[本]のメルマガ

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[本]のメルマガ vol.454
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□■[本]のメルマガ【vol.454】12年1月25日発行
                [美術鑑賞も根性が必要 号]
 http://honmaga.net/
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□■     創刊は1999年5月10日、現在の読者数は5368名です。
■□ 「まぐまぐ」で、殿堂入りメールマガジンのひとつに選ばれました。
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★トピックス
→ヒルサイドギャラリーのイベント二件

★「甘くて苦いイタリア」 雨宮紀子
→そう、今月はこれしかない。

★「今月のこの一冊」 小谷敏
→甘やかし、日米の違い

★「ちょっとそこを詰めていただけませんか」 竜巻竜次
→感謝・感謝・感謝・感謝・感謝・・・

★「はてな?現代美術編」 koko
→著者を毎回絶望の淵に落とすゲオルグ・バゼリッツ

★「日豪戦争」内藤陽介
→捕鯨を巡る対立

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★PR★ 原 書 房 最新刊 ★ http://harashobo.co.jp

『僕らが愛した手塚治虫 ≪激動編≫』

二階堂黎人著 A5判 288頁 定価2310円 ISBN:9784562047550

貸本時代の表紙から絶版本の詳細まで、手塚治虫の貴重な図版資料を満載した
ファン必携の手塚マンガ史。自他共に認めるコレクターである著者が、その愛
情をすべて注ぎ込んだ労作。3巻目の≪激動編≫では、「ブッダ」「ブラック
ジャック」「三つ目がとおる」など傑作目白押しの70年代前半をたどる。

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■トピックス
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■ヒルサイドギャラリーのイベント
◇人生に大切なものはすべて絵本から教わったPart3
 第5回 M.B.ゴフスタイン「あなたのひとり旅」 - 出版をめぐって 
 出演:末盛千枝子、谷川俊太郎
 2012年2月4日(土)14:00-15:30

『ピアノ調律師』から7年ぶりに、ゴフスタインの翻訳絵本『あなたのひとり
旅』が刊行されます。それを記念して、長年、ゴフスタインの翻訳を手がけて
こられた詩人・谷川俊太郎さんと末盛千枝子さんが、ゴフスタインの絵本の魅
力を語り
合います。
 ▼詳細はこちら
http://www.clubhillside.jp/seminar/ehon120204/
…………………………………………………………………………………
◇目利きが語る“私の10冊”Vol.3
 第4回 平良敬一(建築ジャーナリスト)
 2012年2月15日(水)19:00-20:30

戦後日本の建築界において、6誌の雑誌を創刊し、60年にわたって建築
ジャーナリズムを牽引してこられた平良敬一さん。自らが創刊・編集する
雑誌の変化とともに、自身の思想もまた柔軟に開いてこられた平良さんは、
どのような本を読んでこられたのでしょうか。 
▼詳細はこちら
http://www.clubhillside.jp/seminar/mekiki120215/


■トピックス募集中です!
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■Italia dolce e amara: 甘くて苦いイタリア / 雨宮紀子
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第28回 「すぐに船上に戻りなさい!」

1月13日の金曜の夜、地中海のエルバ島の南にあるジッリョ島(Isola di
Giglio)の前で起きたクルーズ船の座礁事故には心から驚いた。フィレンツェ
からはまさに目と鼻の先といっていい近さなのだ。
乗客の中にはタイタニック号を思い出してひやりとさせられた人も多かったら
しい。なんと4月15日には、あれから1世紀がたつそうだ。

地中海一周中だった豪華客船コスタ・コンコルディア号は、左舷側に70mの亀裂
をつくり、290mの長さの巨体を右に80度傾けて沈み、ジッリョ島の南、島から
150mのところで22日現在も揺れ動いている。
ここはダイバーにも好まれる、花崗岩の高い岩礁があるところだという。

この花崗岩の岩礁で座礁したため客船は沈まずにいるが、通常、この辺りは波
も高く、高潮になれば状況は一変し、船内に残る2380トンの燃料が海へ流出す
るのを防ぐ対策が始まっている。燃料が流出すれば、クリスタルのように澄ん
でエメラルド色の海水や、深海に魚も多く、島に地中海の植物相が豊かに野生
の環境のままに残されている”パラダイス”が破壊されてしまうのが明白だか
らだ。

