して怒りを見せるわけではありませんが千
鶴はこう返します。
「はっきり言って、もう青山さんはどうしようもない!」
本書は食べ物小説というだけでなく、ふたりの関係を描いた小説でもありま
す。作者もあとがきにこの小説に百合(女性同士の友愛)という要素を盛り込ん
だと書いています。
千鶴子と千鶴がお互いを尊重しあっていることは伝わってきますが、はたし
てそれは主人と通訳なのか仕事上の相棒なのか、はたまた千鶴子の言うように
友達なのか、それともそれ以外の何かなのか、二人の間柄についての葛藤と変
化も本書の読みどころのひとつですね。
なかなか千鶴子に対して本心を明らかにしない千鶴がいったい何を考えてい
て、どうしてふたりの間に折々齟齬が生じてしまうのかについても伏線がちり
ばめられているので、それを推理するという読み方もできますね。
そしてそこには日本とその植民地であった台湾、日本本土からやってきた内
地人の千鶴子と漢人系台湾人=本島人の千鶴という関係性も関わってきます。
百合というだけでなく宗主国の人間と植民地の人間という立場もふたりの関係
性には織り込まれてくるわけです。
先ほどの桜のやり取りを見てもそうですが、千鶴子は台湾に対して日本は強
圧的だがよいこともしているという立場をとっています。
唐突ですが私はこのやり取りを反芻するうちに以前紹介した、『ナチスは
「良いこと」もしたのか?』という本のタイトルが思い浮かんできました。仮
に宗主国日本の施策で台湾が「発展」したとしてもそれは誰のための何のため
の「発展」だったのかということまで考えないといけないですよね。
というわけで食べ物・百合・宗主国と植民地など様々な要素が盛りだくさん
ですので、読者としても様々な味わい方のできる一冊だと思います。
ちなみに作者は鉄道という要素も盛り込んだとあとがきに書いていますが、
鉄道好きの私の身からすると本書は鉄分の味付けはやや薄目かもしれないです。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第20回 紅いピラミッド
上海の天蟾逸夫舞台は、東京の歌舞伎座、京都の南座に相当する。2023年、京
劇や地方劇を観るために、私は足繁く通った。最寄り駅は地下鉄の人民広場駅
である。15番出口を上がると、西藏中路という南北に走る大きな通りに出る。
南に30秒も歩けば、人民広場から東の外灘に向かう道にぶつかる。天蟾逸夫舞
台がある福州路である。東に向かって5分ほど歩くと、天蟾逸夫舞台が見えて
くる。
人民広場から外灘に向かう通りで最も有名なのは、やはり南京東路であろう。
上海随一の繁華街であり、歩行者天国になっている。歩き疲れた人のための機
関車風の乗り物も走っていて、さながら遊園地のようでもある。デパートが建
ち並び、飲食店も軒を連ねる。週末や祝日はもちろんのこと、平日も観光客で
ごった返している。だから上海人はあまり足を踏み入れない。一介の外国人に
すぎない私にしても、みずから率先して南京東路に赴くのは、清明節のときく
らいである。上海料理の老舗として知られる沈大成で「青団」を買うためだ。
日本の草餅を思わせる青団は、春の上海には欠かせない風物詩である。清明節
の頃になると、さまざまな店の青団が売りに出される。近所のスーパーでも沈
大成をはじめ、何種類もの青団を買うことができる。しかし私は、南京東路の
沈大成で青団を買って食べないと気がすまない。今年の清明節は4月4日である。
沈大成の青団売り場の前には、今年もまた長蛇の列ができることだろう。
南京東路の南側には人民広場と外灘を結ぶ通りが並行している。九江路、漢口
路、福州路、広東路が東西を走っている。こうした通りの中で、私にとって最
も馴染みとなっているのが福州路だ。かつて「四馬路」と呼ばれた通りである。
「上海游記」で芥川龍之介は、「夜は四馬路あたりに、人力車へ乗った野雉た
ちが、必ず何人もうろついています」と書いていた。「四馬路」こと福州路は
茶館や娼館が並び、街娼が行き来する上海有数の歓楽街だった。「魔都」上海
というイメージは福州路と切っても切れない関係にある。もちろん風紀の取り
締まりの厳しい現在、福州路で「野雉」と呼ばれた街娼を眼にすることはない。
茶館も娼館もない。しかし私にとって福州路は、いまだ歓楽街であり続けてい
る。天蟾逸夫舞台があるからだけではない。本を見てまわるのにうってつけの
通りであるからだ。
天蟾逸夫舞台の舞台は夜の7時15分に開演することが多い。夕方時間があると
きには、人民広場駅ではなく南京東路駅で下りて、福州路を西に向かって天蟾
逸夫舞台まで歩いていく。2時間くらいはあっという間に過ぎてしまう。
南北に走る山東中路と福州路の交差点から西に向かって歩いていくと、まず右
手にあるのが百新書局だ。1912年に「百新書店」として開業した老舗である。
若者向けのおしゃれな文房具とともに、新刊本が売られている。外国の書籍の
中国語訳も数多く並べられている。その中心は日本の書籍の中国語訳である。
2023年8月にはTOKYO GALAXYというコーナーが設けられて、東野圭吾をはじめ
とする日本の推理小説、安藤忠雄や山本耀司の本が大々的にフューチャーされ
ていた。
百新書局から西に少し歩くと7階建ての上海外文書店である。その名の通り、
英語をはじめとする外国語の書籍専門の書店である。外国人用の中国語のテキ
ストも揃っている。美術書に特化したフロアも設けられており、欧米で刊行さ
れた美術書や写真集が並べられている。もちろん日本語の書籍も置いてある。
値段は張るが、新刊の文庫本や単行本も手に入る。もっとも日本のコーナーで
大きく取り上げられているのはマンガとアニメーションである。関連グッズも
並べられており、コスプレをした若者が物色している光景は珍しいものではな
い。
上海外文書店の先には芸術書房がある。中国の絵画や書についての本を探すの
にぴったりだ。建築、庭園、写真の本も充実している。基本的に中国で刊行さ
れた中国芸術についての本が中心であるが、日本の本の中国語訳も置いてある。
デザイン関係の本が多く、この12月に私が行ったときは菊地信義などのブック
デザインの本のコーナーが設けられていた。その横には、重森三玲と杉本博司
の本が平置きにされている。ライフワークとしていた日本の庭園の研究成果を
見事なまでにモダニズムの形象に昇華させた作庭家の『作庭・観庭心得』と、
日本の美的観念を写真やインスタレーションを通じて探求し続け、結果として
欧米で高く評価されるようになった美術作家の『苔のむすまで』(新潮社、
2005年8月)、『現な象』(新潮社、2008年12月)、『アートの起源』
(新潮社、2012年1月)の中国語訳3冊が並べられている光景は、上海の読書人
の日本理解のありようを象徴しているようにさえ思われてくる。
上海外文書店の対面、福州路の南側にあるのが上海古籍書店である。1956年に
福州路に開業した書店は2006年に同じく福州路の現在の位置に移転した。そか
ら約20年間、店内は往時の雰囲気を保ち続けてきた。やや薄暗い店内には、中
国の歴史や文化、文学や宗教に関する書籍が並べられている。2階に置かれて
いるのは線装本である。明代に始まった製本法で、二つ折りにした紙を重ねて
糸や紐で右側をとじて作られた書籍である。うろうろするだけで、中国の出版
文化の歴史を体感することができる。縦書きの本も繁体字の本もある。横書き
の簡体字を国是とする現代中国に疲れたら、ここに来て本をめくるといい。店
内の時間はとてもゆっくりと流れている。
もうひとつ上海古籍書店で嬉しいのは、1階の一角に広西師範大学出版社の本
が並べられているコーナーがあることだ。歴史、文化、文学などにかかわる興
味深い書籍を数多く刊行している広西師範大学出版の本をまとめて手に取って
見たくなったら、私はまずここに来ることにしている。上海古籍書店は改修の
ため、2024年1月7日から休業することになった。改修されたのち、他の書店と
同じく上海古籍書店も、おしゃれなブックカフェのようになってしまうような
気がしてならない。読書人のための書店という古臭い雰囲気をぜひとも残して
もらいたいと思うのは、時代について行けなくなった中年男の勝手な望みにす
ぎないのだろうか。
上海古籍書店の東隣に佇む小さな書店は上海旧書店である。かつてこの界隈に
たくさんあったという古本屋のひとつだ。天蟾逸夫舞台の近くにも2軒ほど古
本屋が残っているが、私の好きなのはこの上海旧書店である。通りに面したガ
ラスケースには、民国時代に出版された雑誌や本も並べられている。見ている
だけで楽しくなる。私がここでよく買い集めているのは、映画関係の雑誌や資
料である。50年代から70年代に刊行された雑誌や書籍を見ていると、社会にお
ける映画の位置づけや役割が、中国と日本では大きく異なっていたことに気づ
かざるを得ない。小さな書店だが、四方の壁を占める書棚を吟味し、中央の棚
に平積みされた雑多な本を漁っていると、1時間くらいはあっという間に過ぎ
ていく。7時近くになっていることに気づいて、上海旧書店から天蟾逸夫舞台
まであわてて走ったことは、1度や2度ではない。
上海旧書店から古籍書店の前を通り過ぎて福州路を西へと進んでいくと、福建
中路との交差点に着く。福建中路の向こう側に高くそびえる重厚な建物が目に
入る。上海書城である。書店そのものは7階建てで、周囲の高層ビルと比べる
とむしろ低くてずんぐりむっくりしている。しかしその重厚感たるや、なかな
かの迫力である。威圧感は政府系の建物が有するそれと同等と言ってもいい。
2021年12月12日、上海書城は改修のため長期休業に入った。私は休業が発表さ
れた直後の10月末に赴いた。書棚は歯抜け状態となり、閑散としていた。客は
ほとんどおらず、店員も少なかった。唯一充実していたのは、1階のフロアに
設置された「紅書」のコーナーだけだった。言うまでもなく党関係の本が陳列
される一角である。中国大陸の書店では珍しくない光景なのだが、「紅書」が
オブジェのようにして積み重ねられていた。一番目立つ位置で面置きされてい
たのは、中央党校采訪実録編輯室編『習近平在正定』(2019年2月)である。
1982年から1985年まで河北省正定県で副書記と書記を務めた際の習近平のイン
タビューなどが収められている。
紅書コーナーに客がいないのは毎度のことだが、周囲にも客がおらず、周りの
書棚にも本が入っていなかったため、紅書で作られたオブジェはいつも以上に
悪目立ちしていた。上海がロックダウンされる前、世界全体がコロナの脅威に
さらされていた時期である。その時の私の眼に、1階の中心に設えられた紅書
コーナーは?裸の王様?という比喩がぴったりに思えた。紅書コーナーには
「23年間、連れ添っていただいた貴方に感謝します。将来よりよい形でお会い
できることを願って、?再見?とだけお伝えします」という文言が掲げられて
いた。それを見ながら「再見」がはたしてあり得るのかどうか、私は疑問に思
いながら書店を出た。
2023年10月28日、装いも新たに上海書城が再開した。垂直性が強調された白を
貴重とした建物は、夜になると外壁に埋め込まれた灯りによってガラスの城の
ようになる。私は12月初め、天蟾逸夫舞台で中国西安の地方劇である秦腔の
《鎖麟嚢》を見に行くついでに、はじめて足を踏み入れた。
空いている書棚も多く、まだ試運転という感じではあった。とはいえ書店の内
部空間は、コロナ禍を乗り切った中国が、新たな段階に入ろうとしていること
を十分に感じさせるものとなっていた。2m近くはあるかと思われる書棚によ
って空間は区切られ、迷路のようになっている。フロアの中央は吹き抜けとな
っており、2階分の高さの書棚がそびえ立っている。おわかりの通り、外観で
強調されていた垂直性は、内部空間においてよりいっそう際立ったものとなっ
ていた。2mの書棚の上に並べられている本は見ることも、いわんや手に取る
ことなどできるはずがない。2階分、3階分の吹き抜けに置かれた書棚の高さが
どれくらいなのかは、もはや推し量りようもない。置かれた本を見たり手にし
たりすることは、そもそも期待されていないのである。高々とそびえる書棚は
本を見せるために設えられたものではなく、垂直性を強調し、本に代表される
文化が崇高であることを知らしめようとしているように感じられた。本を売る
ことよりも、本を紹介することよりも、上海書城の空間が目指していたのは、
「偉大」な中国の「文化自信」を表象することだったのではないだろうか。
そうした私の思いは、エスカレーターで3階に上ったときに確信へと変わった。
左手に見えてきた壁一面を覆う大きな書棚に面置きで並べられていたのは、
『習近平談治国理政』第4巻(外文出版社、2020年6月)だった。習近平その人
の尊顔が描かれた表紙が何十冊も並べられている光景は圧巻である。その奥に
作られていたのは「党閲書屋」と名づけられた部屋だった。本を並べていた書
店員に聞いてみたところ、共産党関係の本だけを集め、思想教育に供される空
間となるらしい。紅書コーナーの拡大ヴァージョンである。
「再見」の可能性を疑った私はひどい見当違いをしていたと言わざるを得ない。
1998年に上海市人民政府の肝いりで作られた上海書城は、中国の「偉大」な
「文化自信」を象徴する場として、より強化された形で戻ってきたのである。
そのことを最も実感させられたのは、書店に入ってすぐに眼に入ってくる1階
の光景だった。
床一面が紅に染められ、メキシコのテオティワカンのピラミッドのように中央
に向かって少しずつ高くなっている。紅の階段を上っていくと、ピラミッドの
頂上には紅のビロードが被せられたテーブルが置かれている。さながら皇帝の
玉座といった趣きだ。その上にはたくさんの本が並べられている。もちろんす
べては習近平の本である。表紙のご尊顔がこちらに向けられている。ピラミッ
ドを上ってきた客は、皇帝に謁見する立場に身を置くことになる。外国人であ
れば、誰もが阿倍仲麻呂やマルコ・ポーロにならざるを得ない。中国に来て以
来、どの書店でも紅書コーナーを見てきた。福州路にあるいずれの書店にも、
紅書コーナーは設けられている。しかし、これほどまでに荘重さを演出しよう
とした紅書コーナーははじめてだった。私は北京の故宮で見た皇帝の玉座を想
起した。
あまりにも露骨だったからであろうか、それともよりいっそう荘重にするため
なのか、12月中旬に上海書城を訪れたときには1階は工事中で、仮囲いのため
に中を見ることはできなかった。だから、その後1階がどのようになったのか
は確認できていない。しかし、あのような荘重さと崇高さを企図した紅書コー
ナーを設けようとするところまで、今の中国は来てしまったといえる。後戻り
する余地がありそうには到底見えない。今後しばらくは、おそらくこの道を進
み続けることになるのだろう。
書店は都市の文化の鏡である。流行り廃りは書店を見れば一目瞭然だ。しかし
中国においてその鏡は、流行を映し出すだけではない。思想教育の動向も如実
に反映される。だから書店めぐりはやめられない。
今年もまた私は天蟾逸夫舞台に通い続けることになるだろう。そして福州路で、
「魔都」上海が供したものとはちょっと違った歓楽に耽ることになるだろう。
【本文中で言及させて頂いた本】
山田俊治編『芥川竜之介紀行文集』〔電子書籍版〕、岩波文庫、2022年4月。
重森三玲『作庭・観庭心得』、華中科技大学出版社、2021年11月。
杉本博司『直到長出青苔』黄亜紀訳、広西師範大学出版社、2012年5月。
杉本博司『芸術的起源』林葉訳、広西師範大学出版社、2014年5月。
杉本博司『現象』林葉訳、広西師範大学出版社、2015年1月。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
能登の地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。少しでも落ち着ける
日が一日もはやく来るよう、心よりお祈りし、できることを協力させて頂きたい
です。
まずはお詫びと訂正を。先月、副隊長さんの原稿に誤記が多く、大変申し訳あ
りませんでした。正しいものが訂正版として、バックナンバーで読めるようにな
っております。副隊長様、読者の皆様、メルマガの管理者様に心よりお詫び申し
上げます。
今月も遅れてしまい、申し訳ありませんでした。新しい年。厳しいことばかり
起きますが、何とか地震の足元を確かめながら、楽しい本を読みつつ一年を過ご
していければ、と思います。どうぞ今年もよろしくお願いします。畠中理恵子
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その88 「変身したら何食べる?」その1.竜
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その88 「変身したら何食べる?」その1.竜
今年の干支にちなんで、龍についていろいろ考えていたのだが、東洋の「龍」
はとてもありがたい神的な存在だけれど、西洋の「竜」というのはそうでもな
いような気がする。竜というのは、なんとなく恐竜と入り交じっているような、
は虫類の進化形のような動物のイメージがある。若い女を生け贄に欲しがって、
騎士にやっつけられるようなところなどダメダメな感じがある。もちろん日本
の八岐大蛇なんていうのは、若い女の生け贄を欲しがるし、酒好きのくせに酒
に弱いとかダメダメな感じがあるから、これも下等な竜なのだろう。
そんなことを思っていたら、物語の中で自分が竜になったら、何を食べたら
いいのだろうかとつい考えてしまった。人身御供をかじるわけにもいかないし、
竜は本当に人間しか食べないんだったけ? そこで、少々記憶をたどっている
と、ありました!変身して竜になってものを食べる場面が。それは、ナルニア
国のあの話『朝びらき丸、東の海へ』に出てくる竜。この物語は『ライオンと
魔女』で始まるペペンシー兄妹四人が主人公で、ナルニア国という不思議な世
界に行く物語なのだが、この話はそのシリーズの三番目に当たり、兄妹のうち
末の二人のエドモンドとルーシィと、いとこのユースチスがナルニア国で冒険
する物語だ。実は私は、この話が少々苦手だ。最初はいい。いとこで不平屋の
ユースチスの家に泊まりに来た二人が、壁に掛かっているナルニアの船にそっ
くりな船が海に浮かんでいる絵を見るうちに絵の中に、引き込まれていく。海
から助けられて乗った船が、偶然カスピアン王の船で、彼は冒険に出かけてい
るところだったなんて、実に楽しそうじゃないか! でもその旅が、昔王位を
簒奪した叔父が追い払った七人の騎士を探すための旅だというのが妙に楽しく
ないのだ。この旅の最終目的とか、行方不明の七人の運命とかが、何かすべて
暗くて高揚感がないのだ。彼らが何でこんな目に遭ったのかが、わからなくて
気持ちが悪いのだ。
さて、船に乗ってからずーっと、不満を言い続け、すべてを悪く取るいとこ
のユースチス。この情けない卑怯者で嘘つきの男の子は、全然ファンタジー世
界になじめないでいる。彼に奇妙な罰が下るのは、まあ当然という感じなのだ
が、それにしても相当重い罰に思える。それはある日、彼がいきなり竜になっ
てしまうという罰なのだ。この本を読んだ子供の頃から、もし自分がファンタ
ジー世界に行ってなじめず、気がついたら竜になるという罰を下されたらたま
らないと思い続けている。けれど、この物語で一番面白くナルニアらしいのは、
この竜に変身するところでもあるのだ。
ユースチスは、嵐になってボロボロになった船がたどり着いた島で、修理を
しようと話し合うみんなから抜け出して一人山に登って行ってしまう。そして、
そこで年老いた竜が死んで行くところに行き会うのだ。大雨になり仕方なく竜
の出てきた洞穴に入ると、そこは竜が集めた宝の山!喜んだユースチスは、ポ
ケットにダイヤを詰め、金の腕輪をはめ、金貨を敷き詰めた上で眠り込んでし
まう。いや、私だってそんな宝の山に出会ったら同じことをするだろう。とこ
ろが、ユースチスはその罰に? というかそのせいで竜になってしまうのだ。
目が覚めるとすっかり竜になっていたのだ。そうなったら、何を食べて生きてい
くのだろう?ユースチスが何をしたかというと、まず水を飲み、次に死んだ竜
を食べたのだ。竜ほど死んだ竜の肉を好きなものはいないのだと著者は言うの
だ。死んだ竜の肉は、一体どんな味だったのだろう? 一度竜の肉とはどんな
物だろうと調べたことがあるのだが、酢に漬けると七色に変わるとかいろんな
説があるのだが、味については書かれた物が見つからなかった。けれど、トー
ルキンの『農夫ジャイルズの冒険』では、昔は宮廷ではクリスマスに竜の尾を
食べたが、そうそう毎年竜も出てこないし騎士も捕まえに行かないので、今で
は「まがいものの竜の尻尾」というお菓子を出すとあった。「堅い粉砂糖でう
ろこをつけたカステラとアーモンドでできたお菓子」とあるから、そんな風に
甘い味なのかもしれない。もし、竜の肉が甘いなら、求肥のようなお菓子の方
が、なんとなくイメージに合う気がするけれど、どうだろう。
とにかく、ユースチスはその後みんなのところに戻り、なんとか自分である
ことをわかってもらおうとする。けれど、竜に驚いたみんなが一斉に剣を抜い
て立ち向かおうとするので怖くて泣いてしまう。そんな情けない竜の様子を見
て、みんなが怖がらずにその正体についていろいろ質問をしてくれたおかげで、
自分がユースチスだと、わかってもらえたのだ。
それからは心を入れ替えていいやつになった竜のユースチスは、みんなのた
めに一生懸命働いた。折れたマストの代わりになるような大きな松の木を運ん
できたり、野生の豚や山羊を殺して持ってきたりするのだ。でも、竜はみんな
と一緒に焼いたその肉を食べたりはできない。竜が食べられるのは、血も滴る
豚や山羊の肉なのだ。困るなあ、私は普段からレアのステーキを食べられない
からなあ等と思ってしまい、ここで想像力の翼がはたと止まるのだ。
物語では、一人島に残る覚悟を決めた竜のユースチスの前に、奇跡のように
アスランが現れ、ユースチスは何重にもかぶった竜の皮を裂いてもらって元に
戻り、みんなと共に船に乗って島に別れを告げるのだ……。
夢の中で、あるいは物語の中で変身して、いろいろな動物や、不思議な生き
物になってみたいと誰もが思うだろう。だが、そこで何を食べるかが、私にと
っては大問題なのだ。大抵私は物語を読みながら主人公の気持ちになってその
変身に付き合うのだが、竜になるのは少々向かいないなと思っている。
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『朝びらき丸東の空へ』 C.S.ルイス著 瀬田貞二訳 岩波少年文庫
『農夫ジャイルズの冒険』J.R.R.トールキン著 吉田新一訳
『トールキン小品集』評論社
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高山あつひこ:好きなものは、幻想文学と本の中に書かれている食物。なので、
幻想文学食物派と名乗っています。
著書に『みちのく怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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土用期間について思ったこと
2024年1月15日から土用期間に入ります。明けは2月4日。つまりは節分で
旧暦の新年ですね。今回は、この土用期間について、思ったことがありました
ので記録しておきます。
もともと土用期間というのは日本で発達した暦法の九星気学の考え方に基づ
いています。なんで九星気学が日本だけで発達したかというと、日本には四季
があるから。そしてこの土用期間というのは、とても四季の考え方と結びつき
やすい考え方です。
そもそも「土用」の「土」というのは、中国の五行思想から来ています。木
火土金水の五行は、日本では曜日の名前になるほど溶け込んでいますが、実は
季節もこの五行に分けられていて、春=木、夏=火、秋=金、冬=水 と当てはめ、
余った「土」を季節の変わり目に割り当て「土用」と呼んだところから始まっ
ています。つまり、土用は年4回あるのです。
ですから、無用に土用を特殊な期間として怖れる必要はなく、ひとつの季節
と考えることができるのです。
でも、土用期間には、してはいけないとされていることもたくさんあります。
・大きな決断・契約
・引っ越し、転職
・結婚・離婚
・旅行
などなど。これはなんでか、と言いますと、単純に、季節の変わり目、だから
ですね。
日本人なら大抵、感じているとは思うのですが、「暑さ寒さも彼岸まで」と
いう言葉はありつつも、季節というのは〇月〇日からすぱっと切り替わったり
はしません。そんなデジタルなものではなく、あくまでもアナログに、じわじ
わ、じわりと変わっていく。
例えば、今回の土用は冬から春への切り替わりの土用なわけですが、冬と春
って全然、違う季節じゃないですか。これがじわじわと切り替わっていくとき
に、何か大きな判断をするのは危険だ、という考えに基づいているのではない
かと思われます。
例えば、服を買うのだって、冬に欲しい服と春に欲しい服は全然違います。
でも、切り替わりの時期にはどっちを買うのが正解なのか、意思決定に迷う、
ということなのです。
西洋の思想では、人間にとって自然は脅威であり、克服して屈服すべき対象
ですから、人も自然の影響を受けないように石の壁を築き、その中で生きよう
とします。しかし東洋の思想では、人は天の気の影響も地の気の影響も受ける
存在。この土用期間は、天の気、地の気も切り替わりますから、人もやや不安
と言いますか、不安定になる、という考え方になっているのです。
では、土用期間は悪いものなのか?
いえいえ、そんなことはないでしょう。
大きな意思決定をしない方がいい期間、というのは、逆に、いろいろ試行錯
誤するのに向いている期間とも言えます。ですから、これまでの人生でどこか
壁にぶち当たっていたり、出口の見えない迷路に迷い込んでしまったように感
じていた人は、むしろ、この期間があることがチャンスかもしれません。この
時期は浮気とか不倫とかも増えると言います。別れたい彼氏とかが居る場合に
は、彼氏が浮気して縁を切る、なんてことにはチャンスの時期かもしれません。
あるいはメンテナンスの時期、と捉えることもプラスかもしれません。大き
な意思決定というのは外の世界に目を向けることですが、そこは現在は不安定
なので、むしろ、自分とか自分の身の回りに目を向け、季節の変化に備える、
という過ごし方が、様々な方が推奨している過ごし方のようにも思えます。
いろいろ余計なことも書きましたが、土用期間をむやみに恐れるのではなく、
季節の変化を感じながら、自分をメンテナンスしたり、新しい自分の可能性を
探ったりして、プラスの意識で過ごせば、きっと良い期間になるのではないか
な、と思ったので、メモとして書かせていただきました。
note
https://note.com/bizknowledge/n/n8109936bc81d
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。本年もよろしくお願い致します。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→ウクライナ戦争の行方
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→竜巻先生、芸能界デビューか?
★「はてな?現代美術編」 koko
→休載です
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→これまでの選挙の話は伏線で、ここからが本番!
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■トピックス
内藤陽介氏の新刊、明日発売
「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房
辰年!(令和6年・2024年)
郵便学者が中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト
教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソー
ドなどを切手とともに紹介する。
〈目次〉
はじめに
第1章 大龍・小龍・蟠龍(中国)
第2章 日本最初の切手にはなぜ龍が描かれたのか
第3章 青龍・飛龍と南北対立(朝鮮半島)
第4章 琉球の龍柱
第5章 ナーガと龍(インド・東南アジア)
第6章 メソポタミアからギリシャへ
第7章 ドラコの末裔たち(ルーマニア・ウェールズ)
第8章 聖ゲオルギウスの龍退治
あとがき
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/978-4-86722-124-2
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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塩川伸明編 『ロシア・ウクライナ戦争 歴史・民族・政治から考える』東京
堂出版 3800円+税
ロシアがウクライナに侵攻してから、3年が経とうとしています。戦線は膠着
し外交交渉も進んでいません。戦争終結のめどは一向に立ちません。ウクライ
ナは、西側諸国の軍事的な支援を受けて、圧倒的兵力を誇るロシアに善戦して
います。しかし西側諸国にも支援疲れが目立ってきています。不当な侵略を行っ
たロシアが悪いことはもちろんです。非合理な開戦の背景には、プーチンの狂
気があるのかもしれません。だがウクライナや、西側諸国の対応もまた、ロシ
アを不必要に追い詰めるものだった。そのことを著者たちは指摘しています。
ウクライナとロシアは、東スラブ(ルーシ)の民としての、共通の文化と歴史
があります。大昔から犬猿の仲であったわけではまったくありません。ウクラ
イナには、多くのロシア人住民がいます。2014年にロシアが強引に併合し
たクリミアも、1954年までは旧ソ連のロシア共和国に所属しており、ロシ
ア語話者が多く、ロシアへの親近感を抱く人の多い地域です。宗教的にも東部
と南部ではロシア正教の、西部ではカトリックの信者が多くなっています。ウ
クライナは、民族的にも言語的にも宗教的にも多元的な国家であるといえます。
ウクライナは地域の独自性の強いことが特徴の国ですが、国家体制は中央集権
的。そのため、中央政府では地方閥の利権争いが活発となり、世界的にみても
政治的腐敗の激しい国です。2014年には、政治的に腐敗した親露派の大統
領を追放するユーロ・マイダン革命が起きています。しかし革命後も腐敗が止
むことはなく、プロの政治家に飽き飽きとしたウクライナ国民は、コメディア
ン出身のゼレンシキー(著者らの表記)を大統領に選出しました。開戦後のゼ
レンシキーは、カリスマ性を発揮して、現在でも高い支持率を保ち続けていま
す。
国民を統合するには国家の歴史についての物語が必要です。独立後のウクライ
ナでは、スターリンとヒトラーという二人の独裁者の二重の犠牲者として自ら
を位置づける歴史認識が支配的になっていました。こうした反ロシア的な歴史
認識は、クリミア併合とドンバス戦争の2014年以降、強固なものとなって
いきました。スターリンに抵抗し、ヒトラーによって捕らえられた、反ユダヤ
主義者のステパン・パンデラが英雄視されるようになりました。ウクライナを
ファシストから救うというロシアの無理筋な開戦理由の根拠がこれなのです。
この戦争は、西側諸国が、自由主義世界のなかにロシアを包接することに失敗
した結果であると著者の一人は述べています。第二次世界大戦後のアメリカは、
極めて謙虚に振る舞っていました。他方、冷戦終結後のアメリカの振舞は、傲
慢なものでした。急激な市場経済への転換を求めるショック療法を行い、ロシ
ア国民に塗炭の苦しみを舐めさせました。NATOの東方への拡大を続け、ロシア
の孤立を深刻なものにしています。これらが、ロシア国民の中に自由主義秩序
への反感と、プーチンへの支持を生み出しているという指摘は重要です。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「元気」の話
大阪に「絡んでくるアイドル オバチャーン」と言う平均年齢70オーバーのア
イドルグループがいる。
10数年前に「みかん山プロダクション」が立ち上げたと記憶している。
実はその時「オバチャーンのマンガを描かないか」と打診があり、かなり前の
めりでネームを切ったが残念ながら立ち消えになってしまった悲しい過去があ
る。
だがその後、友人のダンスの先生がオバチャーンに参加していると聞き、軽い
追っかけを始めた。だが、いつのまにかYouTube120万回再生とか通天閣で月一
公演とかイベント出演とか大阪府警のプロモーションビデオに出演とか…どん
どん露出が増えて来て本当にアイドル活動に拍車がかかって来た。ただしおば
ちゃんの特性でMCが「人の話を聞かない」ため毎回グダグダだったりダンスが
バラバラだったりでいい意味でマニア心を刺激している。
私が最初に知った時はまぁいわゆる「大阪のおばちゃんアイコン」で全身ヒョ
ウ柄ファッションに身を包むだけの雰囲気だったのだがここ何年かで着こなし
が格段にアップデートされ「これもアリかも知れん」と思うようになってきた。
先日行ったファンミーティングに来ていた若い子も「可愛いですよね〜〜」と。
ただ彼女は豹柄ファッションからオバチャーンに行き着いたらしいので少し特
殊かも知れない。
そして「オバ大阪三十六景」なる写真集が発売されそれを眺めていて「ああ、
なるほど」納得した事があった。
元気なのだ。
だから?と問われそうだがオシャレさを微妙に回避しぎりぎりな猥雑さがまさ
しく元気な時の「昭和」を感じさせる写真に仕上がっているのだ。金融バブル
の昭和ではなく「頑張って働いたら明日は今日より良くなっている」と思わせ
る昭和、原稿料の値上げ交渉も出来た時代の昭和だ。
デジタルだのAIだの監視社会だのでいろいろと疲弊している昨今、この元気さ
がどんと焼きのように体を温めてくれる気がするのだ。
たぶん最初のあたりのオバチャーンは現実の昭和感が強過ぎた。10年経って仏
セブン(神7のもじり)が80近くなってきてパロディーとして理想だった昭和
感を醸し出すようになって来たのかも知れない。
明らかなグリーンバックでの嵌め込み写真をながめながら暖かくなって通天閣
ライブが復活したらその時は手製の推しうちわを作ろうと思っている。
問題は並ぶと年齢的に新メンバーと間違われてしまう事な。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 41
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主席選挙
1964年10月31日、大田政作主席の辞任を受けて後継主席に就任した松岡政保の
1期目の任期は、大田の残り任期を継承したため、1965年11月末までであった。
1964年10月31日の主席就任演説で松岡は「最後の任命主席就任式として歴史に
残る日でありますように」と語ったが、住民の自治権拡大要求、反戦平和運動
の高まりを受けて、1965年11月14日投開票の立法院選挙では左派系の野党勢力
のみならず、保守系の民主党も主席公選を公約に掲げていた。
さらに、立法院選挙10日前の11月4日に那覇市長選挙が告示され(12月19日投開
票)たこともあり、米国民政府は立法院選挙の動向が市長選挙に影響を与える
ことを懸念し、11月26日、次期主席選出方法については「ワシントンで検討中」
として問題を先送りした。
こうして、松岡の主席留任が事実上決まったことを受けて、12月21日に大統領
行政命令が改正されて行政主席の選任方法が立法院議員による間接選挙形式と
なり、再任された松岡は長嶺秋夫立法院議長から当選の認証を受けている。
松岡の下、行政府は1968年に予定されている立法院選挙をにらんで、左翼勢力
の牙城となっていた教職員会の政治力をそぐため、1966年5月31日、地方教育区
公務員法案、教育公務員特例法案(両者は一括して“教公2法”と呼ばれた)を
立法院に送付する。
米施政権下の沖縄では、公立学校教職員の身分は琉球政府公務員または教育
区公務員と規定され、琉球政府公務員については、1953年に制定された琉球政
府公務員法によって身分保障がなされていたが、教育区公務員についての身分
保障はなかった。
教公2法は、この決を補うべく提案されたものだったが、教職員の政治行為の制
限、争議行為の禁止、勤務評定の導入が盛られていたため、左派系の教職員た
ちが強硬に反対運動を展開することになる。
さらに、1966年8月21日に行われた立法院議員補欠選挙で、教職員出身(前教
頭)で左派系統一候補の吉田光正が教職員会の組織的支援を受けて民主党候補
に倍以上の差をつけて当選したため、行政府と民主党は教職員会に対する警戒
感を強め、この問題をめぐって左右の対立は先鋭化した。
こうした状況の下、1967年1月25日、立法院文教社会委員会で民主党が警官隊を
導入して教公2法案を強行採決すると、翌26日、沖縄教職員会緊急合同会議は、
会長の屋良朝苗の制止を振り切って“10割年休行使”を決定。これにより、教
職員全員が年休を行使し、沖縄全域で学校が休校に追い込まれた。
さらに、2月1日の立法院定例会の開会にあわせて、(“年休闘争”中の)沖縄
教職員会は立法院前の泊り込みで対抗し、審議の物理的な妨害を試みた。
それでも、2月23日に民主党は議会運営委員会で強行採決を行い、翌日から本
会議を開催して教公2法を正面突破で可決成立させようとしたが、教職員会は2
月24日午前3時頃から立法院前に集結し、2万数千人を動員が立法院を包囲した。
このため、警官隊は教職員を一旦は排除することに成功し、与党議員団や議長
も院内に入れることができたが、暴徒化した教職員は警察官に襲い掛かり、警
察の警戒線を突破。デモ隊は立法院を暴力的に占拠し、現場は無警察状態に陥っ
た。
ここに至り、行政府と民主党は教公2法の成立を断念し、立法院議長は午前11時
に本会議中止を決定した。しかし、その後もデモ隊は退去せず、午後6時、与野
党間で事実上の廃案協定が結ばれた。
教公2法を阻止したことで、教職員会は“勝利”を宣言。会長の屋良は革新のヒー
ローに祭り上げられる。
一方、事態を重く見た松岡は、1967年3−4月、訪米して国防長官のロバート・
マクナマラ、国務長官のディーン・ラスクらと会談。復帰問題についての要望
を伝えるとともに、左派勢力の伸長を抑えるためにも、米国の援助拡大のほか、
基地整理縮小などが必要であることを訴えた。さらに、大統領のリンドン・ジョ
ンソンと対談した際には、主席の直接公選制導入なども求めている。
こうした動きと並行して、1967年12月9日、民主党は松岡総裁のまま“沖縄自由
民主党”へと党名を変更し、本土の自由民主党との連携を強めつつ、主席公選
が実現した暁には那覇市長の西銘順治を擁立すべく、着々と準備を進めていっ
た。
1968年1月、大統領命令第12263号が発せられ、2月1日、フェルディナンド・ア
ンガー弁務官は同年11月の立法院選挙と併せて主席公選を実施することを正式
に発表する。ちなみに、立法院と主席の選挙権は20歳以上、被選挙権は30歳以
上で、主席公選制の導入に伴い、沖縄における参政権も“琉球住民”から“日
本国民”に拡大された。
主席選挙の実施が発表されると、3月5日、沖縄自民党は西銘の擁立を正式に
決定し、事実上の選挙戦がスタートする。
また、西銘の主席選挙立候補に伴い、那覇市長選挙も併せて行われることに
なり、1968年11月から12月にかけて、主席選、立法院選、那覇市長選の“3大
選挙”が行われることになった。
主席選に関しては、西銘の対立候補として、左派系の野党3党が沖縄教職員
会会長の屋良朝苗を“革新統一候補”として擁立したほか、無所属で公認会計
士の野底武彦が立候補したが。事実上、西銘と屋良の一騎打ちだった。
屋良は、1902年12月13日、沖縄県中頭郡読谷村字瀬名波生まれ。1930年に広
島高等師範学校(現在の広島大学)を卒業後、沖縄県女子師範学校、沖縄県立
第一高等女学校、台北第一師範学校、州立台南二中などで教職を務めた。米施
政権下では、沖縄群島政府文教部長、沖縄教職員会長などを歴任し、1968年4
月3日、主席選での革新統一候補指名を受諾する。
屋良の選挙戦は、前年(1967年)の東京都知事選で社会党・共産党推薦で立
候補・当選した美濃部亮吉の選挙戦術に倣い、形式上は“無所属”候補として
政党色を前面に出さず、シンボルマークやシンボルカラー(黄色)を打ち出す
イメージ戦略を徹底するものだった。
屋良陣営は、5月28日、後援会として“屋良さんを励ます会(会長・平良辰
雄)”を結成し、6月5日には沖縄教職員会、左派系3党、労組、民間団体な
ど104団体が選対本部として“明るい沖縄を作る会(革新共闘会議)”を結成し、
有権者に対して、政治家としての能力・実績にはほとんど触れず、“親しみや
すさ”を強調した。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20231225112317a39.jpg
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20231225112314c64.jpg
は屋良陣営が有権者に出した選挙葉書だが、“みんなのヤラさん”の文言の下
に屋良の顔写真を配し、以下のような文言が印刷されている。
主席には
この人ヤラを
長いあいだの
われわれの
血の叫びを
希いを
あなたと
わたしの手で
ヤラ主席の誕生によって
実現しよう
選挙葉書の文面には具体的な政策の提言や公約などは何一つ書かれておらず、
屋良陣営があくまでも抽象的なイメージ戦略で押し切ろうとしていたことがわ
かる。
もっとも、屋良は「あまり現実から遊離すると、相手につけ入れられるおそ
れがある」として「安保反対・基地反対」に修正させたが、その“基地反対”
でさえも左派勢力の間では即時撤廃から段階的縮小までかなりの幅があり、具
体的な政策論を詰め始めると一挙に共闘関係が崩壊しかねない状況だったから、
こうした戦術を取らざるを得なかったという面もあった。
一方、西銘を擁する沖縄自民党は、自立経済が達せられない中での復帰は時
期尚早であり、屋良が当選すれば、戦前のように芋を食べて裸足で歩く生活に
戻るとする“イモ・ハダシ論”を展開して、左派に対抗した。
また、1967年の教公2法問題で教職員会によって法案廃止に追い込まれたこと
への反省から、教職員会に対する分裂工作も盛んに行われ、1968年4月には八重
山教職員会を脱退した約70名が八重山教職員協議会を結成したほか、教職員の
政治参加の是非を選挙戦の争点の一つとして訴えた。
さらに、沖縄の選挙には本土の与野党ともに閣僚や党首クラスの大物政治家
だけでなく、タレントや文化人も動員して激しい選挙戦が展開された。
そして、11月10日に行われた主席選は、屋良が23万7643票、西銘が20万6209
票、野底279票という結果になり、屋良が初代の民選主席に選出された。
なお、同時に行われた立法院選挙については、次回、詳述する。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房。電子
書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテー
マ21などがある。
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■編集後記
今日はクリスマスだが、朝起きてもプレゼントがない。ランボルギーニが欲し
いと50年お願いしていますが、サンタさんはまだプレゼントしてくれない。待
ちくたびれましたw
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第87回「目録規則の大転換」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第174回 雨が好きな犬
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 吉上恭太さんの新著をご紹介します。【訂正 版】
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第19回 向前一小歩、文明一大歩
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第87回「目録規則の大転換」
こんにちは。
いきなり寒くなったりいきなり暖かくなったり、気候が乱高下していますが、
みなさまにはお変わりありませんか。
間もなく年末を迎えるところで、勤務先の講義も佳境を迎えています。勤務先
は前後期制ですが、1月末に定期試験が入るため、そろそろ学業は追い込みで
す。
わたしが受け持っている講義は司書資格を取得するためのものがほとんどです
が、この数年この時期になると「情報資源組織論」という講義の内容が「難し
い」という声が学生から寄せられます。この講義は、むかしで言うところの
「分類・目録論」つまりは図書館業務における必須のツールである「日本目録
規則」と「日本十進分類法」を中心に学ぶ講義ですが、2018年の暮れに『日本
目録規則2018年版』が出版されるに及んで講義の内容に大幅な変更がもたらさ
れることになりました。いささか旧聞に属しますが、ちょっとこのことについ
て書いておきます。
それまでの国内標準だった『日本目録規則1987年版』までの「日本目録規則」
は、「目録カード」に目録を記録して「カード目録」を作成することを原則と
して規則が策定されており、1987年版では目録の作成と提供の電算化への対応
が図られてきましたが、図書館が扱う資料(図書館資料)が筐体のある電子資
料(CD-ROMや電子辞書など)からインターネットを通じて提供される「ネット
ワーク情報資源」をも包摂するようになり、図書館に所蔵がないものも図書館
資料として図書館が提供できるように基盤を整備する必要が出てきました。
そこで、世界標準となる目録規則の考え方を、これまでのそれから根本的に転
換することになる「書誌レコードの機能要件」
(Functional Requirements for Bibliographic Records、略称はFRBR)が
1997年に国際図書館員連盟(IFLA)から公表されます。これは「実体関連モデ
ル」(ERモデル)という概念モデルを目録規則の基本として採用し、目録を
実体(entity)、属性(attribute)、関連(relationship)という3つの要素
から構成する、という、『日本目録規則1987年版』とその基礎になっていた
「国際標準書誌記述」(ISBD)までの、書誌記述の組み立て方をガラガラポン
してしまう、という重大な転換を迫るものになりました。
FRBRは、のちに他の派生モデルを統合して2017年に「IFLA LRM」
(IFLA Library Reference Model、IFLA図書館参照モデル)となります。
この「実体関連モデル」を導入した目録規則として、『日本目録規則2018年版』
が成立したわけですが、その細かい内容はとてもここで書き尽くせるものでは
なく、また2018年版自体が未成品であり(一旦は書籍の形で公表されましたが
それとて未完成であり、その策定はいまだ途上にあります。策定されたものは
日本図書館協会目録委員会のページで三々五々公表され続けています)、その
図書館業界における実装がいつになるのか、正直なところわたしには見当もつ
きません。
わたしも以前から目録規則は最後まで勉強と決めていましたが、それにしても
だんだん付いて行けなくなっています(苦笑)。いやあしんどい。しんどいが
がんばるしかアルマイト(汗)。
ではでは、また次回。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第174回 雨が好きな犬
不眠症に悩まされている。寝付くことは寝付くのだけど、夜中過ぎに目がさ
めてしまい、それからまんじりともしないで朝を迎えてしまう。もともと不安
症の癖があって、ちょっとしたことがプレッシャーになって、胸がわさわさと
苦しくなってしまう。眠れないとついついYouTubeでお笑いなどを見てしまっ
て、結局寝そびれてしまうことが続いた。これはいかん、というわけで老眼が
ひどくなったためやめていた読書にもどることにした。
最近、枕元に置いているのは、詩集、エッセイ集、そして『雨犬』
(文 外間隆史 版画 柳本史 未明編集室)という絵本。枕元の積ん読本は
地震があったときに危険なので、ほどほどにしておこうと思います。
『雨犬』は、ネットで見かけたとき、カバーの版画がものすごく気に入ってし
まった。犬を抱いた青年の版画なのだが、青年の犬を愛おしむ表情と犬のとま
どった様子を見て胸をぎゅっとつかまれてしまった。
一匹の老犬「雨犬」が若いペンキ職人と出会い、静かな暮らしをはじめる。
その日々をたんたんとつづった物語。つつましいけれど、詩と音楽そしてコー
ヒーに彩られた豊かな時間が過ぎていく。
ああ、こんなふうに一日を過ごせたらいいのになあ、と布団の中で急きたて
られるように過ぎていった自分の一日を思う。
『雨犬』を読んでいるといつもほろりと泣いてしまう。涙には、コルチゾール
というストレス成分を低下させる作用があって、だから泣くとデトックスにな
るらしい。寝る前に読むには最適な本みたいだ。
ところで、ぼくは「5分に1回、ため息をついている」と、つれあいにクレ
ームをつけられる。ネットで調べたら、ため息は深呼吸と同じで、体に酸素を
満たして神経のバランスを取ってくれるらしい。ため息をついても、見逃して
ほしいなあ。
「雨犬」は記憶を収集している。人が切手を集めるように。新鮮なものもあれ
ば、ヴィンテージもあるという。
「雨犬」はぼくの記憶も呼び起こしてくれる。
ペンキ職人が拾ったニール・ヤングのレコード。「なんとかという歌」はと
ころどころ傷があって、いい匂いがした。巻末に注があって、その歌はアルバ
ム「AFTER THE GOLD RUSH」の「ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART」と書いて
あった。中学生のときに、初めて買ったニール・ヤングのアルバムで、いちば
ん好きな曲だった。
昔、「ヤング720」という朝のテレビ番組があって、岸辺シローと
ブレッド&バターのふたりがいっしょに組んでいたSHIRO,BREAD & BUTTER が
この曲を歌ったことがあったなあ。ハーモニーが美しかった! そのあとに
「野生の馬」を歌ったように思う。名曲だと思う。
そんな何十年も前の記憶があざやかに蘇ってくる。テレビが置いてあった洋
間、ぼくはソファに座って、たぶん朝食のトーストをほおばりながら見ていた
のだと思う。横には父親が座っていたかもしれない。そんなささいな記憶がぼ
くのノスタルジーを刺激してくる。「雨犬」がつれてきた「記憶」だ。
池間由布子、ジョアン・ジルベルト、ジョニ・ミッチェル、ジュディ・シル
など登場する音楽はぼくにも耳馴染みがあるものばかりだ。それにしても、ぼ
くの好みの音楽を知っているようにも思える、『雨犬』のテキストを書いてい
る人はどんな人なんだろう?
外間隆史は、音楽プロデューサーとして活動していた人だった。ぼくが知ら
なかっただけかもしれないな。遊佐未森のプロデュースもしている。どうりで
『雨犬』の物語を通して、静かな音楽がバックグラウンドに流れているような
気持ちになったのも、なるほどだな、と納得した。
『雨犬』を読むたびに胸がいっぱいになったのは、ぼくにも老犬と別れたこと
があるからだろう。
その柴犬の子犬は車に轢かれたのだろうか、ガソリンスタンドのかたすみで
うずくまっていたそうだ。ガソリンを入れにきた叔母が見つけて、急いで獣医
に連れて行った。獣医は、治療するにはかなりの金額が必要だといって安楽死
をすすめたのだが、結局 、子犬はうちで飼われることになった。
バンと名付けられた柴犬は、まるでぼくの弟のように育てられた。
それから十数年が経ち、うちに来た当時推定生後半年だったバンは、老犬に
なっていた。澄んだ瞳は白く濁り、視力はほとんどなくなっていた。それでも
ぼくを見つめる瞳には、「信頼」の光が宿っていた。そうだった。どんなこと
があっても、ぼくのことを信用して、ぼくのいうことを理解しようとしている
瞳は、いつも変わらなかった。そして辛かったときのぼくを救ってくれた。話
しかけると、耳をこちらに向けて、じっと目を見てくれた。
犬がどんなことを考えているかなんて本当のところはわからないけれど、ぼ
くのことを疑っていないことは確かだった。だから、バンの気持ちを裏切るこ
とはしたくなかった。お互いを信頼することを大切にしたかった。
足が弱って歩くこともままならくなってからも、バンは夜中に起き出して外
に行きたがった。庭に出してやると、バンは夜空を見上げるようにして、鼻を
つきだして、くんくんと風の匂いをかいでいた。そのすがたは、この世と別れ
ることを惜しんでいるようにも見えた。
『雨犬』を読むとき、もう何十年も別れたバンのことを思い出し、そして自分
も老人になったことを思う。ぼくも記憶を拾いながら生きていこうと思う。
ハン・ガンや原民喜の詩を読んでみよう。シューベルトのピアノ・ソナタ集
第一三番イ長調は、エリザーベト・レオンスカヤのものがなかったので、とり
あえずアシュケナージのアルバムを買ってきた。
雨犬のように静かに過ごして、ぼくもペンキ職人の青年に出会いたい。
先日の古書ほうろうでの拙著『ぼくは「ぼく」のようにしか生きられない』
出版記念トークは、無事に終わりました。来てくださった方、気にかけてくだ
さった方、みなさん、ありがとうございます。
挿絵を描いてくれた漫画家の山川直人さんとのトークは楽しかったです。
予定では、ふたりの幼いころから現在に至る道のりを話すことになっていたの
ですが、山川さんもぼくも真面目にきちんと話そうとすると、結果、ダラダラ
トークになってしまって時間があっという間に過ぎてしまいました。子ども時
代の話で時間切れとは……。緊張していたのか、時計を見る余裕もありません
でした。すみません。
「漫画をずっと描いていたいから、漫画家という職業を選んだ」と中学生のと
きから、将来のことを決めていた山川さん、ぼくの人生の向き合い方とまるで
違っていたし、本作りを銀行強盗団に喩えたり、山川直人ワールドはやっぱり
面白い!
山川直人さんの『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』装画原画展
場所 古書ほうろう
会期 2023年12月8日(金)〜12月29日(金)12〜20時
[会期中の休み]定休月火のほか、12/20(水)
https://horo.bz/event/yamakawa-kyota_20231205/
お知らせばかりですが、もうひとつ!
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』の刊行記念トークショー第二弾があり
ます。
豪徳寺の書店「七月堂古書部」で開催していただくことになりました。今回は、
音楽紙芝居でお馴染みの茂木淳子(音の台所)さんが出演してくれます。同じ
世田谷で育った同世代の茂木さんとのトーク、そして朗読も楽しみです。
2024年1月28日(日)です。
詳しくは
https://note.com/shichigatsudo/n/nc566164d3000
開催日:2024年1月28日(日)時間:昼:13時〜14時/夜:18時30分〜19時30分
(オープンは各回スタートの30分前)
場所:七月堂古書部 参加費:各回1500円(当日精算)
定員:各回10名
よろしくお願いします。
◎吉上恭太
文筆業。
エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない人生論』
(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社
では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)も
よろしくお願いします。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログ『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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寒くなってきました。最近は暖冬とはいっても、寒い日に空が曇っていたり
雨模様だったりしたら、なんだか鬱々とした気分になってしまいます。こちら
夏が好きな人間なもので…。今月はそんな塞いで(私が勝手に塞がっただけ?)
凝り固まった気分を少しもみほぐしてくれるこちらです。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』、吉上恭太、かもがわ出版、2023
というわけでこの記事の上に書かれている記事の著者、吉上恭太さんの新著
です。今回は自身の今までの人生を回想した内容を中心に書かれたエッセイ集
になります。
軽音楽同好会に入ってギターばかり弾いていた高校生の頃、豪華メンバーと
一緒にライブも経験した予備校生を経て、完全に大学受験をはなれてアメリカ
に渡ったことなど、若き日のことから書かれています。アメリカ時代には
バークリー音楽院で音楽の勉強もされていたんですね。
ただこの時代はあまりご自身にとってはしっくりと来ていなかったようです。
上に書いたものだけ読むとすごい経歴ではありますが、反面高校から大学へと
いうルートから外れてしまったこと、音楽仲間との力の差、次第に音楽を学ぶ
のがしっくりこなくなり、後半は記憶もおぼろげなアメリカ時代など、楽しそ
うではありますが、葛藤するところも多かった時代だったようです。
そんな鬱屈していた吉上青年に別の世界を切り開くことになったのが、義理
の叔父さんであるアートディレクター堀内誠一の「働けばいいじゃない」とい
うひとことでした。働くという言葉を聞いて、「頭の中に風が吹いたような気
がした。」(p,53)と書かれています。
そこから野球雑誌編集部で働き始めるようになり、日々もいきいきとしたも
のになっていきました。編集部の人たちも個性的な人たちが多かったようで、
先輩記者はその編集部のことを、1970年代のニューヨークヤンキースの個
性派集団を表す「ブロンクス・ズー」という言葉で例えています。
野球雑誌編集部時代といえば、メジャーリーグのオールスターゲームを現地
取材に行った際のドタバタ劇もなかなかのものですが、コラムニストの常盤新
平さんとの思い出も欠かすことはできませんね。新宿駅まで謝りに来る常盤
さんはとりわけ印象深いです。
そういう方々にもまれて吉上さんも文章を書いたり、アメリカからのテレッ
クスを読んだりと、後々の文筆や翻訳に続く素地ができていったわけですね。
もっとも新編集長の方針に対して納得がいかず、「ひとりストライキ」を宣
言してその雑誌社は退職してしまうわけですが…。
次のことなど全く考えず思い切って退職。となるところが若き日にいろいろ
やりながらもどこか鬱々としていた時との違いでしょうか。「頭の中に風が吹
い」ていたからできたことのような気もします。辞めたらまた「働けばいい」
のだ。
吉上さんは最後に「ぼくは野心や大志など持たずに流されるように生きてき
た」「いやなことから逃げてばかりの人生」(p,181)と書いています。
それはご自身で振り返った一面ではそうなのかもしれませんが、人との出会い
を大事にしたり、知らない人たちの中にも人見知りせず入っていったりとい
った点は、人見知りが服を着て歩いているような私からしたら素直にすごいな
あと思いますね。
それは鬱々としていた若き日からいろんな音楽仲間がいたり喫茶店に出入り
したり、渡米先でもいろいろな友人がいたりというのもそうですし、「ブロン
クス・ズー」の面々や常盤さんもそうだと思います。思い切って退職したのち
に翻訳の仕事を始めるきっかけをくれたのも、野球雑誌編集者の先輩でしたし
ね。そこは人との縁を大事にしていたからこそです。
ただし「このチャンス逃すまじ」と肩に力をいれたり、仕事の上で必要だか
らと言って「人脈」を作ったりしていくのとは異なります。あくまで縁ありき
なのが吉上流(と言っていいのでしょうか)と思います。
野球雑誌編集部を退職してから、ロマンス小説の翻訳をしたり、児童書の出
版社に勤めたり、少女漫画の原作をしたり、絵本の翻訳もされ、さらには音楽
活動もされていくわけですが、そこから先の有為転変は読んでのお楽しみと
いうことで。
また母である内田莉莎子の訳した『てぶくろ』・『おおきなかぶ』などが
ウクライナとロシアの戦争とともに記憶されてしまうことへの悲しみ、あるい
は戦場帰りだった教師の雑談の話などから吉上さんの平和への思いも見ること
ができます。
私も今後は(も?)野心や大志など抱かず、いやなことから逃げてばかりで
生きていこうかと思います。(間違った結論ですね。)それは冗談としても、
未来に不安ばかり感じずに、吉上さんのように流れのままに生きていけたらい
いなと思います。もしかすると流されてすらおらず水たまりにいる可能性もな
いとは言えませんけど。とりあえず頭の中に風を吹かせたい。
本書のサブタイトルは「役に立たない“人生論”」となっています。本来読
んだ本が役に立つかどうかはそんなに重要なことではないですが、そういう
風な人生の歩き方もあるということを知るだけでも、ちょっと気持ちが軽くな
ります。吉上さんには不本意かもしれませんが、意外と役に立っちゃうかもし
れませんよ。
ご親交の厚い山川直人さんの装画と挿画も素敵ですので、ぜひ書店でお手に
取ってみてください。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第19回 向前一小歩、文明一大歩
〈中国公安部は21日、ミャンマー北部を拠点とした中国人に対するネット詐欺
犯罪が深刻な状況にあることを受け、雲南省などの警察機関に国境警察任務・
法執行協力を持続的に進めるよう手配し、複数回にわたる摘発を連続して実施
したと明らかにした。ミャンマー北部の関連地域の法執行部門がこれまでに中
国側へ引き渡した詐欺容疑者は、資金提供者や組織幹部など63人、指名手配中
の逃亡者1531人を含む3万1千人に上り、摘発は目覚ましい成果を上げている。〉
2023年11月22日にAFPが配信した「ミャンマー拠点のネット詐欺、中国への容
疑者引き渡し3万1千人」と題されたニュースである。2022年12月1日に「中
華人民共和国反電信網絡詐騙法」が正式に実施されたことを受け、ミャンマー
北部でインターネット詐欺にかかわっていた数多くの人びとが捕らえられ、
中国の公安に引き渡された。AFPが配信するよりも早く、11月18日の朝には、
駅に整列させられた「犯罪者」の写真がインターネット上を飛び交った。衝撃
だった。何百人もの数え切れないほどの「犯罪者」が、黒い帽子を被らされて
後ろ手に手錠をかけられている。写真の撮られた場所が浙江省金華の義烏や安
徽省合肥の駅だったのは、中心となっていたのが山東省の公安機関だったから
なのだろうか。
起きてすぐスマートフォンでこのニュースを眼にした私がまっさきに思い出し
たのは、「現代の国民国家は統治権を盾に、政治権力を国境まで最大限に投射
できるよう、統治権が薄弱な外縁地帯をすべて統治下に編入することに躍起に
なっている」というジェームズ・C・スコットの言葉だった。何百人もの人び
とを「犯罪者」として駅に整列させる権力とは、まさしく「現代の国民国家」
の「統治権」にほかならない。
『ゾミア 脱国家の世界史』でスコットが対象としたのは、「ベトナム中央高
原からインド北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の五カ国(ベトナム、
カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ)と中国の四省(雲南、貴州、広西、四川)
を含む広大な丘陵地帯」である。ここ最近は「ゾミア」と呼ばれるようになっ
ているらしい。ゾミアはチベット・ビルマ系言語に共通する語で、「ゾ」は
「奥地」や「山地での暮らし」を、「ミア」は「人びと」という意味を表して
いる。
「東南アジア大陸部の山塊(マシフ)とも呼ばれてきたこの地域は、いかなる
国家の中心になることもなく、九つの国家の辺境に位置」していた。「約一億
の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様」である
「ゾミアは、国民国家に完全に統合されていない人々がいまだ残存する、世界
で最も大きな地域」でもある。しかしスコットは、「このさきゾミアが非国家
圏であり続けるのもそう長くないだろう」とも記していた。スコットの暗い予
感は、ゾミアの一部であるミャンマー北部に巣食う「犯罪者」を一網打尽にし
た中国の公安によって、見事なまでに現実化されてしまった。「今日、国家の
外に生きるという選択肢は急速に消滅しつつある」というスコットの言葉が重
く響く。その言葉の現前を、私はスマートフォンの画面越しに眼にすることに
なったのである。
スコットの議論で重要なのは、ゾミアに暮らす「山地民」が「平地住民」の前
段階ではなく、また原始的な段階でもないということを、400頁に及ぶ大著で
明らかにした点である。彼らが事とした焼畑農業や狩猟採集は水稲農業よりも
遅れているわけではない。それは水稲農業を中心に低地に誕生した国家によっ
てもたらされた進歩主義的な歴史観にすぎない。水稲国家は人びとを階級的に
支配し、とりわけ「納税、徴兵、賦役」によってコントロールする。そうした
国家から逃れようとした人びと、すなわち元は平地の住民であったのだが、
「国家の周縁に暮らすことをあえて選択してきた」人びとが、スコットによれ
ばゾミアの住民だった。それゆえ彼らが保持しているイデオロギーには、「国
家からの逃避と国家建設の阻止」が染み込んでいたのである。
もちろんゾミアは低地の国家と無縁の桃源郷などではない。戦争や交易などを
通して、低地の国家とは交流し続けてきた。「彼らが回避しているのは国との
関係そのものではなく、国家の支配下に陥ること」であったからだ。それゆえ
国家の外に生きることを意志的に選択したゾミアの人びとは、国家の統治する
領域からしたたかに逃れ続けた。「避難地帯」としてのゾミア──網野善彦が
『無縁・公界・楽』で論じた権力の「隙間」としての「アジール」を想起させ
る──を論じた箇所で、スコットは次のように指摘する。
〈中国の勢力範囲が拡大すると、最前線にいた人々は吸収され、やがて漢民族
になったか、もしくは反乱に失敗した後にさらに遠く奥地へと移動した。逃避
した人々は、一定の期間にわたって独自の社会を作りそれを維持した。これを
移動による「自己周縁化」と呼ぶこともできるだろう。〉
ここで述べられている「自己周縁化」を選択した人びと、それが「反電信網絡
詐騙法」によって中国に連行された何百人もの「犯罪者」だったのではないだ
ろうか。彼らはゾミアと呼ばれる地域に生まれたわけではない。おそらくは生
きていくために、あえてミャンマーの北部に足を踏み入れ、「インターネット
詐欺犯罪」という形で低地の国家との関係を保った。国家の外部からであって
も、法を犯したことには変わりない。国家に連行されたのなら、その法で裁か
れることはいかんともしがたい。しかし彼らの存在は、「国家の外に生きると
いう魅力的な選択肢を人々につねに提示していた」ゾミアの存在を私に改めて
想起させた。
スコットはみずからのゾミアに関する議論が「第二次世界大戦以後にはほぼま
ったく通用しない」と述べていた。鉄道や電話、あるいは電信などの「距離と
いう障壁を取り除く技術」が国家によって大規模に活用されるようになったた
めである。しかし『ゾミア』では20世紀後半の事例も、たとえば次のようにし
ばしば登場する。
〈二〇世紀になると、中国で成功した共産主義革命は、これに敗れて中華民国
へ移った国民党軍という新しい移民を作り出した。国民党軍は、ラオス、ビル
マ、中国、タイの国境に接していて今日「黄金の三角地帯」として知られる地
域にとどまり、山地民と結託してアヘンの交易のかなりを支配するようになっ
た。〉
「全天候型道路、橋、鉄道、航空機、近代兵器、電信、電話、GPSを含む最新
型情報技術など、距離という障害を無効化する技術」の発達によって「「無国
家」空間の消滅」がいかに進められようとも、ゾミアは「国家の外に生きる」
希望を実現する可能性を有した空間として存在していたのである。しかし国家
システムが必要とするインターネットを巧妙に活用した「犯罪者」たちは、強
大な国家権力の手に落ちてしまった。もしかしたら2023年11月は、ゾミアの可
能性が真の意味で閉じられてしまう始まりの日として記憶されることになるの
かもしれない。
中国を追われた国民党軍が、「山地民と結託してアヘンの交易のかなりを支配
するようになった」という箇所を読み返して思い出したのは、1冊の写真集だっ
た。
2006年6月から9月にかけて、写真家の呂楠はミャンマー北部のシャン州にある
刑務所と、漢民族が多く住むコーカン特区にある更生施設で写真を取り続けた。
日本で呂楠は馬小虎という名で知られているらしい。代表作は『被遺忘的人』、
『在路上』、『四季』の三部作である。中国の精神病院における精神病者のあ
りさまを赤裸々に撮った『被遺忘的人』。中国の地方でカトリックの信仰を保
持し続ける人びとを収め、隠れキリシタンを想起させずにはいられない
『在路上』。そしてチベットの農民の日常生活のドキュメンタリーでありなが
ら詩情に満ちた『四季』。これら三部作を完成させた後、呂楠が向かったのは
ゾミアの地、ミャンマー北部にある監獄だった。
『緬甸監獄Prisons of North Burma』の「前言」で呂楠は、「コーカンの地は
ミャンマー北部の辺境であるため、ミャンマー政府が効果のある統治を実行し
得たことは一度としてなかった。これまでの数百年にわたって、この地は絶え
間ない戦乱にさらされ続けていたのである」と書いている。言葉こそ使ってい
ないものの、呂楠はそこがゾミアであることを明晰に意識していた。そうした
地に作られた監獄で呂楠のカメラが捉えたのは、麻薬を吸ったり販売したりし
たことによって捕らえられた人びとだった。
〈コーカンの庶民はかつて戦乱の苦しみを味わってきた。現在ではケシの栽培
が禁じられた後の貧困と飢餓に苦しめられているだけでなく、新しい麻薬と旧
来の麻薬が大量に流入したことによってもたらされた社会問題に直面している。
ケシの栽培が禁止される以前、コーカンは人びとの関心を集めていた。ケシの
栽培が禁じられてからは忘れられた一角となってしまった。彼らには国際社会
の援助が必要であり、それがなければ困難な状況から抜け出すことはできない
だろう。〉
「コーカンの人びとは中国語を話す」と書いているから、呂楠は被写体となっ
た人びとと対話をしながら写真を撮ったのだろう。麻薬を吸引する2人の若い
女性を撮った写真から始まる写真集は圧巻である。ヘロインを打つ父親とヘロ
インを子どもに与える母親、捕まって檻の中で無気力な視線を漂わせる5人の
男たち、ヘロインの発作のため監獄の中庭で倒れてしまった男、両足を鎖でつ
ながれたまま歩く男と野良犬、中毒のため精神に異常をきたして眼をつぶった
まま服の襟元を齧る女、牢獄で無気力に座る4人の女と6人の子どもたち、足に
つけられた鎖以外は一糸まとわぬ姿で水浴びをしようとバケツに手を伸ばす女
性、銃を持つ兵の前でシャベルを抱えて上半身裸でぼんやりと佇む男……。こ
こに刻印されているのは、国家権力に絡め取られたゾミアの末路であるとでも
いえばよいのだろうか。
『中国撮影 二十世紀以来』に収められた顧錚「現実と観念の間で 1980年代
における現代中国における写真」によれば、1990年代から中国では「社会観察
と批判の手段としてのドキュメンタリー」が重要な撮影手段のひとつとみなさ
れるようになった。同時に顧は、そうした「カメラマンの中には猟奇的な題材
をことさらに偏愛し、社会に存在する奇異な景観を撮ることによって、社会で
送られている本当の日常生活を隠蔽してしまうことになった人もいた」という
批判も記している。その名があげられているわけではないが、顧の念頭には、
おそらく精神病院や監獄を題材にドキュメンタリーを撮り続けた呂楠があった
にちがいない。辺境の地の監獄を、幸福な「日常生活」を覆い隠す「猟奇的な
題材」として退けるのか、それともゾミアから国家権力への異議申し立ての実
践としてとらえるのか。呂楠の写真によってあきらかにされるのは、観る者の
生き方である。国家とのかかわり方である。
中国大陸で、みずからの生物学的な性別が男であると自認している者であれば、
必ず眼にする標語がある。「向前一小歩、文明一大歩」。男性用の小便器の前
に掲げられている標語である。小さな一歩が文明への大きな一歩。トイレを清
潔に保つことは「文明」的であり、それが出来なければ「野蛮」とみなされて
しまう。だから用を足すには一歩前に出ることが「文明」人の必須条件となる。
「文明」人にあらずんば中国人にあらず。上海の街を歩いてみるがいい。
「創建文明城、共享城市文明」、文明的な都市を建設し、都市の文明を共有し
よう。「中華伝統美徳 文明礼儀」、中華の伝統的な美徳は「文明礼儀」であ
る。中国の街のいたるところに、男性用トイレに限らず、「文明」を謳った標
語が掲げられている。さすがは「礼儀」の思想家・孔子を生んだ国である。し
かしスコットは次のように書いている。
〈野蛮人のなかで生きることは気にならないのかと尋ねられたところ、孔子は
次のように答えた。「君子之に居らば、何の陋しきことか之れあらん(教養人
がそこに住むならば、〔周囲の人を感化するだろうから〕どうして野卑なこと
があろうか)」。この文明論には目を見はるものがある。ここでは、唯一無二
の文化の頂点まで上りつめることだけが語られ、それ以外の異なる、しかし等
しく価値のある文明など認められていない。よって文明化された二つの文化の
併存などには考えもおよばない。〉
「国家の内部に生きるのか、外部に生きるのか、それとも中間部に生きるのか」
という問いをスコットは投げかけていた。私は今、日本国籍でありながら日本
国家の外部で暮らしている。とはいえ、そこもまた国家の外部ではない。ゾミ
アに赴く気概も、もちろん持ってはいない。そんな私は「中間部に生きる」こ
とが関の山だ。スコットには『実践 日々のアナキズム』という好著もある。
私はスコットに倣って、日々の実践において、国家が押し付けてくる
「唯一無二の文化」としての「文明」にせいぜい抗っていくしかない。
尿意をもよおした私はトイレに駆け込み、小便器の前に立つ。標語が目に入る。
私はみずからの意志で一歩下がって放出する。むろん小便器の周囲を汚すこと
はしない。傍から見れば結果は同じである。大同小異とせせら笑われても仕方
がない。しかし後ろへの一歩には、私の信念が込められている。前に進むこと
だけが「文明」への道ではない。退いても「文明」的でいられるはずだ。前の
めりの「文明」ではない後ろ向きの「文明」があってもいいではないか。退歩
によって国家の想定を超えた距離を保持する。そして私は別種の「文明」のあ
り方を、小便器の前にたたずみながら模索する。
【本文中で言及させて頂いた本】
ジェームズ・C・スコット『ゾミア 脱国家の世界史』佐藤仁監訳、
みすず書房、2013年10月
網野善彦『増補 無縁・公界・楽』平凡社ライブラリー150、
平凡社、2016年10月
呂楠『被遺忘的人』、中国民族撮影芸術出版社、2014年9月
呂楠『在路上』、中国民族撮影芸術出版社、2014年9月
呂楠『四季』、中国民族撮影芸術出版社、2014年9月
呂楠『緬甸監獄』、中国民族撮影芸術出版社、2015年6月
栄栄他編『中国撮影 二十世紀以来』、中国美術学院出版社、2016年5月
ジェームズ・C・スコット
『実践 日々のアナキズム 世界に抗う土着の秩序の作り方』清水展・日下渉
・中溝和弥訳、岩波書店、2017年9月
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
冬 八木重吉
悲しく投げやりな気持でいると
ものに驚かない
冬をうつくしいとだけおもっている
いつも遅れてばかりで皆様にご迷惑をおかけしてすみません。
いろいろあり過ぎて追いつかずに暮れようとしている2023年です。
どうぞ健やかに、よいお年をお迎えください。 畠中理恵子
【追記】
副隊長さんの記事に表記の誤りが多々あることが判り、【訂正版】として、
表記を正し改めたものと差し替えました。今回の誤りは全て、編集人である
畠中の責任です。副隊長さん、読者の皆様、本のメルマガ同人の皆様、
本のメルマガ管理人様に心よりお詫び申し上げます。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
畠中理恵子
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★トピックス
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その87「とても語れない作家」その2 アストリッド・リンドグレーン
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 権力に対抗する「秘密」―水田宗子『吉原幸子 秘密の文学』(思潮社)
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その87「とても語れない作家」その2 アストリッド・リンドグレーン
前回も書いたのだが、物語の中に描かれた食べ物があまりにおいしそうで、
その物語を読むことがまるでその物語を食べているような気分になる作家がい
る。その一人が、リンドグレーンだ。そして彼女の作品において最もおいしそ
うなのが「やかまし村」のシリーズだろう。三家族しか住まない高い山の上の
「やかまし村」に住む六人の子供たちの物語なのだが、学校に行く、大村にお
使いに行く、川や湖に遊びに行く、夏休みの最初の日に釣りをする、等々とい
う日々の生活は楽しさに満ちていて、美しい挿絵と相まってその生活や彼らを
取り巻く自然の様子が体のすみずみにまでしみこんでくるような印象を受ける
物語なのだ。クリスマスや、メイポールを建てる夏至のお祭りや、ザリガニ釣
りなどのいかにもスウェーデンらしい行事も魅力的だが、なんてこともない日
常生活の子供らしいやりとりが、遠い日本の子供の自分にも覚えがあるようで、
うなずきながら読んでしまうのだ。ああ、激しく憧れの心を揺さぶる物語とい
うものは、なぜその物語の中の人物たちにとっては日常の出来事なのだろう?
例えば村の果樹園にはサクランボの木があるのだが、そのうち何本かは子供た
ちのものだとされていて、そこからいくら採っても食べてもよいという決まり
なのだ。ある日、子供たちは道路上でかご入りのサクランボを売るということ
を思いつく。こどもたちの木だから、大人は誰も止めたりしない。それぞれの
木のサクランボを採ってかごに入れ道路脇に立つのだが、最初はどの車も止ま
ってくれないで、ほこりを浴びるだけだった。けれど、あれこれ工夫して車に
止まってもらえるようになると、サクランボは飛ぶように売れていく。車から
降りてきたある人など、かごいっぱいのサクランボを買って行き、
「これでうちのおくさんにサクランボのジュースを作ってもらうよ。わたしは、
サクランボのジュースがだいすきだからね。」
と嬉しそうに語る。
ああ……。サクランボのジュースなど飲んだことのない子供である私は、ど
んなにその味に憧れたことか。こんな風にきらめきに満ちた日常を語るリンド
グレーンの物語について何か語るなんておこがましくて私にはとてもできない
と諦めているのではあるが、それでも一つだけ、おいしそうな食べ物ばかりの
この物語の中に、唯一主人公たちも持て余しているんだか、おいしいと思って
いるんだかわからない食べ物がただ一つあるので、それについてだけ少し調べ
てみようと思う。
それは『やかまし村はいつもにぎやか』の第八章「ラッセが野牛を捕まえま
した」にある「黒ソーセージ」なのだ。この物語の主人公はやかまし村の中屋
敷に住む九才のリーサ。物語に出てくるのは兄のラッセとボッセ、隣の北屋敷
に住む同い年のアンナとその姉のブリッタ、南屋敷に住む、まだ赤ん坊の妹が
いるオッレの六人だ。六人はこの日、北屋敷の牧場の先にある湖にお弁当を持
って遊びに行く。ボートで湖を渡り、向こう岸の岩山に登るハイキングだ。そ
のお弁当の中にオッレが持ってきた黒ソーセージが六個あったのだが、誰も食
べたがらない。というのは他においしそうなものがたくさんあったからなのだ。
<パンケーキとそれにつけるジャム……、ミルクもジュースも、サンドイッチ
も、ビスケットもありました>
パンケーキは百枚くらいあったというし、ブリッタとアンナのお母さんが焼
いてくれた八の字クッキーはとてもおいしかったらしい。お菓子をすごくほし
がるたちのボッセが最後の一枚のクッキーをほしがると、ブリッタが黒ソーセ
ージを全部食べたらあげると言い出す。でも、おなかがいっぱいだったボッセ
は、四個目でおなかいっぱいになりすぎて、
「ぼくは、いまにも、どかーんと、こわれちまいそうだ!」
と言って、黒ソーセージを残し、ビスケットも食べない。
そんな風に子供たちに少し敬遠されたこの黒ソーセージを岩山において置い
て、子供たちは水浴びをしようと湖の島に渡る。ところが、この島に隔離され
ていた怒りっぽい牡羊のことを忘れていたから、さあ大変。牡羊に追いまくら
れて岩や木の上に登ったきり降りられなくなる。そして、おなかがペコペコに
なってしまうと、置いてきた残りの黒ソーセージさえ恋しくなってくる。最後
には、なんとかラッセが納屋に羊を閉じ込めて帰ることができるのだが(その
後扉を開けて羊を自由にしてからからラッセがボートに飛び乗ってくる)その
帰りの道すがら、ボッセはこう言う。
「黒ソーセージがあるかどうか、ぼく、おかあさんにきいてみよう」
ね、なんだか黒ソーセージに対する憎しみと愛に満ちた物語のような気がし
てきませんか?
そこで、この黒ソーセージの正体を調べてみようと北欧料理の本やブログを
見てみると、なんだかレバーの塊のようなものが紹介されていて、切ってバタ
ーで焼いてジャムを添えて食べるとある。ちょっと、様子が違うみたいなので
さらにネットで調べると、やっと私たちがウインナと言っている形の腸詰め、
ソーセージを見つけることができた。その名はブロッドコルヴ(Blodkorv)ブ
ラッドソーセージという意味で、豚の血液と小麦粉、豚肉、レーズンと香辛料
を材料とするとある。香辛料やらブドウやらを入れるのはやはり血のにおいを
消すためだろうと思うのだ。でもこれは、ミルクやジュースとではなく、黒ビ
ール片手に食べるものではないだろうか?悩んでいたとき、不意にこの物語の
新訳が出ていたことを思い出した。石井登志子訳リンドグレーン・コレクショ
ンの本を見てみたら、ありました!それによると八の字クッキーはクリングラ
という伝統的なお菓子らしいし、大塚勇三訳では黒ソーセージだったこの言葉
は「パルト」paltで、注もついていて、「ジャガイモをすりおろし、大麦粉と
まぜてゆでた団子」とある。新訳は2020年に出たので、55年後にやっと解明さ
れたことになる。やはり、長生きはするものだ。でも、なぜ黒と最初に訳され
たのだろう。もしかすると注にも豚の血を混ぜたものもあると書いてあるので
blod palt を思い浮かべたのかもしれない。ネットであれこれ調べてみると、
ジャムやバターを添えて食べるとミルクとあうと書いてあるものもあり、ウイ
ンナのイメージとは違うようだ。
ここに書いてある百枚ほどあったというパンケーキは、スウェーデンでは甘
みを入れずにクレープのように薄く焼くもので、ジャム等を添えて折りたたん
で食べるものらしい。百枚もあったら、一人あたり十五枚か十六枚。たとえど
んなに薄くとも、やっぱりお腹いっぱいになるだろう。冷たいお団子のような
パルトの出番はないよなと思ってしまう。
こんな風にとても語れないと思っていたリンドグレーンの物語を長々と語っ
てしまったが、これはほんの序の口。この本一冊には他にも、おじいさんの氷
砂糖とか、キャンディーとか、オープンサンドイッチとか、ザリガニとか、い
くら語っても語りきれないくらい魅力的な食べ物がいくつもあるのだ。
だから、今回はこの黒ソーセージという微妙な食べ物だけにとどめておく。
あれ?他にもサクランボジュースとかいろいろ書いてしまったかもしれないよ
うな……。
だから危険な作家なのだ、リンドグレーンは。このままでは一生彼女のこと
しか書けなくなりそうなので、一応ここで筆を置くことにしようと思う。
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『やかまし村はいつもにぎやか』
アストリッド・リンドグレーン著 大塚勇三訳 岩波書店
『やかまし村はいつもにぎやか』
アストリッド・リンドグレーン著 石井登志子
リンドグレーン・コレクション 岩波書店
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高山あつひこ:好きなものは、幻想文学と本の中に書かれている食物。なので、
幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちのく怪談コンテスト傑作選
2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第147回 権力に対抗する「秘密」
―水田宗子『吉原幸子 秘密の文学』(思潮社)
吉原幸子(1932−2022)は現代詩人の中では人気のある詩人で、生誕90周年
没後20周年を記念して先日平凡社のコロナ・ブックスから『詩人吉原幸子 愛
について』が出た。一般の文芸出版社は現代詩を余り扱わない。平凡社がこの
ビジュアルブックのシリーズで吉原幸子を取り上げたということは、それなり
の数の読者がついているという判断をしたということだろう。旧仮名遣いを用
いた短歌的抒情美に溢れた詩作品自体も美しいが、吉原幸子という詩人は存在
自体がかっこ良い。東京大学卒業後、女優を目指して劇団四季で主役を演じた
こともある吉原は、その独特の佇まいで会う人会う人を魅了したという。キマ
ッたポーズの美しい写真も数多く残されている。統率力や実行力にも長けてお
り、女性の詩を集めた詩誌『ラ・メール』を新川和江とともに1983年から10年
にわたって運営した。
本書『吉原幸子 秘密の文学』は、作品のテキスト分析や評伝ではなく「吉
原幸子の詩に強くあらわれている「異邦人意識」、二十世紀という時代におけ
る差別の被害を刻印したトラウマの記憶と詩表現の関係を考察すること」を目
指した本だという。詩人・比較文学者の水田宗子には既に『富岡多惠子論集
「はぐれもの」の思想と語り』(めるくまーる)『白石かずこの世界 性・旅
・いのち』(書肆山田)等の著作があり、社会からはみ出して生きるというこ
とをテーマとしている。本書もその問題意識の上に書かれている。
序章において、著者は「文学でなければ表現できないことが『秘密』であり、
同時に、文学は秘密を常にかくし持つことで成り立つ」とした上で、吉原幸子
の秘密は二つとしている。一つは吉原の母親が家庭外の恋愛で出産したことで、
吉原はこれを詩の中で「地球外妊娠」と表現している。もう一つは吉原の異性
愛に基づかない性愛についてのことである。これらの「秘密」は近代の家父長
制の規範から外れるという点で、個人的なものに止まらず、近代の女性一般が
抱える苦難として位置づけられる。更に幼少期に戦争を体験したことを三つ目
の秘密に加えている。女性は男たちが始めた戦争に巻き込まれた。その悲惨は
言葉に尽くし難いという意味で秘密なのである。
第一章の「『叫び』と『失語症』」では初期の『幼年連騰』を対象に、吉原
のトラウマの在処が分析される。吉原の詩に出てくる「叫び」という言葉は、
「幼児の叫び、『けものたち』の叫び」として描かれ、意味をなさない「叫び」
は、人間社会から拒否された、或いは人間社会を拒否する者の衝動であるとい
う。他者に対して明確に働きかけることができず、ひたすら自己に沈潜してい
く。この極端な内向性は自身の出産体験にも向けられ、命の誕生は母子の間で
の「痛さ」の共有として表現される。吉原の母親は前述のように家庭外の恋愛
によって吉原を生んだ。「もともと 神はわたしを/地球外妊娠したのだ」と
いうSF的な詩句は、事実としては在るのにそれを隠し続けなければならない
「はぐれもの」としての苦しみを露出している。その陰には「不在の父」がお
り、「その不在を埋めるのが抑圧だけを与える権力としての『根源悪』」であ
るという。命の誕生を力によって「家」に紐づける家父長制は、戦争を引き起
こす「根源悪」と地続きであり、虐げられた者は「叫び」と「失語」をもって
対するしかない。
第二章の「分身的他者の二極化と統合」では、代表作『オンディーヌ』他三
冊の詩集を対象に、「同じ暴力の被害者である弱き他者を分身として引き入れ
ることで世界と自己との亀裂を埋めようとする」試みについて書かれている。
「オンディーヌの愛は、その純粋性ゆえに人間社会のジェンダー規範を逸脱し、
過剰な『愛』によって男を誘惑し、破滅に引きずり込もうとする悪の化身とし
て人間社会から追い出される」。純粋故に他者を道連れにする「純粋病の愛」
は、道行きの同行を拒否する裏切りによって挫折する。同時に裏切りによって
完成する。一見矛盾に思えるが、その底には自虐と加虐が一体化した、他者と
の複雑な共犯関係がある。そしてここには、異類の者との愛を拒絶する男性中
心の性規範への批判が隠されている。
第三章の「母の後ろ姿 母の記憶と海」では、『花のもとにて 春』他後期
の詩を対象に、老いていく母と命の問題を考察している。母は家庭の外で恋愛
をした「新しい女」だったが、今は年老いて娘に依存する弱い存在となってい
る。母の秘密は、老いた身体の存在感を前に、傷でなく「傷痕」に変容してい
る。著者はこれを「痛みの直接性と傷痕=記憶の永遠性」と表現し、両者が共
存する詩空間を吉原が作り上げていると評価する。母は「そこにいるだけで慰
められる身体的な存在」となり、「生と死の起源である海」のイメージをもた
らす。
本書を読むと、吉原幸子という詩人は、人に打ち明けられない「秘密」の苦
しさを原動力に表現行為を行っていたのだということが理解される。「秘密」
の背景には、男性権力が作り上げてきたイエという規範、異性愛を標準とする
性規範がある。吉原はそうした規範からはぐれてきたのである。但し、吉原は
「秘密」の中身についてはぼかしながら、「秘密」の存在自体は明確に打ち出
す表現方法を取っている。本書で触れられているように、吉原は舞台を目指し
ていた時期があり、詩において舞台表現のエッセンスが生かされていた。演者
と観客が一種の共犯関係を作る演劇特有の構造を取り込み、読者と作者の間で
「秘密」の共有がなされるような、濃密な感情吐露を行うのである。この大胆
さが、吉原幸子の詩の魅力だろう。中身を隠しつつも、存在の在処については
よく通る声で高らかに歌いあげる。「はぐれもの」は、「秘密」を武器に、権
力に対抗する力を獲得していくのだ。吉原幸子の詩を読んだ後の不思議な爽快
感は、生き延びていくための「はぐれもの」特有のずうずうしさに支えられて
いるのかもしれないと考えさせられたのだった。
*水田宗子『吉原幸子 秘密の文学』(思潮社 本体2410円)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
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5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。(あ)
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第86回「おや、こんなところにマーラーが」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第173回 記憶の中の空気
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ リニア問題にみる、公共事業への疑問。
反対意見の意義について考えます。
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第18回 ごま味噌腸粉と広東オペラ
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第86回「おや、こんなところにマーラーが」
こんにちは。
11月初旬まで暖かかったのに、このところ急激に冷え込んであっという間に冬
がやってきた感があります。みなさまお身体にお気をつけてお過ごしください。
さて。
わたしが好きな作曲家の筆頭は、交響曲と歌曲の作曲家であった
グスタフ・マーラー(1860-1911)という19世紀末のヴィーンで活躍した指揮
者でもあった作曲家ですが、何しろもう45年も付き合っているためか、その音
楽がわたしの身体に染み付いてしまい、改めてその音楽を「言葉」で表現する
のがとても難しい状態になってしまっています。もともと音楽を言葉に置き換
えることが難しい上に、マーラーの音楽はとりわけ複雑な作られ方をしている
ので、その二重にも三重にも重層的な構造を解きほぐし、わかりやすい言葉で
その魅力を伝えることが、わたしには時として苦痛でさえあるわけです。
「四の五の言わず黙って聴け」と(苦笑)。
さて先日、特にタイトルを伏せる(伏せる理由は後述)、近頃図書館業界でも
話題に登ることが多い、図書館を取り上げているマンガの新刊(わたしがマン
ガ雑誌を定期購読していたのは高校生の頃までで、いまではマンガ雑誌に縁は
なく、マンガは単行本・コミックスで買って読んでいます)を買い求めて読ん
でみたところ、唐突に登場人物がある場面で「マーラーの『アダージェット』」
と即答(しかもふたりが異口同音に)するシーンが出てきて、おやこんなとこ
ろでマーラーが、とニヤニヤしてしまったのでした。
「マーラーの『アダージェット』」と言えば、それは交響曲第5番の第4楽章
を指します。交響曲第5番嬰ハ短調(1902年)は、マーラーの創作における中
期の「純器楽三部作」とされる第5番、第6番(1904年)、第7番(1905年)の
劈頭を飾る作品で、充実した管絃楽法と、(マーラーにしては)ほどよい演奏
時間(と言っても65分くらいかかる)と、比較的わかりやすい暗→明の図式が
描かれていることもあり、難解と思われていた上に演奏時間が長いマーラーの
交響曲の中でも早くから人気のあった作品です。マーラーの弟子筋にあたるが
5番や6番を演奏しなかったオットー・クレンペラーも、第5番の第1楽章と第4
楽章はそれなりに評価していました(『クレンペラーとの対話』)。
全体は5楽章からなりますが、マーラーはそれを第1部(第1、第2楽章)、
第2部(第3楽章)、第3部(第4,第5楽章)という構成に仕立てていて、第1楽
章と第4楽章はそれぞれ次に来る楽章の「序奏」のような役割も果たしていま
す。そのような性格を帯びていることもあってか、第1楽章と第4楽章は整然と
した、構造もさほど複雑ではない音楽になってます。そのため、第4楽章すな
わち「マーラーの『アダージェット』」はマーラーの音楽がさほど演奏されて
いなかった第二次世界大戦前から、単独で取り上げられ演奏されていたようで
す。こちらもマーラーの弟子筋であったブルーノ・ワルターがヴィーン・フィ
ルと1938年に録音した「アダージェット」(EMI)が残されています。
「アダージェット」を単独で取り上げる慣習は第二次大戦後もしばらく残って
いたようで、録音でもパウル・クレツキがフィルハーモニア管絃楽団と1959年
に「アダージェット」のみを録音した(EMI)例があります。
さらにこの「アダージェット」は、1971年公開の映画「ベニスに死す」におい
て効果的に使われたことで、さらに世上に知られるようになるとともに、1960
年のマーラー生誕100年以降ぼちぼち知られるようになったマーラーの作品が、
それまで以上に演奏会にかけられるようになるきっかけにもなりました。わた
しがマーラーの作品を初めて聴いたのは小澤征爾/ボストン交響楽団が録音し
た第1番(DG)で中学生だった1979年のことですが、その頃でも地方都市のレ
コード屋に並んでいるマーラーは1番と2番とあと何だったろう、というレベル
で、中学生のときに聴くことのできたマーラーの録音は1,2,6,9がそれぞれ1種
類ずつにとどまります。いろいろな意味で、いまのひとには信じられない話か
もしれません。
もっともそれ以前に、マーラーが好きになった中学生というのも、むかしは呆
れられたものなのですよ(苦笑)。
……という話を、たまたま一緒になった勤務先の学生さんに滔々と話しかけた
ら、
「せんせー、わたしまだそれ読んでません。ネタバレになりますよう」
と言われてしまい(冷や汗)、そのこともあってこの文章では「特にタイトル
を伏せ」ています(笑)。
なお、わたしはコメディが好きなものですから、世評の高いハートウォーミン
グな図書館マンガ(複数)を読み続けられず1巻で挫折してしまったにもかか
わらず、このマンガは現在まで継続して読み続けているのでした。この国では、
上質のパロディやカリカチュアがそれとして評価されにくい土壌があるように
見受けられますが、そんな環境の中でこのマンガは健闘していると思いますよ。
ではでは、また次回。
次回もお目にかかれますように。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第173回 記憶の中の空気
11月5日、阪神タイガースが日本シリーズでオリックスを破り、日本一に輝
いた。じつに38年ぶりという。
38年まえ、ぼくは児童出版社に勤務していて、阪神タイガースと西武ライオ
ンズとの日本シリーズ第6戦は、土曜日だったから休日出勤をしたんだと思う。
新年度に向けての美術の入門書を制作していた。編集作業をしながらテレビ観
戦をしていた。いや、編集部にはテレビはなかったから、ラジオ中継を聞いて
いたのだろう。
阪神が日本一になったとき、虎キチだった編集長が近くの「いわし屋」とい
う居酒屋に編集部全員を招待して「お祝いの会」をした。まだいわしは「高級
魚」ではなかった。それから38年間、阪神が日本一に一度もならない、とは思
っていなかった。
記憶というのは面白い。ふとしたことで蘇ってくる。阪神が日本一になった
日本シリーズを見ながら、ぼくは38年まえの職場の風景を思い出し、そこにい
た人たちのことを思い出した。昼には蕎麦屋でもりそばを注文していたなあ、
とか、いっときカツ丼弁当ばかり食べて、健康診断で肝脂肪を指摘されたこと
を思い出す。
『なんかいやな感じ』(武田砂鉄 著 講談社)を読んだ。1982年生まれのラ
イターが物心がついたころからを振り返って、当時の「空気」、そして現在に
続く「なにかいやな感じ」を語っている。
読みながら、ぼくは著者の武田砂鉄の記憶に滑り込む。そしてぼくもいままで
の「いやな感じ」を思い出す。
そうだ、こんな「いやな感じ」があった、といやな感じになる。武田さんの
すごいところは、その「いやな感じ」の正体をきちんと検証して言葉にしてみ
せることだと思う。言葉にすると「いやな感じ」がはっきりと頭に入ってくる。
そして、またまた「いやな感じ」になるというわけだ。
そういえば武田さんが生まれた1982年というと阪神が初めて日本一になった
年の3年まえなのだな、だから日本シリーズなんて見ていなかっただろう、な
んて余計なことを考える。
まえがきを読むと、武田さんは「平成の30年間がものごころがついてからの
自分そのもの」という。
平成という時代はどんな時代だったんだろう? 小渕官房長官が「平成」と
書かれた紙っぺらをうれしそうに掲げて、それから30年。バブル時代のしっぽ
から始まり、そして崩壊。「失われた30年」といわれた、混沌とした時代だっ
た。
この本の最初の章が「なんか不穏」。武田さんの平成は「不穏」のはじまり
だった。それは1988年、6歳だった武田さんが住む町のすぐそばで起こった
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の記憶から始まる。昭和から平成に元号が変
わった1989年は世の中はまだバブル景気に浮かれていた。
だが7歳の武田さんは享楽的なムードよりも不穏な空気を感じていた。
「西武線の中吊りには、好調だった西武ライオンズの試合レポートとともに、
宮沢湖の広告が載っていて、ここにあるサイクルモノレールが楽しくってたま
らない的なことが書かれていた」。
でも武田さんはそれを直視するのにはためらいがあったという。
「だって、そこ、殺されて、捨てられてしまった場所だから」。
連続幼女誘拐殺人事件が心に重くのしかかっていた。武田さんは宮崎勤に殺
された幼女たちと年齢が近かった。事件現場の近くに住んでいた武田さんには、
誘拐殺人の恐怖は身近だったのだ、
このように武田さんの平成は始まった。浮かれた世間の中で「不穏の空気」
を感じ取っていた。
そうだったんだな! 世代のギャップというが、この本を読んでぼくはいま
まで漠然と感じていた「世代のちがい」がわかったような気がする。
ぼくは昭和32年に生まれた。日本は戦争を終えて10年ほど経っていて、よう
やく戦後の復興が実りはじめたころだ。
我が家のことをいえば、けっして裕福ではなかったが、貧しいという感覚は
なかった。両親は学生結婚でまだ20代、父は小さな通信社に勤めていた。将来
が保証されていたわけではなかっただろう。
だが、漠然としてはいたが、未来には希望があった。当時の両親の写真を見
ると、屈託のない笑顔を見せている。世の中も戦争から解放されて、人々は明
日に希望を持って暮らしていたのではないか。働くことが豊かさにつながると
いうことが当たり前の時代だった。土地や株を売り買いして莫大な金を稼ぐバ
ブル時代とはちがっていた。
ぼくの世代はそんな時代に生まれ育ってきた。だからぼくたちの世代にはど
こか「甘さ」があるのかもしれない。その「甘さ」のせいで「いやな感じ」の
正体を追求しないで過ごしてきてしまった。これはあくまでぼく個人の感じ方
ではあるけれど。
武田さんのスタートは「不穏」「なにかいやな感じ」だったのだ。バブル時
代のうわっつらの幸福感、高揚感に惑わされることはなかった。そして「自己
責任」を押し付けられ、神戸連続児童殺傷事件の犯人や、バスジャック事件の
犯人がまったくの同世代だったこともあり、「キレる若者」と指をさされてき
たのだ。
「『少年』という言葉でメディアがおおざっぱにくくろうとする様と、それに
動かされていく時代へのいらだちは、自分の原体験になった。そして、おおざ
っぱに網をかけておけば何とかなるという雑さは、今も続いている。」と武田
さんはいっている。
読んでいると「そうだなあ」とうなずき、そして自分が「いやな感じ」の世
界に住んでいることを思い知らされるのだが、時代を論評するのではなく幼い
ころからの思い出とともに書いているので、武田さんが肌で感じた世界の矛盾
が伝わってくる。
この子どものころや少年時代のエピソードが面白い。テレビのイヤホンの差
し込み口にキャラメルをつめたことに始まって、授業中の教室で女子たちがこ
っそり手紙をやりとりしていたこと、「ドーハの悲劇」、オウム真理教など子
どもの目で見て、感じたことを書いている。ぼくはすでに「大人」だったので、
そのころの子どもたちの感覚がわかって面白かった。
子どものころのエピソード、よく覚えているなあ、と感心したのだけれど、
「この本に記されている記憶なんていうのもほんの一部分にすぎず、事細かに
書き起こそうとすると踏ん張ればとてつもない文字数になるはず」なんて書い
てある。
「都合の悪い記憶というのは、実は都合の良い記憶ばかり」で「語られる黒歴
史というものは、往々にして真っ黒ではない」という意見にもうなずける。最
近、自分の過去をエッセイに書いたので「真っ黒なままにしておきたいものは
自分の記憶から消す作業を繰り返す」という一文にはドキリとした。
『なんかいやな感じ』は、著者の武田砂鉄の体験、そして感じてきた「空気」
と違和感を読みながら、自分の体験と重ね合わせて自分の違和感を体感する本
だった。自分の「なんかいやな感じ」を感じる力を研ぎ澄まして、違和感を感
じたら、その正体がなんであるかを考えて言語化しなくてはいけない。そんな
ことを考えた。
いろいろな方から拙著『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない
人生論』の感想をいただいた。ぼくとしては過去のおぼろげな記憶をたどって
書いたところが多々あるので、学生時代の友人、職場の先輩や同僚からクレー
ムが入ったらどうしようと不安だった。幸い、いまのところ「懐かしく思い出
した」という感想をもらっているので大丈夫なようでホッとしている。
「内容はともかく、文体はとてもいい」と大先輩の翻訳家の方から感想をいた
だいた。うれしいと喜んだのだけど、それでいいのかな。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』刊行を記念したトークイベントがあり
ます。
会場は上野池之端にある、素敵な古書店、古書ほうろうです。
装画を担当してくれた山川直人さんの原画の展示もあります。
ぜひぜひお出かけください!
【タイトル】山川直人×吉上恭太トーク
「ぼくたちが『ぼく』になるまでの話」
【日時】12月5日(火)19時開演
【会場】東京池之端・古書ほうろう
東京都台東区池之端2-1-45 パシフィックパレス池の端104号
【入場料】1,500円(要予約/当日精算)
【予約方法】古書ほうろうHP、告知ページ→
https://horo.bz/event/yamakawa-kyota_20231205/
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない
役に立たない人生論』(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読
の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)もよろしくお願い
します。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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これまでもリニア新幹線について書かれた本を紹介したことがありますが、
今回は今まさにそのリニアが作られている現場でどのようなことが起きている
のかが書かれた本です。
『土の声を』、信濃毎日新聞社編集局、岩波書店、2023
本書はリニア新幹線の工事が進められている長野県でどのようなことが起き
ているかを、信濃毎日新聞の取材班が取材したものをまとめたものです。
リニア工事の中でさまざまな問題や軋轢が生まれてきていることが分かりま
す。例えば用地取得の補償問題であったり、トンネル工事などに伴う残土の処
理の問題などです。
例えばリニアの新駅を巡る用地取得について。ひとつ長年住み続けた地域か
ら立ち退きを余儀なくされることを悲しむひとの声があります。慣れ親しんだ
集落の人たちのつながりもバラバラになってしまします。そしてより実際的な
問題もあります。
移転補償金が十分でないために、現在の家のローンに加えて移転先の住宅建
設のためにもローンを抱えなくてはならないということもあるようです。納得
のいかない移転補償金であっても、公共性の高い事業ということになると、拒
否し続けた場合は最終的に強制的に立ち退かされることもありますので、どこ
かで折り合いをつけなければならないのでしょうが…。
残土処理についても各所で問題になっています。これまでなかった量のダン
プが行き来するようになって交通安全は守られるのか、残土を盛り固めたとこ
ろが大雨などで土石流となる恐れはないのか、など住民たちの不安は尽きるこ
とがありません。
こうしたいろいろな問題の出てきている中でしばしば出てくるのが、事業主
体であるJR東海の説明が不足しているという点です。工事を進める中で出てき
た住民の要望に対して、にべもない対応を返すところが本書の中でも折々に見
られます。
そしてJR東海は例えばトンネル工事で発生した労働災害についても公表を渋
るなど、リニア工事の情報公開についても消極的な姿勢が目立ちます。そして
住民向けの説明会についても非公開ばかりだといいます。
取材に対してJR東海の担当者は非公開の理由を「地元の人から忌憚のない意
見を聞くため」(p,204)と言っていますが、これは都合のいい言い訳にしか聞
こえないですね。勿論その中には住民の意向で非公開になったものもあるのか
もしれませんが。
そうした説明不足は住民の不安を呼び、工事に対して再考を促すような意見
も出てきます。ということは住民の意向に寄り添わず、秘密主義で物事を進め
るのは悪手のような気がします。にもかかわらずJR東海がそうした態度を貫く
のだとすれば、なにかやましいことを隠している、というのは勘繰りすぎだと
しても、自分勝手であるという批判はやむをえないかもしれません。
さらにそうしたリニア工事再考に対する意見が、リニア工事全体に反対して
いると捉えられてしまい、住民の間に分断を生んでしまうということも見られ
ます。
本書で取材されている人の中で、リニアを建設することについて反対してい
る人はあまり目立ちません。ほとんどの人はもっと身近な、自分たちの生活に
かかわる範囲でリニア工事の弊害があるので何とかしてほしいと声を上げてい
ます。
今の静岡県知事がそのいい例ですが、納得できないことがあるからJR東海と
交渉しているのに、それだけでリニア工事全体に反対しているとみられて、リ
ニア賛成派(?)からあらぬ批判を受けることも起きてしまいます。まあ一事が
万事という言葉もありますので、JR東海の態度に接しているうちにリニア工事
自体に懐疑的になるということもあるでしょうが。
JR東海という大企業と行政が進めている事業に抵抗したところで、結局は事
業は遂行されるのだから抵抗するだけ無駄だという向きもあるかもしれません。
しかしいつまでも妥協せずに、結果として工事の進行を遅らせるのは果たして
無駄に抵抗しているだけといっていいものでしょうか。
むしろそうした異議申し立てがあってこそより良い公共事業の進め方などに
ついての法整備などがなされていくのではないでしょうか。納得できるまで徹
底的に抵抗するというのは、真剣にその公共事業と向き合っていることの表れ
とも言えそうです。
本書を取材した取材班も「この報道はリニア反対キャンペーンではない。」
(p,vii)として、一連の取材をスタートしています。しかし結果としてはJRの
東海の態度やそれを後援する国の姿勢には疑問符が付く結論となったといって
いいでしょう。
JRや国に比べると工事に疑問を呈する人たちの声は小さいものです。取材班
はそれらを丹念に拾い上げていきます。そうして編み上げられた地域住民の声
にぜひ耳を傾けてみてください。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第18回 ごま味噌腸粉と広東オペラ
上海の陝西南路駅を降りてユニクロを右手に見ながら4番出口の階段を上って
いくと、淮海中路と茂名南路の十字路が目の前に広がる。ユニクロのちょうど
真向かいには国泰電影院Cathay Theatreがある。1932年にオープンしたときと
ほとんど変わらないたたずまいの映画館は、「旧フランス租界へようこそ」と
いつも私に語りかけてくる。2022年8月からは改修中で入れないが、建物は健
在だ。歴史のある映画館で映画を見るのは格別である。再開が楽しみでたまら
ない。
陝西南路駅の周囲に広がっているのは旧フランス租界の街並みである。往時の
上海を偲ばせる洋館を眺めながら、プラタナスが植えられた道を歩くには、秋
がうってつけだ。残念ながら上海の秋は短い。特に今年の秋は短かった。半袖
に短パンで過ごしていたのに、11月上旬が過ぎると、あっという間に冬の気配
が漂い出した。この様子だと、お気に入りの秋用のコートが着られるのは1日
か2日しかない。私は慌ててコートを身にまとって地下鉄1号線に飛び乗り、陝
西南路駅に向かった。
朶雲書院は陝西南路駅から歩いて5分くらいのところにある。国泰電影院を右
手に見ながら茂名南路を花園飯店Garden Hotelがある方角に向かって歩いてい
く。ホテルオークラが経営していることもあり、日本人観光客にもお馴染みの
ホテルである。長楽路との十字路が近づいてくると、改修を終えたばかりの蘭
心大戯院Lyceum Theatreが見えてくる。1931年から続く由緒ある劇場である。
その劇場を左手に見ながら十字路を右折して長楽路を少し歩くと、朶雲書院の
看板が目に入る。
朶雲書院は上海世紀出版集団が2018年から経営を始めた書店である。代官山の
TSUTAYA書店をさらに巨大化したかのような最先端の内装を有する本店は、揚
子江を見下ろす高層ビルに入っている。支店の中には詩歌の専門店もあり、か
つてリブロ池袋本店に通ったひとであれば、〈ぽえむ・ぱろうる〉を思い起こ
さずにはいられない。長楽路にある支店は「戯劇店」、すなわち演劇や映画、
さらには音楽に関する書籍の専門店であり、ミニシアターもあり演劇の上演や
映画の上映も行なわれている。
旧フランス租界をぶらぶらして朶雲書院戯劇店に入り本を物色し、向かい側に
ある飲茶の老舗「新旺茶餐廳」でコーヒーと紅茶を混ぜた「鴛鴦茶」を飲み、
「腸粉」の料理を食べながら、買ったばかりの本を読むのがおすすめである。
米粉を溶いてクレープ状にした腸粉を使った料理は私のお気に入りなのだが、
特にこの店のごま味噌をかけた腸粉は格別だ、と私は思っている。
11月10日過ぎ、秋用のコートを着た私は久しぶりに朶雲書院戯劇店に足を踏み
入れた。演劇に関する本は1階、映画と音楽の本は2階である。中国大陸では現
在、書籍は「当当」などのオンライン書店を利用することが一般的である。電
子書籍の普及も日本よりも進んでいる。だから客よりも店員の人数が多いとき
もざらである。その日、お客は私ひとりだけだった。
パゾリーニの新刊本や新海誠の特設コーナーを横目に見ながら、私はオンライ
ン書店では眼にすることのなかった本を小脇に抱え始めた。『《白毛女》七十
年』、『上海交響楽団140年』、演劇や映画を題材にした絵本……客はひとり
なので、店員も独り占めできる。演劇や映画好きの店員とのおしゃべりを楽し
みながら、結局私は7冊の本を購入した。日本円でいえば1万円ちょっとの散財
である。早速「新旺茶餐廳」に移動して、ごま味噌腸粉と鴛鴦茶を注文する。
至福のときの始まりである。まっさきに手に取ったのは、『白蛇伝・情未了』
と『電影視覚美学漫談 《白蛇伝・情》創作解析』の2冊だった。
10月末、私は上海の福州路にある天蟾逸夫舞台で粤劇の《白蛇伝・情》を見た。
風光明媚な観光地として有名な杭州の西湖を舞台にした白蛇伝は、中国四大民
間説話のひとつであり、日本とも縁が深い。『雨月物語』に収められた名篇
「蛇性の婬」で上田秋成が下敷きにした物語のひとつとして知られ、また歌舞
伎の《娘道成寺》にも影響を与えたとも言われる。後の特撮映画に影響を及ぼ
したことで知られる豊田四郎監督の《白夫人の妖恋》の題材であることも、日
本最初のカラー長編アニメーションが1958年に公開された《白蛇伝》であるこ
とも、周知の事実であろう。もちろん中国でも、美しい女性と化した白蛇と青
年との恋を物語った異類婚姻譚はさまざまな形で語り継がれ、映画やテレビド
ラマも数多く作られてきた。そのひとつが粤劇の《白蛇伝・情》である。
広東オペラとも言われる粤劇の台詞はすべて広東語である。広東語といわゆる
中国語はまったく違う。中国の標準語である「普通話」をかろうじて理解でき
る程度の言語能力しか有さない私が、粤劇の台詞を聞き取ることは不可能だ。
だから京劇を見るとき以上に舞台の横に配された字幕を見なくてはならず、舞
台に集中できないときも少なくない。
しかし《白蛇伝・情》は違った。白蛇である白素貞を演じた曽小敏、白素貞の
側女である小青を演じた朱紅星、白素貞の恋の相手である許仙の文汝清、仏教
の法を犯して人間と化して人間を迷わせる白素貞を退治しようとする僧の法海
の王燕飛、……そうした広東粤劇院に属する役者たちの素晴らしい演技、また
精巧に作られた舞台装置によって、上海の舞台は悲恋にふさわしい西湖の物語
空間そのものとなった。美しい踊りもあれば、荒々しい立ち回りもある。歌舞
伎でいえば荒事と和事を見事にミックスした演出は、中国の演劇の真髄を十二
分に伝えるものとなっていた。
閑散としていることも多い天蟾逸夫舞台だが、その日はほぼ満席だった。若い
観客も少なくない。一緒に行った友人の「戯迷」に聞いたら、映画のおかげだ
ろうと返ってきた。京劇の有名な演目であればすべて諳んじているとんでもな
い劇通の友人によれば、《白蛇伝・情》は2021年5月に公開された映画の舞台
版だったのである。コロナ禍で映画どころではなかった時期だ。見逃していた
のも仕方がない。
帰宅してすぐにインターネットで映画版の《白蛇伝・情》を見た。役者はすべ
て粤劇版と同じである。CGを多用し4Kで撮影された映像は、中国の映画人が
中国独自の「美」を追求したことを如実に物語っていた。友人によれば、この
映画は評判となり、白素貞の曽小敏などは演劇愛好家以外からの人気も集める
ようになった。事実、たとえばオンラインで映画の配信を行なっているサイト
のひとつである「1905電影網」は、2021年5月31日に「電影《白蛇伝・情》出
圏引領国粋新潮流」という記事を配信していた。国風の復興が新たな流行とな
っている現在、映画版《白蛇伝・情》は映画や演劇の固定的なファンを超えて、
「国粋」の「新潮流」を牽引する現象と化していることを伝えている。言うま
でもなく《白蛇伝・情》は、現政権が強く推進している「中国の文化自信」を
体現するプロジェクトの産物だったのである。
『白蛇伝・情未了』には内容の紹介、スタッフや役者のインタビュー、専門家
による解説などが収められており、さながら映画版《白蛇伝・情》の豪華なパ
ンフレットといった趣きである。同書の序文で中山大学中文系教授で中国戯曲
学会副会長の黄天驥は次のように述べている。
〈古代から唐代に至るまで、民間伝承において蛇は醜悪なイメージのものとみ
なされていた。蛇は男性または女性へと姿を変え、人間界に妖怪と化して現れ、
人間に害を与える存在だった。宋代の杭州では商品経済が発達し、人びとの欲
望が横溢した。『清平山堂話本』の「西湖三塔記」で、白蛇は美女と化し、好
色この上ない奚宜賛こと許仙の物語が生まれた。明代後期に至るまでの、わが
国において資本主義が萌芽した時期、人間性に対する社会の認識は発展し、愛
情を追い求める女性に同情する思潮が出現したのである。[中略]明代中期以
来、文学創作においても、民間伝承や歌舞音曲においても、愛情を追い求める
白蛇への同情が主題となっており、こうした点において白蛇伝は、まさしくわ
が国の優れた伝統文化を体現している。〉
続けて黄天驥は、「粤劇映画《白蛇伝・情》の主題は、わが国の優れた伝統文
化を継承した上で、さらにそれを一歩進めて発揚した点にあるのだ」とまとめ
る。それゆえ《白蛇伝・情》が、「国粋」を鼓吹する新たな文化の「新潮流」
の象徴のひとつとして遇されるようになったとしても驚くにはあたらない。
「国粋」という言葉を眼にすると私などは、理性や論理とはかけ離れたファナ
ティックなきな臭さをすぐに感じてしまう。しかし映画版で美術監督を担当し
た李金輝の『電影視覚美学漫談』を開くと、どうも勝手が違う。たしかに《白
蛇伝・情》は「国粋」的な映画を目指して制作されたのだが、李金輝が書く
「創作解析」はきわめて理性的かつ論理的であり、また分析的なのである。
エイゼンシュタインと梅蘭芳の邂逅した歴史的な事件から説き起こされる同書
は、まず1927年の《ジャズ・シンガー》に始まり1929年の《ブロードウェイ
・メロディー》で本格化したミュージカルと京劇の親近性を分析する。その上
で、ハリウッドの西洋的なミュージカルと、京劇などを取り入れた中国の映画
の相違点を解析した上で、費穆が監督し梅蘭芳が主演を務めた《生死恨》など
を取り上げ、それら実践の歴史的な意義を語っていく。もちろんこうした記述
は《白蛇伝・情》を、独自の映画を模索してきた中国の映画史の正統に位置づ
けようとする意図のもとでなされているのだろう。
こうした歴史的な記述に続いて本篇が始まる。第一部「寄情」、
第二部「悟理」、第三部「熔裁」という三部構成で、豊富な写真資料とともに、
美術制作において「国粋」がどのような意図のもとで実現されたのかが具体的
に詳述されていく。約300頁にわたる著述を暴力的にまとめるならば、
《白蛇伝・情》が目指したのは、中国伝統の「写意」をどのようにスクリーン
や舞台に定着させるかということに尽きる。「写意」は中国の芸術において重
視されてきた観念であり、現在では「写実」の対義語として扱われることもあ
る。李金輝によれば、現実の外観を「再現」することに終始する西欧的なリア
リズムとは異なり、中国の「写意」は対象となった事物に込められた精神の
「表現」を目指す。眼には見えない「意」をどのように醸し出すのか、それが
《白蛇伝・情》で目指されたことだった。
不可視で感じ取ることしかできない「意」の「表現」などと言われると、日本
文化の中で育った私などは、すぐさま「もののあはれ」や「わび」「さび」を
思い浮かべてしまう。言葉では解析し尽くせないというこれらの観念は、論理
による分析を拒み、「日本人だったら感じ取れる日本的な観念」とみなされる
ことすらある。しかし李金輝は理論によって、「写意」をどのように具体化し
ようとしたのかを記述する。たとえば西欧の焦点のある遠近法に対して李金輝
は、南宋の宗炳が「画山水序」で体系化した視覚美学の体系で対峙する。西洋
絵画の遠近法という理論に対して対置されるのは感性や感覚ではなく、中国が
歴史の中で練り上げた別種の「理論」、「散点透視法」なのである。
そもそも『電影視覚美学漫談』の「寄情」「悟理」「熔裁」という三部構成か
らして、5世紀頃に成立したと言われる中国古代を代表する文学理論書、劉勰
の『文心雕龍』に依拠したものであった。李金輝による具体的な創造的営為は、
すべてこうした中国の「理論」から演繹されたものとしてある。それゆえ具体
化する過程において、日本の枯山水を利用することがあっても、「国粋」と抵
触することはない。枯山水という具体的な方法は中国独自の「理論」に見合う
から採用されたに過ぎず、たとえ日本文化の一部と認定されているものであっ
ても、「理論」の範疇に吸収してしまうことができるからである。
加藤周一は「中国人は普遍的な原理から出発して具体的な場合に到り、先ず全
体をとって部分を包もうとする。日本人は具体的な場合に執してその特殊性を
重んじ、部分から始めて全体に到ろうとする」と述べていた。ここで加藤が述
べている「原理」は、西欧の「原理」に対してみずからの独自性を追求しよう
とするときに、あたかも万里の長城のようにして、そのアイデンティティの保
持に貢献する。そうした堅牢な「原理」の前で、いくら「もののあはれ」や
「わび」「さび」を唱えても、それらは特殊性を帯びた感覚的な観念として受
け流されていくだけだろう。中国は西欧の普遍に対して別種の普遍によって対
峙しようとしている。そうした中国の「文化自信」の強さを、李金輝の文章を
読みながら、私はまざまざと感じ取った。「文化自信」の底力は、歴史の中で
培われた「理論」によって支持されているに違いない。
ごま味噌の「腸粉」をつまみながら、ふと思い出した。河南省に生まれた劇通
の友人は「腸粉」が大嫌いである。「腸粉」は中華料理ではなく、あくまでも
広東料理のひとつである。北方人の口に合うわけがない。また劇通の友人は広
東語も解さない。だから私と同じように、字幕に頼らなければ粤劇は理解でき
ない。《白蛇伝・情》は「国粋」を追求した中国美学の結晶ともいうべき作品
であるが、その台詞を解することができるのは広東人と、広東語が聞き取れる
一部の中国人だけだ。日本で「国粋」を鼓吹するとして、大多数の日本語母語
話者が理解できない台詞ばかりの映画を撮ることが許されるだろうか。少なく
とも、それを「国粋」的と認めるひとは、左右どちらにおいても多くないので
はないだろうか。中国は堅牢な「理論」を有するだけでなく、「国粋」の内部
に多様性を抱え込んでいる。多様性には「国粋」を破砕する可能性も含まれて
いよう。その可能性に私は期待する。
【本文中で言及させて頂いた本】
《白蛇伝・情未了》編委会編『白蛇伝・情未了』(広東人民出版社、2022年1月)
李金輝『電影視覚美学漫談 《白蛇伝・情》創作解析』
(中国文聯出版社、2022年12月)
加藤周一『日本文学史序説上』(ちくま学芸文庫、1999年4月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
やっと寒くなってきましたね。秋がたった数日しかなかったような、いや?
ところどころまだらのように秋があったような、そんな年でした。様々な軋み
が世界の均衡を壊しています。こんな時こそひとりになりゆっくり自分を見つ
めるときなのかもしれません。でも、こんな悠長なことをいっている場合でな
いと、焦りもあります。 畠中理恵子
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情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その86「とても語れない作家」その1 池波正太郎
物語の中に描かれた食べ物があまりにおいしそうで、ますますその物語の魅
力を増すことになる作品はたくさんあるけれど、そのすべてが素晴らしすぎて、
あまりに恐れ多くてここには書けない作品がいくつかある。その中で最も素晴
らしい作品の書き手といえば、泣く子も黙るあの池波正太郎さんだ。私は二十
代のあるとき、いきなり池波さんにはまってしまった。それだけではなく、本
好きの友人たちも道連れにしてしまったので、みんな私の家に遊びに来るとき
にはリュックを背負ってやってきて一連の池波作品をごっそり借りて行っては
返しに来るということを繰り返していた。池波さんにはまるといいことは、ど
んな小さな書店でも必ず文庫本が置いてあるので、続きが読みたいなと思えば
すぐに本が手に入ることだった。あるときなど都民農園の野菜の無人販売の台
の上に「どうぞ、ご自由にお取りください」と紙が貼ってあって、『鬼平犯科
帳』の文庫本が十冊以上並べられていたことがあった。何冊かいただいて、友
人と分け合った。さらにお酒のみの友人が泊まった翌朝には、朝ご飯に「鬼平
犯科帳」の主人公平蔵様と同じ朝粥を土鍋で炊いて(もちろん梅干しを添えて)
一緒に食べたりもした。そして、数多くの池波ファンと同様、池波作品に出て
くる料理についての本なども買い集めた。今でも、ひどく落ち込んで食欲が完
全になくなってしまったり(あまりないけれど)、料理をする気がどうしても
起きないときには(これは年中ある)、短編をどれか一つ読んで自分に活を入
れてから包丁を握ったりしている。(おお、この言い回し!)
そんな私だから恐れ多くて、とても池波作品についてここで書いたりはでき
ないのだけれど、それでも久々に買ったこの本については語ってみようと思う
のだ。
この本は、なぜ食日記を書いたかというエッセイで始まっている。これを書
くのは、妻が献立を立てるために便利で続けてほしいと言っているから、とい
うことらしい。そしてこの本の副題に「鬼平誕生のころ」とあるから、鬼平が
書かれたとき作者が何を食べていたかということを知る楽しみがある本なのだ。
時は昭和四十三年。まさしく『オール読物』に連載が始まった年だ。この本の
後半には作家たちの対談や編集者たちの思い出話などもあるのだが、そんなも
のは、ここに書かれた食べ物のことしかほとんど書かれていない「食日記」の
魅力に比べれば、なんていうこともないのだ。
この日記には、とにかくひたすら、朝、昼、晩と何を食べたのかだけが書か
れている。読んでいくと、確かに、一日中家にいて仕事をする作家の三食すべ
てを手作りするのは家族としてはきついだろうと思えてくる。一食ぐらいは自
分でトーストでも焼いて済ましてほしいと普通の人なら思うだろう。今テレワ
ークの普及で一日中家にいる人たちも多く、気分転換に料理をしたりしている
人も多いと思う。ウーバーイーツとか食べ物を取り寄せるのも便利になったし、
都心に住んでいる人ならば、通勤時と同じように近くの飲食店に気分転換にい
くこともできるだろう。でも、今とは時代が違うのだ。出前をといえば、せい
ぜい蕎麦か鰻か寿司くらいのもの、それが昭和の常識だったと思う。
そして、あれだけ包丁を握る男を描くのがうまい池波さんが、自分では料理
はしないようなのだ。
とにかく、日記を読んでみよう。
一月一日の日記から始まるこの日記に書かれている食事は、ほとんどが二食
だけだ。それも昼ご飯と夕ご飯だけで、朝ご飯の記述は数回だけ。外食や旅先
での食事も書かれている。やっぱり、作家は夜仕事をするから、朝ご飯は食べ
ないんだなあなどと、感心しながら読み進む。その分、夕食はなかなか豪華だ。
例えば、一月二十八日
〔昼〕しおざけ、千枚漬け、めし、味噌汁
〔夕〕牛肉ヒレ、鉄板ヤキ(にんにく、しょうゆ、リンゴ)、玉ねぎ、じゃが
いも、けんちん汁、めし、ビール(小)
なんだか、この(小)がかわいいと愛読者は思ってしまうのだ。
夜食をとる日もある。
二月十二日
〔昼〕ロールキャベツ、ロールパン、大根とハムのサラダ、コーヒー
〔夕〕ねぎまなべ、カレーライス
〔夜〕ベーコントースト、紅茶
「さむさつづく」と書かれているので、このメニュウには納得がいく。
とにかくいきなりお昼からご飯が始まるせいか、「トマトライスとコーヒー」
とか「スパゲティとコーヒー」とか、高校生の朝御飯のようなものも多い。健
啖家だなあ、気力に満ちていた頃なんだろうなあなどと思う。
五年後のインタビュウに、制作と生活の様子を答えているものがある。
「昼はだいたい十二時頃に起きて、昼間は軽いものを書いて、夜は晩酌をやっ
てから一時間くらい寝るんです。七時から八時ごろまで寝て、それから起きる。
ジャズのレコードをガンガンかけたりしながらその日書くものの下調べをした
りするでしょう。そうこうしているうちに十二時ごろになる。それからだいた
い朝の四時まで小説を書くわけです」
やはり小説家というのは八時間労働ではないわけだ。昼も夜も働いているの
だ。
この食日記には、日付、天気のほかにも来訪者についての記述がたくさんあ
る。原稿を取りに来る編集者たちについても書かれているので、この本の最後
には担当編集者たちの対談があり、日記記述時にどんな小説が書かれていたの
かもわかる仕組みになっている。
でも、そんなことより愛読者は作者の他愛もない日常を知りたがるのだ。例
えば私は、この何度も出てくる「トマトライス、コーヒー」がどんなものかを
知りたい。そう思って読んでいくと、三月十一日に「トマトライス(とり、玉
ねぎ)とあって、つまりこれは世に言うチキンライスのことなのだろうかと思
っていると、三月十六日にはチキンライスと書かれていて、違いがわからずち
ょっと迷う。多分トマトケチャップで味付けをした炒め飯のことなんだろうな
と考えることにする。というのは、四月に入ると炒飯の記述が増えてくるのだ。
外食の際にも何を食べたかも細かく記述されている。健啖家であり食べ物に
対する好奇心旺盛だった池波さんは、とにかく外食のたびに、同席者に違うメ
ニュウをとらせて分けて食べるのが好きだったらしい。いろんな味を知りたか
ったのだろう。
居職、つまり自宅を職場として働く人の食生活は、すべて三食主婦が用意す
るから大変だ。今のようなインスタントやレトルトのない時代だから、確かに
奥さんが大変だったろうなと思う。本人だけではなく、お姑さん付きだからな
おさらだ。だから、やがて月に一週間ほどホテル住まいにすることにしたと書
いてある。まあ、どこにいても仕事ができる小説家であり、いまやテレワーク
で誰もがそれが可能だなとも思う。そんな池波さんが仕事場として愛用したお
茶の水の山の上ホテルが、近くしばらく閉鎖するというニュースが流れてきた。
最後に、これを書いている今日と同じ十月二十五日に池波さんが何を食べた
かを記しておこう。
〔昼〕親子重、つけもの、コーヒー
〔夜〕冷酒、松茸むしやき、玉ねぎ白ソース、アジのたたき、大根味噌汁、納
豆、めし、つけもの
いいなあ、松茸か。この秋は暑すぎて、松茸もあまり採れてないんじゃない
だろうか。時代は変わっていって食べ物の季節感までもが違ってしまっている
気もする。時はただ流れていくのだけれど、小説の中ではいくらでも昔に遡れ、
その時代の食べ物をじっくり味わったりできる。そんな池波さんの贈り物を今
も味わえることに感謝しながら、しばらくこの食日記の中をさまよってみよう
と思っている。
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『食べ物日記 鬼平誕生のころ』池波正太郎著 文春文庫
『KAWADEムック文藝別冊池波正太郎没後30周年記念総特集』
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
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第4話 工事再開、そしてクラファン成功
二〇二一年八月二十一日(土)大安
少し時間が空いたが、クラファン終了後、初めてのワークショップ。という
ことで、周りの期待もあったのか、十五人以上が集まる。
私は酔っぱらってしまって寝てしまったが、夜中にゆり起こされる。起きる
と何やら階下が騒がしい。寝ぼけ頭で話を聴くと、どうやら、ガレージでヤ〇
ザっぽい人に絡まれたらしい。警察も来ているようで、パトカーが取り囲んで
いる。
どうも、下で騒いでいるヤ〇ザは隣の住人の関係者らしい。兄貴分が来たと
ころ、隣が騒がしい。で、階下に降りると、自分の車を出そうと思った際、邪
魔だ、と思ったようで、夜中にも関わらずクラクションを鳴らしまくったそう
だ。
その音を聞いて、自動車が邪魔ならどけようかとメンバーが降りていったと
ころ、絡まれたらしい。大声で、警察呼べるなら呼んでみろ、と叫んでいたの
で、すかさず、こちらのメンバーが一一〇番をしたそうだ。警察が来たら、今
度は組織対策課の誰それを呼べ、と要求し、警察がそれに答えて、パトカーの
量が増えたのだとか。
おみつさんも一緒に下に行き、交渉していたが、とりあえず怒りに任せて怒
鳴っている様子もなく、警察もヤ〇ザっぽい人も事態をどう収拾するか、とい
う感じだった。
隣では、女性の声がベランダで、親分っぽい人と電話をしていて、すみませ
ん、すみません、と謝っていた。
実際のところ、夜中に騒いでいたのはこちらであって、こちらに非があるの
だが、逆にクラクションを鳴らして警察を呼べ、と叫んだら、そっちの方が近
所迷惑な訳で、なんともおバカな話だなぁと思いつつも、そういう業界の人は
素人さんに手出ししてはいけない、というのがあるのだろうか。うるさいのに
我慢を重ねて爆発させてしまって、申し訳ないことをした。
とりあえず、こちらは殴られることもなく被害は無かったが、さすがに自動
車の数が多すぎると、近くの駐車場まで運転代行を頼んだところ、運転代行が
警察がたくさんの中での運転に緊張したのか、運転代行のくせに木の柵にぶつ
かるという事故をおこされてしまった方が一名いた。保険で解決するそうだが、
被害といったら、それくらいだった。
いずれにしても、自分が寝ている間に起きた事件であり、大ごとになるよう
な、何事もなくてよかったといえる。
二〇二一年八月二十三日(月)仏滅・処暑
おみつさんのお父さまよりLINEで連絡。土曜日の事件について、マンシ
ョンの管理組合よりわけのわからない手紙が来たらしい。内容は、
・貸主として、深夜に大声を出すことを許容しているのか?
・貸主として、不特定多数の人間を出入りさせているのか?
・貸主として、不法駐車を指示しているのか?
という、まさにケンカ売っているのか?という内容。
まず、大声を出していたのは隣の関係者だし、居たのは不特定多数ではなく
特定の人だし、管理人にここに停めてと言われた場所に停めていただけなので、
すべてがあらぬこと。
それはお父さまも理解し、向こうの主張を否定したうえで、管理組合は反社
会的勢力の味方をされるのですか?というような文書を提出することに。
お父さん曰く、この時期、やはり山梨県以外のナンバーに対しては、ちょっ
と拒否反応があり、それもあって、こういう対応をしてきているのではないか、
ということで、今後はお父さんの会社の駐車場に停めに行くことにしようとい
うことになった。
実際のところ、前回の夜中のカラオケもそうだが、メンバーを煽っていちば
ん騒ぐのが、酔っぱらったおみつさんだったりするわけで、父親として何とか
してください、とメッセージしたら、私も手に負えません、皆さんで何とかし
てください、とのこと。親子の関係がいちばん難しいのかもしれない。
二〇二一年一〇月五日(火)大安
再び工事。キッチンカウンターと洗面所を設置。
壁一面の本棚設置。
夜、オンラインでの仕事が終わった頃、しんさんからメッセンジャーで連絡
が入る。甲府駅近くの居酒屋で飲んでいるので来て欲しい、とのこと。
行くと、電気工事屋さんと大工さんも一緒に飲んでいる。
しばらく飲んでいると、二人は帰って行った。聞くところによると、大工さ
んは最初にこの案件で甲府を訪れた後、甲府の夜の街がお気に入りになってし
まい、毎週、通っているのだとか。なので、今回の工事も何かあればいつでも
いくよ、とお金に関係なく協力してくれているのだとか。ありがたい話。
その後、酔っぱらったしんさんがどうしても行きたいというので、甲府のキ
ャバクラへ。といっても、店を知らないので、元キャバ嬢だったという、やる
気なさげな居酒屋のママに店まで案内してもらう。閉店後も飲み足りないとし
んさんが言うので、今度はラウンジを紹介してもらう。行くと、コロナの影響
か、客が誰もいない。なんとなく責任感を感じてしまい、閉店まで飲み続ける。
ベロンベロンになったしんさんをホテルに送り届けながら、店のマスターが偉
く感謝してくれて、また来てください、と名刺を渡されるが、残念ながら、店
の位置はまったく覚えていない。
ちなみに後から聞いた話だが、しんさんは私を最初のお店に呼んだ時点から
記憶がなかったそうである。
二〇二一年一〇月九日(金)赤口
ラスト・オブ・左官ワークショップ。
今回は一応、左官が最後の触れ込みということで、天井も含めて左官。最初
の頃は、天井の左官はプロではないとできないだろうと思っていたが、何度か
作業を重ねるうちに、皆さん、レベルアップしている感じで、素晴らしい。
二〇二一年一〇月十七日(月)友引
倉庫に置きっぱなしの三十箱以上の段ボールを部屋に運び込み、書籍を出来
たばかりの本棚に移していく。
なんというか、途中で諦めたくなるような量ではあるが、途中で止めるとや
りたくなくなると思い、頑張って運ぶ。
今回はとりあえず出すだけで、整理するのはちょっとずつやっていくことと
する。
二〇二一年一〇月二十二日(金)先勝
電気工事。脱衣所にも電灯がつく。脱衣所の床貼りも大工さんにお願いし、
綺麗に貼っていただく。大工工事がすべて終わる。
二〇二一年一〇月二十四日(日)先負
再び、ワークショップ。
カーペットを貼り、トイレの壁紙を貼り、柱に銅板に貼る。
いよいよ仕上げの段階、という感じである。ここまで長かった。
二〇二一年一一月三日(水)先勝・文化の日
本日、いよいよ、クラファンに協力してくださった方を集めてのお披露目会!
…の予定だったが、未完成の部分があり、酒を飲むものあり、左官をやるもの
あり、塗料を塗るものあり、のカオス状態。
おみつさんのお父さまからもワインを一ダースいただき、昼からどんどんボ
トルが空いていく。
確か予定では二十名程度が集まる予定だったのが、三十名になっていた。こ
うなると、騒ぐな、というのが無理な話。
作業の材料が足りなくなり、近くのホームセンターに買い出しに行こうとふ
と見ると、サイレンを鳴らさないパトカーが臨時駐車スペースに。何だろうと
思ったら、やはり我が家が目的だったらしく、買い物先に、警察が来た、と連
絡が入る。
戻ると既に警察は帰った後で、近所の方が呼んだらしい。聞くところによる
と、たまたま隣の住民も出てきて、うちが呼んだんじゃない、最近は静かにし
てくれて助かっているよ、と警察に主張してくれたらしい。
後で聞くと、山梨の人は、警察をすぐ呼ぶらしい。警察の方も大変である。
ともかく、長きに渡る移住とそれに伴うリフォームも一旦、完成ということ
になる。度重なる工事のストップやら、なんども警察の御厄介になるなど、ま
あ、いろいろなことがあったが、ここからは安らかな生活が始まり、執筆活動
などにも専念できるのではないかと、期待は高まるばかりである。
(了)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。(あ)
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第172回 言葉と文化の白地図
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 恐怖の「ディアトロフ峠事件」とは
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第17回
October The Unrealized Century
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第172回 言葉と文化の白地図
いつも思うのだけど、ぼくは読書家ではなくて、積ん読家なんだなあ。本は、
それほど読まないけれど好きなことは好きなようだ。そうでなければ本の山で
部屋を埋め尽くすことにはならない。
散歩のときに寄る店は書店が多い。というか書店がある町を歩くのが好きで、
散歩の目的は本屋に寄ることだったりする。ついでにレコード屋があればいう
ことなし。
お気に入りの書店の棚を見ていると、「この本、いいですよ」と語りかけて
くるような気がする。小さな店は、限られたスペースではあるけれど、その店
ならではの選書をしていて楽しいし、大型書店でも、そのフロア担当者の思い
が伝わってくるコーナーがある。並んでいる本を見ていると、書店の担当者と
会話をしている気分になってくる。大型店でも小さな店でも、そういう気分に
してくれる書店が好きだ。
先日、千駄木にある往来堂書店の棚を見ていたら、『ことばの白地図を歩く』
(名倉有里 著 創元社)が棚差しになっていた。それも2冊も!
この本を知ったのは、YouTubeで配信されている報道番組「ポリタスTV」だ
った。ジャーナリストの津田大介がホストを務める時事問題を扱っている番組
だが、3週間に一度、たしか木曜日だと思うが、「石井千湖の沈思読考」と
いう書評家の石井千湖が本を紹介している。
そこで紹介された『ことばの白地図を歩く』という本はタイトルを聞いたと
きから、読みたくなった。タイトルって大事なんだな。昔、出版社に勤めてい
るとき、営業部の人に「本のタイトルと装丁で売れ行きが変わる。
よく考えろ!」と怒られてばかりいたけれど、本当なんだね。魅力的なタイトル
はそれだけで読みたくなる。
それにこの本には「翻訳と魔法のあいだ」というサブタイトルがついていて、
いちおう翻訳の仕事もすることがあるぼくは、
ぜひ読まなくちゃいけないな、と思っていた。魅力的な選書をしている往来堂
書店が2冊も棚差しにしていたのだから、面白いこと間違いなし!
