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[本]のメルマガ vol.686


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■■ [本]のメルマガ                 2018.07.05.発行
■■                              vol.686
■■  mailmagazine of books     [探偵らしい食事場面の始まり 号]
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『ヴィジュアルで見る 遺伝子・DNAのすべて:
 身近なトピックで学ぶ基礎構造から最先端研究まで』

キャット・アーニー著 長谷川知子監訳 桐谷知未訳
B5変型判 232ページ 本体2,800円+税 ISBN:9784562055784

遺伝子DNAの基本構造から「iPS細胞」「エピジェネティクス」「遺伝子編
集」まで最新の話題をフルカラーでクリアに解説した遺伝学の決定版!

■CONTENTS------------------------------------------------------------

★トピックス
→ トピックスをお寄せください

★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その25「探偵たちの食生活」<その二 ヴィク>

★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ ルポルタージュとしての絵画

★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです。

★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ インタビュー先、募集中です。

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■トピックス
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■トピックスをお寄せください
└──────────────────────────────────

 出版社の皆様、あるいは出版業界の皆様より、出版関係に関わるトピックス
(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。

 情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。

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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その25「探偵たちの食生活」<その二 ヴィク>

 アングロサクソンに比べて、イタリア人というのは美食家だといわれている。
そこで、イタリア人の母とポーランド系移民の父の間に生まれた、シカゴの探
偵ヴィクことV・I・ウォーショースキーの食生活を見てみよう。

 『サマータイム・ブルース』は一九八二年(邦訳一九八五年)から始まるこの
シリーズは、昨年『フォールアウト』が邦訳され、今のところ長編を十八冊、
短編集二冊を翻訳で読むことができる。
 
 『サマータイム・ブルース』で現れたヴィクは、シカゴの危険な地域に事務
所を持つ。夜の九時に現われた怪しげな依頼人とのやり取りをした後、彼女が
向かうのは事務所の裏にあるアーニーの店。そこで、サーロイン・ステーキに
ジョニー・ウォーカーの黒ラベルという夕食をとる。

 いかにも、探偵らしい食事場面の始まりだ。

 彼女の物語には格闘場面が必ずあり、この最初の作品の中でも前半にギャン
グに捕まって壮絶な暴力を受けるシーンが展開する。もちろん彼らにも相当の
痛手を負わせるのだが……。
 脅しに屈したと見せかけて外に放り出された次の日には、郊外のユダヤ人地
区にある店でコンビーフ入りのベーグルを食べ、あれだけのことがあったのだ
からと二個目を注文するのだ。ハードな日常にはハードな食生活というハード
ボイルドの典型的なスタイルだ。

 でも、ヴィクが読者を魅了するのは、満身創痍になりながらも彼女が恐怖に
負けずに真実を追求するからだけではない。

 ギャングに捕まえられたその夜、ヴィクは全身あざだらけになりながら、デ
ートのために素敵なロングドレスで傷を隠し颯爽と出かけるのだ。濃いアイシ
ャドウでも隠しきれない目の周りのあざにびっくりしながらも、デートのお相
手はヴィクに惹かれていく。

 ところで、このシリーズはキンジーのような評伝がない代わりに、二〇一〇
年に作者の自伝が出版されている。その『沈黙の時代に書くということポスト
9・11を生きる作家の選択』で、ヴィク誕生の秘話を知ることができる。

 作者のパレツキーはヴィクとは違い、大学教授の父親と図書館司書の母の間
に生まれた。だからと言って、とても恵まれた環境に育ったお嬢様というわけ
ではないようだ。兄と弟に囲まれた五人兄弟のただ一人の女の子として、あら
ゆる家事をこなすことを求められ、なんと七歳の時から家族のためにパンを焼
き続けたという。そして、大学進学時にも兄弟とは違ってカンザスから出るこ
とを許されず、学費も自分持ち。ニューヨークで働いてから、シカゴの大学院
に進んだ時も、教授たちから受ける女性蔑視の態度に苦しんだという。

