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→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→村山由佳の阿部定
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→今年も卒業の季節
★「はてな?現代美術編」 koko
→マトリックス的世界体験を味わいたいなら
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→はじめての全国テニス
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■トピックス
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■トピックス募集中です!
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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村山由佳 『二人キリ』集英社 2100円+税
関東大震災に際して大杉栄とともに官憲に虐殺された伊藤野枝の生涯を描いた
著作の前作『風よ、嵐よ』は大きな反響を呼びました。著者が今回とり上げた
のが、愛人を情事の果てに扼殺し、その局部を切断するという稀代の猟奇事件
を引き起こした阿部定です。定は、吉蔵の死体に「定吉二人キリ」という血文
字を残しています。野枝のような思想性はなくとも、226事件の直後、戦争
にひた走る世相の中で、愛人を独占するために殺害し、その男性器を切断し持
ち歩いた定が、「誰よりもアナーキー」であったことに疑いはありません。
本作の視点人物である吉弥は、被害者吉蔵の妾腹の子。彼がまだ幼いころに事
件は起きています。やさしい父親の命を奪った定がどんな人物であったのか。
その疑問に取りつかれた吉弥は、旧制中学の生徒の時から関係者への聴き取り
を進めていきます。後年映画の脚本家になった吉弥は、東京の下町でおにぎり
屋を営んでいた定のもとにたどりつきます。1960年代中葉のことでした。
最初、定は吉弥に邪険な態度をとりますが、やがて心を開きます。こうして、
猟奇事件の加害者と被害者の息子との間の不思議な交流が始まりまったのです。
定の男女の幼なじみ。少女時代の定をレイプした慶応の学生。定のヒモになっ
た親族の女衒秋葉正武。事件後、定との関係が明らかになったことによって、
社会的地位を失った商業学校の野々宮校長。そして吉蔵の本妻。本作のストー
リーは、定に関わった様々な人々の、相互に矛盾をはらんだ証言を軸に展開し
ています。証言の中には、自己保身のための弁明も多く含まれています。名画
「羅生門」を彷彿とさせる手法です。すでに世にないはずの吉蔵の証言まで登
場します。一体彼はどんな姿であらわれるのか。それは読んでのお楽しみです。
定はその生涯において、実に多くの男たちと肉体的な関係を結んでいました。
しかし彼女が本当に惚れたのは、「秋葉正武、…野々宮校長、それに吉田吉蔵。
こうして並べてみると確かに、彼女の話をまともに聞こうとしてくれた男ばっ
かりだ」。慶応の学生にレイプされてからの定は自暴自棄の生活を送っていま
す。その中で定を性欲のはけ口としてではなく一個の人間として優しく接して
くれたのがこの3人の男でした。しかし、皮肉なことにそのうちの一人は、社
会的生命を絶たれ、もう一人は定によって本当に殺されてしまったのです。
定が吉弥に心を開いたのも彼が定の話をきちんと聞こうとしたからでした。吉
弥の中にも変化が生じます。彼の中での定の像は、「<ぼくの大好きだった吉
さんを奪っていった女>から<僕の大好きだった吉さんをひたむきに愛しすぎ
た女>へとだんだん変わってきたのだ」。凄惨な事件を描きながら読後感は爽
やかなものです。吉弥と友人の映画監督は定の物語を映画化しようと奮闘して
います。映画化に関わった人たちの人間模様も、大手支配の体制が崩壊しATG等
新しい製作主体が台頭していった時代の映画界の描写も興味深いものでした。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「卒業制作」の話
毎年この時期になると「学生の卒業作品」を話題にして原稿を書いている気が
する。
今年も、と思ったのだが今期はスケジュールの関係で後期に卒業学年を担当し
ていなくリアルな制作状況がわからない。毎日流れて来るLINEの情報とgoogle
のクラスルームに(たまに)アップされる進行画像をチェックするのみだった。
今期の卒業学年は人数が少ない上にコロナ対応のリモート授業の影響か自宅制
作を希望する人がいるため教室には数人しかいない状態が恒常化していてなん
とも寂しい学生生活のラストだった。
しかも卒展間際にLINEで流れてくるのが「もう無理だと思います」のトーク。
私も締め切りに関してどーこー言える立場ではないがこの無理発言の学生のこ
の1年間の作品進捗具合を見ていると「本当に無理」だと思えた。なので卒展に
行って彼の作品が展示されているのを見て「本当に」胸を撫で下ろしたものだ。
しかし毎年思うのだが学生にとって「進級」や「卒業」は作品作りのモチベー
ションになっていない様な気がする。最近、特に大学でマンガを専攻する学生
にとってマンガは本当にやりたいモノではないんじゃないかと思う事が多々あ
る。
総合大学の法学部の学生が全部法律家を目指してる訳ではないのと同じで芸術
大学の中で「なんとなく」マンガを選んだ可能性が高い。新入生でマンガのコ
マの流れを知らない学生がいて愕然とした事があって「キャラ絵を描くのは好
きだけど漫画は読んだ事ない」んじゃないかと疑った事も。
だが…今回の学生の作品を読んでいて発想やストーリー展開の面白さは充分に
感じられた。つまり「アイデアを考える能力」が無いわけではなく、またそれ
をストーリーにする力もそれなりにある。だがなぜか毎年(今年はクリア出来
たが)仕上がらない学生が一定数存在する。
最近の学生はある意味非常に真面目だ。また最近の漫画も作画密度が高くそれ
に倣ってしまうと作業量がとんでもない事になる。真面目なのだがネームと言
う「描くのではなく考える時間」の部分でスケジュールに綻びが出てしまった
場合「もう無理」になってしまうようだ。
自分たちが学生だった頃はとにかく「何かでっち上げて卒業する事」が最優先
だったのだが、今の学生は卒業がさほど大きな理由にはなっていないのかも知
れない。
まぁ…学校の都合で何としてでも出てもらわねば、が知れ渡ってて腹の中を読
まれているのかも。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第143回
『 現代アートチーム目[mé] ――――― マトリックス的世界で冬籠り』
去年末から今年の2月にかけて冬籠り宣言をしていました。TVもほぼほぼ見ず、
仕事場と家の往復と、映画館詣でに特化した2か月が終わろうとしています。
外食もほとんど行かなかったので、ひたすら家で自炊。家では配信ドラマや映
画も見ていませんでした。ひたすらキンドルで軽い本を読み、サブスクで音楽
を聴いて過ごしたこの冬です。一種のデトックス生活ですね。
たまたまそれほど観たいと思う展覧会もなかったので尚更積極的にお籠りです。
庭から望める空は青く清々しい色をしているのに、同じ空の向こうで人が死ん
でいる土地もあると思うと寒気を感じる瞬間あり、たまにブルブル震える大地
を感じては、能登半島の今を意識し、来るだろうと予想される南海トラフ地震
を想う瞬間もあります。
毎日大した病気にもならず生活できることに結構幸せを感じたりもする不思議
な2か月でした。そんな中、去年行きたくても行くことができなかった展覧会や
芸術祭のことを考えてみました。
「デイヴィッド・ホックニー展」 (東京都現代美術館)は本当に観たかった展
覧会の代表です。
関西に巡回しないことをどれほど恨んだことか。
もう一つ気になっていたのは「さいたま国際芸術祭 2023」です。
これは現代アートチームの目[mé]ディレクションということで好奇心が刺激さ
れました。青森の奈良美智展も行きたかったなぁ。
でもデイヴィッド・ホックニーや奈良美智展なんぞは他の機会にまた見れるか
もしれませんが、さいたま国際は一期一会的なイベントなので取り返しつきま
せんよね。深く溜息です。
さいたま国際芸術祭 2023のアートディレクター、現代アートチーム目[mé]は、
2019年の千葉市美術館で開催された「非常にはっきりとわからない」展で知る
ようになりました。
千葉まで足を延ばすことはできませんでしたが、彼らが何をしようとしたのか
は雑誌やウェブで大体は知っています。。なかなか面白いコンセプトで、日本
人アートグループの活動としてオリジナリティもあって是非一度本物を見たい
と思っていたのです。
実際行った人達は、また同じあのマトリックス的世界体験を味わいたいと言っ
ています。癖になる体験型展示、たのしそー。
会場の7階と8階を全く同じ展示にして、鑑賞者が自分が何階にいるのわからな
くなり、さらに本当にまったく同じ展示空間の細部を確認しだすように仕向け
られているらしいです。
展示は、俯瞰的にみた美術館を搬入と搬出を繰り返す物体と位置づけ、中の展
示は搬入出を繰り返す展示会場を再現。転がったガムテープや仕切り壁や紙く
ずのような取るに足らない存在に人が注目する仕組みです。
客観的にただ存在する搬入出を繰り返すモノと、実際主観的に存在しているモ
ノをじっくり観察する機会が与えられます。観察しだすと人はどこまでが「や
らせ」の範疇で、どこからが関係ない物体や展示なのかがわからなくなり、頭
がクラクラし、足もフワフワしだすといいます。
美術館から駅への道もどこかに仕掛けが仕込まれているのではと、鑑賞者はジ
ロジロと帰り道の細部にわたって観察しながら帰る羽目になるそうです。
美術館とその周辺がマトリックス的世界になるのです。
ワクワクしませんか?
こう聞くと行ってみたい!ですよね。
意図せず妻有と瀬戸内芸術祭で彼らの作品を鑑賞する機会がありました。
両方とも印象に残る作品でした。
特に瀬戸内芸術祭の展示は体験型だったので印象も強烈でした。
2021年の夏に東京の空に浮かんだらしい顔「まさゆめ」プロジェクトも写真だ
けでもインパクト満点!
そして去年のさいたま国際芸術祭。
しばらく彼らの活動に 目[mé]が離せません。
□現代アートチームの目[mé] HP
https://mouthplustwo.me/jp/exhibitions.html
□Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13 《まさゆめ》
https://masayume.mouthplustwo.me/
□美術手帖 どこまでも続く答えのない謎解き。椹木野衣評 目[mé]「非常
にはっきりとわからない」展
https://bijutsutecho.com/magazine/review/21501
□artscape 表も裏もない展覧会 「さいたま国際芸術祭2023」(メイン会場)
と「Material, or 」 キュレーターズノート
https://artscape.jp/report/curator/10188909_1634.html
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 43
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沖縄と軟式テニス
主席公選の投票日から間もない1968年11月23・24日、那覇市奥武山庭球コート
で、第35回全日本男子東西対抗軟式庭球大会が開催され、テニス選手を描く記
念切手
が発行された。
https://blog-imgs-173.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20240225143246a6c.jpg
一般に、わが国におけるテニスの歴史は、1879年の体操伝習所の創設に先立
ち、前年の1878年に米国から招聘されたリーランドが米国から用具を持ち込み、
体操伝習所で教えたことに始まるとされている。
リーランドが持ち込んだテニスボールは硬球だったが、当時のわが国では硬
球が国産できず、輸入品も高価であったために、代用品として、比較的安価で、
女児の手毬玩具として流行していたドイツ製のゴムボールが用いられることが
多かった。
1886年に体操伝習所は廃校となり、東京高等師範学校(現筑波大)に体育専
科が置かれると、リーランドの後任主任教員となった坪井玄道はテニスの指導
を行った。これにより、翌1887年以降、坪井の教え子たちが教員として全国に
赴任し、テニスが全国に普及した。
坪井はテニスを普及させるためにはゴムボールの製造を三田土ゴム(のちの
アカエム)に委嘱。三田土ゴムは1890年にゴムボールの製造を開始し、1900年
に国産球を完成させる。(特許取得は1908年)
この間の1892年頃、当時京都の第三高等学校在学中だった金城紀光(那覇出
身。東京帝国大学医科大学を卒業後、医師となり、沖縄県医師会長、衆議院議
員、那覇市長などを歴任)が京都で体験したテニスの用具を持ち帰り、沖縄に
テニスが伝来した。
当初、東京の一部中学・高校の限られた生徒の間で行われていたテニスだが、
1902年、東京高師の主導で東京の12校による連合庭球大会が開催され、以後、
同大会は毎年開催。1908年には、現在のインターハイの前身となる中等諸学校
連合大会が大阪毎日新聞社の主催で始まった。
その後、1920年に東京高師、東京師範、早稲田、明治、東京帝大等が軟式から
硬式に転向する一方、社会人クラブや女子競技としては軟式テニスが普及。さ
らに、経済的な理由から、地方でも軟式テニスが盛んになった。
こうした中で、1922年、東京の八大倶楽部により東京軟球協会が設立され、リー
グ戦が行われるようになり、さらに、時事新報社の後援の下、全日本選手権
(現在の全日本ソフトテニス選手権大会)が開催されるようになり、1925年、
軟式テニスは明治神宮競技大会の正式種目になった。この間、1924年には沖縄
でも社会人庭球大会が開かれている。
明治神宮競技大会への参加にあたり、軟式テニスは、ダブルスでサービスの交
代の義務化やシングルスの導入などのルール改正を余儀なくされ、その是非を
めぐって、既存の日本軟球協会と全日本軟式庭球連盟の二団体に一時分裂した
が、1928年、二団体は日本軟球連盟として統一され、1933年に日本軟式庭球連
盟が創立された。
1937年には沖縄出身の当山堅三が西日本選手権と大学選手権に出場し、1941年
には明治神宮体育大会にも沖縄チームが出場し善戦したが、沖縄戦により、軟
式テニスも大きな打撃を受けた。
戦後、米軍の占領下では、テニス用具を確保するために、関係者は鹿児島まで
密航したり,DDTの粉末でコートのラインを引いたりするなど、復興に向けての
苦労を重ねた。
こうした努力のかいもあり、1965年には我謝昌英が東日本大学選手権で優勝し、
全日本大学選手権大会でも準優勝という好成績を残した。
1968年の東西対抗大会も、こうした実績を踏まえて実現したもので、全国規模
でのテニスの大会が沖縄で開催されたのはこれが最初のことであった。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房。電子
書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテー
マ21などがある。とつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
たぶん歴史的に暖かかった、この冬というのはただの枕詞で、今月の小谷先生
の原稿を読んで思い出したのが「天城越え」。阿部定はあなたを殺したが、天
城越えでは殺すまで至っていない(はず)。
演歌はそれほど好きではないが、なぜ私は「天城超え」に魅かれるのか、今もっ
てよくわかっていない。一生わからないかもしれない。
そんなことを思っていて、また思い出したのが中森明菜の歌う天城越え。
https://www.youtube.com/watch?v=1rziHd13-WE
石川さゆりと比較すると、戦艦大和と武蔵が艦砲射撃でやりあうような迫力が
ある。歌の力を再確認・・・て何を書いてんだ?
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★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第176回 うつむいて、GO GO!
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ ガードパイプをご存じですか?
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第21回 八角楼の孫
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第88回「小澤征爾さんが亡くなりました」
こんにちは。
新年早々大地震に襲われ、その後も大雪に見舞われて交通が途絶したり、新年
からいろいろ大変な2024年のはじまりです。みなさま如何お過ごしでしょうか。
1月を休載したので、今月が今年はじめてのお目もじです。本年もどうかよろ
しくお願いいたします。
さて、先日指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。
「世界のオザワ」指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 カラヤン、バーンスタイン
に認められ:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article
/308485
わたしはむかしもいまも、地方在住のクラシック音楽オタク(俗に
「クラヲタ」と呼ばれる)なので、とうとう小澤さんの生演奏を演奏会場で聴
く機会には恵まれませんでした。ですので、もっぱらわたしの「小澤体験」
は録音を通じてのものです。
時期の記憶が定かではないのですが、わたしが小澤征爾の録音を初めて聴いた
のは1979年頃だったか、ボストン交響楽団を指揮してのマーラーの交響曲第1
番の録音(1977年録音。ドイツ・グラモフォン。以下「DG」と略)を買ったと
きです。そのとき、マーラーの音楽も小澤さんの指揮も初めて聴きました。こ
の録音がわたしをマーラーという「沼」に引きずり込んでしまった主犯のひと
つなのですが、いま改めて聴き直しても、清新の気に富んだ、若き日の
マーラーの作品の理想的再現という趣きです。
実のところ、わたしがクラシックを聴き始めた頃には、小澤さんに対する評価
というものは(サイトウ・キネン・オーケストラ以降の小澤さんから知ったひ
とには信じられないかもしれませんが)さほど高いものではなく、それどころ
か、ところによっては悪評嘖々という状態だったんですね。音楽評論家だけで
はなく、当時のクラシックマニアの間にも小澤さんのアンチが大勢いました。
わたしの見た中では、剣豪小説家の五味康祐(1921-1980)がそうで、『五味
康祐音楽巡礼』(新潮文庫)の中で小澤さんを「マーラーの闇を知らない奴が
マーラーを振るな!」(大意)と罵倒していたものです。それらの罵倒の中に
は、ひょっとすると小澤さんの父親が小澤開作(1898-1970)という満州国は
協和会の大物で石原莞爾とも近かった人物だったことが引っかかっているひと
や、小澤さんの子供っぽさ(これは村上春樹のように小澤さんの美点として捉
えるひとが後年は多くなりますが)が引き起こした「N響事件」などの素行を
問題にしたひとが少なからずいたのだと想像されます。
でも面白いもので、当時から生演奏を聴いたひとからは、小澤さんの演奏は絶
賛され熱狂的に支持されることが多かったのですよね。わたしは熱狂からは一
歩身を引いていたいひとだったので、熱狂的支持からも憎悪に満ちた罵倒から
も離れたところで(地方在住だったので物理的にも離れたところで)、LP
レコードの時代には先程のマーラー以外の録音には手が出ず(小澤さんの録音
はあまり廉価盤LPにはならなかった)、CDの時代になってようやく少しずつ、
小澤さんの録音を買い求めるようになりました。
中では、チャールズ・アイヴズの交響曲第4番(1976年録音、DG)が、先述の
マーラーと並んでよい演奏です。あの錯綜するアイヴズのスコアを仔細に繊細
に腑分けするように読みこなして再現していく腕前には驚かされます。わたし
が思うに、小澤征爾という指揮者は、抜群のリズム感と、複雑な作品を大づか
みに掴んでしまうカンの良さが身上だったのでしょう。だからストラヴィンス
キーの「春の祭典」やバルトークの「管弦楽のための協奏曲」などの、ある程
度の規模でリズムが複雑な音楽が、もっともそのニンに合っていたと思うので
す。「春の祭典」はシカゴ交響楽団と録音した1969年のRCA盤、ボストン交響
楽団と録音した1979年のフィリップス盤がありますが、どちらも見事なリズム
の饗宴であるかと。
小澤さんは何よりもマーラーが大好きで、フィリップスにボストン交響楽団と
交響曲全集を残し、サイトウ・キネン・オーケストラとも2番や9番を録音して
いますが、マーラーへの情熱は村上春樹との対談本(『小澤征爾さんと、音楽
について話をする』新潮文庫)でもガンガン語っていました。このマーラーが
また複雑な音楽を書いたひとでした。
この対談本で興味深いのは、小澤さんはカラヤンとバーンスタインというふた
りの大物の薫陶を受けているのですが、カラヤンに対しては一貫して「カラヤ
ン先生」と呼んでいるのに対し、バーンスタインに対してはこれもほぼ一貫し
て「レニー」と愛称で呼んでいるところです。
CDになってからは、小澤さんは当時DGの系列であったフィリップス(今はなき
オランダの音楽レーベル。親会社はCDを開発した電気機器メーカー)に録音す
ることが増えて、時々はDGにも録音していましたが、おそらくフィリップス専
属のようになっていたんだろうと思います(とはいえ調べてみると、CBSの後
身であるソニークラシカルにもいくつもの録音があったりはします)。
フィリップスは歴史のあるレーベルですが、その録音は中間色を好む傾向が
あって(このあたり、むかしのクラシックのレーベルは「RCAの音」
「デッカの音」「DGの音」といった形容がなされるほどには違いがあったので
す)、小澤さんとボストン交響楽団の録音が墨絵のような単色カラーな音に聴
こえるように(少なくともわたしにはそう聴こえた)なっていきます。その頃
から、わたしは小澤さんの指揮に関心がなくなり、新譜で買ったのはベルリン
・フィルと録音したオルフの「カルミナ・ブラーナ」(1988年録音)が最後
だったか、そのあとに出たプロコフィエフの交響曲全集(1990年前後の録音。
こちらはDG)が最後だったか。このプロコフィエフはお世辞にもいい演奏では
なく(リズムのキレが悪く残響が過多である上にプロコフィエフの大切な要素
である皮肉っぽさが足りない)、あまり評判にならなかったような記憶があり
ます。
そんなわけで、小澤さんとサイトウ・キネン・オーケストラの録音は全然追い
かけておらず、たまたまANAの機内サービスで聴いたシューベルトの交響曲
ハ長調D944を聴いた程度(機内で提供されているあの音では、真面目に明るく
演奏されていることくらいしかわからない)でした。
訃報を受けて、YouTubeでサイトウ・キネン・オーケストラの動画をいくつか
探してみたのですが、いやさすがに1990年代のライヴの躍動感は違いました。
1992年のライヴでブラームスの交響曲第1番を聴きましたが(著作権的に難が
ありそうなのでリンクは紹介しません)、冒頭から絃の鳴りがこれまで聴いた
こともないような圧倒的な響きで度肝を抜かれました。そして終楽章の序奏部
のホルンが美しき強烈な轟音で鳴り響き、コーダのコラールで(スコアにない)
ティンパニが朗々と響き渡る。恐れ入りました。
思うに、小澤征爾に「巨匠」という評価はふさわしくない、というと失礼に聞
こえるかもしれませんが、晩年のカール・ベームやギュンター・ヴァントに典
型的に現れたような「巨匠然としたスタイルへ変貌した小澤征爾」というシフ
トチェンジはついに行われなかったような気がします。ここでいう「巨匠然と
したスタイル」とは、60代まで職人藝でキビキビとした新古典主義的な藝風だ
った指揮者が、70代に入ってテンポが遅くなり、それに従って藝のスケールも
巨大化した(ように聴こえる)スタイルのこと指しますが、そのような雰囲気
をまとうことを頑として拒否したのが小澤征爾だったんじゃないかと思うので
す。クラシック音楽とは、そんな重く固く難しいものじゃないんだよ、と。そ
れが若い頃の悪評の一因でもあったのでしょう。
ところで、小澤さんには『ボクの音楽武者修行』という、若い頃にブザンソン
国際指揮者コンクールに出場して1位を獲り「世界のオザワ」になっていく足
がかりを築いた顛末を書いた本があります。現在は新潮文庫に入っています。
実はわたし、この本をこれまで読んだことがなく、この機会に読もうかと思っ
てリアル書店を探したのですが、近所にあるそれなりの規模の書店をハシゴし
てどちらにもなかったというですね。『ボクの音楽武者修行』は正直なところ
図書館でも書店でも必備図書というべきものではないかと思うのですが(文庫
ですし)、某Web書店のデータを見ても「取次在庫」で店舗在庫ではない、と
いう。Amazonにも新品在庫がない。これが業界の基礎体力の衰えというものか
と、妙なところで実感しました。
いまごろ、村上春樹との対談本ともども、大増刷の指示が飛んでいるのでしょ
うか(苦笑)。
では、また次回です。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,
我に与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第176回 うつむいて、GO GO!
年が明けてからは、拙著『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』のイベント
があって落ち着かない日々が続いた。昨年末に古書ほうろうで山川直人さんと
のトークがあった。おかげさまで盛況で、山川さんとおたがいに
「がんばった!」と称え合って終わりホッとした。それもつかのま、1月28日
には七月堂古書部での茂木淳子さんとの朗読ライブ&トークが控えていた。音
楽のライブはときどきやってはいるが、トークというのは慣れていない。何を
話したらいいか考えるとますます緊張してくる。
そんなふうに過ごしている中、従妹の堀内花子から一冊の本が届いた。
『父・堀内誠一が居る家 パリの日々』(堀内花子 著 カノア)。昨年から
ときどきパリでの日々を執筆中と聞いていたけれど、カバーは堀内誠一が描い
たパリの風景を装画にしたしゃれた本だった。
堀内誠一のことをいまさら説明するまでもないと思うけれど、『anan』
『POPEYE』『BRUTUS』といった雑誌のアートディレクターとして、エディトリ
アルデザインの先駆けとなった人で、ぼくの世代では、こんな雑誌を作ってみ
たい、と憧れの人だった。
それだけでなく、絵本作家として『くろうまブランキ―』『たろうのおでか
け』『ぐるんぱのようちえん』をはじめ多くの作品を残している。
1974年、42歳のときに誠一さんは雑誌とデザインの現場からいったん離れて、
家族を連れてパリ郊外へ移住した。この本は、当時中学1年生だった長女の花
子が、パリで過ごした日々を中心に父・誠一との思い出を綴ったエッセイだ。
身内贔屓を抜きにしても、面白くていっきに読んでしまった。
もちろんこの本は堀内誠一のパリでの暮らしを書いたものだけれど、ぼくが
面白く思ったのは、堀内一家が初めてパリという異国で生活したときの様子を
まだ中学1年生、13歳だった花子の目でとらえているところだった。
子どもの視線で語るからこそ、堀内誠一というアーチストの家庭人としての
すがたが立ち現れる。そして堀内誠一という人が「家庭人」だったということ
がわかった。自分の人生の基盤が家族との生活にあったというのが伝わってき
た。
忙しい日本での生活を逃れて、絵本を中心にした仕事を始めるという、新し
い出発は家族とともにあった。そしてその日々のことをだれよりもそばで見て
きた家族だけにしか書けない本なのだと思う。
安野光雅、澁澤龍彦、石井桃子、瀬田貞二、谷川俊太郎、出口裕弘など堀内
一家を訪ねてくる友人たちとのエピソードや旅の話も楽しい。
花子をパリまで送っていったのは、ぼくの母、内田莉莎子だったんだなあ。
ぼくは東京でくすぶっていたけれど、両親はポーランドをはじめヨーロッパに
出かけていたっけ。
それにしてもまだ中学生だった花子は、フランス語はまったくわからず、生
活の習慣もちがうし、学校生活も日本とはかけはなれている。半世紀も前のこ
と、パリの情報だってかんたんに手に入らない。よくくじけなかったなあ、と
感心する。
入学したカトリック系女子中学校での話がとびきり面白かった。当時のフラ
ンスでは「日本人」という認識がなくて、右も左もわからない「中国人」と扱
われていたり、おそらく問題児ばかりのクラスに入れられていたようだったし、
差別主義修道女がいたり、少女小説になりそうな話ばかりでもっとくわしく話
を聞きたくなった。給食に前菜があったり、主菜にクスクスやシュークルート
があり、デザートもあるなど、さすがにグルメの国と改めて思った。
高校生になってから自由な空気に触れて、授業をさぼって映画に行ったりす
る感じもいい。このときの映画が『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』とい
うのもいい。アメリカンニューシネマの時代だったんだねえ。その映画館で先
生と出くわすエピソードも微笑ましい。フランスの学校での生徒と教師の関係
はうらやましい。全部の高校が同じではなかったかもしれないが。高校には喫
煙室があって休憩中は教師と生徒(!)で賑わっていたとか。
ぼくは従兄弟ではあるけれど、当時のことをくわしくは聞いたことはなかっ
たから、さまざまなエピソードに笑ったり感心したり、ありふれた日常のドラ
マチックでないドラマというか、まるでエリック・ロメール監督の映画でも見
ている気分になった。
堀内誠一が好きだった映画やマンガ、そして音楽の話もたっぷり書いてある。
パリではポータブルのプレーヤーにモーツァルトやシューベルトのピアノ曲の
レコードが載せられていたみたいだ。
そういえば誠一さんにレコードをもらったことがある。
アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ の『サンジェルマンの
ジャズ・メッセンジャーズ』だった。「もう聴かないからあげる」といったの
を覚えている。あれはパリに行く前だったんだろうか? もうクラシックしか
聴かなくなっていたころだったのだろう。
花子がいつだか言っていた「書き残さなくてはいけない記憶」は、半世紀の
年月が過ぎて一冊の本となった。堀内誠一一家のパリの暮らしは、数々の絵本
やイラストが生まれた堀内誠一の新たな出発の原点を知る意味で貴重だと思う。
半世紀まえのパリの空気も十分に伝わってくる楽しい本だ。
1月28日の世田谷・豪徳寺にある七月堂古書部での音の台所・茂木淳子さん
との朗読とトークの会は無事に終わった。昨年末の古書ほうろうでの山川直人
さんとのトークに続く七月堂でのイベントは昼、夜の2部構成という生まれて
初めての経験だった。
イベントを振り返ってみると、人前で話をするのが苦手で、だから必死にな
りすぎて時間を忘れて話し続けた古書ほうろうでのトーク。とりとめのない
トークだったかもしれないが、山川さんが中学生のときからマンガを描き続け
るために「マンガ家」になることを決めていたこと、そして今回の装画の仕事
を銀行強盗に喩えるなど、たんたんと面白い話をして山川ワールドを披露して
くれた。
七月堂古書部でのイベントはなんといっても茂木淳子さんの朗読だった。
七月堂古書部が明大前にあったころ、茂木さんに招いてもらったことがある。
そのときは沖縄の古書店をやっている宇田智子さんのエッセイを茂木さんが朗
読して、ぼくがギターで伴奏をした。朗読の伴奏は初めてだったけれど、茂木
さんの言葉、呼吸にギターを合わせる、というセッションは、茂木さんの声が
ときには歌っているようで、ギターを弾きながらとても心地よかったことを覚
えていた。
それで今回、もし自分の文章を茂木さんに読んでもらえたら、どんなにいい
だろう! と無理を承知でお願いをしてみた。
茂木さんが選んでくれたのはいちばん最後の「電話ボックスとちいさな切り
株」というエッセイだった。小学生からの友人、Oくんとの思い出を書いてい
る。ぼくはOくんから「世界の広さ」を学んだ。体が弱く長く歩くこともでき
ないOくんだったが、ぼくはOくんから、探究心や深く考えること、そしてユー
モアのセンスを学んだ。毎日、お母さんの迎えの車を待つ20分から30分、
ぼくは切り株に座ったOくんの話を聞いた。
茂木さんは、はるか50年以上も時間をさかのぼった「電話ボックスとちいさ
なきりかぶ」の風景を朗読で表現してくれた。
言葉は不思議だ。ぼくが書いた文章なのだけれど、茂木さんの声、リズムで
読まれた言葉は新たな命を吹き込まれたようにぼくの耳に届いた。朗読に
ギターを合わせるのは難しい。どこで音が切れるか、自分が弾いているフレー
ズと文章のとぎれる場所と合わなくて、早すぎたり、遅過ぎたり……。でも、
ときおりぴたりと合ったときの気持ちよさはうまく言い表せないほどだった。
ぼくと茂木さんは歳が近く、そして生まれ育った場所も近かった。トークは、
「自分たちは、まだ戦後を生きてきた」だった。戦後は終わったといわれて、
高度成長期の時代とともに育ったきたが、街に出れば傷痍軍人たちが悲しい
メロディーを奏でていた。そして再び、日本は「戦前」に舞い戻ろうとしてい
る危機感を抱いている。沖縄に住む茂木さんが肌で感じる米軍、基地のこと。
時間が足りなくなるほど、聞きたいことがたくさんあった。どこかでまた話を
聞く機会を作りたいな。
暮れ、そして新年が明けて忙しない中、来ていただいた方々、そして
古書ほうろう、七月堂古書部には感謝です。さえない人生だなあ、といつも
うつむいてばかりいるぼくですが、けっこう幸せな人生なのではないかと感じ
ています。
◎吉上恭太
文筆業。
エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない人生論』
(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社
では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)もよろしくお願
いします。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログ『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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ご当地マンホールのように、普段足元にあって気にも留めていないものが意
外と意匠を凝らしたデザインをされているということが往々にしてあるもので
す。通勤の行き帰りに目にするあれが実は意外なレア物件ということもあるか
もしれません。
というわけで今回ご紹介する本も、そうした普段の暮らしの中であまり注目
されていないものにスポットを当てたものです。
『まちかどガードパイプ図鑑』、岡元大、創元社、2023
ガードパイプっていうとあれですね、道路と歩道の間に立っている防護柵、
または道路からの転落防止用に路肩に立っている防護柵のことですね。鉄板が
波打っているガードレールが設置されているところもありますけれど、鉄パイ
プを加工して作られたガードパイプが設置されていることも多々あります。
ガードパイプなんてそんなに種類があるのかと疑問に思う方もあるかもしれ
ませんが、実はデザインに工夫を凝らしたガードパイプが各地域ごとに設置さ
れていて、それこそ多士済々です。私もこの本を読んでその多彩さを初めて知
りました。例えば東京都にお住まいの方でしたら、東京都の木であるイチョウ
の葉があしらわれているガードパイプをご覧になったことがあるかもしれませ
ん。あれもご当地ガードパイプのひとつですね。
木に花・果物・動物・図形などその意匠は地域ごとに異なっており、こうし
て一望できるようにまとめられると改めてその多様さに驚かざるを得ません。
日頃何の気なしに見かけていたガードパイプが、実は他では見られないもので
あったなんてことには、なかなか気づかないかもしれませんが。
富山県ではチューリップ・長野や青森ではリンゴとそのご当地の名産があし
らわれたものは、一見してすぐわかります。一色ではなくチューリップやリン
ゴをわざわざ別の色に変えているなどなかなか芸が細かいです。長野のリンゴ
デザインはリンゴの部分が赤く塗られた赤リンゴバージョンと青く塗られた青
リンゴバージョンがあるというのも面白いですね。
図形デザインのものでは東京都北区では「北」の字をデザインしたもの。品
川区では「品」の字をデザインしたものなど、自治体名の一部を図案化したも
のが目立ちます。しかし凝りすぎて一見ではなんだかわからないデザインに見
える旧与野市(現さいたま市)のガードパイプも力が入っていてよろしいです
ね。
そしてガードパイプは設置個所の長さに合わせてカスタマイズされて設置さ
れるため、同じデザインでも長さによって亜種が発生するのも面白いところで
す。バッサリとデザインの中央部でカットするのか、それともデザインは保っ
たまま縮小するのかというところにも個性が感じられます。
そして忘れてはいけないのがプレートはめ込みタイプのガードパイプです。
東京の多摩地区ではよく見かけるとのことらしいのですが、ガードパイプの中
に市の花・木・鳥などといったものを記した金属パネルをはめ込むタイプのも
のです。
私も東京都のイチョウのマークの中にカタツムリのプレートがはめ込まれて
いるものを何度か目にしたことがあるのですが、どうやら「東京都歴史と文化
の散歩道」にあるガードパイプにこのカタツムリがはめ込まれているらしいで
す。しかしこちらは原則撤去の方針のようで、ガードパイプ更新のタイミング
で消えてしまう予定なので、見ておくなら今のうちですね。
さてガードパイプの鑑賞にあたってはその境界線というのも楽しみの一つと
なります。ガードパイプは道路の管理者によって設置されるので、例えば都道
から区道に代わる場所では、道がつながっているのにはっきりとガードパイプ
のデザインが変わるところが確認できてとても面白いですね。同じ道をずっと
歩いていてもガードパイプのデザインは道路管理者に合わせてどんどん変わっ
ていくという。ついでに路面の舗装も変わったりなんかしてしまったりして街
歩きが趣味の方はそのあたりも要注目です。
巻末にはガードパイプ有識者の方との対談も収録されています。ああいうデ
ザインはコストがかかるとか、これは今では作れないデザインじゃないのかと
か、ガードパイプ界の裏話がたくさん聞けます。プレートはめ込みタイプや、
斜めから見るとイラストになるタイプのガードパイプは消えていくことになる
など、こちらも他では聞けないお話が満載です。(まあ他所でガードパイプに
ついて詳しい話を聞く機会など普通はないでしょうけどね…。)
ガードパイプのどういったところが鑑賞ポイントなのかの案内もされていま
すので、一読すれば皆さんも次の日からはガードパイプに注目せずにいられな
くなること請け合いです。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第21回 八角楼の孫
部屋の片側にはキューピーをはじめとするレトロな人形が並べられていて、そ
れと真向かいの壁には一面に写真が貼られている。白黒で写された店の写真や
家族写真、それらは台湾の風俗史の一側面となっていた。古道具屋ではない。
「薛家客棧」という名の地元料理を食べさせる小さな食堂である。
眺めていると、椅子に裸足の足を乗せて、脛一面を覆う刺青を見せながら昼飯
の麺をすすっていた主人が立ち上がって話しかけてくる。これは俺が若いとき
の写真だ、隣に立っているのは親父だよ。お世辞ぬきでイケメンである。昔は
イケメンだったんですね。今は違うっていうのか? いや今もイケメンだけれ
どもっと味がある感じになっていますよ。
すると笑いながら「民国67年一次60元」と書かれた写真を指さして、説明をし
始めようとする。写っているのは、円柱の柱が並ぶ豪華な建物の玄関前に並ん
だ美女たちである。いずれもボディラインを強調した衣服を身に着けている。
これはな、と説明し出すと、店の入口にあるキッチンにいた奥さんが、やめな、
今はもう時代が違うんだよ、話したら承知しないからねと釘を刺す。
肩をすくめて、仕方ない、今はここ鹽水でも「女性主義」の時代だと言い、そ
ういえばお前はどこから来た?と聞いてくるので、日本から観光に来たとため
らいもなく答える。大陸だったらあり得ないことだ。どこから来たかと聞かれ、
自分が日本人であることをあからさまにしないほうが無難である場合も少なく
ない。そうした場合、私は相手が中国北部のひとであったら広東人や福建人に
なりすまし、上海以南のひとであったら中華系シンガポール人を装うことにし
ている。相手が外国人の中国語に慣れている上海人であったら通用しないが、
それ以外であったら何とかなる。しかし、一旅行者の感想にすぎないのかもし
れないが、ここ台湾は違う。緊張の度合いがまったく異なる。下手くそな中国
語で日本人であることがばれても、怖い目に合う可能性はほとんどないように
感じられた。日本語を話していても、周囲から冷ややかな視線が注がれ、皮膚
に突き刺さる感覚を覚えることはない。だから台湾では「日本人か?」と聞か
れたら、躊躇することなく「日本人です」と答えるようになった。中国語で日
常を送るようになって、それは初めての経験だった。
日本も「女性主義」だろう?と聞くので、女性が総統になった台湾のほうがフ
ェミニズムにおいてはずっと進んでいるよと返すと、その通り、わが店も妻の
お陰で何とかなっていると胸を張る。俺は配達に行かなくてはならないと、主
人は裸足のまま店の外に出てスクーターに乗る。再見!バイバイ!と声をかけ
ると、鹽水は小さな街だけれどいいところだ、楽しんでくれと言葉を残して主
人は走り去る。Tシャツ姿でも十分なくらいに暖かく、青空が広がるとても気
持ちのいい日だった。決してきれいな店ではない。しかし鹽水の名物のひとつ
である鹽水意麺と、豚の血を固めて作った「猪血」が入っている猪血スープは
抜群に美味しかった。大陸では味わったことのない味つけだった。
主人が昼飯を食べていた部屋とは別に客が入る部屋がある。そこに貼られてい
たのは孫文の顔写真と、民進党の議員のポスターだった。それはこの店に限ら
れたことではなかった。蔡英文総統の対中強硬路線の継承を訴える民進党の頼
清徳が次期総統に決まったのが1月13日、ちょうど2週間前のことだった。だか
ら街のそこここに選挙の余燼が残っていた。鹽水でも、台南でも、そこここで
選挙ポスターが目に入った。貼られていたのは民進党のポスターばかりだった。
台北では見かけることもあった国民党のポスターを目にすることはまずなかっ
た。
大陸に比べれば台湾はずっと小さな島、日本の九州ほどの大きさの島ではある
けれど、南北の差の大きさは大陸と同じである。言葉も発音もまったく違う。
料理も台北に比べれば、台南はずっと甘い。おそらく考え方や人付き合いの方
法もかなり異なっているのではないか。そうした違いを生み出す原因のひとつ
が、本省人と外省人の相違である。台南には本省人が多く、台北ほどには外省
人がいないと言われている。本省人とは1945年の日本の敗戦後、台湾が中華民
国に「光復」する以前から台湾に居住していた人びとであり、外省人は国民党
とともに戦後台湾に渡ってきた台湾以外の出身者のことである。本省人の多く
は民進党を支持するものだとも聞いたことがあるのだが、鹽水の小さな食堂は、
そうした風聞が根も葉もない噂というわけではないことを深く実感させる機会
を与えてくれた。
秋学期を終えて上海から帰国した私は春節の休みを利用して、久しぶりに台湾
に遊びに行った。大陸で働き始める以前、中国語などまったくできなかったに
もかかわらず、私は家族とともに毎年少なくとも2回は台湾と香港に遊びに行
っていた。台湾映画と香港映画の大ファンだったからである。しかし、台湾で
訪れたことがあったのは、台北と台北の北東にある基隆、東の宜蘭、少し南に
行ったところにある新竹などだけだった。台中にも高雄にも行ったことがない。
だからまず台南に行ってみようと思った。普段上海で暮らしていて、中国語で
のやり取りも何とかなる。多少中国語がわかるようになってから台湾に行くの
ははじめてだ。これまでとはちょっと違う台湾を体験できるのではないか。そ
んなことを考えていた。
大航海時代にオランダがまず拠点を設けたのは台南だった。『国性爺合戦』の
鄭成功が活躍したのも台南である。だから台南は今の台湾の起源とみなすこと
も可能な都市である。しかも「古都台南には、台湾の歴史が地層のように積み
重なっている。どこを歩いても旧跡に行き当たり、由来をたどれば何がしかの
時代へとさかのぼる」。台南を見ずして台湾は語れない。台南へは羽田から台
北の松山空港まで飛び、そのまま台湾新幹線(高鉄)に乗って新幹線の台南駅
に行き、そこから在来線に乗ってすぐである。
久しぶりの台湾は何もかもが新鮮だった。大陸とは違って、地下鉄に乗るとき
も、新幹線に乗るときも、荷物の検査は必要ない。駅に入るのにパスポートを
出す必要もない。すべてが日本と同じだ。ホテルでパスポートを出して、「少
々お待ち下さい」と日本語でのサービスが始まったときには驚愕してしまった。
街を歩けば、日本の品物を売っているコンビニエンスストアやドラッグストア
もたくさんある。普段私が暮らしている上海とのあまりの違いに私は、ここが
外国なのかどうかすらわからなくなってしまいそうだった。
鹽水は台南から少し北に行ったところにある小さな街である。台南駅から在来
線に30分ほど乗って新営駅に行き、そこから市内バスに乗れば20分ほどで鹽水
に着く。在来線の列車も在来線の駅も、鉄道好きだったらたまらないのではな
いかと思う。日本と同じく、いやおそらく日本以上にローカル線の雰囲気を濃
厚に残している。
バスが鹽水に入ってまず目に入ってきたのは、壮麗な護庇宮という寺廟だ。日
本の寺と中国語圏の寺廟の違いは、色彩と屋根を見れば一目瞭然である。護庇
宮のオレンジ色の屋根にも、これでもかと動物やら神様やら何やらの飾り物が
据えつけられている。私はこの「剪黏」と呼ばれることの多い飾り物がたまら
なく好きだ。茶碗やガラスなどの破片を刻むなどして求める形に作り上げて、
寺廟の屋根に置かれた立体的な装飾である。この「剪黏」については、四方田
犬彦の『台湾の歓び』が詳しい。同書には台中にある「剪黏」のアトリエを訪
れるくだりもあり、また寺廟に祀られている媽祖と、その宗教行事である媽祖
巡礼についての詳細な記述もある。
護庇宮だけではない。半日もあれば歩いてまわれてしまうくらいに小さな鹽水
の街には、寺廟がたくさんある。いちばん有名なのは、春節のときに爆竹を派
手に鳴らすことで知られるようになった武廟であるが、それ以外にも王爺廟、
大衆廟等々の寺廟があちこちにある。きょろきょろしながら少し歩けば、すぐ
に寺廟が目に付くほどである。寺廟だけではない。かつて港町として栄華を誇
ったからなのかもしれないが、カトリックの教会である鹽水天主教もあれば、
プロテスタントの長老教会もある。台湾における文化の多様性と多層性を体得
するのに鹽水はうってつけの街なのではないだろうか。
こうした鹽水のシンボルとして知られているのが「八角楼」である。一青妙は
次のように紹介していた。
〈街のシンボルは、1847年、砂糖で財を成した葉開鴻が建てた「鹽水八角楼」
だ。八角形の屋根をした楼閣は、釘を一本も使っていない。
1895年、伏見宮貞愛親王が率いる日本軍が鹽水港を攻めた際、ここを拠点とし
て指揮を執ったので、敷地内には「伏見宮貞愛親王御遺跡鹽水港御舎営所」の
石碑が建っている。〉
何を隠そう、私が鹽水を訪れたのも、この八角楼がお目当てだった。しかしそ
の理由は、敷地内の石碑ではない。建物の形状に惹かれたわけでもない。八角
楼を建てた葉開鴻の孫に興味を持っていたからである。27歳で亡くなった孫の
生涯は、台湾、日本、そして中国大陸の複雑な近代史を象徴する。その生涯を
著述した孫の友人の経験もまた私を深く考えさせずにはいられない出来事に満
ちている。だが鹽水についての記述が見られるどのガイドブックを見ても、こ
の孫についても、また孫について書かれた本についても、まったく言及がない。
日本で出版された日本語の本であるのだが、どうやらもう忘れ去られてしまっ
ているようだ。それはとてももったいないことだと思う。
……残念ながらもう紙幅が尽きてしまった。この孫についての本と、その本を
書いた著者については、次回に改めて紹介することにしたい。
【本文中で言及させて頂いた本】
大東和重『台湾の歴史と文化』(中公新書、2020年2月)
四方田犬彦『台湾の歓び』(岩波書店、2015年1月)
一青妙『台南 「日本」に出会える街』(新潮社、2016年10月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
今月は、久保田万太郎の句を拝借しました。あっという間に二月も終わります
ね。目が回りそうです。少しでもいい風が吹いてほしいです。 畠中理恵子
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★トピックス
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その89 「変身したら何食べる?」その1.竜
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni改め、市井カッパ
→ ペンネームをつけてみた
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ インタビュー先、募集中です!
