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[本]のメルマガ vol.445
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□■[本]のメルマガ【vol.442】11年10月25日発行
                 [あの丸っこいのが部屋にいる 号]
 http://honmaga.net/
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□■     創刊は1999年5月10日、現在の読者数は5419名です。
■□ 「まぐまぐ」で、殿堂入りメールマガジンのひとつに選ばれました。
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★トピックス
→内藤陽介氏の切手紀行シリーズ第四弾発売

★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→休載。来月をお楽しみに

★土曜社代表インタビュー
→アナーキストって言われるんですw

★「今月のこの一冊」 小谷敏
→出ました、関曠野のフクシマ

★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→三代続いて机の上でかさばったまま今に至るモノとは?

★「はてな?現代美術編」 koko
→ニューヨークの画廊でコヨーテと暮らした男

★「日豪戦争」内藤陽介
→捕虜帰国、そして慰霊祭

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★PR★ 原 書 房 最新刊 ★ http://harashobo.co.jp

『宝くじの文化史:ギャンブルが変えた世界史』

ゲイリー・ヒックス著 高橋知子訳
四六判 280頁 定価2520円 ISBN:9784562047413

古代ギリシアやローマの政治運営で始まったくじ引き。その後宴席で物品が配
られたくじがアラビア数字の普及で大人気、中世と近世には高額当選金の宝く
じが流行。詐欺などで終焉をむかえるが20世紀に復活した、その驚きの歴史。

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■トピックス
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■内藤陽介氏の新刊
切手紀行シリーズは、内藤が世界各地を旅しながら、切手や絵葉書とその現在
の実物を見比べつつ、その国や地域の過去と現在についてまとめた歴史紀行の
書籍で、これまでに、タイ、ルーマニア、マカオを扱った3冊を上梓しており
ます。
空路2時間の知られざる欧州。夏と冬で全く異なるハバロフスクの魅力を網羅
したフルカラー歴史紀行。シベリア鉄道小旅行体験や近郊の金正日の生地探訪
も加え、内容充実!
  
   『ハバロフスク』
   彩流社・切手紀行シリーズ4 本体2800円+税

   出版元特設HPは
   http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1649-0.html

11月5日(土) 11:00− 刊行記念トークイベント開催!
於 全国切手展(サンシャイン文化会館)会場内特設会場
シベリア抑留者の葉書もまとめて展示します。
  
  イベント特設HPは
  http://yushu.or.jp/event/japex11/index.html

■トピックス募集中です!
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■土曜社代表、豊田剛氏インタビュー
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何がきっかけで知ったのか忘れてしまったが、こんな時代に大杉栄から出版社
をスタートさせた土曜社の豊田剛代表にお話を伺いました。
http://www.doyosha.com/

ーーーまずは豊田さんのおおまかな経歴を教えていただけますか。

 出版業は、これが3度目です。新卒で慶應義塾大学出版会にはいり、つぎが
ブルース・インターアクションズ(現スペースシャワーネットワーク)で、ど
ちらも営業でした。「自分は、出版に向いていなかったなあ」と転職するたび
にふりかえるのですが、外の世界にもなじめず、結局、出版業界にそっと引き
返してくるということをくりかえしてきました。

 書店や旧知の出版社へあいさつにいくと、「え、渋谷でナイトクラブをやる
んじゃなかったの?」とか「生保の営業はもうやめたの?」ときかれて、申し
わけないような気分になるんです。こんどの土曜社がはたして3度目の正直に
なるか、1年やってきて、今も手探りしています。

ーーーもともと、本が好きでいらっしゃったと思うのですが、子供のころから
の読書遍歴はどのような感じでしたか?よろしければ個人的なベストワンも教
えてください。

 小学生のころは、母親が学研の外交員だったせいもあって、学研の『日本の
歴史』『世界の歴史』などの全巻ものが家にありました。岩波少年文庫や講談
社青い鳥文庫など小説は、あまり読まなかったかもしれません。

 中学では、テレビゲームと部活だけの生活でした。この時期にもっと本を読
むとか、恋愛するとか、別の過ごし方があったのになあと少し悔やまれます。
 高校では、視力がどんどん悪くなっていたのに、教室で眼鏡をかけるのがい
やで、黒板を板書することができませんでした。