 そんな彼女がひたすら読んで楽しんでいたのはミステリの世界。けれども、
その世界にいる女性は、残酷なサディズムの犠牲者か、ファム・ファタールや
悪女ばかりだった。
 作者がヴィクの構想を得たのは、勤めていた保険会社の上司の無意味なお説
教にひたすら「すばらしいお考えです」と答えているときだと、短編集『アン
サンブル』の前書きにも書いてある。勇敢で、度胸があって、こんな時に、は
っきりと自分の意見が言える人物、女性探偵ヴィクが作者の中に現われたのだ。

 けれど、ヴィクを作り上げた時、
「わたしの探偵をどんな人物にしたくないかはわかっていたが、なにをさせれ
ばいいかがわからなかった。結果として、女性探偵にどのような特別な役割が
果たせるかを考える代わりに、ハードボイルドものの王道をいく探偵にしてし
まった―親はいない、武器はスミス&ウエッソン、酒はウィスキー」にしたの
だという。

 さて、こんな風に典型的なハードボイルド探偵でありながらも、ヴィクは料
理ができるようだ。この最初の作品での料理場面は、朝食を取るために作るオ
ープンサンドだけなのだが、シリーズの中で、その後何度も繰り返される名場
面だから、ここに抜粋しておこう。

 ヴィクの亡くなった父親は警察官だった。だから父親の同僚だった警部補ボ
ビー・マロリーは、彼女が事件に関わると心配のあまりカンカンに怒って事情
聴取に現れる。探偵なんて危険な仕事は辞めろ、引っ込んでいろと。

 ヴィクは、自分用の朝食を作ったりして相手をじらし、秘密を守ろうとする。

「チーズ、ピーマン、玉ねぎを順々に薄切りにして、黒パンにのせ、そのオー
プンサンドを天火に入れた。ボビーと部長刑事に背中を向けたままチーズが溶
けるのを待ち、それから全部皿に移して、自分のためにコーヒーを注いだ。ボ
ビーの息づかいから、彼の癇癪が破裂しそうになっていることが推察できた」

 朝の八時十分にしては、なかなかこってりしたチーズトーストだ。ちなみに、
ヴィクのコーヒーは深入りのウィーン風でなかなかおいしいらしい。こんな風
に朝早く押しかけてくる警察官たちも、すすめられると時たま飲んだりして、
そのおいしさにびっくりしている。これは、友人で第二次大戦下にオーストリ
アから逃れてきたユダヤ人医師ロティに教えられた味らしい。

 この作品の中で、ヴィクはジルという少女とロティのためにフリッタータと
いうイタリア風オムレツを作ると約束している。材料は玉ねぎとほうれん草。
でも、ロティに、

「ヴィクは料理の腕はいいけれど、散らかし屋なのよ」

と、顔をしかめられていて、この料理は実現しない。
 
 ヴィクは皿洗いも苦手で、流しの中には皿が常にたまっていて、代々のボー
イフレンドがそれを洗ってくれる場面があるのも楽しい。

 もちろん回が進むにつれ、作者もこんなハードボイルド設定から主人公をじ
ょじょに解放していく。

 長編七作目の『ガーディアン・エンジェル』を見てみよう。

 この中では、ヴィクはアパートの階下に住む老人ミスター・コントレーラス
に、チキンの料理などすばやく作り、

「うまいチキンだな、嬢ちゃん。オリーブを入れたのか。わしにはとても思い
つけんな」

 なんて言わせている。

 ヴィクのシリーズの特徴は、事件の始まりが意外に身近な友人や親戚から起
きるという事だ。両親が亡くなったイコール孤独な探偵という設定では、一人
の人間として厚みが生じない。ヴィクはオペラ歌手を目指していた母親を常に
思い出し、誠実な警察官だった父を思う。友人たちに囲まれ、アパートの階下
に住む老人ミスター・コントレーラスとは、まるで相棒のように仲がいい。

 けれども、それと独立心は別なのだ。彼女はプロの探偵で、一人で戦える人
間だ。そして、彼女が取り組んだ事件は、最後には背後にある社会的犯罪にま
で到達する。大きな権力と戦うヴィクの姿は、読者にとって素晴らしい満足感
を与えてくれると同時に、アメリカ社会の問題点を知らしめてくれる。そして、
気が付くとそれは今、日本社会の問題点となって来ている。