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(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。
情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その88 「変身したら何食べる?」その2.虫
『変身』
変身という言葉から誰もが思い浮かべるのは、あのカフカの『変身』だろう。
私はグレゴチー・ザムザが変身した虫をゴキブリだと思っていたのだが、この
虫については諸説あるらしい。最初に「かぼそい肢がたくさん」とあって、六
本とは書いていないので、昆虫かどうかもわからない。角川文庫版の解説によ
ると、作家のナボコフはコガネムシ、『変身』の朗読を聞いた友人たちの間で
はナンキンムシ、作中の派遣家政婦にクソムシと呼ばれているところからフン
コロガシ、足が多数というところからムカデやイモムシ等々と諸説あるようだ。
まあ、でも、その描写を見る限り甲虫であることは確かだと思う。この虫がゴ
キブリだと思ってしまったのは、グレゴールの食事場面のせいだと思う。グレ
ゴールの好む食べ物について語るのは全く気が進まないのだが、一応書き出し
ておこう。
妹はまず、兄の好きな物を持ってきてくれる。それは、
「甘いミルクがなみなみと注がれた容器がおいてあった。細かくちぎった白パ
ンが浮いている」
と、いうものだ。離乳食とか小さい子のおやつのようだ。けれどグレゴールは
全く食欲がわかない。妹はこの食べ物にまるで手がつけられないのを見て、今
度は古新聞の上にいろいろなものをそろえて持ってくる。虫になったグレゴー
ルが何を好むかを実験しているようだ。
「古くなって腐りかけた野菜。晩ご飯の残りの、固まったホワイトソースがこ
びりついた骨。干しブドウとアーモンド少々。ゴレゴールが二日前、食えた物
じゃないと断言したチーズ。何もつけていないパン。バターを塗ったパン。バ
ターを塗って塩をふったパン。」それと、容器に入った水。
虫になったグレゴールが夢中になって食べたのは、まずそのチーズ、腐りか
けの野菜、残り物のソースで、むさぼり食ったとある。そして、新鮮な物はま
るで受け付けないとあったので、とにかく腐敗の香りのする物がこの虫の好み
なのだろう。とにかく、妹はこれでグレゴールの好みを知り、昼には部屋に差
し入れてくれるようにはなるのだ。
けれど、グレゴールはだんだん虫の好物にも興味を失い、口に入れても飲み
込まなくなる。そして、干からびて死んでしまう……。こうなってしまうと、
いくら語っても語りたりないこの魅力的な物語『変身』を、食物という観点か
ら楽しく読み取るというのは難しいように思える。そこで別の虫、もう少しか
わいい虫の変身物語を見ていこうと思う。
『チョンドリーノ』
この物語は「アリ」に変身した男の子の物語だ。チョンドリーノというのは
旗という意味で、いつもズボンの破れ目から白いシャツの端を垂らしているこ
とからきたあだ名だという。なんとアリになってもこの白いものがお尻からぶ
ら下がっているという設定で、チョンドリーノというのがアリの世界でも名前
になっている。この話、久しぶりに読み返してみると、なかなかの大作だった。
しかも物語の最後には、続きに「尺取り虫」編と「コオロギ」編があるような
ことが書いてあるのだが、いまだ翻訳されてはいないようなのだ。
まずは物語について少々説明しよう。夏休みのある日、兄と妹と弟の三人兄
妹が、別荘の庭で勉強をするように言われて教科書を開いている。でも、三人
とも勉強嫌いで、教科書を放り出し、それぞれ、コオロギになりたいとかチョ
ウになりたいとかアリになりたいとか口々に言い出す。そこに怪しい緑色の外
套を着た男がやってきて、こう叫ぶのだ。
「そのとおりになれ!」
気がついたら、主人公の男の子ジジーノはアリになっていて、ちょうどまゆ
から出て成虫になるところなのだった。まゆから出たばかりの虫なので、世話
係のおばさんがついていて、ジジーノの質問にはどんどん答えてくれる。そこ
で読者も、アリの体の構造、目の仕組み、アリの生活や社会の仕組み等を学び
ながら覚えていくことができるのだ。
そんなジジーノが最初に食べさせてもらったお食事は何かというと、口うつ
しの蜜なのだ。アリはすごい勢いで大人の成虫になるので、ジジーノもどんど
ん大人の中性アリになっていく。そして、自分で食事をするようになるのだが、
それはアリがまるで牧場の牛のように飼っているゾウムシから、お尻から出す
甘いつゆを絞り出して飲むというやり方なのだ。うーん、ゾウムシのつゆと聞
いては食欲がわかないかもしれないけれど……。あ、でも、この牧場ではアブ
ラムシも飼っている。まあ、どちらにしろ食欲はわかないだろうけれど、植木
にアブラムシがついたとき、その後ろをアリがついていくのを見た覚えはある
ので、なんだかこちらの方が抵抗は少ない。植物を食べた虫のお尻から排出さ
れる蜜を吸うのが、どうやらアリの食事らしい。そして、お腹いっぱい食べる
と仲間に口うつしに分けてやったりするのだ。ジジーノの住むアリの巣は、そ
の後赤アリに攻められて侵略される。最初は人間らしい知恵を働かして赤アリ
の攻撃を退けたジジーノなのだが、自ら将軍となって作戦を練って攻撃を仕掛
けに行った間に、自分の巣を赤アリに侵略されてしまうのだ。あげくに赤アリ
に捕まえられ足を二本引きちぎられるという刑を受ける。それでもなんとかし
て巣から逃げだし、さまよい歩くことになるジジーノ。いろいろな虫に出会っ
ては、虫たちの生態を知っていく。やがて、ジジーノはハチと友達になり、ハ
チの巣を襲ってきた虫を退治して、そのお礼にしばらくその巣に住むことにな
る。
ああ、ここになって、初めて食欲がわいてくる。同じ虫の蜜でも、花からと
った蜜ならば、そしてハチが蓄えた蜂蜜ならば味も想像できる。ジジーノはロ
イヤルゼリーも食べさせてもらうのだけれど、メスになっちゃうと慌てるのが
おかしい。ジジーノはある日、友達のハチにあつらえてもらった食事の味に、
覚えがあることに気づく。それは、忘れもしない別荘に生えていたサラマンナ
ぶどうのつゆの味だった。サラマンナぶどうというのは白いぶどうで、丸くて
大きい甘い実がなるのだという。ジジーノの別荘にはサラマンナぶどうの古い
蔓が二本、窓の下に向かって生えていたのだ。窓の近くに実がなっていないの
は、その家に子供がいるとからだと植物学では証明済みと作者は始めに語って
いる。そんな風にいつも食べていたぶどうの味をジジーノは覚えていたのだ。
友達のハチにそのぶどうの生えているところに案内してもらえれば、あの懐か
しい別荘に戻ることができるとジジーノは喜ぶ。
だがその後、ハチの巣で分巣騒ぎが起き、ジジーノは友達のハチと離ればな
れになってしまう。けれど、最後にやっと別荘の近くの木の上に大工バチが作
った家を手に入れることができ、そして、尺取り虫、つまりイモムシに変身し
た姉さんに出会うのだ……。
ジジーノはここで、イチジクの皮をかじったり、地面に落ちたアンズの実の
果肉を小さく丸めて家に運び込んで食べたりして命をつなぐのだけれど、やは
り安定した食事はゾウムシを説得して牧場の牛のように飼うことでしか得られ
ないようだった。そこだけは、あまり気を引かれないながらも想像で味わうこ
としかできないのだが、それ以外は夏のイタリアの果実の甘い味わいが楽しい
物語でもある。
それにしても、ジジーノや姉さんや兄さんを変身させた男が何者かを知りた
いし、この先のお姉さんたちの話も読みたいなと翻訳されるのを長い間楽しみ
にしていたのに、ネットで調べてみた限り、原作もここ迄で終わっているのが
残念だ。
今回、竜に引き続いて虫を見てきたのだが、変身するというのは実に大変な
ことだと知った。もちろん、元の人間に戻る気がないなら、そのまま虫の食べ
物を食べてればいいのだろうけれど……。
とにかく、変身してもおいしいものが食べられる物語はないものかと探しな
がら、次回に向けてもう少し本の中をさまよってみようと思っている。
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『変身」フランツ・カフカ著 川島隆訳 角川文庫
『チョンドリーノ』バンバ原作 岩崎純孝訳・文
「少年少女世界の名作文学」41巻 小学館
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高山あつひこ:好きなものは、幻想文学と本の中に書かれている食物。そこで、
幻想文学食物派と名乗っています。
著書に『みちのく怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni改め、市井カッパ
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ペンネームをつけてみた
小学生の頃、妹尾河童さんの『河童が覗いたヨーロッパ』という本がめちゃ
くちゃ好きで、読み込んでいた。
しかし、今、家を探すと無い。
星新一さんの「進化した猿たち」のシリーズも好きだったのだけれども、な
ぜか家に無い。
なぜ、子どもの頃に好きだった本って家から無くなるのだろうか?
それはともかく。
数年前から河童と呼ばれることがあり、そういえば、妹尾河童さんのことを
あまり知らないなぁ、と思って、Wikipediaで調べてみた。
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妹尾 河童(せのお かっぱ、本名同じ、旧名:妹尾 肇(せのお はじめ)
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えええええー。本名だったのかー。
なんでまた?
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『河童が覗いた仕事場』の立花隆のインタビューで大阪、朝日会館でのグラフ
ィックデザイナー時代、近くのバーで出た菊の花の漬物を見て「他の花も喰え
るんじゃないか」と店に生けてあった花を片っ端から食べたところ、しばらく
すると急に腹が痛くなり七転八倒店の中を転げまわった。それを見ていた『航
空朝日』編集長斉藤寅朗が「おまえは河童みたいな奴だな」と言ったことが始
まりと述べ、『河童の手のうち幕の内』ではあだ名が異常に浸透してしまい、
藤原歌劇団の舞台美術を手がけた際も本名を思い出してもらえず、プログラム
に「妹尾河童」と書かれてしまったと事の経緯を書いている。
勤務先のフジテレビで来客が受付に「妹尾肇を呼んで欲しい」と伝えても「当
社にはそのような人物はおりません」といって業務に差し障りが生じたり、ま
た「妹尾肇」宛の郵便物が近所に住む「松尾肇」という人物に届いたりと度々
仕事のみならず生活においても支障が生じた。さらに文化庁の事業により海外
に派遣されることになったが海外において舞台美術の名義がすべて「妹尾河童」
で紹介されており、文化庁交付書類上の「妹尾肇」という人物と同一人物であ
ることをいちいち説明するのは大変ということで「妹尾河童」という名前での
パスポート取得のために改名を決意する。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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なるほど、と言っていいのか? なんとも個性的な話。
自分は社会学を志し、在野で研究しますと宣言して大学を出て、こうしてい
ろいろ文章を書いていく上で、何かペンネームが欲しいと思ったときに、これ
は市井に居る河童かもしらんな、とふと思いついた。
で、市井河童、という名前を画数で占ってみたところ、これが大凶とのこと。
こりゃいかんと、市井の別の言い方を類似語で探すと、巷、世間、、、
巷河童?
世間河童?
どうも名前と言うよりは妖怪の一種だねぇ。
というわけで、河童をカナで開いてみたら、これは「人を幸せにする」とい
う相が出たので、まあ、これでいいか、と。
ということで、ペンネームを「市井カッパ」に改名してみた。
これから新しい名前で、よろしくお願い致します。
現場からは以上です。
note
https://note.com/bizknowledge/n/nb359b19e7e3b
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5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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節分明けに、外は雪。雪が降ると冷え込みますね。ご自愛ください。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→野球と体罰
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→震災で思い出す
★「はてな?現代美術編」 koko
→化けるオールドマスター
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→最後の選挙
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■トピックス
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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中村哲也 『体罰と日本野球 歴史からの検証』岩波書店 2500円+税
高校時代、私は軟式庭球部に所属していました。入部したその日に、若い顧
問が同学年の子をいきなり殴ったことには驚きました。軟弱体育会部活でも昭
和の昔、体罰は珍しくなかったのです。法律で明確に禁止されているにも関わ
らず、令和のいまも教師による部活の暴力的指導は根絶されていません。部活
の暴力的指導はいつ始まったのか。著者は野球に焦点を据えています。野球に
関しては多くの資料が残っているからです。著者は、138名の野球選手が書
いた自伝や回想録165冊(!)を精査することで、この問いに挑んでいます。
第一高等学校が横浜のアメリカ人クラブに勝ったことによって、野球は全国
に普及しています。私の母校の前身旧制鳥取中学には日本最古の部類の野球部
があります。徒歩(!)で遠征して、100キロ内外離れている松江や津山、
豊岡の中学と試合をするのですが、相手チームや審判、応援団等と必ず殴り合
いが始まったといいます。大先輩たちの粗っぽさには驚きますが、野球部員の
粗暴さは全国的な傾向であったようです。明治時代の若者はひどく暴力的でし
た。しかし彼らの暴力の矛先は、チームの内ではなく外に向かっていたのです。
大正から昭和にかけて、夏の中等学校野球の全国選手権や春の選抜大会、さ
らには東京6大学野球が始まり、それらは大きくマスメディアに取り上げられ
ます。野球は超人気スポーツとなりました。その結果勝利至上主義が、中学や
大学の野球部を覆っていきます。それまで主将が練習や試合の指揮をとってい
たところを大人の監督が采配を振るうようになります。就職や進学に有利に働
くということで部員数も増え、競争も激化して、試合に出ることのできない者
も増えていきます。様々な要因が重なり、体罰が野球の世界を覆っていきます。
先の大戦で日本の若者の大半が兵役を経験しています。日本軍は不条理な暴
力の支配する世界。兵隊帰りの若者が野球部の指導者となることで、体罰が爆
発的に広がっていきます。体罰によって育った者が指導者になり、次の世代に
暴力を振るう。そうした悪しき連鎖が生れていったのです。長嶋茂雄は、西本
聖と角盈男を50発だか100発だか殴ったといいます。明大野球部監督の島
岡吉郎は雨の深夜、「野球の神様に謝れ!」と星野仙一に2時間グラウンドで
土下座させています。いずれもいまなら確実に刑事立件されるレベルでしょう。
現在野球部員同士の間での暴力は、コロナ禍もあってほぼ根絶されています。
指導者の目に見える暴力も減少しています。その原因として、少子化と、スポー
ツの指導に科学が導入されてきたことを著者はあげています。少子化で部員数
が減れば、競争によるストレスは軽減さたことによって、部内のいじめの類も
激減しました。ホークスの工藤公康や仙台育英の須江航。科学的指導に精通し
た指導者の率いるチームが大きな成果をあげています。スポーツの指導で暴力
が振るわれていたなんて信じられない。そんな時代がきっと来るはずです。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「思考停止」の話
去年プライベートでもいろいろあって「今年はそれなりに穏やかであって欲し
い」と思った年明けに飛び込んで来た能登での大地震のニュース。
情け無い話だけどあれほど「南海トラフが」と言われているのにどこかで「ま
だまだ」と思っている自分がいた。実際能登の方では去年も震度6強があったそ
うなのに。
大きい災害が起きるとその度、無力感におそわれる。自然災害というのはいつ
起きるかどこで起きるか全く予測がつかない。(たまには起きるべくして起こっ
た人災のようなものもあるが)
29年前の阪神淡路大震災の時、最初は震源が関西だと信じられなかった。私の
住んでいるあたりは室内はぐちゃぐちゃであっても倒壊した建物はなく、なん
の根拠もないのにもっと離れた場所(東京?)が壊滅か?などとも考えた。
ただ飛び込んで来るニュースが日頃行き来する場所だったりビルだったり店だっ
たりするのを知ってやっと神戸が潰れたのだと実感した。
幸い自宅そのものには大きな被害はない。でも…喪失感や未来が見えない不安
はそれなりにある。ずっと震災関連のニュースを見続けているといつしかそれ
以外の事を考える事に罪悪感を感じ始めた。今をなんとかする事のみを考えそ
れ以外を先送りにしようと。
もちろん漫画のネタも。
いわゆる思考停止状態なのだがそれが当たり前だと思っていた。
減っていく報道に怒りを感じたり近い場所でありながら普通に日常を送ってい
る大阪の人たちに苛立ちを覚えたり。でもそれは当たり前の事で大手メディア
は当事者ではないし日本のほとんどの場所が当たり前に日常を送っている。
そして、ちゃんとする事すべき事を出来る作家も多数いた。要は私は感情に引
きずられていただけだと後々分かった。(残念ながら福島でも同じように脳が
固まってしまったが)
表現を生業にする者は感情と理性を同時にきちんと持つ事。感情に引きずられ
て思考停止している間にもっとタチの悪い思考停止派がいらぬ事をする、そん
な事例を間近にみて来た私としては「理性的」に思考し続けることが大事なん
だよ。
震災一年後に学んだはずなのになぁ。まあ、それが出来ていたらもっと良い作
家になれただろうけど。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■はてな?現代美術編 koko
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第142回
『 2023年話題のオールドマスターオークション
――――― Rembrandt & Sweerts』
今年も地球のいろんな国や地域でアートフェアや芸術祭が開催されます。
増えすぎてどこを回ればいいのか、何が世の中のムーブメントなのかわかりに
くくなってきています。
考えるのも頭が痛くなるので、作品の文脈を読み込む必要が益々重要になって
いる現代アートをスルーして、今月は素直にオールドマスター作品に没頭する
ことにしました。
美術の道に片足を突っ込みその深淵にはまり込んだのはオールドマスター作品
がきっかけだったことを今更ながら思い出す2024年です。
実は昨年、ルネッサンスから18世紀に活躍した作家達の作品がいくつか真筆認
定や再評価されたためにオークションがググっと盛り上がりました。
過去にお伝えしたレオナルド・ダ・ヴィンチは特別高額でしたが、去年の作品
は価格的には話題に上がるほどの金額ではありません。しかし、実際市場に与
えた熱狂はかなりのものだったのだろうと思います。
有名なオールドマスターの作品が長い期間行方不明になっていた、あるいは新
たに本人作と認定されたなどの理由で市場を騒がせました。
まずは REMBRANDT HARMENSZ. VAN RIJN (レンブラント 1606-1669)。
「Portrait of Jan Willemsz. van der Pluym (c.1565-1644), bust-length;
and Portrait of Jaapgen Carels (1565-1640), bust-length」
男性と女性の上半身の2点のポートレート作品です。
20023年7月のロンドンクリスティーズのオークションにて
評価額がGBP 5,000,000 – GBP 8,000,000、
落札額はGBP 11,235,000(ざっくりと20億円)で取引されました。
□Christies auction results 「Portrait of Jan Willemsz/Portrait of Ja
apgen Carels」
https://www.christies.com/en/auction/old-masters-part-i-29465/
一つの家族が200年間こっそり所有していたために市場に全く現れなかったこれ
らポートレートが、去年の夏突如オークションに出たのは話題になりました。
LOT11
続いてもう一つレンブラント。
「The Adoration of the Kings」
小さな小さな板に油で描かれた小品(24.5 x 18.5 cm)についた評価額はGBP1
0,000,000 - GBP15,000,000 、
落札額はGBP10,965,300 (約20億円)でした。LOT11
□Sotheby's auction results 「The Adoration of the Kings」
https://www.sothebys.com/en/buy/auction/2023/old-master-19th-century-p
aintings-evening-auction-2?locale=en
この東方三博士の礼拝の絵は1950年頃に一度行方不明になりました。
再び世間に姿を現したのは、2021年のアムステルダムクリスティーズのオーク
ション。
当時のカタログにはレンブラント派の作品と認定されて、評価額はUSD10.500-
USD15.800(約200万円)だったのです。
一部の専門家やコレクターの間で、これはレンブラントの真筆になるものだと
信じる人達がいて、結局USD1.000.000(1億円)で売れました。そりゃー関係者
は吃驚しますよね。オークションの醍醐味ここにあり!です。
その後ありとあらゆる科学的検査そして技術的検証、履歴などの確認が行われ、
これが紛うことなきレンブラント作品であると判定されたのです。
そして去年12月のロンドンサザビーズでGBP10,965,300で落札となりました。
最後に取り上げるのは、フランドルの画家Michael Sweerts(ミヒール・スウェー
ルツ 1618-1664)の作品です。
2023年7月6日のロンドンクリスティーズにて、GBP 2,000,000 – GBP 3,000,0
00の評価額の作品がGBP 12,615,000(約23億円)に化けました。
ミヒール・スウェールツの名前はおそらくご存知ないですよね。彼の名声は死
後18世紀から19世紀かけて完全に忘れ去られていたのを、1907年に発行された
論文記事によってその存在が再度世に知られることとなりました。
フェルメールとよく似た運命を辿ったといえます。
□Christies auctions results 「The Artist’s Studio with a Seamstress」
https://www.christies.com/lot/lot-6436456?ldp_breadcrumb=back&intObjec
tID=6436456&from=salessummary&lid=1
この作品は市場に出されたことがなく専門家の間でさえ全く知られていない作
品だったのですが、このオークションでその質の高さが再評価されました。
これはいけると思ったクリスティーズは、昨年末にもフランドル作家作品で攻
めに入ったわけです。
2023年12月7日ロンドンクリスティーズで、少女が祈っている姿が描かれた絵の
キャンバスを持つ自画像(?)と思われるスウェールツ作品が、GBP 1,734,00
0(3億円強)で落札されました。
評価額はGBP 400,000 – GBP 600,000でした。
これも大化けです。
□Christies auctions results 「A portrait of the artist (?), presenti
ng the Virgin in Prayer」
https://www.christies.com/lot/lot-6458275?ldp_breadcrumb=back&intObjec
tID=6458275&from=salessummary&lid=1
そりゃオールドマスターファンは熱狂しますよ!
このような熱狂は大歓迎です。
去年は上記以外にもルーベンス作品やゴヤ作品が話題になりました。
今年も何か出てくるんでしょうか。
楽しみ、楽しみ。
◎koko
円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 42
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1968年立法院総選挙
1968年11月10日、初の行政主席公選と併せて、第8回立法院総選挙が行われた。
なお、米施政権下の沖縄での立法院選挙は今回が最後である。
この時の選挙では、社会大衆党・沖縄人民党(事実上の日本共産党沖縄支部)・
日本社会党の3党と沖縄教職員会系候補からなる革新共闘会議が全32選挙区に統
一候補を擁立し、総得票数で53.95%を獲得したが、選挙区事情もあり、彼らの
獲得議席は現有勢力維持の14(内訳は社大8、人民3、社会2,無所属1)に
とどまった。これに対して、自民党は17議席の過半数を確保。保守系無所属の
当選者1を加えて、主席公選で当選した左派系の屋良朝苗との“ねじれ現象”が
生じることになった。
地域別で見た場合、北部と宮古、八重山では自民党が大きくリードし、米軍基
地が特に集中している中部と那覇市では革新共闘が圧勝する結果となった。ち
なみに、この時の選挙戦で、第19選挙区(那覇市の松尾区、上泉区、楚辺一区、
楚辺二区、美田区、壷川区、奥武山区、ペリー区、下泉区、通堂町、垣花町、
住吉町)で自民党公認として立候補し、人民党の古堅実吉に敗れた渡口麗秀
(元那覇市議会副議長)の選挙挨拶の手紙は、通常の選挙葉書ではなく、熱帯
魚シリーズの“ハコフグ”の切手を貼った封筒で )送られている。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20240125164732235.jpg
那覇での厳しい選挙戦を戦う中で、少しでも有権者の目を引き、支持拡大につ
なげようとしたのだろう。残念ながら、この郵便物自体は“転居先不明”で名
宛人に渡口の主張が届くこともなかったが…。
以下、同封されていたあいさつ文を引用してみよう。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/202401251647360ea.jpg
立候補のごあいさつ
私たち沖縄県民の多年の念願でありました主席公選が十一月十日に実施され
ますことは、市民のみなさまと共に誠にご同慶に存じます。
私は、市民のみなさまの御指導、御鞭撻、御援助によりまして、一九五三年
以来連続六期十五年余にわたり那覇市政に参與して、微力を盡して参りました
が、今回実施される主席公選と立法院銀選挙が、わが沖縄の浮沈を決する重大
な選挙であるばかりでなく、祖国日本の安全と繁栄をも左右する重大な選挙で
あることに鑑み微力ではありますが、豊かな郷土を建設するために立候補を決
意し、ここに市民のみなさまに謹んでごあいさつを申し上げます。
戦後二十有余年にわたり全県民がひとすぢに求めつづけて来た祖国復帰実現
の機運はいよいよ到来し、われわれ百萬県民は、今や新沖縄県へのスムーズな
移行をめざして、復帰準備を急がねばならない重大な時機を迎えました。速や
かに産業、民生、教育、文化等の各面における他県との較差を是正し、基地依
存の不安定な経済から脱却して自立経済の基礎をきづき、復帰の際における混
乱を除くことはわれわれ百萬県民に課せられた使命であると存じます。
私は、沖縄自由民主党の一体化政策を強力に推進し、百萬県民が将来豊かな
楽しい生活が出来るよう再以前の努力をする決意であります。なにとぞ市民の
みなさまの御理解と御支援を賜りますようお願いいたしまして、立候補のごあ
いさつといたします。
(以下、渡口の略歴については省略)
なお、主席公選と立法院選挙に続いて12月1日に行われた那覇市長選では、革
新共闘の平良良松(社大党)が自民党の古堅宗徳に圧勝した。
こうして、1968年の“三大選挙”は左派側の二勝一敗という結果になり、勢
いを得た左派(の一部)は急進化していくことになる。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房。電子
書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテー
マ21などがある。とつの昭和戦史」「年賀状の戦
後史」角川oneテーマ21などがある。
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■編集後記
年初からいきなり大事件が続く、あり得ない正月を迎えた年が始まりました。
個人的には、「小悪魔教師サイコ」合田蛍冬版があり得ないトラブルに巻き込
まれて中断したのが昨年末のこと。今年になってから、えばんふみ氏がこれま
た似たようなトラブルに巻き込まれて、何だコレ?
いずれの場合も仁義もへったくれもない。原稿未払いの方がまだ誠実に見える
くらいのひどさである。ネットコンテンツとしてしか作品を見ない会社にはと
んでもない会社があるらしい。
古い出版社には、こんなことは絶対起きないだろう。そう思った年末年始でし
た。
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はおやすみです。次回をお楽しみに!
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第175回 正月に「場末」に出会う
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 台湾のふたり。食べ物や鉄道、女ふたりの小説を紹介します。
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第20回 紅いピラミッド
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第175回 正月に「場末」に出会う
昨年後半から世間ではジャニー喜多川による性加害、ジャニーズ事務所の不
誠実な対応、ジャニー喜多川をかばう大物ミュージシャンの発言、それに続き
明らかになった宝塚歌劇団ハラスメント、そして暮れになって自民党の裏金、
大物芸人の強制性交疑惑など嫌なことばかりあって、すっきりしない気持ちで
大晦日を過ごした。昨年は「幻滅」の一年だった。
大晦日は毎年の決まり事のように紅白歌合戦を見て、ジャニーズのいない紅
白も悪くないなあ、などと思っているうちに新年を迎えた。
新しい一年は少しは良くなるようにと思っていたら、元旦、能登半島の地震
が起こり、この原稿を書いている時点で200人以上の方々が亡くなっている大
災害になってしまった。胸が張り裂けそうな気持ちになる。
そして羽田空港の事故が起こり、3日の夜には山手線内で刺傷事件があって、
ぼくも池袋駅で足止めされて、帰宅したのが深夜になってしまった。時間が少
しずれていれば事件のあった車両に乗り合わせた可能性だってあったはずだ。
これほど正月気分から遠い正月は初めてだった。
5日は用事をすませたついでに渋谷へ向かった。
松濤美術館での『なんでもないものの変容』という展覧会を見るためだった。
瀧口修造、阿部展也という前衛写真から大辻清司、牛腸茂雄へと続く作品を時
間をかけて見ることが出来た。
心地よい疲れを感じながら渋谷駅に向かったが、駅に近づくにつれて人混み
がひどくなってきた。横断歩道を渡ろうと歩道から一歩踏み出すも反対方向、
斜め前、あらゆる方向から人の列が押し寄せて歩けない。無理に列を横切ろう
として、若い女性のグループの行方を遮ってしまった。「じゃまだろ、くそじ
じい!」という心の罵りが聞こえてくる。ああ、何十年か前には、ぼくだって
老人に向かって舌打ちをしていたにちがいない。もう軽やかに人混みをすりぬ
けることが出来なくなっている。
そのとき、頭の中に何十年もまえに見た『二十歳の恋』というオムニバス映
画のシーンが浮かんできた。さえない中年男の顔だ。若者たちがパーティを開
いている部屋をさびしそうな顔で出ていく男だ。どうしようもない孤独を抱え
ている。
映画のこと、うろおぼえなので調べてみた。1962年の作品でパリ、ローマ、
東京、ミュンヘン、ワルシャワの五つの都市における青春と恋を追求したオム
ニバス映画で、フランソワ・トリュフォー、レンツォ・ロッセリーニ、石原慎
太郎、マルセル・オフュルス、アンジェイ・ワイダの5人がメガホンを取って
いる。ぼくは20歳ぐらいのときトリュフォーに夢中で自主上映でこの映画を見
た。いちばん印象に残っているのは、お目当てのトリュフォーの作品ではなか
った。
覚えているのは、ポーランドの名匠ワイダが撮った初老の男と若者の世代ギ
ャップをテーマにした作品だった。若いカップルが動物園でデートをしている
と、クマの檻に少女が落ちる事故が起きる。周囲の人々は助けようにもクマの
檻に降りる勇気が出ずにとまどうばかり。そのとき一人の男が柵を乗り越えて
少女を助ける。デートをしていた若い女はデート相手の男をおしのけて、少女
を助けた男のもとに走る。そして、自宅のアパートに招く。ふたりのときを過
ごそうとするが、噂を聞きつけた仲間が押し寄せてパーティが始まってしまう。
パーティの喧騒の中で男の心には戦争の恐ろしい記憶が甦える。戦争を知る自
分と若者たちとのあいだにはどうしようもない隔たりがあった。やがて男はひ
とりアパートをあとにする。そんなストーリーだった。
若かった当時、この映画を見たときは、戦争を経験した世代と若い世代のギ
ャップを描いているんだなあ、と思っただけだった。でも今、渋谷で感じた
「居場所のなさ」はリアリティがあった。理屈ではなく肌感覚で世間との隔た
りを思い知らされた気分だった。ここは、ぼくがいる場所ではないな。
こんなふうに「あけましておめでとう」と晴れやかにいうことができない正
月だ。
そうはいっても日々は続く。
豪徳寺にある七月堂古書部に行った。1月28日(日)に拙著『ぼくは「ぼく」
でしか生きられない』出版記念の催しで茂木淳子さんとトークショーをするの
で、挨拶に伺った。茂木さんは「音の台所」(http://oto-kitchen.com/)の
ペンネームで音楽紙芝居の公演やリトグラフ作品を発表したり、沖縄のことを
リポートしたZINも制作している。今回のトークでは茂木さんがぼくの本から
「電話ボックスとちいさな切り株」という章を朗読してくれる。ぼくのギター
とのセッションという形だ。
茂木さんとのセッションは二度目で、2019年に明大前にあった七月堂古書部
で沖縄の古書店をやっている宇田智子さんのエッセイを茂木さんが朗読して、
ぼくがギターを弾いた。茂木さんの声を聞いていると沖縄のゆったりとした空
気が伝わってきて、リラックスして演奏したのをよく覚えている。
昨年は古書ほうろうで山川直人さんとトークをさせていただいたり、なんて
恵まれているのだろう!
七月堂古書部は、詩の本の出版社・七月堂の編集部に併設された書店で、詩
の本が新刊、古書ともに充実している。せっかくだから、何か詩集を買って帰
ろうと思ったのだけれど、詩のことなどちっともわからないぼくには、どの詩
集を選んだらいいのか困ってしまった。
そのとき目に入ってきたのが『場末にて』(西尾勝彦 詩 七月堂)だった。
「場末」という言葉に惹かれた。メインストリームを歩いてこなかったぼくに
は、とても響く言葉だった。ぼくの担当編集者、天野みかさんが「それ、とて
もいいですよ」と声をかけてくれる。
著者のコメントには、大阪の小さな書店の店主を描こうと書いていたら、次
第に自分のこととなり、未来のこととなり、すべてのアウトサイダー、場末を
支えるひとたちのための言葉」になっていた、と書いてあった。すべてのアウ
トサイダーへ贈る詩集だった。ぼくはアウトサイダーというより落ちこぼれな
のだが、最初の詩を読むとスーッと肩の力が抜けていくのを感じた。
「いつも どこでも 場末に辿りついてしまうのが これからの あなたの
遠い 道のり」
それでもぼくは、とぼとぼと、うつむいて歩いていくしかないんだなあ。
ともすれば自分のことがいやになり、暗い気持ちで歩いているぼくだけれど、
「場末」はそんなぼくに「それでもいい」と言ってくれている。
決して「胸を張って」とか「晴れ晴れとした」ではないけれど、ぼちぼちい
ければいいんじゃない、という感じ。
七月堂古書部では、昨年12月の池之端・古書ほうろうに続き、山川直人さん
の『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』の刊行記念装画原画展を行ないます。
山川さんの原画もぜひ見てほしい!
【タイトル】『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』刊行記念装画原画展
【期日】2024年1月27日(土)〜2月4日(日)11:00〜19:30/1月31日(水)休み
【会場】東京豪徳寺・七月堂古書部
世田谷区豪徳寺1−2−7
(小田急線・豪徳寺駅下車徒歩5分)
よろしくお願いします。
◎吉上恭太
文筆業。
エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない人生論』
(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社
では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)もよろしくお願
いします。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログ『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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皆様本年もよろしくお願いいたします。そして能登半島地震で被災された
方々にお見舞い申し上げます。被災者の方々がはやく心落ち着く日々を過ごせ
るようになることを願っております。
今月ご紹介するのはこちらの本です。
『台湾漫遊鉄道のふたり』、著:楊双子/訳:三浦裕子、中央公論新社、2023
時は昭和13年。主人公は長崎在住の文筆家である青山千鶴子。この千鶴子が
台湾総督府と現地の婦人団体の招きを受けて、台湾に赴くところから物語は始
まります。
ただしこの千鶴子はただの文筆家ではありません。それはかなりの健啖家で
あるということです。ちらし寿司二人前を食べた直後にぼた餅四個をぺろりと
平らげて見せて、姉からは「大食いの妖怪」呼ばわりされてしまいます。
台湾に渡ったのはもちろん招かれて講演や会食といったことをするためでは
ありますが、千鶴子はもちろん台湾自体に魅力を感じていたので、これを渡り
に船とばかりに利用しました。台湾ではカラフルな街並み、市場に並ぶ南方な
らではの食べ物の山に魅了されています。
そしてこの台湾で彼女が「通訳」として出会ったのが奇遇にも同じ名を持つ
王千鶴です。
この通訳の千鶴、彼女もまた千鶴子に匹敵するほどの食いしん坊なのでした。
しかしそれだけではありません千鶴は通訳としての仕事ぶりも完璧に近いうえ
に、千鶴子の身の回りにも何かと気を使って仕事が捗るようにしてくれます。
ましてや千鶴子が原稿を書く日には食事まで作ってくれることもあるなど、
もはや完全な「相棒」のように行動していきます。
台中に拠点を構えて千鶴子は、講演旅行や温泉巡りなど台湾西岸を縦貫する
鉄道で、北は基隆から南は高雄まで移動します。その車内で食べるもの、ある
いは各地で食べるものそれぞれがあまりに美味しそうに描かれおり、食べ物小
説(などというジャンルがあれば)本書は完璧でしょう。
たとえば千鶴は台北からの帰りの列車の中で「台中に戻ったら、明日はカレ
ーを作りましょう」と言って、実際にカレーを作るのですが、それが3種類も。
咖哩鶏(チキンカレー)に咖哩蝦(エビカレー)に咖哩魚(魚のカレー)。いず
れも作り方が書いてあるのですが、どれも口によだれがいっぱいにたまるよう
なものばかりです。
蛤仔煮麺(蛤スープの煮込み麺)も美味しそうだし、麺線(そうめんのよう
な細い麺)が食べたいといった千鶴子に対して千鶴が用意した蛤とかきたまの
麵線ととろろ芋の麺線も食べたい。炒米粉(ビーフン炒め)も湯冬粉(スープ
春雨)も煮大麺(太麺の煮込み)も魅力的です。私は麺類が好きなので麺類ば
かりになってしまいましたが…。
食べ物については万事こんな調子で台湾の美味しいものについてかたられて
いますので、食べ物好きの方にはご満足いただけるに違いありません。
ところが意気投合したように見えた千鶴子と千鶴。実際にその心はぴったり
平仄があっているようにも思えるのですが。ときどきずれを感じさせる場面が
あります。
千鶴子が千鶴に対し「私たち、お友達でしょ。」と問いかけたけたとき、千
鶴は「…青山さんがそう思うなら、私もそう思うことにします」と答えます。
あるいは名所と知られる阿里山の桜についてはこんなやり取りがありました。
()は筆者注。
「内地の桜を、本当の土地に無理やり植えるのは、やっぱり横暴よね?
