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[本]のメルマガ vol.433
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□■[本]のメルマガ【vol.433】11年6月25日発行
                         [35人に1人 号]
 http://honmaga.net/
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□■     創刊は1999年5月10日、現在の読者数は5523名です。
■□ 「まぐまぐ」で、殿堂入りメールマガジンのひとつに選ばれました。
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★トピックス
→上林暁の小説集、先行販売

★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→「モーツァルトの姉」フランスぽいがイタリアです。

★「今月のこの一冊」 小谷敏
→阿久根市騒動を社会学的に見てみる。

★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→遅刻の研究

★「はてな?現代美術編」 koko
→ニューペインティングにいらついたドナルド・ジャッド

★「日豪戦争」内藤陽介
→郵便学者の本領!捕虜と郵便

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『満鉄外史』

菊池寛著 四六判 460頁 定価2940円 ISBN:9784562047031

明治から昭和前期、多くの日本人が夢見た新天地、満洲。

現場の鉄道マンが異国で奮闘するエピソードを中心に、国策会社・満鉄(南満
洲鉄道株式会社)設立から満洲国建国宣言時の様子までを熱く描いた、文豪菊
池寛の知られざる傑作! 解説=天野博之 ※新組み・新装版

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■トピックス
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■上林暁の小説集、「星を撒いた街」先行販売
高校生の頃、国語の教科書に載っていた病妻ものに泣いた人必読!

講談社文芸文庫や新潮文庫では読めなかった作品を、古本ソムリエの異名をと
る「sumus」代表の山本善行氏がセレクション。

書影はこちら
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本日より神戸海文堂書店、京都善行堂で先行発売
こちらでも予約可
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■トピックス募集中です!

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■Italia dolce e amara: 甘くて苦いイタリア / 雨宮紀子
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第23回 「モーツァルトの姉」って知ってますか?

モーツァルトといえば、ミロス・フォアマン監督の「アマデウス」がなんといっ
ても印象に残っている。ほかにもモーツアルトの映画は多いそうだが、かれと
同じように早熟な才能に恵まれていた姉、ナンネルは登場していなかった。ご
く最近、フランス映画「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」が日本で上
映されたようだ。やっとモーツァルトの姉にも光が当てられたわけだが、映画
ではフランス王太子から擁護され、ロマンスも芽生えるというフィクションに
なっているようだ。

小説『モーツァルトの姉』(La sorella di Mozart)はリータ・シャルボニエ
(Rita Charbonnier)著で、このフランス映画とは違い、家族間で交わされた
書簡から、実在人物と実際に起こった事件に基づき、ディテールに想像力を駆
使して書かれた。著者はヴィチェンツァ生まれでローマ育ちのイタリア人女性
で、フランス人っぽい姓はフランスに接するピエモンテ出身の先祖からくると
のこと。

演劇女優でもあった著者については、写真もここに:
http://www.ritacharbonnier.com/about

この本を見つけたのは2週間前、港町リヴォルノの市だった。日曜の午後の海岸
通りにテントを張った屋台には、どれにも人の気配がなく、みな早くも夏のシ
エスタをむさぼっているようだった。通り過ぎるときに見たのが、ディスカウ
ント本の屋台。よくある料理や絵本のほかに、5ユーロ(約570円)の台には世
界的なベストセラーで売れそうなもの、3ユーロ(約340円)ではペトラルカの
詩集など、売れ筋とはいえない本が置いてあった。『モーツァルトの姉』は5ユー
ロだった。

愛称でナンネルとよばれた4歳半年上のマリア・アンナ・ワルブルガ・イグナー
ツィアは偉大な天才モーツァルトの姉であったがために、音楽家としては歴史
に埋もれた。父レオポルトは彼女の早熟な才能を見いだしてハープシコードを
勉強させるが、モーツァルトが希有な才能を表すにつれ、女はヴァイオリンに
触れてはいけない、作曲なんてもってのほか、と音楽こそが生き甲斐のナンネ
ルを精神的に苛むようになる。

