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[本]のメルマガ vol.698


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■■ [本]のメルマガ                 2018.11.05.発行
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■■  mailmagazine of books       [美術家と旅は面白い関係 号]
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『オリンピック全史』

デイビッド・ゴールドブラット著 志村昌子・二木夢子訳
A5判 上製 480頁+口絵16頁 本体4,500円+税 ISBN:9784562056033

近代オリンピックはいかに誕生し、発展し、変貌してきたのか。多難なスター
トから二度の大戦/冷戦を経て超巨大イベントになるまで、政治・利権・メデ
ィア等との負の関係、東京大会の課題まで、すべて詳述した決定版!

■CONTENTS------------------------------------------------------------

★トピックス
→ トピックスをお寄せください

★味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
→ その29「ル・グィン追悼―魔法使いと竜」

★声のはじまり / 忘れっぽい天使
→ 「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展(町田市立版画美術館)

★ホンの小さな出来事に / 原口aguni
→ 今回はお休みです。

★「[本]マガ★著者インタビュー」
→ インタビュー先、募集中です。

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■トピックス
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■トピックスをお寄せください
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 出版社の皆様、あるいは出版業界の皆様より、出版関係に関わるトピックス
(イベント、セミナー、サイン会、シンポジウム、雑誌創刊、新シリーズ刊行
など)の情報を、広く募集しております。

 情報の提供は、5日号編集同人「aguni」hon@aguni.com まで。

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■味覚の想像力−本の中の食物 / 高山あつひこ
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その29「ル・グィン追悼―魔法使いと竜」
 
 今年一月にアーシュラ・K・ル・グィンが亡くなった。その時から、なにか
追悼の文章を書きたいと思ってきた。私らしく、彼女の世界を彷徨いながら、
おいしいものが出てくる場面を見て行こうかと。

 けれども、彼女の作り上げてきたSFやファンタジー世界はあまりに広すぎる
ので、今回はアースシーの世界、いわゆる「ゲド戦記」の舞台である海と島の
世界だけを見て行こうと思う。そして、その中に描かれる魔法使いやファンタ
ジーで最も重要な生物である竜の食生活を見て行きたい。

 このアースシー、「ゲド戦記」の世界は、前半三部作(『影との戦い』『こ
われた腕環』『さいはての島へ』)と後半三部作(『帰還』『アースシーの風』 
『ゲド戦記外伝』)では食事の描かれ方が違う。さらに、竜の描かれ方もまた
全然違ってしまうのだ。

 例えば、前半三部作にはほとんど食事の場面は出てこない。というのも、第
一巻ではゲドは若い魔術師として修業する話なので、自分で料理などしないか
らだ。食事の場面も、魔術を学ぶロークの学院の給食を食べたり、旅に出ても
友人の妹が用意してくれる糧食を食べたりする場面くらいしかない。第二巻、
第三巻も同様に、冒険に出た先でもゲドは料理などしない。物語に出てくる他
の魔法使いたちも料理をしない。ただ第三巻で若い学生が、アレン王子をから
かって我々魔法使いは呪文で好きな料理を出して食事をすると言うのだが、す
ぐに調理場で作っているレンズマメと玉ねぎのスープを食べることになりウソ
がばれてしまうところがある。だから、魔法学校でも料理は普通に作っている
ことがわかる。

 後半の『帰還』になると主人公が第二巻に出てきた元巫女のテナーに変わる。
テナーは魔女ではないけれど、魔力を秘めた存在だ。けれどもこの物語では、
長い間農家の主婦として働いてきた中年の女性になっている。農作物を育て羊
の世話をし、チーズを作り料理をして家族に食べさせる。テナーのそんな生活
の描写が現れてきてやっと、食事の場面は物語の中に書き込まれていく。さら
に後半部に入ると、ゲドも料理はしないにしろ皿を洗うし、『アースシーの風』
では、熟したスモモを収穫して訪ねてきた旅人にパンとチーズと共にふるまっ
たりするようになって行く。

 さて、肝心の竜なのだが、実は以前に物語や伝説の中の竜というのは何を食
べているのかを調べてみたことがある。
 東洋の龍も西洋の竜も、玉や宝石を好むのだが、それだけが食べ物かという
と、そうとも言い切れないようだ。若い燕の肉や血を食べるという説もあれば、
いやいや真龍は露の気だけを食べるのだという説もある。だが、どちらにも共
通するのは若い女性を生贄にするという話だ。
 本当に食べるのだろうか?
 この生贄とやらは、多くは年に一度捧げられればいいらしいのだけれど、そ
のお肉の量などを考えると、竜の大きさに対して、どうも少なすぎる気もしな
いでもない。