(以下略)」
(中略)
「帝国のやり方は強引でとっても不愉快だけど、でも美しい桜に罪はないわよ
ね。(以下略)」
こうした千鶴子の発言に対して、決して怒りを見せるわけではありませんが千
鶴はこう返します。
「はっきり言って、もう青山さんはどうしようもない!」
本書は食べ物小説というだけでなく、ふたりの関係を描いた小説でもありま
す。作者もあとがきにこの小説に百合(女性同士の友愛)という要素を盛り込ん
だと書いています。
千鶴子と千鶴がお互いを尊重しあっていることは伝わってきますが、はたし
てそれは主人と通訳なのか仕事上の相棒なのか、はたまた千鶴子の言うように
友達なのか、それともそれ以外の何かなのか、二人の間柄についての葛藤と変
化も本書の読みどころのひとつですね。
なかなか千鶴子に対して本心を明らかにしない千鶴がいったい何を考えてい
て、どうしてふたりの間に折々齟齬が生じてしまうのかについても伏線がちり
ばめられているので、それを推理するという読み方もできますね。
そしてそこには日本とその植民地であった台湾、日本本土からやってきた内
地人の千鶴子と漢人系台湾人=本島人の千鶴という関係性も関わってきます。
百合というだけでなく宗主国の人間と植民地の人間という立場もふたりの関係
性には織り込まれてくるわけです。
先ほどの桜のやり取りを見てもそうですが、千鶴子は台湾に対して日本は強
圧的だがよいこともしているという立場をとっています。
唐突ですが私はこのやり取りを反芻するうちに以前紹介した、『ナチスは
「良いこと」もしたのか?』という本のタイトルが思い浮かんできました。仮
に宗主国日本の施策で台湾が「発展」したとしてもそれは誰のための何のため
の「発展」だったのかということまで考えないといけないですよね。
というわけで食べ物・百合・宗主国と植民地など様々な要素が盛りだくさん
ですので、読者としても様々な味わい方のできる一冊だと思います。
ちなみに作者は鉄道という要素も盛り込んだとあとがきに書いていますが、
鉄道好きの私の身からすると本書は鉄分の味付けはやや薄目かもしれないです。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第20回 紅いピラミッド
上海の天蟾逸夫舞台は、東京の歌舞伎座、京都の南座に相当する。2023年、京
劇や地方劇を観るために、私は足繁く通った。最寄り駅は地下鉄の人民広場駅
である。15番出口を上がると、西藏中路という南北に走る大きな通りに出る。
南に30秒も歩けば、人民広場から東の外灘に向かう道にぶつかる。天蟾逸夫舞
台がある福州路である。東に向かって5分ほど歩くと、天蟾逸夫舞台が見えて
くる。
人民広場から外灘に向かう通りで最も有名なのは、やはり南京東路であろう。
上海随一の繁華街であり、歩行者天国になっている。歩き疲れた人のための機
関車風の乗り物も走っていて、さながら遊園地のようでもある。デパートが建
ち並び、飲食店も軒を連ねる。週末や祝日はもちろんのこと、平日も観光客で
ごった返している。だから上海人はあまり足を踏み入れない。一介の外国人に
すぎない私にしても、みずから率先して南京東路に赴くのは、清明節のときく
らいである。上海料理の老舗として知られる沈大成で「青団」を買うためだ。
日本の草餅を思わせる青団は、春の上海には欠かせない風物詩である。清明節
の頃になると、さまざまな店の青団が売りに出される。近所のスーパーでも沈
大成をはじめ、何種類もの青団を買うことができる。しかし私は、南京東路の
沈大成で青団を買って食べないと気がすまない。今年の清明節は4月4日である。
沈大成の青団売り場の前には、今年もまた長蛇の列ができることだろう。
南京東路の南側には人民広場と外灘を結ぶ通りが並行している。九江路、漢口
路、福州路、広東路が東西を走っている。こうした通りの中で、私にとって最
も馴染みとなっているのが福州路だ。かつて「四馬路」と呼ばれた通りである。
「上海游記」で芥川龍之介は、「夜は四馬路あたりに、人力車へ乗った野雉た
ちが、必ず何人もうろついています」と書いていた。「四馬路」こと福州路は
茶館や娼館が並び、街娼が行き来する上海有数の歓楽街だった。「魔都」上海
というイメージは福州路と切っても切れない関係にある。もちろん風紀の取り
締まりの厳しい現在、福州路で「野雉」と呼ばれた街娼を眼にすることはない。
茶館も娼館もない。しかし私にとって福州路は、いまだ歓楽街であり続けてい
る。天蟾逸夫舞台があるからだけではない。本を見てまわるのにうってつけの
通りであるからだ。
天蟾逸夫舞台の舞台は夜の7時15分に開演することが多い。夕方時間があると
きには、人民広場駅ではなく南京東路駅で下りて、福州路を西に向かって天蟾
逸夫舞台まで歩いていく。2時間くらいはあっという間に過ぎてしまう。
南北に走る山東中路と福州路の交差点から西に向かって歩いていくと、まず右
手にあるのが百新書局だ。1912年に「百新書店」として開業した老舗である。
若者向けのおしゃれな文房具とともに、新刊本が売られている。外国の書籍の
中国語訳も数多く並べられている。その中心は日本の書籍の中国語訳である。
2023年8月にはTOKYO GALAXYというコーナーが設けられて、東野圭吾をはじめ
とする日本の推理小説、安藤忠雄や山本耀司の本が大々的にフューチャーされ
ていた。
百新書局から西に少し歩くと7階建ての上海外文書店である。その名の通り、
英語をはじめとする外国語の書籍専門の書店である。外国人用の中国語のテキ
ストも揃っている。美術書に特化したフロアも設けられており、欧米で刊行さ
れた美術書や写真集が並べられている。もちろん日本語の書籍も置いてある。
値段は張るが、新刊の文庫本や単行本も手に入る。もっとも日本のコーナーで
大きく取り上げられているのはマンガとアニメーションである。関連グッズも
並べられており、コスプレをした若者が物色している光景は珍しいものではな
い。
上海外文書店の先には芸術書房がある。中国の絵画や書についての本を探すの
にぴったりだ。建築、庭園、写真の本も充実している。基本的に中国で刊行さ
れた中国芸術についての本が中心であるが、日本の本の中国語訳も置いてある。
デザイン関係の本が多く、この12月に私が行ったときは菊地信義などのブック
デザインの本のコーナーが設けられていた。その横には、重森三玲と杉本博司
の本が平置きにされている。ライフワークとしていた日本の庭園の研究成果を
見事なまでにモダニズムの形象に昇華させた作庭家の『作庭・観庭心得』と、
日本の美的観念を写真やインスタレーションを通じて探求し続け、結果として
欧米で高く評価されるようになった美術作家の『苔のむすまで』(新潮社、
2005年8月)、『現な象』(新潮社、2008年12月)、『アートの起源』
(新潮社、2012年1月)の中国語訳3冊が並べられている光景は、上海の読書人
の日本理解のありようを象徴しているようにさえ思われてくる。
上海外文書店の対面、福州路の南側にあるのが上海古籍書店である。1956年に
福州路に開業した書店は2006年に同じく福州路の現在の位置に移転した。そか
ら約20年間、店内は往時の雰囲気を保ち続けてきた。やや薄暗い店内には、中
国の歴史や文化、文学や宗教に関する書籍が並べられている。2階に置かれて
いるのは線装本である。明代に始まった製本法で、二つ折りにした紙を重ねて
糸や紐で右側をとじて作られた書籍である。うろうろするだけで、中国の出版
文化の歴史を体感することができる。縦書きの本も繁体字の本もある。横書き
の簡体字を国是とする現代中国に疲れたら、ここに来て本をめくるといい。店
内の時間はとてもゆっくりと流れている。
もうひとつ上海古籍書店で嬉しいのは、1階の一角に広西師範大学出版社の本
が並べられているコーナーがあることだ。歴史、文化、文学などにかかわる興
味深い書籍を数多く刊行している広西師範大学出版の本をまとめて手に取って
見たくなったら、私はまずここに来ることにしている。上海古籍書店は改修の
ため、2024年1月7日から休業することになった。改修されたのち、他の書店と
同じく上海古籍書店も、おしゃれなブックカフェのようになってしまうような
気がしてならない。読書人のための書店という古臭い雰囲気をぜひとも残して
もらいたいと思うのは、時代について行けなくなった中年男の勝手な望みにす
ぎないのだろうか。
上海古籍書店の東隣に佇む小さな書店は上海旧書店である。かつてこの界隈に
たくさんあったという古本屋のひとつだ。天蟾逸夫舞台の近くにも2軒ほど古
本屋が残っているが、私の好きなのはこの上海旧書店である。通りに面したガ
ラスケースには、民国時代に出版された雑誌や本も並べられている。見ている
だけで楽しくなる。私がここでよく買い集めているのは、映画関係の雑誌や資
料である。50年代から70年代に刊行された雑誌や書籍を見ていると、社会にお
ける映画の位置づけや役割が、中国と日本では大きく異なっていたことに気づ
かざるを得ない。小さな書店だが、四方の壁を占める書棚を吟味し、中央の棚
に平積みされた雑多な本を漁っていると、1時間くらいはあっという間に過ぎ
ていく。7時近くになっていることに気づいて、上海旧書店から天蟾逸夫舞台
まであわてて走ったことは、1度や2度ではない。
上海旧書店から古籍書店の前を通り過ぎて福州路を西へと進んでいくと、福建
中路との交差点に着く。福建中路の向こう側に高くそびえる重厚な建物が目に
入る。上海書城である。書店そのものは7階建てで、周囲の高層ビルと比べる
とむしろ低くてずんぐりむっくりしている。しかしその重厚感たるや、なかな
かの迫力である。威圧感は政府系の建物が有するそれと同等と言ってもいい。
2021年12月12日、上海書城は改修のため長期休業に入った。私は休業が発表さ
れた直後の10月末に赴いた。書棚は歯抜け状態となり、閑散としていた。客は
ほとんどおらず、店員も少なかった。唯一充実していたのは、1階のフロアに
設置された「紅書」のコーナーだけだった。言うまでもなく党関係の本が陳列
される一角である。中国大陸の書店では珍しくない光景なのだが、「紅書」が
オブジェのようにして積み重ねられていた。一番目立つ位置で面置きされてい
たのは、中央党校采訪実録編輯室編『習近平在正定』(2019年2月)である。
1982年から1985年まで河北省正定県で副書記と書記を務めた際の習近平のイン
タビューなどが収められている。
紅書コーナーに客がいないのは毎度のことだが、周囲にも客がおらず、周りの
書棚にも本が入っていなかったため、紅書で作られたオブジェはいつも以上に
悪目立ちしていた。上海がロックダウンされる前、世界全体がコロナの脅威に
さらされていた時期である。その時の私の眼に、1階の中心に設えられた紅書
コーナーは?裸の王様?という比喩がぴったりに思えた。紅書コーナーには
「23年間、連れ添っていただいた貴方に感謝します。将来よりよい形でお会い
できることを願って、?再見?とだけお伝えします」という文言が掲げられて
いた。それを見ながら「再見」がはたしてあり得るのかどうか、私は疑問に思
いながら書店を出た。
2023年10月28日、装いも新たに上海書城が再開した。垂直性が強調された白を
貴重とした建物は、夜になると外壁に埋め込まれた灯りによってガラスの城の
ようになる。私は12月初め、天蟾逸夫舞台で中国西安の地方劇である秦腔の
《鎖麟嚢》を見に行くついでに、はじめて足を踏み入れた。
空いている書棚も多く、まだ試運転という感じではあった。とはいえ書店の内
部空間は、コロナ禍を乗り切った中国が、新たな段階に入ろうとしていること
を十分に感じさせるものとなっていた。2m近くはあるかと思われる書棚によ
って空間は区切られ、迷路のようになっている。フロアの中央は吹き抜けとな
っており、2階分の高さの書棚がそびえ立っている。おわかりの通り、外観で
強調されていた垂直性は、内部空間においてよりいっそう際立ったものとなっ
ていた。2mの書棚の上に並べられている本は見ることも、いわんや手に取る
ことなどできるはずがない。2階分、3階分の吹き抜けに置かれた書棚の高さが
どれくらいなのかは、もはや推し量りようもない。置かれた本を見たり手にし
たりすることは、そもそも期待されていないのである。高々とそびえる書棚は
本を見せるために設えられたものではなく、垂直性を強調し、本に代表される
文化が崇高であることを知らしめようとしているように感じられた。本を売る
ことよりも、本を紹介することよりも、上海書城の空間が目指していたのは、
「偉大」な中国の「文化自信」を表象することだったのではないだろうか。
そうした私の思いは、エスカレーターで3階に上ったときに確信へと変わった。
左手に見えてきた壁一面を覆う大きな書棚に面置きで並べられていたのは、
『習近平談治国理政』第4巻(外文出版社、2020年6月)だった。習近平その人
の尊顔が描かれた表紙が何十冊も並べられている光景は圧巻である。その奥に
作られていたのは「党閲書屋」と名づけられた部屋だった。本を並べていた書
店員に聞いてみたところ、共産党関係の本だけを集め、思想教育に供される空
間となるらしい。紅書コーナーの拡大ヴァージョンである。
「再見」の可能性を疑った私はひどい見当違いをしていたと言わざるを得ない。
1998年に上海市人民政府の肝いりで作られた上海書城は、中国の「偉大」な
「文化自信」を象徴する場として、より強化された形で戻ってきたのである。
そのことを最も実感させられたのは、書店に入ってすぐに眼に入ってくる1階
の光景だった。
床一面が紅に染められ、メキシコのテオティワカンのピラミッドのように中央
に向かって少しずつ高くなっている。紅の階段を上っていくと、ピラミッドの
頂上には紅のビロードが被せられたテーブルが置かれている。さながら皇帝の
玉座といった趣きだ。その上にはたくさんの本が並べられている。もちろんす
べては習近平の本である。表紙のご尊顔がこちらに向けられている。ピラミッ
ドを上ってきた客は、皇帝に謁見する立場に身を置くことになる。外国人であ
れば、誰もが阿倍仲麻呂やマルコ・ポーロにならざるを得ない。中国に来て以
来、どの書店でも紅書コーナーを見てきた。福州路にあるいずれの書店にも、
紅書コーナーは設けられている。しかし、これほどまでに荘重さを演出しよう
とした紅書コーナーははじめてだった。私は北京の故宮で見た皇帝の玉座を想
起した。
あまりにも露骨だったからであろうか、それともよりいっそう荘重にするため
なのか、12月中旬に上海書城を訪れたときには1階は工事中で、仮囲いのため
に中を見ることはできなかった。だから、その後1階がどのようになったのか
は確認できていない。しかし、あのような荘重さと崇高さを企図した紅書コー
ナーを設けようとするところまで、今の中国は来てしまったといえる。後戻り
する余地がありそうには到底見えない。今後しばらくは、おそらくこの道を進
み続けることになるのだろう。
書店は都市の文化の鏡である。流行り廃りは書店を見れば一目瞭然だ。しかし
中国においてその鏡は、流行を映し出すだけではない。思想教育の動向も如実
に反映される。だから書店めぐりはやめられない。
今年もまた私は天蟾逸夫舞台に通い続けることになるだろう。そして福州路で、
「魔都」上海が供したものとはちょっと違った歓楽に耽ることになるだろう。
【本文中で言及させて頂いた本】
山田俊治編『芥川竜之介紀行文集』〔電子書籍版〕、岩波文庫、2022年4月。
重森三玲『作庭・観庭心得』、華中科技大学出版社、2021年11月。
杉本博司『直到長出青苔』黄亜紀訳、広西師範大学出版社、2012年5月。
杉本博司『芸術的起源』林葉訳、広西師範大学出版社、2014年5月。
杉本博司『現象』林葉訳、広西師範大学出版社、2015年1月。
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
能登の地震被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。少しでも落ち着ける
日が一日もはやく来るよう、心よりお祈りし、できることを協力させて頂きたい
です。
まずはお詫びと訂正を。先月、副隊長さんの原稿に誤記が多く、大変申し訳あ
りませんでした。正しいものが訂正版として、バックナンバーで読めるようにな
っております。副隊長様、読者の皆様、メルマガの管理者様に心よりお詫び申し
上げます。
今月も遅れてしまい、申し訳ありませんでした。新しい年。厳しいことばかり
起きますが、何とか地震の足元を確かめながら、楽しい本を読みつつ一年を過ご
していければ、と思います。どうぞ今年もよろしくお願いします。畠中理恵子
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その88 「変身したら何食べる?」その1.竜
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その88 「変身したら何食べる?」その1.竜
今年の干支にちなんで、龍についていろいろ考えていたのだが、東洋の「龍」
はとてもありがたい神的な存在だけれど、西洋の「竜」というのはそうでもな
いような気がする。竜というのは、なんとなく恐竜と入り交じっているような、
は虫類の進化形のような動物のイメージがある。若い女を生け贄に欲しがって、
騎士にやっつけられるようなところなどダメダメな感じがある。もちろん日本
の八岐大蛇なんていうのは、若い女の生け贄を欲しがるし、酒好きのくせに酒
に弱いとかダメダメな感じがあるから、これも下等な竜なのだろう。
そんなことを思っていたら、物語の中で自分が竜になったら、何を食べたら
いいのだろうかとつい考えてしまった。人身御供をかじるわけにもいかないし、
竜は本当に人間しか食べないんだったけ? そこで、少々記憶をたどっている
と、ありました!変身して竜になってものを食べる場面が。それは、ナルニア
国のあの話『朝びらき丸、東の海へ』に出てくる竜。この物語は『ライオンと
魔女』で始まるペペンシー兄妹四人が主人公で、ナルニア国という不思議な世
界に行く物語なのだが、この話はそのシリーズの三番目に当たり、兄妹のうち
末の二人のエドモンドとルーシィと、いとこのユースチスがナルニア国で冒険
する物語だ。実は私は、この話が少々苦手だ。最初はいい。いとこで不平屋の
ユースチスの家に泊まりに来た二人が、壁に掛かっているナルニアの船にそっ
くりな船が海に浮かんでいる絵を見るうちに絵の中に、引き込まれていく。海
から助けられて乗った船が、偶然カスピアン王の船で、彼は冒険に出かけてい
るところだったなんて、実に楽しそうじゃないか! でもその旅が、昔王位を
簒奪した叔父が追い払った七人の騎士を探すための旅だというのが妙に楽しく
ないのだ。この旅の最終目的とか、行方不明の七人の運命とかが、何かすべて
暗くて高揚感がないのだ。彼らが何でこんな目に遭ったのかが、わからなくて
気持ちが悪いのだ。
さて、船に乗ってからずーっと、不満を言い続け、すべてを悪く取るいとこ
のユースチス。この情けない卑怯者で嘘つきの男の子は、全然ファンタジー世
界になじめないでいる。彼に奇妙な罰が下るのは、まあ当然という感じなのだ
が、それにしても相当重い罰に思える。それはある日、彼がいきなり竜になっ
てしまうという罰なのだ。この本を読んだ子供の頃から、もし自分がファンタ
ジー世界に行ってなじめず、気がついたら竜になるという罰を下されたらたま
らないと思い続けている。けれど、この物語で一番面白くナルニアらしいのは、
この竜に変身するところでもあるのだ。
ユースチスは、嵐になってボロボロになった船がたどり着いた島で、修理を
しようと話し合うみんなから抜け出して一人山に登って行ってしまう。そして、
そこで年老いた竜が死んで行くところに行き会うのだ。大雨になり仕方なく竜
の出てきた洞穴に入ると、そこは竜が集めた宝の山!喜んだユースチスは、ポ
ケットにダイヤを詰め、金の腕輪をはめ、金貨を敷き詰めた上で眠り込んでし
まう。いや、私だってそんな宝の山に出会ったら同じことをするだろう。とこ
ろが、ユースチスはその罰に? というかそのせいで竜になってしまうのだ。
目が覚めるとすっかり竜になっていたのだ。そうなったら、何を食べて生きてい
くのだろう?ユースチスが何をしたかというと、まず水を飲み、次に死んだ竜
を食べたのだ。竜ほど死んだ竜の肉を好きなものはいないのだと著者は言うの
だ。死んだ竜の肉は、一体どんな味だったのだろう? 一度竜の肉とはどんな
物だろうと調べたことがあるのだが、酢に漬けると七色に変わるとかいろんな
説があるのだが、味については書かれた物が見つからなかった。けれど、トー
ルキンの『農夫ジャイルズの冒険』では、昔は宮廷ではクリスマスに竜の尾を
食べたが、そうそう毎年竜も出てこないし騎士も捕まえに行かないので、今で
は「まがいものの竜の尻尾」というお菓子を出すとあった。「堅い粉砂糖でう
ろこをつけたカステラとアーモンドでできたお菓子」とあるから、そんな風に
甘い味なのかもしれない。もし、竜の肉が甘いなら、求肥のようなお菓子の方
が、なんとなくイメージに合う気がするけれど、どうだろう。
とにかく、ユースチスはその後みんなのところに戻り、なんとか自分である
ことをわかってもらおうとする。けれど、竜に驚いたみんなが一斉に剣を抜い
て立ち向かおうとするので怖くて泣いてしまう。そんな情けない竜の様子を見
て、みんなが怖がらずにその正体についていろいろ質問をしてくれたおかげで、
自分がユースチスだと、わかってもらえたのだ。
それからは心を入れ替えていいやつになった竜のユースチスは、みんなのた
めに一生懸命働いた。折れたマストの代わりになるような大きな松の木を運ん
できたり、野生の豚や山羊を殺して持ってきたりするのだ。でも、竜はみんな
と一緒に焼いたその肉を食べたりはできない。竜が食べられるのは、血も滴る
豚や山羊の肉なのだ。困るなあ、私は普段からレアのステーキを食べられない
からなあ等と思ってしまい、ここで想像力の翼がはたと止まるのだ。
物語では、一人島に残る覚悟を決めた竜のユースチスの前に、奇跡のように
アスランが現れ、ユースチスは何重にもかぶった竜の皮を裂いてもらって元に
戻り、みんなと共に船に乗って島に別れを告げるのだ……。
夢の中で、あるいは物語の中で変身して、いろいろな動物や、不思議な生き
物になってみたいと誰もが思うだろう。だが、そこで何を食べるかが、私にと
っては大問題なのだ。大抵私は物語を読みながら主人公の気持ちになってその
変身に付き合うのだが、竜になるのは少々向かいないなと思っている。
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『朝びらき丸東の空へ』 C.S.ルイス著 瀬田貞二訳 岩波少年文庫
『農夫ジャイルズの冒険』J.R.R.トールキン著 吉田新一訳
『トールキン小品集』評論社
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高山あつひこ:好きなものは、幻想文学と本の中に書かれている食物。なので、
幻想文学食物派と名乗っています。
著書に『みちのく怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■ホンの小さな出来事に / 原口aguni
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土用期間について思ったこと
2024年1月15日から土用期間に入ります。明けは2月4日。つまりは節分で
旧暦の新年ですね。今回は、この土用期間について、思ったことがありました
ので記録しておきます。
もともと土用期間というのは日本で発達した暦法の九星気学の考え方に基づ
いています。なんで九星気学が日本だけで発達したかというと、日本には四季
があるから。そしてこの土用期間というのは、とても四季の考え方と結びつき
やすい考え方です。
そもそも「土用」の「土」というのは、中国の五行思想から来ています。木
火土金水の五行は、日本では曜日の名前になるほど溶け込んでいますが、実は
季節もこの五行に分けられていて、春=木、夏=火、秋=金、冬=水 と当てはめ、
余った「土」を季節の変わり目に割り当て「土用」と呼んだところから始まっ
ています。つまり、土用は年4回あるのです。
ですから、無用に土用を特殊な期間として怖れる必要はなく、ひとつの季節
と考えることができるのです。
でも、土用期間には、してはいけないとされていることもたくさんあります。
・大きな決断・契約
・引っ越し、転職
・結婚・離婚
・旅行
などなど。これはなんでか、と言いますと、単純に、季節の変わり目、だから
ですね。
日本人なら大抵、感じているとは思うのですが、「暑さ寒さも彼岸まで」と
いう言葉はありつつも、季節というのは〇月〇日からすぱっと切り替わったり
はしません。そんなデジタルなものではなく、あくまでもアナログに、じわじ
わ、じわりと変わっていく。
例えば、今回の土用は冬から春への切り替わりの土用なわけですが、冬と春
って全然、違う季節じゃないですか。これがじわじわと切り替わっていくとき
に、何か大きな判断をするのは危険だ、という考えに基づいているのではない
かと思われます。
例えば、服を買うのだって、冬に欲しい服と春に欲しい服は全然違います。
でも、切り替わりの時期にはどっちを買うのが正解なのか、意思決定に迷う、
ということなのです。
西洋の思想では、人間にとって自然は脅威であり、克服して屈服すべき対象
ですから、人も自然の影響を受けないように石の壁を築き、その中で生きよう
とします。しかし東洋の思想では、人は天の気の影響も地の気の影響も受ける
存在。この土用期間は、天の気、地の気も切り替わりますから、人もやや不安
と言いますか、不安定になる、という考え方になっているのです。
では、土用期間は悪いものなのか?
いえいえ、そんなことはないでしょう。
大きな意思決定をしない方がいい期間、というのは、逆に、いろいろ試行錯
誤するのに向いている期間とも言えます。ですから、これまでの人生でどこか
壁にぶち当たっていたり、出口の見えない迷路に迷い込んでしまったように感
じていた人は、むしろ、この期間があることがチャンスかもしれません。この
時期は浮気とか不倫とかも増えると言います。別れたい彼氏とかが居る場合に
は、彼氏が浮気して縁を切る、なんてことにはチャンスの時期かもしれません。
あるいはメンテナンスの時期、と捉えることもプラスかもしれません。大き
な意思決定というのは外の世界に目を向けることですが、そこは現在は不安定
なので、むしろ、自分とか自分の身の回りに目を向け、季節の変化に備える、
という過ごし方が、様々な方が推奨している過ごし方のようにも思えます。
いろいろ余計なことも書きましたが、土用期間をむやみに恐れるのではなく、
季節の変化を感じながら、自分をメンテナンスしたり、新しい自分の可能性を
探ったりして、プラスの意識で過ごせば、きっと良い期間になるのではないか
な、と思ったので、メモとして書かせていただきました。
note
https://note.com/bizknowledge/n/n8109936bc81d
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。本年もよろしくお願い致します。(あ)
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★トピックス
→募集中です
★「今月のこの一冊」 小谷敏
→ウクライナ戦争の行方
★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→竜巻先生、芸能界デビューか?
★「はてな?現代美術編」 koko
→休載です
★ 沖縄切手モノ語り 内藤陽介
→これまでの選挙の話は伏線で、ここからが本番!
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■トピックス
内藤陽介氏の新刊、明日発売
「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房
辰年!(令和6年・2024年)
郵便学者が中国 の龍を皮切りに、 日本 、朝鮮、琉球、東南アジア、キリスト
教世界など、世界の龍について、そのベースとなる文化史や興味深いエピソー
ドなどを切手とともに紹介する。
〈目次〉
はじめに
第1章 大龍・小龍・蟠龍(中国)
第2章 日本最初の切手にはなぜ龍が描かれたのか
第3章 青龍・飛龍と南北対立(朝鮮半島)
第4章 琉球の龍柱
第5章 ナーガと龍(インド・東南アジア)
第6章 メソポタミアからギリシャへ
第7章 ドラコの末裔たち(ルーマニア・ウェールズ)
第8章 聖ゲオルギウスの龍退治
あとがき
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/978-4-86722-124-2
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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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塩川伸明編 『ロシア・ウクライナ戦争 歴史・民族・政治から考える』東京
堂出版 3800円+税
ロシアがウクライナに侵攻してから、3年が経とうとしています。戦線は膠着
し外交交渉も進んでいません。戦争終結のめどは一向に立ちません。ウクライ
ナは、西側諸国の軍事的な支援を受けて、圧倒的兵力を誇るロシアに善戦して
います。しかし西側諸国にも支援疲れが目立ってきています。不当な侵略を行っ
たロシアが悪いことはもちろんです。非合理な開戦の背景には、プーチンの狂
気があるのかもしれません。だがウクライナや、西側諸国の対応もまた、ロシ
アを不必要に追い詰めるものだった。そのことを著者たちは指摘しています。
ウクライナとロシアは、東スラブ(ルーシ)の民としての、共通の文化と歴史
があります。大昔から犬猿の仲であったわけではまったくありません。ウクラ
イナには、多くのロシア人住民がいます。2014年にロシアが強引に併合し
たクリミアも、1954年までは旧ソ連のロシア共和国に所属しており、ロシ
ア語話者が多く、ロシアへの親近感を抱く人の多い地域です。宗教的にも東部
と南部ではロシア正教の、西部ではカトリックの信者が多くなっています。ウ
クライナは、民族的にも言語的にも宗教的にも多元的な国家であるといえます。
ウクライナは地域の独自性の強いことが特徴の国ですが、国家体制は中央集権
的。そのため、中央政府では地方閥の利権争いが活発となり、世界的にみても
政治的腐敗の激しい国です。2014年には、政治的に腐敗した親露派の大統
領を追放するユーロ・マイダン革命が起きています。しかし革命後も腐敗が止
むことはなく、プロの政治家に飽き飽きとしたウクライナ国民は、コメディア
ン出身のゼレンシキー(著者らの表記)を大統領に選出しました。開戦後のゼ
レンシキーは、カリスマ性を発揮して、現在でも高い支持率を保ち続けていま
す。
国民を統合するには国家の歴史についての物語が必要です。独立後のウクライ
ナでは、スターリンとヒトラーという二人の独裁者の二重の犠牲者として自ら
を位置づける歴史認識が支配的になっていました。こうした反ロシア的な歴史
認識は、クリミア併合とドンバス戦争の2014年以降、強固なものとなって
いきました。スターリンに抵抗し、ヒトラーによって捕らえられた、反ユダヤ
主義者のステパン・パンデラが英雄視されるようになりました。ウクライナを
ファシストから救うというロシアの無理筋な開戦理由の根拠がこれなのです。
この戦争は、西側諸国が、自由主義世界のなかにロシアを包接することに失敗
した結果であると著者の一人は述べています。第二次世界大戦後のアメリカは、
極めて謙虚に振る舞っていました。他方、冷戦終結後のアメリカの振舞は、傲
慢なものでした。急激な市場経済への転換を求めるショック療法を行い、ロシ
ア国民に塗炭の苦しみを舐めさせました。NATOの東方への拡大を続け、ロシア
の孤立を深刻なものにしています。これらが、ロシア国民の中に自由主義秩序
への反感と、プーチンへの支持を生み出しているという指摘は重要です。
◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「怠ける権利」高文研
http://www.koubunken.co.jp/book/b371637.html
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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「元気」の話
大阪に「絡んでくるアイドル オバチャーン」と言う平均年齢70オーバーのア
イドルグループがいる。
10数年前に「みかん山プロダクション」が立ち上げたと記憶している。
実はその時「オバチャーンのマンガを描かないか」と打診があり、かなり前の
めりでネームを切ったが残念ながら立ち消えになってしまった悲しい過去があ
る。
だがその後、友人のダンスの先生がオバチャーンに参加していると聞き、軽い
追っかけを始めた。だが、いつのまにかYouTube120万回再生とか通天閣で月一
公演とかイベント出演とか大阪府警のプロモーションビデオに出演とか…どん
どん露出が増えて来て本当にアイドル活動に拍車がかかって来た。ただしおば
ちゃんの特性でMCが「人の話を聞かない」ため毎回グダグダだったりダンスが
バラバラだったりでいい意味でマニア心を刺激している。
私が最初に知った時はまぁいわゆる「大阪のおばちゃんアイコン」で全身ヒョ
ウ柄ファッションに身を包むだけの雰囲気だったのだがここ何年かで着こなし
が格段にアップデートされ「これもアリかも知れん」と思うようになってきた。
先日行ったファンミーティングに来ていた若い子も「可愛いですよね〜〜」と。
ただ彼女は豹柄ファッションからオバチャーンに行き着いたらしいので少し特
殊かも知れない。
そして「オバ大阪三十六景」なる写真集が発売されそれを眺めていて「ああ、
なるほど」納得した事があった。
元気なのだ。
だから?と問われそうだがオシャレさを微妙に回避しぎりぎりな猥雑さがまさ
しく元気な時の「昭和」を感じさせる写真に仕上がっているのだ。金融バブル
の昭和ではなく「頑張って働いたら明日は今日より良くなっている」と思わせ
る昭和、原稿料の値上げ交渉も出来た時代の昭和だ。
デジタルだのAIだの監視社会だのでいろいろと疲弊している昨今、この元気さ
がどんと焼きのように体を温めてくれる気がするのだ。
たぶん最初のあたりのオバチャーンは現実の昭和感が強過ぎた。10年経って仏
セブン(神7のもじり)が80近くなってきてパロディーとして理想だった昭和
感を醸し出すようになって来たのかも知れない。
明らかなグリーンバックでの嵌め込み写真をながめながら暖かくなって通天閣
ライブが復活したらその時は手製の推しうちわを作ろうと思っている。
問題は並ぶと年齢的に新メンバーと間違われてしまう事な。
◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html
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■沖縄切手モノ語り 内藤陽介 41
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主席選挙
1964年10月31日、大田政作主席の辞任を受けて後継主席に就任した松岡政保の
1期目の任期は、大田の残り任期を継承したため、1965年11月末までであった。
1964年10月31日の主席就任演説で松岡は「最後の任命主席就任式として歴史に
残る日でありますように」と語ったが、住民の自治権拡大要求、反戦平和運動
の高まりを受けて、1965年11月14日投開票の立法院選挙では左派系の野党勢力
のみならず、保守系の民主党も主席公選を公約に掲げていた。
さらに、立法院選挙10日前の11月4日に那覇市長選挙が告示され(12月19日投開
票)たこともあり、米国民政府は立法院選挙の動向が市長選挙に影響を与える
ことを懸念し、11月26日、次期主席選出方法については「ワシントンで検討中」
として問題を先送りした。
こうして、松岡の主席留任が事実上決まったことを受けて、12月21日に大統領
行政命令が改正されて行政主席の選任方法が立法院議員による間接選挙形式と
なり、再任された松岡は長嶺秋夫立法院議長から当選の認証を受けている。
松岡の下、行政府は1968年に予定されている立法院選挙をにらんで、左翼勢力
の牙城となっていた教職員会の政治力をそぐため、1966年5月31日、地方教育区
公務員法案、教育公務員特例法案(両者は一括して“教公2法”と呼ばれた)を
立法院に送付する。
米施政権下の沖縄では、公立学校教職員の身分は琉球政府公務員または教育
区公務員と規定され、琉球政府公務員については、1953年に制定された琉球政
府公務員法によって身分保障がなされていたが、教育区公務員についての身分
保障はなかった。
教公2法は、この決を補うべく提案されたものだったが、教職員の政治行為の制
限、争議行為の禁止、勤務評定の導入が盛られていたため、左派系の教職員た
ちが強硬に反対運動を展開することになる。
さらに、1966年8月21日に行われた立法院議員補欠選挙で、教職員出身(前教
頭)で左派系統一候補の吉田光正が教職員会の組織的支援を受けて民主党候補
に倍以上の差をつけて当選したため、行政府と民主党は教職員会に対する警戒
感を強め、この問題をめぐって左右の対立は先鋭化した。
こうした状況の下、1967年1月25日、立法院文教社会委員会で民主党が警官隊を
導入して教公2法案を強行採決すると、翌26日、沖縄教職員会緊急合同会議は、
会長の屋良朝苗の制止を振り切って“10割年休行使”を決定。これにより、教
職員全員が年休を行使し、沖縄全域で学校が休校に追い込まれた。
さらに、2月1日の立法院定例会の開会にあわせて、(“年休闘争”中の)沖縄
教職員会は立法院前の泊り込みで対抗し、審議の物理的な妨害を試みた。
それでも、2月23日に民主党は議会運営委員会で強行採決を行い、翌日から本
会議を開催して教公2法を正面突破で可決成立させようとしたが、教職員会は2
月24日午前3時頃から立法院前に集結し、2万数千人を動員が立法院を包囲した。
このため、警官隊は教職員を一旦は排除することに成功し、与党議員団や議長
も院内に入れることができたが、暴徒化した教職員は警察官に襲い掛かり、警
察の警戒線を突破。デモ隊は立法院を暴力的に占拠し、現場は無警察状態に陥っ
た。
ここに至り、行政府と民主党は教公2法の成立を断念し、立法院議長は午前11時
に本会議中止を決定した。しかし、その後もデモ隊は退去せず、午後6時、与野
党間で事実上の廃案協定が結ばれた。
教公2法を阻止したことで、教職員会は“勝利”を宣言。会長の屋良は革新のヒー
ローに祭り上げられる。
一方、事態を重く見た松岡は、1967年3−4月、訪米して国防長官のロバート・
マクナマラ、国務長官のディーン・ラスクらと会談。復帰問題についての要望
を伝えるとともに、左派勢力の伸長を抑えるためにも、米国の援助拡大のほか、
基地整理縮小などが必要であることを訴えた。さらに、大統領のリンドン・ジョ
ンソンと対談した際には、主席の直接公選制導入なども求めている。
こうした動きと並行して、1967年12月9日、民主党は松岡総裁のまま“沖縄自由
民主党”へと党名を変更し、本土の自由民主党との連携を強めつつ、主席公選
が実現した暁には那覇市長の西銘順治を擁立すべく、着々と準備を進めていっ
た。
1968年1月、大統領命令第12263号が発せられ、2月1日、フェルディナンド・ア
ンガー弁務官は同年11月の立法院選挙と併せて主席公選を実施することを正式
に発表する。ちなみに、立法院と主席の選挙権は20歳以上、被選挙権は30歳以
上で、主席公選制の導入に伴い、沖縄における参政権も“琉球住民”から“日
本国民”に拡大された。
主席選挙の実施が発表されると、3月5日、沖縄自民党は西銘の擁立を正式に
決定し、事実上の選挙戦がスタートする。
また、西銘の主席選挙立候補に伴い、那覇市長選挙も併せて行われることに
なり、1968年11月から12月にかけて、主席選、立法院選、那覇市長選の“3大
選挙”が行われることになった。
主席選に関しては、西銘の対立候補として、左派系の野党3党が沖縄教職員
会会長の屋良朝苗を“革新統一候補”として擁立したほか、無所属で公認会計
士の野底武彦が立候補したが。事実上、西銘と屋良の一騎打ちだった。
屋良は、1902年12月13日、沖縄県中頭郡読谷村字瀬名波生まれ。1930年に広
島高等師範学校(現在の広島大学)を卒業後、沖縄県女子師範学校、沖縄県立
第一高等女学校、台北第一師範学校、州立台南二中などで教職を務めた。米施
政権下では、沖縄群島政府文教部長、沖縄教職員会長などを歴任し、1968年4
月3日、主席選での革新統一候補指名を受諾する。
屋良の選挙戦は、前年(1967年)の東京都知事選で社会党・共産党推薦で立
候補・当選した美濃部亮吉の選挙戦術に倣い、形式上は“無所属”候補として
政党色を前面に出さず、シンボルマークやシンボルカラー(黄色)を打ち出す
イメージ戦略を徹底するものだった。
屋良陣営は、5月28日、後援会として“屋良さんを励ます会(会長・平良辰
雄)”を結成し、6月5日には沖縄教職員会、左派系3党、労組、民間団体な
ど104団体が選対本部として“明るい沖縄を作る会(革新共闘会議)”を結成し、
有権者に対して、政治家としての能力・実績にはほとんど触れず、“親しみや
すさ”を強調した。
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20231225112317a39.jpg
https://blog-imgs-169.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20231225112314c64.jpg
は屋良陣営が有権者に出した選挙葉書だが、“みんなのヤラさん”の文言の下
に屋良の顔写真を配し、以下のような文言が印刷されている。
主席には
この人ヤラを
長いあいだの
われわれの
血の叫びを
希いを
あなたと
わたしの手で
ヤラ主席の誕生によって
実現しよう
選挙葉書の文面には具体的な政策の提言や公約などは何一つ書かれておらず、
屋良陣営があくまでも抽象的なイメージ戦略で押し切ろうとしていたことがわ
かる。
もっとも、屋良は「あまり現実から遊離すると、相手につけ入れられるおそ
れがある」として「安保反対・基地反対」に修正させたが、その“基地反対”
でさえも左派勢力の間では即時撤廃から段階的縮小までかなりの幅があり、具
体的な政策論を詰め始めると一挙に共闘関係が崩壊しかねない状況だったから、
こうした戦術を取らざるを得なかったという面もあった。
一方、西銘を擁する沖縄自民党は、自立経済が達せられない中での復帰は時
期尚早であり、屋良が当選すれば、戦前のように芋を食べて裸足で歩く生活に
戻るとする“イモ・ハダシ論”を展開して、左派に対抗した。
また、1967年の教公2法問題で教職員会によって法案廃止に追い込まれたこと
への反省から、教職員会に対する分裂工作も盛んに行われ、1968年4月には八重
山教職員会を脱退した約70名が八重山教職員協議会を結成したほか、教職員の
政治参加の是非を選挙戦の争点の一つとして訴えた。
さらに、沖縄の選挙には本土の与野党ともに閣僚や党首クラスの大物政治家
だけでなく、タレントや文化人も動員して激しい選挙戦が展開された。
そして、11月10日に行われた主席選は、屋良が23万7643票、西銘が20万6209
票、野底279票という結果になり、屋良が初代の民選主席に選出された。
なお、同時に行われた立法院選挙については、次回、詳述する。
内藤陽介
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会
員。フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国
家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。
主な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本
郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。
最新作「龍とドラゴンの文化史: 世界の切手と龍のはなし」えにし書房。電子
書籍で「切手と戦争 もうひとつの昭和戦史」「年賀状の戦後史」角川oneテー
マ21などがある。
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■編集後記
今日はクリスマスだが、朝起きてもプレゼントがない。ランボルギーニが欲し
いと50年お願いしていますが、サンタさんはまだプレゼントしてくれない。待
ちくたびれましたw
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第87回「目録規則の大転換」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第174回 雨が好きな犬
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 吉上恭太さんの新著をご紹介します。【訂正 版】
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第19回 向前一小歩、文明一大歩
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第87回「目録規則の大転換」
こんにちは。
いきなり寒くなったりいきなり暖かくなったり、気候が乱高下していますが、
みなさまにはお変わりありませんか。
間もなく年末を迎えるところで、勤務先の講義も佳境を迎えています。勤務先
は前後期制ですが、1月末に定期試験が入るため、そろそろ学業は追い込みで
す。
わたしが受け持っている講義は司書資格を取得するためのものがほとんどです
が、この数年この時期になると「情報資源組織論」という講義の内容が「難し
い」という声が学生から寄せられます。この講義は、むかしで言うところの
「分類・目録論」つまりは図書館業務における必須のツールである「日本目録
規則」と「日本十進分類法」を中心に学ぶ講義ですが、2018年の暮れに『日本
目録規則2018年版』が出版されるに及んで講義の内容に大幅な変更がもたらさ
れることになりました。いささか旧聞に属しますが、ちょっとこのことについ
て書いておきます。
それまでの国内標準だった『日本目録規則1987年版』までの「日本目録規則」
は、「目録カード」に目録を記録して「カード目録」を作成することを原則と
して規則が策定されており、1987年版では目録の作成と提供の電算化への対応
が図られてきましたが、図書館が扱う資料(図書館資料)が筐体のある電子資
料(CD-ROMや電子辞書など)からインターネットを通じて提供される「ネット
ワーク情報資源」をも包摂するようになり、図書館に所蔵がないものも図書館
資料として図書館が提供できるように基盤を整備する必要が出てきました。
そこで、世界標準となる目録規則の考え方を、これまでのそれから根本的に転
換することになる「書誌レコードの機能要件」
(Functional Requirements for Bibliographic Records、略称はFRBR)が
1997年に国際図書館員連盟(IFLA)から公表されます。これは「実体関連モデ
ル」(ERモデル)という概念モデルを目録規則の基本として採用し、目録を
実体(entity)、属性(attribute)、関連(relationship)という3つの要素
から構成する、という、『日本目録規則1987年版』とその基礎になっていた
「国際標準書誌記述」(ISBD)までの、書誌記述の組み立て方をガラガラポン
してしまう、という重大な転換を迫るものになりました。
FRBRは、のちに他の派生モデルを統合して2017年に「IFLA LRM」
(IFLA Library Reference Model、IFLA図書館参照モデル)となります。
この「実体関連モデル」を導入した目録規則として、『日本目録規則2018年版』
が成立したわけですが、その細かい内容はとてもここで書き尽くせるものでは
なく、また2018年版自体が未成品であり(一旦は書籍の形で公表されましたが
それとて未完成であり、その策定はいまだ途上にあります。策定されたものは
日本図書館協会目録委員会のページで三々五々公表され続けています)、その
図書館業界における実装がいつになるのか、正直なところわたしには見当もつ
きません。
わたしも以前から目録規則は最後まで勉強と決めていましたが、それにしても
だんだん付いて行けなくなっています(苦笑)。いやあしんどい。しんどいが
がんばるしかアルマイト(汗)。
ではでは、また次回。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第174回 雨が好きな犬
不眠症に悩まされている。寝付くことは寝付くのだけど、夜中過ぎに目がさ
めてしまい、それからまんじりともしないで朝を迎えてしまう。もともと不安
症の癖があって、ちょっとしたことがプレッシャーになって、胸がわさわさと
苦しくなってしまう。眠れないとついついYouTubeでお笑いなどを見てしまっ
て、結局寝そびれてしまうことが続いた。これはいかん、というわけで老眼が
ひどくなったためやめていた読書にもどることにした。
最近、枕元に置いているのは、詩集、エッセイ集、そして『雨犬』
(文 外間隆史 版画 柳本史 未明編集室)という絵本。枕元の積ん読本は
地震があったときに危険なので、ほどほどにしておこうと思います。
『雨犬』は、ネットで見かけたとき、カバーの版画がものすごく気に入ってし
まった。犬を抱いた青年の版画なのだが、青年の犬を愛おしむ表情と犬のとま
どった様子を見て胸をぎゅっとつかまれてしまった。
一匹の老犬「雨犬」が若いペンキ職人と出会い、静かな暮らしをはじめる。
その日々をたんたんとつづった物語。つつましいけれど、詩と音楽そしてコー
ヒーに彩られた豊かな時間が過ぎていく。
ああ、こんなふうに一日を過ごせたらいいのになあ、と布団の中で急きたて
られるように過ぎていった自分の一日を思う。
『雨犬』を読んでいるといつもほろりと泣いてしまう。涙には、コルチゾール
というストレス成分を低下させる作用があって、だから泣くとデトックスにな
るらしい。寝る前に読むには最適な本みたいだ。
ところで、ぼくは「5分に1回、ため息をついている」と、つれあいにクレ
ームをつけられる。ネットで調べたら、ため息は深呼吸と同じで、体に酸素を
満たして神経のバランスを取ってくれるらしい。ため息をついても、見逃して
ほしいなあ。
「雨犬」は記憶を収集している。人が切手を集めるように。新鮮なものもあれ
ば、ヴィンテージもあるという。
「雨犬」はぼくの記憶も呼び起こしてくれる。
ペンキ職人が拾ったニール・ヤングのレコード。「なんとかという歌」はと
ころどころ傷があって、いい匂いがした。巻末に注があって、その歌はアルバ
ム「AFTER THE GOLD RUSH」の「ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART」と書いて
あった。中学生のときに、初めて買ったニール・ヤングのアルバムで、いちば
ん好きな曲だった。
昔、「ヤング720」という朝のテレビ番組があって、岸辺シローと
ブレッド&バターのふたりがいっしょに組んでいたSHIRO,BREAD & BUTTER が
この曲を歌ったことがあったなあ。ハーモニーが美しかった! そのあとに
「野生の馬」を歌ったように思う。名曲だと思う。
そんな何十年も前の記憶があざやかに蘇ってくる。テレビが置いてあった洋
間、ぼくはソファに座って、たぶん朝食のトーストをほおばりながら見ていた
のだと思う。横には父親が座っていたかもしれない。そんなささいな記憶がぼ
くのノスタルジーを刺激してくる。「雨犬」がつれてきた「記憶」だ。
池間由布子、ジョアン・ジルベルト、ジョニ・ミッチェル、ジュディ・シル
など登場する音楽はぼくにも耳馴染みがあるものばかりだ。それにしても、ぼ
くの好みの音楽を知っているようにも思える、『雨犬』のテキストを書いてい
る人はどんな人なんだろう?