皇帝の前で演奏もしたピアノの腕前があり、才能を認められていながらも、こ
の境遇に意固地に抵抗するナンネルは、仲の良いモーツァルトの叱咤にも耳を
貸さずに演奏や作曲と絶縁し、父親がいうようにピアノ教師となる。皮肉にも、
モーツァルトを売り込むためにヨーロッパを巡る父とモーツァルトの旅の費用
を、ピアノ教師として稼ぎだす痛ましさだ。

第一部の200ページはナンネルが教え子ヴィクトリアの父親アルマンドと交わす
書簡で始まり、ナンネルを理解して救おうとするアルマンドとの結婚を目前と
する書簡で終わる。いわば予想通りというか、期待されるような展開だ。

後半は、名声高まったモーツァルトが、なんと教え子ヴィクトリアを妊娠させ、
しかし結婚する気などなく、ナンネルはアルマンドから冷静に結婚破綻を申し
渡される。彼女のほうも、アルマンドに捧げるオペラを作詞・作曲したが、ア
ルマンドが自費出版すると知って自尊心が傷つけられる。大佐のアルマンドは
ザルツブルクからミュンヘンへの異動を願い出るという。

自暴自棄で生きる気を失ったナンネルは、家政婦の好意で亡母の故郷でもある
ザンクト・ギルゲンの山で家政婦の家族と暮らすことになり、自然に癒される
ように少しずつ自分を回復していく。前から好意をみせてくれた、子だくさん
の男爵、ヨハン・バプティスト・フォン・ベルヒトルト・ツー・ゾネンブルク
と結婚。そのあたりの展開はちょっとファンタジー調で斜め読みしたくなるが、
ディテールが豊かだ。

モーツァルトとはすっかり疎遠になり、ウィーンの生活の実情に疎かったが、
かつての教え子ヴィクトリアがピアノ教師となり、男爵夫人ナンネルを突然訪
問して、モーツァルトの急死を告げる。ウィーンに派遣された父親のアルマン
ドがモーツァルトの棺が屋敷から出て行くのを見た、と。アルマンドについて
は読者はこれ以上は知ることができない。悲痛な思いを抱えてナンネルはウィー
ンへ赴く。

そこからは、モーツァルトの姉としての行動が鮮やか。毒薬による死の疑惑、
アントニオ・サリエリとの邂逅にも触れるが、新味はない。墓を造るお金にも
欠いた妻のコスタンツェから、モーツァルトが遺した楽譜を取り戻して管理し、
もはや弟の音楽を後生に伝えることが新たな生き甲斐だ。

小説の終わりは、モーツアルトの彫像が建てられる場所の地下に古代ローマの
モザイクが発見され、ナンネルは「ここでは幸福が生き、悪事は何も起こらな
い」というラテン語碑文を解読して笑い出す。二人が子供のころ、女であるた
めにラテン語を習えなかったナンネルに、モーツァルトは二人の間のモットー
のこのラテン語をいってはからかったのだ。この言葉こそ、ナンネルが行き着
いた境地だったというべきか。

どこか文学的で、どこかファンタジー。厳密なナンネル・モーツァルト伝を期
待する向きにはやわらかすぎるタッチだが、著者にとって最初の小説にしては
なかなか意欲的ではないか。1996年にCORBACCIO社から刊行され、12カ国で読ま
れている。サイトによると、「アレクサンドル・デュマのおかしな日」(La
strana giornata di Alexandre Dumas)と「エルザの二つの人生」(Le due
vite di Elsa)を続いて世に出している。


◎雨宮紀子(Gatta Italiana)
フィレンツェ在住のフリーランス。著書に『メディチ家 ルネサンス・美の遺
産を旅する』(世界文化社)。メルマガ『イタリア猫の小言と夢』は、melmaの
2007年メルマガ・オブ・ ザ ・イヤー受賞。
http://www.melma.com/backnumber_86333/

