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[本]のメルマガ vol.674

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■■ [本]のメルマガ                 2018.03.05.発行
■■                              vol.674
■■  mailmagazine of books      [「天才認定」されなかった 号]
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★PR★ 原 書 房 最新刊 ★ http://harashobo.co.jp/

『帝国の最期の日々』(上下)

パトリス・ゲニフェイ&ティエリー・ランツ編 鳥取絹子訳
四六判 本体各2,200円+税 ISBN:9784562054589, 9784562054596

すべての帝国はいずれ滅びる。しかし帝国主義は永遠に死なない……時代も地
域も異なれば、形も違っているアレクサンドロスの帝国から現代のアメリカま
で、2500年にわたる20の帝国の崩壊をまとめて取り上げた初の歴史書。

■CONTENTS------------------------------------------------------------

★トピックス
→ トピックスをお寄せください

★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ 『枕草子』2「ぽりぽり篇」

★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 金村修・タカザワケンジ『挑発する写真史』(平凡社)

★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです。

★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ インタビュー先、募集中です。

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■トピックス
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■トピックスをお寄せください
└──────────────────────────────────

 出版社の皆様、あるいは出版業界の皆様より、出版関係に関わるトピックス
(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。

 情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。

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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その21『枕草子』2「ぽりぽり篇」

 前回に続き、『枕草子』の中の食物を見ながら、千年を超える旅に出てみた
いと思う。

 引用するのは旺文社文庫版の段数。書き出しも少し表記するので、その他の
本で読むときは、そこから調べてみて欲しい。今回は、思い切ってほとんど私
の意訳です。

 今回はあまり優雅ではない食物ばかりをあげてみよう。

 まずは、第九十五段の五月のドライヴの様子から。

「五月の御精進のほど……」

で始まる章なのだが、これはかなり長い物語なので、ざっと粗筋を述べてみよ
う。

 五月と言っても旧暦なので今の六月。五月雨と書いてもそれは、梅雨の雨の
こと。あまり用事もない頃なので退屈した清少納言は、

「ほととぎすの声を聞きに行かない?」

と、同僚に声をかけ出かけることになる。

 お許しも出て、梅雨なので特別に牛車を殿舎に横づけにしてくれたので、さ
っそうと車に乗り込み四人で賀茂の奥の方に向かう。

 道中に高階明順の家があり、声をかけると主人もいるというので中に入る。
そこは田舎家めいた実に風流な造りの家で、ほととぎすもうるさいほど鳴いて
いる。

 明順は近所の女たちを集めて、稲核(いねこき)などの農作業の様子を見せ
たり、粉ひき歌など歌わせたりして、もてなしてくれる。そして、唐絵にかい
てあるような大きな懸盤(食事をのせる足つきの台)にご馳走を並べてすすめ
てくれる。けれども、女房たちは、なかなか手を出そうとしない。

 明順は、

「普通は主人の方が困って逃げ出してしまうほどお客の皆さんはお食べになる
のに、どうして、召し上がらないのですか。この蕨などは私が今朝摘んできた
ものなのですよ。高いお膳が嫌なのですか?『はいぶし』に慣れた方々ですか
らね」

などと言って笑わせてくれる。

 女房たちは普段、一人ずつのお膳で、おかずも器に分けてよそってある食事
を食べているので、皆で大テーブルにずらりと並んで大盛りの料理に手を出し
て食べるのは、まるで宮廷で働く下位の女官の食事風景のようで、手を出しか
ねて困っているらしい。

 ここで言われている「はいぶし」というのは、岩佐美代子さんの研究で解明
された宮中の作法で、高貴な方の前で食事をご相伴するときに、食物を畳の上
(のお盆等の上など)に置き、肘を畳、あるいは膝の上に乗せて食べるやり方
のことなのだ。この方法は、明治天皇の宮中でもなされていたようで、

「お陪食等のご前でいただく時には手のひじを膝の上に乗せて、なかばおじぎ
をしたような形で戴かなければならない」

と、山川三千子著の『女官』に書かれている。こんな姿勢では、食べ物がまっ
すぐ入って行かないような気がしたと言っている。めったに一緒に食事などで
きない方の前だから、畏まっていただきます、という作法だろうか。