外間隆史は、音楽プロデューサーとして活動していた人だった。ぼくが知ら
なかっただけかもしれないな。遊佐未森のプロデュースもしている。どうりで
『雨犬』の物語を通して、静かな音楽がバックグラウンドに流れているような
気持ちになったのも、なるほどだな、と納得した。
『雨犬』を読むたびに胸がいっぱいになったのは、ぼくにも老犬と別れたこと
があるからだろう。
その柴犬の子犬は車に轢かれたのだろうか、ガソリンスタンドのかたすみで
うずくまっていたそうだ。ガソリンを入れにきた叔母が見つけて、急いで獣医
に連れて行った。獣医は、治療するにはかなりの金額が必要だといって安楽死
をすすめたのだが、結局 、子犬はうちで飼われることになった。
バンと名付けられた柴犬は、まるでぼくの弟のように育てられた。
それから十数年が経ち、うちに来た当時推定生後半年だったバンは、老犬に
なっていた。澄んだ瞳は白く濁り、視力はほとんどなくなっていた。それでも
ぼくを見つめる瞳には、「信頼」の光が宿っていた。そうだった。どんなこと
があっても、ぼくのことを信用して、ぼくのいうことを理解しようとしている
瞳は、いつも変わらなかった。そして辛かったときのぼくを救ってくれた。話
しかけると、耳をこちらに向けて、じっと目を見てくれた。
犬がどんなことを考えているかなんて本当のところはわからないけれど、ぼ
くのことを疑っていないことは確かだった。だから、バンの気持ちを裏切るこ
とはしたくなかった。お互いを信頼することを大切にしたかった。
足が弱って歩くこともままならくなってからも、バンは夜中に起き出して外
に行きたがった。庭に出してやると、バンは夜空を見上げるようにして、鼻を
つきだして、くんくんと風の匂いをかいでいた。そのすがたは、この世と別れ
ることを惜しんでいるようにも見えた。
『雨犬』を読むとき、もう何十年も別れたバンのことを思い出し、そして自分
も老人になったことを思う。ぼくも記憶を拾いながら生きていこうと思う。
ハン・ガンや原民喜の詩を読んでみよう。シューベルトのピアノ・ソナタ集
第一三番イ長調は、エリザーベト・レオンスカヤのものがなかったので、とり
あえずアシュケナージのアルバムを買ってきた。
雨犬のように静かに過ごして、ぼくもペンキ職人の青年に出会いたい。
先日の古書ほうろうでの拙著『ぼくは「ぼく」のようにしか生きられない』
出版記念トークは、無事に終わりました。来てくださった方、気にかけてくだ
さった方、みなさん、ありがとうございます。
挿絵を描いてくれた漫画家の山川直人さんとのトークは楽しかったです。
予定では、ふたりの幼いころから現在に至る道のりを話すことになっていたの
ですが、山川さんもぼくも真面目にきちんと話そうとすると、結果、ダラダラ
トークになってしまって時間があっという間に過ぎてしまいました。子ども時
代の話で時間切れとは……。緊張していたのか、時計を見る余裕もありません
でした。すみません。
「漫画をずっと描いていたいから、漫画家という職業を選んだ」と中学生のと
きから、将来のことを決めていた山川さん、ぼくの人生の向き合い方とまるで
違っていたし、本作りを銀行強盗団に喩えたり、山川直人ワールドはやっぱり
面白い!
山川直人さんの『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』装画原画展
場所 古書ほうろう
会期 2023年12月8日(金)〜12月29日(金)12〜20時
[会期中の休み]定休月火のほか、12/20(水)
https://horo.bz/event/yamakawa-kyota_20231205/
お知らせばかりですが、もうひとつ!
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』の刊行記念トークショー第二弾があり
ます。
豪徳寺の書店「七月堂古書部」で開催していただくことになりました。今回は、
音楽紙芝居でお馴染みの茂木淳子(音の台所)さんが出演してくれます。同じ
世田谷で育った同世代の茂木さんとのトーク、そして朗読も楽しみです。
2024年1月28日(日)です。
詳しくは
https://note.com/shichigatsudo/n/nc566164d3000
開催日:2024年1月28日(日)時間:昼:13時〜14時/夜:18時30分〜19時30分
(オープンは各回スタートの30分前)
場所:七月堂古書部 参加費:各回1500円(当日精算)
定員:各回10名
よろしくお願いします。
◎吉上恭太
文筆業。
エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない人生論』
(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社
では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)も
よろしくお願いします。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログ『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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寒くなってきました。最近は暖冬とはいっても、寒い日に空が曇っていたり
雨模様だったりしたら、なんだか鬱々とした気分になってしまいます。こちら
夏が好きな人間なもので…。今月はそんな塞いで(私が勝手に塞がっただけ?)
凝り固まった気分を少しもみほぐしてくれるこちらです。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』、吉上恭太、かもがわ出版、2023
というわけでこの記事の上に書かれている記事の著者、吉上恭太さんの新著
です。今回は自身の今までの人生を回想した内容を中心に書かれたエッセイ集
になります。
軽音楽同好会に入ってギターばかり弾いていた高校生の頃、豪華メンバーと
一緒にライブも経験した予備校生を経て、完全に大学受験をはなれてアメリカ
に渡ったことなど、若き日のことから書かれています。アメリカ時代には
バークリー音楽院で音楽の勉強もされていたんですね。
ただこの時代はあまりご自身にとってはしっくりと来ていなかったようです。
上に書いたものだけ読むとすごい経歴ではありますが、反面高校から大学へと
いうルートから外れてしまったこと、音楽仲間との力の差、次第に音楽を学ぶ
のがしっくりこなくなり、後半は記憶もおぼろげなアメリカ時代など、楽しそ
うではありますが、葛藤するところも多かった時代だったようです。
そんな鬱屈していた吉上青年に別の世界を切り開くことになったのが、義理
の叔父さんであるアートディレクター堀内誠一の「働けばいいじゃない」とい
うひとことでした。働くという言葉を聞いて、「頭の中に風が吹いたような気
がした。」(p,53)と書かれています。
そこから野球雑誌編集部で働き始めるようになり、日々もいきいきとしたも
のになっていきました。編集部の人たちも個性的な人たちが多かったようで、
先輩記者はその編集部のことを、1970年代のニューヨークヤンキースの個
性派集団を表す「ブロンクス・ズー」という言葉で例えています。
野球雑誌編集部時代といえば、メジャーリーグのオールスターゲームを現地
取材に行った際のドタバタ劇もなかなかのものですが、コラムニストの常盤新
平さんとの思い出も欠かすことはできませんね。新宿駅まで謝りに来る常盤
さんはとりわけ印象深いです。
そういう方々にもまれて吉上さんも文章を書いたり、アメリカからのテレッ
クスを読んだりと、後々の文筆や翻訳に続く素地ができていったわけですね。
もっとも新編集長の方針に対して納得がいかず、「ひとりストライキ」を宣
言してその雑誌社は退職してしまうわけですが…。
次のことなど全く考えず思い切って退職。となるところが若き日にいろいろ
やりながらもどこか鬱々としていた時との違いでしょうか。「頭の中に風が吹
い」ていたからできたことのような気もします。辞めたらまた「働けばいい」
のだ。
吉上さんは最後に「ぼくは野心や大志など持たずに流されるように生きてき
た」「いやなことから逃げてばかりの人生」(p,181)と書いています。
それはご自身で振り返った一面ではそうなのかもしれませんが、人との出会い
を大事にしたり、知らない人たちの中にも人見知りせず入っていったりとい
った点は、人見知りが服を着て歩いているような私からしたら素直にすごいな
あと思いますね。
それは鬱々としていた若き日からいろんな音楽仲間がいたり喫茶店に出入り
したり、渡米先でもいろいろな友人がいたりというのもそうですし、「ブロン
クス・ズー」の面々や常盤さんもそうだと思います。思い切って退職したのち
に翻訳の仕事を始めるきっかけをくれたのも、野球雑誌編集者の先輩でしたし
ね。そこは人との縁を大事にしていたからこそです。
ただし「このチャンス逃すまじ」と肩に力をいれたり、仕事の上で必要だか
らと言って「人脈」を作ったりしていくのとは異なります。あくまで縁ありき
なのが吉上流(と言っていいのでしょうか)と思います。
野球雑誌編集部を退職してから、ロマンス小説の翻訳をしたり、児童書の出
版社に勤めたり、少女漫画の原作をしたり、絵本の翻訳もされ、さらには音楽
活動もされていくわけですが、そこから先の有為転変は読んでのお楽しみと
いうことで。
また母である内田莉莎子の訳した『てぶくろ』・『おおきなかぶ』などが
ウクライナとロシアの戦争とともに記憶されてしまうことへの悲しみ、あるい
は戦場帰りだった教師の雑談の話などから吉上さんの平和への思いも見ること
ができます。
私も今後は(も?)野心や大志など抱かず、いやなことから逃げてばかりで
生きていこうかと思います。(間違った結論ですね。)それは冗談としても、
未来に不安ばかり感じずに、吉上さんのように流れのままに生きていけたらい
いなと思います。もしかすると流されてすらおらず水たまりにいる可能性もな
いとは言えませんけど。とりあえず頭の中に風を吹かせたい。
本書のサブタイトルは「役に立たない“人生論”」となっています。本来読
んだ本が役に立つかどうかはそんなに重要なことではないですが、そういう
風な人生の歩き方もあるということを知るだけでも、ちょっと気持ちが軽くな
ります。吉上さんには不本意かもしれませんが、意外と役に立っちゃうかもし
れませんよ。
ご親交の厚い山川直人さんの装画と挿画も素敵ですので、ぜひ書店でお手に
取ってみてください。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第19回 向前一小歩、文明一大歩
〈中国公安部は21日、ミャンマー北部を拠点とした中国人に対するネット詐欺
犯罪が深刻な状況にあることを受け、雲南省などの警察機関に国境警察任務・
法執行協力を持続的に進めるよう手配し、複数回にわたる摘発を連続して実施
したと明らかにした。ミャンマー北部の関連地域の法執行部門がこれまでに中
国側へ引き渡した詐欺容疑者は、資金提供者や組織幹部など63人、指名手配中
の逃亡者1531人を含む3万1千人に上り、摘発は目覚ましい成果を上げている。〉
2023年11月22日にAFPが配信した「ミャンマー拠点のネット詐欺、中国への容
疑者引き渡し3万1千人」と題されたニュースである。2022年12月1日に「中
華人民共和国反電信網絡詐騙法」が正式に実施されたことを受け、ミャンマー
北部でインターネット詐欺にかかわっていた数多くの人びとが捕らえられ、
中国の公安に引き渡された。AFPが配信するよりも早く、11月18日の朝には、
駅に整列させられた「犯罪者」の写真がインターネット上を飛び交った。衝撃
だった。何百人もの数え切れないほどの「犯罪者」が、黒い帽子を被らされて
後ろ手に手錠をかけられている。写真の撮られた場所が浙江省金華の義烏や安
徽省合肥の駅だったのは、中心となっていたのが山東省の公安機関だったから
なのだろうか。
起きてすぐスマートフォンでこのニュースを眼にした私がまっさきに思い出し
たのは、「現代の国民国家は統治権を盾に、政治権力を国境まで最大限に投射
できるよう、統治権が薄弱な外縁地帯をすべて統治下に編入することに躍起に
なっている」というジェームズ・C・スコットの言葉だった。何百人もの人び
とを「犯罪者」として駅に整列させる権力とは、まさしく「現代の国民国家」
の「統治権」にほかならない。
『ゾミア 脱国家の世界史』でスコットが対象としたのは、「ベトナム中央高
原からインド北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の五カ国(ベトナム、
カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ)と中国の四省(雲南、貴州、広西、四川)
を含む広大な丘陵地帯」である。ここ最近は「ゾミア」と呼ばれるようになっ
ているらしい。ゾミアはチベット・ビルマ系言語に共通する語で、「ゾ」は
「奥地」や「山地での暮らし」を、「ミア」は「人びと」という意味を表して
いる。
「東南アジア大陸部の山塊(マシフ)とも呼ばれてきたこの地域は、いかなる
国家の中心になることもなく、九つの国家の辺境に位置」していた。「約一億
の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様」である
「ゾミアは、国民国家に完全に統合されていない人々がいまだ残存する、世界
で最も大きな地域」でもある。しかしスコットは、「このさきゾミアが非国家
圏であり続けるのもそう長くないだろう」とも記していた。スコットの暗い予
感は、ゾミアの一部であるミャンマー北部に巣食う「犯罪者」を一網打尽にし
た中国の公安によって、見事なまでに現実化されてしまった。「今日、国家の
外に生きるという選択肢は急速に消滅しつつある」というスコットの言葉が重
く響く。その言葉の現前を、私はスマートフォンの画面越しに眼にすることに
なったのである。
スコットの議論で重要なのは、ゾミアに暮らす「山地民」が「平地住民」の前
段階ではなく、また原始的な段階でもないということを、400頁に及ぶ大著で
明らかにした点である。彼らが事とした焼畑農業や狩猟採集は水稲農業よりも
遅れているわけではない。それは水稲農業を中心に低地に誕生した国家によっ
てもたらされた進歩主義的な歴史観にすぎない。水稲国家は人びとを階級的に
支配し、とりわけ「納税、徴兵、賦役」によってコントロールする。そうした
国家から逃れようとした人びと、すなわち元は平地の住民であったのだが、
「国家の周縁に暮らすことをあえて選択してきた」人びとが、スコットによれ
ばゾミアの住民だった。それゆえ彼らが保持しているイデオロギーには、「国
家からの逃避と国家建設の阻止」が染み込んでいたのである。
もちろんゾミアは低地の国家と無縁の桃源郷などではない。戦争や交易などを
通して、低地の国家とは交流し続けてきた。「彼らが回避しているのは国との
関係そのものではなく、国家の支配下に陥ること」であったからだ。それゆえ
国家の外に生きることを意志的に選択したゾミアの人びとは、国家の統治する
領域からしたたかに逃れ続けた。「避難地帯」としてのゾミア──網野善彦が
『無縁・公界・楽』で論じた権力の「隙間」としての「アジール」を想起させ
る──を論じた箇所で、スコットは次のように指摘する。
〈中国の勢力範囲が拡大すると、最前線にいた人々は吸収され、やがて漢民族
になったか、もしくは反乱に失敗した後にさらに遠く奥地へと移動した。逃避
した人々は、一定の期間にわたって独自の社会を作りそれを維持した。これを
移動による「自己周縁化」と呼ぶこともできるだろう。〉
ここで述べられている「自己周縁化」を選択した人びと、それが「反電信網絡
詐騙法」によって中国に連行された何百人もの「犯罪者」だったのではないだ
ろうか。彼らはゾミアと呼ばれる地域に生まれたわけではない。おそらくは生
きていくために、あえてミャンマーの北部に足を踏み入れ、「インターネット
詐欺犯罪」という形で低地の国家との関係を保った。国家の外部からであって
も、法を犯したことには変わりない。国家に連行されたのなら、その法で裁か
れることはいかんともしがたい。しかし彼らの存在は、「国家の外に生きると
いう魅力的な選択肢を人々につねに提示していた」ゾミアの存在を私に改めて
想起させた。
スコットはみずからのゾミアに関する議論が「第二次世界大戦以後にはほぼま
ったく通用しない」と述べていた。鉄道や電話、あるいは電信などの「距離と
いう障壁を取り除く技術」が国家によって大規模に活用されるようになったた
めである。しかし『ゾミア』では20世紀後半の事例も、たとえば次のようにし
ばしば登場する。
〈二〇世紀になると、中国で成功した共産主義革命は、これに敗れて中華民国
へ移った国民党軍という新しい移民を作り出した。国民党軍は、ラオス、ビル
マ、中国、タイの国境に接していて今日「黄金の三角地帯」として知られる地
域にとどまり、山地民と結託してアヘンの交易のかなりを支配するようになっ
た。〉
「全天候型道路、橋、鉄道、航空機、近代兵器、電信、電話、GPSを含む最新
型情報技術など、距離という障害を無効化する技術」の発達によって「「無国
家」空間の消滅」がいかに進められようとも、ゾミアは「国家の外に生きる」
希望を実現する可能性を有した空間として存在していたのである。しかし国家
システムが必要とするインターネットを巧妙に活用した「犯罪者」たちは、強
大な国家権力の手に落ちてしまった。もしかしたら2023年11月は、ゾミアの可
能性が真の意味で閉じられてしまう始まりの日として記憶されることになるの
かもしれない。
中国を追われた国民党軍が、「山地民と結託してアヘンの交易のかなりを支配
するようになった」という箇所を読み返して思い出したのは、1冊の写真集だっ
た。
2006年6月から9月にかけて、写真家の呂楠はミャンマー北部のシャン州にある
刑務所と、漢民族が多く住むコーカン特区にある更生施設で写真を取り続けた。
日本で呂楠は馬小虎という名で知られているらしい。代表作は『被遺忘的人』、
『在路上』、『四季』の三部作である。中国の精神病院における精神病者のあ
りさまを赤裸々に撮った『被遺忘的人』。中国の地方でカトリックの信仰を保
持し続ける人びとを収め、隠れキリシタンを想起させずにはいられない
『在路上』。そしてチベットの農民の日常生活のドキュメンタリーでありなが
ら詩情に満ちた『四季』。これら三部作を完成させた後、呂楠が向かったのは
ゾミアの地、ミャンマー北部にある監獄だった。
『緬甸監獄Prisons of North Burma』の「前言」で呂楠は、「コーカンの地は
ミャンマー北部の辺境であるため、ミャンマー政府が効果のある統治を実行し
得たことは一度としてなかった。これまでの数百年にわたって、この地は絶え
間ない戦乱にさらされ続けていたのである」と書いている。言葉こそ使ってい
ないものの、呂楠はそこがゾミアであることを明晰に意識していた。そうした
地に作られた監獄で呂楠のカメラが捉えたのは、麻薬を吸ったり販売したりし
たことによって捕らえられた人びとだった。
〈コーカンの庶民はかつて戦乱の苦しみを味わってきた。現在ではケシの栽培
が禁じられた後の貧困と飢餓に苦しめられているだけでなく、新しい麻薬と旧
来の麻薬が大量に流入したことによってもたらされた社会問題に直面している。
ケシの栽培が禁止される以前、コーカンは人びとの関心を集めていた。ケシの
栽培が禁じられてからは忘れられた一角となってしまった。彼らには国際社会
の援助が必要であり、それがなければ困難な状況から抜け出すことはできない
だろう。〉
「コーカンの人びとは中国語を話す」と書いているから、呂楠は被写体となっ
た人びとと対話をしながら写真を撮ったのだろう。麻薬を吸引する2人の若い
女性を撮った写真から始まる写真集は圧巻である。ヘロインを打つ父親とヘロ
インを子どもに与える母親、捕まって檻の中で無気力な視線を漂わせる5人の
男たち、ヘロインの発作のため監獄の中庭で倒れてしまった男、両足を鎖でつ
ながれたまま歩く男と野良犬、中毒のため精神に異常をきたして眼をつぶった
まま服の襟元を齧る女、牢獄で無気力に座る4人の女と6人の子どもたち、足に
つけられた鎖以外は一糸まとわぬ姿で水浴びをしようとバケツに手を伸ばす女
性、銃を持つ兵の前でシャベルを抱えて上半身裸でぼんやりと佇む男……。こ
こに刻印されているのは、国家権力に絡め取られたゾミアの末路であるとでも
いえばよいのだろうか。
『中国撮影 二十世紀以来』に収められた顧錚「現実と観念の間で 1980年代
における現代中国における写真」によれば、1990年代から中国では「社会観察
と批判の手段としてのドキュメンタリー」が重要な撮影手段のひとつとみなさ
れるようになった。同時に顧は、そうした「カメラマンの中には猟奇的な題材
をことさらに偏愛し、社会に存在する奇異な景観を撮ることによって、社会で
送られている本当の日常生活を隠蔽してしまうことになった人もいた」という
批判も記している。その名があげられているわけではないが、顧の念頭には、
おそらく精神病院や監獄を題材にドキュメンタリーを撮り続けた呂楠があった
にちがいない。辺境の地の監獄を、幸福な「日常生活」を覆い隠す「猟奇的な
題材」として退けるのか、それともゾミアから国家権力への異議申し立ての実
践としてとらえるのか。呂楠の写真によってあきらかにされるのは、観る者の
生き方である。国家とのかかわり方である。
中国大陸で、みずからの生物学的な性別が男であると自認している者であれば、
必ず眼にする標語がある。「向前一小歩、文明一大歩」。男性用の小便器の前
に掲げられている標語である。小さな一歩が文明への大きな一歩。トイレを清
潔に保つことは「文明」的であり、それが出来なければ「野蛮」とみなされて
しまう。だから用を足すには一歩前に出ることが「文明」人の必須条件となる。
「文明」人にあらずんば中国人にあらず。上海の街を歩いてみるがいい。
「創建文明城、共享城市文明」、文明的な都市を建設し、都市の文明を共有し
よう。「中華伝統美徳 文明礼儀」、中華の伝統的な美徳は「文明礼儀」であ
る。中国の街のいたるところに、男性用トイレに限らず、「文明」を謳った標
語が掲げられている。さすがは「礼儀」の思想家・孔子を生んだ国である。し
かしスコットは次のように書いている。
〈野蛮人のなかで生きることは気にならないのかと尋ねられたところ、孔子は
次のように答えた。「君子之に居らば、何の陋しきことか之れあらん(教養人
がそこに住むならば、〔周囲の人を感化するだろうから〕どうして野卑なこと
があろうか)」。この文明論には目を見はるものがある。ここでは、唯一無二
の文化の頂点まで上りつめることだけが語られ、それ以外の異なる、しかし等
しく価値のある文明など認められていない。よって文明化された二つの文化の
併存などには考えもおよばない。〉
「国家の内部に生きるのか、外部に生きるのか、それとも中間部に生きるのか」
という問いをスコットは投げかけていた。私は今、日本国籍でありながら日本
国家の外部で暮らしている。とはいえ、そこもまた国家の外部ではない。ゾミ
アに赴く気概も、もちろん持ってはいない。そんな私は「中間部に生きる」こ
とが関の山だ。スコットには『実践 日々のアナキズム』という好著もある。
私はスコットに倣って、日々の実践において、国家が押し付けてくる
「唯一無二の文化」としての「文明」にせいぜい抗っていくしかない。
尿意をもよおした私はトイレに駆け込み、小便器の前に立つ。標語が目に入る。
私はみずからの意志で一歩下がって放出する。むろん小便器の周囲を汚すこと
はしない。傍から見れば結果は同じである。大同小異とせせら笑われても仕方
がない。しかし後ろへの一歩には、私の信念が込められている。前に進むこと
だけが「文明」への道ではない。退いても「文明」的でいられるはずだ。前の
めりの「文明」ではない後ろ向きの「文明」があってもいいではないか。退歩
によって国家の想定を超えた距離を保持する。そして私は別種の「文明」のあ
り方を、小便器の前にたたずみながら模索する。
【本文中で言及させて頂いた本】
ジェームズ・C・スコット『ゾミア 脱国家の世界史』佐藤仁監訳、
みすず書房、2013年10月
網野善彦『増補 無縁・公界・楽』平凡社ライブラリー150、
平凡社、2016年10月
呂楠『被遺忘的人』、中国民族撮影芸術出版社、2014年9月
呂楠『在路上』、中国民族撮影芸術出版社、2014年9月
呂楠『四季』、中国民族撮影芸術出版社、2014年9月
呂楠『緬甸監獄』、中国民族撮影芸術出版社、2015年6月
栄栄他編『中国撮影 二十世紀以来』、中国美術学院出版社、2016年5月
ジェームズ・C・スコット
『実践 日々のアナキズム 世界に抗う土着の秩序の作り方』清水展・日下渉
・中溝和弥訳、岩波書店、2017年9月
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
冬 八木重吉
悲しく投げやりな気持でいると
ものに驚かない
冬をうつくしいとだけおもっている
いつも遅れてばかりで皆様にご迷惑をおかけしてすみません。
いろいろあり過ぎて追いつかずに暮れようとしている2023年です。
どうぞ健やかに、よいお年をお迎えください。 畠中理恵子
【追記】
副隊長さんの記事に表記の誤りが多々あることが判り、【訂正版】として、
表記を正し改めたものと差し替えました。今回の誤りは全て、編集人である
畠中の責任です。副隊長さん、読者の皆様、本のメルマガ同人の皆様、
本のメルマガ管理人様に心よりお詫び申し上げます。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。
畠中理恵子
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★トピックス
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その87「とても語れない作家」その2 アストリッド・リンドグレーン
★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 権力に対抗する「秘密」―水田宗子『吉原幸子 秘密の文学』(思潮社)
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その87「とても語れない作家」その2 アストリッド・リンドグレーン
前回も書いたのだが、物語の中に描かれた食べ物があまりにおいしそうで、
その物語を読むことがまるでその物語を食べているような気分になる作家がい
る。その一人が、リンドグレーンだ。そして彼女の作品において最もおいしそ
うなのが「やかまし村」のシリーズだろう。三家族しか住まない高い山の上の
「やかまし村」に住む六人の子供たちの物語なのだが、学校に行く、大村にお
使いに行く、川や湖に遊びに行く、夏休みの最初の日に釣りをする、等々とい
う日々の生活は楽しさに満ちていて、美しい挿絵と相まってその生活や彼らを
取り巻く自然の様子が体のすみずみにまでしみこんでくるような印象を受ける
物語なのだ。クリスマスや、メイポールを建てる夏至のお祭りや、ザリガニ釣
りなどのいかにもスウェーデンらしい行事も魅力的だが、なんてこともない日
常生活の子供らしいやりとりが、遠い日本の子供の自分にも覚えがあるようで、
うなずきながら読んでしまうのだ。ああ、激しく憧れの心を揺さぶる物語とい
うものは、なぜその物語の中の人物たちにとっては日常の出来事なのだろう?
例えば村の果樹園にはサクランボの木があるのだが、そのうち何本かは子供た
ちのものだとされていて、そこからいくら採っても食べてもよいという決まり
なのだ。ある日、子供たちは道路上でかご入りのサクランボを売るということ
を思いつく。こどもたちの木だから、大人は誰も止めたりしない。それぞれの
木のサクランボを採ってかごに入れ道路脇に立つのだが、最初はどの車も止ま
ってくれないで、ほこりを浴びるだけだった。けれど、あれこれ工夫して車に
止まってもらえるようになると、サクランボは飛ぶように売れていく。車から
降りてきたある人など、かごいっぱいのサクランボを買って行き、
「これでうちのおくさんにサクランボのジュースを作ってもらうよ。わたしは、
サクランボのジュースがだいすきだからね。」
と嬉しそうに語る。
ああ……。サクランボのジュースなど飲んだことのない子供である私は、ど
んなにその味に憧れたことか。こんな風にきらめきに満ちた日常を語るリンド
グレーンの物語について何か語るなんておこがましくて私にはとてもできない
と諦めているのではあるが、それでも一つだけ、おいしそうな食べ物ばかりの
この物語の中に、唯一主人公たちも持て余しているんだか、おいしいと思って
いるんだかわからない食べ物がただ一つあるので、それについてだけ少し調べ
てみようと思う。
それは『やかまし村はいつもにぎやか』の第八章「ラッセが野牛を捕まえま
した」にある「黒ソーセージ」なのだ。この物語の主人公はやかまし村の中屋
敷に住む九才のリーサ。物語に出てくるのは兄のラッセとボッセ、隣の北屋敷
に住む同い年のアンナとその姉のブリッタ、南屋敷に住む、まだ赤ん坊の妹が
いるオッレの六人だ。六人はこの日、北屋敷の牧場の先にある湖にお弁当を持
って遊びに行く。ボートで湖を渡り、向こう岸の岩山に登るハイキングだ。そ
のお弁当の中にオッレが持ってきた黒ソーセージが六個あったのだが、誰も食
べたがらない。というのは他においしそうなものがたくさんあったからなのだ。
<パンケーキとそれにつけるジャム……、ミルクもジュースも、サンドイッチ
も、ビスケットもありました>
パンケーキは百枚くらいあったというし、ブリッタとアンナのお母さんが焼
いてくれた八の字クッキーはとてもおいしかったらしい。お菓子をすごくほし
がるたちのボッセが最後の一枚のクッキーをほしがると、ブリッタが黒ソーセ
ージを全部食べたらあげると言い出す。でも、おなかがいっぱいだったボッセ
は、四個目でおなかいっぱいになりすぎて、
「ぼくは、いまにも、どかーんと、こわれちまいそうだ!」
と言って、黒ソーセージを残し、ビスケットも食べない。
そんな風に子供たちに少し敬遠されたこの黒ソーセージを岩山において置い
て、子供たちは水浴びをしようと湖の島に渡る。ところが、この島に隔離され
ていた怒りっぽい牡羊のことを忘れていたから、さあ大変。牡羊に追いまくら
れて岩や木の上に登ったきり降りられなくなる。そして、おなかがペコペコに
なってしまうと、置いてきた残りの黒ソーセージさえ恋しくなってくる。最後
には、なんとかラッセが納屋に羊を閉じ込めて帰ることができるのだが(その
後扉を開けて羊を自由にしてからからラッセがボートに飛び乗ってくる)その
帰りの道すがら、ボッセはこう言う。
「黒ソーセージがあるかどうか、ぼく、おかあさんにきいてみよう」
ね、なんだか黒ソーセージに対する憎しみと愛に満ちた物語のような気がし
てきませんか?