 企業や金融関係の顧客を持ち、裕福な病院経営者の友人もいるヴィクは、あ
まりファースト・フードを利用しない。友人のロティやマックスと行くホテル
にある見事なワイン・セラーに囲まれたレストラン、ドートマンダーや、デー
トで訪れる有名レストランでのおしゃれな食事場面は実に魅力的だ。だが、ヘ
ルシーでローカロリーな食事を好む現代の風潮には何か反発があるようで、普
段の生活では、なかなかハイカロリーな食事をとる。

 彼女が行くのはダイナー、軽食堂とでも訳すのだろうか?日本で言うなら定
食屋かもしれない。セルフサービスではなく、ちゃんと馴染みのウエイトレス
が何人もいて、揚げたてのポテトフライを出してくれる、そんな食堂だ。彼女
の行きつけのベルモント・ダイナーでは、BLTサンド(ベイコン・レタス・ト
マト)に揚げたてのフライド・ポテトが常食だ。時たま、ヨーグルトと果物と
いうヘルシーな朝食を口にするが、やはりそれでは体が持たないようだ。 
  
 ヴィクもキンジーのように、必ずジョギングに出かけ体を鍛えている。だか
らハイカロリーな食事をとれるのよ、ということをつい見せびらかしてしまう
ときもある。その舞台になるのが馴染みのベルモント・ダイナーだ。ここは、
短編集『ヴィク・ストーリー』の中の「マルタの猫」にも出てくるのだが、こ
の『ガーディアン・エンジェル』の中ではなんと四回も舞台になっている。
 
 遠い昔に別れた夫と久しぶりにこのダイナーで話し合いをした場面を見てみ
よう。現われた元夫ディックは弁護士として出世し金持ちの娘と再婚していて、
そのしゃれたスーツ姿という身なりでダイナーの他の客とは身分違いであるこ
とを見せつける。彼はウエイトレスに新鮮な果物はあるかと横柄な態度でたず
ねた後、こう注文する。 

「イチゴにしよう。ヨーグルトをかけて。それからグラノラ。グラノラにはス
キムミルクね。」 

 思わず、ウエイトレスが、ローファットと呟くディックのメニューに対し、
ヴィクはひねくれてこんな注文をする。 

「コンビーフ・ハッシュとポーチド・エッグ。それからフライド・ポテト。」 

 ハッシュというのは、茹でたジャガイモに卵黄などを混ぜて油で焼いたもの
だから、これにコンビーフが入るとなると、ちょっとマッチョな西部の男の味
という気がする。さらに、フライド・ポテトをつけたら、ディックならずとも、 

「コレステロールってものを聞いたことないのか、ヴィク。」 

という以外に、言葉はない。 

 だが、ヴィクが

「玉子にナイフを入れて、黄身をハッシュと混ぜあわせた。フライド・ポテト
はかりっと金茶色に揚がっていた。二,三本つまんでから、ハッシュにとりか
かった」

 この場面、ディックと共に思わず、よだれをたらしてみつめてしまった。で
も、これが、朝七時の朝食なのだ。やっぱり、今の私には無理かもしれない。

 まあ、それはいいのだが、実はいわゆるヘルシーな食事に対する嫌悪が強す
ぎて、少々気になる場面がこの『ガーディアン・エンジェル』にはある。

 いくら、ジョギングで鍛えているとはいえ、アパートの階下に住む住人ミス
ター・コントレーラスにスペアリブをご馳走になったり、オリーブ添えのチキ
ンの料理を作ってあげたりするような食生活に、自分でもちょっと心配になっ
たのか、後半を過ぎた頃ヴィクは、こんな料理を作っている。 