すぐに手に取りレジに向かった。
『ことばの白地図を歩く』は創元社の「あいだで考える」シリーズの1冊だっ
た。このシリーズは「自ら考える力」「他者と対話する力」「遠い世界を想像
する力」を養う多様な視点を提供する、とコンセプトが巻末の「創刊のことば」
に書いてあった。対象年齢は10代以上だれでも、とあって基本的には中学生
ぐらいを頭に置いて書いているのかな。
『ことばの白地図を歩く』は、ゲーム好きの年代が読みやすいようにロールプ
レイングゲーム仕立てにしてあって、各扉に謎が与えられている。
ストーリーの語り手は印刷機だ。「言語や文化」という難しいテーマを児童
文学を読むようにやさしく解説している。
といって内容は子どもだけに向けられてものではなく、母語以外の言葉を習
得すること、翻訳とはいったい何をすることなのか、60代になったぼくにも実
に学ぶところが多かった。
著者の名倉有里さんは、ロシア文学研究者で翻訳家。ロシア国立ゴーリキー
文学大学を日本人として初めて卒業した。
ロシア語との出会いが素敵だった。子どもの頃、おかあさんの故郷である新
潟で休みを過ごして、東京ではめったに見られない、どっさりつもった雪の世
界に魅了される。新潟に行けないときは、「読むだけで雪景色の中に連れてい
ってくれるような本」を読んだ。そして中学生のときにレフ・トルストイの小
説に出会う。新潟で米を作っているおじいさんもトルストイが好きだったとい
う。ロシアへの思いが募って高校時代に独学でロシア語を始める。
こんなふうに語学との幸運な出会いがあるんだなあ。名倉さんは書いている。
「つまりは好きになるきっかけを見つけて、ときめいてしまえばいい。学べば
学ぶだけ身近になり、知るほどに新しい世界を見せてくれる。そして運命だと
思いつづけていれば、いずれは運命になってくれるのだ」と。
これは語学に限ったことだけじゃないかもしれない。ほかの学問でも、音楽
でも、スポーツでも「新しい世界」を見るために人はがんばるのかもしれない。
ときめきを忘れないことが肝心なのだろう。
ぼくの家には、ロシア語の本がたくさんあった。子ども向けの絵本だってた
くさんあった。父は毎日、短波ラジオでロシアのニュースを聞いていた。幼い
ぼくにはロシア語の響きは暗号のように聞こえて、スパイみたいでかっこいい
な、と思ったのを覚えている。
でもぼくはロシア語に魅了されることはなかった。「おまえがロシア語やポー
ランド語をやるなら、いくらでも資料があるんだぞ」と冗談まじりに両親はいっ
たけれど、ぼくは「不肖の息子」を絵に描いたような子どもだった。正直にい
うと、名倉さんの文章を読んでいると両親の失望が思い浮かんできて、チクリ
と胸が痛んだ。
語学や翻訳についてとても面白く書いている本だけど、ぼくがとくに印象に
残ったのは第2章の「文化の選びかた」だった。ぼくもうっかりと使ってし
まう「異文化」という言葉に疑問を投げかけている。
名倉さんはテリー・イーグルトンの著書『文化とは何か』(大橋洋一 訳
松柏社)を本棚から取り出して語っている。ここのところは、ちょっと難し
い。でも、とても大切な文章が続いている。
「文化とは、人と人がなにかしらの共通の様式を用いて理解しあうための営み」
であるのに、現代は「理解しあう営みという最も重要な点がおろそかになって、
互いの違いを強調し優劣を決めたがるようになっているのではないか、と名倉
さんはいう。
そして「異文化」という考え方には、前提として自分の属する文化があって、
しかもその文化は自分自身で選んだものではなくて、生まれた国であったり民
族に結びついている。ぼくならば日本とか日本人ということになる。日本文化
とそれ以外の文化と線引きをしてしまうことは、かんたんに排外的な姿勢に
つながってしまう。
『異文化の「異」は人間の意識が作りだす恣意的な線引きでしかない』
名倉さんの言葉は、それまで「異文化」という言葉を意識していなかった
ぼくには、目から鱗だった。
そして『思うままに好きな文化を選び、その知識や技術を磨いていけば、誰
でも世界じゅうに「共通の文化」を担う人を見つけられる』と若い人たちに励
ましの言葉を書いている。
『ことばの白地図を歩く』という本は、これから語学を始める若い人たちにぜ
ひ読んでもらいたい。
翻訳家になりたい人には、言葉や文化に対する心構えや具体的な学習法など
名倉さん自身の体験から得た知識がたくさん書いてある。正直いって、ぼくに
は耳が痛いことばかりだったけれど。
翻訳家になりたい、という若い人がどれだけいるかわからないけれど、この
本を読めば目指したくなるんじゃないかな。いや、翻訳家志望の人でなくても、
言葉や文化のことをもっと知りたくなるだろう。
最後に少し宣伝です。かもがわ出版よりエッセイ集が出ます。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない“人生論”』というタイト
ルで、ぼくが経験したいろいろな仕事のこと、出会った人たちのことを書きま
した。10月23日ぐらいに書店に置かれる予定です。漫画家の山川直人さんに表
紙や挿絵を描いてもらいました。
もう一冊、翻訳の絵本が出ています。『ゆきのひ』
(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)です。雪の日、おじいさんといっ
しょに不思議な冒険をするお話です。書店で見かけたら、手にとってみてくだ
さい。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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皆さんは「ディアトロフ峠事件」と呼ばれる事件をご存じでしょうか。
1959年2月ソビエト連邦で発生した山岳遭難事故です。山岳事故よりは一種のオ
カルト的事件として扱われることもあるので、その文脈でご存じの方もいらっ
しゃるかもしれません。今回紹介するこちらの本はそのディアトロフ峠事件を
描いたものです。
『死に山』、ドニー・アイカー著/安原和見訳、河出文庫、2023
ではディアトロフ峠事件とはどのような事件だったのでしょうか。そしてな
ぜ遭難事故なのに「事件」と呼ばれるのでしょうか。
ディアトロフ峠事件とはソ連
のスヴェルドロフスク(現在のエカテリンブルグ)にあるウラル工科大学の学生
を中心とした9人のパーティ(当初10人だったものの途中で体調不良のためひと
り離脱)が、ウラル山脈北部のオトルテン山を目指すトレッキングの最中に遭難
死した「事件」のことです。メンバーはいずれも経験が豊富で、雪深い2月の
ウラル山脈でもトレッキングに臨む実力は十分に持っていました。それにも拘
らずパーティの9人全員が命を落としたこと、そのひとりひとりが不可解な状
況で発見されたことから、宇宙人や陰謀論とも結びつけられて語られることも
多くありました。
目的地であるオトルテン山の手前までたどり着き、雪山にテントを設営した
後、夜間にパーティの9人はなぜかテントを内側から切り裂き外へと出ていき
ました。そして何人かのグループに分かれた状態で遺体となって発見されます。
その中には冬山にはそぐわない薄着であるものや、ひどい外傷を受けたもの、
舌を失った状態で発見されたものもありました。またのちの放射能検査で、
衛生基準を上回る放射能が衣類から検出されたことも多くの憶測を呼びました。
原因としては雪崩や強風といった自然現象から、何者かの襲撃、あるいは
ソ連の兵器(放射性のものも含む)実験や宇宙人襲来までが語られていて、それ
が「事件」と呼ばれる所以でもあります。
事故の現場であるディアトロフ峠というのはこの事故後にパーティの
リーダーだったイーゴリ・ディアトロフの名がつけられたもので、事件が起き
た山の名はホラチャフリと言いました。これが地元の先住民であるマンシ族の
言葉で「死の山」という意味だったことも穏やかでないイメージを広めるのに
一役買いました。もちろんその名の由来はこの事故とは関係ないのですが。
アメリカの映像作家である著者はこの「事件」の真相を探っていきます。
その謎を調べるためにかなりの時間もお金も突っ込んでしまったのですが、そ
の根底にはGPSも便利な登山用具もない時代に人跡まれなオトルテン山を目指
した果敢な挑戦者たちへの共感があったようです。
本書の構成はトレッキングのパーティーがオトルテン山を目指して行く行程
のパート、行方不明となってしまった彼らの捜索が行われるパート、そして現
代の著者が事件の真相を探っていく三つのパートに分かれ、それらが並行して
書かれていきます。
ディアトロフの率いるパーティがオトルテン山を目指す過程は、遭難地で発
見された日記や写真から追跡することができます。経験豊富なメンバーたちだ
けに、未踏の山域への不安というよりも、トレッキングを楽しんでいる様子が
伝わってきます。特に写真には楽しそうな彼らが写されていて、この後のこと
を知っている読者には少しつらい気持ちが呼び起こされます。それとともにこ
のトレッキングは(難度は高くても)いたって普通のものであり、オカルトや陰
謀論の出る幕などは全く感じさせません。
捜索も、遭難した状況が異常であったことを除けば、山岳遭難の捜索と変わ
るところはありませんでした。ちなみにこの事件の原因として語られているも
ののひとつに、現地に住むマンシ族の襲撃によるものという説もあるのですが、
マンシ族の人々も積極的に捜索に参加しており、荒唐無稽な意見として著者
にも一蹴されています。
その後の捜査に手心が加えられた形跡もなく、謎が多いだけに遺体の回収
後の原因究明も様々な角度から行われました。後々様々な憶測を呼ぶことにな
る、衣類の放射能についての調査もそのひとつと言えるでしょう。しかし当時
の捜査の責任者は「未知の不可抗力」による事故と結論を出さざるを得ません
でした。
こうしたパーティの足取りやその後の捜査の内容は、政府の情報公開によっ
て後年明らかになります。著者はその情報を丹念に調べていく一方で、今もロ
シアでこの事件にこだわり続ける人々や、事件の遺族にも連絡を取っていきま
す。そしてこのパーティの唯一の生き残り(体調不良で途中で引き返した)である
ユーリ・ユーディンにも面会を果たしました。
しかし、肝心の著者の謎解きですが、ロシアに何度も行き、関係者の証言も
得て、現地を訪れたにもかかわらず、なかなか進行しません。もっともそんな
に簡単に解けるようなら、この事故が怪事件として長く語り継がれることもな
かったでしょう。しかし例えば、ロサンゼルスからはるばるディアトロフ峠を
訪れることで、トレッカーたちの最後のキャンプ地では雪崩はほぼ起こりえな
いということを確認したりもしています。
最後に著者は様々な説を検討した結果ひとつの妥当性の高そうな結論に辿り着
きます。それが何なのかは読んでのお楽しみということで。
パーティの山行や捜査の過程などはとても丹念に描かれていて、トレッカー
たちの山行を読者も追体験することができます。山行のパートは彼らの結末
が分かっているだけに、「その時」がいつ来るのかに読む手が止められず。捜
索のパートでも遭難者たちの不可解な状況が次々に明らかにされていくため、
どんどん先を読みたくなってしまいます。真摯にトレッキングを楽しんでいた
若者たちや、捜査に情熱を傾ける人々の記録を読むと、やはりこの遭難事故を
オカルトとか陰謀論で片づけてしまってほしくないなと感じるようになってき
ますね。
あやふやな噂話の中に隠されていたディアトロフ事件の真相を掴みだす謎解
き物語だけでない、十分な読み応えが本書にはあります。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第17回 October The Unrealized Century
10月1日の国慶節の連休にあわせて公開された張芸謀の新作
《堅如盤石Under the Light》は、バスの爆破から始まる。乗客を人質にバスを
ジャックしたテロリストの持ち込んだ爆弾が作動し、爆発が起こる。その光景を
見ながらふと思い出したのが、2008年の北京オリンピックで、開会式の演出
を担当した張芸謀に請われ、花火の演出を一手に引き受けた蔡國強だった。
言うまでもなく、火薬を用いた制作で世界的に知られるようになった美術家で
ある。
2023年7月上旬、私は六本木の国立新美術館にいた。6月29日から8月21日ま
で行なわれた展覧会《蔡國強 宇宙遊 〈原初火球〉から始まる》を観るため
である。広々とした展示スペースに、蔡國強特有の巨大な作品が並べられてい
る。入ってまず目に入ったのは、1991年に東京で開かれた個展《原初火球》の
出品作である。火薬の爆破によって生まれた痕跡が「美術作品」として紙に定
着させられている。衝立のように並べられた《原初火球》の作品群の向こう
には、光を点滅させながらゆっくりと旋回するいくつものインスタレーション
が見える。《未知との遭遇》と題された作品群である。
写真撮影が許可されていたため、観客の多くはスマート・フォンでの撮影に余
念がなかった。自撮りする観客も少なくない。写真撮影が基本的に許可されて
いる中国での展覧会では珍しくない光景だが、日本でこうした光景に接するの
ははじめてだった。耳に入ってくる言葉も、中国語が多かった。在日の中国人
が多く詰めかけていたのだろう。しかし私はここが日本であることを、いや少
なくとも中国大陸ではないことを意識させられ続けた。それは私が開館したば
かりの浦東美術館で、2021年7月8日から翌年3月7日まで開かれていた
《蔡國強 運行と帰来》展を観ていたからである。
ちょうど2年前の10月末、《光 テート美術館》展を観るために浦東美術館
を訪れた。ジョン・エヴァレット・ミレイの《オフィーリア》がお目当てだ
った。コロナ禍であったため、PCR検査の陰性証明が必要だったにもかかわら
ず、美術館の前には結構なひとがいた。《オフィーリア》を観るのは難しいか
と嫌な予感にとらわれたが、そんな心配は無用だった。細部をじっくりと味わ
って、好きなだけ写真を撮ることができた。贅沢な気持ちになって十分に満足
した私は、ふと思った。入口にあふれていた観客は、いったいどこに行ったの
だろう。
テート美術館展を観終わって、展覧会場から出ようとした私の耳に喧騒が響い
た。出ると、ひとでごった返していた。小さな子どもも少なくない。そこが
《運行と帰来》の展覧会場の入口だった。《オフィーリア》を観るためにやっ
て来た私は、浦東美術館のオープニング展覧会のもうひとつの目玉が蔡國強の
展覧会であったことを、その時まで知らずにいたのである。
1957年に中国福建省泉州市で生まれた蔡國強は、上海戯劇学院で舞台芸術を
学んだ後、1986年12月に来日した。1995年9月にニューヨークに拠点を移す
までの9年間、蔡は日本で活動した。そのため蔡は日本で比較的に知られてい
る。私も1995年に開館した東京都現代美術館ではじめて作品に触れて以来、蔡
の作品を観る機会は決して少なくなかったように思う。
《宇宙遊》展のカタログに寄せた文章で、国立新美術館館長の逢坂恵理子は、
次のように書いている。
〈蔡は1984年から中国で火薬を素材とした制作を試みていたが、1986年末、
より自由な表現の場を求めて日本に降り立った。彼の創作の代名詞ともいえ
る火薬ドローイングや火薬を用いた爆発によるプロジェクトを開発し発展させ、
実現の機会を得たのは日本においてである。中国とは異なり火薬の入手規制が
厳しい日本で、蔡は当初、おもちゃの手持ち花火を解体して火薬を集め、火薬
による爆発の痕跡をキャンパスや紙に定着させる実験を繰り返したという。〉
来日以前、蔡國強は地元の泉州市で火薬を用いた制作をすでに試みていた。春
節をはじめお祝いごとがあるたびに爆竹が鳴らされる中国では、火薬は容易に
入手することができたらしい。しかし蔡は日本にやって来た。火薬に関して日
本は不自由だったが、火薬の芸術家の誕生に寄与したことは間違いない。その
経緯については、個展《原始火球》を手がけた
P3 art and environment統括
ディレクターの芹沢高志がカタログに寄せたエッセイに詳しく書かれている。
《宇宙遊》のカタログでも、また展覧会を報じた新聞記事でも、蔡國強と日本
のかかわりが強調されていた。「ビッグバン 世界へ問う」(『朝日新聞』
2023年8月2日)は、コロナ禍で「行動制限の時期、米国のアトリエで日本時
代の日記やスケッチを見返した」ことが記されている。展覧会が始まる前の
6月27日に『朝日新聞』夕刊の第一面を飾った記事は「いわきの昼空 希望の
花火」と題され、鎮魂と平和を期したプロジェクト「満点の桜が咲く日」を伝え
た。日本での不遇時代、いわきの画廊で個展を開いたことがきっかけとなって
縁が生まれ、「昼花火」のプロジェクトが実施されたという。
カタログに寄せた文章で、在米の著名な中国美術史家・巫鴻は、《原初火球》
を「グローバル・コンテンポラリー・アートの一記念碑」として位置づける。
しかし蔡國強自身による日本への「感謝の思い」が掲載されたカタログを見
ていると、「グローバル・コンテンポラリー・アート」の起源が日本にあるか
のような印象が強くなる。もちろん展覧会の演出も、そうしたことを意図した
構成になっていた。
上海で行なわれた《運行と帰来》展の入口の前に置かれていたのは
《“夢遊紫禁城”花火の後》だった。
蔡は故郷の職人たちを招き、紫禁城を精巧に再現した模型を作成した。縮尺版
とはいえ、かなりの大きさの模型である。蔡はそこに花火を放った。模型には
赤や青、黄や緑といった花火の痕跡が点々と残っている。花火の様子はVRで
観ることもできる。中国を象徴する空間を中国古代文明が発明した花火によっ
て染め上げた作品は、600年前に紫禁城が建設されたときの典礼を想像的に再
現する試みであるらしい。中国の精神、美学、そして歴史を言祝ぐ意図が込め
られていよう。少なくとも、そうした解釈を拒む要素を見つけることは難しか
った。模型は多くの観客に囲繞されていた。中国が生んだ「世界的な美術家」
による中国の「文化自信」の力であると言ったら言い過ぎだろうか。
上海での《運行と帰来》展は、そもそも2020年12月から翌年2月まで故宮博
物院で開催されたものだった。故宮で現代美術の展覧会。北京オリンピックで
花火の演出を手がける以前、蔡國強は中国大陸では無名に近い存在だった。し
かし今では、中国が生んだ世界的な現代美術家として遇されている。国家的な
行事で花火を担当するようになったことも多くなったという。
展覧会が上海に巡回するのにあわせて、375頁に及ぶ大部な『運行と帰来』が
刊行された。片手で持つのが不可能なくらいに重いカタログをめくっていると、
展覧会の様子が鮮明によみがえってくる。巨大な3メートルに及ぶ《爆破され
たヘラクレス》がまっさきに思い浮かぶ。火薬によって爆破され、赤黒くなった
ヘラクレスの左には巨大なペニスがそそり立つ。うつむき加減のヘラクレス
は勃起したペニスを左脇に挟んで寄りかかっている。好奇心旺盛な子どもたち
は、ためつすがめつ古代ローマの「野性的力量」を眺めている。これは何?
これは何?質問攻めに遭って困り果てた母親は、子どもの手を引いて、強引
にその場から離れていく。
《爆破されたヘラクレス》はナポリ国立考古博物館で展覧会が行なわれた際に
実施されたパフォーマンスの産物である。博物館が所蔵する所蔵品からインス
ピレーションを得た蔡國強は、火薬を用いて《ポンペイ研究》と題された一
連の作品その他を制作するに至った。このように欧米の博物館での展覧会を契
機に生み出された作品は、蔡の作品群において無視し得ない地位を占めている。
プラド美術館ではエル・グレコ、ルーベンス、ヴェラスケスらの作品を変奏し、
ウフィツィ美術館ではルネサンス期の草花を題材にした絵画から想を得た
《ウフィツィ研究》を制作し、フランスのエクス・プロヴァンスにあるグラネ
美術館では、セザンヌが描き出したサント・ヴィクトワール山を「宇宙人」の
視点からとらえ返す試みを実践した。もちろんどのプロジェクトにおいても中
心的な役割を果たしたのは、中国古代文明が生んだ火薬である。このように美
術史と対話し、美術史を題材に作品を制作するプロジェクトは、蔡自身によっ
て「西洋美術史のひとり旅」と名づけられている。
おそらく「西洋美術史のひとり旅」で最も重要なのは、プーシキン美術館で
2017年に行なわれた《十月》展である。そこで蔡國強が邂逅したのは、少年期
に自身が学んだ社会主義リアリズムだった。特に大きかったのが、
コンスタンティン・マキシモフの再発見である。1950年代に中国にわたり、
2年ほど北京中央美術学院で教鞭をとったマキシモフは、中国の油絵の命運に
大きな影響を与えた。幼少期に中国で絵画を習った蔡は、みずからのうちにマ
キシモフからの影響を感じ取ったのだろう。折しもモスクワは十月革命の100
周年を迎えていた。プーシキン美術館での実践は、社会主義の外側では忘却の
淵に追いやられた社会主義リアリズムへのオマージュと探求に費やされたと言
っていい。ロシア語で書かれた「インターナショナル」を火薬を用いてシルク
に定着させた《音声》、またクレムリンの赤の広場で行なった《十月 赤の広
場での昼花火》は、そうした蔡の姿勢を象徴している。
赤の広場でのプロジェクト、またマキシモフの墓地への訪問、そして故郷の泉州
の山に解放軍が彫った巨大な毛沢東像の拓本を取る試み。それらを記録した映像
作品が《October The Unrealized Century十月 いまだ実現していない世紀》
である。
『運行と帰来』に収録された文章で清華大学教授の汪暉は、ドキュメンタリー
《十月》をはじめとする蔡國強の試みを、エイゼンシュタインが
《戦艦ポチョムキン》で実践した社会主義的な「前衛」に比すべきものとして
評価する。汪によれば、中国を出た後に日本からニューヨークへ、そしてヨー
ロッパへと蔡は移動を繰り返したが、その底流には社会主義国である中国への
思いが持続し続けていた。日本で行なわれた《宇宙遊》展とは異なり、ここ
では芸術家・蔡國強の起源は中国に据えられる。
《十月》の前には人だかりができていた。人混みをかき分けて観た《十月》の
中の蔡國強は、まぎれもなく中国の「文化自信」の体現者として存在してい
た。日本で紹介されている蔡とは、まるで違う人物のようにも感じられた。こ
うした姿を眼にすると、西欧の美術史を火薬を用いて再検討する試みも、現代
美術の隘路を打破しようとする芸術的な実践というよりも、政治的な意味合い
が濃厚なプロジェクトであるように感じられてくる。西欧の美術の正統を中国
古代文明を象徴する火薬で爆破し染め上げていく行為は、欧米に代わって普遍
的な存在たらんとする中国の意志を表象しているとも解釈できるからである。
国家的な儀礼で活躍する芸術家は、現政権が主導する「特色ある社会主義」と
矛盾することなく共存する。
2人の蔡國強がいる。日本の蔡、中国の蔡。こうした蔡國強をどのように考え
ればよいのだろうか。いかなる解釈をも可能にする蔡の作品のふところの深さ
を評価することもできるだろう。状況に合わせて作品を提示するしたたかさに
感心してもいい。他方で、変わり身の速さを機会主義的だと批判することも可
能である。とはいえ、日本で展覧会をするのなら、観客を呼び寄せるために日
本とのかかわりを強調することも、中国で展覧会を開くのなら、イデオロギー
を尊重することも当然である。芸術は政治と資本の力学の間で生起する。重要
なのは日本や中国で提供される情報を鵜呑みにするのではなく、それを相対化
する別の視点を求め続けることだろう。この時代、受容者ものんびりしてはい
られない。芸術に癒やされている場合ではない。芸術の秋は忙しい。
芸術?
日本に留学している学生から写真が送られてきた。熱海で行なわれた花火大会を
見に行ったらしい。花火を美しく撮った写真を見ながら、これを作った無名の
花火師が芸術家と呼ばれずに、北京オリンピックで花火を打ち上げた蔡國強だ
けがなぜ芸術家と呼ばれるのか、そんな問いが浮かんできた。現代における芸
術家と職人の差は何なのか。おそらくその差異にも、政治と資本の力学が関与
している。少なくとも、すべての芸術が党の宣伝として位置づけられている国
にあっては、芸術を「純粋」に楽しむナイ ーブさは禁物である。
【本文中で言及させて頂いた本】
『蔡國強 宇宙遊 〈原初火球〉から始まる』(美術出版社、2023年6月)
『運行与帰来』(北京日報出版社、2021年7月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。 2018年からは上海の大学に勤務
しています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知っ て、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
配信が大変遅くなり、読者の皆様を始め、著者の方、また、本のメルマガの関
係者の方々にご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。心よ
りお詫び申し上げます。今後はもっと気を引き締めて制作させて頂きます。ほ
んとうにすみませんでした。
15日号の著者である、吉上恭太さんが新刊を出されました。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられないー役に立たない”人生論”』かもがわ出
版刊 9784780312997 1870円税込 。
「若い人のために」というテーマを編集者にもらい、「結果的に半生を振り返
るエッセイ集となりました」と吉上さん。メルマガでもそうですが、そばで顔
を見ながら話しているような、そんな親密な、でも押し付けがましくない、
吉上さんならではの恭太節が心地よい一冊です。とかく、成功や失敗に振り
回されがちですが、生きていくってことは、ひとつひとつ時を重ねてその時々
に思ったり感じたりしたことの積み重ねなだ、と吉上さんの本を読んで改めて
気づきました。まだ、途中ですが、結果や効率でなく、したくないことはしな
い、なぜしたくないかをよく考える、それが大切なんだと思います。
イベントなどの予定も今後ご紹介していければと考えています。よろしくお願
いします。 畠中理恵子
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★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 第146回 野心のない初発性―谷川俊太郎『楽園』(トゥーヴァージンズ)
★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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★【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
→ しばらくの連載です
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ インタビュー先、募集中です!
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第146回 野心のない初発性―谷川俊太郎『楽園』(トゥーヴァージンズ)
谷川俊太郎は現在日本で最も著名な詩人だろう。1952年に21歳で刊行した詩
集『二十億光年の孤独』(三好達治の序文つき)は大反響を呼び、国語の教材
としても使われ、今や古典の扱いを受けている。その後、『定義』(1975)や
『コカコーラ・レッスン』(1980)のような実験的な詩集を出したり、「鉄腕
アトム」などの歌詞(1963)を書いたり、『ことばあそびうた』(1973)のよ
うな絵本を作ったり、と多彩な活動を繰り広げて現在に至っている。もちろん、
「スヌーピー」の翻訳者としても有名である。そんな谷川俊太郎は今91歳だ。
91歳という年齢は、自身の過去を振り返る年齢だと想像するが、その振り返り
を他者が促すこともある。
トゥーヴァージンズから刊行された『楽園』という写真集+詩集は、「1950
年代に撮ったフィルムが捨てられずに残って」いて、「編集のOさんがこれを
今の人たちに見てもらってはどうかと言ってくれた」ことがきっかけで編まれ
たという。谷川俊太郎は『SOLO/ソロ』(1956)などの写真集もある写真家の
顔も持っている。写真集を出すということは、写真家としてやっていくという
野心を伴っている。ただ好きで撮る、趣味で撮る、のとは違う。写真が谷川の
多彩な活動の一つであることは間違いないが、ここに収められた写真は発表の
あてもなく何十年も机の引き出しにしまわれていたものである。つまり、写真
家としての野心はここにない。
「lost&found」と題された写真作品のパートには、初めて手にしたリコーフ
レックスという二眼レフカメラで撮ったモノクロの写真が収められている。
「ファインダーを覗くと目の前の光景が額縁に収まった一枚の絵のように見え
て嬉しく、手当たり次第になんでも撮っていた」とのことだ。確かに身の回り
のものを撮った写真が多い。最初のページの写真は鏡に映った自分を撮ったも
ので、いわゆるカメラ目線ではなくやや上向きである。セルフポートレートを
撮り慣れていない様子だが、それだけに若い谷川の無防備な表情が印象的だ。
多くを占めるのは家族や親しい人、道ですれ違った人を撮った写真。記念写
真風のものもあるが、思いがけない角度、仕草、瞬間を切り取ったものもあり、
ドキリとさせられる。海辺で大勢の子供たちがブランコに乗っている写真は、
少し遠くから撮ることで、不思議な世界の出来事のような雰囲気を醸し出す。
薬缶から湯を注いでいる年配の女性の写真は、その真剣な眼差しに、注ぐ行為
への集中がよく表れている。斜め上の方向を見つめている若い女性を撮った写
真は、大きく映った影の形が面白い。
身近な動物である犬を撮った写真はファンタジックでまるで絵本のようだ。
窓枠に前足をかけてこちらを覗き込む犬はまるで人のようであり、後ろ足で頭
を掻く犬は気持ち良さが伝わってくる。庭で片足を上げて小便をしている犬と
それを見守る数匹の犬、彼らの仲の良さが浮かび上がってくる。
器物を撮った写真は写真表現そのものへの関心をダイレクトに示している。
吊るされた鍋、ひび割れたコンクリートに嵌められた電源のスイッチ、闇の中
にすっくと立つサイダーの空き瓶、書斎の薄闇に浮かぶ埴輪の頭の置物など。
これらの写真は趣味で撮る写真とは趣きが異なる。ファインダーを通して未知
の世界を探索してやろうという、尖った意識なくしては撮れない写真だ。自分
を空しくしてカメラが見たいようにモノを見る。送電塔の写真は上半分が途切
れており、送電塔としての機能を外した、細長い鉄の塊としての即物的な感触
を伝えてくる。
「shuffle」と題された詩のパートには、デビュー前とはいえ、写真よりも
作家性を感じさせる作品が収められている。後に『二十億光年の孤独』に収録
された詩もある。谷川が詩を書き始めたのはカメラを手にした頃とほぼ同時期
で、高校の同窓であった、後に児童文学作家となる北川幸比古に刺激されたと
ころが大きかったという。「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かと
んでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい」(「かなしみ」)、
「遠くの国で物のこわれる音がして、/幾千万のちりぢりの会話が/終日僕を
苦しめる」(「合唱」)、などは、若い作者のナイーブな心情を「おとし物」
「こわれる音」という意外性のある言葉で巧みに表現している。「陽は私を若
い神のように化粧させた」(「谺」)は、戦前のモダニズム詩の洒落た言葉遣
いに影響を受けたものだろう。
「一九五一年一月」という詩は、「少女」「博士」「乞食」「原子爆弾」
「機械」などによるモノローグを集めた詩で、「原子爆弾」は「呪いのみが私
を支える/無知と傲慢とが/ひとつの法則を畸型にする/そこからすべてがひ
びわれてくる/やがて無が茸の形をして/一瞬宇宙を照らすだろう」とある。
時代への鋭い批判、文明批評的な視点が見られ、「荒地」グループの田村隆一
の詩に近いテイストが感じられる。この批判精神は散文詩「午の食事」にも見
られる。「お祖父さんもお母さんも妹も、そうして失われる時もみんな一緒に
午の食事をしたためる。蝶がとぶ、爆撃機がとぶ、いかなる並木道を歩いたか。
感傷におぼれず働くことのみ喜ぶ人も、病気で星雲のことばかり思っている人
も午の食事に席を列ねる」と、平和な光景の中に不穏なものを抉り出す手つき
が生々しく、印象に残る。ナイーブな抒情詩の枠から踏み出す、大人の詩人の
思考が動いている。
写真も詩も、谷川俊太郎が作家として世に出る前に創作されたものである。
詩の方には幾らか凝った表現を目指す意思が感じられるが、全般として、野心
よりも、カメラや言葉といった表現手段への初々しい興味が先行している。こ
れを素人(アマチュア)の作品と言うことはできない。素人というのは、プロ
への憧れを心に内に宿したまま、プロに近づこうとはせず、趣味として表現を
完結させようとする人たちのことだ。しかし、プロフェッショナルな芸術家の
作品という感じもしない。「プロ」は、大衆を満足させて対価に見合ったクオ
リティの作品を提供する人たちである。後年の谷川俊太郎の仕事は、大衆を満
足させながら自己の関心事を突き詰め、自分を更新していく点で、「プロ」の
名にふさわしいものであろう。
しかし、この『楽園』に収められた写真や詩は、素人でもプロでもない、一
個人としての興味を素直に表現の形にしたものだ。対象や素材、手段と楽しく
遊ぶことに夢中になっている姿が記録されている。その遊び方には独自の作法
があり、拘りがある。これらの作品を味わっていくと、谷川が若い頃から数多
くの文学・芸術作品に触れていたことがよくわかる。先行する作品を知らない
と作れないような技法がそこここに目につくからだ。しかし、それは土台であ
るに過ぎない。ハイブロウな芸術作品を作ることに興味はなく、若い命に根差
した感情の奔出に身を委ねている。ただただ瑞々しい。ページをめくるごとに、
野心のない表現の初発性に打たれることになるのだ。そして初発性こそが芸術
の出発点であることに、改めて気づかされるのである。
*谷川俊太郎『楽園』(トゥーヴァージンズ 本体10,000円)
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その85『アガサ・クリスティー自伝 下』
アガサ・クリスティーの自伝を読み始めた時、この食いしん坊のお嬢さんは
いつお料理を覚えたのだろう?と疑問に思った。というのは、彼女は裕福な家
柄の出で日常生活はすべて召使が担っているからだ。お料理はジェーンという
専任の料理人が一手に引き受けていて、アガサの母は何もしない。もちろん子
供はみな台所に入りびたるものだから、アガサもお料理をする様子は眺めてい
たかもしれないが……。
さて、アガサは第一次世界大戦直前に、アーチボルト・クリスティという航
空隊に入る予定の若い下級将校に出会い、ひとめぼれされる。そして、彼女の
方も恋に落ちる。彼にはまだ生活できるだけの余裕がなかったために、二人の
婚約期間は一年半にも及んだ。そこへ突然戦争が起きたのだ。アーチーは戦場
へと去り、アガサは篤志看護隊に入り病院での勤務に就いた。時たまの休暇で
会うだけの生活が続いていたある日、クリスマスの休暇で戻ってきたアーチー
は今すぐ結婚しようと言い出し、アーチーの実家のあるブリストルで二人きり
の結婚式を挙げてしまう。いかにも戦時下という感じがする結婚だが、そうい
う時代だったのだと思う。双方の家族も最初は驚いたが祝福してくれたという
から。けれど、二人が本当の結婚生活を送るようになるのは、戦争が終わる少
し前のことだった。アーチーが静脈洞のため飛行機に乗ることができなくなり、
ロンドンで後方勤務に就くことになったのだ。
ロンドンのアパートで二人の生活が始まったのだけれど、この時代には召使
いなしでは暮らしていけない。そこで、軍隊時代のアーチー付きの従卒が仕え
てくれることになった。この人は元貴族の従者だったというから、完璧な執事
だったらしい。でも、さすがに料理人は雇えなかったようだ。
アガサはアパートの家主から、新鮮な魚の買い方やオレンジの見分け方を習
ったという。そして、軍の配給でアーチーが持ち帰ってくれた巨大な肉を家主
にも分けて調理方法を教わった事によって、その後はこの家主が料理を引き受
けてくれることになったのだ。軍人はお肉を食べられただろうけれど庶民には
配給されなかったのだろう、こんな肉はアガサにとっては三年ぶりだったとい
う。そんなおこぼれのある軍人家族の料理を引き受けた家主の心境は想像でき
る。本格的な料理は彼女がして、朝食や夜食のような軽い食事をアガサが作っ
たらしい。
アガサも料理学校に通ったことはあって、ジャムのパイやビーフ・プディン
グを作ったことはあるが、それは問題外だったと書いている。確かにパイやプ
リンは日々の食事ではないものなのだろうけど。でも、ビーフ・プディングっ
て何なのだろう?プリンというと甘いものと思う我々日本人にとっては謎の食
べ物でしかないので、少し調べてみた。このプディングとは、お肉を混ぜ込ん
だプリンのことではなく、肉料理の添え物のプディングで、「ビーフ・プディ
ング」とは「ローストビーフのヨークシャプディング添え」という名の料理の
ことなのだった。これはイギリス人の日曜日のお昼の定番というから、これが
作れなくては主婦としてはまずいから、まず料理教室で習うのだろう。このプ
ディングの作り方は、型に小麦粉(薄力粉)と卵、少量の食塩を牛乳と水で溶
いて作った生地を流し込み、オーブンで焼くというもの。味は甘くはなく、ふ
わふわでもっちりとしたシュークリームの皮のような感じの食べ物で、グレイ
ビーソースなどのお肉にかけるソースをつけて食べるらしい。料理の基礎の基
礎として、アガサはとにかく、これだけは作れたのだろうけれど、毎日が日曜
日ではないのだから普通の料理も作れなくてはならないし、まして戦中ならば
大変だったろう。
ようやく戦争が終わると、侯爵や伯爵たちからの熱烈なお誘いがあったのか、
完璧な執事の従卒は一瞬で姿を消したらしい。戦後アーチーは金融業につき、
娘ロザリンドが生まれる。そして、戦中に書いて、いろいろな出版社から断ら
れていた『スタイルズ荘の殺人事件』が出版されることになり、その後徐々に
小説でお金を受け取ることができるようになる。
ところで彼女が小説家として生活するには、やはり家事を受け持つ人が必要
だった。でもまず、住み込みの保母がいなければ書く時間は得られない。よう
やくサイトという若い保母を雇えたのだが、食生活は相変わらず大変だったよ
うだ。サイトもアガサも、お互いに料理ができないのでそれぞれの得意料理で
補い合ったと書いている。
<私はチーズ・スフレ、ベアネーズ・ソース、昔ながらの英国流シラバブなど
が作れ、サイトは小型のジャム・タルトが作れたし、イワシの酢漬けもできた>
アガサの得意料理は、乳製品ばかりのようだ。ここに挙げた「シラバブ」と
は、昔は飲み物だったもので、現代はデザートとなった料理だという。16世紀
ごろ発祥のこのシラバブは、白ワインやりんご酒などに牛乳や生クリームを混
ぜた飲み物だったそうだ。今はカステラや砕いたビスケットなどの上に、砂糖
や白ワイン、ブランデーなどを入れた生クリームを泡立てたものをのせたもの
をそうよぶらしい。アガサはどっちを作ったのだろう?生クリームを飲むのが
好きだったから飲み物の方かもしれない。
アガサは小説家として収入を得られるようになっていき、ゴルフ狂になった
アーチーの好きな土地に「スタイルズ荘」と名付けた一軒家を買い、夫婦者の
召使を雇って住むことになる。けれど、この後、アガサは浮気したアーチーか
ら離婚を突き付けられて謎の失踪事件を起こしてしまい、二人は別れることに
なるのだ。
この後、アガサの自伝にはあまりおいしそうなものは出てこない。でも、あ
る伝記には、若き考古学者と再婚した後の様子が描かれている。夫と共にチー
ムを引き連れて行ったイランの発掘現場で、現地の料理人に、イギリスから持
ってきた缶詰や現地で手に入る水牛の乳等を活用して料理を指導していたとあ
る。アガサは水牛の乳の生クリームと木の実でクリーム入りのエクレアを作り、
料理人にブリキの箱を利用してチョコレートスフレを作るやり方を教えたとあ
る。それにしても、お菓子ばかり。しかも砂漠の真ん中でスフレとは……。こ
の卵の白身を泡立てて焼くお菓子は膨らまなければだめになり、食べる方もし
ぼむ前に食べないといけない面倒なお菓子だ。スフレがぺしゃんこにしぼんだ
りすると料理人は「わたしをつねってください、マダム」と言って謝ったとあ
る。何か現実離れした不思議な食卓が目に浮かぶ。
悪い奴は捕まって必ず罰を受ける。小さな恋は成就する。だから、ほっとし
て本を閉じられる。そんな優しいお決まりの探偵小説だけでは飽き足らず、奇
妙に死の香りが濃いミステリーや人生の殺伐とした側面をまじまじと見せる普
通小説を書かずにはいられなかったアガサ。きっと実生活の苦々しさも作品の
中で消化できたのだろうと思いたい。
ネタバレかもしれないが、どうも彼女の仕組んだ毒は飲み物の中にあること
が多いような気がする。あなたが贅沢なホテルの喫茶室で薫り高い紅茶茶碗を
手にしたとき、あるいはおしゃれなバーで背の高いカクテルグラスやワイング
ラスを渡されたとき、その中を覗き込んで、そこにあなたをあの世に導く毒が
一滴入っているかもしれないと想像してみるのも面白いかもしれない。グラス
を手にしたまま倒れたあなたの周りに、思いがけないドラマが展開していくの
だ……。
でも、ゆめゆめ誰かのグラスに本物の毒を入れたりしないように。アガサの
描く探偵が、必ずあなたを捕まえてしまいますからね。
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『アガサ・クリスティー自伝上下』アガサ・クリスティー著
乾信一郎訳 早川文庫
『アガサ・クリスティーの生涯』 ジャネット・モーガン著
深町真理子・宇佐川晶子訳
早川書房
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
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第3話 工事再開、そしてクラファン成功
二〇〇二一年三月九日(火)友引
しんさんが再来。積んであったブロックや砂セメントを撤去。オリジナルの
風呂を創るのではなく、ユニットバスを入れる方向で検討している旨を伺う。
管理組合からは、いつまで工事しているのか、という声も上がっているよう
だが、実質、工事はストップしているので、そんなことを言われても困るとい
うもの。
工事再開の見込みは立っていない。
東京の業者が来て勝手なことをして、という田舎特有の反発心もあるのでは
ないか、とは、おみつさんのお父さまの説。
二〇二一年三月十三日(土)友引
工事は進まないが、とりあえず機動力ができたこともあり、次の段階として、
近所のトランクルームを借りて、東京のレンタルオフィスを解約し、荷物を運
んでくることに。
調べると、今すぐ借りられるのは大きめサイズのところで、四月初旬から小
さいところが借りられるとのこと。借りるタイミングで安く運搬できるサービ
スもある、ということなので、とりあえず、現状の荷物を運んでもらい、四月
にオフィスの荷物と合わせて整理し、小さいサイズに移動するという二段構え
の作戦を取ることに。
二〇二一年三月十六日(火)大安
オンラインセッション漬けの一日。良い隙間時間に運送業者二名が来て、山
積みの段ボール箱を倉庫に移動。プロの仕事が気持ち良い。作業費二万三〇〇
〇円也。
二〇二一年三月二十六日(金)先負
オンラインの深夜ラジオに出演してくださったゲストの方が、構造計算の会
社にお勤めということで、個人で構造計算を出すといくらぐらいかかるのか、
と尋ねる。というのも、管理組合から、構造計算を出せ、と言われたらしいの
で。プロの意見では、個人で構造計算を出すなんてありえない、ということ。
管理組合の嫌がらせか?
二〇二一年三月二十七日(土)先負
あまりにも物事が進まないので、東京出張のついでに、大塚にいらっしゃる
除霊師みたいなカウンセラー、 Dr.K に相談。私に取り憑いていた物事を噛み
合わなくするモノが部屋に憑いて、いろいろ邪魔をしているということで、遠
隔退治してもらう。翌日の午後には消えているとのことですので、急遽、宿を
取り、翌朝まで東京に滞在することに。
二〇二一年三月三〇日(火)先勝
実家から持ってきた自転車のタイヤの空気がいよいよ入らなくなってきたの
で、大家さんに訊いて、近くの自転車屋さんに。もともと自動車を処分した父
が乗るためにと買ったのだが、父は自転車に乗ったことがない、と乗らないま
まだったので、私が乗っていたのだが、タイヤが小さくて乗りにくいと感じて
いたので、この際、と思って下取りに出して新しい自転車に買い替える。快適
になった。
二〇二一年四月二日(月)仏滅
ふと思い立って、ほったらかし温泉に。思わず揚げ玉を購入。味はまあまあ
かな。途中の道がぐにゃぐにゃでアクロバティックだった。
二〇二一年四月五日(月)先勝
オフィス引っ越し当日。クロネコヤマトの引っ越し便。前回の引っ越し屋同
様、きちんと見積もったにも関わらず、また、入りきらないと言われる。一体、
日本の引っ越し業界はどういうモデルで稼いでいるのか。
とにかく本が多い。追加料金を支払うことを了解して運び出してもらう。
二〇二一年四月七日(水)先勝
パーソナルスタイリストとの最後のセッションとして、都立大学の高級和食
懐石料理屋でランチ。オーナーこだわりの内装の中で、お料理とお酒をいただ
く。ランチなのにめちゃめちゃ高くてびっくりした。
ただ、空間的にかなりインスパイアされたので、そのイメージを活かすこと
にしたいと、メンバーに伝える。以下、そのメッセージ。
「まず、具体的な大きな変更点としては、風呂おけ不要、シャワーのみ設置、
としたいと思っています。近くに安い温泉がたくさんありますし、お客様の利
用の心理的ハードルを下げるためのアイデアです。また、基本的にコインラン
ドリーを使用とし、洗濯機は無くす、という方向で考えたいと思っています。」
これで水回りの工事はかなり楽になる予定。
二〇二一年四月十二日(月)先負
トランクルームにオフィスからの荷物を入れてもらう。家具類は新しく借り
た小さい方に入れてもらい、机と本棚を設置。書籍については前から借りてい
るところへ積んでもらう。今月末までに整理して移動させなければ。
二〇二一年四月十五日(土)赤口
知人に勧められ、山中湖のペンション・モーツァルトへ。とにかく書籍やア
ンティークがあふれる不思議な空間。音楽家や作家などが集まる場所だったよ
うで、登場している小説が飾ってあった。
夕食は主人の手によるフレンチ。なんとなく言い出せず、ノンアルで終える。
あまりに疲れていたのか、爆睡してしまう。
帰り際、主人に、釈迦堂遺跡博物館の見学を勧められる。
二〇二一年四月十八日(日)先負
ニトリのすのこベッドが届く。これで布団に布団を重ねて寝る生活から解放
される。
二〇二一年四月十九日(月)仏滅
関係者でオンラインミーティング。方針の変更。これまで風呂を作ることを
想定していたが、価格も高いし、来客も入りづらいということで、シャワーブ
ースのみ、に変更。これによって管理組合への書類を通りやすくする、という
ことに。
二〇二一年四月二十日(火)大安・穀雨
倉庫の整理。やや筋肉痛。
二〇二一年四月二十五日(日)仏滅
倉庫の整理。荷物の移動が完了し、大きな倉庫については鍵の返却手続きを
行う。
二〇二一年五月四日(木)先負
休みということもあり、おみつさんがゴマチさんとミカさんを連れて来訪。
おみつさんのお父さまのお仕事はジュエリー加工業で、近くの温泉に寄ってか
らみな、会社を見学に行って目を輝かせていた。
二〇二一年五月六日(木)先負
今、出している工事申請について、修正依頼があると、なぜか管理人に伝え
られる。
・配管収まり図
・間取図の空白部分を記載
・例えば、弾性床を使用する等。仕様を明確に示してほしい
そのまま、しんさんに伝える。実際には空白の部分は何も決まっていないの
だが。
二〇二一年五月二十五日(火)大安
工事再開の許可が下り、だいたいの方針が固まったので、再度、ミーティン
グ。費用が第一次基礎工事までで尽きてしまうので、残りをクラウドファンデ
ィングで集めるべく、経験豊かな、海士町のON氏に教えを乞う。
ON氏曰く、このメンバーでこの内容なら絶対に集まります、とのことで、
一同、勇気づけられる。
ただし、クラファンの表には私ではなく、おみつさんが立った方が良い、と
いうアドバイスにより、クラファンのオーナーはおみつさんということに決定
する。
明日、管理組合確認で、二十八日から基礎工事着工が決まる。やっと。
二〇二一年五月二十八日(金)友引
工事再開。まずは大工仕事から。動画を撮影し、写真を撮りながら工事の様
子を収めていく。なかなか、そういう機会はないそうだが、究極のノンフィク
ションだし、ユニークなコンテンツだと思うのだが。もったいない。
二〇二一年五月二十九日(土)先負
ゴマチさんが愛犬とともに再来。倉庫に納め切れていない、生活用品を見事
に棚に収納してくれる。こういう収納は得意だし好きなのだが、今の仕事でこ
の能力を使う場面がないのだという。もったいない才能だ。
ともかく、これで工事現場が拡大しても、対応できるようになった。
二〇二一年六月一日(火)赤口〜四日(金)先勝
基礎工事の続き開始。床を貼り、リビングと洗面所を分ける壁が立ち上がる。
続いて、洗面所部分の床板も貼られていく。
二〇二一年六月七日(火)赤口
第一回クラファン・ミーティング。略してクラミー。心配そうなおみつさん
に対して、あくまでもポジティブなON氏。そのおかげで返礼品も前向きにい
くつか出てきて、全体的に良い感じの雰囲気になる。
これから工事を始めます、ではなく、もうすでに初めてしまってお金があり
ません、の方が集まりやすいということで、ちょうどよいタイミングだとON
氏。なごむ。
二〇二一年六月一〇日(金)大安
電気工事の仕上げが入る。当初、電気は予算を絞った結果、天井に電灯のス
イッチをつけるよ、と言われていたが、現場の職人さんが、こっちの方が便利
だよな、とおっしゃって、壁際にスイッチをつけてくださる。現場力、ありが
たい。
LANケーブルも書斎の方に引き直してくれて、これで仕事がしやすくなっ
た。ありがたい。
二〇二一年六月一二日(土)先勝
床ができたということで、メインメンバーの初めての集合。室内キャンプ。
クラファンのための写真撮影も兼ねている。皆がめいめいにキャンプ用品を持
参し、快適な空間に。
メンバーの一人が、恵比寿の解体現場から洗面所のシンクをもらってきてく
れたので、大工さんの置いていった材料を少し拝借して洗面台を作ることに。
排水が詰まっていたのでかなり苦労したが、何とか設置完了。引っ越して来て
半年、これでやっと文明的な水道ができた。
夜はホットプレートを引っ張り出してきて、皆で焼き肉。まさにキャンプ気
分。夜中におみつさんが酔っぱらって、カラオケをすると言い出し、男ども全
員でテレビとスイッチを寝室から運び込み、BOOMの歌などを歌う。夜中に
ピンポン鳴らされる。うるさかったらしい。
二〇二一年六月一五日(火)仏滅
甲府駅に行く途中にあるアンティークショップを見に行くと良いと、しんさ
んに言われていたので、立ち寄ってみる。店主は不愛想に見えて、実は話し好
きのようで、頼んでも居ないのにいろいろしゃべってきた。今、引っ越しして
きてリフォーム中であることを伝えると、娘が市役所の移住課に居るので相談
してみたら、とアドバイスをもらう。
二〇二一年六月二十一日(月)仏滅・夏至
マイナンバーカードの申し込みに行くついでに、市役所の移住課に連絡して
みる。受付時間が迫っているというので、階下に降りてきてくれる。近くのア
ンティークショップで教えてもらったというと、やや不満そうだった。
移住してきたら、もう移住課の担当じゃないとおっしゃりながら、農業に興
味があるので、相談できる相手がいないかと尋ねると、別団体のSさんを紹介
してくれる。
二〇二一年六月二十八日(月)大安
クラファンスタート。最初の設定金額は、二百五十万円。滑り出しは順調。
二〇二一年六月二十九日(火)赤口
本日は、いよいよシャワーブースの設置。クラファンの成功を見込んでの基
礎工事二期、ということになる。設置後、明日は脱衣所まわりの床と壁を貼っ
て基礎工事の完成となる。いざ設置完了してシャワーをひねってお湯が出た際
には、男三人だが悲鳴を上げて喜んだ。
左官屋一名来て、最も難易度が高いと言われる天井左官をやっていただく。
二〇二一年七月三日(土)仏滅
今日からクラファン返礼品としてのワークショップを開催。今回は左官ワー
クショップ。要するに、壁をしっくいで塗り塗りするのを手伝ってもらう、と
いう話だが、それでも楽しみに複数の方が集まってくださった。
まずはしんさんによる養生の説明。塗らない範囲をしっかり養生しないと、
綺麗に仕上がらない。
結局、二日かけて、リビングの壁をほぼほぼ塗り終る。
二〇二一年七月九日(金)仏滅
先日、紹介してもらった市の農業支援の施設御担当のSさんにお話をお伺い
に行く。農地を借りる場合、一反で年間二万円くらいが相場だそうだが、やは
り農業経験が無い方に貸すのは農家さんが心配する、とのこと。農業経験って
何かと尋ねたところ、実際に農家に入って働くことだそうで、なかなか現実的
には仕事を捨てないと難しそうである。
クラファン、二百万円達成。
二〇二一年七月二十日(火)仏滅
クラファンの初期目標であった二百五十万を達成し、プラス百五十万に目標
をアップデートする。
二〇二一年七月二十四日(土)友引
左官ワークショップ続き。ここのところ、二時間程度左官をして、その後、
温泉に行って食事をして、というのが習慣になっている。
今回はおみつさんのご実家に立ち寄り、新鮮な野菜を収穫させていただく。
ゴーヤもキュウリも大量に収穫できた。
二〇二一年七月三十一日(土)赤口
クラファン終了。結果的に二〇九名の方にご支援いただき、四一七万二千円
集まる。これで二期工事が完了できそうな目途がついた。
(つづく)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。(あ)
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第171回 大震災とロマンスと
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 手つかずの「原生」の島
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第16回 ルフィが寿ぐ「一帯一路」
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第171回 大震災とロマンスと
今年は1923年9月1日に起きた関東大震災から100年になる。死者10万人、
29万戸以上の家屋が失われた。ぼくが子どものころは、まだ関東大震災を体験
した人が生きていて、その恐ろしさを教えられてきた。ぼくたちの世代は子ど
ものころから、地震の恐ろしさを教えられて育ってきたんじゃないか。ぼくは母
方の祖母から、地震の話を聞いたことがある。それは、恐ろしかった記憶とと
もにロマンスの話でもあった。
なんでそんな話になったのか、いまではよく覚えていないが、おそらく思い
出話を聞いているうちに祖父とのなれそめを話すことになったんだろう。
「おじいちゃんと初めて会ったのは、大地震の日だったんだよ」
祖母はとくに恥ずかしがるでもなくたんたんと話をしてくれた。
大正12年9月1日、祖母は津田英学塾の夏期講習会で仲良くなった同級生の
家をたずねていた。家は新宿の柏木にあった。同級生とは、内田田鶴子といっ
て評論家、翻訳家、小説家・内田魯庵の次女だった。
当時のことを祖父・巌が『絵画青春記』に書いている。以前、少し紹介した
本だけれど、祖父と祖母の出会いと関東大震災のことを書いてみたい。
昼時でライスカレーを食べていると、突然の地震があった。「たいしたこと
はないだろう」とそのまま食べていると、いきなり天井からドサッと土くれや
埃塵が落ちてきてライスカレーはめちゃくちゃにされた。時計が落ちる。隣の
台所の茶碗が一時に壊れる。屋根瓦が崩れだす大変なことになった……。
大震災に遭いながら、のんびりしているなあ。こんなところに祖父・巌の
人柄が現れている。
そのときだった。
よろめきながら一人の少女が入ってきた。「吉居静子だ」巌は咄嗟に感じる。
これが祖父・巌と祖母・静子の出会いだった。まるでドラマのような、少
女小説のような出会いだ。『絵画青春記』を読むと、静子は田鶴子に田鶴子の
兄が画学生と聞いて興味を持っていたらくて、しきりに紹介してほしい、とい
っていたようだ。田鶴子はそのことを手紙で巌に知らせていた。巌もまんざら
でもなく、静子がどんな少女か想像していた、と書いている。
そうだ、地震の話だ。
「安政以来だ、安政以来だ」と叫びながら魯庵が転がるように二階から降りて
くる。
家中の人間が次の室のタンスのかげにいつのまにか集まってじっと身を縮め
た。静子も妹・田鶴子も泣いている。16歳の田鶴子、10歳の茉莉子、7歳の恵
美子、6歳の穆、いつか二人の女中も集まっていた。地震が少しゆるやかになった
とき、それっという魯庵の合図で皆、庭へ飛び出して、いちばんすみの5坪ば
かりの芝生へ集合した。そこに近所に住んでいた大杉栄が長女魔子の手を引い
て逃げてきた。
当時7歳だった恵美子が「魔子ちゃんとはよく遊んだわ」と懐かしそうに話
していたのを思い出した。大震災の混乱の中、大杉栄は伊藤野枝とともに甘粕
正彦憲兵大尉ら憲兵に連行されて殺害された。
巌が大杉栄の眼を「鋭いが好きな眼だった。輝いているが人を探るような感
じや、人を戒めるような威厳が持っていなかった。強く鋭いが澄んでいた」と
書いているのが印象的だった。
火事が数カ所に起こり、不思議な雲がむくむくと東京の空を覆っていた。次
から次へ地震の惨事が伝えられ、避難者の群れが往来を通っていった。
魯庵に命じられて、巌は静子を千駄ヶ谷まで送っていった。その道すがら二
人は話し込み、巌はすっかり静子のことが気に入ったようだ。歌人だった祖母
は少女のころから歌を作って『婦人の友』へ毎月投稿していた、と書いてある。
若山牧水の選に入ったこともあったらしい。村山知義の絵が好きだったとも。
静子さん、このころからモダンな絵が好きだったんだな。中学生のぼくをイヴ
・クラインやベン・シャーンの展覧会に連れていってくれた人だ!
「別れを告げて早足で小さな辻を曲がったが振り返ってニッコリ笑って、おじ
ぎをしてさらに速度を早めるように駆け去った」なんてまるで昔の青春映画
じゃないか。やるなあ、お静さん。これで巌さんのハートを射止められてしま
ったようだ。
未曾有の犠牲者を生んだ悲惨な大震災だったが、この日がきっかけとなって
祖父と祖母は恋に落ちた。悲劇のかげで生まれたロマンスだった。そしてこの
日、ふたりが出会わなければ、ぼくはこの世にいなかったかもしれない。
17歳の静子さんに会いたかったなあ。
『絵画青春記』は、震災後の混乱が書かれている。読んでいると地震の恐ろし
さよりも、被災後のデマによる民衆の暴力や社会主義者に対する憎悪のほうが
恐ろしかった。
「2日午後には朝鮮人襲来のデマや社会主義者に対する警報が飛んだ」とある。
余震が続き、内田家は相変わらず庭の芝生で過ごしていた。大杉栄もやはり
内田家の庭を訪れていた。
巌が焼け野原になった東京の様子を「ローマの廃墟を見るようだ」と話すと
大杉は声を立てて笑ったという。
その大杉には襲撃の噂が立っていた。
刀を持った自警団が物々しく横行していて、家から一丁ばかり離れた理髪店
の主人は国粋会員だった。そこに集まっているごろつきどもが大杉一味の家を
ぶち壊して、社会主義者を皆殺しにしろと言っているから気をつけろ、と小説
家の安成二郎が青くなって報告に来た。
こんなふうに国粋主義者たちが作った自警団に狙われてはいたが、大杉自身
は町内で編成された自警団に参加して、いっしょに見回りをしている。
ある日、魯庵と巌が家の角に立っていると、「これをご覧なさいません」と
夕刊を差し出す婦人がいた。優しく甘い静かな声だった。
「魔子ちゃんのお母さんだよ」と魯庵が紹介する。女アナーキスト伊藤野枝だ
った。あまりに女らしい婦人だったことに巌が驚いている。
「大杉も自警団で忠実に立っていますのよ」と野枝は多少自嘲的にいった。青
白い黄昏の光に浮かんだのは明るい顔だった。きめこまかい豊かな笑顔、太っ
た首筋に真っ黒な多い髪を無造作に束ねていた。
急に大杉栄と伊藤野枝の姿は近所に見えなくなった。「大杉は憲兵につかま
って殺された、明日発表だ」と魯庵のもとに報告があった。
その日も魔子は庭で遊んでいた。新聞社の写真班が魔子の写真を撮った。魔
子はいつも7歳の同じ年の恵美子のところへ遊びに来ていた。
恵美子さんが「『絵画青春記』は読んだの? 面白いわよ」といってい
たのを思い出す。
巌は「今も声を上げて泣いている父の姿、泣きながら二階に駆け上がった父
を覚えている」と書いていた。
「大杉は芸術家だった、ソシアリストではない、大杉は芸術家なのだ」と
父・魯庵はいうのだった。
今年は関東大震災から100年ということで多くの本が書店に並んでいた。読
みたかった『福田村事件 −関東大震災・知られざる悲劇』(辻野弥生 著
五月書房新社)は売り切れでまだ入手していない。
書店では『聞き書き・関東大震災』(森まゆみ 著 亜紀書房)と『関東大
震災と流言』(前田恭二 編著 岩波ブックレット)を購入したのだが、なん
とコロナを発症してしまって寝込んでしまった。残念ながらまだ読んでいな
い。
みなさん、コロナにはくれぐれもご注意を!
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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鳥になってどこかへ飛んで行ってしまいたいと思う今日この頃ですが、私はぺ
ンギンが好きなので鳥になったところで飛んで行けそうもありません。どうし
たらいいのでしょう?それはそれとして、今回はこちらの本です。
『無人島、研究と冒険、半分半分。』
川上和人、東京書籍、2023
川上和人さんはNHKの番組等にもよく出演される鳥類学者の方ですね。今回
の無人島のお話も放映されていたので記憶に残っている方もいらっしゃるか
と思います。
さて、無人島というのは日本に数多くありますが、本書に出てくる無人島と
は南硫黄島のことです。小笠原諸島の父島から南へ約60キロにある島で、
北硫黄島・硫黄島・西之島と共に火山列島を構成する島です。
この南硫黄島ですが、ほかの離島とは違う特徴を持っています。それはこ
れまで人間が定住したことがなかったため、ネズミなどが入り込んでおら
ず、原生のままの生態系が維持されていることです。同じ火山列島でも
北硫黄島・硫黄島は過去には人が定住し、産業が営まれていました。このた
めどちらの島も人間の侵入によりもともとの自然が変化してしまっています。
(ちなみに西之島は最近の噴火で自然がリセットされてしまいました。)そのた
め現在でも南硫黄島は立ち入りを厳重に制限されています。
そんな場所は日本中を見回してもなかなかないわけで、これは鳥類研究者とし
てもぜひ訪れたい場所となるわけです。(私も行ってみたいですけど。)が立ち
入り制限について許可をとったとしてもそれは並大抵のことではないのでした。
そもそもなぜ今まで人が定住してこなかったのかといえば、ひとえにその地
形のかと険しさがあります。周囲が7.5キロ、半径1キロ程度の小さい島である
にもかかわらず、最高標高は916メートルという高さを誇ります。海から円錐
型の山頂だけがぽっかり姿を現したような姿をしています。頂上かは海辺近く
まで断崖が下りてきていておよそ人が住めそうにありません。
この島にも上陸して貴重な自然の調査をするには、調査団は好天の日狙って
ゴムボートで波に洗われながら上陸、さらに険しい山を登って調査地へ行か
なければなりません。川上先生もこの日のためにクライミングや水泳のトレ
ーニングをしています。さらにこの日の調査行で外来種を島に持ち込まない
ため、持ち込む荷物の外来種対策も徹底的に行われました。
実際荷物の島に着いてみると浜辺の岩礁に張ったテントが夜になると潮が満ち
てきて浸水し、落石のきけんがある断崖の方へ移動しないといけなくなった
り、いきなり冒険の色が濃いものになります。さらにプロの登山家が作った
ルートを登って、山頂方面に移動するわけですが、本書の写真からもその道
のりの険しさが伝わってきます。
一方でめったに来ることのできない島でいろいろなことを調査できる、研究者
の人たちの雰囲気の高揚ぶりも伝わってきます。夜になり、世界でこの南硫
黄島でしか繁殖していないクロウミツバメの大群が巣に戻るため、雨あられと
空から降ってくるのを(文字通り)体で受け止めることができて川上先生も実に
楽しそうです。
しかし意外にもこの巣に戻ってくる際の荒っぽい着陸で死んでしまうクロウミ
ツバメもいるといいます。大量の海鳥の楽園は、同時に大量の海鳥が死んで
いく場所でもあるわけですね。またその死体を食べていく生き物もいて、島の
生態系が回っていくわけですが。
また南硫黄島のシマハヤブサのエピソードは、南硫黄島の自然を語るときにつ
きものの「原生の状態」というものを考えさせます。戦前に南硫黄島の調査で
確認されていたシマハヤブサという猛禽類は今は絶滅していまっています。川
上先生はこの鳥は北硫黄島・硫黄島・南硫黄島に生息していたものの、北硫黄
島・硫黄島では人間の進出により絶滅、その影響を受けて(島の面積的にも)
小集団だった南硫黄島のシマハヤブサは集団を維持できず絶滅したのだろう
と述べています。
人間が南硫黄島のシマハヤブサには一切手を出していなくも、間接的に絶滅
に追い込んでしまうということもあるということで、生態系の移ろいやすさ
を強く感じさせます。
ところでこうした人間の影響の加わっていない島があると、同じような条件で
ありながら人の手の入った島というものも気になってきますね。
川上先生は南硫黄島の調査のあと、北硫黄島へも調査へも赴きます。北硫黄島
は先述したように、かつては人が定住して牧畜が行われたり、それと共にネズ
ミが入り込んだりして、自然の生態系が人間の手で撹乱されてしまった島です。
もちろん調査行入り込んだり南硫黄島と同じくらい大変で、夜中に何かがどこ
かで崩れる音を聞きながら眠らないといけなかったりと、地形も厳しいので
すが、そこに広がっている自然の姿が印象的です。
北硫黄島の山頂部には森林が広がっていました。これは一見すると豊かな自
然が広がっているように見えます。しかし南硫黄島の山頂部には森林はありま
せん。大量の海鳥が踏み荒らしてしまうため木々が育つことができないから
です。北硫黄島の山頂部に広がる森林はネズミによって一部海鳥が絶滅に追い
やられることによって出現することのできたものなのでした。
ネズミが海鳥を絶滅させると森林ができる。生態系のひとつが変化する連鎖的
にどんどん変わっていくのだということを実感します。
最初の南硫黄島調査団は2007年のことでしたが、川上先生は10年後の2017
年の調査団にも加わっています。するとそこで大幅に地形が変わっていて、
海鳥の分布も変化していたのでした。当然人間の手が加わらなくても生態系
は日々変化していくわけですね。
もちろん、どうせ変わっていくなら生態系を守らなくてもいいということはあ
りません。生物の生態系の複雑さについて思いを巡らす一方で、人間の魔の手
を逃れてきた南硫黄島のユニークな生物たちの営みと(研究者たちの悪戦苦闘ぶ
りを)ぜひお楽しみ下さい。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第16回 ルフィが寿ぐ「一帯一路」
2016年の8月末のことだったと思う。私がまだ西安にいたときのことだ。9月
から始まる新学期の少し前、勤務していた大学の運動場は軍服姿で埋め尽くさ
れていた。新入生たちが軍事訓練をするためだ。中国の大学では軍事訓練は
必須の義務となっている。しかし軍事訓練の時期が終わると、運動場は色とり
どりの服を着た学生の憩いの場となる。たらたらジョギングしている学生もい
れば、芝生に寝っ転がって歓談している学生もいる。軍事訓練の時期が過ぎて
から、新学期が始まるギリギリにはじめて中国にやって来たアメリカ人の外国
籍教員は、その光景を眼にして、オーマイガーという感じに手を振り上げて、
英語で私に語りかけた。この様子をオバマに見せてやりたい、これこそ自由だ、
真の自由は中国にある。
慣れてしまえば気にならないけれど、たしかに中国の運動場の様子は異様であ
る。Gパン姿でランニングするのは当たり前。ジャケット姿やスーツ姿も散見
される。革靴で走るのならまだマシな方で、ビーチサンダルで結構なスピード
を出して走っている者もいる。これは何も授業後の余暇の時間だけのことでは
ない。体育の授業のときであっても、GパンにGジャン姿で参加する学生も
いる。もちろん運動着姿の学生もいるが、眠そうな顔をしている寝間着姿の学
生がいても、誰も驚かない。体育の先生も何も気にすることなく授業をしてい
る。自由の国からやって来たアメリカ人の教師にとっても、その光景はあまり
に自由過ぎるものに映じたのだろう。
ネクタイを締めると息苦しくなる私にとって、中国は天国である。服装につい
てのコードがほとんど存在しないからだ。授業のときはもちろん、学会に出る
ときも、他大学で講演をするときも、ネクタイは締めなくてもいい。夏だった
らTシャツにジャケットを着ていれば、十分フォーマルに見えてしまう。暑か
ったらTシャツに短パン、サンダル姿で教室に行っても問題にならない。上層
部からは一応「先生らしい身支度をすること」というお達しはあるが、西欧人
のお硬い先生以外にネクタイを締めてスーツ姿で授業に来る先生はひとりもい
ない。私がネクタイを締めたのは、日本領事館が主催するパーティーに招待さ
れたときと、領事の夕食会に招待されて領事館に赴かざるを得なかったときの
2回だけである。
しかし今、中国で服装が結構な話題となっている。9月1日に「治安管理処罰
法」の修訂草案が発表されたからだ。草案が公にされたのは、広く国民の意
見を募るためである。その第34条の修訂草案が、インターネットやSNSで
なかなか激しい議論を呼び起こしている。
議論の的となっているのは、草案の第34条の(二)と(三)だ。以下の
内容に違犯すると、5日以上10以内の拘留、もしくは1000元(約2万円)以上
3000元(約6万円)の罰金が課せられることになる。罪状が重いと判断された
ら拘留は10日以上15日以内となり、罰金は5000元(約10万円)以下となる。
(二)公共の場で、もしくは他人に強制して公共の場で、中華民族の精神を損
なったり、中華民族の感情を傷つけたりする服装やマークを着たり、身につけ
たりすること。
(三)中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけたりする物品も
しくは言論を制作、放送、顕揚、散布すること。
こうした修正案が出されるに至った経緯において重要な役割を果たしたのは
「和服」だった。昨年8月10日、蘇州の「日本風情街」で和服を着た女性が警
察に連行される事件が起こった。今年の6月13日には杭州で、日本文化を愛好
する若者が和服姿でデパートに入ったら、ガードマンから出ていくように言わ
れ、言い争いが起こり、最後に
は殴打されるに至った。また9月6日には「漢服愛好者」が唐代の服を着て武漢
の公園で写真を撮っていたら、唐服を和服と勘違いした係員に「和服を着て公
園に入るな」と見咎められ、インターネットでちょっとした騒ぎになった。
和服あるいは和服に近似した衣服を着た若者を咎めたり連行したりした警察や
係員が着ていたのは、西洋式のズボンにシャツの制服であり、決して中国式の
中山服などではなかった。そもそも街中において中国風の衣装を着ているのは、
それこそ「漢服愛好者」くらいで、旗袍を着た女性もパーティーでたまに見か
ける程度である。
それゆえこうした事件で考えなくてはならないのは、中国において「和服」
が持っている記号性である。侵略戦争時の記憶を呼び起こし、「中華民族の
精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけたりする」特権的な記号として認
知されているからこそ、和服は問題視されたのである。もちろんこうした事件
の背景はさまざまに分析可能だ。警察や係員に
対する思想教育がいかに徹底したものになっているのかを見て取ることができ
よう。彼らの忖度の意識を指摘してもいい。若者に対する歴史教育の不徹底さ
を嘆く愛国主義者の声があることも、わが国の「新しい歴史教科書をつくる会」
の主張を想起すれば、支持するか否かは別にして、あり得ることだと理解する
ことはできる。インターネットやSNSの掲示板などに寄せられた多くの声と同
様に、好きな衣服を着る自由の権利に対する侵害であると、憤ることも可能で
ある。
しかし「治安管理処罰法」の修訂草案第34条には、「和服」という文字は記さ
れていない。とすれば、「中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を傷
つけたりする」はいくらでも拡大解釈される可能性が出てくる。しかも公開さ
れたのは公に意見を募る修訂草案である。それゆえ草案には多くの反対意見が
寄せられることとなった。道徳的な問題と法律上の問題の混同ではないかとい
う疑義、精神や感情を損なったり傷つけたりしたことをどのように実証するの
かという問題提起等々。公に議論することが認められると、理性的な議論が狂
信的な声を圧倒する。むろん無頓着にさえ見えかねない衣服の自由を享受して
きた中国人にとって、着るものにまで束縛が及ぶのは我慢のならないことでも
あったにちがいない。
それにしても、「中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけた
りする」ことに対して、なぜこれほどまでに敏感でなくてはならないのか。
「中国の夢」という目標を実現させるためには、「中国特色社会主義」が
「進む道に対する自信」、「理論に対する自信」、「制度に対する自信」、
「文化に対する自信」がなくてはならないからだ。「自信」があって、はじめ
て「中国特色社会主義」の実現に邁進することが可能となる。もちろん真の意
味で「自信」があるのなら、法律など制定する必要はない。公共の場に和服が
現れようと、確固とした「自信」があれば問題とならないはずだ。しかし
「自信」は、「中国特色社会主義」と同様、建設の半ばにある。それゆえ
「自信」の喪失につながる「中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を
傷つけたりする」ことは,禁じられなければならないとみなされたのだろう。
新中国成立70周年に当たる2019年に「如何看中国[どのように中国を見るの
か]」という叢書が外文出版社から刊行された。「出版前書」によれば、中
国共産党が建設しようとしている中国を中国人に理解させることよりも、外国
人に理解させることを目的とした叢書であるのだが、すべて中国語で書かれて
いる。英語版などが存在するのかどうかは確認できていない。その叢書の1冊
に『中国為什麽自信[中国にはなぜ自信があるのか]』がある。副題は
「如何看中国特色社会主義[どのように中国独特の社会主義を見るのか]で、
作者は北京師範大学マルクス主義制度理論研究センターの主任兼マルクス主義
学院の教授の徐斌である。
徐斌はソ連が解体し、共産主義の実現を目指す運動が危機に陥った時代状況を
ふまえた上で、中国共産党がいかに独自の道を進み、「中国特色社会主義」を
実現しようとしてきたのかという歴史的経緯を第一章で簡潔にまとめる。その
上で、第二章では改革開放によって市場経済を導入した「特色」ある社会主義
を説明し、第三章では現体制が作り上げた「特色」ある社会制度を称揚し、
第四章で「中国文化 中華民族の精神的な動力」を概観した後に、最終章の
第五章で「中国の智慧」に満ちた世界に向けての中国からの提案で締め括られ
る。中国共産党の歴史や政策にかかわる基本的なキーワードの説明もトピック
として取り上げられており、外国人を意識した叢書の1冊ではあるが、「思想
教育」の教科書としての体裁も兼ね備えている。
しかし同書を読んでも腑に落ちないのは、中国の「自信」の拠り所である。
一貫しているのは、「特色」があるから「自信」を持っていいという論理な
のだが、外国人である私には説得力がない。「自信」について積極的に論じ
られているのは文化を扱った第四章、とりわけ「価値観の自信 文化に対する
自信の根本」と題された節であるのだが、簡単にいえば、中国共産党が作り上
げた価値観は素晴らしいから、その価値観を根本に据えた文化も素晴らしいと
言っているに過ぎない。ここにあるのは、素晴らしいものは素晴らしいという
トートロジーのみである。
同書の第一章は「中国道路、大国崛起的富強之路」となっている。共産党に率
いられた中国が、大国への道を歩んでいく歴史的経緯を説明する章を概括した
タイトルである。ここに「崛起」という言葉が使われていることが私の気を引
いた。そびえ立つ、そそり立つといった意味を有する単語なのだが、近年は
「偉大」な大国としての道を歩む自国を表すときに用いられることが多い。こ
うした流行の言葉を時流に乗って用いるのか、それとも峻拒して思考を練り上
げるのか、その差は決して小さくない。時流に棹さすのか、それとも距離を取
ろうとするのか、それは倫理の問題でもある。
〈最近、急速に膨張(私は「台頭」〔原語「崛起」〕という言葉は好まない)
してきた中国が直面する重大な問題の一つは、中国とアジアと世界が文化、
政治、経済の上でいかに共存するかということである。〉
大部な3冊本『中国思想史』の著者として知られる歴史家の葛兆光が、
『中国再考』の序章「「中国」の歴史的成り立ちとアイデンティティの混迷」
の冒頭部に記した言葉である。『中国再考』は2021年に完本版が岩波書店
から出版され、また代表作のひとつである『宅慈中国』も、『中国は“中国”な
のか 「宅慈中国」のイメージ
と現実』というタイトルで2021年2月に東方書店から出版された。
その葛兆光が2021年11月に四川人民出版社から刊行した『到后台看歴史卸粧
[舞台裏でスッピンの歴史を見る]』は、時流と一線を画す歴史家の練り上げ
られた思考を楽しむにはうってつけのエッセイ集である。現代中国を代表する
詩人である北島に請われて書かれた文章であるためなのか、書物には襟を正さ
ずにすむ親しみやすさが漂っている。みずからの家系について書いた「福州黄
巷葛家」も収められており、葛兆光というすぐれた歴史家を生んだ土壌の一端
も知ることができる。枕頭の書として欠かすことのできない1冊だ。
その本に収められているエッセイのひとつが「什麽文化?如何中国?[何が
文化か?どのようにして中国か?]」である。「中国文化の復興」というタイ
トルで発表を求められた葛兆光は、中国経済が「崛起」し、中国文化が「復興」
する方途を話してもらいたいという主催者の願望を汲んだ上で、「中国文化」
とは何かをアイデンティファイすることは難しいと疑義を呈し、さらには
「中国」とは何かという根本的な疑問を提起するに至る。2014年という日付が
末尾に記されているエッセイは、今こそ読まれるべきものとして存在する。
いわゆる「中国文化」とは、ひとまず漢族を中心とした文化であり、漢字を基
礎にした文化であり、儒教・道教・仏教が組み合わさった文化であり、陰陽五
行説による「天人合一」を世界観した文化であるなどと定義することができよ
う。しかし、と葛兆光は続ける。たとえば宋代や明代以来の文化を中国のアイ
デンティにするのであれば、支配者が漢族ではなかった元代や清代の歴史は中
国のアイデンティティの基礎とはならないことになる。それはまた現政権が清
代の広大な版図を中国の領域と主張していることとも矛盾をきたす。漢字にし
ても、現代の中国語で使われている文字や単語、あるいは語法は元代や清代
の口語の影響をかなり受けており、また民国時代に提唱された白話文によって、
伝統的な書き言葉との乖離は大きくなった。こうした歴史的事実に鑑みれば、
「中国文化」は「複数性」を有しており、そもそも「中国」そのものが「複数
性」を有した概念なのである。しかし「伝統」や「国学」を声高に主張する者
たちは、それら「複数性」を「単数性」に還元して、粗雑な議論を繰り返して
いるだけだ。時流に向けられる葛兆光の批判は鋭い。
〈アイデンティティという言葉を使うのは簡単だが、こと中国に使うに至って
は、複雑な様相を呈することになる。それゆえ中国について議論するときに最
もいいのは、歴史における中国、政治における中国、文化における中国を区別
して考えることである。さもなければ「アイデンティティ」、「国土」、
「民族」、「宗教」といった扱うのが難しい問題を処理することができなくな
ってしまう。当然のことながら、何が中国の文化なのかも、どのような中国文
化を復興すべきなのかも、アイデンティティの基礎となる文化が結局のところ
何なのかも明らかにすることはできなくなるのである。〉
自国を寿ぐ狭量なナショナリズムに対して、「多様性」や「複数性」を強調
して批判することは、「リベラル」な意見として日本では手垢にまみれたもの
にも映じかねない。しかし今の中国にも、こうした言論を公にする知識人が存
在し、またそれを出版する出版人が存在することは忘れてはならないことだと
思う。「リベラル」と単純化されかねないこうした議論を、日本で発表するの
と中国で発表するのではわけが違う。とんでもない勇気が必要である。「現在
の中国はすでにして多民族国家であり、それゆえ我々は中国文化の複数性を絶
対に認めなければならないのである」。「中国文化」から排除されたり周縁化
されたりしかねない異民族の文化を葛兆光はまるごと肯定する。厳しい言論環
境の中で自国の言説に向けられたそのエッセイは、まさしくクリティカルな意
識に貫かれている。
9月15日の夜、上海交響楽団音楽ホールに出向いた。現政権が提唱する「一帯
一路」の10周年を記念するコンサートである。曲目は趙麟の《度》、朱践耳の
《絲路夢尋》、兪極の《絲路頌》と、すべてシルクロードをテーマに中国の作
曲家が作曲したものだ。めったに聴くことができない曲ばかりなので、私はい
そいそと地下鉄に乗ってホールに向かった。
いつものように乗り換えのために人民広場駅を降りると、髪の毛を紫やピンク
に染めたコスプレ姿の若者が闊歩している。うずまきナルトの髪型をバッチリ
再現して悦に入って歩いている男の子もいた。映画《THE FIRST SLAM DUNK》
が大ヒットしたためなのか、『SLAM DUNK』を真似したバスケットボール
のユニフォーム姿の若者も見かけた。ホールに着いて荷物検査の列に並んで
いると、すぐ前の女性が着ているTシャツが目に入る。ハートマークの
コム・デ・ギャルソンのTシャツだ。席に着こうとすると、私の席に麦わら
帽子が置いてある。チケットを確かめて、すぐ隣の男性に問いかけると、あ、
ごめんごめんと麦わら帽子を自分の膝の上に移す。着ているTシャツには
『ワンピース』のルフィがデカデカと印刷されていた。
「一帯一路」を寿ぐコンサートに、こんなTシャツを着てきたら、「中華民族
の精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけたりする」ことにならないのか。
ちょっと心配になったが、目に焼き付いたルフィは、勇ましい革命歌のメロ
ディーを主軸に辺境の少数民族の音楽をまぶした楽曲を、ほどよく相対化する
効果を発揮してくれた。
とはいえ少数民族の音楽を周縁化し、共産党を中心とした中国に組み込むこと
をわかりやすく表象する3曲目を聴いていると、さすがに息苦しくなってき
た。赤いネッカチーフを首に巻いた小さな子どもは、大喜びで革命歌に合わせ
て指揮のまねをしている。革命歌には小学校低学年を興奮させる要素が内在し
ているのか、それとも子どもにもすでに「紅い遺伝子」がインプットされてい
るせいなのか、そんなことを考えながら聴いていると、すぐ隣からいびきが聞
こえてくる。1曲目と2曲目はうつらうつらという感じだったが、3曲目になっ
てルフィは、電池が切れたかのようにぐっすりと寝入っていた。膝の上の麦わ
ら帽子はしっかり手で抑えられている。ルフィにとっては、何にもまして麦わ
ら帽子が大切なもののようだった。
【本文中で言及させて頂いた本】
徐斌『中国為什麽自信 如何看中国特色社会主義』(外文出版社、2019年8月)
葛兆光『中国再考 その領域・民族・文化』(辻康吾監修・永田小絵訳、
岩波書店、2014年2月)
葛兆光『到后台看歴史卸粧』(四川人民出版社、2021年11月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
毎々遅くなっていましたが、今号はとんでもなく配信が遅れてしまいほんとう
に申し訳ありませんでした。ひとえに編集人の責任です。みなさまに心からお
詫び申し上げます。
畠中理恵子
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その84『アガサ・クリスティー自伝 上』
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情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その84『アガサ・クリスティー自伝 上』
アガサ・クリスティーの推理小説にはおいしそうな食べ物がたくさん出てく
る。もちろんその中には「毒」が入れられた不穏な食べ物もいくつかある。で
も、たとえ毒入りであっても、思わず食べたくなるようなおいしそうな食べ物
が出てくるのが困りものなのだ。けれど、それについて語ってしまうと、物語
が推理小説だけに種明かしになってしまうのが惜しいところだ。
例えば、ミス・マープルが見事な推理能力を披露する『火曜クラブ』という
短編集に出てくるデザートのトライフル。ガラスのきれいな器にカステラを薄
く切ってジャムを塗って並べ、カスタードクリームを乗せ果物を乗せ、さらに
緩く泡立てた生クリームを乗せ果物を飾り、その上に……。
あぶないあぶない。これ以上語ってはネタバレになってしまうのでやめにし
よう。作り方はいたって簡単。カステラさえあれば、面倒なのはカスタードク
リームを作ることぐらいで、これも卵や牛乳やコンスターチという常に台所に
あるもので作れてしまうのだから、このお菓子はふだんの食事のデザートと言
っていいだろう。そんなものに不穏な役目を負わせるのがアガサ・クリスティ
ーは本当にうまい。その他にも美味しそうなものが物語の中に山ほど出てくる
から、専門の料理本が幾冊も出ている。(ただし毒抜きの作り方です。)
ということは、やはりアガサ自身もとてもおいしいものが好きだったに違い
ない。彼女の自伝に掲載されている写真を見ると、子供の時は丸顔だけれど体
はやせていて、若いころは全体にとてもほっそりした体形をしている。けれど、
四十台あたりからはふっくらしていき、いかにも食いしん坊な体形になってき
ている。そこで、今回はそんな食いしん坊で推理小説の中においしいものを書
き込んでいる彼女が、その自伝の中で語る食べ物を見ていきたいと思う。
まずは幼年時代だが、彼女は海辺の保養地として名高いトーキーという土地
に生まれ、年の離れた姉と兄がいる一家の末っ子として生まれた。家は裕福で
父親は投資家ということで何も仕事を持たなかったが、実は一代で財を成した
祖父の財産で暮らしていて、その財産は運用を任されていた者たちによってみ
るみるなくなりつつあったのだ。だから、広い家に住んでいたがそれほどたく
さんの召使に囲まれて育ったわけでもなく、馬車も持っていなかった。でも、
素晴らしい料理人に恵まれていて、その晩餐会には、トーキーを訪れた有名人、
キプリングやヘンリー・ジェイムスなどもやってきたことがあるらしい。
彼女の幼年時代の物語は上下巻のほぼ四分の三以上が、子供時代の思い出に
満ちている。何しろ出だしから「幸福な子供時代」を持ったと語りだしている
くらいだから。
アガサは、自分はとても食いしん坊だったけれど、がりがりだったと話して
いる。ヴィクトリア朝末期の女の子というと、部屋に閉じこもって刺繍などさ
せられて全然運動などしないような気がしていたのだが、考えてみれば広大な
庭を備えた家にいれば否応なくよく歩くわけだし、車もまだそう普及していな
い頃ならば、馬車がないならひたすら歩くしかないわけだから、今の子供たち
よりよっぽど運動量は多かったに違いない。アガサはおとなしい子にみられて
いたが、実はとても活発な子だったらしい。末っ子で姉や兄は寄宿学校に行っ
ていたので一人きり。広い庭を走り回って自分の考えた遊びで楽しんでいたと
いう。それじゃあ、たくさん食べなくちゃね。そこで、自伝の中にはいかに自
分がよく食べたかがたくさん語られている。
彼女の家にはジェーンという素晴らしい料理人がいて、一日の食事は、たっ
ぷりの朝食で始まり、十一時にはココアの時間となり、できたてのロックケー
キと干しブドウ入りの菓子パン一皿か温かいジャムペストリーが出された。そ
のあと昼食、そして夕食には必ず五品の料理が並んだという。そのすべてが、
たった一人の料理人ジェーンの腕で毎食作り上げられていたのだ。さらに、大
ディナーパーティーになると、彼女は十二人前以上もの料理を作り上げるのだ。
そんなある日のメニュウは以下のようなものだった。コースの中で、お客が
二種類の料理が選べるようにもしてあって、実に手が込んでいる。
ポタージュかコンソメ。
煮たヒラメか切り身のカレイ。
シャーベット。
羊の腰肉。
マヨネーズあえのイセエビ。
デザートはプディング・ディプロマティックとロシア風シャルロット。そして、
果物。
これだけの量を食べるほうもなかなかだと思う。パーティ料理にはヒラメな
んだろうけれど、実はアガサはヒラメよりサバが好きだったらしい。海のそば
で育った女の子らしくて、ちょっと親しみがわいてくる。まあ、これは大人の
パーティ料理だから、どちらにしろアガサは食べられなかっただろう。けれど、
そんなとき子供部屋に寝かされていたアガサのところに乳母用の夜食が届けら
れると、ばあやは必ず汁気たっぷりのステーキを一口味見させてくれたらしい。
子供にとっての真夜中のステーキの味は、どうだったろうと想像してしまう。
そして、レアのステーキは彼女の大好物となったようだ。
それでは実際にアガサが食べた御馳走を見てみよう。それは、姉マッジの嫁
ぎ先であるワッツ家の住むアブニー邸でのクリスマスの御馳走だ。アブニー邸
は巨大なゴシック建築の屋敷で、大食漢の天国だったとある。二時に始まるク
リスマスディナーのメニュウは以下の通り。
カキのスープ。
ヒラメ。
茹でた七面鳥とローストした七面鳥。
大きなサーロインのロースト。
六ペンス銀貨や指輪やいろんな形のビスケットを埋め込んだトライフル菓子。
プラム・プディング。
クラッカー。
ブドウ、オレンジ、プラム。
様々な種類のチョコレート。
その後のお茶の時間には、すごく大きな冷たいクリスマスケーキとそのほか
のケーキ。
そして夕食は、
七面鳥の冷肉と温かいひき肉のパイ。
カキのスープとワインのきいたトライフルは苦手だったけれど全て平らげて、
同じ年頃の男の子と大食い比べを誇ったとある。このトライフルはたぶん大人
向きにカステラをワインに浸してから重ねていったのではないかと思う。
ここに挙げた素晴らしいクリスマスディナーの思い出は、ポワロの出てくる
短編『クリスマス・プディングの冒険』に書きこまれている。子供たちが駆け
まわるのにぴったりな広大な屋敷の様子やクリスマス・プディングを作るとこ
ろなどを読むと、アガサの幸せな幼年時代がうかがわれるようだ。この小説の
中のクリスマス・プディングに何が入っているかについては……。読んでから
のお楽しみとしよう。
さて、アガサといえば、デヴォンシャー・クリーム好きで知られている。こ
のクリームはアガサの住むイギリス南西部地方の特産で、クロテッド、つまり
固まったクリームのことだ。ジャージー種の乳牛の乳から作られるこのクリー
ムをケーキやスコーンにつけて食べる場面が、イギリス小説を読むと頻繁に出
てくる。アガサもこの自伝の中で「陶器のボールの中でミルクを煮立て、黄色
い上澄みが浮くのを層になって取り出した」「デヴォンシャー・クリームをパ
ンに載せて食べたり、そのままスプーンですくってたっぷり食べたりした。」
と、書いている。実はその掬ったクリームをまずは冷蔵してから云々と、デヴ
ォンシャー・クリームの作り方にはまだ色々工程があるらしいのだが、アガサ
にとっては子供の時台所の片隅で眺めた最初の場面が忘れられないのだろう。
そして一番の大好物としてあげるクリームについては、食べるだけではなく、
飲むという記述があって驚かされる。そう、アガサは「飲み物」としてのクリ
ームも好きだったらしい。仲のいい義理の姉妹のナンと「飲み友達」で、あっ
さりしたクリームや、牛乳とクリームを半々にした割ったものをよく飲んだと
ある。そして大人になってからも、乳製品製造所や自家農場に行って半パイン
ト(284ミリリットル)のクリームを買ってはよく飲み比べしたとある。さす
がに生クリームを「飲む」という行為はしたことがなかったので、この記述に
は驚いた。
今までに読んだアガサ・クリスティーの作品の中には、クリームに毒を仕込
んだり、生クリームを飲み干したりする場面はなかったように思う。大好物だ
から避けたのか、毒というものをよく知っているから使わなかったのか。多分
前者と思うのだけれど、とにかく今は、ふわふわに泡立てた生クリームをのせ
たケーキやジャムとクロテッドクリームを添えたスコーンなどを食べながら、
その方法についてじっくりと考えてみようと思っている。
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『アガサ・クリスティー自伝 上下』
アガサ・クリスティー著 乾信一郎訳 早川文庫
『火曜クラブ』 中村妙子訳 早川文庫
『クリスマス・プディングの冒険』 橋本 福夫・他訳
早川文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
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第2話 工事は進まず、マイカーを手に入れる
二〇二一年一月一日(木)仏滅・元日
富士山に初日の出を拝み、近所の酒折神社で初詣。
知人のNさんとメッセージのやりとりをして、年明けに引っ越し荷物解体の
作業を手伝ってくれる予定だったのが、ご両親が、コロナの中で東京から行っ
て、逆に迷惑ではないかと怒られたという。いや、むしろ、こちらも埼玉から
の移住なので同じことだし、仏壇を組み立てられないのは何とも心苦しいので
手伝いに来て欲しい旨、メッセージを返す。すると、ご両親を説得できたのか、
三日に来ていただけることになる。やれやれ。
荷物のうち、机やカラーボックスを組み立てる。徐々に生活できるように持
っていく作戦。
困ったのが、水回りが無いこと。とりあえず、手洗いはウェットティッシュ
で乗り切っているが、身体を洗えないのは不快だ。
ネットで調べると、歩いて十五分くらいのところに銭湯が、しかも温泉がある
ことがわかり、出かけてみる。行くと、2日まで休み、とのこと。残念だが、
もう少しの辛抱だ。コンビニでフェイスシートと体を拭くシートを購入し、何
とかそれでしのぐことにする。
図書館も休み。徒歩五分のところにトランクルームを発見する。
Amazonから照明と飲料水届く。少しずつ、文明化。
二〇二一年一月二日(土)友引
遠方より友N、来る。嬉しい。
とりあえず仏壇の設置と、生活に必要な段ボールとそれ以外の段ボールの仕
分け作業を手伝ってもらう。ダイニングテーブルも組み立てを手伝ってもらい、
これでやっと机の上での作業ができるようになった。
たまたま実家に帰っており、これから埼玉に帰るというおみつさんも立ち寄
り、みそ汁とおにぎりの差し入れをいただく。嬉しい。帰りは甲府で最初にお
そばを食べた駅ビルのお店で夕食を取り、友人を見送る。
二〇二一年一月三日(日)赤口
Facebookで、山梨在住の知人から、スーパーオギノのポイントカードは早く
作った方がいい、とアドバイスされ、早速、作る。
二〇二一年一月四日(月)先勝
Amazonに注文していたキャンプ用お風呂が届く。今のところお湯が出ないが、
ティファールとカセットコンロでお湯を沸かしていつか入ろうと一応、組み立
てておく。
今日はいよいよ前に休業していた近所の温泉、都温泉に。いい感じのおじさ
んが番台に居たり居なかったりで、なんともいい加減な感じの温泉。お昼の時
間帯には人がほとんどいなかった。
帰りに何かを掘っている人がいたので、尋ねてみると、家を建てようとした
ら遺跡が発見されたので調査をしている大学の先生だった。この辺は商業を営
む家がたくさんあったが、空襲で埋まってしまったので、掘ると結構、江戸時
代からのものが出てくるとのこと。
帰りに湯冷めしたのか、ちょっと微熱が出る。やはり裸足にサンダルで外を
歩くのは辞めよう。
おみつさん、帰宅後、ぎっくり腰になったと連絡あり。
二〇二一年一月八日(金)大安
しんさんより工事の予定について連絡がある。
「十二日、生活区域と現場スペースの養生をしに伺います、
もしくは十三日早朝伺います
十三日から軽量ブロックを切ります、粉塵が舞います
土間左官作業も水で練る時に粉塵が舞います
相談
玄関背にリビング右手スペースが現場です、ベランダの前を作業スペースと
して使いたいです」
いよいよ工事が始まる。
二〇二一年一月十日(日)先勝
ティファールの湯沸かし器2台を使って、キャンプ用風呂に入る実験。計算
だと、百度のお湯と水を半々に混ぜれば、だいたい四十度ちょっとになるはず
が、沸かして入れるところと貯めているところで冷め切ってしまい、何回、沸
かして入れてもお湯にならない。
方針を変えて、風呂にふたをして、中の蒸気を温める作戦に。これがうまく
いった。
作業は大変だが、なんとか風呂に入れて満足。
二〇二一年一月十二日(火)先負
雪の中、しんさんが来訪し、養生を開始。いよいよ工事が始まる。
なんでも、年末から年始にかけて、しんさんは突然のぎっくり腰で動けなか
ったそう。聞くと、おみつさんも年明け実家から自宅に戻った翌日にぎっくり
腰になったとか。それでしばらく動きが無かったのだと合点した。
とりあえず、生活している人が居るところで基礎工事をするのは初めて、と
いうことで、生活空間と工事現場を切り離す養生をする、ということで、綺麗
に部屋の半分が区切られる。
とりあえず、工事はお風呂部分から開始されるらしい。「左官屋と設備給排
水の兼ね合いが上手くなく、工程を修正が出てしまいました。十三からの工事
が十八日からにずれ込みそうです」とのこと。
二〇二一年一月十五日(金)友引
しばらく部屋に風呂がつかないことが判明したのと、昨年からの不養生で太
ってしまったことを解消すべく、たまたま近所で見つけたパーソナルジムに通
おうと、とりあえずカウンセリングに訪れる。
出会って早々に、痩せるのは運動ではなく、食事で痩せるんです、と言われ
る。なんでも、タンパク質、脂質、炭水化物の摂取量をコントロールすること
で、自然に痩せられるらしい。
トレーナーの方に、「無くすなら、脂質と炭水化物のどちらが良いですか?」
と訊かれ、迷わず「脂質」と答え、それで食事の量を設計してもらった。幸い、
自炊生活を送っているので、コントロールは容易にできそうだ。
とりあえず週二回、シャワーのできる環境をこれで手に入れた。何とかプロ
グラム終了までの二月中には、お風呂が完成して欲しい。
工事の方は、今日は給排水の工事が行われる予定で水道屋さんが来ていたが、
予定していた配管ルートが不可能ということがわかったようで、設計変更とな
った。先に防水の工事をしてから配管を変更することになったらしい。
二〇二一年一月十八日(月)大安
お風呂の工事のため、左官屋さんが来てブロックやセメントを搬入。午前中
に搬入が終わり、午後から工事開始の予定であったが、そこで管理人が来訪し、
工事のストップが入る。
しんさんとしばらく管理人が話していたが、工事を中止することになった、
と伝えられる。
なんでも、おみつさんとしんさんで書いてマンション側に出していた工事の
申請書に工事の範囲を書く部分があるのだが、そこに、
・4LDK→2LDKに、LDK部分をひろげる
・その他クリーニング等
とだけ書かれていて、なんと、水回りの工事についての記載がなかったことが
判明。
お風呂の工事の許可が出ていない、ということで、改めて図面を提出して許
可を取らなければ、工事が再開できない、ということになってしまった。
なんということ!
ということで、とりあえずしんさんが左官屋さんに謝って帰ってもらい、今
日の工事は終了。
改めての再開は、二週間後くらいになるのではないか、というしんさんの見
立て。
とりあえず、水道屋さんにお願いして、お湯の出る水道を作ってもらう。お
湯も出るようになった。これぞ文明。生活水準の進化といっても過言ではない。
二〇二一年一月三十一日(日)赤口
今日は天気も良く、あまり風もないので、ベランダに設置したキャンプ用の
風呂に入ってみる。お湯をポリタンクで運び、入浴。露天風呂のようで、快適。
気持ち良い。
午後からは、自動車を見に行く。自動車を買うなら何を買ったらよいかと、
EMSの事務局のミーティングで話をしたところ、SUZUKIのジムニーが
良いのではないか、という話になり、いずれキャンプもしたいので最適だと思
っていたところ、高速近くにジムニー中古車専門店があるというので行ってみ
ることに。
なるほど、かっこいいと思ったが、実は、デザインがかっこいいのは古い車
種で、マニュアル車だという。最新型もかっこいいが、これは新車ディーラー
で一年以上も納品待ちの状態だという。
二〇二一年二月一日(月)先勝
朝のセッションを終えて、湯村の自動車学校へ。東京に住み始めたころから
だから、およそ一〇年以上も運転をしていなかったが、果たして運転できるの
だろうか、という不安から、ペーパードライバー講習を申し込みに。過去二週
間の間、山梨の外に出ていないか、というアンケート項目があり、なんでも、
出ている場合には運転できないという。別に外に出たら必ず感染するというこ
とでもあるまいし、マインドが鎖国だと思った。
コロナの影響で免許を取ろうとしている学生がこの時期多いらしく、予約が
取れたのが一カ月後だった。一応、チャレンジと思い、マニュアル講習を申し
込んだ。
帰りにバス停でなかなか来ないバス停で待っていると、先日、Web登録し
た中古車屋から、とりあえず登録のために来店して欲しいと電話がかかってく
る。まだまだ運転できるのは先になりそうだが、とりあえず、訪問することを
約束する。
二〇二一年二月七日(日)先勝
落ち着いて絵の描ける引っ越し先を探しているというHさんが来訪。とりあ
えず工事が進むと良いね、という話をして終わる。
二〇二一年二月十一日(木)大安 建国記念の日
突然、今日、訪問したいというメッセージを、タカさんからいただく。興味
を持ってもらえるのは嬉しい。
今日は中古車屋に最初の登録に行く約束をしていたが、電話してキャンセル
し、別日で予約した。
タカさんは近所の茨城料理やで夕食をご一緒し、終電で帰られる。工事現場
でありながら、居心地の良い空間だと思ってもらえたようだ。
二〇二一年二月十六日(木)大安
予約変更した中古車屋へ。身延線で国母まで出て、そこから歩く。道中、梨
畑があったが、立派な梨が収穫されなかったのか、ぼたぼたと打ち捨てられて
いて、もったいない、と思った。農家の皆さんと是非ともお近づきになりたい
ものだ。
ほぼ時間通りに店舗につき、ジムニーが欲しいということ、ただし、マニュ
アル車は不安なので、自動車学校で試してみる、という話をする。ただし、古
いジムニーも人気車種なので、なかなか出てこない、と担当者。
一応、検索してみる、ということで検索すると、かなり改造した一台が見つ
かる。状態も悪くない。登録されたばかりで、昨日、一度、誰かに購入されそ
うになったが、その方のローンが下りなかったという履歴が残っていた。価格
は想定よりもやや高いが、明らかに一点もので、しかもオートマ車。つまり、
前の持ち主は、新しいデザインのジムニーを古いデザインに近づけるべく、費
用を掛けて改造している、ということのようだった。
こちらも店舗の方も、今日は登録だけしてゆっくりと探す予定だったために、
どうしようかと一瞬、悩んだが、チャンスは今しかないかもしれない、という
ことで、即決。
いろいろできる範囲で、割引きしてくださるとのこと。やや予算オーバーだ
が、乗りたい、と思える車に出会えて良かった。もっと言えば、日程変更しな
ければ出会えなかったかもしらず、運命の出会いだったのかもしれない、と思
った。
岡山から運んできて、整備点検してから引き渡しとのことで、納車までに一
カ月くらいはかかるという。
帰りに電車の時間まで一時間くらいあったので、国母駅前の桜湯でひと風呂
浴びる。
国母駅から見える富士山と雲が神々しい。
二〇二一年三月一日(月)赤口
いよいよ自動車学校での講習。教官と約四〇分間、教習場内を指示された通
りに運転する。マニュアル操作は、最初こそはぎこちなかったものの、思った
よりもスムーズに操作できた。
ただ、マニュアルでの運転の場合、そこに意識が集中してしまい、とても周
囲の状況を見ながら運転などできない、ということがわかった。
ただ、運転できそうだ、という自信はついた。良かった。
二〇二一年三月七日(日)赤口
中古車屋から連絡を受け、マイカーを受け取りに。担当者はかなりこの車を
気に入ったらしく、「置いておいたらお客さんが注目していましたよ」とのこ
と。心配していた運転だったが、人生初ナビもうまく使えた結果、無事になん
とか家までたどり着いた。
これで機動力がかなり向上した。あとは練習あるのみ。
とりあえず、しばらくは初心者マークをつけて走ることにする。
(つづく)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第85回「故人のコレクションを処分する」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第170回 終戦記念日に思う、新しい『戦前』
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→「秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ、能代春慶、桧山納豆、
大館曲げわっぱ♪」〜秋田のハタハタの本をご紹介〜
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第15回 「病衣」を着て「病友」に囲まれて
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第85回「故人のコレクションを処分する」
こんにちは。
毎日の酷暑に加えて、台風7号で被害を被ったみなさまにお見舞い申し上げま
す。
わたしはこの酷暑と台風の隙間を縫って、6月に亡くなった義父の初盆を済ま
せてきました。何しろ遠方なものですから、往復ともに新幹線+飛行機という
自然災害にはひとたまりもない交通機関を利用せざるを得ず、台風を横目でに
らみながらの旅程となりました。
義父は多少ボケてはいたものの最近まで元気でしたが、今年の2月に入院した
のちは急速に衰えが進んで、誕生日を迎えて間もなく、不帰の客となりました。
生前は某自治体の職員を定年まで勤め上げ、退職後は某地域の経済団体の専務
理事であるとか、某市史編纂室の手伝いであるとか(立派な市史が完成し、わ
たしもその恩恵にあずかりました)、駅の観光ボランティであるとか、「古文
書を読む会」であるとか、様々な活動をしておりました。そのため、葬儀や法
事に「失礼ながらどちらさまで?」と義母や娘(わたしの妻)が誰何せざるを
得ないほど、顔が広かったようであります。
さて、上にも「市史」「観光」「古文書」とキーワードが出てきたように、義
父はアマチュアの域を超えた歴史好きで、以前は「郷土史」と呼ばれ、現在は
「地域史」と呼ばれる居住地近在の歴史に深い造詣があり、わたしは妻と結婚
する前から、かれこれ40年ばかりその謦咳に接してきました。ある地域で作ら
れていた、「埋め墓」と「拝み墓」の話などは、義父から聴いたのが初めてで
した。
ということはつまり、その造詣なり謦咳なりの源泉となった幾多の書籍がある
わけで、義父は自宅を改築した際、中2階に書庫をこしらえた程度には蔵書家
でもありました。わたしもその中2階には、この40年で3回程度しか入ったこと
がありませんし、書棚に並んでいた洋装本しか実見していないので古いものが
どれだけあるかは未詳ですが、見るひとが見たら立派な地域史のコレクション
なのかもしれません。
さあ、この残された蔵書をどうするのかが、残された人間にとっての問題とし
て浮上してきたわけです。すでにみなさまも御存知の通り、公共図書館でも大
学図書館でも個人蔵書のコレクションを引き取ることはしなくなって久しいで
す。たとえ引き受ける図書館が現れたとしても、特に公共図書館は大勢として
その蔵書の維持運営方針に一貫性を喪いつつあり、公共図書館業界もまた司書
の「専門性」を「貸出し」に求めることが甚だ大であったためか、以前この連
載でも触れたように、桑原武夫ほどの名声をもってしても公共図書館はその旧
蔵書を処分しましたし、その専門性が明らかな個人文庫であっても公共図書館
はその個人文庫を処分したわけなので、それを考えると無名の故人の蔵書を、
地域の公共図書館に寄贈するのは(多くの公共図書館から急速に知的な基礎体
力が失われ、目利きが姿を消しつつあることを考慮に入れてなお)二の足を踏
まざるを得ないところがあります。もちろん、その建物の物理的限界は言うま
でもないことですが、これまで培われてきた「資料の保存」ということに対す
る住民の信用と信頼を毀損してまで、「貸出し」のための「生きた書架」を維
持しなければならないというのは、これはこれでシンドい話のような気はしま
す。
そんなこんなで図書館や博物館をあてにするのは諦めて、取り敢えずは、先に
も出てきた「古文書を読む会」でお世話になった方々に声をかけ、義父のコレ
クションを見てもらって必要な書籍はお持ち帰りを願うことにしております。
その方々から地域の古書店などにつながるといいのですが、専門性を以って鳴
らした古書店も地方では急速に姿を消しつつあり、こちらに討って出るのも難
しいのかもしれません。地域史という専門が柱になっている故人の蔵書にして
このありさまで、ましてやわたしの蔵書のような雑多な分野が乱雑に積み上が
っているコレクションは、わたしが自分で処分するしかなさそうですが、さて
どうしたものか。
こう綴ってみると、図書館にせよ古書店にせよ、「専門性の崩壊」はいまや目
に見える形で進行しつつあり、それが果たして非常勤(非正規)職員の処遇を
改善するだけでその崩壊を押し止めることができるのか、疑問なしとはしませ
んが、これはまた別の話です。
ではでは、また次回。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第170回 終戦記念日に思う、新しい『戦前』
今日は78回目の終戦記念日だ。もう78年も経つのか。ぼくが生まれたのは
1957年だから、日本が敗れて12年しか経っていなかった。両親はもちろん戦争
を経験しているわけだが、ぼくが幼いときは、ことさらに戦争のことを話すこ
とはなかったような気がする。
覚えているのは、食べ物を粗末にしたり、食べ残しをしたときに祖母から
「戦争中や戦後まもなくは食べるものなんかなかったんだよ」と小言をいわれ
たことぐらいだった。
戦争の悲惨さを話したのは、学校の先生たちだった。当時、戦地から戻って
きた先生がたくさんいた。授業の合間に先生たちはぽつりぽつりと自分の体験
を語った。
小学生のとき、特攻隊の生き残りの先生から戦闘機が故障して不時着してし
まった話を聞いた。中学、高校に進学してからも戦争の経験を語る先生はいた。
戦艦大和に乗っていたり、南洋のジャングルでさまよった先生もいた。まだぼ
くの世代は、実際に戦地に行った人から直接話を聞くことが出来たのだ。でも
恥ずかしいことに戦争の話が始まると、退屈な授業より「面白い」と喜んでい
た記憶がある。
今、思う。ぼくは先生たちが語る悲惨な経験を、どれだけ真剣に受け止めて
いたんだろう? 話の内容よりも、戦争を語る先生たちの遠くを見つめる悲し
そうな目は、今でも忘れることができない。
そして時が経つにつれて、記憶も少しずつ薄れていく。そうやって「戦争」
はだんだん遠い存在になってきた。
昨年暮れにタモリが言った「新しい戦前」という言葉。タモリが何を意味し
たのかはわからないけれど、ぼくは、近い将来に「新しい戦争」が待っている
という意味に受け取った。
戦争の記憶が風化していく中、政府は防衛費の歴史的増額を決めた。ウクラ
イナでは戦争が続いているし、北朝鮮からは弾道ミサイルがつぎつぎと打ち上
げられる、麻生副総裁が台湾有事では「戦う覚悟」なんていう発言……、世の中
にきな臭いムードが漂って、なんとなく「やばい」感じがしてきた。
そんなことを思っていたら、『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』
(辻田真佐憲 著 講談社現代新書)という本を見つけた。
タイトルにある「戦前」が気になって、ぜひ8月15日を迎える前に読んでお
こう、と思った。両親たちがあまり語ろうとしなかった戦前、戦争を語ってく
れた先生たちが生きた戦前のことを知りたいと思った。
著者の辻田真佐憲がこの本を書くきっかけは、タモリの「新しい戦前」だっ
たという。現在、「戦前」という言葉はたやすく使われ過ぎていて、なんでも
「戦前」と認定してしまっている。人によって戦前のイメージはちがう。それ
は戦前というものがイメージだけで、実際何が行われていたのかは、戦後78年
経つ中でぼやけてしまった。戦前を知る人がいなくなって、共通なイメージを
持てなくなったからだ。だから、きちんとした資料に基づいた「教養としての
戦前」が必要だとこの本を書くきっかけについて話している。
戦前とはなんだったのか。この本は日本神話からアプローチするという切り
口で解き明かしている。
「大日本帝国は神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家だった」
と辻田真佐憲は書いている。
ぼくはこの本を読むまで、日本にとって「神話」がこれほど重要な意味を持
っていたのか、まったく知らなかった。
話は明治維新から始まる。
江戸時代の体制のままでは西洋列強に植民地にされてしまうと危惧した明治
政府は、日本を近代化するためにヨーロッパ型の国家を作ろうとしていた。そ
のためには幕藩体制を否定しなくてはならなかった。
江戸時代は平和が長く続いていたため、民衆は「偉いのは将軍様」と思って
いる。「京都にいる天皇っていったい何者?」という感じだったらしい。だか
ら、明治政府は天皇制の正当化を図るために日本神話(古事記、日本書紀)の
都合のいいところを取り上げてストーリーを作り上げていく。
「日本は、神武天皇が作った国である。もともと天皇の国であり、将軍も天皇
に任命されている。だから将軍よりも天皇のほうが偉いのだ」というストーリ
ーを作ることで、民衆を納得させようとした。日本はもともと天皇のものなの
だから、本来ある形に戻るだけである、というわけだ。維新は、天皇制への原
点回帰であるという、もっともらしい理由づけをした。
ちなみに明治維新の「維新」は英語で「Restoration」と訳されていて、そ
れは「王政復古」という意味だということもこの本で初めて知った。決して
「Revolution」(革命)ではないのだ。
西欧列強の植民地化を防ぎ、その後日清、日露戦争に勝っていくうちに、や
がて「日本は天皇が中心の国で、天皇を中心にまとまっていて、外国に出て行
く力だってあるんだ」 はじめは近代化するための方便だったものがだんだん
「事実」であるというように受け取られ方をしていく。そして日本が本当に神
の国だと思い込むようになってしまって、その結果、無謀な戦争もやるように
なってしまった。そして、先の大戦の敗北を迎える。それが大日本帝国が作っ
た「戦前」の流れだ。
「戦前」は、徳川政権から天皇親政に移行して大日本帝国が戦争の敗北によっ
て崩壊するまで77年のことをいう。77年、こうしてみると意外に短いような気
がするな。
読み進めていくうちに、なぜ一部の政治家たちが教育勅語を復活したがった
り、夫婦別姓を頑なに拒否するのか、だんだん見えてきた。たとえば夫婦別姓
とかLGBTQを認めてもだれも迷惑する人がいないだろう、とぼくも含めて賛成
の人たちはいうけれど、大日本帝国復活を支持する人たちにとっては絶対に許
されないことなんだろうなあ、とわかってきた。
2015年、自民党の三原じゅん子参院議員が3月16日の予算委員会で「八紘一
宇」という言葉を持ち出して話題になったとき、ぼくは「八紘一宇」を知らな
かった。
「太平洋戦争期に用いられた大東亜共栄圏建設の理念を示す言葉」ということ
は新聞の記事で知った。
「八紘一宇」の起源についてもこの本にくわしく書かれている。
「八紘一宇」は神武天皇が唱えた言葉とされている。神武天皇が初代天皇に即
位の直前に述べたと『日本書紀』に書かれている。
「八紘」とは世界を意味して、「一宇」はひとつの家という意味で、つまり
「八紘一宇」は「世界をひとつの家にする」ということらしい。もともと神武
天皇が「自分に従わない者たちを軍事的に支配して新しい国を作ったので、こ
れからは戦いをやめて平和的に国をまとめましょうね」という意味合いだった。
ところがそれが近代になってから、これは日本の建国の理念であり、これか
ら日本が世界に臨むときにこの理念に基づいて向き合っていかなければいけな
い、と在野の学者がいいだした。それが最終的に1940年、政府によって日本の
国の基本方針であるといわれるまでになった。「地球上を天皇のもと、兄弟に
するんだ」と誇大妄想みたいなスローガンに変わってしまった。
こんな言葉を現代の国会に持ち出して「国の理念」にしろ、という議員がい
るなんて!いまさらながらあきれてしまう。
2021年3月、自民党の古屋圭司衆院議員が「神武天皇と今上天皇は全く同じY染
色体であることが『ニュートン誌』染色体科学の点でも立証されている」と
ツイートしたことも話題になった。もちろん事実無根だった。神武天皇が神話
の世界の人物なのは小学生だって知っているだろうに。
このデタラメな発言だって、もっと問題にするべきだったのではないだろう
か。天皇の血筋が神武天皇から連綿と続いている、ということが自民党憲法改
正実現本部長にいかに重要であるか、この本を読むと納得出来る。
ただこの本を読んでもファンタジーであるはずの神話を民衆が真実と信じる
ようになってしまったのか、ぼくにはまだわからない。虚構に虚構を重ねてい
くうちに、やがて自分たちも虚構の世界に生きるようになってしまうのか。そ
れは、その「空気」を知らないためなのか。ぼくたちは新しい「戦前」を生き
ているのだろうか。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
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タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
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よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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名曲『秋田音頭』にも「秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ」とある
ほど秋田県人が愛してやまない魚。それが鰰(ハタハタ)です。秋田県の魚でも
あり、地元のJリーグチーム「ブラウブリッツ秋田」のチーム名もハタハタの
別名カミナリウオに由来しています。ということで今月はハタハタの本です。
『[新装増補版]鰰 本隊接岸』、高橋希/三谷葵、yukariro,2022
この本読めばハタハタがいかに秋田県人に愛されている魚なのかが伝わって
きます。
秋田県のハタハタの漁期は11月下旬から12月と、季節を告げる魚でもありま
す。先ほど少し出てきたカミナリウオという別名も、秋田で冬の入りになる雷
とハタハタの時期が重なることからついているようですね。
さてこの冬の雷を聞くと秋田県人の心はハタハタでいっぱいになってしまう
ようです。本書によれば彼らはハタハタの骨の早抜きという特殊技能を身に着
けているとのこと。この技で骨を手早く取っては食べ取っては食べで軽く十匹
ぐらいは食べてしまうというから驚きです。
もちろんその前に調達をしなければなりません。ハタハタシーズンになると
人々は水揚げのタイミングを敏感に察知し、漁港に集まってきます。お目当て
は出荷不可の訳ありハタハタです。選別の過程ではじかれてしまったハタハタ
を安く販売する「浜売り」というものがあり、そこで秋田の人々は安く大量に
調達します。本書に収められた写真にはごみ袋ぐらいに大きいポリ袋にハタハ
タをぎっちり詰め込んで、ほくほく顔で家路につく(と思われる)おじさんの姿
がとらえられています。数十キロ単位で買っていくのが普通というのですから、
秋田県人のハタハタ愛は尋常ではありません。
食べ方もいろいろですが醤油や味醂に付け込んだものをあぶって食べたり、
熟れ寿司にしたりといずれも読むだけでもうまそうのものばかりです。本書に
も写真付きでハタハタ寿司の作り方が紹介されていますが、とても美味しそう
なので作ってみたくなります。しかしこの大量のハタハタ…、下処理とかを考
えるとちょっと大変かも…。しょっつるなべで知られる調味料「しょっつる」
もハタハタを発酵させてつくりますね。
ハタハタの卵も美味しいらしいです。それは「ブリコ」と呼ばれるものらし
いのですが、…「ブリコ」って冒頭に出てきましたね。そう「男鹿で男鹿ブリ
コ」の「ブリコ」です。『秋田音頭』では「秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男
鹿ブリコ、能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ」と五つの名物が並べられて
いるのですが、そのうち二つはハタハタのことだったなんて知りませんでした。
本書の取材に秋田(男鹿)の人はこう答えています。「八森のハタハタは身が
おいしいけど、男鹿のはブリコ。」(p,9)身の美味しさとブリコの美味しさは
また別ということですね。
ブリコは生で食べるらしいです。醤油をつけて食べると美味のようです。し
かし「子どもの頃は浜に落ちているブリコを拾って、生のやつに醤油つけてガ
ム代わりに」(p,11)していたというのはなかなかすごいですね。ハタハタがそ
れだけ身近な存在だったということなのでしょう。浜に打ち上げられたブリコ
の写真も本書にはありますけれども、一見したところガム代わりにはならなさ
そうなのですが…。
ちなみに現在は漁業資源の保護ということで、浜にうちげられたブリコを拾
うことは禁止されているようです。
そう、ここまでのハタハタ愛のお話は、2014年に本書の元の本(増補前の版)
が発行された際の取材で書かれたものなのでした。それでは2014年から今まで
の間に何があったかというと、ハタハタの不漁が続くようになってしまったの
です。ポリ袋いっぱいにハタハタを買うことのできた「浜売り」も今は規制の
対象となっているということです。
秋田のハタハタを巡る環境は厳しくなりつつあります。本書は今後秋田のハ
タハタ漁獲高が回復すればハタハタを再び味わい尽くすガイドになる一方、も
しかすると秋田のハタハタ昔話となってしまうかもしれません。しかしいずれ
にせよここには秋田県民のハタハタ愛が凝縮されています。
本書にご興味を持たれたら下記の発行元サイトから購入できます。またサイ
ト内では取扱店舗も紹介されています。装丁もとても素敵ですので是非お手に
取ってみてください。
https://yukariro.jimdofree.com/
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第15回 「病衣」を着て「病友」に囲まれて
6月に上海で手術をして3週間入院した。7月に一時帰国して、月末に上海に戻
り、8月初旬にもう一度入院して、改めて小さな手術をした。今ちょうど入院
1週間目を迎えている。居住者であろうと、旅行者であろうと、外国で病気に
なったり怪我をしたりするのが、一番不安である。私も不安だった。お金を払
っても味わえない体験をする得難い機会だと自分に言い聞かせ、医者や看護師、
そして身の回りの世話をしてくれる「阿姨」との交流を楽しむことに決め込ん
だ。そのせいで、ありとあらゆる仕事が遅れに遅れてしまっている。
上海で病気になって入院といえば、やはり先達に敬意を表さねばならない。
〈私はその翌日から床に就いた。そうしてそのまた翌日から、里見さんの病院
に入院した。病名は何でも乾性の肋膜炎とか云う事だった。仮にも肋膜炎にな
った以上、折角企てた支那旅行も、一先ず見合わせなければならないかも知れ
ない。そう思うと大いに心細かった。〉
『大阪毎日新聞』の海外視察員として1921年3月から約5ヶ月にわたって中国に
派遣された芥川龍之介は、上海に到着して早々に入院することとなった。芥川
が入院した病院の建物は、入り口に鉄格子がはめられて入れなくなってはいる
もの、外装を新たにして現存している。コロナ禍以前に私が赴いた時には、ま
だアパートとして使われていた。住人のおじいさんが出てきて、昔ここは病院
だった、有名な文学者が入院していたそうだと教えてくれたこともあった。す
ぐ近くには、芥川が宿泊した万歳館という日本旅館の建物も、これまたきれい
な外装になって残っている。
芥川が入院したのは日本人の里見義彦の内科医院だった。岩波文庫から出てい
る『芥川竜之介紀行文集』に付された山田俊治の注によれば、芥川は「里見と
同じ新傾向俳句仲間の村田孜郎の紹介」によって、里見病院に入院することに
なったらしい。海外で入院するなら、やはり日本語が通じる病院が安心だ。今
の上海にも、日本人医師が経営している病院や、日本人医師をかかえる病院は
少なくない。しかしそうした病院の医療費はバカ高い。私が持っている中国の
社会保険カードも使えない。薄給の大学教員に、そんな贅沢は許されない。私
が調べに調べて選んだのは、中国医学と西洋医学を組み合わせた医療を展開し
ている、上海在住の中国人、それも地元の住民が多く通う病院だった。入院中、
外国人を見かけることも、外国語を耳にすることもなかった。私がお世話にな
った病棟では、はじめての外国人だったという。
おかげで入院した当初は珍獣扱いだった。入院の手続きをしにナース・ステー
ションにやってきた時には、「日本人が来た !」と騒がれて、中国語ができる
のかと半信半疑の面持ちで問いかけられ、ある程度のコミュニケーションが可
能だということが判明すると、日本のことや中国での生活のことを、あれこれ
と聞かれるようになる。
2度目の入院に訪れた時には、お医者さんからも看護師さんからも、もちろん
阿姨からも、「又来了!また来たか !」と大歓迎される始末。手術の翌日、体
調がよかったため、見舞いに来てくれた友人と外を散歩していたら、暑さのせ
いなのか、痛み止めの点滴のせいなのか、冷や汗がどっと出て力が抜けて、ふ
らふら倒れてしまったのだが、意識を取り戻して友人とガードマンに支えられ
て病室のある階に戻ったら、看護師と阿姨が総出で出迎えてくれて、チョコレ
ートを食べさせてくれたり汗を拭いてくれたりした。もちろん、それから数日
の間は、会う看護師みなから、「びっくりさせないでよ!手術翌日に散歩だな
んて、いい加減にして」と怒られ続ける羽目に陥った。
当然のことだが、芥川龍之介の経験は私の経験とはまったく異なっていた。里
見病院に入院することになった芥川は、「幸い上海には、」と書き出す。新聞
社の関係者以外にも、少なくない学友が上海に在住していた芥川のもとには、
「友人知己」が「忙しい体にも関らず、始終私を見舞ってくれた」らしい。羨
ましい限りだ。残念ながら、付き合いの悪い私には上海在住の日本人の「友人
知己」がほとんどいない。見舞いに来てくれた日本語母語話者は1人だけ。専
門用語だらけの医者との会話も訛りの強い阿姨や病友とのやり取りも、さらに
は麻酔が覚めた後、中国語を忘れていないかどうかなど、心配だらけだったが、
それでも何とかなるものである。
改めて「上海游記」をはじめとする芥川の中国旅行記を収録した『支那游記』
を読み返してみると、登場する日本人の多さに驚かされる。苦力など無名の中
国人が数多く存在していることは示唆されているが、名前で記される人物は、
中国人よりも日本人のほうが多いくらいである。中国で暮らすようになる前、
日本で『支那游記』を読んだ時には、その奇妙さに私は気づくことができなか
った。芥川のような有名人に中国語に堪能な日本人が案内役としてつくのは当
然のことだと思い込んでいたからである。
〈私は物音に驚かされた。見ればペンキ塗りの戸口には、不相変青い服を着た、
背の低い婆さんが佇んでいる。婆さんはにやにや笑いながら、何か私に話しか
けるが、唖の旅行家たる私には、勿論一言も判然しない。私は当惑し切った儘、
やむを得ず顔ばかり眺めていた。〉
「唖の旅行家」には案内役は必要であるし、案内役をつける余裕がなければ旅
行案内記は必須である。それゆえ日本で暮らしていたときの私は、『支那游記』
に登場する日本人の多さに違和感を憶えなかった。しかし今は違う。
コロナ禍以前、私は少なからず日本からやって来た大学の先生方の案内役を務
めた。学会やシンポジウムのために訪れた先生方をどこに案内し、何を食べて
いただくのか、それはなかなか悩ましい問題だった。乏しい知識を使って先生
方の期待に背かない場所を選び、先生方が食べられる料理を出す清潔なレスト
ランを探した。同時に旅行には意外性も担保しなければならない。何度も上海
を訪れたことのある先生にも、こんな面白い場所があるとは!と喜んでいただ
けたこともあるので、私の旅行案内は、及第点はクリアしたものだったのでは
ないだろうか。とはいえ、結果として私が案内した場所やレストランは、上海
で普段生活している私とは、まったく縁のない場所ばかりとなった。しかし先
生方にとっては、私の案内した上海が、「上海そのもの」として記憶されるこ
とになる。芥川の『支那游記』も、そうした記憶のひとつだったのではないか。
「病衣」を着た病友たちは上海語で最近の上海の経済状況を大声で議論してい
る。日本人の意見を聞かせろと言われても、上海語はほとんどわからない。会
話の内容を類推しながら、適当な返事をするので精一杯だ。そんな病室でiPad
を使ってKindle版の『支那游記』を読み返しながら、私は『支那游記』の上海
が本当に芥川個人の認識した上海なのかどうか、疑問を抱くようになった。あ
らかじめ用意された「上海そのもの」に過ぎなかったのではないかという思い
にとらわれてしまったのである。
やはり旅行案内役の存在は重要だ。『支那游記』に描かれる中国は、山田俊治
が指摘するように、「必ずしも一定の叙法に従っていない」という特徴を有し
た、芥川ならではの「小説的な紀行文」ではある。しかしそこに定着されてい
る中国は、芥川の眼差しがとらえたものであるだけでなく、あらかじめ旅行案
内役によって把捉され、芥川の眼差しに提供されたものである可能性が高い。
そう思った私は、俄然『支那游記』に登場する旅行案内役に興味を抱き始めた。
旅行案内役の重要さは、『支那游記』の次のような箇所からも十分にうかがえ
る。
〈少時其処に待っていると、老人のような、若いような、背広の御役人がはい
って来た。これが揚州唯一の日本人、塩務官の高洲太吉氏である。我我は上海
の小島氏から、高洲氏へ紹介状を貰って来た。さもなければ意気地のない私は、
揚州へ来る気にはならなかったかも知れない。来ても高洲氏を知らなければ、
愉快に見物は出来なかったかも知れない。〉
旅行案内役の重要性を再認識させてくれると同時に、中国に張り巡らされた日
本人ネットワークの存在をうかがうことができる一節である。芥川が赴いたの
は中国だったが、その道程は基本的に日本人ネットワークの内部にとどまるも
のだった。そこからはみ出すことは、「意気地のない私」には難しかったのだ
ろう。ちなみに、ここで紹介されている高洲太吉については、国立国会図書館
で検索してみたら、中国人の研究者が最近論文を発表したようだ。芥川に限ら
ず、揚州を訪れた日本人のほとんどは高洲太吉のお世話になっていたという。
『支那游記』を芥川龍之介というビッグネームの所産として扱うだけでなく、
芥川に『支那游記』の認識をもたらした旅行案内役や日本人ネットワークを解
明していくことは、日本における中国観の形成を考察する上でも欠かせないも
のとなるのではないだろうか。
芥川の旅行案内役となった日本人の多くは、中国在住の「支那通」だった。中
国に長く住み、ある者は家庭を持つようになり、またある者は財を成した。そ
れゆえ中国に愛着を抱くようになったとしても驚くには当たらない。こうした
「支那通」のお世話になりながらも、『支那游記』の芥川は「支那通」を揶揄
する言辞をしばしば弄している。
〈こう云う「第二の愛郷心」はこの主人に限ったことじゃない。支那に在留す
る日本人は悉ふんだんに持ち合わせている。苟も支那を旅行するのに愉快なら
んことを期する士人は土匪に遇う危険は犯すにしても、彼等の「第二の愛郷心」
だけは尊重するように努めなければならぬ。上海の大馬路はパリのようである。
北京の文華殿にもルウブルのように、贋物の画などは一枚もない。――と云う
ように感服していなければならぬ。〉
このように皮肉られる「支那通」の側に、肩入れし過ぎることなく寄り添おう
としたのが、1941年に中華民国張家口市に生まれた相田洋である。旅行案内役
の「支那通」島津四十起に対して芥川が癇癪を起こした一節を取り上げて、
相田は「当時、シナを訪れる文士たちは、特権意識が強く、手厚くもてなされ
て当たり前と思っていたフシがある」と述べ、さらに次のように続けている。
〈現地で暮らす人々には、それぞれの生活があり、総て旅人の都合に合わせる
ことは出来ないのである。それを、一方的に、合わせるべきだと考えるのは、
特権意識以外の何物でもない。〉
「近代の日中関係史の中においては、そのマイナス面を含めて、これらシナ通
を無視することは出来ないだろう」という問題意識から、「未開拓な分野の研
究の叩き台の一つでもなれば幸いである」という思いで書かれた相田洋の
『シナに魅せられた人々 シナ通列伝』は抜群に面白い。そこで物語られる
「シナ通」について、相田は次のように述べている。
〈むしろ日中交渉史などという枠を越えて、好きなことに全身全霊で打ち込ん
だ、彼等の生き方そのものが面白く、貴重だ。戦前には、こんな男たちがいた
のである。〉
同書で取り上げられている個性豊かな「シナ通」は目次からも一目瞭然である。
一 タフで骨太な民間シナ学研究家・後藤朝太郎
二 芥川龍之介を食傷させたシナ風物研究家・中野江漢
三 魯迅に嫌われたシナ民衆文化研究家・井上紅梅
四 芥川龍之介を驚嘆させた稀代の戯迷(京劇狂)・辻聴花
五 シナ怪異譚『聊斎志異』に魅せられた二人の聊斎癖・柴田天馬、平井雅尾
目次に掲げられた6人以外にも同書には、芥川に癇癪を起こされた島津四十起
をはじめとする「シナ通」の「小伝」が折に触れて立てられている。重要なの
は、従来日の目を見ることのなかった「シナ通」を取り上げるにあたり、むや
みに肯定するのではなく、先に引用したように「マイナス面を含め」ることを
相田が決して忘れていないことである。
〈石農[=後藤朝太郎の号]〉はシナの各地に五十数回も旅行したが、シナに
数十年間も居住した中野江漢や井上紅梅・辻聴花・柴田天馬などのシナ通と比
べると、結局、大陸を通り過ぎただけの旅人だった。〉
〈江漢は常々、シナの尺度で測り、シナの眼鏡で見よと主張していたが、日シ
問題に関しては、全く日本の尺度・日本の眼鏡で見ることしか出来なかった。〉
井上紅梅は「最もシナ的な色彩の濃厚な、従来の日本ではほとんど馴染みの無
い分野の紹介・翻訳」を行なったが、「結局ディレッタントの域を出ることは
なかった」。辻聴花はその京劇についての知識で芥川を驚嘆させたが、名著
『支那近世戯曲史』の著者であり、中国に関する洒脱なエッセイでも知られる
青木正児には、「聴花語るに足らず」と酷評された。熱狂的な京劇の愛好者だ
った辻聴花には「客観的標準」が欠けており、「学問的な中国演劇史の樹立を
目指す青木とは、スタンスが違い、はじめから相容れる余地はなかった」から
である。相田の指摘は、こうした「マイナス面」への指摘を怠らない。「シナ
通」に注がれる眼差しは、きわめて公平である。
また相田は、後藤朝太郎を論じた第一章で、後藤の「シナ学」は「民間学」の
ひとつとみなすことができるのではないかと述べていた。同書において見逃せ
ない指摘のひとつである。
〈これら石農[=後藤朝太郎]の「シナ学」は、「アカデミズム(官学)」
批判及び「民衆」・「生活」の重視などの点で、大正デモクラシー期の、柳田
国男「民俗学」・南方熊楠「博物学」・津田左右吉「国民史」・喜田貞吉
「部落史」・柳宗悦「民芸学」・今和次郎「考現学」・高群逸枝の「女性史」
・伊波普猷「琉球学」など所謂「民間学」と共通するところが多い。それ故に、
石農の「シナ学」も、これら「民間学」の仲間に入れることが出来ると思う。〉
「民間学」は歴史家の鹿野政直が、従来の学問のあり方を見直すために提唱した
魅力的な視座である。「国家目的とふかく関連しており、その意味で富国強兵に
奉仕するのを目的とした」「アカデミズムには、「御用学」「政策学」「特権性
むきだしの学」「輸入学」等々や、「学閥」のイメージがつきまとう」ことにな
り、「研究費も社会的地位も保証され、有能な人材をにない手とするアカデミズ
ムは、国家を光背としつつ、一個の権威として学問成果のほぼ独占的な供給源と
なった」。鹿野によれば、「民間学は有形無形に、それへの異議申し立てとして
起きている」のである(『近代日本の民間学』)。
もちろん鹿野が指摘しているように、「日本人のアイデンティティの回復をめざ
した」ともいえる民間学は、たとえば戦時には「民衆生活に根をおろしたつよさ
を発揮するとともに、「国体」観念への傾斜というあやうさから免れえなかった」
側面を有していた。それは相田洋が紹介する「シナ通」の「マイナス面」にも相
通じる。しかし帰国するたびに、日本語でなされる中国に関するニュースがあま
りに一辺倒であることを見るにつけ、おそらく現代以上に「嫌中」の空気が吹き
荒れる中で、「とにかくシナが好き」だった後藤朝太郎の次のようなふるまいは、
一考するに値するように思われてならない。
〈戦前、シナ服にシナ帽で、東京市内を歩き回る男がいた。毎日のように、道で
は小学生から囃され小石を投げられ、電車の中では車掌や乗客から嫌がらせを受
けたが、それでもめげずに押し通した。これはシナに対する日本人のメンタル・
テストだと言っていた。〉
相田洋の『シナに魅せられた人々』は、ぜひ日本語を解さない中国人にも読んで
もらいたい著作である。しかし、日本語で書かれた学術書が次から次へと翻訳さ
れている現状であっても、今の中国で同書が刊行される可能性は低いだろう。明
文化された指令が出されているわけではないのだが、思想教育に力を入れている
上層部への「忖度」から現在の中国で、「支那」や「満州」などといった「敏感」
な言葉は忌避される傾向が強くなっている。歴史的な資料からの引用であっても、
批判的な立場から使われる場合であっても、学術的な書籍や論文の中で用いる場
合であっても、「敏感」な問題を惹起しかねないと、「中国」に書き換えたり削
除したりすることが編集者から要請される。「支那通」や「支那趣味」や「支那
浪人」の「支那」を「中国」に変えてしまったら、歴史的な意義が失われたり、
まったく違う意味となってしまったりするだろう。
ちなみに相田洋は「支那」と漢字で表記せずに、「シナ」というカタカナ表記を
用いている。「支那」は「満州・蒙古・西蔵等と列ぶ、中国本土を指す概念」で
あり、「清朝の領域を継承した、満州・蒙古・西蔵・西域等を含む地域を領土と
する帝国」である中華人民共和国とは異なる概念である。とはいえ、「彼の国の
人々が「支那」という漢字を忌み嫌う」のであるなら、「戦前の歴史の中でしか、
存在価値が無くなる」「支那」をあえて使うのもいかがなものか。そうした考え
から、相田は「外国の国名に一般的に使われるカタカナ」の「シナ」を採用した。
しかし中国語にはカタカナ表記は存在しない。カタカナの「シナ」を中国語に翻
訳することは不可能である。
午前中の診療を終えてベッドに戻ると、主治医がやって来て明日の午後に退院し
てもいいと言う。ただし1週間に1度、病院に診察に行かなくてはならない。昼ご
飯を持って来てくれた阿姨が「よかったね!」と声をかけてくれる。うん、でも
また戻ってくるよ、10月にと言うと、阿姨がなんでと眼を丸くして、表情が少し
深刻になる。ちょっと大きな「息肉」があるから取らなきゃいけないんだと伝え
ると、安心した顔になって、それなら簡単な手術だから1日か2日の入院で済む、
びっくりさせないでと満面の笑みになる。「息肉」は「ポリープ」の中国語訳で
ある。中国語の教科書やテキストに載っていない病気にかかわる単語を学ぶので
あれば、手術して入院するに如くはない。
【本文中で言及させて頂いた本】
山田俊治編『芥川竜之介紀行文集〔電子書籍版〕』(岩波文庫)
相田洋『シナに魅せられた人々 シナ通列伝』(研文出版)
鹿野政直『近代日本の民間学』(岩波新書)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
国が福島原発の貯まりに貯まった汚染水を薄めて海に流そうとしています。
取り返しのつかないことだと私は思います。未来のためにも、自国内でなんと
かできるよう努力する事が、事故を引き起こした国の「責任」なのだと思いま
す。 畠中理恵子
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情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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今回は『絵本はマネジメントの教科書』(みらいパブリッシング)を出版さ
れた、三宅未穗子さんへのインタビューです。
『絵本はマネジメントの教科書』
著者 三宅 未穂子
価格 1760円(税込)
出版社 みらいパブリッシング
四六判 200ページ ソフトカバー
2023年7月24日 発売
ISBN978-4-434-32346-1
https://miraipub.jp/books/24225/
−この本が誕生したきっかけを教えて下さい。
【神様は人の手を通して願いをかなえてくれた】
この本の誕生の始まりは、東洋大学 文学部国際文化コミュニケーション学
科 准教授 竹内美紀さんに、強く背中を押されたことでした。
絵本×マネジメントを多くの企業で実践し、成果を感じてはいましたが、書
店で誰もが買うことができる出版物となるのは、夢また夢でした。何しろ、大
きな業績を残し受賞経験があるわけでもなく、論文を発表したなどの経験もな
いという全くの無名の私が、書店に並ぶ本を書くことができるという遠い夢で
した。それまでも、多くの人に本を書くように勧められましたが、彼女は言葉
だけでなく、行動を以て、著者になることを応援してくれました。
ご縁とは本当に不思議なもので、神様の奇跡も、人を通して手渡されます。
このことを実感するものでした。
2021年1月。彼女連れて行ってもらった神保町のブックハウスカフェ。そこ
で、この本の帯を書いてくださったドラッカー学会共同代表井坂先生と初めて
お会いし、その席で、よしやってみよう!と決めた瞬間が、この本の種を体内
に宿した時だったと思います。
−書籍を形にするまでにいちばん苦労したことは?
【伝える順番こそ大切ということを知る】
これまで、17年近く絵本×マネジメントの可能性について実践し、さらに
150本近くのエッセイ(絵本に学ぶ仕事術)を書いてきましたので、伝えたい
ことは明確にありました。
さらに、書名も「絵本」という言葉のインパクトが大きいので、絵本の話?
と思われがちなのですが、絵本は導入部分だけで、がちがちのマネジメント・
組織開発論であることから、
構成を決めるまでが、何度も何度も検証して、この目次のように組み立てま
した。伝える順番こそが大切と学びました。ここが、一番苦労したことかと思
います。
また、難しい言葉を使わない。できるだけ簡単で平易な言葉を用いることに
心掛けましたので、表現の仕方を工夫しました。
−書籍を出版していちばんうれしかったことを教えてください。
【自分に自信を持てたこと】
実は、まだ実感がないのです。全てがありがたくて光栄なことがばかりで、
その感動に「いちばん」をつけることができずにいます。毎日、うれしいをい
ただいています。
が、もし、上げるとしたら、本を出版するという点ではなく、このメソッド
を多くの人が認めてくれた点にあると思います。
現在、絵本×マネジメントは企業内で自走する研修ツールとしてお渡しして
います。全24巻ございます。この出版を機に、これらすべてを、ドラッカー学
会の共同代表の佐藤先生にすべて監修いただき、太鼓判を押してくださったこ
と。ブックハウスカフェで、同じく共同代表の井坂先生に「たいへんに面白い」
と言っていただけたこと、この出版によって、このメソッドに共感してくださ
る人が増えたこと、そして、驚いてくださったこと。だと思います。ですから、
もし「いちばん」が付くとしたら、「あぁ、よかったんだ!」と自分に自信を
持てたことでしょうか。
また、校了の前に行った本書の中に掲載する、絵本の書影と文章を、それぞ
れの出版社にお送りして許可申請をした際、快諾をいただいたことも、本当に
やってきてよかった!と達成感がありました。出版社のみなさまに深く感謝申
し上げます。
−編集の担当の方に一言!
【誰と歩くかは大切】
実はみらいパブリッシング出版で出版する前、一度他者で出版の話が進んで
いましたが、先方との意向が合わず、マネジメントの本として書くことができ
ないということがわかりお話を白紙に戻したという裏話があります。
そこから、文章チェックをお願いしていたライターさんのご紹介で、みらい
パブリッシングさんを紹介していただき、企画書をお出ししました。そこで、
この本の出産に立ち会ってくれる助産師さん・・つまり編集担当者との縁をい
ただきました。この方は本当にやる気にさせてくださるのがお上手で、いつも
平常心で、対応も丁寧。最高のバディでした。
塚原さん、ご一緒に歩けて、本当に楽しい本作りでした。ありがとうござい
ました。
−これから本を出したいんだけど、という方にアドバイスを!