それに、からだもどんどん大きくなって、小さな机に座っているのもつらいし、
授業中におなかがすいて腹が鳴るのも恥ずかしかったんです。で、学校をさぼ
るようになって、かといって家にいるわけにもいかないので、図書館に通うよ
うになりました。覚えているのは『革命寸前』(草思社、1992年)、立花
隆の『臨死体験』(文藝春秋、1994年)など。ほかにも、林望の諸作品な
どを読んで、東京のキャンパスライフへの想像をかきたてられていました。

 歌手の小沢健二がフーコーを読む早熟な高校生だった、というようなことを
なにかの雑誌で知ったのもそのころで、早速まねをしたんですが、なにを勘違
いしたのか、手にとったのは、ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』(
文藝春秋、1993年)。日本語で書かれていながら、1ページも読めない本
があるということをこの本で知りました。

 大学で上京してからは、時間はたっぶりあるし、読書も手当たりしだいになっ
ていきました。でも、実は学部の4年間で読める本は、それほど多くないんで
すよね。「岩波文庫の青帯くらい読破してから来い」という、ある先生の発言
を真に受けたりもしましたが、だめでした。きまじめに最初のページからちゃ
んと読んでいくものだから、続かないんです。

 この読み方は、就職してからもしばらく続けていました。が、福田和也の『
ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(PHP、2001年)で「難しい本
は読まなくていい」ということを知り、それでずっと楽に本を読めるようになっ
たと思います。

 個人的なベストワンは、大江健三郎の『日常生活の冒険』です。ここ数年再
読していないので、今もベストワンといえるかどうかあやふやですが、20代
のころ仲間の数人に配った懐かしい思い出があります。

ーーー出版社を作ることになったきっかけはどうなものだったのでしょうか?

 学術出版と商業出版という毛色の異なる2社で修行し、のち旧財閥系生保の
企業FP(ファイナンシャルプランナー)に転じて財務の勉強をし、資金もた
めて、計画的に創業――というふうに、起業のいきさつを都合よく紹介するこ
ともできるかもしれません。

 でも実際は、FPの仕事では思うように資金をかせげず、ちょっと続けられ
ないなと思いはじめていた矢先に、仲間のひとりの編集者が上司と揉めて急に
退職をすることになったんです。で、進行中の企画を2つ、3つかかえていた
彼と、酒をのまなくても同調しやすい自分とが、それなら「おれたちで出版社
をやろうぜ」という流れになったのが昨年8月のこと。でも、その仲間の編集
者とは、喜怒哀楽をともにする以前の、机上の問題でなんとなく空中分解して
しまいました。

 協力してくれる編集者や書き手のあてもなく、取次口座がなくても、なぜか
平気だったんです。各地の書店に応援してもらえれば、道はひらけると分かっ
ていましたから。

 もっと悩ましかったのは、「どうやって親を安心させようか……」という問
題でした。

 ところが、これもうまい具合に解決しました。勤務先の会社にかくれて編集
していた本がそのころ刊行され、「日経新聞」に8段の大きな記事が出たんで
す。うまくしたことには、記事の出た当日、仕事で上京してきた父親に、でき
たばかりの本と「日経新聞」とを見せたわけです。大きいものが好きな父親に
は、「日経」がよほど功を奏したろうと思います。

 それで少し安心させられたかなと思っていたのですが、先日、第1弾の『日
本脱出記』増刷を報告した際には、「お前も長男なんだから、引くことも考え
ておけ」と逆に戒められてしまいましたが。

 会社にかくれて編集した本というのは、日暮泰文著『のめりこみ音楽起業』
(同友館、2010年)として発売されました。この本の原稿をくりかして読
むうちに、なんだか自分まで、起業してジタバタもがきながらもなんとかやっ
ていけるんじゃないか――しだいに、そんな気分になっていったことも確かで
す。

ーーー土曜社という社名は、どのような意味を込められましたか?