 とにかく、明順が躍起になってもてなしてくれるので、清少納言は蕨に少し
だけ箸をつけるのだが、その時

「雨がふってきました」

と、下男が言ってきたので、みんなまた牛車に乗ってここを立ち去る。

 この田舎の別荘めいた家での、もてなしの料理がどんなものだったかを知り
たいけれど、出てくるのは「下蕨」だけなのだ。想像するしかない。例えば田
辺聖子著の小説『春はあけぼの』では、作者はこんな鄙びたご馳走を書き連ね
ている。

「野老(ところ)やら、蕨のおひたし、青菜のあつもの、瓜の塩漬け、川魚の
塩焼き」

 ああ、そうだったかもしれないと、私もご馳走のぎっしりのった幻の大懸盤
を思い浮かべてしまう。

 この後、卯の花の枝を山ほど車にさしたり、その評判を広めさせようと若い
侍従を呼び出してからかったりしながら、清少納言たちは中宮のもとに帰って
行く。そして、肝心のほととぎすの歌を作れないまま帰ってしまったので困っ
たという話なのだ。

 それから二、三日後、同僚から、その蕨の味はどうだったの?ときかれ、思
いだすのはそっちなの?と笑った中宮から

「下蕨こそ恋いしかりけれ」

という下の句を示されたので、

「ほととぎすたづねて聞きし声よりも」

とつけたので、大笑いされ、この共作の歌は大評判となったという。

(はるばる聞きに行ったほととぎすの声より、
 蕨のご馳走の方が恋しいな)

 そう、私もその味を知ってみたい。
 
 こんな風に、人を笑わせる清少納言ではあるが、時たま人の悪口も言う。

 百四段の
「正弘はいみじう人に笑わるる者かな」
(正弘は、とっても人に笑われちゃう人なのよね)

で始まる章は、言動が人より変わっている文章生の源正弘のことを書いていて、
こんなことをしたとか、あんなことをして又人に笑われた等と書いている。

 例えば、正弘の家は染物や裁縫などの専門家の家で、すばらしい仕立ての立
派な装束を着ているのに、正弘はわざと生地を紙燭に近づけて焦がしたりする。
みんなで、ほんと、あれを着ているのが正弘じゃなかったらかっこいいのにね
え、と言い合っている。なんて具合。

 でも、憎らしげというより「この変人」という感じで、この若い文章生を見
ているようで面白い。

 その中で気になるのは、殿上の間(天皇直属の宮中の事務室とでも言うべき
だろうか)では、懸盤(テーブル)で食事をする時には、蔵人の頭が座ってから
食べ始めるという規則があるのに、ある時、正弘はこっそり豆を一盛り取って
清涼殿の小障子の向こうで食べていたと書かれているところ。誰かが気づいて
小障子を開けたので、その姿が丸見えになり皆が大笑いしたという話だ。きっ
とそれは煮豆ではなく炒り豆だったのだろう。小障子の向こうでポリポリ音が
して、さてはと、そっと小障子を開けて見せる蔵人の姿が目に浮かぶ。ほら、
時を超えて豆をかじる音が聞こえてくる気はしないだろうか?

ぽりぽり。

この御所で働く人々の食事の様子がわかる一場面でもある。

 同じように殿上の間で気になるのが、和布、ワカメの話だ。

「里にまかでたるに、殿上人などの来るをもやすからずぞ人人はいひなすなる」
(第八十段)
(里帰りをして実家にいる時に、殿上人などが訪ねてくるのをあれこれ人が言
 っているみたい)

 清少納言が長い間宮廷から下がっていた時の事。人の口がうるさいので、今
住んでいる家のことは、少しの人にしか教えていなかった。けれど、清少納言
の前夫の橘則光はさすがに元夫だけあって見当をつけてやって来る。

 この則光は、六位という下級の官吏だけれど、蔵人(天皇の膳の給仕や秘書
的役割を担う官吏)なので、昇殿を許され殿上人になっていた。その為、宮中
では清少納言と顔を合わせてしまう。そこで、二人はいったいどういう仲なの
だと人にきかれ、

「まあ、兄のようなものです」

と、答えたらしい。

 それから則光は、宮中では、せうと(兄)というあだ名で呼ばれていたとい
う。そのあだ名がそれぞれの口語訳によって様々で、「お兄さま」とか「兄貴」
とかになっているのが読んでいて面白い。