「ここらでヘルシーな食生活に戻らなくては。トーフにほうれん草とマッシュ
ルームを加えて炒め、スミス&ウエッソンと一緒に居間に運んだ。」 

 添え物のスミス&ウエッソンは、彼女の好きなウィスキーの銘柄ではなく拳
銃だ。かなり命をねらわれ続けている緊迫した状況なのだ。

 けれど、トーフを半分ほど食べたところで電話がいくつかかかり、その間に、
ほうれん草は冷えてしまい、ほとんど食べないまま皿を流しに下げて、この食
事場面は、おしまいになる。 
 
 前回のキンジーもそうだったが、ヘルシーというイメージの食事には、どう
も日本食が絡むようだ。でも、豆腐は冷や奴だったらヘルシーだが、炒めて食
べるとなると中華風で、ちょっとカロリーが高くなる気がする。(でも、おい
しい。私は豆腐のチャンプルーが大好き)前回のキンジーの玄米チャーハンの
ように、それでも低カロリー料理ということになっているのだろうなと思うと、
妙におかしい。たぶん、作者もそこら辺の矛盾に気がついてわざと書いている
のだろう。けれど、私は、食べ物が捨てられる場面があまり好きではないので、
こういうところにアメリカを感じるのだ。

 この時代から、はや二十数年。小説の主人公はあまり年を取らないが、それ
でもヴィクは、九作目の『バースデイ・ブルー』で四十歳の誕生日を迎えたこ
とになっている。たぶん、それ以降あまり年を取っていないのだろう。最新作
『フォールアウト』でも、相変わらず、なかなか健啖家だ。この作品の舞台は
作者の故郷カンザスの田舎町なのだが、そこでは警察だけでなく保安官まで相
手にせざるを得ずさらに軍が絡んできて、行く手を阻むミソジニー全開のマッ
チョな男性たちに囲まれながら、ヴィクは果敢に謎を解いていくことになる。
そして、その過程で垣間見ることのできる、9.11後に図書館の自由を失ったア
メリカの姿には戦慄を覚えざるを得ない。

 さて、この物語の中盤、ホテルの部屋にまで押しかけて来た保安官はピザを
持ってくるのだが、ヴィクはその残りには手を付けずにごみ箱に捨てる。(ま
たも!)そして、オーガニックの店にでかけ、そこで夕飯に「バーベキュー味
の豆腐」などを買い求めようとする。けれど、知り合いの若い女性から「おば
あちゃんの作ったローストチキン」を持っていくという電話を受けて、あっさ
りヘルシー嗜好を捨てて、ワインとローストチキンを食べるのだ。

 果たして、ヴィクが豆腐をおいしそうに、たいらげる日は来るのだろうか?

 社会派でフェミニストで逞しいシカゴの探偵には今後も活躍してほしいから、
偽物っぽい豆腐のヘルシー料理など食べずに、シカゴらしくサラミやベーコン
やステーキなどをがんがん食べ、コレステロールなどものともせずに頑張って
ほしいと私は思う。

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『サマータイム・ブルース』サラ・パレツキー著  ハヤカワ・ミステリ文庫
『ガーディアン・エンジェル』サラ・パレツキー著 ハヤカワ・ノヴェルズ
『ヴィク・ストーリーズ』  サラ・パレツキー著 ハヤカワ・ミステリ文庫
『アンサンブル』      サラ・パレツキー著 ハヤカワ・ミステリ文庫
『フォールアウト』      サラ・パレツキー著 ハヤカワ・ミステリ文庫
『沈黙の時代に書くということ―ポスト9・11を生きる作家の選択』
               サラ・パレツキー著 早川書房
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』等

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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第114回 ルポルタージュとしての絵画
    ―「戦後美術の現在形 池田龍雄展 楕円幻想」(練馬区立美術館)

 池田龍雄という画家の絵は、何と言ってもその奇抜な造形、アイディアに目
を奪われる。シュールリアリズムの影響を受けた美術家は多いが、ここまで上
手に人の心を刺激するツボを心得た、華やかな構図を思いつくことのできる人
は、世界的にも余りいないのではないだろうか。あのぐねぐねとした描線は、
ちらと見ただけで「あ、池田龍雄だ」と叫びたくなるような、クセになるよう
な魅力を湛えている。練馬区立美術館で開催された「戦後美術の現在形 池田
龍雄展楕円幻想」は、多彩な試みを続けるこの画家が一貫して追い求めている
ものを示すような、質量ともに充実した回顧展だった。