 そんなことを考えながら、ル・グィンの世界に入って行こう。
 第一作の『影との戦い』では、ゲドと竜の戦いの場面がある。この竜イエボ
ーは魔法も使える邪悪な存在で、金銀財宝を略奪するために人を殺す残虐な奴
だ。イエボーはベンダー島でメスの竜と暮らしていたのだが、彼女が出て行っ
た後に残された卵から孵った八匹の息子を育てていた。そして、ゲドは子供の
竜が食欲を感じるまでに退治しなくてはならないという使命を帯びて島へ行く。
そして竜の息子三匹を殺し、イエボーを真の名前で縛って彼らが多島海に来ら
れないようにしてしまう。
 ここでわかるのは、例え竜であっても子供の時に、いきなり「生娘」を食べ
たりしないということだ。さらに、メスの竜がいるならば、その食事も「生娘」
だとは思えない。たぶん若い燕ではないにしろ、羊や小動物を食べているのだ
ろう。

 これに対し第三巻の『さいはての島へ』と後半の三部作に現れる竜は、古代
からの長い寿命を持った深い知恵の持ち主で、ゲドを助ける存在として描かれ
ていく。彼らは超越した存在で、なにかを食べているところは描かれない。
 さらに、物語が進んでいくと、このアースシーの成り立ちの根本に、人間と
竜が元々は同じものだったという話があることが明らかになって来る。やがて、
それとは知らずに、あるいは知りながらも人間として生きているが実はその本
質は竜であるという者たちが後半の物語の中心になって行く。

 では、この竜である人は何を食べるのかといえば、ごく普通の食事なのだ。
 『帰還』で現れるテルーという少女は、テナーが作った

「パンとチーズに、ハーブ入りのオリーブ油に漬けた、よく冷えた豆、それに
オニオン・スライスとソーセージのたっぷりとした食事」

をテナーと一緒にお腹いっぱい食べる。
 旅の途中ではオートミールをすすり、胡桃や干し葡萄で元気をつける。魔法
使いのオジオンの家に生えている桃の木の真っ赤な実も大好物で、種を植えて
育てようとしたりする。  
 
 けれども、そんな普段の食事では、ファンタジーには魅力を感じないという
方々のために、魔法使いと竜が作る食事の場面を見てみよう。
 
 それは、「ゲド戦記」がこの世に生まれる前に書かれた短編『名前の掟』に
出てくる主人公ミスタ・アンダーヒルの料理だ。
 アースシーの東の果てにあるちっぽけな島サティンズ島。ここで、丘のふも
との洞窟に住む魔法使いのミスタ・アンダーヒルは、あまりまじないの腕が良
くない。イボを取ってもらっても三日もたつとまた出てきてしまうし、猫の疥
癬を直してもらったときには赤毛の猫なのに灰色の毛が生えてくる始末。でも、
村の人はよそ者の彼と安心して付き合っていて、夕食に呼んだり、洞窟におよ
ばれしたりしている。

 では、その豪華な魔法使いの食卓を見てみよう。そこにあるのは、

「銀や水晶の食器、綾織のナプキン。供されるのは、ガチョウの蒸し焼きにア
ンドレード産の発泡酒のぶどう酒、そして、こってりソースの掛かったプラム
プディング」

なのだ。けれども、このご馳走を食べた面々は、半時もたたぬうちにお腹がす
いてしまうという。
 魔法使いの作るご馳走というのは、半分目くらましで、その実体は「言葉」
に過ぎないから、食べてもすぐお腹が空いてしまうのだろう。

 けれども、このミスタ・アンダーヒルが自分のために作るお料理はおいしそ
うだ。
 それは、ある日のお昼ご飯。
 町に行って卵とレバーを買った帰り道、彼は学校の前を通りかかる。そして、
丸ぽちゃの美人のパラニ先生の授業をのぞくことになる。授業の内容は「真の
名前は人に告げてはいけない」という掟について。真の名前を誰かに知られる
と相手に支配されてしまうからなのだ。子供たちと一緒に話を聞きながら、彼
はふいに、ものすごくお腹がすいてしまったのに気付き、あわてて洞窟に帰っ
て料理をし始める。彼が涎をたらしながら作るのは、目玉焼きとレバーの料理。
じゅうじゅうと焼ける音と匂いが洞窟の奥から漏れてくる。その様子が実にお
いしそうなのだ。