【目次は大切】
出版社、そして編集者との相性は大切。と先に本を上梓されている先輩方に
聞いてきましたが、本当にそうだと思います。
今、本を出すことはもしかすると、難しくない時代なのかもしれません。後
々まで残る本にすることができるか!ここが勝負のように思います。
本を出したい方には、企画書をしっかり作ること。
その企画書に必要な目次。これは、書きたいものを構造構成化することに尽
きると考えています。
頭の中を整理して、書きたい内容を構造構成化したいなら、エッセンシャル
・マネジメント・スクールという世界で唯一の本質行動学を学ぶスクールがあ
ります。なんだか宣伝みたいになってしまいましたが、もう一つ、本書にも、
構造構成化するヒントになる絵本の話を書きましたので、絵本から学ぶことも
できそうです。
『絵本はマネジメントの教科書』は、日常で使えるマネジメントの基本を、
絵本の目線で書いています。マネジメントの本を読むのは、それだけで勇気が
必要!と考える人でも絵本の楽しさとわかりやすさと短い文字数で、マネジメ
ントのドアを開くことができます。
多くの人に読んでいただきたいと願っています。
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
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第1話 移住先決まる
九月十三日(日)友引
母の遺骨を納骨することになった。母が亡くなったのが二〇一七年だから、
約二年半、私は母の遺骨と暮らしていたことになる。私自身、遺骨に思い入れ
は無いので、実際の納骨は弟に行ってもらうことにした。既に主として東京で
暮らしている父にとっても、浦安で暮らしている弟にしても、埼玉くんだりま
で来て線香をあげるより、気分的にも参り易い築地本願寺に納めるという。我
が家の墓は実際には九州にあるが、とりあえず父が亡くなる前に、そこに母の
遺骨を納めるというのは家族全員の心理的抵抗があるので、とりあえずは父が
亡くなるまでの期間ということになるのか、それとも、そのタイミングで九州
の墓を引き払ってしまうのか、それはそのときにならないとわからない。実の
ところ、弟の奥さんの家は山中湖あたりにお墓を所有しているらしく、弟家族
は毎年、夏に山中湖に行っているようだ。私は独身で子どもも居ないし、弟の
家族が九州の墓に参ったことはほぼほぼ無かったと思うので、現実的には、処
分の方向になりそうだ。継ぐ者の居ない墓を処分するということも、生きてい
る者の務めかもしれない。
九月二十三日(水)友引
オンラインでエッセンシャル・カウンセラーのW先生のセッションを受ける。
テーマとしては、自分の仕事がはかどらないのを何とかするにはどうすればい
いのか、ということ。W先生のセッションは、よくわからないが、私のハイヤ
ーセルフとつながって見えたものをシェアされるというもの。正直、ハイヤー
セルフって何?というのはよくわかっていないが、スラスラ出てくる言葉には、
なんだかしっくりくるものがあるから不思議だ。人間の顕在意識なんて、意識
全体の数パーセントという話もあるから、集合無意識も含め、無意識と言われ
るようなものまでリーディングして話してくれているのではないかと思ってい
る。
今は実家暮らしではあるが、これは自分が望んでここに住んでいるのではな
く、母の癌からの介護、それから看取りに葬式に通夜に法事といったイベント
をこなしているうちに、いつのまにかひとりで一軒家に住むことになっただけ
なので、そろそろ本当に自分の住みたいところ、住むべきところに移動するの
が良いのではないか、という話になった。その場所の条件も細かく言語化され
た。
・日当たりが良い
・風が通る
・流れている水か、湧き出る水がある
・都心過ぎず田舎過ぎず
・リビングと仕事部屋と寝室があると良い
・富士山が窓から見えている
・富士山と八ヶ岳と秩父の影響を受けている
・気が良い、集中できる、静かなところ
・近くに、縁がある人がいる場所。コミュニティに入っていける
・ベランダが広い
・マンションの4、5、6階か、あるいは高台の2、3階
とまあ、だいたいこんな感じだった。他に言われたのは、三島の三嶋大社と
熱海の来宮神社への参拝を勧められた。ちなみにパートナーについてはまだ先
とのことで、移転後にガーデニングを一緒にやってくれそうな方と出会って結
ばれる、ということだった。
九月二十五日(金)仏滅
先日、送った埼玉在住の方の修了証が、お茶の水のエデュプラ会場に戻って
しまったものを、おみつさんとお鉄さんがピックアップして届けてくれること
に。たまたま、その方のお住まいがうちの近所だったので、訪問を受ける。
先日のW先生のカウンセリングの結果、こういう条件の場所に引っ越しする
と良いと言われた、と話すと、おみつさんが、「私、その場所知っているよ」
と言い出す。なんでも、ご両親が甲府に持っているマンションがあって、確か
3階くらいだったと思うけれども、そのほかの条件は当てはまりそう、とのこ
と。今は人が住んでいないようなので、ちょっと聞いてみる、という話になっ
た。
だいたい、富士山と八ヶ岳と秩父の山が見えるところなんて、甲府盆地しか
ないんではないか、という気もするが、まさかの偶然にびっくりしてしまう。
一〇月五日(月)友引
おみつさんと新宿で待ち合わせてあずさに乗り込み、甲府へ向かう。甲府で
は改札前にご両親が待っておられた。マンションの所有はお母様だというので、
てっきりお母さまだけいらっしゃるのかと思っていた。ちょうどお昼時という
ことで、駅ビルの中のレストラン街で食事をすることに。山梨名物ほうとうも
あったが、こちらも名物という鳥もつ煮がセットになっている御蕎麦の定食を
いただくことに。支払いをしようかと思ったら、いいからいいから、というこ
とで、御馳走になってしまった。その後、信玄公の前でお約束の記念写真を撮
った後、マンションへ。
とにかく日当たりが良く、富士山も綺麗に見える。階数もおみつさんが勘違
いしていたようで、4階だし、近くに川が流れており、最寄り駅名のお寺もま
あまあ、近くにある。ハイヤーセルフのお導きの場所はここか?
しかし、どうもやけに愛想が良い上に、マンションの価値を高めて話すお父
様の様子を見て、これはもしかしたら、マンションを購入しようとしていると
勘違いしているのでは?とおみつさんとひそひそ話。それを伝えると、ああ、
そうなのか、とちょっとがっかりめのお父様。いずれにしても、1年半以上も
人が住んでいなかったので床板もはがれており、このままでは住めないのでリ
フォームが必要なのだが、リフォームしても人が入るかわからないので、それ
で放置していたというのが実態らしい。
現状の間取りは4LDKだけれども、ひとりで住むのにそんなに部屋数は要
らないので、コロナ禍でもみんなが集まれるような広い部屋にするのと、富士
山見ながらお風呂に入れるような改築が出来たらよいね、などという話で盛り
上がり、とにかくリフォームするなら何にいくらかかるのか、ということを調
べてもらうことに。
その後、おみつさんの願いで恵林寺へ。キンモクセイの香りが満ちていた。
帰りにこれまた山梨名物らしい、紙コップ白ワインを甲府駅のNEWDAYS
で購入し、あずさで帰路につく。
一〇月二十一日(水)先勝
ハイヤーセルフのセッションで指定された熱海の来宮神社、三島の三嶋大社
に詣でるために、今日から一泊旅行。まずは熱海を目指すものの、朝から税理
士とのミーティング、オンラインでのミーティングの予定があり、出発が午後
になってしまう。
来宮神社に到着したのは、閉門ぎりぎりの十六時四十五分。巨大な欅に圧倒
される。沈みゆく夕陽に照らされながら、欅からの橋を通る道に清い気の流れ
を感じ、このような家に住みたいと思った。
夜、熱海のメイン通りのホテルに宿泊。ワインを飲んで就寝しようとするも、
道路を往来する自動車の音が騒がしく、なかなか寝付けない。そのせいか、過
去に熱海を訪れた際の記憶がいくつか蘇る。親戚と一緒に家族で来た際、帰り
際にI社長から電話で仕事の電話を受けた件。内容は覚えていない。また、会
社を退社した際、告白してきたアルバイトと一緒に立ち寄り湯に連れて行って
もらった件。なぜか彼女の告白を結局は受け入れられなかったが、その理由は、
次の新しい人生に、古い人間関係は要らないと思ったからだった。結構、自分
もひどい理由でひどいことをしているな、と思った。
一〇月二十二日(木)友引
三島駅に移動し、三嶋大社へ。いまいち場所がわからず、駅からタクシー。
どうやら逆の出口から出てしまったようだ。
三嶋大社は来宮神社とは違い、なんだかオープンでみんなの神社、という感
じ。原宿の熱田神宮や京都の平成神宮のようなタイプで、あまり好きなタイプ
の神社ではないな、と思った。
帰路は三島駅まで歩いたところ、浅間神社の看板を発見。行ってみたら、地
元の人が通うような神社ながら、小さくも雰囲気があり、パワースポット感が
あった。苔むした感じも良い感じ。大勢の会食後、小料理屋に寄る感じで、実
はこちらが本命、という印象。
帰路の道は文学の碑もあり、川のせせらぎとあいまって、将来、作家として
住むことができそうな場所だな、と思った。
一〇月二十五日(日)大安
東京駅で待ち合わせて、タカさんと富士宮へ。新居を探しているのなら、富
士宮にある自宅に今は誰も住んでいないのでどうか、とお誘いいただいたので、
見学に行くことに。新幹線で新富士駅まで移動。そこから駅前でレンタカーを
借りて、自動車で富士宮の家まで移動。
タカさんのおうちはこだわりのログハウス。二階建てで暖炉と煙突があり、
まさに目の前に富士山が大パノラマで展開していた。
しかし、山小屋感満載で、家族や誰かと住むなら良いけど、ひとりで住んで
ると孤独感が増しそうだな―という感想。
帰りに富士宮神社に参り、富士宮やきそば屋にて、ノンアルビールで乾杯。
富士宮やきそばがあまりに美味しすぎてお土産に購入。お店のおばさんたちが
にぎやかで、こちらも良い味を出していた。
十一月六日(金)大安
Facebookのメッセンジャーに、おみつさんより、お父様の見積り結果が届く。
その金額は軽く一千万円超え。おみつさん曰く「リフォーム済み物件買った方
が安い」とのこと。確かに、相場を調べると、購入するのに安くて八百万円台、
高くても一千万円にしかならないマンションで、一千万円かけてリフォームす
るなんてありえない話。他人のお金だと思って非現実的なことをするなぁ、と
おみつさんがお父様を嫌う理由が少しわかった。
おみつさんの提案で、共通の知人で、EMS関係者であるTさんに相談して
みることにした。
十一月十三日(金)赤口
税理士との打ち合わせ、コーチとのセッションを終え、再び山梨へ。おみつ
さんのお父様が、「父から十四日の午後に神官が来るから引越しについてなど
相談しに山梨にこないか?」とのメッセンジャーが一〇月三十一日に来ており、
ついでに甲府観光をしようかと、石和の温泉旅館を三泊朝食付で抑えた。意外
に安かった。
この日は夜、石和につき、駅前の居酒屋で山梨料理を堪能し、正体なく爆睡
した。
十一月十四日(土)先負
石和温泉駅から甲府へ、そこから身延線で甲斐住吉へ移動。石和温泉の駅前
にはなぞの石屋さん。そんな商売、やっていけるのだろうか? 駅裏のバーベ
キュー場はコロナの影響で閉じている様子だった。
電車が来るのを待ちながら、山々を眺める。北九州に住んでいたころは、こ
ういう山が近くにある風景というのは当たり前だったが、埼玉にしろ、東京に
しろ、こういう山に抱かれる経験はすっかりなくて、この感覚を忘れていたな、
と思った。
場所はおみつさんのお父様のやっていらっしゃる会社。前回は自動車で来た
のでよくわからなかったが、実は駅からも近い。近い、のだが、その間の道は
まぎれもなく田舎道で、途中、本当にこの道で正しいのか不安になった。ここ
かしこに干し柿が干してあって、田舎感がさらに増していた。
メッセンジャーの「神官が来るから引越しについてなど相談」というのがあ
まりにも意味不明だったが、現地について、人が集まっているのでびっくりし
た。どうも東京のある神宮で九星気学に基づく暦を発行していて、どうも定期
的にこうした集まりを持っているらしい。皆さん、顔馴染みらしく、非常に居
心地が悪い。
とはいえ、イベントやセミナーや勉強会と思えば、お役に立てることもあろ
うかと、ホワイトボードを綺麗にしたり、椅子の配置を整えたりして開始を待
つ。
渋滞して遅れて神主さん登場。で、それからは主に家相について、皆さんの
悩みへ回答を伝えていく。打ち捨てられた給水池を蘇らせなさい、仏壇の位置
を変えなさい、などなど、割と納得のいく回答だな、と思いながら聞いていく。
最後に、自分の名前が呼ばれてびっくりする。で、年内、埼玉から甲府に引っ
越しを考えている件を改めて説明すると、基本的には来年二月以降の移動が良
いが、まず、年末ある時期に北東の方向にて数泊宿泊し、その後、マンション
に入れば運気的には問題ない、との回答を得る。
おみつさんのお父様も非常に喜ばれて、リフォームどうすんだ、問題を放置
したまま、なんとなくもう住むことが決定したかのような雰囲気になる。
十一月十五日(日)仏滅
朝から、甲府へ出て、武田神社詣で。詣でてわかったことは、ここが元武田
家の邸宅であり、古くから神を祀るものではなかった、ということ。続いて神
社近くの武田資料館に。いまいち日本史に疎く、武田家のことをこれまで知ら
なかったが、この地方では金が採れること。その金をめぐって家族で権力争い
が絶えなかったこと。部下への報酬も金で支払われていたため、褒賞次第で敵
味方が入れ替わるような世界だったこと。などを知る。武田勝頼も叔父を倒し
て家を継いだとかで、なかなかに家族仲の悪い家系であったことを初めて知っ
た。
おみつさんが頼んだTさんはしんきちさんという方だった。午後、おみつさ
んに連れられてしんさんと、該当のマンションで待ち合わせ。現場でしんさん
に事情を話すと、限られた予算で着手してできるところまでやる、という方式
は得意です、との返事。現状の予算も話し、なんとかしてみましょう、とのこ
と。心強い。
帰りに善光寺に立ち寄り、記念撮影をした後、タクシーで甲府の駅に向かう。
どこかのお店に入って食事をする時間もないので、駅前に並んでいた出店でワ
インと鶏肉焼きとピザなど購入し、食す。どれも美味しかった。
十二月十三日(日)友引
母が残したお華やお茶、あるいは食器や絵画などをもらっていただく方に来
てもらうためもあって、EMS関係者を自宅に集めて、クリスマスパーティを
開催した。大いに歌い騒ぎ、夜が更けていった。
おみつさんはすっかり酔っぱらって仏壇の前で寝入ってしまう。布団だけか
けて自分も二階で就寝する。翌日、聴いたところの話によると、枕元に母が立
って、よろしく、と告げたらしい。
十二月十五日(火)大安
ガス栓開栓。解体工事。ということで、現地でしんさんに立ち会ってもらう
ことに。
ガス屋から連絡があり、お風呂もキッチンもないので開栓できない、と言わ
れる。しんさんより、「撤去と新設工事の連絡先を頂きましたので、結果オー
ライです」とのメッセージ届く。
十二月二十一日(月)大安・夏至
おそらく引っ越し前、最後の粗大ごみの回収。ガレージに昨夜のうちに運ん
でおいたものに専用シールを貼る。
今日はそのまま、外出。二泊三日の温泉旅行。再び新宿経由であずさに乗っ
て甲府に向かう。
例の神官の言いつけに従い、マンションから北東の方角にある神の湯温泉へ。
かなり安い価格だったので不安だったが、行ってみると、どう見てもボイラー
室だか倉庫だかを改装したような狭い部屋で、最悪なのはカビ臭い上にWifiが
通じない。これは困る。ということで、追加料金を払っても良い、と伝えて、
別な部屋を要求したところ、おそらくVIP用と思われる最上階の奥の部屋に
通される。
十二月二十二日(火)赤口
早朝、温泉に入ると、入れ墨の入った人がひっそりと入っていて、少し驚い
た。
徒歩圏内にコンビニがあると教わって行ってみると、すぐ前がサービスエリ
アになっていた。好奇心から寄ってみることに。
謎の「開運 信玄おみくじ」なるものがあり、引いてみると、単に普通の印
刷されたおみくじだった。
運勢 中吉
親類まで災をして思うに任せず心痛する事多し
何事も時の到るまで天にまかせて
静かに身を慎んで居れば雪が朝日に消える様に楽しい時来る今は何も控えよ
転居 さわぐと損
縁談 途方に暮れて迷う事あり見定めよ
十二月二十五日(金)先負
再び甲府へ。何はともあれ、ネット回線は先に用意しておきたいとauひかり
に連絡したら、この日しか空いていないということで、その工事の立ち合いに。
予定より少し遅めにつきそうなので、工事の業者と連絡を取り合いながら現
地に着く。
既に解体工事は終わっていて、いくつかは壁がなくなっており、床や天井は
むき出しになっていた。いわゆるコンクリートの打ちっぱなし状態で、土足で
入らないとコンクリから飛び出た釘や針金を踏みそうで危ない状態。
年明け早々に工事が始まるというが、果たしてこんな環境に引っ越してきて
大丈夫なんだろうか、と少し不安になる。
配線業者の方は、打ちっぱなし状態に少し驚いていたものの、作業をこなし
て帰っていった。私も任務完了。
帰路についた後、引っ越しの手伝いを買って出てくれた友人Kが来訪する。
ありがたい。
段ボールに荷物を詰めたりゴミをまとめたりしていたが、これは絶対に処分
し切れないことが判明してしまう。仕方がないのでレンタカーを借りてごみ処
分場することに。ほぼ徹夜で荷物を詰めて、泥のように眠る。
帰りの善光寺駅で、スーツケースの取っ手がついに外れる。これもそろそろ
買い換えないといけないなぁ。
十二月二十六日(土)仏滅
早朝から起き出して、最後の可燃ごみを出す。何しろ大量で、ゴミ収集所が
巨大な山と化してしまう。レンタカー屋さんがOPENするのに合わせて友人
Kと軽トラを借りに行く。ひとつ一家が住んでいた家の荷物を処分するのがい
かに大変なことか、今回、身に染みて感じた。しかし、これで後は引っ越し業
者を受け入れるのみ、となった。
壊れたスーツケースも処分した。
十二月二十八日(月)赤口
引っ越し当日。早朝、最後のベッドマットをもらってくれる方に引き渡し。
ついでにホームセンターに寄って、段ボールを買い足ししてもらった。とにか
く書籍の量が多すぎて、詰めても詰めてもまだ足りないという状況。今朝、来
てもらうことにして正解だった。助かった!
引っ越し業者とは、電話のみの見積りだったので、若干、不安はあったのだ
が、それが的中した形となった。実際に引っ越し業者が来て作業を始めてから、
トラックが足りないと言い始めた。明日を引き渡しにしているのでそれは困る、
と伝えると、費用が上がってもなんとかしますか、と尋ねられる。仕方がない
が、何か、ハメられたようではある。そんなことをしなくても、適切な見積も
りをしてくれればよかったのに。ともかく、別な現場で作業していた4トン車
が終わり次第、追加投入されることになった。嫌な予感がした。
予想通り、年末ということもあって追加のトラックの到着が遅れ、夕方にな
ってやっと到着した。人数も増えて効率よく作業をしてくれたが、明日、この
家の引き渡しの予定を入れてしまったため、一度、甲府に行くことができなく
なってしまった。そこで、現在、工事業者用に合いカギを置いてある件を伝え、
受け取り無しで良いから、家の中に荷物を積んでおいてくれ、とお願いして、
完全に引っ越し業者に運搬を委任した。まあ、甲府を行き来する必要がなくな
ったことは、少しだけ好ましくある。
ただ、引っ越し業者が去った後には、様々なゴミや残り物があり、これはこ
れでどうするか、悩ましかった。
結果として、明日の引き渡し後に佐川急便を呼んで、すべて現地に送ってし
まうことにした。そしてこの日はこのまま、浦和のホテルで一泊することとし
た。
十二月二十九日(火)先勝
早朝からの明け渡しのための掃除。うっかり洗面台の下などに荷物が残って
いることが判明。流せるものは流し、持っていくものは佐川便用の段ボールに
入れる。段ボールがやはり足りない。仕方がないので、近くのヤマト運輸の営
業所に行き、段ボールを調達する。
そうこうしているうちに、引き渡しのために弁護士2名が来訪。片付けが終
わっていなかったので、一時間ほどチェックしながら雑談していただく。照明
器具は外さなくていいのか、と言われ、そういう可能性もあったことに気づく
が、今更、どうでもいい。エアコンも置いていくことに。
やっとのことで、すべての荷物を詰めてガレージに移動することに成功。無
事に引き渡しが完了する。佐川との約束まで少し時間があったので、近所への
挨拶周りのうち、留守で回れなかったところを回ってみる。
最後に、これはどうしても明日の朝の燃えるゴミで捨てたい袋がいくつかで
きてしまったので、これはお隣に頭を下げてお願いしたところ、快く引き受け
てくれた。隣の家の奥さんは、私が育てていた朝顔を毎年、とても楽しみにし
てくださったこともあり、とても残念そうだった。私が新天地で自分の幸せを
つかむためだ、と自分に言い聞かせる。なぜか、とてもさっぱりとすがすがし
い気持ちになる。
このままマンションに入るのではなく、入るのは三十一日が良い、というの
が、また件の神主の言葉だったので、これから甲府のビジネスホテルに2泊す
ることに。
やっとのことでたどり着いたホテルでは、会員になると割引きになるという
ことで、その場で写真撮影。後から見たら、かなり髪ボサボサで浮浪者のよう
な顔で写っていて、自分でもびっくりした。
十二月三十一日(木)友引
甲府のビジネスホテルをチェックアウトして、いよいよ現地入り。
行ってみて、まず驚いたのは、コンクリートの上にどかんと段ボールが積ま
れていたこと。そして仏壇は、確かに指定した寝室(実際には、寝室になる予
定の場所)に置かれていたが、上下段がバラバラに置かれており、ひとりでは
どうしようもないこと。
さらに、部屋の電灯が点かないことにもびっくりした。初めは電気が来てい
ないのかと思ったが、インターネットは使えているので、それは違うことがわ
かった。では、と思って天井を見ると、照明がない。
そりゃ点かないはずだ、ということで、とりあえずAmazonで検索し、手ごろ
な値段の天井用照明器具を購入しておく。年末年始だろうが、土地勘がなかろ
うが、なんでも手に入れられるのは嬉しいところ。
ちなみにトイレは優先的に入れ替えていただいていたらしく、ウォシュレッ
ト付きのものになっていた。
この日の食事は、近所のローソンで、レンチンのカップ蕎麦で引っ越しそば。
(つづく)
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■あとがき
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配信遅くなりました。(あ)
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→バックアップはやはり必要だ
★「はてな?現代美術編」 koko
→パクリと創造の境界線
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→選挙は続く
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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グレッグ・ルキアノフ グレッグ・ハイト著 西川由紀子訳 『傷つきやすいアメリカの
大学生』 草思社 2800円+税
アメリカの大学にはいま奇妙な風潮が生れています。反動的な、あるいは急進的な識者が
学講演を行う際、学生が反対行動をとるということは昔からありました。しかし、近年で
は、その識者の見解が「学生を傷つける」・「傷つけた」という理由で暴動が起こってい
ます。学生に不快感を与えれば、どんなに些細なものであっても、教授が解雇される理由
になります。学生は傷つきやすく、彼彼女らが傷つく可能性はどんなに小さなものでも排
除しなければならない。そうしたコンセンサスがいまのアメリカの大学を覆っていると著
者は言います。
2013年を境にアメリカの大学の雰囲気は、大きく変わりました。2013年は、Z世代
ともi gen(インターネット世代)とも呼ばれる若者が、大学に入った年です。この世代の
人たちは、少子化世代で、とても過保護に育てられた世代です。子どもを一人で遊ばせる
ことは虐待だという風潮もZ世代の子ども時代に生まれています。自由な遊び体験を持たな
いこの世代の人たちは、自分たちの力で困難や人間関係のトラブルを克服する経験を欠い
ています。だから、わずかでも気にいらないことがあるとパニックに陥ってしまうのです。
この世代の親たちは、「困難は人を弱くする」という誤った観念にとりつけれています。
だから先回りをして子どもの直面する困難を取り除き、子どもが不平や不満を言えば、大
学に怒鳴り込むことも辞しません。大学はいまや巨大ビジネス。「顧客第一主義」がはびっ
ています。大学は学生や親の言いなりになります。教授の首はいくらでも斬るのに、教授
を不当に吊るしあげた学生が処罰されることはありません。アメリカの教授たちは、トラ
ンスジェンダーやレイプ等学生を「傷つける」テーマを取り上げることに、消極的になっ
ています。
Z世代はデジタルネイティブ。ネットの世界では、自分と似通った意見にばかり接してしま
う。だから異なる意見に対する耐性がない。自分と異なる意見と出会った時に、逆上して
しまう一因でしょう。Z世代では、精神に変調をきたすものの比率がものすごく高い。特に
女子においてそれが顕著です。女子は、人間関係に敏感で、容姿に強い関心を抱いていま
す。SNSで楽しそうに遊ぶ友人の画像をみて、自分が仲間外れにされたと感じる。他の女性
の美しい容姿に、劣等感を抱く。そうした経験の蓄積から、女子は精神を病んでいくので
す。
困難は人を強くする。「かわいい子には旅をさせ」という古代の知恵に立ち返れ。侮辱
に過剰に反応するな。相手より高い見地に立てばそれは可能なはずだ。そう著者は言いま
す。無重力の身体に負荷がかからない状況では身体も衰えてしまう。精神も同じこと。大
学は異質な考えとぶつかることで知力を鍛えていくジムのようなものだと著者は言います。
アメリカでは、教授たちも、学生たちも不興を買うようなことを言って袋叩きに会うこと
を恐れています。こうした状況と日本の大学が無縁ではあるとは、とても言えそうにあり
ません。。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「デジタルって」の話
「マイナンバーカード」の問題がいろいろ噴出している。
擁護派は「ヒューマンエラーは仕方ない」とか「100点主義の日本がおかしい」とかいろい
ろ言っているがヒューマンエラーを作り出すスケジュールやら最初から50点ぐらいしか取
れないシステムやら胡散臭さがプンプンしているのは間違いない。
それよりも問題は電子データ「それのみ」しか存在しない世界、今の日本には時期尚早で
はないのかと。
とにかくマイナカードの「データ」はクラウドにアクセス出来なければ何の役にも立たな
い。で、クラウドだのアクセスだのは「電波が通っている」事が大前提で電波が通るには
「電気が通っている」がこれまた必要だ。
阪神淡路大震災の時、当たり前だが電源は喪失。
もちろん今年に入ってからも地震に水害など災害の際は停電は当たり前の様にある。電信
柱が有る、倒れる、停電、極めて普通だ。そして復旧にはそれなりの時間がかかるのもよ
く知っている。
その間、データは何の役にも立たない。
ものすごくアナログな事象でデジタルは使えなくなる。
あと問題は電波は途切れると言う事。停電でなくともキャッシュレスで生活している人も
エラーが出て必要な事が出来ない状態になった事はあるはずだ。なのでそのために現金は
少しはキープしていると思う。
つまり「全てがクリアになるまでは」併用が必要だと言う事だ。
最近マンガの世界もデジタル化は進んでいて私の行っている大学もネームと言う「原稿前
段階」の作業をデジタルで行う人が増えてきた。別に否定するつもりはないが…無くなっ
たり読めなかったり送れなかったり、それはもう大変な事になった場合、保存が出来てい
なかったら「全てちゃら」になってしまう。
数ページのネームならなんとかリカバリー出来るが30ページだの50ページだののネームが
もし消失してしまったら…考えるだけで貧血になりそうだ。
デジタル原稿が消失するのもそんなに珍しい事ではない。だがせめてネームがアナログで
残っていたらなんとかなる(かも知れない)でもそれすらが消滅していたら…。
季節外れのホラーの様だが現場ではかなりの頻度で聞かれる話なのだ。
ドヤ顔で「デジタルデジタル」と言う大臣がいるが…一度でも数ヶ月かけて書いた論文が
消えた経験をしていただきたいですね。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第138回 『 著作権侵害を考える ――― パクリと創造の境界線 』
絵画、彫刻、小説、音楽、映画などなど、作品を創造するにあたって絶えず過去作を参考
にするのは世の常です。先人の真似から始まり、消化して自分のものにしていく過程は、
一人の画家の回顧展をみても素人目にもわかるほど明白です。
例えば先日開催されていた『佐伯祐三展』の場合、パリに渡ってブラマンクに会った頃の
絵は明らかにブラマンクタッチになっています。その頃活躍していたフランスの画家の影
響は当然あるわけで、それをもって盗作だとは誰も言わないです。
しかし著作権をめぐる裁判は増えています。
音楽界で一番最近注目された例では、イギリスのシンガーソングライター エド・シーラ
ンの盗作疑惑裁判です。
エド・シーランは、2014年にリリースした曲「Thinking Out Loud」のコード進行とリズム
が、歌手マーヴィン・ゲイが1973年にリリースした楽曲「Let’s Get It On」に似ている
として、「Let’s Get It On」を共作した歌手エド・タウンゼントの遺産管理者から、著
作権法違反の訴訟を起こされました。
これって、どこが盗作なの?と思う程度に違う曲に聞こえるんですけどね。コード進行が
似てるらしいですけど、これってパブリックドメインの範疇じゃない?
8年間に及ぶ裁判で今年5月4日に判決がでて勝訴!
本当によかった〜。
本人は負けたら音楽活動辞めるって言ってたぐらいだったので心配していました。
もう一つ最近の例で敗訴して大金を支払う羽目になった悲しい過去判決の一つとしては、
ロビン・シックとファレル・ウィリアムス、“Blurred Lines”の裁判が挙げられまます。
はっきり言って、グルーブやフィーリングが似ているだけでお金を払うことになった悪し
き判例です。私の耳にはこの曲が盗作に聞こえないよ!!フィーリングは確かに一緒です
けどね。
作ったご本人マーヴィン・ゲイが生きていたらなんて言ったでしょうね。ビーチボーイズ
に始まりビートルスやマイケル・ジャクソン、レイディオヘッドなどなど枚挙にいとまが
ない過去判例を見ていると、悪しき例を残したものもありまた正しい主張もあり、結果に
より大金が動くさまは資本主義のうねりを感じさせます。
参考
□中之島美術館 『佐伯祐三展』
https://nakka-art.jp/exhibition-post/saekiyuzo-2023/
□エド・シーラン、マーヴィン・ゲイの大ヒット曲巡る裁判 (iTmedia 2023年5月5日付
)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2305/05/news052.html
□マーヴィン・ゲイの遺族らと Pharrell Williams による “Blurred Lines” の著作権
侵害をめぐる一連の騒動(Hypebeast 2021年2月19日付)
https://hypebeast.com/jp/2021/2/pharrell-cleared-marvin-gaye-estate-blurred-line
s-perjury-case-report
□ロビン・シックとファレル・ウィリアムス、“Blurred Lines”の裁判で5億円以上の支
払いを命じられる(NMEJapan 2018年12月3日付)
https://nme-jp.com/news/65602/
一体<真似て学び創造する>と<パクる>の境目は何なんでしょう。こうして自分が書いてい
るコラムの文章はこちらの文章と似ていますよ、なーんていわれた日には、恐ろしくて文
章も書けないです。
いくら欄外に引用リストを載せたとしても、表現とかが似てるなんて言われた日にゃどう
しようもありません(恐ろしい〜汗)チャットGPTが広がる時代にどうやって境界線を明確
にできるのか、とても複雑で厄介な問題です。
こんなご時世ですので、アメリカの著作権法では≪フェアユース(公正利用・公正使用)
≫という言葉が明文化されています。
以前に少しこの話書きましたけど、もう一度おさらいです。
フェアユースに該当するか否かの判断基準としては4つの基準が定められています。
1.利用の目的および性格(利用が商業的な性格を有するか,または非営利の教育目的であ
るのかということを含む)
2.著作物の性格
3.著作物全体との関連における利用された部分の量および本質性
4.著作物の潜在的な市場または価値に対して利用が与える効果
<日経XTECH から抜粋>
https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20081007/316332/
これを踏まえて美術の世界に話を戻します。
現代美術が社会の問題やタブーに挑戦する傾向が強いため、他の分野より尚更過去の事物
を題材にして作品に仕上げることが多くなっています。
現代手法の一つ<アプロプリエーション>は、過去の他者作品を作品に取り込んでオリジ
ナル作品の意味を問い直したり視点を変えることで新たな作品に仕立てる手法。
まさにここが肝で、これがフェアユースの第1の<利用の目的および性格が変容されている
か>の議論を巻き起こすポイントです。
その議論の代表的裁判は、ウォーホールの作品にまつわるもの。
□アンディ・ウォーホル美術財団 vs リン・ゴールドスミス。最高裁判決から見る現代美
術におけるアプロプリエーションの現在地(美術手帖 2023年7月16日付)
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s39/27469
これは写真家リン・ゴールドスミスがウォーホール財団を訴えたのですが、一審判決ウォー
ホール側に有利だった判決が控訴判決で逆転が起こった例です。
最近判決がでた別の例は、他人のインスタグラム画像を加工・使用したリチャード・プリ
ンスの「New Portraits」シリーズをめぐる裁判。
フェアユースがソーシャルメディアにどう適用されるのか注目が集まりました。
□フェアユースは成立せず──インスタ写真の無断使用をめぐる裁判でリチャード・プリ
ンスの主張を棄却(ARTnewsJapan 2023年5月18日付)
https://artnewsjapan.com/article/1044
上記記事にあるように結局のところ、『元の素材を十分に変容していると「合理的な観察
者」によって認められるかどうか、特に「新しい表現、意味、メッセージ」が込められて
いると判断できるかどうか』が焦点。
ソーシャルメディアにアップされた写真を無断でコピペして作品にするとダメっていう話
です。時代の流れによってもこの判断は変化すると考えらえ、まったく私の手には負えな
い微妙で重要な議論であることを再認識しました。
21世紀は生きていくのに窮屈な時代です。
ハリウッドで今まさに起こっている映画界のストは、上記の著作権問題よりもっと深刻で
新しい問題を提起しています。
科学技術の発展に伴う新たな社会を目の前にしてあたふたする私達の姿は哀れでさえあり
ます。
昔はよかったなんて思う自分を、生きる化石のように感じて、微妙に恥ずかしくなりまし
た(笑)
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 37
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米施政権下の沖縄選挙史?:民連と1958年総選挙
1956年10月25日、軍用地問題をめぐる島ぐるみ闘争が激化する中、問題解決のために奔走
していた初代主席の比嘉修平が急死。後任には那覇市長の當間重剛が任命された。これを
受けて同年12月25日に行われた那覇市長選挙では、人民党公認候補の瀬長亀次郎が当選す
る。
この結果に強い衝撃を受けた米国民政府は、琉球銀行を通じて那覇市への融資を凍結した
り、那覇市への補助金を打ち切ったりして圧力をかけたほか、1957年6月5日には大統領行
政命令第10713号が出され、琉球軍司令官が高等弁務官として、琉球政府行政主席、琉球上
訴裁判所判事の任免権のほか、布告・布令・指令の公布権、立法院が議決した法律の修正
権・拒否権等を行使できる“高等弁務官制度”が導入された。
一方、那覇市議会では、反瀬長派議員(=當間派)が瀬長市長の辞任を要求、不信任は時
期尚早と考えていた反當間派議員(旧二日会)の切り崩しを図った上で、1957年6月17日に
圧倒的多数(24対6)で市長不信任案を可決。このため、瀬長は市議会を解散し、8月4日に
市議会議員選挙が行われた。
選挙に先立つ7月7日、瀬長を支持する沖縄人民党(以下、人民党)や沖縄社会大衆党(以
下、社大党)那覇支部、無所属市議らは、革新勢力の結集を目指して、民主主義擁護連絡
協議会(以下、民連)を結成した。
民連は、人民党6名、社大党那覇支部3名、人民・社大両党推薦1名、不信任案に反対した旧
二日会議員3名の計13名からなる市議候補を民連候補として擁立。一方、反瀬長派(琉球民
主党・社大党本部・当間派)は7月3日に那覇市政再建同盟(以下、再建同盟)を結成し、
不信任成立に必要な20名を上回る28名の候補者を擁立して選挙に臨んだ。
選挙は、民連が12議席(人民党6・社大党2・無所属4)、再建同盟が17議席、中間派は1議
席という結果になった。再建同盟は過半数を確保したものの、不信任案の再可決に必要な
3分の2(=20議席)には届かなかったため、民連は“事実上の勝利”を大いに喧伝した。
瀬長を失職に追いこめなくなった反市長派では、あらためて保守結集の動きが加速化し、
10月末には沖縄財界の有力者、稲嶺一郎が民主・社大の両党幹部を相次いで会談したほか、
米軍側も民主党幹部に保守合同を強く求めた。
この間、那覇市議会では反瀬長派が予算案の審議を引き延ばす戦術で市長の瀬長に抵抗
したが、これに対して、瀬長は専決処分で対抗。すると、反瀬長派は専決処分無効の訴え
を起こすなど市政は泥沼化する。
こうした状況の中で、11月24日、市政の混乱を打開するため、米国民政府は関係法令を
改正する布令(通称「瀬長布令」)を公布した。その内容は、?不信任案の再可決に必要
な基準を過半数に引き下げる、?前科があり、まだ特赦を受けていない者の被選挙権剥奪
で、これにより、人民党事件で前科のある瀬長市長は市長の座を追われるだけでなく、あ
らゆる公職から締め出されることになった。
瀬長布令の公布を受け、1957年11月15日の市議会では瀬長の不信任案が賛成16、反対10、
棄権1で可決された。
一方、瀬長の失職を受けて、12月12日、民連は基地反対や祖国復帰実現及び土地を守る四
原則貫徹などの運動方針を決定。そして議長に瀬長、副議長に浦崎康華、儀武息睦、事務
局長に大湾喜三郎を選出し、1958年1月12日投票の那覇市長選挙に社大党那覇支部長での兼
次佐一を統一候補として擁立した。
これに対して、琉球民主党と當間派は社大党前委員長の平良辰雄を擁立したが、選挙では、
兼次が平良を僅差で押さえて勝利した。2月2日に行われた市議会議員補充選挙(真和志
市が那覇市に編入されたことに伴って実施)でも定員15名中7名の民連候補が当選した。
こうして、民連は米軍支配に抵抗する政治勢力として県民の支持を集めるようになり、組
織が沖縄各地に発足。当初の那覇地域のみの統一戦線から全県的な統一戦線組織に発展し
た。
ところが、兼次は那覇市長就任後初の記者会見で「市長として何から何まで民連の支持は
受けない」と表明。自らの政治基盤として、2月16日、浦崎康華、宮良寛才など沖縄社会大
衆党を脱党したメンバーを中心に、沖縄社会党を結成した。同党は綱領で「広く世界の社
会主義者と提携し、世界の社会主義の前進と確立に貢献する」と明記し、結成当初から階
級政党・社会主義政党としての立場を鮮明にしていただけでなく、本土の日本社会党の“
地方支部”としての性格を明らかにしていたが、民連には参加しなかった。
任期満了に伴う第4回立法院総選挙は、こうした状況の下で1958年3月16日に投開票が行わ
れた。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/202307240638315d9.jpg
はこの時の選挙のために発行された選挙葉書)
比嘉前主席時代の与党だった民主党は、主席の當間が超然主義の姿勢をとっていたため、
前回の総選挙のような積極的な選挙活動ができなかった。當間は反民連であれば党派を問
わずに支援したため、無所属候補者が多く出馬し、その結果として、立候補者数が過去最
大になった。
これに対して、民連は全29選挙区中19選挙区で候補を擁立し、基地反対や祖国復帰実現、
4原則貫徹、大統領行政命令撤廃などを掲げて選挙戦を戦った。
選挙の結果、社大党が9議席を獲得して第1党となり、民主党が7議席でこれに続いた。民
連は得票数では民主党と社大党を上回ったものの、議席数は当初の予想ほど伸びず5議席に
留まった。なお、このほか無所属議員が8人当選している。
この結果も踏まえ、兼次は3月の市議会で市政運営にあたって「超党派的な態度で臨みたい」
と答弁し、徐々に民連とは距離を置くようになり、米軍や親米勢力へすり寄る態度を示し、
民連は急速に勢いを失っていくことになる。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「今日も世界は迷走中 - 国際問題のまともな読み方」ワニブックス。電子書籍で
「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
一昨日、熱中症になりかかった。
午前中にそれなりの仕事をした後、二時ごろに別のところに行って作業していたがとうも
調子がおかしい。しかし共同作業なので我慢していたがヤバくなりそうな前に休憩が入り、
水をがぶ飲みしたらなんとか回復というか、私の顔色が悪いので主催者が休憩を入れたと
いう・・・
みなさんもお気をつけください。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第84回「生成系AIと著作権に関する私論」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第169回 隣の「世界のひと」のことを知るために
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』について
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第14回 「存在」と「生命」の間で
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第84回「生成系AIと著作権に関する私論」
こんにちは。このところ公私共に多忙の度合いが増しておりまして3回連続で
休載しておりました。今回も三連休がなければ落としていたのではないかと思
われるほど本業も課外活動も詰まっています。
さて、今年の5月頃からでしたか、いわゆる「生成系AI」への批判的な言辞が
クリエーターと呼ばれるひとたちからあがりだし、それに呼応する形で教育関
係者と大新聞が生成系AIへの批判を強める、そんなことがありました。オール
ドメディアの雄たる大新聞は、読売新聞が一面トップで、生成系AIに日本新聞
協会と著作権を棍棒にして、剥き出しの敵意を向ける一方、朝日新聞は多少ソ
フトかつ狡猾で、識者という他人の口を使って生成系AIへの憎悪を煽ろうとし
ていたのが、好一対でなかなかの見ものでありました。
いま「日本新聞協会」という団体名が出ましたが、「平成30年著作権法改正」
にて日本版フェアユースの議論があったとき、フェアユースに関する議論はこ
れで終わりにしたい、という意味のご意見をおっしゃられていた程度には、こ
の団体は著作権護持・強化の急先鋒です。その平成30年著作権法改正で新たに
設けられた著作権法第30条の4(思想又は感情の享受ではないデータとしての
活用を規定した「日本版フェアユース規定」と言われるもの)がご不満らしい
日本新聞協会は、5月に出した「生成AIによる報道コンテンツ利用をめぐる見
解」で、生成系AIに学習させるデータとしての新聞記事使用に重大な懸念を示
している。それを読売新聞が大々的に報じたわけである。
筆者も生成系AIのインプットにせよアウトプットにせよ、これから「著作権」
という枠組み自体が問い直されることになっていくのではないかしら、という
問題意識はあるのだが、それは新聞協会≒読売新聞が示すような「報道コンテ
ンツが 無断・無秩序にAIに利用される懸念」ではなく、生成系AIが著作物を
囲って収益を得る、いわゆる「著作権ビジネス」の終わりの始まりをもたらし、
著作権や知的財産権というものの定義や、それに対するひとの意識を変えてい
く契機になるのではないか、というものである。
いまひとつ、生成系AIをめぐって交わされている議論の主たる成因が、道具と
しての生成系AIを利用する人間の著作権に関する法知識と倫理観の問題であっ
て、生成系AIに画像データを学習させることの是非ではない、と考えられるこ
とである。わかりやすく言うと、どんなデータを生成系AIに食わせても、その
生成系AIに「◯◯◯(芸能人の氏名)風の画像を出力する」呪文(プロンプト)
をかける利用者の倫理観の問題なのではないか、ということなのですね。無断
でデータを生成系AIに食わせる(インプットに携わる)人間ではなく、実在の
人物に似せた出力結果をもたらす呪文を唱えてその結果で営利を得ようとする
(アウトプットに携わる)人間の問題なのだろうと思われるのです。
しかし、生成系AIが生成した文章をいくつか作り出してみて、見る人が見れば
その出力がデタラメであることがすぐバレるものばかりで、もう生成系AIに飽
きてしまった筆者としては、画像系の生成系AIには「よくもまあそんなものを
作っているのだなあ」と、正直なところ目眩しか感じないのでありました。
では、次回も掲載できるようがんばりますのでよろしくお願いします。
参考:
生成AIによる報道コンテンツ利用をめぐる見解 - 日本新聞協会
https://www.pressnet.or.jp/statement/20230517.pdf
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我
に与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第169回 隣の「世界のひと」のことを知るために
『日本に住んでる世界のひと』(金井真紀 文・絵 大和書房)は昨年の秋に
出ていたのは知っていたが、気になりつつも買っていなかった。以前、本のメ
ルマガでも紹介した『パリのすてきなおじさん』(柏書房)の著者、金井真紀
さんの本だから面白いにちがいないと思っていたのに、そのまま忘れていた。
先日、小田原に行ったときに友人に「南十字」という書店に連れて行っても
らった。昨年の秋にオープンしたばかりの小さな書店だ。それまで書店員の経
験がないという若いスタッフが運営している。新刊、ZINE、それから古書も置
いてあってカフェスペースもある。読書会やトークイベントも企画しているそ
うだ。解放感があって、居心地のいい店だった。せっかく来たのだから、何か
一冊買おうと思ったとき、書棚に『日本に住んでる世界のひと』があって、そ
ういえばまだ読んでいなかったことを思い出して、手にとった。
金井真紀さんは社会学者の高谷幸さんたちとともに「難民・移民フェス」を
主催している。「難民・移民フェス」というのは、食べ物やアクセサリーなど
の物販、ワークショップを通じて難民・移民の人たちの背景を知ること、そし
て応援をするチャリティーイベントだ。『ポリタスTV』というYouTubeで配信
している番組で金井さんがインタビューを受けていた。聞き手は和田静香さん
だった。このフェスを主催するきっかけがこの本を書いたことで、もちろん
本の内容も紹介していた。
『日本に住んでる世界のひと』は、タイトル通りに日本で暮らしている外国人
18組20人にインタビューして、それぞれの人生を描いている。
難民、移民を中心にインタビューをしているわけではなくて、音楽を職業と
するチェリストやキリスト教の布教のためとか、さまざまな理由で来日してい
る「世界のひと」が登場する。国を挙げていくと、アイスランド、南アフリカ、
スペイン、バルバドス、メキシコ、中国、イタリア、ミャンマー、セネガル、
モルディブ、韓国、エストニア、フィリンピン、アルメニア、東ティモール、
北マケドニア、アメリカ、中国・内モンゴル自治区、コンゴ民主共和国…。ぼ
くには世界地図を見なければ、いったいどこにあるのかわからない国もたくさ
んある。ニュースで国の名前くらいは聞いたことはあるけれど、どんな人が暮
らしているかなんて、ほとんど知らない。
金井さんの人柄なんだろう。インタビューを受けた人たちは身構えることな
く、日本を訪れるまでのこと、訪れたあとのことをくわしく語っている。
コンビニや飲食店に行くと、必ずといっていいほど外国人のスタッフがいる。
いったいどこの国の人なんだろう、とか、なんで日本に来たんだろうって知り
たいけれど、なかなか聞けない。ぼくの友人にコンビニで買い物をするとき、
店員に出身国を聞いて、その国の言葉で「おはよう」「こんばんは」と尋ねる
男がいる。そして次の日から、その言葉であいさつをするのだ。こういうコミ
ュニケーションって大事なんだろう。その話を聞いてうらやましくなって、自
分でもやってみたいと思うのだけどシャイなぼくにはなかなか真似ができない。
『日本に住んでる世界のひと』を読んで、周囲にいる外国人に興味を持つだけ
でも大切なことだな、と思う。
日本で暮らしている外国人は2021年12月の「在留外国人統計」によると
276万人、この数字には帰化した人、難民申請中の人、なんらかの訳があって
非正規で滞在している人は含まれない。この数字を見ても、日本は日本人だけ
のことを考えていてはいけない、ということがわかる。
最初に登場するのは、上野公園でチェロを弾いている北マケドニア出身の男
性でペレ・ヨヴァノフさん。北マケドニア? どこにあるんだっけ? 南にギ
リシア、東にブルガリアに位置して面積は九州の約3分の2という小さな国だ
った。
イタリアのボローニャに音楽の勉強のため留学中に日本人女性と結婚して来
日した。職業は大道芸人。街中でチェロを演奏して暮らしている。普段は素通
りしてしまうけれど、こんなすごいミュージシャンが大道芸人をしているのか。
北マケドニアでは18歳になると、4つある政党のどれかに所属しているという。
若い人たちはとても政治に関心があるらしい。ただそれは、社会のためでなく
自分が支持する政党が権力を持ったら、自分にもいい仕事が回ってくるからだ
という。努力して知識、技術を身につけた人よりも政党の力にすがっている人
のほうがいい目が見られる、ということらしい。どこの国でも政治や権力には、
ため息をつきたくなることが多いみたいだ。
フィリピンから来た長谷川ロウェナという女性は、1986年に19歳で来日して
職をいくつも変えながら、稼いだお金をフィリピンの家族に送金している。
19歳の女性がどんな仕事が斡旋されるのかわからない状態で、ひとりで日本に
向かったのだという。知っている日本語は「サヨナラ」だけだった。
「お給料をもらったら、その日だけ好きなものを食べるの。焼肉とかね。あと
はほとんど全部、フィリピンに送ります」という。「このお金で家族が暮らせ
るんだと思うと最高なの」といっている。現在はラブホテルの清掃業をしてい
るが、労働組合のリーダーとして50人以上のフィリピン人従業員とともに不
当な扱いをする経営者と闘っているそうだ。
「横浜中華街育ちの不良だった」という華僑の料理人からは横浜中華街の歴史
を学ぶ。黄成恵さんは中華料理店「揚子江」の料理人。お兄さんは金井さんの
中国語の先生だったそうだ。黄成恵さんは若いころ、かなりヤンチャだったら
しく、ハマの不良の話はそのまま青春映画になりそうだった。
日本にやってきた理由は出稼ぎだったり、布教だったり、ビジネスだったり
さまざまだ。インタビューを受けた「日本に住んでいる世界のひと」たちは、
特別なエリートではなくて普通の人たちだった。外国に来て生活していくのは、
生きるのはたいへんなことで、それぞれがたくましく、したたかに生き抜く知
恵を身につけていると感心する。このような感想を持つのは、読む前から予想
していたことだった。ただただたくましいなあ、すごいなあ、と思うだけでは
すまないこともある。
日本で暮らす「外国のひと」には戦争、内戦の傷を負っている人がいかに多
いのか!
ぼくはアルメニアで起きたジェノサイドのことを知らなかった。アルメニア
は、西はトルコ、北はジョージア、東はアゼルバイジャンという位置にある世
界最初のキリスト教国だ。
インタビューを受けたのはアルメニアの大使だった。グラント・ポゴシャン
大使はアルメニアの歴史を語り始める。「ぼくたちは、皆、サバイバーの子ど
もです」と大使から重たい言葉が放たれた。約100年前、オスマン帝国内にい
た250万人のうち、150万人が殺されたジェノサイドがあったことが語られる。
「私たちの国では家族ごとにジェノサイドの物語があります」
たった100年前の話じゃないか! と驚いてウィキで調べた。現在もオスマ
ン帝国の主な継承国であるトルコ共和国は国際的に非難されている。しかし、
トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていないという。いまも続く問題な
んだ。
自衛隊PKO派遣で問題になった東ティモールの話も平和な日本では考えられ
ない。いまは広島に奥さんと住む男性マイア・レオネル・ダビッドさんから子
ども時代から「殺し合い」「死」が身近であったことが語られる。90年代の話
だ。ポルトガル領だった東ティモールでは、小学校でもインドネシア人とティ
モール人の争いは絶えなかった。小学生の喧嘩といってもナイフのような凶器
が使われる。ある日、喧嘩の末、インドネシア人に死者が出てしまった。直接
手を下したのはレオネルさんではなかったが、警察に捕まったら殺されてしま
うと山に逃げこんだ。レオネルさんは12歳で家出して山岳ゲリラに入ったのだ
という。12歳の子どもがゲリラから銃の扱い方、人の刺し方を習い、一番大事
なことは「どんな拷問を受けても仲間の居場所を教えるな」と教えられた。ゲ
リラのリーダーから家にもどれと説得されて帰ったものの、その後も毎日のよ
うに銃声が響く地獄のような状態が続いたという。
1972年生まれのミャンマーから来た女性、キンサンサンアウンさんはミャン
マーの貧困層の暮らしぶり、そして来日してからの低賃金労働の話をする。印
象的だったのは、ミャンマー軍事独裁政権は「考えさせない」教育を徹底して
いたことだ。作文や感想文を書く機会は一切与えられなかったという。政府高
官の子弟は必ず海外に留学して学問を身につけて裕福な暮らしを享受する。格
差が埋まらないように貧乏人が人権意識や民主主義に目覚めないようにしたと
いう。
コンゴ民主共和国からきたポンゴ・ミンガシャンガ・ジャックさんと金井さ
んは2021年4月20日、入管法改悪反対を訴える永田町での座り込みで知り合っ
た。
豊富な天然資源をめぐってコンゴの紛争は「アフリカの世界大戦」と呼ばれ
ていて、1998年から2003年に紛争の犠牲になった人は540万人にのぼる。
ぼくにとってアフリカは遠かった。こんなひどい殺し合いがあっても、実感
がなかった。
コンゴの民主化運動に参加したジャックさんは軍隊に追われるようになる。
「集会やデモの最中に武装した男たちが襲撃してくる。仲間が突然、行方不明
になる。そういうことが数えきれないくらい起きた」とジャックさんはいう。
「日本では襲われたら警察に通報し、守ってもらうことができるでしょ。でも
コンゴでは警察が襲ってくる」
ジャックさんが日本に来たのは2012年だった。その2年後、故郷のコンゴで
は、父親が警察に惨殺される。さらに2年後、母親と3歳になる弟の息子が惨殺
される。どのような殺され方をしたのか、金井さんが見た写真のことを書いて
あるのだが、とてもここに書く勇気がない。もしジャックさんが難民認定を受
けられず強制送還されたら、命の危険があるのは明らかだろう。ジャックさん
は難民として認定されていない。
政府の入管法改正案は、6月9日の参議院本会議で可決され、成立した。この
法律が施行されれば「難民認定3回目以降の申請者は強制送還が可能」になる。
もういちど、いやなんども『日本に住んでる世界のひと』を読んで日本は日
本人だけの場所ではないことを考えたい。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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以前読んでいた本に、ナチスの社会福祉政策を評価していたものがありまし
た。そのときはそれについて判断する知識もなく、なんだかもやもやした気分
を抱えていたものです。当時本書のような本があればそんなもやもやは抱えな
くてもよかったかもしれません。
『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』、小野寺拓也/田野大輔、
岩波ブックレット、2023
著者は二人ともドイツ現代史の専門家で、ナチスやファシズム関連の著書や
訳書もあります。本書ではタイトルの通りナチスが行った政策のうち、いわゆ
る「良いこと」と言われがちなものに焦点を当てて、その実態を検証していき
ます。
「良いこと」とは具体的に何を指すのかというと、例えばアウトバーンを作
りその公共事業で経済が復活した、あるいは手厚い労働者保護政策や家族支援
制度を整備したなどということです。今でも多少こういう意見は目にすること
はありますが、著者たちは最新の研究成果に基づいてその実相を明らかにして
いきます。
その際に注目していくポイントは「その政策がナチスのオリジナルな政策だ
ったのか」、「その政策がナチ体制においてどのような目的をもっていたの
か」、「その政策が『肯定的な』結果を生んだのか」(いずれもp,42)とい
う点です。こうした点に注意しないで表面的なところだけ見ると、ナチスは
「良いこと」もしたという見かけに騙されてしまうかもしれません。
例えばアウトバーンをなどの公共事業で低迷していたドイツ経済を復興させ
たという事例について。本書によればナチスのオリジナルな政策かという点に
ついてはナチス以前のヴァイマール時代から構想されていたといいます。そし
てナチス以前からすでにアウトバーンは作られ始めていました。というわけで
決してナチスのオリジナルではありません。
ではそれを大々的な公共事業として打ち出して、落ち込んでいたドイツ経済
を復興させたということはどうでしょう。というとそれも怪しいようです。ア
ウトバーン建設がドイツ経済の回復にもたらした影響はあまり多くなく、むし
ろ積極的な軍需事業の拡大がドイツに好景気をもたらしていました。
しかもそれは国家の歳入では賄えない規模で進められていました、ではナチ
政権にはその負債をどうするつもりだったのかというと、戦争です。外国を占
領し資源や財産を収奪することによって賄うことが織り込まれていました。織
り込まれていたどころか、占領したポーランドからのポーランド人労働者をは
じめとする外国人労働者の強制労働やユダヤ人からの財産の没収なども実際に
行われていました。
こうした背景を持っている経済復興が果たして「良いこと」と言えるでしょ
うか?
そのほかにも本書では労働者政策や家族政策などしばしばナチスが「良いこ
と」をしたとして挙げられる事例について確認していきます。詳細については
本書をお読みいただくとして、それらはおしなべてとても「良いこと」とは言
えないものばかりです。
まあナチスの価値観に没入できる(当時の)ドイツ民族に属した人たちであれ
ば、「良いこと」と評価するかもしれませんが、歴史研究の蓄積がある現在の
われわれにとって「良いこと」と評価できることなどありませんね。
著者は「ナチスは『良いこと』もした」という意見が見られることについて、
「ポリコレへの反発」ということについて述べています。
ナチスの「良い政策」をことさらに強調することで、彼ら(※)は自分たちの
言動を制約する「正義」や「良識」の信用を貶め、その「抑圧」からの脱却を
はかっているのである。(p,110)
(※著者のひとりが「ナチスの政策に肯定できることはない」意のツイート
をしたことに対し、反論してきた人々)
センセーショナルな俗説は耳に目に入りやすく、それが学校で学んだ「定説」
を覆すものであれば人々はその俗説を案外簡単に信じてしまうものかもしれま
せん。自分は「真実」を知っているのだという優越感にも浸れるのかもしれま
せん。専門家が誰も言っていない説ならなおさらです。(ちょっと立ち止まっ
てなんで誰もそう言っていないのかを考えてほしいところですが…。)
なかなか一度俗説を信じ込んでしまったひとに「そうじゃない」と指摘する
のは受け入れられ難いのが予想されますが、著者の言う通り「専門家は一部の
反発を覚悟しつつも、粘り強く専門知識を伝える努力を続ける必要がある。」
(p,112)ということになるのでしょう。
なんだか『土偶を読むを読む』について書いたのと同じようになってしまい
ましたが、俗説はどんどん広まるので、後々のことを考えれば明白な誤りは強
めに否定しておくべきだと考えます。
…でまあそれで済めばいいのですが。本書を読むとそれとは少し違う心配も
浮かんできます。
先ほども少し触れましたし、ご存じの通りナチスの価値観は(「健全」な)ド
イツ民族中心の価値観です。ユダヤ人やポーランド人も障害者も共産党員も差
別的な取り扱いをされてきました。本書でナチスが「国民」と認めていたのは
「ナチ党にとって政治的に信用でき」「『人種的に』問題がなく」「『遺伝的
に健康』で」「『反社会的』でもない人びと」(いずれもp,77)でした。これら
に引っかかれば社会福祉政策の埒外に置かれましたし、共産党員への弾圧もユ
ダヤ人が大量虐殺されたのも周知のことです。
翻って考えるに、相模原での障害者殺傷事件・入国管理局での殺人的行為・
技能実習生という理不尽な労働制度・性的マイノリティのための法整備の遅れ
・生活保護受給者への様々な意見などを見てみると、今の日本ではマイノリテ
ィの人権なんかどうでもいいと思っている人が、それなりにいるのではないか
と残念ながら感じざるを得ません。ということは本書に書かれたような背景を
知ったうえで、ナチスは「良いこと」もしたと言っている可能性も否定できま
せん。
そうなってくるともう専門家だけの手に負えないかもしれないですね。専門
家にだけは任せずに、一般市民がミクロのレベルで「あっ、それ間違ってます
ね。」とか「その価値観ナチスと一緒ですよ。ヤバいやつですよ。」と反論し
ていく必要もあるのかもしれません。(かなり面倒ですが…。)
それが杞憂であればいいですが、どうにもそう楽観もできないようにも思い
ます。そうしたときの理論武装の書としてもコンパクトにまとまっていて本書
は最適ですね。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第14回 「存在」と「生命」の間で
1989年11月末、高校生だった私は東京ドームにいた。U2のライブである。中学
生になってすぐに聞いたThe Unforgettable Fireの頃、U2は少なくとも私の周
囲ではあまり知られたバンドではなかった。プロデューサーのブライアン・
イーノのファンだった近所のお姉さんに教えられて、私も
The Unforgettable Fireを聞いたに過ぎなかった。しかし次のアルバム
The Joshua Treeが全米で大ヒットし、グラミー賞で最優秀アルバム賞を獲得
するに及んで、U2は日本でもメジャー・バンドの仲間入りをしたように思う。
私がU2を聞き始める以前、1983年に初来日した時、U2がライブを行なったのは
渋谷公会堂、東京厚生年金会館、そして中野サンプラザだった。
The Joshua Treeのヒットを目の当たりにした私は、もうそうした会場でU2を
聞くことはできないだろうと覚悟した。The Joshua TreeのツアーではU2の来
日はなかった。次のアルバムRattle and Humが出た後に行なわれた
LOVE COMES TO TOWNツアーで、U2の来日公演はようやく実現するに至った。
ウドー音楽事務所の整理券をもらうために早朝に青山墓地に並んでようやく手
に入れたチケットだったが、アリーナ席ではなかった。当時の音響システムの
限界だったのか、ギタリストのジ・エッジのディレイ・サウンドも記憶の彼方
だ。とはいえ、鮮明な記憶として残り続けていることがひとつだけあった。
ヴォーカルのボノのMCである。
便利な世の中になったものである。You Tubeでライブを確認して、記憶が鮮明
によみがえった。アルバムでも共演したB.B.キングが特別ゲストとして登場し、
When Love Comes To Townが演奏され、次の曲Love Rescue Meのイントロを
ジ・エッジが奏でている時だった。ロックロールですべてを変えていこうと
ボノは呼びかけ、鉄のカーテンの向こう側の東ベルリンとチェコスロヴァキア
に言及し、とりわけ中国の人びとにこの曲を捧げると切々と訴えた。世にいう
天安門事件が起きたのは、ライブが行なわれる約5ヶ月前の6月のことだった。
天安門事件の映像は私をテレビに釘付けにした。戦車が連なる光景を見ながら
私が想起したのは、その前年の1988年10月に公開されたフィリップ・カウフマ
ン監督の《存在の耐えられない軽さ》だった。映画の中では1968年8月に起き
たチェコ事件を想起させるドキュメンタリー・タッチの映像が挿入されている。
街中の戦車と、それを取り囲む群衆の姿を収めた白黒の映像は、天安門事件の
映像にそのまま重なり合った。
去年はロックダウンで部屋に閉じ込められて、今年は病気で病院に閉じ込めら
れている、ついてないったらありゃしない! 6月初めに手術をして、それか
ら3週間入院することになった私が、上海人の多くの「病友」から聞かされた
恨みつらみである。そしてみな、口を揃えたかのようにこんな風に言った。
上海がロックダウンされるなんて思いもよらなかった、と。それを聞いて私が
唐突に思い出したのが、《存在の耐えられない軽さ》だった。中国のインター
ネットで調べたら、《布拉格之恋[プラハの恋]》というタイトルで紹介はあ
る。しかし見ることができたのはダイジェスト版だけだった。エロティックな
場面がふんだんに盛り込まれている映画である。仮に全編を見ることができた
としても、大幅に削除されずに公開されるはずはまずない。退院して、一時帰
国して、私はようやく久しぶりに《存在の耐えられない軽さ》を見直すことが
できた。
プラハの春を謳歌するチェコで医師のトマーシュが、ソフォクレスの『オイデ
ィプス王』を比喩的に用いて共産主義者を揶揄する文章を書き、雑誌の編集者
のところに持ち込んだ場面である。トマーシュの文章をいたく気に入った編集
者は、部下の女性にタイプしておいてと頼み、トマーシュに向かって次のよう
に語る。
〈こういう文章も発表できる。すばらしいな。考えてもみろよ、これは人間の
完全な復権だ。言論や報道の完全な自由だ。ソ連からの解放だよ、みんなの願
いだ。〉
トマーシュは編集者に「ソ連は僕らを解放すると思う?」と尋ねる。すると編
集者は「当然だよ」と言い、「ソ連は何の干渉もできんよ、できるものか」と
続ける。こうした編集者にとっては、おそらくトマーシュにとっても、ソ連が
率いるワルシャワ条約機構軍によるチェコへの侵攻は青天の霹靂以外の何もの
でもなかった。上海人にとってのロックダウンがそうであったように。
こうしてソ連によるチェコへの侵攻や強硬なロックダウンは、あってはならな
い非日常として彼岸へ追いやられ、此岸の人びとはみずからの日常の自由と美
しさを噛み締める。カウフマンの《存在の耐えられない軽さ》は全編セリフは
英語のアメリカ映画である。U2のボノと同じくカウフマンは、鉄のカーテンの
向こうに思いを馳せ、自由と民主主義の此岸からメッセージを送ろうとしたの
かもしれない。しかし注意すべきは、そのメッセージの受け手はチェコや中国
の民衆というよりも、自由と民主の側に属する観衆や聴衆だったということで
ある。ボノのMCを聞いて歓声を上げた高校生だった私も、そのひとりだった。
あの時の私にとって、チェコはもちろん中国も遠く遠くにある異世界だった。
それから30年近くを経て、まさか自分が上海でロックダウンに遭い、入院して
手術まですることになろうとは思いもよらないことだった。
1929年にチェコで生まれ、75年にフランスに亡命し、その6年後にフランス国
籍を取得したミラン・クンデラも、カウフマンやボノと同じように、言論の自
由があると信じられている此岸と区別して、異常な空間として彼岸を際立たせ
ようとしたのだろうか。カウフマンの映画を見た私は、久しぶりに『存在の耐
えられない軽さ』の日本語訳を手に取った。現在『存在の耐えられない軽さ』
の日本語訳は2種類出ている。かつての私が読んだチェコ語から翻訳した千野
栄一訳と、クンデラ自身が手を入れたフランス語による最新の決定版を翻訳し
た西永良成訳である。
トマーシュと編集者のくだりは、以下のようになっていた。
〈そこに行ったとき、背は低いが、定規のように背をピンとのばした編集者が
トマーシュを迎え、一つの文の語順を変えるように提案した。投稿は最後から
二番目のページに有る、〈読者からの手紙欄〉に掲載された。〉(千野訳)
〈編輯部に赴くと、短軀の、iの字のように真っ直ぐな編集者が応対し、文章
の繋ぎ方を一か所訂正したらどうだろうかと提案した。原稿のほうはその後し
ばらくして、最後から一頁まえの《読者便り》欄に掲載された。〉(西永訳)
細部の違いはあるものの、両者において共通しているのは、映画と違って編集
者が「言論や報道の完全な自由」を礼賛せず、またソ連を否定する言辞も弄し
ていない点である。映画では「言論や報道の完全な自由」と「人間の完全な復
権」が等号で結ばれ、その「自由」を奪ったソ連によるチェコへの侵攻を
「人間」の権利への冒瀆として表象する手続きがなされていた。しかし原作者
であるクンデラ自身は、そうした表象に奉仕してしまう言葉を慎重に避けた上
で、強権的なソ連の共産主義に翻弄される人間のあり方を描き出そうとしてい
た。この映画と小説の些細な違いは、とても重要である。
周知の通りミラン・クンデラにとって「小説」とは、近代になって隆盛を極め
た「文学ジャンル」のひとつを指示する概念にとどまるものではなかった。
『裏切られた遺言』でクンデラは、共産主義者かと問われたら、あるいは異端
派かと問われたら、はたまた左翼かそれとも右翼かと問われたら、「私は小説
家です」と答えると述べていた。クンデラにとって「小説」とは次のようなも
のだったのである。
〈それは一つの態度、一つの知恵、一つの立場だった。一つの政治、イデオロ
ギー、道徳、集団へのどんな同化も排除する立場。逃避もしくは受け身として
ではなく、抵抗、挑戦、反抗として理解される自覚的で、執拗な、怒りにも似
た非=同化。〉
それゆえ「小説」家であるミラン・クンデラにとって、「一つの政治、イデオ
ロギー、道徳、集団」に「同化」した小説は、決して「小説」ではなかったの
である。その代表が、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』だった。
敬愛する「小説」家であるカフカの「ポエジー」を論じたクンデラは、それと
は対照的な小説として『一九八四年』を取り上げる。「これは小説だろうか?
いや、小説に変装した政治思想なのだ。たしかに明晰で正しい思想だとはい
え、その小説的変装によって歪められ、不正確で大雑把にされた思想なのであ
る」と述べた後、クンデラは次のようにオーウェルの非「小説」性を指摘する。
〈オーウェルの小説の有害な影響は、ある現実を容赦なく政治的な側面に還元
し、しかもその同じ側面を模範的なほど否定的なものに還元してしまうことに
ある。私はこのような還元を、全体主義の悪にたいする闘いのプロパガンダだ
から有益だなどといって許すことを拒否する。なぜなら、その悪こそまさに、
人生の政治への還元、政治のプロパガンダへの還元だからだ。それゆえ、オー
ウェルの小説はその意図にも関わらず、それ自体、全体主義の精神、プロパガ
ンダの精神の一部をなすのだ。それは嫌悪する一社会の生活をたんにその犯罪
の列挙に還元する(そして還元することを教える)のである。〉
「言論や報道の完全な自由」が奪われている人びとについて語るとき、私たち
はしばしばその人びとを「政治」に還元してはいないだろうか。たとえば今、
日本語で書かれた中国の民衆についての言説のうち、「政治」に還元されるこ
とから免れているものが、いったいどれほどあるだろうか。クンデラにしてみ
れば、「言論や報道の完全な自由」のない世界が「全体主義」であるだけでな
く、「全体主義の悪にたいする闘いのプロパガンダ」一色に染まることもまた
「全体主義」的だった。そして、そうした「全体主義」と対極にある精神こそ
が、クンデラが保持しようとした「小説の精神」だったのである。「小説の精
神」について、クンデラは『小説の技法』で次のように書いている。
〈人間的事象の相対性と両義性に基盤を置く世界のモデルとしての小説は、全
体主義の世界とは両立できない。この非両立性は異端派と共産党幹部、人権擁
護派と拷問者をへだてる非両立性よりもさらに根深い。なぜなら、この非両立
性は政治的もしくは道徳的であるばかりか、存在論的なものだからだ。これは
唯一の〈真理〉に基づく世界と両義的かつ相対的な小説の世界とは、それぞれ
まったく別の質量によってつくられているということに他ならない。全体主義
的な〈真理〉は相対性、懐疑、問いかけを排除し、したがって私が小説の精神
と呼びたいものとは断じて和解できないのである。〉
カウフマンやボノが問題にしたのは、「異端派と共産党幹部、人権擁護派と拷
問者」の対立だったといえよう。その対立は、「言論や報道の完全な自由」を
有している信じている此岸と、「言論や報道の完全な自由」が奪われていると
想像されている彼岸の間の溝をますます深くしていくこととなる。そうした分
断が進む世界で、「両義的かつ相対的な小説の世界」に依拠する「小説の精神」
は貴重である。
クンデラはチェコからフランスに亡命した。しかしそれは「全体主義」の国家
から民主と自由の世界への亡命というわけではなかった。亡命先のフランスに
も「全体主義」的な要素はあり、またチェコにも自由は存在した。そうした相
対的な認識を排除して、すべてを「政治」に還元してしまおうとする傾向に、
クンデラは「小説の精神」によって抗おうとしたのである。
日本と同様に中国でも、欧米文学の翻訳は盛んである。しかし中国にやって来
て、その実情を少しずつ知るに連れてますますわからなくなったのは、
ガルシア=マルケスやイタロ・カルヴィーノなどと並んで、ミラン・クンデラ
の本が大々的に書店の書棚に並べられていることだった。上海訳文出版社から
ほぼすべての小説や評論の翻訳が刊行されているだけでなく、『ミラン・クン
デラ 作家の人生』や『ミラン・クンデラを探して』などの伝記も刊行されて
いる。クンデラが7月11日に逝去したことが伝えられると、日本でも13日の各
新聞の朝刊には、その死を伝えるニュースが掲載されたが、中国での伝えられ
方はそれ以上だった。インターネット上にはクンデラ死去を伝えるニュースが
次から次へと続き、専門家のコメントや、かつて書かれたクンデラを紹介する
文章なども改めてアップロードされた。『新京報』に掲載されたクンデラを追
悼する記事の中で、中国社会科学院の高興が、「中国の読者は彼を忘れないし、
また同時に最も彼を理解した読者であるかもしれない」と述べ、クンデラは
「すでに中国文学の一部分になっている」と語っていたが、そうした発言を大
げさだと一蹴してしまうことがためらわれるほどに、中国語のインターネット
の空間には、クンデラを追悼する言葉があふれていた。
今の中国は、クンデラから作家としての活動を奪ったチェコの状況にますます
近づいている。「言論や報道の完全な自由」とはほど遠い「全体主義の世界」
と言っても過言ではない。そうした世界からフランスに亡命し、言論と自由を
奪う国家のあり方を批判しようとした作家としてクンデラを捉えていた私は、
書店に並ぶクンデラの中国語訳を眼にして腰を抜かしてしまった。これほど言
論のコントロールに厳しい国で、なぜクンデラを刊行することができるのか、
不思議でたまらなかった。
しかし中国語での紹介や批評を読むにつれて、カウフマンやボノと違ってクン
デラは、「言論や報道の完全な自由」を有していると信じ込んでいる人びとに
おける「全体主義」的な要素をも批判しようしていたことが、うっすらとわか
ってきた。日本では共産圏の不自由を批判する点が強調されたが、中国では自
由と民主における「全体主義」的な要素を批判した点が強調される。いずれも
クンデラの「小説の精神」の「相対性、懐疑、問いかけ」を極度に単純化し、
自分たちが正しいと信じる「政治」に合った形でクンデラを解釈していただけ
だったのである。
正直に言って、私はクンデラのいい読者ではなかった。中国に行く以前の
2008年10月、クンデラ自身は否定したものの、1950年にチェコ共産党政権の秘
密警察に脱走兵を密告したのではないかというニュースが流れ、それ以来、ク
ンデラからは足が遠のいてしまった。クンデラが死去した後の14日に掲載され
た「天声人語」にも、「本人は否定したが、過去に秘密警察に協力していたと
の報道が出た。深い葛藤があったに違いない」との言及が見られた。「言論や
報道の完全な自由」とは相容れない要素を嗅ぎつけて、私はクンデラを遠ざけ
てしまった。その時の私は「密告」なんてもってのほか、火のない所に煙は立
たぬと思っていたにちがいない。
クンデラに改めて眼を向け始めたのは中国に行ってからだった。そしてコロナ
が世界を席巻する状況を経験し、さらには上海でのロックダウンを経て、私は
ミラン・クンデラを強く意識するようになった。今、中国で働き、中国で生活
を営む中で、自分が「密告」される可能性は十分にあるし、また「密告」者と
なる可能性も捨て切れないという実感を持つようになったからである。こうし
た政治体制においては、誰しもが「密告」者になり得る。また、それに最後ま
で抗えるほどの強さを有した人間はそうそういない。少なくとも私は、自分の
弱さを実感している。
日本と中国の間でミラン・クンデラを読むこと。それが「全体主義」的な
「政治」に還元されない眼差しを養うために必要なことなのではないかと私は
思い始めた。クンデラの「小説の精神」を都合よくわかりやすい形で捉えて満
足するのではなく、「両義的かつ相対的な小説の世界」を保持し続けることが、
分断の危機に怯える世界に対してのささやかな処方となるようにも思われたの
である。クンデラが言う「小説」と同様、世界は「複雑」で、そうそう簡単に
読み解けるものではない。
〈小説の精神とは複雑性の精神であり、それぞれの小説は読者に「物事はきみ
が思っているより複雑なのだ」と言う。〉
わかりやすい図式に依拠して理解したつもりになるよりも、私は「複雑」さの
前で慄き、立ち止まりたいと思う。
日本語では『存在の耐えられない軽さ』というタイトルで訳されているミラン
・クンデラのL'Insoutenable Légèreté de l'être
(The Unbearable Lightness of Being)の中国語訳は、
『不能承受的生命之軽』となっている。集英社から刊行された世界文学全集の
編者である池澤夏樹は、「小説のタイトルとしてなんとも収まりが悪い。だい
たい「存在」なんていうのは文学ではなく哲学の用語だ」と述べていた。フラ
ンス語タイトルのl'être、英訳ではBeingとなっている言葉を、日本語訳では
「存在」と「哲学」的に翻訳し、中国語訳では「存在」という訳語を避けて、
「哲学」臭を緩和した「生命」という訳語が採用されている。タイトルの翻訳
ひとつを取ってみても、ミラン・クンデラの受容には、大きな差が存在する。
「存在」と「生命」の間を行き来しつつ、私はクンデラをもう一度読み直して
いこう。ボノのMCに歓声をあげた高校生の頃の無邪気さからは、いい加減、離
れなくてはならない。「物事はきみが思っているより複雑なのだ」。高校生だ
った30年前の私に会えるのなら、白髪混じりの今の私はこう伝えたい。
【本文中で言及させて頂いた本】
ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳、集英社文庫)
ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(西永良成訳、河出書房新社)
ミラン・クンデラ『裏切られた遺言』(西永良成訳、集英社)
ミラン・クンデラ『小説の技法(電子書籍版)』(西永良成訳、岩波文庫)
Ariane Chemin『尋找米蘭・昆徳拉』(王東亮訳、上海訳文出版社)
Jean-Dominique Brierre『米蘭・昆徳拉 一種作家人生』
(劉雲虹・許鈞訳、南京大学出版社)
Milan Kundera『不能承受的生命之軽』(許鈞訳、上海訳文出版社)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
遅くなってしまい申し訳ありません。暑いのでご自愛ください。畠中理恵子
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★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 「音それ自体」という考え方
―高橋智子『モートン・フェルドマン〈抽象的な音〉の冒険』(水声社)
★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その83『家なき娘』その4「ヴュルフラン・パンダヴォワーヌ氏のスープ」
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
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■トピックス
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出版社の皆様、あるいは出版業界の皆様より、出版関係に関わるトピックス
(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。
情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第145回 「音それ自体」という考え方
―高橋智子『モートン・フェルドマン〈抽象的な音〉の冒険』(水声社)
私は文章を書く時、普通BGMを鳴らさない。音楽に気を取られ、集中でき
なくなってしまうからだ。但し例外があって、それはアントン・ヴェーベルン
の音楽とモートン・フェルドマンの音楽。この二人の音楽だけは幾ら鳴ってい
ても邪魔にならないばかりか、逆に集中力を高めてくれる。二人の音楽には大
きな特徴がある。定型的なリズムを持たず、音と音が緊張感溢れる不定型な
「間合い」によってつながっていること。ある音の自律性が次の音の自律性を
呼び、音が「曲」の部品となることがない。聴き手に「曲」が押しつけられる
ことがないのである。しかし、音自体には強い意志が込められていて、次に何
が来るか、その不安と期待が、聴いている者の集中力を高めさせる結果につな
がっているわけだ。
今回取り上げる『モートン・フェルドマン〈抽象的な音〉の冒険』は、フェ
ルドマンの音楽を長年研究してきた著者の充実作で、フェルドマンの音楽の変
遷を、彼の人生とともに、全方位的にじっくりと論じたものである。先行研究
もわかりやすい形で引用されており、これからフェルドマンの音楽に親しみた
い人にとっても親切な一冊になるだろう。
モートン・フェルドマンは1926年にロシア系ユダヤ人の家庭で生まれ、1987
年に死去したアメリカの作曲家である。本書では3つの章でフェルドマンの音
楽の変遷を詳細に語っている。
第一章の「完全に抽象的な音の冒険」では、彼の名を有名にした図形楽譜の
成立を論じている。フェルドマンはジョン・ケージの家に食事に呼ばれ、料理
ができあがるまでの間に気まぐれにスケッチをしたら、そこに「高・中・低」
のカテゴリーが偶然現れ、ピアニストのデイヴィッド・チュードアがそれを見
て即座にピアノ曲として弾いてみせた、それがきっかけで図形楽譜による作曲
の試みが始まった、という。本書には「プロジェクション第1番」の譜例が載
っているが、音の高さや長さを箱型の線で示すというシンプルな形式である。
具体的にどの音を出すかは演奏家に任されるが、フェルドマンは「直截的で、
即時的で、身体的な音の世界」を求めてこうした試みに至った。その背景には、
抽象表現主義絵画の影響があったという。
第二章の「音それ自体の探求」は、図形楽譜を放棄し、独自の工夫を凝らし
た五線譜による作曲に転換した時期を論じている。フェルドマンは図形楽譜に
よる作曲が、意図していた音の解放ではなく演奏家の解放になってしまうこと
に気づいたという。「インターミッション第6番」の譜例が載っているが、1
小節分の断片が複数配置される形になっている。テンポは明確に示されず、音
を出すタイミングは演奏家に任されるが、「打鍵時のアタックは最小限にし、
ほとんど聞こえなくなるまでその音を押さえておく」などの演奏指示がある。
フェルドマンは「音を単なる材料の一つとして扱うのではなく、音の訴えに真
摯に耳を傾ける」、つまり、「音それ自体が独立した存在」であるような音楽
を生み出すために記譜法の革新を行った。
第三章の「カテゴリーの間」は、彼の創作生活では例外的な「物語性を持っ
た叙情的な音楽」について論じている。1970年からの2年間で「フェルドマン
自身の経験や人間関係を発端とする自伝的な楽曲」が作られた。「ロスコ・チ
ャペル」は抽象表現主義の画家マーク・ロスコによる14枚の絵画が配置された
無宗派の礼拝堂のために書かれた曲。ロスコは礼拝堂の完成の前に自殺してお
り、ロスコの追悼の意味もある。フェルドマンはチャペルに射し込む、刻々変
化する光そのものに宗教的な性質を見出し、それに呼応した音楽を書いた。フ
ェルドマンとロスコの共通の要素であるユダヤ風の旋律もある。フェルドマン
は自分の音楽を「カテゴリーの間」にあるものと考え、従来の音楽美学に縛ら
れない音楽の在り方を模索していたようだ。
第四章の「歪んだシンメトリー」は、長大な音楽を書くようになる1970年代
後半以降のフェルドマンについて論じている。1983年の「弦楽四重奏曲第二番」
は最低でも演奏に5時間かかる。当時、あるパターンを少しずつ変化させなが
ら反復する、スティーブ・ライヒらのミニマル・ミュージックが台頭していた。
フェルドマンはこれに刺激されたが、追従したわけではない。あるフレーズが
反復されるという形態をとるところは似通っているが、フレーズをシステマテ
ィックに変化させることはしない。微妙にズレ、そのズレ方に一定の法則はな
い。法則性のない反復によって、その時その時の音の様態が生々しく浮かび上
がる。フェルドマンは中東の絨毯に関心を持ち、特に厳格なシンメトリーな造
りを重視せず、職人の創造性や偶発性が生かされるトルコの絨毯を好んでいた
という。フェルドマンが提唱した「歪んだシンメトリー」という概念は、シス
テマティックな構造に頼らず、素材の自律性を重視するという点で、中東の絨
毯に通じる面があるということだ。
フェルドマンは曲の構造に音が奉仕する西欧音楽の本流に異を唱え、「音そ
れ自体」の訴えに耳を傾け、音の存在感を最重視する音楽を考えた。音それ自
体よりも音の形式性を重視する音楽(ストラヴィンスキーのような)を批判す
る。音楽は、構成された「曲」ではなく鳴っている「音」だ、という主張は、
主題と変奏を軸に発達してきた西欧音楽の歴史ではラディカルだっただろう。
既定の素材を組み合わせて複雑な構造物を作るより素材や素材を扱う手つき
の中に美を見出すという考え方は、今となっては新奇なものではない。が、本
書を読むとフェルドマンが音というものに対し神秘的な感覚を持って臨んでい
たのではないかという印象を持つ。フェルドマンは一つの音の減衰に拘り、聴
衆が聴取できるかできないかというレベルでのゆったりした弱音の中での無限
のニュアンスに異様なまでに拘った。この拘りは、音を神秘化し、音の中に神
格のようなものを見出し、作曲家本人がそれに単独者として相対する、という
態度からきているのではないだろうか。私がフェルドマンを聞く際には、降霊
の儀式に立ち会うのに似た、超自然的な感覚に襲われることが多い。音楽その
ものに劇的な展開はないのに、そこで尋常でない何かが起こっているという雰
囲気があるのである。彼が嫌ったのは音がある法則に従って整然と配置される
ということである。決して音の物理的な面白さに惹かれて「音それ自体」とい
う考えに至ったのではない。
私のフェルドマン初体験は、FM放送で武満徹企画の「ミュージック・トゥ
デイ」を聞いた時だった。放送された「デンマークの王」という打楽器の曲だ
ったが、抑えられた音量の中に豊かなダイナミクスが息づいて、どこに向かう
でもなく、しかし決して静止することはない、その不思議な佇まいに魅了され
たのだった。音そのものと化した作曲家が、暗がりの中をうろうろしている、
そんな気分にもさせられた。本書にはフェルドマンの音楽が20世紀後半の新ロ
マン主義の潮流にも入ることが記されている。彼の音楽にいわゆるロマンティ
ックな感情の痕跡は皆無だが、作曲家自身が不規則な音の間合いに憑依する音
楽と考えれば、その態度は「ロマンティック」と呼んで差支えないように思う。
人間の運命は人間には不可知の力によって決まるが、もしかしたらフェルドマ
ンは「音それ自体」の中に、万物の根源にあるそうした不可知なものの力を見
てとっていたのかもしれない。
高橋智子『モートン・フェルドマン〈抽象的な音〉の冒険』
(水声社 本体3800円)
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その83『家なき娘』その4「ヴュルフラン・パンダヴォワーヌ氏のスープ」
さて、『家なき娘』もいよいよ最後。今回はペリーヌではなく、ペリーヌの
祖父ヴュルフラン・パンダヴォワーヌ氏の食卓を見て行こう。
彼は一介の労働者から身を起こし、マロクールだけではなく他の五つの村に
も工場を持つ企業家となった男だ。彼が住むのは、照明用の火力発電所や温室
を備えた大邸宅。屋敷を囲む鉄柵の正面には、当時の鉄工芸の最高傑作とされ、
某国の王族も手に入れられなかったというほどの高価な金塗りの鉄格子門がそ
びえ立っている。けれど彼は十二人の召使を抱えながらも、たった一人でその
豪邸に住んでいるのだ。さらに、ヴュルフランは今、白内障でほとんど目が見
えない。それでも、毎日朝から工場の視察を欠かさず行い、工場の経営権を誰
にも渡そうとしないのだ。おいのテオドールとカジミール、工場長のタルエル
が、その地位を狙っているのだが、誰にも譲ろうとはしていない。ただ一人、
インドで行方不明になっている息子、ペリーヌの亡くなった父親の帰りを待っ
て、全てを託そうとしているのだ。
この物語の後半は、工場の職員の外国通信係のバンディさんというイギリス
人が病気になったところから始まる。ペリーヌが英語を喋れるのを知っていた
ロザリーが職員たちに伝えたことで、ペリーヌはイギリスからきた技師たちの
通訳に雇われる。そして、作業現場で機械の設置のために技師の言葉を石工や
大工などに通訳してみせるペリーヌの様子を見たヴュルフランは、次の日から
ペリーヌを秘書として雇うことに決め、服装を整える費用を与え給与を約束す
る。
ペリーヌは質素な黒の既製服を買い、工員用ではなく職員用の食事付きの宿
泊所を借りて住むことができるようになる。けれど次の日、ヴュルフランは怒
った様子で現れる。ロザリーの叔母からあることないことを聞いて、ペリーヌ
を疑ったのだ。そこで、ペリーヌは自分の生活を、このマロクールについてか
らの島の小屋での生活、手作りの靴、手作りの調理用具、そして、ロザリーに
ご馳走した手作りのディナーのことなどを彼に話して聞かせるのだ。
「いやはや、おまえはたいした娘だ」
それが彼の感想で、たぶんここから先、彼がペリーヌに全幅の信頼を寄せる
のも、苦境を切り抜け新しいものを作り上げる力を持つ自分と同類の魂を、こ
の島の生活の物語に見たからに違いないと思うのだ。「女の子のたわいもない
話」とペリーヌは卑下をしているが、この物語ほどここ何年来彼を面白がらせ
た話はないのだと思う。読者と同様に彼の中にも、あのすかんぽのスープで始
まりグズベリーのデザートで終わるディナーのフルコースがいつまでも心に残
ったのだろう。彼は信頼する学校教師にもそのことを話して、ペリーヌのフラ
ンス語の家庭教師を務めてくれるよう依頼する。
これから先、ヴュルフランは息子を探すための活動を積極的に行い始める。
英文の電報や手紙の翻訳ができ、信頼がおける秘書を手に入れたのだから。だ
が二人の甥と工場長は手紙や電報を取り上げようとしたり、ペリーヌにスパイ
の役目をさせようとしたりする。ペリーヌは必死に抵抗し、その気配を感じ取
ったヴュルフランは、酔っぱらいの御者を解雇し、ペリーヌに馬車の手綱をと
らせ、二人きりで行動することを増やしていき、やがて彼女を守るために屋敷
に泊まらせるようになる。
さて、ここでやっと二人はお屋敷の華麗な食堂で、ディナーのテーブルを囲
むことになる。まず、ヴュルフランは言う。
「病気になってから、わしはスープ類を二杯食べることにしている。その方が
わしには食べやすいからだが」
だから、その食事は次のようなコースになる。せっかくだから、フランス料
理店のメニュウのように書いてみよう
1.Entree (前菜)
Potage
(ポタージュ)
Une soupe, aux choux celle-la, avec des carottes et des pommes de terre,
aussi simple que celle d’un paysan.
(ニンジンやジャガイモの入ったキャベツのスープ、農家風にシンプルに)
2.Plats(メイン)
D’un gigot avec des petits pois et Salade
(子羊のもも肉のグリンピース添えとサラダ)
3.Desserts(デザート)
quatre assiettes à pied avec des gateaux
(脚付きの皿にのせた菓子、四皿)
quatre compotiers charges de fruits
(脚付きのコンポートに山盛りにした果物、四皿)
大変簡素な食事とされているが、そもそも島に住み始めたころまで、ろくに
スープも飲めなかったペリーヌには大ご馳走だろう。二皿目のスープを付き合
わなくてもいい、普通に食べなさいと言っているヴュルフランは、もしかする
とスープ二皿だけ食べて、メインの肉は食べなかったのだろうか?確かに見え
ない状態でナイフを使ったりするのは苦痛でしかないだろうし、グリンピース
もうまくフォークですくえないのかもしれない。デザートのケーキも出ている
ようなのだが何も書かれていないところを見ると、目がよく見えないヴュルフ
ランが気づかず勧めないので、ペリーヌは食べなかったのかもしれない。けれ
ど温室のあるこのお屋敷ではフルーツがふんだんにあることが自慢のようで、
全部食べなさいと勧め、遠慮してサクランボを少しだけ取ったペリーヌに対し
て、召使が主人の意を汲んでアンズと桃を取り分けてくれたりする。けれど、
召使たちにずっとお行儀を見られているようでペリーヌは落ち着かず、おいし
く食べられなかったようだ。東京ならちょうど初夏のこの時期に次々店先に現
れるこの三つの果物。確かに温室の中でしか同時にとれない貴重なものなのか
もしれない。彼自身の食卓は質素なのかもしれないが、お客があるときには料
理人や給仕頭が食材を探して近隣を駆けずり回って豪華な食卓を整えるらしい
ので、それなりの料理人が雇われているのだろう。ペリーヌが緊張しすぎてお
いしく味わえないのが残念だ。
ペリーヌはここから先、常にヴュルフランと生活を共にし、秘書として、息
子つまりペリーヌの父親を捜すための手紙書きに明け暮れることになる。
面白いのはその生活の中で、ペリーヌがヴュルフランの偏見を何とか取り除
こうとたくさん議論していることだ。息子を奪ったインド人女性への嫌悪から
彼が口にする言葉はペリーヌにとってはつらいものが多い。孫娘もインド人で
ある限り何の価値もないと言い張り、「インドの娘は早熟」だから持参金を付
けて早々に結婚させて追い払ってやると言う。これには、ペリーヌじゃなくて
も何と馬鹿な、と思ってしまう。早熟な娘などいるはずもない。社会が子供に
無理やり結婚を強いているだけなのに。さすがのペリーヌもここでは口論とな
り、涙ながらに部屋に引き取らされてしまう。
やがて、息子の死が明らかになる日がやってくる。ヴュルフランは工場の操
業を停止して教会で葬儀のミサを上げるのだが、工員たちは殆ど参列しない。
深い失望の中、彼は気管支炎を患うのだが、治ってからも無気力なままでいる。
そんな状態を打ち破ったのは、子供たちを預かっている老婆の家の火事だった。
赤ん坊が死に、その母親にののしられたヴュルフランは、葬儀に出て悲しみを
共にするようにというペリーヌの言葉に驚くのだが、考え直す。子供たちの葬
儀の費用を持ち、葬儀に参列するだけではなく、理想的な託児所の建設を始め
るのだ。彼は次に工員たちの宿泊所の環境が劣悪なことを知らされて、新しい
宿泊施設や住宅を建築するようになる。そして、ペリーヌが指揮をとって、工
員たちのための病院や娯楽施設などの厚生施設を次々に建築していくようにな
る。気力も体力も持ち直したヴュルフランは、孫娘の捜索を秘密裏に行い、ペ
リーヌが実の孫であることを知って喜び、白内障の手術も無事受けて目が見え
るようになる。ヴュルフランが父親のように労働者の生活を思いやり、労働者
も喜びをもって働いていく、そんな理想郷をペリーヌとともに建設していくこ
とが語られて、物語は終わるのだ。
目が見えるようになったヴュルフランが真っ先に行きたがった場所は、ペリ
−ヌが暮らしていた島だった。文明のない場所で全てを作り上げていった孫娘
を誇る気持ちが溢れているのだけれど、本当はすかんぽのスープが飲みたかっ
たんじゃないかと、私は今も思っている。
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『家なき娘』完訳版上下 エクトール・マロ著 二宮フサ訳
偕成社文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
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5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信遅くなりました。毎日、暑いですねー。(あ)
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おり、広告は随時募集中です。詳細はメールにて編集同人までお尋ね下さい。
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→女子高生マーケットの終わり
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→休載です
★「はてな?現代美術編」 koko
→バーゼルは香港にも出張するw
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→選挙やり直し!
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■トピックス
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募集中です
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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「女子高生天国」の衰退
マッド・アルトの『新ジャポニズム産業論 1945−2020』(日経BP)
を3年生のゼミの時間に読んでいます。日本は、マンガ、ゲームアニメ等、数
多の「ファンタジー・デリバリー・デバイス」(夢を届ける装置)を生み出し
世界の人々を喜ばせてきました。本書は、戦後の日本がそれらの「産業」を生
み出した過程を跡付けています。著者は、1990年代の日本は、「女子高生
天国」の様相を呈していたと言います。ルーズソックスやポケベル、ギャルに
「援助交際」。往時の女子高生パワーには、目を見張るものがありました。
女子高生を性的対象としてとらえる眼差しが生れたのは、1980年代のこと
でした。森伸之の「東京女子高制服図鑑」が大きな話題になりました。オタク
の祭典コミックマーケットにはロリコンマンガが溢れていました。甲子園大会
のアルプススタンドには、ローアングルからチアガールのスカートの中を覗く
「カメラ小僧」が跋扈し、有名人の密会写真や無残な死体の写真を掲載する写
真週刊誌が、大いに売れてもいたのです。繁栄の80年代は、ロリコンと窃視
症の時代でもあったのです。その果てに訪れたのが、あの宮崎勤の事件でした。
女子高生は、肉体的には完全な大人でありながら、社会的には親に依存し、
学校の管理下に置かれる完全な子どもです。このギャップを可視化したものが、
女子高生の制服でした。ロリコン男性が萌えないわけがありません。それまで
学園紛争の名残で支配的だった制服廃止論は影を潜め、制服のかわいさによっ
て、少女たちが高校を選ぶ時代に変わっていきました。いまでも高校での服装
検査は厳格に行われています。ある種の髪型は男子の妄想を誘うというパラノ
イア的な議論もありましたが、制服そのものがあらぬ妄想の源泉なのです。
世紀の変わり目の時代に日本の女子高校生は、電子端末による文字のメッセー
ジの交換を「発明」し、彼女たちが愛好したキティちゃんや「たまごっち」は
世界的なブームになり、彼女らがカラオケで歌う歌がいくつもミリオンセラー
になりました。当時の女子高生は、消費のリーダーであり、男どもの性的なま
なざしを一身に集めていたのです。そのことを彼女たちも十分に自覚していま
した。自分たちには世の中を動かす力がある。そうした万能感が彼女たちの文
化的な創造性と、放縦な性的振舞いを生み出していたのではないでしょうか。
いまや少子化で女子高生の数が少なくなってしまいました。親のすねは細り、
お小遣いは減る一方。子高生は消費のリーダー足り得なくなってしまいました。
いまの女子高生は大人しい。「ギャル」はもはや絶滅危惧種です。いまは女も
男並みに働かなければならない時代です。そのためには大学に行かなければな
らない。「指定校」入試のためには優等生でいなければならないし、「総合選
抜」で受かるためには部活やボランティアに励まなければならないのです。就
職至上主義が、彼女たちの文化的創造性を奪ってしまったようにみえます。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第137回 『 オークション熱が冷めた後に ――― アート・バーゼル2023 』
オークションの落札額が横ばい傾向に入ってきた今年の春、かたやアートフェ
アは活況を呈し始めていました。
今年3月のアート・バーゼル香港は、コロナ後の市場の戻りを宣言し、それに続
く今月のご本家アート・バーゼルのセールスも好調を示すレポートが出てきて
います。
もう20年も前に初めてアート・バーゼルへ行った頃は、このアートフェアは本
当に美術業界の人だけのものという印象が強いとはいえヨーロッパの美術愛好
家はこぞって見に行くべきイベントだったのです。
期間中はホテルは満室で、会場も混雑していました。
アート・バーゼルはバーゼルの地元ギャラリスト3名(Ernst Beyeler、Trudi
Bruckner、Balz Hilt) が1970年に立ち上げたアートフェアです。1990年代私
がフランスにいた頃には ベイエラー(Beyeler 1921-2010)が世界のアート
市場を牛耳るギャラリストの一人としてその名をとどろかせていました。
彼の人生はそれはそれでまた一つの物語になるので、そのうち取り上げること
ができればいいと思います。
原田マハ『楽園のキャンヴァス』を読んだ時には、スイスの富豪キャラは絶対
にベイエラーをモデルにしたのだと思いました。そんな感じの大金持ちです。
バーゼルはフランスとスイスの国境の町で、時計の見本市でも有名な町で、チュー
リッヒ、ジュネーブに続くスイス第3番目の都市です。
この春、コロナの影響から脱却してアート・バーゼル香港で一気に復活宣言の
様相です。
続く今月の本家スイスでもアート・バーゼルの売上は好調の模様。
細かい話は添付の記事で読んでください。
実際いろんなアート記事をみても、取り上げられる作品は様々で、バリエーショ
ン豊かで見ごたえのある現場だったようです。
□アートバーゼル 2023 (ArtNews) 日本語記事
https://artnewsjapan.com/article/1154
私のようにセカンダリーマーケットで仕事をするものにとっては、今後の潮流
を知るにはいい機会になります。
ギャラリストがお金をかけて育てたアーティストの生の作品を見るのも楽しい
ですし、物故作家の売れ筋を知るにも良いチャンスなのです。
ピカソもあれば新人アーティストも並んでいるのがこのようなアートフェアで
す。
2002年にArt Basel Miami Beach
2013年からArt Basel Hong Kong
去年2022年10月 以前少しお話した新しいフェア、Paris+ , par Art Baselも
始まりました。各地域の土地柄で並ぶアーティストの顔ぶれも出店ギャラリー
名も毎年変わります。日本のアーティストやギャラリーは香港に出ていること
が必然的に多いですね。
□アート・バーセル香港 2023 美術手帖
https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/26938
自ら足を運ぶのがいいに決まっていますが、21世紀の恩恵にあずかり、Youtub
e映像で会場の雰囲気を感じてみてください。
□Art Basel 2023 (VernissageTV)
https://www.youtube.com/watch?v=ALHSvHdtsKA
型破りな面白さで定評があるのが大型インスタレーションを集めた「アンリミ
テッド」部門は映像見ているだけで楽しくなってきます。
□Art Basel 2023 Unlimited(VernissageTV)
https://www.youtube.com/watch?v=gDJ0EpwRNi4
頭の中がスイス旅行になりました?
早く現地に行きたいなぁ。
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 36
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米施政権下の沖縄選挙史4:
1954年3月14日に投開票が行われた第2回総選挙で、琉球民主党(以下、民主
党)と沖縄社会大衆党(以下、社大党)の勢力が伯仲したことを受けて、沖縄
政界では民主党の新里銀三(沖縄群島知事選で社大党と激しく対立)と社大党
の兼次佐一(米軍から共産主義者として名指しで非難された人物)の2人を排除
し、両党を合同させようという(第1次)新党運動が発生した。
運動を主導したのは、民主党の天願雄治郎(党副幹事長)、照屋善清、石嶺
真誠、与那覇金一郎、社会党の長嶺秋夫、比嘉宇太郎、仲宗根巌、さらに無所
属の知念朝功、佐久川長吉、長田盛徳らで、社大党の有力者、西銘順治らも後
に合流した。
しかし、同年8月3日の社大党中央委員会で長嶺が除名されたほか、民主党側
も行政主席の比嘉秀平が新党運動にストップをかけたことから、運動もいった
んは沙汰止みとなった。
その後、1955年7月、西銘順二が「西銘構想」を発表する。西銘構想では、社大
党が社会主義的な路線から決別して国民政党となり、そこに民主党や無所属議
員も加えた新党を作るというものだった。しかし、8月21日、社大党委員長だっ
た平良辰雄が政界引退を発表し、民主党でも比嘉が新党結成の動きを封じたた
め、今回も新党結成の話は流れてしまった。
こうして、1956年3月11日、任期満了に伴う第3回立法院議員総選挙が行われた
が、新党構想をめぐる混乱から社大党は改選前の12議席から8議席に後退し、民
主党が29選挙区中16選挙区で勝利し、16議席を得て圧勝した。
第3回総選挙に際しては、第2回総選挙の時と同じく“波上宮”の印面の2円葉書
に“立法院議員選挙”の文字を加刷したものが選挙はがきとして使用されたが、
刷色は青緑色に変更されている。また、葉書の加刷文字には、旧字体の“擧”
のもの
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20230625144830f80.jpg
と“挙”のもの
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20230625144829a43.jpg
の2種類がある。なお、選挙期間中に使用されずに残った葉書は、後日、郵政職
員の押印訓練用に用いられた。
ところで、第3回総選挙では、第25選挙区(糸満町の大半)で、沖縄印刷工業
組合理事長の下地淳一と元宮古民政府文教部長の砂川恵敷の一騎打ちとなり、
当初、下地淳一が当選人として決定、告示された。しかし、砂川恵敷側から当
選決定に対する異議申し立てが行われたため、再調査の結果、下地の当選は無
効とされ、砂川が当選とされた。
これを不服とした下地は当選無効の訴訟が起こし、1956年10月、選挙無効の判
決が確定。これによって砂川の当選は取り消されたため、11月11日、第25選挙
区の特別選挙(再選挙)が行われ、最終的に、「宮古毎日新聞」の創業者、真
栄城徳松が当選している。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/202306251448330c9.jpg
は1956年の特別選挙の際に使用された選挙葉書。刷色は赤茶色) また、第18
選挙区(那覇市の6区から11区まで)で当選した安里積千代が任期半ばで辞任
したため、1957年8月25日に特別選挙が行われ
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/2023062514482792a.jpg
は1957年の特別選挙の際に使用された選挙葉書。刷色が薄紫色になっている)、
宮良寛才が当選している。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「現代日中関係史 第2部 1972−2022」日本郵趣出版、電子書籍で「切
手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などが
ある。
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り、広告は随時募集中です。詳細はメールにて編集同人までお尋ね下さい。
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■編集後記
カッコよい道具がある。たとえばスタイリッシュなパソコンとか、万年筆とか、
ボールペンとか、文房具がカッコよいと筆が進むという方は多かろう。
わたしもそういう文房具は好きだが、机の上が散らかっていると興ざめである。
スタイリッシュな文房具を自分は買う資格がないな・・いや買ってもいいが、
もってても全然カッコよくないと悩む。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第168回 祖父のエッセーを思い出す
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 人気の戦国武将、東北武将についての本をご紹介します。
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第13回 すべての作家は幹部である
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第168回 祖父のエッセーを思い出す
「草森紳一が内田魯庵のことを書いてるよ。ほんのちょっとだけど」と友人が教
えてくれた。さっそく『本の読み方 墓場の書斎に閉じこもる』(草森紳一 著
河出書房新社)を探したがあいにく絶版になっていた。どうしても読みたくて古
書をネットでさがした。「ほんのちょっと」でも気になったからだ。
内田魯庵は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。明治を描いた小説やドラマ
にときどき登場する。ぼくの母方の曽祖父だ。魯庵のことを草森紳一がどんな
ふうに書いているのだろう、と興味があった。
以前、『内田魯庵山脈』(岩波現代文庫)を書いた山口昌男さんに会ったと
きだった。ぼくが魯庵の曾孫だと知ると「きみの家系は末代になるほど悲劇的
になるな」とちょっと意地悪そうに笑った。
悲劇的というのは、魯庵の息子、つまりぼくの祖父である画家の巌が病死、
そしてぼくの父が事故死(山口さんは「爆死」と表現した)、母が病死したこ
とをいったのだが、そうなるとぼくはどれほど悲劇的な死を迎えるんだろう?
なんて思ったものだ。
余計なことを書いた。
『本の読み方 墓場の書斎に閉じこもる』は草森紳一が読書の歓びを書いたエ
ッセイ集だ。『随筆-本が崩れる』 (中公文庫) でもその何万冊に及ぶ蔵書が
話題になった、読書の達人が読書について書いているのだから、面白くないは
ずがない。絶版になっているのが残念だ。
「読書といえば、頭のみを使うと思っている人が多い。それは誤解で、手を使う
のである。読書とは手の運動である」
冒頭の章でこんなことを教えてもらえる。
「読書の歓びは、内容を追いかけることだけではない。ついほかのことを考えた
り、まどろんでしまったり、ただ本とともにあるこよなきひととき」。そんな時間も
読書の喜びだと教えてくれる。
カバー写真やとびらに使われている草森自身が撮影した読書にまつわるスナ
ップ写真が素晴らしい!
友人が教えてくれたのは「父の気膊(きはく)」という章だった。「書斎の中の人
間は、意外と、熱心に読書したりしていないのではないか。ボーっとしている
時間のほうが長いのではないか」という考察を書いている。
有島武郎の書斎のことを息子の有島行光が書いた文章を紹介している。有島
行光は、俳優の森雅之のことだ。
有島行光は書斎にいる有島武郎が本を読んでいたり原稿を書いている姿のこ
とを書いていない。書斎には入ってはいけない、と言われていて行光少年は父
の留守にこっそり入って秘密の匂いのする空間で遊ぶ。書斎には目に見えぬ父
の気膊がみなぎっていて長居は出来なかったと書いている。
ぼくの家には書斎などという高級な部屋はなかったけれど、父が仕事をして
いた洋間には独特な空気があった。
洋間にあった本棚には洋書や大人の本が並んでいた。決して洋間に入ること
は禁止されてはいなかったが、両親の留守を狙ってこっそり入るという行為に
わくわくしたものだ。エロチックな表紙の本を取り出してめくってみたり、棚に
隠してあったパチンコの景品だった森永ハイクラウンチョコレートを失敬したこ
ともある。子どもにとって書斎は秘密の遊び場だったんだな。
魯庵のことを書いたのは、その章の後半になってからだった。
草森紳一がもっとも共感したのが、内田巌が書いた父である内田魯庵の書斎
について書いた文章だった。
巌は、魯庵の書斎のことを、食事のときにしか下に降りてこない「二階のわづ
か十二畳の小さき室」と書いている。
生活に追われている父・魯庵の頭脳にふさわしく書庫はひっかきまわされ、
「その乱雑な本の堆積中から現実が抜き出されたり、放り出されたりするよう
に書物と呼ぶ知識の素材が生活資源の戦場をいつも荒々しく表出していた」。
ぼくが本に埋もれて暮らしているのは、血筋なのかもしれない。ぼくの場合
は知識の素材といえるかどうかわからない本が多いけれど。
ぼくの祖父・内田巌は洋画家で『歌声よ起これ(文化を守る人々)』や『風』が
代表作として紹介されている。
ぼくは内田魯庵にも内田巌にも会ったことがないから、ふたりとも歴史上の
人物という感覚でしかない。ただ魯庵の写真を見ると、鼻の形が似ているかな
あ、とは思う。
子どものころ、ぼくの家族は魯庵についてくわしく教えてくれることはなか
った。小さな子どもに教えるのが面倒臭かったのかもしれない。「万年筆」と
いう名前を考えたらしいとか、ドストエフスキーを翻訳した人だと話していた
のを覚えている。万年筆については諸説あるらしいが。
祖父・巌については、家族は「よっぱらいだった」という話しかしなかった。
よっぱらって茶の間で踊ったとか、酔い潰れて布団まで運ぶのがたいへんだっ
たとか。翌朝、祖父の面倒を見た小学生だった叔母の枕元に「昨夜はよっぱら
ってごめんなさい」と手紙が置かれていたそうだ。そのような酒にまつわる話
ばかりだったから、ぼくの頭には、よっぱらいの絵描きとしてインプットされ
ていた。
家に飾ってあった浴衣を着た巌の写真は、白髪の老人にしか見えなかったが、
まだ50歳くらいのときのものだろう。
酒が好きだったのは本当の話で、疎開先の岡山では酒を飲ませてもらっては
お礼にサラサラと絵を描いていたようだ。岡山に行ったとき、祖父が酔っ払っ
て描いたという絵をたくさん見せてもらった。
あとになって内田巌はただの「よっぱらい」ではなくて、正真正銘の画家で
あることを知った。東宝争議をテーマにした絵や、家族を描いた作品は情熱と
温かさを感じさせる。ぼくは最近、「岩」をテーマに描いた何枚かの作品に心
惹かれている。地味で、決して才気走ることなく、努力で自身の芸術を高めた
巌という人物がよく表れた作品だと感じている。
絵画だけではなく、内田巌はエッセイも多数書いている。『ミレーとコロー』
(岩波新書)、『人間画家』(宝雲舎)など10冊以上あるのだが、なかでも
『絵画青春記』(太和堂)が面白い。
「私は画家になりたいと思って画家になったわけではない」と書かれていて
画家になったのは自分の意志ではなくて、父・内田魯庵に薦められたからと書
いている。
受験に何度も失敗したのは、システマチックに試験勉強をする努力がなく、
頭脳も悪かったから、そして奮発心も競争心もない性質だった、なんて書いて
ある。なんだか、ぼくのことを書いているようだ。
「人は意志が弱いといったが意志が弱いのではなく意志がなかったのだ」なん
て書いてあるから、ぼくは思わず「そうなんだよ、おじいちゃん!」と叫びそう
になった。祖父が実に近く感じられるのだ。
絵を描きはじめたとき、友人に「君には絵の才能がない。文学をやるべきだ」
と意見されたり、美術学校時代に「あれは思想家で画家ではない」と妙なレッ
テルを貼られたりと常に自分は何であるのか、と問われ続けて生きてきたと書
いている。なんだか「同じ血が流れている」と感じる。ああ、祖父に、いちど
でも会って話を聞きたかったなあ。
もうずいぶん前のことになるが、従兄弟の結婚式があり大阪に行ったときの
ことだった。式場に向かう途中に古本屋があって時間つぶしに寄ったところ、
内田巌の本が9冊も置いてあった。どの本も200円程度の値段だったのでぜんぶ
を購入して紙袋に入れて、真夏の大阪を歩いた。式場に着いたときは汗まみれ
になっていて、親戚に「なにしに来たんや」と呆れられた。
いま、ぼくの手元にある『絵画青春記』は画家の井上洋介さんにいただいた
ものだ。井上さんが自ら装丁をしてくれた。本の背は井上さんの文字でタイトル
「絵画青春記 内田巌」が書かれている。世界で一冊しかない本だ。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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今年の大河ドラマは徳川家康が主人公ですが、これまでも武田信玄・織田信
長・豊臣秀吉そして伊達政宗などが主人公に選ばれています。戦国時代という
のが巷で相当人気があるというのがこれだけでもよくわかります。
そんな戦国時代に活躍した武将たちを取り上げた『戦国武将列伝』という
全13巻のシリーズが戎光祥出版より刊行中です。実にけしからん企画ですね。
全13巻だなんて、家計に与えるダメージが…(でも買う…)。
『戦国武将列伝1 東北編』、遠藤ゆり子/竹井英文編、戎光祥出版、2023
というわけで今月はその中の1冊、第1巻東北編をご紹介したいと思います。
東北の戦国武将というとやはりドラマにもなった伊達政宗が有名ですね。そ
の他にも政宗の父伊達輝宗にその父伊達晴宗、その父伊達稙宗…と伊達氏ばか
りになってしまいました。もちろん伊達氏は戦国時代の東北を代表する一族で
はあるのですが、もちろんそれだけではありません。
本書に取り上げられている武将は全部で29人。そのうち伊達一族は5人と最
も多く取り上げられているのですが、南部晴政に南部信直、津軽為信に最上義
光など綺羅星のごとく時代を彩った武将が登場します。
本書では最新の研究成果を取り入れ、なるべく後世の編纂物などよりも、同
時代の文書などを中心にその人物像を描き出していきます。私の頭の中の知識
も古くなっているようで、最上義光と家督を争ったとされていた中野義時が、
現在では実在が疑われているとか知りませんでした。恥ずかしい。
さて、私の推しポイントとしては、秀吉の奥州仕置きを生き延びられなかっ
た和賀信親・稗貫輝家・大崎義隆・葛西晴信といった面々も取り上げられてい
たり、南奥(主に福島県と宮城・山形の南部)の相馬・岩城・蘆名・田村・白河
の諸氏からも多くの武将が取り上げられていることを挙げたいですね。
和賀・稗貫の両名や葛西晴信などは史料も少ないのによく取り上げられたな
あと思ったりもします。葛西晴信は今の宮城県北部を中心に活動していた武将
で、葛西氏はそれなりの大身ではありましたが、晴信自身は生没年すら不詳で
す。しかも葛西氏に関係する文書には後世に作られたと思しい偽文書が多いと
いうなかなか研究者泣かせの一面もあるようです。
秀吉の奥州仕置きにうまく対応できなかった武将というと、遠く離れた中央
の政治情勢に疎く時代の流れを読めなかった武将と思われがちですが、そんな
ことはありません。本書に示されている通り、信長や秀吉が大勢力になる前か
ら彼らも中央と多くの交渉を持っていました。稗貫氏の当主の中には自ら上洛
した人物もいたんですね。
大崎義隆も葛西晴信も豊臣政権下ではついに大名になることはできませんで
したが、実はふたりともすぐに大名として生きる道を閉ざされていたわけでは
なかったというのも注目です。大崎義隆は、豊臣家臣の木村吉清による検地へ
の反発として生じた葛西・大崎一揆のあと、所領の三分の一をあてがわれる予
定があったようです。ただそれは伊達政宗が一揆を鎮圧したことで立ち消えに
なってしまったようですが…。
葛西晴信も秀吉の奥州仕置き後、自身の所領にとどまって色々と所領内の政
務を見ていた形跡があるようで、たちどころに浪人となったわけではないよう
です。うまく転がれば奥州の小大名として江戸時代を生きていく道もあったの
かもしれません。しかし実際にはそうはならず領地は伊達政宗のものとなり、
葛西晴信はひっそりと史料から姿を消しました。
時代の転換期をうまく乗り切れないと、後世「無能」という烙印を押されが
ちですが、能力云々というより単に巡り合わせの悪さがそうさせたのかもしれ
ません。「機を見るに敏」な人物に人気が集まるのはわからないでもありませ
んが、私は「機を見るに"不敏"」な人物にもなんだかシンパシーを覚えますよ。
もう一方の南奥の武将たちも近世大名として江戸時代まで生き延びるのはな
かなか苦労していますね。養子縁組や婚姻などでさまざまに結びついたり離れ
たりして同盟と対立を繰り返した彼らですが、戦国時代末までは何とか生き延
びていました。
本書にもたびたび登場しますが当時は「中人制」という、戦争状態にある勢
力同士が第三者に仲介に入ってもらって和睦までもっていくシステムが存在し
ました。ただ南奥のそれはほかの地域と比べると少し独特なようでしたが。戦
争と和睦を繰り返して、結局戦国時代末まで群雄割拠の状態が続いたのも南奥
の戦国時代の面白いところです。
大勢力になる前に戦国時代の終焉を迎えてしまった南奥の武将たちの記録は、
いかにも戦国という成り上がり的な物語とは一線を画しています。北からは伊
達氏、南からは常陸の佐竹氏が勢力を伸ばしてくるなかで、いかに所領を守り
抜きあわよくば拡大したいという苦闘が伝わってきます。戦に大敗したことが
きっかけで「狂乱の病」に陥ってしまった岩城親隆などはとりわけ印象的です。
というわけでどこから読んでも面白い29人の東北の武将たちの伝記をぜひご
堪能下さい。
…ところで本書を読んでいくと、立項はされていないものの、いろいろなと
ころに顔を見せる人物がいることに気が付きます。叛服常ない大内定綱、独自
外交を展開していた白鳥長久、伊達稙宗の子でありながら相馬氏に味方したり
もする亘理元宗などにも要注目です。まだまだ気になる人物はたくさんいます
し、彼らの列伝も読んでみたいところです。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第13回 すべての作家は幹部である
今、上海の病院で入院生活を送っている。最初の診察を受けた2日後にMR検査
を行ない、正式に手術と入院が決定。それから約1週間後、先週の6月5日に入
院し、翌日に麻酔をかけての精密検査、そして7日に手術の運びとなった。中
国のスピーディーな医療システムに身を任せ、入院生活はあっという間に1週
間を超え、今に至っている。
当初は1週間で退院できると聞いていた。だから病院にパソコンその他は持っ
て来なかった。病院内には共有のWi-Fiもなかった。パソコンを持って来ても
仕事にはならなかっただろうと思い、ぼんやり過ごしていた。部屋も多い時は
5人、少ない時でも3人の大部屋である。おしゃべり好きの中国人が、おとなし
く入院生活を送るはずがない。ひっきりなしにしゃべりかけてくる。上海人が
多いこの病院では、公用語はほぼ上海語である。私と話す時には、みな気を遣
って「普通話」を使ってくれるが、興が乗ってくると上海語混じりの会話とな
る。おかげで上海語が少しずつ聞き取れるようになってきた。上海語は、日本
語の発音に最も近い中国の方言と言われている。「普通話」よりもしゃべりや
すいはずだと「病友」はみな言うが、当分話せるようにはなりそうにない。
入院して手術したとはいえ、まあまあ元気である。毎日20時くらいになると灯
りは消されるが、普段2時3時に寝ている人間が、そんな早くに就寝できるはず
がない。日本で入院した時は、就寝時間になったら寝なさいと、看護師さんに
優しく咎められた覚えがあるけれど、この病院ではそんなことはない。イヤフ
ォンを使わずにスマートフォンで動画を見ても、ゲームをしていても、誰も咎
めはしない(共有のWi-Fiがあったら、みんな動画やゲームや仕事に夢中にな
るから、Wi-Fiは設置しないことにしていると、後に看護師さんが教えてくれ
た)。私の悪友2人が飲み会の後、2次会の代わりに見舞いに来たと言って、夜
中の22時過ぎに病室に乱入し、酒の残り香をふりまきながら大声でしゃべり出
しても、非難されることはない。もちろん私は慌てて友人2人を病室の外に連
れ出したけれど。
その夜、私と悪友2人は共有スペースに設置された談話室で真夜中過ぎまでお
しゃべりに興じた。途中からは夜勤の看護師さんも合流して、4人であれやこ
れやをおしゃべりした。私以外はみな上海語に堪能であるため、上海人の看護
師さんが合流した後は、基本的に上海語での会話となった。真夜中の病院で、
病人と看護師、そして見舞いに来た悪友2人で大声でおしゃべりするなんて、
めったに得られない機会だったように思う。日本語に堪能な悪友2人とは、普
段日本語でやり取りしている。でもこの時は、2人とも上海語で若い看護師と
ずっと話し続け、私が会話に付いていけなくなると、「早く上海語できるよう
になれよ」と、「普通話」で攻撃してきた。入院して手術して、改めて日本と
は似て非なる中国について考えさせられることが多くなった。日本で入院する
ことを勧めてくれた日本人は多かったけれど、思い切って中国で入院して、本
当によかったと思っている。
悪友2人から質問攻めになっていた看護師が、ふと私のほうに眼をやって聞い
てきた。真夜中にイヤフォンをつけてずっとスマホを見続けているけれど、あ
れは何をしているのか、と。音楽を聞いているようには見えない、ちょっと変
だと言ってきた。「看理想」の本を聞きながら読んでいるんだと、私は答えた。
「看理想? 何それ?」私は人気のアプリケーションのひとつだと思っていた
のだが、中国は広い。人気のものも、また数知れず存在するのである。悪友2
人も名前は知ってはいても、詳しいことは知らなかった。使っているのは、ど
うやら私だけのようだった。
「看理想」は「理想国」が2018年10月から配信を始めたアプリケーションであ
る。「理想国」は中国を代表する「文化品牌」のひとつとして知られる。簡単
に言えば、文化にかかわる事業を幅広く手がけるブランドのひとつである。設
立は2010年。当初はさまざまな文化人を集めた「文化サロン」をプロデュース
し、毎年実施した。ここでの活発な議論によって注目を集めるようになった
「理想国」は、2015年から「影像出版計画」に乗り出す。香港出身の著名な文
化人である梁文道を総合プロデューサーに招き、芸術家としても作家としても
知られる陳丹青も招き入れるなどして、さまざまなメディアで「人文の教養と
生活の美学」を促進するコンテンツの配信を開始した。日本で言えばYouTube
に相当する動画配信のアプリケーション「優酷」「騰訊」「豆瓣」などを通し
て、読書番組の「一千零一夜」や芸術番組の「局部」、また有名人を招いて語
り合う番組「円卓派」などの配信を始めたのである。これらはユーザーから高
く評価され、人気の番組となった。「看理想」を知らなかった看護師も、
「円卓派」は好きで見ていると言っていた。
こうした動画配信で確固とした地位を築いた「理想国」が、2018年に満を持し
て配信を始めたアプリケーション、それが「看理想」である。総合プロデュー
サーの梁文道は、「看理想」を「知識の劇場」として位置づけている。その名
に恥じない充実したラインナップのアプリケーションで、私は配信が始まった
直後からスマートフォンとiPadにダウンロードして、中国語の勉強を兼ねて聞
き続けている。
中国に来る前は「ガラケー」で事足りて、LINEすら使っていなかった私は、中
国でスマートフォンを使いこなせるようになっても、アプリケーションその他
の情報には疎い。とてもじゃないが流行にはついていけないし、最新の情報を
追おうともしていない。そんな私が、どうしていち早く「看理想」の配信に気
づくことができたのか?
2016年に中国に来て以来、本屋に行くたびに私が注目していた出版社があった。
広西師範大学出版社である。私が大好きな文学者、白先勇の本を探していた時
に出合ったのが広西師範大学出版社の本だった。白先勇の代表作はすべて広西
師範大学出版社から出ている瀟洒なデザインの本で揃えることができる。それ
以来、私は広西師範大学出版社から出ている本を買い続けている(どういった
本が出版されているのかは、今後のメルマガで追々紹介していくことにした
い)。
2000年9月、人文科学系の良質な本を出版し続けている広西師範大学出版社と
広西師範大学雑誌社などが出資して、北京貝貝特出版顧問有限公司という子会
社が設立された。「理想国」の実質的な運営母体は、この北京貝貝特出版顧問
有限公司である。
「理想国」は、広西師範大学出版社からは一応独立したブランドとして運営さ
れている。少なくとも表向きは、広西師範大学出版社の傘下にあるブランドと
いう体裁は取っていない。「理想国」がプロデュースした本、たとえば欧米や
日本の「開放」的な思想を有した本の翻訳叢書である「理想国訳叢」を出版し
ているのは上海三聯書店出版である。とはいえ、広西師範大学出版社との結び
つきはやはり強いのだろう。一例をあげれば、日本の講談社が刊行した中国の
歴史シリーズの中国語訳『講談社・中国的歴史』を手がけたのは「理想国」で
あり、広西師範大学出版社がやはり出版元となっている。
私が買った広西師範大学出版社から出ている本には、ひとが駆けている感じに
も見える「i」の筆記体がロゴとして使われていた。中国の状況に疎い私は、
それを広西師範大学出版社のロゴだと思い込んでいた。もちろん筆記体の「i」
はImaginistという英語名を持つ「理想国」のロゴだったのである。暇な時に
インターネットで広西師範大学出版社の本をチェックするのが習慣化していた
私が、配信直後から「看理想」のヘビーユーザーになったのも、必然のなせる
わざだったのかもしれない。
「看理想」で書籍を購入すると、文字テキストと録音が入手できる。新しく配
信が始まった書籍の場合は、定期的に各回ごとの文字テキストと録音が送られ
てくる。すでに配信が終わった書籍の場合は、一括で丸々1冊を購入すること
になる。朗読しているのは、文字テキストの筆者であることが多い。大学の先
生や文化人などがほとんどなので、当然のことながら、CCTVでニュースを伝え
るアナウンサーの公認公定の模範的な話し方とも違っている。それぞれに癖の
ある発音や声調、あるいはリズムなどが混じっていて、中国語の聞き取りのお
勉強にはちょうどいい。録音のスピードも速すぎず遅すぎず、専門として中国
語を学んだことのない私のような者でも理解可能だ。もちろん専門用語が多く
なると、聞き取ることに難渋することもある。そうした時は文字テキストとに
らめっこしながら聞きさえすれば問題ない。
2023年6月13日現在、「看理想」では分野ごとにかなりの数の書籍が用意され
ている。歴史関係45冊、社会科学関係58冊、芸術関係20冊、文学関係24冊、
映画関係11冊、音楽関係12冊。それ以外にも「有声故事」という音声ナレーシ
ョン付きの物語が18冊、動画が31本、無料で読める本も42冊ある。日本関係の
ものとしては、たとえば歴史の分野で、先に紹介した『講談社・中国的歴史』
の第1季「神話時代、夏王朝」から第6期「隋唐時代」までが配信済みである。
「有声故事」の1冊には「ゼロから始めるフェミニズム」があり、その第1回の
作者は上野千鶴子であり、文字テキストには田房永子の漫画が付されている。
それ以外にも、「日本20時間」という日本人の生活を20の場面に分けて紹介す
る書籍や、日本の明治維新や軍国主義などを扱った歴史の本も少なくない。も
ちろん「是枝裕和の美学」や「昭和歌謡 第2次世界大戦後の日本における流
行音楽」、「まさに神!一度見たら心を奪われる日本のアニメーション映画」
など、日本の音楽、アニメーション、映画を扱った本もある。日本への関心の
高さをうかがわせるラインナップである。
私が購入した本のうちからいくつかを選んで値段とともに紹介しておこう。日
本でも著名な映画監督、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)がみずからの映画観を語
った「映画、私が知っているのはおよそ一、二のことだけである ある映画監
督の学習メモ」が全13回で48元(約950円)。台湾大学歴史学科卒業の著名な
作家である楊照が香港の武侠小説の大家、金庸について語った「かつての江湖
金庸を読み返す」が全68回で98元(約1950円)。最近日本でも訳書が少しず
つ刊行され始めている、私が一度はお会いして著書にサインをいただきたいと
心から願っている歴史家の葛兆光が監修した「中国から出発するグローバル史」
は、第1季から第6季までをまとめ買いして、185.76元(3670円)だった。
「中国から出発するグローバル史」は中国とのかかわりを通して、世界史を読
み解いて行こうとする試みである。中国を世界の中心に据えるのではなく、中
国人にとっては既知となっている歴史上の事象をグローバルな視点から相対化
しようとするその歴史観は、中国の「偉大」さを誇示することに腐心している
現在の趨勢とは一線を画していて注目に値する。各回の原稿は、その時代のそ
の分野を専門とする歴史学者が執筆し、それを復旦大学文史研究院副研究員で
ある段志強が朗読している。いずれ葛兆光をはじめとする中国の歴史家につい
ては、詳しく紹介したいと考えているので、ここでは各季のタイトルだけを付
しておくことにしたい。
第1季全46回 「人類の文明の共通の出発点」
第2季全26回 「戦争と移民」
第3季全42回 「商品、貿易、そして物質の交換」
第4季全33回 「宗教と信仰」
第5季全17回 「病気、気候、そして環境」
第6季全50回 「大航海時代の後」
ちなみに朗読を担当している段志強による「すべては水から生まれる 水と中
華文明の歴史の詳細」は、会員でなくても無料でダウンロードすることができ
る。「水」を切り口にした斬新な視点から中華文明の歴史を概観する内容で、
中国史に疎い私は大いに啓発された。
もう1冊、ここで紹介しておきたいのが、許子東による「20世紀における中国
の小説」である。上海出身の許子東は上海の華東師範大学を卒業後、UCLAで修
士、香港大学で博士を取得した文芸評論家である。香港嶺南大学の中国文学科
で教授も務めていた。『張愛玲の文学史的意義』(中華書局(香港)有限公司、
2011年)や『許子東による現代文学レッスン』(上海三聯書店、2018年)など、
中国の近現代文学に関する著作を多く上梓している。
中国文学の門外漢である私は、中国の近現代文学史については何も知らずにい
た。「近代」「現代」「当代」という中国語の区別すら知らずにいた。そうし
た無知な私の蒙を啓いてくれたのが、「20世紀における中国の小説」だった。
「20世紀における中国の小説」は、1900年から2006年までの期間で、それぞれ
の年に発表されたり刊行されたりした代表的な文学作品を許子東が選択し、1
年1作を原則に毎回講義していくという内容になっている。作品の具体的な内
容はもちろんのこと、社会的な背景や文学史的な意義にまで言及する講義内容
は充実の限りである。取り上げられたのは、啓蒙思想家として知られる梁啓超
によるSF『新中国未来記』から清代末期の章回小説、日本でも知られている
魯迅の「狂人日記」から郁達夫、茅盾、丁玲、沈従文、巴金、老舎、張愛玲ら
の小説、新中国成立以後の「紅色」の小説、そして80年代以後の莫言や余華ら
の小説に及び、最後は日本でも評判になったSF『三体』で締め括られる。全
128回で、お腹いっぱいの内容である。198元(約3920円)で私は購入したのだ
が、今でもお得だったと思っている。
具体的な作品を取り上げて説明する通常の講義の合間にはさまれる特別な講義
も見逃せない。たとえば読者(オーディエンス)からの質問に許子東が答える
回、あるいは作家の作品だけでなく日記や手紙を活用して、作家の1日を再現
した「魯迅の一日」や「巴金の一日」、自殺する1日前の老舎に迫ろうとした
「老舎が自殺する前日 何を経験したのか」などである。「20世紀における中
国の小説」は『20世紀の中国の小説を読み返す』というタイトルで、2021年9
月に上海三聯書店から書籍として刊行されたが、「魯迅の一日」などは
「[生態篇]作家的一天」としてもちろん収録されている。
ただし私が「20世紀における中国の小説」で最も興味を持ったのは、紙の書籍
版からは削除されてしまった回だった。第58回の「1冊本を出せば北京で7部屋
の家が買えた 現代文学が生産されるメカニズム1」と第59回の「文学批評の
基本形態3種 現代文学が生産されるメカニズム2」である。社会学的な観点か
らの分析といえばよいのか、そこで紹介された文学作品や文学者の中国社会に
おける位置づけは、日本でのそれとは全く異なるものだった。
特に忘れられない一言は、「いわゆる現代文学を生産するメカニズムには、4
つの要素がある」と述べた後に、許子東がまっさきに提示した第一の要素だっ
た。「第一は中国作家協会の体制であり」と口にした許子東は、噴き出すのを
我慢しているような感じで、
〈おおよそすべての作家はみな国家の幹部である。〉
と続けたのである。自嘲とも冷笑とも皮肉ともとらえ得る許子東の口調は、私
の耳に取り憑いて離れることがなかった。これぞオーディオブックの醍醐味か
もしれないと、私は思った。文字では表しようのない「声」の繊細な揺れは、
こうしたオーディオブックでなくては、なかなか伝えられないものなのではな
いだろうか。近代的な読書形態、すなわち黙読によって抑圧されてしまったと
いう「声の文化」の復権を、その時私ははじめて実感したように思う。テクノ
ロジーの進歩も、そうそう悪いものではなさそうだ。
そう、許子東が指摘した通り、中国で公に作品を出版しようとするのなら、作
家協会に所属しなければならない。作家協会は、もちろん共産党の組織の一部
である。だから文学者が「幹部」であることには何も不思議はない。しかし日
本語の中では、森鴎外などの例外的な存在を想起することはあっても、「文学
者」と「国家の幹部」は相容れない概念として、現在では流通しているように
思われる。それがいともたやすく結びついてしまうところに、もしかしたら中
国と日本の文学や文化の相違が横たわっているのではないか、私はそんな風に
思った。
2016年から2020年までの5ヵ年計画の綱領である「十三五」の一環として実施
されたプロジェクトに「国家重点図書出版規画項目」がある。それを利用して
刊行された「当代中国文学批評史叢書」、特に『現代中国における文芸政策発
展史』は許子東の一言を理解するために大いに役立った。「イデオロギー」な
どについての中国における理解がどれほど独特で優れたものなのかを誇示する
べく、理論的な検討に終始した第1章「概念と原理」はさておき、第2章以降は、
中華人民共和国が成立した1949年以降の文芸に課せられた政策を歴史的に紹介
し、すべての作家が「幹部」と化していくプロセスがわかりやすく記述されて
いる。最終章のタイトルは「新時代における文芸工作の使命」である。
「使命」、まさにその通り。「共産主義」という理想に向けて邁進する「社会
主義」の国なのだから、文学者とはいえ、国家に尽くすのが「使命」であるの
は当然だ。国家の方針に逆らうなんて、もってのほか。作品は出版できなくな
るし、生活することすら難しくなる。私が思い出したのは、チェコで社会主義
国の全体主義的な体制を、たぶん嫌になるほど味わったミラン・クンデラの次
のような言葉である。
〈全体主義国家とは唯一の膨大な行政機構に他ならず、そこではあらゆる仕事
が国家化されているので、あらゆる職業の人々が職員になってしまう。もはや
労働者が労働者ではなく、裁判官が裁判官ではなく、商人が商人ではなく、神
父が神父ではなくなって、みんなが国家公務員になってしまう。〉
「あらゆる職業の人々」には、もちろん文学者も含まれる。しかも中国におい
て、文学者は単に「国家公務員」であるだけでなく、「幹部」でもあるのだ。
いや、文学者だけではない。教授や副教授といった大学の教員も「幹部」であ
る。何を隠そう、私もまた「幹部」のひとりである。党員でなくても、国家の
機構の一部である大学で教員として採用されたら、「幹部」になってしまう。
「幹部」となったからには、みずからが所属する組織に正面きって抗うことは
難しい。上から下りてくる方針から外れないように注意してふるまわなければ、
昇進はもちろんのこと、弾き出されて、生きることだって困難になってしまう。
クンデラが言うように、「全体主義国家とは唯一の膨大な行政機構」にほかな
らない。絶対無二の「唯一」だから、その他の可能性は排除される。
入院生活は快適だ。お医者さんも看護師さんも、入院して手術までする外国人
は珍しいらしく、気軽に話しかけてくれる。治療も丁寧だし、説明もとてもわ
かりやすい。私は全幅の信頼を置いている。しかしお医者さんと話しながらも、
ふとこの先生もたぶん「幹部」なんだろうなと思ったら、今月はお休みさせて
もらおうかと思っていたこのメルマガの文章を、どうしても書きたくなった。
矢も盾もたまらなくなった。「幹部」として生きながらも、それとは違う自分
を確認する必要に迫られたのかもしれない。
改めて指摘するまでもなく、今の中国における日本文学研究では、戦時に
「軍国主義国家」に加担し、戦争協力をした作家の旗色は悪い。特に戦争報道
に積極的にかかわったり、日本文学報国会で中心的に活躍したりした文学者は
批判の対象となって、論文であろうと学会であろうと、どこででもクソミソに
難詰される。私も正直いって、たとえば大東亜文学者大会の開会式で万歳の音
頭を取ったと言われる島崎藤村のことは、その作品はさておき、人としては好
きになれない。私がもし日本にいたら、「軍国主義国家」に協力したそうした
文学者たちを気兼ねなく批判することもできただろう。しかし中国で、中国人
の研究者たちが厳しい言葉で批判するのを目の当たりにすると、どうしても冷
めてしまう。あなたたちも「幹部」だよ、国家に抗うことの難しさを痛感して
いる身じゃないか。誰がいったい国家の方針に逆らえるんだ? 戦争協力した
日本の文学者を批判することだって、国家の方針に則った研究にすぎないじゃ
ないか。私は心の中で、自分も「幹部」であることを肝に銘じながら、そんな
風につぶやいてみる。
ミラン・クンデラはカフカを論じた一節で、次のように述べていた。
〈すなわち、プラハではカフカの小説が生活と区別がつかなくなるのに、パリ
では同じ小説がもっぱら作者の主観的な世界の難解な表現と感じられるという
ことが、いったいどうしてありうるのか? それはこのカフカ的と呼ばれる人
間と世界のそのような潜在性がパリよりもプラハでずっと容易に具体的な運命
に変わるということなのだろうか?〉
ここで述べられているパリとプラハの関係を読み返して、私は東京と上海の関
係を類推した。ここでは「カフカ的」な状況は、東京とは比較にならないくら
いに「生活」と密着している。現実としての実感を濃厚にともなっている。そ
うした状況に私はもう少し身を置こうと覚悟して、病院のベッドに横たわって
いる。
悪友2人に来襲された翌日、近くに住むほうの悪友に病院まで来てくれと連絡
した。家の鍵をわたすからiPadとMagic Keyboardを持ってきてくれないかと頼
んだ。悪友はすぐに病院にやって来て、鍵を受け取り拙宅に行き、書くために
必要なものを持って来てくれた。お前の家の台所、ビールと紹興酒と白酒ばか
りじゃないか、飲みたいかと思って持って来たよと言って、ビールを5本ほど
取り出す。おいおい、今入院しているんだ、飲めるわけないだろうと言うと、
そうか、つまんねえな、それなら俺がもらっていくよと、5本のビールは悪友
のお駄賃となる。わざわざ取りに行かせて悪かったなという、こちらの心理的
な負担は5本のビールでほぼチャラになった。と思った矢先、友人はビニール
袋をガサガサ取り出して、バナナやサクランボ、スイカの入った器などを取り
出してくる。これは置いていくよ。
心の負担はちょっと増えた。でも、悪友の気遣いは何よりも嬉しかった。ちな
みに悪友2人も、私と同じく「幹部」である。「幹部」としての義務には、限
りなく消極的な「幹部」ではあるけれど。
【本文中で言及させて頂いた本】
許子東『張愛玲的文学史意義』(中華書局(香港)有限公司、2011年)
許子東『許子東現代文学課』(上海三聯書店、2018年)
許子東『重読20世紀中国小説』(上海三聯書店、2021年)
王傑・石然『当代中国文芸政策発展史』(中国社会科学出版社、2019年)
ミラン・クンデラ『小説の技法〔電子書籍版〕』(西永良成訳、岩波文庫、2023年)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
気になる本があり入手しました。『北海道の図書館員が薦めるブックガイド
ーわが町を知ってもらうなら!』野口武悟・青木竜馬 監修/加藤重男(北海道
図書館研究会) 中西出版刊 ISBN9784891154189 。
北海道の179市町村からのアンケートを元に、地域に根ざしたユニークな活
動を続ける各地域の図書館が、地元の歴史や産業の紹介、お薦めの本の紹
介をした資料価値の高い一冊。地域ひとつにとつに歴史があり、人の生活が
ある。その声を拾い一冊にまとめてある内容はわくわくします。 畠中理恵子
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その82『家なき娘』その3「ディナー」
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 北海道のワイナリー50 つくり手たちを訪ねて
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その82『家なき娘』その3「ディナー」
前々回に続き、エクトール・アンリ・マロ著の『家なき娘』の中の食べ物を
見て行こう。
オーレリーと名前を偽って無事祖父の経営する工場で働きだしたペリーヌだ
ったけれど、友だちになったロザリーの祖母が経営する宿泊所の六人部屋は狭
くて息苦しく、どうしても眠ることができなかった。そこで、朝方散歩をして
いてみつけた泥炭掘り(泥炭を取った跡に水がたまったところ)の池の中の島
にある小屋に行ってみる。そこは渡り鳥の狩猟期にしか使われない狩猟小屋だ
った。ペリーヌは林の中で柳の枝とシダでほうきを作って小屋を掃除し、シダ
でできたベッドに新しいシダを積み重ね、そこでぐっすりと眠るのだ。その島
に渡る道にはつるつるすべる柳の幹の橋があるだけなので、その橋を小屋の方
に引き上げれば誰も入れなくなる。普段は、池に木の枝を刺して棒高跳びの要
領で出入りすればいいとペリーヌは思う。そう、女の子一人なんだもの安全第
一だよと、読みながらその知恵に感心してしまう。さらに次の日、唯一の友だ
ちのロザリーが工場でけがをして自宅で療養することになったので、ペリーヌ
は誰にも知られずに小屋で暮らし始めるのだ。
なんと言っても、この小さな無人島での生活がこの物語の魅力の中心なのだ。
一人きりの自由な生活、そしてロビンソン・クルーソーのような工夫と発明に
満ちた生活が始まる。この島によって衣食住の住がかなったペリーヌが次に解
決したのは「衣」の問題だった。何とペリーヌは最初に靴を作り始める。その
方法はこうだ。まず池の周りに生えている葦をたたいて繊維にしてひもを編み、
そのひもを丸めて靴底を作る。次に買ってきた灰色のズックの布を裁ち、底と
縫い合わせ、青いリボンを結んで足首に結わいつける。これはエスパドリーユ
と呼ばれる靴で、工員仲間にも「すてきね、どこで買ったの?」と言われるほ
どのできなのだ。私が小学生の時、先生が疎開先で覚えたというわらじの作り
方を教室で実践してくれたことがあった。ついこの間まで、日本人である私た
ちも藁を編んで履物を作っていたんだなあと思うと、ペリーヌと同じような靴
作りができるような気がしてくる。
この全訳本で使われているエスパドリーユという言葉を、昔の訳ではズック
の靴としていたと思う。エスパドリーユは、日本でも1980年くらいからおしゃ
れな夏の靴として流行し始めたもので、素足で履けるキャンバス地の靴として、
夏の定番商品となっている。夏の始まりにエスパドリーユを見かけると、なん
だかペリーヌの島での生活が今に続いているようで嬉しくなる。
次にペリーヌが作ったのは下着。土曜日の夕方、初めてのお給料を手にする
と、ペリーヌは肌着を作ろうと洋服生地や小間物を売る店に行き、キャラコの
生地を買ってきて肌着を縫い上げるのだ。
この物語ではお金のことがとても細かく記されている。例えばこの肌着の場
面を見てみると、ペリーヌが初めてお給料としてもらったのは三枚の銀貨、三
フラン。ここから生地と糸に使ったのが十八スー。残りは四十二スーで、七日
分のパン代として二十八スーは使うけれど、残りの中から七スーは貯金しよう
とペリーヌは思った、という具合。堅実な労働者の姿だ。ところで、一フラン
は何スーでしょう?なぜか註には二フランが四十スーと説明してあり混乱して
しまうけれど、答えは一フラン=二十スー。しかもこの時代はまだスーが流通
しているが本来はサンチームが単位(一フランが百サンチーム)とあるので読
む方は大変だ。でも、この細かい計算をペリーヌと一緒にすることで、子供心
にもリアリティーが感じられていく。
ただね、ここで七スー貯金するよりチーズかバターを買った方がいいんじゃ
ないかと大人になった私は心配してしまうのだ。トロッコ押しという労働をす
る身には、パンと水だけでは足りないだろう。
ところが、その問題をペリーヌは見事に解決する。そう、実はこの島は野鳥
の楽園のような場所なのだ。巣をのぞき込むと、生みたてほやほやの卵がいく
つもある。そこで、ペリーヌはそのうちいくつかをそっともらい、島で火を焚
くと住んでいるのがばれて危険なので、林の中の空き地で火をおこして半熟卵
を作るのだ。その方法は小枝を積み上げて燃やし、その下にできた灰に卵を埋
めて蒸し焼きにするというもの。できたゆで卵を卵立て代わりのパンの穴に突
き刺して立て、塩を石で磨り潰してさらさらにしてかけながら、半熟卵にパン
を浸して食べるのだ。やっとパン以外のものを食べてくれて、ほっとするし、
そのおいしさが身に染みてくるような場面だ。
でもペリーヌはそれで満足せず、今度は卵を入れたとろりとしたスープをと
夢見るようになっていく。鍋もフライパンもスプーンもフォークもない生活で、
その問題を解決したのが、引っ越しをした家の前に捨ててあった空き缶だ。ペ
リーヌはそのうちのいくつかを拾って隠しておき、帰り道に林の中に持ち込ん
で石でたたいて何とか鍋や食器を作ることに成功する。一番難しかったのはス
プーンで三日かかったとある。いやいや私ならもっと早く作るぞと、あそこを
切ってここを叩くとか、つい作り方を考えてしまう場面だ。そして、野原に生
えた野生のスカンポでスープを作ろうと思う。スープにはニンジンやサルフィ
ー(ごぼうのような植物)、パネ(アメリカボウフウ)などが使えるし、クレ
ソン、野ヂシャ、カブラギキョウ(レポンス)等の野草はサラダになる。ペリ
ーヌはそんな食べられる野草の見分け方を、植物採集の仕事もしていた父親か
ら教わったらしい。
さて、ここでやっと、お待ちかねのスカンポのスープSoupe a l’oseilleの
出番なのだが、残念ながらその作り方も味もここには書かれていない。ただ、
ペリーヌはこのスープのためには絶対バターが必要だと言って買ってきてくれ
るのでほっとする。とにかく今は便利な世の中なので、スカンポのスープの作
り方の数々をネットで見ることができるので、それを参考にして作り方を考え
てみよう。
最初に、空き缶の鍋にバターを入れ、きざんだすかんぽの葉を入れて炒める。
ここで本当は鳥のスープや牛乳や生クリームを加えるところなのだが、何もな
いので水を加えて塩を入れ、沸騰させしばらく煮てみよう。それから、卵の黄
身を入れて、よくかき回して火からおろす。「おばあちゃんのスープ」という
レシピには、火からおろした後も激しくかき混ぜろとあるので、卵をよくかき
混ぜるのがコツらしい。たぶんそうすると、すかんぽの葉の酸味で卵にとろみ
がついたスープが出来上がるのだろうと思うのだ。
ペリーヌは、次に釣り針も買ってきて池の魚も釣り上げて食べるようになっ
ていく。これでようやく栄養失調になる心配も消えて、ほっとしてしまう。
それだけではなくペリーヌは、お客様をよんでディナーのコースまで作り上
げてしまう。ペリーヌがロザリーを島の小屋に招待してディナーをふるまう場
面を見てみよう。まず二人は林の中の空き地で出会い、沸騰させた野草のスー
プに卵の黄身を入れてかき混ぜるのをロザリーにも手伝ってもらうのだ。もう
それだけで、ロザリーはワクワクし始めている。ロザリーは自分の分のパンと
スプーンも持参してきている。スープの鍋を持って二人が小屋の中に入ると、
部屋の四隅にはガマやピンクのハナイの花や黄色いアイリスや青いトリカブト
の花束が置かれ、床には食卓がしつらえてある。その食卓とは、床の上に置か
れた新鮮なシダでできていて、その上に二枚の大きなスイバの葉がめいめい皿
として置かれ、大きなハナウドの皿には魚が盛り付けられ、小さなハナウドの
葉が塩入れにされていて、もう一枚の葉にはグーズベリーがのっている。さら
にその皿と皿の間には睡蓮の白い花がみずみずしい葉の上にさしてあるのだ。
ロザリーでなくても、「なんてきれいなんでしょう」と、うっとりしてしまう
ような情景だ。
献立は、つぎのとおり。
野草と鷭の卵のスープ。
クレソンに囲まれたパーチ(スズキ科の淡水魚)。
グーズベリーの実のデザート。
二人でも、十分おなか一杯になる量だ。ロザリーは、こう言う。
「来られてよかった」
「こんなにすてきで、こんなにおいしいんだもの」
でも同時に、このおままごとのような、キャンプ生活のような島の小屋での
生活も、もうすぐ狩猟の季節が始まるので終わらせなくてはならないことを指
摘するのだ……。
もしキャンプに行くことがあったなら、一度はこんな風に灰の中で蒸し焼き
にするゆで卵を作ったり、緑の葉をお皿代わりにしたロマンチックな食卓をし
つらえたりしてみたいと夢見ているのだが、なかなか実現できていない。
これから物語は、英語が喋れるペリーヌが工場内で頭角を現し、正体を現さ
ないまま祖父の近くで暮らし始める話となっていく。次回は、祖父の屋敷内の
食卓の様子などを眺めながら、さらに物語を追っていこうと思う。その時まで、
このおままごとのようなディナーの事をぜひ覚えていてほしい。このディナー
こそ、祖父ヴュルフランの人となりについて知る鍵ともなっていくものなのだ
から……。
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『家なき娘』完訳版上下 エクトール・マロ著 二宮フサ訳
偕成社文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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北海道のワイナリー50 つくり手たちを訪ねて
北海道で友人たちがキャンプする、というので参加することにし、ついでな
ら、と購入したのがこの本。
『北海道のワイナリー50 つくり手たちを訪ねて』
阿部 さおり (著), 阿部 眞久 (著) 北海道新聞社
昨年、ふと思い立ってマイカーで北海道に行き、広い道、大自然の中を悠々
と走れる快感を味わってしまい、今年も新潟から小樽というフェリーに乗って
やってきてしまった。
とはいっても、さすがに50をまわれないので、とりあえず、今年、受験しよ
うとしている資格の教本、『(一社)日本ソムリエ協会教本2023』に掲載され
ているところをいくつか回ろうかな、と思っていた。
ちなみに教本に掲載されている北海道のワイナリーは23か所。全部で46軒と
あるから、教本よりもこの本に掲載されている方が多い。どういうこと?w
で、とりあえず小樽ということで、北海道ワインさんへ。早朝だったので開
いてはいなかったものの、ドイツ人にワイン作りを教わっただけあって、社名
の「ワイン」の部分がドイツ語表記なことがわかったり、貯蔵タンクが並んで
いたりと、社会科見学的に楽しめた。それから街中に行き、OSA WINERYさん。
こちらも開いてはいなかったが、こんなとこに!という住宅街の中にあった。
北海道ワイン https://www.hokkaidowine.com/index.html
OSA WINERY https://osawinery.com/
そっから今度はワイン特区である余市に移動。特にショップも見るところも
ないという、Domeine Takahikoさんに行こうとしたら、これが住所の番地に行
っても看板すらない。近くに看板だけ立っていた、キャメルファームさんも、
その案内に従って行こうとすると、そこには何もない。
ただ、ブドウ畑はたくさんあって、それも、棚仕立てのものから垣根仕立て
ものまで、様々な方法で栽培されていることが見て取れた。教本には余市のワ
イナリーは13軒も記載されていて、後で「スペース・アップルよいち」という
道の駅で、余市ワインさんのワインをゲットした。リタファーム&ワイナリー
さんのワインの他、北海道ワインさんの【葡萄作りの匠】シリーズも揃ってい
た。(買わなかったけど。)
ちなみにこの「スペース・アップルよいち」さん。すぐ裏がNIKKAの工場に
なっていて、なおかつ余市宇宙記念館さんのお隣…というか、敷地内じゃね?