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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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平井一臣 『首長の暴走 あくね問題の政治学』 法律文化社 2000円(
税別)

 鹿児島県阿久根市は、妙なことで全国にその名を知られるようになりました。
2008年に市長に当選した竹原信一は、市職員の給与を自分のブログに公表。
物議をかもします。竹原は「高給取りの公務員」への攻撃を執拗に続けます。
職員給与を記載した紙を市庁舎内に貼りだした際に、それを剥がした男性職員
を懲戒免職処分にしています。議員定数の大幅な削減を主張して市議会とも対
立。議会を開かずに様々な案件を市長の専決事項として処理します。数々の蛮
行によって「ブログ市長」竹原信一の名は全国に轟わたりました。

 本書の副題には「あくね問題の政治学」とあります。小泉政権の時代から「
ポピュリズム」ということばが人口に膾炙していきました。権力者が大衆的人
気を背景に強引に自らの施策を推し進めていく政治手法が「ポピュリズム」で
す。公務員たたきを掲げて市長の座につき、ブログを通して全国的に支持者を
獲得した竹原の手法は、「ポピュリズム」と呼びうるものです。東国原、橋下、
河村…。ポピュリズム首長の暴走は、阿久根だけではなくいまや全国的な現象
です。著者が「阿久根」ではなく「あくね」と表記した所以です。

 90年代の地方自治体への権限の移譲は、首長の権力を大幅に増大させてい
きました。首長の権限強化が、数多の優れた改革を可能にしたことは事実です。
しかし、竹原のような「独裁者」を生み出す余地を作ったことも否定できませ
ん。様々な改革が進むなかで旧態依然足る地方議会は、自らの特権を手放そう
とはしませんでした。住民の地方議会への不信感には根深いものがあります。
竹原市政の評価をめぐって市民の賛否はまっぷたつに分かれていました。他方
市議会に対しては、ほとんどの市民が否定的な見方をしています。

 公務員給与の引き下げを公約にして首長の座についたという点で、竹原と橋
下とは酷似しています。安定した身分と高い(?)給与に恵まれた公務員への
人々の羨望の念に訴えかける彼らの手法を著者は「ジェラシーの政治」と呼び
ます。底知れぬ不況が続くなかで、多くの人たちが経済的な不安に苛まれてい
ます。自分たち置かれた状況を改善しようとするのではなく、自分よりもわず
かに恵まれた立場にある者たちを叩くことで溜飲を下げる「引き下げ」民主主
義が、ポピュリズム首長の跋扈を許していると著者は指摘しています。

 これだけ多くの問題を引き起こした竹原に最後まで強固な支持を与えた層は
市民の3割に上ります。彼らは公務員へのジェラシーの故に竹原を支持してい
たのでしょうか。深刻な過疎に悩む阿久根市は九州新幹線のルートからも外さ
れてしまいます。同市の将来に明るい展望などもてそうもありません。地域の
将来への絶望感が、「独裁者」を自認する竹原を強固に支持する層を生み出し
たのではないか。そして全国に広がる地方の疲弊が、「草の根ファシズム」の
温床となり、第二第三の竹原を生み出していくのではないでしょうか。

◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けること感謝。
最新刊「若者は日本を変えるか-世代間断絶の社会学」世界思想社

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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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回は「焦らない」話

某嵐山にある嵯峨芸術大学。ここに非常勤講師として通い出して5年(たぶん)。
もともとこの学校の出身なので通いはじめの頃「へえ〜スクールバスがあるの
か。便利になったね」と、こちらもありがたく使わせてもらっているのだが…
最近「?」な事に何度か遭遇した。

何かの都合で発車時間に遅れる学生がいる。ただバスは最寄り駅を通過しつつ
学校に向かうので運転手の方はバス停に向かう学生を発見するとバスを止めて
乗せてくれる。
ここで「?」に遭遇する。

遅れた学生が「焦らない」のだ。
遅れた自分を待ってくれているバスに、小走りになるわけでも「乗せて下さい」
とアピールするわけでもなく、なんとなく「普通に」歩いてくる。

だからと言って態度がでかいわけでもなく、乗り込む時は「すみません、あり
がとうございます」とちゃんと挨拶が出来る。

?どういう事だろ?
別に乗せてもらえなければ、それはそれで構わないのか?それとも元々次のバ
スで行くつもりだったからあえて「乗せて下さいアピール」は必要ないし走る
事もしないのか?