 ぼくたちは毎日、新しい言葉に囲まれて、忙しく暮らしているような気がす
るんです。で、新しい会社の名前ぐらいは、目新しい言葉じゃなく、日用品の
言葉にしたいなと。財布を新しいカードで厚くするのが嫌だったりするのと同
じ気分でしょうか。本や新聞をひらいて、いろいろと候補を書き出していたの
が、たまたま土曜日だったというわけで。それは偶然だったかもしれませんが、
新しく社名をかんがえるなんて作業ができるのは、忙しい月曜日や水曜日では
なくて、心もゆったりすごす土曜日だからこそなんだと思えたんです。


ーーー現在のラインナップは、大杉栄から始まりました。二番目はポシャりま
したが、フランスの肉食系女史の本でした。これからどのような方向性の本を
出して行かれる予定でしょうか?また直近の出版予定も教えて下さい。

 第3弾は、来春の大杉栄著『獄中記』にきめています。「なんだ、土曜社っ
てのはアナーキズムの出版社か」という声も時々頂戴するのですが、そんな声
も踏まえつつ、突拍子もないことは避けて、ゆっくりやっていきたいと思って
います。

「お、やっぱりこの球で来たか」と読み手に分かってもらえればしめたもの、
とかんがえています。そんなことで、さしあたり同じ場所をうろうろしつづけ
ることは覚悟しないといけないのかなと。社屋もなく、上司もなく、固定電話
すらなく身軽ですから、なにかの拍子に、思いがけない方向へ進むようなこと
もあるかもしれません。


ーーー電子出版への展開は考えておられますか?

 先日、ある電子書籍の制作会社から営業マンが売り込みにきてくれました。
大杉栄の『日本脱出記』を電子書籍にしませんかというんです。でも、この本
はウェブの青空文庫で全文が読めますし、だれでも読めるものに課金するのが
なんだか後ろめたいように感じて、話をうやむやにしてしまいました。NHK
「週刊ブックレビュー」や「朝日新聞」で紹介されたりもして、書店で本を売
るということが楽しくなってきた矢先のことで、「まだまだ紙の本で売れるぞ」
とも思ったわけです。

 ただ、既刊書が2冊しかない、駆けだしの土曜社にわざわざ足をはこんでく
るということは、在京の出版社はみな、同じような提案を受けているのかなと。
 あせる気持ちもありますが、最後の最後でいいと思っています。要するに、
面倒くさいのかもしれません。

 もちろん、最初の製作費だけで無限に商品を売ることができるという点に魅
かれるのも正直なところ。もし土曜社が電子書籍を出すことがあれば、そのと
きは、金まわりに窮してきた兆しだとお察しください。

ーーー最後に、読者のみなさまに一言!

 ひとり出版社の宿命で、書店まわりから帰っても報告する相手がいないとい
うような毎日です。どうしても偏ってきてしまいますから、書店や同業の方々
とドシドシ意見交換をしたいと思っています。代官山にお越しの際は、どうか
気兼ねなく、ご一報ください(ランチのおいしい店があるんです)。
 くどくど自分のことばかりお話ししましたが、これからも温かく見守ってい
ただければ幸いです。

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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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関曠野 『フクシマ以後―エネルギー・通貨・主権』青土社

本書は、在野の思想家、関曠野さんの最新の評論集です。『現代思想』に書き
ためてきた、政治経済に関する時評的な論考に、2編の書き下ろし作品を加えて
刊行されました。われわれ関ファンには、20年以上「近刊予定」のままとなっ
ているルソー論を一刻も早く読みたいという思いがあります。

また、あまりの考察のスケールの大きさ故に、短い論考では消化不良に終わっ
てしまううらみが関さんにはありました。しかし、本書において展開されてい
る震災と原発事故についての考察には、他の追随を許さない独創性が溢れてい
ます。

関さんは、歴史をロゴス(理性)の自己展開とみなすヘーゲルを退け、人間の
ミメーシス(模倣)への飽くなき欲望こそが歴史を動かしてきたと主張してい
ます。満足な資本も産業ももたない日本が植民地支配に乗り出したのは、大英
帝国のミメーシスに他なりません。

その結果生まれた大日本帝国は、ヒロシマの原爆で終焉を告げました。戦後の
日本はアメリカをミメーシスの対象とすることで豊かな社会を築き上げました。
その経済発展の原動力となった「日本株式会社」にとどめを刺したのがフクシ
マの原発事故だったのです。