 何となくそれだけでも滑稽味を感じる男なのだが、妙に気のいいところがあ
り、宮中で清少納言が褒められると、わざわざ、とてもうれしかったと言いに
来たりする様子が描かれている。
 
 そして、この段では、則光がこんなことを話に来たとしている。

 ある日、殿上の間に上司である藤原斉信がやって来て

「妹の家を教えろ」

と、言ってきた。

「知らない」

と、言い張ったのだが、目の前に清少納言の家に出入りをしている源経房が素
知らぬ顔をして座っているので、目があったらきっと笑い出してしまうと思っ

「台盤の上に布のありしを取りてただ食ひに食ひまぎらはししかば、中間にあ
 やしの食ひものやと人人見けむかし」

(テーブルの上にあったワカメを取ってむしゃむしゃ食べてごまかしたんだ。
 食事時でもないのに変なもの食べてと皆に思われただろうな).

 なんだか、可愛げのある男でとてもおかしい。

 さて、そこで清少納言は「家のありかを教えないでね」の暗号にワカメを使
おうと思い立ったらしい。斉信が妹の家を申せと本当にうるさくて大変だから
家を教えていいか?と則光が手紙をよこしたときに、何も文章は書かないで一
寸(3.3cm) ほどのワカメを包んで返事とした。ところが、肝心の則光はワカ
メ事件をもうすっかり忘れていて、その後やって来て、何であんな変なものを
包んでよこしたんだ?あれは何のつもりなんだ?と訊いてくる。なんだか、憎
たらしくなってワカメと海女を引っ掛けた和歌を書いて返事をした。

「かづきするあまのすみかをそことだにゆめいふなとやめを食はせけむ」

(海に潜って姿を見せない海女のように、絶対に私の居所を知らせないでとい
 う意味で、ワカメを食べさせようとしたんじゃないかしら)

 すると則光は、なんで歌なんて詠むんだよ、読むもんか、と和歌を書いた紙
を扇であおぎ返して、帰ってしまった。

 『枕草子』ではこんな風に、人が良くて鈍い男という描き方をされている則
光だが、実は歌人でもあり、『今昔物語』(第23の15) にその武勇を描かれて
いるというのが意外なところだ。

 でも、それより則光が食べたワカメの味の方が私は気になる。台盤の上に置
いてはあったけれど、まだ殿上人用の食事として出来上がっていなくて料理の
最中だったのではないだろうか? そして、一生懸命噛んで喋るまいとするく
らいだから、相当の量を口に頬張ったのに違いない。少しでも味がついていた
らいいなと思うのは、彼の魅力にはまったせいだろうか。

 さて、最後にまた、類聚という同じようなものを集めた文章に戻ってみよう。

第二十九段の「心ゆくもの」
(胸がすっとするもの)
 ここには、美しい衣装がこぼれて見える牛車がかっこよく走っている様子や、
細くて白く美しい美濃紙に細い細い筆で手紙が書いてあるものや、陰陽師に祓
えをさせる様子等々のたくさんの物事が上げられているのだが、食物として唯
一あげられているのは、水なのだ。

「夜、寝起きて飲む水」

 現代語訳も必要がない、寝起きの水。ただの水。

 寝苦しい夜にのどをつたう冷たい水。
 今も昔も、胸がすっとするもの代表だろう。

 それなのに、注釈に、

「この一文により、清少納言は酒を飲んだかと言われるが、いかがであろうか。」

と、書かれている。

 あれまあ、酔い覚めの水ですか?
 
 確か、清少納言は酔っ払いの男たちが嫌いだったはず。

 第二十六段の「にくきもの」でも、

「また、酒飲みてあめき、口をさぐり、鬚ある者はそれをなで、盃こと人に取
 らするほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。」
(また、お酒を飲んでわめいたり、口をせせったり、ひげを生やしている人は
 それを撫でながら、盃を押し付けて飲めと無理強いしているのは見苦しい。)

で始まる部分があり、お酒の席での男たちの酔態を見事に描いている。

 そして、下っ端ならともかく、いい身分の人がみっともないと清少納言は言
い捨てている。実は、この頃の貴族の宴会は、そんなに上品ではなく、貴族で
あってもぐたぐたに酔っぱらったりしたらしい。ライバルの紫式部も『紫式部
日記』にそんな宴会から逃げ出した様子を書いている。宴会で酔っぱらいがや
ることは今も昔も同じで、身分にも関係ないのだ。

 それなのに、たったこれだけでお酒のみの異名を得てしまうとは、清少納言
も気の毒に。でも、それだけ身近に感じられる人なのだとも思える注釈の一文
だ。

 まだまだ見逃した文章もあるとは思うけれど、今回はここまで。
 ぜひ『枕草子』を片手に、おいしいものを召しあがってみてください。

 さしあたっては、お豆などいかが?