最初見た時はたまたまかなと思ったのだが続けざまに何回か同じ光景に出会う
と「どうやら今の学生のデフォルトがこれか?」と考えるようになった。

なぜ走らない?なぜアピールしない?このバスを逃すと遅刻…

あ!そうか。
遅刻が怖くないんだ。
そう言えば遅刻した学生がやけに堂々と入ってくるし、悪びれた様子もなく課
題内容を聞いてくる。

遅刻が「まっ、いいか」な人にはバスに間に合う事がそれほど重要な事ではな
く、焦る必要もない訳だ。なるほど。

…と言う結論に達したが…授業終わり、まだ人が今後の説明などしている時に
「バイトに遅刻するから帰ります!」と猛ダッシュで学生が帰って行った。
あれ?

◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html

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■はてな?現代美術編 koko
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第18回 『絵画でもなく彫刻でもなく・・・・ ドナルド・ジャッド』

60年前後の現代美術の動向は変革のオンパレードです。わたしのコラムはなか
なかこの年代から離れることができません。50年代後半に試行錯誤されたもの
が結果として60年代のアート作品として立ち現われてきました。

第12回で書いたスランク・ステラのように、作品はどんどん2次元から3次元へ
と膨張してゆき、野外へ飛び出していくのです。

パブリックアートという名で公共スペースに置かれることの多い3次元膨張タイ
プのオフジェ、それは周りの環境と相互に関係しあって成立するオフジェであ
り、建築物と共に空間を創りだす装置といえるものです。その面白い例が東京
立川にあります。そしてそのパブリックアート群の一つに今回取り上げようと
するミニマルアートの代表的アーティスト、ドナルド・ジャッドの遺作がある
のをご存じでしょうか。

□立川ファーレ、ドナルド・ジャッド
http://www.gws.ne.jp/tama-city/faret/c_area/c_n37.html

リーマンショック前の2007年秋のクリスティーズオークションで、フランシス・
ベーコン、ジェフ・クーンズに続いて高額落札されたアーティストがドナルド・
ジャッドです。

□クリスティーズ落札結果
http://www.christies.com/LotFinder/lot_details.aspx?from=salesummary&
intObjectID=4976481&sid=afa43480-0239-471d-8307-e36792b2c35d

彼の作品は簡単に億単位になることが多く、それはずっとずっと私には理解不
可能な数字です。というのも遡れば8億円ほどで落札された作品もあるのですか
ら。

1960年、ジャッドはまだ平面に色をのせるただのぺインターに過ぎませんでし
た。ところが1961年には幾何学な造形作品を作りだしました。ソル・ルウィッ
トと共に、ジャッドは1961年から62年にかけて大転身をはかることになります。

□ドナルド・ジャッド テイトモダン ドナルド・ジャッド回顧展作品解説ビ
デオ(英語)
http://www.tate.org.uk/modern/exhibitions/judd/serota_approaching.htm

□ソル・ルウィット参考作品(画面右上『next』を押しすすめてください)
http://www.nytimes.com/slideshow/2007/04/08/obituaries/20070409_LEWITT
_SLIDESHOW_1.html

1965年、ジャッドは『Specific Objects』を書きました。
そこには≪ここ最近数年間につくられた素晴らしい作品の半分ぐらいは絵画で
もなく彫刻でもないものだ≫と書かれています。取り上げられた優れた作家と
して、Claes Oldenburg, John Chamberlain, Frank Stella, Richard smith,
Dan Flavin, Artdchwager, Robert Morris、そしてジャッド自身が列挙されま
した。