関さんは日本の左翼の知的怠慢を厳しく批判しています。悪意ある他者が存在
する可能性が高い国際社会のなかで主権を維持するためには、武力の保持は不
可欠です。ところが左翼は、非武装中立論を語ることで主権の問題を棚上げに
してしまい、アメリカの軍事力に依存し豊かさを貪る道を暗黙のうちに是認し
てきました。冷戦終結後の世界では、左右対立図式は無意味なものです。大震
災と原発事故の惨禍のなかでもっとも見事な働きをみせたのは左翼などではな
く自衛隊と皇室でした。このことの意味を関さんは問うています。

 第9条の規定によって、憲法外の存在とされてきた自衛隊は、社会的に承認
される道を模索し続けてきました。最終的に自衛隊が選んだのは、災害救助に
専心することで「愛される自衛隊」となる道だったのです。今回の震災で自衛
隊が、被災地の人たちを物心両面で力強く支えることができたのは、長年の研
鑽の賜物なのです。

外交の失敗がもたらす戦争のリスクより、システムの暴走に由来するハザード
(災害)の生じる可能性がはるかに高い21世紀において、自衛隊のあり方は
世界の軍隊の模範たりうると関さんは言います。

天皇の地位も憲法上不明確。ただ「国民統合の象徴」と規定されているだけ。
明仁天皇は、「象徴」ということばに内実を与えていきます。被災地にビデオ
のメッセージを送り、避難所への慰問を重ねることで、被災者と苦難を共有し
連帯する「模範的国民」のあり方を自ら示したのです。

天皇は、古代から続く皇室に新たな生命を吹き込みました。古いものが新しい
ものにとって替られるのではなく、若々しく甦り続ける。これこそが日本の国
柄です。そして、この国柄故に日本は、混迷する世界の希望たりうると関さん
は言います。

◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「若者は日本を変えるか-世代間断絶の社会学」世界思想社

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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「林檎の話」
 
言わずもがなのアップルコンピューターの創始者、スティーブ・ジョブズ。
困った事に(誰も困らないだろうが)同い年だ。

彼が亡くなったと知った時、何の関係もないのにアップルにお悔やみメールを
打ってしまった。
 
別に熱狂的なMacファンではない。が、結構メカ音痴でアナログ派の私がPCを触っ
ているのは「彼」のせいなのだ。

TVコマーシャルで「iMac」のあの丸っこいフォルムを見た途端、むくむくと物
欲が湧いて来た。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980819/imac.htm

「どうせ買っても使う事無いし、高いオモチャになるに決まってる」
そう考えて少しは辛抱したのだが「あの丸っこいのが部屋にいる」事を想像す
ると我慢出来なくなって買ってしまった。

「iMac」はたかいオモチャではなく「高くてかさばるオブジェ」に成り果てた
が、その後も2代目、3代目と続いて机の上でかさばったまま今に至る。当時は
別にPCが無くても困らなかったし、それまでのMac vs Windowsも対岸の話だっ
た。それが・・・。
 
何かと不都合も多いし(と言うか買った直後に電源スイッチの不備で修理に出
すはめになったのに電話が通じなくてどんだけイライラさせられたか)互換性
が無いため少数派の悲哀をいやと言う程、味あわされている。
でも「見た途端に欲しくなるメカ」を考えた同級生って・・・。
 
聞くところ(読むところかな?)によると決して同じクラスにいたら仲良くな
る事は無い人物だったと思う。

それでもあんなワクワクするものを作ったと言うだけで「うちの友達にすごい
やつがおる」と吹聴したくなっただろうな。
 
いい大人になると「ワクワクする事」が少なくなって来る。
そして映画も小説もマンガもワクワク度がどんどん下がって来ている。
 
こうなったら最後の砦「iPhone」を買ってみるか・・・。


◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html

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■はてな?現代美術編 koko
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第22回 『神格化されたアーティスト、ヨーゼフ・ボイス』

その風貌ゆえか、はたまたその難解なアクションからか、60年代から80年初め
まで、美術界のスターになったドイツ人、それがヨーゼフ・ボイスです。

ウォーホールが大量消費社会の寵児としてのスターであれば、ボイスは社会を
変革していく手段として芸術、つまり『社会彫刻』を提唱したスターです。
60年以降の現代アートの二大横綱のような印象があります。