 ぽりぽり。
 
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『枕草子』          池田亀鑑校訂 岩波文庫
『平安朝の生活と文学』     池田亀鑑著 角川文庫
対訳古典シリーズ『枕草子』 田中重太郎訳注 旺文社文庫
『宮廷文学のひそかな楽しみ』 岩佐美代子著 文春新書 
『枕草子のたくらみ』「春はあけぼの」に秘められた思い」
 山本淳子著 朝日新聞出版
『春はあけぼの』        田辺聖子著 角川文庫     
『紫式部日記』            宮崎荘平訳注 講談社学術文庫
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』等

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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第112回 現在に接続する歴史
―金村修・タカザワケンジ『挑発する写真史』(平凡社)

 芸術の歴史を綴った本を読むと、少し複雑な気持ちにさせられる。政治の歴
史であれば、その時代に影響を与えた人物というのは比較的明確であり、そう
した人物の業績を拾っていけば政治の流れを確実に追うことができるだろう。
芸術の歴史にももちろんそういう人はいる。しかし、芸術の世界で実効性とい
うものは、政治におけるように最重要の要素ではない。芸術は表現であり、表
現は人の内面の問題である。それは「成果」では測れないものだ。

 歴史を辿ろうとすれば、この技法・概念は誰それが発見した、ということを
手掛かりにしないわけにはいかないが、芸術の歴史を天才の歴史と割り切って
しまうと、「天才認定」されなかった多くの芸術家の真摯な精神の営為を見過
ごすことになっしまう。

 今回取り上げる金村修とタカザワケンジの対談集『挑発する写真史』(平凡
社)は、そうしたジレンマを鋭敏に感じ取りながら写真芸術の歴史を語っいる。
金村修は1964年東京生まれの写真家。東京綜合写真専門学校を卒業し、2000年
に史上2番目の若さで土門拳賞を受賞。ニューヨーク美術館が行った展覧会に
おいて「世界に注目される6人の写真家の1人に選ばれたこともある。タカザ
ワケンジは1968年群馬県生まれの写真評論家。早稲田大学を卒業後、写真全般
についての多くの文章を発表する傍ら、東京造形大学他で非常勤講師を務める
など、写真の教育・啓蒙活動に勤しんでいる。

 本書は写真の通史ではない。2013年に定期的に開催された写真史講座を単行
本化したものである。写真史を年代順に淡々と辿るのではなく、テーマ別に著
名な写真家たちを数名ずつ選び、対比させる形でその仕事を吟味する。そして
2人はその作業を極めて慎重に行っている。

 「歴史は矛盾したもの同士の衝突で、その衝突に勝ち残ったものだけが歴史
を更新していく。歴史はだから勝者の歴史だし、そんな勝者が中心を演じる写
真史にはまるで興味がなかった」(金村)

 「授業の冒頭で、私はいつも、受講生の方たちにこう言っている。『写真家
は、それぞれの写真史を持っている。みなさんも、自分の写真史を持ってほし
いし、自分がつくっている作品が、写真史の中のどのような作品と関連がある
かを知ってほしい」(タカザワ)

 写真史は英雄列伝ではなく、写真に興味がある人が各々の視点で各々が作り
上げていくものだという認識が根底にある。この本の気持ち良いところは取り
上げた写真家たちを、敬愛はしても神聖視することはせず、必要なエッセンス
を気取らない態度で的確に抽出していくところにある。

 「アジェの写真って、けっこう余分なものが写ってますよね。ちょっとだけ
通りが写ってるとか、ちょっとだけ看板が見えるとか。おまけっていうか。そ
ういうものが写ってくるところが、写真らしいリアリティを感じる」(タ
カザワ)