という場所にあった。なんでも、出身で日本人初の科学者宇宙飛行士 毛利衛
さんの業績を紹介しているらしい。それで宇宙推しなんですね。とにかく、情
報量の多い場所でした。
Domeine Takahiko http://www.takahiko.co.jp/
キャメルファーム https://camelfarm.co.jp/
余市ワイン https://nipponseishu.co.jp/yoichiwine/
リタファーム&ワイナリー http://www.rita-farm.jp/
北海道ワイン【葡萄作りの匠】
https://www.hokkaidowine.com/shop/items/8228851183162807
今回のキャンプ(といってもバンガローだったので飯だけキャンプって感じ
だったけど)の目的地がニセコだったので、次に訪れたのが、ニセコ唯一のワ
イナリーであるニセコワイナリーさん。
が、しかし。
住所のところに行こうとしても、ナビに住所が登録されていない。その番地
はピンポイントで示せない、ということ。
で、電話してみる。おばさん声の方が出て、近くまで来ていることをお伝え
すると、今、会議中で、販売は12時から13時半しかやっていない、ということ
をまず、言われる。とりあえず外見だけでも見に行きたいんです、とお伝えす
ると、詳しい場所を教えてくれる。左に曲がってすぐ、というので、行くが、
見当たらない。近くで道路の整備をしている方がいたので、この辺にワイナリ
ーがあるのを知りませんか?とお聞きすると、ああ、と言って、この道をまっ
すぐ行って曲がった先、というので、御礼を行って先に進む。…遠いわw
北海道の人の言う、曲がってすぐ、を信じてはいけない。
で、たどり着いて、道端に車を停めて外観を撮影しようとすると、先ほどの
電話の方と思われる女性が出て来て、奥に主人が居ますので大丈夫です、とい
うことで、奥に。
後で知ったのだが、この方、絵本作家をされている、ほんままゆみさんとい
う方だった。情報量多いw
作り手の本間さんにお会いし、山梨から来て、最近、ワインの勉強をしてい
る、と言うと、もう、本当に嬉しそうに、瓶内二次発酵中のワインさん達を見
せてもらう。在庫にして、100本あるかないかで、在庫が残らないほど売れて
しまうらしい。ちなみにこだわりは、自社農園で作ったオーガニックのブドウ
だけを使ったスパークリングワインで、色はロゼと白のみ。値段も割と高めに
設定しているのでちょっと躊躇したけれども、後で友人達と飲んで、確かに美
味しい、となった。(さらにちなみに、ニセコの道の駅ではかなりマージン乗
せて売られていたので、直接、行った方がお得。オンラインショップの方が良
心的なお値段ですが、現地なら、それよりも安く買えます。)
ニセコワイナリー http://yoteigreenbusiness.com/
その後、仕事を済ませ、今度はニセコの西、蘭越町の松原農園さんに。で、
こちらも住所がピンポイントで表示できない上に、途中、Wifiはおろか携帯の
電波も無くなるという状態に。なんとか電話ができる道まで戻り、電話して道
を教えてもらう。
教えられた道を迷いながら行くと、道にまっくろに日焼けしたオッサンが立
っているw 炎天下の中w
松原農園ワイン http://matsubarawine.com/Matsubarawine/Home.html
こちらも山梨から来た、というと話が盛り上がるw こちらはナイアガラと
ミューラートゥルガウの白とスパークリングを作られているそうで、在庫から、
スパークリングはひとり1本という制限をされているそう。価格はかなり抑え
めで嬉しい。家族経営でこの道30年ということで、手書きの会員(?)向けの
レターをいただく。新酒が出たらDMもいただけるそうで、娘さんからは今時
紙なんて、と言われているらしい。っていう娘さんもお孫さんも見える家の軒
先で、ワインをいただいて帰って参りました。
その後、最後に、函館に移動し、はこだてわいんさんへ。こちらは大手なん
でしょうね。ただ、ブドウ品種にこだわった商品展開もあって、北海道産の原
料にこだわった「北海道100シリーズ」が魅力的でした。ピノ・ブランとバッ
カスを購入させていただきました。函館にはもう2つワイナリーがあるようで
したが、どちらも住所非公開らしく、とりあえず行くのは諦めました。HPだ
け載せておきます。
はこだてわいん https://www.hakodatewine.co.jp/
おとべワイナリー https://www.sapporo-shusei.jp/otobewinery/
ドメーヌ・ド・モンティーユ https://www.demontille-hokkaido.com/
ということで、ガイドブック替わりに持ち歩いたこの本ですが、結局、電話
しないとたどりつけない、ということが衝撃的でした。
でも、電話したら、みんないい人w まあ、自分たちがこだわってこだわっ
て苦労して作っているものを評価して、遠路はるばる買いに来てくれてくれて
いるんだから、嬉しいのは当たり前かもしれませんが。
今回、訪問したワイナリーさんのうち、大手もまあ、ショップがきちんと整
備されていていいんですが、こういうドメーヌ型の、ブドウも作りながら醸造
もやって、みたいなワイナリーさんの方が、いろいろコミュニケーションでき
て楽しいな、と感じました。
フランスなどでは話は聴きますが、日本ではまだまだあまり聞いたことがな
いこういうワイナリーを巡る旅。今後の可能性があるな、と思いました。
でも、カーナビだけでたどり着けないのは困るw
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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今回の原稿、北海道からの帰りに滞在した青森のネットカフェで深夜に書き
ました。意外に集中できてよいですね。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→誰でも同性愛者になる可能性
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→AI絵師に注文
★「はてな?現代美術編」 koko
→版画でも億円
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→共産党への恐怖
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■トピックス
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募集中です
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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LGBTをめぐる断章
自民党がLGBTへの差別解消に抵抗しています。差別解消の遅れが国際的な非難
を浴びている中、G7サミットに間に合わせるための「理解増進法案」を骨抜き
にしてしまいました。自主憲法を制定し、対米従属からの脱却を党是として掲
げる自民党ですが、現実には対米従属の度を深めるばかりです。屈辱感を補償
するために、戦前の家族主義的国家観に彼彼女らはしがみついている。宗教右
派への忖度ばかりとは思えません。天皇を父とし、国民はその赤子であるとす
る家族主義的国家観の中で、LGBTが占める位置などないのですから。
ロバート・スキデルスキーの『ジョン・メーナード・ケインズ』(村井章子訳
日本経済新聞社)を読んでいます。ケインズが両性愛者だということは知って
いましたが、夥しい数の男性の恋人と、プラトニックではない関係を持ってい
たことを知り驚きました。またケインズが身を置いたブルームズベリーグルー
プでは、著名な芸術家と思想家たちが、両性愛の饗宴を繰り広げています。当
時、同性愛は犯罪視されていたはず。ケンブリッジ大学やケインズが戦時に勤
務した大蔵省が、これらの事実を問題にすらしなかったことが不思議です。
ケインズが活躍していた当時、「ケンブリッジにはゲイとソ連のスパイしかい
ない」と言われたほど、この大学では同性愛が猖獗を極めていました。イギリ
スのエリートたちは、パブリックスクールやその予備校の時代から、女性と隔
離された男だけの寮生活を送ります。それがミソジニーと男性同性愛を生み出
す土壌となったのではないでしょうか。ケインズはまぎれもなく、LGBTのBです。
これほど生産的であった思想家は歴史上類をみません。この意味でも、「LGBT
は生産性がない」と言った杉田水脈は大きな間違いを犯しています。
LGBTの人たちの権利は保障されるべきでしょう。しかし。普通の人とLGBTを分
ける発想にも違和感があります。LGBT的な要素は、異性愛者の中にも、多かれ
少なかれあるのではないでしょうか。その意味で綿矢りさの作品は興味深い。
映画にもなった『ひらいて』では、自分に振り向いてくれない男子生徒の彼女
と繰り返し肉体的な関係を結び、復讐を遂げる女子高生が描かれています。
『生のみ生のままで』は、二組の男女のカップルガが偶然に出会い、奇妙な成
り行きから女性同士の間に恋愛感情が生れ、共同生活を始める物語です。
綿矢の作品は、誰もが同性愛者になりうることを示唆しています。江戸に住む
男性の過半が両性愛者でした。男が女の役を演じる歌舞伎は、大衆娯楽におけ
るトランスジェンダー的表現。近代以前に遡れば、多様なセクシュアリティに
対する寛容さこそが、日本の「伝統」です。「腐女子」たちは男性同性愛を描
いたマンガや小説に熱狂しています。男が妊娠する世界を描いた村田紗耶香の
作品は、世界的に高く評価されています。フィクションの世界においては世界
の先頭を走り、与党の政治家たちはその最後尾に居直る。日本社会の現状です。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「AI絵師」の話
もう年寄りには「絵師」の単語だけでもハードル高めなのに、これにAIが加わ
ると「え?何?描くの?描かないの?何する人?」と大混乱になってしまう。
聞くとAIに的確な指示をしてイメージしている絵を「描かせる」そう。
うーん、やっぱ描かないんかい。
ちょっと前に問題になったコンテストで賞を取ったAIの写真の話、あの場合は
元が写真データなので出来てくるものも写真がベースで再構築されているだろ
うから形そのものがそれほど狂う事はないと思う。
だが聞く所によるといわゆる「絵師」と呼ばれる人たちの作品がベースの場合、
AIが再構築したものはディフォルメされたものがデータになっている訳だから
劣化している部分がかなりあるらしい。特に関節部分や指などはかなりやばい
そう。
実は私はこの「絵師」と呼ばれる方たちの作品や存在をほとんど知らない。
講師の仕事をしているのに不勉強ではあるがぼんやりと投稿サイトやSNSで作品
を発表してファンがついたり拡散されて、有料でイラストを描いたりしている
人もいるらしい、ぐらいの認識しかない。(もちろんそこからプロのイラスト
レーターになる人もたくさん存在するのだが漫画と同じでそれも一握りだろう
と推測される)
学生たちから「この方が好きです!」と言われチェックするもあまり違いがわ
かってなかったり…不勉強を通り越して「先生してて大丈夫か」とも思う。
だが、その絵師さんも一人一人たくさん絵を描き続け、一人一人が自分の好み
であえておかしなデッサンを取っているのなら、それは個性と言えるだろう。
だが何万何十万ものデフォルメされた絵から再構築されたものに歪みがあった
らそれは「個性」ではなく単なる「デッサン狂い」なのじゃないかなぁ。
この話、唯一知っている「ネットでイラストを生業としている」知人がSNSで
「AI絵師が絵師を名乗るのはいかがなものか」と発言し、それに相手のAI絵師
が「正解を導くためにいかに労力を払っているか」と反論してきた話に由来し
ている。
確かに労力は払っているだろう。でも「絵を描く労力」ではない。
我々も好きな作家の作品を見て目の描き方や髪の艶、肌の塗り方など色々真似
て自分のイメージするものに近づける様頑張ってきた。
せめて「狂ったデッサンを直す」ぐらいの労力を払ってから言えばどうかと思
う。
そんな話をしていたら友人のイラストレーターから「今、中国ではAIイラスト
のデッサンを直す仕事があるらしい」との情報。何かと先を行っている。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第136回
『 2023年春のオークション情報 ――― 堅調だけどサプライズの少ない展開
』
去年の5月9日のクリスティーズで最高額で落札されたウォーホールの『Shot s
age blue Marilyn』のような目玉がない分、落ち着いたオークション結果になっ
たこの春のNYオークション。
さらに昨年秋のPaul Allenコレクションの派手な落札価格の後遺症?なのか、
相対的に地味な印象が拭えないこの春です。概ねエスティメーションの範囲内
で売買が収まっています。
日本人としてはクリムトの絵に73億円払う日本人がいるという事実には目を引
かれますが、出来の良いクリムトの絵が出てくることが珍しく、それを日本人
が手に入れた事実だけふれておきます。
落札価格の参考として白樺林を描いたPaul Allenコレクションのクリムト作品
《Birch Forest》は去年約153億円で落札。
これは特別なケースでした。
日本関係ではイサム・ノグチの『The Family』も評価額の倍近くで落札されて
います。
□美術手帖 落札価格は約73億円。日本人の個人コレクターがクリムトの風景
画を落札
https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/27199
□美術手帖 アンディ・ウォーホル《マリリン》が約253億円で落札。20世紀の
作品では史上最高額
https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/25566
今回の最も華やかなセールは、Henri Rousseau (アンリ・ルソー 1844-1910
) の『Les Flamants(フラミンゴ)』です。
評価額:2000万ドル〜3000万ドル、落札価格:4353万ドル
□Christie’s 『Les Flamants 』落札結果
https://www.christies.com/lot/lot-6425182?ldp_breadcrumb=back&intObjec
tID=6425182&from=salessummary&lid=1
今までのルソー作品の落札価格と桁が違います。
理由は彼のジャングルを描いた作品数が少ないことや、これまで晩年の完成度
の高い絵はさらに少ないからでしょう。この絵は1910年、彼の最晩年の作品で
す。
写真で見る限り、これは本当に素晴らしい作品です。
ルソー以外で評価額を優に超えるセールのうち、2つはPaul Allenコレクション
由来の作品です。
Georgia O’KEEFFE(ジョージア・オキーフ)の『Black Iris VI (1936)』
と、David Hockney(デイヴィッド・ホックニー)の 『Early Blossom, Wold
gate (2009)』。
作品の履歴としてPaul Allenコレクションがどれほど質が高いのかが落札価格
を通して見えてきます。
□クリスティーズ 20th Century Evening Sale 2023/5/11 NYオークション
https://www.christies.com/en/auction/20th-century-evening-sale-30061/
https://www.christies.com/en/auction/masterpieces-from-the-s-i-newhous
e-collection-30209/
アーティスト本人に対する変わらぬ高評価の上に、オークションに出てくる作
品数も少ないために評価額よりも高く落札されていると考えられるのが、
Francis Bacon(フランシス・ベーコン) 『Self-Portrait』 と Edgar Deg
as(エドガー・ドガ) の『Danseurse a la barre』。
この2名は安心の鉄板アーティストです。
オークションハウスは次のネタ探しに日夜明け暮れています。。
クリスティーズの4月19日のプリント作品のオークションでは、驚くパフォーマ
ンスで作品が落札されていました!。
油絵とかに比べると一見地味に見えますが、プリント作品でこの価格ですか!
吃驚します。
内容は油絵よりも面白い!
彼らは裏でも仕事してますね。
□Chritie’s 2023/4/18-19
The Sale of the Century: An Important Corporate Collection of Prints a
nd Multiples
ANDY WARHOL (1928-1987) Flowers(1970 スクリーンプリント 184/250)
https://www.christies.com/lot/lot-6421186?ldp_breadcrumb=back&intObjec
tID=6421186&from=salessummary&lid=1
評価額内なのですが、版画といえども億超えなのでした。。。
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 35
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米施政権下の沖縄選挙史?:奄美復帰後の1954年総選挙
1953年12 月25日、奄美群島が日本に返還されると、奄美出身者は“非琉球人”
として公務員の身分を失ったほか、立法院議員31議席中、奄美選出の8議席が欠
員となった。このため、翌26日、琉球列島米国民政府(USCAR)は立法院を解散
し、第2回立法院総選挙が行われることになった。
選挙の告示に先立つ1954年2月1日、民政副長官デイヴィッド・オグデンは立法
院議員改正選挙法(布令第57号改正第5号)を発し、従来の中選挙区(8選挙
区31人)から小選挙区(29 選挙区29人)へと選挙制度を変更した。
その理由として、オグデンは小選挙区の方が民意を反映できると説明していた
が、実際には、親米保守派で復帰反対(時期尚早)論の琉球民主党(以下、民
主党)が勢いを失いつつある中で、本土復帰派の沖縄社会大衆党(以下、社大
党)および反米左派の沖縄人民党(以下、人民党)の伸長を防ぐには、地域社
会のボスが多い民主党(以下、民主党)候補者にとって有利な小選挙区が好ま
しいとの判断があった。
民主党は1951年の第1回総選挙では31議席中19議席を獲得したものの、その後の
特別選挙(補選)では連敗を喫していただけでなく、奄美の復帰によって失わ
れた8議席中7議席が民主党であったから、政局の安定を望んでいたUSCARとして
は民主党に過半数を獲得させ、政局を安定化させることが急務だったのである。
そのためには、選挙区の区割りに関しても露骨なゲリマンダリングが行われ、
たとえば、第18区に関しては社大党委員長の安里積千代と人民党委員長の瀬長
亀次郎を同一選挙区にするように区割りが設定され、両者を共倒れさせ、保守
系無所属の真栄田世勲を当選させることが企てられた。
こうして、1954年3月14日、第2回立法院議員選挙が行われた。29選挙区のうち、
第 9、10、11、14の4選挙区が無投票で、残り25選挙区に59人が立候補し、民
主党と社大党がともに12議席、人民党が2議席、無所属が3議席という結果になっ
た。民主党と社大党の議席は同数だったが、改選前に18議席だった民主党にとっ
ては6議席減の敗北である。一方、社大党は人民党との選挙協力が功を奏した形
で、人民党も獲得議席は2議席ながら、焦点となった第18区ではUSCARの意図に
反して委員長の瀬長の当選を勝ち取っている。
今回の選挙に際して発行された選挙葉書は、1953年12月2日の郵便料金改定(葉
書料金は1円から2円に値上げされた)に合わせて発行された“波上宮”の印面
の2円葉書の刷色を通常の緑色から赤色に変更し、”立法院議員選挙“の文字を
加えたものが使用された。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20230525162044aa2.jpg
波上宮は那覇港を望む高台の上に位置する神社で、主祭神はイザナミノミコ
ト。米軍の沖縄上陸直前に宮司がご神体を奉じて摩文仁村へ避難したが、境内
は沖縄戦で鳥居を残し全壊。戦後の1948年に宮司が復興に着手し、1953年には
ハワイ移民の寄進により本殿と社務所を再建されており、葉書の印面には再建
後間もない本殿の遠景が描かれている。
なお、この時の選挙葉書は7万100枚準備されたが、選挙郵便に使用されなかっ
た残部については、和文ないしは英文で宛名を印刷したうえで、1955年11月に
実施された第1回琉球郵便物取扱競技会の競技用に活用された。今回ご紹介の画
像は、その一例である。
さて、1954年の総選挙では、過半数を制した政党がなかったため、議長・副
議長をめぐっては激しい争いが展開されたが、最終的に社大党の平良幸市が議
長に、宮城正行が副議長に選出された。
選挙後、米当局は社大党と人民党の共闘が続くことを懸念し、社大党に様々な
圧力をかけた。このため、4月18日、社大党は臨時党大会を開き、容共的として
USCARの弾圧を受けないように、共産主義への反対を明示した新綱領を採択する。
それでも、USCARは議長選挙の結果に対して「共産主義者たちは社大党と連合す
ることによる立法院議長並に副議長に共産党の同調者を選出することに成功し
た」として、立法院を“共産主義の温床”と非難した。
さらに、USCARは5月1日のメーデーへの参加者は共産主義の同調者であると各所
に圧力をかけたため、主要企業は従業員に対してメーデーに参加しないよう通
達を出したほか、教職員会と社大党もメーデーへの不参加を表明した。
さらに、5月19日、民政副長官のオグデンは「私が去る選挙で失望したことは
知性のある沖縄人が共産党と連合し、共産主義の影響下にあるということで、
最早、信用できない」という所信を表明。人民党と社大党が日本復帰で提携し
ていることについて「この連合体は共産党の線に同調する以外に何もしなかっ
た。私は彼らの行動はすべて共産党のラインだと指摘したい」、「沖縄におけ
る共産主義の先頭は瀬長(亀次郎、人民党)、大湾(喜三郎、人民党)、兼次
(佐一、社大党)である」と警告。そのうえで、人民党が主席公選を望んでい
ることから「琉球住民の政治的 責任がもっとはっきりするまで主席公選は行わ
ないだろう」と述べた。
一方、選挙で過半数を獲得できなかった民主党はUSCAR に反発。民主党議員の
新里銀三は、民主党がUSCARの言いつけ通りに日本復帰を綱領から外したために
有名者の支持を失い、選挙に敗れたのだと主張した。
しかし、民政官のブライムリーは、6月11日に記者会見を行い、「自由諸国民が
先ず認識しなければならいことは共産主義の脅威である」、「公衆の敵として
確認したら住民としてなすべきことは民主政府の打倒を意図する破壊的人物の
リストを公表し、あらゆる公職から追放することである。これは立法院で決議
することが望ましい」と発言し、あくまでも人民党の排除を主張し、従来から
の方針を維持する姿勢を改めて強調している。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「現代日中関係史 第2部 1972−2022」日本郵趣出版、電子書籍で「切
手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などが
ある。
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■編集後記
編集作業をしてると、長野県中野市の立てこもり事件のニョースが流れてくる。
猟銃を使った犯罪が起きると、猟銃規制がきつくなる。
2007年の佐世保事件の発生の時にも、すでに相当きつくなって、ただでさえき
つかった規制がさらにきつくなって「もう猟銃は持てない」と手放す人が出て
いたくらいだ。
今回の事件で規制はさらにきつくなるだろう。そして田舎の中山間地は、ハン
ター不足で獣害対処が難しくなるだろう。猟銃犯罪は、農業の敵でもあるのだ。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第167回 生きていた証をさがして
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 『土偶を読むを読む』を読む
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第12回 紅い遺伝子の作られ方
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第167回 生きていた証をさがして
高齢者の仲間入りをして久しい。友人と会えばいつのまにか病気自慢になっ
ているし、同級生たちの訃報がつぎつぎと届くようになってきた。先日、80歳
を超えた叔母からは、孤独死した友人のようになりたくないからと、ときおり
生きているかどうか確かめに電話をするようにと強くいわれた。
そんなときに書店で手にとったのは『ある行旅死亡人の物語』(武田淳志
伊藤亜衣 著 毎日新聞出版)だった。タイトルの「行旅死亡人」という聞き
なれない言葉、そしてやわらかだが虚無的な装丁のイラストに惹かれた。どこ
かで見たようなイラストだな、と思ったら装画は台湾の漫画家・高研だった。
カバーのそでを見たら、「行旅死亡人」の説明があった。「病気や行き倒れ、
自殺などで亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者
を表す法律用語」ということだった。
『ある行旅死亡人の物語』はもともと共同通信の記事を掲載している
47NEWSで話題になったネット記事を書籍化したものだそうだ。
話の発端は、喫茶店で共同通信社大阪社会部の武田淳志記者が記事のネタ探
しをするところから始まる。喫茶店においてある新聞をすみからすみまで読ん
だり、インターネットでニュースを検索するが、ピンとくるニュースがない。
灰皿に吸い殻が山のように積もっていく。
「灰皿に吸い殻の山」! え、いつの時代の話なんだろう? と思った。読み
返してみると、たしかに2021年の6月と書いてあるし、武田記者は1990年生ま
れとあるから、この文章を書いているとき、30歳を過ぎたばかりだ。いまどき
喫茶店で煙草を吸いながら記事を書く記者がいるなんて。なんか昭和の匂いが
してくるなあ。好感度がアップした。
この本の著者である武田淳志、そして少し後に取材に加わる伊藤亜衣、ふた
りとも30歳ちょっと過ぎた年齢という若い記者なのだが、その取材方法はまさ
に「足で稼ぐ」昔ながらの手法だった。時間と手間を厭わず、身銭を切って取
材に飛び回る。インターネットで情報を集める時代でも、取材のやり方は昔と
変わらず、関係者をさがしだし、そして訪ねて直接話を聞いている。人とのつ
ながりを大切にして、真摯に取材をするふたりのすがたを読んでいて、まだ日
本も捨てたものじゃないなあ、とうれしかった。
さて本にもどろう。武田記者は「行旅死亡人データベース」というサイトで
見つけたひとりの女性に興味をおぼえる。兵庫県尼崎市のとあるアパートで孤
独死したその女性は現金で3400万円を残していた。
武田記者は、同僚の伊藤記者にも協力を求めて取材を進める。ただ仕事とし
て成立していないのでまだ記事となる保証はない。だから仕事の合間をぬって
時間のやりくりをしなくてはならないし、取材に行くのも自腹だった。
亡くなった女性は、推定年齢75歳、身長は133センチ。右手の指が全て欠
損していた。年金手帳に記された名前は田中千津子だったが、本名であるかは
わからない。
アパートは男性の名前で契約をしているが、40年近くも住んでいたという
のに、その男性を見たことがある者はいないという。いったいその男はだれだ
ったのだろう? 夫だったのか? 大家は、女性の右手の指がないことにも気
づいていなかった。家賃を手渡すときも右手を隠していたらしい。
部屋に残っていたのは、関係のわからない人物が映った写真、数字のメモが
入った星のマークのロケットペンダントなども謎めいている。つつましい暮ら
しを続けていたようなのに、なぜ大金を所持していたのか。右手の指の欠損は
工場で働いていたときの事故によるものとわかったが、どういうわけか労災の
請求も辞めてしまっていた。3400万円も持っていたのに、どうして小さな風呂
もない部屋に住んでいたのだろうか?
深まる謎、次々に生まれる疑問。もしかしたらスパイ活動や、何かの事件に
絡んでいるのではないか。
まるでミステリー小説のようになってきたが、これはノンフィクションなの
だ。まさに「事実は小説より奇なり」。取材によって、少しずつ解けていく謎
に読者は引き込まれていく。
武田、伊藤の両記者は、田中千津子の身元を調べ始める。たんたんと地味な
取材を続けていく。
所持品の中にあった珍しい姓の印鑑に目をつけた。「沖宗」という広島に多
い姓らしい。ふたりは広島に向かった。これがキーとなって、少しずつ手がか
りを見つけていく。
テレビドラマではないから、すべてのなぞが解けるわけではない。というか、
わからないことのほうが多いかもしれない。
なぞが解けて大団円というわけではないが、尼崎の古いアパートで孤独死と
いう形で見つかった見知らぬ女性だったのが、地道な取材によって、おぼろげ
ながらひとりの女性として、人間としての人生が浮かび上がってきた。もう
「行旅死亡人」ではなくなったといえるだろう。
「一人の死者の人生を丁寧に追うというのは大切なこと」という社会部デスク
の言葉が印象的だった。
どれだけ取材を尽くしても生前の姿を再現することは出来ない。証言者によ
って見えてくる顔はちがってくる。夏の逃げ水を追いかけるようなもので、姿
は浮かんでも決して到達出来ない。取材記者の思いが伝わってくる。
ニュースで伝えられる死者はときに数字で表されるだけだったりする。名前
が出ても、その人生を知ることはない。まして行旅死亡人の場合は、名前さえ
わからない。
武田、伊藤の両記者が追ったのは事件ではなくて、ひとりの「行旅死亡人」
の人生だった。「行旅死亡人」に本当の名前をふたたび取り返す仕事だったと
いえるかもしれない。
あとがきを読むと、高齢者の孤独死や無縁死は年間3万人に上ると推定され
るという。そして今後はさらに増加することはあっても減少することはないだ
ろう、とも。
また行旅死亡人は年間600から700人もいるという。田中千津子さんもその中
のひとりだった。武田記者、伊藤記者のふたりがいなかったら、その人生はだ
れにも知られずに終わっただろう。
ベビーベッドの上におかれた犬のぬいぐるみが田中千津子さんの孤独を物語っ
ているようで胸がつまる思いがした。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
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タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
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よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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『土偶を読む』(竹倉史人,晶文社,2021)という本が話題になっているとい
うのは目にしておりましたが、実際に読んだことはありませんでした。サン
トリー学芸賞も受賞していたんですね。知りませんでした。というわけで今月
はこちら。
『土偶を読むを読む』、縄文ZINE編、文学通信、2023
こちらは『土偶を読む』を解説した書籍になります。といっても批判的に解
説したものですが。
編者となっている縄文ZINEは望月昭秀氏を中心に発行されている縄文文化を
楽しむ(?)フリーペーパーです。私も2021年に望月氏の著書『縄文人に相談だ』
(角川文庫,2020)をメルマガで紹介しましたね、そういえば。望月氏は学者で
はありませんが縄文時代に造詣が深く、それをネタにいろいろ楽しいことが書
かれている本でした。何より最新の研究成果を取り入れたうえでそれを行うと
ころがすごいですね。
さて今回の『土偶を読むを読む』では望月氏を中心に多くの専門家が『土偶
を読む』の内容を批判的に検証していきます。
冒頭に置かれているのは望月氏による本書のメインともいえる「検証 土偶
を読む」です。
その前に『土偶を読む』では土偶とはどういうものと言われているのかをザ
ックリ言いますと、「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」(『土偶を読
む』,p318)ということになるでしょうか。教科書等では女性をかたどっている
などとされることが多い土偶を、食用植物や貝類に見立てて土偶の謎を解いた
としたところが本書が話題になった理由のひとつでもあるでしょう。
その「土偶は食用植物と貝類をかたどっている」という根拠として挙げられ
ているのが、土偶の顔と食用植物の実や貝類の形が似ているということです。
例えば中空土偶はクリの実、遮光器土偶はサトイモといった具合です。果たし
てその妥当性やいかにというところですが…。
「検証 土偶を読む」では『土偶を読む』で取り上げられた土偶について種
類ごとに丁寧に検証していきます。ただし検証といっても、中空土偶がクリに
見えるかということだけを検証しているわけではありませんよ。
似ているかどうかという『土偶を読む』の主張の根幹部の当否はもちろんで
すが、そのほかの検証ポイントとして編年・類例といったものも考慮します。
土偶も一体だけぽつんと存在するのではなく、時代的空間的なつながりの中に
存在しますので、そうした(『土偶を読む』では取り上げられなかった)他の
土偶とも比較せねばなりません。
またモチーフとされる植物や貝類と土偶の出土状況の地理的・歴史的な関係
も検証されます。土偶の作られた時期・場所に当該の植物・貝類はその土地に
分布していたのか使われていたのか、これも土偶を植物や貝類に見立てるなら
検証されなければいけないでしょう。
検証のトップバッターとして『土偶を読む』の表紙にも登場する、「カック
ウ」という愛称を持つ中空土偶が登場します。が、いきなり衝撃の事実が(?)。
実はクリに似ているとされるこの土偶、頭の部分に二か所の欠損部分があり穴
が開いています。この欠損部分ですが、ほかの土地で出土した中空土偶の例を
鑑みるに、ラッパ状のパーツがその二か所に存在していたと推測されているの
です。ということは完全な状態であったとしたら全くクリに似ていないという
ことになります。
そして縄文時代のクリの植生についてですが、こちらは中空土偶の出土地と
もバッチリ…。というかクリは縄文時代ほぼすべて、北海道南部から九州まで
利用されていました。となるとなぜこの中空土偶の時期・場所のみクリがモチ
ーフとされるのかといった問題が出てきます。
ということで中空土偶は、あまりクリには似ていない、類例についても考慮
された形跡がない、植生ともあまり関連性が見られないと散々な検証結果が示
されてしまいます。
そしてほかの土偶についてもおしなべて否定的な結論が導かれています。
また『土偶を読む』でも中空土器の頭の欠損部については触れられています
が、本文で小さく触れるにとどめられています。こうしたことから本書では、
『土偶を読む』について「恣意的な資料や部位の選択が目白押し」(p,22)と評
されています。
などなど『土偶を読む』の問題点がいろいろと明らかにされていきます。
しかし本書の読みどころはそれだけではありません。土偶の研究史や現代の
縄文時代研究の最前線など、土偶だけでなく縄文時代全体についてより幅広い
知識を得られるように工夫がなされています。
とりわけ力がおかれているのが専門家と非専門家のかかわり方についてです。
『土偶を読む』の著者竹倉氏は考古学の専門家ではありません。それでこの
『土偶を読む』の内容を考古学者に事前に見せて意見を聞こうと思ったそうな
のですが、まともに相手にされなかったというのです。『土偶を読む』には縄
文時代研究の専門家への不信感が滲んでいます。そしてまたサントリー学芸賞
の選評でもそのことに言及されています。
正直なところ親しくもない相手から「この研究を読んで意見を聞かせて下さ
い。」といわれて二つ返事で引き受けてくれる学者なんてあまりいないと思う
のですが…。このあたりの専門家と非専門家のかかわり方について本書に収め
られている菅豊氏の「知の『鑑定人』」という論考が非常に詳しくて興味深い
ですね。
あまり突飛な学説に対していちいち応答していられないというのも専門家か
らしてみればもっともかもしれませんが、それはいずれ専門家の判断は無視し
ていいということにつながっていってしまうかもしれません。
論証がおかしいものには面倒でも早めにそれおかしいですよと、誤解が広ま
る前にきっちり批判しておかないといけないですね。本来なら箸にも棒にもか
からないようなモノが続々と出版されている日本近代史を勉強していた身から
すると、特にそう思います。
もっとも『土偶を読むを読む』を読むと『土偶を読む』も読みたくなってし
まうのが玉に瑕でしょうか?
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第12回 紅い遺伝子の作られ方
朝の上海を自転車で駆け抜けて研究室のある建物に着くと、まずコーヒーメー
カーが置かれている喫茶室に向かう。丸テーブルや椅子も置かれていて、ちょ
っとした憩いの場にもなっている。コーヒーメーカーのすぐ脇には小さな本棚
が置かれていて、雑多な本が並んでいる。読み終わった本や不要になった本を、
たぶん先生たちが置いていったのだろう。村上春樹や東野圭吾の中国語訳が置
かれている時もあった。豆が挽かれる音を聞きながら、パラパラめくるのが今
の大学に勤務するようになってからの私の日課だ。
ここ最近のお気に入りは、分厚いけれど、ひとつひとつの章段が短くて、しか
も読みやすい言葉で書かれている本だ。その名も『習近平談治国理政』第3巻。
習近平、国家と政治の統治を語る、とでも訳せばよいのだろうか。『習近平
国政運営を語る』というタイトルで第1巻と第2巻は日本語訳も出ているようだ
が、未見である。
「小康社会の建設に全面的な勝利を収め、新時代の中国の特色ある社会主義の
偉大な勝利を奪取する」という、冒頭に置かれた物々しいタイトルの論考は約
60頁もあるが、それ以外はおおよそ短い談話ばかりで、コーヒーを淹れる時間
の読書にちょうどいい。ちなみに「小康社会」はみんながそれなりに裕福にな
って、それなりに健康で幸せに生きられる社会といった意味である。現体制に
なってから掲げられた標語であり、ブルジョワ社会やプチ・ブル社会とは違う
ぞということをアピールするために採用された言葉だと私は思っている。
中国大陸の書店に行ったことのあるひとなら誰でも気づくことだが、大陸の書
店にはほぼ必ず「紅いコーナー」が設けられている。それも大体において、書
店の中でも目立つところに設置されている。日本の書店でいえば、おすすめの
本や流行の本を面置きにしたり平置きにしたりするコーナーである。もちろん
そこには中国共産党お墨付きの本が並べられている。「紅いコーナー」と言っ
たが、表紙や裏表紙や背表紙が紅い本もあれば、白を基調とした本も置いてあ
る。『習近平談治国理政』は表紙も裏表紙も背表紙も白で、表紙にはご本人の
ご尊顔の肖像画がカラーで印刷されていて、題字その他はすべて紅で書かれて
いる。
中国に来て以来、書店に入るたびに、「紅いコーナー」で立ち止まることが習
慣となった。日本では見られない本ばかりであるというのが理由のひとつであ
るが、もうひとつの理由は、立ち読みをしていたり買おうとしたりしているひ
とがいないかどうか、確認せずにはいられなくなったからだ。
「紅いコーナー」は書店の中で「空虚な中心」と化していることがほとんどで、
足を止めるひとを見るのは稀である。お年を召した方が立ち止まって、党の歴
史の本を手に取っている光景をごくたまに見かけるくらいで、日本の推理小説
の翻訳コーナーで熱心に立ち読みに耽る若者を見かけることはしばしばであっ
ても、そうした若者が「紅い本」を手に取っている状況に出くわしたことはな
い。喫茶室で私がパラパラとめくっている本にしても、一度も読まれた形跡は
ない。表紙に折り目を付けたのは、たぶん私が最初である。
コーヒーを淹れる時間でさっと読めてしまうのは、インターネットやCCTVのニ
ュースを通して既知となっている内容が多いからであるが、中には意外な談話
も含まれていて、ちょっと驚かされる。一番傑作だったのは、2017年11月に発
表された「“トイレ革命”の推進をたゆまず堅持する」と題された短い講話で
ある。旅行業界の発展にとって“トイレ革命”が必要であることを説くと同時
に、観光地のトイレを改善するだけでなく、都市も農村も“トイレ革命”を断
行しなければならず、とりわけ「田舎の振興戦略」の具体的な課題として推進
していく必要性を簡潔に、かつ勇ましく述べている。革命の「思想」はトイレ
にも及ぶ。「思想」の配慮は身体の隅々にまで行き届いており、便器に座って
も「思想」と無縁ではいられないのである。
書店で足を止めるひとがいなくても、白い本を開くひとがいなくても、こうし
た「思想」は周知されている。いや、周知されているからこそ、あえて本を買
ったり読んだりする必要がなくなっているだろう。マルクス主義の授業を通し
て、あるいは教科書を通して、「紅い思想」は精神から身体へ、そして遺伝子
へと浸透していく。
ここ最近「紅い遺伝子」の継承がとみに強調されているが、その「遺伝子」が
隠喩でなくなる日も遠くないかもしれない。華東師範大学が出版した生物学の
教科書に、「紅い遺伝子」の説明が、あたかも生物学の現象であるかのように
記載されていて物議を醸したのは、ちょうど1年前のことである。異議を唱え
る声に接して、ほっとしたことを覚えている。しかし今では、子どもが生物学
における遺伝子を理解する手助けとなるから、「紅い遺伝子」の記載は道理に
かなっているという議論もまかり通っているようだ。「紅い遺伝子」は生物学
の教科書ですでに常態化しているのだろうか。いつ何時、「紅い遺伝子」の存
在が科学的に証明されないとも限らない。
中国の大学は日本とは色々なところが違う。その代表のひとつが「輔導員」の
存在である。
コーヒーを淹れる喫茶室で、よく大学院生と学部生が一対一で話している様子
を眼にする。大学院生のほうは私の授業にも出ていた学生であるから挨拶する。
日本語学科の修士に属していながら日本語がおぼつかない大学院生が学部生に
対して、生活で困ったことがないか、授業にはちゃんと出席しているか、授業
内容は理解できているか、将来はどうするのか、色々と親身になって聞いてい
る。この大学院生が「輔導員」だ。中国の大学ではほとんどの学生がキャンパ
ス内の寮で生活をしているから、親代わりとなる存在が必要なのである。「輔
導員」の学生は、私の授業を欠席することも多かった。熱を出したり怪我をし
たりした学部生に付き添って、病院に行くなどの仕事に追われるからだ。日本
の小学校や中学校の担任のような存在だと私は思っている。
「輔導員」の存在は学生にとって決して小さなものではない。2023年2月から
放映が始まって評判になっている《聴説你喜歓我[俺のことが好きだって聞い
たよ]》という恋愛ドラマがある。先輩の男医者と後輩の女医者が結婚して離
婚して、その後もう一度結婚し直すに到る物語なのだが、その男医者と女医者
が最初に出会ったのは入学式直後の大学だった。入学したばかりの女医者の学
年の「輔導員」だったのが、博士課程に所属していた男医者であり、優秀でイ
ケメンの「輔導員」に新入生の女医者がぞっこんとなったのが、長大でややこ
しい恋愛の始まりである。これからの大学の日々の生活と学習の面倒を見るの
は俺だという「輔導員」を、医者の卵の女子学生は憧れのまなざしで見つめる。
「輔導員」は新入生にとって父であり兄であり、場合によっては母であり姉で
あるのだろう。
「輔導員」は「書記」をトップにした「党政」の末端に位置している。それゆ
え2015年くらいから「輔導員」になるためには共産党員であることが必須とな
った。もちろんそれ以前も党員以外が「輔導員」になるのは稀なケースであっ
たに違いない。だから「輔導員」は生活と学業のお世話に加えて、「思想」の
面倒もみなくてはならない。時には学生を連れて、共産党の歴史が刻まれた遺
跡や「抗日戦争」の傷跡を見てまわることもする。
「紅い遺伝子」を継承していくに際して、「輔導員」の存在は大きいように思
う。「輔導員」はある意味でエリートだ。党から認められなければ「輔導員」
にはなれない。「輔導員」になってその気になれば、学校に残り、いずれは
「書記」になるチャンスだって残される。そもそも党員になるのだって簡単で
はない。ではどういう人が共産党員になれるのか。なかなか中国人には聞くこ
とができない問いである。そうした私の疑問に少し答えてくれたのが、孫明増
が博士論文をまとめた著作である『中国共産党の入党条件の変遷についての研
究』だった。孫明増は中国共産党天津市委員会党校マルクス主義学院で教鞭を
とっている。「党校」は共産党の幹部を養成する特別な学校である。
〈党員は党の身体の細胞であり、党の活動の主体である。党員の質の高低は、
党の身体が健康であるか否かに直接影響する。中国共産党の入党の条件は、党
組織が党員を受け入れる際の基準であり要求であり、また党員の行為を拘束す
る規範となる基本的な尺度である。[中略]この百年の発展の歴史を振り返る
と、中国共産党はみずからの地位と任務の発展と変化に一貫して依拠しながら、
思想を解放し、事実に即して問題を処理し、時代とともに歩みを進めながら、
入党の条件を不断に厳格化し、党員の質を実情に合わせて高めることで、党の
階級的な基礎を堅固なものとし、党の大衆的な基盤を拡大し、党の先進性と純
潔性を永遠のものとしてきた。それゆえ、中国共産党の入党の条件の変遷を研
究することには、重要な理論的な意義と現実的な意義が十分に備わっているの
である。〉
「緒論」の冒頭にこのように書きつけた孫明増は、まず第1章でマルクスとエ
ンゲルス、そしてレーニンが作った入党の条件を概観し、それを礎に練り上げ
られた中国共産党の入党の条件を、第2章以降で歴史的な背景と照らし合わせ
ながら検討していく。孫明増によれば、入党の条件の歴史的な変遷をどう区分
するかについては、従来3種類の学説が唱えられていた。6段階、4段階、3段階
それぞれに分ける学説である。孫明増はそうした先行の学説をふまえながら、
2020年に到るまでの入党の条件を8段階に分けて詳細に検討していく。非合法
の地下組織であった時、国共合作など国民党との関係が複雑化していた時期、
第3インターナショナルとの関係を軽視できなかった期間、それぞれにおいて
入党の条件は、党への「忠誠」は不変でありながらも変転をくりかえした。
そうした中にあって私にとって興味深かったのは、中華人民共和国が成立した
時と改革開放が始まった時である。
日本の敗戦後、共産党は秘密組織から公開の組織へと変わった。そして中華人
民共和国が成立したことによって、「中華人民共和国は革命党から執政党へと
その役割と地位の根本的な本質を転換させる状況に直面する」ことになった。
当然のことながら、多くのひとが入党を望んだ。党に入ることで明るい未来を
切り開く可能性が高まるからである。結果として党の「理想」とは相容れない
悪い「分子」が党に紛れ込むことになってしまった。「共産革命」の「理想」
を保持しながら執政を担うにたる「分子」を選り分けるのは、入党の条件をど
のように調整しても至難の業だったのである。
戦後の中国共産党にとって一番の難題は「知識人」をどう扱うかであったよう
に思う。知識人は「工人」に分類されていたが、やはり肉体労働に従事する大
多数の「工人」とは異なる。学歴も異なれば、知識量も違う。物言いう存在に
もなりかねない。蔵書その他を有しているから、「無産者」というよりも「有
産者」に近い。「工人」という共産党の階級社会に属していながらも、そこか
らはみ出してしまう可能性を大いに持っている存在だった。多くの知識人を排
除することになった文化大革命が起こった原因のひとつは、そうした矛盾の解
消が必要とされたからではないかと、孫明増の本を読んで私は考えた。
文化大革命が終息を見た後の1978年3月18日、?小平は談話を発表し、「科学
技術もまた生産力であり、それゆえ知識人は非常に重要である」という方針を
打ち出した。「工人」階級に属する肉体労働者が生産力に貢献するのと同じく、
知識人も生産力に貢献し得る。両者の区別は「社会的な分業」の違いに過ぎな
いというわけである。
改革開放以後、国営ではない私営企業で財産を築くひとも増えた。当初はそう
した「有産者」には入党の資格は与えられなかった。しかし「無産者」であっ
た労働者が「有産者」になるということこそが、共産党が成立時期に抱いてい
た「初志」である。「共産党が人民を率いて革命を引き起こそうとした、その
目的は無産者を有産者に変容させ、社会の主人に変容させ、幸福な生活を遅れ
るようにする」ことだった。「有産者」は党の「革命」が一定の成果をあげた
証拠になる。21世紀になって、「その他の社会階級の先進的な分子」にも入党
の資格が与えられるようになった所以である。
「小康社会」の実現が宣言された現在、日本以上に貧富の差が大きい現状は無
視し得ないにせよ、共産党が当初「革命」に導こうとした完全なる「無産階級」
の労働者を今の中国で見つけることは難しい。そうした現状にあって、党の中
核を担うほぼ全員は「知識人」となった。新たな幹部が決まり、その紹介がな
されるたびに、必ず出身大学だけでなく、修士や博士の学位をどの大学で取っ
たのかが紹介されることが、そうした事態を象徴している。
とはいえ、「習近平の新時代における中国の特色ある社会主義思想」を実現さ
せるためには、共産党はみずからのアイデンティティを保持し続けなければな
らない。「無産階級」による「革命」の「理想」を忘れてはならないのだ。知
識人を養成する機関である大学のそこここで、「不忘初心、牢記使命[初心を
忘れてはいけない、使命を脳裏に焼きつけなければならない]」が紅い垂れ幕
に印字され、標語として掲げられているのはそのためである。「輔導員」が学
生を引き連れて共産党の歴史的な遺産を見て回るのは、その標語の実践以外の
何ものでもない。党への「忠誠」と党の「理想」を実践する「清廉潔白」が今
の党員には求められている。それが「中華民族の偉大な復興」と「中国の特色
ある社会主義の文化的な自信」につながる。だから中国の大学では、成績がよ
くて優秀と評される学生ほど「清廉潔白」である。
Fair is foul, and foul is fair、きれいは汚い、汚いはきれい。郷に入れば
郷に従えで私は生きているが、時に「清廉潔白」に息苦しくなることもある。
そうした時に教室で、私は唐突に坂口安吾の「堕落論」の話をする。人間は
「堕落」する生き物であり、その「堕落」を押し止めるために編み出されたの
が「軍国主義」や「武士道」などのイデオロギーだったと安吾は述べていた。
安吾の真骨頂は「人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう」という、究極
の「堕落」が不可能であることを指摘したところにあると私は思っている。
「堕落」の極地に達し得るほど人間は強くない。しかし中途半端であっても
「堕落」することで、「政治による救いなど上皮だけの愚にもつかない物であ
る」という、安吾が「堕落論」の末尾に記した認識に、身をもって近づくこと
ができるのではないだろうか。その可能性に私は見切りをつけたいとは思わな
い。
間違ってはいけない。安吾の「堕落論」は日本の「軍国主義」を批判したエッ
セイであり、それゆえ中国でも翻訳が刊行されている。公式の「抗日戦争」観
と矛盾するところはない。しかし文字としてはっきり記されている「天皇制」
や「武士道」を別の言葉に置き換えた時、「堕落論」は別の相貌を帯び始める。
日本語を字面通りに「正しく」読解する力よりも、私は寓意的に読み解く想像
力を大切にしたい。日本語学科の教員でありながら、「標準日本語」にどうし
ても馴染めないでいる理由はそこにある。
【本文中で言及させて頂いた本】
『習近平談治国理政』第3巻(外文出版社、2020年6月)
杜震宇『生物学科課程思政教学指南』(華東師範大学出版社、2020年8月)
孫明増『中国共産党入党条件変遷研究』(広西師範大学出版社、2021年8月)
坂口安吾『堕落論』郭暁麗訳(浙江文芸出版社、2019年7月)
坂口安吾『堕落論・日本文化私観』(岩波文庫、2008年9月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
先月は配信が遅れ大変申し訳ありませんでした。
まだ五月なのにこの暑さ。夏の盛りが恐ろしいです。どうぞご自愛ください。
畠中理恵子
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その81『家なき娘』その2「パン」
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 第144回 芸術家としての自覚―寺山修司『懐かしのわが家』
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
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情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その81『家なき娘』その2「パン」
前回に続いてエクトール・アンリ・マロ著の『家なき娘』の中の食べ物を見
て行こう。
母の死で孤児になったペリーヌは、亡き父の故郷マロクールを目指して旅立
つ。馬車や荷物はすべて売ってしまい、大事なロバのパリカールも男装のくず
屋ルクリに売って、もういない。たった一人でひたすら歩き続けるペリーヌは、
最初に立ち寄ったパン屋でひどい目にあう。五フラン銀貨を出してパンを買お
うとしたとき、パン屋の女がその金は贋金だと言いたてて、パンはおろか銀貨
も返してくれなかったのだ。泥棒だのなんだのとわめかれ追い立てられたペリ
ーヌのポケットには一スー硬貨一枚しか残っていない。その晩は空腹のまま畑
の中の小屋で寝たペリーヌだが、次の日にはたまらずまた別のパン屋に立ち寄
り、硬貨を差し出して一スー分のパンを買おうとする。パン屋はとても小さな
小型パンを指さす。そこで、ペリーヌは言う。
<「かたまりから切っていただけませんか?」「焼きたててでなくてもかまわ
ないのですけれど」
パン屋の男は二、三日前から放り出してあったパンをはかりもせずに渡し
た。>
やるね、ペリーヌ!こうやってペリーヌがどんどん知恵を付けて生き延びて
いく姿を見るのが、この物語の面白味なのだ。だが、飢えというものの恐ろし
さを知る作者は、ペリーヌがそのパンを四等分して長持ちさせようとする企て
がうまくいかなかったことを記している。
<彼女は最初の四分の一をがつがつ食べながら、次の四分の一は長く持たせる
ように、少しずつ齧ることにしようと考えていた>
けれど、二切れ目も三切れ目も同じように、がつがつと食べるのをやめられ
ず、最後の四切れ目も同じ運命に消えたと書いている。さらにペリーヌは、ひ
どい渇きに悩まされることになる。川のまるでない地区にさしかかったからだ。
拾った小石をなめて唾液を確保するペリーヌ。そこへ嵐が襲いかかってくる。
森の中を逃げ惑い、小屋に逃げ込んでようやく雨水で渇きをいやすことはでき
た。けれど、飢えはどうにもならない。次の日、空腹のまま歩き続けたペリー
ヌは飢えに苦しみ、とうとう森の中の草むらに身を横たえて死を待つしかなく
なってしまう。
そこへやってきたのはロバのパリカール。くず屋のルクリの荷車から逃げ出
してきて、ペリーヌを見つけたのだ。いななくパリカールを追ってやって来た
ルクリは、すぐにペリーヌが飢えているのを察する。そこで、まずワインを飲
ませ、パンとチーズを与える。そして、ゆっくり食べさせるためにこれまでの
話をさせるのだ。パリカール代として自分の払った5フランを贋金だと言って
巻き上げたパン屋の話を聞くと、怒ったルクリはその女への復讐を誓ってくれ、
どうせ取り戻すからとペリーヌにお金を貸してくれる。おかげでペリーヌはル
クリの仕事を手伝いながら一週間旅をし、その後はルクリの知り合いの馬車で
送ってもらい、汽車で無事マロクールの最寄り駅までたどり着くことができた
のだ。
作者はこの試練を乗り越えた後、ペリーヌが自信を持ち強くなったと書いて
いる。その自信こそが、新たな冒険を乗り越える力になるのだ。
それにしてもと、私は思う。もしペリーヌが鍋と米とマッチを持って歩いて
いたのなら、自分で粥なりご飯を炊くなりできて、ここまで飢えることはなか
ったのではないかと。パンというのは、小麦をひいて粉にしてから水や塩など
を加えて捏ね、発酵させて寝かせ、かまどで焼くという工程が必要な食べ物だ。
各家庭で毎日焼くのは大変な作業となる。フランスでは早くも十五世紀には都
市ではパン屋が成立していたというし、農村では共同の窯でパンを焼いていた
ものが、のちにはパン屋で焼かれるようになっていったそうだ。さらに、この
物語の成立した十九世紀にはライムギパンではなく小麦粉のパンが食べられる
ようになったらしい。ただ、私たちがフランスパンと呼ぶあの棒状のバゲット
は十九世紀後半に出現したもので普及したのは二〇世紀というから、まだ一般
的ではなかっただろう。ペリーヌが切ってもらったパンは、たぶんブールと呼
ばれる丸いかたまりのパンか、パン・ド・カンパーニュ(田舎風のパン)とい
う少し大きめのラグビーボール型のパンではないかと想像する。ブールはブー
ランジェリーというパン屋の語源だというから古くからあるパンの形態だろう。
だから、ルクリが荷馬車に積んだ箱の中から取り出したパンune miche de pain
(一斤のパン)は、一斤という量ではなく丸ごとのパンという意味で、訳者は
「丸形のパン」と翻訳したのではないかと思うのだ。
さて、物語の続きを見て行こう。最寄駅のピキニーからマロクールに行く道
すがら、ペリーヌは、重い籠を持ったロザリーという少女と知り合いになる。
荷物を持つのを手伝いながらお喋りをし、祖父とその工場の様子を知っていく。
そしてオーレリーという偽名を名乗り、ロザリーの祖母の経営する下宿屋に住
んで、祖父の工場で働くことに決めるのだ。
ロザリーは中庭でお昼を一緒に食べようと誘うのだが、自分の分のパンはパ
ン屋で買ってくるようにと言う。ペリーヌがパンを買って帰ると、ロザリーは、
おばあさんがロザリーのために残しておいたというポテトシチュウを二つの皿
に分けてよそい、ご馳走してくれる。どうせならパンもご馳走してくれればい
いのにと、不思議に思った場面でもあった。
さて、ここで出てくる唯一の料理であるこのシチュウun ragout aux pommes
de terre.(じゃがいものシチュウ)を、おばあさんはfricot(煮込み)と呼
んでいて、レシピを調べてみると、確かに煮込みと呼んだ方がいいもののよう
だった。普通シチュウというと思い浮かべるのはドミグラスソースで牛肉や玉
ねぎ、じゃがいも、にんじん等を煮込んだご馳走なのだが、この料理はラード
かせいぜいベーコンの油で炒めたじゃがいもに、小麦粉でとろみをつけて煮込
んだだけの簡単な総菜のようなものらしい。味については何も書かれていない
が、自分の分を半分分けてくれたロザリーのやさしさが、暖かくておいしい味
付けになっていたに違いない。
次の日からペリーヌは工場で働きだす。けれど、相変わらず食べるものはひ
たすらパンと水ばかりだ。半斤のパンを昼食用に買って、通りをぶらぶら歩い
て戸口から流れ出てくるスープの香りを嗅ぎながらパンを食べる。好きな香り
のところはゆっくりと歩きながらっていうけれど、それじゃあ鰻の香りでご飯
を食べる落語みたいだ。一日一斤のパンではろくに働けないだろうと思うのだ
が、あの飢えを経験したことのあるペリーヌは、これでしばらくは大丈夫だと
判断するのだ。
けれど、ペリーヌには空腹より耐えられないものがあり、そこで思いがけな
い行動に出る。
さて、またまた長くなったのでここから先は次回にまわそうと思う。今回は
パンとポテトシチュウ以外にご馳走はなかったけれど、次こそペリーヌがすか
んぽのスープを作ってくれるだろうから、どうぞお楽しみに。
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『家なき娘』完訳版上下 エクトール・マロ著 二宮フサ訳
偕成社文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第144回 芸術家としての自覚―寺山修司『懐かしのわが家』
5月4日は「修司忌」と呼ばれる。歌人・俳人・詩人・劇作家・演出家・映
画監督の寺山修司(1935−1983)の忌日のことである。この時期になると寺山
修司にまつわるイベントが催されたり本が刊行されたりする。47年の短い生涯
であったが、寺山修司の残した仕事は膨大であり、その影響は現在も続いてい
る。寺山修司は創作だけでなく、自分や他のアーティストのプロデユースにも
長けていた。既に高校生の頃に全国学生俳句会議を結成して成功させている。
競馬への関心を公にしたり、「書を捨てよ、町へ出よう」の呼びかけを行った
り、漫画『明日のジョー』の登場人物力石徹の「葬儀」をしたりと、大衆との
接点をどう取るかということに極めて敏感だった。1975年の劇団「天井桟敷」
による「ノック」は、観客が地図を受け取り、商店街などで上演を目撃すると
いう過激な仕掛けの市街劇で、警察が駆けつけた程だという。ハプニングを起
こしてアートを事件化することにより、大衆の興味を惹きつける手腕は、他に
並ぶ者がなかった。
寺山修司の作品は、概して個人性を排して見世物に徹するところがあり、演
劇や映画ではそれが抜群の効果を発揮したが、自由詩では目立つ作品が余り残
されていない。自由詩は表現者の自意識が核となる。自意識の脈動が言葉の形
を決めていくと言っても良い。定型を持つ短歌や俳句以上に、自由詩では「私」
が重要な要素となり、さしもの寺山も手を焼いたと言える。
しかし、1982年9月1日の朝日新聞に掲載された詩「懐かしのわが家」は、
彼自身の胸のうちを素直に開いたものとして、多くの読者の心を打つ作品とな
った。若い頃にネフローゼを患い、1981年には肝硬変で入院した寺山は、死が
遠くないことを悟り、歩んできた人生についての想いを詩に託したのではない
だろうか。では、この有名な詩を改めて読んでみよう。
懐かしのわが家
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいゝ家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを
子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身のなかにしかないことを
知っていたのだ
第一連は寺山が死を見据えながら、自分が辿ってきた道を振り返る心境が語
られている。まず冒頭、「不完全な死体として生まれ」「完全な死体となる」
と、人間の避けられない運命について独特な言い回しで語る。死は人間にとっ
て避けられない運命である。しかも、いつ死に見舞われるかわからない。その
ことは誰もが自覚しており、故に、人は皆「不完全な死体」として生きていく
しかない。病を得て死が目前に迫ったことを悟った時、寺山は生まれ育った
「青森市浦町字橋本」の家を思い出し、更に庭の桜の木のことを思い出す。桜
の木は「陽あたりのいゝ」庭で大きく育った。寺山も理解ある家族、友人、読
者や観客に応援されて、存分に好きな仕事に没頭することができた。肉体の命
が尽きた後、今度は彼の成し遂げた仕事が、彼の影響を受けた者たちの手によ
って引き継がれ、成長していくだろう。人生は短いが芸術は長く残る。芸術の
力を信じる寺山は、肉体の死が即自己の死ではないと、きっぱり言い切ってい
る。
第一連で歩んできた人生の筋道を描いた後、第二連では彼の私的体験につい
て語る。この詩が盛り上がるのは実は第二連からで、特に次の2行だ。
子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
この詩はこの2行で「決まり」である。寺山は、子供の頃汽車が好きだった、
とは書いていない。「汽車の口真似」が上手かったと書いている。「汽車の口
真似」とは何か。汽車は独特の汽笛の音を響かせる。それに魅力を感じた子供
の寺山は、本物の汽笛を聞くだけでは飽き足らず、口真似という形でそれを模
倣し、虚構化した。口真似された汽笛は汽笛そのものではない。人間の想像力
を通した汽笛だ。子供の頃の寺山は既に芸術家としての気質を備えており、現
実をただ見るだけでなく、現実から独立した虚構の世界を作り上げることに魅
力を感じていた。現実の汽車より、夢の世界の汽車。模倣(ミメーシス)は、
芸術表現の第一歩だが、彼は汽車の口真似という形で、自然に芸術の世界の入
り口に立っていたのだ。
最後の3行はその補足説明となる。世界は物理的に存在するだけではない。
人間の内部に、想像力の産物として存在する。芸術家はそれに形を与え、他者
と共有できるようにする。子供の頃の寺山は既に芸術の本質を掴んでおり、芸
術家として生きる意志を密かに育んでいた、ということ。
芸術家としての自覚をうたったこの短い詩は、その素直さ故に強い印象を残
す。「見世物」としての芸術作品を作り続けてきた寺山修司が、最後の最後に
なって、ナマの自分自身についての言葉を遺したのである。寺山修司の多分野
にわたる多くの作品は、今後も様々な形で紹介され、論じられるだろうが、ど
の機会においても、この詩は寺山の創作の秘密を解き明かす鍵として重要な役
割を果たすに違いない。死を見据えて書かれた「懐かしのわが家」に恐怖や絶
望の影はない。詩句は澄んだ明るさに満ちている。私は寺山修司の名前を聞く
たびに、これからもこの詩のことを思い出すだろう。
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【著者インタビュー希望】と表題の上、
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■あとがき
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今回はかなり配信が遅くなりました。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→日本的殺人とは
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→ChatGPTはウソをつく
★「はてな?現代美術編」 koko
→天才肌のアーチスト
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→沖縄選挙史、その2
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■トピックス
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募集中です
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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「日本的殺人」再考
オンライン授業が始まってから夕方の「相棒」の再放送を観る習慣がついてし
まいました。あれから3年がたちます。ほとんどの作品は3回以上観ているは
ずですが、どんなストーリーだったのか、犯人が誰だったのかはきれいに忘れ
てしまっています。だからいつでも楽しんで観ることができる。歳をとること
の効用でしょう。中学生のころからクリスティや松本清張を熱心に読んでいた、
年季の入った推理小説ファンのはずですが、杉下右京氏とは違い、細かいこと
が全然気にならない性格なので、犯人を当てられたことは一度もありません。
ジョージ・オーウエルに、「イギリス的殺人の衰退」という興味深いエッセイ
があります。第二次世界大戦前のイギリスの衆目を集めた殺人事件といえば、
中産階級の男女が、その体面を守るために、自らの恥部を知る人間を殺す類の
ものでした。殺人の手法には、血なまぐさくない毒殺が好まれています。とこ
ろが大戦後には、アメリカの影響が殺人にまで及んできて、殺人の動機といえ
ば金目当て。その手法はダイナマイトで吹き飛ばす等々荒っぽいものばかり。
人間味があり優雅(?)なイギリス的殺人の衰退をオーウエルは嘆いています。
ここで一つの疑問がわきます。イギリス的殺人に対応する「日本的殺人」は、
果たしてあるのかという疑問です。筆者は松本清張の諸作品に描かれた殺人は、
まさにその名に値するものであると考えます。清張の作品を読んだ人たちは、
殺人者たちに深く同情を寄せたはずです。彼彼女らを殺人に走らせたのは、戦
争の傷跡であり、大都会の深い孤独であり、そして自分を踏みつけにした者へ
の怨念です。これらは敗戦から繁栄に至る時代を生きたすべての人々が経験し
たものであり、殺人者たちの動機は非常にリアルに感じられたはずです。
中国マフィア、バイオ犯罪、人工知能。最近の日本のミステリー小説を読ん
でいて感じるのは、道具立てがやたらと大袈裟なことです。そして犯人のほと
んどが、サイコパスの快楽殺人者です。そうでない場合でも、動機にはまった
く説得力を感じません。清張の時代と違い、いまのこの国には人を殺すに足る
説得力のある動機が見出せないのでしょう。実際に殺人の数はすごく少ない。
たまに起こるとそれはサイコパス達の所産。近年のミステリー小説にみられる
日本的殺人の衰退は、現実を反映しており、むしろよいことなのかもしれませ
ん。
しかし近年、新たな形の「日本的殺人」が生れてきているように思います。
秋葉原連続殺傷事件に始まり、津久井やまゆり園殺傷事件、京都アニメーショ
ン放火事件、大阪クリニック放火事件。新たな「日本的殺人」とは、人生に絶
望した男たちが、多くの人々を巻き添えにする拡大自殺ともいうべき殺人事件
であり、この種の事件の長い長いリストが作れそうです。彼らを犯行に走らせ
たのは、困窮と、まったき孤独、そして自分を見捨てる周囲への激しい怒りで
す。この絶望に文学的な表現が与えられる日が来ることはあるのでしょうか。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「どこまで本当?」な話
今評判のチャット GPT。
新しモノ好きな友人がいろいろ試して遊んでいる(ヒマか?)
ほとんどの人が自分や友人の作家のことを尋ねていてその「精度の低さ」で盛
り上がっているのだが…ヤツの売り物の「自然な文章」…結構、危険な匂いが
する。
文章に破綻がない分「知らなかったら信じる」だろうなと。
実際に知っている人物だと年齢も出身もアーティスト活動歴もデタラメ、と言
うか下手するとかすりもしない解説なのだが、もし取引先が直接の面識はない
がどんな人物なのかを知るのにチャットGPTを使うと、この「かすりもしない情
報」がインプットされる恐れがある。
書かれた情報そのものは別段、破綻している訳ではないのがまた面倒なところ
だ。
さすがに仕事でそんな事はしないだろうと思ったら大間違いで、この業界「調
べてから連絡せえよ!」な事例がたくさんあるのだ。
その昔、学生がウィキペディアの情報をコピー&ペーストして提出するのが問題
になったが(今でもやってるかな)ウィキの場合は書き込む人間の量も限られ
ているし、最悪間違っていたら訂正する人も現れる。だがチャットGTPはネット
にあふれる情報を読み取っているし、単なる事象だけでなく「それを説明せよ」
とのオーダーに何通りものパターンで提示してくるから見分けがつきにくいだ
ろうと思う。
なぜか政府は前のめりだが、ただでさえ語彙力の無い政治家がいきなりまこと
しやかな答弁を始めたら怪しいと思われる。
現在、日本語バージョン(日本バージョンかな)は情報が少ないので、そんな
「とんでも解説」が出てきて間違いだとすぐ分かるのだが、データ量が増えて
くると「9割合ってて1割ウソ」な状態が出てくるだろうし、もっと問題なのは
9割合うだけのデータ量が蓄積されているという事だ。
より正確な答えを導き出すためには「膨大な正確な情報」が必要だが、それだ
けの情報が一つのAIに集まるのはまさにSFマンガのディストピアだ。
逆に誤ったデータを与えれば誤った結果を提示してくる訳だから「こう言う結
論に到達するためのはどんな偽情報を与えれば良いか」もわかってくる。
かなり「あ〜〜ぁ」な未来が見える気が…。
話は変わるがAIが作って優勝してしまったと言う写真だけど…すごい「既視感」
があるんだが選考委員は気にならなかったのかな?
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第135回 『 戦後日本美術史3 ———— 田中敦子は天才肌?! 』
戦後の日本美術シーンで有名な女性アーティストは誰でしょう。
誰の名前が想い浮かびますか。
1.今は世界的に有名な草間彌生
2.ジョン・レノンと共にメディアにその名を知られるオノ・ヨーコ
3.具体メンバーの女性アーティスト代表、田中敦子
同じ才能を持っていても草間彌生のように長生きして作品を発表し続けること
が困難だったり、オノ・ヨーコに比べてメディアに取り上げられる頻度が低かっ
たりするために、実際の実績に十分見合った評価を与えられていない作家はた
くさんいます。
その代表的な存在が、具体メンバーの田中敦子です。
戦後美術に興味があれば彼女の名前は知っているでしょうが、草間彌生やオノ・
ヨーコのように誰もが知っているわけではありません。
上記3名の女性アーティストは凡そ同時代に生まれました。草間彌生は生まれつ
きのアーティスト魂で強烈なエネルギーを発散し続けるモンスターです。
オノ・ヨーコは20世紀の女性を体現したアーティスト、
それぞれに持ち味も違い、持っている才能も違うので比較はできません。
また上記二人は自由を求めてアメリカに渡りました。それに反して田中敦子は
日本に留まり粛々と制作に励んだのです。驚くのは田中敦子が50年代から60年
代に制作した作品群がぶっとんでいること。。
彼女はある種の「天才」です。
そしてその特別な点を理解するには、具体美術協会のリーダー吉原治良と彼女
のパートナー金山明が残したテキストや作品が参考となります。
結構べた褒めしていると思います。
□田中敦子(Wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%95%A6%E5%AD%90_(%E
7%94%BB%E5%AE%B6)
□サザビーズ 香港 オークション結果(2017年4月)
https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2017/brushwork-ii-all-
the-worlds-a-stage-hk0768/lot.615.html?locale=en
具体美術協会自体の評価が、国内の批評家ではなくて、海外の批評家により高
められたというのが事実です。
したがって20世紀の終わりごろから徐々に海外美術シーンで≪GUTAI≫の活動が
再評価され展覧会が開かれるようになると、当然オークションシーンでも取引
が多くなりました。
それに伴い白髪一雄はもとより、田中敦子の名前もさらに取り上げられること
が多くなりました。たくさんの具体美術所属のアーティストの中で、とりわけ
海外で開催された展覧会で田中敦子個人にフォーカスした展覧会が圧倒的に多
いのは、彼女がいかに重要な作品を残したかを物語っています。
では田中敦子の仕事の何がそんなに革新的でオリジナリティに富んだものだっ
たのか。
まずは、前回前々回のメルマガで戦後の日本美術シーンに現れた前衛団体「具
体美術協会」の具体美術宣言の中核的概念≪物質≫について触れないわけにい
きません。
□具体美術宣言
https://www.ddart.co.jp/gutaibijutusengen.html
<以下吉原治良が残した草稿から (田中敦子と舞台美術協会 からの抜粋>
---------
「具体」とは何か
(一部省略)それは物質をもって示された精神です。
(省略)
われわれは精神内部を物質を通じて表現する。しかしあえて素材とは云わない。
素材とは何ものかを作る材料である。
ここに一つの問題がある。われわれの精神は物質をもってその物質以外の何も
のかを作ろうとするのではない。
物質そのものである。物質が一個の精神によって如何にとりあつかわれたかで
ある。石は石、鉄は鉄、絵具は絵具である。
---------
≪物質≫と≪精神≫の対等な関係を主張し、さらに≪物質≫と≪素材≫は別で
あるとことを述べています。
物質以外の何ものかを作ろうとするのが前提なのです。
正直私はなんのこっちゃと思ってしまいました。
田中敦子の代表作である「電気服」(1956制作)は、電球という物質そのもの
が衣服というものを超越して何か別のものとして点滅して揺らめいている様を
表したってこと???
でも理屈ぬきでその電球と電気コードがなんの決まり事もなく絡み合う様を描
いた平面作品もこれまた見飽きない美しい絵画作品になっているのには驚きで
す。
しかし、それのどこが真に賞賛されるべき部分なのか、色々本読んでても腑に
落ちないけど大好きな作品群です。
感じるのは作品が独自のエネルギーを発散していること、そして天才的ひらめ
きがなしえた作品なんだという漠然として印象でしょうか。
□「もう一つの具体」(youtube)
https://www.google.com/search?q=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%95%A6%E5%AD%90+%
E3%83%99%E3%83%AB%E3%80%80+youtube&sxsrf=APwXEdeQIT8-s-qxC4ZslqciiJjM_
9XTMA%3A1682336939674&ei=q2xGZKzVKJLs2roPmZCukAY&ved=0ahUKEwjs1rm9ucL-
AhUStlYBHRmIC2IQ4dUDCBA&uact=5&oq=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%95%A6%E5%AD%90
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a,vid:1DcNEpJMBbY
別の代表作「ベル」(1955年制作)は、もう少し分かり易いです。
約40mの電気コードに等間隔に連ねた20個のベルが順に鳴り響くという作品です。
鑑賞者である私がそのベルのボタンを押した途端、数秒ごとに隣のベルが連鎖
的に鳴り響くと、ベルが置いてある空間は全く別の空間に変容します。
ベルは単体では成立せず、音がなって初めて展示されている空間や鑑賞者と相
互作用を起こして作品となります。
美術館でベルを鳴らしてみた私の心はこの作品に引き付けられてしまいました。
どんな部屋でもこのベルが設置され、音が次々と一定の間隔で鳴り響く様を再
現できれば、これは作品になってしまうのです。
電気服由来の平面作品シリーズは、オークションでどんなに高くても1億5000万
円ほどです。
安すぎるんじゃない!
もっともっと評価されるべきアーティストです。
<参考文献>
「田中敦子と具体美術協会」 加藤瑞穂著
「田中敦子 もうひとつの具体」 (DVD) 監督 岡部あおみ
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 33
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米施政権下の沖縄選挙史?:1952−53年の特別選挙
1952年3月の立法院議員選挙は米施政権下での最初の選挙ということもあり、
事前には予想されていなかった様々な混乱も見られた。
たとえば、第1選挙区(北部奄美群島)では、琉球政府発足以前に奄美群島政
府知事を務めていた中江実孝(沖縄社会大衆党)のほか、川井順英、肥後吉次、
勝美代治、平川国高(いずれも無所属)が当選したが、80票差で落選した中村
安太郎(沖縄人民党)が選挙区内の笠利村で不正投票があったと告発。
調査の結果、選挙権のない者(未成年、死亡者、不在者、住居要件や年金の要
件を備えていない者)の投票や二重投票などの不正が明らかになり、平川の当
選は無効となった。これを受けて、1952年8月24日、再選挙に相当する“特別選
挙(補欠選挙)”が実施され、今度は中村が当選した。
中村は1909年生まれで、東京に出て早稲田第二高等学院露文科に進学。非合法
組織だった日本共産党に入党し、治安維持法違反で投獄された経験を持つ左翼
の闘士である。その後、奄美に戻り、大島中学校の専攻科教師を務める傍ら、
合法団体としての“奄美文化協会”を作り、島内各地を巡回して活動していた。
文化協会は戦争末期に活動休止を余儀なくされるが、終戦後まもない1945年10
月には中村らによって再建される。さらに、この時期、中村は島本忠雄らとと
もに、奄美での共産党組織の設立を目指して動き出したが、この時は東京の日
本共産党中央との連絡がつかず、党の再建はかなわなかった。また、1946年6月、
中村は言論活動の拠点として『奄美タイムス』を創刊する。
1946年12月、共産党中央は、奄美出身で戦前の満洲で活動していた久留義蔵を
派遣し、奄美大島における党組織の設立を始動させた。これを受けて、1947年
2月、久留、中村ら奄美の活動家が集まり党の結成を協議。その結果、日本共産
党の指導の下、?奄美人民共和国の樹立、?共和国憲法の制定、?農地改革の
実行、?集会・結社・信仰の自由、?労働組合法の制定、を柱に、日本共産党
の綱領規約に準じた綱領規約を策定することが決められ、4月10日、中村宅で
非合法組織としての“奄美共産党”の創立大会が行われた。
こうした動きに対して、5月1日、米軍政府は「メーデーは共産主義の行事」
として禁止を通達。7月には「共産主義教育を進めた」ことを理由に、中村は
大島中学専攻科の講師職を解任された。
その後、奄美共産党は久留を連絡者として中央に派遣し、党中央に「沖縄,奄
美に対する党の方針決定」を要望。これに対して、同年12月に開催された日本
共産党第六回党大会では、奄美における党は独自の党とし、日本共産党は奄美
の党に対して援助する方向が採られた。これは、一国一党原則によれば、奄美
は日本本土とは別の国になる、すなわち奄美の独立を目指すということであり、
沖縄・奄美大島出身の党員たちは「沖縄、奄美、小笠原の日本返還」を党の方
針とすることを提案したが、否決された。
1948年8月26日、日本共産党中央委員会総会が開催され、従来の方針を転換し
て、沖縄・奄美大島の日本復帰を決議。これを受けて奄美共産党も独立から本
土復帰に方針を転換したが、米軍政府は共産党の影響下にある奄美青年同盟に
解放を命じ、さらに、中村安太郎らを「アカハタ」など日本共産党の出版物を
密かに取り寄せた容疑で逮捕。11月28日、中村には重労働1年、『奄美タイム
ス』主筆および北部南西諸島法制改訂委員会副委員長を解任する判決が下され
た。
1950年1月、奄美共産党の機関誌「ジンミンセンセン」は食糧問題特集号とし
て軍政官に価格の引き下げを要望した。その後、軍政府は放出食糧の値下げ、
米3割 大豆5割値下げを実施しており、当初は価格引き下げの要望自体が問
題視されていたわけではなかった。
ところが、翌2月、吉田茂首相が国会で「奄美は日本に帰属すべきであり、こ
の問題に対して意思表示の自由がある」と答弁すると、3月24日、名瀬市連合青
年団が臨時集会を開催し、同大会は日本復帰をめざす総決起大会の様相を呈し
た。
これに対して、3月27日、占領軍は「ジンミンセンセン」誌の食糧問題特集号の
記事を口実に共産党の弾圧に踏み切り、3月28日、各社会団体内の指導的地位に
ある共産党員17名が軍政府転覆の「暴動を計画した」との嫌疑で逮捕投獄され
た。
弾圧の強化に対して、奄美共産党は合法政党への転換をはかり、中村は教育者
で自由社を拠点に穏健な出版活動をしていた詩人の泉芳朗を取り込んで、合法
政党としての奄美社会民主党を結成する。さらに、1951年9月の講和条約締結に
伴い、奄美社会民主党を発展的に解消して沖縄人民党と合同する方針を決定し
た。
こうして、1952年3月の選挙を前に、同年1月30日、社民党は沖縄人民党と組織
的に合流し、琉球人民党大島地方委員会として再出発することになり、同党に
入党した中村が立法院議員選挙の公認候補となった。
特別選挙期間中の8月19日、軍政長官のロバート・ビートラーは立法院本会議
場で「人民党は国際共産主義の政党であり、取り締まる方針」であるから「笠
利の再選挙では中村安太郎に投票してはならない」という趣旨の発言を行った
が、最終的には中村が当選を果たした。
次いで、1953年には4件の特別選挙が実施された。
まず、第4選挙区で当選した天願朝順が当選後に死亡したため、1953年4月1日
に特別選挙が行われた。
この選挙には2名が立候補して社会大衆党の天願朝行が当選したが、選挙後、
民主党が天願には立候補資格がないと主張する。
1946年、具志川村長だった天願は、志喜屋孝信の琉球民政府知事就任祝いの酒
を作るため、村長としての立場を悪用して食糧の特配を受けたことが“横領罪
”にあたるとして、軍裁判所から45日間の軍労働の判決を申し渡されていた。
このため、破廉恥罪の前科がある者は立候補資格がないとの規定に違反すると
いうのが民主党の主張である。
申し立てを受けた軍政官のジェイムズ・ルイス准将は「天願は破廉恥罪に該当
する」ことを明らかにし、天願の失格が確定するまで当選者の決定を保留する
よう指示した。これに対して、立法院は第4選挙区の補欠選挙は合法的で有効で
あり、特別選挙の必要はないとして、立法院で「選挙無効の布告取消し請願決
議」を行い、併せて再選挙に候補者は出さないことを決定。その結果、5月31
日に実施された第4選挙区の特別選挙には立候補者がなく、選挙は流れてしまっ
た。
そこで、6月3日、あらためて第4選挙区の特別選挙が行われ、2名が立候補した
が、途中で1名が辞退したため、城間盛茂が無投票で当選を果たした。
なお、この間に第4選挙区(沖縄北部)選出の幸地新蔵(社会大衆党)が亡くなっ
たため、その欠員を補うための特別選挙が5月31日に行われ、同じく社会大衆党
の仲原英通が当選している。
これらの特別選挙に際しては、“立法院議員 特別選挙”の文字が加刷され
た選挙葉書が使用された。なお、1952年8月の特別選挙に際しては、那覇市内の
向春印刷所で製造された葉書に加刷が行われたが、原版の摩滅が激しくなった
ため、同年10月、日本本土の大蔵省印刷局が製造した葉書が到着。1953年の特
別選挙に際しては、印刷局製の葉書に加刷したものが選挙葉書として使用され
た。
https://blog-imgs-163.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20230424222120ec5.jpg
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「現代日中関係史 第2部 1972−2022」日本郵趣出版、電子書籍で「切
手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などが
ある。
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り、広告は随時募集中です。詳細はメールにて編集同人までお尋ね下さい。
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■編集後記
竜巻先生の原稿を読み、ChatGPTで「竜巻竜次とは」と聞いてみた結果がこちら
です。
………………………………………
「竜巻竜次(たつまき りゅうじ)」は、日本の漫画家であり、代表作に「ドカ
ベン」や「MAJOR」があります。本名は「森下 龍次(もりした りゅうじ)」で、
1958年に福岡県北九州市で生まれました。
竜巻竜次は、少年野球を題材とした「ドカベン」シリーズや、プロ野球を舞台
にした「MAJOR」シリーズなど、野球漫画の代表的な作品を多数手がけています。
彼の作品は、リアルな野球の描写やキャラクター造形、ストーリー展開などが
高く評価されており、多くのファンに愛されています。
また、竜巻竜次は、日本野球機構の公認野球規則を作成するために結成された
「公認野球規則研究会」のメンバーでもあり、野球に関する知識や技術にも深
い造詣があります。
…………………………………………
野球の神様だったんですね。
来月は野球について書いていただきますか。
漫画家である以外、たぶん全て間違ってますが(笑)
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→ トピックスをお寄せください
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 純粋芸術の不純な経緯―亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)
★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その80『家なき娘』その1「米」
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
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■トピックス
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連続講座『コーチング心理学概論』を開催します。
ナカニシヤ出版『コーチング心理学概論 第2版』をベースにした講座です。
海外のコーチング心理学の動向、コーチングのベースとなる心理学や、それを
どのように実践のコーチングにつなげていくかを学ぶことができます。
http://coachingpsychology.jp/?page_id=19
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第143回 純粋芸術の不純な経緯
―亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)
昨年2月に始まった、いわゆるウクライナ戦争は、今現在も戦闘が続いてお
り先の見えない状態にある。他国の領土の一部に対しいきなり独立を宣告して
攻撃をしかけるとは言語道断だが、それ以前にもロシアとウクライナの間では
紛争が続いており、背景は複雑である。今回取り上げる亀山郁夫『ロシア・ア
ヴァンギャルド』は、1996年に刊行された本で、現在のロシアとウクライナの
戦争とは関係がない。私は本書を古本屋で買って積読していたが、今回の事態
にその存在を思い出し、手に取ったものである。面白くて一気に読んでしまっ
た。ロシア・アヴァンギャルドについては何も知らなかったのでいつか知識を
つけたいと思って何気なく買ったのだが、今現在進行形の形で起きている過酷
な現実と併せて本書を読むと、芸術と政治の関係の深さに改めて気づかされる。
著者は著名なロシア文学者だが、文学に止まらず、美術・音楽・映画・建築
など、あらゆる分野にわたって深い知識を持ち、新書のスペースをぎりぎりま
で使ってロシア革命前後の前衛芸術の様相を見せてくれる。本書の内容を簡単
に要約することなど到底無理だが、非常におおざっぱに言ってロシア・アヴァ
ンギャルドと呼ばれる一連の芸術運動(統一的なものではないが)は、近代化
を推し進めるというよりも近代化への反発を先鋭化させた結果のように感じら
れたのだった。
著者は1994年にモスクワの赤の広場にあるレーニン廊を訪れる。レーニンの
遺体を収めた霊廟である。ピラミッド部分にあたる天井の内側は「入れ子状を
なすいくつもの白い正方形によって閉じられていた」。それはマレーヴィチの
スプレマティズムの絵画を想起させた。スプレマティズムは無対象の純粋抽象
の絵画だが、マレーヴィチはレーニン葬以前に「四次元と永遠のシンボルであ
る立方体」の関係を論じた文章を残していたという。マレーヴィチは神秘主義
的な四次元理論に影響されており、彼の抽象表現は機能美の追求とは逆の態度
から出てきたようだ。
20世紀初頭のロシアではまず「原始主義」の芸術が台頭する。「反近代、反
西欧、反キリスト教、反アカデミズムをスローガン」に既存の芸術を否定し、
個人を超越した民衆文化から養分を吸い取ろうとした。ストラヴィンスキーの
バレエ音楽「春の祭典」等がその代表作である。当時は科学や技術の革新が相
次ぐ時代であり、芸術家たちは科学や技術の成果を原始回帰のコンセプトと独
特なやり方で結びつけることに腐心した。その結果、世界を光の粒子として捉
える「光線主義」と呼ばれる一派が生まれ、様々な抽象表現への道が拓けてい
った。
その抽象化が行き着いたものとしてザーウミと呼ばれる詩の運動がある。
ザーウミは言語を意味の桎梏から解放し解体し尽くした、言語実験の詩であ
る。クルチョーヌィフは純粋にナンセンスな言語表現に終始したが、日本海海
戦の敗北に衝撃を受けたナショナリストであるフレーブニコフは、言葉の出所
の動機付けを様々な角度から探った。「アルファベットの文字=音がそれぞれ
に固有のミクロ的な『意味』を有するという観点」に立っていた。著者は「す
べての言葉に人間と言語のもっとも原初的な関係の復活を望んでいた点で、こ
れもやはり原始回帰の一形態とみなすことができるだろう」と述べている。
ロシアの前衛芸術は革命と歩を合わせる形で多彩な展開をしていったが、
1921年にネップと呼ばれる自由主義的な経済政策が打ち出されてから雲行きが
怪しくなる。内戦で疲弊した経済は上向いていったが、これによって市場原理
が働き出し、文化に大衆迎合的な気運が生まれた。革命の理想よりも大衆のニ
ーズがクローズアップされるようになっていったのである。著者は「革命初期
に『公人』としてめざましい活動をみせたアヴァンギャルドは少しずつ孤立へ
追いやられていった」としている。
日本でも著名な詩人マヤコフスキーはアヴァンギャルドの立ち位置をよく示
してしている人物である。当初、言葉のキュビズムと言えるような言語実験の
詩で注目を集めたが、その後身体感覚に基づいた言葉のパフォーマンスに重き
を置くようになり、政治的な革命に同調していく。しかし、反左翼的なラップ
(ロシア・プロレタリア作家同盟)から批判され、スターリンが権力を掌握す
る頃になると当局の監視の対象にまでなってしまう。そして謎の自殺を遂げる
や否や、今度は「まことの革命詩人」として持ち上げられることになる。スタ
ーリンはラップを含め全ての芸術団体を解散させ、全ての「芸術労働者」を一
つの組織に統合する。つまり芸術の全体主義化が始まり、ロシア・アヴァンギ
ャルドは衰退していくことになる。
旧体制と資本主義に叛旗を翻し、芸術の革命と政治の革命の一致を夢見たも
のの、政治にも大衆にも裏切られて行き所を失い、消失してしまった、という
ように私には見える。そしてロシア・アヴァンギャルドは、近代を推進した末
の革命ではなく、逆に、近代をひっくり返すという反近代の立場による革命、
という風に見える。帝政が長く続いたロシアの後進性を一気に克服し、本来の
ロシアを取り戻そうとする意志を持つが故に、西欧のアヴァンギャルドが仰天
する程ラディカルな試みが次々花開いたのではないだろうか。もしかしたらロ
シア革命自体に近代に逆行する面があったのかもしれない。フレーブニコフは
当時最先端の未来派を牽引する詩人マリネッティに対し、「ぼくらは何も外部
から接ぎ木する理由などなかったのです」と書き送ったという。本書は既に品
切れであるが、古書店ではまだ手に入るようであるし蔵書している図書館もあ
るだろう。ロシア・アヴァンギャルドの概要を知る上で恰好の入門書であるこ
とは間違いないと思う。
*亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書 本体631円)
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その80『家なき娘』その1「米」
エクトール・アンリ・マロ著のこの『家なき娘』は、日本でも数多くの抄訳
や翻訳が出ており、アニメ「ペリーヌ物語」も人気を博したので、なんとなく
知っているという人も多いだろう。
遠いところから母と二人でパリにやってきたペリーヌが孤児となり、苦労し
てマロクールという村に辿り着く。そこは父方の祖父が大工場を運営している
場所だ。ペリーヌは名前を偽り、その工場で働くことにする。ある日英語が話
せることから通訳を頼まれ、その仕事ぶりから信頼を得て祖父の傍らで働くこ
とになる。やがてペリーヌは祖父とともに工場労働者の福祉を改善し、託児所
や病院、公園などを村に建設していくことになる。そして最後には、息子の結
婚に反対していた祖父から孫娘として認められるのだ。読んでいない方には、
奇妙な思いがするストーリーだろう。一見すると、貧しい少女が大金持ちの孫
娘だとわかるシンデレラストーリーのようなのだが、本当のところは社会主義
の夢を語る物語なのだ。でも、思い出すたびにそこのところを忘れてしまう。
というのは、この物語の本当の魅力が、ペリーヌの生活力の豊かさにあるか
らなのだ。不屈の精神で生き延び、創意工夫で自分の手で様々なものを作り出
すペリーヌ。その生活ぶりは貧しくとも実に楽しい。思い出すたびに心躍る孤
島での食事作りの場面の(ああ、すかんぽのスープ!)、その味わいを想像の
中で楽しむためだけに、私は何度もこの物語を読み直しているのだ。
そして、様々な抄訳で子供の時から読んできたこの物語を、今回完訳本でじ
っくり読み直してみて、思いがけない仕掛けがあったことに気付かされた。毎
回自分の推理力のなさに唖然とする私ではあるが、食べ物に注目してやっとわ
かったことを、まず語っていきたいと思う。
物語はペリーヌと母がロバに引かせた箱馬車でパリに辿り着くところから始
まる。馬車はあちこち旅してきたようで、張り巡らされた布にギリシャ語やイ
タリア語で写真という言葉が書かれている。写真師だった父は亡くなり残され
た二人は父の故郷マロクールを目指して旅をしてきたのだ。
最初にむしゃむしゃ食べだすのは、ロバのパリカールだ。パリに入るために
税関前に並んでいる長い列の前の荷車から干し草を盗み食いしている。なんで
ロバの食べ物に注目をするのかと思われるかもしれないけれど、このパリカー
ルは大変重要な役割を何度も果たすロバなのだ。行列待ちの間に知り合った男
の子から安全にパリで過ごせる場所を聞き、ゴミ拾いの親方が営むギョ園に向
かう。パリカールは、ここに生えているアザミや草をむしゃむしゃ食べてご機
嫌だ。実はこのロバ君、上等なワインも大好物で、ギョ園の親方と赤ワインを
酌み交わす場面まであるのだ。
このギョ園の井戸端で火を焚き、ペリーヌは鍋でご飯を炊く。だが、体の弱
った母は食べられない。そこで、ペリーヌがすべて平らげることになる。ここ
でふと、あれ、お粥じゃなかったっけと思って読み返すと、こう書いてある。
<米がほどよく炊きあがって、パリの料理女がよく作るべとべとしたお粥みた
いなのでなく、ほとんどつぶれていないふっくらとしたご飯ができると、ペリ
ーヌはそれを深皿に、すそひろがりのピラミッドがたに、もりつけて、馬車ま
で運んだ。>
こんな風にこんもり中高によそわれた白いご飯を何もつけずに食べられるヨ
ーロッパ人というのはいるのだろうか?
ペリーヌが二つのルーツを持つ少女であることは最初から書かれていて、
<ブロンドの髪に琥珀色の肌>で、<真面目そうな黒い目>
の持ち主とされている。
私は、この箱馬車の文字が印象に残っていたせいかペリーヌの母はギリシャ
系のイギリス人だったけなと思い始めていたのだが、このご飯を食べる場面で
思い違いに気付いたのだ。
そういえば、母親の容姿の描写は殆どなく、
<黒い絹糸のような見事な髪>
としか書かれていない。けれど、お米のご飯とこの描写でやっと私はペリー
ヌの母親がアジア系なのだと確信したのだ。
物語が進むにつれ、ペリーヌは英語が話せることが明らかになってくる。理
由を尋ねられると毎回、母がイギリス人だったと説明するので、抄訳を読んで
いた子供の頃の私は単純にペリーヌがイギリスとフランスの二つのルーツを持
つ白人の女の子だと思い込んでいた。ところが今回完訳版の最初の部分にある
この「ご飯」で、ペリーヌの母がインド在住のイギリス人ではなく、インド人
なのに気付くことができたのだ。
物語の後半で、ペリーヌの祖父ヴュルフラン氏がダッカから来た手紙をペリ
ーヌに訳させる。その内容で初めて、ペリーヌの母親がモスリン工場を経営し
ていた富裕なインド人一家の出であることが明かされる。この一家はキリスト
教に改宗していたので、調査は神父たちを通して行われている。そこで子供の
ころから不思議だったヴュルフラン氏の怒りの深さがわかったのだ。子供心に
彼はただの頑固爺なんだと思っていた、言うことを聞かない息子に怒って許せ
ないだけの。だが、違うようだ。この完訳本でも彼の怒りは繰り返し語られて
いる。息子の結婚に怒り続け、あの女にだまされたのだと言い張るヴュルフラ
ン氏。帰ってきたら簡単に離婚させられるとか、帰ってきたら母子と引き離し
て二度と会わせないとか、あの婚姻はフランスでは無効だとか口にするのだ。
挙句に離婚させられなかったら、ローマで離婚を成立させてやるとまで言い出
す。そんな彼の主張の奥にあるもの、それは、インド人つまりは有色人種に対
する深い差別意識ではないだろうか?息子の結婚がここまで激しい怒りを呼び
起こした理由はそうとしか思えない。そして、当時はイギリスの植民地であっ
たインドに対して法律的に優位に立っていると思い込んでいたのだろう。身分
を隠して、このことについて論争するペリーヌの姿は実にあっぱれなのだが、
彼の考えを変えるまでには至らない。
最初の場面に戻ろう。このご飯の場面の後、長い旅の間に疲れ果てたペリー
ヌの母親は、衰弱して死を迎えてしまうことになる。残されたペリーヌはロバ
とも別れ、祖父の住むマロクールの村へと徒歩の旅に出る。その過酷な旅と、
村でペリーヌが見つけた素晴らしい場所とご馳走(すかんぽのスープからデザ
ートまで!)については、長くなったので次回に語ることにしようと思う。
今回はあまりご馳走がないけれど、ペリーヌが炊いたふっくらご飯か、パリ
カールの大好きなアザミと赤ワインのいずれかを、ぜひ心の中で味わってみて
ください。
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『家なき娘』完訳版上下 エクトール・マロ著 二宮フサ訳
偕成社文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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今回は少し配信が遅くなりました。(あ)
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おり、広告は随時募集中です。詳細はメールにて編集同人までお尋ね下さい。
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・5日号:aguni原口 gucci@honmaga.net
・15日号:畠中理恵子 hatanaka3floor@jcom.home.ne.jp
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→将棋関連本あれこれ
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→没入する快感
★「はてな?現代美術編」 koko
→戦争絵画から始まる戦後
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→沖縄選挙史、その1
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■トピックス
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■内藤陽介氏の新刊
『現代日中関係史 第2部 1972−2022』(日本郵趣出版、2300円+税)
3月20日発売!
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4889638709/r
昨年11月に出た本の第二部。中国との関係は切っても切れないしw
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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将棋の本
筆者が子どもの頃、男の子はみんな将棋を指していました。ところが現在、ゲー
ムに押されて将棋人口は激減しています。将棋もそして囲碁も、新聞各社によ
る棋戦の後援を大きな収入源としています。その新聞が急速に部数を減らして
いることは周知のとおりです。将棋界は、まさに存亡の危機にあるといえます。
そこに救世主のごとくあらわれたのが藤井聡太。本稿執筆時点で6冠。名人戦
に挑戦することも決まっています。もし名人になれば、史上最年少の名人誕生
です。「家貧にして孝子いず」ということばが浮かびます。
囲碁にも「ヒカルの碁」という世界的なベストセラーマンガがあります。しか
し、フィクションの世界では、圧倒的に将棋を題材にした作品が多いのはなぜ
でしょうか。この数年で私も、奥泉光『死神の棋譜』、柚木裕子『盤上の向日
葵』、松浦寿輝『夢月の譜』等の将棋を主題にした小説を読んでいます。NHK朝
の連続テレビ小説『ふたりっ子』は、忘れがたい名作です。このドラマには、
賭け将棋で生計をたてる伝説の真剣士が出てきます。真剣士ということばを私
は、団鬼六『真剣士小池重明』を読んで初めて知りました。
朝ドラのヒロインは、「香車のお香」と呼ばれていました。まっすぐにしか
進めない香車と、直情径行なヒロイン香子の性格をかけたものです。将棋の駒
には様々なキャラクターを投影できます。白と黒の石しかない囲碁に比べて物
語を産みやすいのでしょう。過酷な3段リーグを勝ち抜き、26歳までに4段
にならなければ、奨励会から退会させられます。青春のすべてを賭けた将棋の
世界から追放されてしまうのです。この冷酷な掟が様々なドラマを生み出しま
す。そのドラマは、将棋を扱った多くの作品に彩りを添えています。
2016年から17年にかけての将棋界は、大きく揺れていました。名人が
人工知能に敗れています。このことは棋士たちに強い衝撃を与えました。三浦
九段が、対局中に人工知能を不正利用しているのではないかという疑惑が生じ
たのもこの時です。しかしこれは事実無根であり、三浦に出場停止処分を下し
た連盟の幹部は総辞職しています。広報担当として事態の収拾に当たったのが、
名文家として知られる先崎学九段です。激務の果てに彼は、うつ病に倒れてし
まいます。その顛末を描いた『うつ病九段』は、不朽の名作です。
「兄貴三人は、頭が悪いから東大に行った。おれは頭がいいから棋士になっ
た」。先崎の師匠の故米長邦夫の口癖です。棋士の中には頭のいい人がとても
多い。AIの開発に協力しているうちに自らも工学部の教授になった人がいます。
糸谷哲郎元竜王は、ハイデッガーの研究で阪大の哲学の修士号を得ています。
将棋の本も面白いが、棋士の書いた本も読んでみたい。ハイデッガー論は難し
過ぎますが。かつて川口俊彦という観戦記の名手である棋士がいたことを思い
出します。先崎を凌ぐ名文家の棋士が現れることを望むや切です。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「没入する」話
去年に続き今年も仲間内で「ねこだら・ケ?」と言うグループ展を開催してい
る(現在進行形)
http://irorimura2023.sblo.jp/article/190179579.html
今回はいろいろ心配事が重なり作品が出来るか怪しいところだったがなんとか
「見れる状態」にまでは仕上がり展示する事が出来ている。
作品は去年も使った技法で「ひたすら色鉛筆で塗り重ねて行く」と言うモノな
のだが去年も確かなかなか発色しなくて往生したのに今年も懲りずにやってみ
た。
今年は時間不足で去年より発色が悪い。なのになぜこのやり方を?と疑問に思
われるだろう。
実は「ひたすら塗り重ねる」行為が現在の自分の精神状況にマッチするのだ。
とにかくカリカリと線を重ねていると色々な事がどこかに追いやられて行為そ
のものに没入するこ事が出来る。
考えると言う脳の動きが薄くなっていく。脳の指令が腕を動かす事だけに集中
する。
坐禅などで心を無にするのはなかなかむずかしそうだが「何も考えずひたすら
描く」と、どんどん心がシンプルになって行くのだ。
前にも単純作業の効能を書いた気がするけど何かと厳しく心が乱れる環境下ほ
ど、これは効いて来る気がする。写経もそう言うシステムなんじゃないかな。
流行りのサウナで整う感じ、汗さえ出ないがこれも近いものがあると思う。
歳を重ねた血圧高めの高齢者には血管に負担をかけない単純作業での没入の方
がおすすめだ。
切り絵なども方向は同じだが「失敗のダメージ」を考えると少し危険かな。
油画とか水彩画とか他に選択肢もあったけど「没入して作業する」ためにはと
にかく単純作業である事と準備が不要なところが良い。
漫画制作も現在どんどんデジタル化している。特にベタ塗りとかトーン貼りと
かの最終作業は便利だし早いので学校も勧めているのだが…もしかしたらメン
タル的にいろいろ抱えている今の学生にはこの「没入出来る作業」は必要なの
ではと思った次第だ。
没入作業には「カケアミ」と言う選択肢もある。
だがこれは明らかに未完成である事がバレるので今回はパスした。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第134回
『 戦後日本美術史2 ———— 前衛芸術への道(戦中戦後後から1955) 』
「誰もやらないことをやれ!」、これは具体美術協会創設者吉原治良氏の口癖
だったそうです。
遡ればその言葉は、神戸に立ち寄った藤田嗣治から「君の絵は他の画家の影響
がありすぎる。一切まねはいけないよ」と指摘されことが発端。吉原治良の口
からこのセリフを何度も聞かされた具体美術協会のメンバーは藤田嗣治の孫弟
子のようなものなんだとか。
戦前の吉原治良は具象画を描いていて、確かにあまりイケてなかったのです。
才能がないと藤田に言われたので抽象画に転向したっていうことですか。それっ
てミロみたいな感じ?つまりピカソみたいにはうまく描けないから、人がやっ
ていない絵を描いて巨匠になったパターン?
いやいや、たぶんミロほどには画家としては大成しなかったですが、なんといっ
ても彼の凄いところは作品を一瞬で評価できる鋭い審美眼と揺るがない志、そ
して財があったことでしょう。同世代の画家のように留学ができなかった分、
稼業の製油会社を経営しながら絵の道も諦めなかったのは凄いです。
1948年に芦屋市美術協会の代表となり、1952年秋には大阪において須
田剋太らと現代美術懇談会(ゲンビ)に参加、1954年に具体美術協会を立ち上
げます。
日本の戦争記録画というものは、絵画表現などというものに全く目を向けず戦
争という写実リアリズムに陥っていました。敗戦後もしばらくはなんの進化も
ないただの記録画に甘んじていたのです。
つまり
<第一に欧米信仰の温存ないし存続、第二に表現じたいの水準に対する自覚の
欠如、主としてこのふたつの理由によって、敗戦後の十年間は美術の現在にとっ
ては前史をなすものに終始したといわなければならない。>
※千葉成夫著『増補 現代美術逸脱史』より
そんな中東京では日本美術界に変革の兆しを見て取れる象徴的な作品が現われ
ます。
例えば、愛知県出身アーティスト河原温の『浴室』の連作(1953年)。
このころ大阪でも具体美術協会に参加することとなる若手作家もいろいろユニー
クな作品を作るようになっていました。(具体的な話は次回で)
□日本の戦争画 This is Media 記事(日本語)
https://media.thisisgallery.com/20223177
この戦後の10年の後半あたりに、欧米からの新しい波も届くようになります。
フランスに住んでいた今井俊満はMichel Tapie(ミッシェル タピエ)が提唱す
る美術ムーブメント(Informel アンフォルメル)を紹介することになります。
アメリカではJackson Pollock(ジャクソン ポロック/抽象表現主義/ニューヨー
ク派)が1947年から本格的にアクションペインティングを始めます。
アンフォルメルの中核的アーティストGeorges Mathieu(ジョージ マチュ)も1
947年には本格的に新しい絵画を発表しています。
世界同時多発的このムーブメントは、どこが先なのか、誰が誰に影響を受けた
のか、私にはよくわかりません。
言えることは戦争を経て世界のアーティストが新しい絵画を模索していたわけ
です。
□アンフォルメル(Wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%
83%AB%E3%83%A1%E3%83%AB
1950年代、具体美術協会はなかなか日本の評論家にその意義を認めてもらえな
い状態が続きます。
他方フランスではアンフォルメルというムーブメントを作った評論家Michel T
apie(ミッシェル タピエ)を中心に、前衛アートの動きが活発化していたよう
です。
Georges Mathieu(ジョージ マチュ)がどんな絵を描いていたのか、添付Youtu
be映像を見てみてください。実は彼は、前衛画家として60年代70年代と大変に
もてはやされ、その後忘れ去られたアーティストになりました。
そして2020年の回顧展前あたりから、再びその存在が重要視されるようになり
ました。オークション落札価格もここのところ急激に上昇中です。
面白いことに1950年代のいい時期の作品はアメリカやヨーロッパのオークショ
ンで高額落札され、去年あたりは香港オークションで1980年代の派手な色使い
の作品がさらに高額で落札される傾向がみてとれます。
華僑系がこの絵を好むのは、おそらくマチュの作品がカリグラフィーに相通ず
るところがあるからなんでしょう。落札価格は2010年頃のオークション価格の
約4倍から5倍に上がっています。
価格が上がったとはいえ、白髪一雄の作品と比べると、かなり安いので吃驚。
忘れ去られた理由は何なんでしょう。
このような比較をすると、白髪一雄の作品は十分その価値を認められていると
いえるのでしょうか?
□Georges Mathieu 最高落札額オークション作品 サザビーズHP(英語)
https://www.sothebys.com/en/buy/auction/2021/modern-art-evening-sale-2
/georges-mathieu-qiao-zhima-xiu-tuz-goelue-tu-zi?locale=en
※落札価格:1 666 170 € (Artprice参照)
□France2 ニュース映像 Georges Mathieu (Youtube 仏語)
https://www.youtube.com/watch?v=3QeL_RnYh-o
参考資料
□具体美術宣言
https://www.ddart.co.jp/gutaibijutusengen.html
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 33
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米施政権下の沖縄選挙史?:最初の総選挙
1968年11月10日、米施政権下の沖縄で、最初の行政主席選挙(第1回行政主席
通常選挙)と第8回立法院議員総選挙が行われた。ここで、米施政権下における
沖縄の立法院議員選挙の歴史について、何回かに分けて概観しておこう。
米施政権下の沖縄における最初の選挙は、1945年8月20日に行われた沖縄諮詢
委員会の間接選挙で、住民が強制的に収容されていた各収容所が“市”と呼ば
れるようになると、その市議会議員と市長を選ぶための選挙が9月20日と同25日、
それぞれ直接選挙で行われた。
その後、住民の(戦前の)居住地への帰還が認められ、各地の町村が復活し
たことを受けて、1946年4月、沖縄民政府が誕生し、間接選挙で首長が選出さ
れた。翌1947年12月には「市町村及び市町村議会議員選挙法」(特別布告第25
号)が公布され、これに基づき、1948年2月1日と8日に、首長と議員の選挙が行
われた。なお、1950年9月の地方選挙を前に、同年7月、同法は改正されている。
一方、宮古、八重山の両地区では1948年1月19日に、南部南西諸島では同年2
月16日に、北部南西諸島では同年4月30日に、それぞれ市町村長および同議員
選挙法に関する軍指令が出され、それに基づく選挙が行われた。
1950年7月7日、軍政府令第17号により「市町村議員及び市町村長選挙法」が
改正され、同10日、「群島知事及び議会議員選挙法」が公布された。
さらに、1950年8月4日には群島組織法が公布され、大島、沖縄、宮古、八
重山の各民政府は奄美、沖縄、宮古、八重山の各群島政府に改組され、沖縄、
宮古、八重山は同年9月に、奄美は10月に選挙が行われた。こうして、11月4
日、各群島政府が正式に発足すると、全琉球の統一も具体的に検討されるよう
になる。
全琉球を統括する組織としては、1950年6月から活動していた臨時琉球諮詢
委員会を発展的に解消する形で、1951年4月、臨時中央政府が発足したが、その
立法・行政・司法の人員は琉球列島米国民政府(USCAR。1950年12月15日設立)
副長官による任命制だった。このうち、立法に関しては早々に公選化を実施す
るため、1951年12月18日、琉球列島米国民政府布令第57号により、立法院議員
選挙法が公布された。
同法による最初の総選挙は1952年3月2日に実施され、同年4月1日、琉球
政府の発足と同時に立法院が発足することになった。
1952年の総選挙では、全琉球を、?北部奄美群島(定数5)、?南部奄美群
島(定数3)、?沖縄北部(定数5)、?沖縄中部(定数6)、?沖縄都市地
区(定数3)、?沖縄南部(定数4)、?宮古(定数3)、?八重山(定数2)
の8選挙区に分け、議員の任期は2年とされていた。
この選挙を前に、1952年2月2日、琉球王の王冠をデザインした1円葉書に
“立法院議員 選挙”の文字を印刷した“選挙葉書”
https://blog-imgs-163.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20230325193717364.jpg
が発行され、候補者に配布された。
ちなみに、沖縄では、1951年2月1日の郵便料金値上げで葉書料金が50銭か
ら1円になったことを受けて、旧額面の葉書(15銭および50銭)に新料金との
差額を収納済みであることを表示した“別納印つき葉書”が発行・使用されて
いたが、1951年末になると、年賀葉書や翌年(1952年)2月に予定されていた
選挙葉書の需要を見越して、新たな1円葉書が発行されることになった。
こうして、沖縄タイムス社で王冠の原板が制作され、那覇市内の向春印刷所
(向春商会印刷部)で1円葉書が製造され、まずは、1月16日に公示された総選
挙の立候補者のため、2月2日に選挙葉書が発行され、ついで、同8日から一
般向けに“立法院議員 選挙”の文字のない葉書が発行された。なお、このと
きの選挙葉書は投票日の3月2日まで1カ月間のみ有効だった。
3月2日に投票が行われた選挙戦には60人が立候補し、投票率は86.1%。党
派別の獲得議席は、沖縄社会大衆党が12議席、沖縄人民党が1議席、宮古革新
党1議席、無所属(主に保守系)17議席だった。
一方、1952年4月1日に発足した琉球政府は「琉球における政治の全権を行
使することができる」とされていたが、その権能はUSCARの統制下に置かれてお
り、その長である行政主席に関しては、1952年2月29日付のUSCAR布告第13号
「琉球政府の設立」第2条により、「選挙制になるまで民政副長官が、これを任
命する」として、任命制になっていた。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効したが、その後も琉球列島
の施政権は米国が保持し、行政主席の公選も1953年1月に無期限延期の決定が下
された。以後、主席公選制の実現が米施政権下の沖縄において重要な政治課題
となる。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「現代日中関係史 第2部 1972−2022」日本郵趣出版、電子書籍で「切
手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などが
ある。
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り、広告は随時募集中です。詳細はメールにて編集同人までお尋ね下さい。
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■編集後記
CHAT-GPTが話題になっている。こんなことを実現する技術はすごいとは思うが、
私には宿題やレポート書く学生には便利だろうなと思う程度で、それほど驚き
はない。
これがAIのモデルと言われ、多くの人を失業させる鴨なんて言われても鼻白む
思いがする。そんなものよりもっと使えるAIが欲しい。
はっきり言おう。伝票や領収書を全部スキャンしたら税務申告書類全部作って
くれるAI・・・これなら売れるぞ!というか、これくらいにならないと税理士
さんは失業なんかしない・・・いや、むしろ税理士の仕事がラクになるかも。
そんなことを考えてる。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第83回「“共進会”とは?」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第165回 「くうき」ってなんだろう?
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 今年で12年目を迎えた東日本大震災。原発事故当時の双葉郡の消防士
たちのドキュメンタリー
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第10回 信じる前に考えるようになった
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第83回「“共進会”とは?」
こんにちは。
花粉症がツラい季節になり、わたしも公私共にいろいろ滞っております。ご迷
惑をおかけしているみなさまごめんなさい。
さて、2022年度卒業研究ゼミで預かった学生のひとりが「福島県内の公共図書
館のはじまり」を研究テーマとしていたので、国立国会図書館デジタルコレク
ション(デジコレ)(1)には様々お世話になりました。個人送信が2022年度の
ゼミ活動に間に合い、印刷物の入手も図書館送信をわずらわせて必要な文献の
必要な箇所を印刷して学生に提供しました。『福島県立図書館三十年史』(2)
(以下『三十年史』とする)はデジコレで見て「おっ」と思って古書店から入
手したりもしたのですが、それはそれとしてタイトル検索だけでは見えてこな
かった戦前の図書館一覧(名簿)の類が、全文検索の範囲拡大により図書館関
係のものだけではない、さまざまな文献に掲載されていることを発見して実に
興味深いものがあります。
福島県立図書館は1908年に「福島市立図書館」として開館した(福島市立図書
館と福島県立図書館の関係については複雑な経緯があるので別稿に譲ります。
興味のある方は前記『三十年史』をあたってください)。その開館を同時期に
行われていた皇太子行啓(東北巡啓。当時の皇太子はのちの大正天皇)に合わ
せて「行啓記念福島図書館」として開館した、という意味の記載が『福島県教
育史』(3)等にあり、そこで『大正天皇実録』(4)の1908年9月の記事を参照し
て突き合わせてみると、確かに1908年9月に有栖川宮家別邸(「天鏡閣」現存)
や福島県庁を宿舎として福島県内を廻っていることが確認できます。もっとも、
開館の式典に出席したわけではなく、開館した日には次の訪問先である山形県
米沢市に行ってしまうのですが(笑)。
『大正天皇実録』を読みながら引っかかったのは、「尋いで信夫山公園に御登
臨、阿武隈川を始め附近山川を御展望あり、更に豊田町馬匹共進会跡に臨み、
馬匹を御覧あり、五時御旅館に還啓あらせらる。」(第2巻)という箇所です。
「共進会」とは何ぞや、というわけでGoogle検索をかけてみると、現在も牛に
関する共進会(全国和牛能力共進会)(5)が開催されていることがわかります。
ところがGoogle検索で見つかった明治期の共進会は牛、あるいは農林水産業関
係のみならず、同時期に行われていた「勧業博覧会」と同様の性格を持つ、明
治政府の国家的目標であった「殖産興業」を推進するための催事であったこと
が様々な文献(6)から見えてきます。それにしてもわざわざ「共進会跡」を見
学するとはどういうことなのでしょうか。
実はこの福島県行啓で皇太子は、そこここで「馬匹」を見物しています。皇太
子(大正天皇)の馬への見識については原敬がびっくりした、という話がある
ようですが、第二次世界大戦にいたるまで福島県は有力な軍馬の生産地であり
ました。その名残が現在も中央競馬が開催されている福島競馬場です。東北六
県では、この時点まで持ち回りで共進会(奥羽六県連合共進会)を5回開催し
ていたのですが、1908年にいたって初めて、「奥羽六縣聯合馬匹共進會」を開
催した、その開催地が福島市でした。その報告書がデジコレで確認できます
(7)。ただしその開催地は報告書によると「福島市仲間町(ちゅうげん
ちょう)」であり、『大正天皇実録』にある「豊田町」ではありません。
とはいえ、現状の仲間町と豊田町は国道4号線を挟んだ北と南にあり、さほど
の間隔があるわけでもないのですね。豊田町については、もとは「馬喰町
(ばくろうちょう)」という町名で、奥州街道の宿場として旧名の通り、馬の
仲買人で賑わっていた地域であった。町域の西側(現在の国道4号線北町バイ
パス上)に馬場が設置され馬競りが行われ賑わっており、北側に隣接して馬頭
観音堂が設けられていたとのことなので、その近所で馬匹共進会が行われたこ
とに不審な点はないように考えられます。
「共進会」「馬匹共進会」についてわたしが調べあげているのは現状この程度
なので、今後もう少し掘り下げて別稿を執筆できたら幸甚です。
……と、図書館史を調べているはずが、気がつくと細部に拘泥してしまうのが
わたしの悪癖で、これはデジコレに悪癖を助長されてしまうのではないか、と
危惧しつつ本稿を閉じることにします。
では、また次回。
1) 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ja/
2) 福島県立図書館30年史 : 新館舎落成記念
- 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2934341
3) 福島県教育史(全5巻) / 福島県教育センター編. 福島県教育委員会,
1972-1975.
4) 大正天皇実録 / 宮内省図書寮編修. 補訂版. ゆまに書房 , 2016.12-.
5) 第12回全国和牛能力共進会 鹿児島大会
https://zenkyo-kagoshima.com/
6)例えば以下の論文
清川雪彦. 殖産興業政策としての博覧会・共進会の意義:その普及促進機能
の評価. 経済研究. 1988-10-14. 39(4). 340-359
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/22397/
7)奥羽六県聯合馬匹共進会事務報告 第1回
- 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/841603
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第165回 「くうき」ってなんだろう?
「くうきを読めない」って言葉は、いまではすっかり定着している。いったい
いつからいわれているんだろう?
「KY」(空気が読めない)は、2007年にユーキャンの新語・流行語大賞にエ
ントリーされて注目を浴びたんだそうだ。「KY」の意味は「空気を読め」また
は「空気が読めない」の頭文字で状況にふさわしい言動を欠く人への警告と説
明されている。
ぼくの名前のイニシャルは「KY」!
なんだか自分のことをいわれているようでいやだったなあ。
『「くうき」が僕らを呑みこむ前に』(山田健太 著 たまむらさちこ 絵
理論社)は、「くうき」というのはいったいなんなのか?
その疑問にわかりやすく答えて、そして言論の自由や民主主義の役割につい
て分かりやすく解説した児童書だ。サブタイトルは「脱サイレント・マジョリ
ティー」。
著者は、専修大学ジャーナリズム学科教授で、この本では「言論の自由」の
研究者プロフェッサー・ケンタとなって子どもたちに語りかける。
プロフェッサー・ケンタの授業は面白い!
児童書だからといって、子どもだけの本にしておくのはもったいない。とい
うか、「くうき」を読み過ぎているぼくたち大人が読んで考えなくちゃならな
い、と思う。
本のページをめくると物語は、兵士が横たわっている小さなイラストで始ま
る。静かな絵だ。でもページをめくっていくと「まさか こんなふうに 死ぬ
なんて」と書いてある。兵士は死んでいるのだ。なぜ、自分が死ぬことになっ
たのかわからないままに。
絵本作家たまむらさちこの洒落たやわらかい絵で描かれているが、「兵士に
なろうとは思っていなかった」普通の人がなぜ死ななければならなかったか、
そして、それは未来の「きみ」かもしれないと書かれている。もしかしたら気
がつかないうちに兵士にされて、戦地に行くかもしれないと。
どうして、普通の人が戦地に行くようになってしまうのか、それは「くうき」
という不思議なもののせいらしい。
どうしたらおかしな「くうき」に呑みこまれないようにできるのか、社会と
自分との関係や、自分で考えることの大切さ、そして意見を伝えることの重要
性をプロフェッサー・ケンタは語っていく。
自分と社会との関係を「たまたま電車に乗り合わせた人たち」にたとえてわ
かりやすく話す。続いて「なぜ多数決が生まれたか?」「話し合う重要性」
「多数決の欠点」について順番に解説していく。
大人だったら当たり前のことが書かれていると思うだろう。でも、いまの政
治のことを考えてみると、ぼくたちはちっともわかっていないみたいだ。
議席が多いという数の論理だけで大切なことが勝手に決められてしまう。そ
れも国会できちんと話し合うこともせずに閣議決定だけで、だ。岸田首相はじ
め政府のえらい先生方にこの本を読んでほしいと思うのだけど、でも、きっと
あの人たちは確信犯だからなあ。
そして第5章は「サイレント・マジョリティー」とは何か、だ。自分に直接
関係のないのだから、だまっていよう。そのうちにおかしいと思ってもいいだ
せない「くうき」が生まれてしまい、気がついたときはもう遅い。いちど生ま
れてしまった「くうき」はなかなか変えることはできない。だから「くうき」
ができる前に「おかしい」と感じたときは「くうき」を読んでばかりいないで
自分で考えて、そして自分の考えをだれかに伝えることが大事なんだ、といっ
ている。話してみると、意外と「おかしい」と思っている人は多いものだから。
第6章では、失敗の歴史について書いている。「なにも考えずにいるうちに、
空気が物事を決めてしまう」ことになってしまった結果、支配者の思うとおり
に戦争になってしまった日本の過去についてだ。
第7章では、戦争という失敗を二度と繰り返さないために作られたのが
「憲法」であり、そして憲法が「すべての人にある」としているのが「言論の
自由」であることを伝えている。
支配者はまた戦争をはじめるために言論を統制するかもしれない。言論の自
由を守るためには日常から「自分の考えを言う」ことを練習しよう、と強いメ
ッセージを送っている。
言葉だけではなかなか伝えることがむずかしいことを、たまむらさちこの描
いた「くうき」のキャラクターが使われたマンガや、イラストで政治など大き
なことではなくて、クラスのこと、身の回りのことを題材にして「多数決」
「ブラック校則」「話し合う手順」をわかりやすく伝えている。
各章に著者のコラムがあることによって、より内容が深みを増すようにして
いる。充実したプロフェッサー・ケンタの講義を受けている気分になった。
言論の自由といえば、いま国会で問題になっている放送法に関する行政文書
のことだって「政権が報道を取り締まる」という言論統制に関わる重大で
「言論の自由」の危機なのにメディアの伝え方はおとなし過ぎるんじゃないか。
いくら視聴率のためといって、こんな大事なことがあるときに大谷選手のホー
ムランがトップニュースになってしまうなんて、おかしくない?
そしてもう一冊、『集団に流されず 個人として生きるには』(森達也 著
ちくまプリマー新書)もおすすめだ。
これも「くうき」について書かれた本だ。「一人ではしないこともみんなと
一緒だとしてしまう」と帯にあるとおり、人間がどうして「くうき」を読むの
だろう、という疑問についてわかりやすく解説している。
人間がなぜ「くうき」を読むようになったのか人類学から分析をして、人間
は「群れをつくる」生物であり、不安や恐怖を感じたとき、群れは全体で同質
であろうとするために、異質なものを見つけて排除しようとするといっている。
そして人が「くうき」によって戦争へと駆り出され、恐ろしい殺人殺戮を平
気で犯してしまうようになるメカニズムをナチス、オウム真理教、連合赤軍の
事件などを例にハンナ・アーレント、アーヴィング・ジャニスなど多くの文献
を参照しながら解説している。
ドキュメント作家である著者は「くうき」を生み出すものとしてメディアの
影響がいかに大きいかを訴えている。新聞、ラジオ、テレビと各時代にメディ
アがいかに政治に利用されてきたかを検証して、そしていまはインターネット
の時代だ。
「私たちは政権のせりふにだまされない「強い個人」にならなければならない」
という毎日新聞の奥村隆記者の言葉が印象的だった。
「くうき」にさからって、自分の意見をはっきりいうのはむずかしい。ときに
は、職場で自分の立場を悪くしたり、仲間はずれにされることだってある。
もう何十年もまえの話になるけれど、ぼくは野球雑誌の編集部で働いていた。
ある日、出来たばかりの週刊誌(毎週、火曜日に運ばれてくる)のページをめ
くっていて、自衛官募集の広告が載っているのに気がついた。モノクログラビ
アの1ページ広告だったが、スポーツ用品の広告が並ぶ中で異様に映った。
野球を愛する若い読者に対して自衛隊への勧誘広告を掲載するなんて、どう
考えてもおかしい!
浪人中に映画ばかり見ていた時期があって、池袋の文芸坐地下で
『不滅の熱球』(東宝 1955年 主演 池辺良)という沢村栄治を題材にした
映画を見たことがあった。巨人のエース、というより日本のエースだった沢村
投手は戦争に二度も招集されて、選手生命ばかりか命まで奪われてしまった。
27歳の若さで戦死した沢村のことを思うと、野球と戦争が結びつくのが耐え
られなかった。
ぼくは、思わず編集長に怒りをぶつけてしまった。たぶん、違和感を覚えた
のはぼくだけじゃないだろう。もしもあの自衛官の写真に違和感を覚えなかっ
たら、そのほうが問題だと思う。
編集長は、しぶしぶ社長にぼくの思いを伝えてくれた。そのときは考えもし
なかったが、たぶん、編集長の立場も悪くしてしまったのかもしれないなあ。
社長の答えはこうだった。「どの週刊誌にも掲載されているから、我が社の
雑誌に掲載されてもおかしいことはない」とのことだった。急いで書店に行っ
て、ほかの週刊誌を見ると週刊朝日をはじめどの週刊誌にも同じ広告が掲載さ
れていた。
こんなふうに「くうき」は作られていくのだろうか?