 池田龍雄は1928年佐賀県伊万里市生まれ。特攻隊員として訓練中に終戦を迎
える。GHQの通達により軍国主義者として教師不適格になり、佐賀師範学校
を退学させられたという。1947年に陶芸家の内弟子になるが、辞めて美術の道
を志す。1948年、花田清輝らの主催するアヴァンギャルド芸術研究会に参加。
以後、多彩なジャンルの多くの芸術家と交流を持ちつつ多産な創作活動を行う。
受賞歴は見当たらない。

 池田龍雄の初期の作品では戦争を描いたものが印象的だ。池田は特攻の訓練
中に終戦を迎えた。展覧会カタログのインタビューによると、前線にこそ出な
かったが、戦闘で死ぬ覚悟もあったという。終戦を迎えた時は嬉しいというよ
り残念無念という気持ちだったが、戦後、教え込まれてきたことが出鱈目とわ
かり、以来、愛国心というものが「いかがわしいもの」になったのだという。
「僕らを傷つけたもの 1945年の記憶」(1954)は、空襲の惨事を描いた作品。
人が折り重なるように倒れている傾斜地。右上方に米軍の戦闘機が飛び、手前
に大きく描かれた人物は頭を覆って腰を深く曲げて姿勢を低くし、後方では戦
闘機を睨みつけながら竹やりをかざす人物がいる。傾いた画面が緊張を高め、
国家の欲望の犠牲になった人々の悲惨が伝わってきてやりきれない気分になる。
「にんげん」(1954)は帽子をとって挨拶する眼鏡姿の人物を描いた作品。菊
の紋章と日章旗が描かれており、天皇の「人間宣言」だということがわかる。
日章旗は右下から左上に人物の首を刺し貫く形に配置されており、表立っては
口に出せない天皇に対する庶民の怨念を浮き上がらせているようだ。

 池田は社会問題をテーマにした絵を数多く残している。どれも非常に見応え
があり、本展のバイライトともなっている。実際に現地に赴き、取材を行った
上で描くこともしばしばだったようだ。「網元」(1953)は米軍試射場反対闘
争をテーマにしたシリーズの1作。反対の立場をとっているものの、土地が試
射場に決定すれば多額の補償金がもらえる。禿げ頭の網元はほくそえみながら
計算している。その表情はいかにもふてぶてしく、悪役の魅力でいっぱいだ。
但し、失敗すれば土地も仕事も失う羽目に陥る。首に巻かれた太い綱が危ない
橋を渡っていることを示している。

 ビキニ環礁での水爆実験を機に企画された「反原爆」シリーズ(1954)に池
田も参加した。それらの作品には、放射能で汚染された魚が描かれている。魚
たちは目をガッと開き、鋭い歯を剥きだしにして苦悶の表情を受かべており、
見ていて辛くなってしまう程である。「犠牲者」という作品では、下半分被爆
した倒れた人間を、上半分に虚ろな目つきの大きな魚を配置し、人間も自然界
も全てを破壊してしまう核の残酷さを訴えている。

 池田には怪奇趣味があり、まるでホラー漫画のようなグロテスクな造形を押
し出した作品が幾つもある。「化物の系譜」シリーズの「倉庫」(1957)は、
球状の物体をぎっしり詰め込んだ倉庫を描いているが、ところどころで長いし
っぽがにょろっと覗いている。倉庫に大きなネズミが出ると聞いて作った作品
だそうだが、気づかぬところで悪いことが起こる予兆が感じられる。「巨人」
(1956)は鼻と口がなく、代わりに目がたくさんある顔を描いている。目の形
は様々で、一人の人間の中に複数の人格が宿っているような不気味さが漂う。
「アトラス」(1960)はアメリカの弾道ミサイルを描いた作品。ミサイルの周
りには不定形の化け物がうようよしていて、まるでサバトのようだ。これらの
作品における形態の歪み加減は、社会や心理の闇を巧みに引き出しており、絶
妙としか言いようがない。どことなく、『寄生獣』で知られる漫画家岩明均の
タッチに似ているが、岩明均が池田龍雄のファンだったなどということはない
だろうか。