絵画でもなく、彫刻でもなく、ひたすらアート作品を創りだすのがミニマリス
トです。コンセプチャルアートよりももう少し先鋭的でそぎ落とされたスタイ
ルがミニマルアートだと私は理解しています。そして何よりも過去のモダンアー
トの系譜をひくアートの概念との決別をラディカルに願ったアーティスト達で
す。

ジャッドはいいます。

「そこにはヨーロッパの全伝統のすべての構造、価値、感情が貼り付いている。
みんな下水に流しても、僕は平気だ」

「すべての芸術は有機的だが、幾何学形体はそうではないところに、主要な効
力がある。幾何学的でも有機的でもない形があればそれは大発見だろう」
(美術家の言葉から抜粋:http://www.b-sou.com/palw-Judd.htm)

第12回フランク・ステラのコラムでさんざん書いたのですが、過去の芸術概念
との決別、そして無駄なものをそぎ落としてアートオブジェだけを残そうとす
る試みというのは、やはり最終的には進化変容を遂げていくことができなくな
ります。

それ故かはたまた彼がそれを拒んだのかはわかりませんが、彼のスタイルは変
わることなく、その延長活動としてアパート全体を自分でプロデュースしてデ
ザイン家具も作りました。70年代後半にはテキサス州マーファに移住する計画
をすすめます。美術財団の支援を受けて、建物の修理改築や美術作品の制作設
置を行いました。そこは大型インスタレーション作品を設置展示する美術館と
して現在に至っています。

□チナティ ファンデーション サイト
http://www.chinati.org/

70年代、コンスタントに仕事を充実させていたジャッドですが、80年代のニュー
ペインティングの台頭が彼をすっかり頑固なわからずや爺さんに変貌させた印
象を受けます。

例えば、1984年に彼が言っていることを読めば、完全に進化を否定していると
しか思えない辛らつな批判が名指しで繰り広げられいて驚きます。

≪過去15年にわたり、新たに登場するアートの質はつねに低下してきた。それ
にはいくつかの理由が想定されうるが、この間の事情を根底から解き明かすも
のはない。一流のアーティストと呼べる者はひとりとしていないのである。こ
れと同様に、40年代後半から50年代の前半にかけて、そして50年代後半から60
年代初期にかけて、なぜあれほど多くの有能なアーティストが出現したのかも
説明がつかない。・・・・・・シュナーベルはバゼリッツよりましだが、それ
も「抽象表現主義」の剽窃にすぎない。・・・・・・ガルーストのキッチュな
古典趣味は、30年前のワシントン広場野外展でよくみかけた日曜画家と選ぶと
ころがない。・・・・・・私の見た絵画のなかでも最悪のひとつが80年ヴェネ
ツィア・ビエンナーレで展示されたアンゼルム・キーファーの作品である。・・・
・・≫ (『現代美術――ウォーホール以後』)

いずれも今後のコラムで取り上げていくであろう80年代を代表するアーティス
ト達です。

どんな状態であっても進化し変容していくべき現代美術の宿命というものがあ
ると仮定すれば、ジャッドが犯した大きな過ちはなんだったのでしょうか。

もしかしたらジャッド自身が望んだ過去の芸術との決別の必然性と同じ意味に
において、80年代ニューペインティングの若手アーティストはジャッドを代表
とするぺインターでもなく彫刻家でもないアートとまず決別しなければ次の道
に進めなかったのはないでしょうか。具象への回帰というのは80年代には必然
だったのかもしれません。

◎koko
苦節10年、円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
まぐまぐメルマガ「Sacres Francais!映画と美術とパリジャンと」(通常は隔
週、この夏は不定期発行) 発行中。
http://www.mag2.com/m/0000191817.html