ヨーロッパでは、活躍分野が違うにも関わらずワグナーを引き合いに出すこと
もあります。(先日亡くなったスティーブ・ジョブズを現代のダ・ヴィンチと
言った人もいましたね、色んな比較が世の中でされるのは興味深いものです)

トレードマークの帽子や、彼の顔つき、そしてのちにそれ自身が作品となる洋
服や彼の戦争体験などが彼の神格化を手伝いました。しかし極め付きはその難
解さでしょう。

彼が1984年、西部美術館での個展のために初来日したときには、すでに活動の
ピークは終わりを告げようとしていました。1986年64歳で亡くなるのですが、
来日当時の評判はあまり芳しいものではなかったようです。討論会もアクショ
ンも、どうも観客とボイスとの間に大きなギャップがありました。

でも今50歳前後の人であればわかると思いますが、当時の芸術関係者の間では
噂の大物アーティストをとうとう日本で見れるということで盛り上がりは最高
潮でした。セゾン文化最後の華のような展覧会だったのです。しかし当時の大
学生がいくら頑張っても、ボイスの意図するところはなかなか理解できなかっ
たようです。

今更ではありますが、アメリカやヨーロッパを初めとする資本主義の崩壊を目
の前にして、ボイスの呼びかけの価値が再発見されつつあります。
□ボイスについて
http://moonlinx.jp/headline/art/000681.php
http://matome.naver.jp/odai/2129799136200623101

彼の神話の始まりは1962年、ナム・ジュン・パイクと知り合い、フルクサスの
メンバーになった40歳過ぎから始まります。
ここから彼の伝説となる『アクション』の数々が生まれていきました。
□フルクサス(Wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%8
2%B9

『社会彫刻』という言葉が端的に表すように、アクションを通じて社会を変革
していくのが彼の手法なのです。したがって完成作品は私達の住む社会そのも
のということになるのでしょうか。

彼の作品は今まで紹介した美術作品とはかなり違います。まさにコンセプチュ
アルアートの典型といえます。ボイスが行った≪アクション≫は≪ハプニング
≫とは違い、観客自体の意識を改革していこうという大いなる試みでした。

当然、彼の作品を何も知らずに観た人は、訳がわからぬまま大きな“?”マー
クを頭に抱いて展示空間を通り過ぎることになるでしょう。私も長い間そうで
した。

彼がよく用いた素材はフェルトと脂肪でした。とにかく彼の死後残された作品
というか物質は、美的鑑賞には全く値しないものです。今でも果たして彼が神
格化されるほどのアーティストだったのかどうかこれだけでは知るすべはあり
ません。

このようなものはリアルタイムに同じ知識見識を共有した人間が集まる場で体
験しなければならないでしょう。彼の活動の真意を見極めるには、私は少し遅
く生まれて、しかも文化的に何も共有できない遠い土地に育ってしまいました。

それでも彼の作品を理解しようとするならば、最低限必要なことがあります。
まずは哲学、そしてヨーロッパにおける宗教観と歴史、そして政治への関心で
す。

少なくともこれらなくしてボイスのパフォーマンスを理解できるとは到底思え
ない。今フランスに住むようになって初めて少しだけ理解できることもあるけ
れども、本質的には難解であるとしかいいようがありません。

以下は記事の抜粋です。

記者: 貴方の作品はどういった情報を与えるべきなのでしょうか?

ボイス: 政治、哲学、神学の関係についての情報です。それ自体理性的に語っ
たりはしませんが、理性的にさせるものです。

記者: つまり、芸術は、再びまた哲学の代替物のようになると?

ボイス: 認識する手段としての哲学の時代はもう終わりました。しかしなが
ら今日、意識の拡張は急務です。ここにおいてこそ芸術が必要なのです。

記者: ・・・・貴方もやはり状況が変わることを望んでいるのでしょう?