そこで、この黒ソーセージの正体を調べてみようと北欧料理の本やブログを
見てみると、なんだかレバーの塊のようなものが紹介されていて、切ってバタ
ーで焼いてジャムを添えて食べるとある。ちょっと、様子が違うみたいなので
さらにネットで調べると、やっと私たちがウインナと言っている形の腸詰め、
ソーセージを見つけることができた。その名はブロッドコルヴ(Blodkorv)ブ
ラッドソーセージという意味で、豚の血液と小麦粉、豚肉、レーズンと香辛料
を材料とするとある。香辛料やらブドウやらを入れるのはやはり血のにおいを
消すためだろうと思うのだ。でもこれは、ミルクやジュースとではなく、黒ビ
ール片手に食べるものではないだろうか?悩んでいたとき、不意にこの物語の
新訳が出ていたことを思い出した。石井登志子訳リンドグレーン・コレクショ
ンの本を見てみたら、ありました!それによると八の字クッキーはクリングラ
という伝統的なお菓子らしいし、大塚勇三訳では黒ソーセージだったこの言葉
は「パルト」paltで、注もついていて、「ジャガイモをすりおろし、大麦粉と
まぜてゆでた団子」とある。新訳は2020年に出たので、55年後にやっと解明さ
れたことになる。やはり、長生きはするものだ。でも、なぜ黒と最初に訳され
たのだろう。もしかすると注にも豚の血を混ぜたものもあると書いてあるので
blod palt を思い浮かべたのかもしれない。ネットであれこれ調べてみると、
ジャムやバターを添えて食べるとミルクとあうと書いてあるものもあり、ウイ
ンナのイメージとは違うようだ。
ここに書いてある百枚ほどあったというパンケーキは、スウェーデンでは甘
みを入れずにクレープのように薄く焼くもので、ジャム等を添えて折りたたん
で食べるものらしい。百枚もあったら、一人あたり十五枚か十六枚。たとえど
んなに薄くとも、やっぱりお腹いっぱいになるだろう。冷たいお団子のような
パルトの出番はないよなと思ってしまう。
こんな風にとても語れないと思っていたリンドグレーンの物語を長々と語っ
てしまったが、これはほんの序の口。この本一冊には他にも、おじいさんの氷
砂糖とか、キャンディーとか、オープンサンドイッチとか、ザリガニとか、い
くら語っても語りきれないくらい魅力的な食べ物がいくつもあるのだ。
だから、今回はこの黒ソーセージという微妙な食べ物だけにとどめておく。
あれ?他にもサクランボジュースとかいろいろ書いてしまったかもしれないよ
うな……。
だから危険な作家なのだ、リンドグレーンは。このままでは一生彼女のこと
しか書けなくなりそうなので、一応ここで筆を置くことにしようと思う。
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『やかまし村はいつもにぎやか』
アストリッド・リンドグレーン著 大塚勇三訳 岩波書店
『やかまし村はいつもにぎやか』
アストリッド・リンドグレーン著 石井登志子
リンドグレーン・コレクション 岩波書店
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高山あつひこ:好きなものは、幻想文学と本の中に書かれている食物。なので、
幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちのく怪談コンテスト傑作選
2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第147回 権力に対抗する「秘密」
―水田宗子『吉原幸子 秘密の文学』(思潮社)
吉原幸子(1932−2022)は現代詩人の中では人気のある詩人で、生誕90周年
没後20周年を記念して先日平凡社のコロナ・ブックスから『詩人吉原幸子 愛
について』が出た。一般の文芸出版社は現代詩を余り扱わない。平凡社がこの
ビジュアルブックのシリーズで吉原幸子を取り上げたということは、それなり
の数の読者がついているという判断をしたということだろう。旧仮名遣いを用
いた短歌的抒情美に溢れた詩作品自体も美しいが、吉原幸子という詩人は存在
自体がかっこ良い。東京大学卒業後、女優を目指して劇団四季で主役を演じた
こともある吉原は、その独特の佇まいで会う人会う人を魅了したという。キマ
ッたポーズの美しい写真も数多く残されている。統率力や実行力にも長けてお
り、女性の詩を集めた詩誌『ラ・メール』を新川和江とともに1983年から10年
にわたって運営した。
本書『吉原幸子 秘密の文学』は、作品のテキスト分析や評伝ではなく「吉
原幸子の詩に強くあらわれている「異邦人意識」、二十世紀という時代におけ
る差別の被害を刻印したトラウマの記憶と詩表現の関係を考察すること」を目
指した本だという。詩人・比較文学者の水田宗子には既に『富岡多惠子論集
「はぐれもの」の思想と語り』(めるくまーる)『白石かずこの世界 性・旅
・いのち』(書肆山田)等の著作があり、社会からはみ出して生きるというこ
とをテーマとしている。本書もその問題意識の上に書かれている。
序章において、著者は「文学でなければ表現できないことが『秘密』であり、
同時に、文学は秘密を常にかくし持つことで成り立つ」とした上で、吉原幸子
の秘密は二つとしている。一つは吉原の母親が家庭外の恋愛で出産したことで、
吉原はこれを詩の中で「地球外妊娠」と表現している。もう一つは吉原の異性
愛に基づかない性愛についてのことである。これらの「秘密」は近代の家父長
制の規範から外れるという点で、個人的なものに止まらず、近代の女性一般が
抱える苦難として位置づけられる。更に幼少期に戦争を体験したことを三つ目
の秘密に加えている。女性は男たちが始めた戦争に巻き込まれた。その悲惨は
言葉に尽くし難いという意味で秘密なのである。
第一章の「『叫び』と『失語症』」では初期の『幼年連騰』を対象に、吉原
のトラウマの在処が分析される。吉原の詩に出てくる「叫び」という言葉は、
「幼児の叫び、『けものたち』の叫び」として描かれ、意味をなさない「叫び」
は、人間社会から拒否された、或いは人間社会を拒否する者の衝動であるとい
う。他者に対して明確に働きかけることができず、ひたすら自己に沈潜してい
く。この極端な内向性は自身の出産体験にも向けられ、命の誕生は母子の間で
の「痛さ」の共有として表現される。吉原の母親は前述のように家庭外の恋愛
によって吉原を生んだ。「もともと 神はわたしを/地球外妊娠したのだ」と
いうSF的な詩句は、事実としては在るのにそれを隠し続けなければならない
「はぐれもの」としての苦しみを露出している。その陰には「不在の父」がお
り、「その不在を埋めるのが抑圧だけを与える権力としての『根源悪』」であ
るという。命の誕生を力によって「家」に紐づける家父長制は、戦争を引き起
こす「根源悪」と地続きであり、虐げられた者は「叫び」と「失語」をもって
対するしかない。
第二章の「分身的他者の二極化と統合」では、代表作『オンディーヌ』他三
冊の詩集を対象に、「同じ暴力の被害者である弱き他者を分身として引き入れ
ることで世界と自己との亀裂を埋めようとする」試みについて書かれている。
「オンディーヌの愛は、その純粋性ゆえに人間社会のジェンダー規範を逸脱し、
過剰な『愛』によって男を誘惑し、破滅に引きずり込もうとする悪の化身とし
て人間社会から追い出される」。純粋故に他者を道連れにする「純粋病の愛」
は、道行きの同行を拒否する裏切りによって挫折する。同時に裏切りによって
完成する。一見矛盾に思えるが、その底には自虐と加虐が一体化した、他者と
の複雑な共犯関係がある。そしてここには、異類の者との愛を拒絶する男性中
心の性規範への批判が隠されている。
第三章の「母の後ろ姿 母の記憶と海」では、『花のもとにて 春』他後期
の詩を対象に、老いていく母と命の問題を考察している。母は家庭の外で恋愛
をした「新しい女」だったが、今は年老いて娘に依存する弱い存在となってい
る。母の秘密は、老いた身体の存在感を前に、傷でなく「傷痕」に変容してい
る。著者はこれを「痛みの直接性と傷痕=記憶の永遠性」と表現し、両者が共
存する詩空間を吉原が作り上げていると評価する。母は「そこにいるだけで慰
められる身体的な存在」となり、「生と死の起源である海」のイメージをもた
らす。
本書を読むと、吉原幸子という詩人は、人に打ち明けられない「秘密」の苦
しさを原動力に表現行為を行っていたのだということが理解される。「秘密」
の背景には、男性権力が作り上げてきたイエという規範、異性愛を標準とする
性規範がある。吉原はそうした規範からはぐれてきたのである。但し、吉原は
「秘密」の中身についてはぼかしながら、「秘密」の存在自体は明確に打ち出
す表現方法を取っている。本書で触れられているように、吉原は舞台を目指し
ていた時期があり、詩において舞台表現のエッセンスが生かされていた。演者
と観客が一種の共犯関係を作る演劇特有の構造を取り込み、読者と作者の間で
「秘密」の共有がなされるような、濃密な感情吐露を行うのである。この大胆
さが、吉原幸子の詩の魅力だろう。中身を隠しつつも、存在の在処については
よく通る声で高らかに歌いあげる。「はぐれもの」は、「秘密」を武器に、権
力に対抗する力を獲得していくのだ。吉原幸子の詩を読んだ後の不思議な爽快
感は、生き延びていくための「はぐれもの」特有のずうずうしさに支えられて
いるのかもしれないと考えさせられたのだった。
*水田宗子『吉原幸子 秘密の文学』(思潮社 本体2410円)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
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5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。(あ)
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 第86回「おや、こんなところにマーラーが」
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第173回 記憶の中の空気
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ リニア問題にみる、公共事業への疑問。
反対意見の意義について考えます。
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第18回 ごま味噌腸粉と広東オペラ
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■「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
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第86回「おや、こんなところにマーラーが」
こんにちは。
11月初旬まで暖かかったのに、このところ急激に冷え込んであっという間に冬
がやってきた感があります。みなさまお身体にお気をつけてお過ごしください。
さて。
わたしが好きな作曲家の筆頭は、交響曲と歌曲の作曲家であった
グスタフ・マーラー(1860-1911)という19世紀末のヴィーンで活躍した指揮
者でもあった作曲家ですが、何しろもう45年も付き合っているためか、その音
楽がわたしの身体に染み付いてしまい、改めてその音楽を「言葉」で表現する
のがとても難しい状態になってしまっています。もともと音楽を言葉に置き換
えることが難しい上に、マーラーの音楽はとりわけ複雑な作られ方をしている
ので、その二重にも三重にも重層的な構造を解きほぐし、わかりやすい言葉で
その魅力を伝えることが、わたしには時として苦痛でさえあるわけです。
「四の五の言わず黙って聴け」と(苦笑)。
さて先日、特にタイトルを伏せる(伏せる理由は後述)、近頃図書館業界でも
話題に登ることが多い、図書館を取り上げているマンガの新刊(わたしがマン
ガ雑誌を定期購読していたのは高校生の頃までで、いまではマンガ雑誌に縁は
なく、マンガは単行本・コミックスで買って読んでいます)を買い求めて読ん
でみたところ、唐突に登場人物がある場面で「マーラーの『アダージェット』」
と即答(しかもふたりが異口同音に)するシーンが出てきて、おやこんなとこ
ろでマーラーが、とニヤニヤしてしまったのでした。
「マーラーの『アダージェット』」と言えば、それは交響曲第5番の第4楽章
を指します。交響曲第5番嬰ハ短調(1902年)は、マーラーの創作における中
期の「純器楽三部作」とされる第5番、第6番(1904年)、第7番(1905年)の
劈頭を飾る作品で、充実した管絃楽法と、(マーラーにしては)ほどよい演奏
時間(と言っても65分くらいかかる)と、比較的わかりやすい暗→明の図式が
描かれていることもあり、難解と思われていた上に演奏時間が長いマーラーの
交響曲の中でも早くから人気のあった作品です。マーラーの弟子筋にあたるが
5番や6番を演奏しなかったオットー・クレンペラーも、第5番の第1楽章と第4
楽章はそれなりに評価していました(『クレンペラーとの対話』)。
全体は5楽章からなりますが、マーラーはそれを第1部(第1、第2楽章)、
第2部(第3楽章)、第3部(第4,第5楽章)という構成に仕立てていて、第1楽
章と第4楽章はそれぞれ次に来る楽章の「序奏」のような役割も果たしていま
す。そのような性格を帯びていることもあってか、第1楽章と第4楽章は整然と
した、構造もさほど複雑ではない音楽になってます。そのため、第4楽章すな
わち「マーラーの『アダージェット』」はマーラーの音楽がさほど演奏されて
いなかった第二次世界大戦前から、単独で取り上げられ演奏されていたようで
す。こちらもマーラーの弟子筋であったブルーノ・ワルターがヴィーン・フィ
ルと1938年に録音した「アダージェット」(EMI)が残されています。
「アダージェット」を単独で取り上げる慣習は第二次大戦後もしばらく残って
いたようで、録音でもパウル・クレツキがフィルハーモニア管絃楽団と1959年
に「アダージェット」のみを録音した(EMI)例があります。
さらにこの「アダージェット」は、1971年公開の映画「ベニスに死す」におい
て効果的に使われたことで、さらに世上に知られるようになるとともに、1960
年のマーラー生誕100年以降ぼちぼち知られるようになったマーラーの作品が、
それまで以上に演奏会にかけられるようになるきっかけにもなりました。わた
しがマーラーの作品を初めて聴いたのは小澤征爾/ボストン交響楽団が録音し
た第1番(DG)で中学生だった1979年のことですが、その頃でも地方都市のレ
コード屋に並んでいるマーラーは1番と2番とあと何だったろう、というレベル
で、中学生のときに聴くことのできたマーラーの録音は1,2,6,9がそれぞれ1種
類ずつにとどまります。いろいろな意味で、いまのひとには信じられない話か
もしれません。
もっともそれ以前に、マーラーが好きになった中学生というのも、むかしは呆
れられたものなのですよ(苦笑)。
……という話を、たまたま一緒になった勤務先の学生さんに滔々と話しかけた
ら、
「せんせー、わたしまだそれ読んでません。ネタバレになりますよう」
と言われてしまい(冷や汗)、そのこともあってこの文章では「特にタイトル
を伏せ」ています(笑)。
なお、わたしはコメディが好きなものですから、世評の高いハートウォーミン
グな図書館マンガ(複数)を読み続けられず1巻で挫折してしまったにもかか
わらず、このマンガは現在まで継続して読み続けているのでした。この国では、
上質のパロディやカリカチュアがそれとして評価されにくい土壌があるように
見受けられますが、そんな環境の中でこのマンガは健闘していると思いますよ。
ではでは、また次回。
次回もお目にかかれますように。
◎停雲荘主人
2019年4月から司書養成が本務のはずの大学教員兼大学図書館員。南東北在住。
好きな音楽は交響曲。座右の銘は「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に
与らず我に関せずと存候。」(勝海舟)。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第173回 記憶の中の空気
11月5日、阪神タイガースが日本シリーズでオリックスを破り、日本一に輝
いた。じつに38年ぶりという。
38年まえ、ぼくは児童出版社に勤務していて、阪神タイガースと西武ライオ
ンズとの日本シリーズ第6戦は、土曜日だったから休日出勤をしたんだと思う。
新年度に向けての美術の入門書を制作していた。編集作業をしながらテレビ観
戦をしていた。いや、編集部にはテレビはなかったから、ラジオ中継を聞いて
いたのだろう。
阪神が日本一になったとき、虎キチだった編集長が近くの「いわし屋」とい
う居酒屋に編集部全員を招待して「お祝いの会」をした。まだいわしは「高級
魚」ではなかった。それから38年間、阪神が日本一に一度もならない、とは思
っていなかった。
記憶というのは面白い。ふとしたことで蘇ってくる。阪神が日本一になった
日本シリーズを見ながら、ぼくは38年まえの職場の風景を思い出し、そこにい
た人たちのことを思い出した。昼には蕎麦屋でもりそばを注文していたなあ、
とか、いっときカツ丼弁当ばかり食べて、健康診断で肝脂肪を指摘されたこと
を思い出す。
『なんかいやな感じ』(武田砂鉄 著 講談社)を読んだ。1982年生まれのラ
イターが物心がついたころからを振り返って、当時の「空気」、そして現在に
続く「なにかいやな感じ」を語っている。
読みながら、ぼくは著者の武田砂鉄の記憶に滑り込む。そしてぼくもいままで
の「いやな感じ」を思い出す。
そうだ、こんな「いやな感じ」があった、といやな感じになる。武田さんの
すごいところは、その「いやな感じ」の正体をきちんと検証して言葉にしてみ
せることだと思う。言葉にすると「いやな感じ」がはっきりと頭に入ってくる。
そして、またまた「いやな感じ」になるというわけだ。
そういえば武田さんが生まれた1982年というと阪神が初めて日本一になった
年の3年まえなのだな、だから日本シリーズなんて見ていなかっただろう、な
んて余計なことを考える。
まえがきを読むと、武田さんは「平成の30年間がものごころがついてからの
自分そのもの」という。
平成という時代はどんな時代だったんだろう? 小渕官房長官が「平成」と
書かれた紙っぺらをうれしそうに掲げて、それから30年。バブル時代のしっぽ
から始まり、そして崩壊。「失われた30年」といわれた、混沌とした時代だっ
た。
この本の最初の章が「なんか不穏」。武田さんの平成は「不穏」のはじまり
だった。それは1988年、6歳だった武田さんが住む町のすぐそばで起こった
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の記憶から始まる。昭和から平成に元号が変
わった1989年は世の中はまだバブル景気に浮かれていた。
だが7歳の武田さんは享楽的なムードよりも不穏な空気を感じていた。
「西武線の中吊りには、好調だった西武ライオンズの試合レポートとともに、
宮沢湖の広告が載っていて、ここにあるサイクルモノレールが楽しくってたま
らない的なことが書かれていた」。
でも武田さんはそれを直視するのにはためらいがあったという。
「だって、そこ、殺されて、捨てられてしまった場所だから」。
連続幼女誘拐殺人事件が心に重くのしかかっていた。武田さんは宮崎勤に殺
された幼女たちと年齢が近かった。事件現場の近くに住んでいた武田さんには、
誘拐殺人の恐怖は身近だったのだ、
このように武田さんの平成は始まった。浮かれた世間の中で「不穏の空気」
を感じ取っていた。
そうだったんだな! 世代のギャップというが、この本を読んでぼくはいま
まで漠然と感じていた「世代のちがい」がわかったような気がする。
ぼくは昭和32年に生まれた。日本は戦争を終えて10年ほど経っていて、よう
やく戦後の復興が実りはじめたころだ。
我が家のことをいえば、けっして裕福ではなかったが、貧しいという感覚は
なかった。両親は学生結婚でまだ20代、父は小さな通信社に勤めていた。将来
が保証されていたわけではなかっただろう。
だが、漠然としてはいたが、未来には希望があった。当時の両親の写真を見
ると、屈託のない笑顔を見せている。世の中も戦争から解放されて、人々は明
日に希望を持って暮らしていたのではないか。働くことが豊かさにつながると
いうことが当たり前の時代だった。土地や株を売り買いして莫大な金を稼ぐバ
ブル時代とはちがっていた。
ぼくの世代はそんな時代に生まれ育ってきた。だからぼくたちの世代にはど
こか「甘さ」があるのかもしれない。その「甘さ」のせいで「いやな感じ」の
正体を追求しないで過ごしてきてしまった。これはあくまでぼく個人の感じ方
ではあるけれど。
武田さんのスタートは「不穏」「なにかいやな感じ」だったのだ。バブル時
代のうわっつらの幸福感、高揚感に惑わされることはなかった。そして「自己
責任」を押し付けられ、神戸連続児童殺傷事件の犯人や、バスジャック事件の
犯人がまったくの同世代だったこともあり、「キレる若者」と指をさされてき
たのだ。
「『少年』という言葉でメディアがおおざっぱにくくろうとする様と、それに
動かされていく時代へのいらだちは、自分の原体験になった。そして、おおざ
っぱに網をかけておけば何とかなるという雑さは、今も続いている。」と武田
さんはいっている。
読んでいると「そうだなあ」とうなずき、そして自分が「いやな感じ」の世
界に住んでいることを思い知らされるのだが、時代を論評するのではなく幼い
ころからの思い出とともに書いているので、武田さんが肌で感じた世界の矛盾
が伝わってくる。
この子どものころや少年時代のエピソードが面白い。テレビのイヤホンの差
し込み口にキャラメルをつめたことに始まって、授業中の教室で女子たちがこ
っそり手紙をやりとりしていたこと、「ドーハの悲劇」、オウム真理教など子
どもの目で見て、感じたことを書いている。ぼくはすでに「大人」だったので、
そのころの子どもたちの感覚がわかって面白かった。
子どものころのエピソード、よく覚えているなあ、と感心したのだけれど、
「この本に記されている記憶なんていうのもほんの一部分にすぎず、事細かに
書き起こそうとすると踏ん張ればとてつもない文字数になるはず」なんて書い
てある。
「都合の悪い記憶というのは、実は都合の良い記憶ばかり」で「語られる黒歴
史というものは、往々にして真っ黒ではない」という意見にもうなずける。最
近、自分の過去をエッセイに書いたので「真っ黒なままにしておきたいものは
自分の記憶から消す作業を繰り返す」という一文にはドキリとした。
『なんかいやな感じ』は、著者の武田砂鉄の体験、そして感じてきた「空気」
と違和感を読みながら、自分の体験と重ね合わせて自分の違和感を体感する本
だった。自分の「なんかいやな感じ」を感じる力を研ぎ澄まして、違和感を感
じたら、その正体がなんであるかを考えて言語化しなくてはいけない。そんな
ことを考えた。
いろいろな方から拙著『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない
人生論』の感想をいただいた。ぼくとしては過去のおぼろげな記憶をたどって
書いたところが多々あるので、学生時代の友人、職場の先輩や同僚からクレー
ムが入ったらどうしようと不安だった。幸い、いまのところ「懐かしく思い出
した」という感想をもらっているので大丈夫なようでホッとしている。
「内容はともかく、文体はとてもいい」と大先輩の翻訳家の方から感想をいた
だいた。うれしいと喜んだのだけど、それでいいのかな。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない』刊行を記念したトークイベントがあり
ます。
会場は上野池之端にある、素敵な古書店、古書ほうろうです。
装画を担当してくれた山川直人さんの原画の展示もあります。
ぜひぜひお出かけください!
【タイトル】山川直人×吉上恭太トーク
「ぼくたちが『ぼく』になるまでの話」
【日時】12月5日(火)19時開演
【会場】東京池之端・古書ほうろう
東京都台東区池之端2-1-45 パシフィックパレス池の端104号
【入場料】1,500円(要予約/当日精算)
【予約方法】古書ほうろうHP、告知ページ→
https://horo.bz/event/yamakawa-kyota_20231205/
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ぼくは「ぼく」でしか生きられない
役に立たない人生論』(かもがわ出版)発売中。エッセイ集『ときには積ん読
の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
新刊『ゆきのひ』(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)もよろしくお願い
します。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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これまでもリニア新幹線について書かれた本を紹介したことがありますが、
今回は今まさにそのリニアが作られている現場でどのようなことが起きている
のかが書かれた本です。
『土の声を』、信濃毎日新聞社編集局、岩波書店、2023
本書はリニア新幹線の工事が進められている長野県でどのようなことが起き
ているかを、信濃毎日新聞の取材班が取材したものをまとめたものです。
リニア工事の中でさまざまな問題や軋轢が生まれてきていることが分かりま
す。例えば用地取得の補償問題であったり、トンネル工事などに伴う残土の処
理の問題などです。
例えばリニアの新駅を巡る用地取得について。ひとつ長年住み続けた地域か
ら立ち退きを余儀なくされることを悲しむひとの声があります。慣れ親しんだ
集落の人たちのつながりもバラバラになってしまします。そしてより実際的な
問題もあります。
移転補償金が十分でないために、現在の家のローンに加えて移転先の住宅建
設のためにもローンを抱えなくてはならないということもあるようです。納得
のいかない移転補償金であっても、公共性の高い事業ということになると、拒
否し続けた場合は最終的に強制的に立ち退かされることもありますので、どこ
かで折り合いをつけなければならないのでしょうが…。
残土処理についても各所で問題になっています。これまでなかった量のダン
プが行き来するようになって交通安全は守られるのか、残土を盛り固めたとこ
ろが大雨などで土石流となる恐れはないのか、など住民たちの不安は尽きるこ
とがありません。
こうしたいろいろな問題の出てきている中でしばしば出てくるのが、事業主
体であるJR東海の説明が不足しているという点です。工事を進める中で出てき
た住民の要望に対して、にべもない対応を返すところが本書の中でも折々に見
られます。
そしてJR東海は例えばトンネル工事で発生した労働災害についても公表を渋
るなど、リニア工事の情報公開についても消極的な姿勢が目立ちます。そして
住民向けの説明会についても非公開ばかりだといいます。
取材に対してJR東海の担当者は非公開の理由を「地元の人から忌憚のない意
見を聞くため」(p,204)と言っていますが、これは都合のいい言い訳にしか聞
こえないですね。勿論その中には住民の意向で非公開になったものもあるのか
もしれませんが。
そうした説明不足は住民の不安を呼び、工事に対して再考を促すような意見
も出てきます。ということは住民の意向に寄り添わず、秘密主義で物事を進め
るのは悪手のような気がします。にもかかわらずJR東海がそうした態度を貫く
のだとすれば、なにかやましいことを隠している、というのは勘繰りすぎだと
しても、自分勝手であるという批判はやむをえないかもしれません。
さらにそうしたリニア工事再考に対する意見が、リニア工事全体に反対して
いると捉えられてしまい、住民の間に分断を生んでしまうということも見られ
ます。
本書で取材されている人の中で、リニアを建設することについて反対してい
る人はあまり目立ちません。ほとんどの人はもっと身近な、自分たちの生活に
かかわる範囲でリニア工事の弊害があるので何とかしてほしいと声を上げてい
ます。
今の静岡県知事がそのいい例ですが、納得できないことがあるからJR東海と
交渉しているのに、それだけでリニア工事全体に反対しているとみられて、リ
ニア賛成派(?)からあらぬ批判を受けることも起きてしまいます。まあ一事が
万事という言葉もありますので、JR東海の態度に接しているうちにリニア工事
自体に懐疑的になるということもあるでしょうが。
JR東海という大企業と行政が進めている事業に抵抗したところで、結局は事
業は遂行されるのだから抵抗するだけ無駄だという向きもあるかもしれません。
しかしいつまでも妥協せずに、結果として工事の進行を遅らせるのは果たして
無駄に抵抗しているだけといっていいものでしょうか。
むしろそうした異議申し立てがあってこそより良い公共事業の進め方などに
ついての法整備などがなされていくのではないでしょうか。納得できるまで徹
底的に抵抗するというのは、真剣にその公共事業と向き合っていることの表れ
とも言えそうです。
本書を取材した取材班も「この報道はリニア反対キャンペーンではない。」
(p,vii)として、一連の取材をスタートしています。しかし結果としてはJRの
東海の態度やそれを後援する国の姿勢には疑問符が付く結論となったといって
いいでしょう。
JRや国に比べると工事に疑問を呈する人たちの声は小さいものです。取材班
はそれらを丹念に拾い上げていきます。そうして編み上げられた地域住民の声
にぜひ耳を傾けてみてください。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第18回 ごま味噌腸粉と広東オペラ
上海の陝西南路駅を降りてユニクロを右手に見ながら4番出口の階段を上って
いくと、淮海中路と茂名南路の十字路が目の前に広がる。ユニクロのちょうど
真向かいには国泰電影院Cathay Theatreがある。1932年にオープンしたときと
ほとんど変わらないたたずまいの映画館は、「旧フランス租界へようこそ」と
いつも私に語りかけてくる。2022年8月からは改修中で入れないが、建物は健
在だ。歴史のある映画館で映画を見るのは格別である。再開が楽しみでたまら
ない。
陝西南路駅の周囲に広がっているのは旧フランス租界の街並みである。往時の
上海を偲ばせる洋館を眺めながら、プラタナスが植えられた道を歩くには、秋
がうってつけだ。残念ながら上海の秋は短い。特に今年の秋は短かった。半袖
に短パンで過ごしていたのに、11月上旬が過ぎると、あっという間に冬の気配
が漂い出した。この様子だと、お気に入りの秋用のコートが着られるのは1日
か2日しかない。私は慌ててコートを身にまとって地下鉄1号線に飛び乗り、陝
西南路駅に向かった。
朶雲書院は陝西南路駅から歩いて5分くらいのところにある。国泰電影院を右
手に見ながら茂名南路を花園飯店Garden Hotelがある方角に向かって歩いてい
く。ホテルオークラが経営していることもあり、日本人観光客にもお馴染みの
ホテルである。長楽路との十字路が近づいてくると、改修を終えたばかりの蘭
心大戯院Lyceum Theatreが見えてくる。1931年から続く由緒ある劇場である。
その劇場を左手に見ながら十字路を右折して長楽路を少し歩くと、朶雲書院の
看板が目に入る。
朶雲書院は上海世紀出版集団が2018年から経営を始めた書店である。代官山の
TSUTAYA書店をさらに巨大化したかのような最先端の内装を有する本店は、揚
子江を見下ろす高層ビルに入っている。支店の中には詩歌の専門店もあり、か
つてリブロ池袋本店に通ったひとであれば、〈ぽえむ・ぱろうる〉を思い起こ
さずにはいられない。長楽路にある支店は「戯劇店」、すなわち演劇や映画、
さらには音楽に関する書籍の専門店であり、ミニシアターもあり演劇の上演や
映画の上映も行なわれている。
旧フランス租界をぶらぶらして朶雲書院戯劇店に入り本を物色し、向かい側に
ある飲茶の老舗「新旺茶餐廳」でコーヒーと紅茶を混ぜた「鴛鴦茶」を飲み、
「腸粉」の料理を食べながら、買ったばかりの本を読むのがおすすめである。
米粉を溶いてクレープ状にした腸粉を使った料理は私のお気に入りなのだが、
特にこの店のごま味噌をかけた腸粉は格別だ、と私は思っている。
11月10日過ぎ、秋用のコートを着た私は久しぶりに朶雲書院戯劇店に足を踏み
入れた。演劇に関する本は1階、映画と音楽の本は2階である。中国大陸では現
在、書籍は「当当」などのオンライン書店を利用することが一般的である。電
子書籍の普及も日本よりも進んでいる。だから客よりも店員の人数が多いとき
もざらである。その日、お客は私ひとりだけだった。
パゾリーニの新刊本や新海誠の特設コーナーを横目に見ながら、私はオンライ
ン書店では眼にすることのなかった本を小脇に抱え始めた。『《白毛女》七十
年』、『上海交響楽団140年』、演劇や映画を題材にした絵本……客はひとり
なので、店員も独り占めできる。演劇や映画好きの店員とのおしゃべりを楽し
みながら、結局私は7冊の本を購入した。日本円でいえば1万円ちょっとの散財
である。早速「新旺茶餐廳」に移動して、ごま味噌腸粉と鴛鴦茶を注文する。
至福のときの始まりである。まっさきに手に取ったのは、『白蛇伝・情未了』
と『電影視覚美学漫談 《白蛇伝・情》創作解析』の2冊だった。
10月末、私は上海の福州路にある天蟾逸夫舞台で粤劇の《白蛇伝・情》を見た。
風光明媚な観光地として有名な杭州の西湖を舞台にした白蛇伝は、中国四大民
間説話のひとつであり、日本とも縁が深い。『雨月物語』に収められた名篇
「蛇性の婬」で上田秋成が下敷きにした物語のひとつとして知られ、また歌舞
伎の《娘道成寺》にも影響を与えたとも言われる。後の特撮映画に影響を及ぼ
したことで知られる豊田四郎監督の《白夫人の妖恋》の題材であることも、日
本最初のカラー長編アニメーションが1958年に公開された《白蛇伝》であるこ
とも、周知の事実であろう。もちろん中国でも、美しい女性と化した白蛇と青
年との恋を物語った異類婚姻譚はさまざまな形で語り継がれ、映画やテレビド
ラマも数多く作られてきた。そのひとつが粤劇の《白蛇伝・情》である。
広東オペラとも言われる粤劇の台詞はすべて広東語である。広東語といわゆる
中国語はまったく違う。中国の標準語である「普通話」をかろうじて理解でき
る程度の言語能力しか有さない私が、粤劇の台詞を聞き取ることは不可能だ。
だから京劇を見るとき以上に舞台の横に配された字幕を見なくてはならず、舞
台に集中できないときも少なくない。
しかし《白蛇伝・情》は違った。白蛇である白素貞を演じた曽小敏、白素貞の
側女である小青を演じた朱紅星、白素貞の恋の相手である許仙の文汝清、仏教
の法を犯して人間と化して人間を迷わせる白素貞を退治しようとする僧の法海
の王燕飛、……そうした広東粤劇院に属する役者たちの素晴らしい演技、また
精巧に作られた舞台装置によって、上海の舞台は悲恋にふさわしい西湖の物語
空間そのものとなった。美しい踊りもあれば、荒々しい立ち回りもある。歌舞
伎でいえば荒事と和事を見事にミックスした演出は、中国の演劇の真髄を十二
分に伝えるものとなっていた。
閑散としていることも多い天蟾逸夫舞台だが、その日はほぼ満席だった。若い
観客も少なくない。一緒に行った友人の「戯迷」に聞いたら、映画のおかげだ
ろうと返ってきた。京劇の有名な演目であればすべて諳んじているとんでもな
い劇通の友人によれば、《白蛇伝・情》は2021年5月に公開された映画の舞台
版だったのである。コロナ禍で映画どころではなかった時期だ。見逃していた
のも仕方がない。
帰宅してすぐにインターネットで映画版の《白蛇伝・情》を見た。役者はすべ
て粤劇版と同じである。CGを多用し4Kで撮影された映像は、中国の映画人が
中国独自の「美」を追求したことを如実に物語っていた。友人によれば、この
映画は評判となり、白素貞の曽小敏などは演劇愛好家以外からの人気も集める
ようになった。事実、たとえばオンラインで映画の配信を行なっているサイト
のひとつである「1905電影網」は、2021年5月31日に「電影《白蛇伝・情》出
圏引領国粋新潮流」という記事を配信していた。国風の復興が新たな流行とな
っている現在、映画版《白蛇伝・情》は映画や演劇の固定的なファンを超えて、
「国粋」の「新潮流」を牽引する現象と化していることを伝えている。言うま
でもなく《白蛇伝・情》は、現政権が強く推進している「中国の文化自信」を
体現するプロジェクトの産物だったのである。
『白蛇伝・情未了』には内容の紹介、スタッフや役者のインタビュー、専門家
による解説などが収められており、さながら映画版《白蛇伝・情》の豪華なパ
ンフレットといった趣きである。同書の序文で中山大学中文系教授で中国戯曲
学会副会長の黄天驥は次のように述べている。
〈古代から唐代に至るまで、民間伝承において蛇は醜悪なイメージのものとみ
なされていた。蛇は男性または女性へと姿を変え、人間界に妖怪と化して現れ、
人間に害を与える存在だった。宋代の杭州では商品経済が発達し、人びとの欲
望が横溢した。『清平山堂話本』の「西湖三塔記」で、白蛇は美女と化し、好
色この上ない奚宜賛こと許仙の物語が生まれた。明代後期に至るまでの、わが
国において資本主義が萌芽した時期、人間性に対する社会の認識は発展し、愛
情を追い求める女性に同情する思潮が出現したのである。[中略]明代中期以
来、文学創作においても、民間伝承や歌舞音曲においても、愛情を追い求める
白蛇への同情が主題となっており、こうした点において白蛇伝は、まさしくわ
が国の優れた伝統文化を体現している。〉
続けて黄天驥は、「粤劇映画《白蛇伝・情》の主題は、わが国の優れた伝統文
化を継承した上で、さらにそれを一歩進めて発揚した点にあるのだ」とまとめ
る。それゆえ《白蛇伝・情》が、「国粋」を鼓吹する新たな文化の「新潮流」
の象徴のひとつとして遇されるようになったとしても驚くにはあたらない。
「国粋」という言葉を眼にすると私などは、理性や論理とはかけ離れたファナ
ティックなきな臭さをすぐに感じてしまう。しかし映画版で美術監督を担当し
た李金輝の『電影視覚美学漫談』を開くと、どうも勝手が違う。たしかに《白
蛇伝・情》は「国粋」的な映画を目指して制作されたのだが、李金輝が書く
「創作解析」はきわめて理性的かつ論理的であり、また分析的なのである。
エイゼンシュタインと梅蘭芳の邂逅した歴史的な事件から説き起こされる同書
は、まず1927年の《ジャズ・シンガー》に始まり1929年の《ブロードウェイ
・メロディー》で本格化したミュージカルと京劇の親近性を分析する。その上
で、ハリウッドの西洋的なミュージカルと、京劇などを取り入れた中国の映画
の相違点を解析した上で、費穆が監督し梅蘭芳が主演を務めた《生死恨》など
を取り上げ、それら実践の歴史的な意義を語っていく。もちろんこうした記述
は《白蛇伝・情》を、独自の映画を模索してきた中国の映画史の正統に位置づ
けようとする意図のもとでなされているのだろう。
こうした歴史的な記述に続いて本篇が始まる。第一部「寄情」、
第二部「悟理」、第三部「熔裁」という三部構成で、豊富な写真資料とともに、
美術制作において「国粋」がどのような意図のもとで実現されたのかが具体的
に詳述されていく。約300頁にわたる著述を暴力的にまとめるならば、
《白蛇伝・情》が目指したのは、中国伝統の「写意」をどのようにスクリーン
や舞台に定着させるかということに尽きる。「写意」は中国の芸術において重
視されてきた観念であり、現在では「写実」の対義語として扱われることもあ
る。李金輝によれば、現実の外観を「再現」することに終始する西欧的なリア
リズムとは異なり、中国の「写意」は対象となった事物に込められた精神の
「表現」を目指す。眼には見えない「意」をどのように醸し出すのか、それが
《白蛇伝・情》で目指されたことだった。
不可視で感じ取ることしかできない「意」の「表現」などと言われると、日本
文化の中で育った私などは、すぐさま「もののあはれ」や「わび」「さび」を
思い浮かべてしまう。言葉では解析し尽くせないというこれらの観念は、論理
による分析を拒み、「日本人だったら感じ取れる日本的な観念」とみなされる
ことすらある。しかし李金輝は理論によって、「写意」をどのように具体化し
ようとしたのかを記述する。たとえば西欧の焦点のある遠近法に対して李金輝
は、南宋の宗炳が「画山水序」で体系化した視覚美学の体系で対峙する。西洋
絵画の遠近法という理論に対して対置されるのは感性や感覚ではなく、中国が
歴史の中で練り上げた別種の「理論」、「散点透視法」なのである。
そもそも『電影視覚美学漫談』の「寄情」「悟理」「熔裁」という三部構成か
らして、5世紀頃に成立したと言われる中国古代を代表する文学理論書、劉勰
の『文心雕龍』に依拠したものであった。李金輝による具体的な創造的営為は、
すべてこうした中国の「理論」から演繹されたものとしてある。それゆえ具体
化する過程において、日本の枯山水を利用することがあっても、「国粋」と抵
触することはない。枯山水という具体的な方法は中国独自の「理論」に見合う
から採用されたに過ぎず、たとえ日本文化の一部と認定されているものであっ
ても、「理論」の範疇に吸収してしまうことができるからである。
加藤周一は「中国人は普遍的な原理から出発して具体的な場合に到り、先ず全
体をとって部分を包もうとする。日本人は具体的な場合に執してその特殊性を
重んじ、部分から始めて全体に到ろうとする」と述べていた。ここで加藤が述
べている「原理」は、西欧の「原理」に対してみずからの独自性を追求しよう
とするときに、あたかも万里の長城のようにして、そのアイデンティティの保
持に貢献する。そうした堅牢な「原理」の前で、いくら「もののあはれ」や
「わび」「さび」を唱えても、それらは特殊性を帯びた感覚的な観念として受
け流されていくだけだろう。中国は西欧の普遍に対して別種の普遍によって対
峙しようとしている。そうした中国の「文化自信」の強さを、李金輝の文章を
読みながら、私はまざまざと感じ取った。「文化自信」の底力は、歴史の中で
培われた「理論」によって支持されているに違いない。
ごま味噌の「腸粉」をつまみながら、ふと思い出した。河南省に生まれた劇通
の友人は「腸粉」が大嫌いである。「腸粉」は中華料理ではなく、あくまでも
広東料理のひとつである。北方人の口に合うわけがない。また劇通の友人は広
東語も解さない。だから私と同じように、字幕に頼らなければ粤劇は理解でき
ない。《白蛇伝・情》は「国粋」を追求した中国美学の結晶ともいうべき作品
であるが、その台詞を解することができるのは広東人と、広東語が聞き取れる
一部の中国人だけだ。日本で「国粋」を鼓吹するとして、大多数の日本語母語
話者が理解できない台詞ばかりの映画を撮ることが許されるだろうか。少なく
とも、それを「国粋」的と認めるひとは、左右どちらにおいても多くないので
はないだろうか。中国は堅牢な「理論」を有するだけでなく、「国粋」の内部
に多様性を抱え込んでいる。多様性には「国粋」を破砕する可能性も含まれて
いよう。その可能性に私は期待する。
【本文中で言及させて頂いた本】
《白蛇伝・情未了》編委会編『白蛇伝・情未了』(広東人民出版社、2022年1月)
李金輝『電影視覚美学漫談 《白蛇伝・情》創作解析』
(中国文聯出版社、2022年12月)
加藤周一『日本文学史序説上』(ちくま学芸文庫、1999年4月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
やっと寒くなってきましたね。秋がたった数日しかなかったような、いや?
ところどころまだらのように秋があったような、そんな年でした。様々な軋み
が世界の均衡を壊しています。こんな時こそひとりになりゆっくり自分を見つ
めるときなのかもしれません。でも、こんな悠長なことをいっている場合でな
いと、焦りもあります。 畠中理恵子
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情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その86「とても語れない作家」その1 池波正太郎
物語の中に描かれた食べ物があまりにおいしそうで、ますますその物語の魅
力を増すことになる作品はたくさんあるけれど、そのすべてが素晴らしすぎて、
あまりに恐れ多くてここには書けない作品がいくつかある。その中で最も素晴
らしい作品の書き手といえば、泣く子も黙るあの池波正太郎さんだ。私は二十
代のあるとき、いきなり池波さんにはまってしまった。それだけではなく、本
好きの友人たちも道連れにしてしまったので、みんな私の家に遊びに来るとき
にはリュックを背負ってやってきて一連の池波作品をごっそり借りて行っては
返しに来るということを繰り返していた。池波さんにはまるといいことは、ど
んな小さな書店でも必ず文庫本が置いてあるので、続きが読みたいなと思えば
すぐに本が手に入ることだった。あるときなど都民農園の野菜の無人販売の台
の上に「どうぞ、ご自由にお取りください」と紙が貼ってあって、『鬼平犯科
帳』の文庫本が十冊以上並べられていたことがあった。何冊かいただいて、友
人と分け合った。さらにお酒のみの友人が泊まった翌朝には、朝ご飯に「鬼平
犯科帳」の主人公平蔵様と同じ朝粥を土鍋で炊いて(もちろん梅干しを添えて)
一緒に食べたりもした。そして、数多くの池波ファンと同様、池波作品に出て
くる料理についての本なども買い集めた。今でも、ひどく落ち込んで食欲が完
全になくなってしまったり(あまりないけれど)、料理をする気がどうしても
起きないときには(これは年中ある)、短編をどれか一つ読んで自分に活を入
れてから包丁を握ったりしている。(おお、この言い回し!)