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■日豪戦争 内藤陽介
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日豪戦争(12)捕虜と郵便(上)
 先の大戦で日本軍の捕虜となったオーストラリア人は約2万2000人、そのう
ち、8301人が亡くなったとされる。当時のオーストラリアの人口は約700万人だ
から、35人に1人(小中学校の1クラスに1人というほどの割合となろうか)
で日本軍占領下での捕虜生活を過ごしたことになる。

 一方、大戦でのすべての戦死者の合計は約1万9000人。このうち、パプア・
ニューギニアでの戦死者が2165人、マレー・シンガポールでの戦死者は約1800
人、北アフリカの激戦地、エル・アラメインの戦いでの死者が1225人、その他
の地中海戦線での死者が3366人だったことを考えると、日本軍の捕虜として亡
くなったのが8301人というのは、きわめて大きな数字である。

 オーストラリア人が対日戦争の記憶を語る際に、「捕虜」が避けて通ること
のできないファクターであり、その犠牲の大きさゆえに、彼らが日本軍による
「虐待」を声高に指弾するという構図も理解できないことではない。

 一方、オーストラリア軍の捕虜となり、オーストラリア国内の収容所に収容
されていた日本人の捕虜は、1944年8月の時点で2223名(うち、544名は海運業
者)。日本軍の捕虜となったオーストラリア人捕虜の1割ほどしかいない。

 この点に関しては、日本軍将兵には、『戦陣訓』に記された「生きて虜囚の
辱めを受けず」の1節が骨の髄まで沁みついていたため、捕虜とならずに死ぬま
で戦う者が大半だったからだという説明されることが多い。

 たしかに、戦陣訓の呪縛は事実だし、1944年8月5日、1104人の日本人捕虜
のうち545人が脱走を企て、231人の死者と108人の負傷者を出したニューサウス
ウェールズ州カラウ収容所の事件でも、戦陣訓の1節が事件の重要な動機となっ
ていたといわれている。

 しかし、その一方で、1942年1−2月のマレー・シンガポール攻防戦で、追
い詰められたオーストラリア軍が「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」
という原則の下で動いていたという事実も見逃してはなるまい。要するに、彼
らは負傷した日本兵を見つけると、捕虜として収容し、治療を施すのではなく、
その場で容赦なく殺害したのである。

この「捕虜をとるな、負傷兵をそのままにするな」という原則が、オーストラ
リア軍による正規の命令であったことを証明する公的な文書はない。しかし、
戦後になって刊行された元オーストラリア兵の体験記などによると、負傷した
日本兵は殺害するというのは、当時、その場に居合わせた将兵が異議なく合意
していたことであり、軍上層部による「指示」であると信じていた者が多かっ
たという。

もちろん、その背景には、白豪主義というパラダイムの下、有色人種である日
本人への露骨な差別感情があったろうし、なによりも、伝統的にオーストラリ
ア人が抱き続けてきた大日本帝国の優秀な日本兵にたいする恐怖感もあったろ
う。

いずれいせよ、捕虜にする前に殺してしまったのだから「捕虜虐待」には当た
らないといわれればそれまでだが、こうした事情を無視して、日本軍の非道を
一方的に責める日本人がときどきいることに、僕は強烈な違和感を覚える。

 ところで、オーストラリア人捕虜の多くはマレー・シンガポール攻防戦で日
本軍に捕らえられ、マレー・シンガポール地域に残る者と、日本軍支配下の各
地に設けられた捕虜収容所に移送されるものとに分別された。

 たとえば、シンガポールのチャンギ収容所からのオーストラリア人捕虜の移
送記録を見ると、1942年5月14日には、3000人がビルマ(ミャンマー)のモー
ルメン(モーラミャイン)収容所に、同7月8日には1500人がボルネオのサン
ダカン収容所に、1943年5月15日には300人が函館と福岡の収容所に、同6月2
5日と8月24日にはそれぞれ55人と73人がバーンポーン(タイ中部、映画『戦場
に架ける橋』の舞台として知られるカーンチャナブリー近郊)に送られている
ことがわかる。