事故後すぐに、客船がジッリョ島とその東にあるアルジェンタリオ岬との間を
通り、ジッリョ島に接近したことが、フランチェスコ・スケッティーノ船長の
技術的ミスと指摘された。予定では島と岬の間を岬の海岸から5マイルの距離を
とって通過する(ジッリョ島からは3マイルの距離)ということだった。なぜ、
島に接近したかが疑問視されているのだ。しかも、ジッリョ島周辺の岩礁が航
海地図に記載されているというのに、船長は岩礁の記載は地図になかったと取
り調べでいった。

ジッリョ島やアルジェンタリオ岬にあるサント・ステファノ港の漁師の多くは、
こんなにデカい客船が島と岬の間を航行するのは稀だといっているそうだ。で
も、ジッリョ島の村長さんによると、それでも、過去に2、3回、接近したクルー
ズ客船が島への合図のようにサイレンを鳴らして行くことがあったとか。
島の村議会議員の中には、いや、客船はよくこの航路を通って島民にあいさつ
をしているといったそうで、いったい真相はどれなのかわからない。

何にもまして、スケッティーノ船長の名誉をなし崩しにしたのは、船の事故に
は付きものの救難信号「メーデー」も発しなかった船長が、リヴォルノ港湾監
督事務所のデ・ファルコ所長との応答中、「100人以上も船上に乗客を放って下
船するのか」となじられ、「すぐに船上に戻りなさい、いいか!」と何度もい
われた会話が世界を駆け巡ってしまったことだ。

船長はメディアからも救助された乗客からも、事故の唯一の責任者とみなされ
て蹴りを入れられ、一方、デ・ファルコ所長はこの一大事の時に発揮した賢明
さが褒められていっきょにヒーロー扱いされた。イタリア人も勧善懲悪が大好
き…。

船長は、しかし、船員にとってもっとも恥ずべき、「船を放棄した」という非
難を拒否している。「自治体警察の警官に見つけられたように、岩の上にいた。
制服を着ていたし、すぐにわかったはず。ジッリョ島の港へ移動するよういわ
れてもノー!といったのは、緊急状態が終わるまで留まっていたかったからだ」
といっている。自分に非があると確認されれば責任を取ると船長は弁護士にいっ
たそうで、自宅拘禁からも解放される可能性もあると弁護士はいい、行方不明
者の家族はまた怒りを増している。

客船に乗っていたのは4229人で、乗務員が1013人。乗客はイタリア人(989人)
を始めとするヨーロッパ人が多く、ほかに56ヶ国から来た旅客がいたという。
シーズンオフでもあり、1泊100ユーロくらいの客室もあったようだ。真夜中か
ら午前2時半の間に救助艇で幸いにも救出されたのが、負傷者も含めて4165人。
確認された犠牲者が12人。それ以外のまだ行方不明の乗客の捜索が半分沈んだ
船内で行われている。とくに多数の乗客が残っていたという船尾に捜索が集中
されているという。

捜索は物にも及び、検察庁から派遣された潜水夫は船長の金庫室からスーツケー
ス2個と文書類を回収した。これからも捜査に有益な物の回収が続くのだろうけ
れど、船長が使っていたノートパソコンが見つからないというニュースもあっ
た。事件の真相が使っていたパソコンから判明することも多いから、いっそう
興味が煽られる。

船長の最後の操縦について、よかったと評価するのがスエーデンの船会社の地
中海担当者。暗礁に乗り上げてキールに花崗岩を突き刺してしまい、もはや航
行不能になり、救助のために最後に船を180度回転させたことで船を沈ませなかっ
たというのだ。
エルバ島やジッリョ島のように、トスカーナ州の西海岸が接している地中海に
浮かぶ島はトスカーナ群島という名でくくられている。ほかに、ジャンヌート
リ、モンテクリスト、ピアノーザ、カプライア、ゴルゴーナなどの島がある。
ジッリョ島は22平方キロの広さで港区よりちょっと大きいくらいだが、住民は
わずか1700人ほど。年間、うっそうと茂る樹木は700種類もあり、島固有の生き
物もいて、徒歩で巡るのも楽しいところと聞く。

友人でヨット好きな人が、海外から来る観光客を乗せてトスカーナ群島に案内
し、釣れた魚を料理して賞味させるという一日のヨット釣り観光を始めたといっ
ていたのは10年くらい前だったか。どちらかといえば、地に足をつけていた方
がいい私も、一日くらいなら船で行くのも魅力的だなと、いつか群島を巡って
みたいと思っていた。