そんな私だから恐れ多くて、とても池波作品についてここで書いたりはでき
ないのだけれど、それでも久々に買ったこの本については語ってみようと思う
のだ。
この本は、なぜ食日記を書いたかというエッセイで始まっている。これを書
くのは、妻が献立を立てるために便利で続けてほしいと言っているから、とい
うことらしい。そしてこの本の副題に「鬼平誕生のころ」とあるから、鬼平が
書かれたとき作者が何を食べていたかということを知る楽しみがある本なのだ。
時は昭和四十三年。まさしく『オール読物』に連載が始まった年だ。この本の
後半には作家たちの対談や編集者たちの思い出話などもあるのだが、そんなも
のは、ここに書かれた食べ物のことしかほとんど書かれていない「食日記」の
魅力に比べれば、なんていうこともないのだ。
この日記には、とにかくひたすら、朝、昼、晩と何を食べたのかだけが書か
れている。読んでいくと、確かに、一日中家にいて仕事をする作家の三食すべ
てを手作りするのは家族としてはきついだろうと思えてくる。一食ぐらいは自
分でトーストでも焼いて済ましてほしいと普通の人なら思うだろう。今テレワ
ークの普及で一日中家にいる人たちも多く、気分転換に料理をしたりしている
人も多いと思う。ウーバーイーツとか食べ物を取り寄せるのも便利になったし、
都心に住んでいる人ならば、通勤時と同じように近くの飲食店に気分転換にい
くこともできるだろう。でも、今とは時代が違うのだ。出前をといえば、せい
ぜい蕎麦か鰻か寿司くらいのもの、それが昭和の常識だったと思う。
そして、あれだけ包丁を握る男を描くのがうまい池波さんが、自分では料理
はしないようなのだ。
とにかく、日記を読んでみよう。
一月一日の日記から始まるこの日記に書かれている食事は、ほとんどが二食
だけだ。それも昼ご飯と夕ご飯だけで、朝ご飯の記述は数回だけ。外食や旅先
での食事も書かれている。やっぱり、作家は夜仕事をするから、朝ご飯は食べ
ないんだなあなどと、感心しながら読み進む。その分、夕食はなかなか豪華だ。
例えば、一月二十八日
〔昼〕しおざけ、千枚漬け、めし、味噌汁
〔夕〕牛肉ヒレ、鉄板ヤキ(にんにく、しょうゆ、リンゴ)、玉ねぎ、じゃが
いも、けんちん汁、めし、ビール(小)
なんだか、この(小)がかわいいと愛読者は思ってしまうのだ。
夜食をとる日もある。
二月十二日
〔昼〕ロールキャベツ、ロールパン、大根とハムのサラダ、コーヒー
〔夕〕ねぎまなべ、カレーライス
〔夜〕ベーコントースト、紅茶
「さむさつづく」と書かれているので、このメニュウには納得がいく。
とにかくいきなりお昼からご飯が始まるせいか、「トマトライスとコーヒー」
とか「スパゲティとコーヒー」とか、高校生の朝御飯のようなものも多い。健
啖家だなあ、気力に満ちていた頃なんだろうなあなどと思う。
五年後のインタビュウに、制作と生活の様子を答えているものがある。
「昼はだいたい十二時頃に起きて、昼間は軽いものを書いて、夜は晩酌をやっ
てから一時間くらい寝るんです。七時から八時ごろまで寝て、それから起きる。
ジャズのレコードをガンガンかけたりしながらその日書くものの下調べをした
りするでしょう。そうこうしているうちに十二時ごろになる。それからだいた
い朝の四時まで小説を書くわけです」
やはり小説家というのは八時間労働ではないわけだ。昼も夜も働いているの
だ。
この食日記には、日付、天気のほかにも来訪者についての記述がたくさんあ
る。原稿を取りに来る編集者たちについても書かれているので、この本の最後
には担当編集者たちの対談があり、日記記述時にどんな小説が書かれていたの
かもわかる仕組みになっている。
でも、そんなことより愛読者は作者の他愛もない日常を知りたがるのだ。例
えば私は、この何度も出てくる「トマトライス、コーヒー」がどんなものかを
知りたい。そう思って読んでいくと、三月十一日に「トマトライス(とり、玉
ねぎ)とあって、つまりこれは世に言うチキンライスのことなのだろうかと思
っていると、三月十六日にはチキンライスと書かれていて、違いがわからずち
ょっと迷う。多分トマトケチャップで味付けをした炒め飯のことなんだろうな
と考えることにする。というのは、四月に入ると炒飯の記述が増えてくるのだ。
外食の際にも何を食べたかも細かく記述されている。健啖家であり食べ物に
対する好奇心旺盛だった池波さんは、とにかく外食のたびに、同席者に違うメ
ニュウをとらせて分けて食べるのが好きだったらしい。いろんな味を知りたか
ったのだろう。
居職、つまり自宅を職場として働く人の食生活は、すべて三食主婦が用意す
るから大変だ。今のようなインスタントやレトルトのない時代だから、確かに
奥さんが大変だったろうなと思う。本人だけではなく、お姑さん付きだからな
おさらだ。だから、やがて月に一週間ほどホテル住まいにすることにしたと書
いてある。まあ、どこにいても仕事ができる小説家であり、いまやテレワーク
で誰もがそれが可能だなとも思う。そんな池波さんが仕事場として愛用したお
茶の水の山の上ホテルが、近くしばらく閉鎖するというニュースが流れてきた。
最後に、これを書いている今日と同じ十月二十五日に池波さんが何を食べた
かを記しておこう。
〔昼〕親子重、つけもの、コーヒー
〔夜〕冷酒、松茸むしやき、玉ねぎ白ソース、アジのたたき、大根味噌汁、納
豆、めし、つけもの
いいなあ、松茸か。この秋は暑すぎて、松茸もあまり採れてないんじゃない
だろうか。時代は変わっていって食べ物の季節感までもが違ってしまっている
気もする。時はただ流れていくのだけれど、小説の中ではいくらでも昔に遡れ、
その時代の食べ物をじっくり味わったりできる。そんな池波さんの贈り物を今
も味わえることに感謝しながら、しばらくこの食日記の中をさまよってみよう
と思っている。
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『食べ物日記 鬼平誕生のころ』池波正太郎著 文春文庫
『KAWADEムック文藝別冊池波正太郎没後30周年記念総特集』
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
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第4話 工事再開、そしてクラファン成功
二〇二一年八月二十一日(土)大安
少し時間が空いたが、クラファン終了後、初めてのワークショップ。という
ことで、周りの期待もあったのか、十五人以上が集まる。
私は酔っぱらってしまって寝てしまったが、夜中にゆり起こされる。起きる
と何やら階下が騒がしい。寝ぼけ頭で話を聴くと、どうやら、ガレージでヤ〇
ザっぽい人に絡まれたらしい。警察も来ているようで、パトカーが取り囲んで
いる。
どうも、下で騒いでいるヤ〇ザは隣の住人の関係者らしい。兄貴分が来たと
ころ、隣が騒がしい。で、階下に降りると、自分の車を出そうと思った際、邪
魔だ、と思ったようで、夜中にも関わらずクラクションを鳴らしまくったそう
だ。
その音を聞いて、自動車が邪魔ならどけようかとメンバーが降りていったと
ころ、絡まれたらしい。大声で、警察呼べるなら呼んでみろ、と叫んでいたの
で、すかさず、こちらのメンバーが一一〇番をしたそうだ。警察が来たら、今
度は組織対策課の誰それを呼べ、と要求し、警察がそれに答えて、パトカーの
量が増えたのだとか。
おみつさんも一緒に下に行き、交渉していたが、とりあえず怒りに任せて怒
鳴っている様子もなく、警察もヤ〇ザっぽい人も事態をどう収拾するか、とい
う感じだった。
隣では、女性の声がベランダで、親分っぽい人と電話をしていて、すみませ
ん、すみません、と謝っていた。
実際のところ、夜中に騒いでいたのはこちらであって、こちらに非があるの
だが、逆にクラクションを鳴らして警察を呼べ、と叫んだら、そっちの方が近
所迷惑な訳で、なんともおバカな話だなぁと思いつつも、そういう業界の人は
素人さんに手出ししてはいけない、というのがあるのだろうか。うるさいのに
我慢を重ねて爆発させてしまって、申し訳ないことをした。
とりあえず、こちらは殴られることもなく被害は無かったが、さすがに自動
車の数が多すぎると、近くの駐車場まで運転代行を頼んだところ、運転代行が
警察がたくさんの中での運転に緊張したのか、運転代行のくせに木の柵にぶつ
かるという事故をおこされてしまった方が一名いた。保険で解決するそうだが、
被害といったら、それくらいだった。
いずれにしても、自分が寝ている間に起きた事件であり、大ごとになるよう
な、何事もなくてよかったといえる。
二〇二一年八月二十三日(月)仏滅・処暑
おみつさんのお父さまよりLINEで連絡。土曜日の事件について、マンシ
ョンの管理組合よりわけのわからない手紙が来たらしい。内容は、
・貸主として、深夜に大声を出すことを許容しているのか?
・貸主として、不特定多数の人間を出入りさせているのか?
・貸主として、不法駐車を指示しているのか?
という、まさにケンカ売っているのか?という内容。
まず、大声を出していたのは隣の関係者だし、居たのは不特定多数ではなく
特定の人だし、管理人にここに停めてと言われた場所に停めていただけなので、
すべてがあらぬこと。
それはお父さまも理解し、向こうの主張を否定したうえで、管理組合は反社
会的勢力の味方をされるのですか?というような文書を提出することに。
お父さん曰く、この時期、やはり山梨県以外のナンバーに対しては、ちょっ
と拒否反応があり、それもあって、こういう対応をしてきているのではないか、
ということで、今後はお父さんの会社の駐車場に停めに行くことにしようとい
うことになった。
実際のところ、前回の夜中のカラオケもそうだが、メンバーを煽っていちば
ん騒ぐのが、酔っぱらったおみつさんだったりするわけで、父親として何とか
してください、とメッセージしたら、私も手に負えません、皆さんで何とかし
てください、とのこと。親子の関係がいちばん難しいのかもしれない。
二〇二一年一〇月五日(火)大安
再び工事。キッチンカウンターと洗面所を設置。
壁一面の本棚設置。
夜、オンラインでの仕事が終わった頃、しんさんからメッセンジャーで連絡
が入る。甲府駅近くの居酒屋で飲んでいるので来て欲しい、とのこと。
行くと、電気工事屋さんと大工さんも一緒に飲んでいる。
しばらく飲んでいると、二人は帰って行った。聞くところによると、大工さ
んは最初にこの案件で甲府を訪れた後、甲府の夜の街がお気に入りになってし
まい、毎週、通っているのだとか。なので、今回の工事も何かあればいつでも
いくよ、とお金に関係なく協力してくれているのだとか。ありがたい話。
その後、酔っぱらったしんさんがどうしても行きたいというので、甲府のキ
ャバクラへ。といっても、店を知らないので、元キャバ嬢だったという、やる
気なさげな居酒屋のママに店まで案内してもらう。閉店後も飲み足りないとし
んさんが言うので、今度はラウンジを紹介してもらう。行くと、コロナの影響
か、客が誰もいない。なんとなく責任感を感じてしまい、閉店まで飲み続ける。
ベロンベロンになったしんさんをホテルに送り届けながら、店のマスターが偉
く感謝してくれて、また来てください、と名刺を渡されるが、残念ながら、店
の位置はまったく覚えていない。
ちなみに後から聞いた話だが、しんさんは私を最初のお店に呼んだ時点から
記憶がなかったそうである。
二〇二一年一〇月九日(金)赤口
ラスト・オブ・左官ワークショップ。
今回は一応、左官が最後の触れ込みということで、天井も含めて左官。最初
の頃は、天井の左官はプロではないとできないだろうと思っていたが、何度か
作業を重ねるうちに、皆さん、レベルアップしている感じで、素晴らしい。
二〇二一年一〇月十七日(月)友引
倉庫に置きっぱなしの三十箱以上の段ボールを部屋に運び込み、書籍を出来
たばかりの本棚に移していく。
なんというか、途中で諦めたくなるような量ではあるが、途中で止めるとや
りたくなくなると思い、頑張って運ぶ。
今回はとりあえず出すだけで、整理するのはちょっとずつやっていくことと
する。
二〇二一年一〇月二十二日(金)先勝
電気工事。脱衣所にも電灯がつく。脱衣所の床貼りも大工さんにお願いし、
綺麗に貼っていただく。大工工事がすべて終わる。
二〇二一年一〇月二十四日(日)先負
再び、ワークショップ。
カーペットを貼り、トイレの壁紙を貼り、柱に銅板に貼る。
いよいよ仕上げの段階、という感じである。ここまで長かった。
二〇二一年一一月三日(水)先勝・文化の日
本日、いよいよ、クラファンに協力してくださった方を集めてのお披露目会!
…の予定だったが、未完成の部分があり、酒を飲むものあり、左官をやるもの
あり、塗料を塗るものあり、のカオス状態。
おみつさんのお父さまからもワインを一ダースいただき、昼からどんどんボ
トルが空いていく。
確か予定では二十名程度が集まる予定だったのが、三十名になっていた。こ
うなると、騒ぐな、というのが無理な話。
作業の材料が足りなくなり、近くのホームセンターに買い出しに行こうとふ
と見ると、サイレンを鳴らさないパトカーが臨時駐車スペースに。何だろうと
思ったら、やはり我が家が目的だったらしく、買い物先に、警察が来た、と連
絡が入る。
戻ると既に警察は帰った後で、近所の方が呼んだらしい。聞くところによる
と、たまたま隣の住民も出てきて、うちが呼んだんじゃない、最近は静かにし
てくれて助かっているよ、と警察に主張してくれたらしい。
後で聞くと、山梨の人は、警察をすぐ呼ぶらしい。警察の方も大変である。
ともかく、長きに渡る移住とそれに伴うリフォームも一旦、完成ということ
になる。度重なる工事のストップやら、なんども警察の御厄介になるなど、ま
あ、いろいろなことがあったが、ここからは安らかな生活が始まり、執筆活動
などにも専念できるのではないかと、期待は高まるばかりである。
(了)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。(あ)
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第172回 言葉と文化の白地図
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 恐怖の「ディアトロフ峠事件」とは
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第17回
October The Unrealized Century
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第172回 言葉と文化の白地図
いつも思うのだけど、ぼくは読書家ではなくて、積ん読家なんだなあ。本は、
それほど読まないけれど好きなことは好きなようだ。そうでなければ本の山で
部屋を埋め尽くすことにはならない。
散歩のときに寄る店は書店が多い。というか書店がある町を歩くのが好きで、
散歩の目的は本屋に寄ることだったりする。ついでにレコード屋があればいう
ことなし。
お気に入りの書店の棚を見ていると、「この本、いいですよ」と語りかけて
くるような気がする。小さな店は、限られたスペースではあるけれど、その店
ならではの選書をしていて楽しいし、大型書店でも、そのフロア担当者の思い
が伝わってくるコーナーがある。並んでいる本を見ていると、書店の担当者と
会話をしている気分になってくる。大型店でも小さな店でも、そういう気分に
してくれる書店が好きだ。
先日、千駄木にある往来堂書店の棚を見ていたら、『ことばの白地図を歩く』
(名倉有里 著 創元社)が棚差しになっていた。それも2冊も!
この本を知ったのは、YouTubeで配信されている報道番組「ポリタスTV」だ
った。ジャーナリストの津田大介がホストを務める時事問題を扱っている番組
だが、3週間に一度、たしか木曜日だと思うが、「石井千湖の沈思読考」と
いう書評家の石井千湖が本を紹介している。
そこで紹介された『ことばの白地図を歩く』という本はタイトルを聞いたと
きから、読みたくなった。タイトルって大事なんだな。昔、出版社に勤めてい
るとき、営業部の人に「本のタイトルと装丁で売れ行きが変わる。
よく考えろ!」と怒られてばかりいたけれど、本当なんだね。魅力的なタイトル
はそれだけで読みたくなる。
それにこの本には「翻訳と魔法のあいだ」というサブタイトルがついていて、
いちおう翻訳の仕事もすることがあるぼくは、
ぜひ読まなくちゃいけないな、と思っていた。魅力的な選書をしている往来堂
書店が2冊も棚差しにしていたのだから、面白いこと間違いなし!
すぐに手に取りレジに向かった。
『ことばの白地図を歩く』は創元社の「あいだで考える」シリーズの1冊だっ
た。このシリーズは「自ら考える力」「他者と対話する力」「遠い世界を想像
する力」を養う多様な視点を提供する、とコンセプトが巻末の「創刊のことば」
に書いてあった。対象年齢は10代以上だれでも、とあって基本的には中学生
ぐらいを頭に置いて書いているのかな。
『ことばの白地図を歩く』は、ゲーム好きの年代が読みやすいようにロールプ
レイングゲーム仕立てにしてあって、各扉に謎が与えられている。
ストーリーの語り手は印刷機だ。「言語や文化」という難しいテーマを児童
文学を読むようにやさしく解説している。
といって内容は子どもだけに向けられてものではなく、母語以外の言葉を習
得すること、翻訳とはいったい何をすることなのか、60代になったぼくにも実
に学ぶところが多かった。
著者の名倉有里さんは、ロシア文学研究者で翻訳家。ロシア国立ゴーリキー
文学大学を日本人として初めて卒業した。
ロシア語との出会いが素敵だった。子どもの頃、おかあさんの故郷である新
潟で休みを過ごして、東京ではめったに見られない、どっさりつもった雪の世
界に魅了される。新潟に行けないときは、「読むだけで雪景色の中に連れてい
ってくれるような本」を読んだ。そして中学生のときにレフ・トルストイの小
説に出会う。新潟で米を作っているおじいさんもトルストイが好きだったとい
う。ロシアへの思いが募って高校時代に独学でロシア語を始める。
こんなふうに語学との幸運な出会いがあるんだなあ。名倉さんは書いている。
「つまりは好きになるきっかけを見つけて、ときめいてしまえばいい。学べば
学ぶだけ身近になり、知るほどに新しい世界を見せてくれる。そして運命だと
思いつづけていれば、いずれは運命になってくれるのだ」と。
これは語学に限ったことだけじゃないかもしれない。ほかの学問でも、音楽
でも、スポーツでも「新しい世界」を見るために人はがんばるのかもしれない。
ときめきを忘れないことが肝心なのだろう。
ぼくの家には、ロシア語の本がたくさんあった。子ども向けの絵本だってた
くさんあった。父は毎日、短波ラジオでロシアのニュースを聞いていた。幼い
ぼくにはロシア語の響きは暗号のように聞こえて、スパイみたいでかっこいい
な、と思ったのを覚えている。
でもぼくはロシア語に魅了されることはなかった。「おまえがロシア語やポー
ランド語をやるなら、いくらでも資料があるんだぞ」と冗談まじりに両親はいっ
たけれど、ぼくは「不肖の息子」を絵に描いたような子どもだった。正直にい
うと、名倉さんの文章を読んでいると両親の失望が思い浮かんできて、チクリ
と胸が痛んだ。
語学や翻訳についてとても面白く書いている本だけど、ぼくがとくに印象に
残ったのは第2章の「文化の選びかた」だった。ぼくもうっかりと使ってし
まう「異文化」という言葉に疑問を投げかけている。
名倉さんはテリー・イーグルトンの著書『文化とは何か』(大橋洋一 訳
松柏社)を本棚から取り出して語っている。ここのところは、ちょっと難し
い。でも、とても大切な文章が続いている。
「文化とは、人と人がなにかしらの共通の様式を用いて理解しあうための営み」
であるのに、現代は「理解しあう営みという最も重要な点がおろそかになって、
互いの違いを強調し優劣を決めたがるようになっているのではないか、と名倉
さんはいう。
そして「異文化」という考え方には、前提として自分の属する文化があって、
しかもその文化は自分自身で選んだものではなくて、生まれた国であったり民
族に結びついている。ぼくならば日本とか日本人ということになる。日本文化
とそれ以外の文化と線引きをしてしまうことは、かんたんに排外的な姿勢に
つながってしまう。
『異文化の「異」は人間の意識が作りだす恣意的な線引きでしかない』
名倉さんの言葉は、それまで「異文化」という言葉を意識していなかった
ぼくには、目から鱗だった。
そして『思うままに好きな文化を選び、その知識や技術を磨いていけば、誰
でも世界じゅうに「共通の文化」を担う人を見つけられる』と若い人たちに励
ましの言葉を書いている。
『ことばの白地図を歩く』という本は、これから語学を始める若い人たちにぜ
ひ読んでもらいたい。
翻訳家になりたい人には、言葉や文化に対する心構えや具体的な学習法など
名倉さん自身の体験から得た知識がたくさん書いてある。正直いって、ぼくに
は耳が痛いことばかりだったけれど。
翻訳家になりたい、という若い人がどれだけいるかわからないけれど、この
本を読めば目指したくなるんじゃないかな。いや、翻訳家志望の人でなくても、
言葉や文化のことをもっと知りたくなるだろう。
最後に少し宣伝です。かもがわ出版よりエッセイ集が出ます。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられない 役に立たない“人生論”』というタイト
ルで、ぼくが経験したいろいろな仕事のこと、出会った人たちのことを書きま
した。10月23日ぐらいに書店に置かれる予定です。漫画家の山川直人さんに表
紙や挿絵を描いてもらいました。
もう一冊、翻訳の絵本が出ています。『ゆきのひ』
(サム・アッシャー 絵・文 徳間書店)です。雪の日、おじいさんといっ
しょに不思議な冒険をするお話です。書店で見かけたら、手にとってみてくだ
さい。
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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皆さんは「ディアトロフ峠事件」と呼ばれる事件をご存じでしょうか。
1959年2月ソビエト連邦で発生した山岳遭難事故です。山岳事故よりは一種のオ
カルト的事件として扱われることもあるので、その文脈でご存じの方もいらっ
しゃるかもしれません。今回紹介するこちらの本はそのディアトロフ峠事件を
描いたものです。
『死に山』、ドニー・アイカー著/安原和見訳、河出文庫、2023
ではディアトロフ峠事件とはどのような事件だったのでしょうか。そしてな
ぜ遭難事故なのに「事件」と呼ばれるのでしょうか。
ディアトロフ峠事件とはソ連
のスヴェルドロフスク(現在のエカテリンブルグ)にあるウラル工科大学の学生
を中心とした9人のパーティ(当初10人だったものの途中で体調不良のためひと
り離脱)が、ウラル山脈北部のオトルテン山を目指すトレッキングの最中に遭難
死した「事件」のことです。メンバーはいずれも経験が豊富で、雪深い2月の
ウラル山脈でもトレッキングに臨む実力は十分に持っていました。それにも拘
らずパーティの9人全員が命を落としたこと、そのひとりひとりが不可解な状
況で発見されたことから、宇宙人や陰謀論とも結びつけられて語られることも
多くありました。
目的地であるオトルテン山の手前までたどり着き、雪山にテントを設営した
後、夜間にパーティの9人はなぜかテントを内側から切り裂き外へと出ていき
ました。そして何人かのグループに分かれた状態で遺体となって発見されます。
その中には冬山にはそぐわない薄着であるものや、ひどい外傷を受けたもの、
舌を失った状態で発見されたものもありました。またのちの放射能検査で、
衛生基準を上回る放射能が衣類から検出されたことも多くの憶測を呼びました。
原因としては雪崩や強風といった自然現象から、何者かの襲撃、あるいは
ソ連の兵器(放射性のものも含む)実験や宇宙人襲来までが語られていて、それ
が「事件」と呼ばれる所以でもあります。
事故の現場であるディアトロフ峠というのはこの事故後にパーティの
リーダーだったイーゴリ・ディアトロフの名がつけられたもので、事件が起き
た山の名はホラチャフリと言いました。これが地元の先住民であるマンシ族の
言葉で「死の山」という意味だったことも穏やかでないイメージを広めるのに
一役買いました。もちろんその名の由来はこの事故とは関係ないのですが。
アメリカの映像作家である著者はこの「事件」の真相を探っていきます。
その謎を調べるためにかなりの時間もお金も突っ込んでしまったのですが、そ
の根底にはGPSも便利な登山用具もない時代に人跡まれなオトルテン山を目指
した果敢な挑戦者たちへの共感があったようです。
本書の構成はトレッキングのパーティーがオトルテン山を目指して行く行程
のパート、行方不明となってしまった彼らの捜索が行われるパート、そして現
代の著者が事件の真相を探っていく三つのパートに分かれ、それらが並行して
書かれていきます。
ディアトロフの率いるパーティがオトルテン山を目指す過程は、遭難地で発
見された日記や写真から追跡することができます。経験豊富なメンバーたちだ
けに、未踏の山域への不安というよりも、トレッキングを楽しんでいる様子が
伝わってきます。特に写真には楽しそうな彼らが写されていて、この後のこと
を知っている読者には少しつらい気持ちが呼び起こされます。それとともにこ
のトレッキングは(難度は高くても)いたって普通のものであり、オカルトや陰
謀論の出る幕などは全く感じさせません。
捜索も、遭難した状況が異常であったことを除けば、山岳遭難の捜索と変わ
るところはありませんでした。ちなみにこの事件の原因として語られているも
ののひとつに、現地に住むマンシ族の襲撃によるものという説もあるのですが、
マンシ族の人々も積極的に捜索に参加しており、荒唐無稽な意見として著者
にも一蹴されています。
その後の捜査に手心が加えられた形跡もなく、謎が多いだけに遺体の回収
後の原因究明も様々な角度から行われました。後々様々な憶測を呼ぶことにな
る、衣類の放射能についての調査もそのひとつと言えるでしょう。しかし当時
の捜査の責任者は「未知の不可抗力」による事故と結論を出さざるを得ません
でした。
こうしたパーティの足取りやその後の捜査の内容は、政府の情報公開によっ
て後年明らかになります。著者はその情報を丹念に調べていく一方で、今もロ
シアでこの事件にこだわり続ける人々や、事件の遺族にも連絡を取っていきま
す。そしてこのパーティの唯一の生き残り(体調不良で途中で引き返した)である
ユーリ・ユーディンにも面会を果たしました。
しかし、肝心の著者の謎解きですが、ロシアに何度も行き、関係者の証言も
得て、現地を訪れたにもかかわらず、なかなか進行しません。もっともそんな
に簡単に解けるようなら、この事故が怪事件として長く語り継がれることもな
かったでしょう。しかし例えば、ロサンゼルスからはるばるディアトロフ峠を
訪れることで、トレッカーたちの最後のキャンプ地では雪崩はほぼ起こりえな
いということを確認したりもしています。
最後に著者は様々な説を検討した結果ひとつの妥当性の高そうな結論に辿り着
きます。それが何なのかは読んでのお楽しみということで。
パーティの山行や捜査の過程などはとても丹念に描かれていて、トレッカー
たちの山行を読者も追体験することができます。山行のパートは彼らの結末
が分かっているだけに、「その時」がいつ来るのかに読む手が止められず。捜
索のパートでも遭難者たちの不可解な状況が次々に明らかにされていくため、
どんどん先を読みたくなってしまいます。真摯にトレッキングを楽しんでいた
若者たちや、捜査に情熱を傾ける人々の記録を読むと、やはりこの遭難事故を
オカルトとか陰謀論で片づけてしまってほしくないなと感じるようになってき
ますね。
あやふやな噂話の中に隠されていたディアトロフ事件の真相を掴みだす謎解
き物語だけでない、十分な読み応えが本書にはあります。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第17回 October The Unrealized Century
10月1日の国慶節の連休にあわせて公開された張芸謀の新作
《堅如盤石Under the Light》は、バスの爆破から始まる。乗客を人質にバスを
ジャックしたテロリストの持ち込んだ爆弾が作動し、爆発が起こる。その光景を
見ながらふと思い出したのが、2008年の北京オリンピックで、開会式の演出
を担当した張芸謀に請われ、花火の演出を一手に引き受けた蔡國強だった。
言うまでもなく、火薬を用いた制作で世界的に知られるようになった美術家で
ある。
2023年7月上旬、私は六本木の国立新美術館にいた。6月29日から8月21日ま
で行なわれた展覧会《蔡國強 宇宙遊 〈原初火球〉から始まる》を観るため
である。広々とした展示スペースに、蔡國強特有の巨大な作品が並べられてい
る。入ってまず目に入ったのは、1991年に東京で開かれた個展《原初火球》の
出品作である。火薬の爆破によって生まれた痕跡が「美術作品」として紙に定
着させられている。衝立のように並べられた《原初火球》の作品群の向こう
には、光を点滅させながらゆっくりと旋回するいくつものインスタレーション
が見える。《未知との遭遇》と題された作品群である。
写真撮影が許可されていたため、観客の多くはスマート・フォンでの撮影に余
念がなかった。自撮りする観客も少なくない。写真撮影が基本的に許可されて
いる中国での展覧会では珍しくない光景だが、日本でこうした光景に接するの
ははじめてだった。耳に入ってくる言葉も、中国語が多かった。在日の中国人
が多く詰めかけていたのだろう。しかし私はここが日本であることを、いや少
なくとも中国大陸ではないことを意識させられ続けた。それは私が開館したば
かりの浦東美術館で、2021年7月8日から翌年3月7日まで開かれていた
《蔡國強 運行と帰来》展を観ていたからである。
ちょうど2年前の10月末、《光 テート美術館》展を観るために浦東美術館
を訪れた。ジョン・エヴァレット・ミレイの《オフィーリア》がお目当てだ
った。コロナ禍であったため、PCR検査の陰性証明が必要だったにもかかわら
ず、美術館の前には結構なひとがいた。《オフィーリア》を観るのは難しいか
と嫌な予感にとらわれたが、そんな心配は無用だった。細部をじっくりと味わ
って、好きなだけ写真を撮ることができた。贅沢な気持ちになって十分に満足
した私は、ふと思った。入口にあふれていた観客は、いったいどこに行ったの
だろう。
テート美術館展を観終わって、展覧会場から出ようとした私の耳に喧騒が響い
た。出ると、ひとでごった返していた。小さな子どもも少なくない。そこが
《運行と帰来》の展覧会場の入口だった。《オフィーリア》を観るためにやっ
て来た私は、浦東美術館のオープニング展覧会のもうひとつの目玉が蔡國強の
展覧会であったことを、その時まで知らずにいたのである。
1957年に中国福建省泉州市で生まれた蔡國強は、上海戯劇学院で舞台芸術を
学んだ後、1986年12月に来日した。1995年9月にニューヨークに拠点を移す
までの9年間、蔡は日本で活動した。そのため蔡は日本で比較的に知られてい
る。私も1995年に開館した東京都現代美術館ではじめて作品に触れて以来、蔡
の作品を観る機会は決して少なくなかったように思う。
《宇宙遊》展のカタログに寄せた文章で、国立新美術館館長の逢坂恵理子は、
次のように書いている。
〈蔡は1984年から中国で火薬を素材とした制作を試みていたが、1986年末、
より自由な表現の場を求めて日本に降り立った。彼の創作の代名詞ともいえ
る火薬ドローイングや火薬を用いた爆発によるプロジェクトを開発し発展させ、
実現の機会を得たのは日本においてである。中国とは異なり火薬の入手規制が
厳しい日本で、蔡は当初、おもちゃの手持ち花火を解体して火薬を集め、火薬
による爆発の痕跡をキャンパスや紙に定着させる実験を繰り返したという。〉
来日以前、蔡國強は地元の泉州市で火薬を用いた制作をすでに試みていた。春
節をはじめお祝いごとがあるたびに爆竹が鳴らされる中国では、火薬は容易に
入手することができたらしい。しかし蔡は日本にやって来た。火薬に関して日
本は不自由だったが、火薬の芸術家の誕生に寄与したことは間違いない。その
経緯については、個展《原始火球》を手がけた
P3 art and environment統括
ディレクターの芹沢高志がカタログに寄せたエッセイに詳しく書かれている。
《宇宙遊》のカタログでも、また展覧会を報じた新聞記事でも、蔡國強と日本
のかかわりが強調されていた。「ビッグバン 世界へ問う」(『朝日新聞』
2023年8月2日)は、コロナ禍で「行動制限の時期、米国のアトリエで日本時
代の日記やスケッチを見返した」ことが記されている。展覧会が始まる前の
6月27日に『朝日新聞』夕刊の第一面を飾った記事は「いわきの昼空 希望の
花火」と題され、鎮魂と平和を期したプロジェクト「満点の桜が咲く日」を伝え
た。日本での不遇時代、いわきの画廊で個展を開いたことがきっかけとなって
縁が生まれ、「昼花火」のプロジェクトが実施されたという。
カタログに寄せた文章で、在米の著名な中国美術史家・巫鴻は、《原初火球》
を「グローバル・コンテンポラリー・アートの一記念碑」として位置づける。
しかし蔡國強自身による日本への「感謝の思い」が掲載されたカタログを見
ていると、「グローバル・コンテンポラリー・アート」の起源が日本にあるか
のような印象が強くなる。もちろん展覧会の演出も、そうしたことを意図した
構成になっていた。
上海で行なわれた《運行と帰来》展の入口の前に置かれていたのは
《“夢遊紫禁城”花火の後》だった。
蔡は故郷の職人たちを招き、紫禁城を精巧に再現した模型を作成した。縮尺版
とはいえ、かなりの大きさの模型である。蔡はそこに花火を放った。模型には
赤や青、黄や緑といった花火の痕跡が点々と残っている。花火の様子はVRで
観ることもできる。中国を象徴する空間を中国古代文明が発明した花火によっ
て染め上げた作品は、600年前に紫禁城が建設されたときの典礼を想像的に再
現する試みであるらしい。中国の精神、美学、そして歴史を言祝ぐ意図が込め
られていよう。少なくとも、そうした解釈を拒む要素を見つけることは難しか
った。模型は多くの観客に囲繞されていた。中国が生んだ「世界的な美術家」
による中国の「文化自信」の力であると言ったら言い過ぎだろうか。
上海での《運行と帰来》展は、そもそも2020年12月から翌年2月まで故宮博
物院で開催されたものだった。故宮で現代美術の展覧会。北京オリンピックで
花火の演出を手がける以前、蔡國強は中国大陸では無名に近い存在だった。し
かし今では、中国が生んだ世界的な現代美術家として遇されている。国家的な
行事で花火を担当するようになったことも多くなったという。
展覧会が上海に巡回するのにあわせて、375頁に及ぶ大部な『運行と帰来』が
刊行された。片手で持つのが不可能なくらいに重いカタログをめくっていると、
展覧会の様子が鮮明によみがえってくる。巨大な3メートルに及ぶ《爆破され
たヘラクレス》がまっさきに思い浮かぶ。火薬によって爆破され、赤黒くなった
ヘラクレスの左には巨大なペニスがそそり立つ。うつむき加減のヘラクレス
は勃起したペニスを左脇に挟んで寄りかかっている。好奇心旺盛な子どもたち
は、ためつすがめつ古代ローマの「野性的力量」を眺めている。これは何?
これは何?質問攻めに遭って困り果てた母親は、子どもの手を引いて、強引
にその場から離れていく。
《爆破されたヘラクレス》はナポリ国立考古博物館で展覧会が行なわれた際に
実施されたパフォーマンスの産物である。博物館が所蔵する所蔵品からインス
ピレーションを得た蔡國強は、火薬を用いて《ポンペイ研究》と題された一
連の作品その他を制作するに至った。このように欧米の博物館での展覧会を契
機に生み出された作品は、蔡の作品群において無視し得ない地位を占めている。
プラド美術館ではエル・グレコ、ルーベンス、ヴェラスケスらの作品を変奏し、
ウフィツィ美術館ではルネサンス期の草花を題材にした絵画から想を得た
《ウフィツィ研究》を制作し、フランスのエクス・プロヴァンスにあるグラネ
美術館では、セザンヌが描き出したサント・ヴィクトワール山を「宇宙人」の
視点からとらえ返す試みを実践した。もちろんどのプロジェクトにおいても中
心的な役割を果たしたのは、中国古代文明が生んだ火薬である。このように美
術史と対話し、美術史を題材に作品を制作するプロジェクトは、蔡自身によっ
て「西洋美術史のひとり旅」と名づけられている。
おそらく「西洋美術史のひとり旅」で最も重要なのは、プーシキン美術館で
2017年に行なわれた《十月》展である。そこで蔡國強が邂逅したのは、少年期
に自身が学んだ社会主義リアリズムだった。特に大きかったのが、
コンスタンティン・マキシモフの再発見である。1950年代に中国にわたり、
2年ほど北京中央美術学院で教鞭をとったマキシモフは、中国の油絵の命運に
大きな影響を与えた。幼少期に中国で絵画を習った蔡は、みずからのうちにマ
キシモフからの影響を感じ取ったのだろう。折しもモスクワは十月革命の100
周年を迎えていた。プーシキン美術館での実践は、社会主義の外側では忘却の
淵に追いやられた社会主義リアリズムへのオマージュと探求に費やされたと言
っていい。ロシア語で書かれた「インターナショナル」を火薬を用いてシルク
に定着させた《音声》、またクレムリンの赤の広場で行なった《十月 赤の広
場での昼花火》は、そうした蔡の姿勢を象徴している。
赤の広場でのプロジェクト、またマキシモフの墓地への訪問、そして故郷の泉州
の山に解放軍が彫った巨大な毛沢東像の拓本を取る試み。それらを記録した映像
作品が《October The Unrealized Century十月 いまだ実現していない世紀》
である。
『運行と帰来』に収録された文章で清華大学教授の汪暉は、ドキュメンタリー
《十月》をはじめとする蔡國強の試みを、エイゼンシュタインが
《戦艦ポチョムキン》で実践した社会主義的な「前衛」に比すべきものとして
評価する。汪によれば、中国を出た後に日本からニューヨークへ、そしてヨー
ロッパへと蔡は移動を繰り返したが、その底流には社会主義国である中国への
思いが持続し続けていた。日本で行なわれた《宇宙遊》展とは異なり、ここ
では芸術家・蔡國強の起源は中国に据えられる。
《十月》の前には人だかりができていた。人混みをかき分けて観た《十月》の
中の蔡國強は、まぎれもなく中国の「文化自信」の体現者として存在してい
た。日本で紹介されている蔡とは、まるで違う人物のようにも感じられた。こ
うした姿を眼にすると、西欧の美術史を火薬を用いて再検討する試みも、現代
美術の隘路を打破しようとする芸術的な実践というよりも、政治的な意味合い
が濃厚なプロジェクトであるように感じられてくる。西欧の美術の正統を中国
古代文明を象徴する火薬で爆破し染め上げていく行為は、欧米に代わって普遍
的な存在たらんとする中国の意志を表象しているとも解釈できるからである。
国家的な儀礼で活躍する芸術家は、現政権が主導する「特色ある社会主義」と
矛盾することなく共存する。
2人の蔡國強がいる。日本の蔡、中国の蔡。こうした蔡國強をどのように考え
ればよいのだろうか。いかなる解釈をも可能にする蔡の作品のふところの深さ
を評価することもできるだろう。状況に合わせて作品を提示するしたたかさに
感心してもいい。他方で、変わり身の速さを機会主義的だと批判することも可
能である。とはいえ、日本で展覧会をするのなら、観客を呼び寄せるために日
本とのかかわりを強調することも、中国で展覧会を開くのなら、イデオロギー
を尊重することも当然である。芸術は政治と資本の力学の間で生起する。重要
なのは日本や中国で提供される情報を鵜呑みにするのではなく、それを相対化
する別の視点を求め続けることだろう。この時代、受容者ものんびりしてはい
られない。芸術に癒やされている場合ではない。芸術の秋は忙しい。
芸術?