 こうした捕虜たちの状況がオーストラリアの家族に知られるようになったの
は、1942年7月以降のことである。

すなわち、日豪開戦後、オーストラリア軍が戦っていたマレー半島やニューギ
ニア宛の郵便物は送達不能として差出人戻しとされるのが一般的で、家族は将
兵の安否を案じる日々が続いていた。ようやく、7月23日になって、一部の兵士
の家族に対して、その兵士が“行方不明”であるとの公式の報告が届けられ、
それからほどなくして、行方不明者の名簿が発表されたという。

この間、ラバウルやアンボンなどで、日本軍の進攻からからくも逃げのびた人
々が、現地の状況を新聞やラジオなどで語り、人々はそれに熱心に耳を傾けて
いた。なお、当然のことながら、彼らの関心は、オーストラリア人の将兵や捕
虜がどうなっているかという点に集中しており、香港や中国大陸などについて
のニュースは二次的な扱いにならざるを得なかった。

また、個別の体験談であるがゆえに、その内容は千差万別で、160人が犠牲となっ
たラバウル近郊の農村、トルから逃げ帰った者は、ニュース映画のカメラの前
で銃剣の跡を見せながら日本軍の非道を激しく非難したが、ラバウルから逃れ
てきた別の証言者は、オーストラリア人捕虜の待遇は「それなり」のものであ
ると話していた。アンボンから逃れてきた者の中には、負傷者の程度は軽く、
捕虜の待遇も悪くないと証言する者もあったという。

 その後、1942年10月になって、オーストラリア赤十字社は日本との戦闘で行
方不明になったオーストラリア軍将兵宛の通信の受け付けを開始するが、行方
不明者のうち、捕虜として日本軍の収容所での生存が確認された者の家族へそ
の旨の連絡が届いたのは1943年2月、さらに、捕虜本人から家族宛の手紙が到
着したのは同年9月頃のことだったという。

 オーストラリアと日本軍の収容所が置かれていた地域の間の郵便物は、平時
であれば、ダイレクトに目的地まで運ばれるが、戦時下では、いったん、中立
国またはスイスの国際赤十字を経由し、そこから東京の日本赤十字社に運ばれ、
さらに宛先へ運ばれるというルートをたどらざるを得なかった。もちろん、戦
時下であるがゆえに、輸送機関の便数も大幅に削減されていたし、輸送の途中
で船が撃沈されることもあった。

 たとえば、1944年9月12日、シンガポールを出港し、日本へ向かっていたヒ
72船団は、南シナ海・海南島沖で米潜水艦の攻撃を受け、英・豪の捕虜を乗せ
ていた勝鬨丸と楽洋丸が撃沈され、多くの捕虜が命を落とした。

このとき、救助されたオーストラリアの捕虜の大半は泰緬鉄道の建設に従事さ
せられていたことから、生き残った捕虜の証言により、タイ・ビルマの収容所
での悲惨な実情が連合国側に広く知られるようになったわけだが、この撃沈事
件に関しては、オーストラリア国内では、「捕虜輸送中」との標識を掲げてい
なかった日本側の責任だと主張する論者がときどきいる。

しかし、そもそも、1941年12月の対日宣戦布告の直後から、米国は、日本の海
上輸送を妨害することを主たる目的として、軍艦はもとより、敵側の物資・人
員を運搬する枢軸国・中立国の民間船、商船を無警告で攻撃する「無制限潜水
艦作戦」を発令していた。したがって、「捕虜輸送中」の標識を掲げていよう
がいまいが、米国はヒ72船団を攻撃したはずだ。そして、結果的に勝鬨丸や楽
洋丸に乗せられていた連合国側の捕虜が亡くなってもやむを得ないというのが
彼らの立場であり、そこに日本側の「責任」を問題にするのは明らかに筋違い
であろう。