ボイス: ええ。しかし革命とは、まず人間の中でおきるのでなければ、外的
な革命では必ず失敗してしまいます。人間は、宇宙飛行士が宇宙空間を征服す
るように、内的空間を征服しなければなりません。芸術とは確かに、つねに個
々の、自由で創造的な人間に訴えかけるものです。

記者: つまり、貴方の芸術、貴方の政治プログラムの基本は、人間の中の芸
術家だということですね。しかし、すべての人間が芸術家なのでしょうか?
ボイス: その通りです。すべての人間が根本的には芸術家なのです。人間を
他の仕方で定義することなどできません。
           
           『ケルン都市新聞』 1968年6月14・15日発行

ここでボイスの有名なパフォーマンスの一つを具体例として挙げておきましょ
う。それは1974年ニューヨークのレネ・ブロック画廊で行われた『私はアメリ
カが好き、アメリカも私が好き』です。内容はボイスが画廊の中でコヨーテと
一緒に1週間暮らすというもの。

□Coyoteビデオ
http://www.youtube.com/watch?v=e5UXAqpSJDk

このアクションの真意は、アメリカ先住民の間で神聖化され、白人によって迫
害されたコヨーテを真のアメリカと捉え、コヨーテとのみコミュニケーション
をとり実際のアメリカ人と接触しないことにより、先住民やその文化の迫害の
延長に存在する近代以降のアメリカ社会を暗に批判するものでした。
最初で最後のニューヨークでのアクションです。

調べてみるとこのアクションは徹底していて、ニューヨークの空港に着いた時
点で、ボイスはフェルトにくるまれて救急車で画廊まで運ばれました。その後
1週間1歩も画廊から出なかったそう。画廊がオープンしている時はコヨーテと
檻の中で過ごし、クローズすると画廊の上階にある部屋で食事をしていたそう
です。

またこのパフォーマンス以前にもMoMAや他のギャラリーから個展のオファーが
あったそうですが、ヨーロッパの新しい前衛に対する、ニューヨークのアート
マーケットの尊大な態度を無視し続けました。自分達の存在意義を主張するの
に最適な場所が、ソーホーというニューヨークのヨーロッパ空間だったのです。

そして具体的には檻の中でウォールストリートジャーナルに毎日数回ずつコヨー
テに排泄させるような行為を通じて、現代アメリカへの痛烈な批判メッセージ
が発信されたのでした。

実際観た人はさぞかし吃驚したことでしょう。
こうしてボイスは芸術活動の地平を拡充したアーティストです。

◎koko
苦節10年、円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
まぐまぐメルマガ「Sacres Francais!映画と美術とパリジャンと」(通常は隔
週、この夏は不定期発行) 発行中。
http://www.mag2.com/m/0000191817.html

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■日豪戦争 内藤陽介
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 日豪戦争(16) 捕虜と郵便(下)

 1945年9月2日、東京湾に停泊していた米軍艦ミズーリ号上で対日降伏文書
が調印され、それまで、日本の支配下ないしは占領下に置かれていた各地に連
合諸国の将兵が進駐していった。

 その際、彼らが日本軍の武装解除と並行してまず初めに行ったのが、捕虜の
解放である。

 以前の本連載でも紹介したように、先の大戦で日本軍の捕虜となったオース
トラリア人は約2万2000人いる。そのうち、8301人が亡くなったとされている
から、1万3700人ほどが、ともかくも生き延びて、日本軍の収容所で終戦を迎
えたことになる。

 収容所を解放した進駐軍は、戦勝国民としての元捕虜(解放捕虜)たちに衣
服や食事、医療を与え、順次、本国へと送還していったが、その際、解放捕虜
たちが自分の状況を本国の家族・関係者に知らせることができるように、彼ら
を対象とした料金無料の郵便サービスを提供することもあった。

 http://blog-imgs-23.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20060613234632.jpg

は、そうした解放捕虜を対象とした無料郵便の一例で、バンコクからオースト
ラリアのタスマニアあてに送られた郵便物である。

 大戦中、日本軍の捕虜となったオーストラリア人約2万2000人のうち、実に、
約1万3000人が泰緬鉄道の建設工事に動員されていたから、バンコクからオース
トラリア宛の解放捕虜の通信ルートを確保することは非常に重要であった。
 郵便物の表面には解放された捕虜の差出であることを示す“E.X. P.W. MAIL
(元捕虜の郵便)”の書き込みがあり、料金無料を示す“PASSED FREE OF
POSTAGE”の印が押されている。
 裏面には、この郵便物の差出人がオーストラリア軍(AIF: Australian
Imperial Forces)の中尉である旨の記述があり、開封時の破れで一部が読めな
いが、ホテル、オリエンタル(ORIENTAL HOTEL, BANGKOK)の文字も見える。