日本に留学している学生から写真が送られてきた。熱海で行なわれた花火大会を
見に行ったらしい。花火を美しく撮った写真を見ながら、これを作った無名の
花火師が芸術家と呼ばれずに、北京オリンピックで花火を打ち上げた蔡國強だ
けがなぜ芸術家と呼ばれるのか、そんな問いが浮かんできた。現代における芸
術家と職人の差は何なのか。おそらくその差異にも、政治と資本の力学が関与
している。少なくとも、すべての芸術が党の宣伝として位置づけられている国
にあっては、芸術を「純粋」に楽しむナイ ーブさは禁物である。
【本文中で言及させて頂いた本】
『蔡國強 宇宙遊 〈原初火球〉から始まる』(美術出版社、2023年6月)
『運行与帰来』(北京日報出版社、2021年7月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。 2018年からは上海の大学に勤務
しています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知っ て、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
配信が大変遅くなり、読者の皆様を始め、著者の方、また、本のメルマガの関
係者の方々にご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。心よ
りお詫び申し上げます。今後はもっと気を引き締めて制作させて頂きます。ほ
んとうにすみませんでした。
15日号の著者である、吉上恭太さんが新刊を出されました。
『ぼくは「ぼく」でしか生きられないー役に立たない”人生論”』かもがわ出
版刊 9784780312997 1870円税込 。
「若い人のために」というテーマを編集者にもらい、「結果的に半生を振り返
るエッセイ集となりました」と吉上さん。メルマガでもそうですが、そばで顔
を見ながら話しているような、そんな親密な、でも押し付けがましくない、
吉上さんならではの恭太節が心地よい一冊です。とかく、成功や失敗に振り
回されがちですが、生きていくってことは、ひとつひとつ時を重ねてその時々
に思ったり感じたりしたことの積み重ねなだ、と吉上さんの本を読んで改めて
気づきました。まだ、途中ですが、結果や効率でなく、したくないことはしな
い、なぜしたくないかをよく考える、それが大切なんだと思います。
イベントなどの予定も今後ご紹介していければと考えています。よろしくお願
いします。 畠中理恵子
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★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 第146回 野心のない初発性―谷川俊太郎『楽園』(トゥーヴァージンズ)
★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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★【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
→ しばらくの連載です
★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです
★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ インタビュー先、募集中です!
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第146回 野心のない初発性―谷川俊太郎『楽園』(トゥーヴァージンズ)
谷川俊太郎は現在日本で最も著名な詩人だろう。1952年に21歳で刊行した詩
集『二十億光年の孤独』(三好達治の序文つき)は大反響を呼び、国語の教材
としても使われ、今や古典の扱いを受けている。その後、『定義』(1975)や
『コカコーラ・レッスン』(1980)のような実験的な詩集を出したり、「鉄腕
アトム」などの歌詞(1963)を書いたり、『ことばあそびうた』(1973)のよ
うな絵本を作ったり、と多彩な活動を繰り広げて現在に至っている。もちろん、
「スヌーピー」の翻訳者としても有名である。そんな谷川俊太郎は今91歳だ。
91歳という年齢は、自身の過去を振り返る年齢だと想像するが、その振り返り
を他者が促すこともある。
トゥーヴァージンズから刊行された『楽園』という写真集+詩集は、「1950
年代に撮ったフィルムが捨てられずに残って」いて、「編集のOさんがこれを
今の人たちに見てもらってはどうかと言ってくれた」ことがきっかけで編まれ
たという。谷川俊太郎は『SOLO/ソロ』(1956)などの写真集もある写真家の
顔も持っている。写真集を出すということは、写真家としてやっていくという
野心を伴っている。ただ好きで撮る、趣味で撮る、のとは違う。写真が谷川の
多彩な活動の一つであることは間違いないが、ここに収められた写真は発表の
あてもなく何十年も机の引き出しにしまわれていたものである。つまり、写真
家としての野心はここにない。
「lost&found」と題された写真作品のパートには、初めて手にしたリコーフ
レックスという二眼レフカメラで撮ったモノクロの写真が収められている。
「ファインダーを覗くと目の前の光景が額縁に収まった一枚の絵のように見え
て嬉しく、手当たり次第になんでも撮っていた」とのことだ。確かに身の回り
のものを撮った写真が多い。最初のページの写真は鏡に映った自分を撮ったも
ので、いわゆるカメラ目線ではなくやや上向きである。セルフポートレートを
撮り慣れていない様子だが、それだけに若い谷川の無防備な表情が印象的だ。
多くを占めるのは家族や親しい人、道ですれ違った人を撮った写真。記念写
真風のものもあるが、思いがけない角度、仕草、瞬間を切り取ったものもあり、
ドキリとさせられる。海辺で大勢の子供たちがブランコに乗っている写真は、
少し遠くから撮ることで、不思議な世界の出来事のような雰囲気を醸し出す。
薬缶から湯を注いでいる年配の女性の写真は、その真剣な眼差しに、注ぐ行為
への集中がよく表れている。斜め上の方向を見つめている若い女性を撮った写
真は、大きく映った影の形が面白い。
身近な動物である犬を撮った写真はファンタジックでまるで絵本のようだ。
窓枠に前足をかけてこちらを覗き込む犬はまるで人のようであり、後ろ足で頭
を掻く犬は気持ち良さが伝わってくる。庭で片足を上げて小便をしている犬と
それを見守る数匹の犬、彼らの仲の良さが浮かび上がってくる。
器物を撮った写真は写真表現そのものへの関心をダイレクトに示している。
吊るされた鍋、ひび割れたコンクリートに嵌められた電源のスイッチ、闇の中
にすっくと立つサイダーの空き瓶、書斎の薄闇に浮かぶ埴輪の頭の置物など。
これらの写真は趣味で撮る写真とは趣きが異なる。ファインダーを通して未知
の世界を探索してやろうという、尖った意識なくしては撮れない写真だ。自分
を空しくしてカメラが見たいようにモノを見る。送電塔の写真は上半分が途切
れており、送電塔としての機能を外した、細長い鉄の塊としての即物的な感触
を伝えてくる。
「shuffle」と題された詩のパートには、デビュー前とはいえ、写真よりも
作家性を感じさせる作品が収められている。後に『二十億光年の孤独』に収録
された詩もある。谷川が詩を書き始めたのはカメラを手にした頃とほぼ同時期
で、高校の同窓であった、後に児童文学作家となる北川幸比古に刺激されたと
ころが大きかったという。「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かと
んでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい」(「かなしみ」)、
「遠くの国で物のこわれる音がして、/幾千万のちりぢりの会話が/終日僕を
苦しめる」(「合唱」)、などは、若い作者のナイーブな心情を「おとし物」
「こわれる音」という意外性のある言葉で巧みに表現している。「陽は私を若
い神のように化粧させた」(「谺」)は、戦前のモダニズム詩の洒落た言葉遣
いに影響を受けたものだろう。
「一九五一年一月」という詩は、「少女」「博士」「乞食」「原子爆弾」
「機械」などによるモノローグを集めた詩で、「原子爆弾」は「呪いのみが私
を支える/無知と傲慢とが/ひとつの法則を畸型にする/そこからすべてがひ
びわれてくる/やがて無が茸の形をして/一瞬宇宙を照らすだろう」とある。
時代への鋭い批判、文明批評的な視点が見られ、「荒地」グループの田村隆一
の詩に近いテイストが感じられる。この批判精神は散文詩「午の食事」にも見
られる。「お祖父さんもお母さんも妹も、そうして失われる時もみんな一緒に
午の食事をしたためる。蝶がとぶ、爆撃機がとぶ、いかなる並木道を歩いたか。
感傷におぼれず働くことのみ喜ぶ人も、病気で星雲のことばかり思っている人
も午の食事に席を列ねる」と、平和な光景の中に不穏なものを抉り出す手つき
が生々しく、印象に残る。ナイーブな抒情詩の枠から踏み出す、大人の詩人の
思考が動いている。
写真も詩も、谷川俊太郎が作家として世に出る前に創作されたものである。
詩の方には幾らか凝った表現を目指す意思が感じられるが、全般として、野心
よりも、カメラや言葉といった表現手段への初々しい興味が先行している。こ
れを素人(アマチュア)の作品と言うことはできない。素人というのは、プロ
への憧れを心に内に宿したまま、プロに近づこうとはせず、趣味として表現を
完結させようとする人たちのことだ。しかし、プロフェッショナルな芸術家の
作品という感じもしない。「プロ」は、大衆を満足させて対価に見合ったクオ
リティの作品を提供する人たちである。後年の谷川俊太郎の仕事は、大衆を満
足させながら自己の関心事を突き詰め、自分を更新していく点で、「プロ」の
名にふさわしいものであろう。
しかし、この『楽園』に収められた写真や詩は、素人でもプロでもない、一
個人としての興味を素直に表現の形にしたものだ。対象や素材、手段と楽しく
遊ぶことに夢中になっている姿が記録されている。その遊び方には独自の作法
があり、拘りがある。これらの作品を味わっていくと、谷川が若い頃から数多
くの文学・芸術作品に触れていたことがよくわかる。先行する作品を知らない
と作れないような技法がそこここに目につくからだ。しかし、それは土台であ
るに過ぎない。ハイブロウな芸術作品を作ることに興味はなく、若い命に根差
した感情の奔出に身を委ねている。ただただ瑞々しい。ページをめくるごとに、
野心のない表現の初発性に打たれることになるのだ。そして初発性こそが芸術
の出発点であることに、改めて気づかされるのである。
*谷川俊太郎『楽園』(トゥーヴァージンズ 本体10,000円)
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その85『アガサ・クリスティー自伝 下』
アガサ・クリスティーの自伝を読み始めた時、この食いしん坊のお嬢さんは
いつお料理を覚えたのだろう?と疑問に思った。というのは、彼女は裕福な家
柄の出で日常生活はすべて召使が担っているからだ。お料理はジェーンという
専任の料理人が一手に引き受けていて、アガサの母は何もしない。もちろん子
供はみな台所に入りびたるものだから、アガサもお料理をする様子は眺めてい
たかもしれないが……。
さて、アガサは第一次世界大戦直前に、アーチボルト・クリスティという航
空隊に入る予定の若い下級将校に出会い、ひとめぼれされる。そして、彼女の
方も恋に落ちる。彼にはまだ生活できるだけの余裕がなかったために、二人の
婚約期間は一年半にも及んだ。そこへ突然戦争が起きたのだ。アーチーは戦場
へと去り、アガサは篤志看護隊に入り病院での勤務に就いた。時たまの休暇で
会うだけの生活が続いていたある日、クリスマスの休暇で戻ってきたアーチー
は今すぐ結婚しようと言い出し、アーチーの実家のあるブリストルで二人きり
の結婚式を挙げてしまう。いかにも戦時下という感じがする結婚だが、そうい
う時代だったのだと思う。双方の家族も最初は驚いたが祝福してくれたという
から。けれど、二人が本当の結婚生活を送るようになるのは、戦争が終わる少
し前のことだった。アーチーが静脈洞のため飛行機に乗ることができなくなり、
ロンドンで後方勤務に就くことになったのだ。
ロンドンのアパートで二人の生活が始まったのだけれど、この時代には召使
いなしでは暮らしていけない。そこで、軍隊時代のアーチー付きの従卒が仕え
てくれることになった。この人は元貴族の従者だったというから、完璧な執事
だったらしい。でも、さすがに料理人は雇えなかったようだ。
アガサはアパートの家主から、新鮮な魚の買い方やオレンジの見分け方を習
ったという。そして、軍の配給でアーチーが持ち帰ってくれた巨大な肉を家主
にも分けて調理方法を教わった事によって、その後はこの家主が料理を引き受
けてくれることになったのだ。軍人はお肉を食べられただろうけれど庶民には
配給されなかったのだろう、こんな肉はアガサにとっては三年ぶりだったとい
う。そんなおこぼれのある軍人家族の料理を引き受けた家主の心境は想像でき
る。本格的な料理は彼女がして、朝食や夜食のような軽い食事をアガサが作っ
たらしい。
アガサも料理学校に通ったことはあって、ジャムのパイやビーフ・プディン
グを作ったことはあるが、それは問題外だったと書いている。確かにパイやプ
リンは日々の食事ではないものなのだろうけど。でも、ビーフ・プディングっ
て何なのだろう?プリンというと甘いものと思う我々日本人にとっては謎の食
べ物でしかないので、少し調べてみた。このプディングとは、お肉を混ぜ込ん
だプリンのことではなく、肉料理の添え物のプディングで、「ビーフ・プディ
ング」とは「ローストビーフのヨークシャプディング添え」という名の料理の
ことなのだった。これはイギリス人の日曜日のお昼の定番というから、これが
作れなくては主婦としてはまずいから、まず料理教室で習うのだろう。このプ
ディングの作り方は、型に小麦粉(薄力粉)と卵、少量の食塩を牛乳と水で溶
いて作った生地を流し込み、オーブンで焼くというもの。味は甘くはなく、ふ
わふわでもっちりとしたシュークリームの皮のような感じの食べ物で、グレイ
ビーソースなどのお肉にかけるソースをつけて食べるらしい。料理の基礎の基
礎として、アガサはとにかく、これだけは作れたのだろうけれど、毎日が日曜
日ではないのだから普通の料理も作れなくてはならないし、まして戦中ならば
大変だったろう。
ようやく戦争が終わると、侯爵や伯爵たちからの熱烈なお誘いがあったのか、
完璧な執事の従卒は一瞬で姿を消したらしい。戦後アーチーは金融業につき、
娘ロザリンドが生まれる。そして、戦中に書いて、いろいろな出版社から断ら
れていた『スタイルズ荘の殺人事件』が出版されることになり、その後徐々に
小説でお金を受け取ることができるようになる。
ところで彼女が小説家として生活するには、やはり家事を受け持つ人が必要
だった。でもまず、住み込みの保母がいなければ書く時間は得られない。よう
やくサイトという若い保母を雇えたのだが、食生活は相変わらず大変だったよ
うだ。サイトもアガサも、お互いに料理ができないのでそれぞれの得意料理で
補い合ったと書いている。
<私はチーズ・スフレ、ベアネーズ・ソース、昔ながらの英国流シラバブなど
が作れ、サイトは小型のジャム・タルトが作れたし、イワシの酢漬けもできた>
アガサの得意料理は、乳製品ばかりのようだ。ここに挙げた「シラバブ」と
は、昔は飲み物だったもので、現代はデザートとなった料理だという。16世紀
ごろ発祥のこのシラバブは、白ワインやりんご酒などに牛乳や生クリームを混
ぜた飲み物だったそうだ。今はカステラや砕いたビスケットなどの上に、砂糖
や白ワイン、ブランデーなどを入れた生クリームを泡立てたものをのせたもの
をそうよぶらしい。アガサはどっちを作ったのだろう?生クリームを飲むのが
好きだったから飲み物の方かもしれない。
アガサは小説家として収入を得られるようになっていき、ゴルフ狂になった
アーチーの好きな土地に「スタイルズ荘」と名付けた一軒家を買い、夫婦者の
召使を雇って住むことになる。けれど、この後、アガサは浮気したアーチーか
ら離婚を突き付けられて謎の失踪事件を起こしてしまい、二人は別れることに
なるのだ。
この後、アガサの自伝にはあまりおいしそうなものは出てこない。でも、あ
る伝記には、若き考古学者と再婚した後の様子が描かれている。夫と共にチー
ムを引き連れて行ったイランの発掘現場で、現地の料理人に、イギリスから持
ってきた缶詰や現地で手に入る水牛の乳等を活用して料理を指導していたとあ
る。アガサは水牛の乳の生クリームと木の実でクリーム入りのエクレアを作り、
料理人にブリキの箱を利用してチョコレートスフレを作るやり方を教えたとあ
る。それにしても、お菓子ばかり。しかも砂漠の真ん中でスフレとは……。こ
の卵の白身を泡立てて焼くお菓子は膨らまなければだめになり、食べる方もし
ぼむ前に食べないといけない面倒なお菓子だ。スフレがぺしゃんこにしぼんだ
りすると料理人は「わたしをつねってください、マダム」と言って謝ったとあ
る。何か現実離れした不思議な食卓が目に浮かぶ。
悪い奴は捕まって必ず罰を受ける。小さな恋は成就する。だから、ほっとし
て本を閉じられる。そんな優しいお決まりの探偵小説だけでは飽き足らず、奇
妙に死の香りが濃いミステリーや人生の殺伐とした側面をまじまじと見せる普
通小説を書かずにはいられなかったアガサ。きっと実生活の苦々しさも作品の
中で消化できたのだろうと思いたい。
ネタバレかもしれないが、どうも彼女の仕組んだ毒は飲み物の中にあること
が多いような気がする。あなたが贅沢なホテルの喫茶室で薫り高い紅茶茶碗を
手にしたとき、あるいはおしゃれなバーで背の高いカクテルグラスやワイング
ラスを渡されたとき、その中を覗き込んで、そこにあなたをあの世に導く毒が
一滴入っているかもしれないと想像してみるのも面白いかもしれない。グラス
を手にしたまま倒れたあなたの周りに、思いがけないドラマが展開していくの
だ……。
でも、ゆめゆめ誰かのグラスに本物の毒を入れたりしないように。アガサの
描く探偵が、必ずあなたを捕まえてしまいますからね。
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『アガサ・クリスティー自伝上下』アガサ・クリスティー著
乾信一郎訳 早川文庫
『アガサ・クリスティーの生涯』 ジャネット・モーガン著
深町真理子・宇佐川晶子訳
早川書房
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
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第3話 工事再開、そしてクラファン成功
二〇〇二一年三月九日(火)友引
しんさんが再来。積んであったブロックや砂セメントを撤去。オリジナルの
風呂を創るのではなく、ユニットバスを入れる方向で検討している旨を伺う。
管理組合からは、いつまで工事しているのか、という声も上がっているよう
だが、実質、工事はストップしているので、そんなことを言われても困るとい
うもの。
工事再開の見込みは立っていない。
東京の業者が来て勝手なことをして、という田舎特有の反発心もあるのでは
ないか、とは、おみつさんのお父さまの説。
二〇二一年三月十三日(土)友引
工事は進まないが、とりあえず機動力ができたこともあり、次の段階として、
近所のトランクルームを借りて、東京のレンタルオフィスを解約し、荷物を運
んでくることに。
調べると、今すぐ借りられるのは大きめサイズのところで、四月初旬から小
さいところが借りられるとのこと。借りるタイミングで安く運搬できるサービ
スもある、ということなので、とりあえず、現状の荷物を運んでもらい、四月
にオフィスの荷物と合わせて整理し、小さいサイズに移動するという二段構え
の作戦を取ることに。
二〇二一年三月十六日(火)大安
オンラインセッション漬けの一日。良い隙間時間に運送業者二名が来て、山
積みの段ボール箱を倉庫に移動。プロの仕事が気持ち良い。作業費二万三〇〇
〇円也。
二〇二一年三月二十六日(金)先負
オンラインの深夜ラジオに出演してくださったゲストの方が、構造計算の会
社にお勤めということで、個人で構造計算を出すといくらぐらいかかるのか、
と尋ねる。というのも、管理組合から、構造計算を出せ、と言われたらしいの
で。プロの意見では、個人で構造計算を出すなんてありえない、ということ。
管理組合の嫌がらせか?
二〇二一年三月二十七日(土)先負
あまりにも物事が進まないので、東京出張のついでに、大塚にいらっしゃる
除霊師みたいなカウンセラー、 Dr.K に相談。私に取り憑いていた物事を噛み
合わなくするモノが部屋に憑いて、いろいろ邪魔をしているということで、遠
隔退治してもらう。翌日の午後には消えているとのことですので、急遽、宿を
取り、翌朝まで東京に滞在することに。
二〇二一年三月三〇日(火)先勝
実家から持ってきた自転車のタイヤの空気がいよいよ入らなくなってきたの
で、大家さんに訊いて、近くの自転車屋さんに。もともと自動車を処分した父
が乗るためにと買ったのだが、父は自転車に乗ったことがない、と乗らないま
まだったので、私が乗っていたのだが、タイヤが小さくて乗りにくいと感じて
いたので、この際、と思って下取りに出して新しい自転車に買い替える。快適
になった。
二〇二一年四月二日(月)仏滅
ふと思い立って、ほったらかし温泉に。思わず揚げ玉を購入。味はまあまあ
かな。途中の道がぐにゃぐにゃでアクロバティックだった。
二〇二一年四月五日(月)先勝
オフィス引っ越し当日。クロネコヤマトの引っ越し便。前回の引っ越し屋同
様、きちんと見積もったにも関わらず、また、入りきらないと言われる。一体、
日本の引っ越し業界はどういうモデルで稼いでいるのか。
とにかく本が多い。追加料金を支払うことを了解して運び出してもらう。
二〇二一年四月七日(水)先勝
パーソナルスタイリストとの最後のセッションとして、都立大学の高級和食
懐石料理屋でランチ。オーナーこだわりの内装の中で、お料理とお酒をいただ
く。ランチなのにめちゃめちゃ高くてびっくりした。
ただ、空間的にかなりインスパイアされたので、そのイメージを活かすこと
にしたいと、メンバーに伝える。以下、そのメッセージ。
「まず、具体的な大きな変更点としては、風呂おけ不要、シャワーのみ設置、
としたいと思っています。近くに安い温泉がたくさんありますし、お客様の利
用の心理的ハードルを下げるためのアイデアです。また、基本的にコインラン
ドリーを使用とし、洗濯機は無くす、という方向で考えたいと思っています。」
これで水回りの工事はかなり楽になる予定。
二〇二一年四月十二日(月)先負
トランクルームにオフィスからの荷物を入れてもらう。家具類は新しく借り
た小さい方に入れてもらい、机と本棚を設置。書籍については前から借りてい
るところへ積んでもらう。今月末までに整理して移動させなければ。
二〇二一年四月十五日(土)赤口
知人に勧められ、山中湖のペンション・モーツァルトへ。とにかく書籍やア
ンティークがあふれる不思議な空間。音楽家や作家などが集まる場所だったよ
うで、登場している小説が飾ってあった。
夕食は主人の手によるフレンチ。なんとなく言い出せず、ノンアルで終える。
あまりに疲れていたのか、爆睡してしまう。
帰り際、主人に、釈迦堂遺跡博物館の見学を勧められる。
二〇二一年四月十八日(日)先負
ニトリのすのこベッドが届く。これで布団に布団を重ねて寝る生活から解放
される。
二〇二一年四月十九日(月)仏滅
関係者でオンラインミーティング。方針の変更。これまで風呂を作ることを
想定していたが、価格も高いし、来客も入りづらいということで、シャワーブ
ースのみ、に変更。これによって管理組合への書類を通りやすくする、という
ことに。
二〇二一年四月二十日(火)大安・穀雨
倉庫の整理。やや筋肉痛。
二〇二一年四月二十五日(日)仏滅
倉庫の整理。荷物の移動が完了し、大きな倉庫については鍵の返却手続きを
行う。
二〇二一年五月四日(木)先負
休みということもあり、おみつさんがゴマチさんとミカさんを連れて来訪。
おみつさんのお父さまのお仕事はジュエリー加工業で、近くの温泉に寄ってか
らみな、会社を見学に行って目を輝かせていた。
二〇二一年五月六日(木)先負
今、出している工事申請について、修正依頼があると、なぜか管理人に伝え
られる。
・配管収まり図
・間取図の空白部分を記載
・例えば、弾性床を使用する等。仕様を明確に示してほしい
そのまま、しんさんに伝える。実際には空白の部分は何も決まっていないの
だが。
二〇二一年五月二十五日(火)大安
工事再開の許可が下り、だいたいの方針が固まったので、再度、ミーティン
グ。費用が第一次基礎工事までで尽きてしまうので、残りをクラウドファンデ
ィングで集めるべく、経験豊かな、海士町のON氏に教えを乞う。
ON氏曰く、このメンバーでこの内容なら絶対に集まります、とのことで、
一同、勇気づけられる。
ただし、クラファンの表には私ではなく、おみつさんが立った方が良い、と
いうアドバイスにより、クラファンのオーナーはおみつさんということに決定
する。
明日、管理組合確認で、二十八日から基礎工事着工が決まる。やっと。
二〇二一年五月二十八日(金)友引
工事再開。まずは大工仕事から。動画を撮影し、写真を撮りながら工事の様
子を収めていく。なかなか、そういう機会はないそうだが、究極のノンフィク
ションだし、ユニークなコンテンツだと思うのだが。もったいない。
二〇二一年五月二十九日(土)先負
ゴマチさんが愛犬とともに再来。倉庫に納め切れていない、生活用品を見事
に棚に収納してくれる。こういう収納は得意だし好きなのだが、今の仕事でこ
の能力を使う場面がないのだという。もったいない才能だ。
ともかく、これで工事現場が拡大しても、対応できるようになった。
二〇二一年六月一日(火)赤口〜四日(金)先勝
基礎工事の続き開始。床を貼り、リビングと洗面所を分ける壁が立ち上がる。
続いて、洗面所部分の床板も貼られていく。
二〇二一年六月七日(火)赤口
第一回クラファン・ミーティング。略してクラミー。心配そうなおみつさん
に対して、あくまでもポジティブなON氏。そのおかげで返礼品も前向きにい
くつか出てきて、全体的に良い感じの雰囲気になる。
これから工事を始めます、ではなく、もうすでに初めてしまってお金があり
ません、の方が集まりやすいということで、ちょうどよいタイミングだとON
氏。なごむ。
二〇二一年六月一〇日(金)大安
電気工事の仕上げが入る。当初、電気は予算を絞った結果、天井に電灯のス
イッチをつけるよ、と言われていたが、現場の職人さんが、こっちの方が便利
だよな、とおっしゃって、壁際にスイッチをつけてくださる。現場力、ありが
たい。
LANケーブルも書斎の方に引き直してくれて、これで仕事がしやすくなっ
た。ありがたい。
二〇二一年六月一二日(土)先勝
床ができたということで、メインメンバーの初めての集合。室内キャンプ。
クラファンのための写真撮影も兼ねている。皆がめいめいにキャンプ用品を持
参し、快適な空間に。
メンバーの一人が、恵比寿の解体現場から洗面所のシンクをもらってきてく
れたので、大工さんの置いていった材料を少し拝借して洗面台を作ることに。
排水が詰まっていたのでかなり苦労したが、何とか設置完了。引っ越して来て
半年、これでやっと文明的な水道ができた。
夜はホットプレートを引っ張り出してきて、皆で焼き肉。まさにキャンプ気
分。夜中におみつさんが酔っぱらって、カラオケをすると言い出し、男ども全
員でテレビとスイッチを寝室から運び込み、BOOMの歌などを歌う。夜中に
ピンポン鳴らされる。うるさかったらしい。
二〇二一年六月一五日(火)仏滅
甲府駅に行く途中にあるアンティークショップを見に行くと良いと、しんさ
んに言われていたので、立ち寄ってみる。店主は不愛想に見えて、実は話し好
きのようで、頼んでも居ないのにいろいろしゃべってきた。今、引っ越しして
きてリフォーム中であることを伝えると、娘が市役所の移住課に居るので相談
してみたら、とアドバイスをもらう。
二〇二一年六月二十一日(月)仏滅・夏至
マイナンバーカードの申し込みに行くついでに、市役所の移住課に連絡して
みる。受付時間が迫っているというので、階下に降りてきてくれる。近くのア
ンティークショップで教えてもらったというと、やや不満そうだった。
移住してきたら、もう移住課の担当じゃないとおっしゃりながら、農業に興
味があるので、相談できる相手がいないかと尋ねると、別団体のSさんを紹介
してくれる。
二〇二一年六月二十八日(月)大安
クラファンスタート。最初の設定金額は、二百五十万円。滑り出しは順調。
二〇二一年六月二十九日(火)赤口
本日は、いよいよシャワーブースの設置。クラファンの成功を見込んでの基
礎工事二期、ということになる。設置後、明日は脱衣所まわりの床と壁を貼っ
て基礎工事の完成となる。いざ設置完了してシャワーをひねってお湯が出た際
には、男三人だが悲鳴を上げて喜んだ。
左官屋一名来て、最も難易度が高いと言われる天井左官をやっていただく。
二〇二一年七月三日(土)仏滅
今日からクラファン返礼品としてのワークショップを開催。今回は左官ワー
クショップ。要するに、壁をしっくいで塗り塗りするのを手伝ってもらう、と
いう話だが、それでも楽しみに複数の方が集まってくださった。
まずはしんさんによる養生の説明。塗らない範囲をしっかり養生しないと、
綺麗に仕上がらない。
結局、二日かけて、リビングの壁をほぼほぼ塗り終る。
二〇二一年七月九日(金)仏滅
先日、紹介してもらった市の農業支援の施設御担当のSさんにお話をお伺い
に行く。農地を借りる場合、一反で年間二万円くらいが相場だそうだが、やは
り農業経験が無い方に貸すのは農家さんが心配する、とのこと。農業経験って
何かと尋ねたところ、実際に農家に入って働くことだそうで、なかなか現実的
には仕事を捨てないと難しそうである。
クラファン、二百万円達成。
二〇二一年七月二十日(火)仏滅
クラファンの初期目標であった二百五十万を達成し、プラス百五十万に目標
をアップデートする。
二〇二一年七月二十四日(土)友引
左官ワークショップ続き。ここのところ、二時間程度左官をして、その後、
温泉に行って食事をして、というのが習慣になっている。
今回はおみつさんのご実家に立ち寄り、新鮮な野菜を収穫させていただく。
ゴーヤもキュウリも大量に収穫できた。
二〇二一年七月三十一日(土)赤口
クラファン終了。結果的に二〇九名の方にご支援いただき、四一七万二千円
集まる。これで二期工事が完了できそうな目途がついた。
(つづく)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net
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■あとがき
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配信、またまた遅くなりました。(あ)
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【連載】………………………………………………………………………………
★「散慮逍遥月記」 / 停雲荘主人
→ 今月はお休みです。次回にご期待ください。
★「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
→ 第171回 大震災とロマンスと
★「本棚つまみ食い」 / 副隊長
→ 手つかずの「原生」の島
★「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
→ 第16回 ルフィが寿ぐ「一帯一路」
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第171回 大震災とロマンスと
今年は1923年9月1日に起きた関東大震災から100年になる。死者10万人、
29万戸以上の家屋が失われた。ぼくが子どものころは、まだ関東大震災を体験
した人が生きていて、その恐ろしさを教えられてきた。ぼくたちの世代は子ど
ものころから、地震の恐ろしさを教えられて育ってきたんじゃないか。ぼくは母
方の祖母から、地震の話を聞いたことがある。それは、恐ろしかった記憶とと
もにロマンスの話でもあった。
なんでそんな話になったのか、いまではよく覚えていないが、おそらく思い
出話を聞いているうちに祖父とのなれそめを話すことになったんだろう。
「おじいちゃんと初めて会ったのは、大地震の日だったんだよ」
祖母はとくに恥ずかしがるでもなくたんたんと話をしてくれた。
大正12年9月1日、祖母は津田英学塾の夏期講習会で仲良くなった同級生の
家をたずねていた。家は新宿の柏木にあった。同級生とは、内田田鶴子といっ
て評論家、翻訳家、小説家・内田魯庵の次女だった。
当時のことを祖父・巌が『絵画青春記』に書いている。以前、少し紹介した
本だけれど、祖父と祖母の出会いと関東大震災のことを書いてみたい。
昼時でライスカレーを食べていると、突然の地震があった。「たいしたこと
はないだろう」とそのまま食べていると、いきなり天井からドサッと土くれや
埃塵が落ちてきてライスカレーはめちゃくちゃにされた。時計が落ちる。隣の
台所の茶碗が一時に壊れる。屋根瓦が崩れだす大変なことになった……。
大震災に遭いながら、のんびりしているなあ。こんなところに祖父・巌の
人柄が現れている。
そのときだった。
よろめきながら一人の少女が入ってきた。「吉居静子だ」巌は咄嗟に感じる。
これが祖父・巌と祖母・静子の出会いだった。まるでドラマのような、少
女小説のような出会いだ。『絵画青春記』を読むと、静子は田鶴子に田鶴子の
兄が画学生と聞いて興味を持っていたらくて、しきりに紹介してほしい、とい
っていたようだ。田鶴子はそのことを手紙で巌に知らせていた。巌もまんざら
でもなく、静子がどんな少女か想像していた、と書いている。
そうだ、地震の話だ。
「安政以来だ、安政以来だ」と叫びながら魯庵が転がるように二階から降りて
くる。
家中の人間が次の室のタンスのかげにいつのまにか集まってじっと身を縮め
た。静子も妹・田鶴子も泣いている。16歳の田鶴子、10歳の茉莉子、7歳の恵
美子、6歳の穆、いつか二人の女中も集まっていた。地震が少しゆるやかになった
とき、それっという魯庵の合図で皆、庭へ飛び出して、いちばんすみの5坪ば
かりの芝生へ集合した。そこに近所に住んでいた大杉栄が長女魔子の手を引い
て逃げてきた。
当時7歳だった恵美子が「魔子ちゃんとはよく遊んだわ」と懐かしそうに話
していたのを思い出した。大震災の混乱の中、大杉栄は伊藤野枝とともに甘粕
正彦憲兵大尉ら憲兵に連行されて殺害された。
巌が大杉栄の眼を「鋭いが好きな眼だった。輝いているが人を探るような感
じや、人を戒めるような威厳が持っていなかった。強く鋭いが澄んでいた」と
書いているのが印象的だった。
火事が数カ所に起こり、不思議な雲がむくむくと東京の空を覆っていた。次
から次へ地震の惨事が伝えられ、避難者の群れが往来を通っていった。
魯庵に命じられて、巌は静子を千駄ヶ谷まで送っていった。その道すがら二
人は話し込み、巌はすっかり静子のことが気に入ったようだ。歌人だった祖母
は少女のころから歌を作って『婦人の友』へ毎月投稿していた、と書いてある。
若山牧水の選に入ったこともあったらしい。村山知義の絵が好きだったとも。
静子さん、このころからモダンな絵が好きだったんだな。中学生のぼくをイヴ
・クラインやベン・シャーンの展覧会に連れていってくれた人だ!
「別れを告げて早足で小さな辻を曲がったが振り返ってニッコリ笑って、おじ
ぎをしてさらに速度を早めるように駆け去った」なんてまるで昔の青春映画
じゃないか。やるなあ、お静さん。これで巌さんのハートを射止められてしま
ったようだ。
未曾有の犠牲者を生んだ悲惨な大震災だったが、この日がきっかけとなって
祖父と祖母は恋に落ちた。悲劇のかげで生まれたロマンスだった。そしてこの
日、ふたりが出会わなければ、ぼくはこの世にいなかったかもしれない。
17歳の静子さんに会いたかったなあ。
『絵画青春記』は、震災後の混乱が書かれている。読んでいると地震の恐ろし
さよりも、被災後のデマによる民衆の暴力や社会主義者に対する憎悪のほうが
恐ろしかった。
「2日午後には朝鮮人襲来のデマや社会主義者に対する警報が飛んだ」とある。
余震が続き、内田家は相変わらず庭の芝生で過ごしていた。大杉栄もやはり
内田家の庭を訪れていた。
巌が焼け野原になった東京の様子を「ローマの廃墟を見るようだ」と話すと
大杉は声を立てて笑ったという。
その大杉には襲撃の噂が立っていた。
刀を持った自警団が物々しく横行していて、家から一丁ばかり離れた理髪店
の主人は国粋会員だった。そこに集まっているごろつきどもが大杉一味の家を
ぶち壊して、社会主義者を皆殺しにしろと言っているから気をつけろ、と小説
家の安成二郎が青くなって報告に来た。
こんなふうに国粋主義者たちが作った自警団に狙われてはいたが、大杉自身
は町内で編成された自警団に参加して、いっしょに見回りをしている。
ある日、魯庵と巌が家の角に立っていると、「これをご覧なさいません」と
夕刊を差し出す婦人がいた。優しく甘い静かな声だった。
「魔子ちゃんのお母さんだよ」と魯庵が紹介する。女アナーキスト伊藤野枝だ
った。あまりに女らしい婦人だったことに巌が驚いている。
「大杉も自警団で忠実に立っていますのよ」と野枝は多少自嘲的にいった。青
白い黄昏の光に浮かんだのは明るい顔だった。きめこまかい豊かな笑顔、太っ
た首筋に真っ黒な多い髪を無造作に束ねていた。
急に大杉栄と伊藤野枝の姿は近所に見えなくなった。「大杉は憲兵につかま
って殺された、明日発表だ」と魯庵のもとに報告があった。
その日も魔子は庭で遊んでいた。新聞社の写真班が魔子の写真を撮った。魔
子はいつも7歳の同じ年の恵美子のところへ遊びに来ていた。
恵美子さんが「『絵画青春記』は読んだの? 面白いわよ」といってい
たのを思い出す。
巌は「今も声を上げて泣いている父の姿、泣きながら二階に駆け上がった父
を覚えている」と書いていた。
「大杉は芸術家だった、ソシアリストではない、大杉は芸術家なのだ」と
父・魯庵はいうのだった。
今年は関東大震災から100年ということで多くの本が書店に並んでいた。読
みたかった『福田村事件 −関東大震災・知られざる悲劇』(辻野弥生 著
五月書房新社)は売り切れでまだ入手していない。
書店では『聞き書き・関東大震災』(森まゆみ 著 亜紀書房)と『関東大
震災と流言』(前田恭二 編著 岩波ブックレット)を購入したのだが、なん
とコロナを発症してしまって寝込んでしまった。残念ながらまだ読んでいな
い。
みなさん、コロナにはくれぐれもご注意を!
◎吉上恭太
文筆業。エッセイ集『ときには積ん読の日々』はトマソン社では品切れ中。
kyotayoshigami@gmail.comにお問い合わせください。
翻訳絵本『あめのひ』『かぜのひ』は徳間書店から、
『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』はすずき出版から出ています。
セカンドアルバム「ある日の続き」、こちらで試聴出来ます。
https://soundcloud.com/kyotayoshigami2017
タワーレコード、アマゾンでも入手出来ると思いますが、
古書ほうろう(https://koshohoro.stores.jp/)、
珈琲マインド(https://coffeemind.base.shop/)で通販しています。
よろしくお願いします!