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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東日本大震災から今年で12年。干支がようやくひと回りしましたが、むしろ
これから震災の時のことを忘れないようにしないといけないですね。今回紹介
する本を読んで、レジ内のパソコンに特別にテレビを映して刻々と変化する原
発の状況を片目に、余震を気にしながら本を棚に並べていたのを思い出しまし
た。本書はあの時原発の足下はどうなっていたのかというのを教えてくれます。
『孤塁−双葉郡消防士たちの3・11』、吉田千亜、岩波現代文庫、2023
本書の舞台となるのは福島県の浜通りに位置する双葉郡。あの福島第一原発
の(そして第二原発も)立地していた場所です。双葉郡を構成するのは南から海
岸沿いに広野町・楢葉町・富岡町・大熊町・双葉町・浪江町、南西の山間部に
川内村、北西の山間部に葛尾村と8つの市町村で構成されています。
そして双葉消防本部はこの双葉郡内の消防事業を一手に担う組織です。消防
・救急を専らとする組織だけに東日本大震災においても、不眠不休で業務にあ
たりました。
しかしこれまでの災害と異なり、東日本大震災では原発災害が消防の前に立
ちはだかりました。本書はその双葉消防本部の震災時の苦闘を、著者が職員の
人たちへの聞き取りを丹念に重ねて描き出したものです。
地震の発生とともに、管内各地で同時多発で救助要請が入ります。沿岸部で
は津波被害者の救助、そのほかの地域でもけが人などの救助要請が相次ぎます。
当然休む暇などなく次から次へと現場に出向いていくわけですが、もちろんそ
れは双葉消防のメンバーだけで続けるわけにはいきません。
通常の災害であれば日本各地から次々に応援部隊が派遣されてきて、応援を
受けることができます。実際にこの時も群馬県や福島県の他地域などから早く
も翌日には応援が入る段取りになっていたようです。しかしそこに立ちはだか
ったのが原発災害でした。
3月11日の16時45分には双葉消防富岡消防署に福島第二原発から、原子炉が
制御できていないことを意味する原子力災害対策特別措置法による15条通報が
されています。原発立地自治体の消防だけに、15条通報の意味するところをす
ぐに理解できるわけですが、地震発生からあっという間に緊急事態に陥ったこ
とは、消防にとってもまったく信じがたいことでした。むしろそれについて詳
しいからこそ、聞いた誰もが一度は聞き返さずにはいられない事態でした。
それにより各県から参集していた応援部隊は双葉消防の管内に入ることがで
きなくなってしまいます。これにより双葉消防は孤立無援のまま管内の様々な
事象に対処していかなくてはいけなくなります。
それと同時に原発周辺からの避難が決まったことにより、双葉郡消防の任務
は原発からの避難誘導と広報に移ることになりました。本来の任務(もちろん
避難誘導や広報も任務ですが)である人命救助、ましてやまだ多くの人が救助
を待っていることが分かり切った状況でこうせざるを得ないことへの割り切れ
ない思いも本書からは伝わってきます。
このあと双葉消防も沿岸部の浪江・富岡・楢葉の消防署からは撤退し、川内
・葛尾の両出張所に全員が移ります。しかし小さな両出張所に24時間体制で詰
めているため、睡眠のスペースもまともに取れないありさまとなってしまいま
した。
さらに地元の病院も避難しなければならなくなり、遠く郡山や福島まで受け
入れ先もままならない中患者の搬送などを行わざるを得なくなります。そして
辿り着いた先では(受け入れ側の心配ももっともなのですが)、放射能汚染地域
から来たということで厳重なスクリーニングを強いられます。
地元での活動はもちろん放射線防護服を身にまとわなければなりませんし、
それは火に強くないので火災時にはその上から耐火服をまとわなければいけま
せん。福島第一原発で火災や急病人が発生すれば、被曝の不安を抱えながらも
そこへ任務を果たしに行かなければなりません。
そして何より双葉消防のひとりひとりが地震・津波・原発災害の被災者でも
ありました。家族の安否もわからない、安否はわかっても遠方へと離れ離れに
なってしまったなど、任務に忙殺されて自らのことも後回しにせざるを得ませ
んでした。そして避難先の家族へ会いに行っても、放射能汚染を恐れてよそよ
そしい避難先の視線にさらされることもありました。
現地に踏みとどまって活動し続けた彼らの証言からは、メルトダウンのよう
な深刻な原子力災害が起こるとどうなってしまうのかということが具に伝わっ
てきます。もちろんはじめての出来事ではあったのですが、原発立地自治体の
消防としてそれなりに準備と知識を持っていたとしても、ここまで追い込まれ
てしまうものなのですね。そして原発の状況もよくわからないまま活動してい
たというのも驚きです。
現在原発再稼働が言われる中、原発の周辺自治体では避難計画なども策定さ
れていると聞きますが、いざ事故が起こった際にその計画がどれほど機能する
のかという点も、本書を読むと首をかしげたくなります。
原発災害が起きるとひどいことになるということは、日本中の人が身にしみ
て感じたこととは思いますが、そこで起きる「ひどいこと」は、想像しうるも
のをはるかに超えているのだということがわかります。特にそれぞれの消防職
員の心に去来したさまざまな葛藤がそれを表しています。
世間の関心はすでに薄くなりつつあるようにも感じますが、双葉郡ではいま
だ復興の道は半ば(場所によっては半ばですらない)です。文庫版で加筆され
た「『孤塁』その後」には、いまだ大熊町の自宅が帰還困難区域にある職員も
いることが書かれています。今も続く災害をたった12年で風化させてはいけな
いという思いを改めて強くしてくれます。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第10回 信じる前に考えるようになった
およそ1年半前の2021年8月末、約1年半ぶりに上海に戻った私は、ホテルで2週
間、自宅で1週間の隔離を強いられることになった。空港の職員もフライトア
テンダントも、隔離先のホテルの職員も、誰も彼もが完全防備の白い防護服姿
だった。幼い頃の私にとって《ジョーズ》のホオジロザメ以上に気味悪かった
のは、E.T.を研究するためにエリオットの家に突如押しかけてきた白い宇宙服
を来た科学者である。白い防護服に囲まれて、私はまっさきに《E.T.》のあの
場面を思い出した。ゼロコロナ政策は白髪交じりの中年に、エリオット少年の
気分を味わう機会をもたらしてくれたのである。
ホテルでの隔離中は、部屋からは1歩たりとも外に出てはいけない。部屋のド
アを開けることができたのは、食事を運んできてくれる時と体温を測る時、そ
してPCR検査などの検査をする時だけである。しかも私にあてがわれたのは、
運動不足解消のために持ち込んだヨガマットを広げることすらできない狭い部
屋だった。当初は隔離期間に原稿を書いたり授業の準備をしたりしようと思っ
ていたのだが、部屋に入った途端、そんな気は失せてしまった。だから私はベ
ッドの上で、ひたすら映画とテレビ・ドラマを見た。結果として私の隔離生活
は、とても充実したものとなった。
その時に見たテレビ・ドラマは、2021年8月に話題をさらっていた
《掃黒風暴Crime Crackdown》である。警察を追われ地元企業の法律顧問とな
っていた孫紅雷演じる主人公が、地元に巣食う「悪」を暴き出し、最後は念願
だった警察への復職が叶うに至る波乱万丈の物語は、孫紅雷が身につけるファ
ッションやメガネの多彩な変化も相まって、全28話を一気に見させるだけの力
を持っていた。気をよくした私は続けて、2021年5月に公開された姜武と
張頌文主演の映画《掃黒・決戦》を見てしまったくらいである。
「掃黒」とは「黒社会」、すなわちギャングやヤクザを一掃するという意味で
ある。中国大陸では、2019年5月から「掃黒除悪」運動が始まった。社会に害
毒を流す「悪」を取り除く運動が中国全土で強化されたのである。これはもち
ろん2013年1月に始まった「打虎拍蝿」、すなわち虎も蝿もたたくという汚職
官僚を摘発する反腐敗運動の一環であり、それゆえ「掃黒」物は、「蝿」たた
きで物語を活性化し、「虎」退治で大団円を迎えるというストーリーが鉄板と
なっている。
新学期が始まる前、今年の2月中旬に上海に戻った私には、もう隔離の義務も
なくなっていた。機内も空港も、上海の街も、表面的にはコロナ以前に戻って
いる。しかし隔離の必要はなくなったとはいえ、上海に戻るやいなや私がした
ことは、2021年8月末と同じだった。テレビ・ドラマを見ることである。
元旦を日本で迎えた私は、2023年1月14日から中国で放映が始まった
《狂飆The Knockout》が気になって仕方がなかった。中国語のニュースでも
SNSでも話題をかっさらっていたからである。結果として私は全39話を、新学
期の授業の準備もさておき、一気に見てしまうこととなった。
《狂飆》もまた「掃黒」物である。ノベライズ版に付された「序」で監督の
徐紀周は、「黒社会」の勢力が生長し大きなものとなり、その多くがみずから
を守ってくれる「保護傘」としての権力者と結託し、勢力をふるい、社会経済
の秩序に甚大なる悪影響を及ぼしている事態を指摘し、「中国の映画演劇人と
しての責任感と使命感」から《狂飆》を創作するに至ったと述べていた。
《狂飆》は「掃黒除悪」運動の「宣伝創作工作」の賜物なのである。ちなみに
ノベライズ版『狂飆』も、ドラマほどではないがなかなかの売れ行きを見せて
いる。中国でAmazon以上に書籍の購入で多く使われるオンラインストア「当当」
の新刊ベストセラーランキングでは、2023年3月11日現在で第3位である(付言
すれば、第1位は東野圭吾『白鳥とコウモリ』の中国語訳、また第6位には上野
千鶴子の『快楽上等!』の中国語訳がランクインしている)。
だから《狂飆》でも、当然鉄板のストーリーは守られている。かたくなに節を
曲げない張訳が演じる警官の安欣を主軸に、「蝿」たたきで物語は右往左往し、
「虎」退治の結末へと突き進んでいく。面白いのは《掃黒風暴》との違いであ
る。すぐに気づくのは、《掃黒風暴》以上に「掃黒除悪」運動の「宣伝創作工
作」としての側面が強調されていることだ。第1話の冒頭は「掃黒除悪」に貢
献した警官の表彰式で始まる。また呉剛が演じる省から派遣された「掃黒」部
隊のリーダーが、たとえば第4話の冒頭で共産党員としてのあるべき姿を反芻
する。「習近平同志を核心とした党中央」による「党から国家の発展」へと至
る方針が、これでもかと「宣伝」されているのである。
しかし《掃黒風暴》とは異なり、《狂飆》で評判となったのは「掃黒除悪」を
決行する警察側ではなかった。《狂飆》でたまらなく魅力的だったのは、喜劇
役者の賈冰が演じるヤクザの親分であり、「黒社会」の大物を手玉に取る高葉
が演じる「大嫂(姐さん)」であり、そして何よりも張頌文が演じる高啓強で
ある。旧市街の寂れた市場の魚屋でしかなかった高啓強は、2000年に起こした
暴力事件をきっかけに警官の安欣と知り合う。安欣から本を読むように言われ、
『孫子兵法』を勧められた高啓強は、持ち前の才覚と孫子の兵法を駆使して、
生臭い「売魚」から「黒社会」の中心へとのし上がっていく。《狂飆》は
2000年から2021年までを背景に、安欣と高啓強の関係を軸にして、過去と現在
を行きつ戻りつ、中国社会の20年の変化を語る寓話となっていた。
過去と現在が往還する物語構造は、ギャングの魅力を新たに引き出したクエン
ティン・タランティーノの《パルプ・フィクション》を想起させ、「黒社会」
の中心となった高啓強のしぐさには、《ゴッドファーザー》のマーロン・ブラ
ンドやアル・パチーノが透けて見える。1976年生まれで、以前から演技には定
評のあった張頌文は、《狂飆》でこれまでになく脚光を浴びることになった。
インターネットにもSNSにも、張頌文を讃える言葉があふれた。
たしかに《狂飆》の張頌文の演技には眼を見張るものがあった。しかし張頌文
が「掃黒」物で悪役を演じるのははじめてではない。たとえば映画
《掃黒・決戦》でも、張頌文は「虎」の役割を見事に演じていたからである。
では、なぜ「掃黒除悪」運動の「宣伝創作工作」の模範作ともいうべき《狂飆》
において、「黒社会」がかくも魅力を持ち、また魅了された人がかくも多くい
るのだろうか。上海のロックダウンが終った直後の2022年6月上旬、河北省唐
山の焼肉店で「黒社会」の男たちが女性客を殴打する凄惨な事件があった。事
件は大きな反響を呼び起こし、「黒社会」への反発や嫌悪は、改めて強まった
ように思う。にもかかわらず、それからおよそ半年後に放映が始まったテレビ
・ドラマにおいて、視聴者の眼を奪い取ったのは、「黒社会」だった。
思い出したのは、エリック・ホブズボームの『匪賊の社会史』である。もちろ
んホブズボームが取り上げた「匪賊bandits」、とりわけ
「義賊social bandits」と《狂飆》に出てくる「黒社会」は同じものではない。
「社会が農業(牧畜経済を含む)に基礎をおき、領主、都市、政府、法律家、
あるいはさらに銀行家等によって支配され抑圧され搾取されている農民と、土
地を持たぬ労働者から主に成り立っているところでは、義賊団は普遍的に見出
される」というホブズボームは、あくまでも「農民匪賊」と「都市的ないし浮
浪的要素の犯罪的地下社会」を峻別する。にもかかわらず、「匪賊は単に一個
の人間であるばかりではなく、一つのシンボルなのである」というホブズボー
ムの言葉を眼にすると、《狂飆》の「黒社会」をホブズボームの「匪賊」と重
ね合わせてみたくなってしまう。「シンボルとしての匪賊」と題された章には、
次のような一節が記されている。
〈匪賊についての文学的、あるいは大衆的文化のイメージにとっては、そこに
は未開社会における同時代の生活に関する調査報告以上のもの、つまり文明社
会ではすでに失われてしまった無邪気と冒険に対する渇望がある。土匪団を覆
っている地方的・社会的な枠をとり払うとき、そこには何物かがなお残ってい
る。つまりある永続的な情感とある永続的な役割とである。そこには自由、ヒ
ロイズム、そして正義の夢が存在するのである。〉
ここ中国大陸において、「自由、ヒロイズム、そして正義」は「掃黒除悪」す
る側に絶対的に存在する。しかし《狂飆》の「黒社会」に喝采を送った人々は、
それとは別種の「夢」を《狂飆》の高啓強に託したように思えてならない。
『匪賊の社会史』でホブズボームはたびたび『水滸伝』を引き合いに出し、ま
たマルクス主義者らしく毛沢東への言及も散見される。ホブズボームによれば、
毛沢東は中国を救うために「梁山泊の英雄(『水滸伝』中の自由な匪賊ゲリラ)
たちに倣え」と号令を発し、「組織的にゲリラを補充したのである」。だから
ホブズボームにとって「毛沢東の紅軍」は「匪賊」の一種だった。しかし「中
国の紅軍は間もなく匪賊に似た構成ではなくなり、それ以上のものとなった」。
それをホブズボームは「匪賊の悲劇」という。「近代の革命に対する匪賊の貢
献」が「曖昧で疑わしく一時的なものであった」ことが「悲劇」なのである。
ちょうど今、中国では主席や首相を選ぶ全国人民代表大会(全人代)が開かれ
ている。「それ以上のもの」になってしまった国家組織を前にして、人々は
「匪賊」の幻影を追い求めるようになっているのかもしれない。「曖昧」であ
ろうと「一時的」であろうと、「匪賊」には眼前の現実とは異なる「自由、ヒ
ロイズム、そして正義の夢」を託すにたる何かが存在するからである。ホブズ
ボームは述べている。
〈民衆は正義なきところでも生きることができ、また一般的にいえば生きなけ
ればならないが、しかし希望なくして生きることができないのである。〉
ホブズボームの『匪賊の社会史』は世界的な視野で、民衆の「夢」を担った
「匪賊」の歴史をあきらかにする。なお『匪賊の社会史』の原作BANDITSには、
4つのヴァージョンが存在する。現在日本語で読めるのは最初に出版された
1969年のヴァージョンである。Kindleで読めるのは2000年に出版された最新の
もので、第1章の前に「匪賊のポートレート」が置かれ、日本語版の第1章
「義賊とは何か」は第2章となり、その代わりに「匪賊、国家、そして権力」
が第1章となっている。附録として「女性と匪賊」と「匪賊の伝統」も収録さ
れている。1969年版に比して、より充実した内容にはなっているが、中国につ
いての記述は西欧やラテン・アメリカについての記述よりもずっと少ない。多
言語に通じたことで知られるホブズボームといえども、中国語の壁は厚かった
のだろう。ちなみに中国の匪賊については、講談社新書から刊行されている
高島俊男の『中国の大盗賊・完全版』が面白い。またフィル・ビリングズリー
の『匪賊 近代中国の辺境と中央』という素晴らしい専門書が刊行されている
ことも付け加えておこう。
ちょうど全人代が始まった3月5日だったと思う。タクシーに乗って旧フランス
租界に向かった。タクシー運転手は私にとって一番の中国語の先生である。い
つも必ず助手席に座って、おしゃべりに興じることにしている。2007年に上海
にやって来たという山東省出身の運転手は無類のおしゃべり好きだった。故郷
に残してきた家族のこと、上海料理がまったく口に合わないこと、上海人の気
質がどうにも好きになれないこと、そして《狂飆》のこと、話題が尽きること
はなかった。
ロックダウンの時の上海に話題が及んだ時だった。コロナの前と後では、もう
まったく違う、表面的には元に戻ってきているけれど、おれはもうまったく違
う人間になったよと、運転手は前を向いたまま私に語りかけた。どう違うのか
と聞いたら、考えるようになったと言う。何を? 何もかも。以前は信じてい
た。でも今は信じる前に考えるようになった。もう一度、私は問いかけた、何
を考えるようになったのか。すると運転手はこちらを向いて、にやりと笑いな
がらこう言った。わかるだろう? 何を考えるようになったのかは言わないほ
うがいい。それくらいはみんな知っている。ただ考えるようになったというの
が大切なんだ。それでもうお前にはわかるはずだ。
運転手が《狂飆》で褒めちぎっていたのは、「大嫂」を演じた高葉と、そして
もちろん高啓強を怪演した張頌文だった。
【本文中で言及させて頂いた本】
朱俊懿・徐紀周『狂飆』青島出版社、2023年1月
エリック・ホブズボーム『匪賊の社会史』船山榮一訳、ちくま学芸文庫、
2011年1月
Eric Hobsbawm, BANDITS, Weidenfeld & Nicolson, 2000
高島俊男『中国の大盗賊・完全版』、講談社新書、2004年10月
フィル・ビリングズリー『匪賊 近代中国の辺境と中央』山田潤訳、筑摩書房、
1994年10月
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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あとがき
またまた遅くなってしまい申し訳ありません。
震災が兎年だったことに今年初めて気づきました。12年という時間は短いよ
うな気もしますが、記憶が薄れるには充分な時間でもあるのですね。
原発事故という未曾有の災害がもたらしたものは、今だ解決せず、これからも
真正面から取り組まねばならないものです。それなのに、12年を経て原発を
新たに推進しようとする国の方針に疑問を感じずにはいられません。人間が
キチンと始末できないものに安易に手を出していいものとはどうしても思えま
せん。
12年前の暗い世の中を何度も思い出しながら、これからのひとのことを考えて
行かねばならないと改めて思います。
毎日新聞で連載されていた、津村喜久子さんの小説『水車小屋のネネ』が単
行本になりました。事情があり親と離れた姉妹が、自立しながら、知らない町
で知らない人たちのなかで暮らしていく40年の日々を淡々と綴る作品です。
人々ができることをひとにする。心にとめて、助けられることは手を差し伸べ、
寄り添えれば寄り添う。その営みから生まれる何かが心に響きます。もし、ご
興味がありましたらぜひ。私は大好きな小説です。 畠中理恵子
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第142回 それぞれがそれぞれに変化する
―松浦理英子『ヒカリ文集』(講談社)
松浦理英子は企画力の優れた作家で、多作ではないが、一作ごとに特色ある
切り口を見せて読者を驚かせる。『ナチュラル・ウーマン』(1987年)では女
性同士の緊張感に満ちた恋愛を描き、『親指Pの修業時代』(1993年)では女
性の親指がペニスになるという奇想を描き、『犬身』(2007年)では何と犬へ
の変身を描いている。どれもあっと言わせる設定だが、アイディアに溺れるこ
となく、特異な状況に置かれた人物の行動と心の動きをきめ細かく描いている。
状況を糧に自分を成長させていく、その成長のさせ方が、該当の人物ならでは
のものを端的に指し示していて、類型的なものから逃れている。作家はともす
ると筋を成立させるために、登場人物の「その人ならではのもの」を犠牲にし
てしまう。人物に「役回り」というもの当て嵌めてしまうのだ。そうすること
によって面白くなる作品もある。『ゴルゴ13』のような作品なら、主人公がお
決まりの振る舞いをすることで読者は安心感を得、筋の展開に没頭できる。し
かし、作品の中の出来事を、代替のきかない現実として受け止めたいという読
者もいる。松浦理英子はそうした読者の要求に応える、果敢な「現実」の実験
に挑む作家だ。
劇作家・演出家の破月悠高が東北地方で凍死する。東日本大震災後、子供た
ちに演劇を教えていたが、酔って道で眠り込んでしまったというのだ。悠高の
劇団NTRに属していた妻の久代は悠高の未完の戯曲を発見する。それは学生
劇団時代の仲間たちが久しぶりに集って飲む情景を描いており、劇団の男女の
メンバーと付き合っては別れていたヒカリという魅力的な女性(飲み会には現
れなかった)を話題の中心にしたものだった。久代と劇団のキーメンバーであ
った裕は、劇中に登場した人たちと連絡を取り、各々がヒカリへの想い出を綴
った「ヒカリ文集」を作成する。
裕は劇団の看板役者で、後に小説を書く程文才があり、劇のアイディアも積
極的に出していた。彼はヒカリと別れた後、ヒカリと、やはりヒカリと交際し
ていた雪実を伴い、楽器を持って老人ホームで慰問のライブを行う。ヒカリは
わざわざ参加を申し出て、元交際相手である2人とほがらかに交流し老人たち
にもたっぷりのおもてなしをする。失恋者同士である裕と雪実は、翌日稽古を
休んでレンタカーで新潟まで旅行に行こうとするが…。恋人としては別れても
が友人としては繋がっていたい。都合の良い話にも思えるが、そんなヒカリを
受け止めて、かつ思いやることができるところに、裕の優しさが滲み出ている。
雪実は同性愛者の女性で、ジェンダーの意識に敏感であり現在はライターを
やっている。稽古の即興劇で印象的な演技をしたことでヒカリの気を惹き、一
緒に献血に行ったことで距離が縮まって交際するに至った。彼女は生真面目な
性格でヒカリへの恋愛にも真摯な態度で臨むが、自分はセクシュアリティがは
っきりしないから、という理由で別れを切り出される。別れ前に最後のツーリ
ングをし、その際にヒカリの家に寄ってヒカリの母親に会う。やんわりと自分
の考えを押しつけてくる母親に、雪実は「厄介さ」を感じる。そしてヒカリに
対し「恨みよりも楽しませてくれたことへの感謝」を想う。
朝奈は体験人数の多い魅力的な容姿の女性だが、本当に性欲を覚えて行為を
したことがないことに内心コンプレックスを抱いている。また、同性の親友が
いたことがない。彼女は脚本を気に入っていた劇で共演したことを通じてヒカ
リと仲良くなり、「3カ月限定」の性交渉なしの交際を始める。朝奈は本気だ
ったがヒカリはそうではない。しかし、この交際によって、朝奈は自分を大事
にするように変わっていき、幸福な結婚をする。
「文集」には、後に悠高の妻となる包容力のある久代と、ヒカリが主演を努
めた「マノン・レスコー」の相手役を演じた、ヒカリより年下の優也のパート
もあるが、紹介は割愛しよう。ヒカリと関わった人たちの書いていることを総
合すると、ヒカリは愛することより愛されることを好む、と言うよりも、愛さ
れていない状態に耐えられないという性質の女性だったようだ。
ヒカリはサバサバした個人主義的な空気の家で育ち(弟が荒れたこともあっ
たという)、無条件の暖かな愛情を知らず、そのせいか自己肯定感が低く愛に
飢えていた、ということのようだ。愛されるために相手に対して精一杯のサー
ビスを尽くすが、愛が薄れていくのを恐れ、失う前に相手を捨てる。これは、
自分の性的魅力に絶対的な自信を持って相手を振り回す、いわゆる「ファム・
ファタール」とは全く別の人格と言えよう。結果としてヒカリは相手を振り回
してはいるのだが、つきあっている間は誠意を尽くし、別れ際も相手との丁寧
な対話を欠かさない。嫌いになって別れるのでなく、恋愛を継続することが信
じられなくて別れる、ということのようなのだ。無論これはヒカリとつきあっ
てきた人たちの証言なので本当のところはわからない。彼らにはそう見えた、
ということだ。
この「そう見えた」ということが、接した人にとっては大きな問題となるの
である。ヒカリとつきあった人たちは、彼女が精一杯の力で差し出す愛の仕草
に夢中になり、かつそこに彼女の不安も感じ取って、ますます愛おしさを覚え
る。その経験が、一人一人を、実に「その人らしく」変えていくのである。ヒ
カリの思い出を語る彼らの口調は穏やかだが、それはヒカリとの愛の嵐の時期
を消化して現在の自己を築いた、一種の満足感からくるのかもしれない。消化
がうまくいかなかった悠高を除いては。そしてヒカリ自身も彼らとのつきあい
を通じて変わっていったことが暗示される。彼女のフェイスブックによると彼
女はアジア辺りの海外にいたことがあるらしい。ボランティア活動をしている
可能性があり、そうだとすると、不特定多数の人と平等に愛し愛される関係を
築くのにふさわしい場を見つけたということになる。
松浦理英子は一人一人の愛に対する期待と不安を繊細に描いている。あたか
も彼らの隣にいて、彼らの一喜一憂を固唾を飲んで見守っているかのように。
その先に一人一人の成長がある。この作品は、ユニークな恋愛小説であると同
時に、高度なビルドゥングスロマンとしても成立しているように思えたのだっ
た。
*松浦理英子『ヒカリ文集』(講談社 本体1700円)
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その79『狐物語』
一度も食べたことのないものなのだけれど、時たま思い出して無性に食べた
くなるものがある。なぜ、食べたことのないものなのに食べたくなるのかと言
えば、それはその本を読むたびに物語の主人公になって何度も食べたことがあ
るからだろう。
例えば『ライオンと魔女』の中に出てくる、邦訳ではプリン、原文ではター
キッシュディライトのように。もちろんプリンもターキッシュディライトも現
実には何度も口にしているものだけれど、私が本当に食べたいのはこの白い魔
女が魔法で作り上げたプリンなのだ。一口食べたらあまりのおいしさに夢中に
なって、もっともっと食べたくなって他の食べ物が食べられなくなるという悪
い魔法の味を、この物語の中のエドマンドの気持ちになって何度も味わってい
るから懐かしいのだ。決して現実には食べたことがないのに、食べた記憶が心
の中に潜んでいる。それが、本の中の食べ物の魔術ではないだろうか?
同じように、この『狐物語』を思い浮かべるたびに食べたくなる数々の食べ
物がある。それは天井から吊り下げられた燻製肉、柳の枝にくし刺しにされた
鰻、お坊さんが落とした箱の中のおせんべい……。あの狐のルナールが次々に
盗んでは平らげた食べ物だ。もちろん血の滴るような生のニワトリやアヒルの
肉を食べたいとは思わないけれど、ルナールが悪知恵を働かせて十二世紀のフ
ランスの人々や動物仲間から盗んだ食べ物が実においしそうなのだ。
時たま、カルボナーラでも作ろうかと大きなベーコンの塊を買ったり、友人
が燻製作りに誘ってくれたりした時などに、私の鼻は不意に尖がってルナール
の気持ちになってしまう。ぱくりと獲物を咥えて盗み出し、どこかに逃げ出し
て一人でゆっくり味わいたくなるのだ。
そこで、皆様が同じように心の中でルナールに変身できるように、この古い
歌物語から、おいしそうな場面をいくつか抜粋してお目にかけようと思う。
『狐物語』は十二世紀後半に作られた全部で三十ほどの物語で、だれが作っ
たのか諸説あるが不明だ。私が初めて読んだのは例によって小学館の「少年少
女世界の名作文学」の古典編で、児童向けのためにきわどい話は省かれて、ル
ナールが伯父さんと呼ぶ狼をだます物語が主で、八話だけだった。岩波文庫版
には十五話と詳しい解説がついていて、福音館書店のレオポルド・ショヴォー
編には四十七話の物語がある。岩波文庫版と福音館版には、ルナールが狼の他
にも雄鶏やカラスや山猫などをだます話があり、さらに、ライオンが王様の宮
廷の物語が出てくる。この王宮の話では、動物たちがルナールの非道を訴え、
王がルナールを裁判にかけたり決闘させたりする。死んだはずのルナールが何
度も生き返るし、さらに縛り首とかお通夜の連祷とか、その後に足蹴り遊びで
盛り上がる様子等の不思議な場面があって面白いのだけれど、あまりおいしそ
うではないのでここでは省こう。
さて、初めのうち狐は狼と仲良しで、ルナールは狼のイザングランを伯父さ
んなんて呼んでいる。ある日のこと、ルナールはおなかをすかせた哀れな格好
でイザングランを訪ねる。イザングランは可哀そうにと、残り物の臓物を串焼
きにしてご馳走してやりなさいと奥さんに言いつける。ははーん、豚を潰した
んだなとルナールは思い、レバーの串焼きを食べつつ天井を見上げ、大きくて
素晴らしい豚肉の燻製肉(小学館版ではベーコン)が天井の梁からぶら下がっ
ているのを見つける。そして、燻製肉をあんなところに置いておいたら近所の
人が欲しがるから駄目ですよ、早くあれを下ろして隠しなさい。みんなには盗
まれてしまったと言えばいいんですよ、と言うのだ。イザングランは、なに、
断るから大丈夫だよと言ってそのままにしておく。その晩ルナールは、夜中に
天井に穴をあけ燻製肉を三本とも盗んでしまう。そしてイザングランが何と言
おうと、盗まれたふりがうまいなあ、その調子ですよとからかうのだ。
このベーコンがねえ、実にたっぷりあっておいしそうなのだ。散々食べて残
りはベッドの藁の中に刻んで隠すルナール。実に悪賢いやつなのだ。
次にルナールが目を付けるのは、魚屋の荷車だ。海の方からやってきた魚屋
の荷車は、魚を入れた籠や農家から仕入れた鰻の籠を山ほど積んでいる。この
時代の農家が池で鰻を飼っていたのがわかるところだ。ルナールは道に長々と
伸びて死んだふりをする。魚屋たちはその毛皮に目がくらみ、ほくほくとして
荷台にルナールを放り投げる。そこでルナールは、新鮮な鯡を三十匹も平らげ
て籠を空にするのだ。さすがの私も塩もセージも抜きで、この生の鯡を食べた
いとは思わない。物語はここからだ。ルナールは家族にお土産にしようと柳の
枝に串刺しにされた鰻を首にかけてうまく背中に乗っけて盗み出すのだ。そし
て、家族に鰻を食べさせる。フランスでも鰻を食べるのだ。どう料理するのだ
ろう?
<鰻の皮を剥いで、ぶつ切りにし……はしばみの枝で串を二本作り、鰻をそれ
に刺しました>
もちろん鰻だから、日本と同じように匂いにつられる奴が来る。狼のイザン
グランだ。ルナールは一切れだけでも分けてくれと懇願するイザングランに、
修道院のお坊さんをもてなしている最中だからと断る。それでもと食い下がる
イザングラン。そこで、小さな一切れだけ蒲焼を分けてやる。そのあまりのお
いしさにもっともっとと欲しがるイザングランを、ルナールはだまし始める。
まず、お坊さんになればもっと食べられるからと熱湯をぶっかけて頭の真ん中
をはげさせてしまう。そして次の日には、凍った湖の穴にしっぽを突っ込ませ
て鰻釣りをさせる。寒さで穴は凍って閉じて行き、狼はしっぽが取れなくなり
動けない。翌朝、領主が見つけ、いざ退治せんと振り回した剣でしっぽが切り
取られ、狼はやっと逃げ出すのだ。どこか別のところで聞いたような話も交じ
っている気がする物語だが、ルナールのあくどさはともかく、この蒲焼の味は
忘れがたい。フランスだから味付けは違うと思うけれど、本当においしそうだ。
ところで、ここを読んで、そうか、お坊さんだから魚しか食べないのねと思
った私は甘かった。
次にルナールが手に入れたのは、お坊さんが落とした箱に入ったおせんべい。
小学館版では子供に分かりやすいようにそう書いているが、もちろんこれは、
聖体のパンだ。私は信者ではないので口にしたことがないのだが、カトリック
の儀式に使われる小さな無発酵パンのことだ。これを持ってルナールが歩いて
いるとイザングランの弟狼のブリモーに出会う。おなかをすかしたブリモーに、
それは何かと問われて、
「教会お手製のお菓子だよ。おいしくって素晴らしいやつなんだ」
と、ルナールは言い分けてやる。そして、もっと食べようと二匹で教会に忍び
込み、白い布に包まれた聖体をすっかり平らげてしまう。さらに櫃を見つけ、
その中にあった葡萄酒やパンや魚や肉をしこたま食べてしまうのだ。酔っぱら
ったブリモーの頭を剃り僧服を着せ、ミサを唱えさせるルナール。もちろん、
鐘を打ち鳴らす音に気付いた教会の人々や近所の農家の人々が駆け付け、ブリ
モーは散々な目に合う。ルナールはもちろん、さっさと逃げ出しているのだ。
さすがにこの聖体を味わいたいとは思わないのだが、今と違いこの時代の聖
体はなかなかおいしい味がついていたようだ。とにかく、日本のお坊さんとは
違って、修道院では肉も魚も葡萄酒もしこたま食べることがわかったのだ。
次にルナールが食べるのは、とても美味しそうなチーズだ。たくさんのチー
ズが日に晒すために草の上に広げてあるのを見た烏のティエスランは、チーズ
の見張り番のおばあさんがいなくなった瞬間に、すばやく一切れをかっさらい
木の上でチーズをつつき始める。そして、
<一番黄色くて柔らかいところを飲み込みました>
丸くて濃い黄色の大きなチーズが目に浮かぶ気がする。きっと熟成されてお
いしくなり始めた真ん中のあたりをついばんだなと思うのだ。ところが運悪く、
つついた欠片が木の下に落ち、そこにいたのはルナールなのだ。ルナールは烏
をおだてあげ、その素晴らしい歌声を聞きたいと言い、何度も歌わせる。挙句
に思い切り歌い上げた烏の足が緩んでチーズが落ちてくると、さらに烏も食べ
てしまおうとたくらんで、足を怪我してどけられないから、この臭いチーズを
どけてくれと頼む。さすがに警戒した烏は逃げおおせるのだが、チーズはルナ
ールに食べられてしまう。
「どこに行っても、こんなに美味しいチーズにはお目にかかったことがないわ
い」
そうルナールがつぶやくほどおいしいチーズ、烏になったり狐になったりし
ながら心の中でいつもつついてみているのだ。
さて、皆様はどの獲物がお気に召しましたか?悪い狐のルナールになって、
ぜひ心の中でおいしく召し上がってみてください。
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『きつね物語 フランス物語詩』 井上明子 文
「少年少女の世界名作文学 第二巻 古典2」 小学館
『狐物語』 鈴木覚、福本直之、原野昇訳、 岩波文庫
『きつねのルナール(世界傑作童話シリーズ) 』
レオポルド・ショヴォー編 山脇百合子訳 福音館書店
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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下記のアドレスまでお願い致します。
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■あとがき
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今回も配信が遅くなりました。(あ)
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★「漫画’70s主義〜オッサン目線な漫画の地平〜」/太郎吉野
→<156>『マイ・ブロークン・マリコ』、Z世代の諦念と憤怒
★「日記をつけるように本の紹介を書く」/多呂さ
→第151回 不条理劇の最高峰
★「いろんなひとに届けたい こどもの本」/林さかな
→137 冬、寒波、興味
★献本読者書評のコーナー
→書評を書きたい!という方は、まだまだ募集中
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■トピックス
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■今回の献本読者書評のコーナー
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この本の書評を書きたい!という皆様、詳細は巻末で!
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■「漫画’70s主義 〜オッサン目線な漫画の地平〜」/太郎吉野
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<156>『マイ・ブロークン・マリコ』、Z世代の諦念と憤怒
授業で、とある映画を紹介するのに「2002年の公開やから、わりと、新しい
映画やね」と言うと、「センセ、ぼくら、まだ生まれてませ〜ん!」と言われ
てしまった。
こちとら、2000年代のものは、すべて「最近」という意識でいたので、
「え?」と一瞬、絶句してしまった。
この彼らを称して「Z世代」というんだそうだ。
定義としては様々あるらしいが、おおむね「1995年以降に生れた人」を指す
ようだ。
彼らの前の世代が「Y世代」と呼ばれていて、その次、なので、「Z」なん
だとか。
じゃ、なにか? この次の世代は「A」に戻るのか? と一瞬絡みたくなる
ような安易なネーミングだね。
振り返ってみると、「団塊世代」に次ぐ世代だったわしらは、その団塊世代
が主役だった「スチューデント・パワー」の熱気が冷めた頃に青春期を迎え、
「しらけ世代」と呼ばれた。
その後が「新人類」、「バブル世代」、ときて「団塊ジュニア」が「ロスト
・ジェネレーション」に被るのかな?
さらに遡ると、わしらの親世代は「昭和ひと桁世代」あるいは「焼け跡闇市
世代」と呼ばれて、野坂昭如、小沢昭一、永六輔の「中年御三家」は、この世
代の代表選手だった。
若い人は、知らないだろうな。そもそも「御三家」って言葉自体が、今や死
語…ってゆーか、もはや徳川時代の歴史用語としか思ってないだろうし。
お節介までに解説すると、1960年代、男性アイドル歌手のうち、当時人気絶
頂だった、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の三人が徳川御三家に倣って「スター
歌手御三家」と呼ばれたのが最初で、1970年代にはこれに替わって、野口五郎、
郷ひろみ、西城秀樹、という当時まだ十代の若手3人が「新御三家」と呼ばれ
たのだった。
「中年御三家」は、この若者世代代表の「新御三家」へのアンチテーゼとし
て結成されたユニット(…で、いいのかな?)なのだった。
当時、売れっ子作家の傍ら、歌手としても活動し、『黒の舟歌』や『バージ
ン・ブルース』というヒット曲もあった野坂昭如を中心に、俳優の小沢昭一、
作詞家でプロデューサー、タレントとしても活躍していた永六輔の3人で結成
された同年代「トリオ」は、ユニットでのテレビ出演やコンサートもこなし、
野坂以外の二人もそれぞれ単独でレコードもリリースして、イマドキの若者何
するものぞ、と焼け跡闇市派のソコヂカラを見せつけたのであった。
今思えば、あのころの「おじさん」は、わしらがおじさんになった頃よりも
よほど、元気でパワーに満ちてました。
しかし、「御三家」といい、その「新」に続く「たのきんトリオ」と言い、
その昔の「三人娘」やら「中三トリオ」、なんだか日本人、やたらに「3」が
好きなんですね。
と、のっけから話が横道に逸れてしまったが、今回語りたかったのは、ただ
いま現在の「Z世代」の青春を描いた、とも言える『マイ・ブロークン・マリ
コ』なのです。
と、えらそーに言ってはいるが、実は、人から「面白い映画があるよ」と薦
められ、「それじゃ」と映画をまず見ると、監督がタナダユキではないか、こ
れは、面白くないはずがなかろう、と思ったら案の定素晴らしい出来で、映画
を見てから、原作が漫画だと知り、慌てて原作漫画(平庫ワカ・作/KADOKAWA
・刊)も読んでみたのだった。
主人公「シイノトモヨ」は、とあるブラック企業の営業職務めるセールスウ
ーマン。ある日、外回りの最中に昼食をとっていたラーメン屋のテレビで、小
学生時代からの親友「イカガワマリコ」の自殺を知る。
マリコは、「めんどくさい女」だった。
小学生時代から実の父親の暴力に晒され、母親が出て行った家庭で奴隷のよ
うな扱いを受けていた。
高校生の頃に母親が帰ってくるが、父親は成長したマリコを強姦し、母親は
マリコに、お前が父親に色目を使ったからだと激怒し、再び出て行ってしまう。
マリコは、父親から暴力を振るわれたり、さらには強姦までされるのを、す
べて「自分のせい」と思い込んでいる。
そんなマリコにとって「シィちゃん」ことシイノは、唯一の避難所であり心
の拠り所で、「シィちゃん」宛に、時としては日に何度も寄越す手紙が、マリ
コのカタルシスなのだった。
そんなマリコを「メンドくせーっ!」と思いながらも、シイノは、マリコの
防波堤としての役割を担い続け、高校卒業後のマリコが、今度はクズ男にばか
り引っかかり、殴る蹴るの暴行受けるのをかばっては暴力に立ち向かい、身を
挺して守ってもきていた。
いつも自分に依存していたマリコだったのに、そのマリコが自分に何も告げ
ずに自殺してしまった事実に、しばし呆然とするのだが、やがて気を取り直し、
マリコの遺骨を、あの「クソ親」に任せてはおけない、と決意する。
そして、父親が新しい後妻と住むアパートに乗り込んでは、かなり強引な手
段で骨壺を「強奪」し、生前、マリコが行きたがっていた「海」へ向かって、
「クソ上司」からの電話もメールも全てバックレ無断欠勤なんのその、骨壺と
二人連れで旅をする、という物語。
図らずも、映画を見た直後に原作漫画を読んだのだけど、映画は、海へ向か
うバスの中で出会った女子高生や、旅を終えて帰ってきた後の「クソ上司」と
の遣り取り等、所々にオリジナルのエピソードを挟み込んではいるけど、その
ストーリーは、原作に沿ってほぼ忠実になぞられている。
監督のタナダユキは、これ以前にも『サクラン』(原作・安野モヨコ)、『赤
い文化住宅の初子』(原作・松田洋子)、『俺たちに明日はないッス』(原作
・さそうあきら)と、漫画が原作の作品を何本か手掛けている(『サクラン』
は脚本のみ)のだけど、そのいずれもが、今回の『マリコ』同様に、原作のス
トーリーをほぼ忠実になぞる形で作られている。
そして、この『マイ・ブロークン・マリコ』もそうなのだが、どの作品でも、
原作漫画のストーリーをそのままなぞりながら、各シーンでは、そこに描かれ
る人物の心象を、原作よりもさらに深くえぐり出し、見る者に突きつける。
結果、我々は、原作漫画よりもさらに強烈な感動や共感を覚えてしまうので
ある。
前の方で、この映画のことを「Z世代の青春を描いた」と書いたけど、この
感想も、原作漫画を読んだだけでは浮かばなかったと思う。
おそらくは生まれてからずっと虐待を受け続けてきたマリコだが、そのマリ
コの「防波堤」たるシイノにしたところで、生まれたときからの不景気は、一
向上向く気配もなく、マイナス要素ばかりが増え続ける社会の中で、「いい思
い」など一度も味わったことがないに違いない。
どころか、そもそもマイナスばかりの世の中で、かつての高度成長期やバブ
ル期の世代が味わった、「明日は今日よりきっと明るい」と脳天気に信じられ
た高揚感など知る由もなく、マイナス蔓延社会を「当たり前」として生きてい
る。
高度成長期やバブル期には、国民等しく「それなり」の繁栄と栄華を味わえ
たのだが、今や富は全国民の「1%」に集中し、99%はほぼ貧困層と言っても
過言でなく、明日をも知れぬ不安に慄く超二極化社会。
シイノも、もちろん「99%」だ。
生まれたときから、家庭でも学校でも、そして社会人となるとなおさらに
「我慢」と「諦め」を強いられる日常の、息苦しい閉塞感の中で、その腹の奥
深くに、知らず知らずに憤怒というマグマを溜め込み、そのマグマをふつふつ
とたぎらせてきて、マリコの死、という綻びをきっかけとして、シイノは、そ
の溜まりに溜まった憤怒のマグマを爆発させたのだ。
ただいま全国を騒がせている「ルフィ」一味とか、アポ電強盗や特殊詐欺の、
その手先となって「お仕事」感覚で犯行を重ねる若者たちもまた、腹の中のマ
グマを噴出させてしまった人々かも知れない…というのは、ちょっと穿ちすぎ
だろうか?
ひょっとしたら、今現在の「Z世代」と呼ばれる若者たちは、明治大正昭和
平成令和と続いてきた近代の中で、もっとも「生き難い」時代に直面してるん
じゃなかろうか。
「生きる希望」や「展望」という面で、若者にとって令和の現在は、戦時中
よりもさらに過酷だ、と思う。
閉塞し、縮小していく社会の中で、縮小に合わせて縮こまって生きるか、ど
こかでマグマを爆発させて噴火し、古い土壌の上や海の中に新しい地平を開い
ていくか、二者択一を迫られているのが、今の若者たちだとすれば、わしら古
い世代の役割は、彼らに「正しい噴火の仕方」を教えて、導いてあげることな
んじゃないか…と薄らのアタマでぼんやり考えている、二月の午後11時30分な
のだった。
太郎吉野(たろう・よしの)
阪神タイガースお膝元在住。右投げ右打ち。趣味は途中下車、時々寝過ごし乗
り越し、最長不倒距離は三重県名張。
ちなみに「阪神タイガース」の「阪神」は、「兵庫県阪神地方」を指します。
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■「日記をつけるように本の紹介を書く」/多呂さ
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第151回 不条理劇の最高峰
『ゴドーを待ちながら』。
この不条理劇の最高峰と云われている作品について書くにあたっては、この
作品だけをテキストにして書評を書くのは難しすぎる。書けるわけがない。で
もとても気になる作品なので、いつかはいつかは、と思っていた。
そしてついにこの作品について書けるまたとない機会が巡ってきた。
皆さんは、映画『アプローズ、アプローズ!』を観たのだろうか。今回はこ
の映画にからめて、不条理劇の最高峰『ゴドーを待ちながら』について、書い
てみたい。
『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット 作)
(安堂信也・高橋康也 訳)
(発行:白水社)(白水uブックス)(2013年6月25日初版)
そもそも“不条理劇”ってなんだろう? 不条理が理屈に合わない、という
ことなので、演劇での理屈に合わない、ということは、つまり設定がめちゃく
ちゃ、会話もかみ合わず、性格設定もいい加減・・・・・・、ということだろ
うと勝手に推測した。それは、この『ゴドーを待ちながら』を読めばわかる。
ストーリーがまるでない。物語の定石である“起承転結”とか“序破急”とか
そういうストーリー運びがなく、脈略のない会話が延々と続く。脚本を読んで
いる限りそれは苦痛以外なにものでもない。しかし、実際の芝居を観るとよい。
役者が舞台上で演技をしながらせりふを云う。そこには不条理な世界がふつう
に存在している。現実にそこに不条理がある。舞台上での不条理。理屈は関係
ない。前後の脈絡も関係ない。あるのは人間そのもの。・・・それだけで充分
じゃないか、という気分になる。
ウラジミールとエストラゴンというふたりの浮浪者。このふたりは全二幕の
舞台にほぼ出ずっぱり。そしてポッツオとラッキーという主従関係のある二人
組がそれぞれの幕で登場する。また、なかなか来ないゴドー氏の使いとして少
年が登場する。ゴドー氏はその日も来られないのである。
そもそもこの全二幕の舞台では、一幕目と二幕目の時間の経過がはっきりし
ない。一幕目の最後に「あすも来よう」というせりふはないが、観客は二幕目
は翌日のことだ、という前提で観ている。そもそも二幕目の冒頭にあるト書き
に「翌日。同じ時間。同じ場所。」と書いてある。しかしながら、舞台の中央
に置かれた一本の木は一幕目では葉が一枚しかついていないが、二幕目では葉
がたくさんついている。そしてウラジミールはそのことに気づく。もしかして
時間はずいぶん経っているのか、と観客は感じる。さらに一幕目で登場したポ
ッツオとラッキーであるが、あきらかに一幕目とは様子が違う。違いすぎてい
る。たった一晩でこうも違ってしまうのか、というほどの変わりようなのだ。
時間の経過や言葉の遣り取りにルールのかけらもない。まさに不条理劇なのだ。
観客は騙された想いをする。
この芝居は1953年にパリで初演された。初演時はたいへんな悪評であり、芝
居は早々に打ち切られたという。さもありなん。当時の観客は不条理劇がどん
なものか、わからなかった。演劇だって映画だってすべては矛盾なく進む物語、
と頭から思っていたのだから。現在、我々は『ゴドーを待ちながら』は不条理
劇であり、それを楽しむためにこの芝居を観る。そこに大きな違いがある。不
条理劇を受け入れている我々と不条理劇を知らなかった当時の人々。
さて、映画『アプローズ、アプロ―ス!』である。
『アプローズ、アプロ―ス!』 エマニエル・クールコル監督作品
ガッド・メラッド主演 2022年フランス映画。
本作は『ゴドーを待ちながら』が劇中劇として登場する。そしてこの映画に
おける劇中劇は、ほかでもなく『ゴドーを待ちながら』でなければならないの
だ。映画の中で『ゴドーを待ちながら』を演じているのは囚人たちである。元
囚人ではなく現役の囚人である。彼らにないものは、一言「自由」なのだ。そ
して演じているときには、彼らは自由になれる。舞台ではその役を演じ、魂ま
でも移入して自由にものを考え、自由に行動する人を演じる。芝居が終われば
また囚人に戻る。しかも彼らが演じているのは、ルールも約束事もない(決め
られたせりふはあるのだけれども)、不条理劇の極みである『ゴドーを待ちな
がら』なのだ。映画の観客は『アプローズ、アプローズ!』を観ながら『ゴド
ーを待ちながら』を考える。云い忘れたが、『アプローズ、アプローズ!』は
『ゴドーを待ちながら』を知らなければ、観てはいけない映画だと思う。映画
では、刑務所の外で演じ、それが成功を収め、さらに別の劇場からも次々に声
がかかり、すばらしい実績を積み重ねていく。そしてついにパリのオデオン座
で上演することになった・・・。というストーリーなのだが。
芝居をしているとき以外、自由になれない囚人たちはそしてどんな行動を取
るか?・・・映画のちらしに“予想外のラストがあなたを待っている”という
ものがあったが、それを書いてしまうか、と驚いた。自由な演劇である不条理
劇の『ゴドーを待ちながら』を自由に演じている自由でない囚人たちは何をす
るのか?どうなってしまうのか?
この映画をもう一度観たい。それに芝居ももう一度観たい。どちらももう一
度観ることができたら、もっと気の利いた書評が書ける気がする。
作者のサミュエル・ベケットは、1906年アイルランドに生まれ、パリで没し
た。当然、英語もフランス語も自由に操れた。『ゴドーを待ちながら』(1952
年)はフランス語で書かれている。英語版はベケット本人が翻訳している、と
いう。1969年ノーベル文学書を受賞。1989年に没した。
多呂さ(季節の変わり目ですね。皆さま、ご自愛ください。)
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■「いろんなひとに届けたい こどもの本」/林さかな
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137 冬、寒波、興味
2月に入り、だんだん冬も終わりに近づいているのかなと思いつつ、先週も
「寒波」の予報があり、来週も「寒波」の予報がでている北国です。
道産子で、冬は氷点下20度の世界で通学していた子ども時代。それに比べる
と、いま住んでいるところも北国とはいえ、氷点下一桁台は、寒くても、脳内
ではそれほどの寒波ではないなと思ってしまうのが不思議です。
1年暮らしたカナダも寒いところで、氷点下40度も経験したことがあるなあ。
そんなことを思い出しながら読んだカナダの絵本を、紹介します。
『つきよのアイスホッケー』
ポール・ハーブリッジ 文 マット・ジェームス 絵 むらおか みえ 訳
福音館書店
寒い寒い満月の夜に、少年達がアイスホッケーに出かける日を描いています。
マット・ジェームスの絵本は日本で初めて紹介されるのでしょうか。
少しチャールズ・キーピングを思わせるような、人物や物を縁取る線の独特
なラインが美しく、なにより冬の空気感が伝わってきます。
凍てつく空気のなか、少年たちは、アイスホッケーをするために、満月がき
れいな夜にビーバー池に向かいます。
池に到着したあとは、暖をとるために火をおこし、その後、池の上につもっ
た雪をシャベルではらいのけます。雪がなくなった池はまっさらのスケートリ
ンク!
リンクの上でアイスホッケーをする、シャーシャーという音が聞こえてきそ
うなページに見入ってしまいます。
冬ならではの楽しみ、少年たちのわくわく感、満月という特別な夜のスペシ
ャルな時間を絵本を通して共有させてもらえます。
次は『きみも恐竜博士だ! 真鍋先生の恐竜教室』(岩波書店)です。
この本は、国立科学博物館の展示室で開催された6回の授業を書籍化したも
のです。新型コロナウィルスの影響で当初の対面授業から、3回目まではオン
ラインとなり、その後は対面とオンラインのハイブリッド形式で行われたよう
です。
わが家の子どもたちが小さい頃は、恐竜に夢中だったので、私もずいぶん名
前を覚えていましたし、家のあちこちに、プラスチックの恐竜たちがいました。
現在は、4歳の孫がいる身となり、彼が恐竜大好きで、プラスチックの恐竜
たちの名前をよびながら遊んでいる姿をみて以来(近くに住んでいないので、
めったに会えないのですが)、久しぶりの恐竜世界への興味がわいてきている
ところです。
本書は恐竜の特にからだのつくりについて詳しいので、4歳児にとっては、
まだ読むのは少し早いかもしれませんが、写真やイラストも多数入っているの
できっと喜んで見るような気がします。送らねば。
もちろん大人が読んでも、おもしろい。最初の授業では、今から7700万年〜
6600万年前の白亜紀後期の地層から発掘した化石についてからはじまります。
気の遠くなるような昔の年代ですが、○○年前という数字(絶対年代)は更
新し続けられているそうで、納得です。どんなものを発掘していくのか、写真
たっぷりに紹介されています。新種発見!のビッグニュースも添えられていて、
興味が尽きません。
2時間目は恐竜の頭のつくり、3時間目は前あし、と体のつくりをみていき
鳥の前あしの骨で標本をつくろうということで、ニワトリの手羽先・手羽中を
料理したあとの骨での骨格標本づくりも教えていただけます。ちなみに、骨に
なる前の「手羽先・手羽中」のレシピ(お酢煮)も載っているのがうれしい。
最後の授業は恐竜の絶滅と鳥への進化。大きな恐竜が絶滅にいたった理由が
紐解かれます。とはいえ、現時点での調査に基づいた内容なので、これから、
様々な地域での調査がすすめば、またわかってくることも増え、変化について
の内容が更新されていくでしょう。
最後にご紹介するのは、読み物。
『給食アンサンブル 2』(如月かずさ 光村教育図書)
給食をテーマにした連作短編集の続編なのですが、1を読まずに2から読ん
でも楽しめます。
児童文学に限らず大人の小説でも、食べ物が魅力的に描かれているものに惹
かれます。今回は義務教育のときに子どもたちのほとんどが食べる給食メニュ
ーを軸に、吹奏楽部の部活動に集う中学2年生、6人の物語です。
最初の話「アーモンドフィッシュ」はバスケ部に入っていた慎吾が、膝の不
調により部活を辞めざるを得なくなります。その後、吹奏楽部に誘われるので
すが、なかなか気持ちがかたまりません。
この決まらないもやもや感、心あたりがある人にとっては共感しきりでは。
そこに登場するのが給食についてきた「アーモンドフィッシュ」
うまい使い方にまねしたくなりました。
吹奏楽部部長の物語タイトルは「クリームシチュー」。いい演奏をしてコン
クールでいい成績を残したい、そのためには吹奏楽部を改革しなくてはと前の
めり気味の部長。でも周りはその熱さに引いてしまっています。どうして自分
の気持ちが伝わらないのか、苛立ちばかりがつのります。
さぁ、「クリームシチュー」はどこででてくるでしょう。
新型コロナウィルスのまん延で、給食の風景もかなり変わってしまっている
ようですが、少しずつ、食べることを楽しめる給食時間が戻ってきますように。
(林さかな)
https://twitter.com/rumblefish
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この本の書評を書きたい!という方は、応募要項を御確認の上、ご連絡くだ
さい。
・三上敬 絵/稲田和浩 監修『ゼロから分かる!マンガ落語入門』世界文化社
https://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/21221.html
・格非 著/関根謙訳『桃源郷の幻』アストラハウス
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参加ご希望の方(つまりは書評をご執筆いただく方)は、
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■あとがき
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前回の太郎吉野さんの記事で紹介されていた『ROCA』ですが、すっかり買い
忘れていたことに気づき、購入しました。
マネジャーの安藤さん、と言う方が事務作業されているんですね。お疲れ様
です。
届くのが楽しみです!(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→今の若者の書く、連合赤軍
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→幻堂の思い出
★「はてな?現代美術編」 koko
→具象美術の歴史連載開始か?
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→沖縄円覚寺再建
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■トピックス
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■トピックス募集中です!
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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佐賀旭 『虚ろな革命家たち──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって』
集英社 2200円+税
著者はまだ30歳の若者。本書で開高建ノンフィクション賞を獲得した新進気
鋭のライターです。学生時代恩師に示唆されて、60年代末の学生紛争を調べ
始めます。その時、政治に無関心な現在の若者世代と、熱量にあふれた往時の
若者との違いに著者は驚きます。当時の若者を突き動かしていた力とは何だっ
たのか。理想に燃えた若者たちの運動が、なぜ凄惨な連合赤軍事件に行きつい
てしまったのか。著者は老境に差し掛かった、連合赤軍事件の当事者と彼らを
知る人たちにインタビューを重ねることで、その答えを得ようとします。
連合赤軍のトップだった森恒夫は、高校時代剣道部の主将を務めていました。
剣道が強いわけでもないが主将に祭り上げられた森は強い責任感で職責をこな
しています。シャイな性格の森があんなことをするはずがない。大学に進んで
人間が変わったのだろう。剣道部の友人は異口同音に語ります。しかしセクト
の幹部としての森を知る人たちの証言も似たようなものです。統率力があるわ
けではないのにリーダーにされ、必死で責任を果たそうとした。シャイな人柄
にも変化はありません。森の人間性が大きく変わったわけではありません。
連合赤軍は東の革命左派と西の赤軍派とが合併してできた組織です。党派内
で脱走事件が起きた時、森は二人の処刑を提案し実行に移されます。いわゆる
「印旛沼事件」です。組織防衛のための殺人は許される。一線を越えた連合赤
軍は、「総括」をエスカレートさせ、山岳ベースでの12人の殺害に行きつき
ます。森や永田が異常なのではない。誠実でシャイな人間をも殺人に走らせる
構造が、そこには存在していた。当事者たちとの対話を重ねる中で、著者はハ
ンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』にも似た認識に到達します。
当事者の一人は語ります。60年代の若者たちは希望のない社会の中で不満
を抱えていた。それに火をつけたのが1967年の羽田事件だった。佐藤首相
のベトナム訪問を阻止するこの闘争で、機動隊の暴力によって京大生の山崎博
昭が犠牲になった。この事件が契機となって、理想の実現のためには暴力の行
使も許されるという空気が若者の間で強まった。その果てに起きたのが連合赤
軍事件だった…。そのトラウマによって、後続の世代は暴力だけではなく理想
すら捨ててしまい、いまの自分たちのような世代が生れたと著者は言います。
何故当時の若者は戦うことができたのか。著者の問いに当事者の一人は答え
ます。当時は世の中が豊かで、寛容なところがあった。将来を心配しないで、
好きなことができる余地があった。いまの若者は大変だ。就職するのも一苦労
で世の中からはじき出されないよう、常に怯えていなければならない。往時の
学生運動が恵まれた若者たちに担われていたことは否定できません。山岳ベー
ス近くで著者が乗ったタクシーの運転手は森たちと同年代。高卒の彼が事件に
ついて特に言うことはないという反応を示していたことが印象に残ります。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「幻堂」の話
個人的な話だがお付き合い願えれば嬉しい。
去年末に「幻堂」と言う明石のインディーズ出版の社長(と言うのか?)なかの
しげる氏が亡くなった。享年71歳だったそうだ。
幻堂を知ったのは「川崎ゆきお全集」と言うダンボール入りの単行本セットを
神戸三宮のジュンク堂で見た時だったと思う。
かなりのレアファンでなければピンと来ない川崎ゆきお先生の、しかも全集。
しかもダンボール入り。しかもまあまあメジャーどころのジュンク堂書店。
そしてなんだかよく分からないオマケ付き。
中野さんはミニコミ界では有名だった様で共通の知り合いも何人も居て、その
後どう言う経緯でお付き合いに至ったのか全く忘れてしまったが幻堂が出す不
定期雑誌「何の雑誌」にマンガを載せてもらったりイベントに出たり、いろい
ろ面白い経験をさせてもらった。自分の名前でエゴサーチすると結構な確率で
幻堂イベントが出て来たりする。
このメルマガもそっち繋がりで始まったのか…が、残念ながらこの辺りもよく
覚えていない。
実は中野さんとは最終的には関係が崩れていた。
共通の友人であり私の新作が読みたいと言う人物が出資して私の単行本を出す
事になっていた。だがなかなか新作が描けなかった私のせいと、中野さんの体
調面の問題でこのプロジェクトは遅々として進まなかった。
そして最後に「別に竜巻の本が出したい訳ではない」と言う彼の言葉で関係は
終了したと思った。
ただ彼が亡くなってからこの言葉の意味をもっとしっかり考えなければなぁと
思い始めた。
出したい訳ではないが出そうと思っていてくれた。オマケのアイデアや表紙の
アイデアをガンガン語ってくれていた。そう、しっかりミニコミを出す情熱で
向き合ってくれていたわけだ。だがこちらのテンションが低めだった。どこか
「お任せ気質」で熱があまり感じられなかったのだと思う。
「本を出す時、作者がもっと努力しなければならない」正確な言葉は忘れたが
そう言う趣旨のセリフももらった。その時はムカついたが実に的を得た言葉だっ
たと今になって思う、遅いけど。
先日あったお別れ会では過去の8ミリ映画をデジタルリマスターしたものが上映
されていた。
ホンマに馬鹿馬鹿しいモノを真剣に作っている中野さん。
それなりにいい人生の様だった。
微妙に羨ましく微妙に「それはないわぁ」で…微妙に真似出来ない人生だなぁ。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第133回 『 戦後日本美術史1
―――― 白髪一雄の作品の評価額は高い、低い? 』
2020年にサザビーズで落札された白髪一雄の油絵落札価格は?
答え:2,432,500 EUR(約3億円)
これは高い、低い?
□サザビーズHP
https://www.sothebys.com/en/buy/auction/2020/art-contemporain-evening-
sale-2/chimeisei-tettekisen
普通の人にとっては高く感じるかもしれないですが、私からみれば低いです。
日本の現代美術ムーブメントの草分けである具体美術協会のスターアーティス
トとしては物足りない。
他の具体所属のアーティス達はもっと評価額が低い。
wikiの具体美術協会のページも情報量が少なすぎる。
評価されていないのが一目瞭然です。
英語のwikiに比べれば情報量が違い過ぎます。
□Gutai (Wiki) 英語
https://fr.wikipedia.org/wiki/Gutai
□具体美術協会(Wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B7%E4%BD%93%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%
8D%94%E4%BC%9A
話は変わって、2022年、日本アニメ映画がアメリカ市場やアジア市場で大きな
成功を収めた年となりました。日本ではあまり騒がれていないですが、『FILM
RED』と『THE FIRST SLAM DUNK』 この2本の映画興行収入は記録的に伸びまし
た。
ワンピースは全世界興行収入319億円突破、初登場で全米ランキング2位の偉業
です。
スラムダンクは今年1月現在世界興行収入100億突破です。スラムダンクはまだ
上映が続くので、特に中国のようなバスケ熱の高い国では大ヒット間違いなし
のようです。4月20日に中国での公開も決定です。
世代によっては全く関係ない作品なので実感わかないかもしれませんが、世界
的発信力という意味では凄いことだと思います。この現象は、漫画人気はもち
ろんありますが、さらには映画配給会社が海外で積極的にビジネスシステムを
構築してきた結果です。評価額は正当といったところでしょうか。
また≪MANGA≫文化の世界への影響力を見るにつけて、昔の欧米での浮世絵ショッ
クを思い起こします。海外で評価されて、国内では評価されていない状況も似
ているし、海外からの再評価でその価値が上がったことも同じです。
大きく違う点は、漫画文化は21世紀のグローバル化された地球ではあまねくす
べての人々の目に触れるコンテンツになりました。
150年前の世界では、遠い国の文物は一部のエリートやブルジョワジーの目にし
か入らぬものです。そして漫画に比べると美術品は全ての人が身近にできるも
のではありません。
浮世絵ショックは一部のエリートに共有されて影響を与えました。その影響力
がわかるのは、当時の作品に多くの痕跡が残っているからです。当時の日本人
はわかってなかったので、それを高く売るなんで思いもしなかったはず。逆に
西洋絵画が日本に流入して日本美術の有様を大きく変えたのは私達の知るとこ
ろです。
明治・大正時代は多くのアーティストは西洋文化の受容に取り組み苦しみまし
た。
その後第二次大戦後の日本美術界についてあまり一般的には語られていないの
ではないでしょうか。
大戦中の従軍画家についての検証はされるようになりましたが、その後の日本
美術界については好意的に語られることはありません。
1950年初めから現代美術ムーブメントは日本にもあったのに、語られるのは狭
い美術界の中だけです。その美術界でさえ、当時は具体教会の活動を軽視して
いたのです。
大きく寄り道しましたが、つまりは具体美術協会の役割はとても興味深く画期
的だったにも拘わらず、国内においてあまりその意義が認められなかったのは
不幸です。
何が問題でそうなったのか、『増補 現代美術 1945-1985』(千葉成夫著)を
読むと少しイメージがわかります。
□具体美術宣言
https://www.ddart.co.jp/gutaibijutusengen.html
具体美術協会とは何か、次回続きをお送りしたいと思います。
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 32
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円覚寺の復元
1968年7月15日、1945年の沖縄戦で損壊した円覚寺の総門が復旧・再建された。
https://blog-imgs-163.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/202302250905335d1.jpg
は復旧・再建時に発行された記念切手
円覚寺はかつて首里城の北に位置していた臨済宗の寺院で、1494年、京都出身
の僧、芥隠承琥が開山した。芥隠承琥は、元の禅僧、古林清茂の子孫で、ある
日、「海南の琉球は小国であるとはいえ、人は清廉で根気がある」との託宣を
受け、薩摩国の宝福寺(山寺)にて移って時期を待ち、景泰年間(1450〜57)、
海を越えて琉球に渡ったとされる。
琉球に着いた芥隠承琥は、尚泰久王の帰依を受けて広厳寺・天龍寺・普門寺の
3寺の開山となった。当時の禅僧は王国の対外交流、とくに対日交易における
外交官として重要な役割を果たしていたが、芥隠承琥も例外ではなく、そこか
ら重臣の金丸尚円王と親交を結ぶことになった。
金丸が宮廷クーデターにより王位を簒奪して尚円王となった際、彼はフィクサー
として暗躍したという。
尚円王は、かつての王廟であった慈恩寺を改め、崇元寺を建立し、芥隠承琥が
開山になった。また、琉球最古の寺で王病としての機能も兼ねていた極楽寺を
成化年間(1465〜87)に移転させ、旧号を改めて龍福寺とした。
1476年、尚円王が在位7年で崩御し、弟の尚宣威王の半年間の短い治世を経て、
1477年、尚円王の子、尚真王が即位する。
1492年、尚真王は首里城の北東(鬼門の方角)の池・湿地帯に厄除けを目的と
して円覚寺の建立を開始。堂宇は1494年に完成した。
山号は、中華皇帝の恩徳を荷っているとして“天徳山”とされたが、円覚寺の
名は“仏の悟り”を意味で、禅宗では一般に好まれた語なので、鎌倉の円覚寺
との直接的な関連はない。
開山第一祖となったのは芥隠承琥で、以後、常に僧侶300余人がおり、王家代々
の冥福を修し、もっぱら当君(現国王)の安寧を祈っていた。『おもろさうし』
にも円覚寺について歌った古歌が収められている。
戦前まで、円覚寺は初期の伽藍配置や建造物の多くを保っており、仏殿・三
門・総門・石橋・放生池・方丈は旧国宝に指定されていたが、いずれも1945年
の沖縄戦で焼失した。
今回の切手の題材となった総門は、3間一戸単層で、入母屋造、本瓦葺の八脚
門。桁行は6m96cm、梁間は3m33cmで、梁間は外部からみると2間だが、西側1間
分は吹抜で、奥の左右には仁王像が配置されていた。総門の左右には石垣が設
けられ、日常の出入りは脇門から行なっていた。
1884年、円覚寺は王府所管から旧王家の尚家の私寺へと移管され、僧録など
の職掌も安国寺に移管したが、形式上の円覚寺の住持は安国寺の住持が兼任し
た。
1945年4月19日の首里の戦闘で円覚寺は完全に破壊されていたが、当時の記録映
像などによると、破片で引き裂かれた石材や、首が引きちぎられた仏像などが
散乱しており、焼失というよりは、激しい砲撃による爆風と破片で破壊・倒壊
したというのが適切なようだ。なお、破壊された具材は、戦後地元の人らが廃
墟から運び出し、復興のための建設資材や燃料として消費されてしまった。
また、沖縄戦時の円覚寺住持の長岡敬淳は、上述のように安国寺の住持でもあっ
たが、陸軍少佐でもあったため、沖縄戦で防衛隊長となり戦死している。
戦後、安国寺は再建されたが、円覚寺は再建されず、その跡地は1948年に開学
の琉球大学の教員宿舎に転用された。その際、かろうじて残存していた基壇・
石畳といった遺構も破壊されるか土中に埋蔵されてしまった。
仏殿・龍淵殿が建てられていた伽藍の中心跡地は1965年頃に琉球大学のグラウ
ンドとして再造成されたが、これと併せて、琉球政府文化財保護委員会により
旧円覚寺の一部復元工事が始まった。
復元工事では、まず、1967年に総門の内側にある放生池にかかる方生橋(沖縄
石彫美術の傑作のひとつで、沖縄戦では奇跡的に破壊を免れ、その後、博物館
で保管されていた)の修復が行われ、翌1968年7月には総門の復元が完成し、今
回ご紹介の記念切手が発行された。
ついで、左脇門が復元され、11月に総門に面した円鑑池と弁財天堂の復元工事
も完成。方生橋と弁財天堂は、それぞれ、1967年と1968年の文化財保護強調週
間の切手が、事実上の工事完了の記念切手として発行されている。
https://blog-imgs-163.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/202302251004557b7.jpg
https://blog-imgs-163.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20230225100457066.jpg
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作『なぜレジ袋は「有料化」されたのか』総合教育出版 (共著)、電子書
籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ
21などがある。
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り、広告は随時募集中です。詳細はメールにて編集同人までお尋ね下さい。
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■編集後記
モノクロ電子書籍リーダーに、スピーカーがついていたらと思うのは私だけだ
ろうか?スマホがどこに置いたかわからないとき、多くの人は電話をかけて鳴
らして場所を探索するだろう。あるいは「さがす」機能を使って音を鳴らして
場所を見つける。
同じ機能をモノクロ電子書籍リーダーにも付けて欲しい。別に通信機能までは
要らない。家の中でどこに置いたかわからなくなるだけだから、Wi-FiなりBlu
eToothで探索できれば十分だ。そんな機能がついたら多くの人が喜んで買い替
えるはず。
え、AirTag買えだって?だってAirTag高いし、貼ると出っ張りが気になるじゃ
ないですか。厚さ8ミリはけっこう分厚いですよ・・・。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第82回「ChatGPTで遊んでみました」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第164回 本の幽霊に魅せられて
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ <魔の山>ミニヤコンカ、登山記
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第9回 日本人たちには理解できない活力
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
第82回「ChatGPTで遊んでみました」
こんにちは。
「三寒四温」とはよくも言ったもので、暖かくなったと思ったら寒の戻りが来
てストンと寒くなる、の繰り返しですね。
さて今回は、まずこちらをごらんください。
ここから↓↓↓↓
Q>
公共図書館が貸出至上主義を採用することの是非について教えてください。
A>
公共図書館が貸出至上主義を採用することの是非は論争があります。一方では、
貸出至上主義は図書館にとって顧客サービスや顧客満足度に重点を置くことが
大切であると考えられます。このような考え方に基づいて、図書館は市民に最
新かつ便利な貸し出しサービスを提供することが求められます。
一方で、公共図書館は、市民に図書や情報を提供することに重点を置くべきと
されています。貸出至上主義を採用することで、このような目的を忘れてしま
う可能性があると指摘されます。図書館には、図書や情報を永久に保存し、市
民に提供することが大切であると考えられています。
したがって、公共図書館が貸出至上主義を採用することの是非は、図書館の使
命や目的を明確にすることが重要です。顧客サービスや顧客満足度は重要な考
慮事項であり、図書館はこれらを重視すべきですが、図書や情報を市民に提供
することが図書館の最終的な目的であると同時に考慮する必要があります。
ここまで↑↑↑↑
これは、先日わたしが出した質問に対し、最近話題の
ChatGPT( https://chat.openai.com/chat )が出した回答です。例えば大学生
の卒業研究における「着手レポート」として見ると、両論併記という手のこん
だこともやっており、なかなかよくできています。もちろん、これに留まるの
ではなく、これを敷衍し論述し典拠を示さなければレポートしては完成しませ
んが、その端緒として「問い」のかたちに変換することはさほど難しくなさそ
うです。
実はこの原稿のために「貸出至上主義」をChatGPTに尋ねたわけではなく、た
だの思いつきだったのですが、自分の考え方を整理するためによい回答を得た
のは確かです。少なくとも「そんなものはない」と感情的に言い募るある種の
図書館業界人よりは、ChatGPTの方が誠実なのではないかと感じてしまうくら
い(苦笑)。おおよそAIに感情や打算があるはずもなく、これは単なる偶然な
のですが。
そうそう感情といえば、別の日のChatGPTへの質問とその回答がこちら。
ここから↓↓↓↓
Q>
あなたが一番好きなハンバーガーを教えてください。
A>
私は人工知能モデルであり、食べ物の感情や好みは持っていません。 あなた
が好きなハンバーガーをおすすめすることができますが、私自身の「好きな」
ハンバーガーはありません。
ここまで↑↑↑↑
ごもっともです(笑)。
しかし、こうやって楽しめるうちはいいのですが、時にはなかなかシャレにな
らない答えを返してくることもあります。
ここから↓↓↓↓
Q>
軍人としてのダグラス・マッカーサーの評価を教えてください。
A>
ダグラス・マッカーサーは、アメリカ合衆国の歴史において有名な軍人として
知られています。彼は第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など多くの戦
争で高い役職において務めました。
マッカーサーは、非常に統率力があり、勇敢で堅実な軍人として知られていま
す。彼は第二次世界大戦中に、ドイツ軍との戦いで高い成果を上げました。ま
た、彼は朝鮮戦争中には、重要な役職において務めました。
一方で、マッカーサーには批判的な評価もあります。彼はベトナム戦争中に、
積極的な戦争状況を推進する戦略を提案し、敵対する国々に対して非常に強硬
な姿勢をとっていました。このことから、彼が人道に配慮しないという批判が
あります。
結論として、ダグラス・マッカーサーは、アメリカ合衆国の歴史において重要
な軍人として評価されていますが、同時に、彼の戦争政策に対する批判もあり
ます。
ここまで↑↑↑↑
この回答は明らかに誤りです。ツッコミどころしかない(苦笑)。この内容は、
ひょっとするとマッカーサーではなくドワイト・アイゼンハワーではないかし
ら、という。この回答を信じてレポートの素材に転用して提出したら「不可」
をもらえるでしょう。
また、他の方の報告では、ChatGPTが示した文献を探してみても見つからず、
それはどうやらChatGPTが適当に編み出したデタラメな文献だったというので
す。
つまるところ、世の中の高評価はそれとして、いまのところChatGPTは現状の
Google検索(「ググレカス」から「ググってもカス」へ)と同様に「知識のな
いひとに知識を授ける」ツールではない、とわたしは感じています。先のこと
はともかく、いまは遊びで使うか、思考の補助線として使うかで、どこかでも
てはやされているような「レファレンス・ツール」として使うのは、まあダメ
ですね。
では、また次回。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第164回 本の幽霊に魅せられて
目に衰えを感じて、最近は電子書籍をたよりにすることが多くなった。老眼
と白内障の視力では細かい字を読むことがつらくなって、電車の中で文庫本を
読むのはとてもじゃないが無理になってきた。電子書籍の端末で文字を拡大で
きるのは、本当にありがたいなあ、としみじみ思う。
ちょっと前には電子書籍vs紙の本の論争があったらしいが、どちらの方がメ
リットがあるかどうかなんか、ぼくにはどうでもよい。電車などで読みたい本
は電子書籍、老眼鏡を使ってゆっくり読みたいものは紙の本を選んでいる。た
だこまってしまうのは、気に入った本は、紙の本、電子書籍、両方で欲しくな
ってしまうこと。一冊の書籍に二倍のお金を使ってしまうのは、どうなんだろ
う?
好みなのは紙の本というのが正直なところで、やはり紙の本の圧倒的な存在
感は捨て難い。
これは音楽でも同じで、ダウンロードで手に入るのに、どうしてもレコード
(最近はヴァイナルというのね)やCDで買ってしまうことが多い。斜陽産業と
いわれる音楽業界に少しばかりだが献金をしている。サブスクだって聴けるの
に、所有欲というものなんだろうか。
というわけで相変わらず積ん読ばかりで、部屋には読んでいない本が山積み
になって、すでに危険領域に入っているのにそれでも懲りずに本屋があれば足
を踏み入れてしまう。電子書籍ならば質量は増えないから安全といえば安全か
な。とはいえ、紙の本の手触り、重さ、装丁は電子書籍では味わえない。古書、
古い雑誌となれば電子書籍では手に入らないものな。
数日前の日曜日、いつものように書店に寄ると一冊の本が目に飛び込んでき
た。まるでスポットライトが当てられたようで、気がつくとその小さな本を手
に取っていた。古い洋書に似た装丁、ぼくには本というより外国製のチョコレ
ートの箱のように思えた。
『本の幽霊』(西崎 憲 著 ナナロク社)という本だった。奥付を見ると昨
年の秋に出版されているから、たぶん、もっと前に見かけているはずだ。でも、
見ていたはずなのに、ぼくは手に取ろうとは思わなかった。
そして日曜日、『本の幽霊』はスーッとぼくの前に現れた。本の幽霊と波長
があったのかもしれない。本を読んでからそんなことを思った。いや、幽霊だ
からって、そんなことはないのはわかっている。たんにその本が目立つ場所に
移されただけだろう。
たぶん、この本が電子書籍だったら出会わなかっただろう。小さな判型、古
い洋書のような装丁、金色の箔押しで書かれた「本の幽霊」というタイトル。
手にすると軽過ぎず、十分に質量を感じさせて、持った感じもいい。何十年か
経って本当に古書になったら味が出るかもしれない。いわゆるジャケ買いとい
うやつだ。
昔、出版社に勤めていたころ、営業の人に「売るためには、装丁とタイトル
だ」と言われ続けてうんざりしたことがあるが、まあ、確かに当たっているな
あ、と今は思う。もちろん目立てばいい、ということではないのだが。
『本の幽霊』は、本に関わる6編の小説を収めた連作の短編集だった。話の語
り手は「本のデザインを仕事にしている」人物で読書会にも参加している。
タイトルになっている冒頭の作品は、仲の良い編集者と「幽霊はいるか、い
ないか」という議論をきっかけにして、二十数年前の出来事を思い出すことか
ら始まる。主人公はロンドンにある古書店にカタログを見てある本を注文した。
ずっと探していた短編集だった。希望した本がいつも手に入るわけではなく、
人気のあるものは他のマニアに買われてしまうことがあるらしい。幸い、一ヶ
月ほどして届いた小包の中にその本はあった。友人にその成果を電話で伝える
と、同じカタログを見ていた友人は、そんな本は掲載されていないという。カ
タログを確かめると、友人のいうとおり掲載されていない。本棚に入れたはず
の本も消えていた……。その本は現れたり消えたりする幽霊のようだった。
ぼくは読みながら、いつか訪ねたことがあるロンドンの古書店のことを思い
出していた。おそらく古書店がたくさんあるセシル・コートにあったのだと思
う。もう40年前のことだ。ロンドンに旅行することを伝えると義理の叔父、堀
内誠一がおすすめのホテルと古書店の場所を教えてくれた。正確な住所ではな
くて、このあたりというぐらいのものだったかもしれない。叔父はそこでフラ
ンスの画家、ブーテ・ド・モンベルの絵本を買ってきてほしいと言って、お金
を渡してくれた。
その古書店に着いたのは夕方であたりは薄暗くなっていた。緑色の扉は閉ま
っていて、扉のガラスから中を覗くと、暗い部屋の奥に老人が座っているのが
見えた。店の主人だろう。絵本を買うというミッションがなかったら、気後れ
して入れなかっただろう。二十歳過ぎの青二才には敷居が高かった。思い切っ
てドアを開けると、メガネをかけた主人はぼくをチラリと見た。おどおどとモ
ンベルの絵本を探しているというと、主人はぼくのことを値踏みするようにじ
ろりと見てから、しぶしぶとガラスケースの鍵を開けると、一冊の絵本を出し
た。主人の顔には、こんな価値の分からない若造には売りたくない、という表
情がありありと浮かんでいた。ぼくも申し訳なく思いながら、代金を支払って
無愛想な主人にお礼をいって店を出た。
こんな古書店には、本の幽霊がいそうだなあ。
ほかにもスターバックスの窓際の席に座っていて、ふと外を見ると北欧のど
こかの街の風景が広がっていた話「あかるい冬の窓」、執筆中の作品を作者と
一緒に街を歩きながら鑑賞する『ふゆのほん』、河の氾濫で出来た砂嘴(さし)
の突端に現れた図書館にいる少年の司書と出会う『砂嘴の上の図書館』など
洒落た短編が並ぶ。文体は翻訳ものを読んでいるようで、ぼくにはとても読み
やすい。
ぼくは著者の西崎憲さんのことをまったく知らなかったのだけれど、作家で
あり、翻訳家としても有名なのですね。
音楽で身を立てようと青森の鯵ヶ沢から上京したミュージシャンだったんだ!
アイドルのために作曲、編曲もしている。英米の幻想文学が好きで、それが
高じて翻訳をするようになったとウィキペディアに書いてあったけれど、27歳
までthoghtがthinkの過去形だと知らなかったって本当なのかなあ。日本翻訳
大賞の創始者なんだあ!
『本の幽霊』は、本への愛情にあふれた一冊だと思う。あとがきに「本の作者
はたいがい孤独である。そのような作者がやはり孤独な編集者と際会し、一冊
の本が生み出される」と書いている。読者も孤独だけれども「本は孤独ではな
い」という言葉が本への愛情を表していると思う。
そしてこの愛らしい紙の本が電子書籍で刊行された『ふゆのほん』がきっか
けとなっているというのが面白い。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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山に登ったりすることはあまりないのですが、登りもしないのに昭文社の山
と高原地図『塩見・赤石・聖岳』や『雲取山・両神山』などが部屋に転がって
います。登らないけど紙上で山の世界を見ることは結構好きです。というわけ
で今月は山の本です。
『ミニヤコンカ奇跡の生還』、松田宏也、ヤマケイ文庫、2010
ミニヤコンカは中国四川省にある標高7,556mの山です。山は雪に覆われ天
候も変わりやすく地形は急峻、高山病の危険もあり、おまけに頂上の位置が分
かりにくいという罠まであるという、屈指の登頂困難さを誇る山です。
そのミニヤコンカに果敢に挑んだのが本書の著者です。…まあタイトルを見
ればひどいことが著者の身に降りかかるであろうことが心配されるわけですが。
著者の松田宏也が、所属する市川山岳会のミニヤコンカ遠征隊の一人として
この山に挑んだのは1982年春のことです。全7人のパーティでしたが、松田は
アタック隊に選ばれ、一歳年下ながら山岳会の先輩である菅原信と共に山頂へ
のアタックを試みました。
この前年には北海道山岳連盟のパーティがこの山に挑んでいますが、メン
バーのうち8人を滑落で失うという結果に終わっていました。ミニヤコンカは
それだけ登頂困難な山でした。松田も本書で「魔の山」という表現を使ってい
ます。
それでもふたりが最終キャンプから出発した時には晴天に恵まれ、ミニヤコ
ンカの山頂を望むところまで到達します。
ところがその時突然「青空が、暗い灰色に塗り変えられて」(p,23)しまい
ます。これをきっかけにミニヤコンカが二人に牙をむき始めるのです。
天候が急変し吹雪に視界を閉ざされながらも、ふたりは先ほど望むことので
きた山頂を目指します。長い準備段階から夢見ていた山頂、先ほどはあと十分
で着きそうだと思っていた山頂。しかしようやくそこに松田がたどり着いてみ
ると、なんとその先にはさらに高い場所があったのです。
前年の北海道山岳連盟隊も惑わされたミニヤコンカの罠。同隊の隊長にもそ
の話を聞いていたにも関わらず、彼らもその罠にはまってしまったのでした。
それでも彼らは本物の山頂を目指して吹雪の中を進んでいきます。その日の
うちにはたどり着けず、寒さに震えながらビバークし、さらに進みました。し
かしついに山頂直下でこれ以上進むことができなくなり登頂を断念します。本
書にはこの時の写真が掲載されていますが、一面真っ白でザイルと菅原の姿以
外は、空も地面も見極めることができません。
無理に登頂することはあきらめたふたりでしたが、下山の道はそこまでの道
程に比べてもそれを上回るはるかに過酷なものとなったのでした。
下山を決めたもののそれまで登ってきたルートを見失い、その日のうちには
最終キャンプ地には戻ることができず、再び雪洞でのビバークを余儀なくされ
ました。翌朝も天気が悪く停滞。そしてこのとき他のメンバーの待つ第二キャ
ンプとの通信に使っていたトランシーバーが故障して使えなくなってしまいま
す。それも悪いことにふたりがかなり疲労しているということを伝えたのを
最後に…。
疲労からくる苛立ち、パートナーのミス、それらがザイルで固く結ばれたは
ずのコンビネーションを弱めていきます。当然寒さと空腹は常に付きまといま
す。さらに菅原は途中で自らのザックも紛失してしまいました。
そして精根尽き果て第二キャンプまで下りたのですが、そこには既に誰もい
ませんでした。ほかのメンバーはしばらくふたりの下山を待っていましたが、
ふたりは疲労凍死したものと判断し、二日前に第二キャンプを撤収していたの
でした。
この第二キャンプからの下山の道のりも筆舌に尽くしがたいものとなりまし
た。菅原との別れ、撤収により片付けられてしまったザイル、絶え間なく訪れ
る幻聴と幻覚、凍傷などでボロボロの手足、行動食も受け付けられないような
胃の穴。これでもかこれでもかと松田を襲ってきます。
松田は本書の中で自身について山での体験で絶望を感じたことはなかったと
記しています。「希望を持ち続けること―。」(p,96)が大事だと感じていた
松田でしたが、決死の下山中にも希望を抱き続けていたから生き延びたのかと
いうと、それはどうだかわかりません。
もはや希望を捨てなければ道は開けるというレベルはとうに超えてしまって
います。途中で見捨てた(意識的に見捨てたのではないかもしれませんが)菅原
への罪の意識、自分たちを置いて行ったほかのメンバーへの怒り、そういった
ものも松田を突き動かしていたことは間違いありません。いろいろな感情に囚
われ幻覚や幻聴に惑わされながらも、ひたすらしつこく前に進み続けました。
ただ松田はこの遭難からなんとか生還を果たし、最終的に希望の元へ戻って
きます。それは簡単なことではなかったはずですが。恐ろしい遭難劇のインパ
クトもさることながら、そうした心境に辿り着いた松田の心の動きにも注目で
す。
人間の生き延びられる限界とも思えるくらいまで身も心もズタボロになった
松田の苦闘は、今なお読む者の心をしめつけます。
なおこの前年にミニヤコンカに挑んだ北海道山岳連盟隊の記録は『生と死の
ミニャ・コンガ』、阿部幹雄、ヤマケイ文庫、2017で読むことができます。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第9回 日本人たちには理解できない活力
身体は雄弁だ。身ぶりとしぐさは饒舌だ。
「母語話者並みの日本語力」というふれこみで出会った中国人は数しれない。
中には母語話者なのか非母語話者なのか、一瞬では判断のつかないレベルの人
もたしかにいた。自分の外国語能力に見切りをつけている私は、母語話者並み
の発音やイントネーションを目指そうとしたことは一度もない。日本人の英語、
日本人の中国語で十分だし、その方が問題も起きにくいと開き直っている。だ
から「母語話者並みの日本語」というのに感動したことはただの一度もない
(逆に学生たちには「母語話者の日本語」という標準化された狭い枠を打ち破
ってもらいたいといつも思っている)。
しかし、「母語話者並みの日本語」を使いこなしていると自負している本人が、
語学力と関係のないところで、あからさまに非母語話者であることを、もう少
し正確にいえば、日本で日本語の中で教育を受けたのではないことを、本人が
意識することなくアピールし続けてしまっている場面に出くわすのは面白い。
身体が社会や文化の中でしつけられたものであることに改めて思いを馳せるこ
とができるからだ。もしかしたら社会や文化の中で培われた身体は、母語以上
の強制力を有しているのかもしれない。
挙手やお辞儀をしてもらえば、その身体が教育を中国で受けたものなのか、そ
れとも日本で受けたものなのかは、すぐにわかってしまう。箸の置き方や使い
方を見れば、中国式と日本式のどちらの礼儀を採用している家庭なのかは一目
瞭然だ。観光客で賑わう南京東路を歩いていると、客引きの阿姨に声をかけら
れることがある。それこそ「カタコトの日本語」で声をかけられるのだが、中
国語で「なぜ日本人だとわかったのか?」と聞くと、「お、お兄さん、中国語
うまいね」と褒められて、中国語が話せても歩き方でわかるよと言われてしま
う。いくら中国語を流暢に話そうと努めても、私の身体にはあからさまに日本
が刻印されているようなのだ。何とも残念な体である。
物言う体は面白い。しかし死の床にあっても、身体は饒舌であり続けるのだろ
うか。たとえば、もうじきわたしは死ぬだろうという予感から語り出される
サミュエル・ベケットの『マロウンは死ぬ』では、身体が可能性をとことん奪
われていくのとは裏腹に、意識はとめどもなく饒舌になっていく。そこにベケ
ット特有のユーモアが醸し出されるのだが、しかしおしゃべりであるのは身体
ではない。死に臨んだ身体は、何らかの意味をもたらす可能性すら剥奪されて
いく。私はそんな風に思い込んでいた。
〈午後のダンス・パーティや、演奏つきの夕方の集いのある藁小屋に、わしは
もう出かけることはない。それでも、まだ踊っている。たったひとりで。音楽
なしで。[中略]自分の身体と、もう使わない大げさな身ぶりを思い出すのは
いいことだ。〉
「三十三日と六時間、二十六分と二十五秒の後、老齢のためではなく、挫折の
耐えがたさのせいで死ぬだろうと発表した」世界中の植民地独立戦争で活躍し
たバルタザール・ボデュール=ジュールは、「言葉の記録人」たる「私」に向
かって、みずからの生涯を、途方もない数の女性との出会いを通して物語って
いく。日本語訳で930頁に垂んとする物語が終わろうとするところで、「わし」
は「もう使わない大げさな身ぶり」を思い出す。ここはパトリック・シャモワ
ゾーの浩瀚な『カリブ海偽典』において見逃せない一節である。なぜならバル
タザール・ボデュール=ジュールは身ぶりによって、「私」に壮大な物語を語
り続けていたからだ。約30時間に及ぶ身ぶりによる語りの結実が、930頁に及
ぶ物語として、読者に送り届けられることとなったのである。
〈彼の身体と、彼の沈黙が、語っていた。頭、足、手、腰、脊椎のうねり、
それぞれの動きが、時おり柳の肘掛け椅子を軋ませた。この行動の人は、
つねに自分の身体に注意を払っているようにみえた。彼はどんなにささやかな
器官の言うことにもつねに耳を傾けた。まるでそこに特別な記憶力、ある智慧
があって、それにしたがって彼が敢然と挑むことになるはずのもろもろの出来
事に導かれたかのようなのだ。私はこの瀕死の身体の語りを分析し、その動き
を、自分で読みえたインタビューに結びつけようと試みた。〉
だから書物の中には時折、「私」が参照したインタビューが注釈として登場す
る。しかしバルタザール・ボデュール=ジュールの物語において重要だったの
は、あくまでも身体だった。それも「大げさ」ではない、微細なしぐさや身ぶ
りだった。
〈死に苦しむ彼の身体の動きひとつひとつが、彼の人生の大切な部分を私に思
わせた。それらの部分は、言葉もないまま私に振りまかれた。彼が動くたびに、
原初の民族たちの創世神話よりも濃密で豊かな意味の断片を受け取っていると
私は感じた。彼の身体があたえる印象の多くは、まるではかりしれない謎の塊
のように私のもとに届いた。〉
しかし「瀕死の身体の語り」は謎に満ちている。それゆえ「私」はしばしばそ
の困難を次のように吐露せざるを得なくなる。
〈私は自分にわかることを書きとめていたのだが、彼の精神あるいは彼の身ぶ
りの増殖に付いて行くことはできなかった。〉
〈この臨終は、私に言わせればひとつの破壊だった。私には思うように制御で
きないし、最初に考えていた、反植民地主義の戦いの物語に仕立てあげること
さえできなかった。〉
〈私には全体を把握することなどまったくできなかった。だから、私は彼の記
憶の歩みに合わせて書くことしかなかった。〉
全体を俯瞰することなど許さない「身ぶりの増殖」は、「反植民地主義の戦い
の物語」というわかりやすい物語へと収斂していくことに頑強に抵抗する。そ
して「私」は、身ぶりやしぐさを一元的に解釈することが可能なのかどうかと
いう問題に行き着いてしまうのである。
〈……身ぶりと言葉による運動のすべては、無限に解釈できるものだった。常
軌を逸していて、曖昧で、不確かで、あまりにも部分的すぎた。〉
とすれば、分厚い『カリブ海偽典』は「私」の「解釈」の産物でしかなく、
「私」以外のそれぞれ人が、同様の「解釈」を書き残すことも論理的には可能
である。すなわち「私」が書き記した930頁の物語は、あくまでも可能性の一
つでしかなかったことになる……。
ひとつの物語に収斂することを拒む「瀕死の身体の語り」は、それゆえ断片の
集積と化す。そうした断片のひとつに、ホー・チ・ミンが「中国の牢獄で鉄輪
につながれ」た「まだ夢みる愛国主義者に過ぎなかった」時の逸話がある。
バルタザール・ボデュール=ジュールは、「自分がカオバン地方で、日本兵を
苦しめていた農民=ゲリラの小集団のなかにいたと言った」のである。
ある日の夜明け、農民=ゲリラの一団は日本兵に急襲され、バルタザール
・ボデュール=ジュールは「あまり大きくない、黄色い竹でつくられた檻」に
入れられてしまう。
〈ジャップはわしを四週間、この檻に閉じこめ、蜜を塗り、肉食性の蟻、水牛
につくマダニ、残忍なヒルの塊に半ば食われるがままに放置した。奴らは共産
主義者の農民たちのなかにひとりのニグロを発見して、びっくりしていた。わ
しがそこで何をしているのか、わしがどこからやって来たのかさえ、奴らには
理解できなかった。〉
「ジャップ」は「わし」に対して拷問を繰り返した。「わしは十二回死ぬ目に
遭い、そのたびに地獄を見た」。「ダンテの地獄圏ひとつひとつを横切った」。
「しかし、わしは死ななかった」。その理由をバルタザール・ボデュール
=ジュールは幾通りもの形で語ったが、そのうちひとつは、たとえば「持って
生まれた気品と、雄ヤギの勇気があり、パンザーニ・パスタにはない、ナガイ
モと蟹のマテテの精力があるからだ」というものである。
「ジャップ」に抵抗することができた理由を、バルタザール・ボデュール
=ジュールはさまざまに語った。その身体を苛んだのが「蟻」なのか、それと
も「マダニやヒル」なのかは定かではない。「瀕死の身体の語り」の解釈が無
限に可能であるだけでなく、そもそもその語りそのものが騙りである可能性を
はらんでいたのである。しかし語りが騙りであろうとなかろうと、重要なのは
バルタザール・ボデュール=ジュールを「ジャップ」がとことん理解できなか
ったことではないだろうか。
〈彼は漂った。土、植物、生命と死をつくりだす有機体に満たされた、緑色の
水に溶けこんでいった。そして彼は、さまざまな存在のあのひしめき、大地と
水のあの不安定な平衡、地面のもっとも奥深いところで際立っているあの恐る
べき火を感じていた。そのおかげで、彼は日本人たちには理解できない活力で
満たされたのだ。こうした彼は、何週間にもわたって抵抗した。彼は死んだも
のと、彼らはしばしば考えた。松明にあぶられても、竹の杭にその皮膚を引き
裂かれても、彼が呻き声を漏らさないことに、彼らはおびえた。彼のことが怖
くなった。残忍さを倍増させながら、彼を呪った。〉
カリブ海の島での「瀕死の身体の語り」は、理解不能な身体を前にして、怯え、
畏怖し、呪い、亡きものにしようと拷問をし続ける「ジャップ」の姿を露わに
する。その姿があの戦時の「ジャップ」に限定されたものであると言い切れな
い自身を私はもどかしく思う。眼前のものが理解不可能なものに映じたとして
も、やはり必要なのは解釈し、可能であれば言葉としてそれを記録していくこ
とではないだろうか。その解釈が、たとえ無限の解釈のひとつに過ぎないとし
ても。
寝転がって持ったまま読むにはかなりの腕力を必要とする『カリブ海偽典』を、
一度読んだくらいで理解することなどできるわけがない。短い春節休みにペー
ジをめくって、2011年度の日本翻訳文化賞を受賞した訳文に酔いしれつつ、私
が想起したのは中国で読んだある本だった。
それは莫言の本ではなく、また閻連科、余華、賈平凹等々、パトリック
・シャモワゾーと併置される可能性を有した面々の文学作品でもない。テレビ
局のアナウンサーだった亜妮によるドキュメンタリーである。『没眼人』とい
う。アナウンサーとして名を馳せていた亜妮はあるきっかけで、太行山の奥深
くに足を踏み入れ、中国西部の昔ながらの「民歌」を耳にする。それは11人の
視力を失った男たちの楽隊による音楽だった。地元の人は彼らを「没眼人」と
呼んだ。「没眼人」は日中戦争の時以来の「情報部隊」の呼び名であった……。
民族音楽を飽くことなく収集し続けたバルトークのように、未知なる音楽を求
めていくという点では、カルペンティエルの『失われた足跡』を想起させるが、
マジック・リアリズムの巨匠たちとはまったく異なる平易な言葉で綴られてい
る『没眼人』は、決してノーベル賞級の重厚な文学作品ではない。しかし
『没眼人』は静かな感動を私にもたらした。そして死の床にあるバルタザール
・ボデュール=ジュールは、「没眼人」たちの身ぶりやしぐさをなぜか私に想
起させ続けた。
もうそろそろ春節の休みが終わる。教室で学生たちの姿を眼にする日々が始ま
ろうとしている。彼らの身体所作を「中国人」のものとして一元的に解釈して
満足するのではなく、無限の解釈の可能性をはらんだものとして見つめ直すこ
とが必要なのかもしれない。それを言葉として記録することはないにしても。
【本文中で言及させて頂いた本】
サミュエル・ベケット/高橋康也訳『マロウンは死ぬ』(白水社)
パトリック・シャモワゾー/塚本昌則訳
『カリブ海偽典 最期の身ぶりによる聖書的物語』(紀伊国屋書店)
亜妮『没眼人』(中信出版社)
アレホ・カルペンティエル/牛島信明『失われた足跡』(岩波文庫)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■あとがき
いつもにもまして、大変遅くなり申し訳ありませんでした。今月はめずらし
く体調を崩してしまいました。コロナも体験しました。寒かったり、暖かくな
ったりちょっと不安定な季節。どうぞご自愛くださいませ。来月は頑張ります。
畠中理恵子
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★トピックス
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その78『シンデレラとギャング』
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その78『シンデレラとギャング』
子供の時に読んだ本は、著者名どころか題名もわからないものが多い。だか
らこの本にも、なかなか再会できなかった。最初はたぶん図書館で偶然手に取
って読み、その後もう一度くらい借りて読んだのだと思う。とにかく私にとっ
てこの本は「バーでウィスキーではなくおいしそうなクリームソーダを飲む話」
と記憶されているのだが、さすがにそれでは検索しても見つからない。そこで
私の脳内にある「本の中の食物検索ワード」ではなく「女の子が非常階段を使
って真夜中の街に出ていき冒険する話」という粗筋を色々変えてパソコンに打
ち込んでみたところ、ある日この本をみつけることができた。そして読み返し
てみると、なんと主人公はぜんぜん非常階段を使っていないのだ。それなのに
みつかったのは、この物語が『非常階段』という別の作品と組み合わされて少
年少女世界推理文学全集に入っていたからなのだ。間違えて覚えていてよかっ
た。
さらに読み直してみると私の脳内検索ワードである「クリームソーダ」が出
てこない。ピンクのミルクとあった。そんなぁ…イチゴ牛乳じゃないはずなん
だけれどなあ。
こんなことは原文に当たればすぐ解決すると思ったのだけれど、ペーパーバ
ックのウールリッチの本の目次を検索してもなかなかこの“Cinderella and
the mob”が見当たらない。四苦八苦していると偶然、当時のバルブ雑誌であ
るArgosy誌の6月22日号に掲載された初出の文章をアーカイブから手に入れる
ことができた。そして読んでみると、これがかなり違う。少年少女向けなので
説明が入ったり省略されたりしているせいだろう。それに、書籍化されたとき
に雑誌掲載時と変わったのかもしれない。そこで他の翻訳文も見てみたのだが、
いまだに謎な部分がある。前置きが長くなったけれど、ストーリーを説明しな
がら、この時代のアメリカ特有のおいしい飲み物の世界にご案内したいと思う。
まずは児童書の翻訳を中心に読んでいこう。
主人公のペニーは十六歳の高校生。風邪をひいたせいでガラガラ声になって
しまっている。家族はみんなで映画を観に行き、夜遅くまで帰ってこない。
(原文ではお姉さんのフランはデートということになっているのだが、児童書
にはない)置き去りにされたと怒っているところに間違い電話がかかってくる。
「あんたシカゴ・ローズかね?」
相手の男は早口でまくしたて、シカゴの友人エドからその声が特徴だと教わ
った、あんたの得意な例の仕事をしてほしいと言う。俗語だらけのその話、カ
ットとかカーテンとかアイスとか言われてもペニーには全然意味がわからない。
カットとは分け前のことなのだが、ペニーは切り傷だと思うのだ。わけのわか
らないまま面白がって話を聞き待ち合わせの場所まで決めて電話を切ってから、
ふとペニーは相手を遠くから見に行こうと思いつく。そして、お姉さんの部屋
に行き古い黒のイブニング・ドレスを着てハイヒールを履き、顔にありったけ
のおしろいを塗り口紅をさして出かける。その化粧の出来映えは、後で男たち
の一人に「左官屋の小僧みたいでおかしい」と言われるほどだったらしい。そ
して遠くから見ているはずがうっかりタクシーに乗ったことから、男たちに会
うことになってしまう。男たちは、略奪したダイヤと金を持ち逃げした男を追
って来たと言う。そして、タクシーの無賃乗車や当たり屋が得意で、若作りで
有名なシカゴ・ローズに相手の男を罠まで連れてこさせようとしているのだ。
罠の場所は、当日だけ貸し切って作ったジングル・クラブ。そして、嫌がるペ
ニーを相手の男ブレナンの車の前に突き飛ばすのだ。
この物語で飲み物が出てくる場面は三か所だ。最初はペニーが連れ込まれた
男たちのアジトらしいホテルの一室。何か飲むかと聞かれて差し出されたのは
「茶色をしたその飲み物は、トウガラシをいれたガソリンみたいな味がした」
いわずと知れたウィスキーなのだが、さすがにこんな味はしないだろうと思
える。そこで原文を探ってみると、
“tasted like gasoline sprinkled with red pepper”
そのままだった。だがその前に、児童書では省略された箇所があった。それ
は、ペニーがCherry phosphateを飲みたいと思う場面だ。あんたは一杯飲めよ
と言われたペニーがフランの口紅がべたべたしているし喉がカラカラだから、
「おいしいチェリーソーダ」でも飲みたいと思っていたと訳されている。調べ
てみると、このチェリーソーダは今では存在しない飲み物なのだ。これは「リ
ン酸塩飲料」で、フルーツフレーバー、卵、麦芽、またはワインで作られ、
1900年代に普及し、ソーダファウンテンで提供されるようになったという代物
だ。ドラッグストアのソーダファウンテンの常連らしいペニーが飲みたがるよ
うな1940年代の飲み物なのだ。
さて、男たちに突き飛ばされてその男ブレナンの車に引かれそうになったペ
ニーは、ホテルのドアマンとブレナンにロビーに連れていかれる。当たり屋だ
と思われたペニーは50ドルの小切手を差し出されるが断る。そこでブレナンが
飲み物でもと言い、バーに彼女を連れて行く。ブレナンはとても若い女性が好
みということなのだが何度も騙されたことがあるらしく、ペニーが本当に若い
のか試そうとする。それが、忘れもしないこの場面なのだ。電話をかけてくる
と言ってブレナンが席を外すと、バーテンダーが例の茶色の飲み物を持って来
る。ペニーが、がっかりしていると、少し離れた席に「すばらしいピンク色の
ミルク」を置いたので、ペニーはそこまですたすたと歩いて行って一気に飲み
干し、最後には<ストローが、コップの底でグズグズ音を立てた。>
これを見て、ブレナンは、自分はうまく見極めたと思い、ペニーを夜の街に
仮装して冒険しに来た高校生だと完全に信用するのだ。たぶん子供の時これを
読んだ私は「ソーダ売り場」とバーはよく似ていて蛇口がないだけという描写
に、飲み物をクリームソーダと間違えたのだろう。原文は、
“the most irresistible pink malted you ever saw”
とあるので、翻訳者は「麦芽乳」だと思ったのだろうか?
大人向きの翻訳では、
<今まで見たこともないくらいおいしそうなピンク色のジュース>
となっていて、前述のチェリーソーダを思い浮かばせる。ここは、つづり間違
いとか訂正された可能性もあるので、また機会があったら調べていこうと思う。
さて、ペニーは男たちのスラングを全然理解していないしブレナンをだます
つもりはなかったのだが、どこか音楽とダンスが楽しめる店に行こうと誘われ
て、ジングル・クラブの名前を口に出してしまう。そこに着いたペニーが頼む
のが、
「私は、チョコレートソーダ」
この答えにブレナンはメロメロになって、ペニーをシンデレラと呼び始め、
長々と打ち明け話をし始めるのだ。そんなに無邪気そうな飲み物なんだろうか?
本文と大人向けも、
“Double choc’late Soda”
「タブル・チョコレートソーダ」
で、あまり変わりはない。けれど調べてみると、この飲み物にも歴史があった。
この飲み物はチョコレート・シロップをソーダで割ったもので、1950年くらい
迄はやっていた飲み物らしい。同じようなものに「エッグ・クリーム」という
ものがあって、ニューヨークのブルックリンとかユダヤ系の店でそのころ流行
った飲み物として紹介されている。それは、チョコレート・シロップと牛乳を
混ぜたものに炭酸を注ぎ入れたもので上部に白い泡の塊ができるのが特徴の飲
み物で、卵は使われていないのになぜかこの名前だという。ニューヨークの懐
かしい飲み物として今再流行しているらしく、ネット上で写真なども見ること
ができる。アメリカの家庭にサイフォンが普及するまで、これはソーダファウ
ンテンでしか飲めないものだったらしい。チョコレートとソーダなんて奇妙で
清涼感がない感じがする飲み物だが、この後ペニーも口がべたべたすると言っ
て、アイスを欲しがる。うれしそうにカリカリとボーイの持ってきた氷をかじ
るペニーをじっと見ているブレナン。このアイスという言葉にも二重の意味が
あってダイヤを指すからだ。この後、ギャングの使うスラングをペニーが理解
してから話は急速に進んでいき、やがて壮絶な撃ち合いが始まる。
児童書にされるだけあって、シンデレラは無事おうちに帰るし、ブレナンは
ロリコンではなく娘が欲しいと願っていた寂しい男と読める物語になっている。
今回出てきたのは飲み物だけだったけれど、それだけでもこの小説が1940年
のアメリカ、ニューヨークの光景が映し出された小説だったと気付くことがで
きた。けれども、意外にもこの物語で今でも手軽に飲めるのは、茶色くてトウ
ガラシを入れたガソリンみたいな味のウィスキーだけなのだ。困ったなぁ。た
だ、ネットで調べる限り、あの「リン酸塩飲料」のチェリーソーダもチョコレ
ートソーダも、懐かしの飲み物として作り方が書かれている。まずは試してみ
よう。もちろんその後アイスも忘れずに。できれば私は、かじれないほど硬く
て指に飾れるアイスが欲しいのだけれど、ね。
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『シンデレラとギャング』コーネル・ウールリッチ著
常盤新平訳「少年少女世界推理文学全集 NO.16
非常階段 シンデレラとギャング」
あかね書房
小川孝志訳「世界の名探偵コレクション10
(9) ホテル探偵ストライカー」
集英社文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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ワインの歴史
ちょっとワインの勉強でもしてみようかと思い、手に取ったのがこの一冊。
『ワインの歴史』(原書房)
マルク ミロン (著), Marc Millon (原名), 竹田 円 (翻訳)
ワインの歴史でもあり、ブドウの歴史でもある。そしてそれはなぜか、人類
の歴史に絡みついている。そう、まるでブドウの蔓のように。
この本によると、ワインをつくるためにブドウの実を集める習慣が人類に生
まれたのは、8000年前。シュメール文明からエジプト文明まで、いくつもの文
明で重宝されていたという。
ユダヤ教やキリスト教では、ワインは儀式や典礼に欠かせないものとなり、
キリスト教の「聖体の秘跡」という儀式を行うためには、ワインが日常的に必
要だったという。
最後の晩餐で、イエスはパンをとって「これがわたしの体である」と言い、
ワインの入った杯をとって「これがわたしの血である」と言って弟子たちに与
えたと聖書で伝えられている。聖書は世界最大のベストセラーとも言われてい
るから、これほどまでに宣伝効果の高い記述も他にはないだろう。
かくして、キリスト教の普及とともに、ブドウ栽培とワイン造りが世界に広
まっていくこととなる。
例えば麦から作られるビール、米から作られる日本酒や焼酎は、決して、自
然に出来ることはない。果実や穀物がその糖分を分解してアルコールになるた
めには酵母が必要。だが、ブドウのすごいところは、ブドウの皮に既に酵母が
ついている、ということである。
もしかしたら、と思う。ブドウからワインを作っていたのは、もしかして現
生人類だけじゃないかもしれない。ブドウは自らの種の存続をかけて、すぐに
食べずに置いとくと、とってもいいことあるよーっていう生き残り戦略を採っ
たのかもしれない。
ローマを経て、キリスト教が支配する中世へ。ヨーロッパ各地のキリスト教
修道院の務めとして、ブドウが栽培された。どうしてこう人はブドウに奉仕し
たがるのか…。
それはともかくとして、こんなブドウは様々な地域で様々な品種として分化
し、それぞれ独特なワイン造りの技術とともに、様々な地域独特のワインへと
進化していった。ワインへと進化、というのも変な表現かもしれないが、人間
に協力して、ブドウがその地域独特のワイン造りに役立つものに進化したとも
言えるし、そういうブドウが人間によって好まれ、栽培エリアを拡大したとも
言える。
そんなワインと人間との共創の歴史、それがワインの歴史なんだな、という
ことを、この本を読んで思った。
その考えをさらに拡大するのは、いわゆる「地球温暖化」がもたらすワイン
への影響である。引用してみよう。
「気温の上昇は、これまでブドウ栽培の北限とされてきた地域に福音をもたら
している。近い将来、良質なワインのあらたな生産国や生産地が現れるだろう。」
「地球温暖化」という表現はこの本では使用されていないが、こんな環境変
化さえもポジティブに活かしてしまうブドウとワイン。そしてワイン好きな人
類。
これまで以上にワインの奥深さというか、ブドウの闇を知ってしまい、さら
に興味を抱いてしまった一冊だった。
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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今回も配信が遅くなりました。すみません。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→21世紀は別の意味で日本の世紀になる
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→現実逃避は手作業で
★「はてな?現代美術編」 koko
→休載です
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→返還前の沖縄放送史
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■トピックス
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■トピックス募集中です!
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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モリス・バーマン 入山宏太訳
『神経症的な美しさ アウトサイダーからみた日本』
慶応義塾大学出版会 3800円+税
『デカルトとベイトソン』において、西欧近代の二元論的な思考の限界をする
どく指摘した著者は、高校時代に英語教師がしてくれた日本の刀職人の話に強
い衝撃を受けました。刀職人は、3日間断食をし、精進潔斎してから凄まじい
気合で刀づくりに向かい、見事な作品を仕上げるというのです。民芸、囲碁、
合気道…。それ以来著者は日本文化の虜になります。無我の境地に至ることを
目指して修行を重ね、乏しさの中に美を見出す日本文化は、自己中心的で拡張
的な西欧文化、なかんずくアメリカのそれと正反対のものだと著者は言います。
日本は幕末のペリーの砲艦外交によって、鎖国の眠りを破られました。列強の
餌食とならないためには、日本文化と無縁な物質主義を受け容れ、近代化に努
める他ありません。短期間で目覚ましい近代化に成功した日本は、暴走の果て
に原子爆弾の洗礼を浴びて再びアメリカに屈します。戦後は、アメリカの強い
る改革を受け容れ、アメリカ的な消費社会を築き上げていったのです。二度に
わたってアメリカの力に屈し、自らの望まない生き方を押し付けられてきた。
この経験が、近代日本文化を神経症的なものにしていったと著者は言います。
無我の境地を強調する禅の修行や職人技は素晴らしいものです。しかし、己を
空しくして対象と一体化することを目標とする日本文化の中からは、流れから
身を引いて、自らを対象化する習慣はついに生まれることはありませんでした。
その結果、時々の「勢い」に人々は流されていきます。日本社会を支配する
「甘え」とそれとセットになった「タテ社会」の論理が、必然的に天皇制国家
の「無責任の体系」を生み出していったのです。禅の思想に基づいて西欧哲学
を換骨奪胎した京都学派でさえ、この陥穽を逃れることはできませんでした。
戦後の日本人は懸命に働いて、世界経済のスーパーパワーとなり、1980年
代には空前の繁栄を享受していました。しかしそれは日本人が本当に望んだも
のではなく、日本人の精神には大きな空洞が生じていたのです。著者は、ただ
ブランド名が散りばめられた奇妙な小説である田中康夫の『なんとなくクリス
タル』を、この空洞を活写したものとして高く評価しています。80年代から
注目されるようになったオタク文化も、引きこもりも、オウム真理教も、空洞
化して夢も希望ない、日本社会に対する異議申し立てであると著者は言います。
いまの日本は経済的には破綻した国家にみえる。しかし犯罪は極めて少なく、
都市は清潔で安全で、平均寿命はどこの国よりも長い。日本はある意味で成功
した社会であると著者は言います。経済は無限に成長するものではない。成長
にはいつか終わりが来る。現在の世界経済の混乱と気候危機とは、その日が近
いことを告げている。その時に拡張主義的な西欧文化に替わって、欠乏の中に
美を見出す日本文化が注目を集めるだろう。ハーマン・カーンがかつて述べた
のとは別の意味で、「21世紀は日本の世紀となる」と著者は予見しています。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「手作業」の話
この時期お馴染みの、と言うか「風物詩」の様になっている「学生の進級、卒
業作品が出来上がらない問題」は本当に風物詩になってしまって驚かなくなっ
てしまった。
出来上がらない人数がもう過半数を超えてしまって集団免疫がついているよう。
つくづく人は低い方に流れるだなぁと失礼な事を考えてしまう。
が、学生の事を言っている自分が、毎年参加しているグループ展の作品が全く
仕上がっておらず絶賛泥縄状態になっていた。やはり年々描く力が衰えて自分
が考えるスピードの8割ほどしか進まない。
「このままではヤバい!」となった締め切り2日前、何を思ったかアナログでベ
タ塗りを始めてしまった。私の絵は抜けが多くてデジタルにはあまり向いてい
ないのだが、それでもこの締め切り前の大変な時期にちまちまベタを塗ってい
る場合ではない事は重々承知している。
ただ…無心に手を動かしていると妙に楽しいのだ。
一種の現実逃避とも言えるかもしれないけど手作業と言うのは楽しい。
それで気になったのだが今のデジタルメインで作品を描いている学生たちはこ
の楽しさを実感する事はあるのだろうか?デジタルも道具だから使いこなせば
同じだとは聞くが…あのアナログの感覚を味わう事は出来るのかなぁ。
作品が上がらない学生のパターンとして「これ、デジタルで仕上げるので大丈
夫です」と言うセリフがある。毎回「デジタルは魔法じゃない」と答えるのだ
が、手作業は確実に作業量×時間なので読みの甘さを指摘しやすいし、なによ
り完成間近の単純作業の楽しさがあると思うのだけど。
しまった、学生の話をしてる場合じゃなかった。
まだちまちました「楽しい、楽しい」トーン貼りが残っている。^_^
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 31
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先島諸島でのテレビ放送開始
沖縄における放送の歴史は、1942年3月19日、日本放送協会(NHK)が首里市に
沖縄放送局を開設したことに始まるが、1945年3月23日の那覇空襲により同局は
機能停止に陥り、2日後に閉鎖が宣言された。
第二次大戦後の1948年5月3日、極東軍司令部はフィリピン・琉球軍司令部
に暫定的な放送局の建設を認可し、翌1949年5月16日、琉球列島米国軍政府通
信部が琉球放送局を開設することで沖縄における放送が再開される。同局は1週
間で放送中止になってしまうが、1950年1月21日、“琉球の声”琉球放送局が正
式に開設された。
1954年4月1日、“琉球の声”は琉球大学財団に移管され、同財団が放送施設
の賃貸契約を結んでいた沖縄放送株式会社(通称・ラジオ沖縄。ただし、現在
のラジオ沖縄=ROKとは別会社)への委託による放送が開始されるが、同年7月
20日、琉大財団は「委託賃貸料の滞納」を理由に沖縄放送株式会社との賃貸契
約を解消。提携解消後、まもなく沖縄放送株式会社は消滅してしまう。
このため、同年9月20日、あらためて琉球放送株式会社が設立され、10月1日、
同社は琉大財団より全放送設備を賃借して沖縄初の放送が開始された。
ところで、前年の1953年、日本本土ではNHKと日本テレビがテレビ放送を開始
したが、これを受けて、1956年7月16日、フジテレビ系の沖縄テレビ放送が琉
球政府に対してテレビ放送の免許を申請。1958年2月24日の予備免許交付、翌
1959年10月27日の本免許交付を経て、同年11月1日、沖縄初のテレビ局として沖
縄テレビ放送が開局した。
また、この間の1959年4月6日には琉球放送がテレビ放送の免許を再申請し、
同年12月の予備免許交付、ニュースネットワークJNNへの加盟を経て、1960年6
月1日、沖縄で2番目の民間テレビ放送を開始した。
なお、1961年10月1日には、NHKが16年半ぶりとなる沖縄の拠点として、那覇通
信局を開設している。ただし、当時の沖縄は米施政権下にあり、“外国”あつ
かいだったため、NHKとしてはテレビ放送を行わなかった。また、当時の沖縄で
は、マイクロ波回線がなかったため、テレビ放送は本土から空輸された番組フィ
ルムを放送していた。
1964年の東京五輪を前に、同年9月1日、日琉間でマイクロ波回線が正式に
開通し、NHKが沖縄へ本格的に番組提供を開始する。ただし、当時の沖縄ではテ
レビ放送を受信できる地域が沖縄本島にほぼ限定されていたため、1965年8月の
佐藤栄作首相の訪沖に際して、当時はテレビ電波の届かなかった先島諸島(宮
古群島および八重山群島)からはテレビ局設置の陳情が出された。
これを受けて、1965年8月、琉球政府通商産業局郵政庁は先島テレビ局(仮
称)設立準備委員会を設置。1966年4月30日には本土の郵政省内にも沖縄先島地
区テレビジョン放送施設建設室が設置され、実務作業が本格的に進められた。
なお、先島諸島におけるテレビ放送は、テレビ専門局としての沖縄放送協会
(1967年10月2日設立)がNHKの支援を受け、設備もNHKから提供を受けることに
なっていたため、沖縄放送協会の設立に先立ち、1967年7月6日、「宮古群島及
び八重山群島におけるテレビジョン放送に必要な設備の譲与に関する法律」
(昭和42年法律第24号)が公布・施行され、同年11月1日、日本政府から琉球政
府へ施設・設備の譲与が行われた。
こうして、1967年11月28日、沖縄放送協会八重山放送局並びに川平・租納・
与那国各テレビジョン中継放送所に、12月1日、同宮古放送局に放送免許が付与
され、同月22日、沖縄放送協会・宮古放送局が沖縄初の公共放送として開局。
翌23日には同八重山放送局が開局した。
宮古放送局の開局にあわせて、1967年12月22日に発行された記念切手
https://blog-imgs-158.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20230125043740851.jpg
は、宮古・八重山の両島のシルエットにテレビ塔を組み合わせたデザインになっ
ている。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「切手でたどる郵便創業150年の歴史 Vol.3 平成・令和編」日
本郵趣出版、電子書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
10年来の寒波の中での発行です。
寒くなると、スマホやノートパソコンの充電ができなくなる。暖房の無い部屋
では充電できず、暖かいところだと充電できる。
何度だと充電して、それ以下だとダメなのか、よくわからない。
リチウムイオンに詳しい方がおられたら、教えてください
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第81回「生誕150年の作曲家マックス・レーガー」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第163回 下戸でも行きたいバー
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→「電線の恋人」とは?
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第8回 暴君と独裁君主
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第81回「生誕150年の作曲家マックス・レーガー」
遅ればせながら、今年もよろしくお願い申し上げます。
このところ忙しいこともあり、なかなか毎月出稿できませんが、できる限り毎
月出稿できるよう努力いたします。
年明け1月半ばから講義が始まり、やがて期末試験と卒業研究発表会と成績提
出と、2月初旬まで卒業年次生には怒涛の日々が続きます。教員としても漏れ
や抜けの無いように細心の注意を払って成績をつけるわけですが、これがなか
なかシステマティックにならず、あとあと頭痛の種になってしまうことも稀で
はありません(嘆息)。あからさまに書ける話ではないので、このあたりは
おいおい……。
卒業年次生への対応と並行して、在学生の講義もあるわけです。新型コロナウ
ィルス禍からこちら、パワーポイントで資料を作成し講義をしていますが、毎
年のようにパワーポイント資料の細部を修正し内容を入れ替え、少しでも新し
い知見を加えて「十年一日の如き」講義にはしないように配慮しているところ
ですが、さてその内容がどこまで学生に理解してもらえているのか、多少
(?)不安がないでもありません。
閑話休題。
さてクラシック音楽の愛好者は周年行事(生誕◯◯年・没後◯◯年など)とし
て様々な催し物や、レコード会社によるキャンペーンが行われることについて
それなりの関心を寄せているひとが少なくないと思われます。そこで2023年に
周年行事がありそうな作曲家を探してみると、わたしの好きな作曲家のひとり
であるマックス・レーガー(Max Regar,1873-1916)が今年生誕150年を迎え
ることが確認できます。もっとも、レーガーがいま、どの程度その名を知られ
ている作曲家であるのかについては、少々不安があります(苦笑)。誰の指揮
だったか、NHK交響楽団の演奏会で「モーツァルトの主題による変奏曲と
フーガ」作品132がかかったのは35年くらい前の話ではなかったかと。
この変奏曲で取り上げられた「モーツァルトの主題」とは、あのトルコ行進曲
がフィナーレであるピアノ・ソナタK.331の第1楽章の主題ですが、この楽章自
体が変奏曲形式であるにもかかわらず、その主題を変奏曲の主題に使うという
大胆不敵な作曲家、というのが、わたしの持つレーガーのイメージですが、
レーガーはベートーヴェン以来の変奏曲の大家というのがその評価でもありま
した。鯨飲馬食の巨漢で陽気で機知に富み、無理腕な批評家には常に皮肉を以
って応戦し、分厚い響きとスケールの大きな音楽が身上という作曲家であり、
作品番号にして146(最後の作品146はそこそこ知られているクラリネット五重
奏曲)にのぼる作品を書き上げ(作品番号によっては60曲も収められている例
もある)、また指揮者・オルガン奏者としても大車輪の活動を行った音楽家だ
ったわけですが、生前あるいは1920年代前半までの重んじられ方(あの十二音
技法の創始者であるアルノルト・シェーンベルクがレーガーを高く評価してい
た)に比べると、現在のレーガーの知名度はどんなものであるか。
わたしにしても、取り敢えず「好きな作曲家」であると言ってはいるものの、
メロディが行方不明になりがちでどこに連れて行かれるのかよくわからない
レーガーの音楽をどこまで理解できているのかについては、いささか不安なし
とはしません(苦笑)。いま確認してみるとCDは10枚ほど持っていて、やたら
と重厚でブラームスのピアノ協奏曲第1番をさらに渋く鈍重にしたようなピア
ノ協奏曲ヘ短調作品114や、「よく演奏される長大な協奏曲」としてギネスブ
ックに記載があったと記憶する、50分を超える大作であるヴァイオリン協奏曲
イ長調作品101は、ワーグナーを得意としたドイツの名指揮者ホルスト・シュ
タインが録音したもの(コッホ・シュヴァン)が我が家にはありますが、協奏
曲であるにもかかわらずソリストが見えを切るような聴かせどころがあるわけ
でもない作品なので演奏する方は大変であろうと思えてしまいます。
今回、自分でも取り留めのない文章を書いているなあ、と思うところですが、
この「取り留めのなさ」がまたレーガーの音楽の魅力であもある、と少々強引
なこじつけを図ってみます。先程も「どこに連れて行かれるのかよくわからな
い」と書きましたが、その早い晩年に書かれそれまでの作品にない「軽み」を
獲得したとされるクラリネット五重奏曲作品146にしても、やはりその音楽の
彷徨っぷりは第1楽章の形式が容易にわかりにくいことも相まって、定まった
評価を下しにくいところがあるのではないかと思われるのです。
生誕150年ということで、このクラリネット五重奏曲をはじめとする室内楽
(ヴァイオリン・ソナタは9曲、チェロ・ソナタやクラリネット・ソナタがあ
ります)は演奏会にかかる機会が増えるかもしれません。是が非でも、と勧め
ることはしませんが、生演奏を聴いておいて損はないだろう、というのがささ
やかなわたしの願いです。わたしも近所で生演奏を聴く機会があれば推参した
いところです。
ではでは、改めて本年もよろしくお願い申し上げます。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第163回 下戸でも行きたいバー
大人になったらやってみたいことがあった。たとえばいきつけのバーのカウ
ンターに座ってしずかにウィスキーを飲むことがそのひとつだった。残念なが
ら下戸というかまったくアルコールを受け付けないぼくは、バーには縁がない。
若いころ、先輩に連れられて老舗の名店、青山にある「バーラジオ」に連れ
て行ってもらったことがある。まだ20代前半だったぼくは、大人の雰囲気に
緊張してしまって、なにも覚えていない。有名な作家や女優が同じカウンター
に座ったんだ、と思うと夢うつつという感じだった。
でもいったい何を飲んだんだろう。下戸なのに。
『バー・ラジオのカクテルブック』(尾崎浩司 榎木冨士夫 著 柴田書店)
もダンボールの中にあるはずだ。この本を編集した人とも仕事をしたことがあ
ったな。
下戸でも、酒を飲みたい夜はある。いつもの柿の種と番茶ではおさまらない
気持ちがあるんだ。ポリポリ、ズズズじゃどうしてもだめなんだな。
ずっといやな気持ちをひきずって過ごした一日の終わり、きっとこんなとき
に人はバーに行くのだろう。
『ポエトリー・ドッグス』(斉藤倫 著 講談社)を読んだ。
主人公がふらりと三軒目に入ったバー。
「いらっしゃいませ」
グラスをふいている手がふさふさしていた。
バーテンダーは犬だったのだ。
この本はこんな感じではじまる。ポエトリー・ドッグスというタイトルでわ
かるように、このバーは酒だけではなくて、「お通しというか、つきだしとい
うか」のように「詩」を出しているのだ。
ぼくもこんなバーがあるのだったら行ってみたい。ノンアルコールのカクテ
ルでもいいかなあ。
作者の斉藤倫は詩人で児童文学も書いている作家で、ぼくはこのメルマガで
も紹介した『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』
(福音館書店)を読んですっかりファンになった。この本も昨年の十月に出て
いて、書店で見つけてすぐに買った。昨年はいろんな辛いことが重なってゆっ
くり本を読む気になれず、積ん読になっていた。でも、いまのタイミングで読
むことになってよかったと思う。
本は見つけたら手にいれておこう。すぐには読めなくても、きっと読むタイ
ミングが来るのだから。
『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』は、詩と
はどういうものなのかを子ども向けにやさしく解説した本だったけれど、この
『ポエトリー・ドッグス』は大人向けに詩の解説、詩の魅力を語っている。
でも詩のガイドブックとはいっても、語るのは犬だからね。ユーモラスで犬
と人間が詩について語り合うからこそ、描ける世界になっている。
ぼくと同じように、主人公は詩ってなんかよくわかんないな、という。この
バーで犬のバーテンダーに詩を紹介してもらい、犬と語りながら、詩について
思いをめぐらせる。読んでいるぼくも、いっしょになって詩について考える。
ふだん詩について考えることなんかないぼくだけど、こうやって犬のバーテン
ダーの解説を聞いているとなんとなくわかってくるような気がしてくる。
ただ『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』を
読んだときも感じたのだけど、それなら詩がわかるようになるかというとそう
でもない。何冊か詩集を手にしたけれど、やはりよくわからないというのが正
直なところだ。作者の斉藤倫が物語仕立てにして、やわらかく、わかりやすい
文章で書いてあるから、理解出来たのだろう。
犬のバーテンダーがカクテルとともに、その日の主人公の気持ちに合わせて
詩を「処方」してくれる。それは古今東西の詩の名作、萩原朔太郎、室生犀星、
T・S・エリオット、ランボー、それに現代詩もあるし、ネイティブアメリカン
の口承詩、そして詩ではないがサム・シェパードの『モーテル・クロニクルズ』
も登場する。15編のストーリーに31編の詩が収められている。
博学の犬のバーテンダーは、その詩の背景、歴史を解説してくれる。ただす
べてを教えてくれるわけではなくて、「さあ、わたしは人間のことはわかりま
せん」とはぐらかされてしまうのだ。きっと詩を解説つきで読むことがいつも
正しいわけではないことを言いたかったのかもしれない。
でもなんで犬なんだろう? ポエトリー・ドッグスというタイトルの意味を
考えてしまう。
でも、犬好きの人ならば、この本を読んでいると「犬」である意味がわかる
と思う。
『ポエトリー・ドッグス』を読み進めていくと、よそよそしかった詩がだんだ
んそばで寄り添ってくれるように感じるからだ。かたわらに犬がいる、温もり
を感じる。
しゃれた表紙を見直して「あれ、ドッグス!」とタイトルはドッグスと複数
であることに気がついた。バーテンダーはひとり、いや一匹だ。
タイトルがドッグスと複数になっているのは、ドッグスはバーテンダーのこ
とではなくて、とりあげられた詩のことを指しているんじゃないか。詩が、愛
犬のようにそばに寄り添ってくれているということなのかもしれない。
主人公はなにか仕事や生活に行き詰まっているようだった。体も弱っていた。
どうしようもない気持ちをやりすごすために酒に救いを求めていて、そんなと
きにこの犬のバーに出会ったのだった。主人公はそこで詩と出会う。詩は弱っ
た心に寄り添ってくれるものなのかもしれない。
犬は寄り添ってくれているかと思うと、とつぜんそっぽを向いてしまうこと
がある。詩も同じでいつも理解できるとは限らない。理解したと思っていても、
まったく違うのかもしれない。そっぽを向く。それだからこそ、詩には魅力が
あるのかもしれない。
ぼくは、まるで弟のようだった柴犬バンと過ごした日々を思い出していた。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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対象について詳しい人が書いた趣味の本は、読者にとってとても参考になり
ます。しかし趣味の本で読んで面白いのは著者の対象に対する愛情が度を越し
ている場合でしょう。その偏愛具合が飛びぬけているほど面白いような気がし
ます。それでいて対称との距離を時に冷静に見つめ返したりしてるとさらに味
わい深く感じます。
ということで今回は趣味の本です。
『電線の恋人』、石山蓮華、平凡社、2022
著者は俳優で文筆家。しかし最初に来る肩書は何と電線愛好家であります。
背表紙にもバッチリ「電線愛好家 石山蓮華」と書いてありますからね。
ここでひとつ注意しておきたいのは、電柱愛好家や鉄塔マニアではないとい
うことですね。電柱マニアの方は『電柱マニア』(須賀亮行著/オーム社編,
オーム社,2020)、鉄塔マニアの方には『送電鉄塔ガイドブック』(送電鉄塔研
究会,オーム社,2021)がお薦めです。石山さんも本書にこれらを推薦図書とし
て挙げてはいますが、この本が推しているのはあくまで「電線」です。
もちろん電柱も鉄塔も電線とは切っても切り離せないものなのではあります
が。本書にはテレビ朝日の「タモリ倶楽部」に出演した際のエピソードも記さ
れています。
その回は鉄塔VS電柱をテーマにした回だったようなのですが、石山さんは電
線愛好家であるにもかかわらず電柱代表を名乗ることに、軽いわだかまりを感
じたりしています。
電柱と鉄塔を取り除いたら何が残るんじゃ。と思っている方もいらっしゃる
かもしれませんが、それはこの本のそこここに掲載されている電線たちの写真
の数々を見ていただきたいと思います。
東京でベトナムで香港で街を彩る電線の何と存在感のあることよ、という感
じなのであります。まあこういう風な景色に批判的な方もいらっしゃるようで
すが。私なんかは東京で育ったので、こういう電線が空を縦横に行きかってい
る風景はとても自然に感じますね。無電柱化している街路では「ああここは無
電柱化してるのね。」とそっちに違和感(?)を感じるくらいです。
そうした街の電線たちを石山さんは色々な切り取り方で見ていきます。南国
系・ツタ系・光学迷彩・屋根系etc…。我流で名づけられた電線の分類も面白
いですね。
石山さんは本書のタイトルの通り「電線の恋人」を自称して、電線を好きだ
と言い続けているうちに電線の工場を見学する機会ができたり、街角で高所作
業を行っているのも見学したり、さらには高所作業車にまで乗せてもらったり
もしています。そしてついに日本電線工業会公認の電線アンバサダーにも就任
してしまうのでした。
まあ趣味人があまり対象(「恋人」)とべったりしてしまうのもそれはそれで
どうかと思うところもあるのですが…。「恋人」が悪いことをしたらちゃんと
批判したりできるのかなとか思うこともありますね。(鉄道趣味では割とそう
いうよくない面があるように思うのです…。)
まあ本当に「電線の恋人」なら電線が悪さをした時(?)は、それは良くな
いよと諫めるはずなので、石山さんはきっと大丈夫でしょう。
ちょっと話が逸れましたが、まだそれでもブツとしての電線に興味がわかな
いというのであれば、本書の第2章に置かれた「イメージの中の電線たち」を
まず読むのです。アニメ・特撮・マンガ・絵画と様々に描かれた電線たちの姿
を見ることが出来ます。
「電線絵画展」なんていう電線を描いた絵画を集めた展覧会があったなんて
知りませんでした。電線が描かれる意味とか、作品の中での役割とかいろいろ
深読みして想像が膨らみます。図録買っちゃおうかな…。展覧会には展示され
なかった、長沢芦雪の電線絵画ではないのに電線絵画にしか見えない雀の絵と
かも興味深いですね。
最終的に電線に関心を持てなかったとしても、石山さんの電線愛好家として
の熱量がすごいので、それを面白がって読むというのもまたよしなのではない
でしょうか。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第8回 暴君と独裁君主
『戦争は女の顔をしていない』、「野蛮人」の顔をしている。2023年はスヴェ
トラーナ・アレクシエーヴィッチの言葉とともに始まった。
〈私は今、戦争を始め、指揮する人々について本を書いています。こうした
「野蛮人」の時代は、新たな中世です〉
昨年末に「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有を宣言した国のパスポートを
持ちながら、台湾で事を起こす気満々に見えてしまう国で働く身としては切実
である。ゼロコロナ政策が唐突に打ち切られた後の右往左往は、「新たな中世」
という言葉がすでに比喩でなくなっていることを実感させる。
「野蛮人」が好むのは「偉大」という言葉だともアレクシエーヴィッチは語っ
ていた。「偉大」は「野蛮人」と一蓮托生なのである。
〈「偉大なロシア」。恐ろしいことです。過去に「偉大なドイツ」や「偉大な
セルビア」が何をもたらしたかを振り返れば、流血だけです。〉
「中華民族偉大復興」という赤いスローガンが日常となっている上海でも、
VPNをつなぎさえすれば、元旦の『朝日新聞』に掲載されたというアレクシエ
ーヴィッチのインタビューを読むことができる。「偉大」を鼓吹するこの国を
牛耳っているのも、やはり「野蛮人」なのだろうか。
アレクシエーヴィッチのインタビューを読んで思い出したのは、コロナ禍のさ
なかの2020年9月に日本で購入した『暴君 シェイクスピアの政治学』だった。
岩波新書の1冊として刊行されたスティーヴン・グリーンブラットの小著は、
うれしいことにKindle版も出ている。中国でもクリック1回で簡単に再読可能
だ。『ヘンリー六世』の第2部で叛乱の首謀者として出てくるジャック・ケイ
ドの主張をmake England great againと簡潔にまとめてみせるグリーンブラッ
トは、MAGA(Make America Great Again)をスローガンに不動産王が大統領へ
とのし上がった事態を目の当たりにして、シェイクスピアを通して「暴君」の
秘密に迫ろうとした。「たいてい統治能力ゼロの暴君が、新たな政治プランも
ないまま、本当に権力を掌握するとどんな混沌が生じるかを繰り返し描いてい
る」シェイクスピアは、「暴君」の秘密に迫るのにうってつけであると、
『シェイクスピアの驚異の成功物語』でその人生をスリリングに浮かび上がら
せたハーヴァード大学の教授は考えた。
現代の「暴君」を考えるためにグリーンブラットが採用したのは、シェイクス
ピアに倣った「斜にかまえてoblique angles」という方法だった。シェイクス
ピアの時代、すなわちエリザベス1世の統治下においては「現代の全体主義体
制下と同様」に、「舞台の上であろうがどこであろうが、表現の自由などなか
った」。そのこともあってシェイクスピアは、「物事はそのものずばりではな
く、斜にかまえて見たほうが、重要な面が見えてくる」と考えていたという。
「真実を手にしても死なずにいるには——作品を通してそれを描くか、あるい
は歴史的距離を置くのが一番だと、シェイクスピアの劇はほのめかしている」。
それゆえシェイクスピアの世界的な碩学は、400年前の劇作家を通して、現代
の「暴君」の「心理」の襞に分け入っていく。
『暴君』を最初に読んだ時は、次期大統領も不動産王になるのかどうかの瀬戸
際だった。だから「ポピュリズム」のような現代的な概念を多用して、斜めか
ら「現在の私たちがいる政治世界」を批判的にとらえるグリーンブラットの筆
致を、その時は小気味よく感じたように思う。しかし2022年2月のウクライナ
侵攻以後の時代においては、どうも勝手が違った。
《澎湃新聞》(2021年10月12日)に掲載された書評「憤懣か、それとも変革か」
で李漢松は、『暴君』では「政治心理分析」だけがなされていて、制度につい
ての検討が行われていないと述べていた。さらに「暴君の心理と社会集団の心
理の間には何らかの関わりがある」と示唆されているにもかかわらず、それが
どのような関係なのかも論じられていないとも指摘していた。グリーンブラッ
トと同じくハーヴァードに勤務する政治理論家の筆鋒はなかなか鋭い。しかし
私の違和感は、こうした書評に影響されたからというだけではなかったように
思う。
私が抱いたのは、不動産王やウクライナ侵攻を進めた柔道家に「暴君」という
呼び名を与えることが有効なのかどうかという疑問だった。『リチャード三世』
や『マクベス』などの分析を通してグリーンブラットは、「潜在的暴君に備わ
っている危険な特質」を「反社会的な病質者」として描き出す。しかし不動産
王の支持者は「反社会的な病質者」という分析を、はたして受け入れるのだろ
うか。ブラジル代表の黄色いユニフォームを着て大統領府を襲撃した者たちも、
自分たちが「暴君」にそそのかされているとは思っていないはずである。
「暴君」であるという理由で「暴君」の支配を受け入れることは、少なくとも
現代ではなかなか難しい。外部の人間から「暴君」に見えても、内部の人間は
「名君」とみなしている可能性もある。「名君」だと信じている内部の人間に
対して、それは思想教育によってマインドコントロールされているだけだと言
い募っても、「暴君」とみなすあなた方のほうが思想教育によって一方的な思
想を刷り込まれているだけだと反論されかねない。「暴君」という言葉は、内
部と外部の分断を際立たせることに寄与してしまい、対話の道を閉ざしてしま
う可能性を持っている。
「独裁」という言葉は「暴君」と結びつけられやすい。だから「一党独裁」体
制は「暴君」に牛耳られた国としてイメージされやすい。しかし「独裁君主」
に「暴君」という呼び名を与えて理解したつもりになると、大きな誤解を招く
ことになりかねない。分断を鮮明にすることに寄与するだけになってしまう。
たとえば歴史学者の宮崎市定は、1950年に初版が刊行された『雍正帝』で次の
ように書いていた。
〈もしも君主制が何の理想ももたず、全く恣意的な無軌道のものであったり、
或いは堅い殻のように固定したままで人民を抑えつけているのであったなら、
いかに辛抱強い中国民衆でも、それを打破って新しい政治様式を造り出したに
ちがいない。〉
すなわち中国の「独裁君主」は必ずしも「無軌道」な「暴君」とは限らなかっ
た。「名君なるものが現れて、たえず君主制の理想と実施とに改良を加え、無
言の大衆の信頼をつないできた」のである。それゆえ「独裁制に信頼する民衆
は独裁制でなければ治まらないように方向づけられてしまった。これは中国人
民にとってまことに悲しむべき結果である」。この言葉が書きつけられたのは、
1950年である。しかし、それから70年以上経っても、事態はさほど変わってい
ないように思われる。
2021年に国務院新聞弁公室が出した「中国的民主」という白書には、「中国の
ような大きな国で、14億人以上の人民の望みを表現し実現させることは容易で
はなく、堅固で強力な統一されたリーダーが絶対に必要とされる」と記されて
いた。もちろん14億人以上の人民のリーダーは中国共産党にほかならない。す
なわち私が身を置く国で目指されているのは、「独裁制でなければ治まらない
ように方向づけられてしまった」人民による「民主」なのではないだろうか。
こうした「中国の独裁君主」制を活き活きと物語ったのが、宮崎市定の『雍正
帝』である。「雍正帝の独裁政治は正にその絶頂に位する」。そうした「かつ
て中国に見られなかった一種独特の独裁体制を知らず知らずの間に創造」する
に至ったプロセスにおいて、「清朝の北京入りから数えると三代目にあたる」
皇帝が行なったことは、「中国的民主」の建設を目指す「堅固で強力な統一さ
れたリーダー」の所行を想起させずにはいられない。
雍正帝は「強靭なる神経」で、政敵となり得る兄弟を次々に追いやり、「存在
するものはすべてが臣下で、臣下以外のものはあり得ない」という「独裁君主」
制を作り上げたが、その道程は昨年10月の共産党大会で前国家主席を退席させ
た一幕と重なり合う。「雍正帝は官吏の風紀を取締り、賄賂の弊害を根絶し、
政界を粛清して、貪欲な汚吏をこらしめた」とは、宮崎が引用する「清朝学者
中に異彩を放つ皮肉屋のすね者である章学誠」の評言であるが、それは「虎も
蝿もたたく」ことをスローガンに反腐敗運動を進め、結果として強力な地歩を
固めるに至った現体制と符合する。密偵を使いこなすだけでなく、幅広い官吏
から直接「奏摺」という親展状を自分のところに送らせて、地方の情報や官吏
の人となりを見極めようとした雍正帝の情報管理のあり方は、AIを駆使して
SNSに至るまでの情報をコントロールしようとする姿勢に相通じる。違反とし
て削除されずに声を上げるためには、もはや白紙を用いるしかないのが現状で
ある。
しかし「独裁君主」は必ずしも「暴君」とは言えない。白紙を掲げる人間は確
実に存在するが、その数はわずかなものであり、大多数は自分たちが「暴君」
に牛耳られているとは思っていない。不自由を感じることはあっても、不自由
ばかりではなく自由を享受し得る余地も残されている。そうでなかったら、日
本人よりもずっと口うるさく野放図な人民が生きていけるわけがない(だから
ゼロコロナ政策は唐突な終焉を迎えた)。「悲しむべき結果」という評価の可
否はさておき、中国独特の「民主」や「人権」を「暴君」という言葉とともに
退けてしまうのではなく、「中国の独裁君主」の恩恵として理解しようとする
ことが、今こそ求められているように思われる。
雍正帝の父の康煕帝は台湾を制圧したことで知られ、子の乾隆帝は外征によっ
て最大の版図を実現したことで歴史に名を残した。しかし「不経済」なことを
嫌った雍正帝は違ったと、宮崎は書いている。
〈われわれは独裁君主といえばすぐに戦争を連想するが、雍正帝はそれと違っ
て、戦争が嫌いな、平和的な、しかも徹底した独裁君主であったのである。〉
雍正帝の在位期間は13年だった。現体制が始まったのは2012年だから、今年で
ちょうど11年目となる。ゼロコロナ政策を唐突に打ち切った現体制は、雍正帝
に負けず劣らず「不経済」を嫌っているように見える。現にここ最近の中央電
視台のニュースは経済関係のものばかりだ。「独裁」体制は今後よりいっそう
「徹底した」ものとなっていくだろう。その時、少なくとも「戦争が嫌いな、
平和的な」雍正帝が象徴する中国独特の「独裁君主」制が続いていることを願
うばかりである。しかし不動産王を「暴君」にした大国にそそのかされて、そ
の言いなりになるばかりでは、雍正帝は康煕帝にも乾隆帝にもなり変わってし
まう。脅威となる可能性を秘めていても、それを「暴君」として敵視するので
はなく、内部の視点を考慮に入れて「真相を究明してゆく」ことが、やはり必
要なのではないだろうか。
〈議論は実体を見た上に進められるべきで、名前から実体を規定することは避
けなければならない。面倒でもやはり独裁制を論ずるためには、その代表的な
実例を一つ一つ取上げて真相を究明してゆくのがわれわれに与えられた課題で
あろう。〉
1950年に書かれた「課題」は、いまだに私たちの宿題であり続けている。
【本文中で言及させて頂いた本】
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/三浦みどり訳
『戦争は女の顔をしていない』岩波現代新書、岩波書店、2016年2月
スティーブン・グリーンブラット/河合祥一郎訳
『暴君 シェイクスピアの政治学』岩波新書、岩波書店、2020年9月
スティーヴン・グリーンブラット/河合祥一郎訳
『シェイクスピアの驚異の成功物語』、白水社、2006年9月
宮崎市定『雍正帝 中国の独裁君主』中公文庫、中央公論社、1996年5月
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■あとがき
年が改まり、変わらず問題の多い日々ですね。今年はどんな年になるので
しょうか。フランスで年金制度についてのデモが盛り上がっています。「変え
なければならないのはわかっている。でも二年も多く働かなければならない
なんて!」デモに参加する人の声。思うことははっきり意思表明すべき。
やられるばっかりでうんざりです。
今年はどう過ごすのか。問われていますね! 畠中理恵子
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★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 第141回 寄り添いながら、突き放す
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ 今回はお休みです
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(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。
情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第141回 寄り添いながら、突き放す
―西崎憲編訳『郊外のフェアリーテール キャサリン・マンスフィールド短篇
集』(亜紀書房)
ニュージーランド出身の作家キャサリン・マンスフィールド(1888年-1923年)
は、日本で比較的よく読まれている作家ではないだろうか。生涯が短く作品が
多くない割に翻訳は結構出ている。一見何でもないところにドラマを見出す繊
細な視線が、俳句や短歌の伝統がある日本人読者の心を引き付けるのだろうか。
以前本欄では『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』を取り上げたことがあ
るが、本書は同じ「ならんですわる」シリーズの第2弾にあたる。ちくま文庫
で出ていた『マンスフィールド短篇集』を改稿し、一篇追加したものである。
ヴァージニア・ウルフはマンスフィールドの才能に注目し、その死に際して
「競争相手を失った」との言葉を残しているそうである。ウルフは自分がやり
たかったことのある部分をより巧みに表現する作家として、マンスフィールド
を意識していたのだろう。
ウルフは短篇の創作にあたって、空間の雰囲気を詩情豊かに描出することを
何よりも重視していたようだ。その結果一般的な意味での筋の明快さは失われ、
一般読者にとって難解な印象を残すものになってしまった。しかし、ウルフよ
り6歳年下のマンスフィールドは、場の空気の詩的な描出と読者を迷わせない
筋の進行を両立させている。より大衆性に富んだ表現を行っていると言える。
ウルフは時として生活から独立した夢のような空間を創り出すが、マンシフィ
ールドは常に生活に密着した空間を開いている。
冒頭に置かれた「風が吹く」は、中流家庭の少女マティルダの家出衝動を描
いた作品。彼女は思春期に達し、自我に目覚め始めている。自分でもよくわか
らない衝動に苛まれ、不安定な気持ちになっている。マンスフィールドはその
様子を念入りに描いている。ピアノの先生にほのかな好感を抱くが、それも本
格的な恋情というより、家というものから脱出したいという気持ちの一つの表
れ方だろう。彼女にはボギーという弟がいる。風が強いその日、彼女とボギー
はコートを着込み、海岸への道を歩く。そして蒸気船に乗り、港にいる人々は、
腕を組んでデッキから身を乗り出す二人を見るのだ。この最後の部分は現実で
はなく、マティルダの空想を可視化させたものだろう。しかし、作者は現実に
も空想にも等しく精確な描写を施す。思春期の少女という存在に何らかの価値
を付加してロマンティックに描くのでなく、思春期という不安定な状態そのも
のを即物的に描いている。
マンスフィールドの作品の中で最も知られる「ガーデンパーティー」。少女
ローラの家で豪華なガーデンパーティーが催され、その準備の途中で、近所の
貧しい一家の男性の死の知らせが届く。母親はパーティーを決行し、残り物の
食べ物を一家に届ければ子供たちが慰められると提案し、ローラを家に行かせ
る。ローラは男性の死の知らせに衝撃を受けており、パーティーの決行や残り
物を贈ることに対し強い違和感を抱いている。ローラは家に入り男の死に顔を
見て更に衝撃を受ける。ローラはこの半日で人生の不条理を学んでしまうのだ。
一家が突然大黒柱を失うこと、貧富の差、人の死を気に留めない人がいること、
子供は大人に逆らえないこと、など。不条理を知ることで少女は大人になる。
これらは大人の世界では日常的に起こっていることであり、慣れていくうちに
ローラもいつか母親のような鈍い大人になるかもしれない。しかし、今、ロー
ラは少女なのである。子供だからこそ不条理な人生の真実を曇りなく見ること
ができる。その稀有な時間を、作者はこの上ない注意深さで丁寧に構築してい
る。
「人形の家」にも貧富の差の問題が出てくる。裕福なバーネル家の子供たち
は、美しい玩具の人形の家をプレゼントしてもらう。子供たちは学校で自慢話
をし、仲の良い友だちを見に来させる。やがて人形の家は学校中で評判になる。
学校にはケルヴィー姉妹という貧しい家の子供たちも通っている。父親が服役
中であることもあり、皆から無視される存在である。バーネル家の三女キザイ
アは、家の前を通りがかったケルヴィー家の姉妹に、ためらった末に「見たく
ないの?」と声をかける。もじもじしていた姉妹は意を決して見に来る。人形
の家を眺めている最中、叔母がやってきて彼らを叱り、ケルヴィー姉妹はほう
ほうのていで逃げ出す。しかし、姉妹のうち妹は笑顔でキザイアが特に自慢し
ていた人形の家の「ランプ」のことを姉に話す。この作品では、まず力関係が
問題になる。バーネル家の姉妹は学校ではちやほやされる存在だが、姉妹の間
には厳然と年の順の序列がある。長女のイザベルが威張っていて三女のキザイ
アは服従しなければならない。キザイアがケルヴィー家の姉妹に声をかけたの
は、力の弱い者同士のシンパシーからではないだろうか。キザイアには自分の
方が少し上という自覚はあるが、少し上なら少し上なりの、器の大きさを示し
たかったのだろう。次に、生きる歓びとは何かという問題がある。ケルヴィー
姉妹は差別を受けていて、ほぼ姉妹だけで過ごしており、特に妹は引っ込み思
案で姉にべったりだ。しかし、最後に、彼女にも世界を楽しむ豊かな感情があ
ることが示されるのだ。彼女らは外から見えるような「かわいそうな人たち」
ではない。ちゃんと生活の楽しみを見つける術を心得ているということだ。
「入江にて」はこの短篇集の中では比較的長い作品で、クレッセント湾付近
にあるバーネル一家の人々の平凡な一日を描いている。「人形の家」のバーネ
ル一家と同じである。最初に情緒豊かな風景描写がある。イントロダクション
にしてはたっぷりした分量で、場所というものがこの作品の重要な要素である
ことを示す。そしてバーネル家の人々が登場する。平穏そうに見えて皆それぞ
れ問題を抱えている。家長のスタンリーは仕事に忙殺されて余裕がない。妻の
リンダは夫を十分好きでなく、産んだ子を愛せなくて悩んでいる。その悩みを
知っている赤ん坊と対話するという空想をしさえする。妻の妹のベリルはここ
での暮らしに倦怠感を覚えており、若さを空費することを恐れている。弟のジ
ョナサンは豊かな感受性を持ちながらそれを生かせず、悶々とした日々を送っ
ている。そして子供たちは、大人たちとは違った領域を懸命に生きている。描
出話法を多用し、それぞれの人物の心の内に深く入り込みながら、作者の筆は
誰にも肩入れしない。人間を描きながら人間が中心でない、「入江」の空間を
主人公にした作品、という印象を残す。
マンスフィールドの小説には、かわいらしいもの、優雅なものが多く登場す
るし、ペーソスを漂わせる話もある。人が気がつかないような日常の細かい部
分に目を向け、感情をそそる材料を見つけ出す手際の良さはずば抜けていると
言っていいだろう。しかし、マンスフィールドの本当の凄みはそこではないよ
うに思う。いかにも感情をそそる素材を手にしながら、感情に溺れず、人間と
人間を取り巻く環境を即物的に描いていくのだ。子供たちを描く時でも、大人
の目から見たかわいらしい存在としては描かない。子供たちには子供たちの独
自な領域があるということをしっかり描く。登場人物に寄り添い、その内面を
暖かく描きながらも、最後は物体として突き放す。マンスフィールドを読んで、
ひやっとした感触を覚えるのはそのせいである。
ヴァージニア・ウルフの短篇には夢を志向するようなところがある。登場人
物がエキセントリックだったり愚かだったりしても肩入れし、共振しながらそ
の内部から発話をしていく。作者が登場人物と一緒に見る夢の軌跡が、読者に
手渡されるのである。それに対し、マンスフィールドは登場人物に寄り添うよ
うでいて、突き放している。マンスフィールドの関心は、様々な夢を見る登場
人物たちの営みを、物象として観察し、把握することにあるのではないだろう
か。どんな人間でも、合理性ばかりを追求して生きているわけではない。感情
というものがある限り、何らかの夢を見ながら人生を歩み、そのためにしばし
ば不合理な行動を取る。マンスフィールドは、夢と不合理を冷静に対比させる
ことで、人間の危うい存在の仕方を可視化させる。この魅力的な非情さに、ウ
ルフは羨望を感じたのではないだろうか。
*西崎憲編訳『郊外のフェアリーテール キャサリン・マンスフィールド短篇
集』(亜紀書房 本体1900円)
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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ドラッカーの言う「強み」とは何か?