 現在、マンダリン・オリエンタルと呼ばれているこのホテルは、1887年にバ
ンコク発の西洋式ホテルとしてオープンした。チャオプラヤー川沿いの大使館
街の真ん中に位置しており、タイを代表する高級ホテルとして多くの著名人が
宿泊してきたことは広く知られている。

 オリエンタルは、大戦中の1942年からは、一時的に日本の帝国ホテルが経営
を委託されていたが、終戦に伴い、ホテルも進駐してきた英印軍によって接収
され、帝国ホテルは撤退を余儀なくされた。接収されたホテルは英印軍の将校
のみならず、解放された元捕虜のうち一部の将校階級の者の宿舎としても用い
られた。

 この郵便物の差出人もまた、収容所からオリエンタルに移って帰国を待って
いた1人というわけである。解放捕虜たちと泰緬鉄道に関する郵便物としては、
こんなものもある。

 http://blog-imgs-23.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20070802001500.jpg
 終戦から1年後の1946年12月、泰緬鉄道の建設に動員され、からくも生き延び
た元捕虜たちが、ビルマ側の起点であったタンビュザヤに集まり、犠牲者の追
悼式典を行った。

 追悼式典がタイ側で行われなかったのは、大戦中、タイのピブーンソンクラー
ム(ピブーン)政権が、英仏によって奪われた“失地”を回復するため、親日
政策を採用し、連合国に対して宣戦布告を行ったという経緯があったためであ
ろう。

 結局、選挙の悪化に伴い、1944年7月、ピブーンは政権の座を追われ、タイ
の権力を握った摂政のプリーディーによって樹立されたクワン・アパイウォン
政権には反日組織の自由タイの重鎮も入閣する。ただし、自由タイが連合国の
支援を受けて計画していた反日武装蜂起は、それが実際に起きる前に終戦が訪
れたため、幻に終わっている。

 さらに、終戦直後の1945年8月16日、タイは、1941年の米英に対する宣戦布
告に摂政プリーディーが署名しなかったことを根拠として、連合諸国への宣戦
布告はタイの意図に反して日本に強制されたものであり、法的にも無効である
と宣言。同時に、戦争中、日本との同盟により回復した、ケダー、ケランタン、
トレンガヌ、ペルリスのマラヤ4州とモンパンとケントンのビルマ2州の“失
地”を英国に返還することを明らかにした。

 米国は、早くも8月21日、この無効宣言を受け入れる。その背景には、英仏
の国力が衰退し、東南アジアにおける戦後の国際秩序の再編成が避けられない
以上、曲がりなりにも第二次大戦以前から長きにわたって独立を維持していた
唯一の国であるタイを戦後の東南アジア戦略の要として取り込んでおくのが得
策であり、そのためには、タイのすみやかな戦後復興を促す必要があるとの情
勢判断があった。

 一方、英国は日本との同盟により、マレー4州とビルマ2州を奪い、泰緬鉄
道の建設工事で多くの兵士の命が失われたこともあり、タイをあくまでも敵国、
すなわち敗戦国とみなして強硬な姿勢を取っていた。さらに、泰緬鉄道の建設
工事でより多くの犠牲を払ったオーストラリアのタイに対する姿勢は、さらに
強硬であった。

 結局、タイに好意的な米国のとりなしにより、1946年1月、タイによる宣戦
布告の無効確認、英国資産の原状復帰、コメ150万トンの供与などを骨子とする
平和条約が調印され、タイと英連邦諸国との戦争状態は終結する。

 しかし、実際に捕虜として苦難の生活を送っていた英豪両国の解放捕虜たち
からすれば、国家間の和平とは別の次元で、タイに対するわだかまりはぬぐい
切れていなかったのだろう。

 さて、1946年12月の慰霊式典の会場内には、タンビュザヤ郵便局の臨時出張
所も設けられ、1946年5月に発行の「戦勝記念切手」が発売され、“タンビュ
ザヤ慰霊祭(THANBYUZAYAT MEMORIAL CEREMONY)”の文字が入った記念印も使用
された。この郵便物は戦勝記念切手を貼り、慰霊祭の記念印を押してオースト
ラリアのシドニー宛に差し出した書留航空便である。