 ところが、ミスタ・アンダーヒルがたらした涎には秘密があった。実は彼は
竜なのだ。多島海にあるベンダーという島の領主の一族を滅ぼしその宝をすべ
て自分のものとし、ダイヤモンドやエメラルドの上でごろごろ楽しんで暮らし
ては、食事には大好物の「生娘」をさらって食べるという大悪党の竜だったの
だ。ミスタ・アンダーヒルが食べたかったのは、本当は目玉焼きではなくてパ
ラニ先生なのかもしれない。

 物語はこの後、ベンダーの領主の子孫がやってきて急展開をする。彼は、黒
魔術でミスタ・アンダーヒルの真の名前を知ったからと自信満々でミスタ・ア
ンダーヒルに戦いを挑み、彼が奪った先祖伝来の宝を取り戻そうとする。けれ
ど、ミスタ・アンダーヒルが実は竜であることを知らなかった為、この領主の
子孫は魔法合戦に負けてしまう。竜の姿に戻ったミスタ・アンダーヒルは、生
娘という真の食事を始めるだろう……というところで、この短編は終わるのだ。

 それにしても、勝ったとはいえ、真の名前を知られてしまうとは実に迂闊な
竜であるとは言えないだろうか?
 実は、この竜は「ゲド戦記」にも出てきたあのイエボーなのだ。ゲドもイエ
ボーという真の名前を使って、殺さない代わりに多島海に行ってはいけないと
いう縛りをかけて、竜に勝つ。
 二人もの魔法使いに真の名前を知られてしまうとは、イエボーは、ミスタ・
アンダーヒルのように少々間抜けな竜さんであるようだ。
 ゲドと対決した時と、この東の果ての島に逃げてきている時と、どちらの時
代が古いかはわからないのだが、竜の真の食事が「生娘」だとしても、常食で
はないことがはっきりわかるこの物語が私は好きだ。
 ル・グィンの竜は『帰還』『ゲド戦記外伝』を経て『アースシーの風』へと
変化して行き、最古の知恵に満ちた竜だけではなく、美しく実に自由な若い女
性の竜が描かれていく。だから、イエボーは、後半を知ったものの目から見る
と、もはや真の竜ではなく、欲張りでせいぜい大蛇に成り下がったくらいの竜
ということになる。

 けれど、サディアン島でミスタ・アンダーヒルに化けていた時、彼は実は幸
せだったのかもしれない。
 私にとってル・グィンの描く世界で、この小悪党イエボーは一番のお気に入
りの竜であり、鼻から蒸気の煙を吐きながら内股でよたよたと歩き回るちびで
でぶの五十男のミスタ・アンダーヒルは、一番のお気に入りの魔法使いなのだ。

 ル・グィンは最終的に、人間と竜が実はひとつのものであったという物語世
界をこのアースシーで作り上げた。何度も何度もこの世界を旅し、問い続け、
アースシーの中を味わってきたのだけれど、やはり、アースシーが最初に現わ
れた『名前の掟』の物語の中で、魔法使いに化けた竜が作る目玉焼きこそが、
私が一番食べたい食物なのだと思う。
 それにしても、油と塩と卵だけという同じ材料なのに、なぜ目玉焼きとオム
レツは焼ける匂いが違うのだろう?
 そんなことを思いながら本の中でミスタ・アンダーヒルになって、のんびり
とこの平和な島の洞窟でお昼を食べてみようと思う。いやいや、卵は三ダース
ほど買ってあるらしいから、村人になって訪ねて行ってもひとつくらいはご馳
走してもらえるかもしれない。

 こんな風にファンタジーの世界を旅する自由と楽しみは、著者の意図するも
のとは違ってしまうかもしれないけれど、それでも、竜について考えていくこ
とは「独自のやり方で真実に達することができる」ことなのだとル・グィンは
言っている。

 今宵はぜひ竜に変身し、ダイヤモンドや真珠やエメラルド(その名も高い緑
玉のイナルキル!)などを食みながら、ファンタジーという真実の味を味わっ
てほしい。
 アースシーへの旅があなたを待っている。