海の観光業界が恐れるのは、むろん、今後の風評被害だ。
被害を被った乗客には、物的・精神的・身体的な損害に対して、補償金は一人
最低1万ユーロ以下ではない、と「消費・利用者の権利と環境を保全する協会(
Codacons)」は主張している。

◎雨宮紀子(Gatta Italiana)
フィレンツェ在住のフリーランス。著書に『メディチ家 ルネサンス・美の遺
産を旅する』(世界文化社)。メルマガ『イタリア猫の小言と夢』は、melmaの
2007年メルマガ・オブ・ ザ ・イヤー受賞。
http://www.melma.com/backnumber_86333/

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■今月のこの一冊 グロバール化した世界を斜め読みする 小谷敏
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ジーン・M・トウェンギ、W.キースキャンベル著 桃井緑美子訳 
『自己愛過剰社会』河出書房新社 2800円

教育学者や「尾木ママ」のような評論家たちは嘆きます。日本の子どもや若者
は自己肯定感が弱いから自分一人では何もできない、と。たしかに日本の子ど
もたちは「お前はだめだ、いまの子ども(若者)はだめだ」と大人から言われ
て育ちます。これでは自己肯定感など育ちようもありません。他方、「あなた
は最高。世界に一人だけの特別な人間」と親から言われて育つアメリカの子ど
もたちの自己肯定感は世界トップクラスです。では、アメリカの子どもたちは
素晴らしいのか。全然そうではないというのが著者たちの結論です。

 アメリカの親たちの甘やかし方には凄いものがあります。子どもが欲しがる
ものはなんでも買い与えます。お誕生パーティに数万ドルを投じることなど当
たり前。「私はプリンセス」・「俺は最高」等のTシャツを赤ちゃんのうちから
着せている。子どもを一切否定せず、自尊心を高める子育てが、将来の成功を
約束するという信仰にアメリカ人はとりつかれている。子どもを甘やかす風潮
が70年代以降続いたために、21世紀のアメリカ社会は、ナルシシストのあ
ふれる「自己愛過剰社会」になってしまったと著者たちは述べています。

 テレビドラマの主人公はセレブな若者たち。メディアは、日々リアルなセレ
ブの姿を伝えています。ナルシシストたちはセレブへの憧れを抱くようになり、
自分をセレブにみせるために身分不相応な浪費にふけるようになりました。貧
しい人たちまでもが、大きな家に住まおうとします。金融機関は安易なローン
を次々と差し出し、政府も減税によって過剰消費をあおりたてていきます。ア
メリカは国も家計も重篤な借金依存症に陥ってしまいました。2008年の経
済の破局は、「自己愛過剰社会」の帰結だと著者たちは言います。

 アメリカの子どもたちの自己肯定感は高いが、学力は東アジアやヨーロッパ
の子どもたちの方がはるかに高い。そして何よりアメリカは若者の犯罪が飛び
ぬけて多い社会です。「自分は特別だ」と言われて育ちセレブへの憧れを募ら
せても、現実の社会はとても厳しい。肥大した自尊心を満足させる能力を多く
の若者は欠いています。そのことが若者の犯罪を多発させる要因です。大量殺
人を犯せば憧れのセレブと同じようにテレビで大きく扱われる。そうした愚か
な動機に支配されて、コロンバイン高校の乱射事件は起こりました。

大震災に際して、水浸しになった校舎で卒業式の歌を皆で歌い、励ましあいな
がら一夜を過ごした中学生たちがいました。亡くなった人たちの分まで自分た
ちは強く生きていくという決意を涙ながらに卒業式の答辞で述べた少年の映像
に大人たちは感動しています。甘やかされて育ち、ナルシシズムという流行病
に侵されたアメリカの子どもたちにこうした振る舞いは可能なのでしょうか。
自己肯定感が低いとけなす前に、日本の子どもは立派だと褒めてやりましょう。
そうすれば子どもたちの自己肯定感も自然に高くなるはずです。

◎小谷敏
大妻女子大学人間関係学部教授。「余命5年」の難病から生還し、こうしてモ
ノが書けることに感謝。
最新刊「若者は日本を変えるか-世代間断絶の社会学」世界思想社

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■ちょっとそこを詰めていただけませんか 竜巻竜次
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今回は「感謝」の話

昨年末、知人のブログを読んでいてなんとなく感じた違和感。

知人と言ってもダンスレッスンで顔をあわせ世間話をする程度の関係なのだが、
その若者(と言っても30越えですが)の文章にやたら「感謝」の文字が踊っ
ているのだ。

いわく「この一年たくさんの人に支えられて生きてきた。出会った全ての人に
感謝!」「この舞台に関わった事に感謝」「こんな自分に付き合ってくれた人
に感謝」

別におかしい事を言ってる訳ではない。むしろ人間として感謝の心を忘れない
と言うのは大切な事だろう。特に震災の衝撃は生なましくてそれが感謝の言葉
につながるのかもしれない。でも…たかが30ちょいでそんなに感謝せんでも
なぁ…と。

もしかしてダンサーにそう言うのが多いのかな?と感じて他の若いダンス仲間
のページを見てみるとやはり「感謝の嵐」職業病か?