ちなみに、戦勝記念切手のデザインは、ビルマ地図とジョージ6世の肖像という
共通のフォーマットに、9パイサはビルマ人男性を、1.5アンナはビルマ人女性
を、2アンナは伝説の神獣を、3アンナ6パイサはティーク材を運ぶ像を、そ
れぞれ、配したものである。

 大戦中、日本軍の占領下にあったビルマでは、1943年8月に親日派のバーモ
(バモオ)政権が独立を宣言したが、日本の敗色濃厚とみるや、アウンサン将
軍が指揮するビルマ国民軍は、1945年3月27日、日本及びその指導下にあるビ
ルマ国政府に対してクーデターを起こし英国側に寝返り、5月1日にはラングー
ンに進駐した。

 その後、英国はビルマの再占領地域で軍政を施行し、1945年10月には、イン
ドのシムラに避難していた英ビルマ政庁を復帰させ、植民地支配を再開する。
 これに対して、日本の占領下で“(形式的にせよ)独立”を得ていたビルマ
人は、当然のことながらこれに反発。このため、英国は1946年1月1日には民
政移管も行ったが、独立運動はおさまらず、アウンサンを総裁とするパサパラ
(反ファシスト人民自由連盟、AFPFL)との交渉の結果、1947年1月、ロ
ンドンでのアウンサン=アトリー協定が締結され、英国政府にビルマ独立を認
めさせた。

 慰霊祭は、このようにビルマで反英の空気が広がっていたなかで実施された。
慰霊祭に参加した英豪軍の関係者は、自分たちこそが日本軍の侵略から英領ビ
ルマを守ったとの自負を強く持っていたに違いない。

しかし、戦前にビルマで過酷な植民地支配を行い、日本軍が撤退した後も戦前
同様の植民地支配を復活させようという英国に対して、日本軍と本質的な差異
を感じないというのがビルマ人の偽らざる感情だろう。当然のことながら、彼
らの目には、オーストラリアも英本国の追随者にしか見えなかったに違いない。

 英豪両国の元捕虜たちが、タンビュザヤに乗り込んで、自分たちの犠牲のみ
を強調するイベントを開催したことに対して、はたして、現地のビルマ人たち
はどのような視線を向けていたのか、筆者には興味がある。

 なお、オーストラリア人将兵ほかの多くの犠牲の上に建設された“泰緬鉄道
”は、現在、タイ側のノーンプラドック=ナムトク間のみが運行されており、
そこから先のサイヨークやニーケ、さらにはビルマ側のパヤトンズーやタンビュ
ザヤ、モールメンの線路には、現在、鉄道は通っていない。

◎内藤陽介(ないとう・ようすけ)
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会員。
フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や
地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。最新作『
ハバロフスク』彩流社・切手紀行シリーズ4
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/

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■編集後記
アマゾンジャパンが、とうとう日本語の電子書籍を出すらしい。もちろんキン
ドルも売る。iPadもAppleが強欲なのか日本での展開はまだ事実上ない。ソニー
など日本勢はもっと弱体に見える。

それはそれとして、私は未だに電子書籍端末を買う気にならない。本が電子化
されたら、「また本買ってきて!」と怒られては本棚を見てはため息をつく状
態から解放される。その意味で電子書籍化は大歓迎なのだが、端末に縛られた
くないのである。

だから専用端末ではなく、iPadのような多くの「電子書店」を利用できるプラッ
トフォームのほうに魅力を感じる。アマゾンも心得たもので、そうした顧客心
理をわかっているからiPadにキンドルアプリを用意し、キンドルにも新モデル
をandroid化させているのだろう。

しかし、電子書籍を買った店のブラウザアプリを全て端末にインストールこと
になるだろうし、本を探す時どこの店で買ったかを常に意識させられるのはちょっ
と・・・

そんなわけで多くの電子書籍ブラウザの起動シェルの役割を果たす「電子本棚」
みたいなアプリがあったらいいと思う。本のタイトルを選んでタップ(あるい
はクリック)したら、自動的にその本を買った電子書店のブラウザが立ち上がっ
て本の表紙が表示され、しおりを挟んでいたらそのページが表示されるアプリ
ケーションだ。

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