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アーシュラ・K・ル・グィン著作
「ゲド戦記」のシリーズ
1 『影との戦い』                 岩波書店
2 『こわれた腕環』                岩波書店
3 『さいはての島へ』               岩波書店
4 『帰還』                    岩波書店
5 『アースシーの風』               岩波書店
6 『ゲド戦記外伝』                岩波書店
『名前の掟』     短編集「風の十二方位」   早川文庫SF
『夜の言葉』      同時代ライブラリー    岩波書店
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高山あつひこ:ライター(主に書評)。好きなものは、幻想文学と本の中に書
かれている食物。なので、幻想文学食物派と名乗っています。著書に『みちの
く怪談コンテスト傑作選 2011』『てのひら怪談庚寅』等

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■声のはじまり / 忘れっぽい天使
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第116回 目を閉じて見る
―「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展(町田市立版画美術館)

 美術家と旅は面白い関係にある。写真がなかった頃は遠い土地の風物を視覚
で伝えるという点で、絵は重要な役割を果たしていた。広重の「東海道五十三
次」は代表的な例だろう。博物学者や探検家たちは例外なく絵がうまい。もち
ろん、実用的な目的以外でも、旅は美術家にインスピレーションを与えてきた。
そうした作品には人間の精神が環境に影響される様が生々しく刻まれて興味深
い。王道の名所から強い印象を受けることもあるだろうが、人々の何気ない仕
草やどうということもない日常的なスポットからその地方特有のものを感じ取
ることもあるだろう。目に飛び込んでくる珍しい風物にどうしようもなく反応
してしまう、人間の性が実感できるというわけだ。

 町田市立版画美術館で開催中の「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展
は、旅を愛し旅に生きた版画家を回顧する展覧会である。ヨルク・シュマイサ
ーは1942年ドイツのポメラニア・シュトルプ(現在ポーランド領)に生まれ。
ハンブルク造形大学で幻想的な作風で知られるパウル・ヴンダーリッヒに師事。
京都でも学び、日本に長く住んでいた(夫人も日本人女性である)。各地を旅
しながら創作活動を続け、2012年に最後にアトリエを構えたオーストラリアで
亡くなっている。

 シュマイサーの創作は、師ヴンターリッヒ譲りの半具象的な幻想的な作風か
ら始まった。但し、ヴンターリッヒの持つ暗いロマンティシズム、不安を孕ん
だ官能性はシュマイサーの作品には見られない。「月と化石のようなもの」
(1965)は、化石や月面の模様をデフォルメさせたような不思議な形態の作品
だが、縦横の整理が行き届いたすっきりした造形である。連作「彼女は老いて
いく」(1967-68)は20代頃から老年に至る女性の横顔の変化を描いているが、
ここには日本人が好むような「もののあはれ」の要素はない。老いていく過程
を科学的と言って良いほど冷徹に捉えている。シュマイサーは70、80年代にも、
一人の女性をいろいろな視点で描く「変化」と題する連作を手掛けている。女
性は一個の物体として極めてスタイリッシュに描かれ、女性に対する特別な思
い入れは見い出せない。

 シュマイサーはある時期以降、前述のように世界中を旅して創作するように
なるが、対象に飲み込まれることのない冷静な姿勢は驚くほど一貫している。

 「京都清水寺」(1979-80)は清水寺の春夏秋冬を描いた連作だが、清水寺
一帯の地域が何者かによって浸食を受けている、といった印象を与えられる。
日本画に見られるような、柔らかな筆致で四季の変化を慈しむいわゆる「日本
的情緒」は欠片もない。清水寺は化学反応の実験の場であるかのようだ。シュ
マイサーは日本で学び、「日光絵巻」(1969)のような伝統的な技法による水
墨画の作品もあるほどだが、勝負をする時は、花鳥風月とかわびさびとかいっ
た日本的な感性を、意識的に切り捨てているように見える。

 「プリンストンにて奈良を想う」(1978)は、タイトルの通り、滞在先のア
メリカのプリンストンで、妻の出身地でもある奈良の印象を描くという作品。
下方に狛犬が、中央にイソギンチャクと波が、上方に山脈と楓が、左に釣り鐘
のようなものが、描かれている。海を渡って奈良を回想し、心に浮かんだもの
を一つの画面に収めたという感じだが、日本らしさを象徴するものたちが異次
元の空間に移植されて浮遊しているようで、眺めていると何とも不思議な気分
になってくる。