 さらに、日本側に引き渡された郵便物は収容所当局の検閲を受けて捕虜本人
に渡されることになっていたが、当時の日本側の体制では、その検閲作業だけ
でも相当の時間がかかるのが実情で、収容所までは届けられたものの、終戦ま
でに検閲作業が間に合わず、名宛人に渡されないままに終わった郵便物も少な
くない。

 こうしたことが重なり、捕虜との通信には少なくとも半年以上がかかったが、
それでも、家族にとっては、捕虜の生存を確認し、捕虜と連絡を取る唯一の手
段は郵便しかなかった。
たとえば、

http://blog-imgs-35.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201106251403106aa.jpg

 は、1944年12月にシドニーから香川県の善通寺市に置かれていた捕虜収容所
のオーストラリア軍の大尉宛に送られた郵便物で、捕虜郵便専用の封筒が用い
られている。

 国際法では捕虜が差し出す郵便物または捕虜宛の郵便物は、捕虜郵便である
ことがわかるようにフランス語(万国郵便連合の公用語)で“SERVICE DES
PRISONNIERS GUERRE”と記載したうえで、無料で取り扱うことになっている。

 このため、この専用封筒でも、英文の表示の下にフランス語で捕虜郵便であ
ることを示す表示があり、右上には切手不要(つまり、料金無料)を意味する
“No Stamp Required”の文字も見える。ただし、料金が無料というのは基本料
金(船便)のみで、今回のケースのように、航空便にする場合には、航空料金
相当を支払う必要があった。イギリス国王ジョージ6世を描く2ペンス半切手
2枚、計5ペンス相当が貼られているのはこのためである。

もちろん、航空便で運ばれるとはいっても、善通寺までではなく、途中、日本
側に引き渡される中継地点までであるが、家族としては、少しでも早く手紙を
捕虜の手元に送りたいという気持ちがあったにちがいない。

この郵便物の場合は、オーストラリアを出る時に、開封・検閲された後に、オー
ストラリア当局によってあらためて封をされ、検閲済みであることを示す菱形
の印が押されている。そして、宛先の善通寺収容所に到着したときには、収容
所側の検閲を受け、そのことを示す「善俘 検閲済」(“善俘”は善通寺俘虜
収容所の略)の角型の印を押して名宛人に渡されたのだろう。なお、名宛人に
渡されないままに終わった郵便物には、こうした収容所側の検閲印は押されて
いない。
 
到着日や受取日を示す書き込みなどはないが、シドニーで差し出されたのが19
44年12月だったことから推測すると、名宛人はこの郵便物を受け取って間もな
く、終戦を迎え、解放されたのではないかと思う。
(以下、次号)

◎内藤陽介(ないとう・ようすけ)
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会員。
フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や
地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。最新作『
切手百選 昭和戦後』平凡社
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/

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■編集後記
夏と言えば、小学生の子供を持つ大人にとってもポケモン映画のシーズンだ。
以前にも書いたが、ポケモンというやつ、子供から(実際には親から)とこと
ん金を絞り取ろう取ろうとしている印象か強い。

今年の映画は二本制作、しかし二本立てではなく個別に上映される。よって今
年の映画の出費は倍になるというわけ。

キャラを一つ変えるだけでゲームを二本同時に出すなど、子供の懐を考えてい
るようには見えないやり方を続けているポケモン。

さすがにプチ切れて、今年は親子で見に行くことをやめて子供だけで行かせる
ことにした。昔は二年に一回は大人の鑑賞にも堪える当たりの映画もあったが、
ここ数年はないしね。

親1枚+子供1枚の購買モデルから、これを子供二枚にしたわけで、当然映画
館の客単価は落ちる。せめてもの抵抗だ。

いや、商売のえげつなさならAKB48の方が上だと思うが、あちらはあくま
で相手は大人だから許すというか、勝手にすればいい。

えげつない商売を子供相手にやるから、嫌になる。

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