みんな人間が出来ている。でも…実際にその人物と相対してると…とてもそん
な出来た人間とは思えない。

自分の10代20代ってそんなに全ての人に感謝の気持ちなんか持てただろう
か?

私のマンガ制作の原動力は「怒り」にあった。
世界の理不尽さだったり個人のコンプレックスであったり税制に対する不平等
感だったり、何かに対する怒りが「でもストレートじゃ出せないんで」ギャグ
テイストで描いていた。「怒り」の感情は結構な創作パワーになると思う。

最近は人間が出来てき…た訳でなく怒るのも面倒だし体力がいるので怒りが持
続せず、その分「創作パワー」が落ち込んでしまってるけどね。

「ブログみたいな公の場で怒りをあらわすなんて大人げない事しませんよ」
もしかしてそう言う事かも知れない。
最近はちょっとした事でもすぐ炎上するので怖くて本音が書けないのかも。
(だったらブログってなんなんだ?)

一年の締めくくりが感謝だけではあまりに「感謝」の言葉が薄っぺらく感じて
しまう。感謝と同じぐらいに「でもこれだけはゆーとくぞ!」ってのがあると
人間として面白いんだけどなぁ。

◎竜巻竜次
マンガ家 自称、たぶん♀。関西のクリエーターコミュニティ、オルカ通信の
メンバーとしても活躍中。この連載も、呑んだ勢いで引き受けてしまった模様
http://www.mmjp.or.jp/orca/tatumaki/tatumaki.html

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■はてな?現代美術編 koko
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第25回 『複雑怪奇な具象性への回帰 -- ゲオルグ・バゼリッツ』

60年代後半から台頭してきたミニマリズムやコンセプチュアルアートへの反発
から、70年代から80年代半ばにかけ具象性の強い絵画が世界のマーケットに登
場しました。

国によりその呼び方は色々でしたが、イギリスでは『ニューペインティング』、
ドイツでは『ネオ・エクスプレッショニズム』と言ったりします。アメリカの
代表的なスターは、バスキアやジュリアン・シュナーベルであり、それらを『
バッド・ペインティング』と言うこともあります。日本では横尾忠則や日比野
克彦などが活動した時期と重なります。

さらに1970年代に登場したゲオルグ・バゼリッツやA・R・ペンクらによるネ
オ・エクスプレッショニズムを筆頭にドイツ絵画と言われるグループの台頭に
も目を見張るものがあります。東西統一を機に大きな潮流の一つとしてドイツ
アートはその存在感を今も誇示しています。

そのアートは私の心の琴線に触れるものとは真反対の荒々しく醜く暴力的なも
のが多いような印象を持ちます。時にそれは戦争や東西分裂の過程で養われた
感性であるとも言えるし、もともとドイツ国民が持つ伝統的表現主義に基づく
ものとも言えるでしょう。

そこで今回はこれまで何度観てもわからないアーティストについて書こうと思
います。何をどうみても共感はもちろん、理解も出来ない作品の数々を目の当
たりにする度に、私の心は大きく揺れます。世界のかなりの数の人々が彼の作
品の重要性を認識し、また60年代のミニマリストの巨匠ドナルド・ジャッドの
ようなアーティストが彼の作品をこきおろしました。それは抽象と具象の戦い
です。

□ゲオルグ・バゼリッツ MoMAコレクション
http://www.moma.org/collection/browse_results.php?criteria=O%3AAD%3AE%
3A366&page_number=1&template_id=6&sort_order=1
□バゼリッツ インタビュー 1/5 (〜 5/5) 英字幕
http://www.youtube.com/watch?v=WcdpOALhT5U&feature=related