 「アルチ、夢」(1985)はヒマラヤ山麓ラダックを6週間かけてほぼ徒歩で
旅した体験に基づく作品。寺院、土地の神々、独特の様式の建築物、集落、険
しい山々が描かれている。描かれた対象はどれに重きが置かれているわけでも
なく、パノラマ風に配置されている。確かに幻想的な作品なのだが、その土地
の信仰の在り方をジャーナリストのような客観的な視線で捉えているようで、
見ている者には陶酔よりも覚醒を促す。神に敬意を払いながら神に飲み込まれ
ず、同調しない姿勢が印象的である。

 シュマイサーは、何と南極大陸も訪れている(オーストラリア政府のフェロ
ーシップによるもの)。不定形の氷山を描くのに苦労したそうだが、結果は見
事である。氷の形態は捉えがたいように見えるが、実際は一つ一つ、明確な個
性を持っている。日本や中国の水墨画の画家は、決まった形がないように見え
る事物を表現するのに長けているが、氷山の連作を創るにあたって東洋の美術
を研究した成果が出たのではないかと感じた。連作「ビッグチェンジズ」
(2002)や「オパール・ゲート」(2004)他の作品は、写実に終わらず、氷山
が形をなすに至った風や水などのダイナミックな自然の動きを生々しく感じさ
せる。氷の塊は「動き」そのものなのだ。

 シュマイサーは晩年をオーストラリアで過ごし、先住民アーティストたちと
の共同制作なども行った。「イルパラ海岸のかけら」と題された連作(2010)
は、同じ海岸の光景を様々な変奏を加えながら描いたもの。メインに据えるの
は白い珊瑚のかけらだったり、細長い藻だったり、不気味な蜃気楼だったり。
背後には貝殻や蟹のハサミが浮かんでおり、更に日録と思われる文字を配置さ
せている。同じ場所だが、季節や天候その他の環境の変化によって、光景はめ
まぐるしく変わる。シュマイサーはオーストラリアの海の豊穣さを讃えながら、
その変化を冷静に捉えている。

 シュマイサーは確かに「旅の版画家」であり、訪れた各地の情景を素材とし
て創作しているが、実際に自分の目で見た印象を基にしているかは疑問に感じ
る。彼は世界中を旅して回っているが、彼の創作の対象は意外と狭く、その土
地のシンボルとなるような事物にほぼ限られている。例えば、京都なら清水寺、
カンボジアならアンコールワット、オーストラリアならエアーズロックといっ
た具合である。日本に長く住んでいるなら、修学旅行で退屈そうに仏像を眺め
ている高校生に目を留めても良いし、オーストラリアならiPODで音楽に聞
き入るアボリジニー出身の青年を題材にしても良さそうだが、そうした生活の
様子はほとんど彼の創作の対象にはならない。むしろその土地での現時点での
生活といった要素を夾雑物として切り捨てるところからシュマイサーの創作が
始まると言っても良いほどだ。むしろ、彼の旅は向かう土地を定めたところか
ら始まる。書物や地図で下調べし、この土地からどんな観念を抽出できるのか
を想像することが重要だったのではないか。

 ヨルク・シュマイサーは、現地に赴いてその空気を存分に吸った後、意識的
に目を閉じ、闇の中から浮かんでくるものを拾い上げるようにして創作に向か
ったのではだろうか。目に飛び込んでくるものそのものより、その奥に蠢く妖
しい何ものかの本質を捉えようとする態度が露わであり、写実よりも幻想を重
視するその態度は、若い頃の師ヴンターリッヒ譲りのもののように思える。彼
は、同じ人物・光景を違った視点で描く連作を幾つも残しているが、好んで変
化をテーマにするということは、逆に言えば、変わったように見えても、底に
は不変な何かが流れているということを証明したい気持ちの表れのようにも受
け取れる。ヨルク・シュマイサーの旅は、珍しいものを見聞するための旅では
なく、胸の奥で密かに抱いていた観念を完全にするための旅だったように思う
のである。


*「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展(町田市立国際版画美術館)
会期:2018年9月15日(土)〜11月18日(日)
*『ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅』(求龍堂 本体2500円)

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■「[本]マガ★著者インタビュー」:
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 メールにて、インタビューを受けていただける印象に著者の方、募集中です。
 【著者インタビュー希望】と表題の上、
 下記のアドレスまでお願い致します。
 5日号編集同人「aguni」まで gucci@honmaga.net

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■あとがき
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 もう11月ですから当たり前ですが、体感的には急に寒くなったような気がし
ています。先日までぽかぽか陽気だったものが、コートが必要な季節に…。

 ハロウィンも終わって、もう街はクリスマスの準備です。季節は確実に移り
変わっているんだなぁ、と実感します。(aguni原口)

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