 池田龍雄はイベントやパフォーマンスにも熱心である。「梵天の塔」(1973)
は、インドの神話を基にした作品。3本の棒が立った台座。その1本に64枚の
輪がはめられており、それらの輪を他の棒に移し終わるのに5800億年かかり、
その時世界は終末を迎えるのだという。池田は真鍮で「梵天の塔」を作り、輪
を写す行為を始めた。他の多くの人もこのパフォーマンスに加わり、インドや
ネパールでも開催されたという。その行為は詳細にノートに記録されている。
池田自身はこのパフォーマンスをいつも黒子の装束で行っていたそうだ。「AS
ARAT橄欖計画」(1972)もそれに匹敵する壮大な試み。池田が敬愛する詩人・
評論家の瀧口修造の自宅のオリーブの実を浅間山の周り約35キロ、81箇所に撒
くというもの。ノアの方舟が漂着したと伝えられるアララット山と浅間山をか
けて「ASARAT」と洒落たわけだ。武満徹や中西夏之らの芸術家が参加し、その
場その場でユニークなパフォーマンスが繰り広げられた。この試みもノートや
映像の形で詳細にわたる記録が残された。やりっぱなしになりがちなハプニン
グ風の表現に関しても、企画立案から実行、記録を残すところまで、実に几帳
面である。
 
 「梵天の塔」の試みと並行して、「BRAHMAN」シリーズの絵画の制作が始ま
る(1973)。ブラフマンとはヒンドゥー教における普遍原理を表すそうである。
インドの宗教思想を手掛かりに宇宙の根本原理を探求するというこの試みは15
年にわたって続けられた。細胞や器官、或いはプランクトンのような微生物を
思わせる不思議なイメージに魅了される。これらは抽象画のように見えながら、
実は、抽象画の対極にあるものなのだろう。恐らく池田はインド思想や科学に
関する多くの本を読み、対象の意味について考え尽くした末に、これらのイメ
ージを創造したのだろう。これ以外はあり得ない、という地点まで論理を詰め
た上で、慎重に筆を進めている様子がそのぐねぐね・うねうねした複雑な形態
から透けて見えるようである。

 池田龍雄の作品は奇抜なアイディア、構図、イメージを備えているが、どれ
も視点が明快であり、難解なところが少しもない。思わせぶりな表現法をとっ
て、作品の解釈を鑑賞者に投げてしまうことがないのである。彼の絵画は全て、
広い意味でのルポルタージュなのではないだろうか。社会問題に取り組む時も、
パフォーマンスを行う時も、世界の原理について考える時も、常に具体的な対
象があり、それについてきちんと「取材」をし、解釈した結果を誰にもわかる
ようにイメージ化する。一枚ものの絵を直観だけで描くのではなく、「企画」
を立てた上で描いている。この律儀さは、戦争体験に負う部分があったのでは
ないかと想像する。愛国少年であった池田は敗戦後、国家が掌返しする様子を
まざまざと見た。その経験が権力に対する不信感を生み、国家事業である万博
への協力を断る行為にもつながった。彼には、自分の目で見たり調べたりした
ことを、細部にわたって直接手渡したい気持ちが強かったのではないだろうか。
その意味で、この回顧展には、手練れのジャーナリストの仕事を一覧するよう
な魅力が漲っていたように感じられた。

*「戦後美術の現在形 池田龍雄展 楕円幻想」
 練馬区立美術館 会期:2018/4/26-6/17

*『池田龍雄の発言 絵画のうしろにあるもの』(論創社 本体2200円)

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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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 メールにて、インタビューを受けていただける印象に著者の方、募集中です。
 【著者インタビュー希望】と表題の上、
 下記のアドレスまでお願い致します。
 5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net

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■あとがき
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 西日本で大雨洪水の被害に遭われた方に、心よりお悔やみ申し上げます。今
後、少しでも早く生活が復旧するよう祈っております。(aguni原口)

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