 「写真は写した主題以外のものが写ってしまうと、そちらに目がいく。主題
よりも画面の細部。近代写真の原点が、ここにあるような気がしますね」(金
村)

 こうした指摘は、ウジェーヌ・アジェを崇拝する人の口からはなかなか聞け
ないものではないだろうか。一つの光景を美しい絵のように撮るのでなく、ノ
イズも拾ってしっかり記録する。2人はそこに「歴史」を見出す。

 また、次のような個所では、写真の「芸術」としてのポジションに、踏み込
んだ疑問を投げかける。

 「スティーグリッツは、写真を芸術として認めさせようとしたけれど、写真
の存在そのものが芸術の獅子身中の虫、みたいな」(タカザワ)

 「真実を追求をすること、内面を告白することによって芸術になるというこ
とと、写真は対立する。写真は写せば写すほど、現実が真実という概念から遠
ざかっていることを明らかにするわけだから」(金村)

 貴族の文化を基盤に発展していった絵画と、大衆文化を基盤に発展していっ
た写真。両者の間で「真実」という概念の重みにズレがあるというのだ。


 表現として写真を志すことに対しては次のような発言がある。春日昌昭の写
真について。

 「写真を撮るのが面白い、ということで撮っていたわけで。行為だけが突出
してる。結果はどうでもよかったんじゃないかな。じゃあ、何のために? っ
て言われると……。この時代からでしょうね。『何のために?』という目的が
なくても、やる写真家が出てきた」(金村)

 「なるほど。職業としての写真家じゃないんですよね。/これは『写真家』
の定義に関わることですけど、一般に写真家というと、写真で食べてる人、プ
ロフェッショナル・フォトグラファーということになるけど、写真史を見てい
くと、歴史をつくってきた写真家は、必ずしも写真で食べている人ばかりでは
ない。むしろ、新しい表現をつくり出してきた人の中には、その作品では稼げ
なかった、あるいは稼いでいない人がたくさんいる」(タカザワ)

 生活の糧にはならないが、趣味でやっているわけではなく、写真を撮るとい
う行為そのものに人生を賭ける。表現の基盤が個人という単位に収斂すると、
当然そのような感じになるだろう。それがある種のダンディズムを形成するこ
とにもなると思う。但し、「一生無為なまま写真を撮り続けて、無為なまま死
んでいってもいいんじゃないかっていう人は、もうあんまりいない」(金村)
そうだ。

 本書には夥しい数の人名が登場する。これらの人名は、2人が評価を下すた
めではなく、写真の現在にとってどんな意味があるのかを吟味するために引か
れる。評価の固定化は、むしろ積極的に避けられている。それぞれの写真家が
一生を賭けて追及したものの現在における可能性について、つまり現在も生き
て動いているものとして、言及されるのである。歴史を過去の問題ではなく現
在の問題として捉える。芸術の歴史を扱った本で、こうした趣向のものは余り
ない。

 欲を言えば、それぞれの写真家が、見る人とどう関わってきたのか、その辺
りの話をもう少し読みたいところだった。表現というものは、表現者の内部で
完結するものではない。表現というものは伝えていくものであり、表現の先に
は他人の存在がある。撮る行為に没入する、個人性が極まった表現の先には、
たとえ大衆的な人気が得られなくても、大きな評価を受けられなくても、「知
る人ぞ知る存在」でありたいと願う気持ちが隠されていると思われる。無為な
ままに写真を撮り続けたいという人が少なくなったということは、「知る人ぞ
知る存在」を目指すことにリアリティが感じられなくなってきたということで
はないだろうか。尖鋭的な表現を行ってマニアに喜ばれるより、身の周りにい
る人たちを突き動かしたいという欲求が勝ってきているのではないか。だとす
ると、表現を交換しあう場作りの問題も、歴史から学べるのではないか。そん
なことも考えさせられたのだった。

*金村修・タカザワケンジ『挑発する写真史』(平凡社 本体価格2300円)

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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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 メールにて、インタビューを受けていただける印象に著者の方、募集中です。
 【著者インタビュー希望】と表題の上、
 下記のアドレスまでお願い致します。
 5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net

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■あとがき
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 さまざま事情が重なり、配信が遅くなりました。(aguni原口)

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