バゼリッツの作品には美しさがありません。それは作品から美やうわべのリア
リティを追求する姿勢を取り除くと、醜さしか残らないのです。そしてハーモ
ニーも削ぎ落とされた作品をいくら眺めても心に安らぎはもたらされません。
心に残るのは不協和音を奏でる渋い色をしたフィルターにかけられた抽象風景
のみなのです。不思議なことに作品は具象画なのですが、心に残るのは抽象風
景です。それも暗く暴力的な感じのする心象風景なのです。
一体これらの作品はどんな背景から生み出されたんだろう?といつも考えてし
まいます。

本当にわけがわからないので、ここでちょっとズルをします。
2005年に栃木県立美術館で開催されたバゼリッツ展の解説です。

《 「現実とは絵画である。それは決して絵画の中にあるものではない」

 これは画家ゲオルク・バゼリッツ(1938年ドイツ生まれ)の芸術に対するマニ
フェストです。
具象的な絵画に真摯に立ち向かってきたバゼリッツは、1969年、人物や動物な
どのモチーフを「逆さ」にした衝撃的絵画によって、初期ルネサンス以来の遠
近法に基づいた構築的絵画空間を支えていた私達の眼差しのあり方に根本的な
問いを突き付けました。それは「線的なものと絵画的なもの」や「平面と奥行
き」といった絵画の孕む問題に、抽象による還元的方法にも、写真による映像
的方法にも頼ることなく、革命的な視座を提供したものです。

「モチーフの転倒」という特異な方法は、1980年代にはその遊戯的性格からポ
スト・モダンの方法と見られもしましたが、21世紀になった今日、それは現実
のモチーフに従属しない自立した絵画を創世した方法、すなわちモダニズム絵
画の方法としても世界中から極めて高い評価を受けています。》

つまり、具象画を描きながら、上下逆さまに描くことによってその主題の本来
の姿が変質して、読解できない不思議な具象に変貌をとげます。また断面を分
割したり、装飾模様とモチーフが混在する作品なども理論は同じと考えられま
す。1980年ぐらいから取り組み始めた彫刻作品は、彫刻家としての作品ではな
くて、あくまでも絵描きとして作られた彫刻作品です。

それは荒々しいノミの跡を残して、主題の原型が辛うじて残っているだけの不
思議な巨大なオブジェです。一体これがどうしたっていうんでしょう?私は彼
の大きな彫刻作品を前に素直にそう思います。しかしそれが彼の狙いです。

彼がミニマリズムを嫌悪したように、ロダンやミケランジェロのような正当な
彫刻作品への嫌悪を前提とします。そこから伝統的彫刻を破壊して新しいもの
を制作していきます。ドガやゴーギャン、マティスが試み、ピカソがさらに発
展させた、伝統に縛られない自由な彫刻作品を彼は目指しました。(そこから
彼の作品価値を見出すか否かは私の脳細胞や感性の働き具合に依るのでしょう)

したがって彼にとって細部は全く重要ではないのです。重要なのは伝統に縛ら
れない制作方法を用いて自分の表現したいものを具現化することなのです。
□パリ市立近代美術館 バゼリッツ彫刻展
http://www.mam.paris.fr/fr/expositions/baselitz-sculpteur

それでもやはり私にはピンとこないわけで、作品の内容が逆さまであれ、もし
私が作品の前で逆立ちしても、絶対に私の心に入りこんでこない彼の作品の一
つについて、かなり明快な解説をしてくれているブログを見つけました。それ
でもう一度ズルをすることにします。
□Site Zero Review
http://site-zero.net/_review/post_3/

む〜、なるほど。
そのように読めるのか。

でもそれよりもわざと美しい部分を除いてしまった作品にも美はあるはずと思っ
ていた私を、毎回絶望の淵に突き落とす、それがバゼリッツの作品なのです。
ある意味とても凄いことだと思います。一切の調和を排除する、それがバゼリッ
ツの本当の価値なのかもしれません。

東ドイツ出身の作家達は美術史に一つの足跡をはっきり残しています。そして
彼らは今も現役として活躍中なのです。これからも私は積極的に作品と対峙し、
そして打ちのめされる日々が続くことでしょう。
美術鑑賞も根性が必要です。

◎koko
苦節10年、円とユーロとドルの間で翻弄されるアートセールコーディネーター。
まぐまぐメルマガ「Sacres Francais!映画と美術とパリジャンと」(通常は隔
週、この夏は不定期発行) 発行中。
http://www.mag2.com/m/0000191817.html

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■日豪戦争 内藤陽介
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日豪戦争(19) 捕鯨をめぐる日豪対立の原点

 第二次大戦後、日本に進駐していた英連邦占領軍(BCOF:British
Commonwealth Occupation Forces)は、1947年以降の国際環境の変化により、
規模を縮小せざるを得なくなっていた。