ブログを書いています。『昨日の続き』https://kyotakyota.exblog.jp/
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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鳥になってどこかへ飛んで行ってしまいたいと思う今日この頃ですが、私はぺ
ンギンが好きなので鳥になったところで飛んで行けそうもありません。どうし
たらいいのでしょう?それはそれとして、今回はこちらの本です。
『無人島、研究と冒険、半分半分。』
川上和人、東京書籍、2023
川上和人さんはNHKの番組等にもよく出演される鳥類学者の方ですね。今回
の無人島のお話も放映されていたので記憶に残っている方もいらっしゃるか
と思います。
さて、無人島というのは日本に数多くありますが、本書に出てくる無人島と
は南硫黄島のことです。小笠原諸島の父島から南へ約60キロにある島で、
北硫黄島・硫黄島・西之島と共に火山列島を構成する島です。
この南硫黄島ですが、ほかの離島とは違う特徴を持っています。それはこ
れまで人間が定住したことがなかったため、ネズミなどが入り込んでおら
ず、原生のままの生態系が維持されていることです。同じ火山列島でも
北硫黄島・硫黄島は過去には人が定住し、産業が営まれていました。このた
めどちらの島も人間の侵入によりもともとの自然が変化してしまっています。
(ちなみに西之島は最近の噴火で自然がリセットされてしまいました。)そのた
め現在でも南硫黄島は立ち入りを厳重に制限されています。
そんな場所は日本中を見回してもなかなかないわけで、これは鳥類研究者とし
てもぜひ訪れたい場所となるわけです。(私も行ってみたいですけど。)が立ち
入り制限について許可をとったとしてもそれは並大抵のことではないのでした。
そもそもなぜ今まで人が定住してこなかったのかといえば、ひとえにその地
形のかと険しさがあります。周囲が7.5キロ、半径1キロ程度の小さい島である
にもかかわらず、最高標高は916メートルという高さを誇ります。海から円錐
型の山頂だけがぽっかり姿を現したような姿をしています。頂上かは海辺近く
まで断崖が下りてきていておよそ人が住めそうにありません。
この島にも上陸して貴重な自然の調査をするには、調査団は好天の日狙って
ゴムボートで波に洗われながら上陸、さらに険しい山を登って調査地へ行か
なければなりません。川上先生もこの日のためにクライミングや水泳のトレ
ーニングをしています。さらにこの日の調査行で外来種を島に持ち込まない
ため、持ち込む荷物の外来種対策も徹底的に行われました。
実際荷物の島に着いてみると浜辺の岩礁に張ったテントが夜になると潮が満ち
てきて浸水し、落石のきけんがある断崖の方へ移動しないといけなくなった
り、いきなり冒険の色が濃いものになります。さらにプロの登山家が作った
ルートを登って、山頂方面に移動するわけですが、本書の写真からもその道
のりの険しさが伝わってきます。
一方でめったに来ることのできない島でいろいろなことを調査できる、研究者
の人たちの雰囲気の高揚ぶりも伝わってきます。夜になり、世界でこの南硫
黄島でしか繁殖していないクロウミツバメの大群が巣に戻るため、雨あられと
空から降ってくるのを(文字通り)体で受け止めることができて川上先生も実に
楽しそうです。
しかし意外にもこの巣に戻ってくる際の荒っぽい着陸で死んでしまうクロウミ
ツバメもいるといいます。大量の海鳥の楽園は、同時に大量の海鳥が死んで
いく場所でもあるわけですね。またその死体を食べていく生き物もいて、島の
生態系が回っていくわけですが。
また南硫黄島のシマハヤブサのエピソードは、南硫黄島の自然を語るときにつ
きものの「原生の状態」というものを考えさせます。戦前に南硫黄島の調査で
確認されていたシマハヤブサという猛禽類は今は絶滅していまっています。川
上先生はこの鳥は北硫黄島・硫黄島・南硫黄島に生息していたものの、北硫黄
島・硫黄島では人間の進出により絶滅、その影響を受けて(島の面積的にも)
小集団だった南硫黄島のシマハヤブサは集団を維持できず絶滅したのだろう
と述べています。
人間が南硫黄島のシマハヤブサには一切手を出していなくも、間接的に絶滅
に追い込んでしまうということもあるということで、生態系の移ろいやすさ
を強く感じさせます。
ところでこうした人間の影響の加わっていない島があると、同じような条件で
ありながら人の手の入った島というものも気になってきますね。
川上先生は南硫黄島の調査のあと、北硫黄島へも調査へも赴きます。北硫黄島
は先述したように、かつては人が定住して牧畜が行われたり、それと共にネズ
ミが入り込んだりして、自然の生態系が人間の手で撹乱されてしまった島です。
もちろん調査行入り込んだり南硫黄島と同じくらい大変で、夜中に何かがどこ
かで崩れる音を聞きながら眠らないといけなかったりと、地形も厳しいので
すが、そこに広がっている自然の姿が印象的です。
北硫黄島の山頂部には森林が広がっていました。これは一見すると豊かな自
然が広がっているように見えます。しかし南硫黄島の山頂部には森林はありま
せん。大量の海鳥が踏み荒らしてしまうため木々が育つことができないから
です。北硫黄島の山頂部に広がる森林はネズミによって一部海鳥が絶滅に追い
やられることによって出現することのできたものなのでした。
ネズミが海鳥を絶滅させると森林ができる。生態系のひとつが変化する連鎖的
にどんどん変わっていくのだということを実感します。
最初の南硫黄島調査団は2007年のことでしたが、川上先生は10年後の2017
年の調査団にも加わっています。するとそこで大幅に地形が変わっていて、
海鳥の分布も変化していたのでした。当然人間の手が加わらなくても生態系
は日々変化していくわけですね。
もちろん、どうせ変わっていくなら生態系を守らなくてもいいということはあ
りません。生物の生態系の複雑さについて思いを巡らす一方で、人間の魔の手
を逃れてきた南硫黄島のユニークな生物たちの営みと(研究者たちの悪戦苦闘ぶ
りを)ぜひお楽しみ下さい。
◎副隊長
鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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■ 「揚子江のほとりで書呆子」 / 旦旦
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第16回 ルフィが寿ぐ「一帯一路」
2016年の8月末のことだったと思う。私がまだ西安にいたときのことだ。9月
から始まる新学期の少し前、勤務していた大学の運動場は軍服姿で埋め尽くさ
れていた。新入生たちが軍事訓練をするためだ。中国の大学では軍事訓練は
必須の義務となっている。しかし軍事訓練の時期が終わると、運動場は色とり
どりの服を着た学生の憩いの場となる。たらたらジョギングしている学生もい
れば、芝生に寝っ転がって歓談している学生もいる。軍事訓練の時期が過ぎて
から、新学期が始まるギリギリにはじめて中国にやって来たアメリカ人の外国
籍教員は、その光景を眼にして、オーマイガーという感じに手を振り上げて、
英語で私に語りかけた。この様子をオバマに見せてやりたい、これこそ自由だ、
真の自由は中国にある。
慣れてしまえば気にならないけれど、たしかに中国の運動場の様子は異様であ
る。Gパン姿でランニングするのは当たり前。ジャケット姿やスーツ姿も散見
される。革靴で走るのならまだマシな方で、ビーチサンダルで結構なスピード
を出して走っている者もいる。これは何も授業後の余暇の時間だけのことでは
ない。体育の授業のときであっても、GパンにGジャン姿で参加する学生も
いる。もちろん運動着姿の学生もいるが、眠そうな顔をしている寝間着姿の学
生がいても、誰も驚かない。体育の先生も何も気にすることなく授業をしてい
る。自由の国からやって来たアメリカ人の教師にとっても、その光景はあまり
に自由過ぎるものに映じたのだろう。
ネクタイを締めると息苦しくなる私にとって、中国は天国である。服装につい
てのコードがほとんど存在しないからだ。授業のときはもちろん、学会に出る
ときも、他大学で講演をするときも、ネクタイは締めなくてもいい。夏だった
らTシャツにジャケットを着ていれば、十分フォーマルに見えてしまう。暑か
ったらTシャツに短パン、サンダル姿で教室に行っても問題にならない。上層
部からは一応「先生らしい身支度をすること」というお達しはあるが、西欧人
のお硬い先生以外にネクタイを締めてスーツ姿で授業に来る先生はひとりもい
ない。私がネクタイを締めたのは、日本領事館が主催するパーティーに招待さ
れたときと、領事の夕食会に招待されて領事館に赴かざるを得なかったときの
2回だけである。
しかし今、中国で服装が結構な話題となっている。9月1日に「治安管理処罰
法」の修訂草案が発表されたからだ。草案が公にされたのは、広く国民の意
見を募るためである。その第34条の修訂草案が、インターネットやSNSで
なかなか激しい議論を呼び起こしている。
議論の的となっているのは、草案の第34条の(二)と(三)だ。以下の
内容に違犯すると、5日以上10以内の拘留、もしくは1000元(約2万円)以上
3000元(約6万円)の罰金が課せられることになる。罪状が重いと判断された
ら拘留は10日以上15日以内となり、罰金は5000元(約10万円)以下となる。
(二)公共の場で、もしくは他人に強制して公共の場で、中華民族の精神を損
なったり、中華民族の感情を傷つけたりする服装やマークを着たり、身につけ
たりすること。
(三)中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけたりする物品も
しくは言論を制作、放送、顕揚、散布すること。
こうした修正案が出されるに至った経緯において重要な役割を果たしたのは
「和服」だった。昨年8月10日、蘇州の「日本風情街」で和服を着た女性が警
察に連行される事件が起こった。今年の6月13日には杭州で、日本文化を愛好
する若者が和服姿でデパートに入ったら、ガードマンから出ていくように言わ
れ、言い争いが起こり、最後に
は殴打されるに至った。また9月6日には「漢服愛好者」が唐代の服を着て武漢
の公園で写真を撮っていたら、唐服を和服と勘違いした係員に「和服を着て公
園に入るな」と見咎められ、インターネットでちょっとした騒ぎになった。
和服あるいは和服に近似した衣服を着た若者を咎めたり連行したりした警察や
係員が着ていたのは、西洋式のズボンにシャツの制服であり、決して中国式の
中山服などではなかった。そもそも街中において中国風の衣装を着ているのは、
それこそ「漢服愛好者」くらいで、旗袍を着た女性もパーティーでたまに見か
ける程度である。
それゆえこうした事件で考えなくてはならないのは、中国において「和服」
が持っている記号性である。侵略戦争時の記憶を呼び起こし、「中華民族の
精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけたりする」特権的な記号として認
知されているからこそ、和服は問題視されたのである。もちろんこうした事件
の背景はさまざまに分析可能だ。警察や係員に
対する思想教育がいかに徹底したものになっているのかを見て取ることができ
よう。彼らの忖度の意識を指摘してもいい。若者に対する歴史教育の不徹底さ
を嘆く愛国主義者の声があることも、わが国の「新しい歴史教科書をつくる会」
の主張を想起すれば、支持するか否かは別にして、あり得ることだと理解する
ことはできる。インターネットやSNSの掲示板などに寄せられた多くの声と同
様に、好きな衣服を着る自由の権利に対する侵害であると、憤ることも可能で
ある。
しかし「治安管理処罰法」の修訂草案第34条には、「和服」という文字は記さ
れていない。とすれば、「中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を傷
つけたりする」はいくらでも拡大解釈される可能性が出てくる。しかも公開さ
れたのは公に意見を募る修訂草案である。それゆえ草案には多くの反対意見が
寄せられることとなった。道徳的な問題と法律上の問題の混同ではないかとい
う疑義、精神や感情を損なったり傷つけたりしたことをどのように実証するの
かという問題提起等々。公に議論することが認められると、理性的な議論が狂
信的な声を圧倒する。むろん無頓着にさえ見えかねない衣服の自由を享受して
きた中国人にとって、着るものにまで束縛が及ぶのは我慢のならないことでも
あったにちがいない。
それにしても、「中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけた
りする」ことに対して、なぜこれほどまでに敏感でなくてはならないのか。
「中国の夢」という目標を実現させるためには、「中国特色社会主義」が
「進む道に対する自信」、「理論に対する自信」、「制度に対する自信」、
「文化に対する自信」がなくてはならないからだ。「自信」があって、はじめ
て「中国特色社会主義」の実現に邁進することが可能となる。もちろん真の意
味で「自信」があるのなら、法律など制定する必要はない。公共の場に和服が
現れようと、確固とした「自信」があれば問題とならないはずだ。しかし
「自信」は、「中国特色社会主義」と同様、建設の半ばにある。それゆえ
「自信」の喪失につながる「中華民族の精神を損なったり、中華民族の感情を
傷つけたりする」ことは,禁じられなければならないとみなされたのだろう。
新中国成立70周年に当たる2019年に「如何看中国[どのように中国を見るの
か]」という叢書が外文出版社から刊行された。「出版前書」によれば、中
国共産党が建設しようとしている中国を中国人に理解させることよりも、外国
人に理解させることを目的とした叢書であるのだが、すべて中国語で書かれて
いる。英語版などが存在するのかどうかは確認できていない。その叢書の1冊
に『中国為什麽自信[中国にはなぜ自信があるのか]』がある。副題は
「如何看中国特色社会主義[どのように中国独特の社会主義を見るのか]で、
作者は北京師範大学マルクス主義制度理論研究センターの主任兼マルクス主義
学院の教授の徐斌である。
徐斌はソ連が解体し、共産主義の実現を目指す運動が危機に陥った時代状況を
ふまえた上で、中国共産党がいかに独自の道を進み、「中国特色社会主義」を
実現しようとしてきたのかという歴史的経緯を第一章で簡潔にまとめる。その
上で、第二章では改革開放によって市場経済を導入した「特色」ある社会主義
を説明し、第三章では現体制が作り上げた「特色」ある社会制度を称揚し、
第四章で「中国文化 中華民族の精神的な動力」を概観した後に、最終章の
第五章で「中国の智慧」に満ちた世界に向けての中国からの提案で締め括られ
る。中国共産党の歴史や政策にかかわる基本的なキーワードの説明もトピック
として取り上げられており、外国人を意識した叢書の1冊ではあるが、「思想
教育」の教科書としての体裁も兼ね備えている。
しかし同書を読んでも腑に落ちないのは、中国の「自信」の拠り所である。
一貫しているのは、「特色」があるから「自信」を持っていいという論理な
のだが、外国人である私には説得力がない。「自信」について積極的に論じ
られているのは文化を扱った第四章、とりわけ「価値観の自信 文化に対する
自信の根本」と題された節であるのだが、簡単にいえば、中国共産党が作り上
げた価値観は素晴らしいから、その価値観を根本に据えた文化も素晴らしいと
言っているに過ぎない。ここにあるのは、素晴らしいものは素晴らしいという
トートロジーのみである。
同書の第一章は「中国道路、大国崛起的富強之路」となっている。共産党に率
いられた中国が、大国への道を歩んでいく歴史的経緯を説明する章を概括した
タイトルである。ここに「崛起」という言葉が使われていることが私の気を引
いた。そびえ立つ、そそり立つといった意味を有する単語なのだが、近年は
「偉大」な大国としての道を歩む自国を表すときに用いられることが多い。こ
うした流行の言葉を時流に乗って用いるのか、それとも峻拒して思考を練り上
げるのか、その差は決して小さくない。時流に棹さすのか、それとも距離を取
ろうとするのか、それは倫理の問題でもある。
〈最近、急速に膨張(私は「台頭」〔原語「崛起」〕という言葉は好まない)
してきた中国が直面する重大な問題の一つは、中国とアジアと世界が文化、
政治、経済の上でいかに共存するかということである。〉
大部な3冊本『中国思想史』の著者として知られる歴史家の葛兆光が、
『中国再考』の序章「「中国」の歴史的成り立ちとアイデンティティの混迷」
の冒頭部に記した言葉である。『中国再考』は2021年に完本版が岩波書店
から出版され、また代表作のひとつである『宅慈中国』も、『中国は“中国”な
のか 「宅慈中国」のイメージ
と現実』というタイトルで2021年2月に東方書店から出版された。
その葛兆光が2021年11月に四川人民出版社から刊行した『到后台看歴史卸粧
[舞台裏でスッピンの歴史を見る]』は、時流と一線を画す歴史家の練り上げ
られた思考を楽しむにはうってつけのエッセイ集である。現代中国を代表する
詩人である北島に請われて書かれた文章であるためなのか、書物には襟を正さ
ずにすむ親しみやすさが漂っている。みずからの家系について書いた「福州黄
巷葛家」も収められており、葛兆光というすぐれた歴史家を生んだ土壌の一端
も知ることができる。枕頭の書として欠かすことのできない1冊だ。
その本に収められているエッセイのひとつが「什麽文化?如何中国?[何が
文化か?どのようにして中国か?]」である。「中国文化の復興」というタイ
トルで発表を求められた葛兆光は、中国経済が「崛起」し、中国文化が「復興」
する方途を話してもらいたいという主催者の願望を汲んだ上で、「中国文化」
とは何かをアイデンティファイすることは難しいと疑義を呈し、さらには
「中国」とは何かという根本的な疑問を提起するに至る。2014年という日付が
末尾に記されているエッセイは、今こそ読まれるべきものとして存在する。
いわゆる「中国文化」とは、ひとまず漢族を中心とした文化であり、漢字を基
礎にした文化であり、儒教・道教・仏教が組み合わさった文化であり、陰陽五
行説による「天人合一」を世界観した文化であるなどと定義することができよ
う。しかし、と葛兆光は続ける。たとえば宋代や明代以来の文化を中国のアイ
デンティにするのであれば、支配者が漢族ではなかった元代や清代の歴史は中
国のアイデンティティの基礎とはならないことになる。それはまた現政権が清
代の広大な版図を中国の領域と主張していることとも矛盾をきたす。漢字にし
ても、現代の中国語で使われている文字や単語、あるいは語法は元代や清代
の口語の影響をかなり受けており、また民国時代に提唱された白話文によって、
伝統的な書き言葉との乖離は大きくなった。こうした歴史的事実に鑑みれば、
「中国文化」は「複数性」を有しており、そもそも「中国」そのものが「複数
性」を有した概念なのである。しかし「伝統」や「国学」を声高に主張する者
たちは、それら「複数性」を「単数性」に還元して、粗雑な議論を繰り返して
いるだけだ。時流に向けられる葛兆光の批判は鋭い。
〈アイデンティティという言葉を使うのは簡単だが、こと中国に使うに至って
は、複雑な様相を呈することになる。それゆえ中国について議論するときに最
もいいのは、歴史における中国、政治における中国、文化における中国を区別
して考えることである。さもなければ「アイデンティティ」、「国土」、
「民族」、「宗教」といった扱うのが難しい問題を処理することができなくな
ってしまう。当然のことながら、何が中国の文化なのかも、どのような中国文
化を復興すべきなのかも、アイデンティティの基礎となる文化が結局のところ
何なのかも明らかにすることはできなくなるのである。〉
自国を寿ぐ狭量なナショナリズムに対して、「多様性」や「複数性」を強調
して批判することは、「リベラル」な意見として日本では手垢にまみれたもの
にも映じかねない。しかし今の中国にも、こうした言論を公にする知識人が存
在し、またそれを出版する出版人が存在することは忘れてはならないことだと
思う。「リベラル」と単純化されかねないこうした議論を、日本で発表するの
と中国で発表するのではわけが違う。とんでもない勇気が必要である。「現在
の中国はすでにして多民族国家であり、それゆえ我々は中国文化の複数性を絶
対に認めなければならないのである」。「中国文化」から排除されたり周縁化
されたりしかねない異民族の文化を葛兆光はまるごと肯定する。厳しい言論環
境の中で自国の言説に向けられたそのエッセイは、まさしくクリティカルな意
識に貫かれている。
9月15日の夜、上海交響楽団音楽ホールに出向いた。現政権が提唱する「一帯
一路」の10周年を記念するコンサートである。曲目は趙麟の《度》、朱践耳の
《絲路夢尋》、兪極の《絲路頌》と、すべてシルクロードをテーマに中国の作
曲家が作曲したものだ。めったに聴くことができない曲ばかりなので、私はい
そいそと地下鉄に乗ってホールに向かった。
いつものように乗り換えのために人民広場駅を降りると、髪の毛を紫やピンク
に染めたコスプレ姿の若者が闊歩している。うずまきナルトの髪型をバッチリ
再現して悦に入って歩いている男の子もいた。映画《THE FIRST SLAM DUNK》
が大ヒットしたためなのか、『SLAM DUNK』を真似したバスケットボール
のユニフォーム姿の若者も見かけた。ホールに着いて荷物検査の列に並んで
いると、すぐ前の女性が着ているTシャツが目に入る。ハートマークの
コム・デ・ギャルソンのTシャツだ。席に着こうとすると、私の席に麦わら
帽子が置いてある。チケットを確かめて、すぐ隣の男性に問いかけると、あ、
ごめんごめんと麦わら帽子を自分の膝の上に移す。着ているTシャツには
『ワンピース』のルフィがデカデカと印刷されていた。
「一帯一路」を寿ぐコンサートに、こんなTシャツを着てきたら、「中華民族
の精神を損なったり、中華民族の感情を傷つけたりする」ことにならないのか。
ちょっと心配になったが、目に焼き付いたルフィは、勇ましい革命歌のメロ
ディーを主軸に辺境の少数民族の音楽をまぶした楽曲を、ほどよく相対化する
効果を発揮してくれた。
とはいえ少数民族の音楽を周縁化し、共産党を中心とした中国に組み込むこと
をわかりやすく表象する3曲目を聴いていると、さすがに息苦しくなってき
た。赤いネッカチーフを首に巻いた小さな子どもは、大喜びで革命歌に合わせ
て指揮のまねをしている。革命歌には小学校低学年を興奮させる要素が内在し
ているのか、それとも子どもにもすでに「紅い遺伝子」がインプットされてい
るせいなのか、そんなことを考えながら聴いていると、すぐ隣からいびきが聞
こえてくる。1曲目と2曲目はうつらうつらという感じだったが、3曲目になっ
てルフィは、電池が切れたかのようにぐっすりと寝入っていた。膝の上の麦わ
ら帽子はしっかり手で抑えられている。ルフィにとっては、何にもまして麦わ
ら帽子が大切なもののようだった。
【本文中で言及させて頂いた本】
徐斌『中国為什麽自信 如何看中国特色社会主義』(外文出版社、2019年8月)
葛兆光『中国再考 その領域・民族・文化』(辻康吾監修・永田小絵訳、
岩波書店、2014年2月)
葛兆光『到后台看歴史卸粧』(四川人民出版社、2021年11月)
◎旦旦
2015年9月から中国の大学で働いています。2018年からは上海の大学に勤務し
ています。専門は一応日本文学です。中国に来て以来、日本に紹介されてい
ない面白い本や映画がたくさんあることを知って、専門とは関係のない本を読
んだり映画を見たりして過ごしています。
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■ あとがき
毎々遅くなっていましたが、今号はとんでもなく配信が遅れてしまいほんとう
に申し訳ありませんでした。ひとえに編集人の責任です。みなさまに心からお
詫び申し上げます。
畠中理恵子
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★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その84『アガサ・クリスティー自伝 上』
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情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。
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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その84『アガサ・クリスティー自伝 上』
アガサ・クリスティーの推理小説にはおいしそうな食べ物がたくさん出てく
る。もちろんその中には「毒」が入れられた不穏な食べ物もいくつかある。で
も、たとえ毒入りであっても、思わず食べたくなるようなおいしそうな食べ物
が出てくるのが困りものなのだ。けれど、それについて語ってしまうと、物語
が推理小説だけに種明かしになってしまうのが惜しいところだ。
例えば、ミス・マープルが見事な推理能力を披露する『火曜クラブ』という
短編集に出てくるデザートのトライフル。ガラスのきれいな器にカステラを薄
く切ってジャムを塗って並べ、カスタードクリームを乗せ果物を乗せ、さらに
緩く泡立てた生クリームを乗せ果物を飾り、その上に……。
あぶないあぶない。これ以上語ってはネタバレになってしまうのでやめにし
よう。作り方はいたって簡単。カステラさえあれば、面倒なのはカスタードク
リームを作ることぐらいで、これも卵や牛乳やコンスターチという常に台所に
あるもので作れてしまうのだから、このお菓子はふだんの食事のデザートと言
っていいだろう。そんなものに不穏な役目を負わせるのがアガサ・クリスティ
ーは本当にうまい。その他にも美味しそうなものが物語の中に山ほど出てくる
から、専門の料理本が幾冊も出ている。(ただし毒抜きの作り方です。)
ということは、やはりアガサ自身もとてもおいしいものが好きだったに違い
ない。彼女の自伝に掲載されている写真を見ると、子供の時は丸顔だけれど体
はやせていて、若いころは全体にとてもほっそりした体形をしている。けれど、
四十台あたりからはふっくらしていき、いかにも食いしん坊な体形になってき
ている。そこで、今回はそんな食いしん坊で推理小説の中においしいものを書
き込んでいる彼女が、その自伝の中で語る食べ物を見ていきたいと思う。
まずは幼年時代だが、彼女は海辺の保養地として名高いトーキーという土地
に生まれ、年の離れた姉と兄がいる一家の末っ子として生まれた。家は裕福で
父親は投資家ということで何も仕事を持たなかったが、実は一代で財を成した
祖父の財産で暮らしていて、その財産は運用を任されていた者たちによってみ
るみるなくなりつつあったのだ。だから、広い家に住んでいたがそれほどたく
さんの召使に囲まれて育ったわけでもなく、馬車も持っていなかった。でも、
素晴らしい料理人に恵まれていて、その晩餐会には、トーキーを訪れた有名人、
キプリングやヘンリー・ジェイムスなどもやってきたことがあるらしい。
彼女の幼年時代の物語は上下巻のほぼ四分の三以上が、子供時代の思い出に
満ちている。何しろ出だしから「幸福な子供時代」を持ったと語りだしている
くらいだから。
アガサは、自分はとても食いしん坊だったけれど、がりがりだったと話して
いる。ヴィクトリア朝末期の女の子というと、部屋に閉じこもって刺繍などさ
せられて全然運動などしないような気がしていたのだが、考えてみれば広大な
庭を備えた家にいれば否応なくよく歩くわけだし、車もまだそう普及していな
い頃ならば、馬車がないならひたすら歩くしかないわけだから、今の子供たち
よりよっぽど運動量は多かったに違いない。アガサはおとなしい子にみられて
いたが、実はとても活発な子だったらしい。末っ子で姉や兄は寄宿学校に行っ
ていたので一人きり。広い庭を走り回って自分の考えた遊びで楽しんでいたと
いう。それじゃあ、たくさん食べなくちゃね。そこで、自伝の中にはいかに自
分がよく食べたかがたくさん語られている。
彼女の家にはジェーンという素晴らしい料理人がいて、一日の食事は、たっ
ぷりの朝食で始まり、十一時にはココアの時間となり、できたてのロックケー
キと干しブドウ入りの菓子パン一皿か温かいジャムペストリーが出された。そ
のあと昼食、そして夕食には必ず五品の料理が並んだという。そのすべてが、
たった一人の料理人ジェーンの腕で毎食作り上げられていたのだ。さらに、大
ディナーパーティーになると、彼女は十二人前以上もの料理を作り上げるのだ。
そんなある日のメニュウは以下のようなものだった。コースの中で、お客が
二種類の料理が選べるようにもしてあって、実に手が込んでいる。
ポタージュかコンソメ。
煮たヒラメか切り身のカレイ。
シャーベット。
羊の腰肉。
マヨネーズあえのイセエビ。
デザートはプディング・ディプロマティックとロシア風シャルロット。そして、
果物。
これだけの量を食べるほうもなかなかだと思う。パーティ料理にはヒラメな
んだろうけれど、実はアガサはヒラメよりサバが好きだったらしい。海のそば
で育った女の子らしくて、ちょっと親しみがわいてくる。まあ、これは大人の
パーティ料理だから、どちらにしろアガサは食べられなかっただろう。けれど、
そんなとき子供部屋に寝かされていたアガサのところに乳母用の夜食が届けら
れると、ばあやは必ず汁気たっぷりのステーキを一口味見させてくれたらしい。
子供にとっての真夜中のステーキの味は、どうだったろうと想像してしまう。
そして、レアのステーキは彼女の大好物となったようだ。
それでは実際にアガサが食べた御馳走を見てみよう。それは、姉マッジの嫁
ぎ先であるワッツ家の住むアブニー邸でのクリスマスの御馳走だ。アブニー邸
は巨大なゴシック建築の屋敷で、大食漢の天国だったとある。二時に始まるク
リスマスディナーのメニュウは以下の通り。
カキのスープ。
ヒラメ。
茹でた七面鳥とローストした七面鳥。
大きなサーロインのロースト。
六ペンス銀貨や指輪やいろんな形のビスケットを埋め込んだトライフル菓子。
プラム・プディング。
クラッカー。
ブドウ、オレンジ、プラム。
様々な種類のチョコレート。
その後のお茶の時間には、すごく大きな冷たいクリスマスケーキとそのほか
のケーキ。
そして夕食は、
七面鳥の冷肉と温かいひき肉のパイ。
カキのスープとワインのきいたトライフルは苦手だったけれど全て平らげて、
同じ年頃の男の子と大食い比べを誇ったとある。このトライフルはたぶん大人
向きにカステラをワインに浸してから重ねていったのではないかと思う。
ここに挙げた素晴らしいクリスマスディナーの思い出は、ポワロの出てくる
短編『クリスマス・プディングの冒険』に書きこまれている。子供たちが駆け
まわるのにぴったりな広大な屋敷の様子やクリスマス・プディングを作るとこ
ろなどを読むと、アガサの幸せな幼年時代がうかがわれるようだ。この小説の
中のクリスマス・プディングに何が入っているかについては……。読んでから
のお楽しみとしよう。
さて、アガサといえば、デヴォンシャー・クリーム好きで知られている。こ
のクリームはアガサの住むイギリス南西部地方の特産で、クロテッド、つまり
固まったクリームのことだ。ジャージー種の乳牛の乳から作られるこのクリー
ムをケーキやスコーンにつけて食べる場面が、イギリス小説を読むと頻繁に出
てくる。アガサもこの自伝の中で「陶器のボールの中でミルクを煮立て、黄色
い上澄みが浮くのを層になって取り出した」「デヴォンシャー・クリームをパ
ンに載せて食べたり、そのままスプーンですくってたっぷり食べたりした。」
と、書いている。実はその掬ったクリームをまずは冷蔵してから云々と、デヴ
ォンシャー・クリームの作り方にはまだ色々工程があるらしいのだが、アガサ
にとっては子供の時台所の片隅で眺めた最初の場面が忘れられないのだろう。
そして一番の大好物としてあげるクリームについては、食べるだけではなく、
飲むという記述があって驚かされる。そう、アガサは「飲み物」としてのクリ
ームも好きだったらしい。仲のいい義理の姉妹のナンと「飲み友達」で、あっ
さりしたクリームや、牛乳とクリームを半々にした割ったものをよく飲んだと
ある。そして大人になってからも、乳製品製造所や自家農場に行って半パイン
ト(284ミリリットル)のクリームを買ってはよく飲み比べしたとある。さす
がに生クリームを「飲む」という行為はしたことがなかったので、この記述に
は驚いた。
今までに読んだアガサ・クリスティーの作品の中には、クリームに毒を仕込
んだり、生クリームを飲み干したりする場面はなかったように思う。大好物だ
から避けたのか、毒というものをよく知っているから使わなかったのか。多分
前者と思うのだけれど、とにかく今は、ふわふわに泡立てた生クリームをのせ
たケーキやジャムとクロテッドクリームを添えたスコーンなどを食べながら、
その方法についてじっくりと考えてみようと思っている。
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『アガサ・クリスティー自伝 上下』
アガサ・クリスティー著 乾信一郎訳 早川文庫
『火曜クラブ』 中村妙子訳 早川文庫
『クリスマス・プディングの冒険』 橋本 福夫・他訳
早川文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』他
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■【短期新連載】甲府移住日記 / 山梨カッパ
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第2話 工事は進まず、マイカーを手に入れる
二〇二一年一月一日(木)仏滅・元日
富士山に初日の出を拝み、近所の酒折神社で初詣。
知人のNさんとメッセージのやりとりをして、年明けに引っ越し荷物解体の
作業を手伝ってくれる予定だったのが、ご両親が、コロナの中で東京から行っ
て、逆に迷惑ではないかと怒られたという。いや、むしろ、こちらも埼玉から
の移住なので同じことだし、仏壇を組み立てられないのは何とも心苦しいので
手伝いに来て欲しい旨、メッセージを返す。すると、ご両親を説得できたのか、
三日に来ていただけることになる。やれやれ。
荷物のうち、机やカラーボックスを組み立てる。徐々に生活できるように持
っていく作戦。
困ったのが、水回りが無いこと。とりあえず、手洗いはウェットティッシュ
で乗り切っているが、身体を洗えないのは不快だ。
ネットで調べると、歩いて十五分くらいのところに銭湯が、しかも温泉がある
ことがわかり、出かけてみる。行くと、2日まで休み、とのこと。残念だが、
もう少しの辛抱だ。コンビニでフェイスシートと体を拭くシートを購入し、何
とかそれでしのぐことにする。
図書館も休み。徒歩五分のところにトランクルームを発見する。
Amazonから照明と飲料水届く。少しずつ、文明化。
二〇二一年一月二日(土)友引
遠方より友N、来る。嬉しい。
とりあえず仏壇の設置と、生活に必要な段ボールとそれ以外の段ボールの仕
分け作業を手伝ってもらう。ダイニングテーブルも組み立てを手伝ってもらい、
これでやっと机の上での作業ができるようになった。
たまたま実家に帰っており、これから埼玉に帰るというおみつさんも立ち寄
り、みそ汁とおにぎりの差し入れをいただく。嬉しい。帰りは甲府で最初にお
そばを食べた駅ビルのお店で夕食を取り、友人を見送る。
二〇二一年一月三日(日)赤口
Facebookで、山梨在住の知人から、スーパーオギノのポイントカードは早く
作った方がいい、とアドバイスされ、早速、作る。
二〇二一年一月四日(月)先勝
Amazonに注文していたキャンプ用お風呂が届く。今のところお湯が出ないが、
ティファールとカセットコンロでお湯を沸かしていつか入ろうと一応、組み立
てておく。
今日はいよいよ前に休業していた近所の温泉、都温泉に。いい感じのおじさ
んが番台に居たり居なかったりで、なんともいい加減な感じの温泉。お昼の時
間帯には人がほとんどいなかった。
帰りに何かを掘っている人がいたので、尋ねてみると、家を建てようとした
ら遺跡が発見されたので調査をしている大学の先生だった。この辺は商業を営
む家がたくさんあったが、空襲で埋まってしまったので、掘ると結構、江戸時
代からのものが出てくるとのこと。
帰りに湯冷めしたのか、ちょっと微熱が出る。やはり裸足にサンダルで外を
歩くのは辞めよう。
おみつさん、帰宅後、ぎっくり腰になったと連絡あり。
二〇二一年一月八日(金)大安
しんさんより工事の予定について連絡がある。
「十二日、生活区域と現場スペースの養生をしに伺います、
もしくは十三日早朝伺います
十三日から軽量ブロックを切ります、粉塵が舞います
土間左官作業も水で練る時に粉塵が舞います
相談
玄関背にリビング右手スペースが現場です、ベランダの前を作業スペースと
して使いたいです」
いよいよ工事が始まる。
二〇二一年一月十日(日)先勝
ティファールの湯沸かし器2台を使って、キャンプ用風呂に入る実験。計算
だと、百度のお湯と水を半々に混ぜれば、だいたい四十度ちょっとになるはず
が、沸かして入れるところと貯めているところで冷め切ってしまい、何回、沸
かして入れてもお湯にならない。
方針を変えて、風呂にふたをして、中の蒸気を温める作戦に。これがうまく
いった。
作業は大変だが、なんとか風呂に入れて満足。
二〇二一年一月十二日(火)先負
雪の中、しんさんが来訪し、養生を開始。いよいよ工事が始まる。
なんでも、年末から年始にかけて、しんさんは突然のぎっくり腰で動けなか
ったそう。聞くと、おみつさんも年明け実家から自宅に戻った翌日にぎっくり
腰になったとか。それでしばらく動きが無かったのだと合点した。
とりあえず、生活している人が居るところで基礎工事をするのは初めて、と
いうことで、生活空間と工事現場を切り離す養生をする、ということで、綺麗
に部屋の半分が区切られる。
とりあえず、工事はお風呂部分から開始されるらしい。「左官屋と設備給排
水の兼ね合いが上手くなく、工程を修正が出てしまいました。十三からの工事
が十八日からにずれ込みそうです」とのこと。
二〇二一年一月十五日(金)友引
しばらく部屋に風呂がつかないことが判明したのと、昨年からの不養生で太
ってしまったことを解消すべく、たまたま近所で見つけたパーソナルジムに通
おうと、とりあえずカウンセリングに訪れる。
出会って早々に、痩せるのは運動ではなく、食事で痩せるんです、と言われ
る。なんでも、タンパク質、脂質、炭水化物の摂取量をコントロールすること
で、自然に痩せられるらしい。
トレーナーの方に、「無くすなら、脂質と炭水化物のどちらが良いですか?」
と訊かれ、迷わず「脂質」と答え、それで食事の量を設計してもらった。幸い、
自炊生活を送っているので、コントロールは容易にできそうだ。
とりあえず週二回、シャワーのできる環境をこれで手に入れた。何とかプロ
グラム終了までの二月中には、お風呂が完成して欲しい。
工事の方は、今日は給排水の工事が行われる予定で水道屋さんが来ていたが、
予定していた配管ルートが不可能ということがわかったようで、設計変更とな
った。先に防水の工事をしてから配管を変更することになったらしい。
二〇二一年一月十八日(月)大安
お風呂の工事のため、左官屋さんが来てブロックやセメントを搬入。午前中
に搬入が終わり、午後から工事開始の予定であったが、そこで管理人が来訪し、
工事のストップが入る。
しんさんとしばらく管理人が話していたが、工事を中止することになった、
と伝えられる。
なんでも、おみつさんとしんさんで書いてマンション側に出していた工事の
申請書に工事の範囲を書く部分があるのだが、そこに、
・4LDK→2LDKに、LDK部分をひろげる
・その他クリーニング等
とだけ書かれていて、なんと、水回りの工事についての記載がなかったことが
判明。
お風呂の工事の許可が出ていない、ということで、改めて図面を提出して許
可を取らなければ、工事が再開できない、ということになってしまった。
なんということ!
ということで、とりあえずしんさんが左官屋さんに謝って帰ってもらい、今
日の工事は終了。
改めての再開は、二週間後くらいになるのではないか、というしんさんの見
立て。
とりあえず、水道屋さんにお願いして、お湯の出る水道を作ってもらう。お
湯も出るようになった。これぞ文明。生活水準の進化といっても過言ではない。
二〇二一年一月三十一日(日)赤口
今日は天気も良く、あまり風もないので、ベランダに設置したキャンプ用の
風呂に入ってみる。お湯をポリタンクで運び、入浴。露天風呂のようで、快適。
気持ち良い。
午後からは、自動車を見に行く。自動車を買うなら何を買ったらよいかと、
EMSの事務局のミーティングで話をしたところ、SUZUKIのジムニーが
良いのではないか、という話になり、いずれキャンプもしたいので最適だと思
っていたところ、高速近くにジムニー中古車専門店があるというので行ってみ
ることに。
なるほど、かっこいいと思ったが、実は、デザインがかっこいいのは古い車
種で、マニュアル車だという。最新型もかっこいいが、これは新車ディーラー
で一年以上も納品待ちの状態だという。
二〇二一年二月一日(月)先勝
朝のセッションを終えて、湯村の自動車学校へ。東京に住み始めたころから
だから、およそ一〇年以上も運転をしていなかったが、果たして運転できるの
だろうか、という不安から、ペーパードライバー講習を申し込みに。過去二週
間の間、山梨の外に出ていないか、というアンケート項目があり、なんでも、
出ている場合には運転できないという。別に外に出たら必ず感染するというこ
とでもあるまいし、マインドが鎖国だと思った。
コロナの影響で免許を取ろうとしている学生がこの時期多いらしく、予約が
取れたのが一カ月後だった。一応、チャレンジと思い、マニュアル講習を申し
込んだ。
帰りにバス停でなかなか来ないバス停で待っていると、先日、Web登録し
た中古車屋から、とりあえず登録のために来店して欲しいと電話がかかってく
る。まだまだ運転できるのは先になりそうだが、とりあえず、訪問することを
約束する。
二〇二一年二月七日(日)先勝
落ち着いて絵の描ける引っ越し先を探しているというHさんが来訪。とりあ
えず工事が進むと良いね、という話をして終わる。
二〇二一年二月十一日(木)大安 建国記念の日
突然、今日、訪問したいというメッセージを、タカさんからいただく。興味
を持ってもらえるのは嬉しい。
今日は中古車屋に最初の登録に行く約束をしていたが、電話してキャンセル
し、別日で予約した。
タカさんは近所の茨城料理やで夕食をご一緒し、終電で帰られる。工事現場
でありながら、居心地の良い空間だと思ってもらえたようだ。
二〇二一年二月十六日(木)大安
予約変更した中古車屋へ。身延線で国母まで出て、そこから歩く。道中、梨
畑があったが、立派な梨が収穫されなかったのか、ぼたぼたと打ち捨てられて
いて、もったいない、と思った。農家の皆さんと是非ともお近づきになりたい
ものだ。
ほぼ時間通りに店舗につき、ジムニーが欲しいということ、ただし、マニュ
アル車は不安なので、自動車学校で試してみる、という話をする。ただし、古
いジムニーも人気車種なので、なかなか出てこない、と担当者。
一応、検索してみる、ということで検索すると、かなり改造した一台が見つ
かる。状態も悪くない。登録されたばかりで、昨日、一度、誰かに購入されそ
うになったが、その方のローンが下りなかったという履歴が残っていた。価格
は想定よりもやや高いが、明らかに一点もので、しかもオートマ車。つまり、
前の持ち主は、新しいデザインのジムニーを古いデザインに近づけるべく、費
用を掛けて改造している、ということのようだった。
こちらも店舗の方も、今日は登録だけしてゆっくりと探す予定だったために、
どうしようかと一瞬、悩んだが、チャンスは今しかないかもしれない、という
ことで、即決。
いろいろできる範囲で、割引きしてくださるとのこと。やや予算オーバーだ
が、乗りたい、と思える車に出会えて良かった。もっと言えば、日程変更しな
ければ出会えなかったかもしらず、運命の出会いだったのかもしれない、と思
った。
岡山から運んできて、整備点検してから引き渡しとのことで、納車までに一
カ月くらいはかかるという。
帰りに電車の時間まで一時間くらいあったので、国母駅前の桜湯でひと風呂
浴びる。
国母駅から見える富士山と雲が神々しい。
二〇二一年三月一日(月)赤口
いよいよ自動車学校での講習。教官と約四〇分間、教習場内を指示された通
りに運転する。マニュアル操作は、最初こそはぎこちなかったものの、思った
よりもスムーズに操作できた。
ただ、マニュアルでの運転の場合、そこに意識が集中してしまい、とても周
囲の状況を見ながら運転などできない、ということがわかった。
ただ、運転できそうだ、という自信はついた。良かった。
二〇二一年三月七日(日)赤口
中古車屋から連絡を受け、マイカーを受け取りに。担当者はかなりこの車を
気に入ったらしく、「置いておいたらお客さんが注目していましたよ」とのこ
と。心配していた運転だったが、人生初ナビもうまく使えた結果、無事になん
とか家までたどり着いた。
これで機動力がかなり向上した。あとは練習あるのみ。
とりあえず、しばらくは初心者マークをつけて走ることにする。
(つづく)
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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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メールにて、インタビューを受けていただける著者の方、募集中です。
【著者インタビュー希望】と表題の上、
下記のアドレスまでお願い致します。
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■あとがき
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配信遅くなりました。(あ)
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