最近、ドラッカーの文献を漁って、ドラッカーが「強み」をどのように書い
ているのか、ということについて探究してみた。
コーチングでも教育でも、強みを活かすことが大事、という話があって、そ
のために、いろいろなアセスメントが開発されていたり、それを人事に活かそ
うなんて話も出ている。いわゆるタレントマネジメントの文脈で語られている
ことではあるが、それで組織がパフォーマンスを発揮したという例はあまり伝
わって来ない。実際、タレントマネジメントシステムを本気で導入するには、
かなりの投資が必要で、その投資分を回収するのに、人材活用だけで本当にリ
ターンが得られるのか、ということは、かなり疑わしい。
ドラッカーが言っている「強み」は、主に邦題で『経営者の条件』『非営利
組織の経営』『明日を支配するもの』に記載が見られる。
最ももやもやするのはドラッカーのこういう言説である。
『経営者の条件』では、ドラッカーは、
強みを生かす者は、仕事と自己実現を両立させる。自らの知識が組織の機会と
なるように働く。貢献に焦点を合わせることによって自らの組織の成果に変え
る。 (p.227)
と言いながら、
誰でも自分の強みはわかっていると思う。たいていが間違いである。知ってい
るのは、強みというよりも強みならざるものである。それでさえ間違いのこと
が多い。(『明日を支配するもの』p.194)
とも言っている。
自分の強みは自分ではわからないのだ、と。
『経営者の条件』でも、こういう記載がある。
同僚、部下、上司について、「できないことは何か」ではなく「できることは
何か」を考えるようにするならば、強みを探し、それを使うという姿勢を身に
つけることができる。やがて自らについても同じ姿勢を身につけることができ
る。 (pp.133-134)
まずは他人の強みを理解せよ、その後で自分の強みがわかる、ということに
なる。これはいったい、どういうことなのだろうか?
1990年の『非営利組織の経営』は、ドラッカー思想にとっても転換期の大事
な一冊なのではないだろうか。「経済人の終わり」と言っていたドラッカーだ
が、なぜか、給料だけはがっぽりもらいたいでしょ、という前提でこれまで成
果について書かれていたように思うが、ボランティアで働く人がいっぱいいる
んだ、というのがこの本の前提になっているからである。そしてここに、おそ
らく初めて「チーム」という言葉が出てくる。
チームの目的は、メンバーの強みをフルに発揮させ、弱みを意味のないものに
することである。こうして一人ひとりが力を発揮する。大事なことは一人ひと
りの強みを共同の働きに結びつけることである。 (p.172)
人は、強みへの集中によってのみ自らの成長を図ることができる。そうして初
めて、自らのビジョンを生産的なものにすることができる。(p.209)
彼の人生は自己開発には二つの意味があることを教えていた。一つは人として
の成長であり、一つは貢献のための能力の向上だった。(中略)貢献のための
能力の向上とは、自らの強みを伸ばし、スキルを加え、仕事に使うことである。
(p.237,238)
これを読むと、チームというものがあって初めて強みは強みとして活かされ
る、とドラッカーが考えていることがわかる。
そして貢献という言葉である。
再び『明日を支配するもの』から。
わずか数十年前までは、ほとんどの人にとって、自らの強みを知っても意味が
なかった。生まれながらにして、仕事も職業も決まっていた。(中略)ところ
が今日では、選択の自由がある。したがって、自らが属するところがどこであ
るかを知るために、自らの強みを知ることが必要になっている。 (p.194)
ドラッカーはヒトラー率いるナチスドイツが、ひとつの「機能する社会」の
帰結だと考えた。これはホルクハイマーとアドルノによる『啓蒙の弁証法』に
も通じる考え方だと、個人的には思っているが、それはさておき、それに代わ
り、ドラッカーが理想としたのが「自由で機能する社会」の実現だった。
強み、とは個人由来のものだが、それを定義するのは自分ではなく、社会の
方である。言い方を変えると、成果を出さないものは強みとは言わない。
ここからは私の解釈もかなり入ってくる。
成果について、ドラッカーは、機会に貢献を投入することによって生まれる、
としているが、その源泉が強みである。人にはそれぞれ違う強みがあり、それ
を組み合わせることによって成果が出る。つまり、成果をあげるにはチームが
必要である。
逆に言えば、チームにとって貢献と思われるもの、それが強みである。どん
なに際限なくできることも、やりたいことであったとしても、それが貢献だと
思われなければ、少なくとも、そのチームでは、強みとは呼ばない。
つまり、人の強みというのは、状況規定的に、成果から逆算されて認められ
るものなのだ。そしてそれはどんなチームに入るのかにもよって決まってくる。
どんなに足が速い短距離走のランナーも、駅伝では活躍できない。
ドラッカーの、一見、どう解釈すればいいのか、よくわからない言説を紐解
いていくと、なぜ、強みを先に決めてしまう方法がうまく機能しないのかの謎
が解けてくる。どんなに超優秀な人材を1人ヘッドハンティングしてきても、
組織の成果に結びつきにくいのかの理由も見えてくる。
成果につながる強みを規定するのはチームや組織であり、個人ではないのだ。
追伸:このような話を無料のオンラインイベントでやります。
ご興味あれば、どなたでも御参加いただけます。
https://www.facebook.com/events/1052800829445171
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【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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今回も配信が遅くなりました。すみません。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→格差と世界
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→半径5mの外世界
★「はてな?現代美術編」 koko
→ポール・アレンの新記録
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→沖縄文化を守った占領軍少佐
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■トピックス
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■トピックス募集中です!
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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エマニュエル・トッド 堀茂樹訳
『我々はどこから来て、どこへ行くのか(上・下)』文藝春秋 各2200円
+税
ロシアとウクライナの戦争は、収拾への道筋がみつかりません。盤石と思われ
た習近平体制も、ゼロコロナ政策への反発から揺らぎ始めています。GDP世界第
三位の経済大国日本も、歴史的な円安に見舞われ、およそ定見というものを持
たない岸田首相の下、漂流を続けています。きたる2023年がどんな年にな
るのか。誰にも見通すことができません。かつて人口動態の分析をもとに、ソ
連崩壊やリーマンショック等を予見したトッドは、本書において、現在世界が
直面する混乱の由来と、それがどこに向かうのかを的確に分析しています。
人類は拡大家族から核家族へと進化したのではない。ホモサピエンスは、もと
もと核家族で暮らしていた。アングロサクソの核家族は、日本やドイツのよう
な直系家族や、ロシアや中国のような共同体家族よりも、ある意味原始的であ
り時代や環境に適応する高い能力をもっていた。それ故アングロサクソンが世
界に覇を唱えることができた。だが兄弟間の平等を強調するフランスとは異な
り、英米では遺言によって兄弟を不平等に取り扱うことができる。こうした家
族制度の中に、トッドはアングロサクソンの人種主義の根をみています。
トランプ旋風、ブレクジット、そして黄色いベスト運動。これらはすべて専横
なエリートに対する民衆の反逆でした。識字率の上昇と中等教育の普及は、社
会の民主化に貢献します。他方、大学進学率が上昇しても、すべて人が大学に
進めるわけではありません。大学を出た者とそうでない者との分断が生じます。
無学な人たちを見下す、愚かで驕り昂ったエリートの存在が、西欧世界の混乱
の根源だとトッドは言います。そのなかにあってイギリスが、EU脱退という
形でエリートと民衆の妥協を実現したことを、トッドは高く評価しています。
女性の地位が高く同性愛にも寛容な国が、先進国でも高い出生率を維持してい
ます。直系家族の伝統をもち、男尊女卑的な日本とドイツは、出生率の低下に
苦しんでいます。ドイツと日本の対応は対照的です。ドイツは闇雲に移民難民
を受け容れ労働力の確保にやっきになっています。文化的に異質なイスラム系
移民の大量流入が、ドイツ社会の統合を危うくすることが危惧されます。他方
日本は、移民を受け入れることをせず、外に対して閉じてしまっていて、強国
としての地位を放棄しようとしているようにみえるとトッドは言います。
中国とロシアに対するトッドの評価は対照的です。トッドは中国の未来に悲観
的です。驚異の経済成長は生産人口が圧倒的多数を占める「人口ボーナス」に
よるものだった。今後は少子高齢化による「人口オーナス(負担)」に苦しむ
だろう。ロシアは、乳幼児死亡率も平均寿命も著しく改善し、高い女性の地位
によって合計特殊出生率も問題のない水準にある。ロシアは卓越した軍事技術
の故に、経済的実力とは不釣り合いな存在感を世界政治の上で発揮していると
トッドは言います。そんな国がなぜ戦争に走ったのか。謎は深まります。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「どうなんだろう」な話
ウクライナの状況は全く進展せずロシア側のインフラ攻撃で極寒の中を暮らす
市民の姿がニュースで流れてくる。
で、日本はと言うと大雪のニュースの合間に反撃能力だの防衛費倍増のための
増税だの原発60年以上の稼働容認だの…。
これって若い世代がどう思ってるんだろうな。
昨今、アンケート結果などで若者の方が保守的である事は知ってはいるが…ホ
ンマか?と思う。
だって割を食うのは若年層だ。何をのんびりしとるんやと思ってしまう。
長年漫画の非常勤講師をしている身としては成る程と思う所はある。
学生の興味の対象がどんどん細分化され半径5メートルの世界で生きていると
「社会的な事案」はそれから外れてしまう。自分たちのしんどさは体感しても
それが何に起因するかが興味の外になっている様に思うのだ。
四半世紀前に描いた「ブラック校則」のネタが流石に人権問題も鑑み、まとも
になっているだろうと思っていたらより酷くなっている事がわかって愕然とす
る事があった。
当時管理者であった教師達はもちろん現役を離れているがその下の更にその下
の世代がそのブラックさを受け入れている訳だし、それに抗わないのは保守と
言うより思考停止なんじゃないかと感じる。
情報過多もあって全てを網羅する訳にはいかないだろうがせめて自分に関わり
のある事柄にはもう少し興味の幅を広げて欲しい。
学生と言う言葉で一絡げにするのは申し訳ない。
でもずっと18歳以降の学生さんに接していると年々それが強くなっているなと。
ただ「保守化」と言うならば彼らの親世代がそうなのだから「若年層の保守化」
はもう染み付いたものかとも思う。
でもねマンガと言う表現方法を選んだのだからウソでも社会ネタを入れて欲し
いと思うのだが…入ったと思ったら暗殺者だったりするのでそれはそれでどう
したものやら。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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はてな?現代美術編
第132回 『 Paul Allen コレクション ――― 史上最高落札オークション 』
マイクロソフトの創業者の一人、ポール・アレン(Paul Allen)は2018年65歳
で他界しました。
彼はビル・ゲイツほどではなくても、当然長者番付の常連で、子供がいません
でした。
莫大な遺産はどうなるのでしょう。
□ビジネスインサイダー 記事<マイクロソフトの名付け親、故ポール・アレ
ンの桁外れな人生(日本語)>
https://www.businessinsider.jp/post-177568
実際は彼が残したものの中に美術コレクションがあり、それが今年11月のクリ
スティーズのオークションで売却されました。
今までこのコラムで取り上げたビッグオークションをはるかに上回る落札額に
なったので大きなニュースになりました。
歴代高額落札オークションTOP3
1.Paul Allen コレクション 1.62Mdr$(約2100億円) クリスティーズニュー
ヨーク 2022/10
2.Macklowe コレクション 922m$(約1200億円) サザビーズニューヨーク
2021-2022
3.David Rockefellerコレクション 835m$(約1100億円) クリスティーズニュー
ヨーク 2018
過去のメルマガでTOP2位(第121回)と3位(第87回)のオークションについて
書いています。
□Artnews Japan ポール・アレン コレクション オークション記事
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/538
桁外れの高額落札額、今回の目玉作品は、以下の通り。
※下記は落札額の高い順です。(アーティスト名/作品名/落札価格)
1.GEORGES SEURAT (1859-1891)
Les Poseuses, Ensemble (Petite version)
USD 149,240,000
2.PAUL CEZANNE (1839-1906)
La Montagne Sainte-Victoire
USD 137,790,000
3.VINCENT VAN GOGH (1853-1890)
Verger avec cyprès
USD 117,180,000
4.PAUL GAUGUIN (1848-1903)
Maternité II
USD 105,730,000
5.GUSTAV KLIMT (1862-1918)
Birch Forest
USD 104,585,000
◎ALESSANDRO FILIPEPI, CALLED SANDRO BOTTICELLI (FLORENCE 1444/5-1510)
Madonna of the Magnificat
USD 48,480,000
※クリスティーズHPより抜粋
◎にしたボッティチェリの絵が一番印象的です。
というのは、ほとんど全てのボッティチェリの作品が美術館に入ってしまって
いる中、個人コレクションに残っていたから。
□クリスティーズ オークション結果
https://www.christies.com/en/auction/visionary-the-paul-g-allen-collec
tion-part-i-30032/
ポール・アレンは、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツが声掛けしたGivi
ng Pledge(寄付啓蒙活動)に賛同した最初の一人で、
このオークションで得た2000億円以上のお金は彼の意志の通り慈善活動に使わ
れます。
2000億円は彼の総資産2兆円以上以上から計算すると1割にあたる金額です。
素晴らしい慈善事業の助けになるといいですよね。
□Giving Pledgeについて(Wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%
83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 30
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琉球政府立博物館新館の完成
現在の沖縄県立博物館・美術館(OkiMu:おきみゅー)の前身となる琉球政府
立博物館新館が落成したのは1966年10月6日のことで、これにあわせて、博物館
の建物と龍頭を描く記念切手も発行されている。
https://blog-imgs-158.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/202212251836537e6.jpg
沖縄では、戦前の1936年、沖縄県教育会が首里城北殿を改修して沖縄県教育
会附設郷土博物館を設置し、資料収集や展示をおこなう沖縄の博物館が誕生し
た。先の大戦中、日本軍は首里城の地下に沖縄守備軍第32軍の司令本部を設置
したが、首里城の多くの歴史的文物・宝物はそのまま留め置かれていた。
1944年10月10日の“十・十空襲”後、博物館は収蔵品の本土疎開を陳情した
が、軍当局はこれを許さなかった、そこで、博物館側は収蔵品をやむなく首里
城内の洞穴に避難させたが、終戦後、首里城北殿(=博物館)は焼失し、洞穴
内には何もなかった。このほかにも、沖縄の多くの文物と資料は、焼失・散逸
しただけでなく、円覚寺の鐘楼など、戦利品として海外に流出したものもあっ
た。
1945年4月1日の沖縄上陸作戦に海軍少佐として参加したウィラード・アンダー
ソン・ハンナは、1946年までの1年間、琉球列島米国軍政府の文教部長を務めた
が、当時、沖縄諮詢会(1945年8月20日発足)文化部の書記として働いていた外
間守善から、身も心も傷つき果てた沖縄の人々にとっては、歌や踊り、三線の
音色が復興の活力を与えてくれるはずだとの具申を受け、戦前の珊瑚座や真楽
座の役者を石川に集め、沖縄の人々が生活していた収容所での慰問講演を行わ
せた。
戦前の沖縄では、芸能人の社会的地位はきわめて低かったため、諮詢委員の
中には芸能人を厚遇することに不満を持つものもあったが、ハンナは文教部長
として「彼らは芸術家である」と発言し、反対論を押し切った。
また、ハンナは沖縄の画家を諮詢会文教部の技官として雇用し、その生活を
支えたほか、戦後初の学校となる“石川学園”を開校し、教育の復興に尽力し
た。また、旧県立二中校長の山城篤を収容所から探し出し、「日本的教材の禁
止」、「超国家主義教材の禁止」、「軍国主義教材」の禁止の方針の下、沖縄
の歴史教科書の作成を命じた。
そうした活動の一環として、1945年8月30日、ハンナは東恩納の赤瓦葺きの
民家を接収し、建物そのものはそのままに、庭を整備し、首里城の焼け跡から
回収された“万国津梁の鐘”を博物館の象徴として門の前に架けるなど、沖縄
らしさを演出したうえで“沖縄陳列館”を開館。戦災を免れた仏像や陶器・漆
器などを展示・公開した。
ハンナは陳列館開設の目的として、「重要な沖縄の文化財が占領軍に盗まれ
ることを防止し(沖縄の文化財の重要性につい て)米軍兵士を教育」すること
を掲げていたため、陳列館の場所は、民間人の生活する石川収容所内ではなく、
多くの将校・米兵が往来する米国民政府のコンセットが立ち並ぶ石川東恩納と
され、米軍政府の将校や兵士、沖縄を訪れる米国の議員らに示し、沖縄の文化
と歴史への理解を深め、尊重することを訴えた。
その後、1946年4月に沖縄民政府が発足すると、同24日、陳列館は民政府に移
管されて”東恩納博物館“と改称され、初代館長には大嶺薫が赴任した。
一方、1945年10月ころから首里や那覇では住民の移動が可能になり、人々は
収容所からそれぞれの町や村に復帰。1946年3月には、豊平良顕と5人の職員に
よる首里市文化部が発足し、汀良町の首里教会裏にあったトタン葺きの空き家
に文化財を集め、“首里郷土博物館”と名付けて一般に公開した。その後、博
物館の運営は首里市が引き継ぎ、“首里市立郷土博物館”と改称。しかし、首
里市では博物館運営のための負担を賄いきれなかったため、同年11月、博物館
は沖縄民政府に移管されて“首里博物館”となり、原田貞吉が館長に就任した。
当時の首里博物館は本館・26坪、事務所5坪のトタン葺で、事務所などは壁がな
く、金網やテント地で囲った程度で、戸締まりのための鍵などもなく、開ける
たびに釘を打ち付けるほどだった。
しかし、建物があまりにも貧弱で、台風による資料等の損傷や防犯上の問題が
大きかったことから、民政府は龍潭池畔に“新館”を建設して首里博物館を移
転することになり、新館には石川の東恩納博物館も統合されることになった。
新館の建設工事は1952年2月、田光組が着工した。仲座久雄が設計した建物はコ
の字型で、壁は煉瓦とし、赤瓦葺だったが、当時は資材の入手が困難で、中座
や博物館職員は資材の調達に奔走。資金不足もあって、建設工事は大幅に遅れ
た。このため、米国民政府はペルリ記念館の併設を条件に博物館の建設を援助
したため、1953年5月26日、ペルリ記念館・首里博物館の落成式が行われ、米国
が接収していた「おもろさうし」等も返還された。
その後も博物館による資料収集は継続され、1955年5月5日、“首里博物館”時
代からの原田館長が亡くなり、後任として山里永吉が着任。これ受けて、同年、
首里博物館は“琉球政府立博物館”となった。
1960年代になると、博物館の収蔵品は充実し、既存の建物では手狭になったた
め、1962年4月、米国民政府の指示により新館建設計画書が作成される。翌19
63年10月には文教局が新館建設のための小委員会を設置し、設計を公募、その
結果、首里城をモデルとした我那覇設計事務所の案が採用された。しかし、米
国民政府からは、我那覇事務所の設計案はローカル色が強すぎるので、近代的
なものに変更するようにとの“指導”が入ったため、再公募の結果、1965年5
月、国場組が35万6000ドル(うち、米国民政府の負担が31万7000ドル、琉球政
府の負担が3万9000ドル)で建設工事を落札した。
新館の建設工事は1965年6月12日の起工でし、翌1966年10月6日に落成。会館セ
レモニーは11月3日の文化の日にあわせて行われた。なお、こけら落としの記念
展示として、11月3日から12月2日までの日程で、沖縄の現代作家による“新館
開館記念現代美術展”が開催されたほか、尚家所蔵の文化財8点が特別展示され
ている。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「切手でたどる郵便創業150年の歴史 Vol.3 平成・令和編」日
本郵趣出版、電子書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
サッカーのワールドカップ、大盛り上がりでしたね。30年ほど前、素人の私が
見ても日本と世界のサッカーのレベルの違いは明らかだった。たぶん追いつく
までに30年はかかると当時思っていたのを覚えてる。
そして30年、とうとう世界に追いついた。ここまで来たら、もう30年はかから
ないでしょう。12年以内に日本のワールドカップ優勝が見られるだろうと、今
は思ってます。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待くださいませ。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第162回 ハシシの煙の向こうに流れるブズーキの響き
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 「空白なのに でも…あるんだ」
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第7回 ゴールキーパーだった詩人の「きらめくような幸運」
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第162回 ハシシの煙の向こうに流れるブズーキの響き
今年も一年が過ぎようとしているのに相変わらず積ん読の日々で、読んでい
ない本ばかりが増えていく。山積みになっている本にプレッシャーを感じなが
ら、また本を増やしてしまう。そして、今日もまた……。
ジャケ買いだった。サウザンブックスのメールマガジンで10%引きのセール
を知って、カタログを見ていたら、男がグラスを額で割っている強烈なカバー
写真に目を引かれた。
『レベティコ-雑草の歌』(ダヴィッド・プリュドム 著 原 正人 訳)と
いう本だった。
レベティコってなんだろう? 帯にはレベティコとは、ギリシャのブルース
と書いてある。
ギリシャとブルースとどんなふうに結びつくのだろう? すぐにはイメージ
出来なかった。これは読むしかない、とポチっと注文してしまった。
届いた本はハードカバーの大型のコミックだった。解説によると、この本は
フランス語圏のコミックでバンド・デシネと呼ばれるものということだ。日本
のマンガとはちょっとちがうし、アメコミとも雰囲気がちがう。ガッチリとし
た大型のハードカバー、オールカラーでちょっと豪華な感じだな。読み慣れた
日本のマンガが名画座だとすると、バンド・デシネはロードショーがかかる劇
場のような感じだ。なんで映画に例えるかというと、ページをめくると映画を
見ているような気分になったからだ。若いころ、夢中になって名画座に通って
見たトリュフォーやゴダールなどのヌーベルバーグを思い出した。
物語の舞台は第二次世界大戦前夜、ギリシャのアテネにはファシズムの影が
忍び寄っていた。当時アテネでは、レベティコという音楽が流行していた。レ
ベティコのミュージシャンたちが歌ったのは、スラム街に住む下層階級の人々
の生きづらい日常だった。
スラムに住む下層階級の人々から熱烈に受け入れられたレベティコだったが、
一方、当局にとっては、定職につかず、ハシシを吸い、喧嘩に明け暮れている
レベティコのミュージシャンは風紀を乱す反社会のならず者として目の敵にさ
れていた。レベティコのミュージシャンは演奏はおろかブズーキなどの楽器を
持ち歩くことさえ取り締まりを受けた。
主人公スタヴロスもそんなレベティコのミュージシャンのひとりで、昼はぶ
らぶら過ごし、夜になると酒場で演奏する暮らしを送っている。
ある日、バンドのリーダー、マルコスが半年ぶりに刑務所から出所した。ス
タヴロスと仲間たちは再会を祝い、久しぶりのセッションを楽しむ。だが、
ファシズム政権のもと、当局の締め付けは日毎にきびしくなり、この夜も憲兵
たちにマルコスたちは追いかけ回され楽器を抱えて当てもなくさまよう。
水タバコ、ハシシ窟、ブズーキの哀愁漂う音色、女たちの歌声、暴力…戦争
が間近に迫り、自由が失われ息がつまりそうな時代に、自分たちの音楽を信じ
て、たくましく、したたかに生きていくレベティコのミュージシャンたちの
1日を描いている。
ぼくはこの本を知るまでは、レベティコがなんであるか、まったく知らなか
った。ギリシャの音楽というとブズーキという弦楽器を使うというイメージが
あるだけだった。レベティコについても解説をたよりにするしかないのだが、
かんたんにいうとレベティコとは、20世紀初頭に誕生したギリシャのポピュ
ラーミュージックだ。地中海の民俗音楽の影響があるが、1920年代初頭、第一
次世界大戦やトルコ革命、希土戦争のあと、トルコ支配下の小アジアに住んで
いた150万人ものギリシャ人たちが強制的にギリシャに送還された。その人々
がトルコ音楽をギリシャに持ち込んだ。それがレベティコという音楽を生んだ。
実際にレベティコを聴くとわかるけれど、トルコの音楽の影響を強く感じるこ
とができる。
歌詞は、貧困や社会・政治問題、悲恋、麻薬など、当時のギリシャの都市部、
スラム街に住んでいた下層階級の人々が抱える生きづらさや苦しみを歌ってい
る。ギリシャのブルースというわけだ。
バンドリーダーのマルコスは、実在したレベティコのレジェンド、ギリシャ
歌謡の父とも称されるマルコス・ヴァムヴァカリス(MARKOS VAMVAKARIS)。
サブスクで彼の演奏を聴くことが出来る。アメリカのブルースとはちがうのだ
が、哀愁を帯びたブズーキのメロディ、マルコスの力強い歌声は癖になりそう
だ。歌詞の内容がわからないのが残念だな。
話のなかで、マルコスがレコード会社の男にレコーディングをしないかと誘
われる。マルコスたちの実力からいってアメリカで成功を収められるというが、
マルコスは頑として受け入れない。金になるからといって、自分たちのレベテ
ィコという音楽、そして生き方は曲げられないのだ。そんな人生が歌声から伝
わってくる。誇りと反骨精神。
ぼくはレベティコのことはもとより、ファシズム政権下のギリシャのことも
まったく知らなかった。この本は、翻訳家の原正人さんがいうように、移民や
難民、低所得者の疎外、そしてアーティストと社会のことなど、現在にも通じ
るさまざまな問題を描いている。
ぼくはギリシャには行ったことがないし、ギリシャについての知識も教科書
に出てくる古代ギリシャのことしかイメージがなかったけれど、思い出したこ
とがある。もう50年近くも前のことになる。ボストンでギリシャ人の家庭に招
かれたことがあった。語学学校で知り合ったピーターは、ギリシャレストラン
でウェイターとして働いていたと記憶している。クラスが同じで日本が好きだ
という彼が、食事に招いてくれた。どんな家だったかあまり覚えていないが、
彼の母親、奥さんがぼくを迎えてくれた。食卓には鶏の唐揚げ、サラダなどが
並んでいた。唐揚げは油っぽくなくて美味しかった。でも、あと一味が足りな
い。ああ、醤油を一滴垂らしたいなあ、なんて思ったのをよく覚えている。
ピーターは嬉しそうに一枚の写真を持ってきた。「日本のテレビがレストラン
に取材にきた」と言って見せてくれた写真には、俳優の山内賢が写っていた。
『レベティコ』を読んでから、気になってギリシャのことを調べてみた。ギリ
シャの軍事独裁政権が終わったのは、1974年とあった。そうするとピーターた
ち家族は、軍事独裁政権を逃れてアメリカに移住したのかもしれないな、と思
った。
ああ、ぼくは何も知らないで生きてきたんだ。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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寒い季節になってまいりました。年末年始はこたつに入って漫画でも食べな
がら蜜柑を読むのが一番ですね。というわけで今月はこちらの漫画です。
『ブランクスペース』(全3巻)、熊倉献、小学館クリエイティブ
このお話の舞台は東京都空代市。高校生の狛江さんは同じクラスの片桐さん
とひょんなことから知り合いになります。雨が降っているのに、何故か片桐さ
んの周りだけ雨が落ちてこない。そして片桐さんの右手は傘を持つような形に
…。
なんと片桐さんは自分だけしか見えない傘を作りだして持っていたのでした。
そして傘だけではなく自分にしか見えないハサミでも風船でも色々作れるとい
う超能力者だったのでした。
狛江さんはその超能力にかなり驚いていますが、片桐さんの佇まいを見てす
ぐに透明な傘の存在を察知して「入れて」と言える狛江さんもなかなかすごい
ですけどね。
そして月日は流れ狛江さんと片桐さんは別々のクラスに分かれることになり
ます。そして片桐さんはクラスメイトからひどいいじめを受けるようになって
いきます。いじめを受ける日々を過ごすうちに彼女が作るものは次第にエスカ
レートしていきます。
銃までも作ってしまった片桐さんに、狛江さんは彼氏を作ることを提案しま
す。生き物まで作れるのかという感じですが、まずは犬を、そしてとうとう
(片桐さんにしか見えない)透明の彼氏まで生成(?)します。
これにより片桐さんにもようやく心安らぐ時が出来たかと思われたのです
が…。
この物語のポイントになっているのはタイトルのとおり空白です。狛江さん
は片桐さんの作る他人には見えない物体をドーナツの穴をのぞき込みながら、
「空白なのに でも…あるんだ」と言っていますね。
なにもないように見えるけど、確かにある。と言っても霊的なものではなく。
むしろそれは想像の力によって生み出される自分だけのモノといったほうがい
いでしょうか?
そういう部分は誰しも持っているものだと思いますが、日常に深く浸ってい
ると小さくなっていくかもしれませんね。いじめという辛い日常に直面してい
た片桐さんの空白の部分が次第に大きくなってきてしまったことがそれを示し
ているように思います。
また片桐さんのもの以外にも、空代の街には色々な人が残したり想像したり
して作られた空白が存在していることが、物語が進むにつれて明らかになって
いきます。
そしてそれは狛江さんも例外ではありません。思い込みの激しい狛江さんも、
巨大ロボを妄想してしまうような想像力の持ち主です。それでちょっと友達か
らバカにされるとこもあるんですが、だからこそ片桐さんの空白にも感じると
ころがあったのでしょうか。
想像力の産物たる空白は目に映るものではありませんが、それを身近に感じ
ることができた登場人物たちがそれを愛おしむように大事にしているのも印象
的です。
もっとも想像力万歳なわけではもちろんなく、片桐さんは自身の持つ能力に
よって逆に追い詰められていくことになります。野放図な想像力は極めて魅力
的ではありますが、自らや他人を傷つけてしまうこともあるわけで。
ラストで片桐さんは自分にしか見えないモノを作る能力を失ってしまうので
すが、それは想像力を失うことを意味しているわけではありません。
空代の街に存在している空白たちがいったいどういう存在なのかは、物語の
登場人物たち自身もやや掴みかねている感じがします。物語自体の空白にも
色々な意味を読み込んでしまいたくなるところも読者の想像力を刺激します。
ところで片桐さんの想像力の背景には、石川啄木の短歌・西東三鬼の俳句を
はじめ平出隆・萩原恭次郎・坂口安吾などが存在します。お守り代わりに
吉村昭『羆嵐』の文庫本をポケットに入れていくなんて、片桐さんはなんて素
敵なひとなんでしょうか。
その他にも図書館・古書店・マンガ雑誌などが物語の鍵になっていて、著者
の書物への愛情が感じられるのも本書のよいところですね。電子書籍もありま
すが、ここは紙の本を全3冊こたつに積み上げて読みたいところです。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第7回 ゴールキーパーだった詩人の「きらめくような幸運」
ゼロコロナ政策が唐突に終焉を迎え、上海での日々の生活は不安と混乱に包ま
れている。私が住むマンションのすぐ下の部屋でも陽性者が出た。少し前なら
「方艙」と呼ばれる隔離施設に送還されるところだが、今は自宅隔離でいい。
とはいえおとなしく自宅に籠もり続ける中国人などいるはずがない。今週から
上海の大学はすべてオンライン授業となった。寮生活を送る学生は、実家に戻
るように促されている。高速鉄道に乗って実家に帰る学生の中には陽性者も少
なからず混じっていた。寮の中でも陽性者が出ている。薬局にあった解熱剤は
払底した。マンションの空き部屋を臨時隔離に使う案も出されている。そんな
中でも隣人との朝一番の挨拶は、アルゼンチン勝ったね! メッシはすごかっ
た!である。
ちょうど今、準決勝第1試合を終えたばかりのカタールW杯は、ジョージ・オー
ウェルを想起させて止まない大会である。1945年に行なわれたディナモ・モス
クワとアーセナルの試合を見たオーウェルが「スポーツの精神」で、近代のス
ポーツ、とりわけサッカーに顕著な勝利至上主義とナショナリズムを論じてい
たからではない。新しく導入されたVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)
が大きな役割を果たしているからである。日本が決勝トーナメントに進めたの
もVARのおかげだった。人間の眼では把捉し得ない〈機械の眼〉の正確さが、
日本に勝利をもたらした。
W杯といえば、オフ・サイドやハンドの判定に対して、選手が審判に食ってか
かるのがお馴染みのシーンだった。しかし今回のW杯では、そうした光景がほ
とんど見られなくなっていた。日本を勝利に導いた得点に対して、スペインの
選手たちが執拗に抗議しただろうか。カタールの人権問題について雄弁だった
選手は少なからずいたが、ピッチの上ではVARという〈機械の眼〉の正確さに、
誰もが屈してしまったかのようだった。ボールにはICチップが埋め込まれ、
ピッチを監視する12台のカメラと連動する。その監視体制に、選手たちはみな
物言わぬ小羊となっていた。
フットボールは我々の時代における最後の聖なる儀式であるとは、イタリアの
詩人であり映画監督、ピエル・パオロ・パゾリーニの言葉である。みずからプ
レーを楽しんだことでも知られている詩人にとってピッチは、現代に残された
聖なるものの砦だったのだろう。しかし2022年、聖なる空間だったピッチは
〈ビッグ・ブラザー〉の支配する『一九八四』の世界へと化した。マラドーナ
の「神の手」などは夢想すら許されない。そういえば現役時代のマラドーナは
試合中、しばしば空を見上げ、天上の神との対話をくり返していた。しかし今
のピッチでは、天上を見上げても、〈機械の眼〉が張り巡らされているばかり
である。
アルゼンチンがオランダをPK戦の末に退けた準々決勝の第2試合は、後味の
悪いアルゼンチンらしい試合だった。その試合後、〈ビッグ・ブラザー〉を恐れ
ることなく審判を難詰する選手が現れた。「神の子」メッシである。パンドラ
の箱は一度開けられると閉じることは容易ではない。「神の子」に続くかのよ
うに、ポルトガルのぺぺも、イングランドのマグワイアも、そして準決勝を終
えた直後のクロアチアのモドリッチも審判への批判を口にした。スポーツマン
シップにはもとる行為かもしれない。だが〈ビッグ・ブラザー〉に抗う「神の子」
を私は心から歓迎する。ピッチ入場の時に選手たちが白紙を掲げて登場す
るような、私の脳裏によぎった不吉な未来想像図を消滅させてくれたからだ。
「神の子」の口汚いインタビューは、北京や上海の路上で行なわれた白紙を掲
げる運動が、あっという間に終息した時期と重なっていた。一度開いたパンド
ラの箱を力ずくで閉じさせる強権が、今後発動されないことを願うばかりである。
クロアチアのキャプテンのモドリッチは、パゾリーニがイエスの生涯を撮った
《奇跡の丘》に出てきてもおかしくない容貌をしている。「神の子」メッシと
ともに、このW杯のピッチの上で聖なる何かを感じさせたひとりである。クロ
アチアは「神の子」のアルゼンチンと同様、準々決勝はPK戦にもつれ込んだ。
消耗戦の末に勝利を収めることができたのは、ゴールキーパーのおかげだった。
クロアチア、アルゼンチン、そしてモロッコが準決勝に進めたのはGKに負うと
ころが大きい。試合前、モドリッチは萎縮気味だったGKのリヴァコヴィッチに、
「なぜお前だけミスをしてはいけないんだ?」と問いかけていたという。
リヴァコヴィッチの躍動は、モドリッチの言葉に触発されたものだったのかも
しれない。GKというポジションは、「特殊」で「とても孤独だから」言葉をか
けることが大切なのだとモドリッチは語っていた。
オランダとのPK戦、最後の5人目のキッカー、ラウタロ・マルティネスがゴー
ルネットを揺らした瞬間、アルゼンチンの選手はラウタロめがけて走っていき
歓喜の輪を作った。それとは反対側に突っ伏して、1人喜びを噛み締めていた
GKエミリアーノ・マルティネスに向かって、走り寄った選手が1人だけいた。
「神の子」メッシだった。シュートを2本止めた「孤独」なGKを「神の子」は
まっさきに祝福したのである。
GKはサッカーにはあるまじき手を使っていいという属性を付与されているがゆ
えに、ピッチの周縁に追いやられている。その「孤独」は、大多数のフィール
ドプレイヤーには無縁のものだ。それを理解するには、神が世界を眺めるよう
に、ピッチという世界を隈なく見渡すことができる稀有な才能が必要とされる。
周縁の「孤独」を深く理解し得るのはピッチの上の聖人だけだ。
「他の生徒と一緒に走りまわらずに」いつもGKばかりをしたがるような子ども
は、学校の先生から「不審の目」で見られたらしい。ロシア貴族の家に生まれ
た元GKの詩人は回想する。「特殊」な存在として周縁で「孤独」に生きなくて
はならないGKというポジションに魅了されたのは、もしかしたら後に亡命者と
して生きる未来を予知していたからだったのかもしれない。
「ロシアやラテン諸国では、その勇敢な技術はつねに独特の魅惑の後光に包ま
れてきた。超然として、孤独で、無表情な名ゴールキーパーは、道を歩いても
その後からうっとりした少年たちがぞろぞろついてくる。熱狂的讃美の対象と
してはマタドールやエース・パイロットと方を並べる存在だ。彼のセーター、
ハンチング帽、膝当て、パンツの尻ポケットから突き出ている手袋が、彼をチ
ームの残りから分け隔てる。彼は一匹狼、謎の男、最後の守護者なのだ。」
故国ロシアを離れ、ドイツを経てイギリスに渡ったウラジミール・ナボコフが、
ケンブリッジで「熱中したのはゴールを守ること」だった。『記憶よ、語れ』
で自伝的に描き出されるGKの「孤独」はこの上なく甘美だ。それはチームから
分け隔てられた「一匹狼」だけが享受し得る「贅沢」である。しかし凡庸な選
手が、次のような「孤独」の想像を理解することは難しかったに違いない。
「遠くてはっきりしない音、叫び、ホイッスル、キックの鈍い音、そうしたす
べてはまったくどうでもよく、私には無関係なものになる。私はサッカーの
ゴールを守る人間というよりは、秘密を守る人間だ。両腕を組んで私は左のゴ
ールポストにもたれかかり、目を閉じる贅沢を満喫し、そうして心臓の鼓動に
耳をすまし、視界の利かない小雨を顔に感じ、遠くに、試合のとぎれとぎれの
音を聞き、そして自分自身を英国サッカー選手に変装している空想上の異国の
存在で、誰にも理解できない言語で誰も知らない遥かな国についての詩を書い
ていると想像してみる。」
夢想家のキーパーは「ひどいファンブルをする」。GKとしては致命的なミスで
ある。それゆえ「私がチームメートにさほど人気がなかったのも不思議ではな
い」と、後に『ロリータ』で世界的な人気を博することになる作家は回想する。
ナボコフは間違っている。GKの「孤独」を理解し得るのは聖人だけだ。チーム
に凡庸なフィールドプレイヤーしかいなければ、「孤独」は深まる一方となる。
ナボコフのチームには、メッシもモドリッチもいなかっただけである。
ナボコフは1916年春の「あの日曜に、私がきらめくような幸運に恵まれて、
ゴールで次から次へとセーブを連発した」と書いていた。しかし1917年以降、
ナボコフと「ソヴィエト独裁政権」との「確執」が始まった。「亡命生活の悲
惨と栄光」の一端は、『記憶よ、語れ』に次のように書かれている通りだ。
「ごく少数の例外を除いて、リベラルな精神の持ち主で想像力に富んだ勢力
――詩人、小説家、批評家、歴史家、哲学者など――はみなレーニンおよび
スターリンのロシアを去ってしまった。去らなかった人々は、そこで枯れ果て
ていくか、国家の政治的な要求に従うことで才能を擦り減らしていった。皇帝
がそれまで成し遂げえなかったこと、すなわち人々の精神を政府の意志に完全
に従わせることを、ボリシェヴィキたちは知識人たちの代表団が国外に逃亡す
るか殲滅されてから時を置かずに成し遂げたのである。」
残念ながら、この状況を過去の遺物として一蹴することができる時代はもはや
遠くなってしまった。「リベラルな精神」や「想像力」の表現手段として選ば
れた白紙を掲げる行為ですら禁じられ、「政府の意志に完全に従わせる」こと
が今まで以上に強行される事態が起こったらいったいどうなるのか。私ですら
不安でつらくなる。しかしナボコフのようにGKとして生きていくことは難しい。
何カ国語も使いこなす「特殊」な能力や周縁で「孤独」に耐える力は、誰もが
持ち合わせているものではない。
GKとして生きなくても済む、残り10人の平凡なフィールドプレイヤーにできる
ことはないのだろうか。「神の子」のように世界を見通すことは望むべくもな
い。だがサッカー少年や少女がメッシやモドリッチを真似するように、聖人を
模倣することくらいならできるかもしれない。PKを決めたストライカーへと走
り寄っていく9人を尻目に、ただ1人GKに寄り添おうとする「神の子」の振る舞
いを真似ることなら、凡庸極まりないプレイヤーにも可能なはずだ。サッカー
は愚鈍な私の蒙を啓き続ける。モロッコ対フランスの準決勝のもう1試合は、
あと数時間後に迫っている。
【本文中で言及させて頂いた本】
ジョージ・オーウェル/小野寺健訳『一杯のおいしい紅茶』Kindle版
(中央公論新社、2020年8月)
ジョージ・オーウェル/高橋和久訳『一九八四年』Kindle版
(早川書房、2012年7月)
ウラジミール・ナボコフ/若島正訳『記憶よ、語れ 自伝再訪』
(作品社、2015年8月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読ん
だり映画を見たりして過ごしています。
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■あとがき
ワールドカップ、終わりましたね。アルゼンチン優勝でメッシの笑顔が見ら
れてうれしかったです。アルゼンチン対フランスの決勝はものすごい試合で
したね。どちらも譲らす、見ていて胃が痛くなりました。フランスのダイナミッ
クなサッカー。かっこよかったです。
今年も残すところ少し。なんという年だったのか、と今の政府を見ても思い
ます。いったいどこにいくのでしょうか。二月に始まった戦争はまだ終わらず、
なんのために殺し破壊するのでしょうか。「国」のいうことをきかせる、それ
が営みなのでしょうか。自由に暮らすこと。自律することは、この世界で生き
ていくことと、何かくいちがうことなのでしょうか。
高橋茅香子著『ひとりのときに』 horobooks刊 を読みました。高橋氏は、
長く新聞社に勤められ、翻訳と翻訳指導をされ、御年85歳。大切にする「あ
そび」「ひと」。本書はご自身の数ある「ひとりあそび」の中から五つの こと、
「ジグソーパズルをする」「英語翻訳塾」「我が愛するジョージア」「勝どきの
しごと場」「地図を読む」をあげ、その愉しみを語り、ブログに10年間書いて
いる98字日記のうちの、2021年一年間が綴られています。
淡々と簡潔な清潔な文章の味わいは、きっぱりと生きてこられた著者の
姿を映し、背筋が伸びるような気がします。コロナ、という経験のない日々
と「死」を身近に感じながら見つける生のかけら。自身の日常の些末な
事柄に翻弄されて、くたびれ果てたような気になっている時、ほんとうに
それだけ? と立ち止まらせてくれました。ちょっとしたことで怒ってばかり
の自分自身に、「ほんとうにそれだけ? つらいだけ?」と声をかけて頂い
た気がして、なんだか泣きそうになりながら読みました。毎日は続き、楽し
かったり、美味しかったり、ちょっとさびしかったりして。でもまあ、自分の
人生だから、と勇気がもらえました。やっぱり生きるのってたのしいんです
ね。いいしめくくりです。
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。どうかよいお年をお迎えください。
畠中理恵子
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(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。
情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その77『稚児とおはぎ』
寒くなってくると無性にあんこのものが食べたくなる。どっしりとしたあん
こに包まれた大きな大きなおはぎと苦いお茶で、おなかの中をずしんという感
じで温めたくなるのだ。食べた後はなんだか幸せいっぱいで満ち足りた気持ち
になって、体を丸めて寝たくなってしまう。なんだか、おはぎの形は冬眠する
クマに似ていないだろうか。丸々太って重くて黒い。ああ、私を太らせる食べ
物の、なんと魅力的なことだろう。
でも、もうおはぎづくりの名人の身内もいないし、私は一度も作ったことが
ないので、いまではめったに口にすることもなくなった。いつか作る日も来る
だろうけれど、その時までに解いておかなければならない謎がある。それはあ
る物語の中に現れるおはぎなのだが、主人公がそのおはぎを食べられたのかど
うなのかが謎なのだ。ご一緒に物語をたどって、主人公がそのおはぎを食べら
れたかどうだか推理してみてほしい。
それは、『宇治拾遺物語』一巻十二にある「児のかい餅するに空寝したるこ
と」なのだ。このお話は古文の教科書にも載っているということなので、知ら
ない人はあまりいないだろうと思える物語だ。私が最初に読んだのは小学生の
時で、小学館版の『少年少女世界の名作文学』で読んだのだが、それ以来気に
なって仕方ないのだ。
原文でも十一行に満たないこの話、あらすじはこうだ。
<比叡山の寺に稚児がいた。僧たちが夕方、所在ないから、かい餅(おはぎ)
でも作ろうと言い出してたのを聞いていた稚児は、部屋の片隅で寝たふりをし
ながら出来上がるのを待っていた。僧が
「もしもし、目をお覚ましなされ」
と起こしてくれたのに、一度で返事をすると狸寝入りがばれると思って我慢し
ていると、別の僧が幼い人は眠ってしまったのだと言って、起こすのを止めた。
皆が、むしゃむしゃ食べる音を聞いていた稚児は、我慢できず、だいぶ時間が
たってから
「はあい」
と返事をしたので、僧たちは笑いが止まらなかった。>
初めて読んだのは小学生の時だったから、きっと自分でもやりそうなことだ
なと思って、稚児の気持ちになって恥ずかしくなってしまった。そして、おは
ぎを食べるたびに何度も何度もこの話を思い出すようになった。でも、それと
同時に、疑問がむくむく湧く話でもあった。
まず第一に、僧が稚児を起こすときに敬語を使うのはなぜだろうと思ったの
だ。
「物申し候はん、驚かせ給へ」
(もしもし、目をお覚ましなされ)
物言いが上品なお坊さんなのだとしても、自分より身分が下の小坊主を起こ
す言い方ではない気がする。別のお坊さんも、
「や、な起こし奉りそ、幼き人は寝入り給ひにけり」
(おい、お起こしなさるな、幼い人は眠ってしまわれたのだ)
やはり稚児に対してだけ敬語を使っている。他の古典の物語を読んで、例え
ば『義経記』の牛若丸のように、お寺に預けられている稚児という人は単なる
小坊主ではないことはわかっていたのだが、それでも不思議だった。
今回気になって調べてみて、大きく分けて三種類の人がいることが分かった。
身分の高い人の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さ
を見込まれて世話係として僧に従う「中稚児」、芸道などの才能が見込まれて
雇われた、又は売られてきた「下稚児」。それだけではなく農家などから行儀
見習いとして寺に預けられる児もいれば、下働きをするものもいるようだ。
だが、この「稚児」について調べていくと、どんどん僧侶と稚児の恋愛物語
である「中世稚児物語」の世界に入り込んでしまう。しかも、有名な『秋夜長
物語』も『足引』も、僧侶のいるのは比叡山。これらの物語では、稚児が別の
寺の僧侶と恋に落ちることによって寺院同士の対立が起こり、半ば戦争になっ
たり寺が焼き払われたりするのだ。稚児争いというのはこんなに激しいものな
のだと驚かされる。僧侶の恋愛対象となる稚児は髪を伸ばし女性のような服装
をしているのも初めて知った。だがここでは、そこまでの世界には行かないで
おこう。
この物語の主人公は、たぶん上稚児だから、なにも手伝わないで寝転んでい
ても怒られないし、話しかける僧も敬語を使うのだろう。最初に読んだ本の挿
絵では、髪は長く、牛若丸のように稚児髷に結われていた。寺院における稚児
の地位の違いには様々な説があるので、追いきれなかったが、とにかくこの児
は寺に預けられている子供で、お手伝いくらいはしただろうけれど、無理やり
起こされてお菓子作りの仕事をする必要はあまりない身分の高い子供だという
ことは納得できた。
次の疑問は、はたしてこの「かい餅」はどうやって作ったのだろうというこ
とだ。もしこれが小豆を使ったおはぎだとしたら、この作る過程にはすごく時
間がかかったのではないだろうか?まず、小豆に水を吸わせるのに一晩かかる
だろう。つれづれなるままに、おはぎを作ろうということになったのは、あら
かじめ作っておいたあんこがあったのかもしれない。そうでなければ、黄な粉
やごまをかけたおはぎということになるだろう。調べてみると、このかい餅と
いうのは、かき練り餅といって、もち米を蒸したものを丸めて、きな粉などを
まぶしたものとある。残念ながら、あんこのおはぎではないようだ。
もち米も蒸す前に浸水する必要があるから、二時間は必要だろう。お坊さん
が作ろうと言い出して、お米を研いで水に浸して蒸しあがるまでに、三時間は
かかるだろう。大勢でわいわいやっている様子を寝ながら聞いているとあるの
で、その間に、大豆を炒ってすりこぎで摺って黄な粉を作ったり、ゴマを炒っ
て摺ったりしただろう。砂糖はまだ使われていないので、甘煎葛(あまずら)
や蜂蜜か果糖かなにかの甘味をまぶしたりしたかもしれない。もっともこのか
い餅、お酒のつまみにも用いたとあるので、甘くはなかったのかもしれない。
それはともかく、蒸し上がったご飯をみんなで丸めて、黄な粉やゴマを振りか
けるのに一時間。「宵のつれづれに」とあるから、四時か五時に始めても出来
上がるのは九時近いだろうから、幼い人は寝入ってしまったと思われても仕方
ない。調べてみると、寺院では昔は一日一食だったらしいが、鎌倉時代になる
と三食食べるようになり、その他にお菓子も食べたという記述もある。こんな
お菓子作りの日常もあったことだろう。
簡単なようで、意外に長い時間が流れているこの話。
「ひしひしとただ食ひに食ふ音のしければ」
(むしゃむしゃともう盛んに食べに食べている音がする)
とあるから、相当たくさん作られたのだろうなと思えてくる。
「ゑい」
(はあい)
と、遅れてお返事をしたこの稚児が食べる分もきっとまだ残っていると思うの
だけれど、食べられたかどうかがわからないまま終わるので、いまだに気にな
って仕方がないのだ。
きっと高い身分のお家から預かっている大事な稚児だから、僧侶たちは笑い
転げながらも、さあさあこちらにおいでなさりませ、取っておいてあげました
よと、食べさせてくれるような気もしてきたのだが、どうだろう?
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『宇治拾遺物語』一 完訳日本の古典40 小学館
『女装と日本人』 三橋順子著 講談社現代新書
『【岩波講座】天皇と王権を考える9 生活世界とフォークロア』 岩波書店
『日本食生活史』 渡辺実著 吉川弘文館
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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まちづくり幻想
山梨に移住してきて、温泉を巡りながら、人口減少する地方は今後、どのよ
うに生き残りを図るのか、ということをぼんやりと考えていた。
そんなわけで、手に取ったのがこの一冊だった。
木下斉『まちづくり幻想 地域再生はなぜこれほど失敗するのか』(SB新書)
書籍に書かれている筆者のプロフィールがいまいちわかりにくかったので、
ググってみた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E6%96%89
東京都板橋区出身。早稲田大学高等学院を経て、2005年早稲田大学政治経済
学部政治学科卒業。2007年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、修士(経
営学)。ずいぶん賢そうな方である。
高校1年次から早稲田商店会の商店街活性化に参画し、高校3年次の2000年、
株式会社商店街ネットワーク取締役社長に就任。
一応、今のメインの所属は、一般社団法人エリア・イノベーション・アライ
アンスで、そこの代表理事、ということなのだろう。
https://www.areaia.jp/
ミッション「複数地域、もしくは地域と企業とのアライアンスを構築し、地域
の経済再生に資する事業を開発・推進し、国際的産業化を目指す」
事業目的「国内外の中心市街地及び農村漁村等の地域活性化に取り組む団体と
の連携した、地域の自立経営モデルの構築」
先日、あるイベントの中で、地域についての話をしていた際、根本的には、
税金が国税として中央に吸い上げられ、中央の意図で分配されるので、地方に
は自分達でデザインするという自由がないことが、根本的な問題ではないか、
という話になり、もっともだな、と思った。
まあ、この体制を変えるには、霞が関と永田町にミサイルでも打ち込まない
と変わりそうにないので、それは心待ちにするとして、そんな中でもできるこ
とはないか、ということでの一冊なのだろう。
冒頭で、この書籍のタイトルの意味がわかる。
「まちづくり幻想」とは、皆が常識と思い込んでいるものが、実は現実とは
異なり、それを信じ、共有してしまうが故に地域の衰退を加速させるという本
質的な問題です。
では、どんな幻想があるのか?
・人口され増えれば地域が活性化する
これも幻想、と著者は言います。これは確かに。この本には書かれていませ
んが、巨大な団地群を作って、同じような世代が集まった人工的なベットタウ
ンが、猛烈な高齢化に悩んでいる、という話を聞いたことがあります。著者は
言います。「人口とは、急激に増加しても問題、急激に減少しても問題なので
す。」
・日本の地方成長にはインバウンド観光しかない
これも先のイベントで話がありましたし、山梨に居ても感じることですが、
観光で収入を得るためには、そこに専門性が必要なわけですが、その必要性を
感じていない田舎の普通の人が接客なんかできない、ということです。
別に観光で食わなくても、農業で食べていけばいいじゃん、というマインド
があるところに、無理やり、観光業をぶち込んでも、誰も幸せになれない。
でも、言いやすいんだそうです。これからは観光だ、と。これは、単なるブ
ームであって、長続きするものではないと言えそうです。
・安くして、たくさんの人に知ってもらうのが善
この辺、逆にうまくやっているのが北海道の飲食店かもしれません。札幌在
住の方に教えてもらったのですが、観光客向けの店と地元の人が行く店は違っ
ていて、観光客向けのお店は値段が高いそうです。まあ、こういう仕掛けをど
こでも作れるか、というと、それはいろいろ難しいこともあるかとは思います
が、これは地方成長文脈に関わらず、値引きしたりお試し価格を作っても、人
はそれに価値を感じることはありません。むしろ、普段は高いけど、やろうと
思えば安くできるんじゃん、と思われるだけです。この辺、山梨ほかで栽培さ
れている、シャイン・マスカットなんかは、うまくやっているな、と思います。
まあ、書いていくとキリがないくらいにさまざまな「幻想」があるわけです
が、最後に筆者はこう書いています。
本書で触れてきた「幻想」の多くは「過去の古い常識」であったり、「そも
そも間違った噂」であったり、「そうあってほしいという願望」であったりし
ました。(中略)しかしながら、幻想はいずれも今の時代においては現実では
ないことばかり。現実と幻想の乖離がプロジェクトを失敗させ、地域から人を
排斥させてしまい、地域がより苦しい状況に陥るのを自ら引き起こしているの
です。
もちろん、この著者の言うことにも一理あると思いますし、この本の最後に
書かれた提言も、確かに有益だとは思いますが、個人的には、もっともっと根
深い問題があるように思っています。
それは、学びの可能性の問題です。
端的に言うと、高校が無い、大学が無い、そういう学べない場所からは、必
然的に学びたい人は出ていくしかない、という現実です。
今、自分は社会人向けのオンラインのスクール運営のお手伝いもしています
が、せっかく山梨に来たのだから、山梨の歴史などを学びたいな、と思って、
どこか地元の大学で学べるところはないか、と探したら、これがない!
都会の感覚だと、すべての大学に様々な学科が設置されていて、まあ、その
中から選べばいい、という感覚なんですが、いや、そもそも、無いのかよ、と。
これってたぶん、日本のスタンダードなんだろうな、と思うのです。
学びたいものが学べないから、仕方がないから都会に出ていく。
もちろん、他の理由もあるのでしょうが、田舎に居ると、ここには何もない
から若い人たちが出ていく、というのが、なんだか、遊びとか買い物とかのよ
うに語られることが多いような気がします。しかし、実は違うのかもしれませ
ん。
特に義務教育ではない高校については、実はない場所もいっぱいある。仕方
がなしに地域を出なくてはならない。大学生の場合には、まあ、個人の選択の
結果、ということもあるのでしょうが、高校生くらいだと、これは個人の選択
というよりも、選ぶ自由がない、と言ってもいいのではないかと思います。
これだけネットが普及しているのですから、そこからなんとかできないもの
かと、密かに考えています。もちろん、大学も、地元からオンラインで通える、
という時代になれば、いろいろコストカットもできて、良いと思うのですが、
なかなか現場の人にとっては、ありえない幻想みたいなイメージなんでしょう
ね、と思っています。
もう、ミサイルに期待するしか、この国のシステムは変わんないんでしょう
かね。誰も現実を見たくなくて、見ていないのかもしれません。
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信が遅くなりました。(あ)
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★トピックス
→この大作、何冊出るんだ?
★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→最終回。長年ご苦労さまでした
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→犠牲者意識と記憶の戦争
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→作品にパワーを吸い取られる話
★「はてな?現代美術編」 koko
→新潟の十日町って芸術の町でもあったんだ
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→慰霊の日をめぐる論争
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■トピックス
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■内藤陽介氏、大作発表
「郵便×歴史シリーズI 現代日中関係史 切手・郵便に秘められた軌跡 第1部1
945-1972 」
日中国交正常化50周年を記念して刊行される本書では、主に戦後から1972年の
日中国交正常化直前までの日中関係とそれに付随する米ソの思惑や周辺諸国の
歴史を切手や郵趣品、資料写真などとともに紐解いていきます。
https://amzn.to/3U6hv0u
「郵便×歴史シリーズI 」と言うからには、何冊か出るのだろうというか、中
国だけでももう1冊出るはずだが、それで終わりなら「郵便×歴史」は言わな
いだろう。
超大作になりそうな予感・・・w
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■Italia dolce e amara: 甘くて苦いイタリア / 雨宮紀子
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第129回(最終回) ご購読ありがとうございました!
このメルマガ連載を始めたのは2009年6月でした。その初回は「ルノワールはア
グリジェントに行ったのか?」で、はるか13年前になります。
その当時と変わらず、本を読む日常は続いていますが、それもイタリア暮らし
のなかで毎日使うイタリア語によるよりも、むしろ、自分にとっての最初の言
語である日本語によるフィクションやノンフィクションの方を選んできたとい
えます。
たぶん、この傾向は今後も続くようで、ここのところ読む進捗がニブッてはい
るけれど、『秘境西域八年の潜行』(西川一三著)、そしてこの驚異的な著者
について書かれた『天路の旅人』(沢木耕太郎著)から離れるわけにはいかな
いようです。
ひとまず、この連載を終了いたします。
ご購読、ありがとうございました。
◎雨宮紀子(Gatta Italiana)
イタリア・フィレンツェ在住。著書に『天才力 三巨匠と激動のルネサンス
(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ)』(世界文化社)、『メ
ディチ家 ルネサンス・美の遺産を旅する』(世界文化社)。
melmaで16年間、メルマガ「イタリア猫の小言と夢」を発行。
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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林志弦 澤田克己訳 『犠牲者意識ナショナリズム 国境を超える記憶の戦争』
東洋経済新報社 3200円+税
著者は、韓国のキリスト教系の大学で教える歴史学者。ポーランドの歴史にも
通暁した人です。韓国とポーランドには共通点があります。韓国は日本の植民
地支配の、ポーランドは、ナチスとスターリンの暴政の被害者であった点です。
犠牲者であるというアイデンティティが、国民統合の基礎をなしている。これ
を著者は「犠牲者意識ナショナリズム」と呼びます。「犠牲者意識ナショナリ
ズム」には大きな陥穽が潜んでいます。犠牲者であることを特権化してしまえ
ば、自国の過去の加害行為を認めることができなくなってしまうからです。
ナチスの占領下で、ポーランド人によるユダヤ人の大虐殺がなされた事実が明
らかにしたヤン・グロスの『隣人たち』(2000年)が出版されると、人々
の間に大きな怒りが広がりました。大虐殺の加害者であることは「犠牲者意識
ナショナリズム」と相容れないからです。朝鮮半島からの日本人引揚者の悲惨
な運命を描いた本が、韓国で出版された時にも同様の現象が生じています。韓
国人は犠牲者なのだから、加害者である日本人に対しては何をしても許される。
この現象の背後にある歪んだ「集合無罪」の観念を著者は指摘しています。
日本にも、「犠牲者意識ナショナリズム」は存在します。「唯一の被爆国」と
いう自己認識がそれです。永井博士の、長崎の犠牲は人類の罪を贖うための神
の思し召しだったという「浦上藩祭説」は大きな影響力をもちました。コルぺ
神父がアウシュビッツで命を落としたことも手伝って、日本人は早くからアウ
シュビッツへの共感を示しています。日本とポーランドの「犠牲者意識ナショ
ナリズム」に基づく連帯です。「唯一の被爆国」言説が、日本の過去の加害行
為への自覚を妨げる「目隠し記憶」となってきたことも著者は指摘しています。
冷戦終結後のグローバル化に伴って、犠牲の記憶もまたグローバル化していき
ます。旧ユーゴ諸国やルワンダで、性暴力の形をとった、惨たらしいジェノサ
イドが生じています。「歴史の終わり」ではなく「歴史の反復」が強く意識さ
れるようになりました。こうした文脈の中で従軍慰安婦の記憶が掘り起こされ
ていきます。米国ではじめて少女像を置いたグレンデールは、大虐殺を経験し
たアルメニア移民が多く暮らす町でした。「幼い頃から身近だったジェノサイ
ドの記憶が慰安婦への情緒的な共感を呼び覚ましたのだろう」(90頁)。
記憶のグローバル化は共通理解の深化よりむしろ、自国の犠牲者性を強調する
「記憶の戦争」をもたらしてしまいました。慰安婦と徴用工をめぐる日韓のい
がみあいはその端的なあらわれです。ホロコーストや慰安婦の記憶を保存しよ
うとする側だけではなく、否定論者たちも国際的に連帯しています。加害の事
実を示す客観的な証拠は存在しない。そう否定論者たちは主張します。権力者
にとって不都合な加害の証拠など残されているはずがありません。客観的証拠
から、人々の語りと記憶を重視する歴史研究への転換を著者は求めています。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「わきあがる」話
ここ最近、面白そうな展覧会があって画廊や美術館のハシゴをした。しかし作
品を見るのは結構体力がいるようでフラフラになってしまった。こんなところ
にも老いが来てるのかと思うとちょっとショックだ。
それで思ったのが、体力を使う理由の一つに作家の「創作に対するパワー」が
あるのかなと。
「楳図かずお大美術展」
予備知識をあまり持たずに訪れたのだが過去の原画展ではなく大量の新作絵画
「ZOKU SINGO」(101点!)に遭遇。見ていて「楳図先生って76だったっけ?」
「それでこれだけの緻密な絵を延々書き続けたの?」「どこにそんな体力が」…。
この歳になると目だって腰だって歯だって痛いのに。
先輩作家の作品群は「あべのハルカス」が阿倍野にあると勘違いして散々歩い
た私に最後の一撃をくらわせるには十分な破壊力だった。
(関係ないがしかもこの美術館はなぜか疲れる)
それ以外にも訪れた先で見た作品群は作家の「わきあがる気持ち」(だからこ
そ個展が出来るんだろうな)が充満していて、とにかく見終わった後は酒でも
飲んで帰りたい気分になった。もちろんここにたどり着くには紆余曲折大変な
事もあったとは思う。でも着地してからはほぼペースを変えずに創作できてい
る様だ。
「作品を見てパワーをもらえる」と言う言葉をよく聞くが私は逆に吸い取られ
る感覚になる時がある。たまたまこの時期に訪れたのが緻密な技法の作家が多
かったためより以上に「ペースを変えずに創作している力に圧倒されそれに色
々吸い取られた気がするのかも知れない。
なんでこんな気持ちになるのか?
今、自分に「わきあがる」ものが少ないのが最大の要因か?
自己反省だな。
自然のパワースポットと呼ばれるところもこちらの状態によってはいろいろ持っ
ていかれる時がある。作品展も体力以上に気力を充実させておかないといけな
いと言う事だろう。
吉村宗弘氏が兵庫県立美術館で作品をライブで制作していた。ただでさえ作品
を作るのは集中力が必要なのに人前で?と思ったが大音量でメタル?プログレ?
をかけながら飄々と制作している氏を見て「長居したらやられる!」と早々に
退散しようとした矢先、作家在廊スケジュールに「日本シリーズ観戦のため帰
宅」の文字が。
もう少しだけ見ていこうと思ったよ。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第131回 『越後妻有 大地の芸術祭 2022 ─── 新潟南魚沼探訪 』
やっぱりアート作品を見ながらの旅行は楽し過ぎます。
アート作品をメインテーマにしながら、その他の観光スポットを発見するのが
殊の外楽しいですよね。
日本では11月は1年のうちでアートを楽しむのに最高の月です。今年はコロナで
開催が延期になっていたアートイベントが同時開催となり、どこに行くか悩ま
ないといけない贅沢な秋でした。
なのに私ときたら、見事コロナにかかって月の半分近くを自宅のベットで過ご
す羽目になり、正直紅葉も十分に楽しめないくだらない日々を送ることになり
ました。
ぎりぎりコロナにかかる前に行けたアートイベントで、ここ数年国内で行きた
いナンバーワンスポットに行けたのはせめてもの救いです。
越後妻有 大地の芸術祭 2022に行きたいのはアート好きなら当然ですが、その
中でも新潟の十日町にある清津峡≪Tunnel of Light≫は、何があっても行って
みたいところでした。
□清津峡トンネル
https://nakasato-kiyotsu.com/kiyotsukyou/
日本三大峡谷なんて謳われていますけど、日本国内にこのようなところはたく
さんあると思います。だから景色だけではなかなか人をこの山奥まで呼び寄せ
るのは難しいでしょう。資本投下して開坑したトンネルの存在も忘れ去られて
いくわけです。
地域再生事業としての越後妻有 大地の芸術祭メインプロジェクトになったこの
トンネルは、私のようなアート好き以外の人達を引き付けるに十分なインパク
トがある作品になりました。
私が訪れた時は紅葉が綺麗で、トンネルの向こうに見える景色は絶景。
老若男女が列をなして入場していきます。
車イスでもアクセス可能なのも最高でした。
この作品は、建築事務所MAD Architectsの仕事です。
2004年に中国出身の建築家、マ・ヤンソンによって設立され、ダン・チュン
(中国人)と早野洋介(日本人)の3名にて運営されています。
中国を中心に海外で活躍する事務所で、今回この清津峡トンネルで日本内でも
十分名前を売ったことでしょう。
元ある素材を生かして、たぶんそれほどお金をかけずに、素晴らしいアイデア
でトンネルを復活させたのです。
地方再生アートフェスティバル事業の鏡です。
百聞は一見に如かず、Youtube映像見てください。
参考Youtube映像
□越後妻有 大地の芸術祭 2022(レポート その1 十日町・川西)
https://www.youtube.com/watch?v=3x21XWq5ORo
□越後妻有 大地の芸術祭 2022(レポート その2 松代・松之山)
https://www.youtube.com/watch?v=pwiOfM4w3NU
□越後妻有 大地の芸術祭 2022(レポート その3 中里・津南 清津峡トンネ
ル映像も含む)
https://www.youtube.com/watch?v=ebADY3aOAEo
瀬戸内国際芸術祭の姉妹芸術祭のようなこのアートフェスティバルのもう一つ
のメインプロジェクトが、イリヤ&エミリア・カバコフの一連の作品群です。
ソ連社会主義共和国時代から現代までアートの第一線で活躍してきた作家です。
□カバコフの夢は越後妻有でひらく
https://www.echigo-tsumari.jp/media/20210326_kabakov/
その中でも印象的だったのは、カバコフの<夢>の展示。
社会主義体制下で人が想う夢の形や、やはりシャガールの絵にとても似たモチー
フがあって、文化というのは世代を超えて人のDNAに刻み込まれていくのだなと
痛感した次第。
今は困ったことになっているロシア共和国に住む人々の今の夢はどのようなも
のなんだろうかと思わずにはいられないです。
もう一つ、旅のおまけで発見したのは、十日町の縄文式土器。
昔遺跡関連の本を読んでいる頃に、十日町の名前をよく目にしたことを行って
から思い出しました。ここは縄文時代の遺跡がたくさんある地域です。
そのうち国宝指定の土器もあって、見どころ満載であることを忘れていた私は
大馬鹿ものです。
次回は3年後になってしまいますが、もっとたくさん時間をつくって再訪しない
と。
一通り見たければ丸3日以上必要なフェスティバルです。
□十日町市博物館HP
https://www.tokamachi-museum.jp/p-exhibition/p-ex01/
最後に、米どころ越後のご飯は、それはそれは香しい味で、新米の季節もあい
まって白米のおいしさを余すところなく伝えるものでした。
魚沼産コシヒカリが美味しいだけではなくて、やはりそれぞれの米農家で味が
違って、日本酒同様奥深いものです。
今回は車の旅行だったのであまりお酒は飲めなかったのですが、元気になって
土産に買ってみたお酒を開けるのが楽しみです。
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 29
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“慰霊の日”の日付変更
「1945年6月23日に、第32軍司令官牛島満中将(後の大将)と長勇参謀長(後
の中将)が自決し、旧大日本帝国陸軍司令部の機能が崩壊および全軍の組織あ
る防衛戦闘が終結し、玉砕に相当する」として、沖縄戦没者慰霊奉賛会が“戦
没者慰霊の日”を制定するよう琉球政府へ陳情したのは1961年のことであった。
その後、琉球政府立法院が「住民の祝祭日に関する立法」を審議する過程で、
“慰霊の日”に関しては、「占領をアメリカが宣言した日をやるのか、あるい
は事実上日本軍が崩壊した日をやるのか。あるいは軍司令官が死んでしまった
その日をやるのか」との議論があったが、最終的に、「アメリカが占領したと
いうよりも日本側が完全にザ・エンドしたという日を求めるのが妥当かと思い
ます。住民はそのときには勝利者の側ではないのです。日本の軍隊が消滅した
日を探してその日とすべきじゃないですか」ということになり、日本軍の組織
的抵抗が終了した日を“慰霊の日”とすることが決まったが、その日付につい
ては、陳情のあった23日ではなく、「(米軍資料を訳した)琉球新報の記事に
よると6月22日午前4時前後に牛島(満)中将が切腹して終了したことになっ
ております」との理由で、前日の22日に設定され、他の祝祭日と併せて「住民
の祝祭日に関する立法」(同年7月24日に公布、施行)に基づく休日とされた。
ただし、歴史的事実として、1945年6月23日以降も沖縄ではゲリラ戦が続き、
多くの人々が犠牲になっており、それゆえ、米軍の沖縄戦終了宣言がなされた
のは7月2日となっている。また、日米両軍の司令官が公式に降伏文書に調印
したのは同年9月7日(本土より1週間遅れ)で、沖縄県の施設である“平和
の礎”には、沖縄戦の期間を「昭和20 (1945)年3月23日から、9月7日」と刻
まれている。
ところが、“慰霊の日”が祝日に指定された後になって、牛島中将の自決の
日時については、当時の沖縄で編集・出版された文献の大半が“22日午前4時”
としていたのに対して、大本営の記録やそれを根拠に東京で出版された文献に
は“23日午前4時”とあることが判明する。
このため、郷土史家で沖縄観光協会事務局長の山城善三は、沖縄戦時の高級
参謀だった八原博通からの直接の聞き取りをもとに、立法会で「戦争史を研究
しておりますが、それによるとちょっと1日のずれがあるのではないかという
ふうな感じをいたすのであります」と証言。1965年3月の第28回立法院議会で
は「住民の祝祭日に関する立法の一部を改正する立法案」が提出され、立法院
議員の星克(沖縄自由民主党)が以下のように法案の趣旨説明を行った。
…沖縄観光協会事務局長山城善三氏の参考意見をもとに、さらに大蔵省官房査
課発行の覚書終戦財政始末第七巻による資料から当時の第三十二軍司令官牛島
中将が自決した日、これは昭和二十年の六月二十三日午前四時半頃ということ
がもっとも信 憑できる事実であると認めまして、このように改めた次第であり
ます。…(略)…今回の改正の機会に調査いたしてみましたところ、二十二日
ということもあながち間違いではなかった。なぜかならば、予定、つまり二十
二日に自害する。そういう決意で墓標などにも書き入れたのが、当時の敵軍の
状況から二十二日に果たすことができず、二十三日の午前四時半に決行したと
いう事実を物語る記録が沢山あるのです。…(略)…以上のようなわけで二十
三日に変更することが妥当であると考えたのでございます。
こうして“慰霊の日”は現在の6月23日に改定され、翌1966年には戦跡とテッポ
ウユリの花を描く“慰霊の日”の切手も発行された。
http://blog-imgs-23.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20060623082625.jpg
なお、6月23日は奇しくも1960年に日米新安保条約の批准書が交換された日で、
当時の岸信介内閣が総辞職した“安保デー”でもあった。このため、1965年の
法改正以降、“慰霊の日”を“安保の日”と結びつけられ、米軍基地撤退運動
の活動家たちがこの日にあわせてさまざまな活動を行うようになる。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「郵便×歴史シリーズI 現代日中関係史 切手・郵便に秘められた軌跡
第1部1945-1972 」日本郵趣出版。電子書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
雨宮紀子さんの連載、終了しました。このメルマガを引き受けるに当たって最
初に執筆をOKしていただいた方で、感慨深いものがあります。
それにしても、執筆陣の皆さん、無報酬で締め切りにうるさい編集人の要求に
よく応えてくれてるなと思います。ありがたいことです。
新しい執筆者を、これから探します。見つかるかなぁ?
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第80回「贋作・偽作・疑作を調べる本」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第161回 苺畑よ、永遠に
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 気になる短歌 フラワーしげる
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第6回 マラドーナの横にフランチェスコリがいたのなら
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第80回「贋作・偽作・疑作を調べる本」
こんにちは。朝晩と日中の寒暖差が激しいため自律神経に狂いが生じている
らしい今日このごろです。
図書館の仕事の中で「レファレンスサービス」という業務は年々その比重を増
しているわけですが、たずさわる側にとってもなかなかの難物だったりします。
寄せられた質問に対してピッタリ当てはまる回答が載っている資料にたどり
着ければよいのですが、そのような資料が常にあるとは限らないし、図書館職
員が「資料の探し方に詳しい」とはいえ「お探しのテーマに詳しい」とも限らず、
様々な限界をなだめすかしつつ、それでも利用者の質問に応えるべく様々な
工夫をこらしています。
その工夫の中には「レファレンス協同データベース」(1)のように質問と回答プ
ロセス(プロセスを記録することが大切)・回答を登録・公開し他の図書館の用
に役立てようとする試みや、「日本の参考図書」(2)のようにレファレンスに使う
ことができる書籍を集積紹介する事業があります。ときに次の「日本の参考図
書四季版」(3)を集積した書籍が出るのはいつですか(最新版が2002年発行
とは)。
それはさておき、実際に調べ物をしていると「この方面で質問があった時に参
考にできる資料が欲しい」と思うことはよくあります。例えば、インターネットが
普及する以前にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲「アデライーデ」について
調べたことがあります。これはモーツァルトの新発見のヴァイオリン協奏曲と
してその出版(1933年)が喧伝され、高名な音楽学者であるフリードリヒ・ブ
ルーメがお墨付きを与えてしまったもので、のち1977年にマリウス・カサド
シュという音楽家による贋作であることが明らかになった作品です。
この作品のピアノ伴奏譜(Schott社。カデンツァをパウル・ヒンデミットが作曲
している)がどういうわけだか勤務先にあって、楽譜の目録の訴求入力を当
時担当していたので、そのときは贋作だったこともよく知らず
“Adelaide-Konzert”について調べたら、日本語の文献がほとんど見当たら
ずに立ち往生したのでした。かろうじて「贋作であった」ことはわかったので
すが、そもそもこの作品を巡って何が起きていたのか調べることができな
かったのでした。
モーツァルトについては、当時すでに『モーツァルト事典』(海老沢敏、
吉田泰輔監修/東京書籍/1991年)(4)のように、モーツァルトの全作品を
網羅した参考図書が出版されていましたが、この本でも「疑わしい作品」とさ
れている「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏
交響曲」K.297b (K.Anh.C14.01)については記載があるものの、
「アデライーデ」協奏曲に関する記事はないのですね。いまでは
WikipediaにK.297b(5)でも「アデライーデ」(6)でも充分な記載があり、それを
橋頭堡にして活字文献を探すことも難しくなくなっていますが。
ということで、これまではクラシック音楽の世界における「贋作」「偽作」
「疑作」に関するまとまった量の記事を探し出すのは難しいことが多かった
(先程の『モーツァルト事典』に記事があった協奏交響曲K.297bは、モー
ツァルトの伝記におけるパリでの出来事と結びついている作品であり、モー
ツァルト本人が父親に宛てた手紙でも言及されていることもあって比較的触
れている記事が見受けられる)のですが、先だってわたしの希望にぴったり
の本が出版されました。
それは『クラシック偽作・疑作大全』(近藤健児・久保建著/青弓社/2022年
6月刊)(7)という本です。実にありがたいことに、モーツァルトだけではなく
「カッチーニのアヴェ・マリア」からマーラーの「交響的前奏曲」まで、およそ
贋作や偽作・疑作とみなされている作品の解説が多数収録されており「こ
れこそわたしが長年期待していた著作だ」と言えます。
なお『クラシック偽作・疑作大全』でもところどころで言及されているように、
いちど贋作・偽作と認定されてしまうと、とたんにその演奏に触れる機会が
激減してしまうのが残念なところで、むかしはベームやカラヤンが複数録音
を残すほど名指揮者によって録音されてきたK.297bも、最近流行りのピリ
オド楽器による録音はあまり見かけないように見えます。いい曲なんです
けどね(笑)。
では、また次回。
注記
(1) レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/
(2) 日本の参考図書 http://www.jla.or.jp/publications
/tabid/87/pdid/p11-0000000227/Default.aspx
(3) 日本の参考図書 四季版 223/日本図書館協会 編集 本・コミック
: オンライン書店e-hon https://www1.e-hon.ne.jp/images
/syoseki/ac/35/34348835.jpg?impolicy=PC_AC_L
(4) モーツァルト事典 全作品解説事典1 | |本 | 通販 |
Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4487732026
(5) オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲
- Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki
/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%A8%E3%80%81%E3%
82%AF%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%
88%E3%80%81%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%80%81%E3
%83%95%E3%82%A1%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%81
%A8%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%81%9F
%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%A5%8F%E4%BA%A4%E9
%9F%BF%E6%9B%B2
(6) アデライード協奏曲 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%A9
%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6
%9B%B2
(7) クラシック偽作・疑作大全 | 青弓社ストア
https://seikyusha.stores.jp/items/62afca9f288b80281b43d3b3
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。
南東北在住。好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,
毀誉は他人の主張,我に与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第161回 苺畑よ、永遠に
いま、リリースされたばかりのビートルズの『リボルバー』のリマスター盤
を聴いている。1966年の録音だけど少しも古さを感じさせない。ビートルズは
すごいなあ、ロックはいいなあ、と思う。松村雄策は、この生まれ変わったア
ルバムを聴いてどんなことを書いたんだろう?
音楽評論家・松村雄策の10冊目のエッセイ集『僕の樹には誰もいない』
(河出書房新車)が10月に出版されたことを読書家の知人がTwitterがつぶや
いていて、すぐに書店に向かった。そうだ、松村雄策が三月に亡くなったとき、
積み重なった本の中から『苺畑の午前五時』(小学館文庫)をさがしたけれど、
見つかったのは『アビイ・ロードからの裏通り』(ちくま文庫)だけだった。
松村雄策の肩書きは音楽評論家となっていて、もちろんたくさんの音楽批評
を書いているけれど、ぼくにはエッセイストというほうがしっくりくる。ぼく
は松村さんが関わっていたロック雑誌『ロッキング・オン』は読んでいなかっ
たし、著書も最初のころの2冊しか持っていないから、熱心な読者とはいえな
いけれど、松村さんが書いた文章は好きだった。自分の生き方、生活と音楽と
の関係をユーモアをまじえて語っていていわゆる評論とは一味ちがっているよ
うに思える。ロック、音楽への愛が滲み出ているというか、とくにビートルズ
への愛情は、まるでその愛情を語ることが自分の人生であるかのような熱さが
感じられた。
1951年生まれ松村さん、ビートルズのレコードデビューが1962年だから、思
春期真っ盛りの時にビートルズサウンドを浴びたんだろう。ビートルズの最初
で最後の来日公演にも行っている。うらやましいなあ。ぼくはまだ小学生でそ
のころのビートルズ騒動のことは覚えていない。ビートルズとともにロックを
のめりこんでいった松村さんの世代は日本のロックとともに生きてきたといえ
るだろう。1960年代のロックが持つ革新性というか、ムーブメントを肌で知っ
ているというのは大きい。いくらレコードを聴いても資料を読み込んでも、そ
のころの熱気や空気は感じることはむずかしい。だからそのころのことを書い
た小説やエッセイが大切になってくるのだとぼくは思う。情報でなく、熱さや
空気を伝えるものが必要なんだ。もちろん年寄りがノスタルジーに浸るためじ
ゃない。
ビートルズを生で見ることが出来た世代もすでに老人といわれるようになっ
ているし、鬼籍に入る人も多くなった。
『苺畑の午前五時』は、ビートルズ、そして女の子に揺れ動く少年の心の動き
を描いた小説だった。ビートルズの武道館公演の模様も書いている。
たった三十分ばかりの演奏が終わったあと、隣に座っていた女の子がプログ
ラムをにぎりしめて泣いている、斜め前には、学生服を着たガードマンに引き
ちぎられたイギリスの国旗をもった女の子が「ポール、ポール」とつぶやいて
いる。中年の女たちが「ほんとうにうるさかったわね」といいながら泣いてい
る女の子たちを軽蔑したように見ている……。
ビートルズといえば、成瀬成子の『オール・マイ・ラヴィング』(小学館文
庫)も素晴らしい。こちらもビートルズ日本武道館公演のころを少女の目で描
いた作品だ。山口県の中学生の少女がビートルズ日本公演を観るために家出し
て東京へ向かう。成瀬成子は1950年生まれ。やはりこの世代にはビートルズの
存在は大きかったんだな。
文庫版の『苺畑の午前五時』も単行本の『オール・マイ・ラヴィング』もカ
バーの絵は和田誠だったのも面白い。和田誠のイラストからは、音楽が聴こえ
てくるからだろう。
さて、松村雄策の10冊目のエッセイ集『僕の樹には誰もいない』のことを書
かなくては! この本は、2010年以降10年間にロック雑誌『ロッキング・オン』
に掲載された原稿が中心となっている。
あとがきを読むと、松村さんは10冊めの本を出版したいという夢を持ってい
たようだ。病に倒れて、10冊めのこの本を見ることはなかったけれど編集者や
周囲の人たちの熱意で出版が叶って本当によかったと思う。ぼくも読むことが
できてよかったし、松村雄策という人物を知らない人にもすすめたい本だと思
う。ぼくは『苺畑の午前五時』『アビイ・ロードからの裏通り』しか読んだこ
とがなかったけれど、ほかの本も読みたいと思う。
松村さんのエッセイが面白いのは、いきなり本題に入らずに最初に落語のま
くらというか身辺のことやら、あまりテーマと関係のないことから書き始める
ところだ。確定申告とか、アトピーのこと、引っ越しや、部屋にたくさんある
ダンボールのこと、ジッポーのコレクションとか。それがふつうの音楽評論と
ちがって、生活を感じさせて実にいい。読んでいると、たとえばジョン・レノ
ンのアルバムを自分の部屋で聴いているような感覚を読者にあたえる。そのま
くらから本題への繋ぎ方も見事で、これはなかなかのテクニックなのではない
か、なんて感心してしまう。
ロックの雑誌に連載した文章だから、話題は音楽が中心で、そして松村雄策
といえばビートルズ愛の人間だから、やはりビートルズのことが多くなる。も
ちろんビートルズだけではなく、日本ではあまり語られることのない、アニマ
ルズのボーカリストであるエリック・バードンについてとても熱く語っている。
ぼくはエリック・バードンのことをすっかり忘れていたから、たしかアニマル
ズのアルバムを買ったなあ、と部屋にあるはずのレコードを探してしまった。
残念ながらどこかに埋もれて見つからなかったけれど。
エリック・バードンといえば、読んでいてすぐに昔の記憶が蘇ってきた。ア
ニマルズは1968年に来日している。もちろんぼくはコンサートに行く年齢では
なかったけれど、テレビで見ている。たぶん、ビートポップスだったかな。司
会は大橋巨泉。アニマルズのエリック・バードンはチューインガムをくちゃく
ちゃしていた。街で見かけて気に入ったという学生服を着ていて、渋谷あたり
をうろつく不良少年のようだった。演奏はよく覚えていないが、小柄だけど、
声が大きいなあという印象だった。
ほかにもザ・フー、キンクス、ピンクフロイド、レッド・ツェッペリン、そ
してマーク・ボラン、そして日本のロックの先駆者ジャックスのことも書いて
ある。
ザ・フーといえば、日本でのロックバンドの表記についての意見も面白い。
日本では、ふつう定冠詞Theを略して表記している。ザ・ビートルズではなく
ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズではなくローリング・ストーンズと
いうように。それなのにTHE WHOをフーではなく、ザ・フーと表記するのはな
ぜなんだろう? と松村さんはいっている。なるほど、だな。ピーター・バラ
カンさんは逆に日本の表記はどうして『ザ』を省略するのだろう、といってい
る。あれ、日本のバンドTHE ALFEEはジ・アルフィーと表記しているじゃない
か! どうなっているんだ?
ロックのことばかり書かれているわけではない。「イエス・アイ・アム・
エクスペリエンスト」という文章では、作家の佐藤泰志について書いている。
ちょうど『海炭市叙景』が映画化されたときの文章だ。芥川賞で5回、三島賞
で1回候補になりながら受賞することはなかった。佐藤泰志は1990年10月9日に
自死している。松村さんは、その日がジョン・レノンが生きていれば50回めの
誕生日であることを指摘し、そして佐藤泰志が書いた最初の芥川賞候補作
『きみの鳥はうたえる』というタイトルはビートルズの『アンド・ユア・バー
ド・キャン・シング』であると気がついた。それがこの作家に惹きつかれたき
っかけだという。松村さんは映画『海炭市叙景』を見ているとき、頭の中には
ジミ・ヘンドリックスのギターが流れていたという。攻撃的なようでいて寂寥
感があるサウンドが聴こえていた、というところからジミ・ヘンドリックスの
生い立ちの話につながっていく。
このエッセイ集『僕の樹には誰もいない』は、ロックファン、ビートルズフ
ァンだけのものにしておくのは惜しいと思う。ロックとともに歩むということ、
ロックとともに老いるとはどういうことか、そして60年代からの現在までの時
代の空気が伝わってくるエッセイ集だ。音楽ファンだけでなく、たくさんの人
に読んでほしい。
最後にクイズ。
『僕の樹には誰もいない』のカバー(渡辺光子 装丁 市村ゆり 装画)は、
ジョン・レノンのアルバム『ジョンの魂』へのオマージュというのはファンだ
ったらすぐにわかるはず。では、松村雄策が先にタイトルだけを決めていたと
いう『僕の樹には誰もいない』は、ビートルズの名曲の歌詞だった。さてどの
曲でしょう?
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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皆さんは短歌好きですか?私はその昔百人一首部に所属していたことがある
ので、ときどき心に短歌が思い浮かぶことがあります。ちなみに私は百人一首
ではこの歌が好きです。
由良のとを わたる舟人 かぢをたへ
ゆくへも知らぬ 恋の道かな (曽禰好忠)
歌もさることながら、作者の曽禰好忠は歌の才能には優れていたが偏屈で社
会的には不遇だったという伝承にも心惹かれるものがあります。
ということで今月は歌集のご紹介。
『世界学校』、フラワーしげる、短歌研究社、2022
『世界学校』はフラワーしげるの第二歌集です。フラワーしげるという著者
名がすでにだいぶ人を食った感じもしますが、正体がどういう人なのかはとり
あえずおいておきましょう。というか別にそれはどうでもいいので知りたい方
は各自お調べください。
しかし名前のみならず、その歌もなかなかに人を食ったところがあります。
(以下冒頭に「・」が打ってある引用は本書からの短歌の引用です。)
・疫病の王をたおすべく集まったドラえもんやガンダムやプリキュアの影
ながく
(p,53)
ドラえもんにガンダムにプリキュアと実力者がだいぶ集まってきましたが、
なぜか「影ながく」と黄昏ムードを感じさせます。新型コロナウイルスに打ち
勝つ道をなかなか見いだせないことを、影長くという言葉で表現しているので
しょうか?
人気者たちがせっかく集まったのに成すところなく夕日を背に河原で石ころ
でも蹴っているのではないかと想像すると、それはそれで面白い気もしますが。
・5555577777775555577777777777777
(p,59)
こちらは数字を並べただけですね。もちろん短歌の形式である五七五七七に
なぞらえているわけですが。短歌のことを三十一文字とも呼びますが、まさに
三十一文字そのものですね。しかし実際に口に出すと全然三十一音にならない
んですよね。そもそもこの歌には振り仮名がないのでなんて読むのかは謎です
が。
まさか五百五十五穣五千五百七十七秭七千七百七十七垓七千五百五十五京五千
五百七十七兆七千七百七十七億七千七百七十七万七千七百七十七とでも読むの
でしょうか?
音としての短歌よりも、読むものとしての短歌を重視した作品とも言えます
ね。本書ではこのほかにもここでは引用できない、視覚に訴えた短歌も収録さ
れています。
そもそもこの歌集に収められている短歌の多くは、三十一音ではありません。
じゃあ短歌ではないのかと言ったら、やっぱり短歌なのかなあと読んでみると
感じます。
・地獄はここに似せてつくった 天国はない (p,60)
長さとしては自由律俳句とも近いものを感じますが、こんな俳句はないので
はないのでしょうか。情景を詠んだわけでも、作者の心情でもなく。誰かの台
詞かな?悪い奴っぽいですね。
と思いきや「わかりやすい」歌も中にはあります。
・飲んで腹をわって話しあえばわかると思わないか 思いません
飲みたくありませんし腹もわりたくありません そうか (p,54)
何とか部下と打ち解けようとしている上司と、そんな気はさらさらない部下
の会話と思うとなんだか滑稽な感じもしますね。あるいはもう恋人に愛想をつ
かしたひとと諦めきれないその相手との会話にも見えますね。悲しい。もっと
もふたりの会話ですらない可能性もありますけど。
あとがきで作者は、文芸作品として後世に残るものに対して憧れがあるとい
うことに続けて、こう述べています。
ただ意味や理由を持たないものの方が記憶に残る傾向があることはたしかな
ようで、意味のはっきりしたもの、理由がはっきりしているものは、詩歌におい
てはたやすく忘れ去られるように見える。 (p,85)
確かにフラワーしげるの短歌にはあまり意味はなさそうに見えます。
・おまえの焼き鳥が原因になって戦争がおこる (p,25)
なんで焼き鳥で戦争だよ?というはなしもありますでしょうが、インパクト
は十分に感じられます。
・おれが死ぬときに氷河のうえの白熊よ愉快な歌をひとつうたってくれ
(p,81)
あまり深いことは考えずに楽しめばいいのかなと思います。そのうえで気に
なる歌があれば、読み手がそこに自分なりの読み方をしていけばいいのでは
ないでしょうか。リズムや語彙だけでも記憶に残ります。もしかしたら自分の
脳と謎の回路を形成して忘れられない歌になるかもしれませんね。
・背景が知らないうちに冬野になっている
冷えた心をそこに置く
といってもまだ死んだわけじゃない (p,73)
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第6回 マラドーナの横にフランチェスコリがいたのなら
いよいよサッカーのW杯が始まる。ヨーロッパ各国のリーグを中断して、北半
球の初冬に行なわれる異例のW杯だ。イスラム圏で行なわれるのも初めてであ
る。準備期間が短いことに加えて人権問題その他の観点から、開催国のカター
ルには批判の声が多く寄せられている。そもそも国家を背負うことによって、
プレーそのものの美しさが損なわれることがあるW杯には、否定的なサッカー
好きも少なくない。しかし私は楽しみだ。普段見る機会の少ない南米のフット
ボールを存分に楽しむことができるからである。
私が働く中国ではイングランドのプレミアリーグが人気だ。スペインのリーガ
も、イタリアのセリアAも、ドイツのブンデスリーグも何とか見ることができ
る。しかし南米のサッカーを眼にする機会はほとんどない。アルゼンチンやブ
ラジルのリーグはまず見ることができない。ブラジルのフラメンゴが優勝した
今年のコパ・リベルタドーレスも、結果を確認することができただけだった。
もちろんW杯に出る南米の選手のほとんどは、欧州の有名チームに所属してい
る。アルゼンチンのメッシとブラジルのネイマールのプレーを見たければ、フ
ランスのリーグ・アンかチャンピオンズリーグを見ればいい。だが欧州のチー
ムでのプレーと、南米のフットボーラーだけで構成されるチームでのプレーは
違ったものになる。そのプレーを心ゆくまで楽しめるのは、やはりW杯だけだ。
だからここ最近の私は、南米各国の出場選手のチェックに余念がない。多忙を
極めている。
南米のフットボールといっても一様ではないと私は思っている。大雑把にいえ
ば、ブラジルとそれ以外に分かれる。選手全員が華麗なテクニックを身につけ
ているのがブラジルであるとすれば、それ以外の国には身を挺してディフェン
スに邁進する無骨な武闘派が絶対に存在する。ブラジルはセンターバックでさ
え、テクニックを兼ね備えていたマルキーニョスやチアゴ・シウバだ。それに
対して、アルゼンチンのオタメンディやウルグアイのヒメネスは屈強な肉体を
有した武闘派センターバックである。武闘派が守りに守り抜いて、少数の天才
の閃きを待ち続ける。それがブラジル以外の、ということは南米のスペイン語
圏のフットボールであると私はずっと思ってきた。
ここで私の年来の疑問が湧いてくる。
アルゼンチンのメッシとウルグアイのスアレスは、バルセロナでチームメイト
になって以来の仲良しだ。仲良くなったきっかけはマテ茶だったという。それ
に2人とも母語はスペイン語だ。食文化も言葉も、もちろんフットボールの好
みも感性も共有している。仲良くならないほうがおかしい。逆に不思議なのは、
言葉も文化も共通しているのに、なぜ一方がアルゼンチン人で他方がウルグア
イ人であるのかということだ。どうしてウルグアイとアルゼンチンは別々の国
家となったのか、いかなる理由で南米のスペイン語圏は複数の国家に分かれた
のか。アルゼンチンのマラドーナとウルグアイのフランチェスコリに魅了され
た中学生時代以来の私の疑問である。
ロックダウン下の上海で、ガルシア=マルケスの『戒厳令下チリ潜入記』
(後藤政子訳、岩波新書)を読み返した。チリへの帰国を禁止された亡命チリ
人の映画監督であるミゲル・リティンは、戒厳令下の母国をドキュメンタリー
に収めるべく、「金持ちのウルグアイ人」になりすまして入国を試みる。リテ
ィンは髭を剃るなどして容姿を変えるだけでなく、スペイン語を「ウルグアイ
なまり」にしようと努力する。とはいえ、それは容易ではない。「へたなウル
グアイなまり」で「チリ人だということを隠しおおせる確信がなかったからで
ある」。
これを読んだ時に、チリとウルグアイの差は、上海と北京の差よりもずっと小
さいと思った。上海の上海語と中国の標準語である「普通話」はまるで違う。
上海人は上海語訛りの「普通話」も話せるからコミュニケーションに問題はな
い。しかし上海人同士や家族の間で話される上海語を理解できる北京人はほと
んどいない。言葉だけではない。上海と北京では主食も味の好みも、性格から
人間関係の作り方、生き方の信条に至るまで、何もかもが異なっている。上海
と北京が同一の国家に属しているのなら、アルゼンチンとウルグアイが別々の
国家になっていなくても驚きはない。
南米大陸の面積は17840000平方キロメートルであり、中国の9597000平方キロ
メートルよりもずっと広い。しかしブラジルを除けば、面積は9325000平方キ
ロメートルで中国よりも狭くなる。中国が一つの国家の体をなしているのなら、
ポルトガル語を公用語とするブラジルを除いた南米大陸が、一つの国になって
いても不思議ではない。もちろん平野だらけの中国と違って、アンデス山脈や
アマゾン熱帯雨林がある地理的条件では難しかっただろうが、それでも言語と
文化の同質性から見れば、中国よりもずっと統一国家にふさわしい。逆から見
れば、中国が統一国家であることは自明ではなく、瓦解する可能性に常に脅か
されていることもわかってくる。だからこそ、統一を堅持するためには強権を
振りかざし続けなくてはならないのだろう。
イタリアからの移民を多く受け入れたアルゼンチンとウルグアイのスペイン語
の差は、チリとの差ほどは大きくはないはずだ。メッシとスアレスの差は、た
ぶん上海人と北京人の差よりはずっと小さい。では、なぜアルゼンチンとウル
グアイは別々の国家にならざるを得なかったのか。
増田義郎『物語ラテン・アメリカの歴史』(中公新書)によれば、「ラ・プラ
タ地方における通商が妨害されるのを好まないイギリスが、政治介入をして、
ブラジルとアルゼンチンのあいだに緩衝地帯を設けるため、人口八万の小国ウ
ルグアイを建国させた」らしい。イギリスのビジネスのために強引に作られた
のがウルグアイだった。島国の人間としてはなかなか想像し難いことだが、国
家というものも、また国家を区分けする国境も、きわめて可塑的なものである。
『ラテンアメリカ五〇〇年 歴史のトルソー』(岩波現代文庫)という素晴ら
しい本がある。著者の清水透は、みずからのフィールドワークの経験をふまえ、
南米の歴史を語ることで歴史そのものを見つめ直すよう読者に語りかけて止む
ことがない。
同書によれば、1810年に始まるアメリカ大陸の独立運動の中心となったのは
「植民地生まれの白人=クリオジョ」であり、そこに見られるのは「非白人」
という「野蛮」への「恐怖」だった。1820年代、南米大陸諸国が独立した後も
「国家としての体裁を備えていた国は一カ国もない」状況が続き、「領土も、
確定するまでに多くの時間を必要」としたのだが、19世紀半ばから末にかけて、
「徐々に国境が確定されて」ゆく。しかし、その過程には「無視できない重要
な問題」が存在していた。
「国境線が引かれる周辺地域一帯に住んでいた住民の生活や意志は完全に無視
されていたという問題です。国境線は各国を手動するヘゲモニー集団相互の話
し合い、あるいは国家間の戦争をつうじて定められ、その結果として、包摂さ
れる住民集団と分断される住民集団が生み出されることとなる。[中略]国境
の画定によって、それまでの生活領域が大幅に削られた例もあります。」
国家と国境は可塑的なフィクションであり、そのフィクションによって蹂躙さ
れたのが「非白人」だった。そしてクリオジョの「国土の拡大と安定化」のた
めには、「野蛮」という表象が必要とされた。彼らを「野蛮」と眼差すことで、
中心から追いやらなければならなかったからである。「一八六七年にパリで開
催された万国博覧会では、アフリカの民ホッテントットが、一八九三年のシカ
ゴ万博では、同じくアフリカのダホメ人や南太平洋の先住民が、一九〇四年の
セントルイス万博では六名のアイヌが展示されています」。清水透の眼差しは、
南米大陸というプリズムを通して、「アイヌ」を「野蛮」として「展示」した
近代日本にも向けられている。
ここに1931年にパリで開催された植民地博覧会を加えてもいいかもしれない。
騙してパリに連れて来たニューカレドニアの人々を「食人種」と偽って、動物
園で「展示」した博覧会である。その痛ましい事件は、ディディエ・デナンク
スの『カニバル(食人種)』(高橋啓訳、青土社)に物語られている。その物
語に出てくる男を曽祖父としてこの世に生を受けたのが、カランブーだった。
1998年W杯で優勝したフランスの屋台骨を支えた1人である。98年のフランスは、
ヘッド2発で決勝の相手ブラジルを退けたアルジェリア系のジダンの印象が強
いが、実は堅守が売りのチームだった。その堅守を支えた1人がニューカレド
ニア生まれのカランブーである。フランスの国歌ラ・マルセイエーズを決して
歌わなかったというカランブーほどナショナルチームにふさわしくない存在は
いない。しかし、そうしたナショナルなものへの批判をも内包し得たからこそ、
98年のフランスは、あの“王様”プラティニでもなし得なかったW杯優勝を実
現し得たのではないだろうか。
国家が可塑的なフィクションであるのなら、一見すると荒唐無稽な夢想も許さ
れるはずだ。マラドーナの横にフランチェスコリがいて、フランチェスコリが
マラドーナに見事なスルーパスを出したら、マラドーナは西ドイツ相手にどん
なシュートを決めたことだろうと夢想に耽ったかつての私のように。世界中を
熱狂に巻き込むW杯、それはフィクションの壮大な祭典以外の何ものでもない。
フィクションであるのだから、私はウルグアイ人にもアルゼンチン人にもなる
ことができる。パスポートに記載されている国籍と違っていても、誰にも文句
は言わせない。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務
しています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読ん
だり映画を見たりして過ごしています。
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■あとがき
今年はいろいろなイベントが開催されて、大盛況のようです。三年ぶりの神田古本
まつりも、福岡のブックオカもたくさんのお客さんが詰めかけ、活況でした。主催さ
れた方たちは本当にご苦労されていると思います。また、コロナがはやり始めまし
た。8回目。うまく切り抜けられるでしょうか。どうぞご自愛ください。 畠中理恵子
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★トピックス
→ トピックスをお寄せください
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 第140回 入れ替え可能な存在になる―加門七海『203号室』
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 神道はなぜ教えがないのか
★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
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■トピックス
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第140回 入れ替え可能な存在になる―加門七海『203号室』(光文社文庫)
加門七海の長編ホラー小説『203号室』がハリウッドで実写映画化(ベン
・ジャガー監督)されたという。私は観ていないが好評を得ているようだ(ち
なみに初版の帯には書店員による「映像化しないでくださいっ。読むのが一番
コワイんです!」というコメントが記されている)。2004年に刊行されたこの
作品が再び注目され新装版が出たことは喜ばしいことだ。私は、この作品と同
時期に書かれた『真理』(2005年)『祝山』(2007年)を、個人的に「孤独の
平成三部作」と呼んでいる。失われた20年と言われた平成期の閉塞感と人々の
孤独感をこれ程鋭く捉えた作品群はないのではないだろうか。経済的な停滞を
背景に、社会は構造改革ができないまま流動性だけがどんどん高くなっていく。
無防備なまま孤立した個人を怪異が襲う、というコンセプトをこの三作は備え
ているのである。
203号室というのは大学に進学するために地方から上京した仲村清美とい
う女性が借りた部屋の番号である。おしゃれな都会での独り暮らしに憧れてい
た彼女は、想像とは違っていたとはいえ、サークル活動とアルバイトを始め、
まずまずの大学生活をスタートした。が、部屋の中で様々な怪異に見舞われる。
気のせいだと自分を落ち着かせようとするが鮮烈な物理的現象が残り否定でき
なくなる。怪異はエスカレートし、社会生活が危うくなるまでになる……。
この作品は光文社文庫という大衆娯楽小説シリーズの書下ろしの形で刊行さ
れた。通勤・通学の電車の中でサクサク読まれることが想定されている。作者
はそれに応え、ワンセンテンスが比較的短く、無駄な装飾のない、直読直解で
きる文体を採用している。並みの小説なら、読みやすくはあるがどこか味気な
い印象を残すかもしれない。しかし、本作においてこのスピード感ある直読直
解文体はすばらしい効果をあげている。怪異の現場からの実況中継のような緊
張感が醸し出されるからだ。進行している現象がリアルタイムで報告される。
ホラーに分類される小説だがリアリズム小説と言って良い。
怪異の描写は非常に具体的で精密、読んでいて気持ちが悪くなってくる程だ。
ドブ臭い異臭、天井に集る虫のような黒い染み、ぎし、と近づいてくる音など。
中でもユニークなのは床が「生温かい」という怪異。「手前から手を滑らせて
いくと、自分の膝の少し先から、床が温まっているのがわかる。温度はちょう
ど、誰かが椅子から立った直後に、自分が腰掛けたときに似た−人肌に近いも
のだった」。床の温度を怪奇現象として着目するという態度は、登場人物の生
理的実感に作者が余程寄り添っていなければできないことだろう。怪異に遭遇
した際のぞわっとする身体感覚を、冷静な視線で正確に描ききる様は驚く他な
い。
そして作者は主人公の人となりもまた過不足ない筆致で描いていく。主人公
の清美は平凡な学生で、前述のように都会でのおしゃれな独り暮らしに憧れて
上京した。その「おしゃれ」は雑誌などのメディアで紹介されているケースを
漠然と参考にした、主張のないものである。中学の修学旅行で東京に来た彼女
は渋谷の雑踏で「誰も、私にぶつからない」ことに感銘を受ける。
「透明人間になった気がした」気分に酔った彼女は、大学進学によって遂に東
京に住むことになる(郊外だが)。彼女は「見ない。/見えない。見る気がな
い。/それこそが、人と情報で溢れる都会で暮らしていくための、賢い処世術
なのだ」と考える。非個性的で、画一的なスタイルにすぱっとはまっているこ
とが「かっこいい」のである。
そのことは彼女の交友関係にも表れている。彼女は新里という、ほのかに好
感を抱いているミステリー好きな青年がいる。彼は年齢の割に知識が豊富で、
かつかなり親切な人間である。そのオタッキーな性格を知るにつけ清美は距離
を置くのであるが、清美が不可解な現象に見舞われた話を聞くと、家に来て屋
根裏を調べてくれたりする。怪異現象のことも馬鹿にしないで理解を示してく
れたりする。しかしそこまでである。清美は自分の困りごとを新里に相談する
ことはあるが、新里に彼自身のことを尋ねはしないし彼から相談を持ちけられ
ることもない。
同じことはコンビニのバイト仲間のゆき子にも言える。女優の卵である彼女
は気さくな性格で清美のことも気にかけてくれる。しかし、深いところには立
ち入らない。「親切にはしたものの、全面的に頼られるのは困る」のである。
人間関係の希薄な都市に住んでいるのであれば、誰でもそうであろう。ゆき子
は清美を劇団の飲み会に誘い、そこで自称霊能力者を紹介するが、体よくあし
らわれる。清美は元々、「見ない。/見えない。見る気がない。」というスタ
イルを「かっこいい」と思って東京に来たわけだが、それが完全に裏目に出た
わけだ。
彼女は最後に「203号室」という部屋と対決をすることになる。その描写
の壮絶さは本作の白眉であるがこれは読んでのお楽しみである。清美は仲村清
美という輪郭の濃い個人ではなく、入れ替わりの激しい「203号室」の住人
に過ぎなかった。いなくなっても時がたてば誰も思い出さなくなる。あの神戸
連続児童殺傷事件の「少年A」のように「透明な存在」なのである。
本作には携帯電話は出てくるがパソコンやインターネットは登場しない。恐
らく時代は1990年代であろう。情報は溢れているが一方的な受け手となるばか
りで、SNSで発信するなど送り手となることはできない。モノと情報が溢れる
中での閉塞した精神の形が、「203号室」という無個性な主体による無機質
な悪意を生み、主人公を襲う。清美は為すすべもなくその悪意に感染し、自分
が一番なりたくないものへと変貌していくのである。利便性の高さと引き換え
に、個性を失い入れ替え可能な存在になる、その恐ろしさを教えてくれる作品
だ。
*加門七海『203号室 新装版』 (光文社文庫 本体600円)
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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神道はなぜ教えがないのか
前回の予告通り、島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』(ベスト新書)を
読んでみることにする。
この本の冒頭の章で、まさに神道の本質を「ない宗教」と紹介していて、な
るほどー、と思った。
・開祖にあたるような人物がいない
・教義がない
・救済もない
で、さらに言えば、歴史を遡れば、神主も神社も無かったのではないか、と論
を進めていくのだ。教団もない、経典もない。吉幾三の歌を思い出す。
考えてみれば、盆踊りなどの日本のお祭りというのは、もともと、この神道
の祭祀と同じものではなかったのだろうか。お祭りのためにタスクが生まれ、
担当が生まれていく。いわゆるプロジェクトとして物事が進んでいくのが神道
という宗教の正体なのではないか?
これってかなり納得できる話だな、と思った。で、何もない神道が何か整っ
ているように見えるものは、すべて後付けなのではないかな、ということを思
ったのである。
山梨県の甲府、昇仙峡の奥に、夫婦木神社という神社がある。この神社は子
宝などの効能があるとされており、その御神体は樹齢1000年の栃の木を切って
運んできたもの。
この栃の木、とても不思議な形状をしていて、女性の子宮の中に入ってきた
男性器、としか思えないような形をしていて、それも、とても巨大。公式には
この木の胴回りが10メートルというから、その大きさが想像できるだろうか?
で、この神社に行ってお金を払うと、解説付きでこの御神体に参ることにな
り、それはそれで楽しい体験なのだが、この神社に祀られているとされている
神様が、なんと、イザナギとイザナミなのだという。
誰がどう考えても、御神体はこのレアな栃の木の切り株で、それでええやん、
と思うのだが、どっかで神社というのは神話に出てくる神様をラベリングしな
いといけないらしい。
この本もそうだし、いろいろな神社をまわっても、もともとの御神体は、山
であり岩であり巨木である、というのは一目瞭然。にもかかわらず、そこにい
ろんな神様の名前がくっついてくる。そんな感じの神社が意外に多い。
この本でも紹介されていたのは、日本の神道がもともと「ない宗教」なので、
「ある宗教」である仏教が入ってきたときにも、うまく両立してやっていけた
のではないか、という考え方。でも、これはおそらく仏教だけではなく、様々
なものがその上に成り立つという、いわばOSのようなもの。その上に仏教だ
のキリスト教だの、あるいは他の様々な思想や習慣がアプリとして乗っかって
いる、という印象。
では、どういうOSなのかな、ということが知りたくなるが、残念ながらこ
の本には直接的には書かれていない。ただ、この本は「人を神として祀る神道」
という章があって、これかな、と思った。
つまりは、神道が祀っている対象そのものが「人」そのものだったのではな
いか、ということ。この話は実は、社会学の祖のひとりであるフランスのデュ
ルケームの『宗教生活の原初形態』に書かれている話と結合するな、と。
デュルケームは、オーストラリアのトーテム文化圏を分析し、彼らが聖なる
ものとしてあがめているものが彼らのコミュニティそのものである、という論
を展開している。
日本でも、氏神といって、地域コミュニティ独特の神様を土地の守り神とし
て祀っている、という神社は結構、あるように思う。
日本人であれば、なんとなく地元の神社のお祭りというものが、コミュニテ
ィの結束を高めるためにやっているんだろうな、ということが思えると思う。
この感覚の延長線が神道なんではないか、という説である。
こう考えていくと、なんとなく、古代の日本に様々な渡来人が、様々な宗教
や神様を持ち込んで、しかし、日本の神道の中に同化してしまった、というこ
とも、なんとなく納得できる。
神道は世界宗教ではないですが、その前提は、すべての人をそのまま受け入
れる、ということにあるのではないか、と思う。「どちらが正しいか」という
スタンスは対立を生むが、一緒にコミュニティ作りましょう、というスタンス
であれば、対立は生まれない。神道が世界に広がるとは全く思えないが、この
発想は世界を平和にする発想かもしれない、と個人的には思っている。
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信が遅くなりました。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→休載です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→昔の女性も翔んでいた
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→殺人鬼の次は暗殺者
★「はてな?現代美術編」 koko
→英国のEU離脱が美術界に起こした衝撃
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→那覇市役所物語
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■トピックス
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■「現代日中関係史(第1部 1945-1972)」11月刊行
内藤陽介氏の近刊。
https://www.yushu.co.jp/shop/g/g8091/
■"文章"が主体の新レーベル「郵便×歴史シリーズ」誕生!
歴史を郵趣的視点から読み解く、"文章"を主体とした新レーベル「郵便×歴史
シリーズ」が誕生しました! 本文ページは文字が読みやすいモノクロ印刷で、
資料図版も充実。時代を反映した〈歴史の証人〉である切手や郵便を通して、
じっくり歴史を学べるシリーズです。
■日中国交正常化50年を記念した、内藤陽介さんの「現代日中関係史」
記念すべきシリーズの第1弾は、日中国交正常化50年を記念して刊行される本
書「現代日中関係史−切手・郵便に秘められた軌跡−第1部1945-1972」。202
3年3月に発行予定の「第2部 1972-2022」の2巻構成になっています。
今回刊行される第1部では、主に戦後から1972年の日中国交正常化直前までの
日中関係を中心に、それに付随する大国・米ソ(ロシア)の思惑や周辺諸国の
さまざまな情勢を、切手や郵趣品、資料写真などとともに郵便学者・内藤陽介
さんが紐解いていきます。
■切手デザインからわかる、日中関係のさまざまな“裏事情”!?
戦後から77年の間に発行された、多くの日中両国の切手やカバー類。そこから
推察される、日中関係の複雑な“裏事情”が詳しく解説された本書には、意外
な時代の真実が散りばめられています。ぜひ、実際にお手に取ってお楽しみく
ださい!
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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村山由佳『風よ、あらしよ』集英社 2000円+税
本書は関東大震災に際して、憲兵隊によって夫の大杉栄とともに惨殺された、
伊藤野枝の評伝小説です。2020年に刊行された本書は、22年にNHKBSで吉
高由里子の主演でドラマ化され、大きな反響を呼びました。著者は恋愛小説や
官能小説の第一人者です。その著者が、なぜ女性アナーキストの評伝を書いた
のか。最初は不思議に思いましたが、疑問はすぐに氷解しました。野枝が恋多
き女であったからです。登場人物たちの恋愛心理の、そして性交場面の描写は
実に巧みなものです。到底学者にできる技ではありません。
野枝は口減らしのために何度も里子に出されるほどの貧しさの中で育っていま
した。女だから、家が貧乏だから、人生が制約されることなど耐えられない。
人間には自由に生きる権利がある。それが野枝の生涯を貫く思想でした。裕福
な親戚に頼み込んで上京し、府立上野高女に進みます。叔父の勧める縁談を破
棄した野枝は、英語教師だった辻潤と結婚します。人の迷惑など一切かえりみ
ない野枝ですが、その情熱的な人柄と文才とは、平塚らいてうにも高く評価さ
れ、女性論客としてめきめきと頭角をあらわしていったのです。
『ダメンズウオーカー』というマンガがありました。DV男やギャンブル依存症
等々の問題のある男たちに魅かれる女性たちが登場するマンガです。野枝はそ
の元祖であったのかもしれません。才気煥発の辻ですが、生活力はなく、野枝
を支配しようとする傾向がありました。辻に飽き足らぬものを感じていた野枝
の前にあらわれたのが、大杉栄でした。彼は男女関係にはひどくだらしない男
だったのです。大杉とその妻、野枝と神近市子との間に奇妙な四角関係が生じ
ます。四角関係は、大杉が神近に刺されることで終わります。
アナーキズムということばには、何やら恐ろしげな響きがあります。しかし
野枝が構想する理想社会は、穏健で保守的なものでさえあります。野枝が生れ
た村には組合があった。組合には複雑な規約はなかった。人々はそこで様々な
共同作業や、村のつきあいをこなしていた。誰に強制されずとも、人々は秩序
を保っていた。自分はそうした村の在り方に息苦しさを感じて、飛び出した。
しかし、「私は…あの組合を再現したいのかもしれないわ。この国のいたると
ころで」。著者は野枝の思想の本質を見事に言い当てています。
社会の矛盾の増大の中で左派の運動は盛り上がり、大杉の影響力も大きなも
のになっていきます。警察官僚だった正力松太郎は、大杉に強い敵意を抱いて
いました。そして関東大震災のどさくさの中で、幼子の命までもが奪われるあ
の悲劇が生じたのです。コンプライアンスにポリティカルコレクトネス。いま
の日本人は、「べからず」にがんじがらめにされています。そうした時代の中
で、自由奔放な野枝の生き方は輝きをましています。穏やかな抵抗の思想とし
てのアナーキズムが注目を集めるのも、同じ理由からでしょう。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「気になるワード」のお話
学生のストーリーをチェックしていると設定で気になるワードが出てくる事が
ある。
講師の仕事を始めた頃は学生の作品もバラエティ豊かで少女漫画から少年漫画、
SFやスポーツ物までいろいろあってそれほど「共通」と言うものはなかったの
だが何年か経って少年誌志向が増えファンタジーも増えて来た頃、やたら「殺
人鬼」が出てくる様になった。
「殺人鬼に身内を殺された主人公の復讐劇」的なものがいくつも提出されてと
うとう「殺人鬼禁止令」のようなモノを出さざるを得なくなった。
その後に出てきたのが「暗殺者」
一緒やん…。
私もかなり長く生きているが未だ暗殺者には会ってない。だが学生のプロット
(あらすじ)を読んでいると世間にはかなりの割合で暗殺者が存在する事になる。
その暗殺者もゴルゴ13の様な大金で暗殺を請け負うスナイパーではない。「な
んで狙われた?」かよくわからない普通の人がターゲットで「いや、無理ある
やん」な設定になっていたりするのだ。そしてその割には主人公がのほほんと
生きていて「いや、それもどーなん?」と。
基本私は描きたいモノを頑張ってたくさん描いて力を底上げして欲しいのでア
ドバイスとしては「殺人鬼、または暗殺者が両親を殺す理由らしきモノ」を考
えましょうぐらいしか言えなかったけどね。
多分主人公を悲劇に追い込むためのキーパーソンとして殺人鬼、暗殺者を持っ
て来たのだろう。その流れで次に増えたのは「悪霊」「鬼」
まだ暗殺者よりは現実味?があるかもと思ってしまう。
で、問題は最近目にするワードが「児童虐待」。
設定は結構その時に流行っている漫画に影響を受けているのでそれもあるかも
知れないが、主人公が病んだり復讐を誓う相手が両親である事が本当に多いの
だ。
もしかしてこの子はそんな過去が?と読んでいて少し心配になって来る。
昔だって児童虐待は存在したが親戚や近所の人や学校などで若干堰き止められ
ていた部分があったのだろう。が、今は家庭が閉鎖されていて現実に悲劇とな
る率が上がっているから学生の中に悲劇のキーワードとして存在するのだろう
か。それとも学生にとっては現実的でひどく身近という事か?
少し前に現れたキーワード「リストカット」が実際にはかなり多くなっていた
事を考えると今回のキーワードも不気味だ。
ただ…このキーワードは女子学生のみで男子学生の主人公はまだまだお宝を探
して旅してる。ある意味ホッとするね。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第130回 『PARIS VS LONDON ----- 2022年アートフェア秋の陣 』
アートマーケットでは、この秋熱い戦いが始まっています。
10月20日からパリで始まった 「Paris+ par Art Basel」が今まで開催されて
いたFIACというアートフェアにとってかわりました。
パリでもっとも権威的な会場グラン・パレで開催されるアートフェアの運営組
織が、「アート・バーゼル」の親会社であるスイスのMCHグループとなったから
です。それが何を意味するのでしょうか。
イギリスのEU離脱によって、ロンドンのアート市場はダメージを受けました。
Art Basel/UBS Art Marketの最新レポートによると、昨年、世界のオークショ
ン売上に占める英国の割合は、2019年の18%から13%に減少しました。
2021年のフランスにおける同等のオークション売上は、6%から9%に跳ね上がっ
たそうです。
同時に韓国や日本の現代アートの取引が増えていることからも、少しずつアー
トマーケットの主戦場が変容している様子がうかがえます。
2022年10月15日付のThe art newspaper の記事のタイトルが、
「Paris vs London: which capital will win the hearts of art collectors」
□The art newspaper 記事 (英語)
https://www.theartnewspaper.com/2022/10/14/paris-vs-london-which-capit
al-will-win-the-hearts-of-art-collectors
為替レートの関係で今年はアメリカ人にとってもヨーロッパで購入することは
得です。
混乱するイギリスではなく、フランスを新たなアート都市に選ぶ傾向も強くなっ
てきました。
世界的ギャラリーやオークションハウスもパリに拠点を作っています。
まだフランスには若手の現代アーティストを育成するイギリスのような機関が
ないのですが、それも時間の問題なのかもしれません。
□美術手帖 関連記事 (日本語)
https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/26192
さらに最近のマーケットの顕著な傾向として、40歳以下の若いアーティストの
取引額の占める割合がどんどん増えています。超優良アーティスト、いわゆる
『Blue-Chip』の価格があまりに高くなり、若手作家の青田買い傾向に加速がつ
いています。
Artprice社のレポートによると、オークションで売買された2002年上期の40歳
以下のアーティスト数は543名、2022年上期は2670名で約5倍。
取引作品数は、2002年上期691作品、2022年上期4847作品で約7倍。
売上高は、2002年上期770万ドル、2022年上期2億ドル超の約26倍。
韓国においては、イギリスのFriezeフェアの流れを受けて、現代アートの取引
額は、2021年7月から2022年6月末が前年比344%(世界シェア2.4%)になり、
フランスと並ぶ取引高を記録しました。
イギリス(世界シェア18%)と比較して取引額はまだまだ少ないですが、日本
とほぼ同じになりました。KーPOP、韓流ドラマに続き、韓国恐るべしです。
□アジア初となる「フリーズソウル」 記事 (日本語)
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/401
□美術手帖 関連記事 (日本語)
https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/26197
NFTの登場といい、若手アーティストの台頭といい、とにかくアートマーケット
は地殻変動が起こっています。
個人的には、そろそろ価格が頭打ちになって値崩れ起こしてもいいと思うので
すが、一体いつになるのやら。
インフレ傾向が続く限り、私の淡い希望は現実にはなりそうにありません。
(苦笑)
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 28
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(旧)那覇市庁舎の完成
琉球王国時代の那覇は、“那覇四町”と呼ばれる東村・西村・若狭町村・泉崎
村の4村から構成されており、各村の役場とあわせて、那覇全体を統括する役
所として親見世があった。
1879年の沖縄県設置(琉球処分)により、現在の東町郵便局近辺に親見世役所が
設置され、従来からの那覇四町にくわえ、久米村(久茂地村含む)・泊村の行政
も併せて管轄することになった。
翌1880年、親見世役所は那覇役所に改称され、久茂地川沿いの敷場(材木等の
荷物置き場)を“里主所前御余地”として同地に7軒の長屋を建て、那覇役所管
轄下の西・東・泉崎・若狭町・久茂地・久米・泊村の順に、一室ずつ、村役場
を割り当てた。なお、それぞれの部屋には机といすが置かれ、役人は伝統的な
欹髻・大帯の琉装姿で勤務していた。
1893年頃、那覇役所は、現在の那覇市医師会館一帯(現在の住所表示は那覇市
東町。当時は東村)にあった天使館(中国の王朝が派遣した冊封使=天使のた
めの施設・宿舎。館屋とも)の跡地に移転する。その後、1896年に那覇と首里
に区制が敷かれると那覇役所花博役所になり、1921年5月20日には、那覇市が
施行されたことに伴い、那覇区役所は那覇市役所になった。この間、1917年に
は京都帝国大学教授・武田五一の設計により、物見塔と庁舎が建設されている。
なお、那覇役所移転後の長屋には、1903年から1937年間で、1893年9月に創刊の
『琉球新報』紙の印刷工場が置かれていた。
1944年10月10日の“十・十空襲”により那覇市中心部の9割が焼失し、那覇市
役所も消滅。このため、那覇市役所は1945年2月15日付で 真和志村(後に那覇
市に編入)の安里八幡宮近くの民家に移転したが、同年6月、米軍はここも占拠
し、那覇市役所は機能を停止した。
戦前の那覇市の中心部(現在の那覇市西・久米・辻付近)は米軍に接収され、
一般人の立ち入りが禁止されていたが、同年11月、壷屋地区の窯業関係者たち
が産業復興を名目に那覇市域への立ち入りを許可され、約100人の職人が那覇市
に入ったが、これにあわせて、壷屋の民家を市役所の庁舎として行政事務が再
開された。この民家が、戦後最初の那覇市役所庁舎となる。
壺屋地区に続いて、牧志地区の瓦職人たちも同様の名目で入市が認められると、
他にも窯業関係者や職人の親戚縁者を名乗る人々が市内に流入し、壷屋から牧
志にかけてのガーブ川周辺や新県道近くに闇市が形成された。これに伴い、市
役所も新県道沿いの牧志公設市場敷地内に移転する。ちなみに、新県道沿の米
軍の物資集積所の跡地(現在のてんぶす那覇付近)には、1948年に映画館“アー
ニー・パイル国際劇場”が開館し、以後。新県道は映画館にちなんで“国際通
り”と呼ばれるようになった。
その後、市役所は、1948年 、一時的に開南中学校(現那覇市立開南小学校)
の敷地内に置かれ、1949年には旧グランドオリオンホテル敷地内に、さらに、
1953年には 天妃小学校敷地内に移転する。
しかし、これらの市庁舎はあくまでも仮設のものという性格が強く、那覇市
の発展と共に手狭になったため、市内の泉崎地区に県内初の大型施設として市
庁舎が新築されることになった。
新市庁舎の設計は、沖縄大学本館(1957年)、琉球放送会館(1959年)、嘉
手納電報電話局(1961年)などの実績がある宮平建築設計事務所が1963年に受
注。前庭に噴水や緑地帯を配置し、当時の沖縄では最も高い建物として、1964
年2月28日に設計を完了した。
地鎮祭は同年5月27日に行われ、建物本体は善太郎組(1950年創業)、電気
工事は金城電気商会(1953年創業)、水道工事は永山組(1952年創業)の地元
企業が担当し、15ヵ月の好機を経て、1965年9月18日、地下1階、地上5階、T字
型の新庁舎が完成。これにあわせて、新庁舎を正面から描いた記念切手 )も発
行された。
https://blog-imgs-152.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20221025160320d06.jpg
以後、この市庁舎は那覇市のシンボルとして、1972年の祖国復帰後もながら
く那覇市民に親しまれていたが、1980年代後半からは、本庁舎の老朽化や耐震
不足が問題になり、たびたび移転計画が持ち上がるようになった。このため、
那覇新都心に新庁舎建設用の土地を購入し、市役所も移転する計画が立てられ
たが、折からのバブル崩壊もあり、財政的な問題から頓挫。建設予定地が売却
され、旧庁舎を解体したうえで、同じ場所に新市庁舎を建て替えることになっ
た。
こうして、2009年9月18日の業務をもって市庁舎は閉鎖され、2010年3月の年度
までに取り壊しが完了した。
この間、市役所業務は9月24日から上之屋に建設されたプレハブ3棟の仮庁舎で
行われ、2012年12月18日に新庁舎(現在の庁舎)が完成すると、2013年1月4日
から新庁舎での業務が開始され、現在に至っている。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
近刊に「現代日中関係史(第1部 1945-1972)」日本郵趣出版、電子書籍で「切
手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などが
ある。
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にしか読ませない文章とか本なんかがNFT化されてもおかしくない。しかし農作
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わたしの頭が古いのかな〜・・・。
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★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第160回 関心を持つことから始める
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 境目に生きる戦国武士たちの知恵は?