 まず、BCOFの一角を担っていたインド軍は、インドの独立に伴い、日本
から撤退した。また、ニュージーランド軍も1947年半ばから撤退を開始。さら
に、英本国もアジア・アフリカ各地における植民地支配の再開に伴い、限られ
た兵員を日本占領に派遣するだけの余裕を失いつつあった。

GHQの諮問機関として設置された対日理事会(アメリカ、イギリス、ソ連、
中華民国、オーストラリア、ニュージーランド、インドの7国で構成された)も、
1947年後半になると、冷戦の進行による米ソの対立から機能不全に陥り、日本
の民主化・非軍国化がほぼ所期の目標を達したこともあって、事実上、その役
割を終えて形骸化する。

こうした状況の中で、BCOFの主力を担っていたオーストラリア軍について
も、1948年末ないしは1949年初をめどに、日本駐留の人員が大幅に削減される
ことになった。

もっとも、日本に進駐する兵員こそ削減したものの、オーストラリアは武装解
除されたはずの日本に対する警戒感を緩めることはなかった。そのことを端的
に表したのが、日本による捕鯨再開をめぐるオーストラリアの強硬な反対論で
ある。

終戦直後の食糧難のなかで、日本国民の蛋白源として鯨肉にかける期待が非常
に大きかったことは広く知られている。

しかし、戦時中、わが国の捕鯨船やトロール船のほとんどが徴用され、連合国
の攻撃により壊滅的な打撃を受けていた。さらに、占領直後の1945年9月にG
HQが発した「日本の漁業、捕鯨業の認可された区域に関する覚書」では、い
わゆるマッカーサー・ラインが設定され、日本漁船には日本近海の一定水域内
における操業のみしか許可されず、遠洋漁業は事実上不可能となっていた。

こうした状況の中で、戦前の実績と経験をもとに、大洋漁業が小笠原捕鯨の基
地捕鯨の許可をGHQに申請。これに対して、GHQは1945年11月3付で日本
本土の捕鯨基地を利用した近海捕鯨を許可する。

さらに、同月30日には、小笠原諸島を含む3万平方海里において操業する特別
許可を与えた。ただし、このときは捕鯨海域のみならず、そこにいたるまでの
航行区域もGHQに指定されており、小笠原諸島(占領下で日本の領土から切
り離された)の領海3海里以内に日本漁船が入ることは許されておらず、戦前
に大洋漁業が使用していた母港の漁業基地を利用することも不可能だった。

なお、捕獲したクジラを処理するための捕鯨母船は戦争によって失われていた
が、最終的に、GHQに接収されていた旧日本海軍の軍艦が母船として貸し出
されることになった。ちなみに、GHQが貸出対象の軍艦として示したリスト
の筆頭には戦艦「長門」が挙げられていたが、実際に彼らが借り受けたのは特
別輸送艦第19号(元一等輸送艦第19号)である。

第19号は、1945年5月16日に竣工。戦争中は瀬戸内海で回天の輸送、戦後は武
装を撤去して復員輸送に従事していたが、捕鯨母船として改修され、元海軍軍
人の艦長以下全乗組員80名が、艦もろとも大洋漁業に貸与されるかたちで、19
46年2月24日、マストに大洋の社旗と軍艦旗を掲げて下関を出航。

さまざまなトラブルを乗り越え、4月18日、捕獲頭数113頭、油肉その他の生産
量1005トンをもって操業を切り揚げ、4月23日に東京に寄港した。第19号によっ
てもたらされた塩蔵鯨肉は、臨時配給され、食糧不足の中では貴重な蛋白源と
なっている。

こうした実績を踏まえて、大洋漁業と日本水産が南氷洋での捕鯨許可をGHQ
に申請。GHQが早くも5月に内諾を出したことを受けて、出漁に必要な資金
は大蔵省が斡旋し、農林省は鯨肉の公定価格を引き上げて漁業会社に「損はさ
せない」ことを約束するなど、文字通り国家的プロジェクトとして準備が進め
られ、8月8日に正式な出漁許可が発せられた。

こうして、1946年11月に出航した戦後最初の南氷洋捕鯨船団は、1947年3月中
旬までに、日本水産の橋立丸船団が捕獲頭数シロナガス換算(BWU)6391.5頭、
生産量は鯨油3700t、鯨肉10557t。大洋漁業の第一日新丸船団が捕獲頭数540.5
頭、生産量は鯨油8560t、鯨肉11609.8tを得て、日本人にとって貴重なタンパク
源をもたらした。

1947年6月10日に発行された額面5円の普通切手

http://blog-imgs-38.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201006010846382df.jpg

に捕鯨が取り上げられたのは、当時の日本にとって、捕鯨がいかに重要な意味
を持っていたかを示す好例と言ってよい。

ところが、日本による南氷洋出漁に対して、オーストラリアはノルウェーや英
本国、ニュージーランドなどとともに、「敗戦国が負けて1年も経たないのに
1万トン以上の大型船を建造するのは早すぎる」と強硬に反対したのである。
特に、オーストラリアは、第一次南氷洋捕鯨に出漁した2隻の捕鯨母船を戦時
賠償として要求。日本の捕鯨を物理的に妨害しようとするなど、その強硬姿勢
が際立っていた。

言うまでもないことだが、当時の彼らが日本による南氷洋での捕鯨に反対した
のは、現在のように「環境保護」が理由ではない。

そもそも、当時のオーストラリアは世界有数の捕鯨国の一つであった。また、
1948年に発足した国際捕鯨委員会(IWC)も、当初は、鯨油価格維持のため
の国際カルテルという性格が強かった。

鯨肉を食用としない、日本以外の捕鯨国にとっては、捕鯨とはあくまでも鯨油
を採取するための手段でしかなく、鯨油価格の動向こそが最大の関心事だった
からである。クジラと環境や動物愛護を結びつける荒唐無稽な言説が一定の影
響力を持つようになるのは、1970年代以降、ベトナム戦争の終結により活動の
場が狭まったことに危機感を抱いた反戦・反核団体が、新たな寄付金の「市場」
を開拓すべく、ビジネスとして自然保護や環境保護、動物愛護などを主張する
ようになったことが大きい。

第二次大戦後まもない時期のオーストラリアが日本による南氷洋捕鯨を何とし
ても阻止したかった最大の理由は、捕鯨にあるのではなく、日本がオーストラ
リア近海を通過して南氷洋に出漁することへの恐怖感にあった。

これまで、本連載をお読みいただいてきた読者諸賢であれば、オーストラリア
連邦の結成以来、オーストラリアがいかに日本を恐れ、日本の脅威を取り除く
ことに関心を払ってきたかということは十分ご存じのはずだ。

実際に日本が戦争によって壊滅的な打撃を受け、去勢されたといっても過言で
はないほどまでに徹底して武装解除された後でさえ、いずれ「優秀な日本人」
は復興を果たし、再び自分たちにとって深刻な脅威となるはずだというのが、
おそらく、日本との苛烈な戦争を戦った経験を持つオーストラリア人たちの共
通認識であった。

わずか数年前のダーウィン空襲はオーストラリア北西のティモール海を飛び立っ
た日本軍機によるものだったが、南氷洋捕鯨に出漁する日本船(しかも、旧海
軍の元軍艦)の航路は、オーストラリア大陸により接近したものとなることは
確実である。

戦時賠償として捕鯨母船を没収しようという、どう見ても無理な主張を持ち出
してもなんら恥じることがない思考回路の背景には、日本の船が自国の近海を
通過することにオーストラリア人たちが抜きがたい恐怖感を覚えたという面が
あったことを見逃してはならない。

結局、この件に関しては、西側世界の盟主にして、日本占領を実質的に仕切っ
ていたアメリカが「(日本の捕鯨再開に)反対する国は日本向けに1000万ドル
の食糧援助をしてもらいたい」と一喝したことで決着。オーストラリアも矛を
収めざるを得なかった。

もっとも、オーストラリアも自国に接近しつつある「日本の脅威(の幻影)」
に対して手をこまねいていたわけではなく、南極の拠点を整備することで対抗
しようとした。

たとえば、この封筒を見ていただこう。
http://blog-imgs-44.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/201201250322570ec.jpg
これは、1948年3月7日、タスマニア州から1400キロの地点にある南氷洋の無人
島、マッコーリー島に郵便局が開設されたことを受けて、同局から記念に差し
出された郵便物である。

マッコーリー島は、1810年7月11日、フレデリック・ハッセルバーグが発見し、
当時のニュー・サウス・ウェールズ総督、ラクラン・マッコーリーにちなんで
命名した。ペンギンとアザラシの一大生息地で、1930年ごろまでは各国の狩猟
者が訪れて乱獲を行った。このため、ペンギンやアザラシの数が激減し、1933
年に禁猟区に指定され、一般人の立ち入りは厳しく制限されるようになった。
当然のことながら、この時点では、この島に郵便局を設けようという発想はオー
ストラリア当局にはない。(利用者がいないのだから当然である)