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第5回 ディープなキッスには批評が宿る
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第160回 関心を持つことから始める
TBSラジオの『荻上チキ・Session』は、いま起きていることを知る手がかり
になるので、ぼくにとって大事なニュース報道番組だ。リアルタイムが無理な
ときはポッドキャストで聞くようにしている。その『荻上チキ・Session』が
ブックレット『セッションの本〜国葬とは何か/宗教と政治』(荻上チキ
・Session 企画 TBSラジオ)を出版した。ラジオ番組が自主的にブックレッ
トを自費出版するのって面白いなあ、と思ってすぐに注文した。
TBSの封筒で送られてきたブックレットは小さな判型だけれど、けっこう厚
みがあって重たい。うん、これは内容が充実しているな。表紙のデザインは、
番組のテイストのとおり派手ではないが、洗練されている。
自費出版だから、出来上がったブックレットを担当ディレクターと澤田大樹
記者がリュックにつめて書店に持って行ったと話していた。
テーマは「国葬」、そして「宗教と政治の関係」について。番組での特集を
大きな反響を呼んだこれらの特集を文章に起こして、専門家たちが加筆してい
る。番組の活字化というわわけだ。2段組でいかにも内容が充実している感じ
がする。
ラジオ番組自体はポッドキャストやSpotifyで聞き直すことが出来るのだが、
あらためて文字という形でじっくり読めるのがいい。わかりにくいところを何
回も読み直すことができる。このブックレットがあることで、聞くこと、読む
ことのそれぞれの良さを感じることができた。内容の濃い番組なんだなあ、と
再確認した。
ブックレットは荻上チキの「ごあいさつにかえて」ではじまり、「国葬とは
何か?」(宮間純一) 、「TBSラジオは過去の国葬をどう伝えたのか」
(崎山敏也 ) 、「宗教と政治の関係」(塚田穂高) 、「日本の宗教右派と
ジェンダー」(斉藤正美、山口智美) など。そして国葬をテーマにした安田
菜津紀の写真、番組パートナーの南部広美と放送記者・澤田大樹のコラムがあ
る。
「国葬」は、国民の半分以上が反対をしていたのにも関わらず岸田政権が強行
した。
怒りを覚えているのは、ぼくだけじゃないだろう。割り切れない気持ちを抱
えて悶々としていてもしかたがない。たとえ終わってしまったとしても、
「国葬」とは何なのか、どういう意味を持ったものなのか、きちんと覚えてお
くことが大事なのだと思う。
そのために『セッションの本〜国葬とは何か/宗教と政治』は大きな意味を
持っていると思う。
読み始めて重要なところに付箋をつけはじめたら、あっという間に付箋だら
けになってしまう。ラジオで聞いてわかったつもりになったところをあらため
て文字で読んでみると、聞き落としていたところがたくさんある。
まず中央大学文学部教授の宮間純一をゲストに迎えての「国葬とは何か?」
(7月18日放送回に加筆)を読んだところで、「国葬、やっぱりやばい」と思
わずつぶやいた。
放送番組を活字で再現したものなので、荻上チキの質問に答える形で宮間教
授が説明していく。国葬の歴史を紐解きながら、国葬がいかに民主主義と相容
れないものなのかを解説している。
冒頭で宮間教授が国葬が復活することに驚き、恐ろしさを感じたとはじめに
語っているが、国葬の意味について解説を読んでいくうちにその恐ろしさの理
由がわかっていく。
戦前・戦中期に行われてきた国葬というのは、本質的には、国民の意見を封
じ込めて、同じ方向に向かせるために行われてきた国家儀式だったことがわか
る。
今回の安倍元首相の国葬は、まさに国民の意見を封じ込める儀式を現代に蘇
らせたものじゃないか、と思った。
安倍元首相に対する評価は、すでに政府は決めているのだから、国民の反対
意見などには耳を傾ける必要なんてないという政府の姿勢は、あからさまに戦
前の国家に戻そうというものに見える。その意味では安倍元首相が望んでいた
葬儀だったのかもしれないな。
今回の国葬は、ぼくの目には、まるでどこかの独裁国家のように映った。
国葬の一般献花に3キロ以上の長い列ができたとか、沖縄から献花に訪れた
家族にインタビューしたり、涙を流す中学生を映したテレビにも恣意的なもの
を感じて、いやーな気分になる。
じつはブックレットを手にとってはじめに読んだのは、南部広美のエッセイ
「ひめごと」だった。
南部さんは荻上チキの番組でパートナーを務めている。切れ味鋭い荻上チキ
さんと対照的なゆったりとした雰囲気の南部さんの語り口は聞いていてホッと
する。ぼくのような「切れ味のない」人と同じ立場に立ってくれている。そん
な南部さんが初めて書いたエッセイ、とても楽しみだった。内容は若い日に過
ごしたロンドンで経験した心の痛みがテーマだった。その痛みがいまの南部広
美につながっていることが伝わるエッセイだった。「連載エッセイ第1回」と
なっていたので、続きを読むことが出来そうだ。
ふだん、それほど政治に熱心でないノンポリを決め込んでいるぼくだけれで
も、関心を持つことから始めたい。そんなことを教えてくれたブックレットだ
った。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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主君に忠誠を尽くすのが武士の鑑であるという意見もあるかもしれませんが、
そんなのはつい最近の話のことで。戦国時代の武士なんていうのは裏切りなん
てのは当たり前の話でした。もっとも裏切られた方にとってはたまったもので
はないのは、今も昔も変わらないのかもしれませんが。
まあ主君に忠誠を尽くす、などということを言っていたらここでは生きてい
けないのですよ。主君が死のうが生きようが、自分が生き残るのが一番大事。
『境目の戦国時代』、大貫茂紀、小さ子社、2022
境目というのは国の境目のことではなく、戦国時代の大名同士の勢力圏の境
目のことを指します。本書の舞台のでもある例えば北条氏・武田氏・上杉氏の
ちょうど中間に位置する上野国(今の群馬県)のような場所ですのことです。
こうした地域は大名同士の勢力争いの場として度々戦火にさらされます。悪
くすれば家に火を放たれたり、財産を略奪されたり、田畑を荒らされたりと大
変な目にあってしまいます。もちろん人身売買盛んな時代なので、捕まってし
まったら奴隷として二束三文で売り払われてしまうことだってありました。
本書ではそうした大名たちの勢力争いの間で生きる小領主をはじめとした
人々の姿を観察していきます。
先ほど書いたように境目の土地は各勢力の最前線に位置しています。となる
と各大名はその地域の領主を味方につけることで、他の大名たちに対し優位に
立とうとします。
逆に言うと境目の小領主たちは、各勢力に自らの立場を高く売りつけること
が出来たるということになります。どちらに味方すれば自分に有利か、あるい
は家を存続させることが出来るのかを考えて彼らが行動していたことがよくわ
かります。
現在の群馬県沼田市付近にあった小川城の城主であった小川可遊斎という人
物が本書には登場しますが、彼は北条→武田→上杉の各勢力のあいだを渡り歩
きました。沼田は長く上杉氏の勢力圏であり、可遊斎も上杉氏とつながりを持
っていました。北条氏も武田氏もそれを活かした活動を彼に期待していたよう
です。
このように境目の領主たちは自らの置かれた状況を味方にして生き残りを図
っていきました。だから条件が悪くなるとあっさりと別勢力に寝返ってしまっ
たりします。そのため戦国大名も境目の領主を厚遇していました。小川可遊斎
も武田方の真田昌幸から非常に丁寧な対応を受けています。
裏切るのは自分が悪いのではなく、自分を厚遇しない主君が悪いのだ、とい
う考え方ですね。中世人らしくてとても素敵です。同じ大名に裏切りと降伏を
繰り返すのも戦国時代では普通のことです。
もっともあんまり反復常なくしていると、渡り歩くこと自体が許されなくな
ってしまったりもしますので、その塩梅が難しいところではありますが。小川
可遊斎についても武田家滅亡後北条氏に降伏しようとしたところ許されなかっ
たと伝えている史料もあるようです。
家臣の裏切りを防止するため人質をとるというのは戦国大名のやることとし
てよく知られていますが、本書では境目の領主たちが逆に人質を取ってほしい
と要望する事例も引かれています。著者は人質であったとしてもそれは戦場か
らの保護の側面も持っていたと述べています。
本書では、武田信玄のもとに上野国の和田氏が味方についた際の史料が引か
れています。信玄は、和田氏から妻子を信濃国に移してほしいという要望を受
けますが、和田氏のみ特別扱いはできないとして色々理由をつけてやんわり断
っています。人質をとることが優遇措置ということもあったのですね。
境目の土地に生きるということは大変なことでもありましたが、その利点を
最大限活かしていくスタイルは非常に面白いですね。大名に対しても対等に渡
り合う境目の人々のありようをぜひ追体験してみて下さい。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第5回 ディープなキッスには批評が宿る
先生方各位
当学部は10月×日(△曜日)の午後1時半から〇〇デパートの◎階にある映画
館で、皆で集まって映画《望道》を見ることになりました。これは教職員の政
治理論学習の一環です。先生方各位が万障お繰り合わせの上、ご出席になるこ
とを望みます。………
数日前、私が所属する学部の正教員全員に宛てて上記のメールが送られて来た。
《望道》は公開が決まったばかりの映画である。主人公は陳望道。日本ではあ
まり知られていないが、中国大陸ではきわめて重要な人物である。あの『共産
党宣言』の中国語訳をはじめて手がけた人物だと言ったら、大陸におけるその
重要さはおのずと理解されよう。《望道》は愛国心を養成するのにふさわしい
映画、すなわち「愛国片」である。「政治理論学習」にはうってつけだ。ちな
みに陳望道が若かりし時に留学していたのは日本だった。早稲田大学などで学
んだという。訳した『共産党宣言』については、日本語からの重訳だったとい
う説もあれば、英訳も参照したという説もある。むろん大陸で平穏に生きてい
くためには、前者を強調し過ぎないほうが賢明である。
私の勤務校は、中国大陸では比較的自由な校風で知られる大学である。しかし
2019年くらいからは、党の力が強いとされる大学の友人たちから聞かされてい
た「政治理論学習」や「思想教育」が教職員に対しても実施されるようになっ
た。学部単位で実施される勉強会もあれば、日本の「組合」に相当する「工会」
が主催するイベントもある。後者であれば、上海にある革命の史跡や「抗日戦
争」の記念館などの見学ツアーも行われる。私の国籍は中国ではなく、また党
員でもない。しかし学部のサッカーチームに所属している関係で、「工会」の
一員にはなっている。だから希望しさえすれば、いつでもそうしたツアーに参
加することができるのである。
「思想教育」や「政治理論学習」は字面だけでも物々しい。最初は私も恐る恐
る参加した。会場となった部屋は、学部に所属する300人以上の先生で満員だ
った。空いているのは前の席だけだった。仕方なく私は最前列に座って、『共
産党宣言』の歴史的背景についての教科書的な説明を拝聴した。講演が終わっ
て後ろを振り返ると、空席だらけになっていた。学生の出席管理には厳しいく
せに、先生方はみなこっそり後ろのドアから抜け出したらしい。次の勉強会か
ら私が、少し早めに行って会場の後ろのほうの列に座るようになったのは言う
までもない。
こうした勉強会で大切なのは、入口で名簿にサインをすることだ。もう一つは、
講演が始まる前の写真にまじめな顔をして写っておくことだ。自分が出席した
証拠を残し、会が盛況だったことを証明する写真に貢献すれば、それで十分な
のである。だから《望道》の上映会にも300人くらいの先生が参加することに
なるのだと思う。タイトルロールが流れる時、映画館の席は埋め尽くされてい
ることだろう。もちろんエンドロールが流れる時にどうなっているのかは保証
の限りではない。
勉強会が行われるのは何も大学だけのことではない。企業でも出版社でも、中
国で「単位」と呼ばれる機関では、どこでも行われている。革命や「抗日戦争」
をテーマにした「愛国片」が公開されるたびに、私の知り合いの編集者は、映
画を見にいくようSNSを使って呼びかけている。勉強会の名目で、社員たちを
映画館に動員することも珍しくはない。
オックスフォード大学教授で中国の専門家であるラナ・ミッターの『中国の
「よい戦争」』が、つい最近みすず書房から刊行された。副題の「甦る抗日戦
争の記憶と新たなナショナリズム」が示している通り、ナショナリズムをより
堅固なものとするべく、中国大陸が日中戦争から第二次世界大戦に至る戦争を
「よい戦争」として語り直していくプロセスを整理した著作である。
ミッターによれば、現在大陸で覇権を握っているのは、国民党を悪者にして共
産党を正義の味方にする「物語」ではない。大陸が採用するのは国民党から共
産党への連続性を担保した上で、国民党も含めた「中華民族」が戦争で果たし
た役割を祝福する「物語」である。それは「中華民族の復興」をスローガンに、
台湾を統一することを目論む現政権の方針とも合致する。言うまでもないが、
そこで悪者となるのは日本だ。欧米がナチス・ドイツを退けたあの戦争を
「よい戦争」と記憶しているように、大陸も日本を追いやったあの戦争を
「よい戦争」として記憶しなくてはならない。あの戦争は勧善懲悪の「よい戦
争」として語られるべきなのである。ミッターは、そうした「物語」が声高に
主張されるようになったプロセスをとてもわかりやすく整理している。
ミッターの著作の特徴としてあげられるのは、多くの書評子がすでに指摘して
いるように、公式の文書や政治家の発言だけでなく、映画やオンライン・コミ
ュニティの発言なども史料として活用していることだ。もう一つは、私が政治
学や政治史の研究に馴染みがないために気になっただけなのかもしれないが、
「物語story」や「ナラティヴnarrative」といった文学研究や文芸評論でよく
使われる単語が、キー概念として多用されていたことである。それが政治学や
政治史においてどれほど一般的なことなのかは、門外漢には皆目見当がつかな
いのだが、少なくともミッターは、言語による「物語」や「ナラティヴ」が
人々の思考や認識を構築し、また束縛するようになるという「構築主義」的な
視点から、現代中国が喧伝するイデオロギーを分析していた。
台湾を統一することを何よりも重視している大陸の現政権が、日本を悪者にし
て、国民党から共産党への正義の連続性を「物語」として作り上げようとして
いるという指摘に異論を挟む余地はない。またこの「物語」が、そもそも矛盾
をはらんでいることもミッターの指摘する通りだ。国民党が正義であるのなら、
それと戦って台湾に追いやる必要などなかったではないかというツッコミは、
思いつかないほうが難しい。だから矛盾を抑圧して否認させることが、この
「物語」では何よりも重要になる。矛盾が露呈しそうになると、その都度本当
の悪の所在が強調されることになるのである。
ところで「物語」や「ナラティヴ」を分析する時に重要なのは、その分析結果
が読者にも共有されていたとは限らないということである。夏目漱石が『三四
郎』で広田先生に、日本は「亡びるね」と言わせたからといって、読者の全員
が「亡びる」と思っていたとは誰も思わないだろう。もしそうだったら、昭和
以降の日本の歴史は大きく変わっていたはずだ。むろん『三四郎』の「ナラテ
ィヴ」に影響を受けた読者もいたことだろう。しかし同時に、何らの影響も受
けなかった読者も少なくなかったに違いない。「物語」や「ナラティヴ」が読
者にどのように作用したのかは、慎重に調査した上で、注意深く考えていく必
要のあるとても難しい問題なのである。
ミッターの著作で、大陸が作ろうとしている「物語」や「ナラティヴ」の受容
者は、たとえば次のような形で登場する。
〈しかし、ここ数十年のあいだに中国国内では、別の出来事についての記憶が
これまで以上に注目されるようになった。第二次世界大戦だ。中国での呼称
である「抗日戦争」をテーマにした北京の博物館には、何千人もの児童・生
徒たちが大挙して見学にやってくる。中国の映画興行成績の上位に並ぶのは、
日本占領下の南京で起きた中国市民の大虐殺、戦時中の河南省での大飢饉な
どを扱った映画だ。オンライン上ではネット市民たちが、一九三七年の第二
次上海事変の細かな点について洗いだし、黄浦江(にそそぐ蘇州河)の土手
の両側に並んだ中国と日本の両軍の相対的な兵力について議論し合ってい
る。〉
博物館にやって来る「何千人もの児童・生徒たち」、映画興行成績に寄与する
観客たち、それら全員が「物語」や「ナラティヴ」を信じ込んでいると思った
ら、それはやはり大きな勘違いとなる。「物語」や「ナラティヴ」にはそれな
りの力が備わっているが、同時に受容者は「物語」や「ナラティヴ」をすべて
鵜呑みにしてしまうほどナイーブではない。公式に流通させられる「物語」や
「ナラティヴ」とその受容者の思考や思想信条を一緒くたにしてしまうことは、
日本では村上春樹が人気だから、日本人はみな「やれやれ」と言うものだと中
国人の日本文学研究者が思い込むのと同様に愚かしい。
注意すべきは、オンライン上でなされる「ネット市民たち」の「議論」を「本
音」とみなすことも陥穽にはまる危険性があるということだ。SNSも含めてオ
ンライン上でなされるすべてが、監視の対象となっていることを知らない人は
ほとんどいない。だから「議論」にしても、「愛国片」への称賛のコメントに
しても、みずからが率先して書いたものではなく、動員によって書かされたも
のであったり、あるいはことさらに愛国者であることをアピールしなければな
らない人によって書かれたものであったりする可能性は十分にある。そのこと
を理解しないと、ミッターの本は大きな誤解を招くことになってしまう。公式
の「物語」や「ナラティヴ」を中国人民の考えそのものだとみなしてしまう日
本人読者は少なくないように思われてならない。
ミッターも指摘している通り、公式の「物語」や「ナラティヴ」は日本とほと
んど関係のない、中国の国内事情によって必要とされたものである。だからそ
んな「物語」や「ナラティヴ」など知らぬふりをしていればいい。ただし、そ
うした「物語」や「ナラティヴ」と関係のないところで、南京や上海や重慶や
東北地方やその他諸々の地域で、旧日本軍がやったことを、都合のいい「物語」
や「ナラティヴ」に回収することなく見つめ続けることは大切である。そうし
なければ「本音」での対話はいつまで経っても不可能なままだ。
2021年秋、《長津湖》という朝鮮戦争で中国軍が米軍を破った小さな戦いを扱
った超大作の「愛国片」が公開された。インターネットではとても評判になっ
ていた。すぐに見に行きたかったのだが、どの映画館も満席で、なかなか席を
取ることができなかった。しばらくして私は、繁華街から少し離れたところに
ある小さな映画館の夜9時過ぎから始まる回で、ようやく空席を見つけること
ができた。
しかし自転車に乗って映画館に駆けつけた私は、入り口で驚かされることにな
る。映画が始まるまであと10分くらいになっても、受付のお兄さんと私以外に
は誰一人いないのである。オンラインでは、私が取った席の前の2、3列以外
に空席はなかった。だから私は相当の混雑を予想して早めにやって来たのであ
る。だが映画館は閑散としていて、とても寂しかった。
映画が始まっても、座っているのは私だけだった。10分くらいしてから、カッ
プルが入ってきた。私の席の2列前に座った大学生と思しきカップルは、背後
にいる私の存在には気づかぬまま、米軍相手に奮闘する兵士たちを尻目に、お
しゃべりをしたり、スマホを見たり、抱き合ったり、キスをしたり、大忙しだ
った。「愛国片」はどうやら彼らに「愛情」を確認し合う場を提供するだけの
役割を負っていたらしい。
「愛国片」が流れる映画館で抱き合うこと、あるいは「思想教育」の勉強会を
途中退席すること。それらがそんじょそこらの文芸批評が及びもつかないくら
いに重要な批評的な実践であることは、もはや明らかだ。公式の「物語」や
「ナラティヴ」を否認すること。そうした批評を声高な「言論」として遂行す
ることも、オンライン上での「議論」として実践することも今の中国では難し
い。しかし日常の何気ない身振りを通して、多くの中国人は真の意味での批評
を実践し続けているのである。公式の「物語」や「ナラティヴ」と対話するこ
とは不可能でも、そうした批評と対話することは可能だ。今大切なのは、公式
の「物語」や「ナラティヴ」によって不可視のものとなってしまう批評の存在
に気づき、それを忘れないでいることではないだろうか。
愛国主義のプロパガンダとしては模範的な出来映えの《長津湖》の前で、なん
て激しくディープなキッスを何度もしていたカップルに、私は心からの喝采を
贈りたい。
この原稿は10月22日に終了した中国共産党第二十回全国代表大会が始まる以前
に書いたものです。大会が始まる前、あるいは大会の開催中に配信があるかと
思い書きました。大会終了後、どのような状況になっていくのかは、また冷静
に見極めて暮らしていきたいと思っています。その点、ご了承いただきたく存
じます。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。
2018年からは上海の大学に勤務しています。
専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されていない面白い本
や映画がたくさんあることを知って、専門と関係ない本を読んだり映画を見た
りして過ごしています。
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■あとがき
福岡で「BOOKOKA2022」が始まりました。
町全体でひと月行われる本のお祭り。今年も楽しそう。
行ってみたくなりますね。
→ https://www.bookuoka.com
畠中理恵子
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★トピックス
→ トピックスをお寄せください
★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その76『愛しい女』とオクラ
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その76 『愛しい女』とオクラ
夏になるとオクラを茹でる。なるべくガラス鉢に入れて、鰹節とお醤油をか
けて食べる。それだけのことなのに、その度に感動してしまう。なぜなら、オ
クラの断面図は、星のかたちだからだ。
初めて、オクラを食べたのは、京都の旧家の一室。親に連れられて親戚の家
におよばれをしに行き、大人向けの酒肴のご馳走が次々出てきた中の一品がオ
クラだったのだ。子供心に、なぜ野菜が、ぬるっとした納豆のような感触のこ
の野菜が、こんなに美しいのかわからなくて、
「これは、なに?なぜ、お星様の形なの?」
と何度もきいて、たぶん笑われたのだろうけれど、誰かが、
「やっぱり私も夏になる度に綺麗だなと思う。」
と言って取りなしてくれたのを覚えている。
そんな、オクラがアフリカ原産の食べ物だと知ったのは大人になってからだ
けれど、本当に驚いた。何せ京都で初めて食べたので、日本古来の食べ物なん
だと思いこんできたからだ。
ところで、ピート・ハミル著の『愛しい女』には「ガンボ」という料理が出
てきて、そこにもオクラが入っているとあった。
この物語は、朝鮮戦争のために海軍に徴兵された十七才の少年が主人公だ。
新兵訓練を経て、生まれ故郷のニューヨークを離れて、フロリダにある基地に
向かっている。その途上で、偶然バスの中で乗り合わせた美しい黒髪の女性に
恋心を抱く……。
初めての兵役や基地での生活と、この女性への恋が織りなすこの物語は、差
別意識に満ちたアメリカ南部の町を舞台に、実に官能的な恋物語となっていく。
この物語の中で忘れられないのは、彼女の借りているトレーラー・ハウスを
初めて訪ねる場面。初めてのデートの時に主人公が絵を描けることを知った彼
女は、二回目に会ったときに、この次は自分の肖像画を描いて欲しいと言った
のだ。雨の中辿り着いた森の中の彼女トレーラー・ハウスは、入口の前に花が
植えられた鉢がいくつもあり、部屋の中も花瓶や牛乳瓶に活けられた花でいっ
ぱいだ。そこで彼女は素早くサラダを作りトーストを焼き、夕べ作っておいた
というガンボ・スープをかき混ぜながらこう言う。
「ガンボはね、こしらえたあくる日の晩が一番おいしいんだから」
白いボールによそわれて差し出された暖かいガンボ・スープからは、
<カニとエビとライスの匂いの混じった濃厚な香りが鼻をつく>とある。スー
プがご飯の上にかけられていたようだ。この料理には、とろみをつけるために
オクラが使われているという。ブイヤベースが変化したものともいわれていて、
香料のきいたトマト味のブイヤベースにとろみがついたものという感じらしい。
アメリカ南部のルイジアナ料理といわれている。
初めての恋人の家、初めて描く肖像画、初めて見る彼女の裸体…。
部屋の外は、雨。花の香りと嗅いだことのないスパイスの香りが部屋の中に
濃厚に漂っていく。主人公の少年の感覚が高ぶっていく様が感じられる場面だ。
オクラの原産地はアフリカだから、このガンボというのはもともとアフリカ
から伝わった料理なのかもしれない。まだアメリカがフランス領だったころの
食文化とアフリカの食文化がまじりあったルイジアナ特有の料理と思うと、こ
の悲しい恋物語の種明かしとして描かれているような気もする。
物語は、基地内の厳しい掟や水兵たちの生活、基地の外での酒と買春の日々
の様子、基地内外で黒人が受けるすさまじい差別や暴力の状況などが描かれて
いき、あいまに水兵仲間が主人公に自分の過去を語る形で、それぞれの兵士の
生きてきた生活、当時のアメリカ庶民の生活を知ることができる。そして、十
八才の年の差があり、実は結婚もして子供がいるという恋人が語る一族の秘密
の物語は、ルイジアナの、アメリカ合衆国の、そしてそれ以前のヨーロッパの
植民地としてのアメリカの歴史にまでさかのぼっていくことになり、奴隷制が
生んだアメリカの深い闇を解き明かしていく。
この物語の背後には、そんなアメリカの歴史とともに音楽が常に流れていて、
ジャズ好きにはたまらない物語でもあることを付け加えておきたい。
インドのカレーにもオクラが使われると聞いて、一度試しに作ってみたこと
もある。いろいろな国で愛されるこの野菜、いつかの私のように星形なのを不
思議がる子供も、きっとどこかにいるのだろうなと思うと楽しくなってしまう。
やっぱり私も、夏になる度に綺麗だなと思うから。
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『愛しい女』ピート・ハミル著 高見浩訳 河出文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』等
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか
昔から神社が好きだったのか、と尋ねられると、決してそうではなかったと
思う。でもいつのころか、神社に参拝するとスッキリするなーという気になっ
ていた。
人がこの世に生まれたときには、自他の区別もないし、自分が世界であるか
のような、自分最強状態で生まれてくる。それが成長するにつれて、社会とい
うものに触れ、だんだん自分だけではどうにもならないことがあるんだな、と
いうことに気づいてくる。
それでもまだ、学校に所属していたりサラリーマンやったりしているときに
は、まだいろいろな物事は人のせい、だった。それが独立したりビジネスを自
分で始めたりすると、これは人のせいじゃなく運とか縁というのも大いに関連
してそうだぞ、ということに気づいていく。
逆に、大震災や大台風など、人知の及ばない自然災害などに直面したときも
そうかもしれない。そんな中でも生き残る人、逆に成功する人というのは、や
はり何らかの大いなる力の影響を感じざるを得ない。
自分も起業したての頃に住んでいた東京品川区戸越に戸越八幡神社という神
社があって、毎月初めに参拝していた。もともとは江戸を越える最後の場所と
いうことで、結界のための神社のようだったが、現在は氏神様のような扱いで、
地元の人に愛されている神社だった。
最近になって、ただ神社をめぐって御集印を集めるだけも芸がないな、と思
い、記録に残すようになった。記録に残し始めて、ふと、なんでこんなに同じ
ような名前の神社が多いんだろう?と気になってきた。
そこで手に取ったのが、この1冊だった。
島田裕巳『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』幻冬舎新書
この本のサブタイトルが面白い。
【最強11神社】八幡/天神/稲荷/伊勢/出雲/春日/熊野/祇園/諏訪/
白山/住吉の信仰系統
ということで、神社の11チェーンの性質や特徴について解説している。
早速、八幡神社を見てみよう。
第1章 八幡 ─ 日本神話に登場しない外来の荒ぶる神
いきなり「日本神話に登場しない」ときた。日本神話ってのは日本の神様が
総出演しているわけではないのだなぁ。
八幡神社は、八幡信仰に関わる神社の総称で、八幡神社、八幡宮、若宮神社
などの名称があり、その数、7817社とのこと。総本社は、大分県宇佐市の宇佐
神宮。
単純計算しても、各都道府県に150社以上あることになる、これはすごい。
しかし、この章のキャプションにもある通り、古事記や日本書紀には、八幡神
は出てこない。では、いったい、どこから出てきたのか?
結論から言うと、八幡神は新羅の神だという。しかし、その後、応神天皇の
霊であるとされ、さらに、宇佐八幡宮の南南東にある御許山、あるいはその山
にある巨石の御神体とも同一視されたという。
その後、宇佐神宮が奈良の大仏建立に際して協力し、さらに、荒ぶる神=戦
いの神、というところから、源氏を始めとする武将たちによって祀られたとい
う。
そういえば、今、住んでいるところの近くにある神社でも、縁起のところに、
「〇〇が○○八幡宮を勧請して祀った」というような表記がある。このあたり、
この本にはこういう説明がある。
「これは八幡神に限られないことだが、それぞれの神社に祀られた祭神は分霊
され、ほかの神社に勧請されることになることで、同じ神が別々な場所で祀ら
れるようになっていく」(p.14)
これは例えば、昔からやっていた本屋さんが文教堂になったり、タバコ屋さ
んや酒屋さんがコンビニになったりするようなものなのだろうか?
その後、仏教における八幡大菩薩と同一視されていったそうで、武士が「南
無八幡大菩薩」と唱えるのは、「弓矢の神・武士の守護神である八幡大菩薩に
自身の命運を委ねるという意味で念じていた」とネットで検索したら書いてあ
りました。
さて、ここまでのことを整理すると、
・もともとは新羅の神を祀っていた神社
・大仏建立の際に協力して全国に知られる
・武士に愛され、様々な神社に勧請されて拡大
で、今に至る、と。
結論部分にはこう書いてありました。
「八幡神は、本来は記紀神話にも登場しない異国の神でありながら、応神天皇
とも習合することで皇祖神としての地位を確保し、朝廷の信仰を集めただけで
はなく、武神として朝廷を補佐した武家の信仰をも集めることとなった。
最終的には、庶民層にも八幡信仰は広がり、各地で一般の民衆が八幡神を勧
請して、地域の氏神として祀ることに発展していく。八幡神を祀る神社がもっ
とも多いのは、そうした歴史を経てきたからである。」(p.59)
なるほどーと思いながら、なんだか釈然としないものがある。何が釈然とし
ないかというと、「各地で一般の民衆が八幡神を勧請して、地域の氏神として
祀ることに発展していく」という一文。
これは、その時代の有力者が、地元の神社に八幡神を迎えてくれたら、サポ
ートし続けるよーって言ったのかな?と妙に邪推したくなる。
一般の民衆からすれば、氏神様は氏神様で、宇佐八幡宮の御神体のように、
山であり石であるような、自然崇拝の対象が別にあったと考えられる。それを
祀る神社に、行ってみれば、赴任された担当者のように八幡神なり他の神が祀
られていく、というシステムであったのではないかと読み取れる。
神社って謎が深いよなーと思って手に取った一冊であったが、さらに謎が深
まった気がする。ので、次回は、同じ著者の『神道はなぜ教えがないのか』
(ベスト新書)を読んでみることにする。
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下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信が遅くなりました。今年は3連休が多いですね。(あ)
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★トピックス
→内藤陽介氏の、こわい本
★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→休載です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→総力戦の裏側で行なわれていた「祭り」
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→2カ月連続締め切り守るとか、ウソでしょw
★「はてな?現代美術編」 koko
→忘れられていたフェルメール
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→50年前から続けられる中国の沖縄分断活動
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■トピックス
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■「本当は恐ろしい!こわい切手」発売。
内藤陽介氏の新刊、ビジネス社発売
切手には、いずれも世に出るだけの理由が必ずある。一般にはきれいなモノ、
かわいいモノと認識されることの多い切手の中から、あえて「怖い」という人
間の感情に刺さるものをピックアップ。呪いの切手、鬼の切手、伝説の切手、
現代の闇の切手、戦争の切手とそれぞれ題し、古今東西から集めた「こわい切
手」にまつわる11篇を収録。巻頭カラー8ページで、美しくも恐ろしい切手のす
べてをカラーでもお楽しみいただけます。
https://www.business-sha.co.jp/books/category06/item_a000979
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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ベンジャミン・ウチヤマ 布施由紀子訳 『日本のカーニバル戦争 総力戦
下の大衆文化 1937―1945』みすず書房 4200円+税
1937年に始まった日中戦争によって、日本は総力戦の時代に突入していき
ます。総力戦においては、物や人だけではなく、「精神」も動員しなければな
りません。ただ締め付けているだけでは、国民の「精神」はひからびてしまい
ます。人々の自由奔放な振舞をある程度許容せざるを得ないのです。日中戦争
以降の戦時下の日本においては、大衆文化の領域においてお祭り騒ぎが演じら
れる「カーニバル戦争」となりました。従軍記者、職工、兵隊、映画スター、
少年航空兵等々の、様々な「カーニバル王」が脚光を浴びたと著者は言います。
国の強制によって新聞は戦争を賛美した。これは大きな嘘です。新聞記者は、
センセーショナルな記事を競って書き、「爆弾三勇士」・「百人斬り」等々の
神話を創造しました。記者たちは、戦争をスリルとスピード感に満ちた娯楽へ
と変換していったのです。新聞は、日中戦争の緒戦においては、「軍神」の勇
猛な行動を美化していきます。しかし戦争が膠着状態に入ると、華やかな報道
は姿を消し、戦地で傷ついて帰ってきた、「凱旋兵」ならぬ「帰還兵」たちが、
戦争の負の部分を象徴する存在として、人々の眼差しに浮上していきました。
戦争に働き盛りの男たちをとられたことによって、とりわけ軍需産業におい
て深刻な人手不足が生じます。そのために未成年の職工たちが、法外な賃金を
手にするという状況が生じてたのです。彼らの旺盛な消費活動は、大人たちの
眉を顰めさせるものでした。彼らは、学生やサラリーマンと紛らわしい服装を
することで、階層秩序を揺るがしていきます。戦時下においても、大正時代に
始まるこの国の消費文化が根絶やしにされたわけではありません。三越が、戦
地に送る慰問袋を盛大に売り出していたというエピソードには驚かされます。
戦意高揚の映画を作るために、国は俳優たちの技量審査を行い、映画人養成
のための学校まで作っています。しかし官製映画は、人々の心をとらえること
はできませんでした。ハリウッド映画に起源をもつ、従来のスターシステムを
容認する他なかったのです。当時国が映画女優に求めていたのは、「軍国の母」
のイメージでした。しかし当時圧倒的な人気を博していた水戸光子は、スクリー
ンの上では「軍国の母」を演じながらも、「モダンガール」の面影を残し、外
国人をも魅了してやまぬコスモポリタンな雰囲気を醸し出していたのです。
少年航空兵は、全国の男の子たちの憧れの的でした。『航空少年』等の雑誌
は、航空学校受験の手引きをする他、内外の戦闘機や爆撃機の模型を作ること
を読者に推奨しています。B29の模型を作る戦時下の少年たち!それはわれわれ
の意表をつくものです。読者欄におけるマニアックなやりとりは、現在のオタ
ク文化を彷彿させるものがあります。『航空少年』の読者たちが憧れた特攻隊
兵士のなかには、出撃の前夜にジャズを聴いていた者もいます。戦後の大衆文
化状況は戦争末期に胚胎していた。本書は、そのことを教えてくれています。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「サブスク」の話
先日、あるシンガーソングライターの方のつぶやきが話題になった。
「サブスクを考えた奴は地獄に落ちたらいい」
なかなか刺激的な文言ではあるが「ああ、なるほど」と思うところはある。
ヒット曲を持つプロのアーティストでもサブスクリプションでは収入が激減し
てしまうそうなのだ。
私は未だにサブスクの料金体系がよく判らない。よく判らないクセに月額1000
円弱を払ってApple Musicに入り続けている。音楽に関してそれほどヘビーに聴
いているわけでもないし、通知が来るたび「なんかもったいない気が」と思う
のだが止めると購入していない曲以外は聴けなくなってしまうのでなんとなく
入り続けている。
本人的にはまあまあの料金を払ってはいるのだが、ではお気に入りのアーティ
ストに一体いくら入っているのかと考えたとき、CDを買えばあきらかに定価の
何%と言う数字は出て来るのだろうがサブスクだとどうなっているのか。つぶや
いた方の現状を考えるとやはりかなり低い数字になるのは想像できる。
そのツイートに対して「応援してます!CDを買います!」と言うのと「CDプレー
ヤーを持っていません!サブスクでないと聴けないです」との反応が。そうか。
皆が当たり前の様にプレーヤーを持っていると言うのがすでに違う世界になっ
ているのか。そう言えば自身もよく聴く曲はパソコンに読み込ませて直接プレー
ヤーにかけることは無いな。最近はパソコンでもディスクを読み込むために別
に外付け機器がが必要だし。
「擦り切れる程レコードを聴いた」世代なのだけどね。
ちょっと前にAMのラジオ番組でレコードをかけるコーナーがあって、その時若
いアナウンサーが「こう言うので音が出るのが信じられないですね」とエジソ
ンが草葉の影で悶絶する様なコメントをしていた。音楽がデジタル信号になっ
た時オーディオファンからは怨嗟の様な声が聞こえたのだが、もうCDすら要ら
ない世界に音楽業界はなっているのか。おそろしや。
最近ビッグネームが相次いでサブスクに参戦しているのもこんな理由からなの
かなぁ。
前に「電子書籍がいかに売れないか」を盛大にボヤかせてもらった。
こちらも「読み放題」がどんどん幅を利かせているようだ。
とんでもないアメリカンドリームがある反面、ヒット以外は誰の目にも触れな
い状況下におかれるよう。
流れは止められないかも知れないが表現者には収入的にどんどん厳しい世界に
なって行く。
ただ…「紙の本を読む事が出来ません!」はまだないことを考えるとまだまし
かな。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第128回 『再発見された画家 ――― フェルメール 』
大阪で開催されていた巡回展「フェルメール 17世紀オランダ絵画展」に行っ
てきました。フランスにいると他にたくさんの見るべき絵画があって、フェル
メールまで気がまわりません。
正直もてはやされ過ぎの感も否めず、ついついスルーしてしまうのでした。ルー
ブルにもフェルメールはあるけど、特に特別な作品ではないのです。それにし
ても日本人はフェルメール大好きですよね。
過去を反省して、今回は足を運んだ次第。
『窓辺で手紙を読む女』の背景にキューピッドの絵が隠れていたのを1979年の
展覧会にあわせた調査で発見。その後誰がこのキューピッドを消したのか、そ
の結論が最近でました。
フェルメール本人でなく、当時の好みにあわせて後世の誰かが塗りつぶしたと
のこと。そして修復されて当時の姿に戻った絵が、日本にて海外初お披露目と
なったのです。
フェルメールは死後忘れ去られた画家として有名です。
無名になったフェルメール作品は、17世紀のオランダ絵画の巨匠で17世紀同時
代の画家であるPieter de Hooch(ピーテル・デ・ホーホ 1629-1684)の作品
として売買されることがおおかったそうです。
無名であるとは辛いものですね。
□大阪市立美術館 サイト 「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」
https://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/dresden-vermeer2022#cnt-5
フェルメールがもてはやされるのは、もちろん素晴らしい絵画作品であること
は基本なのですが、一番は現存作品数が少ないということ。
フェルメールの真筆とされる作品は今のところ32点。ドレスデン美術館蔵のこ
の1枚は、他のフェルメール作品に比べて比較的大きくて、見事な一品でした。
忘れられた作家といえば、フェルメールと同様に再評価され、しかも現存作品
が少ないカラヴァッジョです。60点ほどでしょうか。
1920年代になってからイタリア人美術史家ロベルト・ロンギ (Roberto Longhi
) がカラヴァッジョを再評価して今日に至ります。
日本人作家で思いつくのは伊藤若冲。
再評価は、辻惟雄『奇想の系譜』に取り上げられたことがきっかけです。
フェルメールもカラバッジオも若冲も、生前は評価が高かった画家たちです。
ではフェルメール再評価は誰がしたのか?
フランス人ジャーナリスト兼美術批評家Étienne-Joseph-Théophile Thoré (
テオフィル・トレ 1807-1869)です。別称William Bürger(ウィリアム ビュ
ルガー)ともいいます。
※以下彼のことをThoré-Bürger(トレ ビュルガー)と呼びます。
リベラル左翼だった彼は、市民の日常を描いたオランダ絵画に大変感心を寄せ
ていました。1842年のオランダ旅行で、フェルメールの『デルフト風景』を見
た彼は、その後フランスでは全くの無名だったこの画家の作品を探しました。
イギリス、オランダ、ドイツと旅してフェルメールの作品を発掘していくので
した。
1866年、Thoré-Bürgerがアドバイザーに名を連ねるパリのシャンゼリゼ宮で
開催された「個人画廊所蔵のオールドマスター絵画展』と題された展覧会で、
11点のヨハン・フェルメールとされる作品(内6点は彼の個人所有品)が出品さ
れました。
6点のThoré-Bürger所蔵品には、現在ロンドンナショナルギャラリーにある
『ヴァージナルの前に立つ女』とベルリン国立美術館の『真珠の首飾りの女』
が含まれます。
ちなみに『ヴァージナルの前に立つ女』の壁にかかっている絵が、今回のドレ
スデンの『窓辺で手紙を読む女』の修復で明らかになったものと同じキューピッ
ドの絵柄です。
この年の秋、彼はフェルメールのカタログを出版します。73点紹介されている
うちの約45点が彼によってフェルメール作と判定された作品で、残りは推測さ
れるものとして挙げられています。実際は今日45点のうち10点以上が他のアー
ティスト作とみなされています。
1892年彼のコレクションがオークションに出され、当時としては最高値で取引
されたようです。中にはロンドンナショナルギャラリーの2点のフェルメール作
品とボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の『合奏(コンサー
ト)』が含まれていました。『合奏(コンサート)』は盗難にあったことで有
名ですよね。
Wikiによると<『合奏』のみ同時に盗難された他作品とともに行方不明のまま
となっている。『合奏』は盗難絵画としてはもっとも高額な作品とされ、その
評価額は2億ドル超と見なされている>そうです。
誰かの家の隠し部屋に飾ってあるのかと思うとゾクゾクしてきますよね。
□盗まれた世界の名画 フェルメール
https://ims-create.co.jp/art/1181/
先日昇天なさったエリザベス女王のロイヤルコレクションにもフェルメールが
あります。ロンドンのセント・ジェームズ宮殿にある『音楽の稽古』は、ジョー
ジ3世の時代に購入されました。
しかもフェルメールとしてではなくて、Frans van Mieris(フランス・ファン・
ミーリス)の絵画として購入されていました。ジョージ3世はこの絵に全く興味
がなく、抱き合わせで売りにだされていた書籍が欲しかったらしいです。
1866年、Thoré-Bürgerがこの絵をフェルメールの真作だと判定したのでした。
□Royal Colletion Trust HP 『音楽の稽古(Lady at the Virginals wit
h a Gentleman)』(英)
https://www.rct.uk/collection/search#/12/collection/405346/lady-at-the
-virginals-with-a-gentleman
棚ぼたとはこのことですか。。。。
※参考YouTube
□山田五郎 オトナの教養講座 「フェルメール修復事件」
https://www.youtube.com/watch?v=jiK_WNGAuN8
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 27
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佐藤訪沖と中国
病気を理由に退陣した池田勇人に代わり、1964年11月9日、沖縄施政権返還を
最重要課題に掲げる佐藤栄作内閣が発足した。池田から佐藤への政権交代は、
ヴェトナム情勢が緊迫の度合いを高め、米軍の介入が本格化していく時期と重
なっていた。
1964年7月末、南ヴェトナム軍の奇襲部隊がトンキン湾内の北ヴェトナム支配
下のふたつの島への上陸作戦を敢行。これに連動して、米軍の駆逐艦が北ヴェ
トナム沿岸でのパトロールを展開していたところ、8月2日になって、北ヴェ
トナムの哨戒艇との間で戦闘が発生した。
米軍はその後もパトロールを続け、8月4日には、ふたたび、北ヴェトナムの
魚雷艇から米駆逐艦への攻撃が行われたと米軍は主張した。(ただし、後に4
日の攻撃は北ヴェトナムへの“報復爆撃”を行うための捏造であったことが後
に明らかになったが…)
いわゆるトンキン湾事件である。
1964年11月の大統領選挙を控えたリンドン・ジョンソン米大統領は、再選戦略
の上からも、ヴェトナム問題で“弱腰”との批判を受けることはなんとしても
避けなければならなかったため、8月5日、「北ヴェトナムの攻撃に対して、
直ちに反撃のため北ヴェトナムを爆撃した」と発表。
議会に対し「米軍に対する攻撃を退け、さらなる侵略を防ぐために必要なあら
ゆる手段をとる」権限を大統領に与えるという決議を要請。これを受けて、下
院は410対0、上院は82対2という圧倒的多数の支持で“トンキン湾決議”が採
択された。これは、米国による事実上の北ヴェトナムに対する宣戦布告となり、
1965年2月以降、解放戦線への援助阻止を目的として北ヴェトナム本土に対す
る爆撃(北爆と呼ばれた)が本格的に開始された。
こうした国際情勢の変化もあって、佐藤内閣発足直後の1964年11月16日、日立
造船の貨物船対中輸出についての契約が日中間で成立したものの、1965年3月
下旬、佐藤内閣はこの案件への輸銀の融資を行わないことを決断し、3月31日、
日立造船の契約は失効した。
その一方で、1962年に台湾の国府が池田内閣に要請して以来の懸案であった日
華円借款交渉は、佐藤政権下の1965年4月に妥結し、両国間で協定も調印され
た。当然のことながら、中国側はこうした日本の対応を“中国敵視政策”とみ
なし、強く反発する。
こうした中で、1965年8月19日、佐藤は日本の首相として戦後はじめて米施政
権下の沖縄を訪問し那覇空港で「沖縄祖国復帰が実現しない限り、わが国にとっ
て戦後が終わっていないことをよく承知しております」と声明を発表した。
(http://blog-imgs-23.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20060702233306.jpg
は佐藤訪沖時に使用された特印、
佐藤の訪沖に対しては、沖縄自民党を継承した民主党が“歓迎”の立場だった
のに対して、“沖縄県祖国復帰協議会(以下、復帰協)”の加盟団体は、沖縄
社会大衆党(社大党)、沖縄社会党、沖縄県青年団協議会(沖青協)は“抗議
”、日本共産党系の沖縄人民党は首相の訪沖そのものの“阻止”、沖縄教職員
会は訪沖を受け入れたうえで、この機会に“誓願”を行うという立場をとるな
ど、対応が割れたが、復帰協執行委員会は、8月2日、復帰協としては“抗議
”の態度を取ることを決定した。
1960年に結成された復帰協は、もともと、島ぐるみの超党派的な復帰運動の組
織だったが、次第に、活動内容は、反戦反基地や自治権拡大、さらには生活擁
護・人権擁護などにも広がり、左派色の強い反米・反戦運動の色が濃くなって
いく。
特に、1965年2月、米軍による北ヴェトナム北爆が本格的に始まると、沖縄の
嘉手納基地は北爆に向かうための直接攻撃基地となり、沖縄はヴェトナム戦争
と直結。これを受けて、2月22日の復帰協定期総会では、「米軍基地の撤去と
安保条約の撤廃」が運動方針案として提案されている。(最終的には慎重論が
多数派を占め、この案は否決された)
こうした状況の中で、日米安保の枠組みを維持したままでの沖縄の施政権返還
を主張する佐藤の構想は、復帰後も沖縄に米軍基地が維持されることを意味し
ていた。そして、復帰協はこの点に異議を唱え、佐藤訪沖に反対する二万人の
沖縄民衆大会が開かれたほか、彼の宿舎になっていた東急ホテルは訪沖反対の
デモ隊に包囲される騒動となった。
しかし、帰国後の佐藤は、沖縄本土の復帰に向けて沖縄問題閣僚協議会を発足
させ、義務教育費の半額国庫負担などの政策を打ち出すとともに、施政権返還
方式について具体的な検討に着手する。
一方、台湾島にも近く、米軍基地が存在している沖縄で、反米・反戦活動が盛
んになるということは中国にとって好ましい事態だった。換言するなら、“沖
縄”は日本に対して揺さぶりをかけるための格好の材料だった。
そうした中国側の姿勢は、佐藤訪沖の直後、1965年8月25日に発行された“中
日青年友好大交流”の切手のうち、“団結する両国青年”と題された1枚に「沖
縄をかえせ!」と書かれたたすき姿の青年が描かれていることからも十分にう
かがえる。
https://blog-imgs-152.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20220925065239433.jpg
1972年の国交樹立以前の日中間の組織的な青年交流は、1953年、日本青年団協
議会(日青協)副会長の鈴木重郎が国際農村青年集会準備会への参加をきっか
けに訪中したのが最初で、1956年9−11月には中国側からの紹介を受けて22人
が訪中した。
このときの訪中団のメンバーは、当然のことながら、筋金入りの“日中友好人
士”たちである。たとえば、団長の寒河江善秋は、9月27日に北京で開催され
た歓迎パーティーの挨拶でいきなり「心からお詫びを申し上げたい」、「心か
らあなた方に謝罪する必要があると思います」と始め、「今後、いかなること
が起きても、われわれは絶対に再び武器を取って戦争を行うことを許しません。
私は、このスピーチで中国の青年と日本の青年との永遠の不戦の誓いをしたい」
と持論を展開。
さらに、「わが国はいまだ、完全に独立したとはいえません。祖国の独立と繁
栄の実現のために努力することが、われわれ青年の光栄な任務なのです」、
「中国の友人の熱烈な支持がなければ、わが国の完全な独立や発展はありませ
ん」と訴え、「アジア諸国人民の共通の願い一独立と平和を実現するために、
われわれはあなた方とともに戦いを進めていくことを希望します」とスピーチ
を締めくくっている。
また、団員の一人であった新垣典子は、現地滞在中の1956年10月9日付の『中
国青年報』への寄稿で、「沖縄の立法、司法、行政がすべて米軍の下に置かれ、
人民の自由や権利が躁躍され、財産権や言論の自由が保障できず、更に生存権
も保障できていません」としたうえで、「われわれの呼びかけは沖縄を日本に
返せ、ということです。この要求は、アメリカの統制から解放せよ、という怒
りです」と説明した。この思いは多くの沖縄住民にも共通のものであったろう
が、その解決策として、彼女は「われわれは、六億の中国の人民、 特に青年学
生と婦人と手を組んで、更に十億、二十億の全世界の人民と固く団結して、平
和のために戦っていこうと期待しています」と述べており、中国と結んで米国
を排除すべきであると主張していた。
さらに、団員たちのレポートには「この人民中国の考え方と、実践力の旺盛さ
には、まったく感嘆するものがあります。資本主義国家では、夢にも見られな
いようなことが、現にここでは、着々と実現されつつあるのです」、「まった
くうらやましい限りです」、「(長春の自動車工場では)社会主義国家におけ
る個人の優越性というもののあり方を事実を持って示されたようなおもいでし
た」、「これだけの製品を生産する中国、誰がなんと言うと世界の一等国でしょ
う。この国を、国家として認めていない国があるなんて嘘のようです。日本も
そのバカな国の一つと思うと、全くなさけなくなってきます」、 「十五年日々
の流れを知らない、日本の一部のものの非常識さが、笑われるでしょう」など
の文章が並んでいた。
そして、そうした中国の官製プロパガンダそのものの内容が“(一般の日本人
には実地での検証不可能な)貴重な体験”として日本人によって拡散されてい
くことで、中国にとっての“良心的日本人”を増産する結果となったのはいう
までもない。
1965年の青年友好大交流は、1956年に始まる青年交流の集大成として、同年8
月と同年11月の2回に分けて、過去最大規模、約500人の日本人青年を中国に招
き、各地を訪問させて中国側と交流させるだけでなく、毛沢東や周恩来とも直
接会見させるなど“熱烈歓迎”させることで、参加者を、日本人の対中イメー
ジを改善させるとともに、日本国内の反米勢力を鼓舞するための先兵にしよう
という工作だった。
“団結する両国青年”の切手には、赤旗を振る中国人青年と鉢巻・たすき姿の
日本人青年が手を組んだ背景に、「中国と日本の人々は団結する 集団殺害と
米帝国主義に反対 中国と日本の青年は団結する」とのスローガンが書き込ま
れている。また、日本人青年のたすきには「沖縄をかえせ!」の文言も入って
いるが、これは、当時、復帰協の集会やデモなどでさかんに歌われていた「沖
縄を返せ」のイメージを投影したものかもしれない。
「沖縄を返せ」は、もともと、全司法福岡高裁支部のうたごえサークルが作詞
作曲し、1956年9月に大分で開催された“第4回九州のうたごえ” の創作コン
クールの大衆投票で第1位に選ばれた楽曲である。
1950−60年代の日本では、「歌ってマルクス、踊ってレーニン」のキャッチコ
ピーなどと共に、労働運動や学生運動と結びついた“うたごえ運動”が盛んだっ
た。その拠点となったのは、店内では、リーダーの音頭のもと、ピアノやアコー
ディオンなどの楽器の伴奏で、店内の客が一緒に歌を歌うスタイルの“歌声喫
茶”で、東京・新宿の“灯”や“カチューシャ”などが有名だった。歌われる
歌はロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲などで、進学や就職な
どで単身東京に移住してきた青年男女の出会いの場となると同時に、左派系の
運動のオルグの場となっていた。
「沖縄を返せ」は、そうした歌声喫茶、うたごえ運動で歌うための楽曲として
作られたが、当初の曲調は「(イタリア映画の)『自転車泥棒』の主題歌に似
ていて暗い」と主催者から評されたため、三井三池炭鉱の反合理化闘争を舞台
に「がんばろう」を作詞作曲したことで知られる荒木栄によって新たなメロディー
が作られ、行進曲風の楽曲に仕上がった。
折しも、1956年末に日本共産党系の沖縄人民党の代表、瀬長亀次郎が那覇市
長に当選したことをうけ、1957年1月、鹿児島から東京まで、「沖縄を返せ」
を歌いながらの1500キロのデモ行進が行われ、「沖縄を返せ」は大きな反響を
呼んだ。それから間もなく「沖縄を返せ」は沖縄にも持ち込まれ、沖縄復帰・
反米反戦運動のテーマ曲のような存在となった。
したがって、“団結する両国青年”の切手で肩を組む両国の青年の姿は、2
人がともに「沖縄を返せ」を歌い、反米の連帯を深めているイメージに重ねっ
てくる。
なお、日中青年友好大交流の切手が発行されて間もない1965年9月2日、中
国郵政は“ヴェトナム人民の闘争支持”の切手を発行し、翌3日には“抗日戦
争勝利20周年”の切手を立て続けに発行した。特に、“ヴェトナム人民の闘争
支持”のうち、“闘争支持の世界人民”と題された1枚には、日本人と思しき鉢
巻にメガネの男性(左から3番目)が描かれている。
https://blog-imgs-152.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20220925065240e75.jpg
これらの切手を並べてみると、日本国民を“帝国主義者・軍国主義者”と“
友好人士”に分割したうえで、友好人士に対して「帝国主義者・軍国主義者
(米国と佐藤内閣)を打倒し、沖縄とヴェトナムを米軍から解放しよう」との
大義名分で連帯を呼びかけ、対日工作を有利に進めていこうという中国のプロ
パガンダ戦略が明確に浮かび上がってくる。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作、「本当は恐ろしい!こわい切手」ビジネス社 電子書籍で「切手と戦
争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
以前からテレビニュースの放映時間帯にテレピの前にいることができずに、長
期間テレビを見ないことがよくあった。しかし最近youtubeやNHK+などの動画
サイトを使うと時間をずらして見ることができると気がついた。
テレビをネットで見るなんてアホじゃないかと思っていたのに、私もアホの仲
間入りである。
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★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第79回「野球史の本を読む」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第159回 ぼくも幽霊を見ない
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 「差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである」
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第4回 偉大さへの自信は火薬とともに
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■ 「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第79回「野球史の本を読む」
こんにちは。
まだまだ残暑が厳しいですが、みなさまにはいかがお過ごしでしょうか。
当方、このところむやみと忙しく、また加齢に伴う体力の低下もあって、まと
まった時間を記事執筆に割けませんで失礼をしております。
さて今回は、学生の夏季休業中に読んだ本のご紹介です。
学生就業中は講義の準備と、講義への質問に対する回答を作成するのと、期末
試験やレポートを読んで成績を付けるのとで、これまた読書に割くためのまと
まった時間が取れず、しかもわたしの読む/読みたい本はわたしの専門分野
(図書館情報学)の本ではない、という(苦笑)。わたしにとって専門分野の
本は、今や通読するものではなく、何らかの事情で必要な箇所を拾い読みする
ものになっており、しかも専門分野については「わたしの意見」というものが
あって、通読するのが苦痛になってしまうような本もあります。『公共図書館
が消滅する日』や『前川恒雄と滋賀県立図書館の時代』などは読み通すのが辛
かった本ですが、それでもそのときの調査研究や興味関心に役立つところを取
るために読み切るわけです(その成果は以前、この連載で紹介しました)。
でもって、前期の採点が終わって後期の講義が始まるまでの間の、学生の夏季
休業期間中が読みたい本を集中的に読む機会ということに現状はなっています。
今年は何となく『私はヒトラーの秘書だった』(トラウデル・ユンゲ著/
高島市子、足立ラーベ加代訳/草思社文庫/2020)など読んでましたが、そのあ
とは何が引っかかったのかは忘れてしまったのですが、近代日本の野球史に関
する本を読んでいました。この方面は、中学生の頃に当時通っていた市立図書
館に揃っていた『真説日本野球史』(大和球士著/ベースボール・マガジン社)
を読んで以来、目についた本を拾い読みしています(ただし暴露系のものは読
まない)。
今シーズンは、まず『紀元2600年の満州リーグ』(坂本邦夫著/岩波書店/2020)
から。350ページを超える本ですが,1940年の満洲での職業野球リーグ戦の開
催については200ページを超えたあたりからようやく出てきます。しかも50ペ
ージほどしか取り上げられていません。
この本で取り上げられているのは、職業野球の真の草創期から奮闘した河野安
通志と孫孝俊のふたりの野球人です。詳しくは本書を読んでいただきたいわけ
ですが,1940年の満洲遠征がこの本のクライマックスかと言うと、少々疑問で
す。著者の関心のとっかかりがそれだったのはともかく,職業野球の真の草創
期(大正年間の日本運動協会・宝塚野球協会)と満洲での日本野球(適当な表
現が思いつかないので仮にこう言う)の歴史にページを多く割いている本なの
で,タイトルはもう少し考えたほうがよかったかもしれません。
河野安通志については以前読んだ『幻の東京カッブス』(小川勝著/
毎日新聞社/1996)という本もあって、河野安通志の戦中戦後の奮闘ぶりを伝
えてくれます。
『紀元2600年の満州リーグ』からの派生で何の気なしに読み始めたものが
『学生野球憲章とはなにか』(中村哲也著/青弓社/2010)です。2010年の刊行
ですが、購入したのは2,3年前のことだったと記憶してます。『紀元2600年の
満州リーグ』もそうですが、我が家の本棚でしばらく積読状態になっていまし
た(すみません)。
こちらは「日本学生野球憲章」が野球界の自治を求めて関係者が苦心した様が
紹介されています。これを読みながら、この戦後すぐの「日本学生野球憲章」
の制定を廻るドタバタぶりは、同じ頃に「図書館の自由に関する宣言」の制定
をめぐって図書館業界で繰り広げられていた論争に似てなくもないなあ、と感
じたのは望外の収穫でした。「図書館の自由に関する宣言」に関する業界内の
言説では、なかなか他の業界における自主的な憲章の制定を巡る議論との比較
に触れたものが管見の限り見当たらないので。
なおこちらの著者はわたしより若い方なので、2010年以降の「日本学生野球憲
章」をめぐる動き(「プロ志望届」など制度の変化)を追加した増補版を出し
てほしいところです。
さて、後期の講義も始まったので、また図書館情報学の拾い読みに戻ります。
冬季休業でも他分野の本を一冊でも読み込んでいきたいところですが、さてど
うでしょうか。
では、また次回。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第159回 ぼくも幽霊を見ない
人って、どうして幽霊に惹かれるのだろう。夏になるときまって怪談話を収
めた新しい本が出る。暑いからね、背筋をゾッとさせてひんやりと過ごそうと
いうわけかな。と思ったら、どうやらそういうわけではないらしい。
夏と怪談話の関係を検索してみたら、国学院大学のサイトにくわしい解説が
出ていた。夏が怪談の季節となったのは、国文学者の折口信夫によると、歌舞
伎が夏に、幽霊が出る恐ろしい演目を上演したからだという。それは農村で行
われていた民俗芸能「盆狂言」の伝統を受け継いだものであるらしい。
お盆はあの世から霊魂が帰ってくるとされて、家々では、迎え火などをして
祖先の霊魂を迎える。そのとき祖先の霊だけでなく、無縁仏や、怨霊も帰って
くると考えられていて、盆狂言はそのような浮かばれぬ死霊の苦しみと成仏を
演じる、鎮魂の芸能だった。日本にはこの「お盆」の行事があるため、祖先の
霊魂を招き、また怨霊の無念を語る季節でもあった。日本の夏は、怪談の季節
でもあったという。
なるほど外国では、夏はとくに怪談を語る季節ではないのかな。
我が家ではお盆をすることはなかったので、迎え火や送り火のことは大人に
なるまで知らなかった。道端にナスとキュウリに割り箸などで脚をつけてある
のを見て不思議に思っていた。お盆はやらなかったけれど、夏にこわい話を聞
くのは好きだった。いや、夏に限らず怖い話を聞くのは好きで、今でも怪奇現
象の話題があると、ついつい耳をそばだててしまう。
今年も数冊、怪談や怪異現象を書いた本を買った。なかでも面白かったのが、
『私は幽霊を見ない』(藤野可織 著 角川文庫)だった。小説家の藤野可織
が怪談雑誌の連載企画をきっかけに始めた怪談収集をまとめたものだ。
この本、いわゆる怪談集とちがうのは、作者・藤野可織がホラー映画好きで
あり、幽霊を見たいという希望があるものの、いままで幽霊を見たことがない
ところだと思う。というか、幽霊を見る才能がないらしい。目が悪いし、心霊
を見る力もない。だから「もしかしたらあれは」と疑惑の湧いたためしもない、
という。
つまり「幽霊を見たことがない」人が書いた怪談集なのだ。ことさらに読者
をゾッとさせたり、こわがらせるために書かれていない。取材したことを感想
を交えながら淡々と書いている。かなり恐ろしい内容であっても、読んでいる
と「ああ、そんなこともあるのか」と感心したり「こんな経験、ぼくもしたな
あ」と思うものの、あまりにこわくて夜、眠れなくなることはなかった。作者
は「いつでもどこでも怖がっている」という怖がりらしいが、ぼくもかなりの
こわがりで、いまでも髪の毛を洗うとき、いやな気配を感じて目がつぶれなく
なることがある。
まず自分の小学生時代にあった話から始まる。築120年の校舎にあった女子
トイレには午後四時に忽然と出現する「四時ばばあ」がいたそうだ。トイレの
花子さんではなく、四時ばばあ。のちに「女子トイレにばかり得体の知れない
ものが出るのは不公平」という風潮が高まり、午後5時に現れる「五時じじい」
のうわさが流れたという。こわいのだけど、クスッと笑える話も多い。友達の
友達のお姉さんがイギリスに旅行して古城を改装したホテルに宿泊した。その
夜、胸苦しくて目覚めると、自分の胸の上に金髪の白人女性がのしかかってい
た。なにかをまくしたてながら首を絞めてきた。幽霊がいったい何を言ってい
たかは英語だったから、ぜんぜんわからなかった。状況を考えるとかなりこわ
いけれど、せっかく化けて出たのに相手が英語がわからなくて、言いたいこと
を理解してもらえない幽霊がかわいそう、と藤野可織は書いている。そして
「化けて出るくらいに言いたいことがあったとしても、生きているときと同様、
そう簡単に他人様に伝わることはないのだと思うと、体の中の心棒をえぐりと
られるみたいに怖い」という。この感性がこの本がただの怪談話集でないこと
を教えてくれる。
友人、編集者、教えている大学の学生たち、タクシーの運転手とつぎつぎに
「怖い話、幽霊の話」を機会さえあれば聞いてまわる。
新潮社の宿泊施設に泊まったときは「三島由紀夫の幽霊が出るのでは」と期
待したり、イベントで訪れた徳島では心霊スポットとして有名な廃墟ホテルま
で幽霊探しに出かけたり、とにかく積極的に幽霊をさがしに行く。幽霊に会お
うとどこに行こうと結局、会えない。それでも幽霊には会えないが不思議な体
験はするし、怪奇な体験話はたくさん聞くことが出来る。
そうだ、小さいころから、幽霊よりお恐ろしいと感じていたことがあった。
そのことを思い出させるエピソードが書いてあった。
仕事でたまたま同席した関さんという人の話だ。シネコンで映画『ダークナ
イト』を見ようと席についてみると、スクリーンに映されたのは『ローマの休
日』だった。はじめはシアターを間違えたかと思い、チケットを確認するが、
どう考えてもそうではない。シアターを出てスタッフに問い合わせると、いま
自分が出てきたシアターで間違えなかった。もう一度、シアターに入ると
『ダークナイト』が始まっていた。映画が終わってからチケット売り場で確認
するとシネコンのどのシアターでも『ローマの休日』は見当たらなかった。
幼いころ、自分が異次元の世界に迷いこんでしまう想像をして泣きそうな気
持ちになっていた。じつはこの話がいちばんゾッとしたかもしれない。ひとり
だけ異次元の世界に行くなんて、いやだなあ、いまでも恐ろしい。
ぼくが経験した話を書こう。この本には、友人の奥山という人が寝ていると
き吠えるという話があった。「犬みたいに。それか、狼の遠吠えのように」と。
ずいぶん前のことだが、法事があったため、ぼくは父といっしょに関西に旅
行をした。奈良市にあるセミナーハウスという大学関係者が使う施設に宿泊し
た。それほど古い建物ではなく、部屋にはシングルベッドがふたつ並んでいた。
夜中近くになって、ぼくは胸のあたりが重たくなったような気がして目を覚ま
した。あおむけに寝ていて、目を開けると天井が見えた。トトトトトッ、足元
から胸のほうまでなにかが走った。たしかに、ぼくの体を踏む感覚があった。
その足の大きさは、幼児のようでもあるし、小型犬のようでもあった。耳元で
何か囁かれたような気もする。あわてて起きあがろうとしても、金縛りにあっ
て身動きができなくなった。なぜか両手を頭のほうへ持っていって万歳してい
る。だが、そのままかたまったままで自由に動かせない。ぼくは必死にとなり
のベッドに寝ている父に助けを求めようと叫んだ。すると、父が起きて、ぼく
を揺り起こした。
「どうしたんだ、おまえ、いま、遠吠えをしていたぞ」父が心配そうにぼくを
のぞきこんでいた。ぼくは「助けて」とか「やめろ」と叫んだつもりだったの
だが、父には狼の遠吠えのようにしか聞こえなかったという。
いまでも、たまに悪夢を見て、遠吠えをしているらしい。
「幽霊とは、生きているときに上げられなかった声だ」と藤野可織はいう。だ
とすると、狼は遠吠えでなにを伝えようとしているんだろう?
ぼくの世代が幽霊の話をするときと時代はずいぶん変わっている。いまはコ
ンピュータ、i-phoneなどを駆使するデジタルの時代だ。それでも幽霊たちは
昔ながらのすがたで人の前に現れる。
ぼくも幽霊を見ない。幽霊が人の脳内で存在するものか、ただ見えないだけ
で実際に存在するものか、もしくは、ぼくたちが住む世界と異なる世界から来
るものかはわからない。ぼくは、幽霊がいてくれるといいな、と思っている。
こわがりのぼくだから、会いたいような、会いたくないような気持ちなのだが、
きっとこれからもだれかの怪談に耳をすませるにちがいない。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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差別発言を指摘されると「そんなつもりではなかった。」と謝罪しているの
を見かけたりします。もちろん悪意で差別発言を振りまく最低な輩もいます。
しかし実際はどういう意図でそうした発言をしたかは関係ないんですよね。な
ぜなら「差別はたいてい悪意のない人がする」のですから。
『差別はたいてい悪意のない人がする』、キム・ジヘ著/尹怡景訳、
大月書店、2021
著者は韓国の大学で差別論や人権を中心に研究する教授です。と書くと、差
別することとは縁遠い存在に思えます。しかし本書のプロローグには、著者の
苦い経験が記されています。
あるヘイト表現に関するシンポジウムに出席した著者は、何事も考えすぎて
決定を下すことのできない状況を表すのに「決定障害」という表現を用い発言
をしました。それは本人にとって全く何気ない発言だったでしょう。
しかしシンポジウムの後で、ある人になぜ決定障害という言葉を使ったのか
という質問を受けます。なぜヘイト表現を巡るシンポジウムで「障害」という
言葉を用いたのかということを問う質問でした。
著者はこれを聞いてそれの何が問題なのか、と感じつつも、障害者の人権運
動をしている知り合いから「障害」という言葉によって、いかに障害者が差別
され傷つけられてきたかを知ることになります。
差別についてよく知っている人でも、知らず知らずのうちに差別的な言動を
とってしまうことがある、このエピソードはそれをよく示しています。
「差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである、固定観念を持つこと
も、他の集団に敵愾心を持つことも、きわめて容易なことだ。だれかを差別し
ない可能性なんて、実はほとんど存在しない。」(p,65)
著者もこう書いているように、差別というものは差別主義的な言動を繰り返
す輩がするものだけではなくて、そのへんにありふれたものなのです。
そして差別される側だからといって、差別をする側に回らないとも限りませ
ん。
韓国では女性は男性に比べて社会活動・賃金その他で差別されている(日本
も同様ですが)状況にあるのですが、済州島にイエメン難民を迎え入れる件に
ついては、男性より女性のほうが多く反対に回ったといいます。これはイエメ
ン移民という集団(特に男性)に対するステレオタイプな偏見によるものでした。
個人はさまざまな属性を持っていますので、ある属性としてはマジョリティ
でも、別の属性ではマイノリティだったりします。
そもそもこの社会自体がマジョリティにとって都合のいい社会であることは
論を俟ちません。マジョリティは「特権」を持っていると本書では表現されて
います。
マジョリティは「特権」という下駄をはかされていると言われても、納得し
ない人もいるかもしれません。曰く自分は実力で有利な立場を勝ち取ったのだ
と。
しかし著者はこうした考えかたの根底にある新自由主義的な考え方も批判し
ます。人は能力によって評価されるべきという能力主義や、努力すれば必ず報
われるはずだという公正世界仮説といったものも批判しています。
そもそもどういう能力が評価されるのかも、どれだけ努力する機会に恵まれ
ているのかもマジョリティに有利なしくみになっているのですから。
「私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を、『差別され
ないための努力』から『差別しないための努力』に変えるのだ。」(p,202)と
いう言葉はとても肯けます。
というわけで「私たちは疑問を持ち続ける必要がある。世の中はほんとうに
平等なのか。私の人生はほんとうに差別と無関係なのか。視野を広げるための
考察は、すべての人に必要」(p,85)なのです。
今回は引用が多くなりましたが、本書は随所に機知に富んだ言葉で、私たち
がどれだけ差別というものに搦めとられているかを明らかにしていきます。そ
してなぜ差別をしてしまうのか、なぜ差別に気が付かない(付けない)のか、こ
れからどうしていくべきなのかについて平易に解説しています。
本書を読めば差別というものが、空気のように私たちを覆っていることがわ
かります。おそらくそれと無縁に生きていくことはほぼ不可能でしょう。それ
でも誰かに「それは差別じゃないか」と指摘されたら、立ち止まって考えて常
に意識をアップデートしていける人間になりたいものです。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第4回 偉大さへの自信は火薬とともに
偏屈者のマグリット
リンゴは私が魔法で生み出した
シュルレアリスムであるのは私なのか
それとも彼が描こうとしたピエロなのか
これはパイプではない
顔の上の鳩は飛び去らない
中国で最もよく使われているSNSは微信である。微信には「朋友圏」という機
能がある。LINEのVOOMのようなものである。公式アカウントの情報に加えて、
友人が投稿した写真や動画や文章を見ることができる機能だ。仕事で必要なの
で、私の微信に登録されている「友人」はかなりの数に上る。性別を問わず、
学生から70代まで、大陸の北から南、東から西まで、ヴァラエティに富んでい
る。もちろん全ての「友人」が友人であるわけではない。顔と名前が一致して
いる人数は、10分の1くらいであろう。
「友人」たちが「朋友圏」に投稿する内容は種々雑多である。政治から芸能ま
で、恋愛相談から人文科学の未来に至るまで、見事なほどに統一されていない。
そんな「朋友圏」であるが、まれに話題が千篇一律になることがある。
2022年7月6日、「朋友圏」の話題が久しぶりに統一された。同じミュージック
・ビデオが「朋友圏」を彩った。周傑倫Jay Chouの「最偉大的作品」のMVであ
る。中国語圏のKing of Popのニューアルバムは6年ぶり。その先行シングル。
インパクトは大きい。周傑倫の支持層の中心と言われる80年代生まれや90年代
生まれはもちろんのこと、2000年以降に生まれた学生までもが、そのMVをアッ
プロードしていた。
私が「朋友圏」から得た印象は決して的外れなものではなかった。「最偉大的
作品」は配信が始まって1分でアクセス数は7万件を超え、1時間で430万件超と
なったという。7月15日から売り出された同名のアルバムは、デジタル配信と
CD合わせて、あっという間に500万枚を超えるセールスを記録した。
私は早速「最偉大的作品」のMVにアクセスした。多才な周傑倫がみずから監督
したというMVは、英語名のGreatest Works of Artを裏切らず、偉大な芸術家
が次から次へと登場するとても豪華なものだった。
最初の舞台は1870年にできたパリの老舗百貨店であるサマリテーヌ。典雅な空
間の中二階に置かれた典雅なピアノで周傑倫が典雅なアルペジオを奏で始める
と、周傑倫はお付きとともに1920年代のパリにタイムスリップする。そこでま
ず周傑倫が出会うのが、キャンバスを前に試行錯誤するシュルレアリストの
ルネ・マグリット。マグリットが顔に付けていたピエロの赤い鼻を受け取った
周傑倫は、魔術を駆使してそれを青リンゴに変え、マグリットに手渡す。代表
作《人の子》のインスピレーションをもたらしたのは、何と周傑倫だった!
フランソワ・クープランなどの18世紀フランスのバロック音楽を想起させるア
ルペジオから始まる「最偉大的作品」は、タイムスリップとともにヒッポホッ
プ風のリズムが響き、ラップ調で歌われる歌詞が重ねられていく。合間には中
国を代表するクラシックのピアニスト郎朗(ランラン)との共演もある。多様
なジャンルがコラージュされた楽曲であるが、メロディーはあくまでもロマン
ティックである。
マグリットに続いて登場するのはサルヴァドール・ダリ。そして日本でいえば
藤田嗣治に相当する画家の常玉とのエピソードが続き、クロード・モネのお出
ましとなる。最後の舞台はモディリアーニや藤田嗣治が集ったことで知られる
老舗カフェのラ・ロトンド。そこで周傑倫は詩人の徐志摩に魔術を見せ、お付
きとともに再び現代へとタイムスリップする。
MVと歌詞によれば、マグリットのリンゴだけでなく、ダリが《記憶の固執》な
どで描くことになる曲がった時計のアイディアを授けたのも、モネに睡蓮の素
晴らしさを気づかせたのも、全て周傑倫の魔術である。偉大な芸術作品の起源
には周傑倫が存在する。中華民族の魔術こそが「最偉大的作品」を生み出した。
MVを見て私が感じ取ったのは、そんなメッセージだった。
事実、周傑倫が壁に描かれた中国風の睡蓮をモネに見せている場面について、
中国大陸のあるブロガーは、こう述べていた。「ここには周傑倫の中華の芸術
文化に対しての自信が表れている。現在多くの中国人は中国の文化への自信を
欠いているが、そうした中国人こそ周傑倫を見習わなければならない」。
そう、周傑倫はもちろん、郎朗も自信に満ち溢れていた。パリの洗練も何のそ
の、フランスの伝統文化に気後れした姿などいっさい見せることなく、中華民
族としての自信を見事に体現していた。私の眼に「最偉大的作品」とそのMVは、
中国の「文化自信」に満ち満ちたものとして映じた。
現在の指導部になって以来、中国では「中華民族の文化の自信」が折に触れて
声高に唱えられるようになった。中華民族である限り、みずからの「文化」を
尊重し、「自信」を持たなくてはならない。それが国家の方針となった。それ
でも私が中国で働くようになった当初、2015年頃は、外来文化を受け容れる寛
容さが見られ、クリスマスの時期には大学のキャンパスにもクリスマスツリー
が飾られて、クリスマス気分を味わうことができた。しかし「文化自信」がま
すます重視されるようになり、2017年にはもう大学でクリスマスを祝うことは
できなくなってしまった。欧米からやって来た外国籍教師の中には、「クリス
マスを味わえないところでは過ごせない」と言って帰国して行った人もいた。
周傑倫の「最偉大的作品」は私に、もうひとつの「文化自信」を思い起こさせ
た。昨年上海の浦東美術館で開催された蔡國強の「運行与帰来」展である。壮
大なインスタレーションで知られる現代美術家の蔡國強は、また“火薬の芸術
家”との異名を持つ。たとえば蔡は火薬を用いて、西洋の美術史で重要な作品
の模造品などを爆破する。その行為は、偶然性を最大限に尊重した現代美術の
実践としてみなし得る。だが同時に、中国文化を象徴する火薬によって、西洋
の美術史を脱構築し中国の色に染め上げ、中国の臭いをまといつかせる所作と
も解釈できよう。「運行与帰来」展を見て私は、日本で蔡國強を見た時とは印
象がずいぶん異なることに驚かされた。大陸における蔡國強は、まぎれもなく
「文化自信」の体現者として顕現していた。
中華民族の「文化自信」はかくも強力である。たしかにその一因は国家や政府
の強権政治にある。しかしそれだけとはいえない。なぜなら周傑倫も蔡國強も、
中国政府の方針に無理やり従わなければならない存在ではないからだ。
福建省泉州出身の蔡國強は大学を卒業した後に来日して芸術活動に従事し、現
在はニューヨーク在住である。周傑倫は台湾新北市の出身で、現在はパリに居
を定めているらしい。「私は正しい民族主義者である」とは蔡國強の言葉であ
るが、それはまた周傑倫にも当てはまるだろう。韓国のファンに向けて韓国語
で一言と言われ、「自分は中国人であり、中国語で表現して来た、だから英語
も必要ない、中国人としての誇りとともに活動しているのだ」と述べたのは、
他ならぬ周傑倫だった。2人とも強制ではなく自発的な意志によって、民族の
「文化自信」を発信し続けているのである。
「文化自信」の求心力は国家や政府を超えたものとなっている。それを実感す
ることは、同じアジアに属し、漢字を使い、箸を使う文化を持つ日本人にとっ
ても不可能に近い。ましてやアメリカの下院議会議長は、そもそも理解しよう
とする気持ちすら持てなかったことだろう。だが中国を理解しようとするのな
ら、中華民族の「文化自信」が持つ求心力への理解は不可欠だ。
そうした求心力を知ろうとする時に忘れてはならないのは、一見すると求心的
な動きなのだが、実は遠心的な運動を内包している知性の存在である。「文化
自信」を言祝いでいるように見えるのだが、よくよく目を凝らすと、そこに教
条的な「文化自信」とのずれが含まれていて、はっとさせられる。そうした知
性と思いがけず出逢えるから中国は面白い。
「三か月と十日前、ことのほか晴れ渡ったある日の午後、父は私を家から追い
出した。陽の光がわが家のある路地を白一色に照らしていた。私は裸足のま
ま路地の外に向かって懸命に逃げた。路地の角まで走って、振り返ってみる
と、父が私のあとを追いかけてきていた。大柄な体躯が左右に揺れ、一方の
手は、かつて大陸での連隊長時代に使っていたピストルを絶え間なく揺り動
かしている。」
白先勇の『孽子』(陳正醒訳、国書刊行会)の冒頭である。「私」が逃げ込ん
だ「王国には闇夜があるだけで、白昼はない」。なぜならその王国は台北の新
公園の中に築かれた同性愛者の王国だからだ。白先勇の唯一の長篇『孽子』は
軍人だった父からの逃走であり、また長子によって受け継がれていく家から
の逃走であり、そして異性愛からの逃走である。LGBTにかかわる微信の公式ア
カウントが次から次へと閉鎖されている状況下にあって、1977年から連載が始
まったこの小説が、いまだに中国大陸でも読み得るのは救いである。
1963年に渡米しアメリカで学位を取得し、その後アイオワ大学で教鞭を取った
白先勇は、現在中華民族の文化の精髄を体現した文人として遇されている。崑
劇や『紅楼夢』の伝導者として、中国大陸でも確固とした地位を築いている。
しかし1937年生まれの白先勇は、教条的な「文化自信」などに還元し尽くされ
る単純な存在ではない。
同性愛者であるだけでない。漢族ではなく中国のムスリムである回族であるだ
けではない。生まれは広西省であるが、国民党の軍人であった父に連れられて、
上海から香港、そして台湾へと逃れた。教育を受けたのは台湾である。これら
だけでも十分に複雑なのだが、さらにその父というのが白崇禧と来る。国民党
随一の将軍であったにかかわらず蒋介石とは緊張関係にあった知性派の軍人で
あり、台湾移住後は蒋介石に疎まれ、功績に見合うような待遇は得られなかっ
たという。
すなわち白先勇は、大陸にとっても台湾にとっても、厄介な余計者となる可能
性を有していた。そうした白先勇の書く小説や評論が、単純な求心性には収ま
り切らない過剰で遠心的な運動をはらんでしまうのは当然である。
白先勇の短篇集『台北人』(山口守訳、国書刊行会)には、大陸から逃げて来
た台湾人のノスタルジーを甘美に描き出した短篇が収められている。大陸と台
湾のことを考えようとするのなら、まずは『台北人』を読まなくてはならない。
私はそう思っている。ちなみに短篇集の最後に置かれているのは、おそらく
父・白崇禧の葬儀に取材した佳品だ。物語られるのは李将軍の葬儀である。タ
イトルは「国葬」。国家が執り行う形式的な儀礼は、かつて李将軍の副官だっ
た老人の視点によって相対化されていく。その物語を読むのに、今の日本ほど
ふさわしい場所は他にはない。そう思うのは私だけではないはずだ。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されていな
い面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読ん
だり映画を見たりして過ごしています。
『孽子』(Nieh-tzu げっし)は、国書刊行会刊。「新しい台湾文学」
ISBN4336041342
『台北人』も同じシリーズです。ISBN4336045321
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■あとがき
台風で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。また、台湾の方々に
心からお見舞いを申し上げます。
また配信が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
急に涼しくなり秋がきました。読書の秋を迎え、今年は本のイベントが各地
で開催されそうです。不安な、不安定な日々は続きますが、どうぞ健やかな秋
になりますように。 畠中理恵子
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その75 『落窪物語』と三日夜の餅
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 「日本教育史」の中の「神道」
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その75 『落窪物語』と三日夜の餅
今回は、千年以上も前に書かれた物語の中の食べ物を見てみよう。この物語
の主な登場人物は、落窪というひどいあだ名をつけられた薄幸の姫と父親の中
納言と継母の北の方。姫のおつきの阿漕という名の女房(侍女のこと)。阿漕
の夫の惟成。彼は、落窪の姫の姉である三の君の婿の蔵人の少将の家来なのだ
が、乳兄弟にあたる少将道頼にも仕えている。
軽く粗筋を紹介すると、主人公は皇室の血を引く姫君で、母の死後父の中納
言に引き取られるのだが、継母の北の方が彼女を嫌って床が落ちくぼんだ部屋
に住まわせている。姫は箏(十三弦のお琴)の弾き手で、縫物の名手。それな
のに、着るものもろくに与えられず、母から譲られた道具類も何かといえば北
の方に取られてしまい、何もない寒い部屋で震えている。北の方は、女房の阿
漕までも姫から引き離そうと自分の三番目の娘三の君に仕えさせるのだが、阿
漕はがんばって両方の仕事をこなしている。
この頃は通い婚が当たり前で、例えば身分の低い惟成も阿漕の部屋に通う形
で結婚している。身分の高い家の結婚はたいてい政略結婚で、婿入り婚が基本
だ。家柄もよく出世しそうな婿を迎えて、娘の親たちが衣食住すべての面倒を
見る。その中でも、婿の衣装を素晴らしく仕立てて宮中に送り出すのが、娘の
家の重要な仕事となっている。そこで落窪の姫はお針子のように扱われて、ひ
たすら縫物をさせられている。そんな境遇から早く抜け出させてあげようと、
阿漕は姫のすばらしさを知った男性が、姫を盗み出し正室として迎えてくれる
ことを夢見ている。阿漕の夫惟成の乳兄弟の裕福で独身の少将道頼が、噂を聞
いて姫に関心を持つ。最初は相手を軽く見て恋の冒険ぐらいのつもりで手紙を
送っていたのだが、いっこう返事がないので、中納言の一家が石山詣でで留守
のある日、姫の部屋に入り込んでしまう。姫は情けなくて泣くばかり。でも道
頼はそんな姫に夢中になっていく。そして次の日もその次の日も訪れ、三日通
ったことから結婚が成立する。けれどその二日後、貴公子が通っているのを知
った北の方は、姫にまともな結婚をさせるわけにはいかないと、物置部屋に閉
じ込めてしまうのだ。そして、あろうことか自分の年老いた叔父の典薬の助に、
姫を襲い無理やり結婚するようそそのかす。その危機を阿漕と姫が力を合わせ
てうまく切り抜け、家の者たちが賀茂の祭りで留守の間に、道頼がまんまと姫
を連れ出すことに成功する。姫は道頼の持っていた二条の家に住むことになる。
やがてこのことを知った道頼の母や妹たちにも認められ、幸福な生活を送るこ
ととなる。ここまでが第一部。そして第二部は、あまりに姫につらく当たった
北の方に対し、道頼が様々な復讐をするという話になっていく。
それはさておき、この第一部の一巻から二巻にかけての面白さというのは、
いかに姫と道頼との結婚を成立させるかというところにある。正式な結婚は、
男が女のもとに三日通った後に「三日夜の餅」を食べ、「所顕し」という披露
宴を行ってはじめて成立する。それをこっそりと、けれど正式に成立させるた
めに、いかに阿漕が知恵を働かせたかが見どころなのだ。そして、この物語、
具体的においしそうなものが出てくるのはこの場面だけなので、ここを中心に
見ていきたい。
さて、道頼が姫のもとに忍びこめたのは、石山詣に一家全員、老いも若きも
お供をして出かけたからだった。最初の夜に、家具も何もない部屋で、袴も着
物もひどいものしか身につけていない姿を見られたと嘆く姫を助けるために、
次の日、阿漕は富裕な暮らしをしている叔母に手紙を書き、家具を貸してもら
おうとする。阿漕を可愛がっている叔母は、すぐに几帳や家具や、仕立てたば
かりの着物までも届けてくれる。阿漕はその着物と自分の新しめの袴に、少し
ばかり持っていた香を焚き染めて姫に差し上げる。その後すぐに道頼はやって
来るのだが、人並みの格好を身につけられた姫は、やっと受け答えをするよう
になり、二人はめでたく語り合ってその夜を過ごすのだ。
翌朝、何かおもてなしをしなければならないと、阿漕は必死になって支度に
駆けまわる。朝の洗面用の手水の道具は留守の三宮のものを借り、食べ物は仲
のいい台所の下仕えの人に、夫の友人が来ているのと嘘を言って分けてもらう。
まずはお酒を瓶子にとくとくと入れ、「ひきぼし」(海草などを日光でかわか
したもの)などの肴を、<紙に取り分けて、炭取りに入れて、ひき隠して持て
いきて>、自分つきの下女に「御粥いとよくして持て来」と言って粥を作らせ
る。これができたのは、一家が石山詣でから帰ったら精進落としの大盤振る舞
いが行われるので、ちょっとやそっとでは北の方にばれないだろうと思ったか
らとある。なかなかちゃっかりした人なのだ。そして、きちんとした服装に着
替えて美しく化粧をして、そのお膳を差し上げにお部屋に行く。その姿は<い
とおかしげなる>と夫の惟成もうっとり見送るほどだ。こうして、きちんと、
手水やお粥を差し上げられて、姫もほっとして、道頼が帰るのを見送る。
さて、ここからが本番だ。三日目の夜、結婚を成立させるためには、男に
「三日夜の餅」を食べさせなければならない。またまた阿漕は大活躍する。叔
母に手紙を書き手水の道具の盥(たらい)や半挿(柄のある片口の水瓶)を借
りたいと書き、さらに餅も欲しいと言う。阿漕を養女にしたかったという叔母
は不思議がりながら、
「昨日の道具も盥などもすべて差し上げます。お餅は後から届けます。」
と言ってくれる。それどころか、
「今の私は、受領というお金持ちの妻なのだから頼ってね」
と請け負ってくれるのだ。そういうだけあって、お餅を載せる台盤もその他の
道具もとても美しいものが来る。そして、白米やらお菓子や栗なども餌袋にど
っさり入れて送ってよこしてくれた。でも肝心のお餅は!!!と阿漕がやきも
きしていると、大雨の中、男たちが朴の櫃に入ったお餅を届けてきた。草餅が
二種類、普通の餅が二種類、小ぶりに体裁よくしたものがいろいろあったとい
う。叔母は、
「お餅が必要なんてだれかが結婚するのかしら」
と言ってよこしたので、なんとなく感づいていたのかもしれない。
実は私は長い間、この三日夜の餅は火鉢であぶって食べるのかなと思ってい
たのだが、つき立てだから生で食べるものらしい。とても小さいもので大きさ
は碁石ほどで、白一色が正式だという。というのは、この餅は、噛み切らずに
食べるという作法があるからだ。どんなに小さくても、お餅はのどに詰まりそ
うで大変だと思うのだが。
ところが、こうやって準備万端整ったのに外は豪雨、道頼は行けそうもない
という手紙をよこす。惟成からも
「仕方ないから俺一人だけ行くよ」
という手紙が来たので、阿漕はかんかんになって、
「少将は薄情だし、あんたは何が楽しくて一人で来るつもりなのよ」
と、返事を書く。この阿漕のお怒りの手紙はかなり効果的だったらしい。道頼
もこの手紙も読んで、新婚三日目なんだと改めて気づくし、惟成は、とにかく
なだめに行こうと雨の中を出て行こうとする。それを見て道頼も腰を上げ、一
緒に大傘をさして歩いて出かける。道中、衛門督の先払いの雑色(巡査)たち
に怪しまれて、牛糞の上に突き飛ばされるという騒動の後、やっと二人はたど
りつくのだ。
ここでようやく、阿漕が用意した餅が差し出される。
「餅にこそあめれ、食ふやありとか。いかがする」
(三日夜の餅のようだね。食べ方があるらしいけれど、どうやるんだい)
と、道頼は言って作法をきく。この言葉で、三日夜餅の食べ方を知らない彼が
独身であることも証明されるし<いと実法に三つくひて>(まじめに三個とも
食べる)ことで、結婚は成立したのだった。
いと、めでたし。
この後、中納言の一家が石山詣でから帰ってきてしまい、道頼は部屋から出
られなくなるし、三の君の侍女として阿漕は追い使われるのだが、うまく台所
の下女に取り入って叔母からもらった白米と精進落としのご馳走を取り換えて、
姫と道頼に差し上げる。でも二人ともあまり食べないので、お下がりのものを
夫の惟成に<いと清げにして>(鍋においしそうに並べて)食べさせてあげる
と、惟成はすごいご馳走だと驚くのだった。どんなご馳走だったか書かれてい
ないので、今回はお粥とお餅だけしか味わえないのが残念だ。でも、この二つ
は今でも食べられるから、主人公の気持ちで味わえるのがうれしい。
作者不明のこの物語、男性作者の名もいくつか上がっているのだが女性説も
あり、私は絶対女性、しかも若くない女性が作者だと思っている。というのは、
北の方が姫の鏡箱を取り上げようとやって来たのを、道頼がこっそり几帳の陰
から見ていた場面で、道頼が北の方の口のあたりは可愛いなあと思うところが
あるからだ。普通、悪役を一瞬でも可愛いなんて書きはしない。もちろんその
後に、眉のあたりが老けていて底意地が悪そうとか、子供を産んだ人らしくそ
の後ろ髪が薄くなっているとか書かれてはいる。中年以上の女性は無視するの
が日本の男の常な気がするのだが、作者はきちんと北の方を描写していて、一
家の主婦としての苦労も書いている気がする。さらに、しっかり者の女房阿漕
が正装する場面で、夫の惟成が美人だなあと見送る場面を見ると、作者も宮仕
えをしていたか、または大きな家で女房として働いていた人ではないかと思え
るのだ。働く女性の美しさを知り、子育ての苦労の中で年を経ていく女性のつ
らさを知る人が書いたとしか思えないのだ。
さて、現代の漫画やライトノベルの基本みたいなこの話、継子いじめの典型
だとかシンデレラ物語の原型と言われているけれど、そんな陰気な感じはしな
い。悲しくて涙ぐんでばかりいるような姫君が、実は茶目っ気があって当意即
妙に返す場面があるし、道頼もすましていないでよく笑う。恋する者たちが、
阿漕や惟成も含めて、皆とても若々しくて楽しいのだ。姫を襲う仇役も年を取
りすぎて間が抜けていて、伊達の薄着でやって来てお腹を冷やして失敗したり
するところが妙にリアルでお下品な笑いをば誘うのだ。それ以外にもリアルな
描写や意外な場面がたくさんある。例えば物置に閉じ込められた姫に近づこう
と、阿漕が絹ずれのする上着をかなぐり捨て袴を引き上げて歩くところなどは、
あまり普通の物語では描かれないところだと思う。同じように、お伽話の何も
できないお姫様とは違って、この物語の主人公の姫は、自ら針を手に取って縫
物という仕事をする。しかも相手役の貴公子までもが、それを手伝うのだ。三
の君の婿の舞人の装束を縫わされている姫を手伝って、縫物の端を引っ張って
折り目をつける貴公子なんて、お伽話には絶対いない。
いろいろな人がそれぞれの視点でこの本の現代語訳を試みているのだが、近
刊では花形みつるさんが阿漕の視点からこの物語を描いていて、『枕草子』好
きの私としては、やっぱり女房が活躍する場面の方が面白いよねと思うのだ。
氷室冴子さんは、なんと北の方がお気に入りらしい。私も牛車争いでひどい目
にあわされたあげく、「懲りたか」と言われて、「懲りるものか」と言い返す
北の方にはあっぱれという気持ちになる。さらにあの田辺聖子さんは、復讐編
がお気に召さず、四の君の悲劇を優しい恋物語に書き換えている。そして絢爛
豪華な第四巻は、清少納言が書いたという説まであるらしい。最後の一行を読
むと、ニヤリとしながら、納得してしまう方も多いだろう。
何千年経とうととも、面白い物語は人々の心に残り続け、さらに物語る力を
与えるのだ。ぜひ、後半も読み進めてみてほしい。
三日夜の餅、この碁石大の白いお餅の魔力をためしてみたい方は、恋人の夜
のおつまみにご用意なさるといいかもしれない。末永く添い遂げられそうだ。
ただし、噛まずに食べるというお作法は、少々危険性もあるのでご用心を。
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『落窪物語』三谷栄一、三谷邦明 校注・訳 日本古典文学全集
小学館
『落窪物語』稲賀敬二 校注 新潮日本古典集成
『田辺聖子が語る かたりべ草子二 落窪物語』田辺聖子著 平凡社
『落窪物語』少年少女古典文学館3 氷室冴子著 講談社
『落窪物語 かわいそうな姫君と勇敢な侍女の友情と冒険』
花形みつる著 偕成社
『はじめての王朝文化辞典』川村裕子著 角川ソフィア文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』等
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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「日本教育史」の中の「神道」
たまたま八王子に行った際、ちょっと惹かれる古本屋さんを見つけて店先を
覗いてみたら、平凡社の東洋文庫『日本教育史1・2』が2冊セットで安く売
られていたので、なんとはなしに購入してみた。
冒頭に出てきたのは、いろいろな学問が過去にどのような興りで始まったの
か、という説明部分。その冒頭は「神道」だった。
第二篇(第二章)は「神代に起こり応神天皇十五年(紀元九百四十四年)に
訖(おわ)る」とあるから、まあ、言ってみれば記紀しか情報が無い時代。と
いうことで、イザナギ・イザナミの国生みから、神武天皇、崇神天皇の記述で
終わっている。
この章の他のカリキュラムは、医術、文学、音楽、武術、農業、工芸、とな
っていて、いわば実践的なものが学問として生まれてきたことがわかる。
これが第三篇(第三章)「応神天皇十六年(紀元九百四十五年)に起り持統
天皇七年(紀元三百五十六年)に訖(おわ)る」になると、文学、絵画、神道、
宗教、医術、暦学、算術、天文学、彫刻、陰陽道、兵学、音楽、蹴鞠、農業、
工業、商業と、一気にカリキュラムが増える。
ここでおや、と思ったのは、神道というと現在の我々は、何か宗教のひとつ、
くらいのイメージなのだが、少なくともこの本では、どうもそういう認識では
ないようだ。どちらかというと、政治というか、政体というか、歴史というか、
そういうものとして扱っているような印象である。
だから、例えば、第四篇「文武天皇元年(紀元千三百五十六年)に起り安徳
天皇寿永三年(紀元千八百四十四年)に訖る」では、このような記載から始ま
っている。
「神道は、神祇官の掌る所にして、神祇官を太政官の上に置き、毎に皇女をし
て伊勢大神宮に供事せしめ、国司の任所に赴く時、先ず部内の神社を拝し、其
他、百般の事、神祇を以て先とす。」
まあ、行ってみれば仕組みというかシステムというか、こういう制度にしま
した、というお話で、この後、神道は国教としながらも、仏教と混淆していく
よ、という記載になっている。で、何か国家的な問題が発生したときには、み
んな神道に戻ってくるよ、と書かれている。
どこまでが科学でどこまでがフィクションであるか、という問いかけは、実
はそんなに意味はなく、説明がつくかつかないか、ということが大事。実際に、
日本では神社も天皇も存在しており、そこにはいろいろな制度やルールがあっ
て、守られている。それがいつ興り、どう変化していったのか、ということが、
「神道」の項目で扱われているとすると、これはやはり宗教のひとつではなく、
「神道」というカテゴリの何か、と考えた方がいい。
印象としては、どこかこの「神道」というのは、日本古来のアニミズム感覚
のようなものとつながっているように思う。それを宗教のひとつと考えたり、
政治形態と混同してしまうことで、正しく認識ができなくなっているのが現代
の日本の普通の人の感覚なのかもしれない。
そもそも、人型の神が島を産むとか、実際の物理的世界の現実ではありえな
い話で、よしんば、何かそういうことを想起させる事件が起こっていたとして
も、現代の人類が起こる前の伝承が口伝となって伝わっているか、あるいは、
後世の誰かが生み出した物語であるはず。
こういうものを勝手にさらに解釈してしまうと、どんどん元の姿がわからな
くなってしまうので、敢えて解釈しないで後世に、「このように伝えらえてい
る」という事実として伝えていく。そういうものなのだと思う。
ちなみに、この神道の項目。最後は、明治時代に「古事類苑」の編纂が始ま
った、という記載で終わっている。
この「古事類苑」とは、いわば日本版の百科全書。今でもネット上で見るこ
とができるから、驚きである。
古事類苑全文データベース
https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/
現代の世の中に普通に生きている我々のような一般人は、明治維新や太平洋
戦争、そして敗戦と占領によって、時代が分断されているように思っているが、
実際には脈々と、古いしきたりやルールを守り続け、伝え続けている人たちも
いるのだと思う。
それがいいとか悪いとかではなく、そういうものをきちんと認めてあげるこ
とで、日本という国の自己理解が進むのではないか、そんなことを思った。
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★「漫画’70s主義〜オッサン目線な漫画の地平〜」/太郎吉野
→<151>「さすらい人」ってのに、なりたかった頃
★「日記をつけるように本の紹介を書く」/多呂さ
→第148回 ミステリーとは? 本格ミステリーとは?
★「いろんなひとに届けたい こどもの本」/林さかな
→132 思い出の重なり
★献本読者書評のコーナー
→書評を書きたい!という方は、まだまだ募集中
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■トピックス
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■今回の献本読者書評のコーナー
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この本の書評を書きたい!という皆様、詳細は巻末で!
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■「漫画’70s主義 〜オッサン目線な漫画の地平〜」/太郎吉野
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<151>「さすらい人」ってのに、なりたかった頃
先月、つげ義春の「旅もの」漫画を読み返しながら、ふと「あの頃」のこと
を思い出していた。
1970年代のトレンドは、「さすらい」と「漂泊」だったのだ。
笹沢佐保原作になる『木枯し紋次郎』は、「だ〜〜れかが〜〜、ど〜こかで
〜〜」と上条恒彦の歌う主題歌とともに、従来の講談的、あるいは演歌系の
「股旅もの時代劇」とは全く違うアメリカン・ニューシネマ風の演出で、空前
の大ヒット作となった。
上州無宿の「紋次郎」は、渡世人社会の一宿一飯という煩わしいしきたりを
嫌い、野宿を重ねながら一人街道を彷徨い、トラブルに巻き込まれては「あっ
しには、かかわりのねェこって」とニヒルに突き放していた。
16歳の少女が、新たな自分を発見するために家出をし、一人四国の遍路道を
経めぐる映画『旅の重さ』は、この映画がデビュー作だった高橋洋子の主演で
ヒットした。
高橋洋子はその後、朝ドラの主役を務めて人気を不動のものとしたが、文章
や小説もものして、「主張する女優」として名を馳せる。
毎週日曜には「し〜〜〜らな〜〜い〜ま〜〜〜ち〜〜で〜〜…」と、ジェリ
ー藤尾のテーマソングで始まる『遠くへ行きたい』というTVシリーズが放映さ
れ、週ごとに俳優やタレントが一人で、日本あちこちを訪ね歩いては、なんら
かの「出会い」や「発見」を探していた。
(…と、ちょっと気になって調べてみたら、『遠くへ行きたい』は、形を変え
ながらも、まだ放映が続いてるそうで、これは知らなかった、驚いた)
『紋次郎』も『旅の重さ』も『遠くへ行きたい』も、1970年頃から国鉄が始
めた大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」に乗っかったものだった、と
いうか、『遠くへ行きたい』は、元々、その国鉄がスポンサーで、番組自体が
『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンの一環だった。
京都の、古い町家の前に佇む墨染衣に編み笠という修行僧の隣に、最新のフ
ァッションに身を包んだ20代女子二人が並んでいて、その下にキャッチコピー
とともに「Discover Japan」というポスターは一世を風靡し、以後、同じよう
なコンセプトのポスターやCMが続々と作り出され、世の中は、空前の国内旅行
ブームとなる。
その「旅行」は、それ以前にあった、家族での観光旅行や団体での慰安旅行
と違って、少人数の気の合う仲間同士、あるいは一人で、従来の観光地ではな
い、つまり「手垢のついてない」土地を訪ねては、「なにかを発見する」ある
いは「何かと出会う」ことを誘うキャンペーンなのだった。
そして、これを後押ししたのが、1970年、71年と相次いで創刊された「アン
アン」「ノンノ」という女性ファッション誌だった。
この2誌は、創刊当初からファッション情報とともに、国内旅行の特集を積
極的に展開し、それまでは、一種「タブー視」されていた、女性だけのグルー
プ旅や一人旅を「当たり前」のものとした。
特集の誌面では、女性「だけ」の旅行がピックアップされてはいたが、その
「裏」には、彼氏との「二人旅」も、もちろん想定されていて、未婚の男女二
人の旅行、というタブーもまた、この時代に軽々と打ち破られた。
「アンアン」「ノンノ」の提案する旅行先は、斬新だった。
それまでの「観光」の定番であった温泉や名所旧跡には見向きもせず、地方
の小さな町の、昔の面影を色濃く残す街並み、あるいは街道筋の旧宿場町、あ
るいは人々の生活を昔からずっと支え続ける伝統的な市場、世俗的な観光地で
はなく、従来の「観光」では見向きもされなかったようなスポットへ、若い女
性を誘ったのである。
国鉄の「ディスカバー・ジャパン」も、同じ路線をとった。
具体的な地名を挙げると、金沢、飛騨高山、郡上八幡、萩、津和野、会津若
松、等々の「小京都」、八ヶ岳、軽井沢、那須などの「高原リゾート」、京都
の古い町家の並ぶ路地や神戸の異人館街など、大都市の中の「異空間」、が代
表的なものだった…と思うが、ほかにもあったかな?
今もあちこちに存在する「小京都」は、そのほぼすべてが、この時期に「発
掘」されたものである。
女子に負けじと、男子もまた、ごく少人数あるいは一人で、旅に出た。
男子に一番人気の旅先は「北海道」で、夏のシーズンになると、国鉄から青
函連絡船を乗り継いで、続々と函館に上陸する男たち…たいていは、薄汚れた
ジーパンに長髪、頭にはバンダナ巻いて、背中にはでかいリュックサック、と
いうスタイルで、彼らを称して「カニ族」と呼ばれた…のは、横長大型の登山
用リュックを背負ったうしろ姿が、蟹を彷彿させたゆえ。
彼らの移動手段は、たいていが徒歩あるいはヒッチハイクで、でかいリュッ
クは、宿がない場合の野宿あるいはキャンプに備えてのものだった。
ことほど左様に「さすらい」「漂泊」は、当時のトレンドで、カニ族たちは、
それを実地で実践しようと旅に出たのだが、60年代から70年代初期にかけての
「ヒッピーブーム」も、多分に影響してたと思う。
生涯を漂泊のうちに過ごした種田山頭火の俳句も、このころに再評価された。
遺稿集や句集が相次いで復刻、発売され、わしも、「山頭火句集」を1冊、こ
のころに買った。
「さすらい」「放浪」「流れ者」「旅人」といったフレーズが、文芸や映画
や漫画、メディアを問わず飛び交った。このブームの中につげ義春の「旅もの」
も含めていいかもしれないが、漫画では、「ビッグコミック」で連載していた
真崎守『ろくまもん』もまた、印象に残る作品だった。
時代は昭和初期、川に流されていた所を廓の女に助けられた若い男が主人公。
彼は、記憶を失って自分が何者かも分からないが、ひょんな事から「ろくま
(辻占師)」となり、全国を流れ歩きながら様々な人々と遭遇する、という物
語。
下駄に袴姿で町から町へ流れる主人公は、昭和戦前の陰影の濃い背景も相ま
って、なにやらやたらとジャパネスクでもあり、これもまた「ディスカバー・
ジャパン」を彷彿させた。
この漫画は、後に、ほぼ同時期に他誌に連載していた時代劇の股旅ものと、
こちらは現代が舞台の、片目の殺し屋を主人公とした作品と合わせて「流れ者
の系譜」のシリーズ名で全3巻の単行本となり、「ろくま編」は、その「第二
部」とされた。
わしもまたこの当時、山頭火の句集や前記の映画やドラマ、漫画に接しなが
ら、「さすらい一人旅」に憧憬を募らせていた。
そして、高校を卒業して浪人生活を送っていた夏、ここらでひとつ、さすら
ってみようじゃないか、と一念発起、旅に出ることにしたのだった。
…と、今回は、その「さすらい旅」の顛末を書くつもりだったのだが、前説
だけで紙幅が尽きてしまったようなので、次回に「つづく」のココロ、なのだ
った。
太郎吉野(たろう・よしの)
阪神タイガースお膝元在住。右投げ右打ち。趣味は途中下車、時々寝過ごし乗
り越し、最長不倒距離は三重県名張。
ちなみに「阪神タイガース」の「阪神」は、「兵庫県阪神地方」を指します。
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■「日記をつけるように本の紹介を書く」/多呂さ
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第148回 ミステリーとは? 本格ミステリーとは?
推理小説、あるいは探偵小説という分野があるが、いまは出版業界、あるい
は書店業界ではあまり使われない。現在は“ミステリー”という枠に分類され
ているようだ。しかしながら、出版業界および書店業界で使用されているこの
“ミステリー”という分類はまったく、推理小説や探偵小説とイコールであろ
う。謎解きのものがたり。もっと云えば犯罪の謎解きのものがたりなのである。
ではなぜ、“ミステリー”と云われるようになったのだろうか。
執筆子が思うに角川映画の「犬神家の一族」(1976年)以降であるように思
えるのだが、どうだろう。この稿は“ミステリー”という分類の歴史を探るも
のではないので、その検証はまた後日に譲るとして、なぜそう思ったのだけ簡
単に云っておきたい。
小説=ものがたりが映画とくっついて、映画=映像とタイアップして両方を
同時に宣伝していこうという流れの中で、いつしか、探偵小説および推理小説
は“ミステリー”と云われるようになってきた。その先駆けが上記の映画「犬
神家の一族」であった。この作品は横溝正史の「犬神家の一族」を原作とした
映画である。原作を読んでなくとも映画を観ることができるし、また原作を読
んだ上で映画を観てもよし、またその逆でもよし、いずれにしても出版社と映
画会社との今風に云えばコラボとしての手法でその手段のひとつが、言葉の云
い変え。“ミステリー”の登場である。
今回は前置きが長くなってしまった。久しぶりに翻訳でない日本の作家によ
る(しかも新進気鋭の若手作家)の“ミステリー”を読んでしまった。
『431秒後の殺人 京都辻占内探偵六角』(床品美帆 著)(東京創元社)
(2022年4月28日初版)
表題作を含む五つのものがたりの短編小説であるが、主役のふたりは常に同
じ。そしてこの手の小説の定番である、二人組での事件解決。そう、シャーロ
ック・ホームズとワトソン博士の名コンビを本書でも再現している。
また、タイトルからして、推理小説、探偵小説の匂いがプンプンする。さら
に、本書はその登場人物、場の設定、道具や装置、仕掛け(これらをガジェッ
ト、というらしい)から映像化できそうなものがたりだ、というのが最初の読
後感であった。
読み終わったときのもうひとつの印象が、横溝正史の作品だった。雰囲気が
似ている。映像で見せないとなかなか理解ができないガジェットが小道具とし
て使われているわけだ。特に表題作は「本陣殺人事件」を連想した。この作品
もガジェットにこだわっていた、琴と琴糸と日本刀。そして表題作「431秒後
の殺人」の重要な道具は、カメラの長時間電動雲台。ネタバレすれすれを書い
てしまうが、この道具で人を殺めてしまうのだから、おもしろい。
作家は七転八倒しながら殺しのアイデアを練り、読者は最初は途方に暮れな
がらページをめくるが途中でそのトリックに気づくか、あるいは、最後で探偵
がからくりを披露してようやくわかるか、読者にすれば作品のどこでからくり
を見抜くか、作家はどこでからくりがばれるか、その攻防が推理小説の醍醐味
であろう。そんなどこか懐かしい気分でページをめくった今回の読書はとても
たのしいものだった。そう、推理小説は犯罪に使われたトリックを見破ること
が至福とされる。
本書の舞台は5話ともすべて京都である。作者は京都で暮らしていたようだ。
そしてこの5話に使われた仕掛けはすべて綿密な取材に基づいているだろうと
いうことも想像がつく。仕掛けに嘘は書けない。
主人公の二人組だが、ひとりは関東からやってきたカメラマンの卵。こちら
がワトソン博士の役。安見直行という。もうひとりはサブタイトルにもある、
京都在住の辻占内。本来は法衣店を営んでいる。こちらがホームズ。六角聡明
という。カメラマンが辻占に事件を持ち込んだことでふたりが出会い、その後
は成り行きでほかの事件も解決していくわけであるが、関東の言葉と京都の言
葉で織りなす会話の面白さもあり、そこここに京都の人のものの考え方や行動
規範が盛り込まれていて、東京に暮らす執筆子にとっては、ちょっとしたトラ
ベルミステリー的な面白さもあった。
5話ともに映像化すればそれなりになるだろう。作者は映像化を念頭におい
て作品を紡いだのだろうか、とも思う。そしてこれこそが“ミステリー”であ
ると思う。“ミステリー”は書かれたものだけでなく、映像も含めた大きなジ
ャンルなので、本書はやはり“ミステリー”としてぜひ映像化してほしいと思
った。
そして、映像化するなら、安見直行を瀬戸康史くん。六角聡明を佐藤健くん
でいかがだろうか。
多呂さ(台風11号が日本海を北東に進んでいるときに本稿を書きました。9月
は台風の月です。備えはしっかりしておきたいですね。)
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■「いろんなひとに届けたい こどもの本」/林さかな
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132 思い出の重なり
9月10日は中秋の名月でした。ひさしぶりのおだやかな夜に月を愛でることが
できました。しずかな夜のすてきなことよ。
さて、日中は30度を超える日があっても、朝夕は秋めいてきています。
本当は夏にご紹介できればよかったのですが、まあ、それはさておき、水泳
の話です。
『5番レーン』
ウン・ソホル 作 ノ・インギョン 絵 すんみ 訳 鈴木出版
だいすきな鈴木出版の児童文学シリーズ「この地球を生きる子どもたち」の
新刊は、シリーズ初の韓国児童文学です。
作者ウン・ソホルのデビュー作。挿画は、原書のままを活かされ、表紙には
プールに飛び込む寸前の5番レーンにたつ少女の姿が描かれています。
主人公の小学校6年生のカン・ナルは水泳部のエース。いつも大会ではいい
記録を出していたのに、その日は4位でした。優勝したのは、どんどんつよく
なっていっているライバルのキム・チョヒ。ナルは考えます。どうして勝てな
かったのだろう、大会の記録映像をみていて、チョヒの水着が光っているのに
気づきました。なぜ、光っているの?と疑問が頭から離れないナル。
読んでいると、自分が小学生だったころを思い出しました。体育の授業でお
こなう水泳があまり好きではなかったこと。体育全般がニガテで、水泳もしか
り。泳ぐことはなんとかできても、クロールの息継ぎがどうしてもうまくでき
ず、25メートルを泳げたことがありませんでした。
あれから何十年もたっているのに、いまだに、水泳記録会の前夜にねむれな
かったことを覚えています。1度でいいから、25メートル泳いでみたい、ぜも
ぜったい無理。緊張がとれず、頭の中ではずっとプールの水の中を想像してい
した。
けれど、結果的にその日だけ私は25メートル泳げました。息継ぎもできたか
できていないのか当時もよくわからなかったのですが、がむしゃらに泳いで、
25メートル泳ぎきったのです。プールの塩素の香りと、水中でみたレーンの色
や線をいまも忘れられません。なぜそれほどまで記憶に残っているのか、思い
出すたびに不思議なのですが、この物語を読みながら、久しぶりに自分が小学
生時代に戻っている感覚を覚えました。
物語にもどると、カン・ナルは水泳大会でずっと勝っていました。そして勝
ち続けたいと思っていました。それができなくなっているいま、自分がいやで
たまりません。チョヒの水着が頭から離れません。そのうち自分の負けは水着
のせいに思えてきてしまうのです。
小学生の頃は世界が狭く、自分の世界が狭いことに当然ながら気づけません。
ふとしたことで、やってはいけないことにもつい手をのばしてしまう。いや、
これは大人も同じかもしれません。
ナルのしたこと、ナルの後悔を読んでいくと、身に覚えがある大人はいるの
ではないでしょうか。
ナルがぶちあたった記録への壁、ライバルのチョヒとの関係。プールでおき
る競走の世界、しかしながらそれらが2人を成長させます。
挿絵のみずみずしい水彩画では、プールの水をみているかのように透明感が
あり、学校のまわりの木の緑もすこやかで、そちらにも目をうばわれます。
ナルたちの成長は、一朝一夕でできたものではなく、そのまっすぐながんば
りに心を動かされました。
ぜひぜひ現役の小学生に読んでもらいたい物語です。
次にご紹介するのは、シャイな少女が学校ミュージカルの舞台にたつお話。
『アップステージ』
ダイアナ・ハーモン・アシャー 作 武富博子 訳 評論社
本を選ぶとき、表紙の印象は大きい。
『アップステージ』の表紙は、ブルー系くすみ色を背景に、子どもたちの表
情にユーモアと楽しさがはじけていて、これはステキ!と惹かれました。
シーラは12歳。歌うことが大好きだけれど、人前にでるのがニガテで学校で
は目立たないでいることを選んでいます。
けれど今年度は「シャイラなシーラ」を卒業するのを目標に、親友にも背中
をおされて学校ミュージカルのオーディションにチャレンジします。
この物語ではシーラがどれだけドキドキしながらオーディションを受け、そ
こからミュージカルづくりがはじまり、どんな舞台になっていくかが、丁寧に
リズミカルに描かれています。
ひとつひとつの工程をこまかくなぞるように描いているので、がんばって練
習しました、はい舞台成功!という一本の線ではなく、そもそも、なしとげる
までには、いくつものささやかな紆余曲折があり、それらの描写が愛おしい。
いきいきした子どもたちのやりとりは、舞台にむけての助走です。
読み終わって本をとじたときには、シーラたちに拍手したくなります。
最後に簡単にご紹介するのは、読み終わったばかりの台湾漫画です。
「用九商店」全五巻。
ルアン・グアンミン 沢井メグ 訳 TWO VIRGINS
燈日草(ともしびそう)という書店の店主さんにすすめられ購入したのです
が、おもしろかった!
「日々を燈す、本と植物」の燈日草さんは、1冊1冊面だしでおいてあり、ど
の本もいいなと思っていたら、「この台湾漫画がおすすめなんです」と熱く紹
介され、それではと大人買い。
舞台はよろず屋「用九商店」。
屋号の由来は、
人生に必要なもの十のうち九が揃うという。
ほどほどがよいから用十にしなかった。
店主が病気で倒れて、都会にいた孫が戻ってきて、よろず屋を引き受ける。
村の人たちの交流拠点でもあり、拠り所でもあるよろず屋を軸に、いろんな人
の居場所が描かれてひきこまれます。
刺さる言葉もいっぱいで、これから幾度も読み返しそう。
いい漫画を教えてくださった燈日草さんに感謝!
久しぶりに書店らしい書店に行けた気持ちでした。(コロナで本物の書店か
ら遠ざかって書店ロスしていたので、よけいです)燈日草さんは、店舗をもた
ず、地域の拠点施設である元小学校(木造)の一室で、月に数日開店されてい
ます。
(林さかな)
https://twitter.com/rumblefish
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■献本読者書評のコーナー(応募要項)
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この本の書評を書きたい!という方は、応募要項を御確認の上、ご連絡くだ
さい。
・三上敬 絵/稲田和浩 監修『ゼロから分かる!マンガ落語入門』世界文化社
https://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/21221.html
・格非 著/関根謙訳『桃源郷の幻』アストラハウス
https://astrahouse.co.jp/2021/11/1008/
参加ご希望の方(つまりは書評をご執筆いただく方)は、
・希望の書籍名:
・送付先ご住所・名前:
・筆名(あれば):
・書評アップ先の媒体予定:
・コメント:
をご記入の上、下記までメールください。
表題【読者書評参加希望】
info@shohyoumaga.net
皆さんのご応募、お待ちしております。
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このコーナーの仕組みはとてもカンタンです。
1)まず、出版社の皆様より、献本を募ります。冊数は何冊でもOKです。下記
まで御自由にお送り下さい。(著者の皆様からの直接の献本はご遠慮くださ
い。かならず出版社からの献本をお願い致します。)
*送付先が変わりました!*
〒104-0061 東京都中央区銀座6-6-1 銀座風月堂ビル5階
一般社団法人日本支援対話学会内 支援対話図書館献本係
2)このメルマガ上で、その本を読んで、書評を書きたいという方を募集します。
先着ではなく、文章執筆実績と熱意優先で選ばせていただきます。(過去に
執筆された文章などございましたら、合わせて御連絡ください。)
3)発行委員会はいただいたメールの中から、ピックアップし、献本いただいた
本を送付します。(残念ながら提供いただいた冊数に応募数が満たない場合
には、60日後に古本屋に売却します。)
4)ちなみにここでいう書評というのは、当メルマガに掲載する記事ではありま
せん。送付先御本人分のブログ、あるいはアマゾンや楽天などのオンライン
書店でも結構ですし、ブクログなど、専用のサイトでも構いません。つまり
は当メルマガではないどこかリンクのできる外部に書評をアップお願いしま
す。(あまりにも短いものは書評とは呼べませんので、文字数の条件を設け
ました。書評は500字以上でお願い致します。)
5)献本を受け取った方は、1ヵ月後のメルマガ発行日までに、どこかに書評を
掲載し、そのURLを発行委員会に送付します。(もし、本を受け取りなが
ら期日までに書評を書かない場合には、以降、送付は致しません。
6)ちょうど一ヵ月後のメルマガにて、書いていただいた書評のURLを紹介さ
せていただきます。期日に間に合わない、あるいは書けないという場合、送
料をご負担いただき、書籍を返送いただきます。
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■あとがき
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配信が遅くなりました。今、金沢に来ていますが、観光客も戻ってきている
ようです。(あ)
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★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回に乞うご期待!
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第158回 ぼくたちの戦争
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 地方独特の看板。新潟県長岡市近辺の「例の看板」について。
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第3回 あの日あの時サンパウロ
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第158回 ぼくたちの戦争
8月15日がやってくる。毎年、この日は甲子園で行われている高校野球のテ
レビ中継を見ている。そしてお昼の時報とともに甲子園球場にサイレンが鳴り、
選手たちといっしょに黙祷をしている。それはずっと昔から、両親といっしょ
に暮らしていた若いころも変わらなかったように思う。
第二次世界大戦の終結から今年で77年になる。ふと父と母は、あの日、正午
からラジオで放送された玉音放送をどんな思いで聞いたのだろう、と思った。
うれしかったのか、くやしかったのか、ほっとしたのだろうか?
そういえば、当時の話を両親としたことがあるのだろうか? よく思い出せ
ない。
戦時中の話は、何度か聞いたことがある。小学校の授業で戦時中の思い出を
父親に聞いてくる、という宿題があった。父は陸軍予科士官学校にいたという
が、どこで終戦を知ったのか聞いてはいなかった。軍事教練のきびしさや、上
官によるいじめの話は聞いた記憶はあるのだが。戦闘機に乗りたかったが、練
習機さえ一機もなかったので、ひたすら教練と馬の世話をしていたそうだ。
母は家族といっしょに岡山に疎開していた。父親、つまりぼくの祖父は画家
だったので、酒を飲ませてもらってはお礼に絵を描いていたらしい。
祖母や母からは、戦後のひもじい暮らしのことは聞いたが、戦時中について
はあまり語らなかった。どうしてもっと聞いておかなかったのだろう。
そんなことを思ったのは、先日『少女たちの戦争』(中央公論新社 編)を
読んだからだ。瀬戸内寂聴から武田百合子、茨木のり子、佐野洋子まで、開戦
時20歳未満の少女だった27名の女性たちによる、戦時の日常を描いたエッセイ
が31編収められたアンソロジーだ。太平洋戦争開戦80年企画で昨年の秋に出版
された本で、ぼくは最近、こうの史代のカバーイラストに惹かれて買っていた
が、積ん読くになっていた。
開戦時3歳だった佐野洋子から19歳だった瀬戸内寂聴までエッセイを書いて
いる作家は、年齢も住んでいた場所もちがう。それぞれの戦争に対する感じ方
もちがうように思う。ぼくにとっては、ふだん読まない作家も多いので、文体
のちがいも楽しめた。戦争文学というと兵士や戦闘の悲惨さを描いたものが多
いが、ここに書かれているのは戦時中の若い女性たちの暮らしだ。戦地の悲惨
な風景は出てこない。家族、知人の出征、空襲の恐ろしさなど、戦時中の日常
の生活が描かれている。文章から滲み出てくる軍政下の暮らし、いつもだれか
に見張られているような息苦しさがぼくにはおそろしかった。国が戦争してい
るということは、どこにも逃げ場がないのだから。国という鎖に繋がれている
ようだ。
佐藤愛子が描いた女学校の同級生と旅行中、ほんの少し会話を交わした若い
兵隊との別れを描いた話、軍需工場で作っていた羅針盤が人間魚雷に使われた
ことを知った津村節子、NHKアナウンサーだった近藤富枝が描いた、あの玉音
放送の日のこと。放送室の緊張が伝わってくる。そして向田邦子の「ごはん」
はまるでドラマのようだ。焼け残った家で家族そろっての贅沢な食事のシーン
は笑いながら泣けてきて、そしてその風景を想像してその異常さにおそろしく
なった。最前線の戦地にはない戦争のすがただった。小さな暮らしの中の戦争
だった。
母は1928年生まれで、少女たちと同じ世代だ。27人のエッセーを読みながら、
もし母が書いたならどんな話になったのだろう、とずっと考えていた。
ある日の早朝、ラジオを聞いていたらパーソナリティが「外国の侵略から国
を守るために核共有をするべきだ」といっていた。そんなことを朝のラジオで
さらりというような国になってしまったのか。だれかが軍事に頼らなくてはな
らないムードを作り出そうとしているのではないか。戦争中に少女たちが感じ
ていた息苦しさがぼくたちの周囲にやってくるんじゃないかと不安になる。
ロシアによるウクライナ侵攻があり、戦争はより身近に感じるものになって
きた。だが、それでも外国のことという意識はあって、やはりぼくにとって
「どこか戦争は遠くにある」ものだ。遠くにあるかもしれないし、すぐ近くに
あるかもしれない、それがぼくにとっての戦争だ。
書店の新刊コーナーで平積みになっていた『ぼくらの戦争なんだぜ』
(高橋源一郎 著 朝日新書)を手に取った。まえがきを読んで、すぐにレジ
に向かった。戦争を自分のこととして考える手立てがここにあるかもしれない、
と感じたからだった。
高橋源一郎は1951年生まれで、ぼくよりも少し年上だ。幼いころ、両親や親
戚から繰り返し聞かされた戦争の話は退屈だったという。遠い世界での「戦争」
に思えたからだった。この本では、小説家、文学者の高橋源一郎が、詩、小説
など文学を通じて、遠い世界の「かれらの戦争」に近づき、そして「ぼくらの
戦争」とは何かを考える、その過程が書いてある。480ページとけっこう厚い
本だったけれど、文学、文学史に疎いぼくには初めて知ることが多かったし、
話の展開にぐいぐいと引き込まれていっきに読んでしまった。
高橋源一郎が取り上げたのは、まず教科書だった。日本の古い教科書に書か
れた軍国主義のメッセージ、そしてドイツやフランスの教科書を紹介して、日
本との負の歴史への向き合い方をの違いを示している。
読みながら考えた。日本の古い教科書にある「国と国とが争うことが、いか
んともしがたい現実であり、だから、この争いにあっては、理非をこえて自分
の国のためにたたかう他はない」という戦争についてのメッセージは、いまで
もいわれていることではないか。
「始まってしまったのだから、戦うしかない。戦うのだから、勝つために自分
を犠牲にしても戦え」ということか。
第二章のタイトルは「大きなことばと小さなことば」となっている。
「大きなことば」というのは、「民主主義」「天皇」「神」といった数百万、
数千万の人たちを一瞬のうちにあやつることができるような言葉だ。人を支配
する言葉だ。
「小さなことば」は個人的な経験を「大きなことば」を使わずに書き記したと
きに現れる。だから、だれにも興味を持たなかったり、気づかれなかったりす
る。
個人が個人的なことを伝えるのが「小さなことば」で、人々を大きな目標に
駆り立てるために使われるのが「大きなことば」だ。
昭和19年に出版された『詩集 大東亜』を紹介している。参加した詩人は
井上靖、北園克衛、佐藤春夫、西条八十、瀧口修造、日夏耿之介、堀口大學、
室生犀星と、ぼくでも知っている詩人たちが189名。序文を書いたのは高村光
太郎だ。
日本一有名な恋愛詩集『智恵子抄』を書いた高村光太郎は『詩集 大東亜』に
はいない。「神国」「聖戦」「大君」「皇国」といった高橋源一郎がいう「大
きなことば」を使いながら戦意高揚の言葉を並べている。
高橋源一郎は「大きなことば」「小さなことば」を使って詩を分析していく。
詩人たちは「善意」で「一生懸命に自分の仕事」をこなしている。ときには、
善意で一生懸命に自分の仕事をすることには「用心しなければならない」。
高橋源一郎は「大きなことば」ではなく、個人の「小さなことば」を探して
いく。
戦争文学の代表作である大岡昇平の『野火』、向田邦子や古山高麗雄、太宰
治、後藤明生の作品を分析しながら、遠いところにある「かれらの戦争」を
「ぼくたちの戦争」にしていく。あとがきにあるように、この本は「かれらの
戦争」を「ぼくらの戦争」にしていくための「どこにたどり着くかわからない
旅」であるようだ。
1970年のジローズのヒット曲『戦争を知らない子供たち』の子どもたちは、
戦争を知らないまま60歳を過ぎているはずだ。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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遠方に出かけた時はその土地の書店に寄るのも楽しみのひとつです。最近ち
ょっとだけ新潟に行ってきたので、今回はそこで購入したこちらです。
『例の看板フォトグラフ・コレクション(令和版)』、新稲ずな、2020
同人誌なのですが、長岡の駅ビルに入っている文信堂書店の郷土書籍コーナ
ーに平積みされておりました。薄い本ではありますが、表紙の力がすごいので、
これはやっぱり平積みか面陳にしたいですね。
「例の看板」とは何か?それは長岡市の地場のペットショップである松田ペ
ットの看板のことなのでした。看板と言っても店舗に設置してあるタイプのも
のではなく、地方の道路沿いに設置してある、お店の電話番号などが書いてあ
るようなタイプの看板をイメージしてください。
この看板は新潟県中越地方でも長岡市・小千谷市・見附市・出雲崎町を中心
に設置されているということで、まさに長岡の名物ともいえるものかもしれま
せん。私は今回の旅行では燕市内を自転車でぐるぐる回っていたので、残念な
がら気が付きませんでした。
この松田ペットの看板ですが、何といってもそのインパクトがすごいのです。
(松田ペット・看板で検索すれば画像が沢山出てきますので是非ご覧ください。)
基本的な形は向かって左から、ビーグル・チワワ・ヨークシャーテリアの顔
が並んで描かれているもの(著者はこれを「松田三連星」と呼ぶ)ですが、なん
だか妙に人間臭い顔つきをしています。何というかあまり写実的ではないとい
うか…。
まあそれだけならただのちょっと面白い看板なのですが、なんとこの看板の
三匹の犬はすべて手書きで、ひとつとして同じものがないというのですから驚
きです。表紙に使われている写真の看板(三匹並びの看板が横に二枚ならんで
るところを捉えた写真)も注意して見ると、ビーグルとヨークシャーテリアの
背景色が入れ替わっているし、表情も全然違うのです。
たぶんそれぞれを別の場所で見たら気が付かないはずですが、並んでいると
全然違うことが明らかです。いや、並んでいてもよく見ないと気付かないかも
しれないですけど。
著者はそんな「例の看板」に魅せられてしまい、長岡近辺の様々な場所でこ
の例の看板の写真を撮り集めていきます。そうすると更なるバリエーションが
見られるようになってきて、ますますその沼にはまってしまうということにな
るわけですね。
「例の看板」は小千谷市にある近藤看板店が一手に手掛けており、その店主
の近藤忠男さんによって描かれてきました。本書には著者が近藤看板店を訪問
した際の話も収められています。ちなみに今は徐々に息子さんに代替わりしつ
つあるそうです。そして著者には忠男さんの作風と息子さんの作風の違いが判
るらしいです…。
さて看板自体の魅力もさることながら、その設置の仕方にも独特のものがあ
ります。通常ロードサイドの看板は一カ所につき一枚設置かと思いますが、
「例の看板」は本書の表紙にもあるように、一カ所に複数枚設置されているこ
とがしばしばなのです。倉庫の壁一面に四枚、同じ倉庫の反対側の壁に二枚、
合計でひとつの建物に六枚設置してあることもあるといいます。
さらにこの看板を味わい深いものにしているのが、一緒に張られた看板との
コンビネーションです。特に地方でよく見かけるキリストの(?)看板(黒地に
「キリストは〜」・「神は〜」などの文言のもの)と並ぶと、動物たちの看板
がまた違った趣を備えてきます。
巻末には松田ペットの実店舗と社長への訪問記も載っています。お店の壁面
にはかつて犬猫の写真が掲示されていたのですが、それも今は近藤さんの絵に
替えられています。その他にも随所に近藤さんの絵が用いられており、会社と
しても「例の看板」と近藤さんの絵を推していることが伝わってきます。
残念ながら経年劣化や掲示していた建物の解体などで、見られなくなってい
く看板たちもあります。しかしその一方で月に十枚から二十枚は新作が作られ
ているとのことなので、まだまだ「例の看板」は長岡の名物として楽しむこと
が出来そうです。
とりもなおさずそれは私たちの周りにも、普段気に留めもしていない興味深
いものが沢山転がっているということでもあります。あらゆるものに深入りし
てしまうと時間がいくらあっても足りなくなってしまいますが、アンテナは感
度よくしておきたいですね。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第3回 あの日あの時サンパウロで
ロックダウンのため、ボランティアの一員として働く時以外は一歩たりとも
部屋から出られない生活を送る中で、むしょうに読みたくなった本があった。
クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』である。なぜかはわからない。
上海の私の部屋に『悲しき熱帯』はなかった。図書館や本屋に行くのは夢のま
た夢。オンラインで購入しても書籍は「生活必需品」ではないから届けてもら
えるわけがない。仕方がないのでKindleで購入することにしたのだが、日本語
版はない。第二外国語がフランス語だったので何とかなるかと思い、フランス
語の原書を「試し読み」したのだが、1頁も読まずに挫折する。仕方がないの
で英語版で『悲しき熱帯』を読み始めた。
通読したのは何十年ぶりである。『失われし時を求めて』ならぬブラジルの
「失われつつある文化を求めて」の紀行だったというくらいの記憶しか私は持
ち合わせていなかったように思う。しかしそんな私を裏切るような箇所ばかり
で、ロックダウンの生活は楽しいものとなった。とりわけインドでのイスラム
と仏教をめぐる思索との再会は刺激的だった。
Islam is the West of the East――イスラムは東洋の西洋だ――
などという一節を、『オリエンタリズム』のエドワード・サイードが読んだら
どう思っただろう?サイードはレヴィ=ストロース論を書いていただろうか?