ところが、1947年、突如としてオーストラリア空軍はマッコーリー島上空から
写真撮影による測量を行い、翌1948年3月7日、14名のスタッフを上陸させて同
島に研究拠点を設置し、あわせて郵便局も開設された。事業の収支という点で
はマッコーリー島に郵便局を設置しても黒字になることはありえないのだが、
郵便局という公共機関を設置し、郵便サービスを提供することで、同島がオー
ストラリアの支配下にあることを改めて内外に示すためである。今回ご紹介の
郵便物は、こうした状況の下で差し出されたというわけだ。

オーストラリアは、1933年以降、南極大陸における自国領土の存在を主張して
きたが、1961年6月23日に南極条約が批准・発効したことで、以後、南極大陸に
おける領土主権、請求権は凍結されているというのが建前である。

しかし、現実には、オーストラリア国家がわが国の調査捕鯨に反対する際、彼
らは南極大陸にオーストラリア領土が存在し、その沖合200カイリの周辺海域は
「領海」にして排他手的経済水域であるから、該当水域での日本の操業は認め
られないと主張している。

こうした視点に立つなら、アメリカの「圧力」により、南氷洋での日本の捕鯨
再開を阻止できなかったオーストラリアが、次善の策として、自国の領海から
日本船を排除することによって、国土を防衛しようと考えるのも、ある意味で
自然な発想と言えよう。マッコーリー島をはじめとする南極周辺の島々は、そ
うした彼らの「領海」を担保するうえで、きわめて重要な意味を持つ。

いずれにせよ、怪しげな反捕鯨団体が結成されるよりもずっと以前から、捕鯨
国・オーストラリアは日本の捕鯨に反対していたという事実は、記憶にとどめ
ておいてよい。

◎内藤陽介(ないとう・ようすけ)
1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。郵便学者。日本文芸家協会会員。
フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や
地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている。主
な著書に、戦後記念切手の読む事典<解説・戦後記念切手>シリーズ(日本郵
趣出版、全7巻+別冊1)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『
切手と戦争』(新潮新書)、『皇室切手』(平凡社)、『満洲切手』(角川選
書)、『大統領になりそこなった男たち』(中公新書ラクレ)など。最新作『
年賀状の戦後史』角川Oneテーマ21
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
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■編集後記

いま、原稿を一つ預かっている。

いわゆる左翼政党は、今、危機に瀕している。もともと長期低落傾向にあると
ころに、現内閣が進めようとしている衆議院の定数削減が実施されればどうな
るか?

もはや比例代表でしか議院を出せない社民党や共産党の議席が激減、下手をす
ると議席ゼロになってしまう。

組織の高齢化も進んでいるようで、財務的に盤石だと思われていた日本共産党
ですら危機に陥っているようだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/9556

もともと共産主義、社会主義は、資本主義のアンチテーゼとして生まれた(の
だと思う)。資本主義が人間を幸福にしない面を持つからだ。そうした立場に
立脚したアンチテーゼの必要性は決して減じていないと言うか、近年ますます
必要になって来つつあるように見える。

その受け皿に、左翼政党は、もはやならないだろう。では新しい器を用意した
らいいのかとなると、それも難しいと思う。左翼政党はなくなっても、左翼的
思想の持ち主はたくさんいる。しかし、彼らも政党と同じ轍を踏んでいると思
えることも多いからだ。

そうした人たちへの反感が、小泉ブームや橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会
の人気拡大に大きく影響していると思うのはうがちすぎたろうか?小泉、橋下
をポピュリストだと断じるのはたやすい。しかし、彼らこそが現段階での大衆
の夢を担っているのは事実として認めなければならない。それができない左翼
が多すぎるような気がする。

なぜ左翼がそんな落とし穴にハマるのか、大衆が夢を託せる「左翼」は生まれ
るのか?

預かっている原稿は、マルクスから現在までの概観し、自由主義へのアンチテー
ゼとしての思想づくりの手かがりを模索しようとするもの。

書き手は日本を代表する共産趣味者の一人だが、その他多くの趣味者が執筆に
協力している。その意味で現在の共産趣味者の一つの到達点だと言っていいと
思う。

興味のある出版社の方は、ぜひメールをお寄せ下さい。

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