日本好きだったというレヴィ=ストロースが、三島由紀夫の『豊饒の海』を読
んだらどう思っただろう?『暁の寺』で展開された輪廻転生についての思索を、
どんなふうに評価したのだろう?そんなことを考えながらも、私にとっての一
番の発見は、恥ずかしいくらいに単純なものだった。レヴィ=ストロースが
「外教」だったという事実である。
中国に赴任して出合った言葉のひとつに「外教」がある。外国籍教師の略称
である。通常は1年契約で、大学で日本語の授業を担当する。それ以外の義務
はほとんどない。契約が1年で途切れることはまずなく、少なくとも2年は同じ
大学で働き、その後は別の大学に移っていく。場合によっては同じ大学で教え
続けることも可能だ。10年以上同じ大学で勤務し続けている外教も少なくない。
1935年、27歳のレヴィ=ストロースは新設のサンパウロ大学に赴任した。サン
パウロの「ブルジョワ特権階級」は「サン・パウロの若者たちをヨーロッパの
文化のレベルに引き上げようという目論み」でサンパウロ大学を創設した
(竹内信夫訳『遠近の思想』)。そうした目論みを実現させるべく、フランス
から派遣された「文化使節」のひとりがレヴィ=ストロースだった。「社会学
を教える教授」というと聞こえはいいが、別の見方をすれば、それは「外教」
に他ならない。
現在海外に自国の文化を普及することに最も力を入れているのは、おそらく
中国である。日本の数多くの大学に設置されている孔子学院はその証だ。それ
以前、文化を海外に普及させる政策を大々的に展開していたのはフランスだっ
た。だからフランスには多くの「外教」がいた。
レヴィ=ストロースだけではない。アナール学派の歴史家フェルナン・ブロー
デルも「外教」だった。ブローデルはサンパウロ大学でレヴィ=ストロースと
同時期に歴史を教えていた。そのレヴィ=ストロースやブローデルと、コレー
ジュ・ド・フランスで後に同僚となるミシェル・フーコーにしても、かつては
スウェーデンのウプサラ大学でフランス語を教える「外教」だった。後に権力
批判の急先鋒となるスキンヘッドの知識人は、非フランス語圏にフランス語を
普及させようとする国家政策に加担する経歴を有していた。
中国にはたくさんの日本人外教がいた。「いる」のではない。「いた」ので
ある。ほとんどの外教は1年のビザを使っていた。コロナで帰国した後、多く
の外教のビザは期限切れとなった。それゆえ多くの外教は日本でオンライン授
業に従事するか、もしくは離職して日本での就職を考えざるを得なくなってい
る。
「外教」の役割はみずからの母語を、そして文化を、言葉や文化を異にする
人々に伝えるところにある。教育によって人々を変容させることが「外教」の
使命なのだが、変化するのは往々にして「教えられる」人々にとどまらない。
「教える」自分自身にも、時に決定的な変化がもたらされる。異国の地で、外
国語に囲繞されて、外国人に「教える」という経験は、文化や思索を創造する
ことにおいて重要な何かを有しているのかもしれない。
ブラジルでの経験がなかったら、フランス語は『悲しき熱帯』も『野生の思考』
も手にし得なかったであろう。南半球からの視点がなかったら、多元的で多層
的な『地中海』は生み出されなかったに違いない。ウプサラ大学の図書館で医
学関連の史料を漁る時間がなかったら、『狂気の歴史』に始まる思考の軌跡は
存在し得なかったはずだ。
幸いなことに私は約1年ぶりに帰国することができた。英訳で再読した『悲
しき熱帯』も川田順造訳で再再読することができた。「外教」としての仕事ぶ
りを確認するために、ドニ・ベルトレの『レヴィ=ストロース伝』(講談社、
藤野邦夫訳)とピエール・デックスの『ブローデル伝』(藤原書店、浜名優美
訳)も読むことができた。そして感染者がいくら増えようとも、ロックダウン
の緊張感も隔離施設に送られる恐怖もない世界を久しぶりに楽しもうとしてい
る。
しかし、どうにも楽しめないでいる。私の身体が、ロックダウンで部屋から出
られなかった時以上の閉塞感にとらわれてしまったように感じられてならない。
私だけなのだろうか?いや、久しぶりの東京で感じたのは、すべてにおいてリ
ズムが遅くなっているということだった。
東京といえば、世界で最も生活のリズムが速い都市だと言われていた。しかし
上海から戻った私にとって、東京のリズムはまだるっこしいものだった。残念
ながら、のんびりと流れる贅沢な時間もそこにはない。そして速度が落ちてい
ることに、多くの東京人は気づいていないように思われた。そうこうしている
うちに、私の身体もまだるっこしさと完全に馴れ合ってしまうことだろう。
外に行くこと、そして外国人に「教える」ということ、それはみずからの思
考や身体を異化する重要な契機となる。「教える外教」は「教えてもらう留学」
とも似て非なるものである。今の日本でいまだに「現代思想」としてもてはや
されているフランスの思索の多くが、実は「外教」の経験と密接にかかわって
いたことを、そろそろ真剣に見つめ直してもいいのではないかと思ってしまう。
『悲しき熱帯』に日本人が出て来ることも私は忘れていた。たとえば第四部
「土地と人間」の冒頭部である。「サン・パウロ附近には日本人も大勢いた。
彼らに近づくのはなおむずかしかった。移民会社が彼らを募集し、船旅と到着
当座の住居を保証し、それから内陸の農地に配分するのだが、この農場という
のは村落とも兵営とも言えるようなものだった」。
ここで述べられている「船旅」を描き出したのが、第1回芥川賞を受賞した
ことで知られる石川達三の『蒼茫』である。石川が移民船に乗ってブラジルに
行ったのが1930年、『蒼茫』が発表されたのは1935年だった。だからレヴィ=
ストロースやブローデルがブラジルに渡った時とほぼ同時期である。
『蒼茫』には日本人以外はほとんど出て来ない。『悲しき熱帯』には、「すべ
ては、彼らが日本を離れたという感じを抱かずに、この大冒険が行なわれるよ
うに仕組まれていた」と書かれているが、まさしく『蒼茫』は「大冒険」を装
いながらも、閉じた世界に充足する日本人を描き出しているように思われる。
日本人の誰ひとりとして、自分たちに向けられていた未来の文化人類学者の視
線を意識することはなかった。
それゆえ『蒼茫』の次のような一節は、外の世界を示唆する例外に属する。
「収容所の別の棟には、イタリー人やポルトガル人やアフリカの黒人や、各種
の移民が二三十人ずつかたまって収容されていた。欧州大戦で負傷したという、
肩に大きな傷のあるロシア人もいたし、敵方のドイツ人もまじっていた。中に
は耕地で食えなくなったから逃げ出して来たというロシア人も収容されていた」。
レヴィ=ストロースによれば、サンパウロでフランスの「外教」は、「アメ
リカの自動車を購入することができ」る生活を享受し得た。ブローデルに至っ
ては、運転が好きでなかったから、「イタリア人の運転手を雇うという贅沢」
まですることができたという。その運転手のイタリア人は、もしかしたら
『蒼茫』における「収容所の別の棟」にいた「イタリー人」であったかもしれ
ない。
1902年生まれのブローデルと1908年生まれのレヴィ=ストロースが、1905年生
まれの石川達三とサンパウロでおしゃべりに興じていたらどうなっていただろ
う。しかしフランスの2人の「外教」と野心満々の小説家の卵のその後の軌跡
は、相入れないものとなっていく。
ユダヤ人だった「外教」のうちの1人はアメリカに亡命しロマン・ヤコブソ
ンと出会い、『親族の基本構造』に結実する構造主義的な思考を練り上げてい
く。ドイツで捕虜となったもう1人は、史料も何もない収容所の中で記憶にだ
け頼って、後に『地中海』というタイトルで知られることになる博士論文の執
筆に生の活路を見出していく。芥川賞作家となった小説家は「生きてゐる兵隊」
で当局ににらまれた後、『武漢作戦』を書き、それ以後は国家とつかず離れず
の絶妙な関係を保ち、戦後にベストセラー作家として活躍する素地を築き上げ
ていく。あの日あの時サンパウロで出遭う可能性のあった2人の「外教」と日
本人作家の人生は、別世界でそれぞれに営まれたものであるように感じられて
ならない。
いま私が上海に戻ったら、7日間ホテルで隔離生活を送ることになる。
「収容所の別の棟」に外国人がいたように、隔離されるホテルには日本人以外
の人がたくさんいるはずだ。そうした人たちと交流するのか、それとも日本人
の空間に充足していくのか。東京の空気に馴染んでしまった身体と思考を開い
ていくことは、たぶん容易なことではない。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されていな
い面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読ん
だり映画を見たりして過ごしています。
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■あとがき
今年のお盆も終わりました。まだまだ暑い日々ですが、やっとその終わりも
見えてきたような気がします。コロナもまだまだ衰えず、医療機関から悲鳴が
毎日伝えられています。旧統一教会と与党自民党議員の癒着が連日報道されて
いますが、当の議員は「気がつかなかった」で乗り切るようです。故・安倍晋
三議員の国葬は行われるのでしょうか。風雨も猛威を奮い東北や北海道、東海
など今年も大変な被害を受け、今も復旧向け多くの方々が懸命な努力をされて
います。毎年のように、混乱の夏です。昨年も言いましたが、来年はもう少し
夏を楽しめるのでしょうか。どうぞご自愛くださいませ。 畠中理恵子
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→ その74 ユートピアの食事その4『ユートピアだより』
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
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★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。
情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その74 ユートピアの食事その4『ユートピアだより』
パンデミックと戦争から逃げ出して、ユートピアを求めてさまよいだしてか
らはや四か月。すべてはおさまりそうにない。平和な未来を求めてSF世界に入
ってみたのだが、そこあるのは、なぜかユートピアの仮面をかぶったディスト
ピアばかりだった。私が手に取る本の中にある中央集権的な世界では、緑色の
食物や薬のような物を食べる話ばかり。これでは、食欲も読む意欲もなくなっ
てしまう。
そう言いながら、実はとても幸せそうなユートピアをひとつだけ知ってはい
るのだ。昔読んだ時にはなんて退屈な所だろうと思ったのだが、読み返してみ
ると、その世界の美しさに改めて驚かされた。そこであまり御馳走は出てこな
いけれど「美しい食卓」はあるので、そのテーブルへ皆様をお連れしようと思
う。
作者はウィリアム・モリス。刊行されたのは一八九一年。
主人公の男性は朝、テムズ川でひと泳ぎしようと桟橋にいたボートの船頭に
合図をして乗り込み、川の真ん中で服を脱いで水の中に入る。そして、その瞬
間、川の様子がいつもとまるで違うことに気づくのだ。水は澄み、川べりにあ
った工場などがすべてなくなっている。見覚えのない美しい石造りの橋がかけ
られていて、船頭が、あれは少し前の二〇〇三年にできたものだと言う。そこ
で、主人公は自分が二十一世紀の未来に来ていることを知るのだ。船頭にチッ
プを払おうとすると彼は貨幣を珍しがる。どうもここは、金銭というものが使
われていない世界らしいと主人公は理解する。
船頭のディックは彼のことを外国から来てゲストハウスに泊まっている客だ
と思い込む。そして、この世界を案内するガイド役を買って出る。
二人はゲストハウスのホールに行き朝食をとる。ここで重要なことは、この
世界の人々にとって仕事というものは、自分が好きな楽しいこととして働くも
のであって、なんの対価も求めないということなのだ。ディックの友人が食堂
にいる女性たちに朝食をお願いすると、一人の女性は庭に出てバラの花を摘み、
ガラス器に活けて朝食のテーブルに置く。もう一人も庭に出て苺を摘み、それ
を大きなキャベツの葉に盛ったものを持ち込んで食卓に置く。それぞれの女性
が自分の好きなことをして食卓が用意されていくのが面白い。
その他の料理について具体的なことは書かれていないが、
<いたって簡素な食事であったが、心づくしの料理で、優美に並べられていた。
パンはとくにおいしくて、私の大好きな大きくて、肌理の細かい甘味のある農
家風の黒パンから、トリノで食べたことがあるような、細いパイプの軸みたい
なかたちをした小麦の堅いパンに至るまで数種類あった。>
この細いパンは岩波文庫の注釈によれば堅いパンCrust、イタリアのグリッ
シーニだろうとされている。私もグリッシーニは大好きで、クリームチーズソ
ースに浸して食べるのがお気に入りだ。パンが四角くて画一的なトーストでは
ないところが、他のSF小説と違っていい感じだ。
朝食をとりながら、主人公は周囲の若者たちがあまりに若々しくて美しく、
それでいてのんびりしていることに気づく。自分が五十六歳だというと周りは
気の毒そうな顔をする。食堂の係のアニーという女性の外観は、どう見ても二
十歳なのに四十歳だというからだ。
この後、主人公はウィリアム・ゲストと名乗ることにする。彼を連れてディ
ックは町を案内しながらブルームズベリーの曾祖父のところに行くことにする。
曾祖父は一〇五歳で大英博物館に住み暮らしているという。彼ならば、大喜び
でこの社会の歴史や仕組みを主人公に話してくれるというのだ。馬車で行くロ
ンドンの町は緑にあふれ、まるで公園のように変わっている。醜い工場や家は
消えて、ウエストミンスター寺院が肥料倉庫にされているように、古い建物は
別の用途に使用されていたする。
子供たちは学校で教育を受けることはなく、キャンプをしながら生活能力を
身につけ、大人を真似て仕事を学びながら成長していくことをその道中で知る。
煙草が欲しくて店に立ち寄ると、子供たちがまるでお店屋さんごっこをするよ
うに店を運営していて、ゲストはただで煙草と素晴らしい細工のパイプと煙草
入れを手に入れ、ワインのもてなしも受ける。
大英博物館に着くと、ディックはクレアラという美しい女性と二人で姿を消
し、主人公はひたすらハモンド老人の話を聞き、この世界が何回かの内乱と一
九五二年の革命によって成り立った原始共産主義的な社会であることを知るの
だ。機械は必要最低限の単純作業にしか使われず、工場は消え、国中に緑があ
ふれ牧歌的な風景が広がっている。
ハモンドは、自分は十九世紀の「女性解放運動」の専門家でもあるという。
モリス自身がこの問題に興味を抱き、周囲にフェミニズムの活動家もいたこと
がうかがえるやり取りだ。ゲストハウスの食堂で女性が男性に給仕しているこ
とを指摘して、反動的ではないかというゲストに対し、ハモンドは日常の仕事
を蔑視してはいけないというようなことを言う。料理一つできなかった昔の教
養人を揶揄し、ハモンドは自分も「料理の腕はなかなかのものですよ」と言っ
たりするのだが、料理と給仕とは違う種類の家事労働なので、煙に巻かれた気
がする。続いて、知性にあふれる女性たちを出産から解放したいという十九世
紀の運動についてのゲストの質問には、ここでは皆健康なので出産は楽で、子
供の成長や教育に悩まないので負担がないという答えが返ってくる。とにかく
結論として、女性は尊重されていていること、その証拠として自由な恋愛で生
まれた子供たちの容貌は昔と違って美しくなっている言われて、ゲストは納得
する。ここは美が重要な世界なのだ。ともかく女性たちが、奇妙な形ではある
が、子育てから早く解放される社会をモリスが描いていたことを忘れずにいた
いと思う。
さらに、ハモンドはそれぞれが好きな仕事をして成立しているこの世界の仕
組みについても語るのだが、そこのところがもう一つ理解できない。とにかく
働く人々は皆、創造意欲に満ちたものづくりで芸術家として仕事をしているら
しい。いかにもモリスが夢見そうな社会だ。私有財産のないこの世界では、政
府はなく、法律や刑罰もない。後ほど実際に出てくる、恋の争いで正当防衛と
はいえ殺人を犯した男にも、何の罰も与えられない。彼が深く反省し傷ついた
感情を抱くかららしい。親鸞の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
を思い出してしまう。
二人が語りつくさないうちにクレアラとディックが戻って来て、ブルームズ
ベリー市場ホールでお昼を食べることになる。グリム童話を彫刻した小壁画の
あるホールで食べた料理は、
<朝食のときと同様に、いずれもこころづくしのご馳走で、盛りつけも美しい
……>
と、あるのだが、何を食べたかは全然書かれていない。
これに対して食器については実に饒舌だ。
<ガラス器も陶器も金属食器類(プレート)も、中世美術の研究に親しんだ私
の目にはとても美しく見える。……陶器は、美しく装飾されてはいたが、鉛の
釉薬(うわぐすり)がかかったポット類だった。……ガラス器もまた、優美
(エレガント)で古雅に富むもので、十九世紀の商業製品に比べると、いささ
か泡が入っていて、肌理(きめ)もざらついている。>
すべては職人の手作りの品。家具もふんだんに装飾がされている。
モリスが目指した食卓へようこそ。ゲストはその美を味わい尽くし、最高に
満足している。
この後、ゲストとクレアラとディックの三人は、ボートでテムズ川をさかの
ぼって、干し草狩りをしに行くことになる。その道中で家を改築している集団
に会い、主任彫刻家の女性が石の彫刻に熱中する姿を見学する。その姿を見な
がら思い起こすのは、モリスの周囲の女性たちだ。ロゼッティの妻のシダルは
画家であり、バーン・ジョーンズの妻ジョージーやモリスの妻のジェインも絵
や刺繍に才能をしめし、モリス商会設立時には、手描きタイルや壁飾りの刺繍
等の仕事を請け負っていた。だが彼女たちの芸術家としての活動は、死や出産
や育児などで阻まれ、その成果は男たちの陰に隠れてしまった。そんな彼女た
ちの存在が、このユートピア世界に反映されているようだ。もし、子供の養育
の責任を負わされず、出産後も自由に生き、恋をし、創作活動が続けられる世
界なら、彼女たちはどう生きただろう、と……。
ところで、主人公は何度も道中で出会う人々の服装を気にしている。男たち
の着ているのは十四世紀風の服装だが、色彩は派手で刺繍が施され、凝った細
工のバックル付きのベルトを締めている。今回、ディックは刺繍のある白いフ
ランネルの服を着て干し草狩りに行くという。なんで白?クレアラに至っては、
明るい絹のガウンを着てボートに乗り干し草狩りをするという。絹?もうゲス
トと共にあきれるしかない。えーと、誰が洗濯するの?破けたら、どうするの
?そう、このモリス好みの美しいものだらけのユートピアは、本当のところ、
陰で山ほど奴隷が働いていないと成立しないような気がするのだ。
結局このユートピアには、あまり食べ物は出てこない。「宴のはじまり―終
わりに」という章があるので、どんなご馳走が出るのかとわくわくしていたら、
主人公は教会の中にしつらえられたテーブルに向かって歩いていきながら消え
ていき、物語は終わってしまうのだ。
それでもいつか機会があれば、朝露に濡れた赤い苺をキャベツの淡い緑の葉
にのせて食卓に置き、モリス好みのおいしいパンを食べながら、モリスのユー
トピアを夢見てみようと思う。
二〇二二年には実現しなかった世界も、明日がある限りいつかやって来ると
思いたい。モリスの描いた壁紙が今も私たちを惹きつけるように、彼の描いた
美しさにあふれるユートピアは、その仕組みに釈然としないものもあるけれど、
魅力にあふれている。その事に満足しながら、長いユートピアを探る旅を、こ
こに終えようと思う。
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『ユートピアだより』ウィリアム・モリス著 川端康雄訳 岩波文庫
五島茂, 飯塚一郎訳
中央公論社
『ラファエロ前派の女たち』ジャン・マーシュ著 蛭川久康訳 平凡社
『ラファエル前派の世界』斎藤貴子著 東京書籍
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第139回 「わからなさ」の秘密
―西崎憲編訳『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』(亜紀書房)
本書は以前ちくま文庫で出た『ヴァージニア・ウルフ短篇集』に加筆修正し、
新たに数編を加えたものである。このところ、ウルフ・リヴァイバルと言って
いい程、ウルフは話題になっているし本もぽつぽつ出ている。これは昨今のフ
ェミニズムへの関心の高まりの一環ではないかと思う。女性の自由や権利につ
いて考える時、問題のエッセンスが凝縮された文学に関心が向かうのは自然な
ことであろう。20世紀の女性の作家の中で評価の高いヴァージニア・ウルフの
作品を読み直す気運が盛り上がるのは、読書界にとって良いことだと思う。
しかし、一般読者によく読まれている作品は『灯台へ』や『ダロウェイ夫人』
など一部の作品に偏っているのではないだろうか。この短篇集の刊行はウルフ
の余り知られていない仕事を紹介する上で意義のあるものだと思うが、初めて
読む人は一般的な小説の枠を外れた書き方に驚き、迷ってしまうかもしれない。
私は以前このメルマガで『ジェイコブの部屋』(文遊社)について書いたこと
がある([本]のメルマガ vol.812)。『ジェイコブの部屋』も物語の進行を
掴むのに苦労する作品ではあるが、主要人物のキャラクター造形は明確であり、
キャラクターの動きを注意深く追えば筋は追える。だが短篇小説の中には登場
人物の描出自体も曖昧模糊としているものがあり、合理的な筋の展開を軸とす
る一般の小説を読み慣れた目からすると、手に負えないという印象を残すかも
しれない。本稿では、ウルフの短篇の「わからなさ」の秘密を探っていきたい
と思う。
本書の中には、明らかに小説というより散文詩に分類した方が良いと思われ
る作品がある。「緑」と「青」の二つの掌編である。どちらも色をモチーフに
主観的な幻想を自由に繰り広げており、読む者を幻惑する。特定のシーンや筋
の提示はないが、作家の主観が全てを支配する詩の世界だと考えれば逆に納得
がいく。詩とはコノテーション(暗示)を目指す芸術であり、明示された関係
を読み取る作業はどちらかと言えば二の次になるからである。
また、本書には一般的な意味での「よくできた小説」もある。「堅固な対象」
等がそれである。「堅固な対象」は、若く優秀な政治家が、海辺で偶然見つけ
たガラス片に異様な拘りを持ったことから、精神に変調をきたし社会生活が崩
れていく様を描いている。他に類を見ないユニークな切り口の不条理小説だが、
時間軸に沿って整然と展開され、読者は迷うことなく安心して最後のページま
で辿り着ける。
問題は、詩のように主観的幻想を味わうものでもなければ、客観的にシーン
を把握しながらストーリーを味わうものでもない、そんな作品群である。
「憑かれた家」は古い家の部屋から部屋を歩き回る「幽霊のような一組の男
と女」を巡る作品。彼らは何かを探し回っているようだ。主語は「わたしたち」
となっていてそれが誰であるかは明かされない。「わたしたち」のうち幽霊の
存在を敏感に感じ取っているのはどうやら「わたし」だけのようだ。「わたし」
はある本を通じて彼らの存在を察知したようなのだが、該当の本がどんな本な
のかは明らかにされない。「だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」と
いう台詞がリフレインされるが何に対して「だいじょうぶ」なのかはわからな
い。また家は心臓を持ち、その鼓動を「わたし」は感じ取っているようだが家
の来歴は描かれない。設定は不明だらけである。が、「わたし」が何者かに魅
入られている様は鮮烈に描かれている。
「壁の染み」は、壁にできた染みに見えるものを巡る作品。最後の最後にな
あんだという感じのとってつけたようなオチがついているが、作品の大部分は
あっち行ったりこっち行ったりで結論の出ない話者の思考で占められている。
染みが釘によって生じたものだとすれば、そこに普通の絵を架けるためではな
く婦人を描いた細密画をかけるためだろう、といった調子。そこから部屋の前
の持ち主を想像したりする。染みが起点になって何らかの想念が立ち上がるが、
生産的な展開を見ないままに次の想像に流れる。染みなるものに話者が気がつ
いたのは「今年の一月のなかば」らしい。話者はそもそも本気で壁の染みにつ
いてを確かめる気はなさそうなのだ。話題の核心をわざと反らすようなのらり
くらりとした話者の態度が面白い。
極めつけは「書かれなかった長篇小説」で、訳者の西崎憲は「この作品にお
いても意識あるいは空想は奔放に増殖する。それはストーリーに寄与しないば
かりかストーリーを破壊する」と述べている。列車の同じ車両に乗り合わせた
話者と女性。女性は義理の妹の悪口(?)を言いかける。そこから話者は話を
勝手に膨らませ、支離滅裂な、しかしやたらに細部に拘ったストーリーを展開
する。目的地に着いて女性は迎えに来た息子とともに去るが、残された話者は
自分が作り上げた空想の世界に浸りきる。長い夢を見たがあれは一体何だった
んだろう、といった不思議な感触が読後に残る。
これらの作品は基本的な設定や物語の進行が把握しにくい、と言うよりわざ
と設定をぼかして読者に物語の明確な筋を把握させないようにしている。普通
の小説を読み慣れた読者が苛々してしまうのは当然だろう。では、なぜ作者は
作品をこのような造りにしたのか?
私は、読者の注意が物語の進行を追うことに引き寄せられないようにしたか
ったからだと考える。一般的な小説では、登場人物や場所の説明をした上で時
の流れに沿って因果関係を明確にしながら物語を進行させる。一人称小説では
登場人物の一人である話者が、三人称小説では神の視点を持つナレーションが、
読者を納得させる理屈を積み上げる形で作品を作り上げていく。大事なのは因
果関係を理解することであり、「語り」の存在は空気のように透明である。
ウルフの短篇ではこの通常の小説の形を転倒し、「語り」の存在を前面に出
し、それを徹底的に味わうように仕向けていく。因果関係の明確な物語を提示
すると、読者はすぐそれに飛びついて筋を追うことに熱中してしまい、「語り」
を味わうことを二の次にしてしまう。しかし、言うまでもなく小説という言語
芸術は、一人称だったり三人称だったりの「語り」でできている。なのに読者
はそのことに鈍感であり、ひたすら情報を読み解くことに意識を傾けてしまう。
そこでウルフは、因果関係をわざと曖昧にし、語られるものの意味を読み解く
より、「語り」の存在自体に注意を向けるような作品の在り方を考えた。
そういう視点でウルフの短編を読み直してみると、苛立ちが消えるどころか、
話者が生き生きと語っている、その語る仕草の素直さに心打たれるのではない
だろうか。死者との交信に舞い上がる「語り」、無為な論理の積み重ねを楽し
む「語り」、自らの妄想に浸りきる「語り」、語っている内容ではなく、語る
こと自体の存在感が重要なのである。ウルフの「わからなさ」は、読者が「語
りの行為」を素直に受け取るために周到に仕組まれたものであり、そのことを
明確に打ち出している故、難解ではなくむしろ平易なのである。小説が何より
言葉で作られているという、単純な事実を魅力的なやり方で突きつけてくるの
が、ウルフの短篇なのだ。
*西崎憲編訳『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』
(亜紀書房 本体1800円)
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■あとがき
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★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→オーウェルにハマる。
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→集団浅慮のメカニズム
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→今回は締め切りを守っていただきましたw
★「はてな?現代美術編」 koko
→ドイツを揺るがす美術展
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→聖火と沖縄・2回消印が押された初日カバー
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■トピックス
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■Italia dolce e amara: 甘くて苦いイタリア / 雨宮紀子
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第128回 ジョージ・オーウェルからヘンリー・ミラーへ
何も思うようにできない。
ここのところ40度という高気温が続く日々に、文字通りの青息吐息だ。イ
タリアも最近、猛暑があるようになってきたが、さすがにこんな高気温に毎日
さらされるというのは初めてのこと。エアコンがあっても使わずにすむ夏の日
だったことが懐かしくなるといったら、?大げさな″といわれるかもしれない。
足腰を鍛えるために励んでいた?歩き″は、夜も8時過ぎになってから、ま
だ生ぬるい外気を呪いつつ、少なくとも3Kmくらいの距離は達成していた。
それも、40度の日々では外に出ない。
定番コースはわが家から5分とかからずに行けるアルノ河岸で、市内の観光
メッカであるポンテ・ヴェッキオ(古代の橋)からゆるゆると流れてきたアル
ノ川の対岸一帯は広大な森林公園(カシーネ公園)が広がっている。
川の対岸に渡るには、徒歩専用といえるような、橋の巾が3mくらいしかな
い石橋を歩いて渡る。あとは森林浴をするもよし、思う存分にサイクリングや
ローラースケートをするもよし。あらゆる年代の人たちで夜更けまで賑わって
いたのが、ヴァカンスに出かけた人が増えてきたのか、夜の森の広さと静けさ
が際立つようになってきた。
さらに気に入った散歩道へ行くには、橋を渡り終えて真っ直ぐに森林公園を
横切って行くと競馬場がある。競馬場の入口に沿った道を進んで鉄橋をくぐる
と、左手に1930年代まで稼働していたという広大な旧タバコ製造所(Exマニ
ファットゥーラ・タバッキ)に出る。いかにもファシズム風の建築だが、内部
改築されてモード学院が開校され、コロナ禍前はモード展示会の会場にもなっ
ていた。
気に入っているのは、この旧製造所の広い中庭で、日中でも夜間でも多くの
若ものたちが誰の迷惑にもならず、屈託なくお喋りに興じていて、くつろいだ
時間が過せるのがいい。バールや商業スペースの小間のある建物には、電源を
自由に使える広いテーブルがあり、PCを持ち込む人たちの場所になっている。
なんと、最近は快適そうなレジデンスもできたようだ。イタリア語のサイトが
ある。(www.liveinmanifattura.com)
暑さで歩きにも出られないなら、本の世界に沈むよりない。よって、ますま
す沈没するようになり、たまたま読んだ川端康雄氏の「再帰する『オーウェル』
ブーム」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72066)というコラムで刺
激されたのか、はるか昔、学生時代に読んだのが思い出され、持っていた『一
九八四年』を読んだ。
それ以後は?オーウェル漬け″となり、キンドル版『カタロニア讃歌』はほ
ぼ書き写しながら読むという呆れたことをして、しかも『なぜ書くか』に始ま
るエッセイはまずサンプルを読んでから選び、最初の本『パリ・ロンドン放浪
記』から『鯨の腹の中で』、『評論集 像を撃つ』などを入手した。
ここまでいくと、オーウェルが書いている「ヘンリー・ミラーの『北回帰線』
と『黒い春』を手に入れて、とくにさいしょの百ページを読んでもらいたい。
現代でもまだ、英語の散文に残されている可能性がわかるだろう」という指摘
は無視できなくなる。もちろん、オーウェルの小説も全て英語原文ではなく、
翻訳で読んでいるわけだが、まずはそれでいいのだ。
ヘンリー・ミラーの『北回帰線』は文庫本をDHL便で発送するよう注文し
た。オンラインで買って発送してもらうというのは久しぶりのことだった。そ
のせいではないのだろうけど、無事に入手するまで気苦労があった。ピサ空港
まではスムーズに着いたようだが、税関から女性名でメールがあり、購入イン
ヴォイスを送るようにと書かれていた。
もちろん納得できない。今までにそのような要請を受けたことがない。結果
的には数日の遅れで配達された。『黒い春』のほうは日本では全くないような
ので原文を買って読むしかない。
オーウェルはとくに好きな作家になり、『カタロニア讃歌』が気に入ってい
るが、その後に作家自身の言葉で書かれた言葉で検討すべきことがあったのを
忘れないようにしたい。
◎雨宮紀子(Gatta Italiana)
イタリア・フィレンツェ在住。著書に『天才力 三巨匠と激動のルネサンス
(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ)』(世界文化社)、『メ
ディチ家 ルネサンス・美の遺産を旅する』(世界文化社)。
melmaで16年間、メルマガ「イタリア猫の小言と夢」を発行。
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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アーヴィング・ジャニス 堀江達郎訳
『集団浅慮 政策決定と大失敗の心理学的研究』新曜社 4300円
真珠湾攻撃に無警戒だったこと。大失敗に終わったピッグス湾事件。ベトナム
戦争の泥沼にはまってしまったこと。そして大統領自らが、犯罪に手を染めた、
ウオーターゲート事件。アメリカの現代史は、大失敗(fiasco)の連続として
語ることができます。なぜ「ベスト・アンド・ブライテスト」が集うホワイト
ハウスで愚かな意思決定がなされ続けてきたのか。グループ・ダイナミクスの
権威である著者は、その答えを小集団内部に生じる同調圧力が、人々に誤った
決定を強いる「集団浅慮(group think)のメカニズムの中に見出しています。
アメリカの大統領の意思決定には、側近たちのグループの助言が大きな影響を
与えています。大統領から直接選ばれた側近たちのグループは、互いの能力を
高く評価し、強い凝集性(仲間意識)を誇っています。しかし、これは両刃の
剣です。信頼する仲間同士が腹蔵なく語り合う中から、個人の知的レベルを超
えた、賢明な結論が導き出される可能性もあります。他方、この素晴らしい仲
間集団から排除されることを恐れて、支配的な意見への批判を差し控える危険
性も同時に孕んでいます。集団浅慮はここから生まれると著者は言います。
優秀な人たちの間にはえてして万能感が生れてきます。そして敵方の力量を、
粗雑なステロタイプに基づいて、実際より低く見積もる傾向も生じやすいので
す。全能感と他者への侮り。超大国アメリカの指導者たちが嵌った罠がまさに
これです。真珠湾攻撃に際しては、日本軍(人)の能力に対する、明らかな侮
りがありました。「アジア人」や「共産主義者」たちへの侮りがなければ、冷
戦期の諸々の大失敗は起こらなかったはずです。大統領の力をもってすれば、
犯罪など簡単に揉み消せるという驕りが、ニクソンを破滅へと導いたのです。
ピッグス湾事件で大失敗を犯したケネディ政権が、翌年のキューバ危機に際し
ては、賢明な対処をしています。ロバート・ケネディは、かつての愚を繰り返
さぬよう、すべての提案に対して厳しい指摘を投げかけていきます。「共産主
義者」たちへのステロタイプを捨てて、大統領は、ソ連の指導層は自分たちと
同じ人間であり、理にかなった提案には必ず応えてくれるという信頼をもって、
粘り強く交渉を重ねていきます。「彼らに屈辱を与えるな」ということばは印
象的です。キューバのミサイル基地は撤去され、人類は滅亡を免れたのです。
本書は、アメリカ版の「失敗の本質」(野中他・中公新書)として読めます。
『失敗の本質』は日本軍の組織論的研究であり、本書はアメリカの政策決定者
たちの集団心理学的分析という違いはありますが、共通するのは、全能感と他
者への侮りが大失敗を招くという認識です。低迷を続ける経済。コロナ禍。そ
して東京オリンピック。最近の日本は大失敗だらけですが、賢明な人たちが愚
かな決定をしているのではなく、愚かな人たちが集まってその愚かさを増幅さ
せながら、破滅への道を歩んでいるようにしかみえないのが悲しいところです。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「根性論」の話
漫画家に根性論は必要か?と聞かれたら、まあ人それぞれだと。
ただ締め切り間際になって来ると「根性が有れば何とかなる」と言う人は多い
と思う。
締め切り前の仕事場がコーヒーのCMのごとく修羅場となっていたのも事実。
でも実際に必要なのは「根性」と言う抽象的なモノではなく「冷静な判断」や
「具体的なスケジュール管理」や「絶対的な作画スキル」だったりして、それ
を持つ者が修羅場をくぐり抜けて行く事が出来た。
だが私の様な怠け者はついつい何処からか降ってくる神がかりの様な力を求め
てしまう。
この話のために根性と言う言葉を検索してみたら仏教用語の機根を意味すると
か、生来持っている能力を言うとか…どうも火事場の馬鹿力的なモノではない
ようだ。
そう、「根性を出せ」とか「根性を見せろ」とか言われてもそれは能力がある
事が大前提なので「ない袖は振れない」
イラストレーターのチャンキー松本さんが「毎日一枚必ず絵を描く」と言うの
をやっていて根性あるなぁと思っていたのだが、毎日絵を描く事を厭わない人
でその能力もあるからで、別に根性を出して描いていたわけではなかった。
なぜこの時期に根性論の話かと言うと、大学では丁度前期作品の締め切りにあ
たり、1週間ぐらい前から学生さんにはもう「根性」しか言う事がなくなってし
まったため。
今回の作品制作の最大ミッションは「期日内に完成させる」(情けないけど)な
ので2、3週前までは具体的な方法やテンションの保ち方などをいろいろ語って
いたのだが作品を描くのは本人なので何を言っても遅々として進まない状況で
はこちらも打つ手はない。
とうとうここに来ては「根性を見せろ〜!」と言う昭和テイストスポーツマン
ガの様なセリフしか出せなくなってしまった。
ない袖は振れないけどもしかして「それなりの能力をまだ温存させているので
は?」と考えて「根性」と叫んでしまうのだが残念ながら手答えはない。
根性論はデメリットの方が多いようで自分も嫌いなワードではあるし締め切り
間際に言う事がこれしかないのも不徳の致すところだ。
何か良い方法はないものかと友人に相談したら「そもそも締め切りが何なのか
認識してないんじゃ?」と。
確かに…ここでの(学内)締め切りはあくまで学校内の事で破ったとしてもペナ
ルティは発生しない。いくら根性論を説いても響かないか。
しかし毎回メルマガの締め切りを極限まで引っ張ってるお前はどうなんだと言
われそうだな。
そう、24日に根性を出す。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第128回 『アートフェア2022 ——— ドクメンタ15 カッセル 』
コロナの影響で延期になっていたアートフェアや芸術祭があちこちで開催され
ています。
日本ではこのコラムでお馴染みの<瀬戸内国際芸術祭2022>、そして会期がズ
レて同じ年の開催となった<越後妻有大地の芸術祭2022>を筆頭に、47都道府
県の至る所でアートイベントが開催中。
何度行っても楽しいもので、今年も瀬戸内国際芸術祭だけはなんとか訪れたい
と思っています。
□瀬戸内国際芸術祭2022公式サイト
https://setouchi-artfest.jp/
□越後妻有大地の芸術祭2022公式サイト
https://www.echigo-tsumari.jp/
海外ではドイツのカッセルで6月18日から開催された<ドクメンタ15>での事件
や騒動の記事がやたら目につきます。
表現の自由をめぐる厳しい批判と論争が今年も起こっているというか、今年は
特別に激しい論議が巻き起こっているようです。
今後のドクメンタの在り方を左右する深刻な問題を孕んだこの論争のキーワー
ドが、<ポストコロニアリズム>です。
おっそろしく込み入った歴史や環境、個々の国・民族などの立場が絡み合い、
まっこと奇怪な状況を呈している模様。
正直、平和な日本のボケ女子には奇怪すぎて理解できない、、、
しかし、とても深刻な問題が潜んでいることは(野生の?)直観でわかりまし
た。
あいちトリエンナーレで巻き起こった表現の不自由展論争よりも少なくとも10
倍はややこしい。
ところでポストコロニアルリズムとは・・・
植民地主義や帝国主義に関わる文化、歴史などを広範囲に取扱い、批評、評論
していく方法論や問題意識の集合体。
※Wikiから抜粋
ざっくりと説明を試みましょう。
間違ってたらごめんなさい(汗)
もともと開催前からパレスチナアーティストが参加していたり、芸術監督のイ
ンドネシアのアート・コレクティブ、ルアンルパがパレスチナのアートスペー
スのアドバイザーに名を連ねているなどが憶測をよんで、「ドクメンタ15は反
ユダヤ主義疑惑」説が浮上。
カッセル反ユダヤ主義対抗同盟がアーティスト選考委員会のメンバーや一部の
参加アーティストについて「イスラエルへの憎悪を助長した」と非難したこと
から本格的に論争勃発。
以前からドイツ国内で問題とされてきた、パレスチナ人に平等な権利と財産を
与えることをイスラエルに迫るBDS運動をめぐる問題もあり、論争激化。
反ユダヤ主義、イスラム恐怖症、人種差別の実態についてアーティストや知識
人の討論会も結局キャンセル。
ユダヤ系団体は、パレスチナ系のアーティストを含むためドクメンタが反ユダ
ヤ主義的であると主張。
もちろんドクメンタ主催者側はそれを否定。
展覧会が開幕してわずか数日後、ドクメンタのキュレーターは、反ユダヤ的な
イメージを含むインドネシアの集団Taring Padiの作品への対応を余儀なくされ
る。
当初は作品をバナーで覆うだけだったが、後に撤去に同意。
アート界に多大な影響力を持つアーティストのヒト・シュタイエルは、この主
催者側の対応に信頼がおけないとして、自身の作品をドクメンタから撤去する
よう要求。
最終的には、ドクメンタ総監督が退任。
以下はヒト・シュタイエルの文章からの抜粋。
「もしこの美術展を適切な存在として保ち続けたいのであれば、世界の『地位』
に対して挙げられた繊細な声を、自らの歴史の『プリズム』を通して再評価す
るべきだ」
「しかしそのためには、この課題に関心を持って取り組むことができるチーム
が必要だ。さもなければ、これが歴史そのものになってしまう」
パックスアメリカーナの象徴としてのドクメンタの戦後モデルは疲弊している。
戦後は終わっていて、現状に即した文脈(深刻な脱グローバル化、包囲、困難、
温暖化、そして数十年にわたる絶え間ない戦争が続く世界)での存続をはかる
べきだとシュタイエルは書きます。
ポストコロニアリズムに別れを告げよということでしょうか。
そして現在のドイツの状況にもっと真摯に向き合うべきだということなんでしょ
うか。
アートは常に変化が必要なのに、アートフェアの運営自体は昔のポストコロニ
アリズム時代のままだった、、、、みたいな顛末です。
※以下時系列で記事を並べました。
一つだけ読むなら7月19日の記事に目を通してください。
□2022年5月17日付 アートニュースジャパン記事
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/214
□2022年6月9日付 アートニュースジャパン記事
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/256
□2022年6月24日付 アートニュースジャパン記事
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/280
□2022年7月19日付 アートニュースジャパン記事
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/329
日本の芸術祭はドクメンタ15に比べればお気楽度が高いのでアクセスしやすい
です。
近くのどこかできっと芸術祭やアートフェアが開催されていると思います。
覗いてみてください。
私達がいきている今日の社会について考えるいい機会になると思います。
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 25
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東京五輪の聖火リレー
沖縄に国際聖火リレーが到着したのは、1958年5月に東京で開催された第3
回アジア競技大会に際して、フィリピンで採火された聖火が沖縄を経由して東
京へ運ばれたのが最初である。
この時の先例に倣い、1964年の東京五輪での聖火リレーが沖縄を経由すること
は、1962年7月4日に開催された第1回聖火リレー特別委員会の席上で決定さ
れたが、同年11月には駐日米国大使館一等書記官のサタリンが「聖火が日本領
土に到着する最初の土地が沖縄であるということは言わないでもらいたい」と
の“要望”が日本側に出されている。
1964年8月21日(以下、日時はすべて現地時間)、ギリシャ国王コンスタンティ
ノス二世臨席の下、オリンピアにあるヘラ神殿跡で採火された東京五輪の聖火
は、その後、アテネ、イスタンブル、ベイルート、テヘラン、ラホール、ニュー
デリー、カルカッタ(現コルカタ)、ラングーン(ヤンゴン)、バンコク、ク
アラルンプール、マニラを経て、9月4日午後6時21分、香港の啓徳空港に到
着した。ここから先は、台北経由で同6日に成果は那覇に到着する予定だった。
ところで、マニラから香港へ向かう途中、すでに、台風17号(ルビー台風)
が東から香港に接近していたが、香港航空気象台の予報では、台風の予想進路
は香港島の南186キロを通過するとされていたため、飛行機は空港に係留されず
に駐機していた。
しかし、台風は予想進路を大きく逸れ、5日夜には香港島東側を通過し、半
径100キロ以内の海上は風速25メートル以上の暴風となった。なお、5日の時点
で香港発AP電によると、台風による香港の被害は死者15人、行方不明25人、負
傷者254人である。
このため、啓徳空港は、5日は終日閉鎖となり、成果を乗せたシティ・オブ・
トウキョウ号の出発も1日延期され、6日の午後0時4分とされた。
さらに、シティ・オブ・トウキョウ号は暴風雨の中、空港に吹きさらしの状
態で置かれ続けたため(空港の格納庫には、香港の宗主国である英国系の飛行
機が置かれていた)、5日夜、飛んできた異物の直撃を受け、補助翼と操縦系
統が破損して飛行不能になってしまった。
このため、9月6日午前6時12分、日本航空の代替機として、ジェット機の
コンベアCV880M“アヤメ”号が羽田を出発。同日午前9時57分、アヤメ号は啓
徳空港に到着し、午後2時45分には聖火を搭載して離陸しようとしたが、主翼
の二番エンジンの不調で飛行中止になってしまう。
このため、香港=羽田間の定期便の機材として啓徳空港にいた“カエデ”号
に聖火を積み替え、6日午後5時3分、当初予定から26時間遅れで香港を離陸
し、5時25分、台北の松山空港に到着。さらに、翌7日早朝、台北を発って、
午前11時45分、沖縄の那覇空港に到着した。
聖火の到着に合わせて開催された歓迎式典では、開催国に敬意を表するとの
名目で、それまでの慣行を破り、日章旗を先に掲揚し、次いで星条旗が掲揚さ
れ、記者会見では、聖火を運んできた日本航空聖火空輸特別派遣団の団長、森
田勝人が安堵感から「やっと日本に帰ってきました」と語り、地元の喝采を浴
びた。
組織委員会事務総長の与謝野秀は「沖縄は日本の国土であるから、聖火の日本最
初の上陸地点である。と同時に、また本土とまったく同じというわけにもいかな
いので、外国コースの終着点でもある」と述べ、当時の新聞は「沖縄があたかも
日本に『復帰』したかのような喜びにわきかえった」と現地の空気を伝えてい
る。
一方、琉球郵政は、当初、聖火到着予定日の9月6日に記念切手
https://blog-imgs-150.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20220724162551025.jpg
を発行することを計画していたが、台風で到着が遅れたため、切手の発行も7
日にずれ込んだ。
ところが、初日カバーに関しては、沖縄内外の収集家・切手商などからの注文
に応じるべく、事前に6日の消印を押したものが作成されていたため、それら
に関しては「聖火遅延のため発行日6日を7日に訂正す」との事情説明の印を
押し、あらためて、7日の日付印を捨印として押すという対応が採られている。
https://blog-imgs-150.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/2022072416255284c.jpg
さて、那覇空港を出発した聖火は、午後1時、奥武山陸上競技場に到着して
聖火台に点火され、「君が代」が吹奏される中、日章旗が掲揚された。
聖火リレーの日程は“法定休日”ではなかったから、厳密にいえば、日章旗の
掲揚は許されないはずだったが、沖縄住民の間では“聖火を日の丸で迎えよう
運動”が活発になり、聖火リレーの沿道、中継地点や学校前、あらゆる建物が日
章旗で埋め尽くされ、沖縄の若者たちが着用するゼッケンには五輪のロゴと日
の丸が付けられていた。
なお、コザ(現沖縄市)センター通りでは、7日、街灯柱に掲揚された日章旗
を米兵3人が引きずりおろして踏みつけ、現行犯逮捕されるという事件が発生。
ワトソン高等弁務官は徹底調査と犯人の処罰を約束し、米大使館を通して日本
政府へ陳謝すると発言する一幕もあった。
翌8日、聖火は那覇を出て南へ向かい、糸満、具志頭を回ってから、富里―新
里―与那原―西原と沖縄島東海岸を北上し、知花―安慶名―栄野比―石川―金
武―宜野座を経て、久志村(現・名護市)嘉陽を目指した。
そして、9日早朝、台風による日程の遅れを取り戻すため、分火された聖火が
鹿児島へ向かい、残った聖火は、当初の予定どおり、嘉陽から塩屋へ回って西
海岸を南下、名護、恩納、嘉手納、コザ、普天間、首里を経て、奥武山陸上競
技場に戻り、11午後、奥武山陸上球技場から那覇空港までの最後のリレーの後、
空路で沖縄を離れた。
沖縄本島を一周した聖火リレーの距離は247.1キロ、走者は、正走者・副走者・
随走者合わせて3473名だった。
一方、9月9日に鹿児島に到着した聖火は、その一部が分火されて名古屋経
由で札幌に運ばれ、南と北から東京を目指してリレーが始まり、10月10日の五
輪開会式当日、無事に東京国立競技場に到着する。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「切手でたどる郵便創業150年の歴史 Vol.3 平成・令和編」日
本郵趣出版、電子書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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り、広告は随時募集中です。詳細はメールにて編集同人までお尋ね下さい。
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■編集後記
3日ほど前に熱中症になりかけた。比較的、温度は低かったが湿度が高かった。
お年寄りがクーラーの電気代がもったいないと我慢して熱中症になって亡くな
る例が後を絶たないが、温度計を見ても、湿度を見ていないからではないかと
思った。
この仮説が正しいのか不明だけど、湿度が高い時も警戒する必要があると学び
ました。、
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★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第78回 「公共図書館と『自習』」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第157回 ぼく、ぼくたちは忘れてしまうから
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 五福堂開拓団の団長ー堀忠雄 というひと
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第2回 礼儀が田舎にやって来た
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■ 「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第78回「公共図書館と『自習』」
こんにちは。暑い日が続いたかと思えば戻り梅雨、体調を崩したりしてはいら
っしゃいませんか。
当方、休載が続き申し訳ありません。こちらは体調不良などではなく、このと
ころ本業が多忙を極めておりまして、失礼しておりました。今回も締切を過ぎ
てしまい、編集者のみなさまにはご迷惑をおかけしております。
さて、公共図書館を廻る市井の議論が噛み合わないのは、いまに始まった話で
はなく、わたしが図書館に関わるようになって以来30年ばかり経ちますが、す
っかり日常のひとコマとすら化している感があります。わたしの記憶する限り、
世紀が変わってSNSが普及して以降に限っても、次のような案件が巷間を賑わ
せてきましたが、議論が噛み合ったのはごく少なかったのではないかと見てい
ます。
・ホームレスの公共図書館利用
・官製ワーキングプア(図書館の非常勤[非正規]職員)問題
・指定管理者制度の公共図書館一般への適用
・『図書館戦争』の評価
・武雄市図書館ほかの公共図書館のCCC
(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)への指定管理者委託
・災害と図書館
・複本問題
・文庫本の貸出問題
つい先日SNSで話題になったのは「公共図書館における『自習』」問題です。
発端のツイート(敢えてリンクは貼りません)が著名人によるものだったこと
もあって、たちまち喧々囂々の議論が巻き起こります。その議論をひとつひと
つ取り上げていくだけの余裕は(締切を超過している現状では)こちらにない
のですが、それでも備忘代わりにいくつかの点を指摘しておきたいと思います。
まずは発端のツイートにおける「近年は公立図書館を自習室がわりに使うこと
が許されなくなった」という理解もしくは認知について。残念ながらこれは明
らかに間違いです。少し調べれば、公共図書館の自習場所としての利用が第二
次世界大戦前から業界の内外で間欠泉のように議論されてきたことは明らかで
す(1)。「近年」にわかに起こった問題ではありません。
また、自習室としての公共図書館というイメージを払拭するために、戦後の公
共図書館関係者が腐心してきたことが等閑視されています。日本図書館協会に
よる公共図書館に関する政策文書である『中小都市における公共図書館の運営』
(1963年)、『市民の図書館』(1970年)、『公立図書館の任務と目標』
(1989年)はそれぞれの言葉で繰り返し「席借り=自習」での公共図書館利用
を否定し続けてきました。『公立図書館の任務と目標』から引いてみます(2)。
「学生に限らず座席を借りるだけの自習は、たとえ住民の要求があったとして
も、図書館としては受入れられない。過去に席借りが図書館の発展をいかに阻
害してきたかを考えれば、これは当然のことである。」
これは「高齢者vs若者」という世代間抗争に矮小化してしまっていい問題では
なく、そのような議論の回収は問題の本質を見誤らせるものです。この国にお
ける第二次大戦後の「公共図書館運動」というものが、どのような意識を以っ
て行われてきたか、に関わることなのですが、公共図書館関係者の多くが心酔
する『市民の図書館』すら人口に膾炙していない現状で、公共図書館のサービ
スにかかわる歴史や専門知を踏まえろ、という方が難しい注文なのかもしれま
せん。
『公立図書館の任務と目標』にこんな一節があります。
「住民の図書館に寄せる期待や信頼は,要求に確実に応える日常活動の蓄積に
よって成り立つ。その基礎を築くのは貸出である。」
貸出至上主義が猖獗を極めていた1980年代後半では、レファレンスサービスす
ら排斥し「基礎は貸出」になるのは時代のなせるわざではありますが、
「席借り=自習」の排除と貸出サービスの推奨は、これは『中小都市における
公共図書館の運営』以来一貫した、公共図書館関係者が「エリートのための公
共図書館」を排し「民衆のための公共図書館」として公共図書館を住民に認知
してもらうための戦略の一環だったのです。
ところが、いまや社会の状況が変化して公共図書館に対する期待とその求めら
れる機能は多様化しています。多様化している、というよりはこの国の公共図
書館業界人が『市民の図書館』や「図書館の自由に関する宣言」を不磨の大典
として、図書館サービスの基本とされた貸出サービスの充実に邁進しているあ
いだに、公共図書館利用者の側が「ユネスコ公共図書館宣言」(3)で示されて
いる公共図書館の機能を求めるようになった、そしてそれは本来『中小都市に
おける公共図書館の運営』や『市民の図書館』が目指していた、公共図書館利
用者の成熟ということであったはずだったのですが、翻って利用者の成熟に対
する公共図書館業界人の意識はさてどうでしょうか。
公共図書館において「排除の論理」は貫徹するべきものではありますまい。
……次回を来月掲載できるようがんばります。
引き続きよろしくお願いします。
注記
(1)例えば次の記事。
公共図書館における席借り問題の言説史 - 書物蔵
https://shomotsugura.hatenablog.com/entry/20090207/p1
学生の自習と公共図書館/新出 - SYNODOS
https://synodos.jp/opinion/education/16674/
図書館での自習「禁止する側」の理由 大正時代から議論の的だった
https://withnews.jp/article
/f0180528001qq000000000000000G00110101qq000017379A
(2)公立図書館の任務と目標
https://www.jla.or.jp/library/gudeline/tabid/236/Default.aspx
(3)ユネスコ公共図書館宣言
https://archive.ifla.org/VII/s8/unesco/japanese.pdf
なお「ユネスコ公共図書館宣言」について興味深いのは、日本図書館協会が出
版している『図書館概論』(JLA図書館情報学テキストシリーズ)のテキスト
において「図書館の自由に関する宣言」には3チャプターを割いて解説してい
るにも関わらず「ユネスコ公共図書館宣言」はオプション扱いに過ぎないこと
である。このあたりの意識の有り様も変わらなければならないだろう。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第157回 ぼく、ぼくたちは忘れてしまうから
小田島隆が6月24日に亡くなった。享年65歳。ぼくと同じ歳。この人の辛口
で、忖度しない意見は痛快でこれからもずっと聞きたかった。残念でならない。
権力に対して痛烈な記事を書くコラムニストだったけれど、ぼくはこれまで
著書を読んだことがなかった。もっぱらラジオでの辛口コメントとツイッター
での発言を楽しみにしていた。ツイッターでは、たとえ炎上しても、いわゆる
クソリプにもいちいち対応しているのにも、驚いた。並の覚悟ではこんなこと
できないだろう。
小田嶋さんのツイッターのプロフィール写真を見てほしい。とてもキュート
でいいなあ、毒舌とユーモアをうまく表現した笑顔だ。ツイッターってたった
140字だ。連投することはあるにしても、さまざまなことについてぼくがモヤ
モヤしていることを140字で言語化してくれていて、ぼくはいつも「ああ、そ
うそう」とうなずく。胸がすく、というか、あまりにうまくこちらの憤りや不
満を言い表してくれるので、自分で思考することを忘れてしまいそうになり、
それはそれでまずいなあ、なんて思っていた。
『災間の唄』(小田嶋 隆 著 武田 砂鉄 撰 サイゾー)を読んだ。2020
年の秋に出た本だ。ああ、もっと早く読んでいればよかった。でも、いま読む
ことに意味があるのかもしれない。10年経っていても、結局、同じことを繰り
返しているんではないか、と気づくからだ。
災間というのは、2011年の東日本大震災から2020年のコロナ禍までの約10年
間のことで、この本は、その10年間分の小田嶋隆のツイートをもとに時代を読
み解いている。
それにしても10年間、約400万字のつぶやき続けたというのもすごいけれど、
そのつぶやきをすべて読みこんで10万字ほどまで絞り込んだ武田砂鉄もすごい
なあ!
この本についての小田嶋隆と武田砂鉄の対談をネットで読んでいたら、武田
砂鉄が「本として読める形に編集するために重要なのは、面白いと感じる能力
よりもビシバシと切り捨てる冷酷さが必要だった」といっている。そうして
「面白さの純度を高めていく」のだそうだ。2011年から始まり2021年まで、
10年という歳月の記録だからこの本は368ページもある。かなり読み出がある。
それでも読んでいて中だるみなどせずに、いっきに読んでしまうのは、
「面白さの純度の高さ」のためなんだろう。
構成も読みやすいように工夫されていて、まずその年の主な出来事を見開き
で記してある。ここを読むだけで、「ああ、そうだった、そんなことがあった」
といろいろと思い出す。
たとえば2011年ならば、もちろんおおきな事件といえば「3.11 東日本大震
災発生」なのだが、ほかにも大相撲の八百長事件や米軍がアルカイダの
ウサマ・ビンラディンを殺害していたり、大阪府知事、市長のダブル選挙があ
って、日本維新の会代表の橋下徹が大阪市長に、幹事長の松井一郎が大阪府知
事にそれぞれ初当選したのはこの年だった。明るい話題では女子サッカーでは、
日本代表がアメリカ代表に勝利して初優勝している。この1年だけでも、これ
だけのことがあったんだ。
そのつぎに武田砂鉄が、その年の特徴を小田嶋隆の主要なツィートを取り上
げて解説を書いている。この解説を読むだけでも、小田嶋隆がどんな「さえず
り」を聞かせてくれているのか、エッセンスを読むことができる。読者は心の
準備を整えられるわけだ。
そしていよいよ小田嶋隆の一年分のツイートが登場する。ツイートは、たっ
た140字なのに、いや、140字だからこそインパクトのある文章になっている。
語呂合わせ的な言葉遊びも交えて、怒りながら、文句を言いながら、笑わせる
ことも忘れない。
2011年は東日本大震災の年だったから、「絆」という言葉がやたらと使われ
た。「なーにが絆だよ!という声を糾合すべきだな。非絆の絆。安易な絆を認
めない市民の会」とか「絆は悪くすると束縛そのものになる。そこが愛との違
い」なんていうツイートは10年以上経った今、あらためてうなずいてしまう。
この「絆」がオリンピックにつながっていくし、「日本を元気にするため」
なんていうプロパガンダになっていく。
ちょっとページを開くだけで、思わず膝を打つ言葉が見つかる。
「生命の軽視。自己犠牲の美化。暴力賛美。身分秩序の全面肯定。形式主義。
個性圧殺。集団主義。横並び主義…日本人のいやなところはほとんど武士道由
来な気がしますよ」
「対案を出せ、という言い方は、改革に反対する側に挙証責任があるかのよう
に見せかける議論のすり替えです。政治的な決断によって何かを変える場合、
変えようとする側の人間が、メンバーの一人一人を説得しなければなりません」
「せっかくだから若い人たちに助言しておく。根性なんか出すと才能が枯渇す
るよ。あと、がまんばっかりしてると人間の器が小さくなるから要注意。歯み
がけよ」
「戦争はそもそも『正義のための大量殺戮』という背理を含んでいる。だから
正義のためであれ愛国のためであれ、戦争(ないしは戦時体制下の施政)を肯
定する以上、その文脈の中では人命や基本的人権を否定することになる。とい
うことはつまり、戦争そのものを否定する以外に選択肢はないわけです」
『災間の唄』を読みながら、ぼくは怒りとともに10年間を思い出す。
「思い出す」。そうなんだ、ぼくは忘れてしまっていた。あまりにたくさんの
ことがあって、記憶が上書きされてしまっているようだ。小田嶋隆のツイート
とともに10年間を振り返ると、当然安倍政権を振り返ることになる。人を小馬
鹿にしたような薄ら笑いと物言いが思い出されて不愉快になり、森友学園、加
計学園、桜を観る会などなにも疑惑が晴れていないことを再び憤慨する。
参議院選挙投票日の直前に安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。4回目のワクチ
ンを打って帰宅したときにニュースで知った。ちょっとまえに『災間の唄』を
読み終えて、このコラムの原稿を書こうと準備をしていたところだった。
事件のショックとワクチンの副反応で頭がもうろうとした。ぼくのショック
に追い討ちをかけたのが、テレビでの安倍賞賛の報道だった。いや、報道とさ
えいえないものばかりだった。それも「やさしいお人柄」とか「日本のために
尽くした人」とか情に訴えかけるものばかり。
安倍元総理の葬儀が行われて、記帳に並んでいた高校生ぐらいの女の子が
「わたしにとっては、お父さんのように思える人」なんていっている。耳を疑
った。「お父さんって!」
小田嶋隆だったら、どんなふうにツイートを書き込むのだろう。
7月13日付の東京新聞朝刊「こちら特報部」では安倍政権の負の遺産につい
て特集を組んでいる。うそにまみれた安倍語録を集めて「負のレガシー」とい
かに向き合っていくかを考えなくてはならない、とある。
ぼく、ぼくたちは忘れやすい。地道に忘れないための努力をしなくてはなら
ない。小田嶋隆の『災間の唄』は、そのことを教えてくれている。タイトルに
使われている「唄」だけど、ボブ・ディラン、ポール・サイモンの曲がときど
きつぶやかれて、小田嶋隆の音楽への愛情が感じられる。ラジオのレギュラー
コメンテーターだったTBSラジオ「たまむすび」では追悼の曲としてエルヴィス
・コステロ・アンド・ジ・アトラクションズの『オリヴァーズ・アーミー』が
かかった。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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戦前に中国東北部いわゆる「満洲」には大勢の日本人開拓団が移住しました。
しかし日本の敗戦直前のソ連軍の侵攻そして無条件降伏を機に開拓団は日本に
引き揚げていきます。
本来彼らを守るべきであった軍人や役人たちはいち早く引き揚げてしまった
ため、その過程で多くの犠牲者を出したことは広く知られています。その他に
もソ連軍への女性の供出が行われたり、中国に残らざるを得なかった残留孤児
が生まれるなどの事態にもなりました。
そんな中、幾人かの犠牲者は出したものの、日本の敗戦後も中国の地で生活
を一年余り続け、少し落ち着いてから帰国することのできた開拓団が存在しま
した。
『未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録』、堀忠雄著・黒澤勉/小松靖彦編、
文学通信、2022
本書は戦前の満洲に日本人開拓団として入植した多くの開拓団のうちのひと
つ、五福堂開拓団の団長であった堀忠雄の手記とその解説で構成されています。
本書の核をなすのは堀忠雄の残した手記『五福堂開拓団十年記』です。ここ
には1937年から1942年までの開拓団の歩みが記されています。「十年記」なの
に五年分しかありませんが、実際には終戦後の1946年までを書く構想があった
ようですが、その後半部分は今のところ発見されていません。
そして日本敗戦後に開拓団の歩みを振り返った『私は終戦にこう対処した』、
『満洲開拓団受難を考える』、『開拓忌三十三年』といった回想も収められて
います。
五福堂開拓団はほぼ未墾の地に入植しました。解説によると現地住民から安
く買い上げられた既墾地に入植する開拓団が多かったそうですが、それは現地
住民の反感を買うことにつながりました。
堀は開拓団の団長に就任する前に満洲の農芸訓練所で中国語を学び中国語で
現地の住民とも意思疎通が可能でした。また満洲で日本人が優先されている現
状を強く批判し、匪賊のリーダーからも一目置かれていたといいます。未墾地
にあえて入植したのも彼の希望だったようです。
『五福堂開拓団十年記』には堀たちが苦労して土地を耕してゆくさまが詳し
く記されています。彼は開拓団事業を強く推進した加藤完治の弟子ということ
もあり、理想に燃えて開拓の事業にあたっていたこともうかがえます。
この開拓の日々の中に堀の個性が見え隠れします。
例えば先遣隊の開墾がひと段落して、後続の本隊が入植してきた際にそれを
指導してきた人物が「元共産党員」であるという話が広まったことがありまし
た。これを受けて元軍人の警備指導員がこの「元共産党員」との対決を公言す
るようになります。
そして堀は警備指導員の側に立ち、この「元共産党員」を開拓団から追放し
てしまうのでした。ところが実際にはこれは警備指導員のでっち上げでした。
堀は手記の中でこのことについて強く後悔しています。この事件を機に彼の
開拓団の身分に対する考え方が変わったと書いています。それまでは「『来る
者を拒まず・・・・去る者を追わず・・・・』という人生観より『去る者を作
らず』という観念に近づいて行った。」(p,129)
また師である加藤完治の忠告とは真逆の方針で開墾を進めたり、東大の教授
に「ものにならない」と言われた現地の朝鮮人の稲作方法を取り入れたりもし
ています。
自らの理想の実現のためには柔軟に考え方を改めることのできる、優れたリ
ーダーであったことが伺えます。
彼の理想は皆が平等に相和して暮らしてゆけるような開拓村を築くことであ
ったようです。五福堂の学校に宮沢賢治の教え子が教師として赴任していたと
いうのも示唆的です。
夫の病気で帰国した夫婦が、夫の死後妻だけで五福堂に戻って来るというエ
ピソードも記されています。この女性は「内地の様に封建的な社会」(p,177)
では生きていけないと思って帰ってきたと言っています。ここからも五福堂の
村のありようが伺えます。
そしてそのような堀だからこそ日本敗戦後の混乱の中でも、開拓団の犠牲を
少なくする方へ導いていくことが出来たのでしょう。『私は終戦にこう対処し
た』、『満洲開拓団受難を考える』といった手記も短いものですが非常に興味
深いものです。
ただそのうえで堀の理想があの時代に生まれたものであることは、否定でき
ません。他国の領土を侵略して傀儡国家を作るという政策の中で描かれたもの
です。
終戦後堀自身は五福堂に残って営農指導する道もあったようなのですが、そ
れは断って帰国しています。それは国の役に立てないのであれば開拓民として
満洲にいる甲斐はないと堀が思っていた可能性を感じさせます。実際堀は開拓
団を防人になぞらえていたといいます。
自分が生きている時代において世界と日本と自分の立ち位置を冷静に俯瞰し
て生きるのは難しいことですし、別にそれを強く批判する気はありません。し
かし堀の作ろうとした理想の村が生まれた元を辿っていくとモヤモヤした気分
になります。
現地住民と友好的な関係を築き、少ない犠牲で引き揚げることのできた五福
堂開拓団の歴史は、開拓団の描いた理想とその限界も私たちに感じさせます。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第2回 礼儀が田舎にやって来た
白い防護服を講習で習った通りに外側に触れないようにして、内側から外側
を丸め込んで、足先からすぽっと抜き取ろうとしていると、上から「辛苦了」
と声がかかる。こちらもお疲れさまと答えて、足先に集中していた視線を上に
向けると、すでに防護服を脱ぎ終わった劉先生が笑って一緒に帰ろうと言う。
4月末、上海がロックダウンとなって1ヶ月ほど経った頃のことである。
上海で、いや中国全土の都市で、ロックダウンを始めるのはとても簡単だ。
中国大陸における居住地域の大多数は「小区」と呼ばれ、周囲を塀や柵によっ
て覆われている。出入りは決められた門を通るしかない。門には「門衛」と呼
ばれるガードマンがいる。ガードマンが門を閉じて、黄色の警戒線を張り巡ら
せば、それでもうロックダウンは完成である。
ロックダウン後の小区を管理するのは、各小区に設置されている「居委会」
である。存在は知っていても、普段は接点など全くない組織だった。その居委
会がロックダウン以来、俄然活躍し始めた。政府からの支給品の管理と配布も、
PCR検査や抗原検査に必要なキットの手配も、病気などのため緊急で外に出な
くてはならなくなった住民に通行証を出すのも、全て居委会の仕事である。
私が住む小区の住民は400人ほどである。20階建のマンション2棟と10階建マ
ンション2棟の規模の小さな小区である。居委会の人数も必然的に少なくなる。
居委会の中には、自分が住む小区から出られない人もいた。だから居委会の中
心である初老の「書記」が、私の小区では常に働き続けていた。
上海市から小区の書記のもとに、PCR検査の日時などが伝えられるのは、夜中
の2時や3時であることが多かった。朝の7時にPCR検査を行なうための医者が到
着すると、4時間前の真夜中になって、ようやく伝えられるのである。指令を
受け取った書記は、すぐさまボランティアのリーダーに連絡をし、朝から始ま
るPCR検査を手伝う要員を確保しなければならない。ロックダウンの期間、書
記の顔はみるみるやつれていった。
ボランティアに参加できるのは限られた人だけだと思っていた。しかしロッ
クダウンが始まって少しして、小区の住民全員に、ボランティアへの参加を呼
びかける連絡が送られて来た。お隣の楊さんがボランティアをしていることを
知っていた私は、外国人でも参加できるか小区のグループチャットで聞いてみ
た。大歓迎だと言う。小学2年生の子どもがいて、ただでさえ大変なのに楊さ
んは、支給品を運んだり、PCR検査の告知をしたりして汗だくになっていた。
上海で私は独り身である。荷物を運ぶくらいなら、中国語が拙くてもかまいや
しない。そう思って、私はボランティアに参加した。
最初の仕事は「巡羅」、すなわち見回りだった。小区によっては、家から出
てはいけないという「足不出戸」を守らず、ボランティアとの間でいさかいな
ども起きていた。ちょっと緊張したが、何事もなく終わった。私の小区に住ん
でいるのは、みな大学の先生かその家族である。お行儀がいい。聞き分けがい
い。「足不出戸」を守らない人などいるはずがない。「巡羅」は私にとって、
気持ちのいい散歩と同義語になった。
白い防護服姿で行なうPCR検査の仕事は少し大変だった。列を管理する役目
の時は、列を乱したり割り込もうとしたりする人を注意するだけでなく、検査
のために必要なQRコードの使い方を説明しなくてはならなかった。毎日検査を
する意味がどこにあるのかと怒りをぶつけてくる人もいた。中国語がわからず
苛立つ欧米人の文句を聞いてなだめるのも私の役割となった。
また、なかなか降りてこない人を呼びに行く役目の時は、ボランティアがエレ
ベーターを使うのは禁止されていたので、1階から20階まで往復しなくてはな
らなかった。3回往復したこともあった。その時は防護服の下に来ていたTシャ
ツは汗でびしょびしょになり、足はガクガクしてまともに歩けなくなってしま
った。
しかし3週間も経てば、みな慣れてしまう。PCR検査の時間はどんどん短くな
り、必要とされるボランティアの人数もどんどん少なくなっていった。列を管
理する「維護秩序」のボランティアなどいなくても、誰の行動も秩序立ったも
のとなった。最初はやり方を教える動画を何度も確認して、ビクビクしながら
行なっていた抗原検査など、目をつぶってでもできるようになった。講習を受
けた後も何度も注意され続けた防護服の着脱も、手慣れたものとなった。小区
の住民は、コロナ禍における「礼儀」を身につけ「文明」化された。検査が繰
り返される日々は、こうして日常と化していった。
ボランティアを通して親しく話すようになった劉永華先生は歴史学科の教授
である。数日前、一緒に「巡羅」のボランティアをした時に、先生がカナダの
マギル大学で博士を取ったこと、明代の習俗を研究しており、歴史学と民俗学
を兼ね合わせたような研究をしていることなどを聞いていた。
イタリアの歴史家、カルロ・ギンズブルグのことを思い出して聞いてみたら、
そうそうと言って、eticとemicの話になる。ギンズブルグは外から観察者とし
て分析するeticと当事者としてかかわって分析するemicを区別した上で、両者
の対話の重要性を説いていた。まさにeticとemicを対話させようとしているの
ですねと言ったら、私は歴史家としてやはり外から見るしかないなあ、歴史に
対してemicにかかわるのは難しいと言って、ボランティアを実際にやりながら
ロックダウンの上海を体験しようとするなんて、まさしくemicじゃないかと言
って、笑いながら私の肩をたたく。
防護服を決められたゴミ箱に捨てて手の消毒をした私は劉先生とともに、
PCR検査を終えたばかりの中庭を歩いていく。劉先生と私の部屋は同じ建物の
同じ階にある。エレベーターを降りると、ちょっとここで待っていてくれと言
って、自分の部屋に向かっていく。出てきた劉先生が私に手渡したのは、英語
で出版された博士論文を中国語で書き直した本、『礼儀下郷 明代以降閩西四
保的礼儀変革与社会転型』(三聯書店、2019年7月)だった。もしよかったら
読んでみてと言って劉先生は部屋に戻っていった。開いてみると、私の名の後
に「指正」と書かれていて、「劉永華 謹呈」と記された栞が挟まっていた。
劉先生がこの本でテーマにしたのは、福建省の西の山中にあって、「福建の
西の大門」と呼ばれる汀州の「四保」に、儒教の「礼儀」が入ってきたプロセ
スである。辺境の辺境ともいうべき汀州は、客家や「畲族」と呼ばれる少数民
族の居住地域であると同時に、「盗寇」の横行する地域でもあった。支配され
ざる者が跋扈する辺境の山中、それは「ゾミア」に近いものだったようだ。劉
先生はジェームズ・C・スコットの『ゾミア 脱国家の世界史』の一節を引い
て、「国家空間state space」の支配が制限された地域だったと書いている。
そうした汀州は明代以降、「文明」化されていく。印刷出版業が特に四保で
盛んになり、それと同時に儒教の儀式、すなわち「礼儀」が浸透し、人々の日
常を変容させていった。劉先生が「礼儀」を広めるにあたって決定的な役割を
果たしたと考え、注目したのは「礼生」である。儒教の儀式を司る「礼生」は
史料も少なかったため、これまであまり注目されず、研究もほとんどなされて
いなかった。その「礼生」に迫るべく劉先生は四保に赴き、史料を発掘し、古
老の話に耳を傾ける。曖昧模糊としていた「礼生」の姿を浮かび上がらせてい
くプロセスはスリリングの極みだ。
重要なのは劉先生が、グラムシの『獄中ノート』やミシェル・ド・セルトー
の『日常的実践のポイエティーク』をふまえて論を構築している点である。
中央のエリートがもたらす「礼儀」を「文化ヘゲモニーcultural hegemony」
とみなす視点は、逆に言えば従属文化を否認しない姿勢を示している。儒教が
「日常的実践」を仕立て上げたとしても、支配されざる者の要素は潜在し続け
る。「文明」化されたスマートな空間に宿る「ゾミア」的な要素に、劉先生の
眼差しは向けられている。私にはそう思われてならなかった。
今日も上海ではPCR検査という名の儀式が行われている。儀式を乱す
非「文明」的なふるまいをする人は皆無である。列は整然と続き、スマートフ
ォンを起動させてQRコードを提示する手並みはあくまでも滑らかだ。しかし
「礼儀」によっては抑圧し尽くすことのできない野性が、「文明」的な上海に
も潜在しているのではないだろうか。
「礼儀下郷」。「礼儀」はどんな辺境の田舎にもやって来る。「礼儀」は今の
中国に遍く存在する。しかし「礼儀」に馴化されない過剰さが、この地には確
かに存在している。それを感受するためには、やはりeticとemicの対話が欠か
せないのかもしれない。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されていな
い面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読ん
だり映画を見たりして過ごしています。
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■あとがき
毎度、配信が遅くなって申し訳ありません。思いもよらないことが起こりす
ぎ、頭がついていかない夏を過ごしています。雨も多いし、暑さもノンストッ
プ。コロナもおお流行りの夏が始まりました。気持ちも体も大事に、充実した
時間を過ごしたいものです。よい夏を! 畠中理恵子
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★トピックス
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その73 ユートピアの食事 その3 『ばらいろ島の少年たち』
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 第138回 詩人の性教育
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
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■トピックス
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(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その73 ユートピアの食事 その3 『ばらいろ島の少年たち』
前回は、パリの下町から、ばらいろ島へ連れてこられたチフェルナンの物語
を見てみたのだが、今回はその続編の『ばらいろ島の少年たち』で、この島が
本当のユートピアに姿を変える様子を見てみようと思う。ばらいろ島とは、大
金持ちのバンサンおじさんがパリの貧しい少年たちを連れて来て寄宿舎学校に
入れ、楽しいヴァカンスのような日々を過ごさせるところだった。そんな地中
海の島「ばらいろ島」の物語は、冬休みの頃、突然様相を変える。バンサン氏
の会社が倒産し、島を維持していく経費を生み出すことができなくなったのだ。
島を売れば事業を再建する資金になるだろうが、バンサン氏は、もはやこのば
らいろ島の運営以外には何の興味もないのだという。そこで、贅沢なヨットや
自家用飛行機を売り、子供用のカヌーも幾つか売って、当座の運営資金にする。
使用人を減らし、生徒の数も三十六人から十九人に減らし、小さい生徒は行き
場のない数人だけにする。そして、みんなで力を合わせて作物を植え、魚を獲
り、何とか島が自立できる体制を整えて行こうと提案する。
そこで、生徒たちは皆、遊びながら学ぶというユートピア生活から、働きな
がら学ぶという形で、このユートピアを存続させる側に変わるのだ。
ところでこの島の住民は、学校関係者以外は二人の灯台守だけらしい。だか
ら学校の大人は、みな専門外の仕事に就く。パリから来たファンシュ先生は農
業を指導するし、その奥さんになったジャンチ先生は変わらず教師ではあるが、
午前の幼少の授業だけではなく、夕方からは年上の子供たちの教師もする。保
健係のルーカス氏は漁船の船長になる。医師は経済も担当することになる。バ
ンサン氏個人の召使だったブリコ氏は電気設備や車の整備担当をする。庭園係
長のコルミエ氏も残って果樹等の栽培をすることになった。あとは自ら申し出
て残ることになった女中二人を残して解雇されたようだ。チフェルナンの一家
はいつの間にか島の住人になっていて、父も兄も島で大工仕事などをしていた
のだが、道路づくりや畑の開墾などの中心になって働くようになる。母親も、
島に残った二人の女中と一緒に食堂で働くようになる。もちろんこの島は楽園
のようなところだ。作物は植えさえすればすくすく育つし、子供たちが力を合
わせて働けば、優秀な大人の働き手が一緒にいるので、何でもできてしまう。
まず初めに少年たちも力を合わせてトロッコの線路を伸ばすための土地整備
をし、道路づくりに励んだ。別の時間には、お遊びの釣りではなく漁師として
魚を獲り、毎日の糧として行く。広大な土地の開墾をして野菜畑を作り、様々
な苗木を買って来て植え、果樹園やブドウ園を作る。もちろん、合間合間に十
分な休息をとり、授業も受ける。そんな毎日を主人公のチフェルナンはこう言
って、その変化を楽しんでいる。
「つまり、ようするに、働くということは、なにか役にたつことをして、たの
しくあそぶことにすぎないんだ」
食べ物も多少変化して質素にはなっている。
<朝の食事には、今までのように、かしパンも干がしも出なかった。ただ、は
ちみつのついたパンと一ぱいのココアが出た>
もちろん、このはちみつも島の養蜂園のもので、どんどん規模を大きくして
いくらしい。
島でとれないものは、一週間に二度は船でマルセイユに買い出しに行く。パ
ンや新しい牛肉を買うとあるので、フランス人は肉なしには生きられない、魚
による自給自足生活はあり得ないのだと気づかされる。だが、ヤギを買って来
て、その乳を搾ることも始めたし、耕作用の馬も連れてこられたとある。そし
てもちろん少年たちはその世話もする。
この島での待遇は相当良かったろうから、やめさせられた職員たちには不満
もあったろう。多分そんな下働きの船員から噂を聞き付けたらしい海賊が、バ
ンサン氏の隠し資産(ここでは、金庫の中の宝石)を狙ってやって来たのを追
っ払う話などのゆかいな冒険談もあって、のどかで充実した世界がしばらく続
く。
彼らの島は繁栄を続け、耕作された土地には三千本ものブドウの木が植え付
けられ、やがてばらいろ島特産のブドウ酒が生産されて経済を支える未来が夢
見られていた。何百キロものジャガイモが植え付けられた広大な畑、果樹園な
どもできてきた。畑の野菜も豊かに実り、パリとは比べ物にならないほどおい
しくて思わず生でも食べちゃうほどのホウレンソウが食事に出るし、海ではイ
ワシが豊漁だった。でも、フランス人の少年たちは毎日のイワシ料理にうんざ
りしたようだが。
ある日の朝食を見てみよう。島でとれた食べ物ばかりの品々だ。
<オリーブに赤かぶ、イセエビにひなどり、サラダに、ヤギの乳でこしらえた
チーズにクリーム、アーモンドに、ほしいちじく>
海賊を追っ払ったお祝いの宴であるにしろ、これはごちそう過ぎないか?朝
食ではなく夕食の訳し間違いじゃないかと思うほどだ。だって、朝から伊勢海
老!(思わず漢字で書いてしまう。この方が豪華な気がしないだろうか?)に、
鶏肉なんてフルコースすぎるだろう。とにかく、オレンジも豊作でママレード
もなん十キロもできるし、何もかも順風満帆に思えていたのだが……。
それはたった一晩で起きてしまった。
雷が鳴り激しい雹が降り、すべての作物を叩き潰していったのだ。その後台
風がやって来て、強風と雨がすべてを押し流していった。道路も、線路も、畑
も、果樹園も、ブドウ畑も……。そして、カヌーは流され漁船は沈み、港の防
波堤までもが崩れてしまったのだ。
この楽園をあきらめるかどうかの瀬戸際に追い詰められて、バンサン氏は肺
炎で寝込んでしまう。けれども、少年たちはたくましく、力を合わせて大人た
ちと一緒に島の再建に走り回る。沈んだ漁船を引き上げるし、新しいガラス窓
は職人の手を借りず自分たちではめていく。屋根を修理したり、切れてしまっ
た電線を張り直したり、落ちた橋をつけ直すための土台を作り、防波堤用の岩
も運び込む。庭園や鳥小屋や温室という贅沢さは失われ、装飾的な美しさはす
べて失われてしまったけれど、手の届く範囲で畑も再建されていく。それでも、
蓄えは減り、これからの島の運営は難しいと落ち込むバンサン氏に、漁船の船
長となったルーカス氏は素晴らしい提案をするのだ。この島の海には、皆がも
う食べ飽きてしまったイセエビ(そう、あの贅沢な伊勢海老!)の豊富な漁場
があり、ルーカス氏はマルセイユの大料理店に週に三回届ける契約をしたのだ
という。朝夕、イセエビ漁に出て、生簀に生かしておけば安定供給することは
できるし、それにより必要経費はすべて賄える。半年漁に出れば一年分の諸経
費は出るというのだ。その証拠にルーカス氏はイセエビを売ったお金で買えた
ものを、少年たちと行列を作ってバンサン氏に届けるのだ。
<五人の少年はめいめいにバラの花をかざりにつけたメロンを一個ずつもった
……ブーブールとチフが十五キロのマスカットの入ったくだものかご、……テ
オとフェルナンが六十個のモモの入ったかご>、続いて、トマトのはいったお
もいかご、すのこにのせた大きなチーズ、サラダ菜、香料やバターや野菜の入
ったかご。そしてその先頭にはルーカス氏が大きなソーセージの数珠つなぎを
体に五メートル分巻き付け、片手に鶏肉のモモを持って歩いてきたのだ。
論より証拠のこのイセエビ効果で、バンサン氏の病気も治ってしまい、やが
て三年後、無事島は復興し、初めての葡萄酒が製造された祝いの宴の席で物語
は終わるのだ。
こうしてお金持ちのバンサン氏が気まぐれで作り上げたばらいろ島は、独裁
者の島から共同体で運営される島に変わって行ったのだった。
実はここで、一つ疑問がある。どうして作者は、この島にある贅沢なものを
嵐で叩き潰したのだろう?装飾品や過度の贅沢さへの非難は、ところどころに
見られる。例えば、贅沢なヨットを手放す場面で、ルーカス氏はヨットはピカ
ピカで派手で化粧をしていて、漁船の方が白木でいいと言い張るし、子供たち
にも自由に暴れまわれる漁船の方が好きだと言わせている。
素朴で実質的なものの方が美しいという価値転換は、プロレタリア美術や民
芸運動の中でも見られるものだ。貧しさで傷ついた子供たちを甘やかすユート
ピアから、働きながら学ぶユートピアへ変身するために、作者は徹底的に過去
の遺産を潰す必要を感じたのかもしれない。ゼロからの再出発と、島自身の豊
かさを再発見するためだとも言えるだろう。
だが、もしユートピアの創始者が美をあきらめきれなかったら、どうなるの
だろう?そういう思いを抱かせるユートピア世界を見出してしまったので、次
回はその世界にご案内しようと思う。
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『ばらいろ島の少年たち』シャルル・ビルドラック著 川崎竹一訳
少年少女新世界文学全集 第21巻 講談社
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』等
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第138回 詩人の性教育
―白石かずこ「「男根(Penis) スミコの誕生日のために」(1965年)
最近、「性」を巡る話題がニュースでしばしば取り上げられている。性被害
を告発する「#MeToo」の運動が盛んになり、特に映画業界における被害の深刻
さは世間を騒がせている。またアダルトビデオ(AV)に出演する女性たちの
性被害を防止するためのいわゆるAV新法の成立を巡っては、セックスワーク
のそもそもの是非にまで議論が及んだ。スウェーデンでは売春は女性蔑視であ
るとし、女性でなく買春する男性を罰する新廃止主義という考え方が出てきた。
中絶や避妊に関し日本の性教育の遅れを指摘する声も多い。本稿はこれらの問
題に深入りするものではないが、性を巡る意識が以前と比べ随分と鋭敏になっ
てきたなと感じる。
ここでかつて衝撃をもって迎えられた一編の有名な詩を改めて読んでみたい
と思う。白石かずこの「「男根(Penis) スミコの誕生日のために」という
詩で1965年に刊行された詩集『今晩は荒模様』(思潮社)に収録されたものだ。
この詩は当時のフリーセックスの潮流を背景に書かれている。現在の性を巡る
議論は主にセックスの危険な面、ネガティブな面を抉り出しているが、この詩
は自由奔放な性の営みの楽しさをおおらかにうたいあげている。現在の議論を
対象化する上で良いかと思い、取り上げることにする。
この詩は誕生日を迎えたスミコという女性のために書かれた、という体裁に
なっている。スミコは話者と仲の良い女友達であるようだ。話者は誕生日のお
祝いとしてこの詩を贈っている。テーマはセックスであるが、めでたい祝いの
詩なのである。
この詩は「神は なくてもある」の一行から始まる。「神」がいる世界の話
なのである。しかし、この「神」は「とかく不在」で「借金や 男根だけをお
いて/どこかにでかける とみえ」とある。放任主義で、人間を創造した後ほ
ったらかしにし、人間の好きなようにさせているらしい。「神」がいるという
ことは、人間はその存在が祝福されているとみて良い。これは作者の人間愛を
表してもいるだろう。。金銭欲や性欲のような俗っぽい感情を人間の本性に加
えて放任するということは、この「神」は自分が創造した人間たちを信用して
いるということだ。
話者はスミコの誕生日に祝いの品を用意しなかったことを悔やみ、「神の連
れてきた 男根の種子」を贈ることを考える。「細く ちいさな かわいい
声」のスミコに男遊びを教えるのである。ただ「男根は 日々にぐんぐん」育
つことは育つのだが、「故障したバスのように動こうとしない」。「コスモス
の 真中に 生えて」いる男の子たちは恐らくマジメが取り柄の、会社員や役
人を目指すような堅物たちであろう。彼らはおとなしく、性行動に積極的でな
い。
そこで「どこかのほかの/男をみたいと思う時は/ほんとに/よくよくその
バスの窓からのりだして/のぞかねばならない」。ボーイハントに行こうよ、
ということである。「男根が/動きだし コスモスのわきあたりにあると/眺
めがよいのだ」というのは、酒場やクラブなどにたむろっている洒落っ気のあ
る奴らを探そうということではないか。話者は素敵な男に遭遇した際の興奮を
「星空の 光りぐわいの寂しさ/真昼の おかしい冷たさが/腹わたにしみわ
たり/しみじみと みえるものはみえ すべて人は/狂わずにいられなくなる」
と、途轍もなく美しい表現で語る。
次が問題の箇所で「男根には 名前もなく 個性もない」と続く。これは本
当に面白い一行だ。気持ちのいいセックスをするのだから、相手は一時たりと
も離れたくない気分にさせてくれる特別な魅力の持ち主かと言えば、必ずしも
そうではない。いや、個性的かもしれないがそこがポイントにはならない。話
者がしたいのは一途な恋愛ではなく、素敵なワンナイトラブだからである。い
ろんな男と出会い、意気投合して、ワクワクした気分で事に及び一夜明けたら、
ありがとう楽しかったわさようなら、とさっぱりお別れして次に行きたいので
ある。
話者がハントする男たちも、この関係性を理解する気の良い連中である。
「それは若く陽気で/巧まない自信にみちている ので/かえって 老練な微
笑の影に似る」という詩句は、ノリが良くて活力があり、フィーリングを合わ
せるのがうまい男たちの様子を表している。空気が読める彼らだから、あと腐
れのない素敵なワンナイトが可能なのだ。
最終連の「男根は 無数に生え/無数に 歩いてくるようだが/実は単数で
あり 孤りであるいてくるのだ」は難解なフレーズに見える。が、フリーセッ
クスを楽しむための男性の捉え方を端的に述べていると考えると腑に落ちる。
男たちはたくさんおりそれぞれ魅力的だが、一人一人に拘る必要はなく、女側
としては「男と遊んで楽しい時を過ごす」ことだけ考えていればいいというこ
と。詩は「あなたに あなた自身が みえなくなり/時に あなたが男根とい
う意志そのものになり/はてもなく さまようのを/ぼうようと抱きとめてあ
げたいと思う」と結ばれる。無邪気でかわいいスミコという女友達に、男に縛
られる恋愛でなく、自由で開放的な、痺れるようなセックスの快感を教えてあ
げたいと、経験豊富なその道の先輩として言っている。少々刺激的な、ユニー
クな性教育の詩と言って良いのではないだろうか。
白石かずこは女性の性欲を「神」に祝福されたものとして肯定し、女性が性
的自由を謳歌することを推奨している。では、不特定多数との奔放なセックス
がどうしたら楽しめるのかと言えば、それは相手との間が「信頼」で結ばれて
いるからだろうと思う。良いセックスは相手に快感を与えることで快感を得る
ものである。意気投合して一緒に楽しめなければ意味がない。欲求のある者同
士が表情や仕草でサインを送り合い、確信が持てた時点で事に及ぶ。初めて会
う顔でも信頼できるという確信があるから大胆になれる。この詩はフリーセッ
クスをテーマにしてはいるが、裏テーマとしては「信頼」ベースの人間関係を
築くことの楽しさを描いている。
ここで現在話題にされることの多い「性的同意」という概念が生きてくる。
セックスは信頼の上で成り立つものだからこそ、その信頼を毀損する「無理強
い」という行為がNGになるのだ。近年の性教育において性的同意は重要視され
る概念だが、セックスが本来危険なものという前提の下で、つまり「不信」ベ
ースで教えられるとしたらそれは本末転倒だろう。セックスは本来楽しい行為
であり、人間関係を豊かにするもののはずである。知らない者同士が信頼しあ
って盛り上がれる共同体。白石かずこの詩に出てくる「神」は、自らが創造し
放任した人間たちがこうした関係を築くことを期待をもって見守っているに違
いないと思うのである。
*『白石かずこ詩集成 1−3』(書肆山田 本体5500−6000円)
*『白石かずこ詩集 現代詩文庫』(思潮社 本体1165円)
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■あとがき
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配信が遅くなりました。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→休載です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→サンデルますます快調
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→SNSから離れる時
★「はてな?現代美術編」 koko
→防衛費2%?フランスは・・・・w
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→キャラウェイの意向か?JC会議記念切手の謎
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■トピックス
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■トピックス募集中です!
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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マイケル・サンデル 鬼澤忍訳
『実力も運のうち 能力主義は正義か』 早川書房 2200円
松井秀樹がメジャーで活躍していたころ、ヤンキースのジョン・トーリ監督
はこう述べています。「松井はブルーカラーのような選手だ」。チームの勝利
に貢献するためなら地味で泥臭い仕事も厭わない松井を、身体を動かす仕事で
社会を支えるブルーカラーに例えたのです。トーリ監督の世代がいなくなった
アメリカでは、汗水流して働く人たちへの敬意は消え失せてしまいました。高
い「能力」に驕る高学歴層が、汗水流して働く人々を蔑視するようになったの
です。著者は先進諸国を覆う、歪な能力主義に異を唱えています。
アメリカの民主党とイギリスの労働党は、かつては経済的社会的弱者の政党
でした。しかし90年代以降、民主党も労働党も、その性格を一変させてしま
います。グローバリゼーションの時代に、両政党は高学歴者をその支持基盤と
してしまったのです。一層のグローバル化を推し進め、それに適応するために
高度な教育を受けることを国民に求めていきます。能力主義に凝り固まった両
政党は、低学歴層には極めて冷淡でした。低学歴層の受けた「屈辱」がトラン
プ大統領の誕生と、ブレクジットをもたらしたと著者は言います。
アメリカの学歴競争は、いまや日本とは比べ物にならないほど過酷なものに
なっています。難関大学の競争率は異常なまでに上昇しています。苛烈な競争
に幼時から晒された学生たちの多くが心を病んでいます。競争の勝者となった
若者たちは、自分たちの努力を誇り、努力しなかった低学歴層をますます蔑む
ようになります。異常な競争を勝ち抜くためには、親のサポートが不可欠です。
一流大学の学生は、豊かな親の子どもたちばかりです。アメリカは、主要国の
中で最も階層的な流動性の乏しい国になってしまったのです。
なぜエリートは傲慢になるのか。それは彼らが厳しい競争の勝者だから。そ
こでサンデルが提案するのが、入学試験におけるくじ引きの導入です。アメリ
カの超一流大学は、適格者をたくさん落としている。それなら一定の水準に達
した者をくじ引きで選抜すればよい。そうするとエリートたちも無暗に自分の
「努力」を誇ることもなくなる。「才能」と称されるものも、その人の生まれ
落ちた家族や、恵まれた生育環境によるところが大きい。実力も運のうちだ。
エリートたちよもっと謙虚になれ。著者はそう主張しています。
学歴エリートがわが世の春を謳歌する一方、アメリカの白人低学歴男性たち
は、悲惨な境遇に堕ちています。仕事を失い、薬物やアルコールに耽溺するこ
とで命を落とす「絶望死」が急増しています。アメリカ人の平均寿命は、近年
短くなっています。先進国では異例のことです。彼らの苦しみは経済的なもの
だけではなく、仕事を失い、社会的承認を得られなくなったことにあります。
すべての労働は社会に貢献を果たしていて、そこに貴賤はない。「労働による
承認」の中に著者は能力主義から脱却する糸口を見出しています。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「何を望む?」の話
最初に言っておくが「かなり情け無い話」だ。
先日神戸のJR高架下で長年営業されていた台湾料理店が高架の耐震工事のため
お店をたたまれた。移転しての営業も考えられたようだが一応は閉店して廃業
されたよう。その閉店話がSNSのグループでワイワイと取りざたされていた。
まず「何日に閉店するらしい」との投稿。
それに呼応して「えー、悲しい」「あそこが無くなるのは辛いなぁ」「閉店ま
でにもう一度行きたい」などノスタルジックな投稿が続いた。
ただ「店主に確認したけどまだ決まってないみたいやで」と言う投稿の後から
雲行きが怪しくなってきた。
「私も聞いたけどガセだと思う」「グループ内でガセ情報の拡散はやめろ!店
に迷惑」「閉店情報のせいでお客が殺到して大変な事になっている」「いや、
店の人に聞いたのだから正しい」云々。
そして結局、お店は最初の情報通りの日付で閉店し閉まったシャッターの横に
閉店のお知らせの紙が貼ってあった。
「ああ、移転再開があればなぁ」と思っていたらその後に…。
「ガセじゃなかったじゃないか!」「ガセと言った人は謝れ!」「そもそもな
ぜ店主は情報を隠したんだ?」「こんな終わり方は遺恨を残す」
遺恨?。果ては「あそこは最近味が落ちていた。閉店はなるべくしてなった」
あまりの情けなさに投稿を読むのをやめた。
なんだ?常連の自分に挨拶なしに辞めたのが気に食わないのか?そもそも本当
に常連だったのか?店をたたむにはそれなりに辛い決断をされたはずでその店
主に向かって「遺恨」だのなんだの…。
だいたいこの手のSNSグループ内で内輪揉めの様な小競り合いはよく見かける。
ほとんどはスルーしているのだが今回はよく行っていて思い出もある店なので
ちょっと気になっていた。
多分投稿の内容からして60から70代。「我が正義」がどんどん酷くなる年頃の
よう。
発言するなとは言わない。悔しかったのかも知れない。煽られてムカついたの
かも知れない。
だがそんなものは居酒屋で仲間内だけで叫いてほしい。
あの店は初めて叔父さんに連れていってもらってロー麺(ラーメンじゃない平
べったい麺)を食べながらビールを飲んだ学生時代の思い出がある。美味しい
料理を出してくれた店を静かに見送ってやろうとは思わんのかな。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第127回
『国家予算の1%を目指す ——— 1982年当時のフランスの文化政策』
La fête de la musique(音楽の祭典)は毎年6月21日の夏至の日の真夏の世の
夢です。
初めてフランスでこのお祭りに参加したときは、なんとウキウキしたことか!
近所のスーパーへ買い物に行くような気軽さで町の通りにでると、アマチュア
からプロまで様々な年代のミュージシャンが奏でる音楽で満たされていました。
あの気軽さがたまらなく素敵に感じたものです。
今思えば、あの頃の音楽祭は、かなり大物のミュージシャンが招聘されていて、
舞台も立派な舞台でした。最近では抗議行動のシーンでよくニュースにお目見
えするパリの広場に、当時は大きな舞台が組まれ、夜遅くまでコンサートが続
いたものです。
普通ならお金払わないと絶対聞けないようなミュージシャンのコンサートが無
料で見れるんですよ!
当時の私は大興奮してコンサート会場をはしごして歩き回りました。
フランスっていい意味で社会主義国みたいだなぁとも思いました。
今年の6月21日のパリは、イベントとしては若干地味だったようですが、それで
もちょっと外に出かけてブラブラしたい気持ちにはなったはずです。
この祭典の由来は、ミュージシャンのジョエル・コーエンが1976年6月21日に第
1回のSaturnales de la Musique(音楽のサトゥルヌス祭))という特別ラジオ
番組をやったことに始まります。
「Saturnales」というのは、古代ローマのお祭りで、フランス語では乱痴気騒
ぎの意味があるらしいです。
数年後の1981年6月10日には、社会党フランソワ・ミッテランの当選を祝して
「音楽と青春の祭典」が開催されました。
パリのレピュブリック広場で行われた無料コンサートには、約10万人の観客が
集まりました。
当時の文化大臣ジャック・ラング(Jack Lang 社会党議員)とモーリス・フルー
レ(元音楽舞踊省長官)は、この祝祭行事とジョエル・コーエンのサトゥルヌ
ス祭に触発されて「音楽の祭典」を創設しました。
第1回は、1982年6月21日。
初の公式音楽祭が開催されたのです。
そして今年は40周年にあたります。
今では110か国、350以上の都市で開催されているお祭りです。
ジャック・ラングは、「500万人ほどのプロアマ問わない音楽家達がフランスに
います。その人たちの活動を奨励し、さらにフランス国民全体に元気を与える
イベントだ」と話しています。
その当時の様子を下記の動画で垣間見ることができます。
□Franceinfo video (仏語)
https://www.francetvinfo.fr/culture/musique/fete-de-la-musique/video-i
l-y-a-40-ans-la-toute-premiere-fete-de-la-musique-en-france_5214289.ht
ml
1982年当時のジャック・ラングは、文化省の予算を国家予算の1%にしようと尽
力していました。その予算を使って、国内の美術館博物館への援助や演劇活動
への助成金を増額、映画産業への援助など、幅広い方面で勢力的に文化事業を
推し進めたのです。
この音楽祭もそのうちの一つです。私が渡仏した1990年代後半にはすっかりそ
れらの活動が定着していて、それぞれに盛り上がりを見せていたような気がし
ます。
日本では文化事業への国の関与が、逆にその分野の活動の足を引っ張ることも
多いのですが、フランスではそういうわけではなさそうでした。
今のフランスに目を向けると、2024年のオリンピックに向けて、現在大規模改
修工事だらけのパリですが、昔の優雅さをいつ取り戻すことやら。
パリの町については心配が絶えません。
さらに先日の選挙で、日本でいうところのねじれ国会になっているので、国レ
ベルでどんな政策が行われるのかさっぱり見当もつきません。
安全保障問題や日々のガソリン代や日用品の物価上昇の陰で、文化事業がどの
ような方向に進むのでしょうか。
先日の6月21日は仕方がないので自宅にいながら<ひとりストリーミング音楽祭
>をしました。
美術に関係する音楽ストリーミング5本が紹介されているURL(Beaux Arts Ma
gaine WEB)を添付しておきます。
心を落ち着けるにはちょうどいい動画です。
□美術館での5つのコンサート(Beauxarts.com 仏語)
https://www.beauxarts.com/vu/5-fabuleux-concerts-au-musee-a-voir-en-st
reaming/
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
まぐまぐメルマガ「Sacres Francais!映画と美術とパリジャンと」。
http://www.mag2.com/m/0000191817.html(現在休刊中)
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 24
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キャラウェイ旋風と国際青年会議所沖縄会議
1963年9月16日から19日まで、那覇で国際青年会議所の国際会議が開催され、
16ヵ国・地域から約500人が参加した。
国際青年会議所の原点は、1910年、米国セントルイスでドイツ系米国人、ヘン
リー・ジッセンバイヤーが伝統的なダンススタイルを保持しようと提唱し、メ
ンバーを募ったことにあるとされる。
1915年、ジッセンバイヤーの運動はダンスを超えて福祉活動へと広がり、1918
年にはセントルイス商工会議所と提携し、セントルイス青年商工会議所と改称。
さらに、第一次大戦後、ジッセンバイヤーは全米の若い企業家に声をかけ、米
国青年商工会議所を設立し、初代会長に就任した。これが、若手経済人の「修
練」「奉仕」「友情」を通じた人材育成機関としての、現在の青年会議所の原
型となる。
その後、青年会議所運動は各国にも広まり、1944年12月、メキシコに8ヵ国
の代表が集まり、「すべての国の民族・宗教を含めた青年の組織」をモットー
に、国際青年会議所が設立された。その世界会議は、1946年にパナマで第一回
が開催されて以来、毎年開催されている。
わが国では、占領時代の1949年、最初の青年会議所として東京青年商工会議
所が設立され、翌1950年、商工会議所法制定にともない東京青年会議所と改称
された。その後、次々と各地に青年会議所が誕生し、1951年には全国各地で活
動していた青年会議所が集まり、 全国的運営の総合調整機関として日本青年会
議所(日本JC)が設けられ、同年、モントリオールで開催された第6回世界会
議でその加入が承認された。
日本JCは、1959年、米施政権下におった沖縄・那覇での青年会議所設立を呼
びかけ、これを受けて、同年6月20日、現在の那覇青年会議所の起源となる沖縄
青年商工会議所が設立された。
沖縄青年商工会議所は、同年11月、ブラジルのリオデジャネイロで開催され
た第14回JCI世界会議で、一国なみの資格を有する沖縄JCとしての加盟が正式に
承認され、1963年の国際会議開催となったのである。
ところで、先に述べたように、会議は16ヵ国が参加したにもかかわらず、会
議初日の9月16日に発行された記念切手
https://blog-imgs-150.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20220625155604220.jpg
に描かれている地図はアジア・太平洋地域限定で、日本、韓国、台湾、香港、
フィリピンの5ヵ国のみが赤く塗られているのは若干の違和感がある。これは、
おそらく、当時の“キャラウェイ旋風”を反映したものではないかと推測され
る。
1961年2月16日から1964年7月31日まで第3代琉球列島高等弁務官を務めたポー
ル・ワイアット・キャラウェイは、1905年12月23日、アーカンソー州ジョーン
ズボロ生まれ。両親はともにアーカンソー州選出のアメリカ合衆国上院議員を
務めたが、特に、母親のハッティは女性で初めて選挙で選出された上院議員と
して知られている。
ジョージタウン大学を卒業後、1929年に陸軍士官学校を卒業し、少尉任官。19
33年には弁護資格を取得し、1935−37年の中国・天津勤務を経て、1938−42年
には陸軍士官学校で法律を教えた。
1942−44年には陸軍省の参謀幕僚を務め、CBI(中国・ビルマ・インド)戦線で
陸軍参謀長アルバート・C・ウェデマイヤー大将を補佐。1945年に陸軍准将に昇
進し、1945−46年は軍事連絡部の将官として中国・重慶に勤務し、1947年には
国防大学教官、1950年にはイタリア・トリエステの部署に配置された。
1955−56年には韓国で第7歩兵師団の指揮を執り、1957−58年には在日米軍本部
で参謀幕僚を務めている。
1961年2月16日、第3代琉球列島高等弁務官として那覇に着任したが、この時点
では、米上院はキャラウェイの中将昇進を承認していなかったにもかかわらず、
彼は(勝手に)中将の証として3つ星勲章を着用するなど、当初から権威主義的
な姿勢で沖縄に臨んだ。
実際、キャラウェイは、沖縄は共産中国に対する重要な防衛拠点であり、米軍
が沖縄を占領し続けることが沖縄にとって有益であると信じていた。そして、
沖縄経済は米施政権下でこそ成長が可能であり、沖縄が日本復帰すれば権威主
義者による支配や沖縄住民に対する差別が行われると考えていた。
このため、キャラウェイは住民による自治運動を厳しく鎮圧し、琉球政府の存
在を軽視し、立法院が議決した法案にはつぎつぎと拒否権を発動。また沖縄の
議員選挙に介入して人民党候補者の候補資格を失効させ、また、軍雇用者の採
用には厳しく思想調査をおこない、反米と見なした者は容赦なく追放した。こ
うしたキャラウェイの姿勢は、住民からは“キャラウェイ旋風”と呼ばれて恐
れられていた。
1963年3月5日、沖縄の鹿鳴館と呼ばれていた那覇市のハーバービュー・クラブ
における金門クラブ月例会で、キャラウェイは「沖縄住民による自治は神話に
過ぎない」、「琉球政府への権限委譲は行政命令にも規定し、努力も払われて
いるが現在の琉球政府の状態ではまだまだ」と発言し、住民らによる自治を全
面的に否定している。
これに対して、当時の駐日米国大使エドウィン・O・ライシャワーは沖縄におけ
る自治の拡大を提案しており、本国のジョン・F・ケネディ政権はこれを支持し
ていたが(じっさい、1962年にはケネディは沖縄を日本に復帰させる意欲さえ
示している)、キャラウェイは、ライシャワーのプランは、米国の太平洋戦略
にとって死活的に重要な米軍基地を無力化するものとして、これに真っ向から
反対。大使館からの重要な情報を沖縄には伝達せずに保留するなど抵抗してい
た。
金門クラブでのキャラウェイ発言から約半年後に発行された切手の地図は、
数ある会議参加国・地域の中から、日本、韓国、台湾、香港、フィリピンの5
ヵ国のみを赤く塗っているだけでなく、沖縄を中心にした各国・地域を結ぶネッ
トワークのイメージとなっているが、これなどは、沖縄が“太平洋の要石”で
あるとの認識ともリンクしたものとみることができる。あるいは、“国際青年
会議所沖縄会議”という切手発行の名目は、そうした認識を切手というかたち
で示すための方便として使われたというほうが実態に近かったのかもしれない。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「切手でたどる郵便創業150年の歴史 Vol.3 平成・令和編」日
本郵趣出版、電子書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
まだ六月だと言うのに、すでに全国記録的猛暑でえらいことになってる。少し
ずつ暑くなると体も慣れてくるが、いっきに上がると体調を崩すことも多いだ
ろう。
みなさま、お体に気を付けて!
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★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第156回 「作る魔力」の国、チェコ
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 持続可能な社会を目指すには
【新連載】… 中国、上海在住の著者が見た本事情です
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第1回 中国の大学と本屋さん
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第156回 「作る魔力」の国、チェコ
4年前にプラハに1週間ほど旅行したことがある。出発前にガイドブックを
読んで、観光のポイントなどを調べるには調べたが、もともといわゆる観光に
は興味がないので、結局プラハの街をぶらぶらするだけだった。プラハの街並
みは第二次大戦中に空襲を受けていないので、歴史的な建築がすべて残ってい
て、歩いているだけで中世の街をさまよっている気分になる。知識がなくても
十分に楽しい。チャペック兄弟、カフカ、エゴン・シーレ、ミュシャといった
チェコの文学、美術が身近に感じられたのも嬉しかった。
『チェコに学ぶ「作る」の魔力』(あまのさくや 著 かもがわ出版)を読ん
だ。チェコを紹介している本だけれど、いわゆる旅行ガイドではない。でも、
チェコに行く前にこの本を読んでいたら、もっと楽しい旅になったに違いない
と思ったし、チェコに限らず、こんな素敵な旅があるんだな、とコロナ禍が終
わったら、また旅に出たくなった。そういえば、チェコ旅行では、さくやさん
に教えてもらった古本カフェ「オーキードーキー」や美術書が置いてある書店
に行ったんだった。
いや、旅だけじゃないな。読み終えたあと、「作る」の楽しさを思い出して、
コロナ禍で落ち込んだ気持ちが少し上向きになったみたいだ。また「作る」を
始めたくなった。元気の処方箋みたいな本だ。
本を開くと、カラフルな絵はんこで描いたチェコの風景が目にとびこんでく
る。「勝手に観光スタンプ」、ミュシャ、チャペックなどチェコが生んだ芸術
家、文学者のポートレート、市内電車トラム、ビール、料理…絵はんこの素朴
で温かさがこれから始まるチェコへの旅を予感させてくれる。ほら、学生時代
にグループで旅行にでかけるとき、「旅のしおり」を作ったでしょ。あのわく
わくする感じ。ガイドブックなら写真で名所を紹介するところだけれど、作者
であるさくやさんの目を通して見たチェコの風景が描かれているから、とても
親密な感覚がある。いっしょに旅をしているようだ。
著者のあまのさくやさんは、音楽を通して知り合った友人だ。最初に会った
のは、何年前になるんだろう。古書ほうろうでの音楽イベント「サウダージな
夜」に来てくれたのが初めてだったと思う。クリスマスだった。いっしょに音
楽をしている友人からは、シンガー&ソングライターで消しゴム版画作家と紹
介されたのを覚えている。
その後、さくやさんは「ゆるさ」というバンドでリードボーカルを担当して、
何度もいっしょにライブをしてきた。あのころには、もうさくやさんの中には、
チェコの種が育っていたんだな。
さくやさんのチェコ好きは絵はんこの作品などを通して知っていたし、チェ
コをテーマにした作品展の飾り付けの手伝いもしたことがある。チェコの親善
アンバサダーに選ばれたことも知っていた。ほんとにチェコが好きなんだな、
と思うと同時になんでチェコなんだろう? と思うこともあった。
『チェコに学ぶ「作る」の魔力』を読むとさくやさんがなぜここまでチェコに
魅了されたのか、そして、さくやさんの創作の原点が伝わってきた。
さくやさんとチェコとの出会いは、大学生のころに見た人形アニメだったそ
うだ。人形を一コマずつ動かしながら撮影して、コマ撮りしていく手法を使っ
たアニメは、なめらかん動きだが、どこか完璧なスムーズさではない、手作り
感が魅力だった。このへんがさくやさんの絵はんこに通ずるところがありそう
だ。どこか懐かしさを感じる、素朴な味わいが好きなんだろう。
大学生時代に友人と訪れてから10年後、絵はんこ作家となったさくやさんは、
再びチェコを訪れた。今度は自分の作品を見せたい、という“野望”を持って
いた。なにもツテなどなかったのに、さまざまな大切な人たちと出会う機会を
得たという。好奇心があって、興味があることにとことん打ち込む、そして垣
根を作らず、人の心に飛び込んでいくコミュニケート力がさくやさんのすごい
ところだ。それから「のんべえ」ということもポイントかも。
さくやさんは、チェコの「作る」の魅力をさがして旅を続ける。ぼくは、た
くさんの「作る人」たちとの出会いを書いた、さくやさんの文章を読みながら、
「作る」「創作」することの深さをあらためて考えていた。
小さな村のワインセラーでお店の娘さんとのちょっとした会話から、地下に
ある「ワンダーランド」に招待される。父親が手掘りで作った地下室!
ワインの貯蔵庫だけでなくさまざまな趣向が凝らされている。地下6メート
ル、全長300メートルもの地下道を作ったのは、「自分が生きた痕跡、記念碑」
だという。けっして仕事や商売のためではない。すべては「自分のため、家族
のために」というのだ。
共産政権下の監視体制が続いて、さまざまな制限の中で暮らすチェコの人々
は、それでも自分たちの「自由」を失わず、愉しみは自分の手で生み出して、
「ないもの」は自分の手で作ってきた。そして「自分で作る」のは楽しい!
そんな「精神」と「したたかさ」がチェコの人々の魅力なんだろうな。
こんな人たちに出会えば、さくやさんのチェコ、そしてチェコの人々への興
味は深まるばかりだろう。ぼくにいわせれば、こんな幸運な出会いをしてしま
うのは、「さくやマジック」としか思えない。きっと出会うべくして出会って
いるんだ。
マリオネットのこと、ボビンレースという織りの技法を用いたレースのこと、
日本に住むチェコ人、チェコ語翻訳家、チェコに住むイラストレーターなど、
いろいろな人へのインタビュー、取材でより深くチェコの「作る」を解き明か
していく。
「作る」ことには、きびしさ、悲しみも伴う。ナチス政権下、チェコに住むユ
ダヤ人も迫害を受けている。さくやさんは、チェコ、テレジーンにあった強制
収容所を訪れた。そこで13歳前後の少年たちが自主発行していた雑誌『VEDEM』
に出会った。『VEDEM』は日本語で「ぼくたちは導く」という意味で、「導く」
には、道案内としての想いも込められているという。
少年たちは「ぼくたちは、単に、押し付けられた運命を、苦しみながら生き
るために集まっただけのグループではいたくない」と決意を書いている。そし
て「ファシストがこれまでの文化の基礎を取り上げても、さらに新しいぶんか
をつくります」と高らかに宣言している。
『VEDEM』には、エッセイ、詩、ショートストーリー、ルポ、イラストなどさ
まざまな形で自分たちの思いを表現しているという。
『VEDEM』の編集長ペトル・ギンズ君は16歳で亡くなっている。彼はリノリウ
ム版画を残しているが、さくやさんも同じ手法で作品を制作している。さくや
さんはチェコでその手法に触れて、自分でも制作するようになったという。だ
から、16歳で命を奪われたペトル・ギンズ君により強い思いを持ったようだ。
この本の口絵にさくやさんが「ミクロフ」の景色を描いたリノリウム版画の作
品がのっている。美しい街の全景だ。
ペトル・ギンズ君たちは、命を失うような苦しい環境下で、それでも「学び
たい」「表現したい」という意欲によって「生きる」力を得ていたのではない
か、とさくやさんは感じている。その「作る」姿勢に背中を押されるような気
持ちになっている。
絵でも音楽でも文章でも「作る」ことは、「生きる」ことなのだ。
「いまできていないことは、いま、ただやっていないことだけのことであって、
私の「作る」力には、きっとまだまだ広げられる余地があるのだ。
なんて力強い言葉なんだろう。きっと「作る」の魔力を、さくやさんも持っ
ているにちがいない。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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この頃巷ではSDGsという言葉が流行っているようで、テレビなどでもよく目
にしますね。しかし捨てられるはずのものを使って商品を作りましたとかプラ
スチックを使うのを止めましたなど、環境問題中心に報道しているように見え
ます。それ自体は悪いことではありませんが。
しかし例えば8番目の目標「働きがいも経済成長も」の問題に絡めて、低賃
金の非正規雇用が増えるから人材派遣会社にはもう一度厳しい制限をしましょ
う、などという話はテレビからはあまり聞こえてきません。14番目には「海の
豊かさを守ろう」という目標がありますが、名護市辺野古で現在進行中の大規
模な海洋環境破壊を強引に進める日本政府を強く非難する声もありませんね。
そもそも17の目標のトップバッター「貧困をなくそう」からして日本社会に
受け入れられるのかが怪しいところです。逆進性の高い消費税の廃止、生活保
護等社会福祉制度の充実は現在のところとても望めそうにありません。なんせ
日本人は「やさしくない」人たちですからね。(『優しくない国ニッポンの政
治経済学』(田中世紀、2021、講談社)など参照ください。)
まあ今のところ人々の間に膾炙しているSDGsというのは、大半が自分たちに
都合のいいところや新奇なところを取り出して見せているだけで、飾りでしか
ないですね。
とSDGsをひとしきり腐したところで、今月はこちらです。
『自動車の社会的費用・再考』、上岡直見、緑風出版、2022
『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974)と言えばよく知られた宇沢弘文の
名著ですが、本書は宇沢著から50年近くが経ち改めて自動車の負の側面を考え
ます。
宇沢の時代と比べて大きく変わったところとしてまず挙げられるのは、自動
車の性能の進歩でしょうか。電気自動車は排気ガスを出さず、自動運転装置に
よる交通事故の大幅減少も期待されています。ということは社会的費用も大幅
減となるのでしょうか。
この点著者は懐疑的です。電気自動車の普及は確かに自動車自体のエネルギ
ー効率や排出ガスの点では、ガソリン車などより優れていますが、その電気を
どこから持ってくるのかという問題があります。仮にエンジン駆動の車をすべ
て電気自動車に置き換えると、標準的な原子力発電所15基分の電力が追加で必
要になるといいます。
火力発電で賄うとせっかく化石燃料を使わない意味が低くなってしまいます
し、原発は安全性が疑問な上に放射性廃棄物の処理の問題が解決していません。
自動運転技術もまだまだ道半ばです。例えば制限速度を上回る走行が常態化
している中で、自動運転車にも制限速度超過を許していいのかなどの法律との
兼ね合い。あるいはAIにたくさん情報処理をさせると消費電力がどんどん増え
てしまうという問題もあるようです。
その他にも交通渋滞の発生による損失や、市街地にまとまった駐車場を設け
ないといけないなど、自動車中心の世の中には様々な負の側面があることがわ
かります。本書ではクルマを「停まる凶器」とも表現しています。
ではどのようにして自動車中心の世の中を変えていけばいいのか?
本書では、交通手段が確保されていないことを人権の侵害であると捉えてい
ます。憲法に書かれた国民の権利も移動の自由が無ければ実質的な意味を持ち
ません。
地方ではクルマが無ければ暮らしていけないという現実がありますが、それ
は人権が侵害された状況とも言えるでしょう。全国津々浦々まで公共交通網を
張り巡らすのは無理としても、せめて今ある公共交通網くらいは維持してほし
いものです。
公共交通網が人権を保障する基盤であるという共通認識が出来れば、現在の
ように事業者任せで儲からない路線が廃止されていくことも避けらるかもしれ
ません。
最終章ではクルマが無くても暮らしていける社会への展望が記されています。
詳細はぜひ本書を繙いていただきたいのですが、願わくばこういった施策が実
行されてクルマに乗らない人にも優しい世の中になってほしいものです。別に
クルマに乗らない人向けの施策は、車に乗る人を排除しているわけではないで
すし。
まあ自動車産業が国の基幹産業として位置づけられている現状ではそれは望
むべくもないのかもしれませんが。自家用車の利用を前提とした社会はSDGsの
10番目「人や国の不平等をなくそう」11番目「住み続けられる街づくりを」な
どに反していますね。
SDGsの諸目標を達成して持続可能な社会を実現するためには、小手先の技術
だけではダメで、今までの価値観をガラッと変えるようなことをしないと達成
できないということですね。よくわかります。
そういった意味で本書は自動車の話にとどまらず、持続可能な社会を目指す
手がかりもたくさん詰まっている一冊とも言えます。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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中国の大学と本屋さん
昨年の12月3日、衝撃のニュースが飛び込んできた。復旦旧書店が店じまい
をするという。ニュースを眼にしてすぐに私は復旦旧書店に向かった。私の研
究室がある建物から書店までは歩いて5分くらいである。書店に行くまでの道
筋には、定食屋や果物屋が軒を連ねて、学生で賑わっている。私がよく買い物
をする市場もある。その市場の先に、復旦旧書店の入り口はある。
政粛路と国順路の十字路にあった復旦旧書店は2000年に開業して以来、復旦大
学の生活には欠かせない古本屋だった。復旦大学は中国の上海楊浦区にある大
学である。講演をするためにはじめて復旦大学を訪れた2017年、大学の近くの
ホテルに宿泊していた私は、夕食前の散歩の途次で、たまたま復旦旧書店の看
板を見つけた。薄暗い入口は、外国人には敷居が高かった。でも「為書找読者
為読者找書(本のために読者を探し、読者のために本を探す)」という言葉
に惹きつけられて、私は書店へと足を踏み入れた。
入るや否や、雑多な本が積み重ねられている光景に圧倒された。上を見上げる
と中2階がある。そこにも書棚が敷き詰められていて、書棚に入りきらない本
が床に雑然と積まれていた。小学生の頃から神田や早稲田の古本屋に通ってい
た私にとって、復旦旧書店ははじめての場所であったにもかかわらず、とても
懐かしい場所でもあった。積まれた本を崩さないように注意しながら、私はゆ
っくりと書棚を見て回った。大学の授業で使う教科書のたぐいが多いのは当然
だが、それらも含めて私にとっては珍しい本ばかりだった。夢中になって本を
漁っていると、1冊の連環画が眼に止まった。連環画は縦9センチ、横13センチ
の絵入りの小さな長方形の書籍である。子ども用の絵本に近い。タイトルは
『蛙女』。戦後の上海を舞台にした水上生活者の女の子を主人公にした物語だ
った。
語学力に乏しい私は、ちょっと緊張しながらレジに向かった。座っていた貫禄
のある店主は、私が差し出した連環画にちらっと眼をやると、「へえー
『蛙女』か」と私に言う。恐る恐る「水上生活者の物語に興味があるんです」
と言うと、ちょっと待ちなと言い、レジを離れて書棚の森に入っていく。後ろ
に客が並んでいるので、私は気が気でない。すいません、すいませんと後ろの
客に言うと、みんな笑って毎度のことだ、気にするなみたいなことを言う。森
から出てきた店主が手にしていたのは1983年に上海文芸出版社から出た胡万春
『蛙女』だった。連環画だけじゃなくて、こっちも必要じゃないかと言って私
に手渡し、ぶつぶつ言いながら値段の計算をしている。買うのかどうか確認す
ることなどいっさいしない。高かったらどうしようと不安に怯える私に向かっ
て、店主は言う。外国人で『蛙女』を買おうとするなんて、なかなかのもんだ。
読んだらどうだったかおしゃべりしに来てくれよ。店主が私に言った値段は、
連環画1冊の値段と大差のないものだった。私は本を2冊抱えて外に出た。夕食
が始まる時間はとっくに過ぎていた。
2015年9月から私は中国の西安にある大学で働き始めた。2018年3月からは復
旦大学で働いている。西安にもお気に入りの書店はあった。中心部の鐘楼の近
くにあった古旧書店は特にお気に入りだった。連環画がたくさん並べられてい
て、西安の文化や習俗にかかわる本が書棚に並べられていたからだ。しかし大
学の周囲で、書店や古本屋を見かけることはほとんどなかった。中国の大学生
は紙の本よりも“電子版”を使うことが圧倒的に多い。論文も書籍もPDF化さ
れた“電子版”を用いて読む。だから紙の本を扱う書店は減少の一途をたどっ
た。中国に来てから私も“電子版”の便利さを痛感している。とはいえ私が生
きていくためには紙の本、そして紙の本がぎっしり詰まった空間が必要だ。だ
から復旦大学に赴任したときには驚かされた。大学の周囲には、経世書局、志
達書店、鹿鳴書店、そして復旦旧書店など、複数の書店が点在していたからで
ある。
縁あって、今回から「本のメルマガ」に拙文を載せていただけることとなっ
た。友人の畠中理恵子さんからメールをいただいた時には、思わず小躍りしそ
うになった。仕事とは関係のない本を読み漁る口実ができた!
本屋や図書館を見回る口実ができた! 復旦大学に来てから幸運なことに私
は、書店を経営している友人や出版社に勤務している知り合いを得ることがで
きた。このメルマガでは月に1回、私が読んで気になった本や、中国の書店や
出版社の状況などを紹介していければと思っている。
2022年4月1日に突如として始まった上海のロックダウンは、これまた唐突に
5月31日に終わりを告げた。とはいえ予断を許さぬ状況は依然として続いてお
り、いつまたロックダウンが始まるかと、みな戦々恐々としながら過ごしてい
る。店に入るためには72時間以内の陰性証明が必要となっているので、街中に
設置されたPCR検査のスポットは、どこもここも長蛇の列となっている。書店
もまた然りである。経世書局と志達書店に入るためには「場所コード」という
QRコードを読み取って、72時間以内の陰性証明を見せなくてはならない。私が
一番お世話になっている鹿鳴書店は、いまだ店を閉じたままだ。
復旦旧書店の嬉しい知らせがロックダウンが始まる直前に届いた。場所を変
えて営業を再開することになったという。復旦大学の東には「大学路」という
通りがある。おしゃれなバーやレストランが軒を連ねる一角で、ロックダウン
以前は学生たちで大賑わいしていた。その大学路の少し北にある偉徳路で、
4月中旬から営業を再開することになったらしい。閉店時にはたくさんの客が
押し寄せて、1週間で3万冊の本が売れ、店主の微信―中国で最もよく使われて
いるSNSである―には、1000人以上の読者から友人申請が届いたという。そう
した声に後押しされて店主は、この“電子版”の時代に抗う気力を振り絞った
のかもしれない。
ロックダウンが終わった後のよく晴れたある日、午前中にPCR検査を終えた
私は、自転車に乗って上海の初夏の陽気を全身に浴びながら偉徳路に向かった。
ロックダウンで部屋から外に出られない日々を送りながらも、復旦旧書店がど
うなったのか、ずっと気になっていたからである。大学路には何度も行ったこ
とはあるが、そこから脇にそれたところにある偉徳路に行くのは初めてだった。
私の家から20分くらいのところである。予想通り、工事はまだ再開されていな
かった。仮囲いに隠れて、新店舗の様子をうかがうこともできない。ふと東隣
りに眼をやると、レコードショップがある。アプリで音楽を聴くことが一般化
している中国で、レコードショップはまれである。思わず足を踏み入れると、
眼に飛び込んで来たのはボブ・ディランのレコードと昆劇のレコードだった。
店内にはシェーンベルクのピアノ曲が流れ続けている。このゴチャゴチャ感は、
まさに復旦旧書店に相通じる。そう思って、嬉しくなって外に出た。
新店舗を覆う仮囲いには、右側に復旦旧書店の来歴が記されていて、左側に
は縦書きで、しかも繁体字を用いて「復旦旧書店」と大きく書かれていた。横
書きの簡体字の時代に相対する気概を感じさせる。そして真ん中に大きく掲げ
られていたのは、もちろん復旦旧書店のあのモットーである。「為書找読者
為読者找書(本のために読者を探し、読者のために本を探す)」。読者のひと
りとして、私はただただあの雑然とした空間を待ち望むばかりである。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されていな
い面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読ん
だり映画を見たりして過ごしています。
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■あとがき
中国、上海の大学で働く、旦旦さんの新連載「揚子江のほとりで書呆子」が
始まりました。「書呆子」とは「本の虫」という意味だそうで、「本を読むこと以外
何もできない、本バカ」という意味もあるとか。ちょっと笑っちゃいますね。
さて、 隣国の中国。日本で報道される中国は何だか偏っているなぁ、とずっと
思っていました。
近いのに遠い国・中国の本の、出版の、ひとの現在を、現地で肌に感じた、生
の、率直な感想を知りたいと思い、旦旦さんにお願いしました。いったい中国
では何が起こっているのか。堪能な語学力と気さくな人柄、好奇心旺盛な旦旦
さんの声にご期待ください
『汁かけ飯快食学』『理解フノー』の遠藤哲夫さん、エンテツさんが亡くな
られました。この何年か闘病されながらも、いつものエンテツ節が冴えわたる
ツイッターの呟きを楽しみにしていました。楽しいお酒。酔っぱらっていても、
冷静な知性。カッコいいかたです。お会いできたこと、心から感謝しておりま
す。ありがとうございました。 畠中理恵子
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→ その72 ユートピアの食事 その2 『ばらいろ島』
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その72 ユートピアの食事 その2 『ばらいろ島』
私が初めてユートピアというものを知ったのは『少年少女世界名作文学』に
載っていたビルドラック著の『ばらいろ島』を読んだ時だ。
子供にとって、天国みたい!と思う場所なんてごく単純なものだ。親や学校
の先生に怒られることもなく、のびのび遊べるところ。お菓子をいくら食べて
も怒られなくて、お手伝いなんかしなくていいよ、なんて言われちゃう場所。
あれ、でもそんな場所、例えば夏休みで出かけた田舎のおばあちゃんの家にち
ょっと似ていないかな?でも、その居心地の良さというのは夏休み限定で、現
実にはそこでずっと過ごすわけにはいかないのだ。けれど物語の中に入れば、
そこにはいつでも居心地の良いユートピアが腕を広げて待っていてくれる。だ
から時たま出かけて行きたくなる。そんな物語がこの『ばらいろ島』だった。
物語の中に入ってみよう。パリのむさくるしい横町で子供たちが遊んでいる。
子供たちは道路を舗装するために積み重ねてあった木のレンガを使って、船や
家に見立てたものを作る遊びに夢中になっている。そのレンガの家の中で、チ
フェルナンという小学生の男の子が、
「どこかの魔法使いがこのお家ごと、素敵な国に連れて行ってくれるといいな、
オレンジの花が咲いて、小鳥がさえずっているような『太陽の国』へ」
と言っていると、通りすがりのお爺さんがニコニコして話を聞いているのに気
づくのだ。そして、不思議なめぐり合わせで彼の夢はかない、そのお爺さんに、
ばらいろ島というところに連れて行ってもらうのだ。そこは、無償で子供たち
を住まわせ学校に通わせてくれるところで、貧しい子供たちにとっては夢のよ
うな場所だ。食堂には、おいしいごちそうが用意され、お菓子もふんだんに与
えられる。学校の授業は半日だけ。その他の時間はどう使ってもよくて自主性
に任せられている。泳いだり釣りをしたりして遊ぶのも自由。小屋を作ったり
畑を作ったりもできるし、トロッコや本物の汽車や自分専用のモーター付きの
カヌーもある。道を行けばミモザの林があり、シュロの木やヤシの木が生え、
オレンジやオリーブの木には実がいっぱいなっていて、バラやヘリオトロープ
の花が香っている。木陰にはよくなれたカモシカの姿も見える。
そう、なんだかとても贅沢な林間学校に行っているような感じなのだ。フラ
ンス人なら、ヴァカンスと呼ぶような生活が続いていくのだ。そんなユートピ
アは、大金持ちのバンサンおじさんが自分の財力で、子供たちを幸せにしたく
て作り上げたのだという。学校の先生や、パイロットや船長さんやお医者さん
やピアニストさんや食堂のお手伝いさん等の人々も、みんな子供たちにやさし
い。
初めてこの本を読んだ時には、あまりにおいしそうなものがいっぱいで、い
いなあ、ここに行きたいなあと思ったのだ。でも、甘いものの裏には、ちょっ
と苦いものもあるなあと読みながら感じた。そこで、チフェルナンが食べたも
のを見ながら、このユートピアの秘密を探って行こうと思う。
チフェルナンの家は貧しい。お父さんとお兄さんは、荷造り人夫でお母さん
は病弱で、チフェルナンはよくお手伝いする。でも、食べるものに事欠くほど
は貧しい生活をしているわけではないようだ。朝は妹のリレットと、スープか
カフェオレを一杯だけ飲んで学校へ行くと書かれていて、お腹がすくだろうな
あと思ったのだが、おやつにはバターパン一つと板チョコを半分もらうとあっ
て、昔の私には羨ましかった。あの頃はチョコレートを食べ過ぎると鼻血が出
るとか言われていて、あまり食べさせてもらえなかったから。
でも『ばらいろ島』の食事の贅沢さは桁違いのようだ。チフェルナンは眠っ
ている間に連れ出され、自家用飛行機の中で目を覚ます。本当は、チフェルナ
ンの言葉通りに、いきなり、ばらいろ島で目を覚ますようにして魔法のような
思いを味合わせたかったのだが、積み荷の遅れでこうなってしまったと、バン
サンは残念がっている。そしてまずはおあがりと差し出されたのは、バスケッ
トに入った朝食だ。中を開けると、
<茶わんとクリームの入ったココアのポットと金色のビスケットの入った小さ
なかご>があり、
「さあ、どっさりおあがり。このビスケットはみんなきみのものだからね。」
と言われる。この金色というところにバターたっぷりな風味を感じずにはいら
れない。
ばらいろ島に着くと、先生やお友達がみんなで迎えに来てくれて、トロッコ
で贅沢なつくりの本館に連れていかれる。そこでは、衣服も帽子から靴まです
べて与えられ、寄宿舎で寝泊まりすることになる。その本館の食堂の食事を見
てみよう。
朝ごはんには、
<まずは、チョコレートが運ばれる。ほかほかと湯げのたっているブリオーシ
ュがテーブルの上に置かれる>
と、ある。いいなあ、ブリオーシュは一番好きなパンなんだけれど、いまだに
焼き立てを食べたことはない。
昼食については特に説明はないけれど、自由に遊びまわっている子供たちの為
に四時のおやつはテラスに用意されていて、
<おやつの鐘が鳴って、テラスの上でジャムつきのパンを食べ、オレンジエー
ドを飲む>
とか、
<大きく切ったパイナップルのパイを一切れ、イチゴのシロップを一杯。おい
しかった>
とある。そうだろうそうだろう。贅沢な温室もあるらしいから、パイナップル
などの南国の果物もできるのだろう。
夜の食事はこんな風だ。
<テーブルにはいっぱい花が飾ってあって、ばらいろ島でとれるばら色のぶど
う酒のびん、それからこんがり金色に焼けたパン。枝葉のついたままのオレン
ジがおいてあった。>
やはり金色の輝くようなパンが出されるのだ。きっと、バターたっぷりな風味
がするのだろう。そして、次から次へと新しい料理が出され、デザートも出て
くる。
でも、チフェルナンはデザートを食べない。オレンジやクリーム入りのウエ
ハースやボンボンやアーモンドをこっそりポケットに入れて、自分の洋服ダン
スにしまっている。妹のリレットにもおいしいものを食べさせたくてためてい
るのだ。
食後にいつもお母さんの手伝いをしていたチフェルナンが、食堂係の人の片
づけを手伝わなくていいのかときいたりすると、
<先生は、そんなことはしなくていいのよといって、大きなボンボンを一つ口
の中へ押し込んでくれた。>
うーん、最高に甘やかされているね!でも、なぜか子供心に羨ましいような、
なんだか居心地の悪いような奇妙な感じがしたのはなぜだろう?
ある日、チフェルナンは、ためていたデザートを小包にしてパリの家に送っ
てもらおうとして、バンサンおじさんに咎められ没収される。バンサンは代わ
りのなつめしゅろやオレンジをチフェルナンの家に手紙と一緒に送ってあげる
から、もうこんなことをしてはいけないと言うのだ。でも、チフェルナンはデ
ザートをためるのをやめられない。それを知ったジャンチ先生は、
「まあ、あなたバンサン先生がそんなことを知ったらそれこそ大変悲しまれて
よ」
と、言うのだ。
この洋服ダンスにおいしいものを詰め込む場面で、何か思い出さないだろう
か?そう、『ハイジ』がそうだった。ハイジも山の上に住むおばあさんの為に、
白パンをタンスにしまうのをやめられなかったのだ。でも重要なのは、二人と
も「家に帰る時の為に」オレンジや白パンをため込んでいるという事だ。まる
で、洋服ダンスがいっぱいになれば、家に帰れるかのように……。パンもオレ
ンジも実は姿を変えた郷愁の思いなのだ。タンスの中にぎっしりとたまって行
く家に帰りたいという思いは、最後には、ぱちんとはじけてしまうのだ。
ある日、図書室で童話の本を読んでいたチフェルナンは、病気の母親が出て
くる場面を読んで泣きだしてしまう。その様子をみつけたバンサンは、びっく
りして問いただし、家から手紙が来ないというチフェルナンをなだめて、
「さあ、ボンボンでもたべてきげんをなおすんだな」
と、言って
<プラム入りの大きなのをひとつ口に入れてくれ、三つばかりを紙袋にいれて
くれる。>
この甘く大きなボンボンには、またもや危険な香りを感じてしまう。
そう、チフェルナンは常に自分の家のことを考えている。帰る時のことを考
えているのだ。そして、それはこのユートピアの創造主にとっては、実に屈辱
的なことなのだ。バンサンは先生たちに図書館の本を調べて、家を思い出させ
る本を捨ててしまえと命じるし、チフェルナンの母親の病気が重いことも隠し
ている。本を捨てろと言うなんて独裁者以外の何者でもないと、本好きならば
誰しも憤慨するだろう。
この後チフェルナンは、ばらいろ島をカヌーで逃げ出してしまう。その冒険
談はわくわくするし、最後にはバンサンは、チフェルナンを家に帰し、その後、
家族ばかりか友達や大好きなパリの先生まで夏休みにばらいろ島へ招待してあ
げて、めでたくこの物語は終わって行く。でも、夏休みが過ぎたら? そして、
バンサンがまた独裁者の顔を出したら、ここはどうなってしまうのだろう?
少年たちに自分の家を忘れさせ、ここでだけ幸せにさせようとするバンサンに
は何か怪しいものを感じてしまう。離婚して会えなくなった二人の子供たちの
代わりに、貧しい少年たちを育てるという彼の試みは、真にユートピアを作り
上げるものなのだろうか?
そんな長い間の疑問に、実は答えがあるという事を知ったのはつい最近のこ
とだ。実はこの続編の『ばらいろ島の少年たち』で、このばらいろ島が真のユ
ートピアになる様子が描かれているという。そこで、次回はまだまだここでは
語られていない、ばらいろ島産のおいしいものを中心に、続編『ばらいろ島の
少年たち』を読んでいこうと思っている。
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『ばらいろ島』シャルル・ビルドラック著 宮崎峯雄訳
少年少女世界名作文学 25巻 小学館
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』等
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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ホンの魅力
ここのところ、毎月のように編集作業をしている。編集といっても市販の本
というよりは、テキストといった感じのもので、だいたい月に1冊くらいを形
にしている印象である。
このネットの時代に紙のテキストが必要なのか、ということは結構、いろん
な方から否定的なことを言われるが、実際には、やはり、紙のテキストがある
とちょっと心が引き締まるというか、スクールなどだとワクワク感が増す、と
いうことはありそうだ。
実際のところ、pdfでテキストを配布しても、スクールの参加者のモチベーシ
ョンは上がらないが、紙のテキストを届けると、なんかよくわからないけど、
やるぞ、という気になるらしい。
それは講師も同じで、講師も盛り上がる。
これを従来の出版モデルでやると、とてもじゃないけど部数が多くなりすぎ
て、採算なんかとれない話になってしまう。
しかし、これは日本の小さな印刷屋さんの企業努力のおかげで、少部数でも
印刷製本してくださることで、ありがたいことにきちんと成立するモデルとす
ることができている。
考えてみれば、もともとの出版の形って、こういうものだったんじゃないか
な、と思う。
自分で書いたものを印刷して配りたい。流通をどうするのか、なんてことは
とりあえず考えないで、手が届く範囲の人に届ける。
今の時代は、その「手が届く範囲」というのが、インターネットと配送業者
のおかげで広がっていて、別に全国流通で書店に現物を並べなくても、欲しい
とか届けたいと思ったらお届けできる、というのがすごいところ。
テキストじゃなくても、その前に作成したのは、クラウド・ファンディング
の返礼品だった。写真いっぱいで映画のパンフレットのような薄さだったけれ
ども、一応、くるみ製本にして、受け取った人からかなり好評だった。
本の魅力って、この束、にあるような気がする。
どんどんマニアックな話になるけれども、例えば平綴じの場合、なんかワク
ワク感はかなり下がるような気がする。
書棚に刺しても、あるのかわからない、微妙な存在感。
自分がどうしてこうも本というものに惹かれるのか、と考えてみる。今、テ
キストの編集なんかをしているのは、大学時代に文芸サークルで、文章書くよ
りも冊子を作る方にエネルギーを注いでいたから、であり、もっともっとルー
ツをさかのぼっていくと、子どもの頃に毎年一冊、手作り絵本を母と作ってい
たことにまで遡る。
この作品達は大人になった今でも捨てられない。
最近はマンガを電子書籍で買うという人も多いようだし、コンテンツを消費
するのだったら、別に紙の本でなくてもいいのかなーとは思っている。
ただ、くどくどと書いているように、気持ちを盛り上げるためのテキストや、
クラウドファンディングへの協力の御礼などといったものは、やはり印刷製本
されたものをお届けする方が良いと思う。
今日もまた編集作業をする予定だけれども、電子データを作ってそれをばら
まくのではなく、紙の本にするというだけで、修正できないリスクもあるけど、
その分、真剣にまじめに取り組まなければならないというプレッシャーがあり、
それはそれで嫌いではない。
もしかしたら、こういう感覚すらも時代遅れで、今後は無くなっていくのか
もしれないけれど、今はまだ、本の物体としての魅力を感じてもらえるセンス
というのは、失われていないと思っている。
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■あとがき
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配信が遅くなりました。(あ)
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